2019年11月24日日曜日

組織の「長」選びの難しさ

世の中、あるポジションに就いたとしても「なりたくて取ったポジション」と「能力の結果周囲に当然と見做されて就くポジション」があると思います。

特に、後者はその秀でた能力の結果、周囲から請われて「嫌と言っても」就任せざるを得ない人まで居ます。大企業のトップなどでもどちらでなって居るか外からは判らない人もたくさんおりますし、大学などでも事情は同じです。

申し訳ないけど、一体あんたは何がしたくてそのポジションで仕事してるんだ?というような御仁もゴマンとおるわけですが、難しいのはそこからで、組織のトップに周りの多くから請われてなったような人が就任したからと言ってその企業・団体・大学などが上手くいかないなんて言うこともこれまた普通。

どのような人を頭に据えるかによってその組織の将来の発展の有無が規定されるわけですから、これは大変な問題なんですけれど、多くの場合は意外とそんなモノとは関係なしにそういった人物の据え付けが行われているのが実情じゃないんでしょうか。

同族企業だったらバカでも年の順で・・・とかも普通でしょうし、能力に関係なく学閥の関係で・・・とかもこれまた普通でしょう。組織がでかくなればなるほど「人選び」はその組織の浮沈の結果起きる波頭の高低が与える影響もでかくなるものですが、組織って賢い人が集まって愚かな決定を下すのが毎日のように行われるところですから、それも込みで「その組織に己が属してしまった運命」を良しにつけ悪しきにつけ甘受するしか無い人達が日本人の殆どなんではないですかね。(国は選ばないでしょうが沈没するまで逃げ出さない人の割合が多いのはアメリカよりは遥かに日本が多そうです。)

能力や資格があれば出ていけばよいのでしょうが、そうは行かぬという人達が世の中の大勢。良かれと思って乾坤一擲で選んだ組織がそのトップの人選が酷く誤りであったために、自分の投げた賽が人生最大の愚かな賭けになってしまう事もこれまた有りでしょう。

ただ、「信じて良い」と思った人と討ち死にするのも仕事人(じん)としては有りなのかもしれません。人生一回きり。最悪でも「死ぬだけ」ですからね。やるだけの事をやって失敗したならそれは良い一生だと思います。結果の善し悪しなんて言うのは他人の目さえ気にならなければ大した問題ではないですからね!

ただ、家族は困りますが・・・。


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