2022年8月31日水曜日

香川照之のニュースを聞いて

猛烈に酒癖が悪いような書かれ方をしていますね。

歌舞伎会の人間、少なくとも良い噂というのはほぼ聞かないような「印象」があるんですが、特殊な世界ということで色々なことが報道もされずに壁の向こう側で処理されているような日常があるのだと思います。梨園の世界は特殊な世界というような感じで。

隠し子何人というのは何時もの事で、夫婦関係は終わっていて別の女性の所に毎日帰るというのもこれまた普通。梨園に生きるというのは奥さんの方もその程度のことで動揺するようではいけないというような基準でもあるのでしょうし、そういった「世間では問題」になるようなことは恐らくは金銭できちんと責任を取るような事になっているのでしょう。そういった世界があるというのは芸事に関わる人の間では今までは許されたのでしょう。

しかしながら、そういった「特殊な世界」も「世間一般の常識」で運用される世界と境界を接することになると、そこにはお互いの常識のズレが当然摩擦として出るわけで、香川さんの酒癖ゆえの様々な問題は令和の世間の常識では許容されないということでしょう。

女性に対する性的な行為、暴行などというものは幾ら謝罪や和解などというものが成立していたとしても、socially deadという状態になるのも令和の時代には自然な帰結だと思います。

最近、TOYOTAの中でありとあらゆる所でCMのメインとして出ていましたよね。個人的には少しアクが強すぎる人をこんなに全CMと絡めて大丈夫かね?位には感じていたのですが、今回こういう形でCM中止や番組降板に追い込まれてしまうと逆に使っていた側のダメージも巨大ですよね。特にこういう「もの」を売る商売はイメージに傷がつくのは極力避けたいでしょうし。

酒癖の悪さというのは私も大学生になった頃の飲み会でクラスメートで経験しましたが、飲んで変な方向に行く奴というのは100人いれば一人以上居るもんです。ただ、笑い上戸泣き上戸くらいは何でも無いのですが、暴走して人と絡みだしたり怒り出す輩は勘弁です。もし、彼がこの系統の人間なら解決策は一つ。飲まないことしかありません。

しかし、遅すぎましたね。半沢直樹の次に出てくることはまあ無いのでしょうか?失ったものは大きすぎたと思います。とは言え梨園の世界。あちら側では護られるんでしょうかね。

2022年8月30日火曜日

田舎で昔の写真を・・・

長女も長崎に来てお祖父ちゃんに会っていますが、私達「親」とはアクティビティが違います。

お祖父ちゃんの現状を悲しんでいることは事実なのですが、それはそれ、これはこれという感じで長崎滞在中にやはりあちこちに行きますし、食べ物、特に長崎の海産物に舌鼓を打つ日々を過ごしています。もう一つ彼女自身が見つけたアクティビティとして、実家にある家族の写真の整理。

整理とは言っても、長崎の実家に置いてある膨大な数の現像済み写真。アメリカに行く前に撮っていた240枚入りのボックス型の写真帖40冊程度が存在していることを今更になって知った娘は名古屋に置いてあるそれらの写真のネガフィルムの方を整理するか、それともこちらの現像済みバージョンを整理していくかで悩みつつも、どちらも同時に進行させている様子。あっという間に数冊ずつ済ませているのでおそらく半日もかからずに全ての写真を整理するのでしょう。

ただ、困っているのは私の嫁さん。まさか自分の娘に私と付き合い始めた頃のアルバムを全部スクリーニングされるとは思っていなかったようなのですが、問題はそのアルバムに入っているそれぞれの写真に30年前に自分が書き込んだコメント。

正直な所、そのコメントの多くは私と嫁さんの間だけでならニッコリで済むような可愛いコメントの数々なのですが、声に出して娘に大笑いされながら読まれるとその一文一文がほとんど「生き恥」と言うレベルのもの。w まさか30年後に自分の娘に眼の前で音読で読まれて顔を赤くさせられるとは思わなかったようで「もう少し考えて書けばよかった」と悔やむこと頻りです。

とは言え、私から見れば可愛い文言の数々なのですが?

もう一つ、当時のラブレターの数々も整理の途中に見つけられてこれまた赤っ恥をかいたようです。流石の私もそれは恐ろしくて読み返せません。
それにしても、つい考えてしまうのが自分の死後のこと。やがてその日は確実にやって来ますが、私が死んでから恐らく何か隠し忘れたような恥ずかしいものがほじくり返されるのでしょうか?orz

まあ、死んでれば恥ずかしいもへったくれもありませんが!


2022年8月29日月曜日

病院に義父を訪れる

5時前に起きた後、何の問題もなく飛行場に到着してから一休み。

とは言え時間は直ぐに経過して久しぶりにANAに乗って長崎に向かいました。前夜に取っておいたBudgetレンタカーの予約でホンダのフィットと思っていたのがダイハツのロッキー(トヨタのライズですね!)が渡されました。

ステアリングを握って直ちに長崎の義父の家に向かったところ、そこに待っていた嫁さんが出迎えてくれました。一週間ぶりの再会です。お義父さんの容態を聞いた所、それなりに安定しているとのことでしたが全く予断は許さない状況であることは明白でした。

そのまま長女と長男を車にのせて長崎大学附属病院に直行。本当に久しぶりの自分の卒業校の病院訪問でしたが、こんな形で訪れるようなことは避けたかったですね。

11階の耳鼻科病棟に登っていくと直ぐに入室させてもらいました。お義父さんの姿を見ると体に種々のセンサーを取り付けられた状態でしたが各数値を見ると取り敢えず安定的に推移しているようでした。私も安心して一旦息子を連れて14階のレストラン・ポンペと言うところで美味しい洋食を食べて再び降りていってお義父さんの手を握って話をするとどうやら私の到着を理解してもらえたようで、目を開けてにっこりと微笑んでくれました。

それを見て私自身も「来て良かった、間に合ってよかった!」と言う気持ちが心の底から湧き上がってきました。

また、時間をずらして入ってこられた看護師さん達や先生方に一人ずつ篤く御礼を言わせて頂きました。通常は言われる側、説明をする側ですが今回は逆でした。患者側の気持ちというのはこんなもんだと言うのが良く解りました。

明日以降も安定していると嬉しいのですが。一旦帰る予定は明日の夜です。


2022年8月28日日曜日

急遽長崎へ行くことにしました

義父の状態が思わしくありません。

長女から頻繁に「お爺ちゃんの酸素濃度が下がったから今からまた病院に行くね」等と英文で説明が飛び込んできます。夕方までは調子は良さげで、日本のあちらこちらに散っている親戚達が集まってきてはいろいろと挨拶をしていった時に、思っていたよりも意外と元気が良かったという親戚たちの感想があったのですが、夜になっていきなり希望的観測が暗転した感じになってしまいました。

消化管の再出血が発生したのかということで再度内視鏡でのチェックなども行なったようですがそれはなし。自己排痰による誤嚥性肺炎の再発の可能性が高いということでしたが、確定的では無さそうです。しかし、SpO2というパルスオキシメータで測定できる表面的な酸素濃度を90%に維持するために10L/minもの最大量の酸素が投与されているという追加情報が入ってきて「これはかなりあかんな」と言う感想を持ってしまいました。

という訳で、夜も日付が変わる直前でしたが、明日は長崎に行くべく夜間にチケットを購入するとともにレンタカーも予約。病院の関係病棟に連絡を入れて諸々の事が明日も問題なく進むように手続きを終えておきました。

明日は5時起きです。


2022年8月27日土曜日

実家の親父の誕生日

親父が84回目の誕生日を迎えました。

還暦を迎えたあの高山の旅行から既に24年。ほぼ四半世紀経ちました。前立腺がんを乗り越え、腎機能の軽度の低下も正しい食生活で抑え込み、淡々と呆けの始まった自分の配偶者を支える親父には尊敬しかありません。

若い頃は子供にとっては酷い親父でしたが、まあその酷さの根源は何処から来ていたのか以前このブログで詳細を書いたのでもう書きませんが。w

さて、最近は親父の配偶者たる私の母親はデイケアのショート・ロングというお泊り型のシステムをフルに使って、一週間のうち土日以外はほとんどをその病院付帯の施設で過ごしているようです。いろいろと駄々をこねて親父を精神的に疲れさせることもあった日々も取り敢えずは大幅に無くなって、親父は「自分の時間」というものを十分に愉しんでいるようです。

私自身が逆に心配しているのは、心配してケアを行う対象への精神的負担が減ることで逆に親父に「はり」が無くなってしまい、いきなり老け込んだりしないかなという点です。

男女関係なく、配偶者の存在に良くも悪くも縛られていたり依存していたときにその対象を喪失することで、精神的にいろいろな方向に向かっていく人達を沢山見てきました。アップ・ダウンの程度もその到着点も異なりますが、親父が良い方向に向かっていくことを心から祈っています。

さあ、これからは一年一年!しっかりと「元気で長生き」して欲しいものです!^^


2022年8月26日金曜日

嫁さんが家に居ないと・・・

嫁さんが家に居ないとしなければならない事が当然出てきます。

主なものは掃除と洗濯。洗濯は先日も次女と何となく分担していることを書きましたが、掃除は私のほうが得意です。そもそも私の掃除というのはモノをなるべく置かないミニマリスト方式ですから簡単です。

なるべくゴチャゴチャ、ガチャガチャしなければ良いだけなのですから特にセンスは要りません。私の親父も似た感じで、私以上にこれに関してはキャラが濃いです。w
少し開いた扉は必ずカチャリと閉めないと落ち着きませんし、書類が重なったときにズレていたら端っこをトントンと揃えないと駄目な人です。まあ、私もそれに近いのですが、親父のは私から見ると明らかに度が過ぎています。

私の息子は自閉症ですが、掃除とか清潔感に関してはやはり私の親父譲りの遺伝子があるようで、毎晩寝る前にキッチンを拭き上げて部屋の中の決まった場所を巡回チェックして綺麗にしないと気がすまない人です。こういうのは言葉は関係無いというのがよく解ります。

さて、私の最近の家掃除なのですが、次女の髪の毛の掃除が大変です。何処に行っても髪、髪、髪の連続でして、先ずはコロコロで掃除開始。そうしないとダイソンの掃除機のローラー部分に絡みついてどうしようもなくなるのです。娘の長い髪は掃除の大敵。
最終的にコロコロでほとんどきれいになった後に掃除機で隅々までホコリを吸い上げてクリンナップ。その後に重要スポットを濡れた雑巾やペーパーで拭き上げて終了です。

その後でゴミを纏めてマンション1階のゴミ捨て場に置いてきて取り敢えず終了。これを嫁さんが毎日しているかと思うと感謝感謝ですね。

まあ、いくら掃除しても我が家の犬と猫が静かに汚していくんですが、次女の大量の髪の毛に比べればなんてことないですしね!なんというかそのライオンのように大量に生えている髪の毛、ほんの少しでいいから私の頭頂部に分けていただけませんかね?orz


2022年8月25日木曜日

第7波の破壊力

外の高機能病院との連携が既にいろいろな意味で取れないことを嘆いたのを数日前に書いたばかりでした。

しかし、今度は自分の足下に火が着いています。色々な病棟で一人見つかったと思ったらそのベッドが入っている病室全体にゆっくりと拡がっていく感じです。そしてその他の病室へ少しずつ拡散。

一つの病棟でコロナが検知された時点で既に無症候性の他の患者さんがいたり、スタッフが感染していたりなんていうパターンばかり。本当に呆れるほど強い強い感染力です。いくら病原性が下がり症状が弱まっているとは言え、基礎体力のが衰えている高齢の患者さん達に感染が発生すると良くないのは自明。

実際に感染者数に比べれば重症者数は遥かに少ないのが当院でも明らかなのですが、感染後にコロナが原因となったとしか考えられない死亡者が出ましたので、やはり危険なウイルスです。ただし、インフルエンザもコロナが流行る前には毎年人を殺していましたので、そういう意味では置き換わったという感じがしないでもありません。ただし、こんなに暑い時期にマスクをしても感染するウイルスなんて勘弁です。

病棟に感染者が発生するとどうなるかというと、基本的に即閉鎖し外との出入りがなくなり、患者さんの転出も転入も途絶えます。更にスタッフ達がPPEを来て大汗掻きながらずっと立ち仕事。体にも心にも良い訳がありません。

そういった中でスタッフの中にも感染をしてしまう人が稀に出現するのですが、病棟での初期検出が遅れるような不幸なインシデントが重なると、既に大量の人々が病棟で感染した状態で全てが始まり、看護師やヘルパーさんなどのスタッフも欠員だらけで開始。他の病棟からの引き抜きによる応援で何とか動かし始めるのですが、引き抜かれた側も日勤当直のリスケジューリングをしなければならない訳で、誰も得をしないとんでもないことが起こります。

アメリカ式にガン無視で行くのも極端とは思うんですが、ガチガチに法で縛り付けるやり方も、現場的にはそろそろ限界に来てると思います。

朝の患者発生リポートを聞く度に気が滅入る日々です。


2022年8月24日水曜日

次女と二人で過ごす我が家

義父の状態が悪くなってしまい、愉しみにしていた長崎への旅が義父を見舞う帰省に変わってしまいました。

長女、長男とともに帰った嫁さんは本当は3泊4日の筈でしたが、抗癌剤による治療チャレンジの後に急激に状態が悪くなった義父の「万一」と言う状況が無いとは言えなくなった為、一週間ほど長く追加で滞在することになりました。

問題は消化管からの出血によるものですが、何とか止血することが出来たものの帰宅のために準備しようとしていた胃瘻作成どころではなくなってしまいました。おそらくはPICCというような高カロリーの静脈栄養を投与する方法論を用いての帰宅になるものと思われますが、先ずは容態が安定しないことにはそういう状況に持ち込むことも出来ません。

その間、私と次女が犬猫とともに名古屋の家で其々に助け合って過ごすわけなんですが、私が洗濯をしてそれを干し、翌日に娘がそれをピックして畳むと言う感じ、食事に関しては実はこの3回は二人で外食という状況、そして一日だけは嫁さん達が残していってくれた冷蔵庫の中の作り置きを食べるという何とも情けない話です。

家の中の細々とした散らばりものはむしろ嫁さん達がいた頃よりも綺麗めにしているのですが、それは主に大きなテーブルの上とかで、床はなんとなくホコリが薄く積もっている状態。掃除機をかければ良いのでしょうが、次女も私もそのあたりの感覚が似ているためどちらかが動き出すということは今のところしていません。

嫁さんが居なくても生きては居るのですが、何だか学生時代やアメリカに嫁さん達が居た頃のような「一段質の低い・寂しい」生活を送っている次第です。

それでも、嫁さんの気持ちを思えばこの程度乗り越えなくてどうするという話。もう少し上手く生活する手段を発明していこうと思います。


2022年8月23日火曜日

トランプと機密文書

国立公文書記録管理局(NARA)とFBIと司法省と大統領がそれぞれの権限を使って先代の大統領の犯罪を暴こうとしています。

己に都合の悪いことは全て「フェイク」という一言で片付け、周りのバカの壁を使って己のサポーターで己を裸の王様にして恬として恥じません。客観的に観てアメリカという島にいる「蠅の王」そのものなんですが、豚の生首に知性などありません。

今回、機密の分類に関してアメリカではどうなっているのかWikiで見てみると…

アメリカ合衆国の情報管理は大きく分けて公開 (Unclassfied 非分類)と非公開 (Classified 分類)がある。  
最高機密 (Top Secret) セキュリティー レベル3。情報の内容または情報の収集手段が一般公開されると国家安全に絶大な損害を与えるもの。最高機密扱いになる書類は少ない。 
極秘 (Secret) セキュリティーレベル2。一般公開されると国家安全に深刻な損害を与えるもの。大部分の資料は極秘扱いになっている。 
秘 (Confidential) セキュリティーレベル1。一般公開されると国家安全に損害を与える可能性のあるもの。 の三段階に分類される。
非公開情報を閲覧するにはクリアランス(安全証明)が要求される。クリアランスは、それぞれのセキュリティーレベルに見合うだけの身上調査を受けて潔白であることが証明された者にのみ発行される。とくに暗号理論、軍事衛星、諜報活動、核兵器に関わる者については更に厳しい調査が行われる。

判っているだけでも700Pに及ぶ最高機密を含むpapersを自分の家に溜め込んでいたという話。とんでもない話で、国家の最高機密を盗み出しているわけですが、本人は己のしでかしたこと自体には全く反省することもなく魔女狩りだとか民主党のバイデンの仕業だとかもう本当に精神疾患そのものです。持ち出したのはオ・マ・エです。

実際これらの情報へは大統領で無くなった瞬間にアクセス権が消失してしまうようです。当然ですが。そもそも合衆国大統領に限らず国のトップというのは個人の名前を持った「システム」そのもの。どんなバカでもカリスマでも独裁者でも国家の名の下に最高の権利と保護を受けます。しかし、この大馬鹿者は自分とシステムをその頭の病気のために区別できません。

トランプのような稀代のビッグ・ディックとも呼ばれる病的な自信家の誇大妄想が作り上げた振る舞いを「国家を引っ張る自信の塊」として国家のビーコンとして崇めるわけです。カリスマ好きはこういう所に痺れるんでしょうね。勿論、理解できません。1930年代にもドイツに似た男が居りましたが、彼にはちょび髭が生えてましたね。

恐らく共和党の連中は自分たちが視ていて気持ち良いことを言ってくれるFOX的ニュース・ソースに依存して盛り上がっているんでしょうが、ネットが発達しようと情報量が増えようと、目の前にある見たくないものを見ない人には世界は中世の暗黒期と何も変わりません。寧ろ同類のバカがネットを通じて集族し易いという意味では今の時代のほうが余程質(たち)が悪いのかもしれません。

議事堂襲撃扇動の件やオーガニゼーションの脱税の件、そして今回の件と言いもう本当に糞壺の中を這いずり回る蛆のような輩ですが、その腐臭が塀の向こうに落ちて減弱する日は来ないのでしょうか。


2022年8月22日月曜日

梨、桃、マスカット!

暑い暑いと言っていたのが嘘のような夕方も出てきました。

既に秋の空気は時間を選んで我々の足元に忍び寄ってきています。そしてその到来は同時に秋の味覚の到来も意味しているのは大人の公然の秘密です。

そういう訳で今年もやって参りましたその味覚が。今年は偶然にも数名の方々からこれらの秋の味覚を頂きました。福島の桃、岐阜の梨、そして山梨の葡萄です。アメリカいにた頃はスイート・コーンやパンプキン・シチューの美味さに涙していましたが、日本ではそれらはアメリカに居た頃のような手に入れ安さと価格は期待しようもありません。

アメリカに居た頃のスイート・コーンとか10本買って1ドルとかまさに冗談のような安さでした。値段などあって無きが如しとはまさに当時のアメリカの田舎のスイート・コーン。そしてパンプキンも信じられないくらい多様な種類のものが揃っていました。まさにアメリカはカボチャ王国だと今でも心の底から信じています。しかも値段も安い。あのパンプキン・シチューを食べるためだけにもう一回バージニアに戻ってもいいなと思うくらい惚れてます。w

しかし日本には高度の品種改良を経て作り上げられた秋の味覚3つが揃っています。今年もそれらを頂きましたが、やっぱりこれらは別格。恐らくとても自分では購入できないような価格がついたもののようですが、一房一房、一切れ一切れその美味しさを口の中で確かめながら味わわせて貰っています。口の中で溶ける宝石ですね。

日本の秋に万歳!


2022年8月21日日曜日

大型病院が機能していない!

最近の医療連携体制は本当に大問題です。

少なくとも患者の紹介と受け入れの連携が崩壊してしまっています。紹介しても空きベッドがなく、紹介して貰った時も病院内のコロナ感染部署は患者を受け取れません。近隣の病院もコロナとその他の種々の事情でマンパワーが不足しており、外科系の手術など全く大変な状況になっています。

これは単に病床の数合わせの問題だけでなく、スタッフ達の新型コロナ感染状況も大きく影響を与えています。事務系の人達のみならず、例えスタッフがコロナに罹らなくても家族の一員が陽性になっただけで通常は濃厚接触者指定されその後10日間の勤務停止等となります。基本的にはこの状況では全くこれでは社会どころか病院も回りませんので、以前は14日間だったのが10日間に短縮され、医療関係者はPCRネガティブであれば6日間で出勤可能となりました。(もしくは6,7の連続した2日間で抗原検査陰性。)

しかし、正直な所これでもなかなか医療機関はまわりません。人が足りずに各病棟が人を融通しあって動かしている状況です。ヘルパーさんが大量に罹患した病棟などは看護師さんが内部でヘルパー役として出勤したりしているところさえあります。

とにかく、今の状況では医療機関は疲弊した状況が続くだけで、外から想像しているよりも内部の状況は厳しいものです。

感染が疑わしいと言うだけで暑苦しいフルセットのポリプロピレンの上着を羽織り、フェイス・シールドとキャップを被り、マスクを着けて数時間も作業をするのは本当に脱水との闘い。これで夜勤等をする人が疲弊しないわけがありません。夜勤明けの看護師さん達は若い人であっても顔が疲れ果てています。気の毒を通り越して大問題です。

感染症の病態の変化に合わせて分類や対応を変えていかないと、今の医療崩壊では済まされずに「社会システムの大崩壊」が起きないとも限りません。その前にコロナが収まればよいのですが、愚かな政治のシステムのせいで人が倒れていくのは真っ平御免です。


2022年8月20日土曜日

長崎の義父の病

今朝、長女長男と嫁さんが早朝の便に乗って飛行場から飛び立ちました。

向かった先は嫁さんの両親達の住む長崎です。義父が咽頭癌と闘うことになって既に9年弱。診断されたのは2013年の12月でした。既に大きな三回の手術を経て今回は既にオペは出来ない状況で、抗癌剤による治療が開始されたのですが残念ながら種々の数値が悪化しその治療を継続することが出来ませんでした。貧血も重篤化し輸血も行われたようです。

最初は声帯のポリープだけだったのですが、その時期に何度も「切り取ってしまいましょう」と言ったのですが、その小手術を喫煙をしながら回避し続けていました。しかし、次に暫くして調子が悪いとなった後で病院で診察を受けると既に癌化しておりました。

その後はまさに私から見ても大手術といえる難しい手術を三回も経験せざるを得ないことになりました。それでも9年もの間、お喋りが大好きだった義父が「声」を失った後も義母とともに楽しく9年間頑張ってきたのですが、今回長崎から悪い知らせが入りました。それは「余命が半年くらいと考えてください」という主治医から家族への説明でした。

今回、たまたま長女が(義父にとっては初孫)帰ってくる事になっていて随分前から長崎行きのチケットを取っていたのですが、今回の帰崎は偶然にも義父の御見舞いになってしまったのです。

私自身も大きな衝撃を受けました。義父には結婚前から世話になりっぱなしで、いろいろと面倒を見てもらったのですが、送ってもらった写真で見るベッド上の義父を見ると、写真に見入ってしまって時々画面上に焦点も合いません。

体の線は細いのに、ゴルフのスクラッチ・プレーヤーで運動神経の塊のような人物なのにベッド上で横たわる姿を見るのは辛いですし、何よりも義父の娘である私の嫁さんが辛いし、初孫である長女も滂沱の涙を流していたとの話。当たり前ですが。

今後は家に戻って胃瘻を用いた緩和ケアに入るのだそうですが、順調にすすむことを祈っています。ケアが始まったら長崎の在宅緩和ケアをしている学友に義父のケアを依頼しようかなと思っています。


2022年8月19日金曜日

ネットの懐かしいイベント

もうネットというものを使い始めて25年以上になります。

もともとは一番最初のネット接続してからの使用開始からすると30年弱かな?最初はインターネットって…というお決まりの質問から入っていったし、カナダ人のテック関連の友人と実際の「物理的メール」[=紙のメール]でやり取りしていたときに「e-mail addressを教えてくれ!」と言われて「何じゃそれ?」という質問から入ったのが一番最初のネットとのコンタクトでした。

それでも、実際にネットと言うものには接続するまでには1年ほどのラグがあり、大学の中で大学院生やその他必要な人間にe-mailを配るということをやり始めたのが92-93年頃だったと思います。

その頃から文献検索にGopherというテキスト・ベースの文献検索システムを使うようになったり、CERNの作った最初のブラウザであるMosaicという原始的なブラウザを使ってネットの中を歩き始めたのが最初でした。実はこの頃よりネットの多くのメインページには「こんな事も出来るよ~」的な種々のガジェットがくっつけられていました。その一つが私のHPの右側に付いているカウンタです。

そこで最近気づいたのが「親?俺のカウンタ100万に近づいてるよ!」というもの。私のカウンタは私自身が訪れてもカウントされませんし、私がリロードしても数はカウントされませんので、比較的純粋に自分以外の人間が訪れたことを意味するカウンタと思ってます。

その昔、カウンタが1000とか5000とかなった時にはそのHPのオーナーがページの脇に「このカウンタでキリ番ゲットされた方は御連絡ください!粗品を差し上げます。^^」等というキリ番ゲットという謎のイベントが存在しておりましたが、いつの間にかそんなのは聞かなくなりましたね~。因みに私自身が見た100万に一番近い記録は以下のコピーです。
ただの記録ですが
こんな下らない日々の日記を書き始めて既に15年。他人からすれば基本的にどうでもいいコトをつらつらと書いてきたこのブログですが、いつの日か書けなくなるような事態が私にも起こるのは確実。その日までは出来るだけ淡々と日々思ったことや家族のイベントの記録を続けていこうと思っています。

それにしても15年間の変化は大きいよな~って書いている自分でも思います。日記というのは色々と過去を思いだすのには凄い道具ですね。それにしても100万回とか、カウンタもよく頑張ったな。w


2022年8月18日木曜日

今日も明日も明後日も

ほぼ毎日アメリカから帰ってきた長女の食事を食べています。

以前も少し書いたと思うのですが、そもそも「この人物」が料理などというものを己の手で作るなどという事は、高校時代までの長女を知る親の私にとって想像の向う側にあるような変化。ところが大学在学中頃から料理という行為に目覚め、更にはプロの料理人達が知人に増えてくるに従って、料理という行為が趣味からマニアの領域に入ってきたようです。

驚くべき種類の調味料、頭の中には各国の特徴的な料理の集成、そして新しい料理というものを作るという情熱には既に当時とは別人の魂が入っているとしか思えません。

昨日もタンドリ・チキンとチーズ・グラタン、今日の夜は何種類もの具材を準備してのソフトとハードのタコス。明日の朝はピーチを潰して作った手作りコンポート?を塗ったパンを準備してくれるとのこと。
それが何だかは私自身も知らないのですが、出てきたものは素直に食べるのが私のやり方。引き続き美味しいものであることを祈るのみです。w

人が変わる切っ掛けというのは一体何なんでしょうか。恐らく大学に行ったときに知り合った周囲の人間達の影響は大きいと思うのですが、それは彼女の場合「学内の友人達」ではなく、社会の中で普通の生活を送っていた大人の社会人達だったようです。見聞の狭くなりがちな象牙の塔の中でのみ人と付き合わず、外の世界に繋がりを求めていったのは親から見ても「大人の選択」だったと思います。

これからどんな料理や趣味、交友を作り上げていくのか。人生も折返し地点を大きく超えてしまっている?両親とは違い、傍から見ているだけでも愉しみです。


2022年8月17日水曜日

長女のアメリカの友人達を観光案内

今日はバイトに行くのを休みました。

理由は簡単で、アメリカからやって来た長女の大学時代の友人である新婚の夫婦を「車でしか行けない範囲」を遠乗りで繋げて1日で案内しようというものでした。

長女の友達のNさんは食べることがとても大好きな女性。御主人のJ君も食べることは好きですが、どんなものでも食べるという舌の受容体の幅の広い人物。ただし、どんなものでも食べるとは言え納豆だけは食べられないという話でした。この点は私の友人でどんなものでも食べるけど納豆だけは食べられなかったインド人の友人と一緒ですね。やっぱりその地方独特の発酵食品というのはなかなか敷居の高い食べ物なんでしょうね。

そういった中で先ず我々がセッティングしたのは三重の長島の向こう、四日市にあるひもの食堂に行くこと。待ち合わせた藤が丘の駅で若い夫婦と初めて出会いました。(娘にとっては彼らの結婚披露パーティー以来数週間ぶりの再開でしたが!)駅を10:30に出発して三重に向かってひた走ること数十分。我々家族がいつも行っている店で好きなひものをピックアップして貰い、その後お店の方に定食にして貰ったのですが、長女も含め皆が「美味しい!幸せ~!」を連発。気に入ってくれたようで私も嬉しくなりました。

そして今度は犬山城!城下町を含めてJAPANを味わってもらおうと言う考えでした。最終登門が4:30位だったので余裕はあったのですが、そこでの滞在時間では最後のアタックポイントである岡崎の味噌工場カクキューの「個人」最終受付の4:00に間に合いません。

移動途中では雨が降ったりしたのですが、着いてみると小雨。日差しも強くはなかったのですが、ネットリと纏わりつくような異様な湿度の高さに参りました。その後、彼らの為に入場チケットを買って私自身は場外で待つこと数十分。城に登った後にお城というものを経験して貰って帰りに有名なバウム・クーヘンを買って犬山を後にしました。

そしていよいよカクキューへ。ナビの予測ではギリギリで4時に間に合うか否かであった上に途中高速のブランチをちょっと間違えて予想到着時間が10分遅く表示され4:10分に!内心「あかんかな~、あかんかったら隣のお土産屋さんだけでも?」とか思っていたのですが、飛ばすことなく十分前に到着。彼らをカクキュー工場見学に案内して今日の3件を熟すことが出来ました。^^

夕方に藤が丘に戻ってからは家族全員と落ち合って、若夫婦と共に魚河岸酒場FUKU浜金に入って東京に帰っていく彼らと共に酒と食事をたらふく食べました。何と言ってもじゃんけんでお店の女の子に4人中3人が一発勝ちして、タダで中ジョッキを大ジョッキに変えられたのが良かったです。w

食べ終わった後は彼らとの再会を約し、藤が丘駅で別れて幸せな1日を締めくくることが出来ました。彼らは私達が予約して結婚祝いとしてプレゼントしたJRゲート・タワーのトップで2泊3日を過ごしてもらったのですが、そこも大変気に入ってくれたようで娘の友人を歓待することが出来て何よりでした。

本当に素敵な若夫婦で早く私も娘達のフィアンセを見たいものですが、まあ当分は無理なんでしょうかね。

2022年8月16日火曜日

終戦の日に

またやって参りました、終戦記念日。

公式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と呼ぶのだそうですが、今年で既に77年目。残念ながら、当然の事のように世界中で大小の紛争、戦争が続いています。勿論、ロシアによるウクライナ侵略も。

最近、テレビで90過ぎの男性で終戦後に戦災孤児として辛酸を嘗める経験をされた方が涙をポロポロ流しながらその当時の話をされていましたが、自分自身もたまたま「駅の子」のたたかいという、駅やその他のエリアで生き抜いた戦災孤児達に関する新書を読んでその言葉にできないレベルの悲惨さに打ちのめされたばかりでしたので、心に迫るものがありました。

結局のところ大人が始めた戦争で最大の犠牲を被るのは常に何の罪もない子供達。それは時代や洋の東西を問いません。上に書いたような話は今現在もウクライナで日々生み出されているわけです。勿論、攻め込んだ側のロシア人達の家族にも同じ事は起きているわけで、片親である父親が亡くなった後に母親が(居れば)シングルマザーの家庭になるであろうし、母親がいなかったり、万一の事があれば直ぐに両親が居なくなると言う事態に至るわけです。

日本でも大量の戦災孤児が発生したわけですが、政府が彼らにしたことといえば「刈り込み」と呼ばれるそういった子供達の強制的な確保と反古の名の下に一律に行われた画一的な処置。
当然、彼らには何の罪も無いのですが、過酷な運命に振り回されてその後の彼らには更に大きな過酷な人生が待っていた事が多かったのです。

奪われた彼らの父親を靖国神社に祀るのは大いに結構。実際に国家の命令で有無を言わさず死地に赴く戦いを強いられた彼らの魂を弔うのは国家の行事として大変重要であることは論を俟ちません。しかしながら、それ以上に重要なのは国家が当時の戦災孤児と言われた子供達に継続的な支援をきちんとしてあげることだったのではないでしょうか。参拝云々などというのは正直「為政」の上での重要度という意味においては下の下の問題であって、被害者の救済がどうであったかという歴史的事実に対して政府はもっと真摯にその歴史を語り継ぐ必要性があると思うのですが。

戦後の悲惨な状況下で生き延びることが出来た(運の良かった?)子供達も、生きながらえず餓死したり凍死・病死していった子供達も結局は愚かな大人達が作り出した犠牲者に違いはありません。

愚かな戦いの後には必ず巨大な余波が残されます。その余波は「誰も」得することのない余波。名目上勝とうが負けようが、誰にも、特に弱い立場の者達には良いことはありません。そういった意味で、我々大人は為政者の選択において軽々しく「戦い」を鼓舞するようなバカを選ぶ愚を犯してはならないと改めて思います。それは隣国の為政者選びにおいてもそうであって欲しいものではありますが…。こればかりは。


2022年8月15日月曜日

政治屋はどこまでも真っ直ぐに嘘をつく

政治家とは似て非なる存在である政治屋が殆どを占める国会ですが、その中でも特に鵺のように歩き回る輩がいます。

数あるイカサマ師達の中でも私が最も下品でヤバいなと思っているのは数年前から故・安倍晋三との親密な間柄で知られている杉田水脈です。このオバサンもともと鳥取の農学部を出た後にセキスイ関係の会社から役所勤めに居場所を変え、その後お約束のように小選挙区で負けた後(私が廃止を強く求めたい)比例区で復活し議員になったというまさに政治家のマガイモノ。

どんなクズでも復活させる魔法のシステム比例代表制のヤバさ爆発の一例です。あの辻元清美を復活当選させたのもコレですが。

結局のところいつも思っている危惧の通り、普通に市井の人々に選ばれなかったのに、比例代表システムが大活躍してこういったヤバい輩(敗者)が政治屋として国政に送り込まれてくる訳です。時既に遅しですが。

それでこのトンデモ・オバサンが国会周辺で何を叫んでいるかというとまさに安倍ちゃんの思い描く種々の想いを代弁しているわけですが、それ以外の端々で追加の発言を色々とやらかしていて、私的に特に目立つのが「性的マイノリティー」に対する数々のトンデモ発言でしょうか。

性的マイノリティーと言われる人々は有史以前から普通に存在していた集団であって、別にマイノリティーだとは私自身は思わないんですけど、そう言われていますから一応ここでは便宜的にマイノリティと呼びましょうか。そういった人達は例えば男が男を好きだったり、女が女を好きだったり、どちらも好きとかいうのを手始めに性的指向が自分でも良く解らないなどといろいろある訳です。

人間ですから性別というものが実は肉体的なもので二分されていても心の方まで二分されているわけでもないですし、実際には医学的には発生学的上は性別というもの自体にも本当に無数のバリエーションがあって、一般人が知っているのとは「全く別」の次元で性というのは多様なのですが、このオバサンは日本国の神性と男女の性の峻別などというファンタジーを大真面目で考えているようなんですね。それともこの愚かさの源に見えるオバサンの発言は政治屋としての隠されたパフォーマンスですかね?

LGBTのカップルに関してベースにあるのはある種のバカに共通するXenophobiaそのものでしょうね。バカでも解るように書くとすれば自分と違うものに対する耐性の低さ。w 本当にこの一言に尽きます。

このオバサンには「LGBTのカップルは生産性がない」という右翼雑誌上の有名な発言がありますが、人間を生産性で差別しようとするなら「あんたこそがダントツで尻(ケツ)やろ?」と言いたいものです。ところが、このオバサンは今回の内閣で総務政務官という訳のわからないポジションに採用され、会見で改めて多様性を否定したことはないと改めてまっすぐに嘘を堂々と仰るわけです。(゚∀゚)

そもそも人を生産性で測定しようなどというのはナチスの思想そのもの。杉田のオバサンのような何の役にも立たない害しかバラ撒かない人間も含めて「生きていく場所はあるよ!」というのが現代の考え方でなければならないのですが?(あと、この可哀想なオバサンに脅迫をかけている大バカも居るようですが、オバサンと同じレベルに落ちちゃってます。)

最後に一言。私の知っている周囲のLGBTQの人達って話は面白いし、知的に高い職種に就いているひとも多いんですけどね?一回カリフォルニアにでも行って1年くらい住んでみた後でLGBTQのなしのテック業界やデザイン・ファッション業界がどれほどスッカスカの世界になるか考えてみるのも、その内向きで貧弱な想像力を「少しは」豊かにする良いチャンスかも知れません。

総務政務次官のお仕事でお忙しいでしょうから無理でしょうが!給料程度には働けよ~。w




2022年8月14日日曜日

一日中写真の整理をする長女

長女がアメリカから休暇のために帰ってきてほぼ5日経ちました。

リモートの仕事のために変な時間に起きては日本的には変な時間にPC越しに仕事をしているようです。夕方の6時半からシンガポール、夜の11時からはイングランドの相手とミーティング等という感じで仕事をしているようです。ミーティングの相手は相手できっと少し標準的な仕事の時間からずらして仕事をしたりしているのでしょうが。私はそんな人達を見て「御苦労さんです」としか言えません。グローバルに拡がる会社に勤めるということは何処に住む何人であろうとも、こういう業務形態になってしまうってことなんでしょうね。

さて、その他の時間にはどんな事をしているのかと嫁さんに聞いてみたところ、ひたすら我が家にある家族歴代の無数の写真のphoto CDやネガフィルム、その他の歴代のメディアを引き戸から取り出してきては黙々と整理整頓という感じなんだそうで、確かに帰宅するとでかいテーブルの上には大量の写真やネガ・ケースが積まれていて、既に整理が終わったネガ・ケースは次々に娘に捨てられています。(モノとして綺麗で、捨てるには全く勿体ないのでメルカリにでも初出品でもしてみようかなと思っていますが。)

デジタルデータとしての吸い上げとまとめなどもやっているようですが、私が持っているフィルム・スキャナは一枚一枚を読み取るにはあまりにも効率が悪いので、アメリカにそのまま持ち帰ってプロの写真家の友達が持っている専用の大量読み取りスキャナを借りて一気に読みまくるのだそうです。読み取り速度も読み取り解像度も段違いとのことで、こんなに一枚一枚などというのは「やってられない」というのが本音のようです。

取り敢えずは私よりは遥かにきちんと仕事をするでしょうから、彼女に委ねてしまおうと思っています。

一人で写真を整理しながら家族や母親の写真を見てゲラゲラ笑ったり、私の写真を見ては「変なオジサンが居る」とか言って当時の私の顔を見て笑っています。失礼な話ですが!w

時間はたっぷりあるようなので仕事の合間にでも淡々とやっていただけると助かります。^^


2022年8月13日土曜日

オッサン臭いと言われる長女と常滑へ

アメリカから帰国して私とは未だ行動をともにしていなかった長女。

週末の脚として遠出に使える車の運転手は私です。そして本日の長女の遠征先の選択は「常滑の陶磁器巡り」となりました。家の中に飾れるような陶磁器の皿や器が欲しいとのことで、一回は常滑焼の里を見に行きたいということでした。友人達からはおしゃれや音楽やアートのセンスはあるけど、趣味がオッサン臭い!と言われているそうです。w

暑い一日が始まるかと思っていたのですが、実際には雨と曇りと晴れの繰り返す天気で、数時間歩くコースの途上でも、ちょっとだけお湿りの雨が降ってきたりしたかと思えば直ぐに暑い日が照ったり。しかし途上の大部分は薄曇りでしたので我々としては陽に焼けず大変助かりました。

とは言うものの湿度は猛烈に高かったので汗はダクダク。いつも汗びっしょりの嫁さんは別として、いつもは汗だくとは縁遠い私と息子までも帽子の中は汗びっしょり。熱中症や脱水に注意しないといけない状況でしたので、道すがら目につく自動販売機ではほぼ毎回家族四人分の飲み物を回し飲みしていました。不思議なことに長女は全く汗かかず。アメリカでもいつもエアコンをかけて暑がる友達の横で寒し寒いと言っているような人なので、日本に帰ってきても脇汗一つ掻きません。何なんでしょうか。

陶芸会館に車を停めた後、私自身は以前から顔馴染みの陶芸家のお店で酒用のぐい呑みを3000円で購入し、更に次々と店を巡ったのですが、娘といえば「これはあの友達に~」「これは自分の部屋に飾る皿として~」等という感じで忙しそうにいろいろと吟味。途中で「コレは陶芸の好きな友達に!」と言って茶系統の捻りの器などを選んでいました。

娘の友人達に何故かアートを志向してかつそれで飯を食っている友人達が多いのにはいつも驚かされます。中には既に写真芸術のアーティストとして博物館にその作品が買い取られているような人物も居て、MOMAでlecturerなんかをしているんだそうです。

結局、色々なものをちょこちょこと買い揃えた長女は「は~、ホントに来て良かった~」と大満足してくれたようでそれを聞いた私も満足。直ぐに家に戻ってからちょっとシャワーを浴びた後は家族全員が揃って藤が丘駅界隈の飲食店へ行って長女の帰国お祝い会を開きました。

取り敢えず日本滞在中は安全かつ十分に日本を満喫して欲しいものです。


2022年8月12日金曜日

育ちの良い方々~~

「育ちが違う」と言う言葉がありますが、確かにそういうものを感じる事が多くなったのは私の場合大学を卒業してからです。

医者になる人間というのは当然バックグラウンドは様々で、私のような資産構築や貯蓄などというものとはほぼ無縁な家庭から出てくるカツカツの家の人間から、入学金として数千万円、そして以降も毎年1000万円程度ならスイスイと出してくるような私の実家とは文字通り桁が違う金持ちの子供達もいるわけです。

まあ、それが資本主義社会の基本ではある訳ですが、素(す)の学力というものの上に経済力の差によって長年にわたって種々の加飾が施されていくのですが、その飾りは学力のみならず人間の立居振舞の差にまで当然のように影響を及ぼす訳です。

勿論、そのような修飾がかかったからと言って親が願った方向に正しく伸びてくれるわけではないし、伸びの程度もその素質の差によって全く凸凹に差が付くわけですけど、一般的に偏差値というものに限って言えば塾などで伝えてもらえる事が可能な「解法のテクニック」を使えば恐らくは多くの場合、プラスの方に伸びていくでしょう。

そういう意味では塾などに行く資力の無い親を持つ子ども達というのはハンディをも持たされ、今どきは親ガチャ等とも揶揄されるようなことが元になって人生の岐路における負けを呼び込みやすいことになっているのかも知れません。無論爆発的な素質があって、通常の学校教育のみでも恐ろしく自律的に伸びていく高度な知性の持ち主というのも自分の周りで数は少ないけれども観察する機会はありましたが、そう多いものでないことは明白でした。

そして、そういった種々の環境、素質の差の掛け算の集大成の差が社会人として出てくる人間の資本になってくるのでしょうが、成人としてそういった「育ち」の違う人間が出会うと色々な化学反応が起きます。

私自身がまず感じたのは自分の粗雑さ。w

育ちの良い人達というのはそもそも争いませんし、生活の背景に余裕があります。それってどういう事?って聞かれそうですが、あけっぴろげには説明するのが難しいような「種々の」差です。

医学部卒で言うと、私立大学の先生などはやはり金持ち喧嘩せずというのを初めて実際に目の当たりにするような人達と出会うことが出来ました。病院のn代目とかある程度のサイズの中小企業の息子や娘さん達なんかが多いのは当然のことですかね。

そして名古屋に来て初めて聞いたのが「純金」と言う言葉。これ最初の頃はナニナニ?と聞き返したのですが、ある方の説明によると「幼稚園、中学、高校、大学」と金城学院の系列校に通った純粋培養のようなお嬢様方の事なんだそうです。毎月ハワイに行くような家族の中で育っているような子も居るとの伝説を聞きます。更に名古屋には他にも椙山(すぎやま)学園のような幼稚園から小中高大と揃えているところや、愛知淑徳大等もあり、こういったところの卒業生を僅かながら知っているのですが基本的に「育ち」が違います。特に早期教育からこういった所にいかれている方々は!

しかしこればっかりはどうにもなりませんな。ただし、貧しくとも育ちが良い人はいる訳で、これこそ親ガチャなんでしょうか?難しい話です。とはいえ、現状の自分の可塑性の無さは絶望的なレベルですが。w


2022年8月11日木曜日

保険金詐欺ではないけれど…

最近、ある病院の院長からこんな話を聞きました。

それは、新型コロナに関連して保険金に加入して病院に来る人達が激増しているというものでした。最初何のことかよくわからなかったのですが、田舎の発熱外来に新型コロナ感染症の感染証明を求めていろんな人が大挙してやってくるとうのです。

以前は感染はしても感染証明書などという診断書を発行して貰う人達というのは会社や学校から提出をリクエストされて渋々というものが多かったらしいのですが、最近は保険金の請求のためにきっちりリクエストする人が列をなしてやって来ると言って、ウンザリした顔で話をしていました。

一時給付金で10万貰えたり、入院するような事になったときに入院時の一時給付金が今までの2倍になるような保険が出ていたりということで、今回のコロナ感染に合わせて出されたような保険に「前もって相乗り」しているのでは無いか?というような人が登場するらしいのです。しかも、1回の感染だけではなくて2回目も同じようにリピーターとして来るんだそうで。

しかし、これはあくまで「勘ぐり」。それでも幾つもの会社の保険金請求書を何枚か一時に持ってこられると、書類を準備する方の院長先生も「なんだかな~」と言う気持ちに確実になってしまうんだそうです。まあ、そりゃそうですわな。w

何事も性善説だけでは済まされない世の中。保険金と絡めて小銭を掻き集めている人間がいるのだろうなという「下衆な勘繰り」をしてしまうのは薄汚れてしまった大人の証左なんでしょかね~。

知らなけりゃ良かったなと思った先日の院長のお話でした。


2022年8月10日水曜日

長女の一時帰国

今日アメリカから長女が帰国しました。

ほぼ一年ぶりの帰国で、仕事をしながらの日本滞在となります。大学の親友の結婚式に参加した後そのままフィラデルフィアに暫く滞在してデトロイトに移動後、成田まで飛んで日本到着後は羽田から名古屋まで飛んでくるというものです。

という訳で、今回は私が東京まで行く必要もなく簡単に帰ってきてくれました。ところが、娘としては日本に到着してのfast trackが大変驚きだったようで、車に乗せて家に帰るまでの45分間はずっと日本のシステムが未だに紙ベースであることに関してとても驚いたようで、その非効率性を英語で滔々と非難していました。w 私からは一言「Welcome back to Japan! lol」と言う感じで笑って返しました。

今回の飛行機の旅ではDELTAを使ったようですが、娘はデルタが一番好きなのだそうです。今回も搭乗者はまだまだ少なくてせいぜい2-3割と言う感じで、少ない乗客のお陰でシート一列を完全に自分一人で使い切ることが出来たとのこと。更に映画は三本完全に見ることが出来たし、よく眠れたとのことでした。 

家に帰り着くと嫁さんも嬉しそうで何より。妹とも実に楽しそうに色々なことを話していました。もちろん全部英語でしたが。

お土産を一人分ずつ渡していたのですが、私にはデザインTシャツでした。嫁さんには調味料や料理の材料をドッチャリ買ってきてました。恐らくこれらを使ったいろいろな国の料理をまた作ってくれるのだと思います。以前にもちょっと書きましたが、大学から戻って以来長女は本当に別人になってしまいました。良い意味でですが。

この1ヶ月はちょっとだけリモートで仕事をしながらお盆周辺では夏休みを取っているようです。既にどこへ行って何をするのか沢山スケジュールを組んでいるところも長女らしいのですが。日本の酷暑を楽しんで貰いたいものですね。


2022年8月9日火曜日

イッセイ・ミヤケ逝去

また気骨のある先駆者が一人亡くなりました。(8/5)

日本人は世界に冠たる素晴らしいデザイナーを沢山産んでいます。例えば山本寛斎、例えば高田賢三、例えばコシノ三姉妹等々。私のようなファッション・センスとは無縁の人間でさえも2020年に相次いで亡くなられた寛斎と賢三の逝去は大きな喪失だと感じました。

そして今度は三宅一生さんです。母親と同じ84歳で誕生月も1ヶ月しか違いませんので、どういった時代を行きてきたのか容易に想像できます。比較的最近になって広島原爆の被爆者でありかつ御母堂も原爆症で亡くされていることを表に出されています。

デザインの力を信じ、デザインが人のために存在するものでなければならないという信念を持って仕事をしていた人だと私は信じています。三宅さんには文化勲章などが贈られていますが、こんな創造性と努力の塊のような人の功績に文化勲章のような「小さな枠」をはめてしまうのは逆にその創造性の大きさと広さを矮小化するような気がしてしまうのですが。

私はその作品の裏側に哲学があるものが好きです。そしてこの人の作り出してきたものには大きくてソリッドな哲学がしっかり裏打ちとして存在すると強く感じるのです。

亡くなったと報告された後、彼に関する記事を沢山読み、かつその作品群をネットの画像検索で改めて俯瞰すると数ページretrieveしただけで、一言「おっそろしいな~」と呟いてしまうのでした。何が恐ろしいと言ってそのデザインの多様性。3次元のありとあらゆる方向にウニの棘のように突き出すような、異なる方向性を持った圧倒的な種類・数のデザイン群にその才能とかけられた莫大な「努力」の時間を感じるのです。

世界に影響を与えてきたこういった日本人男性デザイナーが立て続けに亡くなりましたが、彼らほどの大成功を収めたデザイナーが次は何時登場してくるのか?やっぱり私のような平均以下のセンスのオジサンはそういった事を寡聞にして知りません。きっと間違いなく居るのだと信じたいものです。

デザインの力。間違いなく日本人の中にはあると思ているのですが、どうして日本の近代の街並みはこんなに醜悪なんでしょうね。まあ、私が独白しようと何も変わりはしないのですが…。

三宅一生さんの偉大な功績に敬意を表する名古屋住まいのオッサンでした。(そう言えばジョブズのアイコンたる黒のタートルネックはイッセイミヤケでしたよね!)


2022年8月8日月曜日

親父からの説得依頼

LINEのコールがいきなりありました。

画面を見ると親父様からのようです。基本、親父からのコールにはなんとなく緊急事態のようなものを感じさせられてしまうので余り好きではありません。そんな親父からの「普通」の連絡は多くの場合は手紙。葉書ではなく、何かが入れてある手紙です。そしてその殆どは両親の健康診断の数値一覧。orz

要するにそれらを医師である私に向けて送り、健康診断の結果をわかり易く講釈してくれという訳です。まあ、いつもジッとデータを見て親父の前立腺の様子を想像し、電解質や腎機能の状態から下腿の浮腫み具合を推定する事に!とは言うものの、実際の診察には全く及ばないわけですが…。

とりあえず受信のボタンを押して声を聞いてみると、トーンがそれほど焦った感じではなくてまずは小さく一安心。ところが、中身を話し出すと心房細動の血栓がビールで惹起された脱水時に頭に飛んで以来、初期認知症からその先へ進み始めている母ちゃんの話になってきました。

どんな話よ?と良く聞いてみると、自分の実家の母ちゃんアルアルのお話で「どんなに説得しても冷房を入れんで困っとる」との話。その上で「お前からも言ってやってくれ~」と言う泣きが入ったのでした。親父によると何とこの夏に入ってまだ冷房を入れていないという恐ろしい話。もう全く意味が解りません。ホラーかと思いました。(在宅で良く経験しますので驚きはありませんが、まさか我が家がそれになっていたとは!)

昔からクーラーを「勿体ない」と言っては使用を忌避していた母親。汗をダラダラ垂らしながら「暑くない」と言い切るクソババアとの対立に高校生の頃は激しく心を磨り減らしていましたが、今ではそんな事など全く気にならずそういう選択をするのは母親自身の寿命と親父と二人で割り切っています。ところが、私として困るのは同居する親父のほうの健康。母ちゃんは自分の我儘で逝くのかも知れませんが、それにつき合わされる親父は堪ったもんではありません。

という訳で母親に電話口に出てもらって一言。「母ちゃん、昭和の頃と違って今の暑さは人を殺すんよ。それに65歳頃を境に多くの人は体感温度と実環境の温度差の関係性が壊れてくるからこの時期は絶対のレベルでクーラー使わないかん!」と言いました。すると母親一言「はいはーい」と笑って返事。こういう返事は全く人の話を聞いていない時の返事です。これは全く効果ない。息子の私には一秒で判ります。

そこで親父に作戦伝授。「スイッチを入れてそのままリモコン隠せ!」というものです。親父は一言「わかった!」とのお返事。

さてどうなりますやら・・・。


2022年8月7日日曜日

長男の誕生日

今日は息子の26回目の誕生日でした。

とりあえず大きな怪我もなく、自閉症とてんかんはあるものの幸せな生活を日々送ってくれているものと親としては信じています。周りにも作業所の良い仕事仲間と良い指導者が沢山居りますし、毎朝の移動支援の優しい方々や週2回使わせて貰っている夕方の移動支援等も皆さん本当に良い方々で、時間をかけて仕上がってきた日本の福祉システムに助かっています。

お世話になっている作業所にはモニタやPC、まとめて渡すお金などで毎年感謝を示すようにしていますが、実際にお仕事をされている方々にはいつも頭が上がりません。息子が作業所で問題を起こした時もいつも穏やかに対処してくださるし、大小便で月に一回程度問題を起こす時もまるで何事も無かったようにパンツやズボンが綺麗に洗われて返されます。親でも「ありゃりゃ」と思うことを他人の大小便に対してもスイスイとされる方々に何と感謝の言葉を伝えて良いのか。私にはそれを表す為の語彙力は全く足り無いと思っています。

さて、今日は夕食終了後に直ぐにバースデー・ケーキ2種類のカットを行いました。下の写真の様に一つは普通のスポンジベースのチョコレート・ケーキ。そしてもう一つはBsakin-Robbinsの8種類のアイスが組み合わっせられた、大好きなToy Storyのアイスケーキでした。

上のケーキのネームプレートは当然の如く息子のもの。毎回バースデー・ガール、バースデー・ボーイが取る権利があるはずなのですが、誰のケーキのものであっても当然の如く何れも息子の口の中に入ります。そこは皆の暗黙の了解。w

今日もとりあえず、皆でHappy Birthday to you!と大声で歌った後に2つのケーキのロウソクを共に一気に消して貰いました。

健康が第一!今後も元気に仕事をしてくれるのが私達両親の何にもましての願いです。


2022年8月6日土曜日

着物を日常で着るためにはどうすれば・・・

テレビを視ていたらどうやら着物の質流れが大分安い事になっているようです。

例えば大島紬のような高級品は普通に数十万なんて言う感じですが、やはりモノと云うのは需要と供給が織りなす文(あや)で値段が決まります。ということは最近は着物を着る人が減っているという単純な事実があるんでしょうね。

では質流れのような状況で安くても質の良いものが手に入れられたときにソレを何処に持っていって仕立てるのかというのが全く解りません。そもそもそういう「仕立て」等という事をしたことが無いので知らないのも当たり前なんですが。

そこで、ここは今は廃業してしまっている元呉服屋の小倉の叔母さんにテキストを送って尋ねてみました。すると、叔母さん直ぐに返事を返してくれて教えてくれました。それによると通常は呉服屋で生地を買ったお客さんに店員側が手配をして着物ならどこの誰さんに、浴衣ならこの人に、羽織ならこの人に等という感じで店員や店主の頭の中にある「最適」な人へ割り当てていくのだそうです。

幾ら掛かるのかはその時々で異なるし、仕立ての具合や難しさで違うということで一概には答えられないとのことでしたが、もし本当に生地が手に入って作る段になったらいい人を紹介してあげるからまた連絡してと教えてもらいました。

あと京都の方でも西陣織の織手の再従姉妹(はとこ)がいて、今度10月に名古屋の高島屋に自分で織ったものを含めて幾つかの品を売りに来るそうなので、もちろん私が買えるような代物ではないのでしょうが、一緒に食事をして四方山話をしようと思っています。

着物を日常で着る人がいなくなった時代に着物を着ていた人たち、既に着なくなった着物などが大量に出てくる時代。もしかしたらそういう意味では今は良質の中古の着物を安価に手に入れることが出来る黄金期なのかもしれません。

何れにしても、時間を見つけて生地を安く手に入れなければ!


2022年8月5日金曜日

4回目のワクチン・ショット

今日は四回目の新型コロナウイルス・ワクチンショットを行いました。

初回のワクチンショットで私にしては高い熱や腕の痛み体全体の倦怠感などが強かったので、以降はタイレノルを使ってガッチリ諸症状を抑え込むようにやり方を変えましたので、以降のそれ程体のきつさは出ないようになっています。

さて今回の四回目のショット。医療従事者に対して使用されるワクチンとして未だにあの古いシークエンスをもとにしたファイザー・ワクチンを打たれることになりました。このファイザーワクチンも在庫はあと僅かで、それが切れたあとはモデルナを用いての四回目という3+1の混合ショットになります。

医学的にはこの混合ショットも新型コロナのミュータントに対しても非常に強い重症化予防効果を保っていますので打つ意味はあります。ただ、以前ほど感染防止効果は長くは続かず、せいぜい2ヶ月程度でピークアウトするというお話。

私個人としては今回のワクチン四回目は打たずにノババックスのような旧来タイプのワクチンを打って少し副作用のレベルを下げようかなとも思っていたのですが、少なくともこのショットの時点まではノババックスを日本が打つという選択肢は公表されていませんので、ファイザー一択です。

という訳で、私自身にワクチンを打つのはその時脇にドクターがいませんでしたので、嫌がる病棟の師長に半ば命令のように打ってもらいました。数時間後からさっさとカロナールを使い始めましたので、まあ少なくとも夜の時点までは何も症状は出ておりません。

一体全体このショットいつまで継続させられるんでしょうか?少なくとも新しいシークエンスを使ったワクチンでなければ五回目のショットはちょっと遠慮したいものです。

アメリカの長女はすでに数週間前にモデルナを打っておりますが、その状態で日本に一時帰ってきて夏休みを楽しむようです。こんなにコロナが流行ってる日本に帰って来ざるを得ない長女がちょっと気の毒です。^^


2022年8月4日木曜日

トーレコョチの家二不

我々の世代にはこのCMのリズムは必ず響く!というものがあります。

その一つに「キャンディ~は不二家~🎵」というものがあると私は思っているのですが、最近のテレビでも普通に流れているんですかね?少なくとも私が子供だった頃よりかは聞かないと思っているんですけど。

ある方から今日「不二家に行ってかわいいの見てたらどうしても欲しくなって、お嬢ちゃんの分を買ってしまったから取りに来て~」と言われました。どうしてどうして!この方何時でも娘さんの為にとか、息子さんの為にとか言いながらいろいろなものを下さいます。

下にあるのがその幾つか下さったもののうちの一部なのですが、見て下さい。可愛いでしょ?

美味しそうでしょ?
右から左に読ませる古い表記法!
昭和39年以前の絵から復刻されている紙のミルキーの箱や1951年のペコちゃん・ポコちゃんのデザインを使った箱などです。中の紙の説明書を見ると、ペコちゃんスマイルのデザインは昭和39年以前、昭和43年頃、昭和60年頃、令和元年現在という感じでそ変遷を伝える紙が入っていました。

上の写真では良く判らないんですけど、懐かしのパラソル・チョコやペンシル・チョコ、ハート・チョコレートそしてカントリー・マームなどが入っていました。私の歯の銀の冠のクラウンを悉く奪っていったミルキーをはじめ不二家のお菓子というのは我々の脳裏に刻まれています。
今回、入ってはいませんでしたが未だ他にもノース・キャロライナ、ソフト・エクレア、ポップ・キャンディ、ウェハース、ルック・チョコレート等を未だに覚えています。恐らくまだ探せば有るはずなんですが、コンビニで見かけないものは無いものみたいに思ってしまいます。完全な錯覚ですけどね。

そういえば、昔はミルキーバーという製品があったと思うんですが、これ販売中止になったみたいです。喉に引っ掛ける人でもいたのかな?

お菓子の栄枯盛衰もいろいろありますが、ロッテ、森永、カルビー等に押されてるんでしょうかね。私が小さかった時ほどは不二家に勢いがない気がするのは私だけでしょうか。

まあ、ミルキーが残ってくれれば私はそれで良いです!w


2022年8月3日水曜日

次女が絵の題材で試行錯誤

バイトの隙間を埋めるように作画活動する次女。

家から少し離れて借りたアトリエ用の部屋に布を敷いて下が汚れないようにした状態で何かシコシコと描き込んでいます。今現在、基本的にやっているのはoil on canvasの作品群の様で、自分の好きな題材をいろいろと選んでは国外のコンテストに向けて題材を仕上げていっているようです。最近は比較的家族・一族の日常を素材に選んでいることが多いようですが。

自分の作品を提示するための個人契約のホーム・ページも知らないうちに持っていたようで、そこに今まで描いた多くの作品群を選んで展示しているのを見せてもらいました。以前見たことのある作品もあれば初めて見た作品も沢山提示されていて、そこでは彼女の中での作品の変遷というのが良く俯瞰できました。

そもそも私にはアートをする人達を一概にartistと呼んでいいのかどうかわからないところがあるのです。絵を描いたり彫刻をする意欲が人並外れて大きい人は皆そう呼ばれていいような気もするんですよね。更にはそう呼ばれる人達がこういったartを創り出す意欲がどこから出てくるのかという疑問もあります。

やりたい事をやっているだけ!とartistが言ったところで、絵を描くための素材さえ揃えられない貧しい状態である場合とかはやはり大きなハンディがあると思うんですよね。今は一枚が数十億とかいう値段がついているような印象派の画家などでも当時はパトロンも付かず、書くための資金もモデル代も払うのに苦労してなんていう人達は幾らでも居たわけで、その中から才能と運とがあった人達だけが時代を超えて生き残っているのだと考えています。

それからすると今の次女を見ているとアトリエ代や画材代の多くは私や嫁さんからアシストされている事になりますから、お金に余り苦労しない画家という意味ではハングリー精神というものがあんまり育たない環境なんでしょうかね?それとも環境というものは可能なら最初からそこに容易に揃って居たほうが良いのか。そこも謎。

どうもボクシングの選手のように貧しい環境からの成り上がりがそういう世界を制覇していくようなイメージが抜けないオジサンなのですが、日本で芸大とかの世界に進学するような人達というのはやはり一種夢の世界にチャレンジする余裕のある恵まれた環境で、種々のトレーニングを積んだ状態から試験競争を勝ち抜いてくるような人達なのか?知らないので全く判りません。

しかし、ちょっと考えただけでも、試験を通過するというのとアーティストとして成功するというのはまた次元が違う話という気も致します。この疑問、頭の中でいつまでもグルグル回ってばかりです。どんなもんなんでしょうね~。

この世界に関しては何時まで経ってもいろいろな謎だらけです。w


2022年8月2日火曜日

リクルートに金をかけないなんて

先日、がっくりするような話を聞きました。

どんな組織でもダメな事務トップが居ると組織全体が大変な苦痛を味わわされますが、残念ながら当院もその例に漏れない状況です。前事務長が病を得て突然という感じで病院を去る事になったのですが、その時に「この男はそのままここから連れて俺は去る」と言われていた「男」にあたるオブジェクトがあろう事か今の事務長。

特徴は徹底的に物事を決断しないこと。要するに何も決めません。難しいことは勿論、簡単なことも全て下の者にほぼ丸投げして「何とかよろしく」という具合。他の人達にたまたま聞いた彼の影のあだ名は「むつかしい」と言うものだそうです。何かのdecision makingをする為に誰かがこれを決めてくださいというような感じで依頼をすると「むつかしい」と言って先ず何も決めないのだそうです。それで付いたのが上のあだ名。w

物事を決めて右か左かを人に指し示し続けるのがトップの仕事ですし、最もダメな、最もトップになってはいけないタイプのトップというのは古今東西「決断力に欠ける人間」と相場は決まっています。思慮深くて決めきれないとか臆病なほど用心深いとはまた別の物事を深く考えきる事の出来ない人間がトップに就くと…という感じです。年齢からしてあと数年はこの人物が居座りそうですが、大丈夫なんでしょうか。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、一番最初に書いたガックリする話というのはこの人物が下の人間に「誰か新しい事務員で良いの居らんか?」と聞いてきたんだそうです。ところが、その条件こそが私がガックリと記した理由で「金をかけんで集めてくれ!」という付帯条件なんだそうです。orz

金をかけずに、時間をかけずに選んだ人間なんてそれだけの価値しかない人間が殆どというか、通常は投資に「比例」するでしょう。恐らく金も時間もかけずに選んできた人間を金も時間もかけず、育てもせずきっと給料も上げないのでしょう。というか、そうやって数だけ揃えて入れてきたここ数年入職の数名の人間が「配置した部署で使えず、配置換えしてみた部署でも使えず」と言った状態になって多くの人が困惑している事は人選した自分が一番知っている筈なのですが、相変わらず「むつかしい!」のでしょうか。

一体全体そんな人間にどんな仕事を期待しているのでしょうか?

ポテンシャルのある人間を金をかけ時間をかけて集めたうえで、金と時間をかけて育てるのが日本風ではないのでしょうか。そうでなければアメリカ風に即戦力を高い給料で掻き集めるというのも手なんでしょうが、そんな発想が「あの人」にある訳もございません。はい。


2022年8月1日月曜日

久しぶりに新規開拓

嫁さん達と夕方や夜の犬の散歩で廻ることの多い藤が丘駅周辺。

その散歩の途上で新規に出店された店や、閉店される店などの変化を見ながら「ここに行ってみらんといかんな」とか、「この店の定休日は何時なのか」等という細かいネタを頭の中に少しずつ貯めていました。

その上で、今日は久しぶりにそう言った頭の中で押さえていた行ってみようと長い間考えていた店に行くことにしました。リクエストは院内の若手技師さん達二人。いつもお世話になっている分を今宵のアルコールと料理で恩返しです。

先週末に「先生どこか連れて行ってください!」とのリクエストがありましたので、今日のセッティングということでそれらのお店に一軒ずつ行くことにしました。院内における彼らの立場や悩みを聞くのが今回のテーマ。

先ずは新しいお店である「ふくろう」という居酒屋に行って飲み始めました。中はまだまだできたばかりのキレイな状態でお店の中には二人しか店員が居ませんでしたが、時間的に未だ学生さんのバイトが来る前の時間帯でしたから心配していませんでしたが、予想通り30分もせずに若い二人が仕事に入ってきました。

これが三人分のビールの泡の上に印字されていました。
最初にビールから入ったのですが、その時出てきたのが上のような泡への印字で、私のは一番右下のモノです。

ここではそれなりに食べて飲んで7000円。ホッピーなども飲んで色々食べてこれですから安いものです。その次に直ぐに行ったのは人情屋台でした。今まで側にあるチェーン店だという事は知っていましたが、中がどうなっているのかは初めて知りました。屋台の集合したものだったという事を理解しつつウイスキーを二杯ほど飲みいろいろなものをまた食べました。ここでは8000円程度飲んで更に河岸を変えました。

最後は高架下のいつもの「ひのてつ1号店」でメーターを上げて締めを楽しみました。そこに勤めていたカウンターの女の子や店主さんと大いに話をした挙句、最後に店主さんの許可を得て女の子にチップを置いて帰りました。話も盛り上がり、大変楽しい一晩でしたが…。

少し飲みすぎたようです。反省しております。orz