2019年11月30日土曜日

フォート・ナイト面白そうです

義理の妹達が突然家にやってきました。

東京に住む彼女の義理の父の具合が悪いとのことで、危篤状態とまではいかないまでも「まだ意識のある元気なうちに」会いたいとの先方の意向を汲んでの週末の東京訪問だったようです。

先方での滞在を終えて帰路に一晩、姉の家である我が家に泊まることにしたようです。彼らは高校一年と小6ですから、勉強やゲームに忙しい時期です。
実際、下の弟の方は家にあるPCでフォート・ナイトにハマっているようで、キーボードとマウスを毎日ガンガン使ってランキングを上げているそうですが、私自身はフォート・ナイトがどんなゲームか大体わかっていても操作の細かい点は全く理解していないので、訪れてきた今回を吉日として実際に目の前でやってもらいました。

最初のうちはレベル1からなのですが、ほとんど相手はコンピュータ。しかしアッという間に順位を上げて行く中で次第にリアルな人間が相手として出てきます。私のゲームキャラ名を使ってすぐに大量の金メダルを集めていってくれるので、横で見ていても頬が緩みます。

しかし、我が家ではプレステ4のスティックで戦わなければならないので、いつものキーボードとマウスで戦うスタイルとは全くの別物。ところがそこが若さなんでしょう「うーん、やっぱ勝手が違う」などと言いつつもレベルを5つほど上げるうちにもう一年前からやっているような感じで前進していました。

フォート・ナイトもやりようによっては全く無課金でかなり遊べますから、今後私もおずおずながら暇を見つけてやってみようかななどと一瞬考えてしまいました。
後は初めてVRを使用してみて「おお」「わー」等と、いかにも初めて見てびっくりと言う感じの反応を示していたのが面白かったですね。

その後、明日の当直に備えて早く寝てしまいましたが、彼らとは物理的な距離が遠いことも有り、滅多に会うこともないので一緒についてきた甥っ子二人と義理の妹にも嫁さんからお小遣いを渡してもらいました。(私が家を出た後勝手に渡してもらいました。)

これから彼らも大学受験や中学生活をいろいろ経験していくことになりますが、シンプルに「頑張ってくれ!」と思った名古屋のオジサンでした。


2019年11月29日金曜日

不動産投資とバカ医者

この職業をしていると珍現象に遭遇します。

その中でも昔から特に多いのは、病院に不動産屋共が名前を偽って電話をかけてくると言う現象。これ本当に全国でごく普通の現象で、医師のフォーラムでも時間をおいてこの手の話は繰り返し出てきます。

一体どういうことかと言うと、投資用に分譲マンションを売り込んでそれを「節税」と称し可能な限り多く売り込もうというものです。
基本的に、病院というところは他の病院や役所、身元の確実にわかっている患者さんの家族からの電話などを除いては電話を直接医師に繋ぐことはまず有りません。そもそも、一旦受付側でいろいろと聞いた後に医師に一旦繋いで良いか否かもう一度聞いてきてからやっと繋がるものなのです。

しかし、それでも不動産会社のインチキ野郎達は偽名を使い、医師の友人を騙り、病院名を騙り電話をかけてきます。とは言え・・・通常は私に繋がった瞬間に一秒で無言でシャットダウン。w

相手のインチキ野郎が怒る間も、それに反応する暇もなくラインをカットされる訳ですから、この手の電話を少なくとも「私向け」にはもうしなくなるのです。
ところが、医師の中にも気の弱い人・アホな人・学ばない鈍い人等いろいろ居られまして、こういった電話を受け取った後いろいろな嘘に満ちた宣伝の電話を10分、20分と説明を受けていろいろと話す御仁が居るのです。

まあ、それはそれでお目出度い話なんですが、最終的に本当にこんな物件に投資してしまうアホが世の中には沢山いるのです。こんなもの、本当に儲かるならプロパー自身が投資運営すればよいだけの話。そういった根本の部分がわからないというのがお目出度いんですけど。

しかも、挙句の果てにそんな物件を10も20も買って自転車操業でヒーヒー言っている大馬鹿も実際に私の身近にもおられます。ごく最近全ての手持ち物件を売り払って一安心されたらしいのですが、伝え聞くところによると結局メチャ苦労した割には最終的には全く黒字にならなかったとのこと。猛烈に手間暇ばかりかかって大変だったと言うことです。

まあ、眼の前に霧がかかったような脳味噌の持ち主なんでしょうね。お目出度い方です。勿論全く同情も致しませんが。w


2019年11月28日木曜日

認知症に関する大いなる勘違い

認知症になった人、認知症と言われた人が身近にいる人は今の時代どこにでも居ると思いますし、このブログを(たまたま)読んでいる人自身もごく身近にそんな方がいるかと思います。

病棟に居て最近再び痛感したのは一部の看護師さんに認知症と呼ばれる患者さん達に関する大いなる誤解があるのではないかという事。今年の忘年会で一言注意喚起をしようと思っているのですが、ある種の誤解(一般の人にも多く広まっている完全なる誤解)に関して、それが完全なる誤解であることを心から再認識してもらわなければならないと思っています。

言ってもわからない輩はやっぱりなかなか理解できないし、理解している人は言うまでも無いと言う感じでこれまた本来説明の必要はないのですが、わからない人のために言っておかなければならない事。それは認知機能がいくら落ちていても人には「豊かな感情」が残っているということなのです。

この最も忘れてはいけない一点、そしてその一点をこそ頭の中にしっかり焼き付けていただきたいのです。

自分の親が認知機能が低下した時に、それを自然の出来事と迎えられるか否かというのは実際の生活の中ではそう容易ではない問題なのですが、そうなってしまった人をもう何を言ってもこちらの言うことが伝わらない「モノ」のように扱うのか、それとも記憶や理解の能力が低下しているだけで、実は心の底には若かりし頃と何も変わらぬ「怒り」「喜び」「恥」「悲しみ」などの激しい感情が普通に残っている人達だということを理解して接するのか。

それによって大きく患者さんと自分達の関係性が変わると思うんですが、どんなに経験を積んでもその一点が理解できない看護師さんが居るという事実にいつも私の心が疲れます。

こういう「人の心に対する理解力の差」というのは小さい頃からの育てられ方の差なのでしょうか、それとも知的能力の問題なのか。フラットな感情の持ち主にはそういう人の心の襞に関する先生な出来事は理解し難いのかもしれません。

教育というのには限界があるのだということを感じる機会も実生活では多いのでした。


2019年11月27日水曜日

眠れない時どうする?

昨日は結局あっという間に眠れました。

病院の若い友人達と酒を飲み、ちょっとしたものを食べながらいろいろと語らったのですが、その後二次会が終わったらサッと家に戻りました。昨夜からの浅寝の影響がまだ残っておりましたので、今日はもう十時過ぎには家に戻って早く寝る!と心に決めての行動でした。

家に戻った後はアマゾンで「武士の魂」という山本周五郎の連続ドラマを一話だけ見て涙を少し流してから寝床に入りました。気付いたときにはもう夢の中でした。

次女は一度だけ帰国後にベルソムラという眠剤を半分だけ使用して眠りにチャレンジしたことが有りましたが、彼女の一言によればもうそれこそ「引きずり込まれるように眠ってしまった」とのことでした。それ以来彼女は一切使わなくなってしまいました。

私自身は生まれてこのかた眠剤というものを使ったことは有りません。一度使うとそれに頼ってしまうのが怖いからなんです。実際、入院中の多くの高齢者の方が眠剤をリクエストされますが、中には私と同じように「決して」使おうとしない患者さん達の一群が居るのも確かです。

入院中の単調な生活においては昼夜逆転は最も頻繁に起こる現象。どうしようもなく深夜に眠れなくなっている患者さん方は多いのです。

この人達に年令や原因、薬のマッチングを考えながら高品質な眠りを提供できる医師は患者さんに感謝されることが多いのです。そういう場合でなくても、譫妄を起こすリスクが減ったり疲労の減少度合いが高まったりして患者さんには色々と良いことが起きます。

ただし、大事なのは「可能な限り」依存のリスクを高めないこと!

患者さんのみならず、医師や看護師の中にも眠剤から逃れられなくなってしまっている人も全世界に沢山います。いわゆる中毒性の高い薬物にはまり込む人まで居ますが、それは極端な例とは言えベンゾジアゾピン系と呼ばれる薬は特にこのリスクが高まるのです。

私個人としては、この手の薬剤には何となく「中毒への入り口」という感想を持っておりますので、手を出さないんですけどね。とは言え世の中には必要な薬剤でもあります。
自分に使わないクスリを患者さんには?と言われると実に心苦しいのですが、正直答えがありません。


2019年11月26日火曜日

眠いのに眠れない

当直で比較的激しい対応が続いたときには心も体も大変疲れます。

ところが、どんなに疲れていても看護師さん達からは容赦のないコールが入ってくることがありますからこちらの神経も朝の始業時には既にぐったり疲れていたりします。

実際のところ、仕事が始まってしまえばそんな事など関係なしに日常の業務は滞らせることなく進めては行くのですが、やはり日中にあくびをする回数は増えてしまいます。
もうすぐ始まる病院での働き方改革の導入がしっかりワークすればこのような連続業務は原則的に「禁止」となってしまい、それが出来るのは「院長のみ」となってしまうらしいです。

とは言え院長と呼ばれる人達は通常還暦前後の人から上、そんな事を続けているとやがては体や心に不調をきたしてしまうのは間違い有りません。やはり医療の現場では職務内容の絶対的物理量が「どう考えても」医師などが健康に働けるボリューム以上のものであることは間違いないと思います。

勿論、これは職員間で大きな差があって「ゆったり出来る」レベルで働いている方々もいるのですが、少なくとも前線に居る内科や外科医、小児科医の多くはとてもとても疲れてしまっている人が大変多いと思います。

若いうちは良いのですが、やがてそれらの人達もベテランと呼ばれるようになってくると、頭はまだまだ問題なくても体はついていけなくなり始めます。
私も50を過ぎてくると無理やりしなければならない時の連続当直などが入って来た時に「インシデント」が重なると翌日はダレダレです。

そんなときには妙に眠れない。体は確実に疲れているし、昼間はやたらとあくびが出ていたのにベッドの上でゴロゴロするばかりで意識はその日に行った仕事の内容から離れられないことが多くあります。
こんな時は最悪。二時間ほどゴロゴロしながらもやはり眠れないという状況。結局、その眠ろうという努力行為自体に更に疲れが蓄積してしまう感じで、ロクな事はありません。

とは言えこれも仕事。何とかならんもんですかね・・・。


2019年11月25日月曜日

人は自分の価値を証明したい

病院の中で入院しておられる高齢者でもヘルパーさんのお仕事などのお手伝いをしたがる人達は意外とたくさん居られます。

足が不自由でも上半身は完全に動かせる。認知症はあっても簡単な仕事ならお手伝いできる。そんな人達が、手伝えるレベルは高くなくても誰かのお手伝いをしようと自ら手を差し出し、勇気を出してオファーをし「何かお手伝いできることはないですか?」とおずおずと病棟職員に聞いてくることがあります。

ヘルパーさんの中にはそのような人達のオファーをニベもなく断る人もおりますが、上手な対応ができる人は一瞬考えた後、一緒に立ち仕事や座り仕事をする感じでお婆ちゃんと楽しそうに洗濯物たたみやタオルたたみをして貰っているようです。

私は当初そのような光景をニコニコと横目で見ながらも「安静・服薬・リハビリ」などの時間の過ごし方ににも慣れず、その他の圧倒的に暇なスキマ時間をどう過ごすかに戸惑っている患者さんの一つの時間の潰し方なのかなと簡単に考えていたのですが、以前自分の母親がやっていた民生委員の仕事のやり方のことを思い出して少し考えを変えるようになりました。

歳をとった人達であっても、不幸にしてなにか障害を得てしまった人でも、自分が出来る事をして「誰かの役に立つという喜び」を心のエネルギーにしたいのだと。
体にとってのガソリンは食い物ですが、心にとってのハイオク・ガソリンというのは人に喜ばれることだと思うんです。

勿論、発見や願望達成の喜びなど、心の燃料の種類は各種あると思うんですが、人に感謝される事によって得られる喜びほどオクタン価の高い喜びも余り無いんじゃないんでしょうか。

無論、その喜びを得られることによって、障碍や病を得て自分に元気や自身が無くなっていた方々が生きがいを取り戻してくれるのであれば、我々医療者の側は患者さんの安全や喜びが担保される範囲で、種々の簡単なお手伝いを日頃からなにがしか考えておくのも有りかな?と考えた次第でした。

飾りとなる折り紙を折ってもらう、チラシを使って簡単なゴミ箱を作って貰うなどというのも立派な仕事です。今度忘年会でそんな事も話してみようかななんて思ったのでした。


2019年11月24日日曜日

組織の「長」選びの難しさ

世の中、あるポジションに就いたとしても「なりたくて取ったポジション」と「能力の結果周囲に当然と見做されて就くポジション」があると思います。

特に、後者はその秀でた能力の結果、周囲から請われて「嫌と言っても」就任せざるを得ない人まで居ます。大企業のトップなどでもどちらでなって居るか外からは判らない人もたくさんおりますし、大学などでも事情は同じです。

申し訳ないけど、一体あんたは何がしたくてそのポジションで仕事してるんだ?というような御仁もゴマンとおるわけですが、難しいのはそこからで、組織のトップに周りの多くから請われてなったような人が就任したからと言ってその企業・団体・大学などが上手くいかないなんて言うこともこれまた普通。

どのような人を頭に据えるかによってその組織の将来の発展の有無が規定されるわけですから、これは大変な問題なんですけれど、多くの場合は意外とそんなモノとは関係なしにそういった人物の据え付けが行われているのが実情じゃないんでしょうか。

同族企業だったらバカでも年の順で・・・とかも普通でしょうし、能力に関係なく学閥の関係で・・・とかもこれまた普通でしょう。組織がでかくなればなるほど「人選び」はその組織の浮沈の結果起きる波頭の高低が与える影響もでかくなるものですが、組織って賢い人が集まって愚かな決定を下すのが毎日のように行われるところですから、それも込みで「その組織に己が属してしまった運命」を良しにつけ悪しきにつけ甘受するしか無い人達が日本人の殆どなんではないですかね。(国は選ばないでしょうが沈没するまで逃げ出さない人の割合が多いのはアメリカよりは遥かに日本が多そうです。)

能力や資格があれば出ていけばよいのでしょうが、そうは行かぬという人達が世の中の大勢。良かれと思って乾坤一擲で選んだ組織がそのトップの人選が酷く誤りであったために、自分の投げた賽が人生最大の愚かな賭けになってしまう事もこれまた有りでしょう。

ただ、「信じて良い」と思った人と討ち死にするのも仕事人(じん)としては有りなのかもしれません。人生一回きり。最悪でも「死ぬだけ」ですからね。やるだけの事をやって失敗したならそれは良い一生だと思います。結果の善し悪しなんて言うのは他人の目さえ気にならなければ大した問題ではないですからね!

ただ、家族は困りますが・・・。


2019年11月23日土曜日

次女がアプリケーションを出し始めました

一体何を考えているのか皆目見当がつきませんが・・・。

とりあえず、Pittsburghからのトランスファーを考えていると言った後、いろいろと“自分なりに”考えて候補を8つ位持っているみたいです。
そのうちの一つを選び出していわゆるearly decisionという奴で受け入れを狙っているようです。

その第一番目がThe Cooper Union for the Advancement of Science and Artというところみたいです。正直全く知らなかったんですが、その方面では結構入学が難しいみたいで、acceptance rateはほとんど長女が通ったホプキンスと変わらない感じですね。

取り敢えず、early decisionを受け入れると数パーセントは受諾率は上がるみたいなので、取り敢えずはそれに“も”賭けてるみたいです。

とは言え、もしそこに受かったら長女の住んでるところから地下鉄でそんなに遠くないところですから、たまには一緒に遊んだりするんでしょうかね?まあ、そういう事は受かってから考えないと全くの狸の皮算用ですし、碌な事はありませんので、アプリケーションなんて言うのは出してしまった後は、今までの感触からして「出したことを忘れてしまうくらい」が丁度いいと信じております。

待てば海路の日和あり、なんでしょうが、アプリケーション費用は毎度私が出すんですけどね・・・。さて、次はどこに願書を出すのやら・・・。財布に厚みが出る暇もありません。orz

2019年11月22日金曜日

dカードケータイ補償通った!

結局認められました。すんなりと。(結果論ですが!)

自分のiPhone8のキャッシュレス決済ができなくなった原因を調べていく中で判明したNFCの故障。結局アップルの方に持っていっても修理はできず交換になると言われたことを確かめた上でドコモに連絡して今回の査定と交換になりました。

dCARD Goldで補償がついているdカードゴールドに入っておりましたので、何の滞りもなく交換されるだろうと思ってはいましたが、実際に通知の一通が来るまでは少しだけ不安でした。

もし審査の結果がネガティブなものであれば最初から新機種に乗り換えたほうがよっぽど良いというのは判りきっていましたので、結果次第では後悔することになりかねんな〜等と考えていました。

結局、昨日届いたdCARDからの通知では[補償金額79,056円]と書いてありました。とりあえずは当初の目的通りきちんと機種交換できた上にその交換した機種がきちんと金額保証されることになりました。(要するにただでリフレッシュ品になっただけなんですけどね。)

月々幾らというような保険にあたるような支払い無しで三年間で最大10万円まで保証されるわけですから、万一の場合にこれを使わない手はありません。
いくら傷つかぬように使っていても、なくさないように気をつけていても日常で使う道具ですから何かが起きる可能性は日々重なっていくものです。

この手のことには何らかの小さな備えをしておくのが安全だということなんでしょう。
今まで、アップルの保証も含めてmacbookその他アップル製品が壊れてしまったことは俺こそ数しれず。

電気製品というのは比較的容易に壊れると考えて備えておくのが後悔しないための王道ということでしょう。


2019年11月21日木曜日

「清潔感」の個人差のデカさは果てしない

入院して入ってくる人達の身なりは皆それぞれに様々です。

しかし、それをそれぞれの人がどう思っているのかはまた全く別の問題。
己の格好がみすぼらしいと感じている人がいると思えば、全く気にしない人もまた沢山おられます。しかし、その患者さんを家から連れてくる時の様子を担当の人から伺うと「多くの家出は、玄関からすぐに尿が一杯詰まったペットボトルが山のように並んでいたり、一体何だか正体がわからない謎の液体や半固形の物質が畳の上に流れたり付着したりしてるんです」とのこと。

そして実際のところ、その殆どは尿や糞便です。

しかし、それを不潔とは思わない精神構造がそこには既に組み上がっています。自分が出した糞便や尿が家に流れていても、それを本人が不潔とは思わない限りは本人にとって特に何の問題もないわけです。しかし、問題は他の多くの標準的な清潔感を持っている人たち。

普通の人はたとえ自分の少量のクソであっても自分についているのは嫌だし、小便が体にまとわりついていることも勿論嫌です。ところが、一部の方々はそもそもそういう事に気が付かない。例え気付いていても(多分気付いていませんが)自分が猛烈な尿臭や便臭を放っていることをなんとも思っていないんです。

たとえ病院に連れてきて病気を治療してもその点に関しては治療の仕様がありません。そこのところを改善することが出来ればきっと独居生活に戻っても“いわゆる”汚部屋を再度作るようなことは無いと思うんですが・・・。なかなかムリなんですね。

思わず「おおおっ」と思ってしまうほどの臭いがなんとも無くなってしまうその過程。

小さい頃きれいな環境で育たなかった人もいるでしょう。でもそこまで汚れた環境がなんともない・・・というようになってしまうには何らかの大きな跳躍が「知らないうちに」起きていたはず。

一体それって何だったんでしょうか。知りたいのです。


2019年11月20日水曜日

生保は明日のあなたかも

病院にはいろいろな患者さんが入院してきます。

中には認知機能が低下している方も当然おられます。この手の方でギリギリの状態で“主に近所の人からの通報”で役所から保護された方、また、ローリング作戦のような感じでいつも日常生活のレベル低下が疑われている人に対して役所からサーベイの対象になっていた人で、認知機能が低下していなくても生活のレベルが維持できなくなっていた人などは保護の対象として病院に保護依頼がなされることがよくあります。その多くは生活保護の対象者として。

院長先生の方針として、役所から依頼された案件に関しては地域の公共サービスへの協力の観点から可能な限り入院は受諾して行く方針をとっています。
実際のところそういう方の入院形式で多いのは「今、役所の窓口に来ていてもうボロボロの状態で、警察官によると何処も受け容れの施設がなく、緊急搬送するほどの感じではないけれど何か疾患がありそうなフラフラ状態です」的なレスキュー依頼でしょうか。

実際のところ入院して検査してみると、脱水や栄養失調、皮膚疾患を皮切りに、心不全、肺炎、重度の糖尿病、腎不全、尿路感染症、前立腺肥大、肝炎、肝硬変、脳梗塞などを始めとして既に末期の何らかのガンであったりということも稀ならずです。

日本人として最低限の幸福と社会的支援を行うという意味ではこの様な医療行為は大変重要なサービスなのですが、これをぎりぎりまで受けない為に、もしくはどうして助けを求めて良いか解らないがために、いわゆる「野垂れ死に」してしまう人が多いのです。

少し前に「おにぎり食べたい」という書き置きを残して餓死した生活保護辞退者がいましたが、本来この国でそんな事があってはいけないというのは基本。“いかにも”の生活保護者が居ることはたしかにあります、そしてそんな輩に対する反感の醸し出す社会からの反生保の空気の中で、生保を使わず死にゆく人々もいるというリオアリティを見つめなければなりません。

これに関しては以前にも何回か書きましたが、今にほんはどんどん貧乏になっています。それでも国家にはまだ体力は「残って」います。今現在、生保を批判しているその人も明日には、まさに今時分が批判していた生活保護のネットのもとに保護される側になるかわからないんです。

まさに脳血管一本が詰まっただけで、脳血管一本が破れただけで、今日の幸せがあっという間に崩壊するのを私は毎度のように病院で見ているんですが・・・。

もう少し想像力というものを働かせて己の生活が如何に薄皮一枚でつながっている幸せなのかを考えて見る時間を作ってみるのも良いのかもしれません。


2019年11月19日火曜日

どうしても治療をしたがらない人

患者さんの中には治療をしたいのかしたくないのかよくわからない人が居ます。

健康に悪い事満載のメチャクチャな私生活を送っているくせに、薬を使って何とか壊れてしまった血液データの値を正常なレベルに近づけようという人なんてごく普通です。

タバコを吸いながら喘息、タバコを吸いながら肺気腫、タバコを吸いながら心筋梗塞の治療、脳梗塞でも止められないヘビースモーカー、酒を飲みながら肝硬変、高度肥満で膝の痛みが取れないと訴える、ビールをがぶ飲みしながら尿酸値が下がらない・・・。

挙げだしたらそれこそきりがないのですが、上は単純な例で、実際はそのうちの幾つかが重なっているなんて言うのは「ごくごく普通」ですから、種々の症状の悪化には際限というものが有りません。

私が診察室で使う手法はまず初めに例え話。今のままで生活習慣を変えないとどうなるかというのを順繰りと時間軸を追いながら説明していきます。だいたい何年でどうなる可能性が高まって、その後はどうなって、最終的にはどうなって・・・というような話をします。これだけで反省して次回の診察時に「この一ヶ月」の改善点を一生懸命説明してくれる人もいれば、体重の変化を直接数字で示す人、血液検査の結果でその決意を最終表明してくれる人等いろいろです。

ところがやっぱり全くそれで変化のない人も居るんですね。その系統の人達には私はいつもスマホの写真のファイルの一部にそれぞれの代表的な疾患の終末期の画像を論文や教科書、ネットから拾ってきて見せることにしています。
多くの人はショックを受けますが・・・変わらない人は変わらない。

それだけです。

それらの終末像を見せて数年で自分自身がその週末像に近づいてしまったり、超えてしまう人もチラホラ出てきますが、こういった一部の人達には日常生活レベルでの習慣の改善を通した治療は本当にムリ。

通じないんです。言葉が。
やっぱり主治医の能力不足なんでしょうかね・・・。 それともやはり治療して“あげよう”などという行為自体がやはり傲慢なんでしょうね。orz

やっぱり、こうやって日常の診療に関与していると、多くの病気の大本は本当に日常の一挙手一投足、一口一口の食事なんだな〜と理解できるのでした。


2019年11月18日月曜日

看護師さんの猫の体調不良

私の担当しているある病棟の一つで働いている看護師さんの猫。

いま、大変なことになっているようです。夜勤の時にナース・ステーションで話している時に、家で飼っている高齢の猫が非常に危ない状況に陥っている為、気が気ではないという話となりました。

もともとその猫は拾ってきた野良猫だったそうで、拾ってきたのはその家の次女さんだという話。更に聞けば、その次女さん今では立派な一児のお母さんなのですが、その次女さんが中学生の時に拾ってきた仔猫だったとのこと。

少なくとも15歳にはなっているというこの老猫が、この数日急に食欲がなくなって、飼い主のもとにさえ寄らなくなって動けなくなった挙げ句、押入れの中で失禁を繰り返す状態になったといいます。写真を見せてもらったのですが、真っ白に茶色の混ざる比較的大きな痩せ猫でした。昔はもっと丸々していたとのことですが、やはり歳を重ねて痩せてガリガリになったとのことです。

もともと猫は腎臓に好ましくない蛋白が蓄積して腎不全になりやすい動物ですが、この猫も三年ほど前に既に一度「死の宣告」を受けた事があるにもかかわらず今までずっと三年頑張ってきたので“覚悟”は出来ていると言いましたが、やはり話している時に少し涙ぐんでいました。我が子のように可愛がっていた猫ですから当然です。

動物病院で検血をした昨日の数値というのをスマホで見せてもらいましたが、非常に進んだ腎不全状態。輸液をされながらもベッドの上に寝そべったきりでピクリともしない状態で病院に入院となったようです。もし助からないという可能性が高いのならそもまま家に連れて帰ってしまいたいと話してくれました。

この晩は老猫の話をこの看護師さんから聞きましたが、我が家の犬も既に12歳。次第に寿命が近づいてきています。その「いつか」に備えて我が家もどうするのかを考えておかなければならない日は近づいていると感じています。

最後にその看護師さんが話してくれたのは、病院からの帰りがけ、別れ際に今まで全く動かなかった猫が“チラリ”と飼い主の方を見てまた寝入ってしまったそうです。心を引き裂かれるような思いだったことでしょう。

もうひと踏ん張りして奇跡の回復を願うのは、その時周りで話を聞いた皆の思いだったと思います。


2019年11月17日日曜日

薬やるバカどもの宴

次から次にバカが薬で捕まっています。w

本当にザマーミロという感じで、何の憐憫も感じません。私は薬の乱用に関しては鬼のように冷酷で、そういった薬物に手を染めた人間に対しては一切の感情を持たずに「厳罰で結構でしょう」という事を考えている人間です。

どんな環境に居ても薬に手を染めないものは染めない。「人間は弱い生き物だから」等と言う理由でそういったクスリに手を染める人間を許す風潮自体に全く何の共感もいだきません。クズはクズ。使ってしまえば終わりです。

自分の勤める病院で、そういった患者さんには日頃から接していますが。クスリのやりすぎで脳が器質的にボロボロになって一日中ベッドの上で同じおかしな動作をしている人などを見ていると、クスリを使って現実逃避だの快楽を高めるなどと言っている連中の行く末に何が待っているか、一緒にその終末期の患者さんの映像を見ながら「サヨウナラー。これがあなたの近未来です。あっちの世界でも頑張ってね。」と声をかけてあげたい気持ちになります。

幸い私は、精神科医ではないので、その様な人たちの病院の出入りをアシストしたり治療したりせずに済んでおりますが、医師だとしてもこの手の人間には率直に言って関わりたくないというのが医師である前に人としての感情です。

繰り返しますが、どんな貧しい環境でも、どんな酷い環境でも薬に手を染めない奴は染めない。逆にバカはどんな環境であろうと一発で甘言に乗ってきます。バカはどこまでいってもバカなのです。

元気になる薬?セックスが凄く気持ちよくなるクスリ?
カッコよくキメて一晩中踊りながらハイになる?そのまま、ハイになって天国に昇って帰ってこないなら、まあ何とか許せるんですが場合によっては田代や沢尻のように十年では効かない長期に渡って何とか生きてる奴も居ますから質が悪い。その間にクスリはねずみ算式にその手のバカの間で広まっていきますから。

芸能界のバカの皆さんも芋づる式にぜーんぶ捕まって、番組編成や映画放映ができなくなるようなワクワクするような時が一旦来なければ日本もアメリカのようにクスリでボロボロの人間で溢れる世界が早晩やってくるんじゃ無いでしょうかね。もう来てたりして。

芸能事務所は不定期で全員の抜き打ち尿検査をさせるくらいの事をしないと、今後は番組や映画制作、広告主側から巨額の賠償請求を連発される時代が来ることを覚悟しておいてょうが良いんじゃないでしょうか


2019年11月16日土曜日

NYC アニメ・コンベンション

ネットのニュースを見ていたら、NYCでアニメフェスティバルをやっているとのこと。

もしやと思ってブルックリンに住んでいる長女にLINEを送ると「昨日行ったw」との即答でした。NYC's anime conventionでは猛烈に沢山のアニメファンが集まるようで、娘も以前このコンベンションに行っていますし、その内容はよくわかっているようでした。

何枚か娘が写真を送ってきましたので、それを貼り付けておきます。
NARUTOですよね。イニシャルDに集中するお兄さん方をじっと見ています。
藤原とうふ店のですな。昔これに乗ってました。
なりきってますな!
家で撮った一枚のようです。なんか次女の描く絵に似てます。
いろいろと楽しんだようですが、長女はガチのアニメ好き。オタクの要素が無きにしもあらずとは思うんですが、 というかオタクの一員ですね。w 次女はアニメは好きですけどオタクではないですし。

親の私もアニメは観ますが、それに入れ込んだりそのミーティングに行くっていうのはやっぱり無いかな・・・。結局世代が違うっていうのも大きいんでしょうね。
この長女も年末には一旦日本に帰ってきますので、また名古屋や東京のあちこちにある「その手のショップ」廻りをするんでしょうか?


2019年11月15日金曜日

もうすぐ次女が日本に帰ってくる

次女が彼氏のいるカリフォルニアに遊びに行って二週間。

明後日、次女がアメリカから帰ってきます。確か中国東方航空の便で戻ってきます。いつも自分の選択で北京かどこかそこら辺の経由で行ったり来たりしているようですが、ストップオーバーが10時間前後ということで「若いからできる」往復方法です。

空港で10時間を費やすのは今の私にとってはただただ面倒くさいことですが、娘と同じくらいの年齢だったら当然ストップオーバーの時間を利用してでも北京の街角でウロウロしていたことでしょう。娘がどうやって毎度時間潰しをしているのか知りませんが、若ければ疲れていても直ぐそんなもの回復するし何でもありですよね。

カリフォルニアでは彼氏と一緒にディズニーランドに行ったりしていたようですが、それ以上のことは少なくとも私は何も知らず。アメリカで日頃使っていたアメックスの家族カードを再度使っていろいろを細かな事に使っていたことはネット経由で丸見えでしたが。

彼の家族には気に入られているようですが、だからと言ってこの先も続くというものでもないでしょうし、十年経ってこの記事娘が読んだら「あ、そういう事もあったね〜」と言って笑う確率のほうがかなり高いんじゃないかなと私自身は思ってるんですけど。

まだまだ恋に恋する年齢でしょうから親の私が何を言っても聞くわけではないでしょうし、じっと成り行きを見守るだけです。彼自身は写真で見る限りなかなかのハンサムかつマッチョですので、アメリカに居てもきっともてるでしょうから、若い頃の遠距離恋愛は長くは続かないと思うんですけど、どんなもんでしょう。

愛があれば距離なんて・・・と言うのは理想論。若い頃の恋愛の多くは距離で壊れると思ってます。

俺もオッサンになりました。夢も何もあったもんじゃないですね。w


2019年11月14日木曜日

そろそろふるさと納税の時期ですが

いつもの時期が近づいてきました。

ふるさと納税の控除額の計算、そして一体何にその額を振り向けるのか等、また少し考えないといけない時期に来ました。

今までいろいろと侃々諤々の議論が呼び起こされましたが、そもそも「ふるさと納税」とは何か?という原点に当たる部分の議論を官僚が全く見通せていなかったため、テメーで作ったは良いけれど、自分が産み出した子供のコントロールが全く出来ていない状況を認めないまま弥縫策としてその子供達の一部の動きを殺しにかかるというみっともない動きを見せた総務省。

結局のところ、返礼品に興味・関心が集中するのはやる前から判りきっていたことで、その返礼品の還元率を云々すると言ったところ結局のところその還元率の計算も全て直ちに算出されテーブルの上に乗る始末。
要するにネット上の情報を逆に分析して還元率その他を計算し直して自分の自治体が目立つようにするような自治体は当然出てくるわけで、そこも判っている人から見れば最初から判りきっている話。

工夫がない自治体は金は集まらず、当時の法の枠内で工夫をしたらクロ判定とされふるさと納税を禁じられた自治体もご苦労さまって感じです。純粋にカネ集めに徹した自治体をシャイロック呼ばわりするのは容易ですが、現実の世の中は後者が栄華を極めるのが現実。資本主義の原理に則らずに動く日本の総務省を相手にしたのが失敗の元でした。w

いかんせん、数年前までと違って今年からのふるさと納税は「返礼品」という意味では電気製品に限って言えば実につまらないもの、還元率の低すぎるものばかり。案の定の展開です。

というわけで、今年は食べ物の定期配達に多くの手間をかけようかな?とも思っているのですが、通常は親子三人で住む我が家に余り多くのものが来すぎても意味がないかも、というところはあるので、貰ったら貰ったで他の方々に配るというのも有りかな?と考え方を変えています。これを少しばかり納税対象とすることにしようと考えています。

もう一つはふるさと納税とは全く関係なく、障害者への援助をする福祉団体にドカンと寄付してしまうというもの。こっちのほうがよっぽど有意義で潔い本来の意味での寄付行為だと思います。実際、この行為も税金の控除が行われるのか役所に聞いて調べたところ、全く問題なく控除対象であるとの返答が貰えました。

なんでアメリカのように皆がこのような寄付先を控除対象とする宣伝をすることを広めないのでしょうか。政府のやることは本当に場当たり的なことが多いですよね・・・。
賢い人間が集まって愚かな政策を実行するとこは極めて日本らしくて天晴と言うべきなんでしょうか?


2019年11月13日水曜日

若手看護師さん達の成長

病棟で新人さんで入職してきた看護師さん達が変わっていくのは愉しみです。

私の長女くらいの年で入ってくる看護師さん達が多いのですが、変わる子、変わらない子まさに様々です。無論、私としては「良いほう」に変わってくれる、つまり「成長」してくれる事を毎年期待しているのですが、なかなかそうもいきません。

正直なところ、良い方へ変わってくれる子が半分、あんまり変わらず期待外れの子がもう半分というところでしょうか。それでも半分も成長してくれる若い子達が居れば御の字というべきでしょう。

一年かかって「見違えたな〜」と言うほど成長する子もいれば、半年で「この子は成長が早い!」と思える子も。また中には一年目は「全然アカンな〜」と思えてた子も二年目からグングン成長する子も居て、この予想ばかりはなかなか単純な線形性を示してくれません。

成長する子は概して「素直」な子たちが多い印象が強いです、というかほぼそうだと思えます。そして最もこの業務の中で輝くのはその素直な子の中でも優しさを持っている子。
患者さん達からのリクエスト、というか呼びかけが頻回に来るのですが孫のように可愛がられている様子をよく見かけます。

優しくされて嫌な顔をする変人は滅多にいません。ただでさえ病院へ入院し不安や退屈と戦っている人達にとって笑顔で気さくに話しかけてくれる若い子達というのは、老若男女誰にとっても当たり前のように「素敵な存在」なのです。

素直というのは本当に成長のためには最も有効な素材なんですね。若手の成長を見るといつもその事を痛感するとともに、何故多くの年寄りが成長どころか退化していくのかと言う事実はその”素材”が無くなっているからなのだろうと、自戒のネタとして頭に刻み込むのでした。

経験年数、職位云々で己がエラくなってしまい、素直だった若かりし頃の自分を無くした年寄りの皆さんはこうやって成長した若手に追い抜かされ、引退の時を迎えていく事になるのでしょう。

明日は我が身です。


2019年11月12日火曜日

精神科の患者さんと運動

院内でトレーニングマシンを導入する許可をとってほぼ一年。

やっと動きが出てきました。30万円の予算で今あるリハビリ室のマシンに追加のセットを導入してそれを用いた職員の福利厚生と患者さんのトレーニングの2つを同時に成り立たせようというもの。

前提として大変基本的で大切な事実なのですが、精神科に入院中の患者さん達は本当に体を動かす機会が限定的で、なかなか「運動」という行為に勤しむチャンス自体が限られています。それは厳しい見方をすれば入院する施設を提供する側の怠慢でもあるわけです。

実際、外部・病棟間を自由に出入りできる開放病棟の患者さん達はテレビを見ることと食べることが二大娯楽となっており、太る為の二大要素であるクウネル状態を何時までも続けて入院中にあっという間に太ってしまうなんて言う人も枚挙に暇がありません。

入院して心の健康を取り戻そうという人間が、物理的にはまるまると肥えていって体の健康はボロボロになっていく等という状態が、退院後の「健康」をアシストするとはとても思えません。極端な人などでは入院中にドンドコ太っていって糖尿病を発症する人も少なからず現場には居るわけですから、実際のところこの話は表面的にこうやって描写する以上に深刻なんです。

BMIが25程度ならまだしも、30を超えている人達が普通におりまして、例え糖尿でなくとも肝機能が異常だったり、膝を痛めていたり、腰がボロボロだったり・・・。
やっぱり精神科の疾患で入院しているからと言ってフィジカルを無視することは出来ないのです。

当院の内科に居るサルコペニアの高齢者、骨折後のリハや脳梗塞後のリハの患者さんが中心となって使っているリハ室ですが、今後は精神科の患者さんにも積極的に参加していただくことにして行こうというのが今後の当院の流れとなるわけです。

データを取って、数値化されたものを見ながら患者さんが種々の数値とともに精神の健康にもポジティブな影響を及ぼすか否かを見ていく日々が始まりそうです。コントロールの一部は当院肥満(気味)職員となりそうですが、私も言い出しっぺとして当然入っていくつもりです。w


2019年11月11日月曜日

クリ農家の方のお話

患者さんの御家族のお一人と面会して、長期にわたる患者さんの容態についての予想説明、今後の治療の方向性、万一の場合についての合意形成のための話し合いを持ちました。

今回病棟の主治医交代という事態が発生し、それに合わせて私も患者さん達の御家族と一度面会させて頂く機会を伺うということで、数ヶ月前から「もし時間がありましたら御来院の際に一言お声がけいただくと助かります」という内容を各御家庭の説明責任者の方々に直接お電話でお話ししておりました。

今回御来院頂いた患者さんの御家族は既に入院歴も長くなっており、発病して数十年になる精神疾患を持たれている方の弟さんでした。お互いに自己紹介をして、今回の入院に至るまでの御家庭での生育環境や御兄弟方の患者さんへの関与等を逐一再度伺って話をしていく中でお互いに普段は話さないような細かなお話をする中で大変強い信頼関係を結ぶことが出来たと感じました。

本当にお兄さん思いの優しい弟さんで、家族思い、しかも人として強い方だということがひしひしと、しかも淡々と伝わるような方でした。お互いが胸襟を開いて話し合った詳しい内容は勿論ここで詳らかにできるような事ではありませんが、お互いが患者の家族と医師という関係を超えた絆というものの存在を強く確信した一瞬でした。

医者をしているというのはこういった瞬間があるから素晴らしいなと思うんです。患者さんが治った時、それを家族の方々に感謝された時、患者さんが元気になって帰っていく時、そして治らない病であっても患者さんとお話をしたり患者さんの御家族と種々のお話ができる時。何れも医師になってよかったなという瞬間です。

ところで、今回お会いした患者さんの弟さんと言うのは栗農家の方。他の田畑とともに栗も栽培されているという方なのですが、この方の栗は粒が大きくてある有名な菓子舗に高値で引き取られているんです。

今回、勿体なくも有り難くもこの菓子舗のお菓子を「私のところの栗が使われているんです」と仰って、わざわざ病棟の看護婦さん達の為にその菓子折を持ってきてくださいました。

私は地元愛知の人間ではないので、その菓子屋のことは知らなかったのですが、後で周りの看護師さん達に伺うと「栗菓子で有名なお店です」とのことでした。恥じ入りました。長崎の人間にとっての福砂屋みたいなものなのでしょう。

とは言え、今回お話が終わりエレベーターまでお見送りした時に一言「こんなに私の話を聞いていただけたのは生まれてはじめてです。ありがとうございました。」と逆に感謝されました。実のところ、感謝したいのは興味深い種々のお話を聞かせて頂いた私の方なんですが。

いつも、話をすることが出来ない患者さんにそんな深い過去の歴史があったことを知った私はその日の午後からまた違った顔でその患者さんのことを診察させて貰うことになったのでした。

お話というのは本当に本当に医療において大切なことだと改めて感じた一日となりました。


2019年11月10日日曜日

新天皇御即位のパレード

ちょっとだけでしたが、御即位のパレードをネットのライブ放映で拝見しました。

東京までそれを観に行くなどということは諸事情が到底許しませんので、最初からわかっていたことではありますがこういう形でのパレード見学となりました。

平成天皇の御即位パレードも微かに覚えてはいるのですが、既に30年経った遠い昔の話。昭和天皇に至っては自分の生まれる40年以上も昔の話ですので、これまた記憶云々ということを話すチャンスさえないほどの昔のお話です。

今回、画面を見つめていて改めて雅子様のことや陛下のことを考えてしまいました。

5ヶ国語をお話なられるというスーパーレディの雅子様の本当の能力は、実際のところ「カミソリ小和田」と呼ばれたお父上の恒さん譲りの数学的頭脳だとは思うのですが、何れにしても最上級の教育を受けられたこの女性が民間から皇室に嫁がれて、世間からの種々の圧力や好奇の目に悩まされながらも、立派にそれを克服された今、その能力がまさに日本の外交の最先端の宝刀として力を発揮する事になったことは真に慶事だと思います。美智子様に続いての民間からの御入籍にはきっと我々には見えていないいろいろな出来事があったのでしょうが、それも既に過去の出来事。

この女性は本当に先頭に立ってこそ、その真の力を発揮される人物だなと以前から感じていたのですが、皇后陛下となられた今、まさにその能力が存分に開放される時間がやって来たと思っています。

陛下と並んで通訳なしで自在に会話を楽しまれる様は実にヨーロッパの王室風で、ちょっとビックリするレベルの国際的人物。本当にどこにお出ましになっても「日本が誇る」と言って良い人物だと思います。

そして、これまた日本が誇る現天皇陛下。平成天皇・皇后陛下の薫陶を受け、国民に寄り添う情け深い心持ちを繰り返しくり返し聞く度に、嘘偽りなく「ああ、この方が日本代表・国民の象徴でよかった!」と、心から神に感謝したい気持ちになります。
日本で最強のスーパースターは間違いなくこの方でしょう。全く飾る必要なく放つオーラで周りが圧倒されるというのは生まれてこの方の薫陶と、皇室という歴史が生み出した必然。

しかし何よりも素晴らしいのは、そんな人物なのに、常識的があって、かつ内面から湧き出る優しさと強さがあり、親父さんとしての優しさも夫としての強さも兼ね備えているというところ。会見で発せられる言葉の一言一言には常に「国民への寄り添い」という視点があり、この人物に日本を代表していただくことに大変な喜びと敬意を感じます。

健康とご長寿を願い、いつまでも日本の象徴として御夫婦として輝き続けていただきたいと思っております。


2019年11月9日土曜日

喫煙者の行く末

当直で夜間のコールがありました。

精神科の患者さんがどうやら胸痛と呼吸苦を訴えているという話で精神科の先生からの依頼で「何らかの救急対応」を要するような状況でないか確認して欲しいというものでした。

病棟に駆けつけてみると、高齢男性で肺気腫の持ち主。これまでも頻回にこの手のコールがありその度に「命は要らん、死なせてくれ」と繰り返し叫んでは看護師さんが困ってコールというパターンでした。だからと言って今日もそうだとは限りません。

少し息がしづらそうでしたが、車椅子に乗って頂き心電図検査。経時的な変化でそう簡単には断言できませんが、まずは問題無さそう。年のために簡易検査でダイマーも測定しましたが、異常値は出ませんでした。
三次救急の総合病院ではないので、夜間も何時でも何の血液検査でも答えが出るわけではありません。そういうところは経験や推論で補完するしかありません。

病棟で彼の胸部CTを再確認したらそれはそれは酷い肺気腫でした。症状が進行してCOPDという状況なんですが、彼自身がもう昔の自分を取り戻すことは出来ません。肺気腫自体の9割は喫煙由来。そしてこの患者さんもヘビースモーカーでした。

今晩は、取り敢えず酸素の投与で楽になりましたがこういったことが何度も続いているうちにベッドの上から全く移動できなくなり、やがては息をすることだけが一日の仕事になり、やがてはガリガリに痩せて、やがては・・・。

過酷な運命ではありますが、患者さんはこうなる事を知らなかったからまだ仕方ありません。しかし、何故こういう状況になるということを目の前で見ていながら喫煙をやめない看護師が居るのでしょうか。

私には「愚か」としか言いようがありません。

2019年11月8日金曜日

ダイエットの途中経過

タニタの体重計で測定している私の体重の変遷です。
前回の報告では73キロプラス・アルファ前後での報告でしたので、現時点ではこの2ヶ月で更に1キロほどコンスタントに低下したとみて良いかと私自身は思っています。
上のグラフを見ていると、数百グラムの間で細かく上下動する時期を経てある程度スコッと落ちだす時期が続く感じがきてまた暫く安定して居る時期が続いているようです。

今回のダイエットでは余り無理をせず、甘いものを食べたくなった時には少しだけ食べても良い!という自分のルールを作ったのが今までと違います。また、もう一つ今までと違うところは家で簡単な道具を使って筋トレしているということ。

つまりウェイトを筋肉として付けつつダイエットを目指すわけです。ですから、体重を落としつつ筋肉をつけるのですからまあ、「減量」という目的のためだけならば効率は大変悪いわけです。実際、上のグラフでは見せていないのですが、筋肉の量は比率としては増えているようです。

ところがこれから年末に突入するわけで、数多くの忘年会その他の食事会がある中でどうやって今のトレーニングとコンスタントなシェイプアップを目指すのか・・・。考えどころです。

2020年に向けて結果を出すのみとなって参りました。w

2019年11月7日木曜日

医師にとっての働き方改革と病院

病院長と話をしていて結構切羽詰まった問題になるなと改めて感じました。

いわゆる「働き方改革」というものの導入によって医師は“働きたくても”働けない「時間量」という足かせが嵌められることになっています。実際には時間の経過とともに、最初は許されるであろうその総量規制の「例外項目」というのが減らされていくのです。

つまり、最初のうちはX時間までは良いけれども、次第にその例外項目を無くす方向で進んでいくとともに、それが守られていないことが明らかになったら警告から罰金・罰則へと順繰りに進んでいくことになっているのです。

ところがこれを素直に具現化するためには「絶対的に」医療従事者の数が足りないことが今の段階で既に判明しています。これをどう埋め合わせするのか、夜間の当直の問題も含めてかなり深刻かつ喫緊の課題です。

これと同じようなことは既に警察組織などで報告されており、時短に伴う未達成業務が累々と重なり続け大変なことになったとか、検挙率が激落ちしたとかいうような時短で労働者の生活の質をあげようというお題目のもとで、本来必要とされる目的達成が全く出来ない事態がズンズン進行したあげく、家に仕事を持ち帰って仕事をせねばならない状況に陥るというような、真に本末転倒を地で行くような事態が発生することが頻繁だと言います。

医師の数確保もさることながら、看護師さんの数の確保もどこも必死。これを法の遵守の名のもとにきちんと達成させるためには、病棟数・ベッド数の削減のみならず、医師に対する種々のインセンティブ改善なども導入されないと人が集まらないという事態が大量発生しそうです。いや、カネを積んで何とかなる問題ではないと思うんですけどもね・・・。

病院の存続に関わる問題なのですが、多くの病院では経営者、医師、その他の人々が呻吟しつつ知恵を絞りながらも、正直なところ「どうなっちまうのか」というのが本音だと思います。特に存続がヤバそうなのは大学病院。

いままで、サービス残業で成り立っていたような部署は本当に正念場を迎えるはず、サービスの質を落とすか、ブラック残業をすることでサービスを維持させるのか?しかし、後者の方法論は多分かなりリスクが高く、通報されれば一発アウトかという気もします。

現場の実情を知らない、官僚の皆さんが机上で策定したプランが後二年ほどで完全導入されますが、日本中が多くの「官僚の策定した理想のプラン」の甚大な影響を受けるものと考えています。

まあ、我々は粛々と従うのみですが、最終的に最大の割りを食うのは結局のところ患者さんだと思うんです。


2019年11月6日水曜日

朝からやられました

こういう事はいつであっても関わりたくないものです。

朝、バイト先に向けて車を運転していました。
ちょうど真ん中の車線で、朝の通行量の多い時間帯でした。もうすぐ8時という時間に突然「ドン」という鈍い音が後ろから体を突き抜けました。頭の中の反応は「チッ」というものでした。

オカマを掘られたわけです。ミラーを覗くとスマホから目を離してシマッタという様な顔をした若い男性がこちらを見ています。私自身はすぐに車を降りて「勘弁して、今から仕事って時に・・・。」と思わず彼に言ってしまいました。

真横がセブンイレブンのコンビニでしたので「ここに入れようか」と言って次のステップへ。兄ちゃんはどこかに電話を入れていましたので、待っていては何も進まんと思い私自身でいろいろやってしまう事にしました。

コンビニの店主にまずは手短に事情を説明し、駐車場に車を入れさせてもらうことを侘びてから直ちに110番。物凄く久しぶりの110番でした。事故であることを説明、とりあえず大きな怪我は無さそうであることを説明すると近くの交番から人を送ってくれることを約束してくれました。

私自身が相手の免許証の写真を撮影、相手の車の前面と私の車の後部を撮影してとりあえず証拠を確保しました。暫くすると若いおまわりさんがやって来てくれたので淡々と状況説明。相手の保険を確認し仕事を確認してそれが業務車であることを確認した所で別れました。

暫くして相手の保険会社の担当から私に電話があり「100:0で処理させていただきます」とのコール。まあ、当然ですが・・・。

しかし、その後が良くなかった。仕事には間に合って朝から診察開始となったのですが、昼が近づくにつれて何となく吐き気が出現してきたのです。「おいおい、もしかしてかよ・・・」と思いつつ、午後には首のこわばりまで。とりあえず帰り際には他の先生から鎮痛剤と湿布薬を処方していただいて帰宅したのですが、この前バッテリーの交換でお世話になった名東の営業所まで緊急で車を預けに行くことになりました。

完全に車を分解して、二週間ほど内側のフレームやその他の場所に影響がないことを徹底的に調べてくれるとのことでした。

事故なんて巻き込むのも巻き込まれるのもまっぴらごめんです。発生した後が面倒くさい。今朝の相手の兄ちゃんはスマホを見ながら運転していたのを知っているのですが、その事は「まだ」言っていません。けど画像には残っていることでしょう。無理言って来ることはないと思うのですが、おかしなことを言われたりしたら画像を「ハイ」って見せようと思ってます。w

ただただ、こんなくだらないことは早く終了して欲しいです。


2019年11月5日火曜日

さらば山形!

朝から早起きして準備したことがありました。

実は大切なものを紛失していることに昨夜寝る直前から思い出していたのです。愚か者の私がその時点で紛失していたのは・・・なんとも恥ずかしいのですが、3日間かけて苦労して作った学会発表用のポスターでした。

夜遅くになって蔵王から帰ってきてまどろみ落ち着いていた私は、何となく違和感を覚えていました。その違和感の正体がまさにポスター。頭のどこかが学会終了によって安心モードに切り替わってしまい、弁当を食べているときに食べ終わった弁当を捨てに行くことに気持ちの全てを集中させてしまったことで、学会会場のホール2階の壁際に立て掛けたポスターのことなど全て意識の外側に吹っ飛んでしまったのでした。もちろん部屋の中を探してもあるはずなし。

私の集中力なんてその程度のものなんです。orz

という事は逆に考えると、あの窓辺に行けばきっと誰も気が付かないというラック、もしくは誰かが気づいて回収し事務局に届けてくれているラックに恵まれたとすれば、山形テルサの会場にそれがあるはず!と推理しておりました。

気が気ではない状況でしたので朝が近づくまでまんじりともせず過ごしていたわけですが、なかなかテルサの開く時間にはなりませんでした。それでも、シャワーを浴びて準備をして荷物を完璧にまとめ、朝ごはんを食べ終わったら8時半。ちょうどテルサのオープン時刻です。

汗をかかないようにゆっくりと歩いていき管理事務所に逸失物のお尋ねをしましたが、とりあえず何もなし。しかしここで「ハイそうですか」と諦めるわけにはいきません。
ポスター自体には1万ちょっと払ってますからね!w

というわけで、夢の中で記憶を巻き戻して反芻し、位置を確定しておいた場所を2階の遠くの場所からガラス越しに観察してみると・・・ありました!
今日は鍵がかかってしまって近づけないエリアなのですが、間違いなく私のポスターが立て掛けてあります。

早速係員の方にその旨説明すると、お二人の方がわざわざ走ってその方向へ取りに行ってくださったのでした。有り難や有り難や。お二人の前で手を合わせて御尊顔に向かって拝ませていただきました。

意気揚々と山形駅の方へ戻り、お土産の残りの分を追加購入しホテルへ戻って荷物をまとめて山形駅へと戻りました。山形のおいしい食べ物と人情に感謝しつつ飛行機に搭乗。
新潟港や黒四ダム、雪を被った富士山などを眺めつつ小牧空港へ降り立ったのでした。

山形から名古屋へ戻ると、街がデカくてやっぱりサイズが一桁違うな~というのを認めざるを得ませんでした。でもどっちが住みやすいかはまた別の話かとも思うんですが、便利さに慣れると名古屋からはなかなか離れられません。

たまに行くから田舎はいい。宮崎も長崎もやっぱりそうだと思います。仕事する場があって初めて生活が出来る。難しいところです。


2019年11月4日月曜日

山形・二日目

今日は朝から学会に参加しました。

ポスター発表の後は幾つかのシンポジウムを回っていろいろな新しい情報を手に入れました。特に新型タバコと言われる「誤解に基づき」紙巻きタバコよりも害が無いと言われているタバコ類のデタラメさ加減です。

宣伝はメチャクチャだし、いま若い世代を中心として雪崩を打ったようにこの電子たばこに移行していく動きがあります。更に、このタバコは害がほとんど無いからこちらに乗り換えなさい、と友人に勧める人達も多いとのこと。間違いそのものです。

とにかく昼過ぎに全てが終わった後、私は山形観光に主軸を移しました。山寺は以前行ったというのはここに昨日ちょこっと書きましたので、今日はもう一つの山形の有名どころである「蔵王」に行ってみることにしました。

山形駅前からバスで一本。比較的あっという間の蔵王到着でした。蔵王に来た主目的はまずロープウェイでテッペンまで行って下界を眺めること。そして次の大目的は露天風呂に入ることでした。

百聞は一見にしかず、ごちゃごちゃ言わずに写真を貼っておきます。ロープウェイの代金は大人往復1500円でした。
素晴らしい紅葉がアチラコチラでみられました。
登り口の脇から見たロープウェイ全景。
登っていく途中ですね。
頂上からの眺望。素晴らしい眺めでした。ただ寒い・・・。ヒジョーに!
漫画のようにきれいな色づきでした。
その後は一旦下に戻って汗だくでヒーヒー言いながら大露天風呂まで登っていきました。登り続けること約十分?ついにネットで見た大露天風呂に到着。勿論、他の人はほとんど当然のように車かバイクで来ていましたが。
入湯料¥550でした。
このトンネルを下っていくと・・・。
この薄い囲いの右側には強烈な硫黄臭のする温泉が男女別にあります。
上流が女性用、下流が男性用です。
中の温泉は気持ちよく、私のような中年のオッサンを中心に30人ほどいたでしょうか?硫黄の匂いが強いので、帰りのバスの中でも酷い匂いをさせていたのですが、問題は私自身が帰りのバスの仲間では気にしなくても、山形駅に戻っていけば私は「硫黄臭い変なオジサン」でしか無いこと。しかもかなりの臭さ。orz

スキー好きの人達はきっと蔵王で滑った後、また風呂に入って格別なんでしょうが、私は移動手段も持っていないしスキーも出来ません。

山形駅のターミナルビルで明日のお土産を買い込んだ後は、ロッテリアでそそくさとフィッシュバーガーをたべ風呂に入って部屋でおとなしくしておりました。


2019年11月3日日曜日

人生初の山形直行

今日は朝から早起きして山形へ来ました。

そもそも山形には来たことがないと思っていたのですが、むかし仙台の学会に行ったときに電車で山寺に行ったことを思い出しました。山寺はあの「岩に染み入る蝉の声」で有名なお寺ですがあそこに行ったということは山形は初ではないということ。いつも通りの大馬鹿です。w

いつもは航空博物館としてしか行かない小牧空港方面ですが、今日は乗客としての飛行場到着でした。FDA(Fuji Dream Airlines)という航空会社を使うのも初めてですが、事故を起こしたことはない会社ですからそういう会社を使うのは全く問題なしです!そもそも弱小の会社を応援したくなるのは昔からの性格ですから。

昔はメインの空港だった小牧空港は家からもあっという間の近いところ、実際は便利です。エンブラエルに乗って空を飛ぶこと一時間。眼下に色づいた山々を望みながらあっという間の山形空港です。
そもそも”おいしい”山形空港という面白いニックネームの小さな空港なんですが、この空港は東日本大震災のときに大活躍したということがウィキに書いてありました。

さて、山形市内に小さなバスで移動してホテルに直ぐ行きました。駅前に到着すると、直ぐ側にあるクラウンホテルへ荷物を預けに行って山形テルサへ行きました。山形駅前というのはこぢんまりとした綺麗なエリアですね。地元民はヤマ駅と呼んでいるらしいのですが、名古屋の名駅と一緒ですな。

会場はいわゆる禁煙活動の拠点の様相を見せておりましたが、私はそこら辺には全く関係無しで、興味のある会場だけを覗き続けながらちょっとづつ知識をつけていきました。供されたお弁当を食べてお茶を飲みながらの講演会、なかなか勉強になりました。

その後ポスターを貼り付けて一時間ほど質疑応答に答えるためにエリアに留まりましたが、気になったのは今日何を食べるか。結局、ホテルの目の前にあった立ち飲み屋で日本酒をコップ酒で三杯ほど飲みながら豚の串物を幾つか頼んで夜を楽しみました。

しかし、右横では結婚するのしないのと若い女の子がいろいろと赤裸々な話をしているし、左横では後からやって来た(多分看護師の)兄ちゃん二人がタバコをプカプカ吸いながら下品な話で盛り上がっておりました。まあ、そんなのはどうでもいいんですが、禁煙の学会参加の為に来ている山形でまさかこんな目に遭うとは。w

とは言え、コンパクトで楽しげな山形駅前の夜を尻目に、空腹に流し込んだ日本酒で気持ちよくなった私はそのままホテルに直ぐ戻ってスコッと眠りに落ちてしまったのでした。


2019年11月2日土曜日

どうしたらタバコをやめられる?

今回のリサーチで考えたのは禁煙の手段でもっとも効果的なものは何かということ。

患者さんと職員の皆さんの協力を得て集めたアンケートから解析して得られた結果を眺めて考えたのは、まず喫煙場所を無くす、それが出来なければ制限するのがもっとも早いということでしょう。

大学や施設によっては喫煙後は45分間部屋に戻ってきてはいけないというルールを設けているところもありますし、奈良県だったかな?喫煙後にはエレベーターに乗るのを禁止したりと言うような厳格化を導入するところもあるそうです。

基本的には吸う場所を削る、その次にはタバコの値段を上げることだと思います。患者さんや職員の話を聞いていると、結局のところお金がなければその結果として得られるタバコも無しということ。これに関連してタバコを得る場所自体としてのタバコを売る店も遠ざけることが喫煙者に大打撃を与えることになります。

私の勤める病院でもタバコを売る事自身が出来なくなりました。ところが歩いて一分のところにはセブンイレブンがありますのでタバコの入手場所という意味では全く制限になっていません。

もう一つ、病院敷地の直ぐ外に特別喫煙所という「現時点では」法で許されている喫煙場所が設けられている為、全く禁煙の効果を大きく損なってしまっているということです。
ここは囲いで覆いかつ喫煙所であることを大書することでその存在が許されているんですが、そんなものあったら駄目ですよね?抜け道だらけの愚かなシステムです。

副流煙や三次喫煙の外から逃れるのはまだまだ先の世界ですね・・・。


2019年11月1日金曜日

やっと終了・・・

アンケートの回収、入力、解析の後やっと学会用のポスターの作成が終わりました。

一週間の間あまり良く眠れませんでしたが、今日からはよく眠れそうです。ポスターの作成などというのは論文の記述と一緒で、「これで終了」というポイントを作らないと何時まで経っても終了しません。

「もうちょっと、もうちょっと」と手間暇をかけているうちに日数がどんどんと過ぎていき、気がついたら他のグループに同じ様な内容の研究発表をされてしまってTHE ENDなんていうのはこの世界では毎日起きています。

不完全でも良いから何も出さないよりかはよっぽどマシというのが、21世紀の研究ではますます大事になってきています。本音を言うと、そんなのは「糞食らえ」と言う感じで、ジックリと仕上げて良いデータを掻き集めて良いものを世の中に出したいと言う気持ちは多くの研究者が持っていると思うのですが、それをやっていると特に先端の研究は特許の取得も含めて撃墜されてしまうのです。

嫌な世の中ですが、実際にそうやって大魚を逃した人達は枚挙に暇がないというのが現実です。昔リサーチをやっていた人達はもっと牧歌的だったと良くおっしゃいますが、時代が変わってしまったというのが実際のところだと考えます。

ごく一部、この様なくびきから逃れているように見える目から鼻へ抜けるようなスマートな人達がいますが、実際はその人達のスマートさは次から次へと上手くまとめてそれらのコンテンツを細切れに出す能力を持っていると言う方が適切かと思われます。

さて、私の今回の準備はそんな高級激烈な競争のなかにある研究とは雲泥のものですが、公衆衛生学的な研究は今回が初めてなこともあって、いろいろと不慣れなことも発生しました。とは言え新鮮に思える面があったのもこれまた事実でした。とりあえず、明日名古屋に幾つかあるKinko'sにデータを持っていってプリントしてもらって山形へ行こうと思います。