2020年8月31日月曜日

トレーニング継続の成果

やはり何事も続けるものだと感じます。

現時点では特にダイエットが全ての目的というわけでもなく、アメリカの大学で仕事帰りに「ジムに行っていた頃の気持ち良さ」を味わおうとして日本で始めたエルゴ・メータを使ってのrowingが、かなり良い感じになってきました。

最初の頃は何のかんの言っても、2000メートルを何回か繰り返すと息が劇的にあがってしまい、自分の呼吸では酸素が吸えなくなるんじゃないかと言うほどの息切れ感に襲われていた最初の1-2ヶ月でしたが、次第次第に「明確に」息が続くようになってきて、より速い速度、より強い強度でrowingを継続しても取り敢えずは最終ゴールまで途切れずに漕ぎ続けることが出来るようになってきました。

最初は1000や2000メートルにインターバルを長めに入れて精々5キロや6キロ漕げば「今日はお終い!」と言うくらい疲れていたのですが、そのうちインターバルを入れて8キロ、やがては同様にして10キロくらいまでは漕げるようになってきました。それでも最初のうちは次の新たな目標に到達する度に新たな苦しさの地平線が見えてきて、ズッとそれなりの肉体的・精神的な苦痛が存在しましたが、その次のステップに思い切って足を踏み入れ始めた現在、体重なんかは殆ど何も落ちることはないのですが、それほど強い疲れが残る事もなく10キロを容易に漕ぎ終わるようになってきました。

10キロのrowingというのは、私の体格や年齢レベルだと45分はとても切れない程度。楽に漕ごうと思えば50分を切っておけばイイやなんて言う状態で漕ぎ続けることになります。一分間早くこごうとすること自体が実は物凄い努力を要する差でして、全体で2%速くしようとすれば結構な努力を、全体で5%ほど速くしようとすれば必死の努力を、10%速くしようとすれば死ぬ覚悟で漕がないとなりません。

ですから、同じ様な体格と年齢の人が同じ程度の疲労度で自分より10%速く漕げているとすれば、その二人の人物の間の心肺能力の差は「相当」の差だという様に考えて全く問題無いと思います。

この前久しぶりに見たカナダのオリンピック・ゴールドメダリストのエルゴの記録を見た時に、そのディスプレイに示されていた数値を見て「これは怪物!家族の命がかかっていても勝てんな。w」と思ったものです。

とは言え、こういったトレーニングはあくまで自分のベースラインからどれだけ進歩が見られたかということが大事。究極の怠け者の自分のような人間こそが、淡々とこういった事を続けていくべきだと思っています。

怠け者にこそスケジューリングによる強制的な習慣付けを!というのがオジサンが歳を食ってから得た人生の大切な教訓です。怠け者は怠ける理由を考えようとするうちに怠けてしまいます。その前に強制的な習慣づけ。これほんまにオススメですよ!


2020年8月30日日曜日

ポジションが人を作るのか、それとも・・・

もうすぐ自分の仕事上のポジションが一つ上がります。

上司の先生が非常勤になって外の施設に移動していかれるという単純なスライドの為なのですが、別に私が意欲を持ってそのポジションをせねばならないという状況ではなく、成り行き上自分がせざるを得ないだろうというものです。

そういう意味では、ポジションというのを狙っていわゆる「上の職位」に上る人というのを何時も不思議な感じで眺めるのです。例えば私にとっては大学におけるプロフェッサーシップというのは、良い研究をして何度も繰り返し研究予算を獲得していけば自然と職位就任のリクエストは周囲からやって来るものという考えの人です。

そういう意味では、私が一番驚いたのはNIHにやってきた時に聞いたある先生が個人的なお話として、当時「X歳までに助手になって、Y歳までに助教授になって、Z歳までに教授になる!」という計画を開陳された時でした。その時は内心本当に驚いて、「世の中にはこんなに計画的に自分の人生を生きる人物がおるんだ!!」と、(その内容の善し悪しは別としてw)その人の人生計画の歯車の進め方に驚いたものです。

それに比べて己の人生における計画性の無さ、成り行き任せで人生を愉しんでいる己の有り様を対比させた時「俺って駄目だな-」と我ながら己の能天気ぶりに呆れ慄(おのの)いたものです。w 

しかし、その後の流れを考えてみてもやはり自分にはポジションを狙って仕事をしていく意味が何も見いだせず、結果として研究職でそういうポジションは得ましたが、やはり今の医療職に戻ってからの自分も、正直なところ「問われたから」今の職位に就いて、「問われたから」今の責任を果たしているというのが本当のところです。

誰の言葉だったか忘れましたが、「能力には金銭で報いよ、人徳には位冠を与えよ」とか言う感じの言葉があったような気がしてネットで改めて調べてみると「功には禄を、徳には地位を」或いは「功には禄を、能には職を」と言うのがおおそうで、最初の言葉は西郷どん、次のは家康とか。功も徳も能も無い私には正直何もなくて「低」責任状態で病院の中を己の仕事だけして歩き回るというのが一番あっている気もするのですが、これも歳をとってきたということの間接表現の一つ何でしょう。

とは言え、よっぽどの事がない限り人というのは与えられた職務や義務を淡々とこなせるだけの準備と能力さえあれば時間の経過とともに「それなり」の人になっていくものですが、やはりそうなるためには最低限の素地と準備というものが無ければ無理だと思います。結局そうやって位階を与えられることで、その人は試されるという訳でして面白いゲームだという気もします。CEO、CFO、President、Professor、Manager、General、Captain・・・仕事と呼び名は無数にあれど、結局その職をこなせない人間は厚顔無恥でもない限りそのポジションを去るのが妥当。そういう意味では何歳になっても挑戦は続きます。

さて、最初の方の話しに戻りますが果たして、今頃あの「Z歳までに教授になる!」と宣言されていた先生は上手くその計画を実行成就されたのでしょうか?取り敢えずは面倒なので調べる気も有りませんし、これまた興味もありませんが、一体全体人生計画の中で予期せぬインシデントやイベントが万一発生した時には彼はどう考えのベクトルを変えていったのか、寧ろそちらのほうが知りたいな~という気が強くします。

挫折すること無く順調に成功されておられれば何よりです。(^^)


2020年8月29日土曜日

多剤併用の害悪

害悪とまで書きましたが間違いなく害悪です。

表現がキツイとかいうレベルではなくて間違いなくたくさんの薬を服用すればするほど確実に種々の副作用が体に起きてくるリスクが増えてきます。東大のリサーチでは6種類を超えての薬剤の服用による副作用のリスクが特に上昇するような報告があり、5種までとは違い、10%以上の副作用発生があるとのこと。

加齢に伴う腎機能、肝機能などの低下と共にいわゆる代謝速度は落ち続け、薬は体に滞留しやすくなりますが、そこを考慮しないドクターの処方が集まると、その高齢者を本当に巨大なリスクの中に投げ込んでしまうのです。

また、実際の医療現場では1人の患者さんに6種類どころではない薬剤が投与されてしまうことが頻繁に発生してしまいます。特に高齢者!あちらの病院こちらの病院、それぞれ幾つかのの科をまたいでの少しずつの投薬が重なると二桁投薬も全く稀では有りません。

その状態で持ち込み薬としてそのお爺さんお婆さんが持ち込んだ薬をレビューすると、殆ど薬の錠剤と粉末だけで「食事」の様になってしまっている人も嫌になるほど毎回みております。これをなんとか出来ないかということで始められたのが皆さんよくご存知のお薬手帳ですし、厚生労働省も投薬数を減らすことに対してインセンティブを出すという方向性を打ち出しております。(ゾロ薬の奨励とはまた別。)

それでも、更に多剤併用のリスクは別の部分にも隠れています。それは中高年の皆様がよく服用していると思しき怪しげなサプリ。いろいろな会社からまさにいろいろと怪しげなサプリが薬事法の網の目から漏れてるでしょうという感じで種々の効能を謳って患者さんのこっそり持ち込み薬リストに入ってきています。

そしてこのサプリについては全く医師側に話をしない人がごく普通。後になってひょこっと入院時のベッドの脇においているのを見つかってバツが悪そうに言い訳をしたり、お亡くなりになった後の荷物整理で大量の怪しげな薬が見つかるというようなこともこれまた我々の日常です。

当方からの投薬と完全にバッティングするようなサプリや、他のお医者さんから貰った薬を報告なしに律儀に服み続けている人。本当に投薬の治療効果の判定を不明なものにしてしまうことがあるので、止めていただきたいというのが本音なのですが、これは多分永遠に無くなることはないでしょう。

また、高齢者の中には薬を沢山出さない医者は「ヤブ医者」という人も普通に居られまして、この手の人達を説得するのも大変骨が折れる時があります。この話はまたきっと別の機会に書くことが来ると思いますが、「薬に大して金がかからない」という日本の高齢者に手厚い保険制度は爺さん婆さんのこういった変な宗教観を醸成するのに確実に大きな素地となっている気がします。

課金料を上げれば間違いなく高齢者達はもっと慎重に薬のことを考えてくれるようになるともうんですが・・・政治家がこれ言うと落選するから、減剤の実現は厚労省が病院と医師を脅す形式になってくることでしょう。w

私個人としては一人の医師が一人の患者に25種類の投薬をしているのを見たことがありますが、申し訳ないけどその医師自身が「キチガイ」だと思いました。錬金術師でもあるまいに・・・世の中には科学の「か」の字もござらん方はおるようです。


2020年8月28日金曜日

安倍総理の辞任に思う

28日の総理大臣辞任意向表明。

本人としては無念の一言だと思います。総理としての歴代最長就任期間を更新したばかりでの辞任なんて誰が想像したことでしょう。基本的に対北朝鮮政策で強い意欲をもって政局に臨んだにもかかわらず記憶に残る進歩は残念ながら無し。小泉純一郎の劇的な一歩に比べれば、笛は吹けども的な状況で、青バッジを常に胸につけているのだけが記憶に残りそうです。

辞任の理由は潰瘍性大腸炎。医師にとっては消化器系疾患の病気の中では国家試験のヤマ中のヤマとなる疾患の一つで、クローン病と対比する形で種々の病態を細かく記憶していくことが必要となる最重要項目の一つです。

トキシック・メガ・コロンや高い癌化のリスク、周期性の症状の悪化と寛解、症状悪化時の出血と貧血、波状に押し寄せる強い便意などは個人の生活をぶち壊すには十分に破壊的な病気で、場合によっては大腸全摘なども行わなければならない難病です。

私が学部学生だった頃は疫学や病理学的側面に関しては詳述されるものの、その原因と治療法に関しては不明もしくは対症的なものばかりでしたが、今はどうかと現在の教科書を調べてみてもやはり推測される原因に関してはその観察と推測に深まりと広がりは出ているものの、根本的なものには未だ到達できていません。

病気というのはなった人間にしか解らないということは何度もこのブログで書いてきましたが、この辞任を決意させるだけの酷い病状であったことは十分に推測できるだけに、本人が同じ病気で二回目の辞任を表明せざるを得ないという「絶対に」したくなかったであろう形での辞意表明はどれほど無念だったかは想像して未だ余ります。記述によれば初発はどうやら中学生の頃からだったようで、何十年も検査、カメラ、治療を行いつつの人生を歩んできたようです。

任期最後に近づくにつれそのバカ婦人の御乱行とともにどうしようもなくなって来ていた「政策の崩壊」は別として、こういう形での突然の終了は気の毒の一言です。今回の辞任の件で宮城の立憲民主党の某石垣とかいう女性議員の発言が大炎上しているようですが、政策は政策、病気は病気。人を呪わば穴二つといいます。

さて、これで次の話は次期総裁。三人の名前が出ているとのことですが、私が実物として見たことがあるのはボストンに外務大臣としてきていた時に日本人科学者の小会合に顔を見せてくれた時の岸田さんだけです。

誰がなるかは近々決まるのでしょうが、現実としては菅さんか岸田さんしか居ないような気がします。


2020年8月27日木曜日

親父の誕生日に思い出す父親としての若い頃

親父が82回目の誕生日を迎えました。

母親と同じ寅年生まれです。若い頃は恐ろしいほど短気で、母親と常にぶつかり合って子供心に「早くこんな家出て一人で暮らしたい」と考えるばかりでしたし、「何で何時も二人で罵り合っているのか」小学生の私には全く訳がわからず子供ながらに本来は考えなくて良いような小難しい人間関係とは何なのかというようなことを考える毎日でした。

小学校低学年のときはいつもいつも特定の変な夢ばかり見ていました。まあ、話しても「なにそれ?」の一言で終了となってしまうような夢なのですが、海全体が一本の細~い糸で持ち上げられてる景色が目の前に広がっているんですね、その上でその細い糸の上に乗っている海の波頭が砕けそうになりつつも、ずっと砕けずにゴーッと音を出しながら砕ける直前のサーフィンのビッグウェーブが空間に浮いているというもの。

しかも、その夢を見ていると(夢の中で)耳の中でキーンという音が聞こえてきてやがてそれに耐えられなくなってしまう自分はいつの間にやら本当に眠ってしまって、部屋で朝まで目が覚めないという状態になるんですね。

夢占いなんて言うのは全くわからない私ですし信じもしませんけど、家にいることが楽しい小学生時代でなかったことは確かです。中学生になってからはある時に親が喧嘩を始めたら「うるせーーーーーーーーーーーー!」と一喝して両親の喧嘩を瞬間的に止めてしまって以来、親との関係が何だか変わってしまったという瞬間を感じたことがありましたね。

あの頃の怒って怒鳴ってばかりで、気に食わないことがあったり私がミスをする度にビンタで頭全体や横っ面を弾くようなメチャクチャをする、完全に「どうしようもない」暴力的な親父でしたが、歳を加えるにつれてどんどんどんどん角が取れて丸くなってしまい、母親がメチャクチャのことを言ってもしても、怒りはするものの結局その母親を優しく手伝うような、これまた「どうしちゃったの?」みたいな変化を遂げてしまいました。

最近では私に笑いながらLINEで愚痴ります。「俺の計画じゃ、俺が年取ったらお母さんに世話してもらうはずやったんじゃけど、なんか俺が世話してばっかりじゃわ~w」という感じ。

82歳にもなって、毎日毎日家の掃除と母親の世話、家の整理整頓に精を出す親父。この前LINEに「自分が動ける間は誰にも迷惑かけずに頑張っていきますので安心してください」とのカッコいい台詞。

人って変わるもんですね。w 最近は、いつまでも健康で長生きしてもらいたいなと本当に心の底から思うようになりました。健康って大事です。


2020年8月26日水曜日

偶発的軍事衝突は有り得る・・・?

今や世界一の赤い帝国主義者となったレッド・チャイナ。

九段線などというオラが中国以外は誰もその存在を認めない勝手な国境線を海の上に線引してここからここまでがオラが国といいはるジャイアンのような嫌われ者。西の果てではインドと永遠の小競り合い。しかも今回は人工衛星でしっかり中国側が準備して越境したことがバレバレ。

人の庭先で生えているタケノコをオラの家から伸びているから差し出せ。という感じに近い線引かな。
これ、中国人自身でも「いや、これは流石にちょっと無理筋~」
と言いたくなるような線引でしょうね。w

海洋上での訳のわからぬ行動を世界の警察アメリカがビシッと諌めること無く長年放置してきたツケがこうやって表に害悪としてガッツリ表面化してきたこの10年です。習という男は内憂を晴らすために必ず外的を作ってアホを中心として愛国心を煽り支持率をなんとか維持しようとしてきた輩ですが、アメリカが本気になって中国という国の膨張をあらゆる形で封じ込めようとする努力をやり始めたのが実に気になるところ。

この構図というのは80年ほど前の大日本帝国対アメリカの動きに本当にそっくり。違うのは対立している国が違うことと、当時の日本以上に全方位にわたって周辺国の全てから嫌われているということでしょうか。

自分の国内で吠える程度の屁理屈しか無くて、それを真剣に国威高揚のためでしょうか?国内向けの宣伝用に使うのですが、対外的には聞いてびっくり読んでびっくりのキチガイ理論ばかり。「あんた頭おかしいでしょ?w」というおとぎ話のような理論が次々と出てきます。

トラック運転手でも、人間でもそうですが、その図体が大きくなると多くの場合自分は力があって己の力を誇示する当然の権利があるかのような動きや発言をしがちですが、人間の知恵ある生活に於いて、その正当性はsize does NOT matterというのは人間ならば誰もが常識として理解しているもの。

図体と人口が多いとやっぱり意見が通ると思ってるんでしょうかね。そもそも、こんな国が国連で常任理事国してるっていう段階で国連の正当性なんて紙屑同様だなっていうのが理解できるっていうもんですが。w

しかし、最近立て続けに行われている東シナ海、南シナ海、その他の環礁におけるアメリカと中国、そして台湾などの演習という名の鍔迫り合いは例えそれが演習であってもその中で極一部でもその緊張感に耐えられない、もしくはその一瞬を利用して策謀を演出しようとする一部の連中の動き次第ではトンキン湾事件のような事が起きないとも限りません。

トランプの大統領選での勝敗次第では、この結果に大きな差が出るような気がしてなりません。何れにしても、このままアメリカが本気で多面的に中国を追い込み続けるとどうなるか、非常なる緊迫感を持って見ておく必要があるかと思います。

中国はいわゆるお隣の半島以上のメンツ大国ですから、容易なことでは白旗は掲げんでしょうしね。


2020年8月25日火曜日

平凡でも最後まで見事な人生

今日、あるお婆さんが亡くなられました。90代半ばの方とだけ記しておきます。

もともとは、バイト先の訪問診療で偶々わたしに割り当てられたお婆さんでしたが、多分一生忘れる事の出来ない出会いとなりました。一年ちょっと前の初夏の頃に脱水や加齢で大変体が弱った状態で御家族が訪問診療を依頼され、もしかしたら早くに亡くなってしまうかもわからないけれども、最後の瞬間まで診療と投薬、そして見守りを一緒に手伝っていただきたいとの依頼でした。

最初に訪れた時点でかなり弱って居られて、昨年の秋の時点で一番仲の良かったお孫さんの結婚式になんとかお婆さんが生きていてくれていたら・・・等と心優しい御家族、特にお嫁さんに毎日見守られながら日々をベッドの上で過ごされておりました。

大変芯の強い方で、可能な限りその弱った足を使ってでもリビングの方へと出てこられて御飯を食べようとしたり、おトイレにも可能であれば自分で行きたがるような方でした。このお婆さんの口癖は「ありがとう」というもので、私が何時行っても、どんな事をしてもこの言葉を私や手伝いに行ってくれた看護師さんに雨あられと投げかけてくださり、その行為への感謝を口にされる方でした。常に我々のほうが恐縮してしまうことしきり。

御家族にお話を伺うと、もともとは小さな頃に家を出され継母のもとで育てられた方だったとのことですが、その継母が大変立派にこのお婆さんを育てられたとのことで、その後しっかりとした家庭を築かれ、お婆さん自身をしっかりと守り包むような立派な息子さんご夫婦と、優しいお孫さん達に囲まれて人生最後の日々を送って居られました。

そんな中、時々レスパイトで御家族から離れて病院に入る時などは、看護記録を調べてみると「家に帰りたい、家に帰りたい・・・」と毎日嘆くような様子でしたので、この夏に入って愈々体力が落ち、摂食が出来なくなってきた時点で、家族としてどうお婆さんの最後と向き合うかということに関して一時間ほど居宅訪問でお話をして、このコロナの時期に於いてお婆さんの最後の瞬間に向き合うチャンスを大きく減らして病院に入院してもらうのか、家でその息を引き取る瞬間に皆で向き合う可能性を増やすのかということをいろいろなシミュレーションを「仮にこうであったら・・・」という例え話を幾つか考えてみた上でお話をしたところ、家族としては少し大変かもしれないけれど家で看取ってあげたいということになりました。

息子さんもその奥様も、最も愛されているお孫さんも同意見。結局、お婆さんは家族の愛情一杯の手厚いケアと訪問看護、そして訪問診療のバックアップを受け見事な最後を迎えられました。

その場に居合わせあお孫さんに伺うと最後のほんの数分間だけ「苦しい」と言ってベッドの作を掴まれたらしいのですが、その直後に眠るように亡くなられたとのこと。我々が死亡確認に伺わせていただいた時には未だ体は温かいままでした。

実は、私の行っているこの病院でも訪問看護師の皆さんが全員このお婆さんのことを気にかけていました。それはこのお婆さんが最も気に入って居られた、この「昨年結婚された」お孫さんが、本当はこのお婆さんが亡くなられることになってしまった「今日」という日がそもそもは初曾孫の誕生予定日だったからなのでした。

御家族は「お婆さんが今日までこの娘とその赤ちゃんを見守ってくれたんだね。」と言って、目を真っ赤にされておりましたが、私も正にその通りだと強く同意せざるを得ませんでした。

これほどまでに淡々と、しかし強く立派な一族を作り上げた立派なお婆さん。社会的には全く外に知られることもない市井の方でしたが、大正・昭和・平成・令和と4つの時代を駆け抜けたこの小さなお婆さんには、如何なる勲章も及ばない形のないメダルが家族からお婆さんに贈られたなと思いました。

御家族も「これでもう安心。お婆ちゃんが出産の守り神になってくれたよ。」と言って強く頷かれていたのが印象的でした。その時、お婆さんの魂は初曾孫の中に移り変わって生きていくのではないだろうか?と科学とは無縁のことをふと考えてしまった私でした。


2020年8月24日月曜日

書類の山で逝きそうw

何と申しますか・・・。

今の時代コンプライアンスやIC(インフォームド・コンセント)やその他の処置前の同意書類に加えて、紹介先医師に対する診療情報提供書その他の書類を毎日毎日大量に作成しなければなければならず、一体全体どうなっとるんだという怒りがたまに湧き上がってきます。

その多くは時代の流れに合わせた「裁判対策」用の言い訳書類だと私は個人的に思っていますが、本当にこんなに沢山の「言い訳書類」を毎日毎日たくさん書かなければならない時代になって、患者さん自身の顔を見て治療やお話をする時間自身が削られていくのが腹が立ってしょうがありません。

実際のところ、処置前に一体何をされるのか不安でしょうからそれらの処置に関して通り一遍のフラットな記述を患者さんに読んで貰うというのは大切な行為だとは思うのですが、それも一日10通、20通ともなってくると「俺は何をさせられとるんだ?」と心のなかでは愚痴の一つも出てきます。

更には保険診療を間違いなく通すための患者さんの転退院時の書類もどこの暇人が考えたのか訳のわからん項目を毎度毎度垣間させられて辟易・・・というところです。

しかし、こういった行為の積み重ねが一枚発行毎に2500円となる診療情報提供書だったり、保険を請求する時の根拠だったり、審査が入った時の立派な言い訳証明書となっていくわけですから、病院としてはとても疎かにすることは出来ません。ハイ、重々解っております!w

後忘れてましたけど、患者さんのご家族から時々何種類もの保険請求書類を書いてくださいと突然書類を渡されることが多いですね~。この書類書く時には多くの場合、前医、前前医での診療の状況等も記入しなければならず、事務の手も煩わせることになるんですけど、これはこれで患者さんとそのご家族の経済的負担を減らすための大事な書類ですからきちんと書かなければなりません。

あと、今の時期はどうしても保健所に対する結核や感染症などの公衆衛生上の必要書類を作成するのも結構大変ですね。やっぱりこれも、公衆衛生の統計作成や大事な基礎データとなって国家の医療行政の方向づけをなすものですから大事。

こんな事思い出しとったらキリが無い!というほどまだまだ他にも書き込む書類があるんですが、よう考えんでも上に書いた書類なんていつも準備している書類のごく一部でした。w

斯くして医師はカルテ以外にも多くの書き物をしているという話でした。愚痴ってすみません、ハイ。


2020年8月23日日曜日

No attack No chance / 偉大な男・佐藤琢磨と糞コメント

素晴らしいレース運びでした。

実に彼らしい「頭脳派らしい」落ち着いたレース。日本人として初めてインディ500を初めて制した2017に続き四年で三度目のベスト3でしたが、今回は二度目の優勝。このレースを二度以上、即ちマルチ・ウィナーとなったのはこの世界3大レースの中でたったの20人。

他の多くのレースではF1も含め数年間の間に有名ドライバー達がマルチ・ウィナーとなっているレースは沢山有りますが、このレースでは1911年からの一世紀以上の長い歴史の中でたったの20人。その数字が以下にこのレースを制することが難しいのかを示している直接的な証拠です。

歴代の運営チーム名、優勝ドライバー達の名前をじっと眺めるだけで、アメリカのレース会の変遷を一覧できるほどの綺羅びやかなテーブルが見られます。スピード命のアメリカ人にとってインディ500の勝者というのはヒーローそのもの。

2012年の佐藤の最終ラップでのクラッシュもアメリカ人の闘魂を熱く滾らせた偉大な戦いでした。(知らない方は調べてね!)

平均時速が如何なるレースよりもとてつもなく速く、F1の最高速度よりも速く、ほんのちょっとしたハンドリング・ミスで超高速で壁にぶつかり空に舞い上がってしまう。多くのドライバーがインディ500の中で亡くなっていますが、この世界3大レースでの勝利者として栄えあるミルクを飲むために命がけで戦います。非常に特殊な、頭を使う、見るからに神経を擦り減らすであろう耐久レースです。

レースのことを何にも知らないド素人がこのレースを観て良く口にするのが「同じ所をグルグル回るだけ」の単調なレース等と正にこのレースの繊細さと難しさを何も知らないド素人丸出しの「激恥ずコメント」でレース後の感想をネットに書き込んで恥を撒き散らしていますが、毎年必ずこの手の輩は次から次へとネット上に湧いてきます。ホント。orz

世界3大レース(モナコ、ルマン、インディ500)の勝者となった佐藤琢磨の二度目の勝利を知った後、ニュース欄のコメントに「F1の負け組が勝つこのレースのレベルが分かるw」とか、人の勝利を素直に喜べない捻くれてしみったれたその卑しいコメントに同じ日本人として恥ずかしい限りですが、どういう奴がこんな負け犬根性丸出しの発言をするのか本当に理解できません。まさに糞コメントです。書くだけで周りの人間の気分を不快にする、何と言うか本人としては釣りのつもりなのか、上から目線なのか知りませんが同じ日本語を理解する人間として寂しい限りです。

プロに対するrespectというものが少しも感じられないこの手の人間というのは実生活でも茶坊主のような事を人に対して発するのでしょうねきっと。自分がやって出来ない事を出来る人に対して「ナゼ」尊敬の心を持つことが出来ないのか。己の心根の卑しさ丸出しのコメントを人目に晒すような恥っ晒しなことだけはしたくないものです。


2020年8月22日土曜日

窒息アワー

変なタイトルと思われるかもしれませんが、私にとってはほぼ一日三度、一年中毎日のように向き合っている日常です。

病院では当然のように摂食可能な患者さん達に食事が提供されています。多くの方は食べる速度や一度に口に運ぶ量の差、ムセの有無等にバラツキがあるとは言えほぼ毎日何の問題もなく食べることが出来ます。

食事の介助が必要な高齢者や脳血管障害者の方でも部分介助や全介助という形で誤嚥に気をつけながら、多くのスタッフさん達が丁寧な食事介助に入ってくれます。少なくとも私の勤めている病院では高齢者の食事介助を行う中で、高齢者やその他の障害による嚥下能力に問題が有る方の窒息というのは幸いにしてほぼ皆無で、数百人の入院患者さん達の中で食事介助の必要な方々と言えるカテゴリーの人々は意外にも窒息というインシデントは起きないものです。

無論、ムセは起こり得ますがこれに対しては看護スタッフの皆さんが実によく気をつけてくださっており、愛情込めてゆっくり時間をかけてくださっていることも有り、少しでも咳き込むことが有ると量や口に運ぶ時間、とろみのつけ具合を変えていろいろな対応を行い青の患者さんにあった解除を行うことで問題を回避できています。

ところが、よりシリアスな問題は精神科病棟におられる比較的元気な方々のなかでかなり多く起きます。実は精神科に入院されている方の中には、いわゆる「早食い」をされる方が少なからずおられまして、私の勤める病院に限って言うと、これらの方が私達医療者側からするとかなりリスクの高い方々の一群です。

今までのインシデントの中でかなり多くあったのは、パン食からの窒息。窒息の原因として一番沢山患者さんを危ない目に遭わせているのは私の感覚的に圧倒的にパンです。ロールパンも食パンも、それが大好きな患者さん達が早食いをしてしまった際には口腔内の形状に沿ってそのまま気道を詰まらせる恐ろしい殺人マテリアルに即座に変わるのです。

緊急要請を請けて病棟に飛んでいって窒息からのレスキューを行う時に口の中からパンの塊を取り出すときの"やるせなさ"はわたしにとって「またか」という感情を呼び起こすものです。折角、御本人にとって大好物であるパンが食べられたのに、そのパンで命が危険に晒されるという・・・。

食事に関係ない窒息では入れ歯というのが比較的良くあるのですが、こちらは食事によるインシデントに比べると全く小さな比率で、パン食時の緊張感に比べれば遥かに少ないものです。(無論、食事時に一緒に飲み込む事が多いという意味では私の中の窒息アワーでのリスク事例の一つではありますが!)

日本ではよく「もち」の吸い込みによる高齢者の窒息が問題視され、目立つ形でお正月前後にニュースで放送されたりしますが、私にとって病院における「もち」はパンであるというお話でした。


2020年8月21日金曜日

Appleに対するsympathyは最近ゼロ・・・

最近Appleの出してくるサービスや製品に対する共感や興味が全く無くなってきました。

Appleが一時「潰れる、潰れる」と世間一般から言われていた時には実際のところかなりインサイダー的な情報の漏れを掻き集めていましたので、世間一般のアップルをずっと追っていない人間による記事がアップルの終わりを声高に叫ぼうとも「それはない!」と堅く信じていましたので実際に底値に近い時に無い金絞ってアップルの株をちょっとずつ掻き集めて随分と上がった頃にまた少しづつ売ったことで我々のアメリカ在住中の生活の足しとして随分助けられました。

あの頃持っていた株を売る必要がないくらいの給料を貰っていれば・・・という「もしかして話」をすれば、相当リッチになっていたはずなんですが!w

さて、今般のAppleと言えばJobs亡き後のクックの手腕や色々な戦略が功を奏し、ほぼ独占禁止法レベルの戦略を積み重ねることで「世界一の株価総額」という勲章をアマゾンと競うくらいのジャイアントになり、昔あのマイクロソフトに息の根を止められかけていた頃を知る者からすればまさに「隔世の感」、今昔物語というレベルででかくなりました。

しかし、その商売の結果得たものは果たして何だったのでしょうか?

今私がAppleに感じるのは多くの人間から少しづつ採血してその血を売り捌くかのような商売方法。とにかく売り買いする商品に「?」と思えるような値段をつけてくることでしょう。世界一協力と思えるレベルの法務軍団に錦の御旗を立てさせて、法的に、論理的には正しい方法で商売をしてきていますが、倫理的にとかがめつさ的にはどうでしようと問われると、多分アップル・コンピュータが二本で商売をし始めた頃から知っている元祖サポーターの私でさえ「そろそろいい加減に金を懐に溜め込むのをやめれば?」と言いたくなります。

昔1984のCMで「ビッグ・ブラザー」の時代をこの世界に実現させないという気概を持って革新を目指したAppleという企業も今は弱い者いじめと小銭集めばかり。自分自身こそが唾棄していたBig Brotherに成り果ててしまっている気がしますが?

最近は、スマホでも何の革新も無いただの割高スマホの感がしてきましたし、ノートブック系統の製品にしてもメモリー直付けやそのメモリーにこの値段をつけるってこと?というよううな売り方をしています。それに挟額ベゼルなんかも他のWinマシンに比べて全然魅力的なデザインではなくて、今時のPCにしては既に極太ベゼルという感じのデザインの「遅れ」を感じるばかり。

今度は最近とみに製品制作の技術レベルの落ちてきたインテルを離れて独自のプロセッサで企業としてのleapを狙うようですが、昔は製品のレベルがぐんぐん上がる度に定期的に購入していたノートもほぼ全く買わなくなって、十分に日常でストレス・フリーで使えるASUSのノートブックに満足している次第。はたしてその革新に乗りたくなるほどの製品が出てくるのか。

アップルも十分いろんな製品を作っていますけど、最近は日常生活を送る上でAppleの製品でないと出来ないとか、これならAppleのものが一番使い勝手が良いと思えるものがほぼ消えてしまいました。精々Watchくらいですかね?もう既にいろんなことがブラウザの中で完結してしまう時代になり、データもクラウド保存、クラウド処理がメインになってきて、PCが画像の表示装置になってきたことで、再びテレビ化、モニタ化してきていると思うのです。

驕れる者久しからず、Appleも世紀というスパンでみれば何時の日か分割されたり、消えていくのかもしれないと、今が株価の最盛期だからこそちょっとだけ想像するのでした。


2020年8月20日木曜日

トップが替わると組織が変わる

かつて病院の中には絶大な力を持っている人が何人か居りました。

しかし、その椅子に座っていた人達も病を得たり、齢を重ねたりしてやがては、そして時には突然そのポジションを去ることになります。どんない強い力を持っていた人でもその事実には抗えません。病院という組織では有りませんが、最も卑近な例では、ほんのちょっと前までの日産内での神の如きカルロス・ゴーンの権勢も今では夢の彼方の更に向こうの昔語り。本当にそんな人居たの?というくらいの日産昔話という話の1話になってしまいました。

サイズは異なっても私の病院でも、歴史上の人物、伝説の人物などが既に結構居られます。中には職務の途上で認知症になってしまってリタイアしてしまった人、業務上横領の疑いで静かに仕事を去ったと言われる人、業者と鬼のような形相でやりあってこれまた鬼のような値引きをさせて納入させ全業者に嫌われていた人、今はXXX部長と言われているけど、本当の彼の個人的ヒストリーは物凄い荒れたものだという人物等、もう笑ったり頷いたりするいろんな歴史上の人物が綺羅星の如く揃っております。w

そもそも創立者からして伝説の豪傑でありまして、その歴史は真偽綯い交ぜになっており昭和のニオイに溢れた(令和の今ではとてもとても作り話が混じっていたとしても)信じられないような話で満ち満ちております。

その話の真偽はどちらだたったのか、もし可能であれば黄泉の世界に旅立たれたその創立者と霊界通信でもして「XXさんから聞いたXXという話はとても信じられんのですが、どこまで本当なんですか?」と一つ一つの話について事の真相を酒を酌み交わしながら聞いてみたいものです。

今の時代、コンプライアンス、コンプライアンスで生きのしづらい世の中ですが、当時だから許されたような「とても有り得ないような事」をやっていたその亡き創立者の破天荒な人生はVシネマのシリーズになりそうなレベルの話が続くんですが、まあ今では全くあり得ないです。

そういった「濃い」人物達が居なくなって、物分りの良い冷静な人物達が後を継ぐとなんとなくみんな「小粒」って感じがします。それが良いか悪いかは別として、当然のごとく面白い話はことごとく消えて、サラリーマン感の強い人物達が淡々と業務をこなす日常へと置き換わっていき、意外性のない何も起こらない日々が続きます。

病院という組織にとってはそういう人がそういう日常を右から左に流していってくれるのが良いのかもしれませんが・・・。

最近も以前居た強権の人物が病院から去り約一年。既にその人物を知らぬ若い世代もジワジワといる状態で、あたかもそんな人物は居なかったかのように組織の空気は変わってしまいました。なんとなく民主的で良い方に変わったかな?と思うんですが、空気の張ったようなスリルはなくなりましたね。

まあ、そもそもそんな部分にスリルは無用ですが。


2020年8月19日水曜日

名古屋のコロナは少し減ってきている感じもありますが・・・

 名古屋に来襲した(今から考えると)小さな小さな第一波の後にやってきた津波の様な第二波も少し落ちてきた感があります。

上のグラフを見れば一目瞭然ですが、立ち上がった急峻なカーブは明らかにここ数日落ち込んでいるように思えます。愛知県では8月6日から再度の緊急事態宣言が発令されていますが、それから二週間。実際にはこういった結果はその2週間前の行動が表に顕出されるといいますので、愛知県内の人間は急に立ち上がり始めたカーブを意識して行動を起こしているのは間違いないと思います。

少なくとも一部の馬鹿を除けばそれなりに自分に行動制限をかけたり、三密を意識した日常に更に気をつけているということだと私は考えたい。ところが、この緊急事態宣言は24日をも以て一旦収束する可能性がありますので、そこからどうなるのかがどうしても次の大きな関心になりますよね。私的には24日は「拙速」だと思っておりますが・・・。

更に良く問題にされている重症者数の推移なのですが、それは愛知県内では以下のような感じ。

実は波が遥かに小さかった前回の第一波の時のほうが「感染確定者数と重症者数の比」としては遥かに高い状況です。これに関してはPCRなどの検出システムが整っていなかった時期に検査に出された検体自体が「厳選」されていた疑い例に限られていたからという可能性もありますが、巨大化した第二波の波の高さに比べれば重症者のトータル数は漸増に留まっているのは未だ救いかという気もしますが、油断はできません。

そもそもこの数週間は、愛知県における検査対象の陽性率の上昇が20%弱という非常に危険な時期がありましたが、最新の数値では7.9%となっていますからなんとなく落ち着いてきているのはその陽性率からも見て取れるかと考えます。

何れにしても、病院や介護施設内でのクラスター発生一発で上記の数字はグンと上下動しますので、如何なる場合も用心に越したことはないなと思います。有効なワクチンのニュースが世界中から入ってきていますが、早く第三相試験を突破する世界レベルのモノが商品化されることを願って已みません。


2020年8月18日火曜日

訪問診療の世界

勤める病院の外で週に一回とか二週間に一回とかいう感じでいわゆる「アルバイト」をする医師はごく普通におります。名目上は研究日などという名前がついていますが!その空白の一日を使うのが基本です。

かくいう私もその1人、以前からここにもチョコチョコっと体験記を書いていましたが、私的には基本的に週一回で十分以上かなという感じです。逆に言えばそれ以上はこのバイトというものはとても出来ません。

私が行っているバイトである「訪問診療」というのは、もし患者さんや患者さんを取り巻く家族さんと深い交わりを持って付き合おうとしたら、それはそれでなかなか大変で時間や手数がたくさんかかります。ですから、それを週2回とかすると結構、体よりも心が疲れそうな感じ。おまけに本業の大きな病院の方もメチャ忙しいのでこれが限界です。

幸いにして一日の中で私に割り当てられる一日の訪問家庭数は10件プラス・マイナス2件前後というところで、それほど大量でもありません。基本的に2週間に1回は1軒の家庭を訪問するのが標準的な保険が使える訪問診療というものですから、この数だと都合20数件の御家族もしくは患者さんとお互いに深く知り合った上で一ヶ月の間グルグルと回るわけです。

要するに月に2回だけ患者さん達と邂逅することになるわけですので、このたった2回の出会いで診察を行いつつ血液データを集めたりしながら、次にどの様な治療を行うのか、緊急で対応をして次のステップを踏むべきなのか、他の専門医や総合病院へ紹介すべきなのかなどを判断しつつ一旦、出撃基地たる元の病院に戻って更なる考察を入れて紹介状の準備を行ったり、入院の判断を行ったりするわけです。

しかし、どちらかと言うと、、、と言うよりほぼ全ての患者さんが少なくとも75歳より上の方と考えたほうが良いような感じで、訪問診療というのは概ね人生の終末期の医療を担っているというのが基本ですので、余り攻撃的な治療を行わないことが多いのです。ですから、もし勉強のために究極の高度な技術のアプリケーションを患者さんに応用したいと考えるのであれば、訪問診療を自分の医療の中心に据え置きたいという医師の生き方とは結構相反する生き方となります。

大きな病院の内科や専門科でデータを即時にゲットしながら目の前の患者さんの変化を即時に診ながらバリバリ頑張りたければやはり訪問診療はかなりベクトルが違う世界です。

ただし、訪問診療というのは素晴らしい院長や理事長がマネージメントをするもとで働ければ比較的手堅い収入が得られます。何れにしても、私の場合は娘達が大学や大学院を出てくれた時点でこのバイトからは抜け出したいと思っております。何と言っても私もその頃には還暦ですからね。

私がそれまで生きていればですが。w


2020年8月17日月曜日

熱中症で搬送されてくる

名古屋は今、熱中症で体調を崩す人達で一杯。

私の病院の外来にも工事現場で作業をしていた若いお兄さんが突然具合が悪くなって何度も吐いた挙げ句、現場に居た同僚に連れられて病院にやってきました。脈は促迫しており、体温は上がっているのに汗は全く掻いていない状況。

後で判ったことですが、脱水はそれほど強烈な数値ではなかったのは幸いでしたが、これが若者でなければ多分意識自体が飛んでいるレベルの状態になっていた可能性があります。屈強な若者でしたが、頭痛が酷いとのことでした。おまけに1人で立ち上がることが出来ませんでした。

直ちに輸液を開始、血液も採取してデータを採取するとともにクーリングを行って経過観察をしました。二本の輸液が終わり3時間ほどで大分調子が戻るとともに、頭痛も収まってきて1人で立って歩ける程度にまでは戻ってきました。本当のところ入院させて一晩は経過観察をするというのがベスト・・・今回は御本人の希望も有り帰宅を許可しましたが、電解質を多めに摂ってもらうことを約束してもらうとともに、明日の現場仕事は一日お休みをいただくように上司の人に渡しから直接お願いさせてもらいました。

昨日の名古屋のようにカンカン照りの日中、かつ酷く高い湿度の中で激しい肉体労働をしながら水気を十分に摂らないことのリスクは言葉で解っているだけでは全く駄目で、実際に大量の電解質を含む飲料を脇に置いて仕事をするのが「必須」です。しかも、お兄さん今流行の扇風機付きのウェアを着てもいませんでした。鬱熱状態で仕事を続けて吐くまで仕事するとか水の切れたラジエータのようなもので、あっという間にエンジンはオーバーヒート。

お年寄りはいくら言ってもなかなか水分を摂取しませんし、実際よく熱中症で私の病院に施設から運ばれてきます。しかし、いくら若いからといって無理は絶対に禁物。熱中症はどんな年齢の人であろうと一旦発症すると人の命を奪う危険な状態なのだということを皆がもっと知って貰いたいなと思う名古屋のオジサンでした。


2020年8月16日日曜日

遂に職員にコロナ感染者発生

恐れていた日が遂に現実になりました。以前より時間の問題とは皆で言っていましたが、やはり時間の問題でした。

朝から外来で仕事をしているともうひとりの先生が私の後ろで何だか慌ただしく動き回っています。電話をとって話をしている先は保健所らしいのですが、話を聞くとはなしに聞いていると・・・「コロナ抗原陽性と確認された職員が・・・」という様な話をしております。orz

おいおい遂に?と思ってその抗原検査を実際に行った看護師さんに話を聞くと、ある女性ヘルパーさんが、知人の「スナック」に行ったところ、そのスナックのマスターがPCR陽性者であることが判明。その後、このヘルパーさんが職場である病院に朝やってきてその旨を告げると、その医師の指示で決められた場所で検体採取し病院内には一切入れないようにしてチェックしたところ見事に陽性。

私はこの話を聞いて内心メチャクチャ頭にきました。そもそも昭和の臭いのする「スナック」なるものに行くこと自体が愚かな話の極み。院長からの指示でこの時期は、申し訳ないけれども所謂「三密」の状況を発生させかねない場所への移動や訪問を「医療関係者」として自重・我慢してください!と必死の懇願をされていたのですが、馬耳東風。所詮、馬や鹿には言葉は通じません。

多分、こういう行為は表に出ていないだけで愚か者達は影で「!」という様な行為をしているのだろうなと疑ってしまいたくなります。

何とかにつける薬は無いとは良く言いますが、やはりこの困難な時にどうしてもそういう規則・約束を守れない一群の人間というものが居るのだなという「当たり前」の事実を再度認識させられました。ただし、この病院でそれが起こったという事実はただただ残念で仕方有りません。

本来この様な人間は感染に弱い高齢者や病人をケアするべき医療機関に勤めるべきではない人間だとは思うんですが、それを阻止するのは至難の業です。現時点では、その女性、たまたまお盆の休暇を連続でとっていたとかいう幸運?が重なって、そのスナック感染の可能性があった後も全く病棟・病院に近づいた可能性が「今回は」ゼロだったのですが、こんな幸運がずっと続くわけもありませんし、感染源不明という形でコロナ感染が起きる事態というのも今後は普通に起こってくるものと思われます。

寧ろ、それを普通のことと考え、そういった状況で実際に感染者が病棟で仕事をしていたという状況が確認された時に、どうやって病院としてコロナのスクリーニングと感染者のケアをするかが全てだと思っています。

既に多くの病院で職員の中にコロナ陽性の人達が確認され、殆どコロナ禍に見舞われた状態となっていますが、今後は一層の注意のもとに新規感染者の発生を抑制していくべく頑張るしか有りません。

嫌な時代ですが、一年以内には収束の状況を見る事が出来ることを信じたいものです。


2020年8月15日土曜日

静かに過ぎた終戦記念日

土曜日の一日は静かに過ぎました。

終戦記念日といっても、今日本で普通に活動している高齢者で終戦の時点で生まれていても既に75歳。戦争体験という意味では記憶の中に明確に存在し始めるという年齢は平均して通常5歳位でしょうから、戦争の記憶を少しでも持っている世代は更に年が上がり今年80歳前後の人達からということになります。

実際、私の両親は今年で82ですが、親父の方は特に記憶が鮮明で、(以前もちょこっと書きましたが)グラマンに機銃掃射されてその時に田んぼの畦の溝の中に飛び込んで難を逃れたという話。多分P51マスタングかF6Fヘルキャットのどちらかだと思うんですが、赤いスカーフを付けた操縦兵が笑いながら機銃掃射していたと言いますからそれほど強烈な原体験だったわけです。

当時6-7歳位だったはずですが、親父の話は基本的に戦闘のことではなくて食い物の話ばかり。食べ物がなくてサツマイモばかり食わされていたせいで、今でもサツマイモだけは食う気が起こらん、と食いしん坊のはずの親父が話します。

じゃあ母親はと言うとやっぱりこれまた食い物関連の記憶しか無くて、ヤミ米を運んでいたら警官に止められて折角「必死」で買ってきた家族の命を繋ぐヤミ米を警官に没収されたのが今でも腹が立って腹が立って思い出す度にあの時のことが嫌になるくらい鮮明に蘇るという話を聞いたことがあります。おまけに当時は家が貧乏で、家で飼っていた鶏の産む卵が唯一の収入源だったという話。当時の兄弟の数の多さと、その「卵云々」の状況を重ね合わせると想像に難くないレベルの極度の貧しさだったとは思いますが・・・。

そんな両親も20代の後半で結婚し、私と弟を生み育ててくれたわけですが、よく考えずとも当時は終戦から未だたったの20年しか経っていなかった頃です。当時の戦争で悲惨な経験を我が身の体験として体や心に古傷として持っていた40代前後の人間が普通に社会の中心として活躍していた時代。

誰も「あの悲惨さ」を再度経験したいなどとは思わないのは当たり前。ところがいま、為政者のトップでさえも戦争というものが全く実体験とは程遠いレベルの話になってきています。戦争に対する最大の歯止めは悲惨な実体験。為政者と国民に悲惨さに対するイマジネーションが効かなくなったとき、「戦争」は殺しても殺しても生き返り、何度でも頭をもたげ直す蛇の如きものとして勇猛果敢を売りとするポピュリストによってゴーサインが出されます。

それは我が国も近隣のアジア諸国も全く同じ話。領土拡大を続ける隣の習なんとかという、最近富に人相の悪くなった赤い豚に以前の日本の軍部の失政を重ねてしまうのは俺だけじゃないと思うんですけどね。

戦争なんぞ真っ平御免と思いを新たにする75年目の8月15日でした。


2020年8月14日金曜日

酒の飲みすぎと肝硬変

今まで何人もの肝硬変の患者さんの最後を看取っています。

通常私が診ている肝硬変の原因としては基本的にB型、C型、NASH(非アルコール性脂肪肝炎)、アルコール性肝硬変等多岐にわたるのですが、現代の成人病の成れの果てと言えるNASHを除けば圧倒的に私がその人生の最後を看取る事が多いのはアルコール性肝硬変。

代償期から非代償期へと至る過程で精神科病棟のなかの「依存症」病棟に出たり入ったりしている人が実に多い。残念なことですが、実際長い治療の期間を経て出ていくときに「もう飲みません、絶対に。」といって出ていった人が暫くすると何故か院内でウロウロしていることが有る・・・というパターンが多いのです。

カルテの記載を見てみると、隊員のその日に周りの酒飲み仲間から誘われて「退院おめでとう!」という感じでコンビのの周りで一杯やるところから始まって、なんていう人がこれまた沢山おります。残念がら病院のそばにあるコンビニの脇の道端にはチューハイその他の酒の空き缶が山のように捨ててあって、それが果たして病院に入院中の患者さんと関係の無い空き缶なのか?と問えば、多分その殆どは「こっそり」と患者さん達によって呑まれたもの。なんとなれば、捨てられている缶の並んでいる位置自体がコンビニと病院を繋ぐ人が移動する動線そのものですから!

病棟でも治療中の患者さんの飲酒状況が怪しいと判断されたらアルコール・テスターでチェック・アップを入れますが、そういう時にはほぼ間違いなくアウト。本人が治療を継続する意思がなければそのまま強制退院ですし、本人が治療を継続する意思を示した時には同意を得て隔離室に入って酔いが覚めるのを待つという手続きがあったような気がします。(精神科医ではないのでそこら辺のことは詳しくないのですが。)

そうやって何度も飲酒を繰り返し、年数を重ねるうちに次第に肝機能は落ちていくのですが、point of no returnを知らないうちに通り過ぎて腹水が溜まってきたり、ビタミン不足の結果、神経症状が出て手足が動かなくなったり、完全に頭がやられて大脳が高度に萎縮する状態になるまでやはり栄養その他のビタミンを含めた高度な欠乏症でボロボロになり寝たきりになっている人々。

意思が弱いなどという言葉ではとても表現できないし、そう表現してはいけない「環境や遺伝的背景その他を含めた包括的な疾患」として治療対象になっているのがアルコール依存症です。

「酒に強い!」「ザル」等と豪語している人がやがて酒の魔力に絡みとられて沼から抜け出せなくなって亡くなっていく様子を沢山看取ってきました。周りに「らしい人」が居られたら、勇気をもって早めの治療を勧めてあげるのが本当の友人というものではないかと思うのですが、難しいんですよねこれが。

昼は素振りも見せない人が、家に帰ると・・・というパターンも多く、invisibleな状況で自体が進行していき、visibleになった頃には事態は手遅れということが沢山。各人の肝臓にみあった問題ない飲酒量というのもありますので、Aさんがこれだけ飲むからBさんもこれだけ一緒に飲んでもいいというものでもありません。

最近出された論文では飲酒というのは以前出されて半ば常識となっていたJ-Curveはどうやら間違いで、飲酒は少しでもやはりガンその他のリスクを正直に上げていくようです。ごく少量の飲酒のみはそれで循環器の疾患のリスクを少しだけは下げるようですが・・・。

何事も程々というのがやっぱり良いようです。中庸の美徳は酒においても健在のようです。


2020年8月13日木曜日

まさかの火事とかあるんだね・・・

 今日は病院に勤める知人から恐ろしい話を聞きました。

「まさか」とか、「万一」というのはそれほど遠くないところで起きる可能性があるということ、そして何時でも起き得ることを想像してしまいました。そういう意味で最も恐ろしいのは自然災害ですが、今回聞いた話では人災もやはり向こうから近づいてくるんですね。

昨日の夜中の2時頃のことだったのだそうです。その人は家の窓を開けて寝る人だったらしくて、あまりクーラー等のスイッチを入れないで自然の空気+扇風機などで寝るんだそうですが、いつものように10時頃からとこに入って寝ていたところ真っ暗な闇のから物凄い異臭がしてきたとの事。

所謂モノが焼けている臭いだったそうなんですが、その人の家はマンションの3階。寝ぼけた頭に電気が走ったようになってガバっと飛び起きてまずは家の中を見回したんだそうですが火の気は無さそう。ではどこかで火事かもと思ってテラスに面した大きな窓を更に引いて大きく開けてみると右隣の家の方からもうもうと煙が流れ込んできているではないですか!

その人これはもしかして隣家のお婆ちゃんが?と思ったんだそうです。隣のお婆ちゃんは革工芸の教室を開いている人なんだそうですが、最近認知機能が落ちてきたのか家は昔と違って一般的に言うところの「汚屋敷」状態だったんだそうです。そこで、その人がまず考えたのはそのお婆ちゃんがもしかして倒れたりしていてそのまま火の不始末とかでこんな事になっているのかもと考え思い切って隣を覗いてみると・・・!

何と、そのお婆ちゃんテラスでお盆の迎え火用の日をボンボンと焚いていたらしく、その火が周囲のものに移りそうなくらい大きくなっていたとの事。その時点で周りの家の人達が既に消防車を呼んでいたらしく、近所の消防団から6台ほどの消防車が駆けつけてお婆さんの家の玄関を叩いていたんだそうですが中からは返事なし。(あとからその人が消防署の人から聞いたんだそうです。)

そこで、その知人は後から玄関を鳴らしてきた消防団の人が来る前にその隣のおばあちゃんの家に三階のテラス側から飛び込んでお婆ちゃん救出に突撃すると何と隣の家ではガラス越しにお婆ちゃんがその燃え盛る火を前に何もすることが出来ずじーっと眺めていたんだそうです。orz

次の瞬間、お婆ちゃんの手を引いて玄関をバカーンと開けて消防士達が家に突入、幸いにしてすぐに火を消し止めて一件落着となったらしいのですが、夜中にもし窓を開けて寝ていなかったら、もし熟睡して起きるのが遅れていたら、もしもっと大きな火になっていたら・・・などと考えるとその知人の部屋も十分延焼していたりした上に隣のお婆ちゃんは死んでいたのかもしれない・・・となっていた訳で、どちらの家庭にとっても今回の件では九死に一生を得た可能性が有るわけです。

やっぱり生きていく上では人間いろいろなことに遭遇するわけですが、出来ればこの手の出来事には出会いたくはないものですね。お互いに。


2020年8月12日水曜日

食べられない超高齢のお年寄りに対する医療者側の処置

超高齢者が食事を摂らなくなるというのはごく自然の現象です。

正直に一言で言ってしまうと「寿命」と表現すべきでしょう。 まさに寿命。90代になった人はやはりお元気な方でも一年一年の時の経過が「みるみる」爺ちゃん婆ちゃんの顔や体に激しい彫刻を加えていきます。

そんな時家族が居るか居ないかは患者さんに何をするかという事に関して大きく方向を変えることがあります。私の場合、多くのなくなるというのはごく自然の現象です。

正直に一言で言ってしまうと「寿命」と表現すべきでしょう。 まさに寿命。90代になった人はやはりお元気な方でも一年一年の時の経過が「みるみる」爺ちゃん婆ちゃんの顔や体に激しい彫刻を加えていきます。

そんな時家族が居るか居ないかは患者さんに何をするかという事に関して大きく方向を変えることがあります。家族の中の「責任者たる方」を可能な限り1人に絞りながらも、多くの家族さんの意見を伺いながら、そして意思表示のはっきり出来る方なら第一に患者さん御自身の意見を尊重しながら人生の最後の栄養補給法を組立てていきます。

実際のところ、誤嚥を起こしてそのまま肺炎を繰り返す方や全く食欲を無くしてしまって固形性はもちろん、流動食も水分も殆ど摂らなく(摂れなく)なってこのまま何もしなければ数日で亡くなる・・・という方が病院に運ばれてくることはよくあります。

ではこの方々対して我々がしてあげられることはというと、直ぐに出来るのは末梢からの輸液、経鼻チューブからの栄養補給、胃婁作成、CVからの高カロリー輸液などなど。一旦安定させて状態を改善させて食欲増進を図る投薬や漢方による消化管の運動亢進による嚥下の補助、そしてSTさんなどの介入を通して次第次第に物を食べることに対するリハビリを通じて最終的に量を戻しながら全量摂取を目指す・・・等という流れがあるのですが、うまくいくこともあれば上手くいかないこともあります。

それもこれもその人の生命力と運と私は考えています。そもそも己や自分の両親だったらどうしたい?どうしてあげたい?ということ以上のことを私自身が他人にしてあげることはなかなか出来ません。

家族の中には患者さんの年金が必要で「なんとしてでも」生かせ続けて欲しいと露骨に懇願する方もいれば、葬式を出してあげるお金が無いのであと三ヶ月は生かせ続けて欲しい、その間に葬式代を積み立てるから・・・等という方も。

アメリカなどのケアハウス等では人間が食べられなくなった時、それが超高齢者であれば、ご飯は準備するけれど食べなければそれはそれで良いとして、静かにお見送りをしてあげるということが比較的社会のコンセンサスを得た処置だと聞いたことがありますし、高カロリー輸液や胃婁作成はそもそも「虐待」であるという意見もあるようです。

しかし、私は正直思います。「90代で何を必死に長生きさせないといけないの?」と。病院の部屋によっては身動きの取れないようになった体の拘縮気味の90代のお爺さん、お婆さんが植物に栄養と水を差すようにして生きているのをみていると、それが正解とは「とても」思いません。「とても」です。

しかし家族は長生きを望みその「生に関する質」に関してはほぼ何も考えていにという人が本当に多い。本当に矛盾なのですが、そういった治療を家族の要望に沿って行いつつも「俺には絶対するな」とボケる前に必ず書いておきたいと思う私は愚かな矛盾の塊です。orz


2020年8月11日火曜日

弱虫ペダル やっぱりイイ話だナ~

当直のスキマ時間を縫うようにして弱虫ペダルの第2シーズンを観ました。

ファーストシーズンでの切磋琢磨と先輩・後輩の友情、その間に語られる熱いセリフの数々に思わず「良いこと言うな-!(´;ω;`)」と何度も何度もウルっときました。やっぱりなんでも競い合った先にだけ、競い合った者にだけ見えている世界というのがあるよな!っていうのを何度も考えさせられました。

競ってこそ高まり合う互いの存在と能力をアニメの中でしっかり見せつけられて思わずシーズン2を一気に見てしまう状況。少年漫画と侮るなかれって感じです。なんか最近は映画にもなっているようですが、小野田坂道の未知の突破力にストーリー全体が引っ張られている感じで良いですね。

実はこの後、実際のインターハイでの自転車競技や世界選手権、ヨーロッパ各国での自転車競技、競輪まで含めてあれやこれやの映像を渉猟するように大量に視聴したのですが、どの自転車競技でもやっぱりトップは感動します。唖然とするほど速いし強い。平坦路、山岳路、周回コースの何れにもキングと呼ばれるレベルの人間が数年単位で現れては消える。

薬物によるドーピングや隠しモーターなどのメカニカルなインチキを使ってでも、ヨーロッパ等だったら巨額の賞金を手にすることが出来ますし、国民的英雄にもなれますから何でも有りの世界も確かにありますが・・・それでも強くて早い人間は美しいと感じてしまいます。

日本は競輪が代表的な自転車競技ですし、世界の中でもオーバルでの戦いでは非常に優秀な選手達も沢山おりますし、歴史的には中野浩一などの「本当にそんな選手おったんか?」というレベルのレジェンドも既におりますが、ロードになるとやはりまだまだ長い歴史と選手層の厚さ(+インチキの歴史?w)では敵いません。

キャプテン翼が日本のサッカー選手の層を厚くしたように、ヒカルの碁が碁の普及を促したように、柔ちゃんが柔道選手を増やしたように、弱虫ペダルが日本の若手ロード・レーサーの厚みをグッと増す作用を及ぼしてくれたら良いな~と考えてしまうオジサンなのでした。

ていうか、もうその影響は十分出てるのか?寡聞にして知らず状態の私です。


2020年8月10日月曜日

ムワッとするやばい暑さ

脱水と熱中症が危険なレベルで多くの人をノックアウトする時期となったのが実感されます。

とにかく立っているだけで背中に汗が出るという状況。院内でお風呂当番をしている人達が実際のところ院内では最も危なくて、彼等や彼女達がTシャツに着替えてお爺さんやお婆さんをお風呂に順番に入れる介助をしていますが、顔を真赤にさせながら背中も前も汗でタラタラ。側で見ていて気の毒になります。

そういうお年寄り達もお風呂に入る前後にはしっかりお茶や水を摂ってもらわないとあっという間に脱水になる可能性がありますから、一瞬も気を抜けません。エアコンが入っていても、日向側にいる方はやはり尿量が減る傾向にあるのは毎年のことで、部屋の向きやベッドの位置などで脱水に成り得る状況というのは意外と容易に構成されてしまうのでした。

一旦お年寄りが脱水のサイクルに入ると、体に占める水分量が遥かに多い若者とは比べものにならないくらいシリアスな状況に直ぐに陥りますので、尿量測定や体重の測定は大切な観察指標です。

院内であちこちを腰を屈めて掃除して回っているおばちゃん達もかなりリスキーな集団の一つ。我々医療関係者は多くの場合、暑い日でもエアコンの効いたエリアを移動することが多いのでまだ良いのですが、おばちゃん達は階段やトイレ、院外のテラス等の掃除などもして居ますから、エアコンの涼しい風が届かないところで大量に背中や脇に汗を掻きながらグビグビとペットボトルのお茶を飲んでいます。「きっとナトリウムの喪失が起きてるなこのレベルだと・・・」などと考えながら、実はおばちゃん達の様子を通りすがりにチラッと窺いながらリスクの大きそうな人は居ないかを確かめたりもします。

今の所は目立った被害は出ていない感じで何よりなのですが、お年寄りを始めとして全員が気をつけておかないと、我々が小さかった頃の暑さとは数度ほど平均して気温が高く、かつこれに高湿度という条件が加わった日には多くの人が体の怠さとかを訴えるレベルの日々になるんじゃないのかなとついつい心配してしまうのでした。

私の母親は飲酒後の脱水で一時的に広範なエリアの脳梗塞になって命の危険に晒されたことがあります。幸いその時は隣りにいた親父がすぐに気づいた上に近所の病院にカテ治療の達人が居られたという幸運が重なって、目立つ後遺症は残りませんでしたが、一つでも歯車が噛み合わなければ・・・という一大事でした。

皆様も油断されず、水分摂取を欠かさぬようにお気をつけください。


2020年8月9日日曜日

やっぱり共産主義は恐ろしい思想

中国が香港統治に関するイギリスとの約束を鼻紙のように捨てて暫く経ちました。

案の定というか、やってる事は滅茶苦茶で、いきなり思想統制と反体制派の拘束、逮捕、拉致。中国人が云々ではなくて共産主義・社会主義というのは本当に毎度毎度どこの国で誰が政権をとっても「トップの体制を維持する」という結果に関してだけは全くぶれない恐ろしいほどの相似形を保っています。

常に己の無謬性を声を大にして喧伝し、思想や指示に従わないものは全て間違いと「決めつけ」て、保安部、情報部、秘密警察等という名前は違えどやる事はみな等しく反体制派の抑圧というお決まりの御作法。

中国、ロシア、旧ルーマニア、東ドイツ、アフリカの独裁国家の社会主義国家、ベトナム、旧ポーランド、そして日本においては内ゲバと内部分裂を繰り返してきた各種の左翼勢力。20世紀後半以降は、上手に資本主義の良いとこ取りをしている国も幾つかありますが、結局それもトップの人間たちの私腹を肥やすことに費やされているという事実は何処も同じ風景です。あのナチスでさえも名目は「国家社会主義」でしたし。共産主義や社会主義なんてロクなもんじゃありません。w

そこにあるのはただのエゴ。トップが養分を吸い取る分、必要な栄養と酸素が行き渡らない残りの国民達は実に惨めな暮らしをするか、経済的な暮らしぶりでは惨めな思いをさせられない時には思想の自由が抑えられています。いわゆる洗脳とか、そうでない時でも服従する素振り。

アメリカに居る中国人の友達でも、ある一定の数の中国人の友達は現在の中国に関して恐ろしい事に、簡単に言うと「国をまとめる為には現在の体制は必要」という考え方に本心か否かは別として、そして教育のレベルの決して低くない人達であってもシンパシーを示すのです。

自分の思う事を自由に発言できないという弊害は大人になってもソフトウェアの形で人間のというか、人類が沢山の血を流してこの百年ほどの間に遂に実生活で実現させはじめた思想の根源的に大事な部分にも「歪み」をもたらすのだなということを実感するのです。本人達は知ってか知らずかそれを「フリ」をすることで間接的にサポートしているんですけど、酔っ払った時に本音を吐いた中国人の友達が私に言ったのは「バカが警察に捕まるんです。まともな人は上手くやってます。」という言葉。

そんな仮面を被らなくても良い国に生まれたことを神や仏に感謝です!とは言っても、80年ほど前には軍人が佩刀して偉そうにしていた日本ですから、まだまだ人のことを言えるほどは偉くないんですけどね・・・。


2020年8月8日土曜日

イオンモールからそそくさと帰った

 今日は看護学生の国試用の問題と高校受験資格をとろうとがんばるヘルパーさんの参考書、問題集を見にイオンモール長久手に行きました。

実は同じ階にあるS楽器店の従業員さんが他の人とは接触しない状況でかなり前にコロナ陽性と判定され、安全のために一時店をクローズしていたのです。しかし、その後はなんの問題も無く再開して安全をアピールできたのですが、その少し横にあるのが今日行った本屋さん。

わざと屋上に車を停めたのですが、イオンモールは本当に人で一杯でコロナは全く無関係な様子。子供も大人もたくさんいましたが、お年寄りはいつもに比べて少ない感じ。どこにもいかず一直線に本屋へ向かいます。誰にも近づかないように気を使いながら医療技術関係の参考書と中高校生の学習参考書のコーナーの位置を確認。

看護師の参考書のコーナーに青い服を着た看護師らしい若い女性が1人いただけでどうやら他には人がいなさそうでしたので「密」にはなりそうもありません。十分にソーシャル・ディスタンスが取れるレベルでしたので、そのまま2021年の予想問題集と過去問集のチェックを行い直ぐに中高校生向け数学・英語の参考書コーナーへ向かいました。

私が中高校生だっころとは様変わりというレベルで結構な数の「良書」が参考書、問題集共に並んでいて「今の子達は恵まれているな~」と少し思いました。中身は大変によく仕分けられていて単元毎に実に解りやすく分解されていて、もし解けなくてもどこの部分がわからないのか自分でよく理解できるようになっていました。

数分間でざーっと数種類の参考書と問題集を眺めて、どれを買うべきか決定しそのままそそくさと店を出ました。少しでもリスクのある時間を減らすための行動を取らなければならないので仕方ありません。お店の人申し訳ない!コロナがなければそのまま本を抱えて買って出ていたのですが・・・。

実際本屋を出てエスカレータに乗ろうとすると周りでは大声で話している若い女の子達が居ましたので、「あー、これはアカン!」という感じで息を止めてすっとエスカレータに乗り車まで向かいました。トータルの滞在時間は10分弱。

少しビビり過ぎかなというくらいの行動でしたがそれくらいで良かったと思います。

しかし、あのイオンモールの混み具合を見ていると(私もそれを構成していたわけですが!)あそこに何時間もいる人達というのはやっぱり極めて危険だろうなと感じた次第でした。


2020年8月7日金曜日

トヨタの中央研究所の話

我が家の近くにはトヨタの自動車博物館があります。 

以前にもこのブログにもちょろっと書きましたが、すごい車がウジャウジャと集まっている立派な博物館です。そしてこの博物館からそれほど遠くない所にその「世界のトヨタ」の屋台骨を支える基礎技術をコツコツと育み作り上げる中央研究所があります。

イオンモール長久手の南側にあるというほうがここいらの住人には判りやすいのでしょうが、表からはあまりわからない感じになっていて、その入り口の門の後ろ側に隠れたように建つ幾つかのビルの中ではいわゆる最先端の種々の工学に関する研究が行われ確かな成果を産み続けているわけです。

実は、ここで以前働いていた人物と知り合う機会があったのですが、それこそ基礎研究室の人材達は日本中の有名大学の人間が集まっているという感じで、基礎研究室ではその人達は実際には手を動かして実験することはほぼなくて、データを集めるのは高校や高専を出た人間にやらせているのだそうです。私個人の感覚としては実験というのは自分である程度は手を動かさないと感覚が鈍るし良いものが産まれてこないという信念を持っているので、全てをそうやって実験してしまうのには大いに疑問を持っているのですが、全部が全部ではないのかもしれません。

また、トヨタくらいの巨大な組織になるとガチガチの官僚的な組織になってしまっているらしく、着ていく服も派手で個性的なものを着て行けないし、週末に県外に出る時にはいちいち書類を書いて提出しなければならないという「マジすか?」というようなものなんだそうです。その堅苦しさが嫌でこの研究所を辞めてしまったそうで・・・。

最先端技術を扱う部署なのだからなのかもしれませんが、それってどこかの共産主義国家の秘密警察的なニオイがしなくもないんですが、サムスンなんかもデータの持ち出しや行動規範に関しては鬼のように厳しいという話を読んだことがありますので、一流企業の競争的な組織というのはそんなもんなんでしょうかね。

ただ、よく話を聞いてみると「おもしろそうだから」という理由で研究をやらせてもらえるような事はやっぱりなくて、「近未来的に想像ができる範囲」で有望そうな技術、応用が効きそうな技術しかやらせてもらえないという話。

アメリカにある基礎科学の高等研究所のように、世界の各分野のトップ中のトップの頭脳が集まって、何に将来役立つかはわからんけれど、知の地平線を外側に拡大し続けるような研究をしていくというわけにはいかないようです。

まあ、資本主義社会の優等生であるトヨタの研究所ですから、やっぱり金に繋がらないことはなかなかしないのかな。まあ、日本と愛知に多額の税金を落とし続けてくれている会社に文句はつけられません。w


2020年8月6日木曜日

広島の原爆記念日とベイルート

ベイルートでの信じられないほどの大爆発のニュースを見ていて思うことがありました。

最初の時点でさえ、百数十人の死亡との報道ででしたが、あの瓦礫の後を写真やビデオで見たときに「とてもそんなもんでは済むまい」と思いました。更に暫くすると下手をすると最大30万人程度の人達がその住居を失う可能性があるという報道。

広島や長崎の原爆記念日の前にまさかこのような恐ろしい惨禍が中東の世界で最も歴史に彩られた街の一つで発生するのかと。ビデオを見た限りではまさに普通の爆発とは大きく異るレベルの巨大な衝撃波の拡散でした。一言で言えば原子爆弾レベルというのが正しい形容かと。

ただ違うのは核爆発ではないというだけですが,どうやら勧告を無視し続けて長期にわたって貯蔵されていた火薬の原料となる物質が何らかの原因で大爆発を起こし、更にそれが次の爆発を誘発したという感じのようです。


なんとも恐ろしい爆発で、こんな爆発で近辺に居た人々が生き残れたとはとてもとても信じられません。嘘か真かデイジーカッターの様な爆弾では、その炸裂した爆弾の勢いで近辺の空気が衝撃波で飛ばされ、近辺にいる人々が窒息死するなどという話を聞いたことがありますが、今回の爆発でもそれに近いことが起きたのではないかと強く疑うほどの猛烈な爆発物の炸裂です。上の写真はベイルートでビデオ撮影をしていた花嫁さんが爆発に遭遇した瞬間のようです。

しかし、この様に恐ろしい爆発物の炸裂を遥かに上回る規模の核爆発が当時の広島と長崎の街の上で立て続けに「勝利という名の正義の名のもとに」行われたことの恐ろしさを想像すると、人間の傲慢さと限りない愚かさに改めてうんざりするのです。

私自身は長崎の街中に住み、爆心地の直ぐ側の下宿やマンションに住んでいたこともありますが、何度も何度も「もし原爆がいま頭上で炸裂したら」という嫌な想像を強いられたことがあります。

幸せな家庭は文字通り一瞬で消え去り、たとえ生き残っても生涯消えない心と体の傷に苛まれる人生。さらに、生き残ってもガンの発生や二次的な遺伝子損傷に悩まなければいけない事を考えると、当時我々の先輩たちがあの小さな街で経験した文字通りの「地獄」は決して人類の住む地上に再現させてはならない人の手で制御できるものではないモノであることを強く、明示的に示していると思うのです。

戦争を経験したこtのない世代がポピュリズムに惹かれるバカ達を煽って競い合う今の時代は再びあの「正気を失った時代」が来ないとも限らない事を嫌な感じで容易に想像させるだけに、技術が進んでも歴史から学ばない人類のバカの根本は容易には治らない事に溜息をつくことが多い令和の時代です。


2020年8月5日水曜日

秘書が欲しい・・・

本当に鬼のように忙しくなっています。

かなり回しているつもりなのですが、途中で急用が入ってくるとなかなか5時に仕事を終えることが出来ません。以前にも書いたのですが、いい感じで回していても大量の患者さんを相手にしていると、どうしても「突然のインシデント」というのが入ってきます。

この「予定外」という仕事の分も朝の段階では隙間として組み込んで余裕を持って入れているのですが、今の仕事のボリュームでは回すのが至難の業です。患者さんときちんと話たりする時間を取ろうとするとそこがネックになってくる上に、話している途中でも院内PHSはバンバン連絡を入れてきますので、患者庵に対しては申し訳ないことこの上ない。

書類仕事もたくさんありますし、役所への対応もしなければいけない事も結構あります。何れにしてもこういったレベルでの時間ごと、そして予定を超えた仕事の負荷に対するマネジメントを「外側から」管理してくれる人間がいると大変助かるのですが、それをやりきるのは病院の中の仕事の内容を理解している人間で、かつ医師の仕事にもある程度は通じている人でなければなりません。その上、ある程度のアポイントや簡単な家族対応を含めた体外交渉能力も平均プラスアルファ程度はなければ務まりません。

それが出来ない人を間違って秘書さんとして一旦雇ってしまうとコレなら自分でやったほうが良いわ・・・とか、逆にその人に頼むことから発生するフラストレーションのようなものが生じてしまう可能性もかなりあります。

とは言え、そのような事が一ヶ月ほどの試用期間を終了した時点でかなりの満足度で達成できる人であれば私自身の給料からある程度身銭を切ってでも給料に増し分として追加して雇いたいくらいの気持ちは何時でも持っています。

ネットで調べてみると、医療事務とは別に医療秘書というものの資格発行も日本医師会は行っているようですので、この資格を持っている人からサーチするのが一番早いのかな~などとも考えてしまいます。

多分、私が頼むとしたら文書作成能力が高い人、電話や面会で人当たりのよい人、というこの2つの要素を最大のリクエストにすると思います。スケジュールの管理も大切ですが、これはまあ普通に私にある程度のリマインダーを常識的な感じで言ってくれることが出来れば問題なし。病院に頼んでリクルートしてもらおうかな・・・。

実際、理事長の方からは補佐となるような人間を職員の中からピックアップして私につけてやってくれというリクエストが出ているとか言う話を間接的に聞いているのですが、本当に良い人いませんかね~。


2020年8月4日火曜日

やっぱりそこまで来ている・・・

今日は少し緊張を強いられました。

外のバイトに出ている時に運転手さんと看護師さんと私である施設へ病院の車で移動していた時でした。何やら後ろのほうから救急車のけたたましいサイレンが近づいてきました。あまりにもストレートに施設に到着直前の我々の車の後方に真っ直ぐ近づいてきますので「もしかして?」と思って、運転手さんに「ちょっと施設を通り過ぎた先の方に停まってもらえませんか?」とリクエストして待つこと数秒。

思いっきり施設の前で救急車が停まり、オレンジの服に身を包んだ四人の救急隊員が慌ただしく降りてきました。頭の中で私自身の赤色灯が点滅し、もう一度「もしかして??」という嫌な予感が頭の中を過(よぎ)りました。

もしかしてコロナによる感染者が発生したのだろうかという予想のもとに私だけが車を降りることにして、入り口で様子をうかがうと慌ただしく施設の職員が動き回っています。遠目に見ながら施設職員さんの1人に声をかけて「何がありました?」と伺うと、中に住んでいるお爺さんが39度台の熱発で寝込んでしまったというものでした。

職員さん達は遠巻きにしながら救急隊員にお爺さんの担送を任せていましたが、もしかするとお爺さんがコロナ陽性の可能性も否定できません。そこで本院の方に急遽電話を入れてこのような場合の対処法を求めたのですが、責任者たる院長先生達は皆出払って連絡ができません。仕方ないので独自の判断で中で私が担当している一人の患者さんの容態を遠く離れた距離から伺い、問題のないことを確認した上で処方箋をPCでその場で発行して終診としました。

明日までにはPCR、抗原検査、画像等のスクリーニング結果が出ているはずですので、私の心配が杞憂であることを証明していただければ幸いです。

それにしても・・・名古屋はもうかなりのリスキーなエリアです。身近なところで多くの当院職員さん達の友人や知り合いのレベルで、コロナ陽性の人達の話が出てきています。そろそろ直近の人間に陽性者が出るのも秒読みに入ってきたような嫌な予感がします。


2020年8月3日月曜日

長崎のほうも大変みたいです

長崎の田舎でもコロナがエラい事をしてるみたいです。

地元にいる昔の教え子とLINEでやり取りをしていたところ、コロナに罹患した我が母校の研修医というのが実はゲイバーで東京の友人からコロナを貰ったとの話。なかなか感染源を話さなかったらしいのですが、最終的に調査委員会に事の詳細を話してクラスターの追跡ができたらしいのですが、性的指向がどうであろうと全く構わんけれどもそういう夜の街に出て三密状態になる可能性のある行動は医療従事者としては「絶対に」避けなければなりません。

この行動はアウトでしょう。今回のこのコロナ感染が遠因で高齢の患者さんが亡くなられています。研修終了後はどの医局も彼を受け入れるのはかなり渋るんじゃないかなと推測されます。責任と自覚ある行動が取れない医師が自分のとった行動で医療人としては最も起こしてはいけない結果を起こしてしまったわけですから。

もう一つの話は田舎にある北陽台高校という地元ではいわゆる普通の県立進学校のひとつなのですが、そこの教師が諫早というこれまたちょこっと離れた田舎の町にわざわざバレるからということで行って、そこのキャバクラでクラスターを爆発させたせいで県下一円に広めるクラスターを作ったというお話。

なんとも非常識な20代の教師らしいのですが、北陽台近辺とか田舎ですからね・・・。この人例え治っても学校には居れんだろうなというのが私の予想。というのも、北陽台の図書館とか閉鎖になってるということですし、近所の町医者にもここの学校の生徒は診察拒否されているとのこと。

更には既に具合の悪い生徒さん達が北陽台の中に発生しているというのをこの教え子から聞いたのですが、受験に突入するこの時期にコレはないわって思ったのは皆同じはず。教育関係者も一皮剥けばこんなもんです。

現時点で判明しているだけで10名以上の感染者が確認されていると言いますから、このクラスを起点として多くの人達が影響を受ける可能性大。災害レベルです。

私の病院でも、既に随分前から一言で言えば「どこにも行くな」という、不要不急の外出を全て柔らかい言葉で、しかし厳しく禁ずる命令が発令されました。高齢者の多くいる病院に勤める人間としては当然です。人の命に関わる仕事をしている期間でアタリマエのことが守れない人間は正直なところ馘首ですわな。文句は言えません。

2020年8月2日日曜日

病院職における中卒というハンデ

実力一本の世界で学歴など全く関係ない世界はいくらでもあるでしょう。

筋肉、格闘、運転などなどあるかもしれません。しかし、極めて飛び抜けた天才的能力を持った人物を除けば、通常スポーツの世界でも結局はその運動の目指すべき方向や作戦を理解できる頭脳、そしてチームスポーツであれば指揮官の意図することを汲み取る能力が無い人間はある所から先には伸びないのではないでしょうか。

1.5流までは行っても一流にはなれず、ましてや超一流には全く届かない。しかも選手寿命は短いというのが私の「主観的」考察です。

例えばイチロー。確実に知性があります。しかも第一線で長持ちしました。現代のF1で「チャンピオン」になる人間達はどうでしょう。やっぱり何れの人物も深い洞察力を持ち、テクニカルディレクター達にメカニカル・コンディションを的確に伝える知識と知性を持つ人々。陸上、水泳、球技どこの世界でも飛び抜けた身体能力を転生で持つ一群とそこまではないにしても、確実に首の上についているモノを使って階段を登り続けトップに来る人達。

入院している元ヤクザの世界の人達に病院でその筋の人達の話を聞いていても「学歴と関係なしに」やはり頭が良くないとトップには近づけないと言います。要するに今の時代は金を集める能力、人を惹きつける何かが無い度胸一本だけの人間はやっぱり途中で命を落とすか問題を山のように溜め込んで破門ということなんだそうです。

商売だって中卒であっても巨万の富をなした人々は日本にだけ限っても枚挙に暇がないことは無数の列伝が幾らでも語ってくれます。しかし、彼等には「自分の頭で考える」という能力が備わっていました。いわゆる地頭という奴でしょう。

病院の中にも信じられないほどバリエーションに富む理由で義務教育しか終えていない女性たちが居ます。それでも大人になった今、「勉強したい」という気持ちを隠しきれずにいる人達が毎年沢山いるのが事実。知らないからこそ、見たことがないからこそ触ってみたい知識の世界。そういう人達の中には実は地頭の良い人達が隠れています。

私の仕事はそういった人達の手を掴んで次のステージへ連れて行くこと。持久力と地頭があれば高校卒業資格(同等のものであれば十分)を手に入れることはそんなに難しいことではありません。その次は看護学校へいくこと。このためには高校卒業資格が必要。

そんな彼女達に各科目を基礎からやり直す形で毎年授業をしています。私の衰える頭脳にもこういった復習はたいへん活を入れる力となります。

頑張る女性たちの努力が報われた顔を見るのは毎年私のようなオジサンにも力を与えてくれます。:)


2020年8月1日土曜日

おかし総選手権の結果は全く納得いかん

この前テレビ朝日であったお菓子総選手権見られた方も結構居たんじゃないかと思います。

私も家に居て相も変わらずこの手の番組を見続けている家人がスイッチを入れて熱心に見ていたので、横で作業をしながら私も次々と発表される順位とその菓子を眺めていました。結論から言うと「全くどんな集計やってんだよ?」というのが正直なところ。

50代で俺ほど駄菓子をいろいろと食ってる男も珍しかろうというくらい昔からお菓子を色々と食べてきていますし、今でも病棟のナース・ステーションにお菓子を持っていってはそれを自分でも食べてしまうという節操の無さで一部失笑をかっている私です。しかも先日は年上の看護師さんからは「50過ぎの小学生か!」と揶揄され、思わず「今どきの小学生でもこんなには菓子を食べんでしょう?」と逆に言ってしまったのでした。

選手権の結果を見ると一位はカルビーのポテチ「うすしお」という結果に。上位30位のうち25-30%くらいの感じでポテチがトップを占めていましたが、わたしそもそもポテチなんて食べません。極端に体に悪いし、アメリカでは医師から「悪魔の食べもの」とか言われているとか、実質内科の敵のような食べのという認識なんですけどね。

そもそもアメリカで極端にデブの人々の好きな食べ物の市居はこれと言って良いのでしょうが、それは味覚音痴のアメリカ人だからであって、もっと繊細で美味い菓子は日本には幾らでもあろうが!てなもんです。

企業規模がデカイ会社の駄菓子というということで、選定された参加22社からのみのセレクションだったというのがありますけど、本当に美味い菓子なんて言うのは超大量生産品の中には名前が出てこんのですよ。ほんまに。

要するに、今回のお菓子を世界大会に持っていっても多分全く勝てない。勝つとしたら和菓子とその周辺領域の焼き菓子等の逸品軍に尽きます。

そもそも、トップテンに今は亡き森永チョコフレークやハイチュー、トッポ、そしてこれも今は亡きマスヤのモコッペ等が無い時点で「ド素人共が」となってしまうわけです。極めつけはおにぎりせんべいがトップ30にも入ってないという時点で「そもそも番組を見る価値自体がなかった」というのが私的結論でした。

ああ、俺の脇見した時間でさえ惜しいわ。腹立つ!w