2019年10月31日木曜日

次女がアメリカの彼氏のもとへ

娘が明日カリフォルニアの彼氏のもとに行くんだそうです。

いつものように殆ど何の準備もしないまま、近所にごみ捨てにいくような感じでのアメリカ帰国なんでしょうが、今回の帰国前にアート・スクールに提出する数枚の絵の仕上げも急いでいるようで、準備どころではないというのも一つの事情だったようです。

今回始めて自分で働いて貯めた給金の一部を使って渡航費を捻出したようで、その点に関しては久しぶりに「なかなかやるな」とは思いました。
いつまでもいつまでも書生じみた(というか処世そのものだから仕方ないんですけど!)発言で私を辟易させるのですが、今回は初めてそのような事がなかったので少しは進化したのかな?と考えてやりたくなりました。

そもそも彼氏のもとに遊びに行くまさに遊び金を私が出してやる義理など毛頭ないので、まあ、当然といえば当然なんですけどね。私が受け持ってあげるのは精々年に一回帰ってくるか否かの選択時に私のカードから変換されたマイレージ・ポイントを彼女達に使わせてあげるくらいのものです。

それにしても、二週間の間彼が親と暮らす実家で一緒に過ごすとかどういう感覚なんでしょうか?正直なところ私には訳がわかりません。
彼の妹とも既にネット経由で大変仲が良いという話。今の時代の人付き合いというのは我々の頃のアナログ的なゆっくりとしたものとはちょっと違うようです。

まあ、何れにしても鯉に恋する年齢をあまり離れておりませんので、喧嘩とかして帰ってきてそれで終わりじゃないのかなどと考えているのですが・・・。

成り行き任せです。w


2019年10月30日水曜日

仕事帰りの悲惨な三時間

昨日はバイト先での仕事が終わった後、大変な目に遭いました。

仕事帰りに、知り合いのおばさんの家に宮崎のお土産を持っていこうとした時でした。道の真ん中で車のメーターが突然ピカッと光ったと思ったら、車がいきなり停まりました。そう、文字通り突然です。

まさにウンともスンとも言わない状態で、ハザードランプさえ点きません。勿論スタータ・ボタンを押した所で何も変わらず。一瞬で理解した事は「バッテリーが死んでる」という事でした。

直ちに車を購入した時に入った保険会社に電話してレッカーを呼ぼうとしましたが、busyの状態で全く繋がりません。その保険会社の電話案内を待つ途中でJAFの番号をショートダイアルで呼び出すオプションがありましたので、それをコール。

直ぐにこちらは繋がりましたが、最短でも50分はかかるとのこと。(後で伺ったところ遠く豊橋から戻ってきている途中だったという話でしたので納得。)他にも数種類のオプションを選び電話をかけてみたのですが、一番早いのがJAFでしたので、仕方なくそのJAFを待つこととしました。

突然の完全ストップで、道脇に車を寄せることも出来ません。ハザードもつかず危険な状態です。待っている間は頭を下げて申し訳ない状況で、状況が理解できない一部の後続の車に平謝りでした。

その間になんと一台の救急車が真後ろで停まってくれて、三人の救急隊員の方がわざわざ降りてきて下さり、三角停止板を持っていないかきいてきました。車に戻っての捜索自体が危険だし、そもそもあると思っていなかったので探していなかったのですが、良く見たらありました!すぐに救急隊員の方が展開してくださり一安心。当方、深々と御辞儀をして心からの謝意を示しました。

ところがこれだけでは済みませんでした。何と暫くしたら今度は通りがかりの消防車が停まってくださり、何か助ける方法はないかと15分ほど四苦八苦。結局最後には諦めざるを得なかったのですが、その善意に恐縮してしまいました。これにもまた深謝。

名古屋の公共サービスと人の情け。予想の遥か上でした・・・。

さて、実際にはJAFの到着はさらに30分ほど遅れてしまいましたが到着。車はとりあえずバッテリーのチェックから始まったのですが、とりあえず電圧は正常値のレベルであったにも関わらず始動はしないレベル。バッテリーで一瞬チャージして頂き再始動。後ろを追従走行してもらって、万一に備えながらのそろそろ走行でした。

そのまま何も起こること無く名東の営業所まで到着。まさに心情的には「翼よあれがパリの灯だ!」という心持ちでした。営業所では何と8時半過ぎでも整備士の方が三人待ってくださっており、そのまま早速検査するとやはりバッテリーが干上がっていました。

新品に交換して4万数千円で終了。JAFの方には入会金の6千円も含めてサービス料とあわせて1万6千円で有難うございました〜となりました。それにしても、大通りでなくて比較的脇道といえるエリアでの停車でまだまだ不幸中の幸いでした。

あれが大通りでアノ時間帯だったと想うと・・・。大渋滞を起こしてニュースに出ていたかもです。「不幸中の幸い」皆様に大迷惑をおかけしましたが、停車に絡んで事故が起こらなくてホッといたしました。

ドッと疲れて家に帰って風呂に入った後は即寝となりました。


2019年10月29日火曜日

次女が猫と久々の再会

次女が私の実家のある九州の宮崎に行って猫に会ってきました。

息子の猫アレルギーが見つかった後に九州の両親の家へと追いやられてしまった可哀想な我が家のアメリカン・ショートヘアなのですが、実家では親父が愛情をかけすぎて少しばかり体重過多になっていました。

適切な量の餌の指導を仰いで今では大分スリムになったのですが、次女に言わせると「まだまだ太り過ぎ」とのこと。こんな偉そうなことを上から目線で言っている次女ですが、そもそも猫をアニマル・シェルターから連れてくる時点で「自分が大学に行くようになったら自分で育てる」のなんのと言っていたのですが?

幸いにして親父が二つ返事で飼育を請け負ってくれたから良かったものの、そうでなければどうなっていたことか。まことに先読みの甘さにかけては「さすが私の子」といったところです。orz

二泊三日の滞在中は実家ではほぼずっと猫と戯れていたようですが、一度だけイオン・モールに連れて行ってもらい、靴や服を買って貰ったとのことでした。おまけに帰りがけには大量のかるかんとマンゴーのお菓子を手土産に持たされた上にお小遣いまで・・・。

これでまた親父達を名古屋に呼んで粗餐を今日さねばならなくなりました。まあ、いずれにしても最初から呼ぶ予定だったんですけどね。来年の頭に長女が一時帰国している時に重ねてジジババには名古屋に来ていただきましょう。

何だか慌ただしい来年の初春になりそうです。


2019年10月28日月曜日

Googleの解析ソフトは恐ろしいレベル

やっと全病棟におけるアンケートの聞き取りが終了しました。

入力しながら聞き取り調査のやり直しそしてやり直し。w
病棟をウロウロしながら、質問の意味のよく理解できない患者さんには噛み砕くようにして説明しながら穴埋めをしていかなければなりません。

全数1300人以上の患者さんと職員の中で喫煙者は約四分の一でしたが、その300人の人間も本当に多種多様で解析するこちら側もヒーヒーでした。最終的な解析の様相をイメージしながら次から次にグーグル(アンケート)フォームに再度入力し直し、それをスプレッドシートとしてゲット。

そのスプレッドシートに対してクロス集計用のピボットテーブルを作成しグラフ化という手順なのですが、ここ数年のうちにネット上でグーグルが提供するフリーの解析ツール群がこれほどに協力になってきていたことに驚き。

これはマジで最終的にマイクロソフトは三種の神器であるパワポ・ワード・エクセルをフリーで提供するしかなくなるような時代が来ると思いました。

これ、実際にアメリカで私がリサーチしていた時にクロームがブラウザとして登場してきた当初はまるでダメダメだったのに、毎日のように改善が入っていってあっという間にIEもedgeも吹き飛ばしてしまったのと同じではないのかと言う気がします。

最初に見た頃に比べてボタンの数も機能の数もぐっと増えているだけでなく、細かなところのファインチューニングがえらく細やかになっていました。本当にフリーのウェブ解析だけでココまでできるのかと言うのが今回の新たな発見でした。

マイクロソフト、この件に関しては課金なんかしてたら最後は消滅するんではないでしょうか・・・。

2019年10月27日日曜日

スクール・ウォーズの時代

エディーが日本に来た時に日本のラグビーとそのバックグラウンドの精神を知るために、なんとスクール・ウォーズを全部通して観たという話がwikiに書いてありました。

なるほど!とは思ったのですが実際彼はこれを見て「Just stupid」と言ったとか。w
まあ確かに観ていて思うのは「愚か」の一言なんでしょうね。嫁はん曰く、同級生達はみんな観ていたと言うのですが、私は全く観ていませんでした。まあ、誰もが観ていたという当時大流行のトレンディドラマさえ観ていなかった男なので、彼女にとってはただの変わり者なのでしょうが。

根性・根性・ど根性というのは何処の国にもあるのでしょうが、日本の場合何というのでしょうかそれが極端にマゾっ気を含んだ感じなんじゃないかと思います。最近でこそ海外のメンタルトレーニング理論を普通に部活にも導入して頑張っているところが多数あるみたいですが、以前我々が運動していた頃は普通の部活動においては大学も含めてまだまだ運動というものは科学とは相当の距離があるものでした。

特徴的なのは練習に数字の裏付けが無いこと。成果が数値化されないし、目標にも数値がない。みた感じに勢いがあればそのままそれを良しとする・・・。勝ってもその分析がなく、勢い込んで乗り込んで行って負けてもやはり分析が数値化されない。

終わると飲み会があっていわゆるノーサイドなんですが、負けに関しては技術論的な解析というより完全な根性論。「ガッと行くべき所で辺りが弱かった」「タックルの位置が高かった」「このタイミングでのパス回しが・・・」などと言い合う程度。

ビデオを何回も巻き戻してそれを解析した人間がコメントをまとめるなんて言うのはとてもとてもという時代でした。牧歌的と言えばそれまでなんでしょうが、エディーがJust stupidと言い放ったレベルとまんま同じだという気がします。

それにしても、校内暴力で本当に荒れていた時代でしたね。今のイジメとはまた違う世界なんでしょうが、幸いにしてどちらも経験せずに済んだ私です。


2019年10月26日土曜日

エディー・イングランド

やってくれたぜ!というのが感想です。

アノ巨人、ALL BLACKSを相手にして勝利!しかも、今回の試合では相手にゲーム自体をさせないほどの作戦勝ち。試合前にエディーが吠えていた皮肉一杯のコメントがそのままNZをぶち壊すレベルのものとして実現されました。

試合前の心情と予想としてはイングランドに勝ってほしいという判官贔屓の気持ち、実際の所、この試合までのイングランドの強さは際立っているからもしかしたらもしかしてイングランドが何かやらかしてくれるんじゃないか?というものですが、しかし、相手は何しろアノNZだからな〜難しいよな〜!などと考えていました。

ところがところが、試合が始まると全く予想とは反対で、イングランドの完全な準備勝ち。All Blacksは試合自体を完全に封じ込まれるという事態に・・・。
そこで思い出したのは、2015年の日本対南ア戦。やっぱりあの試合と一緒で、エディーが準備した日本の勝利はフロックでも何でも無くて、計算され尽くした作戦による完璧なアートワークだったという事でしょう。勿論、あの映画の中ではリーチをしてCranky Bastardと言われたコーチですが、その頭脳の冴えは今回も活かされキッチリと相手を折りたたんでしまったのでした。

やりたいことをさせて貰えないといういうのは本当に相手チームを混乱させるもの。予定していた作戦が通じないのですから、チーム内は本当に混乱のるつぼに叩き込まれるわけです。それが今回のNZでした。こんな事もあるんですね・・・。勝負に絶対はないということを改めて思い知らされたのでした。

WCRにおいて、ここまでの日本チームはジャパン・ウェイのエディーからワン・チームのジェイミーに導かれてきました。誰が次のコーチに就任するのかはわかりませんが、次のWCRへの挑戦は日本全体が期待する中で、本当にどでかいプレッシャーのもとで進行するコーチング業になることになってしまいました。

これからどれだけ若い世代がチームジャパンに乗り込んでくるのか、本当に楽しみです!


2019年10月25日金曜日

100年に一度がそうではなくなってきている・・・

東洋経済のネット記事を見ていて具体的な数字が表示されていたのを見てやはりそうかと得心させられました。

最近立て続けに起こる大災害が実際の所どれほどの間隔でどれほどの損害をもたらしたのかを実際のテーブルで見せつけられると、損害の規模の上昇と発生間隔の短さはやっぱり少し気候変動期に入っているんだろうか?と考えさせられるものがありますね。

実際にもう一つの記事でも20世紀には300年に一度だった確率降水量が、21世紀では100年に一度のものとなっている現状を見ると、やはり少なくとも今の時期は近代における気候変動が大なり小なり起きている次期なんだろうなと感じてしまいます。

こんな状況何処かで見たよなと思ったらこの前知人の超学生の子供さん達を連れて観に行かされた「天気の子」の中の未来の東京の情景に似ているなって事を思い出しました。

アメリカに住んでいた時に保険会社の人から聞いたのは危険なエリアに住んでいる人にはそれなりの住宅保険のアップがかかるというものでした。個人的に思うんですけど、これだけリスクの大きな日本においてはやはり住宅の災害や地震保険の価格も、近未来的にはその建物の建つ地盤や判っている範囲での地震の歴史と規模によって大きく変動して各家庭の保険料として計算されてくるのではないかと思います。

無論それらの数値は建物自体の強度に対する係数として計算されるのでしょうけど、まずは簡易的に自治体の作るハザードマップに従った保険料計算が更に細かく算定される時代になるんだろうなと思います。

結局のところ、これらが払えない人達は生活を再生できないリスクを背負って生きていくようなエリアに住まざるを得ない時代が来るのでしょうか・・・。

これからお金がどんどん無くなっていく日本に何だか暗い影が指しているような気もします。


2019年10月24日木曜日

アンケート作成の落とし穴

今回、院内研究を通じてわかったことがありました。

センサスというかアンケートを行うには一寸した、しかし膨大な工夫が要るという事です。アンケートというのは質問の流れが自然な形で進んでいかないと回答者が迷子になるということ。例え迷子にならないような質問の流れを作っておいても、回答者の知的レベル次第では回答が正しく行われない可能性があるということ。

可能であれば、中学二年生が回答者になってもその質問の意味を汲み取り、迷うことなく最後の質問まで辿り着くような仕組みにしておく必要があるということ今回も痛感いたしました。orz

回答者の中の数パーセントは本当にこちら側が全く予想しなかったような「驚くような間違い」をしてくれます。例えばウェブ形式のアンケートであれば、回答自体が流れとしてプログラミングされている事がほとんどで、選択肢を選びさえすれば、(問題作成者がフローを間違わない限り)最後までオートマチックに進んで終了です。

ところが、これが紙のアンケートになるとそれはそれは驚くほどの間違いが・・・。
特に多いのは“括弧で囲んだ注意書き”を読まない人でしょうか。例えば、「③の質問でハイと答えた方だけ以下のA-Cの質問に答えて下さい」という様な書き込みをしても、ノーの人であろうと関係なくその枝門に突入する人達。

そしてこれまたびっくりするほど多いのは表と裏で連続したアンケートを配った時にはたとえ「裏に続く」旨を記しておいても表の質問の最下段でプツンと回答が切れてアンケート全体が無になる事の多さでしょうか。

笑ってっしまうような間違いなんですが、質問作成者側としては実のところ工夫が足らなかったのであろうという後悔の連続です。
それでも右往左往しながら、最終的には作成者側も慣れてくるもの。最後に有意義な回答が収集されればそれまでの苦労も報われようというものです。

頑張らなくては!


2019年10月23日水曜日

次女のアートスクール受験準備

家でアンケート準備の作業をしていると目の前には次女のスケッチブックと色々なペンが散らばっています。

単なるアート好きが高じてアート無しでは生きられない状況になっている状態が日常である次女なんですが、また気分が更に乗ってきた時期がやってきたのかと気にもせず放っておきました。ところが、今回は次から次へといろいろな作品をシャカシャカシャカシャカ次から次へと描きあげていきます。


今回の作品群は基本的にはサインペン。いろいろな人物像・・・(と言っても基本的には普通に見える人間ではないのですが)を変わった?彼女なりの認識で紙の上に書き付けていきます。

この前などは私に絵の感想を聞いてきたりしてきましたので、正直にいろいろ言った所「パパは褒め方が上手いね〜!ママはそれに比べて・・・」と言って、私の講評に自分なりに反応してきます。

どうやらこれらはアート・スクールへのアプリケーションに添えて出すものらしく、アメリカの西海岸を中心としたアート・スクールを5つほど考えているようです。考えていると言って見せてくれた学校の候補をテーブルとして見せてくれたのですが、ほとんどこの手のことは何もわかりませんので「うーん」という感じ。

しかしその中に何だか見覚えのあるものがたった一つ。
それはSAICという綴でした。これって多分、The School of Art Institute of Californiaというやつなんじゃないかと推測をしてみましたが、ネットで調べると最後の部分がChicagoとなっていました。

どうやらシカゴ美術館の付属美術大学みたいです。なんだか美術館が付属の大学を持っているっていかにもアメリカらしいですね。

しかし、よくサイトやネットを見てみるとえらく有名かつレベルの大学みたいなんですが?まあ、私は「頑張れ〜」としか言えないので、じっと見てるのと時々は画材を買ってあげるくらいです。

結果はまだまだ先のことでしょうしね。何も聞かずにじっと見ておきます。


2019年10月22日火曜日

学会の準備で不安感出現w

ある学会が10日後に迫っているのですが、まだほとんど何の準備もしておりません。

まあ、いつもの事でして最後の最後でなんとか帳尻を合わせようというダメ人間の私らしいセットアップです。我が家の次女もほぼ同じ。

むかし、医学部のラグビー部に所属していた頃、武蔵高卒の先輩にユニークな人物がおられまして、学校のテストが二ヶ月後にあってテキストが300ページの暑さだとすると、一日5ページ勉強すれば良い・・・。それでもやっぱりしないで一ヶ月後になると一日十ページすれば良い・・・、と言う感じでいつも直前までせずに、後5日になると一日60ページすれば良い・・・、などという「計算上はその通りなんですが!」という様な日々を送りながら、結局最は終日に300ページをやる羽目になる、というパターンを毎回繰り返す御仁がおられました。

実際に医学部のテストでもそういう感じで(私も全く人の事は言えないのですが)、毎度毎度の再試を受ける羽目になり〜〜という先輩でした。結局、再試の日程自身がいつも自分にとっての本試験状態という状況なのですが、なかなかにこれはこれでハード・モードでして、真面目にコツコツやって来た方々が一回目の試験で無事通過後に余裕綽々で遊んでいる頃に我々の様な愚かな怠け者軍団は必死で試験対策を行うという世界。

一体何を好き好んでそんな事をせなあかんねん?という状況なのですが、実際のところ何とかにつける薬はなしということで、ずっと今でも治っておりませんのは先輩も私もあまり変わらず。

という訳で、学会の準備は統計解析と文言の書き込みなのですが、いつもの如く夢の中に発表の骨子が浮き出て睡眠が邪魔され始めましたの、そろそろ形にするべきときがやって来たという私のご先祖様の指導が始まっているのかもしれません。w

さて、PCでのいろいろなセットアップは終わったので、これからは実務作業ですね。疲れそうです。


2019年10月21日月曜日

アメリカの旧友が名古屋へ!

今日は仕事が終わって6時から名駅で待ち合わせをして、アメリカ時代の旧友と再会しました。

少し前には法事などで帰って来てその折にも会ったのですが、アメリカの研究者時代に互いの苦労を知っている者同士はまさに旧友ではなく戦友。互いが協力しあいながら、なかなか通らぬグラントを山のように出しては突き返されるという悲哀を味わった仲です。

勿論、彼は私なんかより遥かに優秀で、理学部卒のハード・コアのリサーチャーなのですが、あって最近のリサーチの進展や研究社会の動向、昔のラボの現在の様子などをヒト・モノ・カネと3つの面にわたっていろいろと聞くことが出来て楽しいこと楽しいこと。

最初に入った店ではビールとチューハイを二杯ずつ飲みながらいろいろなものを口に放り込みながらの真剣トークでしたが、彼の日本でのリサーチ・プレゼンの話や帰国前にある(この世界では)超有名研究者との個人的ディスカッションをしてからアメリカに戻るとの話を聞いて思わず「リサーチって苦しいけどやっぱり良いな〜」って心から思いました。

二次会は小雨そぼ降る中で円頓寺商店街の中にある前から目をつけていたお店「お酒の神様」へ行ってまいりました。いわゆる立ち飲み屋なのですが、こういった店が藤が丘には無いんですよね・・・。藤が丘にかけているのはこの昭和風立ち飲み屋なんですが、ここでも立ちのみしながら最初から最後までガンガン互いに日本酒を重ねていきました。

神戸へ戻る新幹線の時間が近づく直前まで盃を重ねて互いにお酒を浴びる状態にまでなったのですが、楽しい時間を過ごした二人はご機嫌で名駅へ戻っていきました。当然の如きまたの再会を約して名駅で別れたのですが、戦友との再会は毎度良いものです。

しかし、「お酒の神様」良いですな。学生時代の立ち飲み屋を思い出しました。


2019年10月20日日曜日

WCR・日本は負けましたが・・・

対南アフリカ戦、負けてしまいました。

今まで「勝つのは難しい」と思われた相手も含めて四連勝し、堂々の一位通過で文句を垂れていたスコットランドをガッツリ黙らせての進出でしたから立派なものです。

そもそもXネイションズ(Xには6とか7とか10とか入りますが)と言われている、ラグビー先進国群のtier1の国々に堂々とぶつかって相手を任したわけですからたいしたものです。
他の国々に対して平均で明らかに劣る体格的ハンディを運動量と作戦で補い、連戦連勝したわけですからジョーンズHCの手腕とその指導を受け容れきった選手達の努力と才能には頭が下がります。

基本的にロシアのHCが話していた様に、tier1とtier2は全く別のスポーツと言って良いほど格の違う世界。そもそも勝つということ自体が大変な事件なのに、それを四連勝でフィニッシュさせたのですから、見事という以外の言葉は誰が何と言おうと見つかりません。

ベスト8初戦の5試合目は前半は誠に見事。体格の差を補って余りある僅差の試合でしたが、後半は物凄い才能を感じさせたSHデ・クラークのアタックと大男達の素晴らしいディフェンスの前に為す術もなく体力を削られていったチーム・ジャパンの最後は、やはり容易には埋まらないトップチームとの差を見せつけられた時間帯でした。

しかし、それも2015年からの進化の跳躍度を考えると素晴らしいの一言。
ジェイミー・ジョセフHCに対して大枚を叩き、三顧の礼で再び頭を垂れてでも、日本チームHCとしての続投を依頼すべきだと思うのですが・・・。

またもや日本ラグビー協会は招聘に対する足並みが揃って居ないとの頭が痛くなるような噂がチラホラ聞こえてきます。

何で日本のスポーツのXX協会という所は、こうも揃いも揃ってバカとアホウの寄り合い所帯なのでしょうか。ルールの解釈を間違えて選手を失格に導くなっていうのは朝飯前で、出場資格の解釈もできなかったり道具の検査を間違えたり、内紛で時間を潰したり・・・。orz

何はともあれ、早よしなさい!


2019年10月19日土曜日

神社で泣きそうになりました

今日は朝からトレーニングの一環として散歩をしたのですが、その途上で神社の階段を登っていきました。

通常は何度も何度も病院の階段を上り下りして40階分前後に相当する昇降を済ませるのですが、今日は特別。一旦神社まで上がって7時過ぎの神社でどんな人がお参りしているのか見てみようと思いました。

まずはお伊勢様でも他の神社でもいつもしているように手を洗い、口を漱ぎゆっくりと階段を登っていきました。そばに建ててある顕彰碑などを読みながら登っていきますと誰も居ませんでした。まあ、日曜日の朝早くにここに居るという人はあんまりいないかな〜〜という事でこれは納得。

二礼して柏手を二度打って一礼をして神様へのご挨拶を終了。本当はお賽銭を・・・と言うところですが、持っていたのはスマホだけ。お賽銭もCashlessだったら差し上げられたのですが。

ふと左脇を見ると絵馬が鈴なりに掛けられていました。
目に入ってくるものの8割は合格祈願関係。誰だってこういうところでご利益を願いたくなるのは当然でしょうし私も大昔には受験生でしたので気持ちはわかるし、見ていて微笑ましい気持ちになりました。

残りの1割は漫画家志望の方でしょうか、連載漫画の成功を祈るものやいろいろなスポーツの全国大会出場祈願、家族の普通の幸せを祈るものなどでした。しかし、よく見ていて気付いたのは健康祈願が残りの1割り程度あるということでした。己の病の治癒祈願をされている方は勿論、家族の幸せを祈るものなども当然ありました。

しかし、その中の一枚に私は目が離せなくなるものが混じっていました。その絵馬には以下の文章が。
 
「パパが早く元気になって、家族全員元気で健康に過ごせますように」
 
その横には娘さん方と奥様と思われる三人の女性の名前が併記してありました。読んだ後ももう一度、思わずその絵馬をじっと眺めてしまいました。その家族の方々の気持ちを思うと医師という立場の人間としては思うことも複雑です。

文字の幼さなどから考えると小学高学年から中学程度のお子さんかと思えたのですが、その年頃の育ち盛りのお子さんを持つお父さんと言えば、40前後を中心としたまさにこれから働き盛りの世代。一家の大黒柱が病気と戦わなければならない状況というのは絶対にあって欲しくないまだまだ全員が若い一家のはずです。

その絵馬は既に今年の1月過ぎの日付が入っておりましたので、既に9ヶ月前のものですが、その子の必死の気持ちを想い目頭が熱くなってしまいました。本当にその一家のお父さんの病気が治り、御家族に笑顔が既に戻っていることを心の底から祈った朝の神社でのひと時でした。


2019年10月18日金曜日

看護師の基本条件

共感力の一言に尽きると思います。

残念な育ちをその看護師の成長してきた背景として想像させるような残念なレベルの看護を見せるしか出来ない看護師さんがいます。それでも、若い人であればきちんとした指導者と環境さえ揃えば少なくとも「表面上は」年々歳々、変化と成長を見せてくれます。

しかし、本人がもともと「残念な人」かつ病棟における「指導者も駄目」であれば、その人の残念なレベルにはネガティブな意味で磨きがかかるわけで、入院している患者さんにとっては気の毒なことになります。

接遇においても勿論「口のきき方」というか、そもそも敬語が上手く使えない人間がいます。要するに看護師になる以前の人生の時点で既に準備が全くできていないという・・・。数学を習おうという時に算数が出来ていなくて、という今どき話題になる一部のバカ高校生・大学生といったところとイメージ的には被る感じです。

勿論、能力的にもアッと言う間にいろいろと吸収して学ぶ若者もいればゆっくりとしか吸収できない子も。まあ、良い看護師さんとして成長する為にはいろいろな能力が必要なわけです。それでも、看護師として成長していく中で一本の筋として絶対に必要なのは「弱者に対する共感力」です。それがない看護師はレベルの低いAIと同じ。この能力ばかりは生来成長の中で家族や友人との付き合いの中で育まれていくもの。大きくなっての付け焼き刃でどうなるというようなものではありません。

結局、病院ではスマートだけど共感力のない人間が院内でポジションを上げていくという人事上の間違いが起こると、病院においては長期的視点に立つと「大変良くないこと」が起きる可能性が高まりますので、上に立つ人間はその間違いが起きないように慎重に人事を進めなければなりません。

いかなる「紛れ込み」も慎重に阻止することが大切です。


2019年10月17日木曜日

どうしたら入院してくれる?

今日も肺癌患者さんが見つかりました。

この患者さん、私の外来に定期的に来ている糖尿その他の病気を併せ持っている患者さんなのですが、この5年ほど糖尿病も落ち着いたコントロールを見せていたのですが、一人暮らしをするようになってコントロールのレベルが急激に悪化。

先日は糖尿病性ケトアシドーシスと言う状態になり緊急で入院さしてもらう状況になったにもかかわらず「絶対に入院は嫌だ!」と言い張って入院してくれませんでした。何人も説得を行い、「命の危険があるから入院しないと駄目。家に帰って云々という状況じゃないよ」と説明してもこれまた聞き入れません。

結局、輸液を大量に行い血糖を一日だけ外来でモニタリングさせて貰い最終的には帰っていきましたが、何故入院したくないのだと本人に聞いても「自由が無くなる!自由が良いんだ」と言うのみ。結局、これでは全く駄目です。本人は少し理解力も足りず、ある疾患で精神科に通っておられる方でもあり、インシュリンの自己注射など出来る方ではありません。

三度の御飯も全くランダムで、摂ったときもおにぎり一個とかだったりする時も有ればラーメンの濃いのをドッチャリ食べたりとこれまたメチャクチャ。しかも、血糖の自己測定も出来なければインシュリンの自己注射など更に夢のまた夢。
入院して一時的にでもレベルを元に戻して何とか治療のレベルをあげようとして入院の説得を行ったこともあるのですが、これは上述の如く繰り返し失敗。

ところが、今回久し振りに定期検診の一環として行った胸部レントゲン写真を撮った所、肺に怪しい影が。「これは・・・」という事で胸部CTを追加で撮って、腫瘍マーカーをみてみた所どうやら腺癌の可能性が濃厚な状況です。

しかし、この時点では痛みもなければ呼吸苦もない状況ですので本人に「今ならまだまだ間に合う可能性が高いから、大学病院に紹介するから治療しましょう!」と言っても「入院するから嫌だ!」という一言で全てを終わらせてしまいます。

「手術しなくても済む治療法の選択とかもあるから検査と思って行ってみませんか?紹介状も直ちに書くから」と言っても「入院するのは嫌だから」の一点張り。
抗生物質のように抗癌剤を服んで治療する時代も身近なものになり始める予感がするこの頃ですが、それがどの施設においても普通になるまでにはまだまだ2歩も3歩も遠い状況。しかも薬もすべての症例で著効するというのには程遠い状況ですから。

命が日々削られていっていることを説明しても「入院が嫌」「自由が無くなる」と言って拒否するこの患者さん。どうしたら説得できるのか。確かに治療しないのも自由なんですが・・・。

医者としての力量不足を痛感した今日の午前の外来でした。


2019年10月16日水曜日

患者さんも寿命を選択する

昨日のブログに続いて医療関係のことを書いてしまいますが・・・。

病院に来る患者さんの中には本当に自分の健康や寿命に無頓着な人達がいるのです。そのくせ病院には通院してくるんですから、人間というのはかなり矛盾の塊って事なんですが。それも患者をたくさん見ているといろいろな理由で(一見すると)矛盾(のように見える理由)があるんだなっていうのも次第に理解できてきますので、数回説得した後は敢えてそれ以上は深追いせずに静かに患者さんのデータと症状の観察を続けるようにしております。

今回は病院のある(非医療系)職員の事なんですが、ある検査で背景に何らかの深刻な疾患の存在を疑うデータが出ているのですが、本人にある先生が説明をして、その可能性を指摘してもまさに「他人事、馬耳東風」状態で何の反応もありません。

本人は近々あるある団体での飲み会のほうが大切らしく、「それに出ないことには明日が来ない」というような訳の分からぬ事をのたまいます。そもそもそんな会合に出ている場合じゃない様な数値が出ているし、立って行動をするようなレベルのものではないと思われるのですが、御本人は意に介さず。

自分が倒れるのを知っていて逆に清々しく振る舞う特攻隊員のようです。その数値から予想される疾患を幾つか想像すると、私自身はその後の措置に緊急性の高さが予想されるものばかりなので、逆に焦燥感を覚えるのですが・・・。

医者を選ぶのも寿命ならば、医者の進言に従わないのもまた寿命のようです。


2019年10月15日火曜日

命の長さも母の買い物次第

ある患者さんの在宅医療に行った時の話です。

そのお家は息子さんと御両親が住んでいるお家なのですが、息子さんがある疾患の後遺症で家から離れられない、というか離れない状態。実際の所、リハビリのために外出したり通所・訪問リハビリを使いましょう!と、何度もsuggestしているのですが、人生投げやりモードでして、その様なポジティブなことにはアクションを取らない傾向がまざまざとみてとれます。

今の時点では親子三人で住んでいて、高齢の親父さんは認知症気味。お母さんはお母さんで気さくな人ではあるのですが、目の前で動きもせず日がな家の中のベッドで寝てばかり居る中年の息子さんにいつも怒ってばかり。

お母さんは息子さんの高度肥満に怒ってるし、息子さんは息子さんで高度肥満が大いに絡んでいると推定される高脂血症、高血圧症等に関して母親の準備する三度の飯に怒っています。

何故ここで”準備”と書いたかというと、実際このお母さん調理は全くしないそうで、レトルトの可能なカレーや出来合いの惣菜を買ってきては家の中でunpackするだけ、と言う生活なんだそうで「野菜なんて絶対買ってこない!」とは息子さんの弁。「俺はこの母親に食事で殺されるわ、先生。」等と文句を垂れています。

確かにこの食事でこのカロリーを取らされ続ければ、気の毒ではあるけれどブロイラーのように直ぐなっちゃうよな〜!とも思うのですが、誰もが母親は選べませんしね・・・。

食事と病気。この患者さんの場合は本当に食事を変えていくだけで、高度肥満が解消し、同時に高血圧も高脂血症も高尿酸血症も多分猛烈に数値が改善すると思えるんですがそれを御本人に話しても「俺はもうええわ〜。ここで野垂れ死に!」なんて悪態をつくだけ。
しかし、その結果が前医達から引き継がれ続けたリスクたっぷりの15種類以上の多剤併用の現実なんですけどね。

この多剤併用に関しても、担当が私のバイトで行っている病院に引き継がれた時点で順繰りと減らし6種類も減らして16種類。つまりは下は22種類も服用していたというのですから驚異というか脅威です。

まだ若いし本当に勿体ないと思うのですが、大人になれば寿命も自分の選択の積み重ね。このままで健康を回復し長生きできるとはとても思えません。本当はこんな患者さんは受け持ちたくないというのが本音です。

駄目医者ですね。w


2019年10月14日月曜日

衝撃の世代交代か?

当直に入る時にはちょっと前にコンビニに行くことが多いです。

仕込むのは通常おにぎりやサンドイッチ、それと当直中に時々読むことのある雑誌です。私のような人間は、あれやこれやとその製品の種類を変えること無く、おにぎりであればアサリしぐれ。サンドイッチであればハム・レタスサンド。飲み物はゼロキロ・カロリーソーダか烏龍茶。時折食べるヌードルはSEA FOODヌードルでしょうか。

嫁さんと違って食い物に関しては通常決め打ち。毎度毎度いつでも定食Aの人です。

続いて買い込むことのある雑誌といえば通常2種類。1つ目はゴルゴ13のミニ文庫。その他に買うことがあるとすれば「昭和40年男」という雑誌です。これ、まさに私が生まれた年にバッチリあった雑誌ですので、掲載されているコンテンツはまさに私が小さい頃から辿ってきた個人史をなぞるかのような濃いものばかり。

この本を買って家に帰ると、たとえ私が読んでいない時でもアッと言う間に中を読んで、「あ、これ懐かしいわー」「あ、これ覚えてる〜!」と言う感じのコメント連発。要するに私とそれほど世代が違う訳ではないという間接証明なんですけどね。w

ところが!今回コンビニに行った折に私にとっては大きな衝撃を受けることとなる事件が発生していました。それは新刊の「昭和50年男」と言う雑誌が刊行されていたことです。
これって正しく世代交代ですよ!よく調べてみると、「昭和40年男」のほうも継続刊行ということで取りあえずはまだ相手にされているのかという感じ。

しかしよく考えると、まあそういう事って当然起こりますわな〜。
今回のコンテンツのタイトルを見ると「北斗の拳、前園真聖、つくば博、ドラクエIII、コロコロ、浅香唯、ミニ四駆、ビックリマン、イカ天、高橋名人等など」となっています。
これって、ホリエモン(S47年生まれ)の世代のど真ん中って感じですね。

この本読んだ嫁さんいわく「こっちが私にはピッタシ〜!」等と言って喜んでおりました。ちょっと無理し過ぎだと思うんですが・・・。まあ、黙っておきましょう。


2019年10月13日日曜日

WCR日本対スコットランド:死闘とは正にこのこと

日本4トライ、スコットランド3トライ。

書くと結果は一行ですが、その試合の中身の濃さは両国どちら側の人間にとっても歴史に残る、本当に教科書に出てくるような素晴らしい戦いだったと思います。
そもそもアイルランド相手に全く試合をさせてもらえなかったスコットランドでしたが、もともとプレーは端正でフィジカルも強烈。

世界最優秀ラグビープレイヤーにノミネートされた事もあるレイドロー率いるチームですから、リーチ主将が「ボコる」とは言ってもそう簡単にいくはずはないという予想を持ってゲームを見守りました。

スコットランドのラグビーフットボール協会の会長が(台風の酷さを全く無視して)「ゲームを開かんのなら法的措置を取る」などと喚いて、世界のみならず自国民からも冷笑と顰蹙を買った念願の試合です。ここは一つ正々堂々と相手を叩き潰して全勝で自力突破を見せることこそ日本の行く道。

被害者への黙祷の後、試合はいきなりゲームの冒頭でトライを奪われるといういつもの日本のパターンから開始。orz
アチャーという感じでしたが、このチームは今までの日本チームではない!やられたらやり返す力を持ったチームです。そもそもこの試合自体が、前回のWCRで三勝の日本を予選プールに沈めた憎き相手の口に辛子を詰め込むために準備した試合。

ここからが止まりませんでした。前半のファンタスティックなプロップ稲垣のトライや後半の福岡の相手からボールを奪い取ってからの鬼の一発(実際は2発目!)など、素晴らしい勢い。これはこれはという感じでアドレナリンの吹き出しが止まりません。

しかし、そこはスコットランド。ラグビー発祥の地の意地と戦術が強力なフォワードの押し込み戦術で素晴らしい巻き返しを見せます。
正直な所、どちらのディフェンスもまさに「称賛に値する」ハイクオリティーなもので、これからのラグビー史に永遠に残るような、美しく、力強く、エキサイティングな試合だと思いました。まさにTHE RUGBY。最後の20分は本当に息をするのを忘れるような時間でした。

この思いはアメリカに住む昔の研究仲間であるScottishの教授も同意見で、直後にメールがやってきて「負けて残念だったけど、物凄い素晴らしい試合だった!」と書き送ってきました。私も同じ意見だと返事したのですが。こんな事ってあるんですね。

今回わたしが思ったことは、今後はこの試合を見て育った若い世代から「必ずや」次世代のワールドカップメンバーがそれこそ続々と出てくるんではないかという予想です。しかし、NZのようにこれが国技ではないために、残念ながらそれを行う環境が整っていない。

隣の校庭にいけば柴が生えていて・・・などという環境が日本にないのが本当に残念です。そもそもラグビースクール自体の数が全く少ないし。それでも、今回のWCR日本開催は、きっと日本にサッカーのプロリーグが出来てから暫くして大勢の世界レベルの選手という花が咲き誇っている現在の日本のような感じになってくる「直前」の日本の雰囲気そのものなのではないかと感じています。

いやーそれにしても、こんな至福のマッチングをLIVEで観られて、勝利と言う形で味わわせてもらえた私は三国一の幸せ者です。w

次の南アフリカ戦はどうなるのか!期待しています。


2019年10月12日土曜日

名古屋は今回の台風は大したことなかったが・・・

今回の台風19号は少なくとも名古屋では「雨が強いか?」くらいの感じでした。

しかし、台風の眼の東側を通ったエリアや非情にも降水が多かったエリアなどは本当に緊迫感の強い対応を連続して迫られたエリアが険しい山間部やダムを持つエリアにはたくさん見られたようです。

しかも、雨が去った後も山は緩んでいるのでリスクは去らないし、関東の大きな河川も次々に氾濫して多くの方々が犠牲になっています。やはり河川の周囲は万一というのが何時でもあり得る。ここ数十年は日本も河川の氾濫というのは昭和の頃に比べれば随分と減ったと思っていたのですが、強大な台風の前にはそんな幻想はアッと言う間に崩れ去るのだと改めて思い知らされました。

昔、九州の田舎に住んでいた頃今は亡きお婆ちゃんの家が土手の真下にあったんですが、昭和の終わり頃までは大雨、台風が来ると土手のすり切りくらいまでどっと水が上がって来ることなどごく普通でした。幸いにして私が小さい頃などはその後の”氾濫”自体は経験せずに済んだのですが、母親が小さい頃などはそれはそれはごく頻繁に水が溢れ出してきていわゆる”氾濫”というのは日常的なものだったようです。

そのせいか、私の母も含め母方の兄弟達は本当に「思い出の品々」というものがほぼ無くて、何度も何度も水に流されては幼少時、学童期、中高校のころの全ての品々が失われてしまった状況。いわゆる「思い出」と言うのは全て水に浸かってしまったわけで、その度に捨てていったものがほとんどだったそうです。つまるところ記憶の中にしか保持されていません。今度の浸水でも多くの方々が同じ目にあった可能性が高いことが容易に想像されるだけに、言葉もありません。

今回は15号で被災された千葉にも、今度の19号で再び大雨が降りまさに踏んだり蹴ったり。こういった予想を超えた激甚災害というのはしっかりと国家が税金を使って復興をサポートしていくしか盛り返す道はないのかと思います。

今回は名古屋は大災害には見舞われなかったとは言えそれはたまたま。長い目で見れば必ずや大型台風や大地震がこの都市を襲う日がやって来ます。今回も災害に備えて家の備えとして何が足りないのかいろいろと思い知らされたモノの数々がありました。

簡易トイレやポリタンク、水などは豊富にありましたがもしかしたらの状況に備えてのガスコンロなどが無いことも盲点でした。今後のことを考えたらエコジェネレータなんかも本当は別個に持っていたほうが良いのかなと一瞬考えた今回の大型台風でした。

まさしく明日は我が身。災害に遭われた方々の被害からの一刻も早い復旧を心よりお祈りしております。


2019年10月11日金曜日

教師間のイジメとか

兵庫県神戸市で起きていたという、30代男性教諭3人と40代の女性教諭1人が20代の男性教師や女教師をターゲットにしていじめを繰り返していたとかいうお粗末な世も末話。

話だけ見ると世も末という話ですが、実際のところ学校の教師なんていうのは“でもしか”も含めてクソも一杯。内情を知っている人間にとっては、「バレただけね〜」なんていう感覚じゃないでしょうかね。先生なんて言うのは素晴らしいのからクソまでまさに正規分布で居るのがどう考えても当たり前なんですが、このクソの部分をたくさん入れて全体のレベルを下の方に引っ張っているのは縁故採用というものでしょう。

まともな大人なら誰でも知っていることですが、教員になるのにコネ(金も多分出回ってるケースも無数にあるのでしょうが)と言う名の縁故採用などごく普通であるなんていうのは皆がワイワイ言わないだけ。クズのことなんて興味もないし。

ところが、実際に被害を被っているのはそのクズが採用されたせいではみ出してしまった「本当は入って活躍するはずだった」人達です。高校教師をしている従兄弟からも聞いたり、これまた小学校の教師をしている従兄弟からもたまに話を聞いたりしたことがありますが、結局は教師の世界も社会の縮図、というよりも世間知らずの分だけ余計にdistortionがかかっている感じとでも言いましょうか。

自分の昇進と責任回避のために頬っ被りを決め込む校長・教頭が居るところでは正しい行為が行われるわけもなく・・・。
おまけに今回のクズ連の学校での役割はイジメ防止の責任者だったと言うんですから、漫画でも描くのを憚るような救えない話のプロットですわな。この男達とおばはん教師の関わった件の徹底調査が行われた暁にはきちんと校長・前校長も含めて懲戒免職にして退職金など間違っても払わないようにかたをつけて欲しいものです。

文科大臣まで言及するこの事件。
きちんと正義がなされない時には、そうなる何らかの理由でもあるんでしょうか。例えば何らかの社会勢力がその男の背景にいるとか?教育委員会の中にこいつの縁戚が居るとか?

子供達のためにもクズは排除し、better selectionをその穴埋めに使って頂きたいものです。


2019年10月10日木曜日

どういう人生送ってきたんだ?

今日は久し振りにモンスター・ペイシェントが入院してきました。

70近いオバさんでしたが、もう周りの人間達は職種を問わず血圧上がりっぱなしでした。旦那には離縁され、子供達にも縁を切られて流浪の人生を送る孤独な女性ですが、何故そうなったかという理由に関しては理解していないのは多分御本人だけ。

病室に入って来るや否や屁理屈と文句を100連発!
テレビカード買ってこい。胸部写真は撮って良いけど腹部の写真は嫌だ。煎餅とケーキをすぐに食べさせろ。前の病院の飯は不味かったけど、やっぱここのも不味いな〜、とか。あなたには重度の糖尿があるんですが?w

家はある理由で無くしてしまっているので、病院を追い出されれば何処にも行くところがない。しかも、役所の人間はこの患者さんを或る大きな病院から私の病院に送り込んだ後は幾つかの大切な情報を当方には報せていなかったため、ここには書けない追加の被害も蒙りました。

なんちゅうか・・・一言で言えばお役所仕事。
このお役所の仕事をしてくれる担当の方々も、正直言うと大きな当たり外れがあるのです。良く働く方に当たるとものごとは右から左にスイスイと流れます。しかし今回はどうやら外れ。担当者も外れなら患者さんも大外れ。

自分の主張だけ通そうとして周りの迷惑など考えない70近い女性。勿論、その生き方が原因で旦那にも子供達にも捨てられ、いまある臓器のガンも見つかっているのですが、こうやって皆に愛されないまま迷惑がられて病院を転々として亡くなっていくのでしょうか。

怒りを感じつつも、その存在に憐憫の情が少し湧いたのも嘘ではありません。
しかし、本当に疲れました。勿論スタッフも。orz

即退院という形で私の権限でブラックリストに載せることも簡単だったのですが、今回は行き先もないとのことで一日だけは様子を見ることと致しました。どんな親に育てられたんだろうとふと思った午後の私でした。

2019年10月9日水曜日

ノーベル化学賞!

吉野彰先生に決定したとのこと。タイトルは「リチウムイオン二次電池の開発」。

9年ぶりの化学賞ですが、発明の内容自体が既に異常なレベルで人類に貢献している点では御本人も「何時くるか?」というレベルの自覚はお有りだったと思うのです。

今回の受賞はアメリカの他の2氏との共同受賞ですが、他のお二人もその業績や仕事ぶりは「鬼」レベルの方々のようで、そういった方々の少しずつの発想や、理論に基づいて試してみた様々の工夫の積み重ねが人類に与えた福音の規模に関しては、そもそもこの文章をしたためているマシン自体に先生方の発明がとっくに載せられておりますし・・・。

京大卒で2年間の考古学研究会での考古学研究没頭の時期を経てその後は卒後に旭化成への就職。4つの研究テーマのうち3つは最終的に失敗で、4つ目の研究テーマだったものが今回の受賞の遠因になった研究の取っ掛かりだったとか。

名城大学の先生として講座を受け持って居られるようですが、この名城大学は5年前の物理学賞の赤﨑先生(元名古屋大)も抱えているのです。確か受賞前からですよね?目の付け所が良いですね〜!w

しかも、名城大学が抱えているのはこのお二人だけではありません
あの元NECのカーボン・ナノチューブの飯島先生もおられます!この方も確実にノーベル賞を受賞されるでしょうから、名城所属の先生でノーベル賞を受賞することになる方々は多分間違いなく3人になるはず。

朝のニュースでLIVEでお見かけした吉野先生の様子は実に気さくで洒脱、奥様もこれまたひょうひょうとした感じの一つも偉ぶったところの無い若々しい方でした。

まだまだ受賞のネタになるようなリサーチは日本に沢山残っておりますが、何時まで続くのか?賄賂をもらっても最後の最後まで粘って泰然とし、激烈に糾弾されて総辞職する糞のような役立たず経営者達が居座る多くの企業は数多あっても、リサーチャーはまだ少しはいけそうです。

研究にカネを使わない世界は必ず先細りの運命ですが、日本は果たしてどうなるのか。賄賂で一億円もらってシャーシャーとしている糞共もいれば、ノーベル賞の賞金として1億もらってそれを3分割される偉大な研究者も居る。

玉石混交とはこの事ですな。


2019年10月8日火曜日

げに恐ろしきはサゲマンかな・・・

一人の優秀な先生が或る女にハマりました。

実に有能で仕事は私の10倍早く済ませる人物で、何でも一人でこなす能力があります。
私のような怠け者が「さて、準備でも始めるかな」と思っているような段階で、いきなりやって来て「やっておきました〜」と飄々と終えて去っていくような速度感があります。

勿論、それだけ仕事ができすぎるのでいろいろと仕事の責任を抱え込んであれもこれも一人でやってしまうきらいがある事も有るには有るのですが、それらもやってしまうのは間違いない事実。ただし、その分は物理的に病院に個人の時間を取られる人生を送っています。

この有能な先生なのですが、臨床実務、基礎・臨床研究等には文句ない能力を発揮される一方、どうも女性に関してはからっきし免疫が無かったようでそれが今回、この先生の運命を大きく変えようとしています。

周りから見たら100%この先生がこの女狐/毒女にマインド・コントロールされている状態なのですが、ご本人はそれに気づかず・・・。だからこそ、それを”マインド・コントロール”と呼ぶべきなのでしょう。

周囲の人達も、看護師のみならずすべての先生がその事に気づきつつも誰も気付いていないふりを続けざるを得ません。男女関係の綾に関しては誰も首に鈴をつけきらないのですが、この毒女のマインド・コントロールでこの先生があちこちで暴走しているため、みな本当に当惑しているのですが、あちこちの病棟からその件に関して私の耳に入ってくる度に私は本当に暗い気持ちになります。

この有能な先生の力と名声を奪っていく女狐の事を皆で白眼視しているのですが、それに騙されてしまう先生自身にも初さが有ったということなんでしょうね、結論から言ってしまえば。

女は男の運命を大きく変えることも有るという、よく聞く話を”ネガティブ”な見たくない形で見させられています。
いわゆるサゲマンですね。


2019年10月7日月曜日

ホテルナゴヤキャッスル50周年記念

実は一昨日の10月5日はいつもご招待でお世話になっているホテルナゴヤキャッスルの50周年開業記念日でした。

それに合わせて催されたのが「50th Anniversary Party」でした。
11階で催されたパーティーは本当に50年前のこの日10月5日にこのホテルが開業したのです。車を地下の駐車場に駐めて11階に上がっていくとそこはジャズの演奏されるレストランCROWNに展開された和洋中のすべてが揃った特別の会場でした。しかも、テーブルは奥の方まで満杯。(チケットはアッと言う間に売り切れたそうです。)

この日の料理は本当に凝った物尽しでしたし、ワインもお酒もたくさん揃っていたのですが、残念ながら車で来た私は酒類は飲めません。orz

途中で、現総支配人によるホテルの歴史とこれからやってくる未来の話が語られました。
それによると、まだ現時点ではリノベーションを行うのかそれとも完全に建て替えを行うのか決まっていないとのこと。そもそもWestinとの契約を更新せず独立自尊と言う感じで前に進んでいくことを決めたわけですし、名古屋城を素晴らしい借景としながら名古屋の財界のトップを歓待する居城としての矜持を維持したいのであればその舵取りを決めるのは大変に難しいことでしょう。

また、歴代総料理長の3代にわたる思い出話や苦労話などを伺う機会もありました。これだけのレストランとバンケットを切り盛りするのはやはり並大抵の能力ではない。やっぱり料理人も何かのトップになる人っていうのは違いますね。

地球博でもシェフを勤められた初代の有名料理長。
街ですれ違ったらただの物腰柔らかい優しいおじさんですが、この世界では物凄い実力者です。
これらがずらりと並べられていました。
歌とジャズと料理と景色を楽しむ素敵な50周年記念パーティーを終えた我々は、お土産を持って”我々を招待してくださった方”の家にお礼に向かいました。嫁、息子、娘とともにこの方に謝辞。

この方とも夜の立ち話をさせていただきましたが、”雰囲気”にお金を払う事のできる贅沢に関しては全く同意せざるを得ませんでした。(我々は御招待を受けた側でしたが・・・。)

歳とったらこういう愉しみを持てる人になりたいもんだと感じてしまった我々夫婦でした。(帰りの車の中で久々にこういう事で夫婦の意見が合いました。w)


2019年10月6日日曜日

年老いた両親の変化

今回、叔母の葬儀に参加することで親戚と会うだけでなく親の日常も観察することが出来ました。

短時間ではありましたが、家の中での両親の行動や発言、冷蔵庫の中などを見たりしつつ、数部屋の家の中の飾り物のアレンジの変化の観察、タンスの中の衣服の収納の様子などを観察することで一体両親はまだ二人暮らしを続けても大丈夫なのか否かを考えることが出来ました。

がっくり来たのは数年前から次第に認知能力が低下してきている81歳の母親の日常の習慣です。”年寄りアルアル”を地で行くような行動で、トイレットペーパーの芯を20本ほど自分の部屋に溜め込んでいるのを見ました。また、冷蔵庫の下から二段目の棚にはほぼ全て梅干しだけが詰まっていましたし、冷蔵庫の中にはキャベツが3玉ほど保存されている状態。

これ以外にも、親父によると肉を勝ってきてはまだ食べてもいないのにまた次の肉を買ってきて更にまた買ってくるという感じでもう完全にボケボケ。しかも、嫁さんが行ったときの観察によると玉ねぎの皮まで溜めていたことがあるとの事。

親父が母親に金をもたせて近所のスーパーに買物に活かせると一時間半ほど帰ってこないとの事で、その間に親父はコッソリいろいろ片付けを続けているとのことでしたが、そのようなアクションが無い限りは我が実家は既に汚屋敷になっていたことでしょう。orz

家の中にはやたらと家具やプラスチックケースが積み重なっており、一体老夫婦二人の生活で何がこんなに物が必要で物に埋め尽くされなければならないのか?屋根裏も調べてみましたが、本当にボロ布のような布団まで溜め込んでありました。

本当に親父様々というところですが、親父も呆けるような事があったら・・・。ということがなるべく起こらないことを心の底から祈るばかりです。

老いて人生の終末を迎える人々の中には本当にモノを捨てられない一群の人々がいる事を病院での事例では了解していましたが、いざ我が母親にそれが起きてみると本当にガックリです。きっとこの人達は、物を捨てるイコール自分の人生の欠片を捨て去るというような気持ちになるのでしょうね。

まあ、これから起きるであろういろいろな出来事に備えておかないといけません。その一端として、一回は嫁さんを助手として田舎の家に連れて行って、両親が生きているうちに赤帽を呼んで家の大掃除をしないといけないなと強く決意したのでした。


2019年10月5日土曜日

叔母にサヨウナラ

朝は7時過ぎに眠たい眼をこすりながらのスタートでした。

8時過ぎまでには準備を終えて家族葬の会場へ到着すると、親族が再度集合していました。
昨夜は見なかった新たな懐かしい顔も・・・。

皆が棺に花や花束を入れ、叔母の最後の顔をみてお別れの挨拶。妹たちの中には鼻をすすり最後の別れを呟いている人達が多かったのですが、私は84歳という叔母の年齢と、病院で皆に愛された叔母、そして看護師をしている三人の甥っ子たちに囲まれかつ最後の清拭まで彼女達にしてもらった最後の穏やかな死に私自身も大変な満足を覚えたのでした。

火葬場に皆で向かったのですが、火葬のスイッチを入れた後は待ち時間に精進料理を食べて暫くしたところで私自身は再び名古屋に向かわなければなりませんでしたので、そのまま叔父に送ってもらい同乗した父とともに飛行場へ向かいました。

またの再会を約し、すぐに車を降りて別れの挨拶をすると私自身は飛行場の中で名古屋向けの(病院やいつもお世話になっている知人向けの)お土産を大量に購入してさっさとボーディングを済ませてしまいました。

何だか最近は田舎に帰るといっても親族の葬式ばかりですが、これも両親の兄弟親族が皆高齢化し80歳前後に固まっている次期なので当たり前といえば当たり前の状況。
これからも残念ではありますが、こうやってさようならを言うために集うことがまだこれから十年前後にわたって続いていくことでしょう。

しかし、それもこれも(可能であれば)順番にお別れを言うための大切な儀式。

私にとってみれば物理的にこの世からは消えてしまった人々も、私の脳裏の中には声も姿もまるでそこにおわしますかのように残っている限りはまさに生きているのと同じこと。
私が死んでも、私の声と姿と話した内容を覚えてくれている人々がいる限り私も人の脳内で化学反応の結晶として生きていられるのかもしれません。(^^)


2019年10月4日金曜日

アメリカの頃の大学院生が名古屋に来ました

結局、それから直ちに起こした行動は葬儀のためにストレートに田舎に帰るチケットを探すこと。

そもそも田舎に帰るだけの職務上の余裕が有るのか無いのかという点の最終確認も大切です。しかしですね、実は今日はもとよりもう一つ重要なミーティングがあったのです!
それはアメリカにいた頃に教えていたギリシャ系アメリカ人の大学院生の教え子が、大阪から東京へ移動する間に名古屋へ立ち寄って私に会いたいと連絡をとってきたのでした。

そもそも、NYで知り合った韓国系アメリカ人とリッチモンドで知り合った大学時代の彼の友人、それと海兵隊の友達とアメリカから韓国に一旦遊びに行って、その後日本を体験しようと海兵隊の友人以外の三人が大阪から日本に入国してきたのがその日本国内観光コースです。

まずは病院の予定としては午前の外来診察。その後はとりあえず前々から問題となっていた病院内の幾つかのインシデントをどうするか手短に決めるという事案があったのです。
とりあえず、チケットを探すことを家にいる嫁さんに一任して診療開始。今日は幸い難しい判断を連続で要求されるような事案も無く早めに終了。更に難題となっていた幾つかの案件に関しては半分は解決、残りは来週ということになりました。

その間にも嫁さんからは連絡が入りチケットが取れたとのこと、夕方の便で田舎に帰り翌日の昼の便で名古屋に戻るというものです。

スコッと車に乗り込み名駅へ。いい感じでちょうど名古屋に着いた連中をピックアップすることが出来ました。すぐに予定していた金シャチ横丁へと三人を誘います。思い出話や近況の報告、トランプを含む下らない日米の話、ムン・ジェインを絡めた日韓関係の話などをしながら久し振りに英語での会話で大盛りあがりでした。

結局、金シャチでは矢場とんの草鞋ダブルカツのオーダーとと日本酒を飲んでもらうことになりました。(私自身は既に医局会で少し腹が満ちていましたので、野菜サラダのみ。)ここでもいろいろな話で大盛り上がりで、楽しい時間を過ごしました。
飲み食いが終わった後は、改修のために現在は立入禁止になっている名古屋城ですが、周辺から写真を撮ることで終了。その他には新築公開の本丸御殿も見せることが出来ました。

旧交を温め、別れを惜しみながら名駅に彼らを送り出したのは本当に飛行機の出発時間の一時間半前。駅から都市高速に乗って変な事故渋滞さえなければギリギリで間に合うはずですが・・・。

とりあえず、セントレアには嫁さん経由でその可能性があることをカウンターに伝えてもらうことにしておいて、淡々と制限速度を守ってアプローチすると幸いにして間に合いそうでしたが、駐車場からダッシュ!息を切らして到着した所で、アテンダントのキレイな女性から「間に合います、大丈夫ですよ〜!」と言われ一安心。

少しだけ時間が出来ましたので、親戚一同にお土産を買い込んでさっさとゲートを潜りました。とりあえずプレミアム・シートしか残っていなかったので最前列に座っていると、CAの方がわざわざ挨拶に来てくださった挙げ句、飲み物もアルコール選び放題、かつうなぎの入った(美味くはなかったけど・・・w)弁当が出ました。
1000円程度の差?でこれなら、一人での移動はこれもありかも知れません。

とりあえず、食べたり飲んだりしているうちにアッと言う間に田舎の飛行場に到着。母親の弟がわざわざ出迎えに来てくれていました。大変ありがたいことでした。そのまま実家へ連れて行ってもらい、親父と母も同乗して家族葬の行われる近所の会場に行きました。

棺の中に入っていた叔母は小さく痩せこけていましたが、鼻咽頭癌のあった叔母の鼻は少しだけ腫脹している程度で、それも大きくは目立たず。

何よりもこの様な瞬間には親族一同が集まります。久方に私の顔を見た親族の多くは若い頃の親父にソックリだと言って大笑い。私も遺伝子の恐ろしさに苦笑い。
夜の10時過ぎまで皆で亡くなった叔母さんの思い出話に花が咲きました。やっぱり遠慮ない血縁というのはなかなか良いですね。

その後、明日の出棺までは家に帰って過ごすことにしましたが、夜は夜で母親の妹と母が何時までも何時までも大声で話し続けてよく眠れませんでした・・・。


2019年10月3日木曜日

不思議な夢と叔母の死

朝のことでした。

夢の中に私がいました。九州の田舎、しかもとうの昔に死んでいる筈の母方の婆さんの家で何故か(子供でもない)私がお留守番をしていると、中学校の頃の技術家庭科の先生が宅急便屋さんとして何かの荷物を持ってきています。

婆さんは何もせずにじっと私とその宅急便の先生をジッと見ているだけなのですが、先生が私に質問をしてきました。「おい、XX!お前自分の家の住所を言ってみろ。」なにか怒っていますが私は素直に「え〜、AA,BB,CC・・・」最後の4桁の番地が言えません。

それを二度ほど繰り返しているうちに諦めてそのまま寝入った直後の事でした。
嫁さんが慌てたようにベッドルームに走り込んできて、自分の電話を私に持ってきながら「お母さんのお姉さんが亡くなったって!」と言って私の耳に電話を当ててきました。

中咽頭癌と認知症を患っていた叔母が余命僅かだと数ヶ月前に父親からは聞いていたのですが、まさかそれが今日になるとは。
しかしながら、叔母の日常の世話をしてくれていたソーシャルワーカーの従妹の話によると、最後まで苦しみも譫妄もなく、病院のケアテイカー達に愛されながら最後を看取られたとのこと。麻薬さえ使う必要が無かったとのこと。

直ちに考えたのは、さっき見た夢は一体何だったのかという事。
私は基本的に怪力乱神の類は全く信じていない人ですので、その電話の直前にそういった夢を見たことが偶然にしてはなんとなく腑に落ちませんでした。

虫の知らせって奴はこんなものなんでしょうかね?
とは言え、叔母は私の家の住所は勿論、この20年ほど会っていなかったのですが。うーん、やっぱり偶然でしょうかね・・・。


2019年10月2日水曜日

病院に嵐が近づいている?

突然だったのですが、ある情報がある人物より飛び込んできました。

それによると病院の看護部長(御年X十歳)という方が、十年を超えるその職を辞し、病院を去るというのです。
私にとってはこの人物が看護部長になった経緯はあまり詳しく知らないのですが、なって以降の仕事ぶりは実際に関わってきただけにかなり理解しているつもりです。

実際の所、実務能力云々という前に年齢が高すぎて、現在進行系で進んでいる眼の前の進行中の問題に対する即時的解決能力が著しく劣っていたため、他の師長さん達がかなりの不利益を被っていたことは知っておりました。

とは言え、そのようなことに口出しをすべき立場の人間でもなく、興味もなかったので自分の仕事を淡々とこなしながら、内心では「そろそろ次世代にバトンを渡すべき時期じゃないんかい?」くらいに考えていました。

それが今回の突然の辞意表明。なにか思うことが有ったのでしょうか、それとも上部の指揮系統から肩叩きが有ったのでしょうか。その手のことは私にはわかりませんが、何か有ったということでしょうね〜。

院内ではアッと言う間に影で根も葉もない噂や誰が出し始めたかもわからない憶測がバックヤード沿いに走り回り始めたようですが、みんなこの手のイベントには敏感ですね。
果たして次の看護部長は師長達の中から選ばれるのかそれとも外からポーンと誰か優秀な人を連れてくるのか?いろいろな病院でいろいろなパターンがありますが、個々の病院ではどうなるんでしょうかね。

この手のことに鈍感な人間なので、派閥力学というものの存在を実感したことはありませんが、きっと見えないところに見えない力が働いているのでしょうが。
私はまあ、関係のない人間ですから単純に起きた結果を粛々と受け入れるしか無いのでしょうね。


2019年10月1日火曜日

消費税増税

さてさてどこまで上がるのやら。

最初は3%で猛反対、次は5%更には8%と次第に上がってきた消費税のパーセンテージですが、今日から遂に10%と相成りました。

100円の物買ってもその差は知れています。私が50円玉や100円玉を握りしめて店先で呻吟していた思い出がありますので、自分がもし子供の頃だったら、巨大というか痛い差だったと間違いなく思うのですが、おとなになった今ではそこまで痛さは感じません。

とりあえず、この記事を読んでみると日本における消費税の導入とその引き上げは当時の与党をして選挙で惨敗、苦杯を飲まされ辛酸を舐めさせられた総理大臣達の死屍累々たる歴史でもあります。

そう言えば、売上税だの国民福祉税だのというような呼び名を変えるだけという小手先いじりで何とか国民を騙して導入失敗から逃げようとしてきた歴史が有ったな〜というのを今更ながら思い出しました。

今回もキャッシュレス決済で期間限定の還元を行うことで云々などという様なまさに羊頭狗肉そのものの施策で、国民の心理的・経済的疼痛緩和を狙ってきていますが、これは政権が強いからこそ実行できた政策であって、まさに”安倍ちゃんの勝利!”そのものであります。w

まあ、世界の消費税・付加価値税等の適用パーセンテージが20%何ていう国もありますから、日本も一体どこまで上がるんじゃろう?という気がしますが、必ず連中は無策のツケを税の増額でなんとかしてくるはず、というか間違いないでしょう。10%も必ずや単なる通過点であるはずです。

正直、今回の増税で消費動向がどうなるのかというのは私ごとき外野の人間には全く予想もつかないのですが、100万の車を買った時に10万を払う、300万で30万、500万で50万というのは(8%のときとの差は実はわずかにしても!)心理的にはかなり大きな数字のような気がします。

それにしても、TVで流れていた増税前の家庭用品大量買い込みの人達って逆にカネに余裕があるんでしょうか?私なら買う量を更に減らす方向にのみ動くような気がします。