認知症になった人、認知症と言われた人が身近にいる人は今の時代どこにでも居ると思いますし、このブログを(たまたま)読んでいる人自身もごく身近にそんな方がいるかと思います。
病棟に居て最近再び痛感したのは一部の看護師さんに認知症と呼ばれる患者さん達に関する大いなる誤解があるのではないかという事。今年の忘年会で一言注意喚起をしようと思っているのですが、ある種の誤解(一般の人にも多く広まっている完全なる誤解)に関して、それが完全なる誤解であることを心から再認識してもらわなければならないと思っています。
言ってもわからない輩はやっぱりなかなか理解できないし、理解している人は言うまでも無いと言う感じでこれまた本来説明の必要はないのですが、わからない人のために言っておかなければならない事。それは認知機能がいくら落ちていても人には「豊かな感情」が残っているということなのです。
この最も忘れてはいけない一点、そしてその一点をこそ頭の中にしっかり焼き付けていただきたいのです。
自分の親が認知機能が低下した時に、それを自然の出来事と迎えられるか否かというのは実際の生活の中ではそう容易ではない問題なのですが、そうなってしまった人をもう何を言ってもこちらの言うことが伝わらない「モノ」のように扱うのか、それとも記憶や理解の能力が低下しているだけで、実は心の底には若かりし頃と何も変わらぬ「怒り」「喜び」「恥」「悲しみ」などの激しい感情が普通に残っている人達だということを理解して接するのか。
それによって大きく患者さんと自分達の関係性が変わると思うんですが、どんなに経験を積んでもその一点が理解できない看護師さんが居るという事実にいつも私の心が疲れます。
こういう「人の心に対する理解力の差」というのは小さい頃からの育てられ方の差なのでしょうか、それとも知的能力の問題なのか。フラットな感情の持ち主にはそういう人の心の襞に関する先生な出来事は理解し難いのかもしれません。
教育というのには限界があるのだということを感じる機会も実生活では多いのでした。
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