2019年11月20日水曜日

生保は明日のあなたかも

病院にはいろいろな患者さんが入院してきます。

中には認知機能が低下している方も当然おられます。この手の方でギリギリの状態で“主に近所の人からの通報”で役所から保護された方、また、ローリング作戦のような感じでいつも日常生活のレベル低下が疑われている人に対して役所からサーベイの対象になっていた人で、認知機能が低下していなくても生活のレベルが維持できなくなっていた人などは保護の対象として病院に保護依頼がなされることがよくあります。その多くは生活保護の対象者として。

院長先生の方針として、役所から依頼された案件に関しては地域の公共サービスへの協力の観点から可能な限り入院は受諾して行く方針をとっています。
実際のところそういう方の入院形式で多いのは「今、役所の窓口に来ていてもうボロボロの状態で、警察官によると何処も受け容れの施設がなく、緊急搬送するほどの感じではないけれど何か疾患がありそうなフラフラ状態です」的なレスキュー依頼でしょうか。

実際のところ入院して検査してみると、脱水や栄養失調、皮膚疾患を皮切りに、心不全、肺炎、重度の糖尿病、腎不全、尿路感染症、前立腺肥大、肝炎、肝硬変、脳梗塞などを始めとして既に末期の何らかのガンであったりということも稀ならずです。

日本人として最低限の幸福と社会的支援を行うという意味ではこの様な医療行為は大変重要なサービスなのですが、これをぎりぎりまで受けない為に、もしくはどうして助けを求めて良いか解らないがために、いわゆる「野垂れ死に」してしまう人が多いのです。

少し前に「おにぎり食べたい」という書き置きを残して餓死した生活保護辞退者がいましたが、本来この国でそんな事があってはいけないというのは基本。“いかにも”の生活保護者が居ることはたしかにあります、そしてそんな輩に対する反感の醸し出す社会からの反生保の空気の中で、生保を使わず死にゆく人々もいるというリオアリティを見つめなければなりません。

これに関しては以前にも何回か書きましたが、今にほんはどんどん貧乏になっています。それでも国家にはまだ体力は「残って」います。今現在、生保を批判しているその人も明日には、まさに今時分が批判していた生活保護のネットのもとに保護される側になるかわからないんです。

まさに脳血管一本が詰まっただけで、脳血管一本が破れただけで、今日の幸せがあっという間に崩壊するのを私は毎度のように病院で見ているんですが・・・。

もう少し想像力というものを働かせて己の生活が如何に薄皮一枚でつながっている幸せなのかを考えて見る時間を作ってみるのも良いのかもしれません。


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