吉本の小藪さんを起用してのものですが、厚労省によると基本的には「人生の最終段階でどんな治療やケアを受けたいか、家族や医師と事前によく話し合っておこうという取組の普及啓発を目的にした」ものだそうです。
その弁や良し。しかし、これに対しがん患者の治療やケアをする団体から直ちに抗議が入ったとのこと。まあ、私のような場末のヤブ医者から見ると感想は唯一つ。
病院にはちょっと貼れんシロモノやな・・・
ということに尽きると思います。しかし言っている内容は実に大切な内容で、日常の臨床の現場ではそれがない事から起きる種々の問題が結構、毎日この日本のどこかの病院で起きているのです。間違いなく。確かに小籔という吉本新喜劇のキャラを使ったことで、裏側に何となくウケを狙いながらも「大事なこと言っとこう」という感じで出したのだろうと思うんですけど、同じ内容でも関西ならまた違った受け止め方をされたことでしょう。これまた間違いなく。w
東京の「間違い許さん・political correctness」というドグマの上では完全にアウトになるんでしょう。また、厚労省なんて言うハッキリ言うと我々医師から見て余計なことしかせん役所みたいなところが叩かれていることに関しては何の同情もしないのですが、(再び言いますが!)問うている内容は特に突き詰めるまでもなく、実に大切なことなのです。
私は患者さんの中で死の迫っている可能性の高い方の御家族に対する説明を諸々合算すると最低でも30分以上かけて行うようにしています。(通常はそれ以上になりますが。)
その中で、実例を出したり己の例を出したりしてあくまで「医師としての正直な思いを述べて」親族たる患者さんが、どうあるべきかを御家族と一緒に考える時間を持つことで、最後にはそこにいる全員が患者さんと最後に持った僅かな時間であっても、後悔の最も少ないものにしようと必死です。
結局、今の令和の時代でも(感覚的には凡そ半分弱か三分の一くらいか?)結構な割合の方々がこの患者さんが戦っている最後の日々の中で、初めての人生会議を開くことになるのです。とは言え、ここ最近思うのは若い世代を中心に自分の親や己の最後における処置の方向性を既につけて病院に入院してきている人の多いことです。
そういう私も既に自分の両親とはこの手の話はとっくの昔に済んでおりまして、基本「ごく短期間で消えゆく命とわかっている時に余計な延命はしない」「痛みは可能な限り取る」「経済が常識的に許す範囲で治療できるものであればそれなりに頑張る」というものです。しかしながら、自分と親に関しては実際のところもっと諦め早くて、親はどんな事があろうともう多分何もしないと思います。私もほとんど以下同文。w
まあ、私の場合は家族がもう少し金残してから三途の川渡れと言う指令があればもうちょいだけネジ巻かざるを得ないような年齢ですけど、それでもそれほど長生きに執着は無し。いろいろな方々の最後を看取る日々ですが、正直なところそれなりの歳になれば男らしくスパーッと割り切りたい自分自身なのです。
単純思考の我が家では既に終わっている人生会議ですが、多くの人には宗教観や哲学の問題も絡んでそう簡単なものではないのかもしれません。
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