2022年6月30日木曜日

燃える名古屋

やっぱり何かがおかしくなってるなと強く感じる夏の始まりです。

空梅雨レベルだなと思っていたら、私にとって実質的に本当に来なかった今年の梅雨。嫁さんと「また今年は四国の水瓶問題が酷いことにならんかな~」等と話していたのですが、どうもよそのことを心配している余裕は無さそうです。

そもそも、愛知県安城市にある大切な水瓶である明治用水の水漏れ問題で大騒動。トヨタ系列の大工場は勿論、農業を営む人々も右や左の大騒ぎという事態で、日常のインフラで何かが少しでもおかしくなると今の時代には多くの人々がその生死を危ぶまれるような事が起きうるということなのかとも感じてしまいました。水、電気、ガスなんかやはり昔以上にセンシティブかつ大規模になっているんでしょうか。

そんななか、今日は嫁さんから下のようなLINEの画面が送られてきました。
群馬等の一部のエリアのような、その地形上の特性からも高温になりがちな地域の気温であれば毎年のようにニュースのトップを賑わしていますが、まさか名古屋が40度台の気温を示すようなエリアになるとは…。

明日からも酷暑が続きそうですが、水分摂取や日差しの強いエリアに出ない等の日常活動を行う上での細かな配慮をしなければ、老人や子供を中心に今年も沢山の命が危険に晒されるのではないかと心配しています。

熱中症は疲労や頭痛で済むうちはまだまだ入り口。その一歩先は命の絡む状況であることをお忘れなく。


2022年6月29日水曜日

目の前で捕まったおっちゃん

家族と一緒に犬を連れて週に2-3回散歩をすることは前にも書きました。

今日もそんな日の一コマだったのですが、別のことが「発生」しました。私が息子の手を引いてまず先を歩いていくのが普通で、その我々の後ろを他の犬が電柱に残したオシッコの臭いを嗅いだり、草を食べたりしながらノロノロと歩いてくるチビ助のリーシュを引っ張りながら嫁さんがついてくるというのが一つの散歩パターンです。

余りに距離が開き過ぎると、嫁さんはチビ助を脇に抱えながら小走りについてきては再びチビ助を下に置いて散歩をさせる・・・と言う感じなんですが、今日はそのパターンを繰り返していたワン・シーンで事件が発生しました。

私が息子の手を引いたまま後ろを振り返ると、嫁さんが脇に犬を抱えて直ぐ後ろに来ました。すると、眼の前の右の脇道からパトカーがニョッキリとその鼻つらを出してきた後に右折して我々の前で止まったのです。一瞬「?」と思ったのですが、直ぐに何をしているか理解しました。

それは張り込み。間違いなく前方にある広い道の横断歩道手前で止まらない車を見張っています。実際に見ているとお婆ちゃんが自転車を漕いで横断歩道を渡っていた時には双方向の車がきちんと停まっていましたし、その後に今度は我々が横断歩道の前に立って、向かい側からも仕事帰りっぽいおじさんが一人、そしてベビーカーを押している女性が居たのですが…。右側からやって来た白のアルファードが見事に停まりませんでした。w

私は内心「あちゃー」と思ったんですが、時既に遅し。我々の後ろでじっと待っていたパトカーはその瞬間に赤色灯をつけて「ゥ~~~~」とサイレンを鳴らしながら「はい白のミニバンの運転手さん停まってくださ~い」と言われていました。ワイシャツを大きく広げたあのオジサン一体どうなるのかと思ってネットを見たら以下のように。

調べてみたところ「「横断歩行者等妨害等違反」とされ、罰則として3カ月以下の懲役または5万円以下の罰金が科されます。 違反点数2点で、反則金として普通車は9,000円を支払うこととなります。」とのこと。

横断歩道の前では停まりましょう。歩行者の視線で見るとあまりにも多くの車が停まりません。大変なことが起こる前に普通に歩行者のために停まりましょう。自分の家族が横断歩道の前に立っていても停まりませんか?

2022年6月28日火曜日

薬のジェネリック推進は患者さんにとっては災害

厚労省、延いては国の医療費削減の一環としてジェネリック使用の推進が叫ばれて久しくなりました。

しかし、ここ数年の惨憺たる日本の製薬業界のぶっ壊れ方は本当に世紀末状態です。医療現場では「あの薬が手に入らない」「この薬が消えた」「この薬はAという会社のジェネリックからからBと言う会社のジェネリックに変わりました」「Xという以前消えた薬がやっと戻ってきました」というような話が日常茶飯事。

効きが悪いけど、availableな薬を患者さんに謝りながら使うと言う日常は医者としてはもう勘弁してほしいです。

ジェネリックの群(むれ)も名前をへんてこりんに変えてはいますが、何とか「オリジナルの薬」の名前を類推することが出来るようなネーミングをしたりして何とか医者にとって出し易いジェネリックにしようとしています。しかし、そんな事は患者さんにとってはどうでもいい事。効果が確かであればまだ良いのですが、そもそもこの1、2年で明らかになったのは製造手順が基準に合致していない工程で作られていたり、成分を間違えて造っていたりということが明らかになってしまって次々に製造中止や休止に追い込まれてその度に我々使用者側は「アレが消えた、コレが消えた」と困っていた訳です。

その挙げ句にこのウクライナ侵略での種々の化学物質の値上げで、原材料も高騰しているのに薬価は1点10円のままですから、製薬会社もしくは医療機関、患者さんの何れかがその高騰分を吸収しないといけないわけですけれど、恐らく大きく割りを食うのは医療機関。ただでさえジリ貧の収益体質はかなりダメージを受けることになるでしょう。特に次の消費税増税では大ダメージに磨きがかかるはず。

昭和の昔の日本医師会だったら武見太郎のような異形の人物が大喧嘩してでも病院の収益を確保できるような調整をしたのでしょうが、今の時代日本医師会なんて言うのは何のまとまりもないほとんど発言権が消えた組織ですので、病院というものはこれからもっと先細りになっていくでしょう。まあ、私にとってはどうでもいいことですが。

ただ、患者さんには厚労省と国が声を合わせてすすめていたジェネリック政策が既に破綻していることを認めるべき時期に来たということをはっきりと言うべき。製薬会社も医療機関も立ち行かず、儲けているのはドラッグストアばっかりではまさに薬局による中間搾取と言うべき世界で、患者にとっては何のメリットもありません。

以前も書いたように既にジェネリックの製薬会社は事業譲渡や廃業を行っています。合従連衡は製薬業界の常ですが、日本の場合は縮小のサイクルが顕著。そもそも既に儲けなどあってなきが如し状況です。この分野もまた国外の製薬会社に買い取られた挙げ句、最後は発言権もない奴隷になるんですかね。

日本の行政というのはずっと民間の優秀さに胡座をかいてきましたが、そろそろ「邪魔」だけは止めないと本当に日本のいろんな「優れもの」が消えていくよ?糞のような許認可行政ももっと頭の良い人間を高いカネ払って任せれば良いんだろうけど、そんな事は起きませんか。まあ、最近はただでさえキャリア官僚なんて人気が無い事「周知の如し」ですから、更に質は落ちていくんでしょうが。

明るい未来を志向する人間の多くが学問のエリアでも産業のエリアでも最終的に日本を出ていくのは尤もだよ~と思うのは俺だけではないはずです。


2022年6月27日月曜日

ロシアに勝ちはないなと「改めて」思ったわけ

例えロシアが一時的にウクライナ東部を占領しても、下のような事が本当だとしたらもうロシアの勝利にはないでしょう。


要するに高卒の人間をすぐに3ヶ月の兵役訓練期間を経ずに志願兵として採用出来るとなると直ぐに前線へ突っ込むことが出来る様になる訳です。これは、結局のところ太平洋戦争で敗色が濃くなってきた旧日本軍が始めた「学徒動員」そのもの。

ヒトを、モノを、カネを無限に消費し続けるのが戦争の本質。先に白旗を上げざるを得なくなったほうが負けるわけですが、モノは既にどちらもヤバいものの、ウクライナ側はなんのかんの言ったところで恐らくは西側から継続的に武器の供与を受け続けるでしょうし、お金は取り敢えず西側がずっと出し続けるでしょう。ロシア側も少なくとも資源の高騰に伴う利益を(discount priceで売らざるを得ないとは言え)西側の資源制限に乗らない国々に売り続けることで継続的に儲けるでしょうから、ドル決済の裏口ルートも完全に閉じられた訳では無いでしょう。

しかし、戦争を助けるようなありとあらゆる「役に立つ」モノをロシアに売ることが出来ない国々が敵対国側に勢揃いしている上に、産業の米たる半導体も手に入れることが出来なければ現代的な動くものは一切作れないわけで、第二次世界大戦の時のようにモノとしての鉄と火薬と食料があれば戦争に勝てるわけではありません。

しかも、今日のブログの一番最初に登場したように「ヒト」はウクライナもロシアも徹底的に消費しあう訳ですが、何の大義もない侵略戦争で何でリクルートされてまで薄給で犬死にしなければならんのかという話。そもそもロシアでは18歳から27歳の男性が春と秋に2回の徴兵を受けるとのことですが、本来彼らは最前線の戦闘には送られない筈の要員。しかし、この約束は現在では実質的に反古になっているといいます。そういう約束破りの手段を用いてさえも未だ人員補充ができずに学徒動員をやらかそうとするわけですから、先は暗いのです。真っ暗。長引けば長引くほど、国民の"ある年齢幅"全員の強制徴集となっているウクライナとはなかなかマッチしないと思います。

しかも、ウクライナ側兵士とはモチベーションが大きく異なると思うのです。戦争疲れの中、両国ともどれだけ殴り合いを続けられるのかは、結局持っている(供与されたモノを動かし続ける人間の数Xモチベーション)の総量の差が決めることとなるのでしょうね。

80年ほど前に学徒動員をしていたどこかの小さな島国の愚かな軍隊が、未来の有為の人材を消費しながら最後まで抵抗を続けて雲散霧消。文字通り完膚無きまでに叩きのめされてしまった歴史を思い出さざるを得ないのでした。


2022年6月26日日曜日

やらかしてるな~。w

私の住む名古屋市名東区がやらかしてくれました。

いまいち全体像がハッキリしないのですが、どうにも役人さんの紋切り型の対応がニュースになってしまいました。介護を理由に選挙投票日当日には投票ができないと言う67歳の男性に対して、書面上準備された理由に該当する項目がないということで、「宣誓書に回答する選択肢がない」と繰り返して仕方なく男性は家に帰ってしまったとのこと。

何だかネガティブなニュースで我が名東区が全国ニュースになってしまったのをネットで見ると悲しくなってしまいます。なんでこんな事になってしまったんでしょうか・・・。

稀に名東区役所に息子関連の書類上の用事で言ったりしたことがありますが、基本的には役所で我々に対応してくださる区役所の係員の人達は懇切丁寧というのが基本的な印象なんですが、今回の件は一体全体どうしたというんでしょうかね。

詳細がわからないんでコメントし難いんですが、私には柔軟性という言葉が決定的に欠如していたんじゃないかという気がします。まさに対応が杓子定規だったんじゃないかと。選挙民にとって投票日当日に投票出来ない理由なんて言うのはそれこそ無限にあると思うんですが、選択肢が数個あろうと数十個あろうとやっぱりそれに当てはまらないということは十分以上に有り得る訳です。

そこで必要なのは受付側の柔軟性。選挙民が不正・不当な理由で申請しない限り、可能な限り「投票できるような方向」で対応すべきだったと思います。役所側の係員も恐らくは選挙において不正というものが万が一にでもあってはいけないという事で「文言に無い理由」では受け付けられないとしたんじゃないか?というのが私の推測なんですが…。

理由を言ったおっちゃんも、もう少し「らしい理由」を創れなかったんかな~というのも私としては考えてしまうんですけど、宣誓書の選択理由に「病気」と言う理由があったのならお互いその一点で譲歩し合っても良かったろうし、私だったら当日に私的な旅行で云々とかなんとでも書きますけどね。今回は申請する方も受理する方も度を超えて生真面目だったんでしょうか?w

それにしても、こういった真面目な攻防が行われていても、被選挙民たる議員先生候補の皆さんの質が、その攻防に見合うプレシャスな方々かというとですね・・・。皆様御存知の通りです。


2022年6月25日土曜日

政治が破壊する日本の未来

竹中平蔵という詐欺師まがいのおっさんに「派遣」と言う名前で大量に作られた奴隷ビジネスが日本人の雇用を壊し平均賃金の上昇を長い間邪魔したと思っています。非正規雇用の話を聞いていると、法律という名のもとに合法的な搾取システムを作り上げた当時の小泉総理の腰巾着の罪は深海よりも深いと考えています。

そんな日本のシステムの下、こんな右肩下がりの人口オーナス時代とは言え、国際的に見ても国内的に見てもピクリとも動かない日本人の給与額はまことに情けないばかりです。いろんな中小企業にダラダラと補助金が出されて未来の展望がないまま延命し更に右下がり。厳しいようですけど、政府が口を出して行う補助金事業で「成功」と言えることって一体どれほどあるんでしょう。今のコロナ関連補助金にしても殆どシステムとしてはぶっ壊れて大量の犯罪者まで生む始末です。壊れた弥縫策そのものです。

ホンダに対する旧通産省の単なる巨大な邪魔立てなどは歴史的に有名ですが、実際のところ今まで旧通産省、経産省がやって来たことの一番の仕事と言えば「護送船団方式」と言う名の他国に対する貿易障壁の構築。日本が未だ弱かった頃の仕事としてはまあ、何処の国の政府でもやるような仕事ですが、結局のところその後に大きく発展したのは各会社の「必死の努力」そのものでしょう。政府というのは基本的に経済にはなんの寄与もしていないと私は考えています。

さて、このどうしようもなく上昇しない賃金なんですが、国が国債の爆発を避けるために利率を上げない中で、何も物の値段が動かず国内的には他国の物の値段の上昇とは乖離した鎖国状態の経済の中で日本人はバブル崩壊後に20年間細々と生きてきました。

しかし、ウクライナ危機の中で必然的に種々の物価が高騰してきている中、今度も莫大な税金を使って再びガソリンに補助金…。本当に政府のバカ役人達は人の税金を経済的効果の理論的計算も「実際には」出来ないまま、バカ殿総理の思いつきでまたまたバラマキです。本当に何というよく出来た社会主義国家なんでしょうか。重ねて残念なのは利権を吸い取る人間達が国家のシステムに乗っかった側に居て、ジジイ達が本来は若い人達が受け取るべき金を吸い上げていること。しかし爺さん達は権力のある側に居りますので、若い人達は絞られるばっかりということ。

そんな国の生み出すこんな国のトップと言ってしまえばそれまでですが、岸田という人物がこれ程までに駄目な総理とは思いもよりませんでした。ほぼ財務省とのベッタリ総理。一体どれほどの事を自分の脳みそで考えているんでしょうか?口から出る話は何処かで聞いたような話の二番煎じばっかりな上にその「小物感」は霞のレベル。逆に言えば今の日本が生み出せる総理というのはこんなレベルということなんでしょうね。他の国の行動力ある若々しい女性総理や理論と実力バリバリのトップと比べると「沈みゆく船の船長」というのは適格と言う意味ではまさに今の社会主義国家「日本」の総理は岸田さんレベルが今の適任なのかもしれませんね。

法律を変えて、人事を替えるだけで日本と言う国はまだまだいくらでも生き返ると強く思っている自分です。

2022年6月24日金曜日

道具は使ってみるまでわからない

キャンプ道具収集が結構煮詰まってきています。

今まではふるさと納税でいろいろな道具を掻き集めていましたが、実際に肌に触れて使うものは「使用感」の範疇に入ってくる大事な道具なので、写真や他人の評価だけではどうしても納得しきれない「違和感」が残る可能性が高く、実際にその手の店を回ってネットの評判などと比べてみなければ判らんという事で廻ってみることにしました。

先ずはLOGOS専門店を始めとしたいろいろなキャンプ道具の店がある長久手のイオンモールに行ってみました。店に入って嫁さんの用事を済ませて昼御飯を食べた後にすぐにアチラコチラのキャンプ用品コーナーに並べてある道具を実際に手にとって調べてみました。

一番気になったのはキャンプ用のチェアと保冷用のキャリー・システム。保冷用のバッグも折畳式のものやプラスチックのものが驚くほどにズラリと並べられて壮観な状況でしたが、最近のキャンプ・ブームを反映してか、あちらこちらに「あれ、こんなとこにキャンプ道具売ってたっけ?」と言うほどそれらしいものが並べられていました。

チェアは無印から有名ブランドのものまで各種あったことは間違いないのですが、正直なところどれもイマイチ。実際に見た目で「これは!」と思わせるような高さと深さを持った折畳式のチェアに一通り座ってみましたが、やはりどれもしっくりときませんでした。

以前、どこかのモールでキャンプ・コーナーでさえ無いところに置かれていたものが物凄く座り心地が良かった覚えがあるのですが、それは確か去年の年末のことだった上に何処のモールであったかが明確には思い出せません。

宮崎や長崎の田舎であればモールなんてあっても非常に限定的なのですが、名古屋はイオンモールを始めとして、各区に種々の大型店があるような感じの都市ですからこんな感じで思い出せないのです。

というわけで今回はキャンプ道具は何も買わず。再びどこかの店にでかけた時にしっくり行くものがあったらその時は値段と相談しながら買い込もうと思います。

それにしても、ヒロシのぼっちキャンプなんかを見ていると、最初は色々と道具を買い込んでも結局普段使いとしていつも使うのは全く最初とは変わってしまうようですから、どれほどこれからキャンプの中での必需品が変わっていくのか観察していきたいと思います。


2022年6月23日木曜日

ボケない人はやっぱり全くボケない

私の病棟には多くの高齢者、超高齢者が入院してこられます。

80代なんて言うのは70代とともに患者数という意味ではボリューム・ゾーンで、園周辺に60代と90代の方々がやってくるというイメージです。それにしても、毎日のように思うのはこの世代の健康状態というのは若かった頃の「勢い」というものがザクッと削られがちになってしまう年齢。

例えば20年くらい前までは現場や会社でバリバリに筋肉系の仕事をしていたオジサンもお爺さんになって筋肉が衰えて頭の働きが衰えて、以前の勢いというものが全くなくなってしまう人が全く普通です。ユンボで毎日仕事をしていた人、巨大なガントリー・クレーンのオペレーター、首都高速を造っていたオジサン等、一昔前から日本の基礎を造ってきた昭和の人々が今その人生での役割を終えてベッドの上に横たわり始めている時期なのです。

それでも、頭脳の方はというと話は別。これは体力とは全く別物の世界です。

今日も「脚の怪我」がもとで動けなくなってリハビリを希望されて当院に入院してこられた紹介の女性患者さんが来られましたが、今回はこのおばあさんに驚かされてばかりでした。

御年92なのですが、全くもって頭脳に衰えの片鱗も見えないのです。足の痛みのために動きは悪いのですが、こちらの話に当意即妙に合わせて冗談を言ってきますし、周囲の状況に関しても全く時勢にあった正しい認識を示されます。時事問題も取りこぼし無く着いてこられる上に。大昔のことも昨日のように思い出されるのです。

大デブだったという自分の父親の話や、自分に対して「早くボケろ!」と息子に言われたんよ~等と笑いながら言われると云うような事を面白可笑しく話されます。そういうお婆ちゃんの話に逆にこちらが癒やされる次第でしたが、そのお婆ちゃんの話をずっと聞いていると「私はボケるってどういうことか解らないのよ~」等と真顔で話をされます。

80代前半程度の人がこういう事を言っても、ワタシ的には内心「未だ数年後はわからんですよ!」と言う感じなのですが、90代になっても滔々と淀みなくお話をされるこんなおばあちゃんを見ていると「おそらく頭部の単純CTを撮っても海馬の萎縮や皮質全体の萎縮が殆ど見られないような特別な人だろうな~」と推測してしまうのです。

自分も「もし嫌でも長生きするのなら」こういった高齢者になりたいと思うのですが、まあ、無理ですな。w 宝くじの「当たり籤」に当選したような遺伝的背景と生活背景が必要でしょうし。

これで90代で「これほどの頭脳」を見せつけられたのは2回目。恐ろしい90代というのはいるものです。車いすでの生活になろうと頭脳の力で空を駆け巡ることが出来るのだなと改めて感じた今日の入院受け容れでした。


2022年6月22日水曜日

1日2回の事故とか・・・

インパルスの堤下が2回目の1日2回の交通事故を起こしたと言う報道が暫く前にありました。

しかし、この報道を聞いても「やっぱりあるよな」という感想が頭をよぎったのでした。それというのも私自身が学生の頃に、4学年上の先輩で同じ様な事故を起こした人が居たからです。

その人自身が運転がヘタだったというようなこともなく、行動も考え方も慎重な性格の先輩で温厚な性格。ステアリングを握ると性格が変わるなんて言うことも全く無かったのですが、ある日追突事故を起こしてしまいました。その時先輩にとっては初めての事故だったようで、物凄く気が動転してしまって、事故処理が終わったあとにその車をそのまま運転して家に帰ろうとした時にもう一回追突事故を起こしてしまったんだそうです。

翌日はクラブも休んで1日家に閉じこもっていたそうなのですが、そういう人でさえ気が動転したりすれば1日に2回事故を起こしたりする訳で、別に堤下と言う人物に特別だとも思えないのですが、よく報道を読んでみると1日に2回事故を起こした事自体が既に2回目だったとのこと。これはやはり何か適性に問題があったのかもな?と推測したりしてしまいます。

単発での衝突事故や届けていないレベルの物損や自損があったのかどうかは知りませんが、芸能人というのはスキャンダルを含めてプライバシーを切り売りしたり、切り売りされたりするのが仕事の一部ですから、こういったネガティブなインシデントが起きると本当に芸人人生自体が終わってしまうリスクがありますよね。それはそれで大変ですな。

もとからそれほど好きでもない芸人でしたが、こういう目に遭ってるのを見ると少し気の毒ではあります。

車の運転というのは恐ろしいもの。2トン前後の物体をか弱い女性や力の無い年寄りでさえ容易に100キロに加速できます。当たれば大怪我や即死。日常運転をする自分にとって日々の運転での事故などというのはたとえ自分が静止していても起きるもの。全く他人事ではありません。

お互いに加害者にも被害者にもなりたくないと本気で思います。加害者になっても被害者になっても良いことなど何もありません。

2022年6月21日火曜日

家族で洋服シェア(させられる)

我が目を疑うとはこのことでしょうか。

先日、下の娘と画材を買いに店に行くということで仕事終わりに家の下の道で待ち合わせをしてピックアップをすることになりました。LINEで連絡を入れ「今から15分経ったくらいで家の外に出ておいで」ということで病院から車を運転して迎えに行きました。

そして家の外に降りてきた娘を見て仰天!私のブルーのオーバー・サイズの横ストライプの服を着ているではないですか。娘はいたずらっぽく笑っていましたが、私は車に乗り込んできた娘に「俺の服着るとかアリなんか~?w」と言ってしまいました。

実は最近、わたしのTシャツを嫁さんが着たりすることが時々発生していますし、息子に至っては嫁さんの作戦で私のワンサイズ上の服をありとあらゆる形でシェアさせられています。基本的に若者である長男の方は彼にとって少しオーバー・サイズである私の服を始終着ておりまして、余りにも頻回に着るものでいつの間にか長男の洋服入れに鎮座まします…と言う状態になってしまっていることが多いのです。

しかも、長男のほうが明らかに体型はスリムで服は似合いますので、お父さんとしては「返してくれへんかな?」とも言えない訳で、気に入っていた服もいつの間にやらと言うパターンは無数です。

しかし、だからといってそれが嫌なわけでは勿論無くて、今時の家庭内ではそういう事もあるものなんかな?位に受け止めています。今時オーバー・サイズと言うのは普通に若者達が着ますので、そういう事になってしまうんでしょうね。

私自身も歳を取ったら落ち着いた柄のものなど決して着ること無くワザと派手な服を着ようと決心しておりますので、その準備段階として派手目の服を着る生活を始めるのもいいかなと言う今日この頃です。

この夏アロハ・シャツとか着てみようかな?病院で言われるやろうな「アロハのおっさん」と。


2022年6月20日月曜日

今日で家族の帰国後5周年

時間の経過とかあっという間です。

ほんのこの前と感じるアメリカ暮らしの長かった家族の帰国からはや五年とか嫁さんに言われて「もう5年か?」と思わず聞き返してしまいました。大量の荷物を抱えて成田に帰り着いた我々はいろいろな意味でヘトヘトに疲れてはいましたが、新たに「再び」始まる日本での新生活がどうなるかワクワク感もありました。

帰ってきて5年。いろいろなことがありましたが、猫も犬も家族もそれぞれ取り敢えず日米の対岸でそれぞれが元気にやってこれたこと自体には感謝しかありません。私が一人先に日本に帰国しても、次女が高校を卒業してしまうまでは子供達を嫁さんがケアするという形の生活。何かと不安も大きかったとは思いますし、私が一時的にアメリカに帰国してリッチモンドの飛行場で別れる度に嫁さんは涙を流していましたが、結局は「より」強くなって帰国して参りました。^^

日本側に一人2年長く居た私の方はどうだったかというと、男一人で洗濯も掃除も時々はしていましたが、徹底的に駄目だったのはやはり料理でした。そもそも一人でいる時には己がキッチンに料理人として経つことはほぼ無くて、「嫁さんにピカピカの未使用キッチンを渡す」というインチキ臭いプロパガンダのもとに調理を徹底的にサボっていたのが現実です。何かを家で作るにしても精々レンジでチンかお湯を沸かしてカップ麺とかレトルトをご飯にかけて食べる程度。

嫁さんが日本に帰国してからは本当に食べるものや着るものが充実しました。やっぱり冴えない男一人だと長生きしないというのが「よ~くわかる」ような2年間でした。家族のいる温かみというのは「金も手間も」かかりますが出費や使った時間に見合う良いものです。

それにしても、自分が全く一人暮らしには向かないオジサンであることを年取ってよ~く身を持って知らされた貴重な二年間でしたね。

みんな元気で帰国後10週年を迎えたいところですが、最長老の俺が当然のごとく確率論的に一番危ないですね。orz  まあ、老いるのも病に罹るのも順番であれば仕方ありませんか…。w

そうは言いながらも家族みんなの健康な生活を心の底から祈り続ける家長でした。


2022年6月19日日曜日

父の日のお祝い

今日は父の日だということを忘れておりました。

が、嫁さんと娘達はしっかり頭の中に刻んでいたようで、長女はアメリカのTIMEの大谷翔平の特集を、次女はミントグリーンのキャップを、嫁さんはパジャマをプレゼントしてくれました。

そもそも私自身はこの手の「私にとっての」謎の記念日の数々をどうでも良いという捉え方しかしていないのですが、こういう事をカレンダー通りに律儀に守る常識の塊みたいな嫁さんにいつもいろいろとしていただいております。常識って良いものですネ。w

さて、その後は嫁さんが昨日のうちから予約してくれていた藤が丘駅のそばの海鮮料理のお店に息子と次女と四人で向かいました。私は娘からプレゼントされたキャップを早速被って!

次女はベジタリアンではありますが、ペスカタリアンという魚介類なら何の躊躇(ためら)いもなく口にするタイプのベジタリアンですので、このお店でなら、取り敢えずほぼ何でも食べられるわけです。

お店に行ってすぐに家の外の四人がけのテーブルに席を取りじゃんじゃん注文をしました。先ずは四人で乾杯できるビールその他をそれぞれ手にとって乾杯した後、出されてきた揚げ物や小さな刺身の盛りをパクパクと食べ尽くしていきました。やはり久しぶりに家族で「外」で食べる瞬間というのは気持ちいいもので、雨も全く降っていない中、蚊が近寄らない程度の蚊取り線香が緩く炊かれたテーブル横で夕暮れ時に外を歩く通勤帰り学校帰りの人々の群れを眺めながら食べる料理はまた料理本来の味以上の味を感じることが出来ました。

帰りはのらりくらりと歩きながら家へ戻ったのですが、家族みんなで公園の中を通過しながら息子にブランコを楽しませた後、家へ帰って「もう食べられない」と言う状態の胃袋を腹の外から摩りながら一日を終えたのでした。

2022年6月18日土曜日

黒川温泉に行くぞ!と決意して予約~

この夏から秋にかけて、いつもお世話になっている方を熊本旅行に招待することにしました。

行き先は熊本の黒川温泉。正直私達家族全員の名古屋における生活でとてつもなくお世話になっている方なので、この旅行に御招待した程度では全くお返しとしては追いつかないのですが、我々の気持ちを表すということで我々家族と一緒に阿蘇の大観峰や黒川温泉を経験していただこうと思っています。

9月末から10月にかけての2泊3日の旅行なのですが、美味しいものを食べて頂き、素晴らしい景色を眺めて頂き、ゆったりとした雰囲気の中で広々とした露天風呂を堪能していただいた上で、更にいくつかの温泉を温泉手形を使って巡って頂ければと考えています。

以前、我々が九州に住んでいた時に由布院や黒川温泉等を巡って得た結論は「ここより雰囲気の良い温泉は無いと思う」というものでした。

イスラエルから招待した友人も黒川温泉に私達家族と行ってその雰囲気に圧倒された様でしたが、ドライな国から特別にウェットな国にやって来た彼にとっては大変に新鮮な経験だったとの言葉を得ました。日本のあちこちを旅行して写真を撮りまくっていましたが、我々にとっては普通の景色であっても彼にとっては「見たことのないもの」ばかりだったようで、喜んでくれた良い思い出があります。

この女性、もうすぐ喜寿になろうとかというお方ですが、日常生活でいつも一本きちんと太い芯の通った日々を過ごされているのを感心しながら見つめています。果たして自分が歳を取ってこの年令で同じ様に生活できるかというと甚だ疑問です。

セントレアから熊本空港へ行ってレンタカーで大観峰を通過しながらの小旅行。安全無事で御婦人を送り迎えすることを最大の仕事としてやり遂げようと思っています。

とは言えこれから3ヶ月半も後のことです。下準備は抜かり無くやっていこうと思っております。


2022年6月17日金曜日

マスク外れてきてますね

最近あちらこちらでそういう状況にあると思います。

政府の方で5月20日に「屋外では、周囲と2メートル以上の距離が確保できなくても、会話をほとんど行わない場合は、マスクの着用は必要ない」という見解を発表していますから、コレに則った動きだと思います。実際に感染者数の方の低下は名古屋において以下の感じ。
取り敢えず連休明けでグイッと(予想通り)持ち上げられた新規感染者数は今のところほぼ一直線に右肩下がりという状況です。さしものロング・テイル状況の感染もそこまでは粘りきれないほど低下してきている印象です。

街中ではどうかという感じで注意深く観察していると、まずランニングしている人なんかのマスクというか顔面の覆いの着用が激減しましたね。そして散歩の途中では「たまに」ではありますが、若い男子大学生風の人達の中にマスクを外して家路を急ぐ人等が見られるようになってきました。

では、屋内では?と思ってみているのですが、まだ「稀」にしか見かけません。それでも、着用していないこと自体であたかも「犯罪者」のように見られて揉め事の中心になっていた時期とは変わってきているのを確実に感じます。

しかし、病院関係者としては実はコロナウイルスに関連して装着されたマスク及び外国からの訪問者減少によってもたらされたインフルエンザの激減にも驚かされた二年半でした。これ程までにインフルエンザがrare diseaseになってしまった二年半と言うのおはおそらく後にも先にも無いだろうなと思います。下のグラフを見るとその効果がわかろうというものです。
ほぼゼロがずっと続いているこの二年半です!
そして、これから逆に言えることはマスクが外れていつもの日常が戻ってくるであろうこれからの季節はインフルエンザが再び高齢者を中心に命を薙ぎ払うのだろうなというかなり確率の高い予想です。

一難去ってまた一難。人類の歴史は感染症との闘いの歴史であることに大きな変わりは無さそうです。


2022年6月16日木曜日

まだおったんかい!

「遂に!」と言う声が巷に聞かれました等というネット上の記事を見て、逆に私はコケてしまいました。

まだIE(インターネット・エクスプローラ)が使われていたとは…というのが、今回の私の驚きのもとだったんですが、みんなが言うところのIEと言うのは、正直私自身はほぼ使ったことはありませんでした。

パソ通時代は別として、ネット創世期にはまだまだキャラクタ・ベースのGopherと言うソフトやネットに繋ごう!等という謳い文句の雑誌に付録でついていたCDの中に入っていたmosaicとう最も古いネット・ブラウザを革命だ~!と嬉々して使っていました。その後から出てきたのがNetscapですが、そこに商魂逞しいマイクロソフトが半強制的にWindowsに付帯させたIEが爆破的に拡大普及していったわけです。

そもそも長きにわたるAppleユーザーだった私はMSの製品群を可能な限り避ける人でしたので、IEは絶対に使わないというのが私流のネット使用時の一本のバック・ボーンとしてもっておりました。いつもFireFoxやOpera、Safari、Chromeなどの中でプライバシーの保護が最も洗練されていると思われるものを使うようにしていました。
官公庁や多くの企業でIEが基幹レガシーシステムとして使い続けられているのに、IEのサポートが打ち切られて困る等と聞いていつも「アホか?w」と位にしか思っていませんでした。一つのものに過度に依存し続けるとどうなるかというお手本のような事例ですよね。

しかし、そのGiant Legacyも遂にサポート・フリーになることで、ネットに繋ぐだけで「ますます」大量のリスクに晒され続けることになるわけです。増々というのは、より新しく更に洗練された設計思想のもと作られたブラウザと比べれば、以下にツギハギ(パッチ)をあてようと、どうしても新板のソフトにはそもそも安全性の比較では勝てないからです。

27年もの間よく頑張って生き残ってきたとは思いますけど、マイクロソフト自身がかなり前からブラウザの標準をchromiumベースのEdgeに切り替えてやって来ているわけですから、実質上はもうとっくにその寿命は切れている訳だったんですけどね。

それにしても、今や大海原をわたるたらい舟のようなレベルのブラウザであるIEをこれからも長きにわたって使い続ける人達がいるんだろうなと思うと共に、そういう人というのはブラウザを開いた時のdefaultページを最初のYahoo!から永遠に変えない人達とかなり重なるんだろうな、そしてそういう人達というのは車を買っていつの日か売りに出すまでボンネットを一度も開けたことがないというような人達とも重なるんではないのか?等と何の根拠もないくだらない想像をしてしまう私でした。

2022年6月15日水曜日

ウンがつく我が家の散歩

私自身一日の歩数の目安を最低7000、可能な時は1万を目標にしています。

ところが、外来があって椅子に座っている時間が長かったり、透視室での作業時間が長かったりするとその歩数はグイグイと減っていきます。色々な病棟から色々なリクエストを受け取りながら仕事をこなしていくわけですが、一箇所に留まる時間が長ければ長いほど歩数は減ります。

都心などで官公庁や会社に通勤するような方であれば、例えオフィスワーカーであろうとも一日の歩数は容易に1万を超えると思うのですが、私のように車で10分のところに働きに行って院内で動き回るような人間には、運が良い日であっても一日8000歩程度が限界です。

さて、我が家の散歩はその「いけていない時」の歩数を補うための追加歩行としての散歩です。この散歩、通常は私と嫁さんと息子で行われ、稀に時間のある時のみ次女が入ってきます。犬を連れての散歩で主なコースは家から反時計回りのグリーンロードコースか藤が丘駅に向けて回って行く時計回りのコースです。

実はこの散歩についていく息子がこの散歩のキーパーソン。実はこの息子時々やらかすんねすよね。何をやらかすかというと「アミ」です。アミというのは自閉症の息子にとってのウンチ。小さい頃におしりを拭く時に「紙」を使っていた時の呼び名の名残りでして、ウンチを拭き取る時に紙を使うことから紙がアミという発音で残ってしまい、以降はアミが息子にとって「うんこ」の意味になってしまいました。w

さて、この散歩の時に我々が緊張する事態が発生します。それは息子の「大」漏らし。そうです、時に散歩の途中でズボンの後ろを盛り上がらせることがるんですね。特に危ないのは時計回りに藤が丘駅を通過してマクドナルドでちょっとしたポテトのSなんかを買った後。もともとウンチは出やすい方の息子なので、散歩の開始前に十分にトイレで座らせてからスタートするのですが、数十回の散歩をする中でその「座らせる時間」を端折ってしまうとパンツの後ろ側が「盛り上がってしまう」事態が発生するわけです。

嫁さんと私とで時々後ろ側のチェックをするものの、私は余り気にしないのに嫁さんは息子の「顔つき」の変化を微妙に読み取り「もしかして!?」という自体を察知してお尻を触ると2割位の確率で「!」というインシデントに遭遇するわけです。w

まあ、我々夫婦の間では「ウンが付いた」ということで笑っておりまして、そのまままそそくさと家に帰って先ずは玄関で服を脱がせてウンチを紙で大きく拭き取り、綺麗にした後は私が素っ裸になって息子のお尻をシャワーで流した後ボディー・ソープをお尻周辺にかけてガシガシ洗い、次に体全体を洗って湯船に入れて今度は私が自分の体を洗います。その前後には息子のパンツやズボンを洗うわけですが、ウンが付くのはもう慣れっこでなんともありません。

最後は二人で風呂からあがるのですが、妹にあたる次女はお兄さんである長男のうんこは流石に苦手みたいです。当然ですが。w

何というかちょっとばかし困ったもんですが、家族としての楽しい散歩はこの程度のことではやめられませんね。

2022年6月14日火曜日

何時かな?と思っていたらいつの間にか

結局、名古屋も梅雨入り宣言が出されました。

一ヶ月くらい前にも何日か結構長い時間にわたって雨がザーザー降る時期が「それなりに」あったんですが、最後には雲が消えて暑い日々が戻っておりましたので、今年は空梅雨というようなことは無さそうです。

そもそも東海地方というのは名古屋に雨が降っていないときでも飛騨高山、美濃などはザンザカザンと大雨が降っていることが多いのです。それは雪も全く同じ。こちら名古屋ではチラチラと言う程度の雪でも北の方は通行止めのドカ降り状態というのは良くあります。やっぱり山深きエリアには天候の激しさではなかなか敵いませんが。

さて、今年はと言うと名古屋は数日前から何となくぱらつく雨が出たり引っ込んだりということがあったので、個人的には「そろそろ名古屋も宣言出すかな~」と予想していたのが当たりました。

今日も降ってるのか降ってないのか部屋の中にいると判らないけれど、外に出てみるとキッチリそぼ降る雨~と言う感じでした。以前からブログに書いてはいるんですが、私自身は雨が大好きな人間ですから、こういう雨がずっと降る状況というのは大多数の人々と異なって好ましい状況なのでした。

嫁さんは洗濯物が外に干せないし、ジメジメすると髪型が崩れるというので文句を言いがちですが、この恵みの雨あっての農作物の収穫、我々の飲み水、多くの工業用水の使用、野や山の植物の成長があるということを思い出して欲しいものです。

しかし、ある看護師さんに話を聞いて改めて「ハッ」と思い直した事がありました。その看護師さんの御主人は塗装業を営まれているとのことで、雨の日は雨が振り続ける限り仕事がお休みになってしまうとのこと。特にそれが外装の時には完全におまんまの召し上げなんだそうです。それを考えると、他にも天気がその仕事に重大な影響を及ぼす仕事なんて無数にあります。

そう考えると、人の生活の日常というのは何事も程々が良いのかもしれませんな。


2022年6月13日月曜日

車の買い替えどきって何時だ?

今日、車を6年目点検に持っていきました。

日本に帰って来て早くも8年目ですが、車を買ったのは長女の一時帰国に合わせた時の事です。(焦って買ったのに結局帰ってこなかったという!(# ゚Д゚))しかし、車も既に車検を二回終了し、更に一年の点検時期でした。

昔は一回目の車検とか二回目の車検時期に車を買い替えるというパターンの人が比較的多かったような印象があるのですが、少なくとも昨年発表のデータを探してみると、ここ最近は8年半前後、つまりは4回目の車検前後を境に買い替える人というのが多いようです。

という訳で未だ私はこの「平均的」買い替え時期に到達していないので、買い替えることもありませんが、実際に借りた代車に乗ってみると数年の技術の差というのが物凄くビシビシに体感できるほど色々なことが変化しているのを見せつけられました。

安全装置という意味ではもともと私が今乗っている車と最新のものとは大きな差はないと思うんですけど、この数年で広く普及し始めているインパネ内のナビ表示やヘッドアップ・ディスプレイ等の便利なシステムが本当にさり気なく普通になって来ている事、そしてそれが本当にスムーズに機能することに密かに感心してしまいます。また、入庫時の360度サラウンド・モニタリングも、まあそれなりに便利だなと感じました。

とは言え、未だこの差で数百万円の買い物をしようという気が起きないのも事実。今の車はいろいろなものが標準的に装備(特に安全関連の装備)されているし、車のそもそものデフォルトの値段が我々の20代の頃とは全く変わって軽自動車でさえ200万超えなんて言うのもごく普通ですから、少し大きめの車を買おうとすると300万円以下ということは通常無いと言えるほど価格が高騰しています。

まあ、上を見だしたらキリがないのは間違いないのですが、今の車は一回買えば本当に普通にどこも故障しません。定期点検に入庫させてオイルや水回り、バッテリーのメンテなんかをしていたら少なくとも何事もなく10年間は普通の乗れます。

ですから、少なくともフル・モデルチェンジの一回分程度は余裕でスキップすることになりますし、実際のところ今回6年前に購入した車の担当の方には「今のモデルも十分にかっこいいですけど、EVの新規出品との世代交代や次の新モデルで新しい安全装備の中核の眼となるLIDARシステムが搭載される事がほぼ確実なので、それまでは待ちます」と宣言済み。

是非次までに更に大きな進歩が導入されるとともにそれほど値段が上がらないことを心の底から祈るのみです。(調子良すぎですね。w)

2022年6月12日日曜日

また嵌ってしまった

年に1回有るか無いかと言う感じのことなんですが、先週の土曜日よりあるものにハマってしまいました。

何を今更!と言われるのは我々のような海外暮らしをしていた人間に共通の体験でして、海外にいる間に日本で流行っていたものを知らないままで過ごしてしまいますので、日本人の大多数の人達の体験と比べると「中抜き」の様になってしまう訳です。

まあ、嫁さんのように日本のテレビの放送されているネット上の種々のリンクを知っており、あれこれとほぼ同時進行的に視ているような(私にとっての特殊な)人は別として、多くの人は海外である体験を得る代わりに、日本国内の別の体験は逃すわけです。まあ、何かを得れば何かを失うと言うだけの話で、比較的普通のことですが。

さて、紹介が遅くなってしまいましたが、私が今ハマっているのはアニメ「ちはやふる」です。10年以上前のTVアニメなんですが、この3日間でシーズン1,2の中から30話分以上を既に視ることが出来ました。

そもそもが青春ものに「大変」弱い私でして、以前も書きましたが三浦春馬くんと多部未華子ちゃんが出ていた「君に届け」を1回目に視た時にさめざめと泣いてしまったオジサンですからこの「ちはやふる」を視ていても若い世代が種々の経験を友人達と競い合い支え合い頂点を目指していく姿は私の心のど真ん中を揺さぶり続けるのです。

百人一首の中の百枚中五十枚を二分割し、相手と己に二十五枚ずつ並べて読み手のリズムに合わせて上の句が読み放たれた「瞬間」に文字通り電光石火の勢いで並べられた札を抜き取っていく訳ですが、その瞬間に向けて知っておくべき知識や作戦、トレーニングや心理戦。そして当然ですが、その結果を左右する知性や体力、才能などの文字通り勝利に向けての無数の要素の組み合わせが様々な物語を生み出すわけです。

それにしても、YouTubeで実際に見るクイーンや名人の試合を視ると、恐ろしいスポーツだなとひたすら感心するばかりです。こんな過酷な試合で何年にもわたって名人位やクイーンを保持する人達って「日常生活」では一体どんな人達なんだろうと興味津々です。

これからまたいろいろな試合やカルタのバックグラウンドを調べながら知見を広げようと思っているのすが、アニメで出てくる百人一首って誰の歌かとかその歴史的背景などはかなり忘れてしまっていても、高校の頃などの若い頃に習った影響でしょうか、まだまだスラスラと上の句と下の句が出てきますね。

日本人にとって和歌や百人一首というのはやはり言葉の背骨になっているんだよなと感じる瞬間です。

このちはやふるは漫画で四十八巻?とかいう話になっているはずですが、アニメ視てれば原作は買わなくても良いでしょうかね?いや、欲しくなるかも。ネットで百人一首自体をカルタで買うと幾ら位になるのかと調べてみたら大体二千円から六千円くらいみたいです。しかし家では誰もせんやろうしな~と思うと、買う気はなくなってしまいます。

娘たちが覚えんでしょうかね?まあ、そもそもオリジナルの日本語が怪しいのに古典は無理かな・・・。

2022年6月11日土曜日

次女の新しい部屋

我々の住むマンションの隣の隣にある二階建てのプレハブ造りの家にアトリエをセッティングする事になりました。

今日はその引越日。運び込むものなど未だ殆どありません。トイレットペーパー2パック24巻分を持ち込んだだけで、アートの道具もなく本を何冊かと今は使わない自分がアメリカから持ってきた冬服等が入ったスーツ・ケースを運び込みました。

私はと言えば、嫁さんと次女が二人で行ってきて床掃除をしてきたという報告を聞いただけです。部屋はきれいにリノベされていて、ユニットバスの中もチリ一つなく、トイレのカバーも新品になっていました。電気は東邦ガスに頼んでセットアップ。約束した時間に違わずすぐに使用できるようになっていました。

問題はここからです。

こうやって親が補助して絵を描く環境をセットアップしてあげたというのは、まあ、パトロンとしては宜しいとしましょう。しかし、これから先は仕事をしながら日常の生活をしながらのアートの作製が仕事。コンテストなどにも出品しなければならないと自分では思っているようですし、post graduate schoolへのアプリケーションも続けねばならないことも既に既定路線です。

多作、寡作などの良し悪しなどもよく解りませんが、少なくとも作品を何らかの形で造り続けなければ良し悪しもあったもんではありません。

既に日本に一旦戻ってきてからチェコのアート・フェスに作品お応募をしたようなのですが、私の知らないところで「自分で考えて」勝手に前に進んでくれるのならば親としては何も問題はありません。

やるべき事をやって少しずつ前進してもらいたいものです。果たしてどんな作品があの小部屋から出てきますやら。


2022年6月10日金曜日

オバサンの財布

先日、ある番組の画面での中年女性の街角での支払いを見ていて嫁さんと話が盛り上がりました。

それはその時女性が見せていた厚さ5センチはあろうかと言うほどの財布に関するものでした。恐らくもともとはどこかのブランド財布なのだろうと思われるようなかっこいい財布だったんですが、中にクーポンやカードを詰めすぎて猛烈にブカブカになっているのです。

その例に引きずられるかのように、その店にやってくる女性達の財布が立て続けに映し出されていたのですがクーポン、クーポン、クーポン、レシート、カード…と山のように買い物関連の「お得」系のカードや「買い物後」の紙などが詰まった厚さ3-5センチ程度とこんもりした厚さになった財布の群れが映し出され、その度に撮影された女性陣が照れ笑い、ガハハ笑い。

たまたまだったのかもしれませんが、病院で弁当などの支払いをしている時の看護師さん達の財布を見ていても、紙幣が100枚位入っているんでしょうか?と言うくらいの厚さを見せた財布でも比較的普通のように思えますから、これらの女性陣が画面で見せてくれた財布が取り立てて別格なのではないのでしょう。

そこでうちの嫁さんは如何かというと、やはりいつ買い物をしても近所の良く行くお店のみならず滅多に良いかない店のクーポンも「あ、あったと思う」とか「スタンプ・カード持ってる!」とか言う言葉がすぐに出てくるのです。私にしてみれば、内心「え、こんな店にいつ来たの?」とか言うような所であっても、本当に家に置いてきたりせずに何時でも持ち運んでいる状態なんですね。w

私はと言うと、そもそもクーポンやスタンプの類はオファーされても殆ど「あ、要りません」と言うか、電子的に直ぐに貯まるものをスマホで差し出すくらい。財布が厚くなるようなものは基本的に一切受け付けません。ポケットが厚くなるのは嫌ですし、一時流行ったプロ野球のオッサンのようにセカンドバッグというかポーチのようなものを運ぶとかは嵩張ってしまうので、個人的には「あり得ない」と思っていますから心理的な予防策なんでしょうね。

私にしてみれば、そもそもが財布というもの自体を持ち歩かなくて済むような生活様式が理想。スマホでいろいろな支払いができるようになった現代の生活は有り難くて堪りません。

それでも「満タンになったクーポンでこれ買った」とか言ってニコニコと私の帰宅後に報告してくる嫁さんを見ていると、そういう事に小さな喜びを重ねている女性の姿を根っこから否定するのは野暮天そのものだなと思うのでした。


2022年6月9日木曜日

胡散臭い名古屋市の言い訳

腐臭プンプンと思うのは俺だけなんでしょうかね。

いつも行政の仕事のレベルが低い名古屋市、そもそも頭に乗っかっているオジサンがあの河村某という金メダルの噛みつきで悪名高い人物なんですけどね。この人物、表向きは人の耳に心地良いことを言っておりまして、「選挙には強い」のです。しかしやる事なす事基本はパフォーマンスである事はその一貫性の無さを見ればまともな名古屋人には常々その人のレベルは広く知れ渡ってわけで、毎度何かがある度に馬脚を現しています。

まあ、男版の田中真紀子といったところでしょうかね。

信念がないため直ぐに大勢に靡くのがこの人の本質だと思っています。まあ、そういうのはポピュリストとしての大衆ウケ狙いの政治家の本筋と言ってしまえばそれまでなんですが…。

そういうオッサンが頭に載っかっている名古屋市の行政にまた一つ私は胡散臭い、と言うか腐臭を感じる一件を垣間見ることになりました。コレって本当はもしかしたなんか裏のある事件じゃないの?と個人的には思っているんですけど、叩いたらいろいろと真っ黒いホコリが出てくるような気がしています。

それは藤が丘駅の高架下商店街の立ち退き問題です。このコロナ禍で、ただでさえ減っている藤が丘周辺の飲み屋や食べ処。前にもここで書きましたが「嘘やろ!?」と言うレベルの店まで店じまいをし続けているのですが、その理由が行政による東山線、藤が丘周辺の高架の耐震補強工事なんですが、一度工事をした後店が戻ることが出来ないというシステムになっているのです。要するに廃業を強いるに近い悪行。

実はこの件に関する交渉窓口は二重になっていて、立ち退かされる側の商店の人々は名古屋市とは直接交渉できません。

藤が丘駅は53年前です。これは1969年で嫁さんの生まれた年なんですが、開店して50年以上経つというような店もあるのですが、彼らに対して何の補償もなくただただその管理をしている株式会社東名サービスという窓口と交渉しなければなりません。この会社藤が丘中央商店街振興組合という皮肉な名称の振興を援助しない組合の中に所属しているんですが、構図は以下のようになっています。

まず所有者である名古屋市が管理会社たるこの東名サービスに使用許可を与え、その上納金として東名サービスが名古屋市に使用量料を払う、そして高架下の商店街は借り主として東名サービスとの間に賃貸契約を結んでいるため、名古屋市側は借り主たるテナントとは交渉する必要はない!という理屈。

私は法理論や凡例を知らないのでこういった事で争う時にはどこをどう攻めたら良いのかはよく知りませんし、大まかな方向性として勝ち目の有ることなのかどうかも判りません。しかし、市民にサービスを提供するのが行政の役割ならばこういった真面目に地道に地域のために長年働いてきた商店を無下に蹴り出すような事は決してあってはならないと強く強く憤るものです。

さて、先程上に書いた東名サービス。そのHPのリンクが何故かXXカントリークラブというゴルフコースの会社になっています。何故にこの私的な会社が名古屋市の公的物件の一元的管理会社になっていて、その会社が賃貸契約を何の理由もなしに切り捨てることが出来るんでしょうか。そもそもの名古屋市とこの私的会社の繋がりとその由来からして全く私には理解できません。

もう一度言いますが、藤が丘商店街振興組合という皮肉な名前の商店街を振興しない「名古屋市から遠く遠くに離れた北設楽郡」の会社に管理されているのか。理解できない追求すべき闇があると思うんですけどね。当時の藤が丘駅周辺を用地買収したり、藤が丘駅関連施設を建てた当時の議員関連の関連会社系列のものではないでしょうね?

会社の登記簿その他を調べて遡及する価値があると思うんですけどマスコミは動かんやろうな。orz

2022年6月8日水曜日

英会話スクールの講師とか始めたようです

円安が止まらない日本に帰ってきた次女。

取り敢えず近未来のアメリカでの再度の勉学に向けてお金を貯めなければなりませんので、彼女のような極楽トンボも日本に滞在している間はシコシコとお金を稼ぐことになります。これは彼女にとってはMUSTの行為ですから、私としても何も言いません。

娘に聞いたところ、今回の収入源の中心はこの英会話学校と以前働いていたたこ焼き屋でのバイトのようですね。なんでもたこ焼き屋のバイトの方はバイト友達を含む仕事仲間全体が大変和気藹々と仕事のできる気のおけない職場のようで、時給は1000円ちょっとらしいんですが、家からも近い上に長く仕事をしているため気楽に働けてとても楽しいとのことです。

もう一つの英会話のバイトなのですが、こちらは対面で教えるタイプとネット上でZoomで講義するタイプの2つの授業があるという話。以前教えていたチビちゃん達に囲まれながら幼稚園の先生のような仕事をしなければならないようなタイプのものでは無いようです。

時給は2500円程度なんですが、日本語も英語も話せると言う学校側から見ての使い勝手の良さというアドバンテージはやはり「それなりに」大きいようですが、子供や叔母様などを相手にテーマを決めてお話しながらお話をしていくそうです。

初日はどんな仕事内容なのかただそこの学校の本部に聞きに行っただけの筈だったのに、いきなり8時間ほど従業をさせられたとの事で、フラフラになって帰ってきていました。二日目からは少し慣れてもっとリラックスして帰ってきていましたが。

家に帰ってきて講義した相手の話をいろいろとしてくれたのですが、お金をかけて子供にいろいろと習い事をさせている親御さんとか、10歳位の子供でも一週間ガチガチにピアノ・バイオリン、英会話、塾などと組み込まれているんだそうで、それをZoomで子供さんが愚痴を言い続けるという話でした。

そういう習い事関係に全く金をかけられずに育った貧乏野ブタのような私からするとひたすら色んな意味で「凄いな」と言う感想しかありません。しかし、10歳で愚痴を言いながら勉強をさせられているこの子供さん。一週間に10分間だけNintendo Switchをさせてもらえるそうな。

メデタシ・メデタシ。


2022年6月7日火曜日

もっと若い世代に金を落としたい

なんだか最近は凄い速度で円安が進みます。

それだけではなくて、国民の承知しないところでズンズンと増税も進み、遺産相続のシステムも更に厳しくなり、免税の範囲も細々としたセコい方法を使って狭く狭くなり続けています。アメリカで納税をして、日本でも納税をしてその比較をしてみて分かるのは日本の異様なほどに効率的な社会主義的徴税システム。

まさに増税されても文句を言わない日本人の皆様に広く適用されている徴税システムは(ごく個人的な意見なのですが)基本的に全員確定申告「義務」制度にして行けば良いと思います。その上で年末調整なども給与所得や納税対象者を含めて全員がもっと税金の事に関心を払うことを奨励していけば、この国の「世界一成功している社会主義国」の汚名を返上出来るんじゃないでしょうかね。w

全く個人的な意見なんですが、金は未来の為に使うべきだと強く思うんですよね。年寄りやハコモノに大量に使ったところで、未来が生まれないし、箱物には一旦作ると使おうが使うまいが意味不明の年間維持費がかかりすぎ。今はハコモノを皆が使う右肩上がりの時代ではありません。

少なくとも生まれてくる子供達の出産費用くらいは全額税金で賄ってあげて、教育も大学までは(少なくとも国公立は!)無料で進学できるようにして、教育に対する出費を少しでも減らしてやればいいと思うんです。その原資に私達が出す税金を使ってもらうのは全然良いことだと私は思ってます。

勿論、年寄り向けの出費も当然税金からの出費になる訳ですけど、自分の両親を見てても思うことは「もういい加減ある程度の歳になったらアキラメというのも大事」という事でしょうか。親父自身が私に「もう俺も迷惑かけるくらいならいつ死んでもええわ。余計な延命とか一切止めてくれ。」といつも笑いながら言っていますが、80過ぎるとなかなか疲れも取れないし、速くも歩けない、昔のように力も出せないけれどそれはそれ。車だって長く乗れば錆も吹くし取り替えなければ使えないパーツばかりが増えていくのと一緒。やがては中古車から廃車へなりますが、人間がそれと異なるということもありません。何事もある程度の諦めは肝心。いい年こいて延命に汲々とするのもみっともないという考え方は両親が私に実際に示してくれてます。

ヒトもモノも形あるものですから、どんなに足掻こうとやがては消滅してしまいます。それこそ自然というものです。

ふるさと納税でもその使い道を指定する時にその選択項目がある時は必ず「子育て」へ全振りしますし、それが無い時には「福祉」に振っています。税金を自分の意志で可能な限り目的を指定して突っ込んでこそ、徴税の「され甲斐」もあるというもの。どうせ取られるなら少なくともアメリカ程度にはもっと税金に対する国民の意識を先鋭化させた世界の中で生きていきたいものです。日本は余りにも税金に対する国民のセンサーを涵養していないと思いますが、それこそが国策なんでしょうね。

クドくなってしまいますが、金を使うなら若い世代へ未来の投資として使いたいものです。黄金で出来た墓づくりに勤しむようなクソジジイ共の給料の維持に使う事は避けたいものです。その延長線上として選挙においては政治家の選択ももっと真面目にやるようになることでしょう。


2022年6月6日月曜日

クリーニング店の謎

今日は次女がアメリカから履いて帰ってきた「くちゃくちゃに汚れたVansの靴」をクリーニングしたものをピックアップしに行きました。

仕事帰りの道すがらにあるこのクリーニング店を以前から靴のクリーニングのために使わせてもらっています。一回のクリーニングが500円なんですが、以前一回だけ家のメールボックスに入っていた靴のクリーニング無料券を使用して少し古びかけていた靴を持っていったのですが、その仕上がりが余りに出来すぎていて驚いたものですから、それ以降黒色系のものなども含めて何回かクリーニングに持っていっていました。

さて、今回クリーニングでそこのおばさんと向かい合って仕上がった靴を見て激賞していた所、ふとした話の流れで「お客さんが取りに来ていない服で最長のものは何年くらい経っているのか」と言う質問をすることに。すると、ササッと眼の前の服を引っ張ってタグをチェックしてくださり「2014年ですね~」と言って「この支店が開業して直ぐくらいのスーツですね」と言って笑っていました。

私が「一体何年までお客さんの服とって置くんですか?」と逆に尋ねたところ「基本的にはずっとですね」とのお話。それじゃあ永遠ってことですかというような話をしたところ「以前、他のクリーニング会社でお客さんの服がずっと取りに来られていないので、お客さんに電話をかけてから確認をして(廃棄していいですか?)と伺ったところ、(結構です!)と言われたとのことで、実際に廃棄したらその同じ家族の別の人が取りに来て(あの服を返して!)ということで裁判になったことがあったんです。そしてその裁判で負けてしまったんです。それ以来、金額は大したことなかったんですけど服は永遠に取っておくことになりました」との事。碌でもない話ですね。ほんま。

約款では基本的に仕上げてから半年経過してしまった服は責任を取らずに廃棄できるようなことを書き込んであるらしいんですが、そこは客商売。捨てないんだそうです。

その受付のおばさんが教えてくださったのですが、以前勤めていたお店では27年前のものまで持っていたとのこと。やっぱり失礼ですが、この商売は私には出来ないなと思いました。「万一支店が廃業する時はどうするのですか?」と伺ったら「近くの支店に移動させてお客さん達に一軒一軒知らせていくんです」との事で、気が遠くなりそうでした。

彼女によれば「以前は固定電話の方が殆どだったので、引っ越していかれた後はもう連絡がつかなくなってそれで終わりなんですよ!」と言って笑われていました。

500円のクリーニングに行っただけなのにちょっと賢くなった気がしました。


2022年6月5日日曜日

ゼレンスキーを見ていて感じること

この前、ネットでウクライナ人が戦争中にも関わらずコメディアンのネタに大声で笑っているという記事を見てニヤリとしました。

大まかな内容はお母さんが部屋を片付けない子供を叱るというネタで、「ロシア軍が砲撃してきてあなたの部屋が世界に中継された時に綺麗に片付けてなかったらウクライナの恥でしょ!」というようなもの。戦時中でも反骨精神の延長上に笑いを作るところは戦時中のイギリスと同じ。

ロンドンがナチス・ドイツのV1/V2ロケットの爆撃に晒されていた時、爆撃で大きく開いた穴の先にあった理髪店が「改装中」という簡素な看板を出していたり、「吹き飛ばされた窓は気にせず右側から入ってきて!」等という写真を見ると「贅沢はできないはずだ!」とか言って憲兵が国民の私生活を見廻っているような国とでは自ずと国民性の差が出てくるわな~と感じてしまいます。

そんな時にどうしてもシンクロしてくるのは今のゼレンスキー大統領。戦前には「私を支持してくれるのは国民の20%だが、それでも大統領として国民に仕える」というようなことを言っていましたが、結局この国家存亡の危機の中で9割を超える圧倒的な国民の支持を得ているのをみると「どうしても」あの戦時宰相チャーチルに姿が重なってしまうのです。

平常運転の世界では突出して目立った仕事を残さない人が「時と場所」を得て歴史の巨人となっていく瞬間を我々は見ているのかも知れません。もともとコメディアンとは言えウクライナの一流国立大学できちんと法学を学んだ背骨のはっきりとした人間。お笑いやテレビ俳優としての才能を「言葉と行動を通じて国民を鼓舞して突き動かす」という事に全振りし、国家危急の瞬間を救うことが出来たらゼレンスキー氏がウクライナに生まれた真の理由が今こそ生じていると考えます。まあ、既に老後の国葬は決定済みですが!

そしてまさに今この瞬間は戦局が膠着しているとしても、これから流れ込んでくる西側の種々の兵器群が恐らくはグイグイと戦局をウクライナのために変えると「私は」信じています。弾薬を消耗し、壊れた物品を補修する部品も補充出来す、軍内で人的に離反され、大義の無い侵略戦争を続けることがロシア側にとってどれほど大変なことか。ロシア軍で送られる場所も理由も理解できないままモノとして補充され戦場に送られ続ける若い兵士諸君の気持ちを思うと逆に暗澹たる気持ちにならざるを得ません。

世界最大の国土に君臨する愚かな僭主(tyrant)を持った非民主主義国家の命運や如何に。

2022年6月4日土曜日

不思議な大事故に遭遇

次女が久しぶりに大須に行ってみたいというので高速にちょっとだけ乗ってすぐに大須のそばまで来たのですが、何故か車が前に進みません。

何故?と思いつつも後100メートルほどで左折すれば入れる筈の道なのになかなか渋滞が解消しません。流石にこれは事故渋滞だろうなと思っていると今度は道のど真ん中に警察の事故処理用のバンが停まってモーゼの十戒のように4車線の車の流れを二車線に減らしています。

もしかしてかなり大きな事故でも?と思って近くに寄って行くにつれとんでもない光景が見えてきました。交差点のど真ん中で銀色の車が完全に横転していたのです。こんな真っ昼間の人通りの多いでかい交差点で一体何が起こった?というのが正直な疑問でした。
二台の車の当たり具合ではこういった事も起きるんですね。恐ろしいです。
車種はバリバリのハイパワーカーであるWRXのようでしたが、これほどの事故であれば恐らくニュースになるだろうし、twitterではバズるだろうな(特に大須のような若者が多いエリアでは!)と考えながら横を通り過ぎつつ「誰も怪我をしていない事」を祈りました。一見した感じでは、横転はしていたものの大きな傷も無さそうでしたし、そこは現代の多重安全システムを装備した高剛性の車体をもったスポーツカーですから、シートベルトをしていれば恐らく無事ではないかと考えて大須に行きました。

後でネットを調べた所以下のような感じ。
4日午前、名古屋の大須にある交差点で車が横転する事故があり、1人が病院に運ばれました。 午前9時40分ごろ、名古屋市中区大須の「矢場町」交差点で「車が横転している」と消防に通報がありました。消防などによりますと、乗用車同士が衝突する事故があり、そのうちの1台が横転しました。 この事故で、40代くらいの男性1人が病院に運ばれましたが、意識はあり命に別状はないということです。現場は若宮大通と大津通が交わる交差点で、警察が事故の詳しい状況を調べています。

取り敢えずは無事ではなかったようですが、大事に至らなかったようで何よりでした。

事故というのは明日は我が身。自分が正しく走っていても向こうからやってくるものですし、本当にふとした思い込みや運転手同士の解釈の相違、誤解で何時でも起き得るもの。以て他山の石としたいものです。

あと大須に着いた後では次女の古着購入に「長々と」つきあわされました。orz


2022年6月3日金曜日

園児達の検診に行ってきました

また今年も長久手の教圓寺に付属するさつき幼稚園の検診に昨年に引き続いて行ってまいりました。

私自身にとっては二度目の検診でしたが、病院にとっては長年にわたって続けている検診です。お寺の向かい側に広々とした清潔な二階建ての幼稚園が建っているのですが、私の幼稚園時代の頃のような大学の古びた木造教室を流用したような古びた建物ではなく、本当にきれいな近代的な二階建てのビルです。

さて、今年も3歳から5歳児の3学年にわたる可愛い可愛い200人超の幼な子達の診察をさせていただきました。診察は女医さんと一緒に行きまして聴診と口腔内の視診、全身の皮膚の観察等が中心だったのですが、基本的にアトピー性皮膚炎等の子が少しいただけで大きな異常は観察されませんでした。

去年、今年と検診を行って気づいたことは2つ。1つは子供達の歯の美しさが我々の小さかった頃のレベルとは桁違いということ。誰も彼もかなりのレベルで虫歯の子が多かった我々の時代とは全く違う本当に虫歯の少ない子供達です。ただし、園長先生もおっしゃっておられたのですが、100人に一人二人くらいは本当にボロボロの歯を持った子供が居て、その様な子供さんの親御さんはやはり子育てにおいても、正直「余り熱心ではない」という感じなんだそうです。

2つ目はアレルギーに対する対応の変化。我々が幼稚園生の頃にはアレルギーの「ア」の字も対策なんか無くて、普通に「好き嫌い無しでちゃんとみんな三角食べで食べなさ~い」という程度でしたが、今は細かく対応しているというふうに考えていました。それは全くアレルゲンを含まないような食事の提供…みたいなものと勝手に想像していたんですけど、行政的にはその一歩先を行っていて、身体症状等の形で影響が認められない程度の量であれば提供しても良いとのことでした。

ただし、びっくりしたのはごく最近になってナッツ対策が重要になってきているとのこと。「ナッツってあのナッツですか?」と伺うと、園長先生は「そうなんです」と仰った後、細かな説明を加えてくださったのですが、小さな子供さん達を預かる仕事って大変だな~ってつくづく思いました。

可愛い子供達と若い先生方とお別れした後、病院に戻ってきたのですが、逆に私のほうが癒されされた一日となりました。

今日は帰る前に本寺一光三尊仏と阿弥陀如来胎内仏のH27年製のメタルの栞(book mark)を頂きました。ありがたくて使えません。w


2022年6月2日木曜日

次女が帰ってきてからというもの・・・

家族一人の増減というものはこんなに劇的にいろいろと変えるものだったかな?

次女が日本にやってきてからは「うるさい」のが一人増えたくらいに思っていたのですが、その他の物理的な変化に嫁さんも私も驚くものがありました。次女がまだ若いからなのかも知れませんが、何と言ってもトイレットペーパーの減りが早くて仰天です。

思わずふるさと納税を利用して96巻のトイレットペーパーを再オーダーしてしまいました。この上更に長女が帰ってくる間の一ヶ月は一体どれほどトイレットペーパーが減ってしまうのかと想像すると、再々オーダーが必要になってくるのかもしれません。

さて、更に変化を見せつけるのは冷蔵庫の氷や麦茶の消費量、そしてお米の消費量。更には風呂場のシャンプーの消費量も劇的に早まります。嫁さんに言わせると再び化粧品が鏡の前に沢山並び始めたことも変化といえば変化かな~と言っています。

後もう一つ、私もそして嫁さんもともに気づいていたのは長い髪がアチラコチラに落ちていることです。特にオイオイと感じるのは風呂場の浴槽の中で見つける髪の毛。こんなのは嫁さんや息子と三人で暮らしていた時には全く有り得なかった物体ですので、びっくりしてしまいます。この点に関しては嫁さんに言わせると自分が若かったころも結構自分の母親が拾い回っていたといいますので、同じことの繰り返しなんですね。

ボディソープもお肌に合わなかったらしく、今家族が使っているものを使うと肌がカサカサになってしまうということで、curelというのを買ってきて使っているとのこと。

何だかアメリカで使っていたものと使い心地が近いもの選んでは自分用に買ってきているようで、家族のメンバーが増えるというのは資源の有効活用とかモノの数を少なくして使うというような観点からするとどうにもスペースの無駄ですね。w

しかし、家が賑やかになるというのは実に良いことで家族合っての家という容れ物、ただただ綺麗で効率的というだけではどうにもガランと寂しいものです。雑然としていても賑やかなバザールが、乙にすましたデパートの販売会場よりも「ワタシ的には」魅力的なのと一緒なのかも知れません。


2022年6月1日水曜日

また給付金詐欺か!

給付金詐欺で10億掻き集めたクズ家族の話が先日ネットを賑わせたばかりです。

ところが、今回はよりによって持続化給付金約2億円を国税局職員ら7人が騙し取り逮捕されたと言う事件が別件として報道されました。内容はこれまた大量の人間(今回は大学生200人)に嘘をつかせて申請を行い金を政府から不正受給したというもの。

恐らく図面を描いた人間の一人として東京国税局職員は中心で関与していただけでなく、その申請に必要な確定申告用の書類偽造をも担当していたというもの。何というか呆れたもんです。この職員の男24歳らしいんですが、他の捕まった男女7人とも20代との事で、中には証券会社の元社員もいるという話ですが、1件100万円を掠めていたといいます。他にも申請の名義人になっていた大学生や高校生、専門学校生なども書類送検されているとのことで、既に社会に出る前に賞罰の「罰」が付いている状況。全くお気の毒ではなくその反対。天罰覿面です。w

LINEでいろいろと指示していたらしいので、今後証拠開示の過程で「一字一句」洗いざらい犯罪の指示過程が抜き取られることでしょう。

今回の下っ端の連中はいわゆる振り込め詐欺の受け子と同じようなもので、犯罪の片棒を担ぐことを自覚しながら本来は存在しない筈のeasy moneyを国庫という税金の塊の中から掴み取るわけですから、被害者は国民全体。いわゆる国家の敵です。社会的にも経済的にも将来にわたって犯罪者としての十字架を背負って頑張って生きていって頂きたい。一度犯罪歴がつくと履歴書にそれを書かないこと自体が私文書偽造になると思いますが、履歴書など必要のない世界で生きていく確率が上がるのでしょうかね。

しかし最大のバカ野郎はこの国税庁職員。我々のように普通に働く人間にも必ずその仕事に求められる「職業倫理」というものが存在します。特に人の秘密や秘匿性の高い仕事に携わる人間であれば、絶対というレベルで喋れない個人情報を自由に閲覧可能でかつそれを金に換金しようと思えば幾らでも金になるような仕事に就いている人間は日本中に無数に働いています。

裁判官や検事、税務署職員、警官、外務省職員、その他無数と言えるほど多くの官公庁に勤める公務員、そして私企業であってもカスタマーの秘密をその規約や社会的認容範囲(非常に狭い!)を超えてリークした者には馘首だけでは済まない厳しい公的制裁が待ち構えています。

そのような容易に想像される近未来も想像できなような馬鹿な24歳の国税庁職員が一人いるだけで、他の真面目にやっている人間があたかも同じ穴の狢みたいに見られることもあるわけですから、特に東京国税局の職員達は憤怒の渦の中で過ごしていることでしょう。この国税庁職員は専門職であるだけに間違いなく裁判での心証は最低で素人にいや増す厳罰は免れないでしょう。

やろうと思えば幾らでも出来ることでも、それをやっちゃ~オシマイよ~!という事が世の中には無数にあるのです。やってはいけない事はやってはいけない。それは高邁な説明をしなくても解らないといけないし、それがわからない人間には犯罪の素地があるわけですが…。

税務署職員や経産省の若手などのみならず、今回の持続化給付金に関連して既に全国で3000人以上が検挙されているとのこと。立件されただけで32億弱。総支給額は5兆5千億円とのことですが、恐らくこれからもマダマダ首の寒い輩はこのニュースをビビりながら見ていることでしょう。

みんなやっているから俺も私もとやった「未だ捕まっていない」皆さんには、これから時効までの長~い時間をビクついて過ごしていただきたいものです。

最後に一言「悪銭身につかず」ですぞ。w