2019年11月25日月曜日

人は自分の価値を証明したい

病院の中で入院しておられる高齢者でもヘルパーさんのお仕事などのお手伝いをしたがる人達は意外とたくさん居られます。

足が不自由でも上半身は完全に動かせる。認知症はあっても簡単な仕事ならお手伝いできる。そんな人達が、手伝えるレベルは高くなくても誰かのお手伝いをしようと自ら手を差し出し、勇気を出してオファーをし「何かお手伝いできることはないですか?」とおずおずと病棟職員に聞いてくることがあります。

ヘルパーさんの中にはそのような人達のオファーをニベもなく断る人もおりますが、上手な対応ができる人は一瞬考えた後、一緒に立ち仕事や座り仕事をする感じでお婆ちゃんと楽しそうに洗濯物たたみやタオルたたみをして貰っているようです。

私は当初そのような光景をニコニコと横目で見ながらも「安静・服薬・リハビリ」などの時間の過ごし方ににも慣れず、その他の圧倒的に暇なスキマ時間をどう過ごすかに戸惑っている患者さんの一つの時間の潰し方なのかなと簡単に考えていたのですが、以前自分の母親がやっていた民生委員の仕事のやり方のことを思い出して少し考えを変えるようになりました。

歳をとった人達であっても、不幸にしてなにか障害を得てしまった人でも、自分が出来る事をして「誰かの役に立つという喜び」を心のエネルギーにしたいのだと。
体にとってのガソリンは食い物ですが、心にとってのハイオク・ガソリンというのは人に喜ばれることだと思うんです。

勿論、発見や願望達成の喜びなど、心の燃料の種類は各種あると思うんですが、人に感謝される事によって得られる喜びほどオクタン価の高い喜びも余り無いんじゃないんでしょうか。

無論、その喜びを得られることによって、障碍や病を得て自分に元気や自身が無くなっていた方々が生きがいを取り戻してくれるのであれば、我々医療者の側は患者さんの安全や喜びが担保される範囲で、種々の簡単なお手伝いを日頃からなにがしか考えておくのも有りかな?と考えた次第でした。

飾りとなる折り紙を折ってもらう、チラシを使って簡単なゴミ箱を作って貰うなどというのも立派な仕事です。今度忘年会でそんな事も話してみようかななんて思ったのでした。


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