2019年12月31日火曜日

今年もあっという間に大晦日

長女はまだ時差が抜けきらずゆっくりとした朝を迎えました。

私も最近の当直疲れから、何もないときくらいはユックリ~という感じでのんびりと午後に起きました。今日はどこも家で親族で集まったりゆっくりとしているはず。10年前ならラボで実験したりしてる感じだったかもしれませんが、最近は少しでも休みがあるときには病院でウロウロして患者さんと話したりしている事が増えました。

ちょっとびっくりしたのはカルロス・ゴーンの保釈中の国外逃亡。
日本の司法はこれで世界的にも赤っ恥をかきましたね・・・。最近は国内でも保釈した人間の逃亡や収監しようとした人間の逃亡で赤っ恥をかき続けるなか、再びの失態。これは警察庁の上の人間の首、検察のトップの首、出入国を管理する税関のトップの首も寒くなることでしょう。そして何より、この理屈っぽい小心者のオッサンの事を全く把握していなかった愚かな弁護士。

ネットの記事を読む限りでは、フランス国籍をもつ嫁さんが裏で準備して楽器の箱に入れて入管を騙したとの話ですが、何がどうであれ家族で堂々とした犯罪を構成するというところにこのファミリーの本質を見る次第です。要するに「己の主張は司法や事実がどうであれ、通してしまえば正しい。」という、如何にもフランスのエリート校で学んだ官僚の論理そのもので、笑えちゃいます。

アルジェリアを強烈に弾圧し続けつつも自由フランスとか言っていたインチキ野郎達と何ら変わりませんな。w

さて、夜になる前に年越しそばをいただいて少し腹を満たしたところで今度は夕方から大量の(いつもは買えない)高級肉が次々に出てきましたが、パクパク食べ続けたのは子供たちで、お父さんはその勢いをジーッと見つめる時間が多かったような気がします。

私の横では家族が何気なく紅白を見つめていましたが、なんかthe NHKという感じで滑ってる様に感じましたが、皆様にとってどんなもんなんでしょうかね。私にはもう番組の国民的需要はとうの昔に切れちゃってるような気がしてるんですけど。それに比べて同じNHKが特集したワールドカップ・ラグビーの日本対スコットランド戦のドキュメンタリーは流石と思わせるものでした。

12時になった瞬間、我が家の恒例である若水が配られました。しばらくして初夢を見るために床についたのでした。来年も良い一年でありますように~。


2019年12月30日月曜日

長女がNYから一時帰国

年末年始の短い休暇を日本で過ごすために長女が帰国しました。

NYUの大学院でビンボー生活をしているようですが、家賃は私からの$1,000で賄い、生活費は大学の仕事をアシストすることで得られる$2,000/monthで賄い、学費の多くは大学から貰った奨学金でなんとかしているようです。

とは言えそれはそれ、NYでの生活ですからいろいろなものが冗談みたいに高いため、なかなかのボンビー・ガール生活を送っているようです。今回の帰国にあたっては本人既に「日本で何を買い揃えるか」という買い物に関する希望をリストアップしているのには笑ってしまいました。

今回は「あしながおじさん」(実物は反対ですがw)になって、持てるだけのものを持って帰らせたいと思いますが、御本人によるとやっぱりモノより「四角くて平たい紙状のもの~」とか、「サインだけしてある白紙のチェック」とか、訳のわからぬことを申しておりますので、そこは多分帰国中にこちらで買ってあげる服その他の日用品を持てるだけ持たせて、あとは・・・ちょこっと多めに振り込むようにしようかなと思っています。

風邪気味で帰ってきた娘でしたが、とにかく無事に帰ってきてましたし、生きるエネルギーに満ち満ちて快活かつ話すこと満載という感じですので、親としては一安心です。

結局親としての最終目標は、自分がこの世から消えたあとでもしっかりとジヌンの日本足で立って前へ向かって歩き続ける独立した人間を育てることですので、この大学院卒業後はかなりキャリア・アップをしてくれるのではないかと感じています。

帰国して家に着いたあと二人きりで話した時に「卒業したらどうするか」の前に、ある世界的企業でのインターンシップを行おうとしているみたいなことを話しておりました。
一体彼女は何をしたいのか、いまのところ親の私からはまだまだ見えてきませんが、自分で責任を取ることでしょう。

彼女の大学院も実質あと一年半。シッカリ勉強して良い成績で卒業してもらえばそれで十二分です。


2019年12月29日日曜日

徹底的に子育てと障害者支援に!

障害者支援の施設に現金と新品のノートパソコンを寄贈しました。

使っているパソコンは自分が使っているのと全く同じもので、使いやすさを確かめた上での追加購入で納得した上で寄贈しました。
あとはふるさと納税。今年は「さとふる」を使って」徹底的に子育て支援と福祉にその使途を絞って納税させてもらいました。

自分で使う税金を「これに使ってもらいたい!」と思えるものに投入できるというシステムは実に気持ちいいです。言い出せばそれこそ細かい議論が沸き起こってキリはありませんが、土建屋や利権繋がりの不要な箱物に自分の税金を垂れ流されるくらいならきっちりと使途を指定したほうがよっぽど気持ちよく仕事を続けられます。

少子化と貧困の拡大で子育てに苦しむママ達が少しでも、ほんの少しでもお金のことを心配せずに日常を送れるように自分の税金を使って欲しいなと心から思います。
お金があまりにもない事で子供たちに「ひもじい思いをさせず毎日ご飯を食べさせる」こと、「それぞれの季節に合った服を着せる」ということ、「穴がない状態の靴をきちんと履かせる」こと。

お金さえ普通にあれば「何を今更」というような事なんですが、そういったレベルで物事を心配し日々を過ごさねばならない若いお母さん達のことを考えると「頑張れ~」と肩叩いてあげたくなります。しかし、肩を叩くよりも一食分の御飯、一冊のノート、一枚の服を送るほうが余程、生活の援助という意味では効果的なわけで、この納税法は気持ちいいものです。

来年の障害者支援と子育て支援にどうやって効果的にお金を落とすのか、十分に考えて思いっきり行こうと思っています。私の小さな小さなお金ですが、少しでも道筋つけた支援ができるというのは良いもんです。


2019年12月28日土曜日

議員とか上から下までどうしようもない連中ばっか。w

下は村会議員から上は国会議員まで、ホンマ屑と糞ばっか。

テレビではIR導入に伴って秋元とかいう小物がまた捕まっておりますが、すぐに名前ごと忘れられることでしょう。大東文化大卒で「あの」小林興起の鞄持ちをしていたとの話を読みましたが、学生の頃からの謎の政治家志向!習字と駅伝に専念すべきではなかったのか?w

他にもなんか広島で河井とかいう、夫婦揃って仕事をしない議員センセイがいるとかいう話もありますですが、こいつらはこいつらでで終わりですわな。

以前、村会議員の運営の話を酔っ払った村会議員から聞いたことが有りましたが、想像を超えてほぼマンガでした。そこには交代で椅子に座る、おらが会社の建築事務所に談合して村の予算から仕事を回し合う、云うこと聞かんと文字通り村八分。

こういった低レベルの話は村会議員レベルかと思いたいところですが、皆様御存知のように、国会議員などもニュースで報じられている通り。奴らは結局のところ自分が当選再戦することが至上命題であって、その為に支持者達(というより陳情者達)にコネをつけてやってテーブルの下で物事を進め、その見返りに金と票を拾い上げるという選挙制というシステムが導入されて以来永遠に変わらぬ手法を使っては捕まったり捕まらなかったりするわけです。

医者をしていると、いろいろと国政市政レベルの屑達からの投票依頼が間接的に回ってくることが多いのですが、そういった折にそれを依頼された他の先生からその「議員センセイ」の人から見えないところでの醜態や発言を聞く機会があるのです。
いわゆる、有権者からは見えなところでの「御本人の真の姿」に関する話なのですが、本当にその話の諸々は唾棄すべき話しのオンパレード。まず、連中はロクなもんじゃないです。

私が聞くそいつらのいろいろな話は正しいと思えるような、微細をうがった話なのですが、それを総合するに・・・皆さんが頭の中で想像するような大センセイそのものだと思ってくださってよろしいかと思います。

中身スカスカで何の理念もないけれど、高校生が書いたようなレベルの文章を口から紡ぎ出すだけの連中や、スーツとバッジを外したらしがらみしか残らないような老若男女。オッサンもオバハンも、ジジイも若手も今どきあんな仕事をしようとする時点で人としては基本「アレ」なわけです。

世襲も総務省からの落下傘も、明治の頃からな~んにも変わっておりません。屑はサイズの差さえあれど所詮どこまでいっても土に埋めるか燃やすしかないクズなのでした。

「絶対的権力は絶対に腐敗する」ジョン・アクトンの言葉は今も変わらず正解です。日本においてはまさに今の自民党そのものですな。しかし対抗馬が糞すぎてこれまた・・・。金もらって糞を演じているんじゃないかというくらい見事な糞であんなのでも歴代最長という。w

日本の今のレベルそのものです。

2019年12月27日金曜日

日々是好日

どっかのブログのタイトルみたいですが、映画のタイトル。

樹木希林さんの遺作となった映画ですが、私は今日まで残念ながら観ておりませんでした。で、私的な感想はというと「素晴らしい」ものでした。アマゾンのプライムにそれとなく入っていましたので、気軽な気持ちで当直室で観始めたのですが、呼び出しを受けた時間以外はずっと観入っていました。

爆発もカーチェイスも戦闘も裏切りも、派手なことは一切起きない茶道の話なのですが、これが実にいい。希林さんと黒木華の間(私の好きな多部ちゃんも絡んではいますが・・・)でやり取りされる静かな言葉のやり取り。

人生における時間の経過と人の生死というものを、季節の移り変わりの中で季節を切り取る美しい日本の映像と繊細な音を使って表現している佳作でした。いつもの如く、自身で観た映画の内容はブログでは詳述しないことにしておりますので、もうこれ以上は内容に関しては書きませんが、やはり樹木希林の最晩年の円熟味は素晴らしいの一言に尽きました。

あと黒木華さん。正直「目の覚めるような美人」ではないのですが、彼女は間違いなく大女優になるなって思いました。一体、何なんでしょうかこの人の表現力は。あの若さでああいった自然な演技ができるというのは凄いことだと思いました。努力、それだけではない資質があるんでしょうね。(ただし、最後の雨の中の踊りはいただけませんでしたが・・・、あれは監督が悪い!w)

この映画を通じて茶道、表千家・裏千家というものを改めてネットで回って調べ、「へーそうだったんだ!」という知識をこの歳にして初めて識りました。日本に生まれて生活しているばいろんな時に何気なく耳に入ってくるこの茶道の「表・裏千家」という言葉。実は武者小路という分家も有って総称して三千家ということを知ったときはヒョーという感じで、日本のこんな代表的な文化のことをな~んにも知らないことに改めて情けなく感じた次第でした。

思わず地元の茶道教室の検索をやってしまったオジサンでした。w

それにしても、昔観て涙を流したフェリーニの「道」がアマゾンで観られないのは寂しい限りです。


2019年12月26日木曜日

医学部合格が人生の至上命題の可愛そうな人たち

同じ医局の女医さんでいわゆるヘリコプターママと呼べそうな御仁がおられます。

驚くような話を滔々と大声で医局の中で喋るのですが、まあ、ちょっとサイコ系の人なんでしょうかね。御両親ともお医者さんでいわゆる自称サラブレッド。例に漏れず御主人「も」お医者様です。サラブレッドですよね?何がそれにあたるのかはトンとわかりませんが。w

息子が中学からいじめられてそれを守るために相手の子供の親に電話でカチコミをかけるは、校長等を呼んで直談判をするわ、弁護士を立てて相手に内容証明付きの書類を送って子のいじめに関して責任を取らせようとするわでそれはそれは大暴れした方です。

その合間にもいじめられている(と、お母さんは信じ込んでしまっている)子供を守るために、子供を医局につれてきて自分の机で自習させて高校受験の勉強をさせてましたが、第一志望は落ちたもの、第二志望(ここも十分名古屋では比較的有名な公立進学校)に通り狂喜乱舞しておられました。休日も日曜もダブルで塾に行かせて朝夕送り迎えしていた苦労が報われたってもんですよ!

ご本人曰く、ざっくり6000万かけて息子さんを御自身の卒業校であるA医大を受験・合格・卒業させる予定らしいのですが、「それでも十分人生ではもと取れますよね~」との御発言をされておられました。金持ち恐るべしです!

まあ、正直言うと15にもなってこんなキチガイ・ママの言うことを粛々と受け入れるガキの脳味噌なんて言うのは成長しないまま既に終わってしまっているわけで、自我の発達どころか発現もないままこの歳まで来ている輩でしょうから、まず間違いなくマザコン決定でしょうな。

こんなのでもこれくらい金と手間さえかければ少なくともこれくらいの学校には行けるのですが、さて、その入学後の成績はどうなんでしょうか。入学して半年くらい過ぎましたが、以前医局でやっていたような息子自慢関連の放言が全く聞こえなくなったので、なにか高校での成績に緊急事態でも起きているのでしょうか。他人事ながら心配です。w

この息子さんもきっとママ~ンの(金と)愛情をこれからもたっぷり注がれて大きく育っていくことでしょうからきっと医者程度の職業にはつくことでしょう。いわゆるお医者さんの三代目完成ですね!

計算してみると、このまま浪人無しとすればあと9年程度で皆様を御診察される研修医になる可能性(危険性)大ですね。きっとダイセンセイとして名古屋の医療を引っ張ってくださることでしょう。


2019年12月25日水曜日

寂しく一人で死んだクリスマス・イブ

突然朝の院内専用PHSがなりました。

電話の向こうからは当院の精神疾患患者が退院後に社会復帰をする上で一時的なケアを行っているケア施設の施設長が発する声が聞こえてきました。「先生、もうお聞きになられましたか・・・」

最初は何のことか意味がわからず、正直に「何か有ったんですか?」と問い返しました。すると、私の外来に来ていた肺癌末期の患者さんが家でひっそりと亡くなっていたというのです。

この患者さんは私が日本に帰ってきてからすぐに別の先生から引き継ぎずっと診てきていた患者さんで、糖尿のコントロールに私が必死で取り組んでいた方でした。少しだけ理解力に難はあったのですが、心は素直そのもので少年のような人物。ただ、どうしても入院だけはしたくない、絶対に入院はしない。入院するくらいなら死んでもいい、という発言をしていました。

この方ある等級の精神障害者手帳を持っていた方で、入院においてもお金はかからないしご飯も病院できちんとカロリーが計算された御飯が三度三度ちゃんと出るよ、と言ったのですが彼の答えはいつも決まって「やだ。絶対ヤダ」という簡単な返事。

糖尿のコントロールや肺癌の痛みが出たときの対応がきちんとできるようにしておけば良いよと言っても、答えはいつも「入院だけは嫌だ。先生にはお世話になっているけど入院だけは絶対しない」というものでした。

半年にして一回撮っていた胸部写真に異常陰影を発見してCTで確認。ほぼ悪性腫瘍で間違いないから今ならサイズも十分小さいし、大学病院で切り取ってもらえば全然長生きできるよ!とは言ったのですがやはりこの時点から「絶対手術とか入院とか嫌だ」という一点張り。

なにか過去に入院に関連して、私の知らないなにか嫌なことが有ったのかもしれません。しかし、結局のところ私は彼を治療に導くだけの言葉を持ち合わせていませんでした。
痛みの訴えや呼吸苦の訴えが無かったことだけが私にとっては救いでしたけれども、それは私にとってという私だけの救い。結局、私は彼を救うことはできませんでした。

友達がかけていた電話の記録からするとおそらくイブにひっそり一人だけで昇天したようです。
ほんの一年前に亡くなられた100歳近い彼の御母堂のもとに安らかに旅立っていった彼のことを思ってい一人飲んだクリスマスの夜でした。


2019年12月24日火曜日

働き方改革で起こる医師の仕事と病院の変化

夢と希望に満ち満ちた地上の楽園を実現させることが出来る法案がすでに動き始めました。

医師に関して言えば、5年の猶予をつけてその間に何とかせい!ということだと解釈していますが、多分そこに至るまでの道はボロボロで、出来上がった浅い集計は泥縄の編まれたものになる事と推測しています。院長達の多くは「こんな仕事やっておれん」と考えるはず。

多分、働き方改革法案が厳密に施行された暁には病院のサービスの質は大きく低下し、研鑽を積もうと思っても仕事という形では参加できない勤務状況不明の医師が給与支払い不能状態で、サービスという形で文字通りゴーストとして引き続き治療と救命のために院内をうろつき、患者たちにはタスクシフトとタスクシェアリングという美名のもとに充てがわれた仕事をこなす無数の非医師が患者さん達に種々の「リスキーな」処置を施すこととなるでしょう。しかも、これらの最初の変化は患者側からは見えない形で静かに深く進行していくと思われます。

無論彼らのミスの最終的な責任の所在は主治医と院長に全て反射波として戻ってくるわけで、これまた医師達のストレスはいや増すことでしょう。こういった事態を防ぐ短絡的で最高の方法は病院の数、ベッド数の大幅縮小。更にはリスクの高そうな患者はそもそも受けずにいわゆる「経営にとってリスクになりにくい」患者が選択される傾向が強まると思います。

医師が合法的に研鑽を積めるチャレンジングな時間と時期が短縮されて「強烈なテク」を持った世界の医療会で渡り合えるような神の手の持ち主などと呼ばれる医師は日本からは生まれにくくなってくるのではないでしょうか。

巨大な制度変革とともに倫理と知識が負の方向に変性してしまうと、その一度大きく劣化したシステムを取り戻すには50年以上の時間がかかることを赤い隣国は文化大革命という地上の楽園を目指した改革を行って大勢の人の死をもって証明してくれたのですが、お役所では御理解が進んでいないようで。

僻地と離島医療は崩壊し、限界集落には当然のように残酷な現実が津波のように押し寄せることでしょう。更に厚労省の本来の目的通り医療費は抑制されるのでしょうが、医療の質も大きく落ちていくことでしょう。

人口が減った未来の日本で、廃院の跡が累々と各地に散見され「昔はここに地域の医療を支えた基幹病院が有ったんだよ!」と30年前を語る地域住民がきっと普遍的に列島に散在していることでしょう。

厚労省が机上で考えたビッグ・プランでなにか最終的に上手くいったアイディアって有りましたっけ?

ま、その頃にはプランを練った連中は隠居状態でしょうから、病気になったら己の策定したプランの末に出来上がった医療システムのお世話になっているのかな?ベッドが空いていればですが・・・。(おっと!上級国民様には差額ベッドも何のそのでしたね!w)


2019年12月23日月曜日

長生きの先にあるもの

今の日本で長生きすることによって得られる幸せのターゲットはどこにあるのでしょうか。

元気で、子がいて孫がいて、贅沢はできないけれどそこそこのお金があって・・・と言うならばいいんですけど、残念なことに病院や在宅、その他の施設で見てきた長寿者の中にはそうでない人がズラリ。

勿論、優しい家族に優しく囲まれているお祖父ちゃんお祖母ちゃんもいるんですが、その手の方は意外とeuphoricというか、幸せの方向にボケている感じの人が多い印象なんです。自分がボケていることを認める人もいれば認めない人もいるし、そもそも認知症の何たるかが理解できないレベルまでボケてしまっている人も少なからず。

もう一つ考えるのは「じゃあボケていないのは幸せなのか?」という疑問なんですが、お金があっても自分の老化を認識できている人は、そうやって老いていくことをシッカリと自覚できているだけに年々歳々確実に老化していく肉体と精神をそのしっかりした頭脳で客観的に見続けるという罰ゲームを課されているように""見えます。

若さというのは本当に金では買えないもので、若い頃には観念では解っていても心配するようなものではないもの。あの老害の石原慎太郎も、太陽族という言葉を生み出した頃は戦後の若さの暴走を描出して遠慮のないものを描き出して、偉そうなことを(当時から)放言しておりました。

金があっても老いた肉体では楽しめないことばかり。VRやARが発達したら少しは状況は変わるのでしょうが、興奮しすぎたら今度は心臓が止まりそうで。w

大便や小便をトイレに行って一人ですることができなくなってきたら私個人としては「老いた」と自分を定義しようと思っています。そして、自分の口で飯を食べられなくなったらもうそれ以上の長生きは不要と思っています。ただし、これは「自分」に対するものであって、他の誰にリクエストするものでもありませんし、いわんや自分の日常の患者さんにそれを求めるものでもありません。

若いというのは無理がきく時間。若いというのは失敗がたくさん許される時間。若いというのはこれから何十年も先のまだ何者でもない自分を数限りなく夢想することが出来る時間だと思います。

そういうことも還暦を過ぎてくると次第次第に・・・少なくなるのではないのでしょうか。夢は沢山見れても、それを実行に移すチャンスは次第に減り、安定方向に振られていくのが歳を経るという現実なのだと思います。

寂しいことですが。


2019年12月22日日曜日

ファイルメーカーPro16でDB作成中ですが・・・

今、病院の種々のルーティン作業を効率化させるために自分でシコシコとFM(FileMaker)を使用して簡易データベースのハンドリングに取り組んでいます。

無論、私はDB用の種々の言語を操れるわけでもなく、またそれをしようとも思いません。理由は簡単で、昔からラボで使うレベルの簡単なDBであれば、FMを何となくイジっておけば昔から何となく「日常の研究で使うには困らない程度のそれらしいもの」が出来上がっていたからです。

いわゆる洗練された業者制作レベルの、大規模かつ複雑な構造のものとは程遠いのですが、それでもやっぱり日常の仕様には十分事足りるものでした。この美点は今でもバージョンが上がり続けるFMにも連綿と受け継がれていて、ネットに散らばっている「それらしい」動画や説明を読んでいくことで解らないところを一つ一つ潰していくことができます。

それでも、私の脳みそというのは全く精密機械!等と呼ばれるような頭脳の持ち主とは対極にあるようなボンヤリ理解型のボンクラ頭なので、なんとな~く理解したことを「ああでもないこうでもない、いや、やっぱり上手くいか~ん」等という感じであっちにぶつかりこっちにぶつかりながら進めていくだけです。

それでも、ヒーヒー言いながらではありますが最終的に「まあ使えるか、、、な?」などというものを作ってみて、現場のデータを吸い上げてみて最終的に修正を加えて再調整しながら一件落着という、なんともアナログというか土方仕事みたいな仕上げです。

種々のスクリプトや関数の記述が上手くできればもっともっと洗練されて更にかっこよく「やりたいこと」ができるのでしょうが、現時点ではこの程度のレベルで我慢するしかありませんし、仕事でそこそこ使えるならそれで良し!とすべきだと思っています。

これ以上のことをやろうと思ったら院内で勉強会を開いて自分で教える!等のモチベーションを自分にふっかけない限り大きくは成長しないだろうと思っています。事務方の昭和のオフィス風の伝票処理などを見ていると、「21世紀に何を紙の帳票をめくっとるんだ?」というような作業をしているんですが、事務方のトップが爺さんだとなんにもそこら辺は解ってないから仕方ないんでしょうね。それよりはそれに文句を言わない若手のほうが大問題なんですけど!

今度、やっぱり若手を集めて勉強会を強制的に開いて進化を促そうかな?


2019年12月21日土曜日

年賀状書き終えた

珍しく今年は早めに年賀状を書き終えました。

いつもはがギリギリのことが多いし、いつも会っている人には会った時点で年賀状以上の濃い話をしておりますので、ほとんど年賀状で「改めて」という必要性を感じないのですが。日本に帰ってきた以上とりあえずはこうやって挨拶です。

もともと昔から年賀状の数は限定的な数しか出さない上に、日本に帰ってきてから働いている病院でも基本的には虚礼廃止ということで、職員同士は特別の関係がない限り上下の職位に関係なく何もすべからずという暗黙の了解があるようですので、そこは助かっています。看護師さんやその他のコメディカルの人達、師長さん達から雨のように年賀状が来たら、筆不精かつ超怠け者の私自身かないませんので。w

ちょっとだけ気になる年賀状の発行枚数の推移ですが、ここに詳述されておりました。これを見る限りでは本当にここ15年ほどの先細り具合はものすごい勢いですね。いまの発行枚数はピーク時の半分ですし、個人の年賀状の発行枚数の変遷でも明らかにこのままの低下が続けば、10年も経ずして一人あたりの年賀状を書く枚数は10枚を下回りそうです。

年賀状を書くという風習は残り続けるとは思うんですが、予想を超えた速度で減っていくこの発行枚数を見ていると、2050年頃には個人で年賀状を出すという風習自体が珍しいものになっている可能性大と思えてしまいます。

筆まめでもない限りはきっとそういう動きになっていくのでしょう。
ちょっと寂しくもありますが、電子的な手段というそういった代替物がある限りは消えていくのはしょうがないのでしょうね。


2019年12月20日金曜日

次女のトランスファー1つ目の合格通知

果たして2つ目があるのか知りませんが、とりあえずは1つ目の通知が来たみたいです。

その1つ目はSAICでした。シカゴ美術館付属の芸術大学という日本ではちょっとあり得ないパターンの学校なんですが、ここのアクセプタンスは次女によると6割程度はるということなので、彼女の口からは特に何の達成感も無い感じで「とりあえず他が落ちても行くところは出来た」とのこと。いわゆる滑り止めという事でしょうかね。

とはいえArt&DesignではWorld rankingで毎年トップ10には入っているところですし、その内容を学校のウェブサイトなどで調べると「マジすか?」というような美術館付属ならではのいろいろなメリットがあって正直羨ましいなと思いました。

美術館の講演会や展示会には自動的に無料で出入り自由。かつ、いつでも美術館の展示物の模写や写真撮影が許されているうえにいわゆるバックヤードや資料へのアクセスがかなり幅広く認められているようです。これだけでも良いな~と思わず第三者の私は思ってしまうのですが、こういったことは多くの美大生などには各国で許されていることなのでしょうかね。

大学では個人のアトリエがあてがわれ、24時間好きな時に好きなように自分の好きな創作活動を行っていいというようになっているみたいです。

ここは私の個人的な想像なんですが、こういったところに集まる多彩な才能というのはまさにルツボなのでしょうね。変わった作風を持つ人間、似た作風を持つ輩が種々に集いお互いの作風に感化され影響を与え、与えられながら技術・作風を高めあっていくのだろうと思います。

今回のメリット・ベースのスカラーシップは毎年$18,000ということですので、助かりはしますが、次女の情報によるともろもろ込みで一年にかかるであろう生活費や教材費その他のお金は、平均すると$45,000とのことですので、私が当初より送っている毎月の$1,000からすると追加の$15,000が必要となってくるわけです。

しかも絶対にこれだけの出費では済まないと思いますので、私のほうはここに行くのか行かないのかは別として、今から首が回らないような事態だけは避けられるように爪に火を灯すような生活に「再び」慣れておかなければなりません。orz

親の心子知らずですな。今になって実感です。w


2019年12月19日木曜日

病院の飯の不味さはなんとかならんのかw

ほぼどこの病院もそのサイズには関係なく病院食は美味くないと思います。

例外があるとしたら産婦人科の食事でしょうか?
嫁さんが長女を産んだときにはそこで出される美味しい料理に大喜びで、二人目を産むときも「あの料理」が食べられると解っていたために、出産前から楽しみにしていたくらいです。まあ、何もしなくても三食美味しいものが食べられるということ自体が楽しかったのかもしれませんが・・・。

それにしても、平均的にどこの病院で出される食事も正直不味いと思います。いろいろな病院で結構「検食」というシステムを導入していて、その病院でその時間帯に出される患者さんの標準的食事を我々医師達に提供するわけなんですが、特に多くなるのはバイトで行く関係上、昔から必然的に休日の朝・昼・夕の三食。

しかし、それらが「患者さん向け」の病院食であるところはまず美味しかったことがありません。時には正直「豚の飯?」というようなものもあるんです。医師向けに別に作っているところはもちろん「おお!」というような病院食であることも無きにしもあらずなのですが、それは患者さんが食べているものとは別注ですのでカウントには入りません。

結局の所、栄養バランスとカロリーと1食にかけられる値段のバランスが全てで、これを削ってくるのが多くの病院の真実。それは大学病院でも同じことです。

アメリカで私が心臓のオペをして入院したときの飯はまさに豚の餌の極みというか、これ宇宙食用の缶詰を皿の上にぶちまけたのかと思えるほどのものでした。
おかげで入院中は点滴以外ほとんど何も体に入らず入院してる間に一週間で4-5キロ痩せる始末。

病院食の不味さには国境はなさそうです。w


2019年12月18日水曜日

終末期の医療

この前の人生会議の話の続きでもないんですけど、人の死の選択というのは本当に複雑です。

終末期をどうするかというのをきちんと話し合って決めていても、最終的には最後の最後で「やっぱり」という感じで方向を修正してくる親族の方がいます。
特に精神科に長く入院している親族の方であまり病棟に現れない方ほど決定事項が「揺れてしまう」傾向が強いと感じています。

こればかりは我々医療者サイドも動かすことは出来ないことなのでいつも直前で「不要と思われる」延命措置をとったりしなければならないことがあります。意識がなくなっている90過ぎのおばあちゃんなんかに心臓マッサージをリクエストする方も「稀に」居られるので、そういう方の案件に遭遇した時にはその処置をとった後で遣る瀬無い気分になったりします。

やはり、人には寿命というものがあって当然で、私自身は自己決定による尊厳に基づいた死というものがあってしかるべきだと思うのですが、現行の法はその手の繊細な事案には直接的には触れもしておりません。

結局のところ、ある国における平均的な人の死というのはそこに住む人達の平均的な死生観の緩い反映の結果だと思っていますので、日本人の死に対する最終的な「決断」というのはやはりまだ白黒とハッキリ決められるようなものではないというのが本当のところだと思います。

実際の法律の施行と、こういった死生観の変化というものはおそらく数十年の「ズレ」を伴って成し遂げられるものだろうと考えられますので、今の年配の人達の「とりあえず生きてもらって後は先生にお任せする」というような考え方が無責任だといわれるようになるのが当たり前になるにはあと数十年から1世紀ほどかかるのかもしれませんね。

勿論、その頃は私などはチリになっているわけですが・・・。


2019年12月17日火曜日

生活習慣病改善にはまず食生活と運動


成人病というのは実際のところ言葉足らずで、誤った認識を多くの人に与えています。

成人病というのはその疾患が成人に多いというだけで、実際は不健康な生活を送る若年者でも「普通に」発生します。体が大きいよく食べる小学生が体の不調を訴えるため、検査してみたら高尿酸血症による痛風発作だったということもあります。

アメリカでは子供でも普通に2型糖尿病になっている子供がいますし、いわゆる成人病で指摘されるような糖尿病のほかに痛風、高血圧、心臓病などの肥満が大きな誘因の一つとなるような疾患が普遍的な広まりを見せて大きな問題になっています。

私が通常診る様な成人病の患者さんは本当に生活習慣が崩れてしまっている人が多い。本当に。種々の実例を話しながらこのままこのような生活を続けていくとあなたにこれからどういった病気が各種の具体的な症状とともに発症していくかを時系列で話すことを常としているのですが、この手の話を数回するうちに文字通り「劇的に」種々の数値が改善していく人たちがいます。

勿論パーセンテージが高いわけではないのですが、基本的に理解力の高い人が中心で、食事療法と軽度の運動療法を入れていくだけでビックリするほど数値が改善していくのです!体重をはじめとして血糖値、各種の脂質の値、尿酸値などがそれこそシューーーっと改善していく様子は長々と怖い話をした甲斐があったと思わせるだけのもので、治療者側たる医者にとっては素晴らしい喜びをもたらしてくれるという意味では医者をしている報酬「そのもの」ですね。

一方で薬に頼って生活の質を改善しない人たちというのは、残念ながら客観的に言って改善どころか次第に、そして中には残念ながら急激に数値が悪化していくことが多いのです。残念ながら知的レベルが低めで人の話も聞かない。特徴的なのは言い訳が多いことでしょうか・・・。

こういう人たちの治療成績を見ていると、生活習慣病というのは実によく実態を捉えたネーミングであって、先を見る力のある偉大なる大先輩がつけた病態だと心の底から思います。

私自身も別に健康マニアではありませんが、患者さんを指導するからには指導中に「お前もな!」とビシッと言われないで済むような体を保っておきたいと思います。w


2019年12月16日月曜日

突然の病

病院のある役職者が病に倒れました。

酒に強く、食い物もガッツリ食べてとても70代と思えないほどの精力を感じさせる人物で、よく飲みに出てよく遊び、夜の街には彼を待つママが居るほどでした。もちろん押しも強く、大抵の人間は彼との問答では勝てません。

本当にひと月前まではゴルフコンペで上位に食い込むほどのレベルだったのですが、突然の大量下血とるい痩、そして下半身の知覚麻痺がこの人物を襲ったのでした。
大学病院で検査入院を繰り返す間にも症状は進み、最終的についた診断はある臓器がオリジンの癌だと判明したのですが、それが判った時点ではすでに全身に転移しているという有様。

今日、当直が明けてお見舞いに行って参りました。

大学病院の高層階へ行くと清潔で無機質な病室には奥様がソファに座っておられ、彼は静かにベッドに横たわっていました。前もって近所の寿司屋でほんの30分前に時間を合わせて握って貰っていた特上の握りと近所のコンビニで買いこんできたオッサンでも大好きだと思われる菓子の数々をお茶と一緒に持っていきました。

彼が眼鏡をかけて私の姿を確認したのですが、意外と元気で言葉も明晰。思考も全く普通そのもので、足が動きづらいことを除けばとても病人とは思えません。
しかし、その口から出てくる言葉は後ろ向きのものばかりで、いろいろと言葉をかけるものの奥様とともにその予後を悟りきったような口ぶりでした。

あまりお邪魔しては疲れると思い、十分も居なかったのですが、話しているときにお互い無言でつい涙がポロリと目から溢れてしまいました。

発見さえ早ければ5年生存率は99.9%以上のタイプの癌。日頃が元気だっただけに高血圧以外には注意を払っていなかったようです。彼の存在が無くなっているオフィスは実に異なった雰囲気で、異様に寂しい限りです。

奥様に「くれぐれもよろしくお願いいたします」とお話しして別れたのですが。やはり泣けてしまいました。


2019年12月15日日曜日

救命救急措置のドリル

病院における救命救急措置(Advanced Cardiac Life Support)のドリルを行いました。

こういった練習は「日ごろから」準備しておかないと実際の心停止や呼吸停止の患者さんが発生したときには全く役に立ちませんので、日頃からどのように動けばよいのかというセットアップを行い、それをシミュレーションを通して繰り返し体に覚えこませておかなければなりません。

一番良い例はERの看護師さんたちで、ほとんど医者が何も言わなくても状況判断をある程度自分達で行ってくれるため、医者さえ患者さんの所に近寄っていけば、必要なものが医師の目の前に次々と飛び出してくるほど習熟した動きを見せます。

それもそのはずで、心停止や呼吸停止、それに被さった外傷その他が次から次へと1日に何回も運び込まれてくるのですから、よっぽどのドジ造でもない限りは1か月もそこに勤務すれば取りあえずは看護師や医師としての形は決まってきます。

ERというところは物凄い充実感のあるところで、運び込まれてくると戦場の軍医のように素早い判断と手技を要求されますから、現場に合わない人はそもそもERには向かないという感じで、辞めていく人も多いのです。(まあ、そもそも若いうちしか出来ないような仕事の一つなんですけどね。)

今日はあらかじめ、一人のベテラン看護師さんに部屋のモニターその他の器具配置や緊急カートの中のセットアップなどをしていただいて貰っておりましたので、大変助かりました。そこに私自身が書き込んだA41枚にまとめた手順書を持ち込んで30分間のミニ講義を行い、そのあとに看護師さん達に役割をいろいろと変えてもらいながら5回ほど患者搬入から心マ、全てのモニター装着、気管挿管補助、CV挿入の補助、注射のセットアップの準備などを含めた一連の動きを果たしてもらいました。

今回は特に経験の浅い人たちを選んでのドリルでしたが、終わった後は質問を含め、解りにくかったところ、忘れがちなポイントなどを再履修して貰いました。
今後も繰り返しこのドリルを行いながらこの人たち自身が他の看護師さん達に教えることのできるような人に育ってほしいなと感じた午後のひとときとなりました。

若い人たちの実技や知識の吸収は早いと信じております。私が教え方さえ間違わなければ、きっと看護師として更に飛躍してくれるものと信じております!


2019年12月14日土曜日

ノイジー・マイノリティー

サイレント・マジョリティーという言葉は昔からありますが・・・。

最近は小さな声「も」大切にしようということになっています。無論、弱い者の立場に立ってその権利を考慮するというのも非常に大切で、どう考えても理不尽な搾取や攻撃が行われているときに、その力を持つものを別の力を持ったものがガツンと痛い目に合わせてやることは常に行われてきました。

その反撃に当たる行為が正しいこともあれば、大きな歴史の中の流れで見れば間違っていることだって当然ありますが、それは多くの場合その時点での常識の中での判断であることが実は普通で、ある時点の過去の出来事をのちの常識で測るのはまさに見識のズレそのもの。

たとえそれがその時点でベストの判断だとその当時は思えても後の世から見ればとんでもないというようなことは人類の歴史においてはごく普通で、ちょっと考えてみても実例なんて言うのは枚挙にいとまがありません。時代の差のみならず、国の違い、宗教の違い、人種の違い、思想の違い、経済力の違い、性差などからくるある時点での判断は、別の地域に住むのちの人から見れば「トンデモ」なものも無数にあるわけです。

とはいえ、そんな中で気になったのはあるネットニュースに出ていた「除夜の鐘がうるさいとXX年より中止になっている」という話。

第一の私的リアクションは「出た基地外!w」というものでした。

そもそも寺というのはもともとほとんどの場合は現地に大昔からあってあとからその寺社に人が一緒に、もしくは後からやってきて住み始めているわけで、100年200年後からのこのことやってきた有象無象が「寺の鐘はウルセーから突くな」と言うのはまさにイチャモンでしかないように聞こえるんですが?そもそもお前がそこに来るなっちゅう話じゃないんですかい?年に一回だけある108回の鐘も我慢できんのかい?この煩悩のかたまり野郎が!

花火がやかましいから花火大会するなとか、保育園の園児の声がうるさいから静かにしろとか移転しろとか・・・。もうね、お前らがどっか行けよ。w 別にお前らのようなお上品な方々はそもそもその地域には要らんから。

周りと協調できずに、てめえのエゴだけ前面に押し出すような輩は富士山の麓の樹海あたりで静かに森と向き合って暮らしとけって感じです。この手の意味不明の「市民」の皆様の家の隣に鐘楼でも建てて毎日千回くらい朝から晩までフリーで鐘突くサービスをして差し上げたい気持ちになりました。

一日千回というと、時間当たり41.67回。ほぼ1分6秒に一回つくようにタイマーセットすれば・・・(^ω^)・・・。

後の世では私のほうが基地外ですわな。(いや、今でも)w


2019年12月13日金曜日

塀の中の人生

受け持ちの患者さんと少し長い時間話し込む時間がありました。

その患者さんというのは一言でいうと「筋モノ」だった人物で、私より二か月ほど年上。その半生の大部分は塀の中の暮らしでした。最初は少年刑務所。当時は冬に氷点下20度になるような環境で、当時の年少はポットン便所。

凍える中で水は出ず、歯磨きに成功するのは週に一回というような環境だったといいます。だからと言って懲りないのが彼の彼たる所以。カッと来ると止めに入る人間も含めて全員をなぎ倒してしまうんだそうです。

いわゆる武闘派というタイプの戦闘第一の人生だったようで、年少だけで三回も入所。
15歳からヤクザをやっていて、三回目の出所をしたときには年老いた親分がなくなってしまい組自体が解散。そのあと移った組で自分の兄貴分に当たる人間の女癖が最悪で、自分が傷害事件で入所中にその女性が刑務所に訪問してきたときに涙ながらにあってはならぬことをその兄貴分にされたとのこと。通常、入所中に人の女に手を付けるということはいわゆる「やってはならぬこと」の不文律第一条らしいのですが、まあそうだろうなと思います。

そのあとは組を出て、いわゆる全国的に有名な多分日本人なら誰でも知っているXX会の人間として仕事をしていたらしいのですが、もちろん細かいことなどは一切お互い聞きもしませんし話も出てきません。

しかし、その彼がしみじみ語るその日常生活というのは嫌になるほど普通の人間の感情が渦巻く普通の世界。ただ、恐ろしいのは決着のつけ方が「普通では無い」よいうところ。
クスリの話や対決の話、親分子分の関係、女、堅気とのつながり、やばい仕事関係の話などもそこそこ出てくるのですが、やっぱり思考回路が違うなと感じてしまいます。

しかし、老いてきた時、即ち「力」というものの勢いが削がれてくるような歳になってきた今、彼が受け容れなければならない病気による衰えは普通の人以上に彼自身を小さくしてしまっていると感じるのでした。

50数年の人生のうち、塀の中に30年以上住んでいるというのは一体どういう感覚なのでしょうか。そういう彼も今の時代の中で既に組からは「もう関わるな」と言われるような事を言われ、女性からは連絡をしてくれるなと言われ、自分から電話番号とアドレスを消したとのこと。

いったい今の彼の胸中にはどんな思いが去来しているのでしょうか。斬った張ったの人生も、別の意味で容易ではないようです。


2019年12月12日木曜日

インフルエンザ急拡大

外の病院のバイトで外来を診ていると熱発、熱発また熱発。

次々と熱発と関節痛、咽頭痛でインフルエンザのチェックアップをしていきます。すると、7割くらいの確率でインフルエンザA型が検出されます。一昨日来院したときには陰性だったけど、今日改めて調べてみたらやっぱり陽性だったなんて人も少なからず混じっています。

結局、私が診た多くの患者さんはどちらかというと若い方ばかりでした。これは推測なのですが、具合が悪くて家から出ることさえ叶わない高齢者の人達はきっと家でぐったりしていたり、そもそもこの時期に外に出ることさえなく感染するリスク自体も高まっていないのかもしれません。

しかし、そこは高齢者。やはり若い感染者とは違って、感染による体力の低下、免疫系への打撃が重なり細菌性の肺炎に移行したりするなんて言うこともありますから、インフルエンザ感染に関する甘い考えは高齢者に関しては特に禁物です。

アメリカにいたころは家族に高熱が出ても勿論病院に行くことはなくて、薬局に行って一般の感冒薬を購入して対症療法に徹していました。日本に帰ってきて思うのはインフルエンザに対する防御体制の厳戒感の高さ。やはり国が違うとスタンダードというのは全く違いますよね。

実際のところ抗インフルエンザ薬というのはその投与経路や効果の出るまでのスピードもまちまちですが、実際これらの薬を使って得られる効果は数日分の解熱と症状の改善を加速することです。ですから多くの若い人は解熱さえ確実なら抗ウイルス剤をガンガン使わなくとも、最終的には治癒するんですけどね。

まあ、早く治ったほうが良いことはいいんですが・・・。

最近は私の病院でも、子供さんなんかが学校で感染してきてお母さんが割を食って」お休みになるなんて言うパターン激増えです。


2019年12月11日水曜日

大変有意義な飲み会

本日はある目的をもって飲みに出かけました。

それは病院の中枢に関する今後の意見の流れはどうなっているかというのを「大筋」では「本当は」どうなっているかを知ることが目的にしておりました。幸いにしてその中心となる人物から貴重なご意見を伺う事が出来たと思えるような一晩となりました。

その人物から今日聞くことのできた話は十分に出費に見合うと思えるレベルの意外な話の連続でして、逆にこれほどの話をこの出費と手間で知っていいのか?と思えるレベルの正直な話が次々と出てまいりました。

酒を飲んで腹を割って話をするときに、多くの人は隠し事をしませんし、それでも隠し事をする人は生理的に避けてしまいます。今晩はそういう意味では「腹を割って」話をできる人物と話をしてまいりました。

この人物の話を聞く限りでは色々とドライな話を聞くこともできましたが、そうでもないようなウェットな話も実は同時に進行していることが理解できて「世の中満更でもないな」と思える夜でした。

美味しい日本酒と数々の突き出しの合間に流れてくる意外な話の数々は良い意味で私の期待を裏切るものでした。これからの数年間がどうなっていくのかこの人との短い話の中でかなり理解できたと思います。

大事な話を聞きたくて酒を呑むときには「慎重に人を選ぶ」のが大切だということを理解できた一夜でした。


2019年12月10日火曜日

次女の次のアプリケーション

この前アプリケーションを出したThe Cooper Unionに次いでどこに出すかだんだんとわかってきました。

何のかんの言ってやはりアート系へのアプリがほとんど中心になっているようですが、今のところとりあえず判明しているのが次の四つみたいです。


この他にも何かギョッとするような名前の学校がチラッと書いてあったんですが、忘れ(るように)しました。w

この手の教育機関に関してはあまり詳しくない私ですので、ここは便利なウィキペディアにそれぞれのカレッジの説明を求めてみましたが、其々に異なった伝統や特徴があって面白そうな学校ばかりです。娘が一体どこに行きたいのかもその本心はわからないのですが、そもそもこの前出したThe Cooper UnionからきたEarly Decisionの課題からしてその質問自体が本当に課題提出者の解釈力と課題作成能力を試すような面白い質問で区政されており、それを読ませてもらってすぐに思ったのは「サイエンスの世界とはえらく違うな~」というものでした。

スケッチブックにいろいろと描きまくっては色付けや次の」作品への構想を練っているようですが、こういう情熱というのはどこから出てくるんでしょうかね?
娘の画は親の私からしても、正直奇抜で面白い作画だなとは思うのですが、果たしてそれが選抜の中で教授陣の眼に留まるチャンスのあるものなのか否かは全く私には予想もつきません。

私に言えることはただ一つ。「失敗しようが成功しようが好きなことなら頑張んなー」ということくらいです。


2019年12月9日月曜日

swift5到着

実際に待っていたマシンが到着しました。

実はある目的をもって最初から二台のマシンを注文していたのですが、何と到着したマシンの一台がいきなり問題のあるものでした。その問題というのがスクリーンの右下にカルシウムというか電池の液漏れの後みたいな結石を付着させていたのでした。

ちょっとビックリしてまじまじと見た後、万一逆クレームをつけられたら敵わんと思ったのでスマホで写真をパシャっと撮っておきました。
まあこういうことは今までアップルの製品を購入したときに発生したことがないので、やっぱりそこはそれということかな?等とも感じたのですが、そこでめげずに二台目を開けてみたら奇麗そのものでしたので、私としては一件落着。問題のあったマシンを送り返すだけの話です。アマゾンはこういう点に関しては全く問題なく受け取ってくれますのでサッサとアクションをとることにいたしました。

さて、マシンの使用実感ですが、今まで使っていた嫁さんのマックブックとは比較にならない画面の広さで、普通にA4が二枚広げられるっていうのは実に便利です。
タイピングもしやすくて、病院で使っている安いほうのレノボのマシンよりかはキーは打ちやすいですね。」ただし、前のネットでの論評にもあっのですが、ホームキーの横に爆スペースがあるのは一寸アレですので、しばらく使って不便だったらキーアサインを変えようと思います。

あと、エンターキーがもう少しその左のひらがな「む」のキーと離れていてもよかったかもしれません。

とはいえ、ここまで安く購入できたのですから文句は言わない!w
直ちにFileMakerとOfficeをインストールし、Googleのアカウントを紐づけして一瞬でいつもの環境になりました。まあ、マックならではの良さもありますが、13インチの狭額ベゼルのものが出るまではないもしようとは思いません。

三年壊れなければ良い買い物をしたと思うことにしたいところです。


2019年12月8日日曜日

一人博物館

日曜日に家族が家でゴロゴロの中、私だけは滅多に無いチャンスとして動くことにしました。

アメリカから名古屋に移ってきて6年。
実はどの博物館にも一度も行ったことがなかったのです。都市に住むということはそういった展示物、行事、アトラクション等を余り移動せずに享受できるチャンスが大きいと言う事を意味しています。

朝起きた時点で、まずネットを検索。すると一番目立ったのはカラバッジョの展示会。しかし、これはきっと「大量の人」が並ぶという日本のいつもの有名美術展のパターンが繰り返されているでしょうからあんまり乗り気では有りませんでした。

というわけで、まずは何も考えずに鉄板の名古屋市博物館に行ってまいりました。ネット上では以下の展示物が特別展という形で展示されておりました。
そもそも、私は歴史というものに全く疎い人間で、高校の時などは受験に関係ないと思っていた“一学期間だけ取らざるを得なかった日本史”の授業では赤点を取ったことのある人間です。w

試験の関係ない今だからこそ、全く純粋な興味だけでそういったタイトルに向き合うことが出来る訳です。実際に車を転がして行ってみると古いコンクリートの建物が有りました。後で調べてみると、もう40年以上も経っている建物だったのです。

それでも、名古屋市のような大きな自治体だからこそ持てる大きな建造物。中に入ってみるとやはり昭和感満載の中身でしたが、展示スペースは結構広かった感じですね。
私が中学高校の頃に習っていた日本の歴史とは何だか様子が違うぞ?と言う感じの展示物で、きちんと全国の、特に福島の遺跡からの発掘物が展示されていて興味深かったですね。

ただ、あまりに一生懸命集中して回って2時間以上も休まず、飯も食べずに展示物に見入っていたために一回の特別展示物を見終わった時点で「魂を抜かれた状態」になってしまいました。

それでも、ココまで来たからには〜という事で、常設展示場も回りました。ここはここで名古屋の歴史を周辺のエリアとの絡みをつけて古代からごく最近である我々の知る懐かしの昭和の諸々の歴史までを見せてくれます。それでもやっぱり見終わった後はヘロヘロ。

取り敢えず、今後はゆっくりといろんな博物館を回って当たりをつけていこうと思います。一人で回ると誰のことも考えずに時間軸を組み立てられるので、滅多に取れない休みには良いチャレンジだと一人考えた日曜日でした。

次はやなせたかし生誕100周年の記念展示があるみたいですね。高知では記念館にはいきましたけど、もし面白そうなものが追加であるのなら行くかもしれません。いや、それよりも先に他の美術館かな?


2019年12月7日土曜日

日本のサイバー・マンデー使ってみた!

米国にいた頃から次第に賑やかになってきたネット上のお祭りCyber Monday。

米国ではいろいろなネット上のショップが競うようにビジネスチャンスを広げるためのお得なセールを次々と展開していきましたが、日本にこうやって言葉が入るまでは(当然ですが)少し時差がありました。

日本でも、結局のところはアマゾンという巨人が踏み込んできて大安売りを現実として大きく展開することで人口に膾炙することとなりました。しかし、実際にはそれが本当に安くなっているのか否かというのは非常に難しい問題で、細かな日々の比較データとしてその価格の上下動が比較できるシステムがなければ「実は安売りセールとか言って買ってみたら他より高かった!」なんて言うネット通販あるあるになってしまう訳です。

その対策として私がアマゾンの購入時の参考にしているのが優れもののアド・オンであるkeepaです。私から見ると、アマゾンの利用者はこれを入れていないとマズいでしょうというレベルのアド・オンで、いわゆるアマゾン版のkakaku.comにおける価格変動履歴表示システムです。

いろいろと宣伝があったんですが、ほとんど食しを動かされるものは何もナシと言う感じで一週間ほどじっと観察していたのですが、ネットニュースに出ていたある記事が目に止まりました。

それはGIZMODEにあった記事で、AcerのSwift5があり得ない値引きを行っているというものでした。どれほどのものかと言うと下の写真のようなもの。
同じものが他のネットショップ十軒分ほどと比較されてその記事には並んでいたのですが、アマゾンだけが突出してこの値段提示。他の店ではせいぜい14万円台がズラズラと並んでいました。

自分のマックブックをワインで駄目にして以来、嫁さんのマックを使っていたわけですが、これでやっと自分のマシンを再び持てるようになりそうです。

しかしなんでココまで、しかもこの特定の機種だけ安くなったんでしょうかね?新しいMacbookProの13インチが出たらどうなるのかわかりませんが、今の所はこのマシンがぶっ壊れるまでは使っていこうと思っています。

願わくは三年ほどは壊れないでくれ!w


2019年12月6日金曜日

筋トレが楽になってきてしまっている

やはり一定期間を過ぎると同じ負荷では筋肉の発達が進まないようです。

始めの頃にかけていた負荷でいま二月ほど経ちましたが、重いものを挙げると言うより軽いけれども素早く繰り返すとキツくなるようなトレーニングを繰り返しておりましたが、それも一旦ある程度の壁に突き当たってきたようです。

こういった事は当初から予想されていたことですが、5.5キロの重さのものを種々の動きを入れながら最初は50X3X5セットで750回だったものも、最終的にはセット数が上がって1500回動かす方法ところまで伸びてきました。これだったら関節その他に重さによる影響を強く及ぼすことなく、見せびらかし用の筋肉のバルクを付けることなく増やせるだろうと思っていたのですが・・・。

最初はヒーヒー言っていた運動も一ヶ月経つ頃には次第にそれが苦痛でなくなってきて、首や肩のコリも翌日に残らなくなってきたのです。上半身は家で鍛えることが多く、下半身に関しては階段を使った有酸素運動を行うことがメインとなるトレーニングを行い、それぞれ別々の日に鍛えているのですが、下半身の方は未だにきついにしても上半身の方はどう考えても最初に書いたように「キツさ」が無くなってきています。

それなりに汗は出るのですが、明らかに当初に比べ楽に同じことが出来るようになってきているため、今後は少しこのシステムを使用して別の方法(本来の使い方)でチャレンジすることで新たな負荷をかけていこうと思っています。

重さを増やすとなると、今のものより7キロほど重いものを使うことになると思いますので、己が「オッサン」であることを十分に自覚して、その新しい重さのマシンを考える前にあと数ヶ月はこの重さでいろいろな動きにチャレンジし、それでも十分に楽にトレーニング出来ているとなったら次のステップに進みたいと思います。

ブログと一緒で、まずは一年続けてからその結果を解析していこうと思います。最初は体重減だけが目的でしたが、段々と己のアナライザーとしての本性が出てきた感じです。自分を解析するだけならプライバシーのことなんぞ何も考えんでいいですしね。w


2019年12月5日木曜日

珍しく連日続く飲酒

この一週間弱、アルコールを飲む日が続いています。

皆で飲むというのは三回だったのですが、買ってきたジャック・ダニエルズが美味しかった為に夜のパソコンでの作業中にチビリチビリと飲んでいたことによります。
実際に飲むためには患者さんの容態が比較的安定している、そして信頼できる先生が当直をされているという条件のもとで飲むことになります。

しかしながら、実際にはこれだけ連続して飲むことはいろいろな意味で好ましくないわけで、通常は一ヶ月でも二ヶ月でも全くの酒無しで生活できる私にしては年末スペシャル状態と言って良いかもしれません。

自分で金を出して飲む酒というのは通常日本酒かウイスキー、そして稀にワインとなります。九州生まれの男のくせに焼酎が美味いと思ったことは一度も有りません。母親や親戚達は集った時に飲むのは焼酎、焼酎、また焼酎という感じですので、もしかしたら私はどこか他所からの貰い子なのかもしれません。w

寒い時に暖かい部屋で飲むお酒は適度な量である限りは大人の楽しみとして今後も体が元気な限りは続けられるかなと思います。

とはいえ、諸先輩方のお話を伺う限りでは、還暦前後を境にしてグッと弱くなる人が増えるとのこと。特に大量の酒を飲んでいた人に限って、急激に飲めなくなる人が多いようです。私はほとんど日常ベースでは飲まない人なので、細く長く飲む方を選びましょうかね。

皆様も、呑みすぎ注意。飲酒運転絶対禁止で年末をお楽しみください。


2019年12月4日水曜日

忘年会のシーズン

今年もやってきました。

アチラコチラでの病院内外での忘年会です。しかし、いくら誘われても何らかの理由をつけて断れるのがこういった病院の忘年会。それでも断れないのは自分が担当している病棟です。

私の場合、昨年とは異なり幸いにして主に2つの内科病棟だけに集中できる環境を手に入れましたので、この2つの病棟の忘年会にだけ反応すれば良いわけです。(あと一つあるのは外の“バイト”に行っている病院で呼ばれているものですが。)

病院の忘年会というのは各病棟の師長さんや看護師さんのキャラ、そしてたまにそこの病棟医のキャラが加わって独特のものになるのですが、強烈に弾ける病棟もあればまるで精進料理を食べている食事会のような病棟も・・・。どちらが良いと言うより上述のようにその病棟の看護師のキャラによるところが大きいので、ただの参加者である私は何も申し上げることはございません。w

今回は病棟長として何か言わないといけないんですが・・・。
言うべきことはいつも病棟でガッツリ言っているので、忘年会では一年の労を10秒程度の手短な労いのことばで始めようと思っています。まあ、呑み始めれば冒頭のオッサンの言葉なんて言うのはみんなの脳裏から一分で消えていきますので短かければ短いほどよいと信じております。

それにしても、米国にいた時は忘年会というのはまず全く無くて、当然のようにクリスマスパーティーがあるのみでした。どっちが良いなんて言うこともないですし、特に何もなくても私は特にどうということもなんですが、滅多に一緒には喋らない人と話をして意外な一面を見つけるのも一面の愉しみではあります。

オッサンですから呑みすぎに注意です。みっともない姿は若い頃とは比べ物にならないレベルで情けないこと必定ですので・・・。


2019年12月3日火曜日

PTSD

人によってその中身はいろいろと異なると思います。

しかし、本当のPTSDと言うのはその人を自殺に追い込むほどのものだと本当に信じられるような話をアメリカに居る時に直接その本人に聞いたことがあります。

私にとっては「そうなんだ〜」ということでも、本人にとっては一生消えない心の傷。実際に聞いた話はMAZDAのディーラーに勤める男性でした。彼は私に本当のPTSDというものがどんなものか話してくれました。

 その話はアフガニスタンでの従軍経験にまつわる話。
塹壕の中で白兵戦になった時の殺し合いの経験が彼を真夜中に起こしてしまうのだそうです。おかしな時間にその白兵戦の悪夢が彼を呼び起こしてしまうとのこと。

起きる時はいつも汗びっしょりで、アフガニスタンで自分を守るために銃弾を撃ち尽くした後に飛び込んできた相手を銃剣で突き殺した時の事が何度も何度も何度も何度もフラッシュバックとして蘇ってくるのだそうです。

本当に薬で治せない不眠症と言うのはこういうものなのでしょう。そしてそれを忘れさせる、というか記憶から遠ざけるのが彼の場合はいわゆる麻薬というヤツみたいです。彼自身が悪いのでしょうか?私はそう思いません。

自殺を試みた彼が本当に悪人だったのかと問われれば、答えは明確にNOです。

心に負う傷は各人各様。しかし、その理由は実に様々だということ。

私にも少し酔った時にしか話せない話というのもあるみたいです。あることがきっかけになって今日は少しだけこういった話を書いてみたくなりました。


2019年12月2日月曜日

女の中には恐ろしい奴も居るもんだ

私の尊敬しているあるAという女医さんさからチョッとビックリする話を伺いました。

というのは、最近、医局の中で、前からXという別の女医さんはちょっと頭おかしいというか、どこか精神構造に大きな問題があるな〜と日頃の言動や行動などの観察から思うところがある先生が居るのですが、先日、病棟でふとしたことがきっかけになってこのX先生に関する話が出てきたのです。

それは・・・同じ科のある男性医師Y先生に取り入って、他の女医さん達を助けている別の男性医師Zに対抗しようとしているということ。まるで政争なんですが・・・。
結局、どういうことかと言うと、その男性医師がちょっとおかしなその女医さんXに対してかなり冷たく接するので、Y先生を操っていろいろ思い通りにやってやろうと思っているらしいです。まあ、私の予想では上手くいくとは到底思えないんですが。

驚くべきは、女医さんが集まって飲む女子会ではその女医Xさんは、その男性医師Yを操っていることを得意げにベラベラと喋るんだそうです。(どうせバレるのに、このあたりも頭おかしいと思うんですけどね。)可愛そうなのは騙されているとは全く気付いていないそのY先生。

しかし、その程度の事は世間では普通なんでしょうかね。

私自身の発想の中にそういった「誰かに乗っかってその人を操り権力闘争を勝ち抜く」的思考様式が全く無いもんで、そういった話を聞いた時に感じたのは「えーっ」という自分の心の声だけでした。その「えーっ」と言う心の声の中には実にいろいろな感情がこもっていたのですが、それは驚愕、嘲り、嗤いというかその手のネガティブな感情が混ざり合わさったものでした。

それでも、今回の件で感じたのはひたすら“女って恐ろしい”ということ。
騙されていると解った上でそういうことをされているのならまだ男としてはマシなんでしょうが、その先生全くそのことを理解されていないようで・・・。
その哀れさが気の毒すぎてとても私からはその騙されている事実を告げられません。orz


2019年12月1日日曜日

「人生会議」メチャクチャ大事!

何かと世間を賑わしている厚労省の人生会議のポスター。

吉本の小藪さんを起用してのものですが、厚労省によると基本的には「人生の最終段階でどんな治療やケアを受けたいか、家族や医師と事前によく話し合っておこうという取組の普及啓発を目的にした」ものだそうです。

その弁や良し。しかし、これに対しがん患者の治療やケアをする団体から直ちに抗議が入ったとのこと。まあ、私のような場末のヤブ医者から見ると感想は唯一つ。
病院にはちょっと貼れんシロモノやな・・・
ということに尽きると思います。しかし言っている内容は実に大切な内容で、日常の臨床の現場ではそれがない事から起きる種々の問題が結構、毎日この日本のどこかの病院で起きているのです。間違いなく。

確かに小籔という吉本新喜劇のキャラを使ったことで、裏側に何となくウケを狙いながらも「大事なこと言っとこう」という感じで出したのだろうと思うんですけど、同じ内容でも関西ならまた違った受け止め方をされたことでしょう。これまた間違いなく。w

東京の「間違い許さん・political correctness」というドグマの上では完全にアウトになるんでしょう。また、厚労省なんて言うハッキリ言うと我々医師から見て余計なことしかせん役所みたいなところが叩かれていることに関しては何の同情もしないのですが、(再び言いますが!)問うている内容は特に突き詰めるまでもなく、実に大切なことなのです。

私は患者さんの中で死の迫っている可能性の高い方の御家族に対する説明を諸々合算すると最低でも30分以上かけて行うようにしています。(通常はそれ以上になりますが。)
その中で、実例を出したり己の例を出したりしてあくまで「医師としての正直な思いを述べて」親族たる患者さんが、どうあるべきかを御家族と一緒に考える時間を持つことで、最後にはそこにいる全員が患者さんと最後に持った僅かな時間であっても、後悔の最も少ないものにしようと必死です。

結局、今の令和の時代でも(感覚的には凡そ半分弱か三分の一くらいか?)結構な割合の方々がこの患者さんが戦っている最後の日々の中で、初めての人生会議を開くことになるのです。とは言え、ここ最近思うのは若い世代を中心に自分の親や己の最後における処置の方向性を既につけて病院に入院してきている人の多いことです。

そういう私も既に自分の両親とはこの手の話はとっくの昔に済んでおりまして、基本「ごく短期間で消えゆく命とわかっている時に余計な延命はしない」「痛みは可能な限り取る」「経済が常識的に許す範囲で治療できるものであればそれなりに頑張る」というものです。しかしながら、自分と親に関しては実際のところもっと諦め早くて、親はどんな事があろうともう多分何もしないと思います。私もほとんど以下同文。w

まあ、私の場合は家族がもう少し金残してから三途の川渡れと言う指令があればもうちょいだけネジ巻かざるを得ないような年齢ですけど、それでもそれほど長生きに執着は無し。いろいろな方々の最後を看取る日々ですが、正直なところそれなりの歳になれば男らしくスパーッと割り切りたい自分自身なのです。

単純思考の我が家では既に終わっている人生会議ですが、多くの人には宗教観や哲学の問題も絡んでそう簡単なものではないのかもしれません。


2019年11月30日土曜日

フォート・ナイト面白そうです

義理の妹達が突然家にやってきました。

東京に住む彼女の義理の父の具合が悪いとのことで、危篤状態とまではいかないまでも「まだ意識のある元気なうちに」会いたいとの先方の意向を汲んでの週末の東京訪問だったようです。

先方での滞在を終えて帰路に一晩、姉の家である我が家に泊まることにしたようです。彼らは高校一年と小6ですから、勉強やゲームに忙しい時期です。
実際、下の弟の方は家にあるPCでフォート・ナイトにハマっているようで、キーボードとマウスを毎日ガンガン使ってランキングを上げているそうですが、私自身はフォート・ナイトがどんなゲームか大体わかっていても操作の細かい点は全く理解していないので、訪れてきた今回を吉日として実際に目の前でやってもらいました。

最初のうちはレベル1からなのですが、ほとんど相手はコンピュータ。しかしアッという間に順位を上げて行く中で次第にリアルな人間が相手として出てきます。私のゲームキャラ名を使ってすぐに大量の金メダルを集めていってくれるので、横で見ていても頬が緩みます。

しかし、我が家ではプレステ4のスティックで戦わなければならないので、いつものキーボードとマウスで戦うスタイルとは全くの別物。ところがそこが若さなんでしょう「うーん、やっぱ勝手が違う」などと言いつつもレベルを5つほど上げるうちにもう一年前からやっているような感じで前進していました。

フォート・ナイトもやりようによっては全く無課金でかなり遊べますから、今後私もおずおずながら暇を見つけてやってみようかななどと一瞬考えてしまいました。
後は初めてVRを使用してみて「おお」「わー」等と、いかにも初めて見てびっくりと言う感じの反応を示していたのが面白かったですね。

その後、明日の当直に備えて早く寝てしまいましたが、彼らとは物理的な距離が遠いことも有り、滅多に会うこともないので一緒についてきた甥っ子二人と義理の妹にも嫁さんからお小遣いを渡してもらいました。(私が家を出た後勝手に渡してもらいました。)

これから彼らも大学受験や中学生活をいろいろ経験していくことになりますが、シンプルに「頑張ってくれ!」と思った名古屋のオジサンでした。


2019年11月29日金曜日

不動産投資とバカ医者

この職業をしていると珍現象に遭遇します。

その中でも昔から特に多いのは、病院に不動産屋共が名前を偽って電話をかけてくると言う現象。これ本当に全国でごく普通の現象で、医師のフォーラムでも時間をおいてこの手の話は繰り返し出てきます。

一体どういうことかと言うと、投資用に分譲マンションを売り込んでそれを「節税」と称し可能な限り多く売り込もうというものです。
基本的に、病院というところは他の病院や役所、身元の確実にわかっている患者さんの家族からの電話などを除いては電話を直接医師に繋ぐことはまず有りません。そもそも、一旦受付側でいろいろと聞いた後に医師に一旦繋いで良いか否かもう一度聞いてきてからやっと繋がるものなのです。

しかし、それでも不動産会社のインチキ野郎達は偽名を使い、医師の友人を騙り、病院名を騙り電話をかけてきます。とは言え・・・通常は私に繋がった瞬間に一秒で無言でシャットダウン。w

相手のインチキ野郎が怒る間も、それに反応する暇もなくラインをカットされる訳ですから、この手の電話を少なくとも「私向け」にはもうしなくなるのです。
ところが、医師の中にも気の弱い人・アホな人・学ばない鈍い人等いろいろ居られまして、こういった電話を受け取った後いろいろな嘘に満ちた宣伝の電話を10分、20分と説明を受けていろいろと話す御仁が居るのです。

まあ、それはそれでお目出度い話なんですが、最終的に本当にこんな物件に投資してしまうアホが世の中には沢山いるのです。こんなもの、本当に儲かるならプロパー自身が投資運営すればよいだけの話。そういった根本の部分がわからないというのがお目出度いんですけど。

しかも、挙句の果てにそんな物件を10も20も買って自転車操業でヒーヒー言っている大馬鹿も実際に私の身近にもおられます。ごく最近全ての手持ち物件を売り払って一安心されたらしいのですが、伝え聞くところによると結局メチャ苦労した割には最終的には全く黒字にならなかったとのこと。猛烈に手間暇ばかりかかって大変だったと言うことです。

まあ、眼の前に霧がかかったような脳味噌の持ち主なんでしょうね。お目出度い方です。勿論全く同情も致しませんが。w


2019年11月28日木曜日

認知症に関する大いなる勘違い

認知症になった人、認知症と言われた人が身近にいる人は今の時代どこにでも居ると思いますし、このブログを(たまたま)読んでいる人自身もごく身近にそんな方がいるかと思います。

病棟に居て最近再び痛感したのは一部の看護師さんに認知症と呼ばれる患者さん達に関する大いなる誤解があるのではないかという事。今年の忘年会で一言注意喚起をしようと思っているのですが、ある種の誤解(一般の人にも多く広まっている完全なる誤解)に関して、それが完全なる誤解であることを心から再認識してもらわなければならないと思っています。

言ってもわからない輩はやっぱりなかなか理解できないし、理解している人は言うまでも無いと言う感じでこれまた本来説明の必要はないのですが、わからない人のために言っておかなければならない事。それは認知機能がいくら落ちていても人には「豊かな感情」が残っているということなのです。

この最も忘れてはいけない一点、そしてその一点をこそ頭の中にしっかり焼き付けていただきたいのです。

自分の親が認知機能が低下した時に、それを自然の出来事と迎えられるか否かというのは実際の生活の中ではそう容易ではない問題なのですが、そうなってしまった人をもう何を言ってもこちらの言うことが伝わらない「モノ」のように扱うのか、それとも記憶や理解の能力が低下しているだけで、実は心の底には若かりし頃と何も変わらぬ「怒り」「喜び」「恥」「悲しみ」などの激しい感情が普通に残っている人達だということを理解して接するのか。

それによって大きく患者さんと自分達の関係性が変わると思うんですが、どんなに経験を積んでもその一点が理解できない看護師さんが居るという事実にいつも私の心が疲れます。

こういう「人の心に対する理解力の差」というのは小さい頃からの育てられ方の差なのでしょうか、それとも知的能力の問題なのか。フラットな感情の持ち主にはそういう人の心の襞に関する先生な出来事は理解し難いのかもしれません。

教育というのには限界があるのだということを感じる機会も実生活では多いのでした。


2019年11月27日水曜日

眠れない時どうする?

昨日は結局あっという間に眠れました。

病院の若い友人達と酒を飲み、ちょっとしたものを食べながらいろいろと語らったのですが、その後二次会が終わったらサッと家に戻りました。昨夜からの浅寝の影響がまだ残っておりましたので、今日はもう十時過ぎには家に戻って早く寝る!と心に決めての行動でした。

家に戻った後はアマゾンで「武士の魂」という山本周五郎の連続ドラマを一話だけ見て涙を少し流してから寝床に入りました。気付いたときにはもう夢の中でした。

次女は一度だけ帰国後にベルソムラという眠剤を半分だけ使用して眠りにチャレンジしたことが有りましたが、彼女の一言によればもうそれこそ「引きずり込まれるように眠ってしまった」とのことでした。それ以来彼女は一切使わなくなってしまいました。

私自身は生まれてこのかた眠剤というものを使ったことは有りません。一度使うとそれに頼ってしまうのが怖いからなんです。実際、入院中の多くの高齢者の方が眠剤をリクエストされますが、中には私と同じように「決して」使おうとしない患者さん達の一群が居るのも確かです。

入院中の単調な生活においては昼夜逆転は最も頻繁に起こる現象。どうしようもなく深夜に眠れなくなっている患者さん方は多いのです。

この人達に年令や原因、薬のマッチングを考えながら高品質な眠りを提供できる医師は患者さんに感謝されることが多いのです。そういう場合でなくても、譫妄を起こすリスクが減ったり疲労の減少度合いが高まったりして患者さんには色々と良いことが起きます。

ただし、大事なのは「可能な限り」依存のリスクを高めないこと!

患者さんのみならず、医師や看護師の中にも眠剤から逃れられなくなってしまっている人も全世界に沢山います。いわゆる中毒性の高い薬物にはまり込む人まで居ますが、それは極端な例とは言えベンゾジアゾピン系と呼ばれる薬は特にこのリスクが高まるのです。

私個人としては、この手の薬剤には何となく「中毒への入り口」という感想を持っておりますので、手を出さないんですけどね。とは言え世の中には必要な薬剤でもあります。
自分に使わないクスリを患者さんには?と言われると実に心苦しいのですが、正直答えがありません。


2019年11月26日火曜日

眠いのに眠れない

当直で比較的激しい対応が続いたときには心も体も大変疲れます。

ところが、どんなに疲れていても看護師さん達からは容赦のないコールが入ってくることがありますからこちらの神経も朝の始業時には既にぐったり疲れていたりします。

実際のところ、仕事が始まってしまえばそんな事など関係なしに日常の業務は滞らせることなく進めては行くのですが、やはり日中にあくびをする回数は増えてしまいます。
もうすぐ始まる病院での働き方改革の導入がしっかりワークすればこのような連続業務は原則的に「禁止」となってしまい、それが出来るのは「院長のみ」となってしまうらしいです。

とは言え院長と呼ばれる人達は通常還暦前後の人から上、そんな事を続けているとやがては体や心に不調をきたしてしまうのは間違い有りません。やはり医療の現場では職務内容の絶対的物理量が「どう考えても」医師などが健康に働けるボリューム以上のものであることは間違いないと思います。

勿論、これは職員間で大きな差があって「ゆったり出来る」レベルで働いている方々もいるのですが、少なくとも前線に居る内科や外科医、小児科医の多くはとてもとても疲れてしまっている人が大変多いと思います。

若いうちは良いのですが、やがてそれらの人達もベテランと呼ばれるようになってくると、頭はまだまだ問題なくても体はついていけなくなり始めます。
私も50を過ぎてくると無理やりしなければならない時の連続当直などが入って来た時に「インシデント」が重なると翌日はダレダレです。

そんなときには妙に眠れない。体は確実に疲れているし、昼間はやたらとあくびが出ていたのにベッドの上でゴロゴロするばかりで意識はその日に行った仕事の内容から離れられないことが多くあります。
こんな時は最悪。二時間ほどゴロゴロしながらもやはり眠れないという状況。結局、その眠ろうという努力行為自体に更に疲れが蓄積してしまう感じで、ロクな事はありません。

とは言えこれも仕事。何とかならんもんですかね・・・。


2019年11月25日月曜日

人は自分の価値を証明したい

病院の中で入院しておられる高齢者でもヘルパーさんのお仕事などのお手伝いをしたがる人達は意外とたくさん居られます。

足が不自由でも上半身は完全に動かせる。認知症はあっても簡単な仕事ならお手伝いできる。そんな人達が、手伝えるレベルは高くなくても誰かのお手伝いをしようと自ら手を差し出し、勇気を出してオファーをし「何かお手伝いできることはないですか?」とおずおずと病棟職員に聞いてくることがあります。

ヘルパーさんの中にはそのような人達のオファーをニベもなく断る人もおりますが、上手な対応ができる人は一瞬考えた後、一緒に立ち仕事や座り仕事をする感じでお婆ちゃんと楽しそうに洗濯物たたみやタオルたたみをして貰っているようです。

私は当初そのような光景をニコニコと横目で見ながらも「安静・服薬・リハビリ」などの時間の過ごし方ににも慣れず、その他の圧倒的に暇なスキマ時間をどう過ごすかに戸惑っている患者さんの一つの時間の潰し方なのかなと簡単に考えていたのですが、以前自分の母親がやっていた民生委員の仕事のやり方のことを思い出して少し考えを変えるようになりました。

歳をとった人達であっても、不幸にしてなにか障害を得てしまった人でも、自分が出来る事をして「誰かの役に立つという喜び」を心のエネルギーにしたいのだと。
体にとってのガソリンは食い物ですが、心にとってのハイオク・ガソリンというのは人に喜ばれることだと思うんです。

勿論、発見や願望達成の喜びなど、心の燃料の種類は各種あると思うんですが、人に感謝される事によって得られる喜びほどオクタン価の高い喜びも余り無いんじゃないんでしょうか。

無論、その喜びを得られることによって、障碍や病を得て自分に元気や自身が無くなっていた方々が生きがいを取り戻してくれるのであれば、我々医療者の側は患者さんの安全や喜びが担保される範囲で、種々の簡単なお手伝いを日頃からなにがしか考えておくのも有りかな?と考えた次第でした。

飾りとなる折り紙を折ってもらう、チラシを使って簡単なゴミ箱を作って貰うなどというのも立派な仕事です。今度忘年会でそんな事も話してみようかななんて思ったのでした。


2019年11月24日日曜日

組織の「長」選びの難しさ

世の中、あるポジションに就いたとしても「なりたくて取ったポジション」と「能力の結果周囲に当然と見做されて就くポジション」があると思います。

特に、後者はその秀でた能力の結果、周囲から請われて「嫌と言っても」就任せざるを得ない人まで居ます。大企業のトップなどでもどちらでなって居るか外からは判らない人もたくさんおりますし、大学などでも事情は同じです。

申し訳ないけど、一体あんたは何がしたくてそのポジションで仕事してるんだ?というような御仁もゴマンとおるわけですが、難しいのはそこからで、組織のトップに周りの多くから請われてなったような人が就任したからと言ってその企業・団体・大学などが上手くいかないなんて言うこともこれまた普通。

どのような人を頭に据えるかによってその組織の将来の発展の有無が規定されるわけですから、これは大変な問題なんですけれど、多くの場合は意外とそんなモノとは関係なしにそういった人物の据え付けが行われているのが実情じゃないんでしょうか。

同族企業だったらバカでも年の順で・・・とかも普通でしょうし、能力に関係なく学閥の関係で・・・とかもこれまた普通でしょう。組織がでかくなればなるほど「人選び」はその組織の浮沈の結果起きる波頭の高低が与える影響もでかくなるものですが、組織って賢い人が集まって愚かな決定を下すのが毎日のように行われるところですから、それも込みで「その組織に己が属してしまった運命」を良しにつけ悪しきにつけ甘受するしか無い人達が日本人の殆どなんではないですかね。(国は選ばないでしょうが沈没するまで逃げ出さない人の割合が多いのはアメリカよりは遥かに日本が多そうです。)

能力や資格があれば出ていけばよいのでしょうが、そうは行かぬという人達が世の中の大勢。良かれと思って乾坤一擲で選んだ組織がそのトップの人選が酷く誤りであったために、自分の投げた賽が人生最大の愚かな賭けになってしまう事もこれまた有りでしょう。

ただ、「信じて良い」と思った人と討ち死にするのも仕事人(じん)としては有りなのかもしれません。人生一回きり。最悪でも「死ぬだけ」ですからね。やるだけの事をやって失敗したならそれは良い一生だと思います。結果の善し悪しなんて言うのは他人の目さえ気にならなければ大した問題ではないですからね!

ただ、家族は困りますが・・・。


2019年11月23日土曜日

次女がアプリケーションを出し始めました

一体何を考えているのか皆目見当がつきませんが・・・。

とりあえず、Pittsburghからのトランスファーを考えていると言った後、いろいろと“自分なりに”考えて候補を8つ位持っているみたいです。
そのうちの一つを選び出していわゆるearly decisionという奴で受け入れを狙っているようです。

その第一番目がThe Cooper Union for the Advancement of Science and Artというところみたいです。正直全く知らなかったんですが、その方面では結構入学が難しいみたいで、acceptance rateはほとんど長女が通ったホプキンスと変わらない感じですね。

取り敢えず、early decisionを受け入れると数パーセントは受諾率は上がるみたいなので、取り敢えずはそれに“も”賭けてるみたいです。

とは言え、もしそこに受かったら長女の住んでるところから地下鉄でそんなに遠くないところですから、たまには一緒に遊んだりするんでしょうかね?まあ、そういう事は受かってから考えないと全くの狸の皮算用ですし、碌な事はありませんので、アプリケーションなんて言うのは出してしまった後は、今までの感触からして「出したことを忘れてしまうくらい」が丁度いいと信じております。

待てば海路の日和あり、なんでしょうが、アプリケーション費用は毎度私が出すんですけどね・・・。さて、次はどこに願書を出すのやら・・・。財布に厚みが出る暇もありません。orz

2019年11月22日金曜日

dカードケータイ補償通った!

結局認められました。すんなりと。(結果論ですが!)

自分のiPhone8のキャッシュレス決済ができなくなった原因を調べていく中で判明したNFCの故障。結局アップルの方に持っていっても修理はできず交換になると言われたことを確かめた上でドコモに連絡して今回の査定と交換になりました。

dCARD Goldで補償がついているdカードゴールドに入っておりましたので、何の滞りもなく交換されるだろうと思ってはいましたが、実際に通知の一通が来るまでは少しだけ不安でした。

もし審査の結果がネガティブなものであれば最初から新機種に乗り換えたほうがよっぽど良いというのは判りきっていましたので、結果次第では後悔することになりかねんな〜等と考えていました。

結局、昨日届いたdCARDからの通知では[補償金額79,056円]と書いてありました。とりあえずは当初の目的通りきちんと機種交換できた上にその交換した機種がきちんと金額保証されることになりました。(要するにただでリフレッシュ品になっただけなんですけどね。)

月々幾らというような保険にあたるような支払い無しで三年間で最大10万円まで保証されるわけですから、万一の場合にこれを使わない手はありません。
いくら傷つかぬように使っていても、なくさないように気をつけていても日常で使う道具ですから何かが起きる可能性は日々重なっていくものです。

この手のことには何らかの小さな備えをしておくのが安全だということなんでしょう。
今まで、アップルの保証も含めてmacbookその他アップル製品が壊れてしまったことは俺こそ数しれず。

電気製品というのは比較的容易に壊れると考えて備えておくのが後悔しないための王道ということでしょう。


2019年11月21日木曜日

「清潔感」の個人差のデカさは果てしない

入院して入ってくる人達の身なりは皆それぞれに様々です。

しかし、それをそれぞれの人がどう思っているのかはまた全く別の問題。
己の格好がみすぼらしいと感じている人がいると思えば、全く気にしない人もまた沢山おられます。しかし、その患者さんを家から連れてくる時の様子を担当の人から伺うと「多くの家出は、玄関からすぐに尿が一杯詰まったペットボトルが山のように並んでいたり、一体何だか正体がわからない謎の液体や半固形の物質が畳の上に流れたり付着したりしてるんです」とのこと。

そして実際のところ、その殆どは尿や糞便です。

しかし、それを不潔とは思わない精神構造がそこには既に組み上がっています。自分が出した糞便や尿が家に流れていても、それを本人が不潔とは思わない限りは本人にとって特に何の問題もないわけです。しかし、問題は他の多くの標準的な清潔感を持っている人たち。

普通の人はたとえ自分の少量のクソであっても自分についているのは嫌だし、小便が体にまとわりついていることも勿論嫌です。ところが、一部の方々はそもそもそういう事に気が付かない。例え気付いていても(多分気付いていませんが)自分が猛烈な尿臭や便臭を放っていることをなんとも思っていないんです。

たとえ病院に連れてきて病気を治療してもその点に関しては治療の仕様がありません。そこのところを改善することが出来ればきっと独居生活に戻っても“いわゆる”汚部屋を再度作るようなことは無いと思うんですが・・・。なかなかムリなんですね。

思わず「おおおっ」と思ってしまうほどの臭いがなんとも無くなってしまうその過程。

小さい頃きれいな環境で育たなかった人もいるでしょう。でもそこまで汚れた環境がなんともない・・・というようになってしまうには何らかの大きな跳躍が「知らないうちに」起きていたはず。

一体それって何だったんでしょうか。知りたいのです。


2019年11月20日水曜日

生保は明日のあなたかも

病院にはいろいろな患者さんが入院してきます。

中には認知機能が低下している方も当然おられます。この手の方でギリギリの状態で“主に近所の人からの通報”で役所から保護された方、また、ローリング作戦のような感じでいつも日常生活のレベル低下が疑われている人に対して役所からサーベイの対象になっていた人で、認知機能が低下していなくても生活のレベルが維持できなくなっていた人などは保護の対象として病院に保護依頼がなされることがよくあります。その多くは生活保護の対象者として。

院長先生の方針として、役所から依頼された案件に関しては地域の公共サービスへの協力の観点から可能な限り入院は受諾して行く方針をとっています。
実際のところそういう方の入院形式で多いのは「今、役所の窓口に来ていてもうボロボロの状態で、警察官によると何処も受け容れの施設がなく、緊急搬送するほどの感じではないけれど何か疾患がありそうなフラフラ状態です」的なレスキュー依頼でしょうか。

実際のところ入院して検査してみると、脱水や栄養失調、皮膚疾患を皮切りに、心不全、肺炎、重度の糖尿病、腎不全、尿路感染症、前立腺肥大、肝炎、肝硬変、脳梗塞などを始めとして既に末期の何らかのガンであったりということも稀ならずです。

日本人として最低限の幸福と社会的支援を行うという意味ではこの様な医療行為は大変重要なサービスなのですが、これをぎりぎりまで受けない為に、もしくはどうして助けを求めて良いか解らないがために、いわゆる「野垂れ死に」してしまう人が多いのです。

少し前に「おにぎり食べたい」という書き置きを残して餓死した生活保護辞退者がいましたが、本来この国でそんな事があってはいけないというのは基本。“いかにも”の生活保護者が居ることはたしかにあります、そしてそんな輩に対する反感の醸し出す社会からの反生保の空気の中で、生保を使わず死にゆく人々もいるというリオアリティを見つめなければなりません。

これに関しては以前にも何回か書きましたが、今にほんはどんどん貧乏になっています。それでも国家にはまだ体力は「残って」います。今現在、生保を批判しているその人も明日には、まさに今時分が批判していた生活保護のネットのもとに保護される側になるかわからないんです。

まさに脳血管一本が詰まっただけで、脳血管一本が破れただけで、今日の幸せがあっという間に崩壊するのを私は毎度のように病院で見ているんですが・・・。

もう少し想像力というものを働かせて己の生活が如何に薄皮一枚でつながっている幸せなのかを考えて見る時間を作ってみるのも良いのかもしれません。


2019年11月19日火曜日

どうしても治療をしたがらない人

患者さんの中には治療をしたいのかしたくないのかよくわからない人が居ます。

健康に悪い事満載のメチャクチャな私生活を送っているくせに、薬を使って何とか壊れてしまった血液データの値を正常なレベルに近づけようという人なんてごく普通です。

タバコを吸いながら喘息、タバコを吸いながら肺気腫、タバコを吸いながら心筋梗塞の治療、脳梗塞でも止められないヘビースモーカー、酒を飲みながら肝硬変、高度肥満で膝の痛みが取れないと訴える、ビールをがぶ飲みしながら尿酸値が下がらない・・・。

挙げだしたらそれこそきりがないのですが、上は単純な例で、実際はそのうちの幾つかが重なっているなんて言うのは「ごくごく普通」ですから、種々の症状の悪化には際限というものが有りません。

私が診察室で使う手法はまず初めに例え話。今のままで生活習慣を変えないとどうなるかというのを順繰りと時間軸を追いながら説明していきます。だいたい何年でどうなる可能性が高まって、その後はどうなって、最終的にはどうなって・・・というような話をします。これだけで反省して次回の診察時に「この一ヶ月」の改善点を一生懸命説明してくれる人もいれば、体重の変化を直接数字で示す人、血液検査の結果でその決意を最終表明してくれる人等いろいろです。

ところがやっぱり全くそれで変化のない人も居るんですね。その系統の人達には私はいつもスマホの写真のファイルの一部にそれぞれの代表的な疾患の終末期の画像を論文や教科書、ネットから拾ってきて見せることにしています。
多くの人はショックを受けますが・・・変わらない人は変わらない。

それだけです。

それらの終末像を見せて数年で自分自身がその週末像に近づいてしまったり、超えてしまう人もチラホラ出てきますが、こういった一部の人達には日常生活レベルでの習慣の改善を通した治療は本当にムリ。

通じないんです。言葉が。
やっぱり主治医の能力不足なんでしょうかね・・・。 それともやはり治療して“あげよう”などという行為自体がやはり傲慢なんでしょうね。orz

やっぱり、こうやって日常の診療に関与していると、多くの病気の大本は本当に日常の一挙手一投足、一口一口の食事なんだな〜と理解できるのでした。


2019年11月18日月曜日

看護師さんの猫の体調不良

私の担当しているある病棟の一つで働いている看護師さんの猫。

いま、大変なことになっているようです。夜勤の時にナース・ステーションで話している時に、家で飼っている高齢の猫が非常に危ない状況に陥っている為、気が気ではないという話となりました。

もともとその猫は拾ってきた野良猫だったそうで、拾ってきたのはその家の次女さんだという話。更に聞けば、その次女さん今では立派な一児のお母さんなのですが、その次女さんが中学生の時に拾ってきた仔猫だったとのこと。

少なくとも15歳にはなっているというこの老猫が、この数日急に食欲がなくなって、飼い主のもとにさえ寄らなくなって動けなくなった挙げ句、押入れの中で失禁を繰り返す状態になったといいます。写真を見せてもらったのですが、真っ白に茶色の混ざる比較的大きな痩せ猫でした。昔はもっと丸々していたとのことですが、やはり歳を重ねて痩せてガリガリになったとのことです。

もともと猫は腎臓に好ましくない蛋白が蓄積して腎不全になりやすい動物ですが、この猫も三年ほど前に既に一度「死の宣告」を受けた事があるにもかかわらず今までずっと三年頑張ってきたので“覚悟”は出来ていると言いましたが、やはり話している時に少し涙ぐんでいました。我が子のように可愛がっていた猫ですから当然です。

動物病院で検血をした昨日の数値というのをスマホで見せてもらいましたが、非常に進んだ腎不全状態。輸液をされながらもベッドの上に寝そべったきりでピクリともしない状態で病院に入院となったようです。もし助からないという可能性が高いのならそもまま家に連れて帰ってしまいたいと話してくれました。

この晩は老猫の話をこの看護師さんから聞きましたが、我が家の犬も既に12歳。次第に寿命が近づいてきています。その「いつか」に備えて我が家もどうするのかを考えておかなければならない日は近づいていると感じています。

最後にその看護師さんが話してくれたのは、病院からの帰りがけ、別れ際に今まで全く動かなかった猫が“チラリ”と飼い主の方を見てまた寝入ってしまったそうです。心を引き裂かれるような思いだったことでしょう。

もうひと踏ん張りして奇跡の回復を願うのは、その時周りで話を聞いた皆の思いだったと思います。


2019年11月17日日曜日

薬やるバカどもの宴

次から次にバカが薬で捕まっています。w

本当にザマーミロという感じで、何の憐憫も感じません。私は薬の乱用に関しては鬼のように冷酷で、そういった薬物に手を染めた人間に対しては一切の感情を持たずに「厳罰で結構でしょう」という事を考えている人間です。

どんな環境に居ても薬に手を染めないものは染めない。「人間は弱い生き物だから」等と言う理由でそういったクスリに手を染める人間を許す風潮自体に全く何の共感もいだきません。クズはクズ。使ってしまえば終わりです。

自分の勤める病院で、そういった患者さんには日頃から接していますが。クスリのやりすぎで脳が器質的にボロボロになって一日中ベッドの上で同じおかしな動作をしている人などを見ていると、クスリを使って現実逃避だの快楽を高めるなどと言っている連中の行く末に何が待っているか、一緒にその終末期の患者さんの映像を見ながら「サヨウナラー。これがあなたの近未来です。あっちの世界でも頑張ってね。」と声をかけてあげたい気持ちになります。

幸い私は、精神科医ではないので、その様な人たちの病院の出入りをアシストしたり治療したりせずに済んでおりますが、医師だとしてもこの手の人間には率直に言って関わりたくないというのが医師である前に人としての感情です。

繰り返しますが、どんな貧しい環境でも、どんな酷い環境でも薬に手を染めない奴は染めない。逆にバカはどんな環境であろうと一発で甘言に乗ってきます。バカはどこまでいってもバカなのです。

元気になる薬?セックスが凄く気持ちよくなるクスリ?
カッコよくキメて一晩中踊りながらハイになる?そのまま、ハイになって天国に昇って帰ってこないなら、まあ何とか許せるんですが場合によっては田代や沢尻のように十年では効かない長期に渡って何とか生きてる奴も居ますから質が悪い。その間にクスリはねずみ算式にその手のバカの間で広まっていきますから。

芸能界のバカの皆さんも芋づる式にぜーんぶ捕まって、番組編成や映画放映ができなくなるようなワクワクするような時が一旦来なければ日本もアメリカのようにクスリでボロボロの人間で溢れる世界が早晩やってくるんじゃ無いでしょうかね。もう来てたりして。

芸能事務所は不定期で全員の抜き打ち尿検査をさせるくらいの事をしないと、今後は番組や映画制作、広告主側から巨額の賠償請求を連発される時代が来ることを覚悟しておいてょうが良いんじゃないでしょうか


2019年11月16日土曜日

NYC アニメ・コンベンション

ネットのニュースを見ていたら、NYCでアニメフェスティバルをやっているとのこと。

もしやと思ってブルックリンに住んでいる長女にLINEを送ると「昨日行ったw」との即答でした。NYC's anime conventionでは猛烈に沢山のアニメファンが集まるようで、娘も以前このコンベンションに行っていますし、その内容はよくわかっているようでした。

何枚か娘が写真を送ってきましたので、それを貼り付けておきます。
NARUTOですよね。イニシャルDに集中するお兄さん方をじっと見ています。
藤原とうふ店のですな。昔これに乗ってました。
なりきってますな!
家で撮った一枚のようです。なんか次女の描く絵に似てます。
いろいろと楽しんだようですが、長女はガチのアニメ好き。オタクの要素が無きにしもあらずとは思うんですが、 というかオタクの一員ですね。w 次女はアニメは好きですけどオタクではないですし。

親の私もアニメは観ますが、それに入れ込んだりそのミーティングに行くっていうのはやっぱり無いかな・・・。結局世代が違うっていうのも大きいんでしょうね。
この長女も年末には一旦日本に帰ってきますので、また名古屋や東京のあちこちにある「その手のショップ」廻りをするんでしょうか?


2019年11月15日金曜日

もうすぐ次女が日本に帰ってくる

次女が彼氏のいるカリフォルニアに遊びに行って二週間。

明後日、次女がアメリカから帰ってきます。確か中国東方航空の便で戻ってきます。いつも自分の選択で北京かどこかそこら辺の経由で行ったり来たりしているようですが、ストップオーバーが10時間前後ということで「若いからできる」往復方法です。

空港で10時間を費やすのは今の私にとってはただただ面倒くさいことですが、娘と同じくらいの年齢だったら当然ストップオーバーの時間を利用してでも北京の街角でウロウロしていたことでしょう。娘がどうやって毎度時間潰しをしているのか知りませんが、若ければ疲れていても直ぐそんなもの回復するし何でもありですよね。

カリフォルニアでは彼氏と一緒にディズニーランドに行ったりしていたようですが、それ以上のことは少なくとも私は何も知らず。アメリカで日頃使っていたアメックスの家族カードを再度使っていろいろを細かな事に使っていたことはネット経由で丸見えでしたが。

彼の家族には気に入られているようですが、だからと言ってこの先も続くというものでもないでしょうし、十年経ってこの記事娘が読んだら「あ、そういう事もあったね〜」と言って笑う確率のほうがかなり高いんじゃないかなと私自身は思ってるんですけど。

まだまだ恋に恋する年齢でしょうから親の私が何を言っても聞くわけではないでしょうし、じっと成り行きを見守るだけです。彼自身は写真で見る限りなかなかのハンサムかつマッチョですので、アメリカに居てもきっともてるでしょうから、若い頃の遠距離恋愛は長くは続かないと思うんですけど、どんなもんでしょう。

愛があれば距離なんて・・・と言うのは理想論。若い頃の恋愛の多くは距離で壊れると思ってます。

俺もオッサンになりました。夢も何もあったもんじゃないですね。w


2019年11月14日木曜日

そろそろふるさと納税の時期ですが

いつもの時期が近づいてきました。

ふるさと納税の控除額の計算、そして一体何にその額を振り向けるのか等、また少し考えないといけない時期に来ました。

今までいろいろと侃々諤々の議論が呼び起こされましたが、そもそも「ふるさと納税」とは何か?という原点に当たる部分の議論を官僚が全く見通せていなかったため、テメーで作ったは良いけれど、自分が産み出した子供のコントロールが全く出来ていない状況を認めないまま弥縫策としてその子供達の一部の動きを殺しにかかるというみっともない動きを見せた総務省。

結局のところ、返礼品に興味・関心が集中するのはやる前から判りきっていたことで、その返礼品の還元率を云々すると言ったところ結局のところその還元率の計算も全て直ちに算出されテーブルの上に乗る始末。
要するにネット上の情報を逆に分析して還元率その他を計算し直して自分の自治体が目立つようにするような自治体は当然出てくるわけで、そこも判っている人から見れば最初から判りきっている話。

工夫がない自治体は金は集まらず、当時の法の枠内で工夫をしたらクロ判定とされふるさと納税を禁じられた自治体もご苦労さまって感じです。純粋にカネ集めに徹した自治体をシャイロック呼ばわりするのは容易ですが、現実の世の中は後者が栄華を極めるのが現実。資本主義の原理に則らずに動く日本の総務省を相手にしたのが失敗の元でした。w

いかんせん、数年前までと違って今年からのふるさと納税は「返礼品」という意味では電気製品に限って言えば実につまらないもの、還元率の低すぎるものばかり。案の定の展開です。

というわけで、今年は食べ物の定期配達に多くの手間をかけようかな?とも思っているのですが、通常は親子三人で住む我が家に余り多くのものが来すぎても意味がないかも、というところはあるので、貰ったら貰ったで他の方々に配るというのも有りかな?と考え方を変えています。これを少しばかり納税対象とすることにしようと考えています。

もう一つはふるさと納税とは全く関係なく、障害者への援助をする福祉団体にドカンと寄付してしまうというもの。こっちのほうがよっぽど有意義で潔い本来の意味での寄付行為だと思います。実際、この行為も税金の控除が行われるのか役所に聞いて調べたところ、全く問題なく控除対象であるとの返答が貰えました。

なんでアメリカのように皆がこのような寄付先を控除対象とする宣伝をすることを広めないのでしょうか。政府のやることは本当に場当たり的なことが多いですよね・・・。
賢い人間が集まって愚かな政策を実行するとこは極めて日本らしくて天晴と言うべきなんでしょうか?


2019年11月13日水曜日

若手看護師さん達の成長

病棟で新人さんで入職してきた看護師さん達が変わっていくのは愉しみです。

私の長女くらいの年で入ってくる看護師さん達が多いのですが、変わる子、変わらない子まさに様々です。無論、私としては「良いほう」に変わってくれる、つまり「成長」してくれる事を毎年期待しているのですが、なかなかそうもいきません。

正直なところ、良い方へ変わってくれる子が半分、あんまり変わらず期待外れの子がもう半分というところでしょうか。それでも半分も成長してくれる若い子達が居れば御の字というべきでしょう。

一年かかって「見違えたな〜」と言うほど成長する子もいれば、半年で「この子は成長が早い!」と思える子も。また中には一年目は「全然アカンな〜」と思えてた子も二年目からグングン成長する子も居て、この予想ばかりはなかなか単純な線形性を示してくれません。

成長する子は概して「素直」な子たちが多い印象が強いです、というかほぼそうだと思えます。そして最もこの業務の中で輝くのはその素直な子の中でも優しさを持っている子。
患者さん達からのリクエスト、というか呼びかけが頻回に来るのですが孫のように可愛がられている様子をよく見かけます。

優しくされて嫌な顔をする変人は滅多にいません。ただでさえ病院へ入院し不安や退屈と戦っている人達にとって笑顔で気さくに話しかけてくれる若い子達というのは、老若男女誰にとっても当たり前のように「素敵な存在」なのです。

素直というのは本当に成長のためには最も有効な素材なんですね。若手の成長を見るといつもその事を痛感するとともに、何故多くの年寄りが成長どころか退化していくのかと言う事実はその”素材”が無くなっているからなのだろうと、自戒のネタとして頭に刻み込むのでした。

経験年数、職位云々で己がエラくなってしまい、素直だった若かりし頃の自分を無くした年寄りの皆さんはこうやって成長した若手に追い抜かされ、引退の時を迎えていく事になるのでしょう。

明日は我が身です。


2019年11月12日火曜日

精神科の患者さんと運動

院内でトレーニングマシンを導入する許可をとってほぼ一年。

やっと動きが出てきました。30万円の予算で今あるリハビリ室のマシンに追加のセットを導入してそれを用いた職員の福利厚生と患者さんのトレーニングの2つを同時に成り立たせようというもの。

前提として大変基本的で大切な事実なのですが、精神科に入院中の患者さん達は本当に体を動かす機会が限定的で、なかなか「運動」という行為に勤しむチャンス自体が限られています。それは厳しい見方をすれば入院する施設を提供する側の怠慢でもあるわけです。

実際、外部・病棟間を自由に出入りできる開放病棟の患者さん達はテレビを見ることと食べることが二大娯楽となっており、太る為の二大要素であるクウネル状態を何時までも続けて入院中にあっという間に太ってしまうなんて言う人も枚挙に暇がありません。

入院して心の健康を取り戻そうという人間が、物理的にはまるまると肥えていって体の健康はボロボロになっていく等という状態が、退院後の「健康」をアシストするとはとても思えません。極端な人などでは入院中にドンドコ太っていって糖尿病を発症する人も少なからず現場には居るわけですから、実際のところこの話は表面的にこうやって描写する以上に深刻なんです。

BMIが25程度ならまだしも、30を超えている人達が普通におりまして、例え糖尿でなくとも肝機能が異常だったり、膝を痛めていたり、腰がボロボロだったり・・・。
やっぱり精神科の疾患で入院しているからと言ってフィジカルを無視することは出来ないのです。

当院の内科に居るサルコペニアの高齢者、骨折後のリハや脳梗塞後のリハの患者さんが中心となって使っているリハ室ですが、今後は精神科の患者さんにも積極的に参加していただくことにして行こうというのが今後の当院の流れとなるわけです。

データを取って、数値化されたものを見ながら患者さんが種々の数値とともに精神の健康にもポジティブな影響を及ぼすか否かを見ていく日々が始まりそうです。コントロールの一部は当院肥満(気味)職員となりそうですが、私も言い出しっぺとして当然入っていくつもりです。w


2019年11月11日月曜日

クリ農家の方のお話

患者さんの御家族のお一人と面会して、長期にわたる患者さんの容態についての予想説明、今後の治療の方向性、万一の場合についての合意形成のための話し合いを持ちました。

今回病棟の主治医交代という事態が発生し、それに合わせて私も患者さん達の御家族と一度面会させて頂く機会を伺うということで、数ヶ月前から「もし時間がありましたら御来院の際に一言お声がけいただくと助かります」という内容を各御家庭の説明責任者の方々に直接お電話でお話ししておりました。

今回御来院頂いた患者さんの御家族は既に入院歴も長くなっており、発病して数十年になる精神疾患を持たれている方の弟さんでした。お互いに自己紹介をして、今回の入院に至るまでの御家庭での生育環境や御兄弟方の患者さんへの関与等を逐一再度伺って話をしていく中でお互いに普段は話さないような細かなお話をする中で大変強い信頼関係を結ぶことが出来たと感じました。

本当にお兄さん思いの優しい弟さんで、家族思い、しかも人として強い方だということがひしひしと、しかも淡々と伝わるような方でした。お互いが胸襟を開いて話し合った詳しい内容は勿論ここで詳らかにできるような事ではありませんが、お互いが患者の家族と医師という関係を超えた絆というものの存在を強く確信した一瞬でした。

医者をしているというのはこういった瞬間があるから素晴らしいなと思うんです。患者さんが治った時、それを家族の方々に感謝された時、患者さんが元気になって帰っていく時、そして治らない病であっても患者さんとお話をしたり患者さんの御家族と種々のお話ができる時。何れも医師になってよかったなという瞬間です。

ところで、今回お会いした患者さんの弟さんと言うのは栗農家の方。他の田畑とともに栗も栽培されているという方なのですが、この方の栗は粒が大きくてある有名な菓子舗に高値で引き取られているんです。

今回、勿体なくも有り難くもこの菓子舗のお菓子を「私のところの栗が使われているんです」と仰って、わざわざ病棟の看護婦さん達の為にその菓子折を持ってきてくださいました。

私は地元愛知の人間ではないので、その菓子屋のことは知らなかったのですが、後で周りの看護師さん達に伺うと「栗菓子で有名なお店です」とのことでした。恥じ入りました。長崎の人間にとっての福砂屋みたいなものなのでしょう。

とは言え、今回お話が終わりエレベーターまでお見送りした時に一言「こんなに私の話を聞いていただけたのは生まれてはじめてです。ありがとうございました。」と逆に感謝されました。実のところ、感謝したいのは興味深い種々のお話を聞かせて頂いた私の方なんですが。

いつも、話をすることが出来ない患者さんにそんな深い過去の歴史があったことを知った私はその日の午後からまた違った顔でその患者さんのことを診察させて貰うことになったのでした。

お話というのは本当に本当に医療において大切なことだと改めて感じた一日となりました。


2019年11月10日日曜日

新天皇御即位のパレード

ちょっとだけでしたが、御即位のパレードをネットのライブ放映で拝見しました。

東京までそれを観に行くなどということは諸事情が到底許しませんので、最初からわかっていたことではありますがこういう形でのパレード見学となりました。

平成天皇の御即位パレードも微かに覚えてはいるのですが、既に30年経った遠い昔の話。昭和天皇に至っては自分の生まれる40年以上も昔の話ですので、これまた記憶云々ということを話すチャンスさえないほどの昔のお話です。

今回、画面を見つめていて改めて雅子様のことや陛下のことを考えてしまいました。

5ヶ国語をお話なられるというスーパーレディの雅子様の本当の能力は、実際のところ「カミソリ小和田」と呼ばれたお父上の恒さん譲りの数学的頭脳だとは思うのですが、何れにしても最上級の教育を受けられたこの女性が民間から皇室に嫁がれて、世間からの種々の圧力や好奇の目に悩まされながらも、立派にそれを克服された今、その能力がまさに日本の外交の最先端の宝刀として力を発揮する事になったことは真に慶事だと思います。美智子様に続いての民間からの御入籍にはきっと我々には見えていないいろいろな出来事があったのでしょうが、それも既に過去の出来事。

この女性は本当に先頭に立ってこそ、その真の力を発揮される人物だなと以前から感じていたのですが、皇后陛下となられた今、まさにその能力が存分に開放される時間がやって来たと思っています。

陛下と並んで通訳なしで自在に会話を楽しまれる様は実にヨーロッパの王室風で、ちょっとビックリするレベルの国際的人物。本当にどこにお出ましになっても「日本が誇る」と言って良い人物だと思います。

そして、これまた日本が誇る現天皇陛下。平成天皇・皇后陛下の薫陶を受け、国民に寄り添う情け深い心持ちを繰り返しくり返し聞く度に、嘘偽りなく「ああ、この方が日本代表・国民の象徴でよかった!」と、心から神に感謝したい気持ちになります。
日本で最強のスーパースターは間違いなくこの方でしょう。全く飾る必要なく放つオーラで周りが圧倒されるというのは生まれてこの方の薫陶と、皇室という歴史が生み出した必然。

しかし何よりも素晴らしいのは、そんな人物なのに、常識的があって、かつ内面から湧き出る優しさと強さがあり、親父さんとしての優しさも夫としての強さも兼ね備えているというところ。会見で発せられる言葉の一言一言には常に「国民への寄り添い」という視点があり、この人物に日本を代表していただくことに大変な喜びと敬意を感じます。

健康とご長寿を願い、いつまでも日本の象徴として御夫婦として輝き続けていただきたいと思っております。


2019年11月9日土曜日

喫煙者の行く末

当直で夜間のコールがありました。

精神科の患者さんがどうやら胸痛と呼吸苦を訴えているという話で精神科の先生からの依頼で「何らかの救急対応」を要するような状況でないか確認して欲しいというものでした。

病棟に駆けつけてみると、高齢男性で肺気腫の持ち主。これまでも頻回にこの手のコールがありその度に「命は要らん、死なせてくれ」と繰り返し叫んでは看護師さんが困ってコールというパターンでした。だからと言って今日もそうだとは限りません。

少し息がしづらそうでしたが、車椅子に乗って頂き心電図検査。経時的な変化でそう簡単には断言できませんが、まずは問題無さそう。年のために簡易検査でダイマーも測定しましたが、異常値は出ませんでした。
三次救急の総合病院ではないので、夜間も何時でも何の血液検査でも答えが出るわけではありません。そういうところは経験や推論で補完するしかありません。

病棟で彼の胸部CTを再確認したらそれはそれは酷い肺気腫でした。症状が進行してCOPDという状況なんですが、彼自身がもう昔の自分を取り戻すことは出来ません。肺気腫自体の9割は喫煙由来。そしてこの患者さんもヘビースモーカーでした。

今晩は、取り敢えず酸素の投与で楽になりましたがこういったことが何度も続いているうちにベッドの上から全く移動できなくなり、やがては息をすることだけが一日の仕事になり、やがてはガリガリに痩せて、やがては・・・。

過酷な運命ではありますが、患者さんはこうなる事を知らなかったからまだ仕方ありません。しかし、何故こういう状況になるということを目の前で見ていながら喫煙をやめない看護師が居るのでしょうか。

私には「愚か」としか言いようがありません。

2019年11月8日金曜日

ダイエットの途中経過

タニタの体重計で測定している私の体重の変遷です。
前回の報告では73キロプラス・アルファ前後での報告でしたので、現時点ではこの2ヶ月で更に1キロほどコンスタントに低下したとみて良いかと私自身は思っています。
上のグラフを見ていると、数百グラムの間で細かく上下動する時期を経てある程度スコッと落ちだす時期が続く感じがきてまた暫く安定して居る時期が続いているようです。

今回のダイエットでは余り無理をせず、甘いものを食べたくなった時には少しだけ食べても良い!という自分のルールを作ったのが今までと違います。また、もう一つ今までと違うところは家で簡単な道具を使って筋トレしているということ。

つまりウェイトを筋肉として付けつつダイエットを目指すわけです。ですから、体重を落としつつ筋肉をつけるのですからまあ、「減量」という目的のためだけならば効率は大変悪いわけです。実際、上のグラフでは見せていないのですが、筋肉の量は比率としては増えているようです。

ところがこれから年末に突入するわけで、数多くの忘年会その他の食事会がある中でどうやって今のトレーニングとコンスタントなシェイプアップを目指すのか・・・。考えどころです。

2020年に向けて結果を出すのみとなって参りました。w

2019年11月7日木曜日

医師にとっての働き方改革と病院

病院長と話をしていて結構切羽詰まった問題になるなと改めて感じました。

いわゆる「働き方改革」というものの導入によって医師は“働きたくても”働けない「時間量」という足かせが嵌められることになっています。実際には時間の経過とともに、最初は許されるであろうその総量規制の「例外項目」というのが減らされていくのです。

つまり、最初のうちはX時間までは良いけれども、次第にその例外項目を無くす方向で進んでいくとともに、それが守られていないことが明らかになったら警告から罰金・罰則へと順繰りに進んでいくことになっているのです。

ところがこれを素直に具現化するためには「絶対的に」医療従事者の数が足りないことが今の段階で既に判明しています。これをどう埋め合わせするのか、夜間の当直の問題も含めてかなり深刻かつ喫緊の課題です。

これと同じようなことは既に警察組織などで報告されており、時短に伴う未達成業務が累々と重なり続け大変なことになったとか、検挙率が激落ちしたとかいうような時短で労働者の生活の質をあげようというお題目のもとで、本来必要とされる目的達成が全く出来ない事態がズンズン進行したあげく、家に仕事を持ち帰って仕事をせねばならない状況に陥るというような、真に本末転倒を地で行くような事態が発生することが頻繁だと言います。

医師の数確保もさることながら、看護師さんの数の確保もどこも必死。これを法の遵守の名のもとにきちんと達成させるためには、病棟数・ベッド数の削減のみならず、医師に対する種々のインセンティブ改善なども導入されないと人が集まらないという事態が大量発生しそうです。いや、カネを積んで何とかなる問題ではないと思うんですけどもね・・・。

病院の存続に関わる問題なのですが、多くの病院では経営者、医師、その他の人々が呻吟しつつ知恵を絞りながらも、正直なところ「どうなっちまうのか」というのが本音だと思います。特に存続がヤバそうなのは大学病院。

いままで、サービス残業で成り立っていたような部署は本当に正念場を迎えるはず、サービスの質を落とすか、ブラック残業をすることでサービスを維持させるのか?しかし、後者の方法論は多分かなりリスクが高く、通報されれば一発アウトかという気もします。

現場の実情を知らない、官僚の皆さんが机上で策定したプランが後二年ほどで完全導入されますが、日本中が多くの「官僚の策定した理想のプラン」の甚大な影響を受けるものと考えています。

まあ、我々は粛々と従うのみですが、最終的に最大の割りを食うのは結局のところ患者さんだと思うんです。


2019年11月6日水曜日

朝からやられました

こういう事はいつであっても関わりたくないものです。

朝、バイト先に向けて車を運転していました。
ちょうど真ん中の車線で、朝の通行量の多い時間帯でした。もうすぐ8時という時間に突然「ドン」という鈍い音が後ろから体を突き抜けました。頭の中の反応は「チッ」というものでした。

オカマを掘られたわけです。ミラーを覗くとスマホから目を離してシマッタという様な顔をした若い男性がこちらを見ています。私自身はすぐに車を降りて「勘弁して、今から仕事って時に・・・。」と思わず彼に言ってしまいました。

真横がセブンイレブンのコンビニでしたので「ここに入れようか」と言って次のステップへ。兄ちゃんはどこかに電話を入れていましたので、待っていては何も進まんと思い私自身でいろいろやってしまう事にしました。

コンビニの店主にまずは手短に事情を説明し、駐車場に車を入れさせてもらうことを侘びてから直ちに110番。物凄く久しぶりの110番でした。事故であることを説明、とりあえず大きな怪我は無さそうであることを説明すると近くの交番から人を送ってくれることを約束してくれました。

私自身が相手の免許証の写真を撮影、相手の車の前面と私の車の後部を撮影してとりあえず証拠を確保しました。暫くすると若いおまわりさんがやって来てくれたので淡々と状況説明。相手の保険を確認し仕事を確認してそれが業務車であることを確認した所で別れました。

暫くして相手の保険会社の担当から私に電話があり「100:0で処理させていただきます」とのコール。まあ、当然ですが・・・。

しかし、その後が良くなかった。仕事には間に合って朝から診察開始となったのですが、昼が近づくにつれて何となく吐き気が出現してきたのです。「おいおい、もしかしてかよ・・・」と思いつつ、午後には首のこわばりまで。とりあえず帰り際には他の先生から鎮痛剤と湿布薬を処方していただいて帰宅したのですが、この前バッテリーの交換でお世話になった名東の営業所まで緊急で車を預けに行くことになりました。

完全に車を分解して、二週間ほど内側のフレームやその他の場所に影響がないことを徹底的に調べてくれるとのことでした。

事故なんて巻き込むのも巻き込まれるのもまっぴらごめんです。発生した後が面倒くさい。今朝の相手の兄ちゃんはスマホを見ながら運転していたのを知っているのですが、その事は「まだ」言っていません。けど画像には残っていることでしょう。無理言って来ることはないと思うのですが、おかしなことを言われたりしたら画像を「ハイ」って見せようと思ってます。w

ただただ、こんなくだらないことは早く終了して欲しいです。


2019年11月5日火曜日

さらば山形!

朝から早起きして準備したことがありました。

実は大切なものを紛失していることに昨夜寝る直前から思い出していたのです。愚か者の私がその時点で紛失していたのは・・・なんとも恥ずかしいのですが、3日間かけて苦労して作った学会発表用のポスターでした。

夜遅くになって蔵王から帰ってきてまどろみ落ち着いていた私は、何となく違和感を覚えていました。その違和感の正体がまさにポスター。頭のどこかが学会終了によって安心モードに切り替わってしまい、弁当を食べているときに食べ終わった弁当を捨てに行くことに気持ちの全てを集中させてしまったことで、学会会場のホール2階の壁際に立て掛けたポスターのことなど全て意識の外側に吹っ飛んでしまったのでした。もちろん部屋の中を探してもあるはずなし。

私の集中力なんてその程度のものなんです。orz

という事は逆に考えると、あの窓辺に行けばきっと誰も気が付かないというラック、もしくは誰かが気づいて回収し事務局に届けてくれているラックに恵まれたとすれば、山形テルサの会場にそれがあるはず!と推理しておりました。

気が気ではない状況でしたので朝が近づくまでまんじりともせず過ごしていたわけですが、なかなかテルサの開く時間にはなりませんでした。それでも、シャワーを浴びて準備をして荷物を完璧にまとめ、朝ごはんを食べ終わったら8時半。ちょうどテルサのオープン時刻です。

汗をかかないようにゆっくりと歩いていき管理事務所に逸失物のお尋ねをしましたが、とりあえず何もなし。しかしここで「ハイそうですか」と諦めるわけにはいきません。
ポスター自体には1万ちょっと払ってますからね!w

というわけで、夢の中で記憶を巻き戻して反芻し、位置を確定しておいた場所を2階の遠くの場所からガラス越しに観察してみると・・・ありました!
今日は鍵がかかってしまって近づけないエリアなのですが、間違いなく私のポスターが立て掛けてあります。

早速係員の方にその旨説明すると、お二人の方がわざわざ走ってその方向へ取りに行ってくださったのでした。有り難や有り難や。お二人の前で手を合わせて御尊顔に向かって拝ませていただきました。

意気揚々と山形駅の方へ戻り、お土産の残りの分を追加購入しホテルへ戻って荷物をまとめて山形駅へと戻りました。山形のおいしい食べ物と人情に感謝しつつ飛行機に搭乗。
新潟港や黒四ダム、雪を被った富士山などを眺めつつ小牧空港へ降り立ったのでした。

山形から名古屋へ戻ると、街がデカくてやっぱりサイズが一桁違うな~というのを認めざるを得ませんでした。でもどっちが住みやすいかはまた別の話かとも思うんですが、便利さに慣れると名古屋からはなかなか離れられません。

たまに行くから田舎はいい。宮崎も長崎もやっぱりそうだと思います。仕事する場があって初めて生活が出来る。難しいところです。


2019年11月4日月曜日

山形・二日目

今日は朝から学会に参加しました。

ポスター発表の後は幾つかのシンポジウムを回っていろいろな新しい情報を手に入れました。特に新型タバコと言われる「誤解に基づき」紙巻きタバコよりも害が無いと言われているタバコ類のデタラメさ加減です。

宣伝はメチャクチャだし、いま若い世代を中心として雪崩を打ったようにこの電子たばこに移行していく動きがあります。更に、このタバコは害がほとんど無いからこちらに乗り換えなさい、と友人に勧める人達も多いとのこと。間違いそのものです。

とにかく昼過ぎに全てが終わった後、私は山形観光に主軸を移しました。山寺は以前行ったというのはここに昨日ちょこっと書きましたので、今日はもう一つの山形の有名どころである「蔵王」に行ってみることにしました。

山形駅前からバスで一本。比較的あっという間の蔵王到着でした。蔵王に来た主目的はまずロープウェイでテッペンまで行って下界を眺めること。そして次の大目的は露天風呂に入ることでした。

百聞は一見にしかず、ごちゃごちゃ言わずに写真を貼っておきます。ロープウェイの代金は大人往復1500円でした。
素晴らしい紅葉がアチラコチラでみられました。
登り口の脇から見たロープウェイ全景。
登っていく途中ですね。
頂上からの眺望。素晴らしい眺めでした。ただ寒い・・・。ヒジョーに!
漫画のようにきれいな色づきでした。
その後は一旦下に戻って汗だくでヒーヒー言いながら大露天風呂まで登っていきました。登り続けること約十分?ついにネットで見た大露天風呂に到着。勿論、他の人はほとんど当然のように車かバイクで来ていましたが。
入湯料¥550でした。
このトンネルを下っていくと・・・。
この薄い囲いの右側には強烈な硫黄臭のする温泉が男女別にあります。
上流が女性用、下流が男性用です。
中の温泉は気持ちよく、私のような中年のオッサンを中心に30人ほどいたでしょうか?硫黄の匂いが強いので、帰りのバスの中でも酷い匂いをさせていたのですが、問題は私自身が帰りのバスの仲間では気にしなくても、山形駅に戻っていけば私は「硫黄臭い変なオジサン」でしか無いこと。しかもかなりの臭さ。orz

スキー好きの人達はきっと蔵王で滑った後、また風呂に入って格別なんでしょうが、私は移動手段も持っていないしスキーも出来ません。

山形駅のターミナルビルで明日のお土産を買い込んだ後は、ロッテリアでそそくさとフィッシュバーガーをたべ風呂に入って部屋でおとなしくしておりました。


2019年11月3日日曜日

人生初の山形直行

今日は朝から早起きして山形へ来ました。

そもそも山形には来たことがないと思っていたのですが、むかし仙台の学会に行ったときに電車で山寺に行ったことを思い出しました。山寺はあの「岩に染み入る蝉の声」で有名なお寺ですがあそこに行ったということは山形は初ではないということ。いつも通りの大馬鹿です。w

いつもは航空博物館としてしか行かない小牧空港方面ですが、今日は乗客としての飛行場到着でした。FDA(Fuji Dream Airlines)という航空会社を使うのも初めてですが、事故を起こしたことはない会社ですからそういう会社を使うのは全く問題なしです!そもそも弱小の会社を応援したくなるのは昔からの性格ですから。

昔はメインの空港だった小牧空港は家からもあっという間の近いところ、実際は便利です。エンブラエルに乗って空を飛ぶこと一時間。眼下に色づいた山々を望みながらあっという間の山形空港です。
そもそも”おいしい”山形空港という面白いニックネームの小さな空港なんですが、この空港は東日本大震災のときに大活躍したということがウィキに書いてありました。

さて、山形市内に小さなバスで移動してホテルに直ぐ行きました。駅前に到着すると、直ぐ側にあるクラウンホテルへ荷物を預けに行って山形テルサへ行きました。山形駅前というのはこぢんまりとした綺麗なエリアですね。地元民はヤマ駅と呼んでいるらしいのですが、名古屋の名駅と一緒ですな。

会場はいわゆる禁煙活動の拠点の様相を見せておりましたが、私はそこら辺には全く関係無しで、興味のある会場だけを覗き続けながらちょっとづつ知識をつけていきました。供されたお弁当を食べてお茶を飲みながらの講演会、なかなか勉強になりました。

その後ポスターを貼り付けて一時間ほど質疑応答に答えるためにエリアに留まりましたが、気になったのは今日何を食べるか。結局、ホテルの目の前にあった立ち飲み屋で日本酒をコップ酒で三杯ほど飲みながら豚の串物を幾つか頼んで夜を楽しみました。

しかし、右横では結婚するのしないのと若い女の子がいろいろと赤裸々な話をしているし、左横では後からやって来た(多分看護師の)兄ちゃん二人がタバコをプカプカ吸いながら下品な話で盛り上がっておりました。まあ、そんなのはどうでもいいんですが、禁煙の学会参加の為に来ている山形でまさかこんな目に遭うとは。w

とは言え、コンパクトで楽しげな山形駅前の夜を尻目に、空腹に流し込んだ日本酒で気持ちよくなった私はそのままホテルに直ぐ戻ってスコッと眠りに落ちてしまったのでした。


2019年11月2日土曜日

どうしたらタバコをやめられる?

今回のリサーチで考えたのは禁煙の手段でもっとも効果的なものは何かということ。

患者さんと職員の皆さんの協力を得て集めたアンケートから解析して得られた結果を眺めて考えたのは、まず喫煙場所を無くす、それが出来なければ制限するのがもっとも早いということでしょう。

大学や施設によっては喫煙後は45分間部屋に戻ってきてはいけないというルールを設けているところもありますし、奈良県だったかな?喫煙後にはエレベーターに乗るのを禁止したりと言うような厳格化を導入するところもあるそうです。

基本的には吸う場所を削る、その次にはタバコの値段を上げることだと思います。患者さんや職員の話を聞いていると、結局のところお金がなければその結果として得られるタバコも無しということ。これに関連してタバコを得る場所自体としてのタバコを売る店も遠ざけることが喫煙者に大打撃を与えることになります。

私の勤める病院でもタバコを売る事自身が出来なくなりました。ところが歩いて一分のところにはセブンイレブンがありますのでタバコの入手場所という意味では全く制限になっていません。

もう一つ、病院敷地の直ぐ外に特別喫煙所という「現時点では」法で許されている喫煙場所が設けられている為、全く禁煙の効果を大きく損なってしまっているということです。
ここは囲いで覆いかつ喫煙所であることを大書することでその存在が許されているんですが、そんなものあったら駄目ですよね?抜け道だらけの愚かなシステムです。

副流煙や三次喫煙の外から逃れるのはまだまだ先の世界ですね・・・。


2019年11月1日金曜日

やっと終了・・・

アンケートの回収、入力、解析の後やっと学会用のポスターの作成が終わりました。

一週間の間あまり良く眠れませんでしたが、今日からはよく眠れそうです。ポスターの作成などというのは論文の記述と一緒で、「これで終了」というポイントを作らないと何時まで経っても終了しません。

「もうちょっと、もうちょっと」と手間暇をかけているうちに日数がどんどんと過ぎていき、気がついたら他のグループに同じ様な内容の研究発表をされてしまってTHE ENDなんていうのはこの世界では毎日起きています。

不完全でも良いから何も出さないよりかはよっぽどマシというのが、21世紀の研究ではますます大事になってきています。本音を言うと、そんなのは「糞食らえ」と言う感じで、ジックリと仕上げて良いデータを掻き集めて良いものを世の中に出したいと言う気持ちは多くの研究者が持っていると思うのですが、それをやっていると特に先端の研究は特許の取得も含めて撃墜されてしまうのです。

嫌な世の中ですが、実際にそうやって大魚を逃した人達は枚挙に暇がないというのが現実です。昔リサーチをやっていた人達はもっと牧歌的だったと良くおっしゃいますが、時代が変わってしまったというのが実際のところだと考えます。

ごく一部、この様なくびきから逃れているように見える目から鼻へ抜けるようなスマートな人達がいますが、実際はその人達のスマートさは次から次へと上手くまとめてそれらのコンテンツを細切れに出す能力を持っていると言う方が適切かと思われます。

さて、私の今回の準備はそんな高級激烈な競争のなかにある研究とは雲泥のものですが、公衆衛生学的な研究は今回が初めてなこともあって、いろいろと不慣れなことも発生しました。とは言え新鮮に思える面があったのもこれまた事実でした。とりあえず、明日名古屋に幾つかあるKinko'sにデータを持っていってプリントしてもらって山形へ行こうと思います。


2019年10月31日木曜日

次女がアメリカの彼氏のもとへ

娘が明日カリフォルニアの彼氏のもとに行くんだそうです。

いつものように殆ど何の準備もしないまま、近所にごみ捨てにいくような感じでのアメリカ帰国なんでしょうが、今回の帰国前にアート・スクールに提出する数枚の絵の仕上げも急いでいるようで、準備どころではないというのも一つの事情だったようです。

今回始めて自分で働いて貯めた給金の一部を使って渡航費を捻出したようで、その点に関しては久しぶりに「なかなかやるな」とは思いました。
いつまでもいつまでも書生じみた(というか処世そのものだから仕方ないんですけど!)発言で私を辟易させるのですが、今回は初めてそのような事がなかったので少しは進化したのかな?と考えてやりたくなりました。

そもそも彼氏のもとに遊びに行くまさに遊び金を私が出してやる義理など毛頭ないので、まあ、当然といえば当然なんですけどね。私が受け持ってあげるのは精々年に一回帰ってくるか否かの選択時に私のカードから変換されたマイレージ・ポイントを彼女達に使わせてあげるくらいのものです。

それにしても、二週間の間彼が親と暮らす実家で一緒に過ごすとかどういう感覚なんでしょうか?正直なところ私には訳がわかりません。
彼の妹とも既にネット経由で大変仲が良いという話。今の時代の人付き合いというのは我々の頃のアナログ的なゆっくりとしたものとはちょっと違うようです。

まあ、何れにしても鯉に恋する年齢をあまり離れておりませんので、喧嘩とかして帰ってきてそれで終わりじゃないのかなどと考えているのですが・・・。

成り行き任せです。w


2019年10月30日水曜日

仕事帰りの悲惨な三時間

昨日はバイト先での仕事が終わった後、大変な目に遭いました。

仕事帰りに、知り合いのおばさんの家に宮崎のお土産を持っていこうとした時でした。道の真ん中で車のメーターが突然ピカッと光ったと思ったら、車がいきなり停まりました。そう、文字通り突然です。

まさにウンともスンとも言わない状態で、ハザードランプさえ点きません。勿論スタータ・ボタンを押した所で何も変わらず。一瞬で理解した事は「バッテリーが死んでる」という事でした。

直ちに車を購入した時に入った保険会社に電話してレッカーを呼ぼうとしましたが、busyの状態で全く繋がりません。その保険会社の電話案内を待つ途中でJAFの番号をショートダイアルで呼び出すオプションがありましたので、それをコール。

直ぐにこちらは繋がりましたが、最短でも50分はかかるとのこと。(後で伺ったところ遠く豊橋から戻ってきている途中だったという話でしたので納得。)他にも数種類のオプションを選び電話をかけてみたのですが、一番早いのがJAFでしたので、仕方なくそのJAFを待つこととしました。

突然の完全ストップで、道脇に車を寄せることも出来ません。ハザードもつかず危険な状態です。待っている間は頭を下げて申し訳ない状況で、状況が理解できない一部の後続の車に平謝りでした。

その間になんと一台の救急車が真後ろで停まってくれて、三人の救急隊員の方がわざわざ降りてきて下さり、三角停止板を持っていないかきいてきました。車に戻っての捜索自体が危険だし、そもそもあると思っていなかったので探していなかったのですが、良く見たらありました!すぐに救急隊員の方が展開してくださり一安心。当方、深々と御辞儀をして心からの謝意を示しました。

ところがこれだけでは済みませんでした。何と暫くしたら今度は通りがかりの消防車が停まってくださり、何か助ける方法はないかと15分ほど四苦八苦。結局最後には諦めざるを得なかったのですが、その善意に恐縮してしまいました。これにもまた深謝。

名古屋の公共サービスと人の情け。予想の遥か上でした・・・。

さて、実際にはJAFの到着はさらに30分ほど遅れてしまいましたが到着。車はとりあえずバッテリーのチェックから始まったのですが、とりあえず電圧は正常値のレベルであったにも関わらず始動はしないレベル。バッテリーで一瞬チャージして頂き再始動。後ろを追従走行してもらって、万一に備えながらのそろそろ走行でした。

そのまま何も起こること無く名東の営業所まで到着。まさに心情的には「翼よあれがパリの灯だ!」という心持ちでした。営業所では何と8時半過ぎでも整備士の方が三人待ってくださっており、そのまま早速検査するとやはりバッテリーが干上がっていました。

新品に交換して4万数千円で終了。JAFの方には入会金の6千円も含めてサービス料とあわせて1万6千円で有難うございました〜となりました。それにしても、大通りでなくて比較的脇道といえるエリアでの停車でまだまだ不幸中の幸いでした。

あれが大通りでアノ時間帯だったと想うと・・・。大渋滞を起こしてニュースに出ていたかもです。「不幸中の幸い」皆様に大迷惑をおかけしましたが、停車に絡んで事故が起こらなくてホッといたしました。

ドッと疲れて家に帰って風呂に入った後は即寝となりました。


2019年10月29日火曜日

次女が猫と久々の再会

次女が私の実家のある九州の宮崎に行って猫に会ってきました。

息子の猫アレルギーが見つかった後に九州の両親の家へと追いやられてしまった可哀想な我が家のアメリカン・ショートヘアなのですが、実家では親父が愛情をかけすぎて少しばかり体重過多になっていました。

適切な量の餌の指導を仰いで今では大分スリムになったのですが、次女に言わせると「まだまだ太り過ぎ」とのこと。こんな偉そうなことを上から目線で言っている次女ですが、そもそも猫をアニマル・シェルターから連れてくる時点で「自分が大学に行くようになったら自分で育てる」のなんのと言っていたのですが?

幸いにして親父が二つ返事で飼育を請け負ってくれたから良かったものの、そうでなければどうなっていたことか。まことに先読みの甘さにかけては「さすが私の子」といったところです。orz

二泊三日の滞在中は実家ではほぼずっと猫と戯れていたようですが、一度だけイオン・モールに連れて行ってもらい、靴や服を買って貰ったとのことでした。おまけに帰りがけには大量のかるかんとマンゴーのお菓子を手土産に持たされた上にお小遣いまで・・・。

これでまた親父達を名古屋に呼んで粗餐を今日さねばならなくなりました。まあ、いずれにしても最初から呼ぶ予定だったんですけどね。来年の頭に長女が一時帰国している時に重ねてジジババには名古屋に来ていただきましょう。

何だか慌ただしい来年の初春になりそうです。


2019年10月28日月曜日

Googleの解析ソフトは恐ろしいレベル

やっと全病棟におけるアンケートの聞き取りが終了しました。

入力しながら聞き取り調査のやり直しそしてやり直し。w
病棟をウロウロしながら、質問の意味のよく理解できない患者さんには噛み砕くようにして説明しながら穴埋めをしていかなければなりません。

全数1300人以上の患者さんと職員の中で喫煙者は約四分の一でしたが、その300人の人間も本当に多種多様で解析するこちら側もヒーヒーでした。最終的な解析の様相をイメージしながら次から次にグーグル(アンケート)フォームに再度入力し直し、それをスプレッドシートとしてゲット。

そのスプレッドシートに対してクロス集計用のピボットテーブルを作成しグラフ化という手順なのですが、ここ数年のうちにネット上でグーグルが提供するフリーの解析ツール群がこれほどに協力になってきていたことに驚き。

これはマジで最終的にマイクロソフトは三種の神器であるパワポ・ワード・エクセルをフリーで提供するしかなくなるような時代が来ると思いました。

これ、実際にアメリカで私がリサーチしていた時にクロームがブラウザとして登場してきた当初はまるでダメダメだったのに、毎日のように改善が入っていってあっという間にIEもedgeも吹き飛ばしてしまったのと同じではないのかと言う気がします。

最初に見た頃に比べてボタンの数も機能の数もぐっと増えているだけでなく、細かなところのファインチューニングがえらく細やかになっていました。本当にフリーのウェブ解析だけでココまでできるのかと言うのが今回の新たな発見でした。

マイクロソフト、この件に関しては課金なんかしてたら最後は消滅するんではないでしょうか・・・。

2019年10月27日日曜日

スクール・ウォーズの時代

エディーが日本に来た時に日本のラグビーとそのバックグラウンドの精神を知るために、なんとスクール・ウォーズを全部通して観たという話がwikiに書いてありました。

なるほど!とは思ったのですが実際彼はこれを見て「Just stupid」と言ったとか。w
まあ確かに観ていて思うのは「愚か」の一言なんでしょうね。嫁はん曰く、同級生達はみんな観ていたと言うのですが、私は全く観ていませんでした。まあ、誰もが観ていたという当時大流行のトレンディドラマさえ観ていなかった男なので、彼女にとってはただの変わり者なのでしょうが。

根性・根性・ど根性というのは何処の国にもあるのでしょうが、日本の場合何というのでしょうかそれが極端にマゾっ気を含んだ感じなんじゃないかと思います。最近でこそ海外のメンタルトレーニング理論を普通に部活にも導入して頑張っているところが多数あるみたいですが、以前我々が運動していた頃は普通の部活動においては大学も含めてまだまだ運動というものは科学とは相当の距離があるものでした。

特徴的なのは練習に数字の裏付けが無いこと。成果が数値化されないし、目標にも数値がない。みた感じに勢いがあればそのままそれを良しとする・・・。勝ってもその分析がなく、勢い込んで乗り込んで行って負けてもやはり分析が数値化されない。

終わると飲み会があっていわゆるノーサイドなんですが、負けに関しては技術論的な解析というより完全な根性論。「ガッと行くべき所で辺りが弱かった」「タックルの位置が高かった」「このタイミングでのパス回しが・・・」などと言い合う程度。

ビデオを何回も巻き戻してそれを解析した人間がコメントをまとめるなんて言うのはとてもとてもという時代でした。牧歌的と言えばそれまでなんでしょうが、エディーがJust stupidと言い放ったレベルとまんま同じだという気がします。

それにしても、校内暴力で本当に荒れていた時代でしたね。今のイジメとはまた違う世界なんでしょうが、幸いにしてどちらも経験せずに済んだ私です。


2019年10月26日土曜日

エディー・イングランド

やってくれたぜ!というのが感想です。

アノ巨人、ALL BLACKSを相手にして勝利!しかも、今回の試合では相手にゲーム自体をさせないほどの作戦勝ち。試合前にエディーが吠えていた皮肉一杯のコメントがそのままNZをぶち壊すレベルのものとして実現されました。

試合前の心情と予想としてはイングランドに勝ってほしいという判官贔屓の気持ち、実際の所、この試合までのイングランドの強さは際立っているからもしかしたらもしかしてイングランドが何かやらかしてくれるんじゃないか?というものですが、しかし、相手は何しろアノNZだからな〜難しいよな〜!などと考えていました。

ところがところが、試合が始まると全く予想とは反対で、イングランドの完全な準備勝ち。All Blacksは試合自体を完全に封じ込まれるという事態に・・・。
そこで思い出したのは、2015年の日本対南ア戦。やっぱりあの試合と一緒で、エディーが準備した日本の勝利はフロックでも何でも無くて、計算され尽くした作戦による完璧なアートワークだったという事でしょう。勿論、あの映画の中ではリーチをしてCranky Bastardと言われたコーチですが、その頭脳の冴えは今回も活かされキッチリと相手を折りたたんでしまったのでした。

やりたいことをさせて貰えないといういうのは本当に相手チームを混乱させるもの。予定していた作戦が通じないのですから、チーム内は本当に混乱のるつぼに叩き込まれるわけです。それが今回のNZでした。こんな事もあるんですね・・・。勝負に絶対はないということを改めて思い知らされたのでした。

WCRにおいて、ここまでの日本チームはジャパン・ウェイのエディーからワン・チームのジェイミーに導かれてきました。誰が次のコーチに就任するのかはわかりませんが、次のWCRへの挑戦は日本全体が期待する中で、本当にどでかいプレッシャーのもとで進行するコーチング業になることになってしまいました。

これからどれだけ若い世代がチームジャパンに乗り込んでくるのか、本当に楽しみです!


2019年10月25日金曜日

100年に一度がそうではなくなってきている・・・

東洋経済のネット記事を見ていて具体的な数字が表示されていたのを見てやはりそうかと得心させられました。

最近立て続けに起こる大災害が実際の所どれほどの間隔でどれほどの損害をもたらしたのかを実際のテーブルで見せつけられると、損害の規模の上昇と発生間隔の短さはやっぱり少し気候変動期に入っているんだろうか?と考えさせられるものがありますね。

実際にもう一つの記事でも20世紀には300年に一度だった確率降水量が、21世紀では100年に一度のものとなっている現状を見ると、やはり少なくとも今の時期は近代における気候変動が大なり小なり起きている次期なんだろうなと感じてしまいます。

こんな状況何処かで見たよなと思ったらこの前知人の超学生の子供さん達を連れて観に行かされた「天気の子」の中の未来の東京の情景に似ているなって事を思い出しました。

アメリカに住んでいた時に保険会社の人から聞いたのは危険なエリアに住んでいる人にはそれなりの住宅保険のアップがかかるというものでした。個人的に思うんですけど、これだけリスクの大きな日本においてはやはり住宅の災害や地震保険の価格も、近未来的にはその建物の建つ地盤や判っている範囲での地震の歴史と規模によって大きく変動して各家庭の保険料として計算されてくるのではないかと思います。

無論それらの数値は建物自体の強度に対する係数として計算されるのでしょうけど、まずは簡易的に自治体の作るハザードマップに従った保険料計算が更に細かく算定される時代になるんだろうなと思います。

結局のところ、これらが払えない人達は生活を再生できないリスクを背負って生きていくようなエリアに住まざるを得ない時代が来るのでしょうか・・・。

これからお金がどんどん無くなっていく日本に何だか暗い影が指しているような気もします。


2019年10月24日木曜日

アンケート作成の落とし穴

今回、院内研究を通じてわかったことがありました。

センサスというかアンケートを行うには一寸した、しかし膨大な工夫が要るという事です。アンケートというのは質問の流れが自然な形で進んでいかないと回答者が迷子になるということ。例え迷子にならないような質問の流れを作っておいても、回答者の知的レベル次第では回答が正しく行われない可能性があるということ。

可能であれば、中学二年生が回答者になってもその質問の意味を汲み取り、迷うことなく最後の質問まで辿り着くような仕組みにしておく必要があるということ今回も痛感いたしました。orz

回答者の中の数パーセントは本当にこちら側が全く予想しなかったような「驚くような間違い」をしてくれます。例えばウェブ形式のアンケートであれば、回答自体が流れとしてプログラミングされている事がほとんどで、選択肢を選びさえすれば、(問題作成者がフローを間違わない限り)最後までオートマチックに進んで終了です。

ところが、これが紙のアンケートになるとそれはそれは驚くほどの間違いが・・・。
特に多いのは“括弧で囲んだ注意書き”を読まない人でしょうか。例えば、「③の質問でハイと答えた方だけ以下のA-Cの質問に答えて下さい」という様な書き込みをしても、ノーの人であろうと関係なくその枝門に突入する人達。

そしてこれまたびっくりするほど多いのは表と裏で連続したアンケートを配った時にはたとえ「裏に続く」旨を記しておいても表の質問の最下段でプツンと回答が切れてアンケート全体が無になる事の多さでしょうか。

笑ってっしまうような間違いなんですが、質問作成者側としては実のところ工夫が足らなかったのであろうという後悔の連続です。
それでも右往左往しながら、最終的には作成者側も慣れてくるもの。最後に有意義な回答が収集されればそれまでの苦労も報われようというものです。

頑張らなくては!


2019年10月23日水曜日

次女のアートスクール受験準備

家でアンケート準備の作業をしていると目の前には次女のスケッチブックと色々なペンが散らばっています。

単なるアート好きが高じてアート無しでは生きられない状況になっている状態が日常である次女なんですが、また気分が更に乗ってきた時期がやってきたのかと気にもせず放っておきました。ところが、今回は次から次へといろいろな作品をシャカシャカシャカシャカ次から次へと描きあげていきます。


今回の作品群は基本的にはサインペン。いろいろな人物像・・・(と言っても基本的には普通に見える人間ではないのですが)を変わった?彼女なりの認識で紙の上に書き付けていきます。

この前などは私に絵の感想を聞いてきたりしてきましたので、正直にいろいろ言った所「パパは褒め方が上手いね〜!ママはそれに比べて・・・」と言って、私の講評に自分なりに反応してきます。

どうやらこれらはアート・スクールへのアプリケーションに添えて出すものらしく、アメリカの西海岸を中心としたアート・スクールを5つほど考えているようです。考えていると言って見せてくれた学校の候補をテーブルとして見せてくれたのですが、ほとんどこの手のことは何もわかりませんので「うーん」という感じ。

しかしその中に何だか見覚えのあるものがたった一つ。
それはSAICという綴でした。これって多分、The School of Art Institute of Californiaというやつなんじゃないかと推測をしてみましたが、ネットで調べると最後の部分がChicagoとなっていました。

どうやらシカゴ美術館の付属美術大学みたいです。なんだか美術館が付属の大学を持っているっていかにもアメリカらしいですね。

しかし、よくサイトやネットを見てみるとえらく有名かつレベルの大学みたいなんですが?まあ、私は「頑張れ〜」としか言えないので、じっと見てるのと時々は画材を買ってあげるくらいです。

結果はまだまだ先のことでしょうしね。何も聞かずにじっと見ておきます。


2019年10月22日火曜日

学会の準備で不安感出現w

ある学会が10日後に迫っているのですが、まだほとんど何の準備もしておりません。

まあ、いつもの事でして最後の最後でなんとか帳尻を合わせようというダメ人間の私らしいセットアップです。我が家の次女もほぼ同じ。

むかし、医学部のラグビー部に所属していた頃、武蔵高卒の先輩にユニークな人物がおられまして、学校のテストが二ヶ月後にあってテキストが300ページの暑さだとすると、一日5ページ勉強すれば良い・・・。それでもやっぱりしないで一ヶ月後になると一日十ページすれば良い・・・、と言う感じでいつも直前までせずに、後5日になると一日60ページすれば良い・・・、などという「計算上はその通りなんですが!」という様な日々を送りながら、結局最は終日に300ページをやる羽目になる、というパターンを毎回繰り返す御仁がおられました。

実際に医学部のテストでもそういう感じで(私も全く人の事は言えないのですが)、毎度毎度の再試を受ける羽目になり〜〜という先輩でした。結局、再試の日程自身がいつも自分にとっての本試験状態という状況なのですが、なかなかにこれはこれでハード・モードでして、真面目にコツコツやって来た方々が一回目の試験で無事通過後に余裕綽々で遊んでいる頃に我々の様な愚かな怠け者軍団は必死で試験対策を行うという世界。

一体何を好き好んでそんな事をせなあかんねん?という状況なのですが、実際のところ何とかにつける薬はなしということで、ずっと今でも治っておりませんのは先輩も私もあまり変わらず。

という訳で、学会の準備は統計解析と文言の書き込みなのですが、いつもの如く夢の中に発表の骨子が浮き出て睡眠が邪魔され始めましたの、そろそろ形にするべきときがやって来たという私のご先祖様の指導が始まっているのかもしれません。w

さて、PCでのいろいろなセットアップは終わったので、これからは実務作業ですね。疲れそうです。


2019年10月21日月曜日

アメリカの旧友が名古屋へ!

今日は仕事が終わって6時から名駅で待ち合わせをして、アメリカ時代の旧友と再会しました。

少し前には法事などで帰って来てその折にも会ったのですが、アメリカの研究者時代に互いの苦労を知っている者同士はまさに旧友ではなく戦友。互いが協力しあいながら、なかなか通らぬグラントを山のように出しては突き返されるという悲哀を味わった仲です。

勿論、彼は私なんかより遥かに優秀で、理学部卒のハード・コアのリサーチャーなのですが、あって最近のリサーチの進展や研究社会の動向、昔のラボの現在の様子などをヒト・モノ・カネと3つの面にわたっていろいろと聞くことが出来て楽しいこと楽しいこと。

最初に入った店ではビールとチューハイを二杯ずつ飲みながらいろいろなものを口に放り込みながらの真剣トークでしたが、彼の日本でのリサーチ・プレゼンの話や帰国前にある(この世界では)超有名研究者との個人的ディスカッションをしてからアメリカに戻るとの話を聞いて思わず「リサーチって苦しいけどやっぱり良いな〜」って心から思いました。

二次会は小雨そぼ降る中で円頓寺商店街の中にある前から目をつけていたお店「お酒の神様」へ行ってまいりました。いわゆる立ち飲み屋なのですが、こういった店が藤が丘には無いんですよね・・・。藤が丘にかけているのはこの昭和風立ち飲み屋なんですが、ここでも立ちのみしながら最初から最後までガンガン互いに日本酒を重ねていきました。

神戸へ戻る新幹線の時間が近づく直前まで盃を重ねて互いにお酒を浴びる状態にまでなったのですが、楽しい時間を過ごした二人はご機嫌で名駅へ戻っていきました。当然の如きまたの再会を約して名駅で別れたのですが、戦友との再会は毎度良いものです。

しかし、「お酒の神様」良いですな。学生時代の立ち飲み屋を思い出しました。


2019年10月20日日曜日

WCR・日本は負けましたが・・・

対南アフリカ戦、負けてしまいました。

今まで「勝つのは難しい」と思われた相手も含めて四連勝し、堂々の一位通過で文句を垂れていたスコットランドをガッツリ黙らせての進出でしたから立派なものです。

そもそもXネイションズ(Xには6とか7とか10とか入りますが)と言われている、ラグビー先進国群のtier1の国々に堂々とぶつかって相手を任したわけですからたいしたものです。
他の国々に対して平均で明らかに劣る体格的ハンディを運動量と作戦で補い、連戦連勝したわけですからジョーンズHCの手腕とその指導を受け容れきった選手達の努力と才能には頭が下がります。

基本的にロシアのHCが話していた様に、tier1とtier2は全く別のスポーツと言って良いほど格の違う世界。そもそも勝つということ自体が大変な事件なのに、それを四連勝でフィニッシュさせたのですから、見事という以外の言葉は誰が何と言おうと見つかりません。

ベスト8初戦の5試合目は前半は誠に見事。体格の差を補って余りある僅差の試合でしたが、後半は物凄い才能を感じさせたSHデ・クラークのアタックと大男達の素晴らしいディフェンスの前に為す術もなく体力を削られていったチーム・ジャパンの最後は、やはり容易には埋まらないトップチームとの差を見せつけられた時間帯でした。

しかし、それも2015年からの進化の跳躍度を考えると素晴らしいの一言。
ジェイミー・ジョセフHCに対して大枚を叩き、三顧の礼で再び頭を垂れてでも、日本チームHCとしての続投を依頼すべきだと思うのですが・・・。

またもや日本ラグビー協会は招聘に対する足並みが揃って居ないとの頭が痛くなるような噂がチラホラ聞こえてきます。

何で日本のスポーツのXX協会という所は、こうも揃いも揃ってバカとアホウの寄り合い所帯なのでしょうか。ルールの解釈を間違えて選手を失格に導くなっていうのは朝飯前で、出場資格の解釈もできなかったり道具の検査を間違えたり、内紛で時間を潰したり・・・。orz

何はともあれ、早よしなさい!


2019年10月19日土曜日

神社で泣きそうになりました

今日は朝からトレーニングの一環として散歩をしたのですが、その途上で神社の階段を登っていきました。

通常は何度も何度も病院の階段を上り下りして40階分前後に相当する昇降を済ませるのですが、今日は特別。一旦神社まで上がって7時過ぎの神社でどんな人がお参りしているのか見てみようと思いました。

まずはお伊勢様でも他の神社でもいつもしているように手を洗い、口を漱ぎゆっくりと階段を登っていきました。そばに建ててある顕彰碑などを読みながら登っていきますと誰も居ませんでした。まあ、日曜日の朝早くにここに居るという人はあんまりいないかな〜〜という事でこれは納得。

二礼して柏手を二度打って一礼をして神様へのご挨拶を終了。本当はお賽銭を・・・と言うところですが、持っていたのはスマホだけ。お賽銭もCashlessだったら差し上げられたのですが。

ふと左脇を見ると絵馬が鈴なりに掛けられていました。
目に入ってくるものの8割は合格祈願関係。誰だってこういうところでご利益を願いたくなるのは当然でしょうし私も大昔には受験生でしたので気持ちはわかるし、見ていて微笑ましい気持ちになりました。

残りの1割は漫画家志望の方でしょうか、連載漫画の成功を祈るものやいろいろなスポーツの全国大会出場祈願、家族の普通の幸せを祈るものなどでした。しかし、よく見ていて気付いたのは健康祈願が残りの1割り程度あるということでした。己の病の治癒祈願をされている方は勿論、家族の幸せを祈るものなども当然ありました。

しかし、その中の一枚に私は目が離せなくなるものが混じっていました。その絵馬には以下の文章が。
 
「パパが早く元気になって、家族全員元気で健康に過ごせますように」
 
その横には娘さん方と奥様と思われる三人の女性の名前が併記してありました。読んだ後ももう一度、思わずその絵馬をじっと眺めてしまいました。その家族の方々の気持ちを思うと医師という立場の人間としては思うことも複雑です。

文字の幼さなどから考えると小学高学年から中学程度のお子さんかと思えたのですが、その年頃の育ち盛りのお子さんを持つお父さんと言えば、40前後を中心としたまさにこれから働き盛りの世代。一家の大黒柱が病気と戦わなければならない状況というのは絶対にあって欲しくないまだまだ全員が若い一家のはずです。

その絵馬は既に今年の1月過ぎの日付が入っておりましたので、既に9ヶ月前のものですが、その子の必死の気持ちを想い目頭が熱くなってしまいました。本当にその一家のお父さんの病気が治り、御家族に笑顔が既に戻っていることを心の底から祈った朝の神社でのひと時でした。


2019年10月18日金曜日

看護師の基本条件

共感力の一言に尽きると思います。

残念な育ちをその看護師の成長してきた背景として想像させるような残念なレベルの看護を見せるしか出来ない看護師さんがいます。それでも、若い人であればきちんとした指導者と環境さえ揃えば少なくとも「表面上は」年々歳々、変化と成長を見せてくれます。

しかし、本人がもともと「残念な人」かつ病棟における「指導者も駄目」であれば、その人の残念なレベルにはネガティブな意味で磨きがかかるわけで、入院している患者さんにとっては気の毒なことになります。

接遇においても勿論「口のきき方」というか、そもそも敬語が上手く使えない人間がいます。要するに看護師になる以前の人生の時点で既に準備が全くできていないという・・・。数学を習おうという時に算数が出来ていなくて、という今どき話題になる一部のバカ高校生・大学生といったところとイメージ的には被る感じです。

勿論、能力的にもアッと言う間にいろいろと吸収して学ぶ若者もいればゆっくりとしか吸収できない子も。まあ、良い看護師さんとして成長する為にはいろいろな能力が必要なわけです。それでも、看護師として成長していく中で一本の筋として絶対に必要なのは「弱者に対する共感力」です。それがない看護師はレベルの低いAIと同じ。この能力ばかりは生来成長の中で家族や友人との付き合いの中で育まれていくもの。大きくなっての付け焼き刃でどうなるというようなものではありません。

結局、病院ではスマートだけど共感力のない人間が院内でポジションを上げていくという人事上の間違いが起こると、病院においては長期的視点に立つと「大変良くないこと」が起きる可能性が高まりますので、上に立つ人間はその間違いが起きないように慎重に人事を進めなければなりません。

いかなる「紛れ込み」も慎重に阻止することが大切です。


2019年10月17日木曜日

どうしたら入院してくれる?

今日も肺癌患者さんが見つかりました。

この患者さん、私の外来に定期的に来ている糖尿その他の病気を併せ持っている患者さんなのですが、この5年ほど糖尿病も落ち着いたコントロールを見せていたのですが、一人暮らしをするようになってコントロールのレベルが急激に悪化。

先日は糖尿病性ケトアシドーシスと言う状態になり緊急で入院さしてもらう状況になったにもかかわらず「絶対に入院は嫌だ!」と言い張って入院してくれませんでした。何人も説得を行い、「命の危険があるから入院しないと駄目。家に帰って云々という状況じゃないよ」と説明してもこれまた聞き入れません。

結局、輸液を大量に行い血糖を一日だけ外来でモニタリングさせて貰い最終的には帰っていきましたが、何故入院したくないのだと本人に聞いても「自由が無くなる!自由が良いんだ」と言うのみ。結局、これでは全く駄目です。本人は少し理解力も足りず、ある疾患で精神科に通っておられる方でもあり、インシュリンの自己注射など出来る方ではありません。

三度の御飯も全くランダムで、摂ったときもおにぎり一個とかだったりする時も有ればラーメンの濃いのをドッチャリ食べたりとこれまたメチャクチャ。しかも、血糖の自己測定も出来なければインシュリンの自己注射など更に夢のまた夢。
入院して一時的にでもレベルを元に戻して何とか治療のレベルをあげようとして入院の説得を行ったこともあるのですが、これは上述の如く繰り返し失敗。

ところが、今回久し振りに定期検診の一環として行った胸部レントゲン写真を撮った所、肺に怪しい影が。「これは・・・」という事で胸部CTを追加で撮って、腫瘍マーカーをみてみた所どうやら腺癌の可能性が濃厚な状況です。

しかし、この時点では痛みもなければ呼吸苦もない状況ですので本人に「今ならまだまだ間に合う可能性が高いから、大学病院に紹介するから治療しましょう!」と言っても「入院するから嫌だ!」という一言で全てを終わらせてしまいます。

「手術しなくても済む治療法の選択とかもあるから検査と思って行ってみませんか?紹介状も直ちに書くから」と言っても「入院するのは嫌だから」の一点張り。
抗生物質のように抗癌剤を服んで治療する時代も身近なものになり始める予感がするこの頃ですが、それがどの施設においても普通になるまでにはまだまだ2歩も3歩も遠い状況。しかも薬もすべての症例で著効するというのには程遠い状況ですから。

命が日々削られていっていることを説明しても「入院が嫌」「自由が無くなる」と言って拒否するこの患者さん。どうしたら説得できるのか。確かに治療しないのも自由なんですが・・・。

医者としての力量不足を痛感した今日の午前の外来でした。


2019年10月16日水曜日

患者さんも寿命を選択する

昨日のブログに続いて医療関係のことを書いてしまいますが・・・。

病院に来る患者さんの中には本当に自分の健康や寿命に無頓着な人達がいるのです。そのくせ病院には通院してくるんですから、人間というのはかなり矛盾の塊って事なんですが。それも患者をたくさん見ているといろいろな理由で(一見すると)矛盾(のように見える理由)があるんだなっていうのも次第に理解できてきますので、数回説得した後は敢えてそれ以上は深追いせずに静かに患者さんのデータと症状の観察を続けるようにしております。

今回は病院のある(非医療系)職員の事なんですが、ある検査で背景に何らかの深刻な疾患の存在を疑うデータが出ているのですが、本人にある先生が説明をして、その可能性を指摘してもまさに「他人事、馬耳東風」状態で何の反応もありません。

本人は近々あるある団体での飲み会のほうが大切らしく、「それに出ないことには明日が来ない」というような訳の分からぬ事をのたまいます。そもそもそんな会合に出ている場合じゃない様な数値が出ているし、立って行動をするようなレベルのものではないと思われるのですが、御本人は意に介さず。

自分が倒れるのを知っていて逆に清々しく振る舞う特攻隊員のようです。その数値から予想される疾患を幾つか想像すると、私自身はその後の措置に緊急性の高さが予想されるものばかりなので、逆に焦燥感を覚えるのですが・・・。

医者を選ぶのも寿命ならば、医者の進言に従わないのもまた寿命のようです。


2019年10月15日火曜日

命の長さも母の買い物次第

ある患者さんの在宅医療に行った時の話です。

そのお家は息子さんと御両親が住んでいるお家なのですが、息子さんがある疾患の後遺症で家から離れられない、というか離れない状態。実際の所、リハビリのために外出したり通所・訪問リハビリを使いましょう!と、何度もsuggestしているのですが、人生投げやりモードでして、その様なポジティブなことにはアクションを取らない傾向がまざまざとみてとれます。

今の時点では親子三人で住んでいて、高齢の親父さんは認知症気味。お母さんはお母さんで気さくな人ではあるのですが、目の前で動きもせず日がな家の中のベッドで寝てばかり居る中年の息子さんにいつも怒ってばかり。

お母さんは息子さんの高度肥満に怒ってるし、息子さんは息子さんで高度肥満が大いに絡んでいると推定される高脂血症、高血圧症等に関して母親の準備する三度の飯に怒っています。

何故ここで”準備”と書いたかというと、実際このお母さん調理は全くしないそうで、レトルトの可能なカレーや出来合いの惣菜を買ってきては家の中でunpackするだけ、と言う生活なんだそうで「野菜なんて絶対買ってこない!」とは息子さんの弁。「俺はこの母親に食事で殺されるわ、先生。」等と文句を垂れています。

確かにこの食事でこのカロリーを取らされ続ければ、気の毒ではあるけれどブロイラーのように直ぐなっちゃうよな〜!とも思うのですが、誰もが母親は選べませんしね・・・。

食事と病気。この患者さんの場合は本当に食事を変えていくだけで、高度肥満が解消し、同時に高血圧も高脂血症も高尿酸血症も多分猛烈に数値が改善すると思えるんですがそれを御本人に話しても「俺はもうええわ〜。ここで野垂れ死に!」なんて悪態をつくだけ。
しかし、その結果が前医達から引き継がれ続けたリスクたっぷりの15種類以上の多剤併用の現実なんですけどね。

この多剤併用に関しても、担当が私のバイトで行っている病院に引き継がれた時点で順繰りと減らし6種類も減らして16種類。つまりは下は22種類も服用していたというのですから驚異というか脅威です。

まだ若いし本当に勿体ないと思うのですが、大人になれば寿命も自分の選択の積み重ね。このままで健康を回復し長生きできるとはとても思えません。本当はこんな患者さんは受け持ちたくないというのが本音です。

駄目医者ですね。w


2019年10月14日月曜日

衝撃の世代交代か?

当直に入る時にはちょっと前にコンビニに行くことが多いです。

仕込むのは通常おにぎりやサンドイッチ、それと当直中に時々読むことのある雑誌です。私のような人間は、あれやこれやとその製品の種類を変えること無く、おにぎりであればアサリしぐれ。サンドイッチであればハム・レタスサンド。飲み物はゼロキロ・カロリーソーダか烏龍茶。時折食べるヌードルはSEA FOODヌードルでしょうか。

嫁さんと違って食い物に関しては通常決め打ち。毎度毎度いつでも定食Aの人です。

続いて買い込むことのある雑誌といえば通常2種類。1つ目はゴルゴ13のミニ文庫。その他に買うことがあるとすれば「昭和40年男」という雑誌です。これ、まさに私が生まれた年にバッチリあった雑誌ですので、掲載されているコンテンツはまさに私が小さい頃から辿ってきた個人史をなぞるかのような濃いものばかり。

この本を買って家に帰ると、たとえ私が読んでいない時でもアッと言う間に中を読んで、「あ、これ懐かしいわー」「あ、これ覚えてる〜!」と言う感じのコメント連発。要するに私とそれほど世代が違う訳ではないという間接証明なんですけどね。w

ところが!今回コンビニに行った折に私にとっては大きな衝撃を受けることとなる事件が発生していました。それは新刊の「昭和50年男」と言う雑誌が刊行されていたことです。
これって正しく世代交代ですよ!よく調べてみると、「昭和40年男」のほうも継続刊行ということで取りあえずはまだ相手にされているのかという感じ。

しかしよく考えると、まあそういう事って当然起こりますわな〜。
今回のコンテンツのタイトルを見ると「北斗の拳、前園真聖、つくば博、ドラクエIII、コロコロ、浅香唯、ミニ四駆、ビックリマン、イカ天、高橋名人等など」となっています。
これって、ホリエモン(S47年生まれ)の世代のど真ん中って感じですね。

この本読んだ嫁さんいわく「こっちが私にはピッタシ〜!」等と言って喜んでおりました。ちょっと無理し過ぎだと思うんですが・・・。まあ、黙っておきましょう。


2019年10月13日日曜日

WCR日本対スコットランド:死闘とは正にこのこと

日本4トライ、スコットランド3トライ。

書くと結果は一行ですが、その試合の中身の濃さは両国どちら側の人間にとっても歴史に残る、本当に教科書に出てくるような素晴らしい戦いだったと思います。
そもそもアイルランド相手に全く試合をさせてもらえなかったスコットランドでしたが、もともとプレーは端正でフィジカルも強烈。

世界最優秀ラグビープレイヤーにノミネートされた事もあるレイドロー率いるチームですから、リーチ主将が「ボコる」とは言ってもそう簡単にいくはずはないという予想を持ってゲームを見守りました。

スコットランドのラグビーフットボール協会の会長が(台風の酷さを全く無視して)「ゲームを開かんのなら法的措置を取る」などと喚いて、世界のみならず自国民からも冷笑と顰蹙を買った念願の試合です。ここは一つ正々堂々と相手を叩き潰して全勝で自力突破を見せることこそ日本の行く道。

被害者への黙祷の後、試合はいきなりゲームの冒頭でトライを奪われるといういつもの日本のパターンから開始。orz
アチャーという感じでしたが、このチームは今までの日本チームではない!やられたらやり返す力を持ったチームです。そもそもこの試合自体が、前回のWCRで三勝の日本を予選プールに沈めた憎き相手の口に辛子を詰め込むために準備した試合。

ここからが止まりませんでした。前半のファンタスティックなプロップ稲垣のトライや後半の福岡の相手からボールを奪い取ってからの鬼の一発(実際は2発目!)など、素晴らしい勢い。これはこれはという感じでアドレナリンの吹き出しが止まりません。

しかし、そこはスコットランド。ラグビー発祥の地の意地と戦術が強力なフォワードの押し込み戦術で素晴らしい巻き返しを見せます。
正直な所、どちらのディフェンスもまさに「称賛に値する」ハイクオリティーなもので、これからのラグビー史に永遠に残るような、美しく、力強く、エキサイティングな試合だと思いました。まさにTHE RUGBY。最後の20分は本当に息をするのを忘れるような時間でした。

この思いはアメリカに住む昔の研究仲間であるScottishの教授も同意見で、直後にメールがやってきて「負けて残念だったけど、物凄い素晴らしい試合だった!」と書き送ってきました。私も同じ意見だと返事したのですが。こんな事ってあるんですね。

今回わたしが思ったことは、今後はこの試合を見て育った若い世代から「必ずや」次世代のワールドカップメンバーがそれこそ続々と出てくるんではないかという予想です。しかし、NZのようにこれが国技ではないために、残念ながらそれを行う環境が整っていない。

隣の校庭にいけば柴が生えていて・・・などという環境が日本にないのが本当に残念です。そもそもラグビースクール自体の数が全く少ないし。それでも、今回のWCR日本開催は、きっと日本にサッカーのプロリーグが出来てから暫くして大勢の世界レベルの選手という花が咲き誇っている現在の日本のような感じになってくる「直前」の日本の雰囲気そのものなのではないかと感じています。

いやーそれにしても、こんな至福のマッチングをLIVEで観られて、勝利と言う形で味わわせてもらえた私は三国一の幸せ者です。w

次の南アフリカ戦はどうなるのか!期待しています。


2019年10月12日土曜日

名古屋は今回の台風は大したことなかったが・・・

今回の台風19号は少なくとも名古屋では「雨が強いか?」くらいの感じでした。

しかし、台風の眼の東側を通ったエリアや非情にも降水が多かったエリアなどは本当に緊迫感の強い対応を連続して迫られたエリアが険しい山間部やダムを持つエリアにはたくさん見られたようです。

しかも、雨が去った後も山は緩んでいるのでリスクは去らないし、関東の大きな河川も次々に氾濫して多くの方々が犠牲になっています。やはり河川の周囲は万一というのが何時でもあり得る。ここ数十年は日本も河川の氾濫というのは昭和の頃に比べれば随分と減ったと思っていたのですが、強大な台風の前にはそんな幻想はアッと言う間に崩れ去るのだと改めて思い知らされました。

昔、九州の田舎に住んでいた頃今は亡きお婆ちゃんの家が土手の真下にあったんですが、昭和の終わり頃までは大雨、台風が来ると土手のすり切りくらいまでどっと水が上がって来ることなどごく普通でした。幸いにして私が小さい頃などはその後の”氾濫”自体は経験せずに済んだのですが、母親が小さい頃などはそれはそれはごく頻繁に水が溢れ出してきていわゆる”氾濫”というのは日常的なものだったようです。

そのせいか、私の母も含め母方の兄弟達は本当に「思い出の品々」というものがほぼ無くて、何度も何度も水に流されては幼少時、学童期、中高校のころの全ての品々が失われてしまった状況。いわゆる「思い出」と言うのは全て水に浸かってしまったわけで、その度に捨てていったものがほとんどだったそうです。つまるところ記憶の中にしか保持されていません。今度の浸水でも多くの方々が同じ目にあった可能性が高いことが容易に想像されるだけに、言葉もありません。

今回は15号で被災された千葉にも、今度の19号で再び大雨が降りまさに踏んだり蹴ったり。こういった予想を超えた激甚災害というのはしっかりと国家が税金を使って復興をサポートしていくしか盛り返す道はないのかと思います。

今回は名古屋は大災害には見舞われなかったとは言えそれはたまたま。長い目で見れば必ずや大型台風や大地震がこの都市を襲う日がやって来ます。今回も災害に備えて家の備えとして何が足りないのかいろいろと思い知らされたモノの数々がありました。

簡易トイレやポリタンク、水などは豊富にありましたがもしかしたらの状況に備えてのガスコンロなどが無いことも盲点でした。今後のことを考えたらエコジェネレータなんかも本当は別個に持っていたほうが良いのかなと一瞬考えた今回の大型台風でした。

まさしく明日は我が身。災害に遭われた方々の被害からの一刻も早い復旧を心よりお祈りしております。


2019年10月11日金曜日

教師間のイジメとか

兵庫県神戸市で起きていたという、30代男性教諭3人と40代の女性教諭1人が20代の男性教師や女教師をターゲットにしていじめを繰り返していたとかいうお粗末な世も末話。

話だけ見ると世も末という話ですが、実際のところ学校の教師なんていうのは“でもしか”も含めてクソも一杯。内情を知っている人間にとっては、「バレただけね〜」なんていう感覚じゃないでしょうかね。先生なんて言うのは素晴らしいのからクソまでまさに正規分布で居るのがどう考えても当たり前なんですが、このクソの部分をたくさん入れて全体のレベルを下の方に引っ張っているのは縁故採用というものでしょう。

まともな大人なら誰でも知っていることですが、教員になるのにコネ(金も多分出回ってるケースも無数にあるのでしょうが)と言う名の縁故採用などごく普通であるなんていうのは皆がワイワイ言わないだけ。クズのことなんて興味もないし。

ところが、実際に被害を被っているのはそのクズが採用されたせいではみ出してしまった「本当は入って活躍するはずだった」人達です。高校教師をしている従兄弟からも聞いたり、これまた小学校の教師をしている従兄弟からもたまに話を聞いたりしたことがありますが、結局は教師の世界も社会の縮図、というよりも世間知らずの分だけ余計にdistortionがかかっている感じとでも言いましょうか。

自分の昇進と責任回避のために頬っ被りを決め込む校長・教頭が居るところでは正しい行為が行われるわけもなく・・・。
おまけに今回のクズ連の学校での役割はイジメ防止の責任者だったと言うんですから、漫画でも描くのを憚るような救えない話のプロットですわな。この男達とおばはん教師の関わった件の徹底調査が行われた暁にはきちんと校長・前校長も含めて懲戒免職にして退職金など間違っても払わないようにかたをつけて欲しいものです。

文科大臣まで言及するこの事件。
きちんと正義がなされない時には、そうなる何らかの理由でもあるんでしょうか。例えば何らかの社会勢力がその男の背景にいるとか?教育委員会の中にこいつの縁戚が居るとか?

子供達のためにもクズは排除し、better selectionをその穴埋めに使って頂きたいものです。


2019年10月10日木曜日

どういう人生送ってきたんだ?

今日は久し振りにモンスター・ペイシェントが入院してきました。

70近いオバさんでしたが、もう周りの人間達は職種を問わず血圧上がりっぱなしでした。旦那には離縁され、子供達にも縁を切られて流浪の人生を送る孤独な女性ですが、何故そうなったかという理由に関しては理解していないのは多分御本人だけ。

病室に入って来るや否や屁理屈と文句を100連発!
テレビカード買ってこい。胸部写真は撮って良いけど腹部の写真は嫌だ。煎餅とケーキをすぐに食べさせろ。前の病院の飯は不味かったけど、やっぱここのも不味いな〜、とか。あなたには重度の糖尿があるんですが?w

家はある理由で無くしてしまっているので、病院を追い出されれば何処にも行くところがない。しかも、役所の人間はこの患者さんを或る大きな病院から私の病院に送り込んだ後は幾つかの大切な情報を当方には報せていなかったため、ここには書けない追加の被害も蒙りました。

なんちゅうか・・・一言で言えばお役所仕事。
このお役所の仕事をしてくれる担当の方々も、正直言うと大きな当たり外れがあるのです。良く働く方に当たるとものごとは右から左にスイスイと流れます。しかし今回はどうやら外れ。担当者も外れなら患者さんも大外れ。

自分の主張だけ通そうとして周りの迷惑など考えない70近い女性。勿論、その生き方が原因で旦那にも子供達にも捨てられ、いまある臓器のガンも見つかっているのですが、こうやって皆に愛されないまま迷惑がられて病院を転々として亡くなっていくのでしょうか。

怒りを感じつつも、その存在に憐憫の情が少し湧いたのも嘘ではありません。
しかし、本当に疲れました。勿論スタッフも。orz

即退院という形で私の権限でブラックリストに載せることも簡単だったのですが、今回は行き先もないとのことで一日だけは様子を見ることと致しました。どんな親に育てられたんだろうとふと思った午後の私でした。