2024年4月28日日曜日

頭がおかしいとしか思えませんでした

今日も息子を連れて岐阜へ!

一回やり始めたら止まらないのが私の癖。今月はずっと岐阜観光に嵌まっております。三週連続で岐阜のあちこちを巡っているのですから、岐阜県知事に褒めて貰いたいくらい。

今週はある方に「感動しました。是非行ってみて!」と言われて行ってみた杉原千畝記念館を訪れてみました。彼に関しては多くの方が知っていると思いますので、敢えて語る必要も無いかとは思いますが、言っては何ですが、岐阜のこんな田舎からこんな偉大な人間が出てきたんだという事実に改めて人の不思議を思いました。
6000人の命のビザとして良く語られますが、実はイスラエルに研究旅行に行った時もYad Vashemで衝撃を受けた記憶がありますし、「諸国民の中の正義の人」で彼が顕彰されたのは知っていました。しかし、日本側のこんなに名古屋から近いところで生まれていたとは!

館内を巡っていると、実際に追っ手の迫る中、ポーランドやリトアニアからアメリカやその他の国々へ逃れるための道のりが如何に大変だったのかという事が、そのパスポートに刻まれた種々のスタンプと書き込みで嫌という程こちらに迫ってきました。

やっぱりこの杉原さんという方は「気骨」という一本の筋でその精神が支えられていたという事に尽きると思いました。そして、その夫が「将来、職を失うかもしれない」と言った時に100%その御主人を支えた奥様も彼と同様に背中に一本の筋が通った人だったのだろうと容易に想像がつくのでした。

一緒に連れて行った息子には訳が分からない場所だったと思うので申し訳なかったのですが、まあ毎週のドライブと思って楽しんで貰えばそれで良しです。

ここを出た後、脇の食堂に入って遅い昼飯でもと思ったのですが、何か奥から人が出てくる気配が無くて結局中華そばを食べずそのままこの記念館のすぐ下にある池井戸潤の小説の舞台として架空の町、しかし確実にこの八百津町が舞台になっている「はやぶさ消防団」の記念館に行って参りました。
テレビドラマであったままのこんな感じの内装をそのまま残しているようです。
この人が書く小説はほぼ確実にすべて面白いのですが、このはやぶさ消防団の名前は知っていても読んだことは無かったので、ここを訪れた後に早速アマゾンで値段を調べてポチりました。テレ朝のドラマも視てみないといけませんね。

さて、実はこの後に生涯忘れないものを見る事となりました。実は帰りしなに、この記念館に居た元気なお姐さんに「日本一の高さから飛び降りるバンジージャンプがここから何分か来るまで行った所にありますよ」との話を聞いて、「それは行かなあかんやろ!」と息子と二人でそっちの方へ。

行くと表示がありましたよ。見学地点と云うのが最初は判らず細い道に入ってみてうねうねとドライブしてみたりしたのですが、何の事はない、ジャンプ地点の直ぐ傍に小さな駐車場があって、そこに車を停めて見物できるのでした。そこで見たのが以下の写真。
端のど真ん中に突出部分が小さく見えるでしょうか?ここからジャンプするのですが、日本一という理由が分かった気がしました。しかし、この脇から見てもヤバいと思える高さ。本当に飛ぶ輩が居るのかと思ったら、大学のサークルとかなんかっぽい10人位の集団がムササビ様のジャンプスーツを着て脇を通っていきました。暫くして見たのが以下のビデオ。

ここをクリックして頂ければ見られると思います。
更にこの下は、全く同じ事をエガちゃんがやったものです。

みているこちらがトラウマになりそうな感じで、「これは1千万積まれてもやらんな」と思ったのが正直なところです。実はこのビデオを撮っていた時に周りにオジサン達も沢山居たのですが、このビデオの最後に脇で一緒に見ていた息子が「ごほっ」と咳込んでいます。実は唾液を結構一緒に吐いていたので「?」車に酔ったのかなと思っていたのですが、この後これが何の意味だったのか家に帰って解る事になるのでした。

またその件は明日書きますが、とりあえず今日はここまで。

2024年4月27日土曜日

仕事が早い人

仕事が早い人の方法論は「完璧を求めない」という事に尽きると思っています。

私の尊敬する人達の仕事のやり方を見ていると、結果を出すという意味では常に仕事のアウトプットが多産なのは60点主義の人。この振れ幅は各人の能力にもよるのでしょうから、人によってはそれが50だったり、80だったりする場合も有るでしょう。

しかし、身近で見ていて早い人は大体揃って狙うレンジが6‐7割前後で「最終送り出し」をしているように思えます。

結局、いつまで経っても姿を現さずに形の見えない成果で人を待たせ苛立たせること無く、何らかの形を成果として見せ続ける事で、完璧主義者でいつまでもその成果が出せずに時機を逸してしまう人、競争のスタート地点に立てない人を超えていくのです。特に研究では完璧主義者は先を見通せては居ても負ける事が多々あるのでした。

無論、何年も潜って研究等で恐ろしい成果を出す人達も当然ある訳ですが、そういうパターンを世間が許してくれるという事は「スピードと手数重視」の短期的成果を見せる事を要求される世知辛い世の中では、あまり歓迎されないスタイルなのです。

翻って、医者の仕事は基本的に「手数」で勝負という感じの仕事が多いのですが、100%を求めつつも基地のパターンに現症を嵌め込み、「素早く」決断を繰り返すことも大切な要素。そういう意味では日々勉強して知識の幅と深さを深めつつも「今手の届く範囲」でやれる事を積み重ねることをリクエストされる仕事ですので、なかなか深淵を極めるという感じでは満足できないところです。

そういう意味では、実に謙遜の意味でも何でもなく、事実として浅学菲才を絵に描いたような私には、医者という仕事は何とも手に余るところも多いのでした。


2024年4月26日金曜日

止まらない円安orz

何ともまあ異様な速度で円安が進んでいます。

下の為替チャートを見るとその凄まじい迄の変化を見ることが出来ます。
これを一本調子と言わずして何というのでしょうか
淡々と且つノンストップで進んで行く一本調子の円安の今回の締めは日銀総裁による様子見でした。何度も何度もヒットポイント35位の小者が出てきては注意深く見守っているという何時もの「効かない」ブラフをかませ、日銀総裁の植田和男がその姿を見せては何かボソボソ言っていますが、もう本当に胆力の無さが風体に出るといういうのはこの事かというレベルの人相。
昔はこんなスキャンダルも出ていましたが、国のかじ取りを上手くやりきるのならそれも構いますまい。しかし、実際は止まるところを知らぬ円安を全くコントロールでき無いタダの死神博士。w

昔からお勉強も出来た方なんでしょうが、現実の経済の世界は魑魅魍魎の住む世界。象牙の塔の中の理論構築では実業界の海千山千はその知力と経験と胆力において全く相手になりません。

かなり前に居た速水、福田、白川にしてもこのオッサンにしても何か本当に日銀と云うのは日本の中にあって国立大学の象牙の塔から出てきた「世間知らずの役立たず」が、次々に自分の拘りに寄りかかって日本のの国力を貶める方向に邁進しているようにしか見えません。

ゼロ金利政策然り、2%の物価上昇への拘り然り。常に現実のあるべき目標と時間、タイミング、量の何れもがズレていると感じます。国のかじ取りを任せられる器量があるとはとても思えんのです。

そもそも、全く迫力が無い。こんなオッサンが何か言うたところで、市場がその「顔と言葉」に反応するでしょうか?

はあ、アメリカに送金するオレ。死にそうです。w

2024年4月25日木曜日

アメリカの家の改造続く

いやいや、金を幾ら積まれてもこの仕事は出来ません!と断言できる仕事を見せつけられました。

家の前にある巨大な木の話は既に書きましたが、遂に今回それが切り倒されました。改めてこれら一連の写真等を見てみると、何ともドでか過ぎて個人的にはどんなに金を積まれても無理だなという作業だという事が良く解りました。

いわゆる「命が幾つあっても足りない」というレベルの作業。まあ、百聞は一見に如かずです。
最初に切り落とされた大量の枝葉だけでも凄い量です。
最終的に切り落とされた幹の切り分けが進んでいます。
残った幹は最後に切株も含めて処理されるのです。
取り敢えず、一人の怪我人も出さずに作業を終えてくれたようです。冗談雨季でこの高さから落ちたら即死以外の何もあり得ません。家の前にそんなスティグマを付け足したくは有りませんので、何よりでした。

2024年4月24日水曜日

上には上が、先には先が

専門性と経験と云うのは医療では大切です。

医療に限らず、学問の世界でもどこまで行っても凄い人というのが居て、上には上というレベルが常に存在しています。記憶力の凄い人、発想力の凄い人、論理的思考力が凄い人、スキルが別次元の人物、そのうち二つが凄い人、三つも凄い人、そして全てが凄い人というのが居て、日本でもアメリカでもそういう人達を見てきました。

勿論、アメリカは世界中から凄い人達が集まってありとあらゆる分野で競争していますから、その頂点の尖がり具合も日本の高レベルの尖がり具合以上に別格の尖り具合を見せます。医療もここ10年以上はアメリカからの改革の流れが日本でも応用されるというパターンが普通になっちゃって残念ですね。本当は日本発、海外へと云うのが多くあって欲しいという思いは強いのですが。

しかし、まあ翻って日常診療の話になると話は一段落ち着いてきて、日本における私の日常生活の医療圏ではそういったピッカピカの超高レベルの医療のど真ん中を日々利用できる環境からは程遠く、その技術の恩恵を「間接的に」受けてはいても裾野のさらに端っこで種々の先端知識のおこぼれを使わせてもらえる、もしくはそういった医療機関への紹介で物事を進めていける環境に居るというのが実情です。

それでも、日本、特に名古屋などの大都市圏は十分に先端医療を「異様に安価に」利用出来る環境だと強く思いますし、恵まれていると思います。

実際に、こういう環境の中でもあちらこちらにぽつもつと凄腕と云うのは潜んでおられて、それぞれの分野で「この人に頼めばかなり安心して任せられる」もしくは「この人で駄目であれば諦めがつく」というレベルの人は居る訳で、やはり大都市圏は医療事情に関しては幸せだなとつくづく思います。これが田舎になると、あそこの病院で何もかも完結せざるを得ないというのが普通で、(受け入れる側の医師もそれが解っているので、殆どの場合、断る事もしません。)一部の金持ちを除けば地元を離れて治療を受ける為に名医の下に寄っていくという事はなかなか現実的に難しいというのが事実だと思います。

ここで気を付けておかねばならないのは、週刊誌などで毎度特集が組まれるような記事に出て来る医者達が必ずしも「名医」では無いという事。ああいうのは金払って載ってるのも多いのです。w

調べるのなら、地元の知り合いの医者に聞いてみるのがベスト。知り合いの伝手を辿ってでも「手の届く範囲の正解手」というのが見えて来る筈です。何かあったら手間暇時間をかけていろいろと伝手を辿って正解手を探しましょう!

内部事情を知っている側からすれば、大学病院が正解とか言う事も「決して」もしくは「必ずしも」ありませんので、そこは御留意くださいね。

2024年4月23日火曜日

バカとアホウの絡み合い

名古屋で判決!という事でネット上で「頂き女子りりちゃん」と名乗り、恋愛感情を利用して男性3人から計約1億5,500万円を騙し取ったとされる渡辺真衣被告(25)に対し、懲役9年、罰金800万円(たった!)の判決を言い渡しました。裁判長は男性の好意につけ込む狡猾な犯行と述べております。

渡辺被告はマッチングアプリを通じて男性達から上記の現金を騙し取るだけでなく、詐欺の手法をまとめたマニュアルを名古屋の別の女に販売してまた新たな別の被害者を作り出していたといいます。被害者の中には生命保険を解約してほぼ全財産!を渡した人もいたというのですが…。ひとこと言わせてください。

騙す方も騙される方もバカ。しかも究極の。orz

被害者のおっさん達には大変申し訳ないのですが、この見かけからして頭の非常に悪いりりちゃんと、それを騙して金を巻き上げ続けた糞ホストと、騙された3人のおっさん達、そしてマニュアル買い取って他の人間を騙した女…みんな纏めてバカとアホウの大競演状態。w

もうホントに屑とゴミとがお互いのポケットに手を突っ込み合って上納金を吸い上げる仕組みそのものです。

悪いんですけど、まともな男で50過ぎであんな話し方をする、(申し訳ないけど)あんな激厚化粧の不細工に数千万突っ込むって、思考回路が焼き付いているとしか思えません。どう考えても、おっさんも下心があって金を貢いだはずで、最終的にこの女と何らかの成就を期待していた筈。まともな大人なら客観的に見て「被害者」として名前や顔を見せる事自体が世間の笑い者というかとんだ赤っ恥です。

知り合いのおばさんにこのりりちゃんの話をしたところ、当然ニュースで視ていたとの事で、「ホント、騙される方も騙される方よね~。腹の底から笑っちゃった。」とその後もゲラゲラ笑いながら話していました。まあ、女性の視点から見ても「おっさん、何やってんだか…」というのが本音じゃないでしょうか。

いい歳こいて正常な判断力無さ過ぎ。犯罪としては許されるものではありませんが、構図全体を俯瞰するともう、言えることは一言「情けない」です。

まあ、若い女性の9年間というのは貴重な時間。これを奪われるわけですが、果たしてこれ以上裁判を続ける資力があるのか?まあ、こんな女に再び全国から「篤志家のおじさん方」がまた投げ銭してくれるのかもしれませんね~。

平和な日本です。w

2024年4月22日月曜日

久しぶりにPCを掃除したら大変な事に

まだまだふるさと納税の還元率が素晴らしかった頃。

野ブタ聖子が弄って還元率をガックリ下げて以降はかなり冴えない制度になりましたが、私が日本に帰国して暫くしてその制度の存在に気づき、使用し始めた6年ほど前くらいではまだまだそれを申し込むのに「お得感」の高い制度でした。

そのころは、今と違って余りその使い道を考える事も無く、日用品にその使い道を振り分ける等というようなやり方も習得しておりませんでした。そこで一念発起して支払ったのはある会社のゲーミング用PCを購入。

その当時のほぼ最高のグラフィック・ボードを搭載したものを手に入れたのですが、結局このPCは今現在完全に息子のYouTube閲覧マシンになっていて、ほぼグラボの性能など何の関係も無い事になっています。

昨日、息子が外部のショート・ステイを利用していたため、このマシンは今晩は空き状態。そこで、ちょっと懸案にしていたアメリカから持って帰っていた他のPCに入っていた二台のHDとこのPCを繋いでデータを吸い出すことをする事にしました。あと、DVD-RWも接続する事。

そこで、PCをオープンしてシャカシャカと中を観察してみるととんでもない事になっていました。

そうです、有り得ない程の大量のダストが中に積もってありとあらゆる排気口を塞いでいたのでした。箱ものPCアルアルですが全くもってこれでは高級集塵機。w これでは

そこで徹底的に中の掃除をする事にして掃除機を持ってきてブラシをあてがいながらどんどんと埃を吸っていきました。途中で、余りの埃の量に掃除機が警告音と共に停止して埃目詰まりを告げましたが、ダストを捨てた後に再度クリーニングを継続。最終的にはそれなりに奇麗になりました。

後はHD等をカチャカチャと繋げていきましたが、あると思っていた余りのSATA cablesが見当たらなくて作業を一時中断してパネルを閉じました。

その後、アマゾンでケーブルを何本か注文して終了。明日には接続する事が出来るでしょう。
いやあ、それにしてもこういう事が起きる事を知って居ながら怠けてここまで放っておいたのは危険でした。もう少しそのままにしていたら、良くてPC廃棄。最悪だったら火事になっていたかもしれません。

久しぶりに自作PCを作った時の事を思い出しました。^^

2024年4月21日日曜日

息子と二人で広重美術館と大正村へ

この週末は、息子とチコリ村に行って美味いものでも腹一杯食べようというアイディアもあったのですが、ちょっと作戦を変更。

この前までお世話になっていた退職されたばかりのリネンのおばさんを誘って四日市にいつもの干物を食べに行くというアイディアを、車庫から車を出した後に思いついて(いつもの様に行き当たりばったりで)おばさんを誘ってみたところ、案の定午後からは既に予定が入っているという事でこの案は延期兼本日は没で即撃沈。まあ、子供の様な提案ですから無理もないんですが。w

さて、そこで即変更してみた次の考えは、前回の岐阜の週末小旅行で行けなかった恵那にある中山道広重美術館という方向性。前回の「いわむら城下町」へ行く道すがらの掲示板に広重美術館の書き込みがあったのですが、マップ上では近いけれども目的地とは反対側という事で、泣く泣く訪問先への組み込みを却下した場所だったのです。(時間が午後の遅い時間だったことから仕方なかったんですけどね。)

車も全く混んでいなくてあっと言う間に美術館に到着しました。百聞は一見に如かず。以下の様な感じです。
篤志家による寄贈品で構成された素晴らしい美術館。
ビッグな金持ちの金の使い方で最もカッコイイ金の使い方です!
奥の方には解説のビデオもあるのですが、
実際に本物の版画を自分達で作成する事が出来ます。
このコーナーでは息子と二人で三種類の版画を作成していきました。息子と二人での共同作業なのですが、ズレるズレる!w 本物の版画を作成する事の難しさを深く実感したのです。
素晴らしい構図の錦絵の複製の数々。
いわゆる元の肉筆の絵から「錦絵」に至る迄の歴史の解説もあったのですが、錦絵に到達した後の更なる技巧の発展と拡張はやはり世界に冠たるものだな~と只々感心するばかりでした。
帰り際に入り口をパチリ。
全てを見終わって帰りに入り口のミュージアム・ストアで浮世絵の解説本と娘へのちょっとしたお土産を買い込みました。(息子と二人での入館は障碍者手帳で無料でした)

その後すぐに日本大正村へと移動です。これも以前いわむらに来た時に目に入った情報が元になっていて、岩村城城址からさらに奥まったところにある町で、明智光秀のお墓があるところに広がる大正ロマンあふれる村でした。

スタート地点の大正村の駐車場の観光案内所で障碍者割引でチケットを購入。二人で400円だったかな?雨のそぼ降る中walkingを開始しました。
いいでしょ~!この雰囲気!
もう、これだけのスタート地点だけで時代の空気の流れを感じてしまいます。
雨降る中を息子と二人で歩き合わっていきます。息子には何のことだか良く解っていませんが。w
郵便局へ上がっていく前の街角。
周りの家々もレトロそのものです。
郵便局の中の廊下。
床の雰囲気が素晴らしいの一言に尽きます。
この暗さも自然光そのもので、ギンギンに光がっ入って来るだけの現代の日本の建築とはまた異なります。

高峰三枝子>司葉子>竹下景子と美人によって引き継がれてきた大正村の村長さん達のつかさどられる大正ロマン館です。いろんな展示物が沢山。是非行ってみられることをお勧めします。
一番右が雷伝為衛門の手形と書いてありましたが、
もう只々あきれるばかりのジャイアントさです。
移設されて復元された旧三宅家。
中のいろりは下の写真ですが、本当居風情があります。
東京から来たと思しきおっさん達が地元の人の焚く火に酔いしれていました。
大正の木造建築の家々に入って気づくのはその陰影の深さ。家々に電気がやっと届き始めた時代前後の陰影の醸し出す様子は「本来の」日本の家庭にあった雰囲気が、今とは全く異なったものであった事を強く想起させる素晴らしい体験でした。とくに、この三宅家の奥の部屋などは今の人からしたら「なんて薄暗いんだろう」と思われかねない部屋ですが、私にはそれが逆に谷崎の世界を思い浮かばせる素敵なものに思えてなりませんでした。
これは大正時代館。右側に見えるのは個人用テレフォン・ボックス!
当時のお医者さんが家の中に持っていた電話ボックスまでそのまま見えていました。猛烈に金持ちだったんですね。今の医者と比べるとその彼我の差たるや・・・。トホホです。
ここに座っておられたオバサンが息子と私に砂糖菓子を振舞って下さいました。岐阜県人の優しさが我々へ振舞われたお菓子一本ずつで永遠のものとなりました!^^
明智公の眠る祠が奥に見えています。
夕方に訪れた雨のしのつく霊廟には息子と私以外誰もいませんでした。
思わず心から手を合せました。息子も真似だけはしていました。^^
帰りがけに車を停めて思わずパチリと撮った一枚。
風情とはまさにこの事でしょうか。
全て観終わった後で、息子と二人でこの近所のValorに入ってお菓子を買い込み、車で飲み食いしながら帰りに藤一番でラーメンのセットなどを食べて、ちょっと疲れてしまったかもしれない息子をハッピー・フェイスに戻して帰宅したのでした。

この前の岩村も良かったですけど、ここも良かったな~。岐阜畏るべし。

※そう言えば司葉子さんの成果は大正ロマン館の直ぐ傍でしたが時間が無くて寄れませんでした。



2024年4月20日土曜日

イギリスの決意とたばこ産業の終わりの始まり

遂にG7参加国でも始まりました。

イギリスで、スーナク首相による「紙たばこ・電子たばこ法案」(2009年1月1日以降に生まれた人が生涯にわたってたばこ製品を買えなくする!)383対67の賛成多数で下院で可決されました。恐らく今年後半には上院も通過するものと思われます。

同じ英連邦に属するニュージーランドの同様の法律(2022年、2009年以降に生まれた人への紙巻きたばこの販売を禁止する法案)に触発されたものです。残念ながら同国では政権交代で撤廃されてしまいましたが…。 

当然、一部では「人が成長する過程で意思決定ができるようになるまで、彼らを保護することは非常に重要だ。しかし大人を自分自身から守るという考え方は非常に問題だと思う」 とか「政府が人々に何をすべきかを指示する中毒性」とか「良い決断も悪い決断も自由にできる自由な社会に住みたい」と懸念していると語る人もいましたし、そういった意見を表明する人他達が居る事も理解はできます。また、ソレはソレで健全なものだとは思います。

しかし、 ヴィクトリア・アトキンス保健相は「依存症に自由はない」とたばこのない世代を作り出すと決意表明しましたし、その依存性の強さから自分の医師としての経験をもとに「ニコチンは人々の選択の自由を奪う」ものだと言い切っています。喫煙者達の週末増を知っている医師だからこそ言える真っ当な意見だと思います。 

「喫煙者の大半は若いときに喫煙を始め、その4分の3は、もし時間を戻せるなら喫煙を始めなかったと言う」イギリスでの事実は間違いなく日本でも当てはまります。私自身、この手の終末期の患者さん達の呻き声を何十回聞いてきた事か! 

イギリスでは喫煙が予防可能な死因の中で最大で、長期喫煙者の3分の2がたばこによる死亡とされ、毎年およそ8万人が喫煙関連の死亡しています。新法案では子ども達に紙たばこや電子たばこを販売した店舗に対して、その場で100ポンドの罰金を科す新たな権限を取引基準監督官に与える予定ともされています。

更に、集められた罰金は循環的に取り締まりに使われます。イギリスでは18歳未満の喫煙は違法とされていますが、統計によれば5人に1人の子どもが電子たばこを試したことがあると報告されています。タバコとはそういうものなのです。嗜好品になる前に先ずは大人の雰囲気を味わう若い犠牲者から作り始めるという事。

結局、入り口をギューギューに絞って、喫煙という経験に晒される経験者自体を減らすことで最終的な被害者を減らすという事になるのでしょう。

恐らく近未来には喫煙という行為自体に縛られる人は高価な闇タバコに金を使い続ける事で細々と残っていくのでしょうが、時間の経過とともにやがては何歳であろうと公衆の面前で吸っている人間は存在してはいけない事になる訳で、現時点での麻薬としての扱いと同様になる訳です。

これがどうなるか、残りの国々も固唾を飲んで見守っていく事になるでしょう。JTよ、もうたばこ事業は諦めなさい。w

2024年4月19日金曜日

画材の値上がりが異様

次女と画材の調達に守山の方にある画材店に向かいました。

何時もの道を通って店には直ぐに着いたのですが、駐車場で車を降りた後に店に先に入っていた次女が店内で固まっていました。

後から入ってきた私が「?」と思って近づいてみると、「高い!買うのやめよう」と言ってすぐに出ていこうとします。そんなもん?と訝し気に感じつつもそのままスッと店を出ていった次女について車に戻ると助手席で「なんで~?前来た時に買った時は2万8千位だったのに、今日見たら4万6千円って書いてあった!(怒)」という感じで呆れて言い放ったのでした。

おお~、確かにそれは「高騰」と呼べるレベルの変化。w

探しているのは標準的なジェッソによるある程度の下塗りがなされた140~150センチの幅の10m巻きのロール・キャンバスというもの。

一年ちょっとで6割も値上げっていうのはいくら何でも…と私も感じたので、娘には「アマゾンとかで調べてみたらきっともっと安くで手に入るんじゃない?」と一言いってみました。とは言え、娘は日本語でのモノの検索がいまいち苦手なので私がやる事になるだろうと思って早速家に帰った後で調べてみたところ、確かに日本中に店はあるのですが値段や品質もピンキリで、中華製でないものはやはり安くとも(ジェッソの塗布無しでも)2万円くらいからする事がわかりました。

そこでここはメルカリも使ってみるべいという事で検索をかけてみると一件それらしいものが引っ掛かりました。期待通りの「間違って買っちゃったので、お売りします」というもの。値段は送料込みで22,000円なので悪くはありません。

取り敢えず出品者に連絡をして遣り取りをしてみている所ですが、特に問題が無ければ買ってあげようと思っています。

ウクライナとロシアの戦争や中東の海賊どもの所為でいろんなものが高騰しちゃったんでしょうかね?勘弁です。

2024年4月18日木曜日

病院で眠れない人達

爺ちゃん婆ちゃんを中心として病院で夜眠れない人達は毎晩たくさん出ております。

眠剤を欲しがる人もいれば、眠剤が嫌いであくまで服用したくない人もおられて、その選択の中で私の方は最適と思われる方法を提案します。

眠りたくて、かつお薬を使いたい人にはオレキシン受容体拮抗薬をまずは最初の処方として試してもらいます。私としては昔々からあるような依存性の強いベンゾジアゾピン系のお薬はほぼ全く使わないようにしているのですが、理由は簡単でその依存性故にその薬の呪縛から逃れられずに何十年にもわたってこのベンゾジアゾピン系の薬から逃れられない人間たちが世界中に信じられない程いるからです。

我々の世代以降の先生方は当然この事を知っていて「あの薬が無いと眠れません」という被害者を我々医師自身が作り出さないためにも、可能な限り患者さん達に説明して止めています。

このベンゾジアゾピン系の薬をオレキシン受容体拮抗剤に置き換えたりしていく事が成功する事もあるのですが、絶対に元の古い薬の依存から抜け出せない人達が3割位は居るのです。残念な事ですが。こういう事を見たくないので処方自体を可能な限り避けています。

さて、この不眠という厄介な相手を何とか手なずけようとする訳ですが、基本的にこういう不眠を訴える患者さんはまずその生活習慣からして「夜に眠れない」状況を作り出しています。まず体を動かさない。そして最大の敵は昼に発生する長時間のお昼寝です。^^

「する事が無い」というのは夜の眠りを求める患者さん達にとって最大の敵で、リハビリをしない人や出来ない人を中心に体の疲れというものが溜まりません。その結果、夜はギンギンという悪循環に陥るのです。

そこで、看護師さん達にも協力を仰いで、昼にはなるべく眠らないようにいろいろな話しかけやアクティビティの導入を行って「眠らないお昼」を作り出すようにしています。

まあ、それでもお昼寝しちゃう人達は沢山おられるんですけどね・・・。

不眠。なかなかの難敵です。

2024年4月17日水曜日

中国の人口が急減する理由を知った気が…

中国の人口が急減する理由を今日知った気がしました。

今日、患者さんの処置を終えた後にその処置を手伝ってくれた中国人の女の子と片づけを一緒にしながら軽く会話をしていました。

内容は何時も他愛も無いものなのですが、今日のお話は日本語が上手くなった事に驚いた話の延長で「日本にはずっと住んでくれる予定?」とか、「日ごろは友達と遊びに出たりしてるかい?」とかいう、話をしていました。

次女と一つ違いの年齢で、お父さんは小さい頃に両親が離婚した関係でよく知らず、お母さんの手一つで育てられてきた女の子です。まあ、それを知るに至った経緯は省きますが、彼女っは仕事を直ぐに覚えてかつ確実。指示を直ぐに理解して先回りしていろいろと準備をすることが出来る、いわゆる「出来る子」です。

その子が唐突に話してくれたのは結婚の話。

熱く語ってくれたのは「結婚はしない!」という事でした。曰く「面倒くさい」というのです。その理由を更に聞くと「自分が一人で居る事が気楽で良いし、他の人と一緒に居ると疲れる」と言います。子供に関して言うと「いやいやいやいや、絶対いや」と驚異の勢いで全否定。w

「中国で子供を育てるには物凄くお金が要ります」とのことで、だから無理だし子供は手がかかるから嫌です、と言うもう助言を挟む余地が全くない様なドライな切り替えし。更には「私は女の子で生まれたからお父さんに捨てられたし、そんな中国に戻るのは嫌です」との強い言葉も出て来ました。

取り付く島も無いという感じはこんな感じでしょうか。

余りにも強い言葉で結婚や出産を否定し続けるもので、空気を和らげるつもりで「イケメンの彼氏が眼の前に現れたらどうするよ!」と、昭和のオヤジ丸出しの質問をぶつけたところ「ああ~、その時はイケメン!カッコイイね~、で終わりです」と、淡々とした返答。orz

オジサンは中国の今後の人口増は難しいな、と普通の中国の女の子の一人と会話をしてみてストレートに感じたのでした。習のおっさんが何を言おうと効果は無かろうなと感じた次第でした。


2024年4月16日火曜日

90代の仲良し御夫婦

在宅診療で94歳のお爺さんと92歳のお婆さん御夫婦のお家を訪れるチャンスがありました。

生きているだけでも凄いなと思うんですが、お爺さんはいろいろな疾患を抱えつつも頭の方は未だ90代なりにしっかりしている所が凄い人で、昔は名古屋の路面電車の運転手や地下鉄の運転手をされていおられたとの事。退職してからもまだ仕事をされていた様で、ボケる暇が無かった感じの方ですね。

一方、お婆ちゃんの方は2歳お若いのですが残念ながらお爺ちゃんの手を握ってさすっては「おじいちゃん」と呼んでニッコリするだけで、お話もする事はなくほぼ一日椅子の上に座ってこくりこくりと舟を漕ぐように寝ておられるご様子。

息子さんでさえ当然の様に70前後なのですが、家にお二人を置いたまま一緒に同居生活。毎日のようにお二人の家には看護師さんかヘルパーさんが来られては面倒を見て下さっています。一見すると、大きな病気もせずに時間が与えた「老衰」くらいが病気らしい病気。

この方々を見ているとこういった老後は世間で云う所の幸せな老後なんでしょうが、私はここに至る迄にぽっくり逝ってしまいたいと正直思います。

出来れば誰の世話にもなりたくないし、私自身の理想の死に方は「行き倒れ」です。金も名前も見送りも墓も要らない。一切忘れ去られてそれで人生は終わりというのが理想。勿論葬式や戒名等と云うのも余計な飾り。

実際、もうそろそろ息子以外との家族とも縁を切って一人でつましく生きたいなと思うばかりです。娘達も一人で生きていける年にまで十分育てましたから、私にはもう責任は無い。彼女達も偉そうな意見を言う程には十分デカいのでもう大丈夫。w

私が生きて稼いでいる間は今まで通りの十分以上の現金は送金するし、光熱費なんかも払うし、あと数年はかかるマンションのローンも払うのは自分で全く構いません。払い終わった後は勝手に売り払うも良し。

その代わり一人の時間を何もないボロ家の一室で好きな本を読んで過ごし、たまに息子と遊ぶ以外は田舎の残りの消えゆく実家の家族の最後をどうするかという事だけを考えて過ごしたいなと思う毎日です。

これって贅沢な望みですかね?^^

2024年4月15日月曜日

ドでかい木を切り倒すか?

アメリカにある家の真ん前に立っているoak(樫の木)を切り倒すか否かで迷っています。

木自体は少なくともアメリカ東部にはどこでもあるような(他のエリアの事あんまり知りませんw)何の変哲もない樫の木なんですけど、大の男が一人ではぎりぎり抱えきれない程度のサイズの幹の太さで、高さも少なくとも普通の家の高さで言うと三階半から四階分くらいある感じです。

この樫の木っていうのは意外と厄介者で、枝が良く末端の方から枯れてぼとぼとと落ちてきます。そしてこの細かい枝を片付けるのは別に季節に寄らないという点が非常に厄介です。更には、小枝だけでは無く時と場合によっては人の腕くらいの枝もボド~ッという感じで朝なんかに落ちていたりするのです。

要するに、もしこれが人がたまたま通りかかった時に落ちていたら?なんて言う事を考えるとその堕ちている枝の量からしてそれほど「有り得ない話」ではないという事が皮膚感覚で理解できるのです。また、アメリカあるあるなんですが、ハリケーンがやってきた際にこのどでかい木が家の方に倒れてきて家を壊したときには目も当てられません。更にその木が隣の家をぶっ壊してしまったら…等、想像しただけでガックリです。orz

そういう事の発生を防ぐためには当然の様にこのぶっとい木を切り倒さなければならないんですが、デカくなればなるほどその価格はつり上がっていくのは世界のどこでも一緒。数千ドルはするという感覚です。

個人で切り取れる木の高さと云うのは精々のところ二階をギリギリ越さない程度のものでしかありません。それ以上になると素人では絶対的に安全の確保が出来ない領域に入っていく気がします。たかが木一本の為に自分の命を無くすなんて事になったら全く洒落になりませんもんね。生きていればこそというのは幾らでもありますから。

そこで、アメリカの家に住んでいる女性の方に頼んで近所の業者でそういうことをやっている業者などを探してみて貰ったのですが、二つの業者で出して貰った見積もりを見たところ大体$2,000+αで木全体を切り倒してくれて、あと$200位足せば根っこ全体もぐラインディングしてくれてremoval終了となるようです。

円安の今の御時世…また50万円か~と溜息が出るばかりです。

2024年4月14日日曜日

岐阜の事を知らないので・・・

今週末は息子を連れてちょっとだけ岐阜の方へ北上してきました。

名古屋に住んでいても、なかなか自分では東西南以外に動きません。基本的に知っている所に何度も行く、そしてその行った先の周辺を少し開拓するという動きが多くなっているのが名古屋に来てからの私の動きです。

しかし「極マレ」に来たの岐阜の方へ行くこともありました。それは以前にもここに来たおちょぼ稲荷。それ以外は愛知側にある一宮や犬山城に行くくらいでしょうか?まあ、先日は岐阜の航空博物館に行ったというのが本当の岐阜へ行った経験という感じ。

岐阜の人には本当に申し訳ないくらい岐阜の事を知らないというのが本当のところでした。

そもそも岐阜市に行って何かをした事が無いし、岐阜の名物も歴史も知らない。岐阜弁で有名なフレーズは何かというのも知らないというのが実態です。

そこで、今回は四日市のひものを食いに行こうかなという思いを抱いていたのを名古屋口の高速に入った直後にそこを直進せず「先ずは岐阜」に行こうと左の枝分かれに入り、ずんずんと北上して行く事にしました。

守山のインターでいったん停車して息子にジュースを買ってトイレ休憩をしている間にこの春行きたい・岐阜の観光スポットXX選!何ていう感じの検索をかけていたら見慣れない言葉として「いわむら城下町」という結果が出てきました。中身を読んでみると「重要伝統的建造物群保存地区」として、近世の商家群を中心に江戸の頃からの風情を残した家々が軒を並べているのでした。

幸いなことに天気も良かったので、午後一時過ぎに家を出たこともあり少し遅めかなと思ったんですが、ナビの予想到着時刻を見ると、まだ少しは余裕がありそうでしたので城下町へ!

途中で阿木川ダムにも寄って葉桜になり始めた桜の名残りを愉しみつつもう少し北上。トンネルを抜けていくとそこには本当の城下町がありました。本来であれば岩村城址のほうにも足を延ばすべきなのでしょうが、そこは時間の制約上、今回は無理。同様に来る途中にあった広重の浮世絵博物館もパスしています。

到着するとそこは本当の江戸の世界を容易に想像できるレベルの素晴らしい家並みで「よくぞこんな所を残してくれました」という言葉が口をついて出て来るほどの良い感じオーラが出ていました。

五平餅を食べたり、ジュースを飲んだり、燻製チーズを頬張ったりしながらブラブラと息子と二人で散歩。優しい町の人達と気軽に会話をしながら散策する日曜の岩村はもう一度行かなければと思える場所となりました。

木村家、勝川家、浅見家などの豪商の家を観ながら中の案内をして下さったボランティアの方々にも親切にして頂き気持ちもハッピーそのもの。歴史の講義を簡単に聞きながら展示されている江戸や明治の色々なものに触れ、いろいろとそこに住んだ人々の心意気や哲学に啓発されました。

コレと言った特段のお土産が無いのがまた良いところで、ここでは体験こそが最良のお土産となりました。(あと全く知らなかったんですが、「半分、青い。」や「銀河鉄道の父」等のドラマもここで撮影されていたことを知り、実に納得したのでした。)

帰りは何の支障もなくスッと帰れましたが、まだまだ岐阜にはいくべき所が沢山隠れていそうです。高山なんかにももう四半世紀は行ってませんからそろそろリターンすべきでしょうかね。^^
説明不要でしょうか?
豪商木村家のお殿様用の通り道を逆から眺めました。
鴨居やその叢書勲位も隠れた贅が尽くされています。
ちなみに下の板目は屋久島の材。
上の波の眺めは殿様の為に漆を塗った貝の飾りと共にあります。
江戸時代そのもの。^^
炊事場もまるで映画のセットです。こっちが本物ですが。w
右に見えるのは物品持ち上げ用の手動エレベーター。
電柱など無い江戸・明治の街並みそのものです。

2024年4月13日土曜日

悪い飲み癖の女

折角の週末の独り呑みが台無しになりました。

時計の針が夜の八時を回ってそろそろ夜吞みには良い時間になってきたと思い、いそいそと地下鉄の駅へ向かい覚王山へ。何時もの店に行って何時もの席に座ろうとしましたが、土曜は流石にそう簡単には座れません。

仕方ないので、店主さんに許しを得て奥の方へと向かい、己の席を隅っこに得ました。基本的にどこに座っても良いのですが、最近は連続して良い感じでカウンター席が空いていたので座れたのですが、今日はその会話内容から仕事を始めたばかりと思われるお若い方々で埋め尽くされていたので、なかなか座れませんでした。

左側に座っていた人達とその更に向こう側に居た大きなグループは医療系の国家資格や集中治療室での処置の話を看護師さん側の視点からと思われる内容の話をしていましたので、恐らく間違いなく看護師さん、かつ集中治療室があるようなこの辺りにある大きめの病院の人達だと思われました。

さて、問題はその後。

私もちょこちょこと酒を呑みながら独りで泡盛を愉しんでいたのですが、暫くするとマスターから声がかかり「カウンター空きましたよ。良かったらどうぞ~」との案内がありましたので、ここは素直にその声に従い移動。しかし、これがいけませんでした…。

移動すると左には若い男女が、そして右には中年女性っぽい方が座っていたのですが、お互い簡単に自己紹介して再び酒を呑み始めたのですが、、、どうも既に右隣の女性は呑みすぎ状態のようで、良くない感じで絡んできます。

何となくそれなりに話をして相槌を打っていたんですが、だんだん面倒臭くなっていい加減な感じに。orz

私自身は左に座っている男女とは九州出身だという事がお互いに判って話が弾んで楽しかったのですが、そうやって左で話していると右の女性に話が戻った時に何だか怒ったような感じに…。段々とその喋り口調と泥酔振りに辟易してきた上に終電も近かったので、サクッと立ち上がって会計を済ませました。

会計の時には左の仕事を始めたばかりの女の子の分もお祝いを兼ねて黙って少しだけ補填。お父さんからの就職祝いのようなもんです。w

それにしても、いい歳こいて飲んだ時に悪い酔い方して周りに迷惑かけなさんな、という話。疲れました。今度は外していかんといけませんな。

2024年4月12日金曜日

ポーランド映画

ポーランド映画 「忘れられし愛」を観ました。

昔からポーランドの映画には世界を揺るがすような名作が揃って居ますが、今回の映画も偉大な~とは言わないのですが、良い映画だと思いました。特に私にとっては。

ネタバレにはなりますが、医療従事者にとって「人の命を救う」と言うのは究極の命題。その命題を真正面から描き出したのがこの映画です。Netflixはどうやってこういう映画を選び出すのか知りませんが、恐らく世界各国のその国の人々が選び出した自国の優良、もしくは話題作を俎上にあげて吟味した上でリストに乗っけてくるのでしょうね。

いろいろな国のいろいろな映画を観てきましたが、この映画も医療人の私にとっては良い映画でした。

ただ一つ言えることは「人の命を救える仕事」というのはきちんとした技術と知識を持つときに素晴らしい輝きを以て人の命を救います。その輝きは助けられた人々のみならず、実は助ける側の魂も救います。

世間の多くの人は医師の仕事をどうい見ているか知りませんが、大小の差異有れどヒポクラテスの誓いに則った哲学を仕事の根本に据えていると思います。勿論、美容外科の様な医師免許を持った「別の仕事」をする人達は同じ括りには入りませんけど・・・。

こういう映画を観ると、人を救う仕事と云うのは医療、看護、警察、消防、自衛隊等それぞれに職種は異なれど命を懸け人生を賭けるに足る仕事だなと改めて思うのでした。

しかし、何時も頑張りすぎてどうやら早死にしそうです。w

2024年4月11日木曜日

アメリカの家がますます凄い事に…

以前からこのブログでアメリカにある自分の家を日本人の方にお貸ししている事を書いています。

しかし、この方が自分のお仕事として室内等のペインティングをされている事も少し書いていたのですが、その方が家の壁や柱を含む内装を次々に変えて下さっているのです。我々自身は彼女のデザイン・センスやプロとしてのペインティングのスキルの高さを昔から知っているので、実はある事を彼女に委託したのです。

それは「お好きなように部屋をいじって下さって結構です」というものでした。

少なくとも部屋のデザイン変更を考えても、やはり仕上げの為のディティールの詰めやどれが質感としてベストの仕上げを決められるのかと言う経験の少なさ。それ故「この素材はこうして塗れば、この色を塗れば、こんな濃度で塗れば」という仕上がり予想を頭の中で描く事も出来ません。

更にこの方はあちこちのエリアに出かけていろいろな年代の家々の内装を観る機会があるので、現在の内装の平均的トレンドの変化、家主のリクエストの変化によるpopularityというものが皮膚感覚で分かっていること。

そんな人が自由に内装を考察して自分達が快適に住めるように塗り直してくれるのですから、これ以上に有りがたいことはありません。まさに「願っても無い」と言う状況です。

実際に時々嫁さん経由で送られてくるLINEの写真を見ると「いやはや」という立派な仕上げ。私も引っ越した当初には数部屋を必死で塗り直しましたが、塗装と言うのは平らな広い部分もさることながら、detailの部分の仕上げにこそプロとアマの仕事の質と速度の差が如実に出て来ます。

そして、その差が如実に出ているの写真が次々に出て来るのでもうアングリと言う状況。

今後、時間が経ってこの方がどのような案を練って部屋を変えていかれるのかまたジッと待っている状況ですが、素敵なものになりそうです。

将来、何時の日にか家を売る時の値段、何だか上がりそうな気がしますが、この方が住んでいる間は家賃は最初のままで何年も上げなくて結構です!と言ったのはまさに正解だったような気がします。

2024年4月10日水曜日

チャレンジを繰り返す新人さん達

4月に入って新人さん達が沢山の仕事を覚えてくれています。

素早く仕事のコツを掴んでいく人、なかなか吞み込みの悪い人、そしてそのどっちでもなさそうな人等々いろんな個性と能力を持った人達が入ってきています。そしてポイントは仕事の呑み込みが早いからと言って、長期的展望でその人達を眺めていった時に「良い看護師」になるかというのは少し(というか、かなり)話が違う気がします。

勿論、仕事への理解力が高い上にあっと言う間に仕事に馴染んでミスも少ない人も居りまして、そういう人達は当然の様に病棟では仕事をテキパキこなす人材として重宝されるわけです。しかし、そういう人だからと言って「看護」に向いているか否かはもう少し別の話。

何度もこのブログでは書いているのですが、人として年齢の高低や疾病の有無のみならず、一般的に「弱い」と言われる立場の人に対する思いやり(compassion)が有るか無いかというのがその看護師さんを判断する最重要な基準線だと思っています。頭部の画像で言うドイツ水平面。生物学で言うmRNAの作り出すコード。物理学の相対性理論。数学では素数の存在のようなもんではないでしょうか。

それが無いとその世界自体が成り立たないよと言うような最も大事なもののうち、看護の世界ではそれが「優しさ」だと思っています。この優しさを持った人達に「かくあって欲しい」という「その先」の付加事項として技術や仕事の素早さ等が結晶として伸びていってくれれば最高なのです。

逆に言うと技術などが幾らあったところで、患者さんに優しい気持ちで接することが出来ないような人間はやっぱり「この仕事には向いていない」と思います。いわゆる頭の良い人というのがこの仕事に向いている訳では無い事も実例としてこの八年間、嫌と言う程見てきました。(優しい上に賢くて仕事も出来て~と言うのならより良いのでしょうが)

翻って今年の新人さん。年齢も入職してきた背景もまさにバラバラですが、いろいろな形で私の周辺の仕事に関与している状況での仕事ぶりを観察していると、本質的に「弱者に優しい」という一点で全員合格だと思える当たり年だと思いました。

既に明確に仕事の終了具合の早い遅いの差はありますけど、其々の特徴を反映した良い看護師さんになっていくような気がしています。まだまだ出来ない事ばかりだし、考えても答えの直ぐには出てこない事が沢山あるだろうけど、悩みながら大きな人に育ってもらいたいと思います。

頑張れ新人さん達!^^

2024年4月9日火曜日

「すずめの戸締り」を観始めたが・・・

Netflixをチラ見したら「すずめの戸締り」を配信し始めていました。

おお、これはこれはと思って早速観始めたのですが、最初の画面が始まって直ぐに「???」と云う何か強烈におかしな感じを抱き始めていました。一体この違和感はナニ?と思っていたら数分で回答が出ました。

それはこの映画で使われている方言。どっかで聞いた事があるような方言のイントネーションだと思ってGoogleで「すずめの戸締り・方言」と言うキーワードで検索をしてみると答えは一発で出ました。
曰く宮﨑弁とな。orz
しかし、その映画で使われる宮﨑弁のイントネーションが余りに滅茶苦茶すぎて、ほぼトホホ状態。現地育ちの田舎者の俺が聞くと、何だか背中がぞわぞわするような「いや~、違いますですます~」としか感じません。宮崎弁と似ているんだけど、鹿児島弁のイントネーションというか宮崎南西部の喋り方が混じり込んでいる感じなんです。

特にあかんのは主人公。鈴芽のおばさんはまだ何とか頑張って方言を使おうという努力が感じられるのですが、鈴芽吹ちゃんに至ってはもう最初から最後まで標準語?の様な喋り方。まあ、途中から諦めました。w

シーンの中でカーフェリーが出ていますから、恐らく主人公の住む街はフェリーの出発地である宮崎市と思ったんですが、検索結果では日南の外浦港界隈という推測が書かれています。まあ、こんなのはいろいろな架空の設定の混ぜ合わさったものでしょうからどうでも良いんですけどね。そもそも、フェリーの行き先が四国という時点で架空ですが。

いろんな映画にいろんな聖地と云うものが存在しているようですが、既に日南にもこの映画に出て来る「扉」というもののレプリカが置いてある写真がインスタにあげてありました。

愛知でも私が知っているのは常滑が舞台になっている「泣きたい私は猫を被る」がありますが、良く調べてみるとこんなにたくさんありました。

追記:最後までみました。泣きました。

2024年4月8日月曜日

ダダ下がりの気持ち…

今日はガックリの一日の終わりとなりました。というか、始まりでしたね、、、実質的な。orz

五時半ごろには仕事を終えて家に帰ろうとしていました。何時に戻る時であろうと、事務当直室のその日の夜勤担当に声を掛けて少し世間話をしてから勤怠カードを打刻して家に戻るというのが私の勤務先での日常です。

今日もそんな感じで何時もの様に当直者と世間話をして下らない冗談を飛ばしながら今日の勤務を締めくくろうとしていました。気持ちは完全に勤務終了モード。

すると、夜勤の人間が私におかしな事を言い出しました。

「あれ?先生今日当直じゃなかったですか?」というおかしな呪文。今日の当直自体は私は別の常勤医に頼まれて入れ替えていた筈なのですが、どうもそれが途中で二転三転していたために、最終確認で今日という日が自分の当直になっている事を確かめておかなかった自分が悪いのですが、気分は完全に一日終了モードだった私には衝撃の瞬間でした。思わず「あちゃー」という声を出してしまいましたが「事実は事実」仕方がありません。

既にエンジンは切っていたつもりなのに、たった今から再始動して再び明日の朝までアイドリングをしなければならないと言われたようなものですが、重大案件が発生しない平和な夜である事を祈るしかありません。

ここに至って、本日のお疲れが一気に噴き出した感じで心に重くのしかかりました。しかし、そんな事も言っておられませんので、直ぐに当直室のカギを借りて荷物を移動。幸いなことに着替えのパンツは何時も運動用に余計に病院に持ってきていますので特に問題は有りません。

まあこういう時こそ禍を転じて福と為すしかありませんので、いろいろと残っていた紹介状関連の書類仕事を数件分片付けて後はゆっくりとした夜を過ごしました。

こんな私に同情してくれたのか、幸いなことに朝まで何の電話もかかって来ない珍しいほど平和な夜となりました。^^

2024年4月7日日曜日

あっちもこっちも花見・花見

息子を連れて野郎二人で花見三昧の一日でした。

最初に向かったのは藤が丘駅。ここは毎年桜まつりをやっていますが、実は我が家からその駅に向かうまでのいつもの散歩道こそが近隣のみならず結構遠くまで有名な「なにしおはば」と言うレベルの桜並木の有名な道です。

桜というのは虫対策がバッチリであれば結構春は美しく、夏は葉陰を作ってくれる素晴らしい樹木ですが、最近この並木道の桜は樹勢が無くなり明らかに老木となり、それに伴って枯れて折れたりする枝が目立ってきていました。

これに対して名古屋市はおそらくきちんと対策を立てているようで(当然といえば当然ですが)、樹木にナンバーを付けて桜の若木と植え替えをしていっています。
車も大量に出ています
列ごとどっかりと抜いて交換するのではなく、樹勢や落木のリスクを勘案している感じで、ヤバ気な樹から抜いてはそこに直径数センチクラスの若い桜を入れ込んでいます。何と言ってもアスファルトの路面に空けられた僅かな穴凹二植えられている桜ですから、おそらく根っこは息ができずに相当ストレスが掛かっていると思われますので、広々とした野山に咲く桜の木々とはまた違った老い方をしていくのでしょう。まあ、こういうのは人と同じです。

さて、我々二人は手を繋いで藤が丘駅の周りのお祭りを見物しながら五平餅やみたらし団子を注文してはぱくついていました。何と言ってもこういう所での買い食いは気分最高です。
人の出方が尋常ではありません
その後はすぐさま地下鉄に乗り栄駅で乗り換え、名城線右回りで二駅のところにある(新しく改名された)名古屋城駅で降りました。

地上に上がっていくと、そこはまた大勢の人々で賑わう別世界。いつもの金鯱横丁を抜けながら名古屋城の城郭内に入っていきました。息子の障がい者手帳のお陰で全く並ぶことなく長蛇の列をスキップ。無料であっという間に中に入れました。

中では例年と全く同じ配列と出し物で出店が並んでいました。いつも思うんですが、なんだか名古屋城内の食べ物屋台群は猥雑さやお愉しみ感とは程遠く、おとなしいく面白くないくせに値段だけはお高いという世界。

個人的いはこのセッティングは何だかお役人が考えて頑張りました的な印象を受ける毎年のこの時期です。
御城には種々の桜が植えてありその違いも目を愉しませます
名古屋城は相変わらず未だに入れずじまいでしたが、城の美しく見えるベスト・ポジションでは写真やさんが陣取っており、小さな写真は無料という謳い文句を巧みに使い写真を撮っていきませんかと誘っていました。

私は「たまにはこういうのも良いか」と誘いに乗って、親子二人で「はいチーズ」とポーズを決めて1200円の写真を買いました。
これは帰り際の御城の勇姿。早く改築始まらんかな…。
帰りには再び藤が丘駅にあるFreshness Burgerに立ち寄って、ハンバーガーをぱくついてから家路へと戻りました。あちこちで桜に囲まれた親子二人の幸せな一日でした。

2024年4月6日土曜日

親父大丈夫か?続き

取り敢えず、私に言われて親父は翌日直ぐに病院へ行ってくれました。

先ずはMRI/MRAをしてくれた事で判明したのは「虚血性変化」が観察されるという簡単な紙切れを渡されたようです。LINEで写真撮影されて送られてきたこの紙切れの他の項目欄にあるような陳旧性梗塞とか新鮮梗塞巣とかの記載は少なくとも有りませんでした。

しかしこれは恐らく一次読影であって、週明けには放射線専門医もしくは脳外科医による追加的な読影が入ると思われます。その証拠に、親父の貰った簡易診断の紙切れには月曜日にまた来てくださいとの記入がありましたので、恐らくそう云う手順となると思った通りの筋道です。

さて、今のところはそれなりの近場に住んでいる妹夫婦やその娘さんの観察に支えられて何とかかんとか生活している親父ですが、先日は妹との電話の遣り取りで「風呂の中でそのまま寝てしまって、気づいたらぬるくなっとる事がある」等という恐ろしい爆弾発言をしていたというから息子としては「なんじゃそりゃ!」です。

まさに何時死んでもおかしくない、恐らく日本全国で毎日発生している浴槽内死亡というやつそのもの。厚生労働省人口動態統計(令和3年)によると「高齢者の浴槽内での不慮の溺死及び溺水の死亡者数は4,750人で、交通事故死亡者数2,150人のおよそ2倍です。 冬場こそ入浴時に気をつけてください。」という別注の記述があるくらいです。ホントに何やってんだか…。

親父は親父で言うに事欠いて、妹との電話では「気持ち良いままあの世に良ければ最高じゃが!」等と死体を回収する側の気も知らず、妹に窘められていた様で、私も改めて親父と電話で話したときに「迷惑な死に方だけはやめてくれよ」と釘を刺しておきました。

が、どこまで本気で受け取ってくれたのか。気は小さく、細かなところに気がつくのに、自分の命に関しては意外な程いい加減。何だかこの記事を書いている息子に似ているような?

血は争えないもんなんでしょうか・・・。

やっぱりこんな事が起きているのを知ってしまうと、名古屋に呼び寄せる事を真剣に考えなければ!と思うんですが、こちらに迷惑をかけるのも嫌なんだそうで。難しいもんです。

2024年4月5日金曜日

親父大丈夫か?

本当に心配ばかりの今日の午後でした。

実は仕事をしている時に実家のある宮崎からと思われる「どこか」からの電話が入っていました。診療中には気づかなかったのですが、既にコールがあってから一時間ほど経過していました。orz

前にもここに書いたんですが、年老いた両親の居る田舎からかかってくる見ず知らずの人からの番号は「良く無い報せ」である可能性が90%と思っています。もしかすると95%位ですかね?ほぼ碌な事で無い事は確かと言って良いのではないでしょうか。

嫌な気分を心の中に抱きつつ、大変な報せで無い事を心の底で祈りつつその番号に折り返しの電話を入れたところ、それは母親がショート・ロングという形で滞在させて貰っている施設の担当者の方でした。恐る恐るその女性に「一体何があったのでしょうか」とお尋ねしたところ、その方は優しくかつ淡々と「最近、お父様がお母様のお薬を取りに行くのを忘れたり、来院する日付けを間違えたりされるんですよ」との報告でした。

要するにその連絡は親父が少し認知入ってきているんじゃないでしょうか?という真っ当なかつ親切な報告。私としては”良くないニュース”であるにしても、本当に感謝しかありませんでした。深く感謝を表して電話を切りましたが、その後に親父にLINEをしてみると案の定繋がらず。

暫く時間をおいて何時も親父の家に遊び行ってくれている親父の妹である私の叔母に電話を入れてみると「今日は昼に御飯を一緒に食べに行ったけど、あんたのお父さんが最近少し呂律が回って無いんじゃない?った話したところよ。あと、お父さんはやたらと歯の奥から唾液が出るんだけど、虫歯の所為かなって言ってた」と語ってくれました。

その話を聞いた瞬間、医者として思ったのは脳梗塞の可能性でした。

実はその後に親父と話をした時に感じたのは電話口では呂律がおかしいという感じはそれほど受けなかったので、もしかするとTIAというタイプの脳虚血であったり、慢性虚血性変化がある程度の閾値を超えた可能性、もしくは無症候性微小脳梗塞の多発なんかも十分あり得るなと云うものでした。

そもそも、今年で86歳になる寅年生まれのオヤジですから何があっても別におかしくはないのです。それに、母親が施設に預けられたことで気を張る事も無くなり親父自身に認知症が入るなんてことも全く良くある話の一つですから、おかしくも何とも無いのでした。

さて、この後どうなったのかはまた「記録として」明日も書いておこうと思います。


2024年4月4日木曜日

川勝という輩

本当にお前は…という感想しか湧きませんでした。

静岡県の川勝知事が6月に辞職するとの発言をしましたが、

やっぱり京都の人間というのは信じる事が出来んなと改めて、本当に改めて思いました。田舎者の僻みと一蹴されても全く構わんところですが、氏育ちを信奉する連中が信用ならないのと一緒で、京都の真ん中の市街地で生まれ育った連中の意味不明な上から目線が今回の会見の本音としてポロッと出たなと思いましたね。京都の人ごめんなさい。w

しかし、京都京都と言っても舞鶴と京都市内との間から来た患者さんの娘さんが居ましたが、あんたは京都の人間言うたらアカンと上から目線の市街地人に言われたとか言いますからこれまたビックリです。サスガハキョウトジンデスナ。公職にある人間が言う事じゃないでしょ。本当に私人の床屋談義レベルの発言。

川勝のオッサンの発言した「県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」という発言に、アホかこいつ?と内心で思った訓示を受けた側の若手が混じっていたのなら今後の静岡県庁は任せていても大丈夫でしょうが、こんな発言をする早稲田卒のオッサンをみたら大隈の銅像も情けなさに泣いとるんじゃないでしょうか?

そもそも、農業や林業は頭が悪いと稼げない仕事。賢くてもその営みは大変。いろいろなデータを体感や経験則で乗り切る仕事である上に、人間である俺達の口に入る大切なものを作る根源的な人の営みそのものです。川勝のオッサンがその作る側の人間を蔑むのであれば、その蔑む人間が作ったものはそもそも口に運ぶなという話。

今回の辞職理由はこの発言以外にも「JR東海は事業計画にずっと固執されてきたが、事業計画を根本的に書き直したものが3月29日に出た。これで私の手をもう離れた。この段階でリニアの問題が一区切りというか、立ち止まって考えざるを得ない状況に立ち至り、従来と全く違う次元に来た」という感じで、己のリニア事業妨害は十分効果があったという事を正直にゲロってます。

この男、何度もJRからの改善案にゴール・ポストを動かし、意味不明な事を言っては逃げまくっていましたが、晩節を汚すとは真にこの男のような人間の事です。道を歩いている時に唾を吐きかけられませんように。

国民の敵・邪魔者は去り、JR東海の中の人達は祝杯をあげている事でしょう。

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「元財務省官僚で経済学者の高橋洋一氏が6日にABCテレビ「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」に出演し、静岡県の川勝平太知事の辞任の内幕を語った。高橋氏は「辞任した理由の中に『リニアにメドがついた』と言った。要するに遅らせることが目的だった」と指摘。なぜ川勝知事は遅らせることにこだわったのか。高橋氏は「(メディアは)みんな知りたいからスズキ自動車の鈴木修さんにインタビュー行ってるんですよ。その時に『川勝はよくやったよ』、『実は俺はリニア反対だったんだ』と言って、反対だったという話は一切報道されてないワケ。根っこを言うと鈴木さんって川勝さんのものすごいバックなんですね。その人がどうして反対だったのかがまた不思議なんだけど。JR東海の葛西(敬之)さんと犬猿の仲だった。本当にくだらない」と内幕を明かした。」

2024年4月3日水曜日

新しく旅立った看護師

個人的には極めて残念でしたが新人の看護師の青年が岐阜の看護学校に通う為に内科病棟から旅立っていきました。

昨年は行ってきたばかりの青年だったのですが、院内にお婆ちゃんが看護師として精神科に勤め、同じくお母さんがヘルパーとして別の病棟に勤めているというファミリー・ビジネスレベルの親和性の高い家族の一員です。

話はズレますけど、同じような一族は院内に未だあってよっぽど家族の中で引っ張り合ってきたんだろうなという気がします。本当のところは知りませんが。w

さて、この若々しい青年も随分と悩んだようでせっかく準看の資格をとっていい感じで看護の仕事を実務として始めたのにいきなり学校に行ってブランクを作る事と学校に行く為のお金をどうしようという事で随分と悩んだようです。

しかし、ここには意外な伏兵が待ち構えておりました。それは同じ病院に居るお婆ちゃん。このお婆ちゃんは孫であるこの青年の未来に希望を託しており、一族の中でまともに育ってくれた唯一の存在であるというこの孫に何が何でも正看護師としての資格を取って貰いたいと願っており、あるだけの金も惜しみなく援助するから、孫の正看護師資格の獲得を冥途の土産としたいという感覚で彼に「本当に泣きついて」頼んでいたのです。

そうなると彼もあとには引けなくなり「じゃあ、頑張る」という事で今回の決断に至ったようです。

さて、彼との待ち合わせは藤が丘の駅前。6時半に到着する前に彼自身から「到着しました」との連絡。この子は私の次女と同じ年齢ですから本当にかわいいもんです。最初彼の希望に沿って飛び込みでチキンと酒の店に入ってガンガンに飲み、彼の知っているいろいろな秘密の話を沢山話してくれて私は大笑いしていました。

二次会はもう少し私の家に近いところに河岸を移して一升瓶の焼酎をキープ。その半分ほどを二人で呑みながら、今度はこの病院を去る前に彼が評した多くの上の人物達の総評をじっくり聞かせてもらいました。

私には「なるほど」という彼らからの視点から論じた上の人間達に対する評論というのがあって、それらは私には大変参考になる「気づき」の多いものばかりでした。彼は私が考えていた以上に良く物事の本質が見えていたようです。

3年半後、彼が戻って来てくれると良いのですが…。
※(翌日、看護師の婆ちゃんに話を聞いたら地下鉄に乗っている時に猛烈な吐き気に襲われて、途中下車してトイレで吐いてしまったとの事。申し訳なかったですorz)

2024年4月2日火曜日

国の医療行政は滅茶苦茶

また製薬会社が潰れたようです。

埼玉の協和新薬という会社ですが、負債は4億。それなりの会社と思っていたのですが、ジェネリック薬製造や他の大手の下請け製造を行っていた会社のようです。

正直なところ、これは国家による計画的な追い込みだと思っています。別にイン暴論とかじゃなくて医療業界の内側に居る人間なら、特に日常的に処方を行っている普通の医師なら、日本の薬事行政がどれほど歪んでいるのかは痛みとして知っている筈。

無数の小さな会社群は国家が決めた薬価に従った薬を造り続ける必要があるのですが、その製造のコストは種々の素材の高騰からどんどん上がり続けているにもかかわらず、その国家統制による「薬価」というものは二年に一回という間隔で定期的にかつ急速に切り下げ続けられていくのです。

本当に驚くような薄利しか出ていない状況が続いている状況で、原価割れをしている薬剤も薬価改定の度にドンドコ増えていく様で、厚労省がジェネリックの使用80%を目指してその数字自体はほぼ達成された今では多くの小企業は死屍累々。日本の中でも体力のある中規模以上の有名会社は「まだ」息をしていますが、大手でもない限りは中規模の企業であっても既に新薬を創るような体力は奪われているような現状です。

医療費の抑制をしたいのは良く解りますが、金の卵を産むニワトリを殺す何処かのバカの寓話を目の当たりにしているような感覚を持っています。国内の産業を維持する気の無い愚かな厚労省を見ていると「目の前の節約に一生懸命になる余りに自分の子供の腕が感染症で切り落とさざるを得なくなった極端な吝嗇家の婆さん」の話も思い出しました。

気がついた時には、国内では重要な素材産業も無くなり、海外に生命線を握られるような事態が近づいていないか心から心配です。

そんな時代が来る頃にはこの地獄の製薬システムを作り上げた”老いた”役人さん方達が患者になるころ、己の作ったシステムによって「薬が無い」何て事にならないとも限らないと思うんですが?

2024年4月1日月曜日

インプラント 日本とアメリカ

歯の治療は「いつも」している私です。

定期的なクリーニングを行う事が私の口腔衛生維持には必須になっていますので、特に虫歯の有無とは関係なくいつも歯医者さんにはお世話になっています。

今回、暫く前に抜歯した後の歯の処置に関して今後どうしていくのかという事をいろいろと提案されました。基本的には差し歯にするか、インプラントを考慮するかというのがその提案なのですが、今回その提案に対して思わず「うーん」と考えてしまったのが正直なところでした。

理由は簡単で、それは値段。

先生から提案されたベストの方法は当然の如くインプラントだったのですが、躊躇ってしまうのはその値段。アメリカに居た時にはインプラント自体もそれほど高くなかっただけでなく、その処置に対して当然の様に保険の適用が可能でした。

しかし、日本では保険が使えない事は勿論、1本のインプラントに対して40~50万の支払いが必要という点に腰が引けます。アメリカでは保険が効いた事も有りますが私の場合5本のインプラントを終了した時点で必要だった額は2000ドル程度。あの頃のドル・円レートの感覚では25万程度で全て終了という感じでしたが、日本ではこれでは一本の歯も治療できない感覚。

何だかな~というのが正直なところで、この値段だったら少々不便でも差し歯で済ませようかなというのが本音です。日本には国民健康保険という夢のようなシステムがあるのは素晴らしい事なのですが、インプラントに対する補助が出来る様な私的保険システムが無いのは正直痛いです。

次の診察あたりでどうするか決めましょうかと先生には言われましたが、おおいに迷う私です。