2019年7月31日水曜日

施設の夏祭りにまた行ってきました

担当している老健施設に招待されて今年も夏祭りに参加してまいりました。

提携施設としていつも診察している患者さん達が日常生活を送っているのですが、そこの患者さん達、特にお婆ちゃん達から「来んかったらただじゃおかんよ〜」と、半分脅しともつかないような台詞を吐かれておりましたので、こちらも真剣。カレンダーに随分前から丸をつけて備えておりました。

ところが、この祭り私にとっては参加3回目に当たるんですが、毎度のように一回目は雨天順延になるんですね。今回も直前になって自分の病院周辺では信じられないほどの激しい雨が振ったので、今年”も”今日は流石に延期だろうなと思って病院に連絡を入れると「何言ってるんですか〜!ちゃんとやりますよ〜!来てくださいね〜、待ってますから。」とのありがたいお言葉。

脅し文句も受けていることですし、行かないわけにはいきません。

唯一悩んだのは、車で行くかそれとも例年のように地下鉄とゆとりーとラインを乗り継いでいくかということ。この差は何に由来するかと言うと酒を飲まないかそれとも?と言うことなんですね、ハイ。
この施設では毎年のこの盆踊りの企画において焼きそばやお好み焼き、アイス、フライドポテト等と共によーく冷えたビールが出てくるんです、タダで!

ホントは制限有るらしいんですが、先生は特別ということで制限無し〜!(患者さんには秘密ですが。w)

今年はプレミアム・モルツでした。正直、キンキンに冷えてたら何でも美味しいんですが。昨年は途中で患者さんが倒れちゃって祭りの途中で私が救急医として動かねばなりませんでしたが、今年は何もなく終わってくれました。

ビール四杯飲んで気持ちよくなったところで、祭りは終了。ゆとりーとラインを遡って藤が丘まで戻ってきたオジサンでした。

2019年7月30日火曜日

アメリカ国内での口座間送金

アメリカに毎月送金しています。

いくら掛かるかと言うと私の場合(私の送金額では)日本国内で先ず3,000円抜かれます。更にアメリカ側では私のアメリカ側の銀行口座から15ドル抜かれます。自分の口座だけなら良いんですが、大学院に通い出す娘の口座へも振り込むとなると例えば1,000ドルの送金に5,000円程度の金が手数料として引かれることになります。

毎月、毎度の送金ごとに5%のコミッションなんてまあ正気の沙汰ではありません。w

という訳で、今までしていなかったアメリカの私の口座自体から娘の口座への振替を行えるような設定をしようとしたのですが、今までしたことがないのでどうしようかな?等と考えていたら、待ちきれなくなった長女自身に私が「調べて〜」と言った作戦が功を奏しあっという間に調べてくれました。

それはZelleというFintechベースのソフトを使うことで容易に解決するのでした。いやあ、これは便利。少なくとも銀行間の遣り取りは手数料がかからないしほぼ瞬間的に送金終了という便利さ。これに関する簡便な説明は実際に使って居られる方のブログですぐに理解できます。

とりあえず私も必要にかられて娘が調べた後になって面倒くさがらずに調べて見みると、銀行口座内のmoney transfer欄ではinternal transferとexternal transferというのがあって、internal はそのまま出来るんですが、なんとexternal transfer用には別にアカウントセッティングをしなければ駄目と書いてるんですね・・・。不便。orz

ともあれ、日本の個人で行う金融機関間決済とはちょっとだけ様子が違いますね〜。日本だと、銀行の枠内で全て遣り取りをしないといけない感じですが、このソフトを使えば自由に銀行の枠の外で2つの金融機関の間のトランスファーが出来るという便利さ。

それでも国際送金に同じような流れが出てこんかなというのがありますね。個人的にはFBとかがやろうとしている仮想通貨での決済なんかに期待しているんですが、今の時代国をまたぐ送金なんて普通だおと思うんですが、銀行がコミッションを取れなくなるといろいろと嫌がるから邪魔してきそうだし、悪い奴らのマネ・ロン対策も当然重要になってきますから仕方ない面もあるんでしょうが。

これってPaypal使えばもっと安くなるんかな等とも考えて調べてみたら確かに安いですね。私もアカウント持っているんでこれは使えるな〜、と思うんですが、日本の送金制限とかに引っかからないのかな?

それはそれとして、長女は私のアメリカに残してある銀行口座に自由にアクセスできるようにしてあるので悪意があれば全額抜き取ることも出来るのですが・・・。そこは信じましょうか。w


2019年7月29日月曜日

とまりなさい!

最近つくづく思うんです。

ナゼあんた達は止まらないのかと!
私がここで言う止まるというのは車の一時停止のこと。世の中本当に一時停止の出来ない馬鹿が多すぎ!歩行者目線になって相手のことを考えて運転している人間がどれほど居るのかいつも感じてしまう日々です。

名古屋という街はトヨタを筆頭格とする車の帝国ですから、車の数は本当にうじゃうじゃというレベルで走っています。車のナンバープレートもどんどんどんどんその数が消費されていくのが目に見えて解るほど次々に番号が変わります。昔住んでいた九州の地方都市群とは文字通り桁の違う速度で数が増えているのが明白です。

勿論、地下鉄もそれなりに網を張ってますけど東京ほどではないですし、結局はありとあらゆる年齢と性別の人達が主に車を転がして移動している街なのです。
しかし、本当にマナーは「名古屋走り」の異名の通り。交差点での右左折のときの運転手の信号無視の度合いは名古屋に引っ越してきたばかりの頃はまさにネガティブな意味で”目を瞠る”状態でした。w

今ではすっかりそれに慣れましたが、それでも慣れないというか許せないのが歩行者が横断歩道を渡ろうとする時に一時停止しない馬鹿の数が多すぎることです。本当に無数の馬鹿がハンドルを握っている様子を毎日見せられるのは苦痛。

何で年寄りや子供、子供を自転車の後ろに載せた女性、その他の人々が横断歩道の端っこで待っている時にほんのちょっとブレーキを踏んで止まれないのか???
中には遠くから目線が合っててそれでも止まらない輩がいて見る度に「認知機能障害?」かと思ってしまいます。まさに”認知”して”判断”して”実行”するという一連の作業能力のどこかに大きな欠如が有るとしか思えない。

そもそも認知しているのか?していて止まらないのは判断能力が欠けているのか?それとも見えていて判断していても停止できないのは神経障害とか脚の骨折でもしているのか?
一度マイクロウェーブでも車に浴びせて強制的に停止させてドライバーを問い詰めてやりたいと思うくらいです。

歩行者保護ができない運転手は数点の減点と罰金ではなくて免取りでいいと思います。この点ではドイツのドライバーは成熟してるなって思うんですけど、運転教育の差なのか国民性なのか、それとも日本人は運転に向いていないんでしょうか?w

信じたくありませんが。

2019年7月28日日曜日

庶民の食とは!

たった200円差でもこれほど変わるのでしょうか?

昨日は嫁さんがアメリカに住んでいる友人と帰国したそのままの足で名古屋駅で再会するということでしたので、私は息子の面倒を見ることになりました。昼からは二人で家の中でマッタリとしていたのですが、夕方になると嫁さんが外出した為、外で二人で食事を摂るために歩いて直ぐのところにある近所の藤一番にでかけました。

ところが、5時35分に店内に入る若い男性店員は「いらっしゃいませ~!」と直ぐに案内しようとしたのですが、いつも大変愛想の良い明るくて元気なお姉さんは「お客さん!6時まで待てばホラホラ!」と言って後ろに張ってある広告を指差して笑顔を振りまくのです。

??と思って後ろを振り返ると、そこには「6時より以下のラーメン等が500円になります」って書いてあるんです。私自身は苦笑いしながらも、お姉さんがせっかく提案してくれた優しいオファーを無碍に断るわけにはいきません。
まだ6時まで20分以上ありますので、一瞬迷ったのですがそこはそこ、誰も居ない店内を見渡しながら「じゃあその頃にまた来ます!」と言うと「じやあ、お名前だけここに書いていかれて下さ〜い」というので、迷わず名前を告げて息子の手を引いて一旦近くにあるローソンへと向かいました。

せっかく大好きなラーメンを食べられると感じていた息子は何で店から一旦去らねばならないかが理解できず、固まりそうな顔でしたが、何とかお菓子やカルピスを買うことで気を紛らわせて6時直前に店に戻りました。

ところがところが、店の前まで来るとさっきはガラーンとしていた駐車場が車で満杯。しかも、店内には大勢の人が居てあいている席が一つもありませんでした。
いつも確かに夕方は多めですが、ここまで激変したのを見たことはありませんでした。

やっぱり一杯のラーメンで200円ちょっとの差が産み出す奇跡のような変化に心の底から驚きました。200円でここまで人の流れが変わるのかと・・・。

商売っていうのはバランスの妙なんだろうか・・・とちょっと考えてしまいました。

2019年7月27日土曜日

長女がブルックリンに引っ越しの準備

一週間ほど前に長女から保証人になってくれとの依頼が入りました。

LINEで「なんの頼み事?」と尋ねると「NYに引っ越す部屋が見つかったんだけど、そのレントの保証人が居なくて困ってる」との事でした。
最初の頃は他の二人のルーム・メイトとの親に夫々の子供達が頼んでいたらしいのですが、いろいろ説明しているうちに親の方から「止めておく」等と言って断られたとのこと。

私としては「おいおい、そりゃ無いでしょ〜」と言いたいところだったんですが、この案件が決まらなければ娘自身が引っ越しさえ出来ず8月からの勉強に支障が出てきます。
今はDCでの仕事を辞めて一時的にボルチモアに住んでいるのですが、8月中にはNYに出ていって新学期の準備をしなければならないらしいのです。

とりあえず私は直近の三ヶ月分の給与支払いの明細書を2つの病院の分をあわせて送るとともに、自分のIDやマイナンバー・カードの表、更には3年分の納税記録とメインの職場の身分と給与保証の記録を英文で作成して送らないといけないという面倒くさい仕事をさせられました。

まあ、日本語の文章に関してはおおかた長女自身が翻訳するのでその点は問題ないのですが、他の親が拒否したことを俺がするっていうのもナカナカ辛いもんです。w
私としてはとにかく娘が安心してNY生活を送るためのベースだけは提供してあげたいので、リスクを犯してでも親としてのアシストをするつもりです。

要は彼女がやるだけのことをやって自分の未来を切り拓いてくれれば良いということで、親として存在する意味があるかなと・・・。いわゆる援護射撃という奴ですね。

BrooklynというNYのマンハッタン南東部に有るおしゃれな街で、これから少なくとも二年の生活を送る娘。彼女が安全かつ有意義な時間を大学院とその街で過ごせることを祈るのみです。シンプルですけど、それ以上でもそれ以下でもありません。

2019年7月26日金曜日

次女が私のために誕生日食事会!

人生初の現象が起きました。

次女が私の誕生日のために藤が丘駅そばの和食料理店を予約して、誕生お祝いご飯を家族全員の分も含めて払ってくれたのです。

一年間だけとは言え、アメリカから一時帰国している次女と言えば私にとってはわがままな子供子供〜〜とした存在でしかなかったのですが、知らないうちにこういった事に気を回すだけの余裕が出てきた、というか”少しは”成熟したようです。

駅前の「ワン」でしたが、私には料理が十分に美味しかったです。ちょっと驚いたのは出てきたビール。お店の人に伺ったところ一番搾りだそうですが、切れ味十分で別格の美味さ。一番搾りってこんなに美味かったけ?というくらい美味しく感じました。
今度店で缶ビールを買ってその味が再現できるのかどうか確認してみようと思います。

さて、腹一杯になったところで娘たちと台風6号接近中の小雨の中を家へ戻って服を着替えると、今度は嫁さんが「ジャジャーン」とか言って小部屋から誕生プレゼントを持って跳ねながら出てきました。中身はハッシュパピーのかっこいいデザインTシャツが二枚。色々とこっそり考えてくれてます。嬉しいですね。(^^)

そのあとアーモンド・クラッシュのまぶされたチョコレートケーキを五本の細いローソクを立てて頂きました。娘と嫁さんの歌うバースデーソングとともにお祝い終了でしたが、横で息子が不思議そうな顔をしていました。

こんな歳になってくると誕生日もだんだんあの世への一里塚という感じになってきますな。w

私にとっての本当に嬉しい誕生日プレゼントは家族みんなの健康です。


2019年7月25日木曜日

日本の暑さはアメリカとは質が違う

アメリカに居たときも暑いという日はありました。

しかし、暑いとは言っても「アッチ〜」で終わってたような気がします。ところが、日本に帰ってきて経験する暑さは暑いというより「動きたくない」という感じの暑さ。
基本は湿度の高さがそのムシムシ感の元凶なのでしょうが、暑くて「脇に汗がにじみ出るから動きたくないな〜」とか、「いま動いたら背中に汗が垂れ流しになりそう」という、想像しただけでゲンナリするような類のものとでも言えるでしょうか。

病院から外へ出て一瞬だけ売店などに移動する瞬間などは特にそれが顕著で、クーラーの効いた廊下から一瞬で、密度が低く、猛烈に湿気を含んだ空気の塊の中に突入していく感覚を強制的に味わうことになりますが、この中で日傘をささずに一時間立っていたら完全に熱中症だな・・・という悪夢が瞬間的に自分の脳裏をよぎります。

とは言え、それに近い状況で一日中外で働き続ける土木工事現場や監視作業、工場内外の巡視などを行っている人々が日本中に居るわけですから本当に頭が下がります。歳取ってくると間違いなく出来なくなってくる仕事ではないでしょうか。(少なくとも健康を損ねるリスクは安全マージンの低下とともに上がり続けることでしょう。)

アメリカでは熱くて「うーん」と言いながらも、そんなに不快な汗をダラダラ流す感じではなかったのにここ日本では・・・。そんな私にとって、夕方に浴びるシャワーとドプンと湯船に浸かる風呂の快適さは一日の疲れを吹き飛ばす魔法の設備です。

アメリカでも当然の様に湯船はありますが、多くの家ではやはりシャワーでスッキリというのが先ずあって、湯船は日本ほどは重宝というか有難がられていない気がします。少なくとも主役ではない。
娘たちも同じような感じで、結構汗をかいたときでもシャワー浴びて一日が終わり!というのがかなり普通の光景でして、親としては”わかるけど、一番風呂のときくらい湯船に入れば?”って感じです。

とりあえず名古屋はこの24日で梅雨明け宣言。
これからの一ヶ月は暑さとの厳しい戦いになりそうです。


2019年7月24日水曜日

婚活報告会を久しぶりに開催

夜に当院若手事務職員の婚活プログレスに関して食事会を持ちました。

開かれたのは藤が丘高架下の有るお店。初めての店でしたが、入ってみるとなかなかおしゃれで美味しい物を出してくれる店。

基本的に彼の婚活の進行状況がどうなってるのかを訊いたところ、三対三で気の合う、しかしもともとは繋がりのない知人経由の仲間同士なんだそうですが、お相手の女性達はびっくりするくらい三人共綺麗な方なんだそうです。話を聞きながら”羨ましい!w”と言ったのですが、ここはもう一つ踏み込んでしっかりした彼女をゲットしてほしいものです。

ところが、酒が進んでいろいろな話を聞いてみると、3回会ったにもかかわらず相手の好みもほぼ未だも知らないし、どこかに遠出もしていないし、LINEも有るけどグループ・ライン以外では一度もトークしたことも無いという・・・。

正直、グループ交際というのがどういうふうに進展するのかよく知らないんですが、一対一対応で好きな人が被らないというのはちょっとあり得ない感じです。
昔、フィーリング・カップル5vs5という企画がありましたし、ねるとんというのもありましたが、普通は被るものだよな〜、と思うんですね。

だとしたら・・・早めにアクションとって相手の反応を伺うというのはどう?と言ったんですが、実はそのあとLINE送っていい反応あったそうです。(^^)
これって、抜け駆けと呼ぶべきではないと思うのですが、如何なもんでしょうか。

とにかく若者よ、頑張れ〜〜!


2019年7月23日火曜日

吉本という組織の弱体化

時代の潮目を読めんというのは悲劇ですな。

それが底辺の人間だったら単なる自滅で済みますが、組織のトップだったりすると御覧の通りの悲惨なことに。今回の吉本のゴタゴタを巡る話というのは本当に数分レベルのダイジェストでしかみておりませんが、それで充分と思えるほどの内容でした。

前日の段階で社長がノコノコ出てくるということが予告されていましたが、その時点でどんな発言がなされていたのかは宮迫の会見で既にバレていたので、それに対してこの小太りのオッサンが何を唄い出すんだろうと疑問に思いつつも、「絶対、いろんな意味で稀に見るほどの悲惨な会見になるやろな。w」と考えてました。

さっさと起きた事実だけ認めて、経緯を簡明に整理して世間に説明し、謝りまくって退職金無しで自分の首ちょん切ればまだまだ救われたろうものを、後時間半と云う長い時間を使って中身スカスカの、整合性のない、言い訳会見を開いてしまうという”やらかしました”という最低の危機管理。

ヤの付く人や、非合法的な集団と絡む連中は21世紀の日本は既に「刑事罰は逃れても社会的には死ぬ」という時代になっているのを未だに昭和の感覚で仕切ろうという脇の甘さ。
一刀両断のもとにネットに脇を叩き切られて二度目の舞台は引退会見しか無いという状況に自分を追い込むオッサンが芸人6000人を束ねる”あの吉本”のの社長なんですから、このオッサンのもとでは組織の先は暗いですわな。

ダウンタウンのマネージャーだったと云うだけの”運”で組織のトップになっちゃったということが”器に非ず”という状況が露見する事になって、ますますクッキリと無能ぶりを晒してしまいましたとさ。

しかしこの会見”往生際が悪い”というのはこういう時のために有るのですかね。w

あ、忘れてはならないのは「だからといって宮迫が免罪符を得たということではない」ということでした。マスゴミの皆様はこのあたりのこと勘違いしそうですな〜。


2019年7月22日月曜日

ひーーーーーーーーさしぶりに、嫁さんとデートw

今日は珍しく週末土曜日のお休みを楽しみました。

それも嫁さんと二人きりでした。いつものように息子を作業所に預けた後は本当に珍しく二人きり。
実は先日当直室でちらっと見た阿久比に有るという皮革製品の工房が気になって気になってしかたがなかったのです。そこで作っているという非常に特徴的な、今まで見たことのないような「羊飼いの革袋」という作品を実際に手にとって見たくて・・・。

エル・パソという革の工房なのですが、家内制手工業を完全に地で行く素敵な工房でした。実は私は革製品が大好き。何十年であろうとも大切に使って行けば何度も何度も修理して親から子へと受け継ぐことの出来る素晴らしい品々が革製品にはあります。

おまけにあのニオイが私には堪えられない。世の中は自然保護の名の下に毛皮に対する厳しい指弾が続いていますが、財布やバッグ等に関してはどう考えてもマテリアルとして革が他のすべての素材に勝る王者としか私には思えません。

この工房では親子二代にわたる作業が行われておりまして息子さんは私の嫁さん公認wのイケメン。ホームページで確かめていただけば判ると思いますが、御主人も滋味のあるいい感じのナイス・ガイです。辞儀正しく腰が低いのに素晴らしい作品を作り続けるその姿はまさに職人!実際に行ってみて自分の直感の正しさを確かめることが出来ました。

行って直ぐに手にした財布に惚れてしまい、今までの財布におさらば。その後は気になっていた羊飼いの革袋の色違いバージョンを見せていただきました。
実際には上の写真の女性用のものはテレビ局に貸し出されていて店にはなかったものとなっているのですが、売れてしまってました。裏には便利な2つのZIPと一つのポケットが反対側についているんですね。実物の赤はもっと良い感じの深い色です。

9月に名古屋でこの阿久比エリアの各種工房の人達が自分達のマスター・ピースを持ち寄って売りに出す展示会が有るとのこと。
マスターにお話をしたところ、上の作品を頑張って作って持ってきてくださるとの事ですので間違いないようにさっさと展示会に行って嫁さんのために買おうと思っています。(押し付けですが、私が惚れてしまいました。w)

さて、阿久比を失礼した後は長久手の方に戻ってきて嫁さんのリクエストに沿って、久しぶりに食べたかった丸亀製麺へ行って色々と食べました。その後は近くの清水屋というところで(これまた行きたかったという)カフェに行ってスイーツとコーヒーを口にして愉しみました。

最後に息子を作業書に迎えに行って本日のデートは終了。
たまにある患者さんの容態の落ち着いた休日を夫婦二人きりで過ごすのは素晴らしいものです。また何処かに行きたいな。今度は息子も一緒でいいけど?

2019年7月21日日曜日

月面着陸から50年!

すっかり忘れていましたが、オメガの時計サイトでDark side of the Moonという時計のシリーズを見ていてハッとしました。(選挙速報と吉本のくだらないゴタゴタでネットが埋められてたのもあったんですかね?)

実は日本時間の21日は月面着陸50周年だったってことを思い出したのでした。
オヤジの肩越しに何か凄い事が起きていることを感じ、画面をじっと見ていたのを覚えています。私はまだ三歳。記憶の中に残る数少ない小さな頃の想い出の一つとして残っているくらいですからよっぽどの事だと親父に言い含められていたのかもしれません。

いつもは空に浮かんでいるお月さまに「人」が行っている、という事実の重大さ。アームストロング船長の言葉を借りるまでもなく「全ての人類」にとってのGiant stepだったことに間違いはありません。
あれから50年。ファミコンレベルのコンピュータで平均年齢27歳の管制官達が40万人の技術者達の協力を得て月まで人類を送り込むというアメリカの威信をかけた国家最大のプロジェクトはそのフリンジに数多くの技術の華を咲かせ、撒き散らしながら人類そのものの底上げに貢献したのでした。

宇宙計画を莫大な金の無駄使いだとか何とか今でも言う輩がいますが、人類は自分の足元だけを見ていては駄目だとつくづく思います。たとえ何かが犠牲になろうとも、100年経って「先見の明があった!」と言われるべきプロジェクトを遂行したアメリカは必ずや歴史の中で称揚され続けることでしょう。

実は迫りくる経済危機の中でお隣の中国がどれだけ踏ん張って宇宙開発を続けられるかは実は人類にとっても大きな関心事であるべきことなのかもしれません。
また日本も少ない予算の中で知恵と技術の限りを尽くして難度の高いミッションと宇宙開発への世界的協力を続けています。素敵な成果が次々に宇宙空間から戻ってくることを期待する私です。

2019年7月20日土曜日

初めてのガン検診

名古屋市では年一回という感じで我々オジさんオバさんにに向けて無料の検診サービスを行ってくれたり、ワンコイン検診サービスを配ってくれたりします。

今回の日本における初検診はうちの嫁さん。
これまでもアメリカでは乳がん検診や子宮がん検診に行っていた嫁さんですが、日本に帰国して始めて検診の一環として先ずは胸部写真や採血その他を利用したようです。

まあ、私自身も家族の採血をして時々は異常が無いか見たりしていたんですが、今回は市のサービスを利用したちょっと規模の小さいもの。それでも、近所の内科の先生にお世話になって生まれて初めての胃カメラをするということで緊張して居られました。

今までカメラを飲んだことがないとのことでしたが、その一回目が経鼻胃カメラということで今風です。私自身はコシの強い胃カメラのほうが好きなんですが、患者さんにとっては管の細い経鼻カメラのほうが楽でしょうか。

生まれて初めての胃カメラがどうだったか感想を聞いてみたのですが、挿入の第一段階で鼻の中が狭くて、少しだけズッと押し込んだということで弱い鼻出血があったと言います。とは言え、あとは何も苦しくなかったとの事。

毎度毎度の子宮がん検診等と併せてこれからもずっと健康であってほしいものです。
この歳になると家族がきちんと回るためには自分の体調よりも嫁さんの体調のほうがよっぽど大切になってきますね。(^^)

2019年7月19日金曜日

ゲームの終了は突然に

三年以上続けていたスマホの時間つぶしゲーム突然終わりました。

「戦艦帝国」というのを時間つぶしで無課金でやっていたのですが、昨日突然アカウントが無効になってしまいました。ある医者の友達に勧められて始めたのですが、結構面白く、かつオッサンでもスピードを要求せずにゆっくり考えながら進める事ができるゲームでした。

しかも、無課金の人間でもコツコツとやってさえいれば確実にあるレベルまでは行くことが出来て、無課金の人間同士でそれなりに競えるというゲームでしたので、バランス的にも内容的にも満足していました。

ところが、一昨日より突然ログイン不可に。いろいろな方法を試しましたが、まあ無駄でした。orz

という訳で、惰性で続けていたにしては結構楽しんでいたゲームも突然終わりを迎えました。ゲームも終わるときというのはこういうもので、以前WoWをやっていた時も「止める」と決断したその日以降一切触らなくなりあっという間にそれまでの何年間もの蓄積をゼロにして終了しています。

多分、私に嗜好品として嗜むものが有ったとしても或る日突然こういう感じで「やめようと思えばやめられる」感じの止め方をするんじゃないかと感じています。

私の患者さんの中でも、タバコをきれいに止めることの出来る人の多くは、殆どの場合減煙節煙等という人達ではなく、ある日突然にタバコとライターを人に預けてその日の夕方から終わりという人達です。

ゲームもタバコも辞める人はこうやって止めるんだろうと感じた一日でした。元からタバコは吸ったことないですけど、もしタバコを止めようと思われている方がいたら、ごちゃごちゃ複雑な方法を考えず「突然停止」がもっとも効くと思います。

ゲームの話が禁煙の話になっちゃいました。w

2019年7月18日木曜日

オマエだけで死んでくれ

ニュースを見てこれほど暗い気持ちになることが有るのかと思うほどの怒りに満ちた気持ちが沸き起こるニュースでした。

ニュースによれば、41歳の関東出身の男「青葉真司」とかいう絵に描いたようなトラブル・メーカーがこの凶行を起こしたとのことですが、こんなブタのことはハッキリ言ってどうでもいい、せめてもの報いとしてただただ苦しんで死んで欲しいものです。
語ることさえ憚られるようなこの矮小な男の事は彼方に蹴飛ばしてしまいたい。

そんなクズのことよりも、亡くなられた多くの若い才能達のことを思うと無念でなりません。私自身はこのアニメーションスタジオの作った多くの作品に関する詳しいことは正直良く理解していません。

しかし、作る作品毎に世界が注目するようなコンテンツを輩出できる能力をもった人々が集まる一流のスタジオで生き残り、かつ活躍できるということは、その才能に特化した物を持った人々であって、そこに所属していたということは、ある意味普通の大学受験生が東大の”何処かの学部”に入るという事よりもはるかに難しいことだと私は思うんです。

こういう世界は明らかに得手不得手、向き不向きというのがあるはずで、好きかつ出来るという条件のレベル・中身が異様に高く、濃い人達のはず。そして失われたその才能が惜しいのは勿論ですが、それとも全く関係なく「ナゼ!」という気持ちが先に来ます。

無辜の人々を一瞬にして生きたまま数十人も焼き殺したこの事件は令和元年という年に最初の汚点をつけた忌まわしい事件となってしまったという気がします。

医者としてはあまり言いたくないことだけれど、私がもし殺された人々の親であれば、私は無条件にこの犯人を嬲り殺しにしていると思います。気持ちとしては本当に法律の向こう側の世界を選びそうです。

この京都アニメーションのスタッフ・ブログには多くの”中の人達”の書き込みがありますが、一体この中の何人の方々が生き残ることが出来たのでしょうか。

アップルのクックも哀悼の意を表していますが、世界中のアニメファンを深い悲しみの底に叩き落とした事件となりました。溜息しか出ません。

2019年7月17日水曜日

電子カルテってまだまだ全然駄目だ

いろいろなタイプの電子カルテを使う機会があります。

そもそも電子カルテというのは大義名分は何であれ、カルテ記録保存の時系列的整合性と画像や血液等の検査データの参照能力、そして処方の簡便性を求めることにあると思っています。

ところが実際に使っていく中で良く分かるのはほとんどの電子カルテが操作性がド最低ということ。具体的には入力中に固まったり、入力自体がおかしくなったり、保存されなかったり。

かなりの量の入力をした後に気づいたら保存されていなかったとか、大量に書き込んでいる途中でフッと固まってしまったときとか思わずFワードが出てきそうになります。
患者さんのいる前では流石にそれは言いませんが、目の前で固まるカルテと向き合いながら、横にいる患者さんに手短に事情を話して謝り、再起動をかける瞬間の情けなさと言ったら・・・。

おまけにデータを参照する機能が不十分だったりすると一体何のための電子化?と怒りがふつふつとこみ上げてくるのでした。

病院に来られる患者さんの前で電子カルテを使う時に絶対にしてはいけないことは患者さんの様子や顔を診ることなく、画面にだけ集中してしまうこと。
患者さんは先生に話を聞いてもらうだけで先ずは来院の目的の半分は達成したようなものだと思ってます。そのうえで身体診察と検査投薬等と続くわけで、話を聞いてもらえずに患者さんを帰らせる思いだけはさせてはならないといつも肝に銘じています。

最後に処方なんですが、実際のところ処方というのは薬Aと薬Bが出された時に副作用が出現することが本当によくあります。ましてや数種類の薬が投薬されたときにはその複雑性の検査は物凄いレベルにまで上昇してきます。
しかし、それをスマートにやってくれるのが電子カルテ。そういう注意喚起がされないとなると電子カルテの意味は本当に半分以下になると思っています。でも、そういう事ができない電子カルテもまだまだ有るんです。残念ながら。

今度、厚生労働省がそのバラバラのフォーマットを統一する方向で動き始めたとの事。数年後にどういったものが生まれてくるのか・・・期待したいところです。

2019年7月16日火曜日

また嫁さんがB'zのコンサートへ

好きなんですな〜。w

名駅から遠くないZepp Nagoyaで行われたB'zのコンサートに行ってきた嫁さん。
何時でも音楽を聞くときは昭和のアイドル歌謡とB'zです。特にコンサート前は予習復習に抜かりなし。今回もびっくりするほどいろいろとワクワクしていたみたいで、知らないうちにコンサートのチケットの抽選が一回目外れたけど、二回目が当たったから本当に良かったとか私にとってはどうでも良い事を嬉しそうに話してきます。

私が力なく「ヨカッタネ」と言うと。「一緒に行きたい?」とか謎の呪文を発してきますので、私は思いっきり「結構です」とお返事いたします。
ただし、ライブの迫力というのはCDなどとは比較にならない素晴らしいものだということは今まで行った数少ないライブ会場(含む:警備バイト)での様子で十分解っているつもりなので、嫁さんがそれにハマるのもわからない訳ではないのですが。

話をまとめると、早めに行って先ずはグッズを購入するんだそうです。そこにはガチャ等もあって、欲しい物が出るまで回す人も(嫁さんはどうだったのか決して語りませんが!)いて、その場でダブったものなんかを交換したりする人もいるのだそうです。
という訳で、嫁さんがゲットしたもの一覧を並べた写真を見せてもらったのが下の写真。
・・・・・・です。w
一緒にもらったという値段の一覧の書いてあるカタログをもとに上のグッズのトータルを推測すると、一万では済まないだろうというのは堅いのですが、こんなに楽しそうにしている嫁さんを観るのもまた楽しいので、それは結婚における諸経費ということで割り切り。

着ていったTシャツも汗でびっしょりになったため、上のシャツに着替えて帰ってきましたが、地下鉄でも何人か同じシャツの人見たと言って嬉しそうでした。
上でゲットしたTシャツとか今後日常で着るのかと尋ねたところ「保存」しておくのだそうです。私にはその意味がわからず「???」だったのですが、熱心なファンというのはそういうものなんですかね。いろいろと理解できないことが多すぎて難しいもんです。

ライブではなぜか稲葉さんから20mくらいのところのセンター部分に陣取れたそうで、ラッキーだったようです。今後もきっとB'zが来る度に行くのでしょうか?でしょうね。野暮な質問でした。w

二人の娘はハッピーそうにそういった事を語る母親をみるのが幸せなんだそうです。

2019年7月15日月曜日

大恩人が亡くなる

立て続けでした。

前回の長崎でお世話になった家具屋の社長の逝去の連絡に続き私が懇意にさせていただいて方が亡くなられました。連絡があったのは深夜二時過ぎ。LINEで娘さんからの報告でした。(私がポケモンの師匠と呼んでいる子です。)

享年83歳。膀胱癌との数年にわたる格闘の後に弓折れ矢尽きたという感じの壮絶な戦いの後の死でした。以前からその闘病の様子は詳しく知っていたのですが、何度ものオペと化学療法、出血、感染、膀胱瘻の作成等の長い長い戦いの末に最後は眠るように亡くなられたとの事でした。

この方に初めて知り合いになったのは私がまだ十代の終わりの頃。オジさんの息子さんである中学3年生の長男を高校に通らせる使命を帯びての生まれて初めての家庭教師の仕事でした。

幸いにして息子さんは順調に高校へと進学、その後大学にも通ってくれたのですが、その時まだ小学生だった娘さんが今の私のポケモン師匠。
お父さんは地元の第一地銀の本店勤めの方で、当時のメインフレームのプログラミングと保守をされている方でした。

魚を全く食えない私を見かねて(後で伺ったのですが!)コッソリ奥さんに命じて家庭教師の時に供される夕御飯や晩御飯を全て魚尽くしにしてしまったとの事。w
長崎に住んでいて魚を食わんというのは大損であるから何が何でも魚を食う人間に改造しろという言明だったとの事で、オジさんはオジさんで私を教育してくれていたことになりますね。

それから35年にもわたる付き合いになろうとは、当時全く想像もしませんでしたが私がアメリカにいる間も帰ってきてからもずっと連絡が途絶えることはありませんでした。
逆に言えばこの一家は私の学生時代から、医師免許取得、結婚、子供達の誕生、私の大学院卒業、アメリカ留学、アメリカでの就職、日本への帰国まで全てを見続けてくれていたのです。

そんな人って親以外には居ませんよね、普通。

早速電報を打ち、花を添えさせてもらうべく手配をしました。残念ながら以前からがっちり組まれていた仕事の為に今日の通夜と明日の出棺には行けないことを伝えざるを得ませんでしたが、長崎に戻った際には景色の良い墓所の墓前で酒を酌むことになりそうです。

合掌。


2019年7月14日日曜日

吉本ちょっといろいろ無理しすぎでは?

吉本興業が干された芸人をそろそろ戻そうという画策をしているとネットで囁きが広がっています。正直戻すの早すぎでしょうし、コンプライアンスがどうやって改善されたのか大々的に公表して、それが妥当性があり間違いないものか検証されるまでは再開しないほうが(老婆心ながら)良いと思いますが。

じゃないと、あれだけ人気があったのに未だに何年経とうがネット上で毛嫌いされ、画面に登場する度に押し込み営業をあれこれ言われ、未だに堂々と戻ってこれない淫行芸人や生保芸人達と同じ運命にあうんじゃないでしょうかね。

そもそも漏れ伝わる話では、吉本が芸人からの上がりを掠め盗る比率が異常に高すぎて芸人が飯を食っていけないとの事。結局のところ雇われてその身分を縛られてはいても、芸を売って金を稼いだところでそれを胴元に取られていくような奴隷契約ですから、特に稼ぎの少ない売り出したばかりの若手や、出番の少ないあまり売れない芸人達が飯を食えなくなるのもごく普通のことなんだろうな〜って外の人間である私なんかは推測してしまいます。

雇用者であれば、生きていけるだけの最低限の飯は食えるように保証してやるのが責務というやつではないかと思うんですけど、規則だけは厳しくしといて飯を食うだけの金は渡さないというのは、株式会社や表の世界に看板を掲げている会社の仕事ではないですよね。

ずっと昔から裏の世界と繋がって居るのが芸能の世界とは多くの大人が知ってはいても、それを隠し通せる時代が終わったことに気づけよ・・・って思うんですけど。ネットに疎い上のオッサン達は「大したことない」位に考えてこれからも何度も数年おきにやらかし続けるんでしょうな。

ネットには個人が書き込んだ一言から始まる内情告発が十分に会社の屋台骨を揺るがす核爆弾になり得るというのが今の時代。人の口に戸は立てられません。何かがあるとそれがデジタルデータとして半永久的に残るわけで、ネットの内容や通信の全てが何処かに残っています。何処かに。

昭和の頃のように色々なものが闇鍋のようにゴチャゴチャしていた時代は表も裏も皆わかった上で飲み込んでいました。しかし、今は令和。清濁併せ呑む余地は少なくとも表の舞台からはかなり消えてきています。いわゆるpolitical correctnessに背くものは少なくとも表では生き残れない時代。

それを生きづらいと言うかどうかは別として、その流れが今後も切れることはないでしょう。暴対法が成立した時点で何れこうなることは判っていた筈の吉本興業。もしそう感じていながら今までこんなふうに事態が進むまで放っていたのなら、世の中からズレているとしか思えません。

世の中のトレンドを読んで笑いに変える芸人達を雇ってはいても、経営陣は各種のトレンドを読む力はゼロっぽいですな・・・。


2019年7月13日土曜日

両親、田舎に戻っていく

親父達が帰る前日ということで昨日は近所の屋台寿司というところに行きました。

ところが入って思わず「ウッ」という感じ。ここは禁煙の店ではなかったのでした・・・。横にはいろいろと話が盛り上がっている”今から”酔いが回りそうな四人の中年男性。しかも横には灰皿もありますし、タバコも胸ポケットに入っております。orz

嫁さんに小声で「吸える店だね〜」と話すと。「うんうん」と小さく相槌。しかし、金曜日の夕方に六人の大人が魚介類を食べられる店を今から近所で探しかつ予約するのもちょっと無理目。というわけで、諦めて、なるべく隣の御仁達がプカプカ吸わないことを祈りながらオーダー開始です。

次女は近所にあるキッズ英語の学校から仕事を終えて途中で合流。相変わらず彼氏とLINEで繋がりながらアメリカにテキスティングを続けています。何を考えているんだか・・・。

ともかく、親父達は楽しそうに嫁さんや孫と語りまた次回も名古屋に遊びに来る話をしていました。今回の両親の来名をみていて思ったのですが、ヤッパリ後何回元気に自らの足で歩いて名古屋まで来ることが出来るのだろうかと考えると、その回数はかなり限定されてくるような気がしました。一年一年毎年状況が変わるのが80代という年齢なのだとつくづく思います。

実際翌日の便で宮崎に帰る前に、親父と二人で連れ立って愛知航空ミュージアムに行ってYS-11の機内の特別案内を受けることが出来ましたが、そこでの様子を見ていると元気とはいえ年寄りになったと感じる瞬間が多かったですね。でも、そこはさり気なくこちらがカバーしてやることでいろいろと出来ることも増えますので、今後もそれで行こうかと。

とりあえず、二人の年寄りが寄りかかり合いながらも何とか日常生活をえっちらおっちら送ってくれていることに私としては感謝しなければなりません。

セントレアに送っていった別れ際に「今度はクリスマスに来てくれ」と言ったところ、「生きとったらね〜」と笑って言いましたが、だんだん笑えなくなってきてます。
私は「縁起でもないこと言わんといてくれん?」と言って切り返しましたが、こうなってくると本当に元気で長生きしてほしいもんです。

そう言えば今回、四年ほど家にずっと置きっぱなしになって誰も乗っていなかった車を買った時に付いてきた折りたたみ式自転車を田舎で親父が使ってくれるということで送りました。脚を使って少しでも元気を維持してもらいましょうか。(^^)


2019年7月12日金曜日

一日中彼氏と話し続ける次女

お父さんには全く意味不明です。

カリフォルニアに住む彼氏と一日中LINEで繋がっているのです。文字通りの一日中!
どういうことかと言うと、まさにLINEを”切らない”のです。

双方向に許可を出し合っていて「何時でもコールして起こして良い」とのことなのですが、一度も切らずに繋がるっていうのは頭オカシイんじゃないかと思うんですけど、通信代を気にしない若い世代はそんなもんなんでしょうか。

見ていると、始終なにかつまらないことを喋り続けては"I love you ,too."等とささやきあっております。親としては鼻白む思いなのですが、若い彼女はこちらの意向など全く気にもしていないようです。

時々娘の携帯から彼氏のいびきとかも聞こえてくるのですが、一体何なんでしょうかねこの状況は?
おまけに時々私達の方にカメラを向けて彼に家の実況中継をしているという状況。私としては「プライバシーの侵害」ちゅう感じで甚だ迷惑でございます。(# ゚Д゚)

若く、恋に恋する時期というやつなんでしょうね。
私と嫁さんの予想ではまあ、遠距離恋愛ですので、続いてせいぜい数ヶ月。後は何事もなかったかのように静かになるのではないかと話しあっております。

ま、宜しくやっていただきましょうか。

2019年7月11日木曜日

増え続ける電子メール

時々気合を入れてメールを片付けます。

何度も何度も寄せては返す波の如く様々なメールが溜まり続けます。基本的には優秀なフィルターシステムのおかげで、多くのジャンクはほぼ確実にブロックされ、必要なメールのみが残ってくれていることは今まで何度も行ったゴミ箱探しで理解出来ておりますので、その点に関してはグーグル先生を信頼しているのですが、今の時代電子メールというのがどれほど個人や団体間の通信で意味を持っているのかということに関しては理解できていません。

たしかにアメリカの大学で仕事をしていたときはメールはそれなりの連絡手段として機能していましたが、研究者間で必要なやり取りというのは本当に親密な共同研究者とは直に電話で話をすることが多く、メールは論文の下書きや予算案の下書きを相手に送って構成や内容を吟味し合うときくらいで、いわゆるファイル交換システムとして使う感じ。

しかしながら、最近はそういった事もdropboxやGoogle Drive、MSのOneDriveを使うことでネット上のリンク名という形で相手にSNSで遣り取りが済むよになり、ファイルそのものは送らないで相手に開いてダウンロードしてもらうような時代になってしまいました。

では、今じぶんのメールボックスを毎日毎日埋めている大量のメールは何かと言うと、医学関係の情報サイトから送られてくる各種の情報かネットのニュースに関するリンク類がテザリングされた記事情報ばかり。

全体では火に100通ほど入ってきますが、本当に読みたい個人からの情報は最近では一月に一通から数通。その比率たるや!(^^)

日本に帰ってからはこの傾向に更に拍車がかかり、そもそも終了した会話等の通信自体を記録として残すことが無くなってしまいました。こうなると昔、自分の娘達が「チャットだけして後には何も残さない」と言っていた事に「その記録は残さないでどうするの?」と訊いていた自分に対して不思議そうな顔をされたことが理解できなかった当時の自分のことが逆におかしくも思えます。

とはいえ、ふた月に一回ほど気合を入れてメールを消去し読み込まなければいけないというような事態を避けるためには、本当に必要なリンク以外は吟味して消し去り、思い切ったサヨナラを言う時期に来た気がします。

結局の所、読み終わった後で「殆どの場合」読む意味どれほどあったかな?と考えるような記事が多いことを公開せねばならないかと考えると益々真剣に考えるときかなと思うのでした。


2019年7月10日水曜日

年寄りを笑っているのもまた年寄り

親父達がいる間に少しでも無聊を慰めようとテレビのYoutubeから「ご長寿クイズ」のチャンネルを出して見せました。

両親には案の定”大受け”でして、自分の年齢前後のジジババの珍回答や応答に声を上げて笑っておりました。
しかし、その笑っている両親をよく観察していると、テレビに出ている正答をかなりきちんと理解した上でその可笑しさに笑っているのはどうやらかなりの割合でオヤジの方だけで、笑っている母親の方はどうやらその本質的な部分には全く反応できていないことは明白でした。

結局、画面の笑いの雰囲気というか勢いに乗って笑っているだけで、画面の回答者たる”名人達”同様、多くの問題にやっぱり答えられなさそうのです。

嫁さんと二人きりになった時にちょこっと話したのは「歳を取るっていうのはこういうことなんやな〜」ということ。やはり、ズレている感覚に気づかなくなるということが歳を取ることなんでしょうね。

それが認知機能の低下であったり、純粋に若い世代との時代知識の差として若い人間から笑われる対象になるんでしょうね。
実際、歳を取ると多くの人は笑われている事自体に一緒になって笑ってくる人達が多いですから。しかし、そういう朗らかな加齢の仕方というのは周りの人に愛される人が多いですね。

逆にそれにいちいち、眼クジラを立ててプライドを高く保っているようだと年寄り同士の仲間にも入れてもらえないようで、人間関係って難しいもんです。

2019年7月9日火曜日

なんでも抱え込んではいけない

責任感の強い人がいます。

私とは正反対の人達です。しかし、この一群の中の人達でも特に何でもかんでも抱え込んでいく人達がいます。状況が見えすぎるが故に、そして仕事が出来るが故に「人に任せることの出来ない」人達が居るのです。

確かにある程度のレベルまでは能力のある人達がバンバン一人で前進するというやり方もあると思いうのですが、所詮、病院における仕事というのはチームワークの成果がほとんど。無論、個人として突出して仕事能力のある人も当然のごとく居りますが・・・それも続いていくと”疲れます”。

その挙げ句、その抱え込んだ仕事の量の多さに耐えられなくなって次第次第に自分が抱えている仕事の多さの原因が「自分を助けてくれない残りの人達」のせいと考えかねない思考回路になってしまいかねないリスクも孕んでいます。

それでも抱え込み仕事を続ける人の中には精神に失調を抱え込む人も出始めることがあり、”見切り”というか、いい加減さとの共存が出来ないと大変なことになる場合も。
不眠やうつ病を始めとする心のガソリン切れのような症状に悩まされる人も沢山いるのです。

うまく物事を、そして長く仕事を続けようとしたら「人の力」を美味く使わなければ。
一人で考え抜いて人類の最先端を切り拓いていくような1億分の1の飛び抜けて突き抜けた人物ならいざ知らず、残りの数十億人の人達は結局人とつながり、人を使い人に使われることでしか仕事を進め続けることは出来ないと思います。

抱え込まず、シェアする。
肩の力を抜いて他の人達に上手く仕事を振り分けていくってのはどうでしょうか。

2019年7月8日月曜日

夜郎自大に栄光あれ!

お隣の偉大な国家の皆さまの動きがなんだか慌ただしそうです。

まだ輸出制限にもなっていない、半導体材料の輸出管理の厳格化による第一歩のみで国を挙げての大騒ぎ。最初は日本はそういう手段は使ってこまいと高をを括っていたお隣さんの狼狽ぶりは初めて本気になった警察を見た半端者そのもの。

何時もは優しい口ぶりの日本のお巡りさんが実は国家権力の執行者であることを知った外国からやってきた犯罪者の皆様にとっての”驚愕の瞬間”と言ったところでしょうか。

”その程度の事”ではウリナラはびくともせぬと最初のうちは大人(たいじん)振っていた大統領閣下も、実務上の困難と実害が津波として押し寄せてくることを肌で感じる経済界の要請に、演技をしている余裕も無くなってきたようです。

日本は何処に行ったかも判らない戦略物資の行方に関して度々誠意ある説明を彼の国に求めただけだったのですが?要するに北朝鮮への援助をするなと言うことなんですよ〜。
これに対して説明責任を求めると日本に対して猛々しく言っておられるようですが、説明責任はオマエ等の方にあるのです、ロジックが通じない国の方々は大変です。w

後は毎度お決まりの逆ギレと国内混乱の独り相撲。ほとんど8:25分のドリフ、45分目の水戸黄門のような正確な”期待通りの”リアクションです。
優遇措置を外されただけでこの体たらく。日本が通商におけるwarrant外しを行った暁には・・・。(いい感じで淡々とウォン安も進んでいるようですが。)

自分たちで国辱とか言っている想い出の通貨危機がまたまたやって参りますよ?

大人は何時もは優しいけど、仏の顔も三度までって言います。(日本は何十度も耐えてあげておりますが・・・。)

2019年7月7日日曜日

七夕に当直

思わず疲れた当直でした。

七夕の夜くらいは夜空を眺めながらビールをプシュッと開け、一人で扇子を扇ぎながら後ろで家族の話す声を聞きながらつまみのカビの乗ったチーズをちょっとずつ齧っていく・・・なんていうのが夢なんですが、来年にとっておくことにしましょう。

実際は夜には院内で大変なことが起きていました。

ある患者さんが遺書をしたためて自死を選ぼうとした事が判明し、それを押し留める大変な一晩となったのです。以前にも何度か自死を試みた方だったということを後になって知ったのですが、私の以前の経験からしてもそれこそ”必死で”自死を試み続ける人を止めることは本当に難しい。

僅かな時間の隙間を見つけて人の居ないところから飛び降りようとしたり、薬を過剰に摂ろうとしたり、手首をザクザクとカットしたり、自らの身体を部屋のカドにぶつけて傷だらけになった状態で見つかったり。

人というのは本当に難しい生き物だなと思います。患者さんは思いつめていても「死にたい、死なせて下さい」等という事を直接に医師に言ったりすることは本当に少なくて、本当にフッという感じで病棟から居なくなったりしたあと悲劇的な行動を取る事が殆ど。

自分が思い描く七夕の夜の夢とは反対に、自分の命を消そうとしようとする人もいるという現実。診察や対応をする私にその辛さや遣る瀬なさがゆっくりとのしかかってくるのでした。

そういう時は本当に深い溜め息が私の体の底から漏れ出してきます。

2019年7月6日土曜日

人生初の新幹線乗車のお手伝い

両親の来名中に私自身が両親を相手にする事ができる時間が少ないため、思い切ってオヤジの願いを叶える行動に出ることにしました。

実は親父は80年の生涯において未だに一度も新幹線という乗り物に乗ったことがないという人でした。ですから今回の宮崎からの名古屋訪問においてもわざと新幹線に乗って名古屋までやってくるという選択もあったのですが、問題は宮崎から福岡まで出てくるまでの路線もしくは鹿児島まで出て九州新幹線を乗り継いで名古屋まで来るという方法も話としてはあったのです。

しかし、両親ともに既に80歳で歩くのもそう達者ではない状態ですので、それはそれできっと疲れるだろうと言う推測のもと、やはり名古屋までの移動は飛行機を使い名古屋に来てから私が親父を近隣の新幹線停車駅まで乗せて行って一緒に観光してまた戻ってくるというルート設定をしました。

しかし、名古屋から大阪や京都に行くとしても今時の京都などはきっとごちゃごちゃに混んでいるでしょうから西の方に走るのは止めて、今まで行ったことのない浜松に行って楽器博物館とスズキ歴史博物館に行こうということですぐに具体的移動法を検索して朝の9時半過ぎの新幹線ひかり号に乗車しました。

息子も乗り物好きですので、わざと地下鉄、新幹線、ローカル線というふうに乗り物を乗り継ぐ旅のセットアップをしましたが、名古屋からは30分ほどで浜松まで到着してしまいます。

車中の親父を後ろから見ていると、最初こそ窓の外をキョロキョロ見ていましたが、すぐに頭がカクンカクンとなってしまいどうやら入眠中のご様子。さすが80歳です。w
でもまあ、死ぬ前に新幹線に乗って良かったと言っておりましたし、「後はなんとかリニアに乗ってみたいもんだけど生きとるかな〜」等と言ってましたので、「まあ、開通はすぐやし何とかなるから生きとけば良いョ!俺が乗せたるし。w」等と言っておきました。

浜松では本当にびっくりするくらい充実した展示の楽器博物館を訪れてちょっとしたお土産を買った後、餃子で有名な「福みつ」に行って厚皮で揚げた餃子をぱくつき(私だけビールも飲み)直ぐに浜松駅に戻りローカル線に乗ってスズキ博物館へ移動。
入場してすぐにあるガムランの大展示。美しさに圧倒されます!
地下一階もいろいろな楽器の展示で溢れかえっています。
特に珍しいピアノ群は見もの。
アフリカや東南アジアの楽器展示も充実。
いろいろな楽器の発展・発明の歴史もよくわかります。
ニンニクが強いのですがビールに良くあいます!
ここでも懐かしのスズキの歴代チャンピオン達の駆ったバイク群や軽自動車を沢山見せてもらいBOYSとしては大満足。
やっぱスズキは二輪では強いです。
親父も熱心に見入ってました。
懐かしの車も当然展示。私が小さい頃はまだ普通に走っていた車です。

工場の向かい側にある博物館です。小さいけど中身は充実。
スズキそのものですネ。
最後は再び新幹線に乗って帰宅しましたが親父は当然のように爆睡して居られました。w
男たちだけの珍道中。とりあえず何もアクシデントなしで良かったのですが、ツアコンの私は精神的にドッと疲れましたとさ。orz


2019年7月5日金曜日

九州から両親来名

恒例の夏の両親来名。

我々が名古屋に帰ってきてからというもの私の実家の両親が毎年、年に一、二回この家に遊びに来るようになりました。会う前提としては実施である私ではなくて孫に会いたいというもの。

宮崎からの飛行機代等の御足代は私が持ちますが、滞在中は引っさげてきた小銭を渡しの知らないところで嫁と孫たちに使ってくれているようです。通常この情報は嫁さんからコッソリ入ってきます。(まあ、私はその都度両親には有難うとは言っているのですが。)

嫁さんの実家である長崎からはなかなか来ませんというか親父さんが癌になったあと、飛行機に乗って遠出をするのが苦痛になってきたというのが大きな理由と言うか、ゴルフをするわけでもないのでやはり名古屋には御義父さんの愉しみがないと言うことなのでしょうね。

今回は午後の便に乗ってブーゲンビリア空港からセントレアへと飛んできました。前回と違って今回は連絡バスには二人で乗ってきてもらい、藤が丘で私が嫁さんと二人で両親をピックアップ。(ちょっとだけ早く病棟での仕事を切り上げて迎えに行きました。)

ちょっとガックリ来たのは前回にも増して両親が”歩く”という行為において老化の度合いを深めていることが見て取れたことでしょうか。母親の方は多分、バイクでコケたのを機に傷めた膝の具合が加齢とともに益々悪くなったということ。父親の方は痛風で足に痛みが来ているためそれで歩きにくいという状況。

尿酸値が高めなのは父方の遺伝的背景が有るようで、プリン体摂取などとは無関係に親族全員がほとんど高尿酸血症という状況。私も要注意です。

何はともあれ家まで両親を連れてきて落ち着いてもらいました。

これから一週間、何かをしてあげないといけませんが、私無しでもどうせ嫁さんがいろいろと気を使ってあちこちに買い物その他に行くことでしょう。私はおまけです。w

2019年7月4日木曜日

そういう話もあるのかと

昨日の離婚の話は看護師さんの件でしたが、医師も同様にあります。

実は身近な先生が奥さんから離婚を切り出されたという話を伺いました。細かな話をするといろいろと身元を推測されるますので詳細は書きませんが、私自身は以前からその先生のことは大変尊敬している方なのですが、その先生がポツポツと語られる奥さんの話は正直「・・・」というものでしかありませんでした。

その奥さんは元看護師さんらしいのですが、先生の御実家の父君からも大変嫌われ実質的な絶縁状態。その理由というのもよく聞くと「まあ、そりゃそうでしょうな〜」というような話の連続。

私自身はその先生に「これ幸いじゃないですか。さっさと離婚して先生の持っている財産ごとゼーンブやってしまって残りの人生一から仕切り直しで良いんじゃないですか?そのほうがスッキリしますし、子育ても実質的に終わっているからそのほうが良いですよ。しかも先生なら今丸裸になっても経済的な再構築は容易だし、そもそも何の落ち度もない先生に奥さん側がこうやって話を切り出しているんだから渡りに船!減額も何もせずにすべてを手切れ金という形でサヨウナラで終了です。」と話しました。

しかし、先生が離婚の受諾手続きを進めている途中で今度は奥さん側がなんか折れてきたとかいう残念な話が持ち上がってきた為に離婚のプロセス自体が一旦頓挫してしまったという話。

これほどの人格者たる先生にこれほどのストレスを掛け続ける配偶者とは如何なるXげマXなのか・・・。

騙されたんだと思います。若い頃の過ち。
踏ん張り直してでも別れたほうが良いと考える外野の私でした。


2019年7月3日水曜日

離婚と経済力

意外でもなんでもないのですし、ここでも何回か書きましたが看護師さん達の離婚率は本当にびっくりするほど高いです。

あっちもこっちも、「え〜、あの人も?」というような感じで本当に回りは老いも若きも離婚離婚。やっぱり仕事さえしていればそれなりに、(生活は楽でないにしても、贅沢さえしなければ)自活できるからだろうなというのが私の持論。

男の理不尽さやパートナーとのソリの合わ無いことに対して長々と我慢しなくても良いのが良いところでもあり、離婚を選択しやすくしているのでしょう。

しかし、子供を養育するとなると別れたパートナー側からの幾ばくかの毎月の慰謝料などが払い込まれ続けることがある程度の生活の水準上昇を担保する鍵なのでしょうが、離婚をしたという看護師さん達の話を聞く限りではそのパートナーからの払込みが滞りがちだったり、あっという間に払われなくなったり・・・等というのもどうやらごく普通のようで。

中には新しく新家族と生活を始めた過去のパートナーを追い詰めるのは可愛そうだからもう払わなくてもいいなどというような事を言う慈母観音のような人も居られるようで、これまた私的には理解の外にあるやり方なんです。
相手の家庭のためにとか言いながら、理不尽な旧パートナーのせいで別れる羽目になったのに、その相手を慮って子供と共に苦しむという理屈が私には全く理解できません。

しかし世間一般の平均的な養育費の支払状況を見てみても、実際には払い続けない男たちのほうが大多数のようですので、別に看護師さんたちが選んだ以前のパートナー達が特別なダメ男でも無さそうです。w

最近までの離婚件数と離婚率のグラフですが、したのような感じになっているみたいです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20170925-00076051/
まあ、子供のしがらみが無くなったら離婚と言うのではなくてやっぱり相手が嫌で嫌でという感じで早めにサッサと別れちゃうんでしょうかね・・・。知りませんが。
こんなのは全くの個別の事情でしょうから一般論で着るのも難しいのでしょうが、詳しく語れるのは離婚弁護士くらいなのかな?


2019年7月2日火曜日

ふと考えたことですが・・・

我々名古屋に住んでいますが、昔っから言いますよね東海大地震の到来。

しかし、今のところは何のそれらしいことも起きず静かな日々が続いています。とは言え、天災は忘れたころにやってくるという例え通りです。昔から来る来るとは言われていたものの、まさかあの規模で発生するとまでは思われていなかった東北にも未だに爪痕も生々しいままで恐ろしい被害をもたらし万単位の方々が亡くなられました。

東海地方を同じような規模の地震が”もし”襲ったらなどと言われていますが決して”もし”ではないという事を何度でも肝に銘じておく必要があると思います。

名古屋の古地図を見るとよく分かることですが、名古屋駅周辺を含め多くのエリアはほんの数百年単位昔で、多くのエリアは波間の中にありました。熱田神宮などは陸地ですが、今でも名合屋のあちらこちらの地名にはXX島という不思議な名前がついたところがあちこちの平地にありますが、実は不思議でもなんでもないのです。
約1300年前の古地図。以降、これが何回か模写されたと言われる尾張国古地図などがありますが、よく見ると現代の地名の飛島や長島、沖之島等今でも残る低地の殆どは海に浮かぶ島々であり、その周りのエリアは当然のごとく海面下!

そう考えると津波がやってきた時に何処が波に飲み込まれやすいかは一目瞭然ですよね。
幸いにして私の家は古地図の上でも陸地にはなっておりますので、多分津波には大丈夫かと思っているのですが、揺れに対してはどうなるかなど全くもって予測不可。

多くの地震ではまさかあそこがというようなところが潰れたりしていますので、ひたすら自身の波の周期が建物と共振を起こしたりしないように祈るばかりです。
この前の東北大震災の時に起きた超高層ビルの揺れなどもひたすら魂が凍るレベルのものでしたが、如何なる建物も巨大地震の前には無事では済まされない可能性があることが判ってしまっている以上、悪い意味での当たりくじが己の家に重ならないことを祈るのみです。

なんだか100年位は大外れであって欲しい今日のブログとなってしまいました。


2019年7月1日月曜日

遂に働き出した次女

子ども達の早期教育のための英語学校で本日から遂に次女が働き始めました。

Pittsburghではbranch系のカフェでバイトする経験のあった次女ですが、日本では以前ここに書いたように家庭教師でほんのちょっとだけ家庭教師をした経験しかありません。
果たして日本で彼女にどんな仕事ができるのか?と考えた時に嫁さんが探してきてみたのが今日始まった仕事。

次女によると0歳児から3歳時のクラスと4歳児から6歳時のクラスの2つを他の先生方と受け持つようです。クラスの多くは女性が多いようで、大体1:4で女性が多いようです。そういう意味では保育園、幼稚園似通う子供達の為の英語を使用した教育機関と考えても良い感じでしょうか。

英語の話者もEnglish・Irish・Canadian・Phillipino・Austrarian・American・Bangladesh等から来られた先生方がおり、当然の様に現実世界と同様の多種多様の英語を話す先生方が居るようです。

実際のところ授業に参加し初めて娘が理解したのはやたらと子供達が娘に向かってタックルしてくるということで、子供達から「あなたは子供だ〜!」と言われるんだそうです。
まあ、他の先生方がもう少し年上のお母さんだったりする中で二十歳の娘はやはり相対的に若く見られてしまうんでしょうね。

とりあえず仕事を辞めんで淡々と続けてもらいたいもの。
その間に色々なアートワークを仕上げていって来年のアートスクールへの転籍を目論んでいるようです。詳しいことは話してきませんが・・・。w