2024年5月15日水曜日
暫く見かけないと最近思っていたら
2024年5月14日火曜日
余りのAIの進化に憂鬱になるほど…
2024年5月13日月曜日
無くならないイジメ
2024年5月12日日曜日
またまた岐阜県!
今度は恵那峡に行ってきました。
毎度毎度、ほんまに岐阜に良く行くな~と自分でも感心する程で、岐阜県観光協会の人も泣いて喜んでくれるレベルではないかと密かに考える程の頻度だと思います。W
さて、本日もゆっくりとしたスタートと言うかそんな時間から行動開始か?というくらい遅い時間からの行動開始。一時過ぎからの始動で息子とともに家を出ました。最近は北のほうによく走っているので距離感等言うものがついてきておりまして、このくらいの時間でも特に問題なく恵那での行動ができるだろうという予測。
運転してみると確かに「岐阜の一部地域」に対する自分の距離感が仕上がってきたのを実感できました。
マップに従ってちょっとした山道を駆けていくと直ぐに恵那峡の遊覧船乗り場に到着しました。高速道路を降りてあっという間なのでストレスも全くありません。到着するとボート乗り場の直ぐ側に障碍者用の駐車場があってアクセスは至極安全。
観光用のボートのチケットを購入すると息子と2人で1500円と半額になります。待合室では韓国からのオバチャン軍団がやって来ていて、愛想の良いツアーガイドさんも日本人の係の人やおみやげ店の人との間でのアシストに大忙しという感じです。どこの国でもオバチャン相手のツアコンとか鬼のように大変そうで、その忙しそうな様子に心のなかで「頑張って!」と応援をしてしまいました。
ボートは天蓋付きの50人くらいは乗れそうな感じの遊覧船。気づかないうちにあっという間に離岸して木曽川のダム湖を遡上していきます。そもそも、ダム湖として丁度100年前にできた恵那峡ですが、当時、福沢諭吉の婿養子福沢桃介が日本初の女優である川上貞奴と頑張って大井川ダムを仕上げていったことが資料館にもありました。アメリカに頼った大規模な起債など大変だったことがよくわかりました。
ボートでは岩の名前の説明が延々と続いたのですが、そのネーミングはいまいち無理強い的な感じが強くて、思わず唸ってしまう感じ。W最後の方では名前のつけようがなくて「名無し岩」とまで名付けられていた岩があったのを見てその感を強くし ました。
ただ、息子はこういう状況でのボートは初めてに近い感じで、ずっと緑の湖面を見つめて楽しそうでした。また連れてきたいですね、今度はもう少し晴れた日もいいかもしれません。
獅子岩です。これは説得力のある形です。 |
遠くに見える紅岩!近くで見てみたい…。 |
恋人が座って写真を撮りそうですが、実際は私と息子が近くに立って自撮りしました。W |
おそらく関電による記念行事が催されるはず!!!!!!! |
何だか如何にも飛び込みのありそうな橋… |
2024年5月11日土曜日
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2024年5月3日金曜日
世間はゴールデンウィーク開始ですが…
先週から入れると有休を上手く入れたら10連休になるという今年のGW。
しかし、正直今の私にはあまり関係ありません。息子と一緒に過ごす日常の時間が少し増える程度でしょうか。理由は毎度簡単で、病棟に自分の受け持ち患者さん達が居ると世間は休日でも、実際には病棟の患者さん達の状態が気になってそう長い間は病棟をそのままにしておくことは出来ないという実情によるものです。
勿論、時代の流れに合わせて自分の病院でも主治医制が中心とはいえ、ある程度の分業や当直医への役割分担も拡大させてはいるんですが、実際にはそのドクター達にはそれぞれ出来るレベルというのがあります。
それは専門性の違いや経験値の違い等それらの「対応力」を決める要因は様々で、良いとか悪いとかいう類のものでは無いのですが、一番の肝は「常勤医がお互いをカバー出来るレベルであるか否か」というところです。
以前は内科医で信頼できる関係にある医師三人でチームを組めていたのですが、現在は私を含めもう一人「・・・」という感じの内科医が一人いるだけで、基本的に一人で病棟を任せられない状況。残念です。
アメリカに頻繁に帰って居た頃は任せられる他二名のドクターが居られたのですが、今はその自由はありません。orz
今日も昼に行けなかった分、夜も11時過ぎに病棟へ行って患者さん達の様子をナースの皆さんに伺いながら指示を出した後、最後に事務当直室へ。ところがこの当直室でまたしても長く「ある人物」と話し込み、気づけば午前1時に。彼らの寝る時間を私の討論が削ってしまい申し訳ない事をしたなと、帰り道の車の中で反省しきりでした。