2019年4月30日火曜日

平成終了!

遂に平成最後の日になりました。

平成が始まった日のことは今でもハッキリ覚えています。
テレビのニュースで平成(へなり)さんという人がインタビューを受けていたんですが、「ワシ昨日飲みすぎてアッタマ痛いんですわ〜〜」という感じのとぼけた感じでした。w
あれから31年、あのオジサン今も生きているんでしょうか。月日の経つのは本当に早いですね・・・。

それにしても、平成は本当に災害の連発した時代だったということは誰も否定することの出来ない残念な事実だったと思います。本当に心が折れてしまうような酷い災害が次から次に起きて日本を砕こうとしました。私にとって個人的に最も関わりがあったのは雲仙普賢岳での火砕流でした。研修医になる前年でしたが、先輩達が毎日徹夜徹夜で必死になって全身の重症火傷で水分を失い続ける被災者達の救済にあたっていましたが、数日おきに一人また一人とお亡くなりなっていくのを伝え聞き本当に無念な気持ちになったのを覚えています。

とは言え、日本が関わる戦争が起きることなく平和に過ごせたのは災害の頻発はあったにせよそれをかなり打ち消してくれるほど良かった。本当に。
国際貢献という形で日本が外へ積極的に出て平和維持に大きな貢献をしてきたことも疑いようのない事実で、派遣先でも日本から来た自衛隊はその派遣地の道路建設、その他の基本的インフラ整備に大きな貢献をしてきました。
またシーレーンでは海賊に対する巨大な抑止力として種々の物資の安定的な輸送に関して大役を果たしてきたことも事実です。

平成という時代の日本、は間違いなく、国民に寄り添って過ごしてこられた平成天皇と皇后陛下のが平和を希求し続けた時代として末永く記憶されることでしょう。

さて、私個人はというと平成最後の日は特に何をすることもなく息子を連れてイオンモールにちょこっと行った後、孤独のグルメで気になっていた粉物を制覇するために二人でお好み焼き屋にいってデラックス焼きそばやお好み焼きをバクバクと食べてきました。これも、国家が平和だからこそ出来る生活のスタイルの一つ。事故と病気と加齢以外で自分や家族の命の心配をしなくて良いことがどれほど素晴らしいことか、無くなってみて初めて解る素晴らしいものなのだと思います。
イオンモールの中にちょこっと置いてあった立方体です。
何かがあるからって特に何かをする訳でもないのが我が家流・・・っていうのは本当の所カッコのつけすぎで、そういう事に特に何かのイベントを企画しないのが我が家のナガレなのです。実際の所、家族の人生自体にいろんな意味で普通ではない大イベントが多すぎて、特に変わったことを企画するということをしなくなってしまった我が家でした。

令和が災害の少ない(少なくとも日本の関わる)戦争の無い平和な時代でありますように!

2019年4月29日月曜日

ボコボコの当直

平成と書かれた日付の死亡診断書を書かずに済ませたかったのですが・・・。

二連続当直ですが、なんというかあちらこちらの病棟からちょっとずつコールが入ってくるため正に”今寝よう!”もしくは”先ほど眠りました〜”という状況で、私の院内PHSがピコピコと鳴って私の安眠を妨げます。

オッサンですから30代の頃までと違って、変則的なコールはなかなかつらいものがあります。朝の四時とか朝の六時にコールがあって超高齢患者さんの死亡確認を連続を行い、かつ霊柩車まで見送るという一連の作業を繰り返すという行為は結局深い眠りを許しません。

多くの場合はそれほど何も発生しないイワユル”寝当直”というのが多いのですが、時によってはほぼ寝ることが出来ず、ベッドの上に横になってぶっ倒れたまま目を瞑って次の作業を待つということが続きます。

しかし、昨日今日と何だか忙しい当直でした・・・。

変なリズムで寝たり起こされたりで、頭痛が起きてます。
全国の当直医にとっては全くもって平成も令和も関係ないですな〜。

 

2019年4月28日日曜日

親子でこんな偶然ってあるのか!っていう話

LINEで長女に自分が買った本の表紙の写真を送りました。

「アメリカでも有名ですが、日本語版出てたの見つけたので今日買って読み始めましたよ〜。」とメッセージを送りました。その時送った写真は以下のものです。
Hillbilly Elegyですね。すると・・・間髪をいれず長女から、次のようなメッセージと共に写真も送られてきました。「WAIT」「I JUST BOUGHT THE SAME BOOK」
何という偶然でしょう。ほぼ同日で同じ本の日米版それぞれを買って読み始めていたなんて!というわけで、私は次のように返しました。「やっぱり親子だな〜lol」と。娘はスタンプで以下のものを送ってきました。
その上で娘は重ねてきました。「You should also read "the new Jim Crow"」とのお薦め。これはまだ日本語版は出ていないので、娘が帰国時に家に持ってきてくれると約束しました。

ヒルビリー・エレジーの中身に関しては上のリンク先からあらましを読んでいただければ解って頂け得ると思うのですが、実際に読み始めて知っていること知らないことの確認に役立つし、なるほど、この人達はこういう思考回路を持っているんだな〜と言うのがよく分かる最良の本の一冊と思いました。

本自体の話はさておいて、同じ本を同じ日に買うなんてなんだか思考回路とか行動様式が似てるんでしょうね。ヤッパリ。
親子っていうのは物理的な距離を超えて似たことを考え似たことをするもの、ということを実感した今日でした。

 

2019年4月27日土曜日

日本医学界総会・中部 に行ってきた

日本医学界総会・2019・中部と言うのにチョコっとだけ行ってきました。

今年になっていきなり数年後の建て替えが発表になった名古屋国際会議場という、いろいろな人にとってアクセスの悪いところにあるともっぱら評判の会議場での開催でした。
風がビュービュー吹く凄い体感温度の下がりそうな条件の日でしたが、私は車に乗って半袖で行きました。

会場に近づいてみたら如何にも医者・・・という感じのスーツとコート姿のオジサン、オバサン、お兄さん、お姉さん達が会場に吸い込まれ続けているところでした。
ノーベル賞受賞者の記念講演もあるという事でしたが、私自身は何の興味もなかったので、中に入って総会の参加証だけゲットして中をウロウロ。

参加登録時に貰ったバッグの中には傘とブックレットと今回の総会のヘッドである某氏の名前が記された岩波新書が入っておりました。
思わず「オイオイ、これはないでしょう・・・。w」と思ったのですが、1000円の本でも数千人に配ったことになればトータルでは結構なお小遣いになるんでしょうか?知りませんが。李下に冠をとは言いますが、名誉なんとかという感じの人物というのは周りの神輿担ぎに言われてこんな事をやらかすんでしょうかね。

まあ、それはともかくこの手のXX学会総会というのは規模がデカくなればなるほど中に出てくる発表のフォーカスというのは甘くなりがちで、案の定というか今回も総花的なお話と講演会参加によって単位を貰える系のレクチャー・講演がズラズラ〜っと並んでおりました。

私自身は特にどれに参加することもなく近場で飯を食って終わり。風ビュービュー吹く中で、いくらしゃかしゃか建物内で歩くと暑いとは言え半袖ポロシャツだったのは数千人の中で私一人。これがアメリカの学会だったら、Tシャツとバミューダの人間も大量にウロウロしていたはずなのですが、ここは日本、やっぱり場違いでした。w

病院の方針として「参加して下さい」ということで費用も出していただいている手前もあり行ってきたのですが、まあ、参加するほどのものでもなかったかというのが結論です。
ただし、帰りにはみかんのダ・ビンチ像の再現レプリカを中庭で見ることが出来たので、それは良かったです。

2019年4月26日金曜日

遂に始まった十連休

天皇陛下の譲位と新時代を繋ぐ休日の10連休。

日本人にとってはなかなか慣れない”国家によって与えられた”10連休ですが、アメリカに居た頃は連休や休みというのは基本的に”自分の意志で決定した休日"が実際のところ殆どでした。

ゴールデンウィークも日本人の中できちんと消化されているのかイマイチわからない感じですが、休むとか働くとかいう自らの行動に関してなかなか自分の意思のみで決められないのは日本では医療職関係者がひょっとすると最多なのではないでしょうか。

医師は比較的自分の希望を入れながら翌月の休みをとったり、同僚に依頼し合ったりしながら休みを作っていきます。しかし、看護師さん達は師長のリクエストと自分の希望の合間で鬩ぎ合いをする事が多いみたいです。もうちょっと良く見てみると、実際には師長によっては好みの看護師さんとそうでない看護師さんの間に何らかの”つまらない”計算をして勤務表を仕上げるようですね。

さて、今回の十連休、ニュースを見ていると海外に長期間出ていったり国内の施設をあちこち回ったりという人々が多そうですが、私はと言うと明日は名古屋での学会、明後日とその翌日は病院当直。更にその翌々日の水曜日は別の病院での外来勤務。
そして最後の締めは日、月の連休最後を締める当直ということでもう何がなんだかわかりません。w

まあ、人から頼られ体が動くうちは黙々と真面目に働く遺伝子を組み込まれた世代なんですかね。個人的にはそれもまた良しです。

長期連中を楽しまれる皆様におかれましてはたっぷりとお金を振りまいて礼和の時代に向けての景気づけをして頂きたいものです!

2019年4月25日木曜日

平成のスーパースター

気づけばもう平成も後一週間を切ってしまいました。

日々の忙しさに紛れているうちにカレンダーは日々次の一日に移って行ってしまってます。こうやって平成は終わっていくのかと感じる間もない状態ですが・・・。

平成の31年間には沢山の素晴らしいこと、そして同じくらい酷いことも起きましたが、この間、ずっと日本の象徴として存在していたのは誰を於いても他ならぬあの方でした。
国が悲しみに落ち込んでいる時、必ず表に出てきて人々と膝を交え、必ず表に出てきて人々に声をかけられ、老いた体で無理をされてでもカメラの前に背筋を伸ばされて出てこられ、国難を乗り越えるお声がけをしてくださった陛下。

やがて平成天皇と呼ばれるお立場になられるわけですが、陛下ほど全ての日本国民にとってのスーパースターであられた方はどこを探しても勿論居られません。
年令に関係なく、老いも若きも男も女もその御方が目の前を通り過ぎるだけでその御姿をひと目見ようと必死になるような人物。
そして、目の前を通過されるだけで驚き、多くの人が両手を振り、旗を打ち振り、万歳を連呼し、涙を流すような人物をスーパースターと呼ばずして何と呼ぶか?やっぱりスーパースターとしか呼べないですよね〜。

芸能人が目の前を通ろうと一瞥もしない輩であろうとやはり陛下は見るでしょう。そして、個別の芸能人や有名人にはそれぞれに好きなファンが付いて熱狂的な応援をしたりするのでしょうが、その全てがお互いにとってのスターに関心を示すわけでも無いでしょう。それでも陛下が近づくと知っていればほぼその全員が間違いなくその姿を見に出てくるはず。

世界各国の大使や元首にしても事情は同様。結局の所、日本の象徴として日々自己犠牲の上に成り立った生活を送っておられる陛下に皆が是非にと会いたがるという事実がそれを雄弁に物語っています。兆の富を持つものがいくらカネを積もうと会えるわけではなく、勲章を幾ら持っていようと会えるわけでもない。

常に立場の弱い人々の側に立って他を思いやり、新しい時代の象徴としての天皇像を探し求めてこられた我らの平成天皇。そんな誰からも尊敬され敬愛される人物が我らの国家としての象徴だったことを私は本当に心の底から誇らしく思うのです。

自分の親父が陛下よりも5歳も年下ですが、アノ親父よりも五歳年上であの激務!
それを考えると80代なかばの陛下が日々早朝から始まる一年中の体力の要る公務をこなし、国家と世界の安寧を想い続けてこられた事に驚きと申し訳無さを感じるのでした。

本当にお疲れ様でした。両陛下の薫陶をしっかり受けられた浩宮様が次の令和の時代を両陛下同様に守ってくださることと思います。

2019年4月24日水曜日

トランプの対立候補

大統領選、実はそこまで近づいていますよね。

リパブリカンは、まあ、あの”薄らXX”で決まりでしょうからコメントの必要もないと思いますが、デモクラッツから誰が出てくるかは大変面白い状況になっています。それこそ多種多様。本命と言われるバイデン、サンダースなどの名前も上がってはいますが、バイデンは米国にしてはちょっと年齢が行き過ぎだし、サンダースは毎度の若者人気は”大変に”ありますが、アメリカの平均的投票者の理想からは左に寄りすぎていて毎度の徒花状態ですし、これもほぼバイデンと同年齢で歳行き過ぎ。

結局、本命と呼ばれる連中は確かに知名度は高いにしても、私には既に出汁(ダシ)は取り尽くされてしまった感じの人達にしか思えません。 
そういう意味ではその他の候補達のほうがよっぽど面白い感じのする候補達が多いのですが、その中で気になる若手2人を挙げてみました。

一人目はその他の中ではもっともよく聞かれる感じの人ベト・オルーク。この人は共和党をこき下ろす感じで激しく攻め立て続けます。共和党の牙城テキサスでは本当に僅差まであのTed Cruzを薄氷のレベルまで追い込んだ男です。
この人は戦闘機のような感じの候補ですが、実際にはいろいろなことに関して幅広く見識を持つコロンビア卒の男ですね。

もう一人はまだまだ日本語のWikiのページも現時点では本当に1ページ分にもなってないピート・ブーティジェッジです。この人アメリカ大統領候補としてはかなり異色で、ゲイをオープンにしている人なんですね。しかし頭脳は抜群。話し方も内容もカチッとしていて、その優秀さは共和党の”薄ら”とはそれこそ対比するのが可愛そうなほどずば抜けています。現在はインディアナ州のサウス・ベンドという町の市長ですが、年齢も30代かつハーバードを出てオックスフォードにも行っていて英語以外に7カ国語を操るという飛び抜けた(少なくとも言語に関する)能力を持っています。しかも、29でサウス・ベンドの市長になった後、全米でも最悪レベルと言われたこの子の財政をあっという間に立て直したという能力証明済みの経済手腕。

名前の呼び方が変わっているため、アメリカ人も番組などでその名を呼ぶ時に先ずは読み方を確認してから入るというのが定番になっている感じなのですが、親父さんのほうがマルタから来た人とか。

うるさく相手を攻め立てることで有名になってきているカマラ・ハリスなどを抑えて、デモクラッツに水性のごとくその支持層を厚くし始めているこの30代の能力者。
もしかしたら来年、ゲイ・パートナーを伴って大統領就任式に出てきて、ケネディーの再来のように若手の超新星になるのかもしれません。

この馬に乗ってみたいなと思わせる凄い奴ですね。米国って実力さえあればこんな若手でもズンズンと国家のトップになる可能性を”本気で”持てる国だという点で”ジジイの王国”に住んでいる私としては羨ましい限りです。

2019年4月23日火曜日

床屋のおじさんが超危険!w

自分のブログでは何回も自宅で髪を切ったり、床屋に行ったりということを記事にしてきました。

私自身は杁中にある理髪店に行って、だいたい1−2ヶ月前後に一回の間隔で己の髪を短くしてもらうのですが、最近ちょっと気になることがあってこの理髪店に行くことに”ためらい”を感じています。

実際の所一体何がと問われると、あんまり言いたくないのですが命の危機!
このお店には三人の男性が理容師として勤めているんですけれども、そのうちのお二人は多分40代と思われる方々。ところがもう一人の方が多分二回りほど年上の方なんですね。そして、この三人の内、誰かを指名して髪を切ってもらうことは出来ません。

とは言え、私の経験上、仕上がりに問題があるのはこの最年長の男性理容師・・・。既に二十回ほどはこの床屋さんにお世話になっていると思うのですが、この一年ほどこの男性理容師にある変化が起きてきているのです。それは手の震え。医学用語で言うところの振戦と呼ばれるものなのですが、パーキンソニズムによる振戦というよりも小脳に何らかの問題があるような感じの振戦なんです。

私がガックリするのは、まず最初にバリカンを当てて髪を切ってもらう時なんです。本人も気にしているのでしょうか、気づいているとは思うのですが、髪にバリカンを当てる時に片方の腕でもう一方の腕の震えを抑える感じなんですが、それでも大きく震えて後ろ髪を刈り上げてもらう時に「ビッグ・ウェ〜ブ」が発生しているのです。ザザッと髪を刈りながらも、どう見ても見た目に波打ってる〜〜〜〜!均等にバリカン当たってないし。(T_T)
刈られているこちとらはメチャクチャに緊張しているのですが、ほとんどまな板の上の鯉。

そして次の緊張の瞬間は暫くしてやってくる顔そりの儀式です。
これはもう緊張で脂汗が出そうな感じなんですが、剃っている時の腕がこれまた結構豪快に震えていてもしかして頸動脈でもそのうち切られるんじゃないかという暗い予感が脳裏を過(よぎ)ります。orz

こうやって”本来は要らぬ高強度のスリル”を味わいながらの髪切りをされることが数回に一回発生するんです。あのオジサンが辞めないのならしばらくはあの店に行かないで藤が丘の方の店を新たに試してみようかななどと考える今日この頃です。

2019年4月22日月曜日

アイデアをメモに書き出す大切さ

こうやってブログを書くときだけでなく、様々な場面で自分にあるクセが無いことを悔やむことが多いです。

そのクセというのはメモを取ることです。
人の話を聞いてメモを取る、何かを思いついてメモを取る、何か困った事があってそのうち解決する必要性を感じてメモを取る、やっておかないといけない事を思い出したりしてメモを取る。そういった習慣が自分には無いことでいろいろと失ってきたものが沢山あると感じています。

習慣が癖になるレベルまできちんとメモを取る事の出来る人はきっとじぶんの能力の底上げに成功している人だと推察します。メモをしておけば防げた筈の大失敗、特に人との約束を忘れるということは余り経験していないとは言え、もしカレンダーにちょっとしたあの時の約束を書き込んでおかなかったらどんな事になったろうと想像するだけで、脂汗が出そうになるような”ちょっとした”端っこに書いたようなメモに救われたことは数知れずです。

ところが、この行事メモを日常のいろいろな行動に適用できていない自分が居ます。

もともと悪筆ということもあり、自分の書いた文字を見ること自体に毎度の幻滅を感じ続ける日々なのですが、例えばブログのネタになるような事を「おお、これは良い!」と思いついても、夜になると「あれ?何だったっけ?・・・。」というのですから救いようがありません。

じゃあ手もとのデジタル機器にタイプしておけばいいじゃないかというのが次のステップなのかもしれませんが、それを使うのは通常、医師同士で連絡に使う診療情報提供書の返送用に相手の先生の名前と医療機関のファクス・電話番号を撮影することに使うくらい。

これではイカンということで、ボイズ・メモをちょこっと使うことはあるのですが、なんだか慣れてません。モレスキンのメモ帳は持っているのですが、常に持ち歩いているわけではないので、これでは駄目ですよね。

PCのメモは画面のキャプチャとかEvernoteでやっているんですが、日常の行動をカバーする訳でもなく・・・。もう少し考え直さなければなりません。
これからいろいろと物忘れも増えてくるような10年、20年先のことを考えるとこれって自分のいろいろな大切なことを担保してくれるような気がするんですが、究極のナマケモノの俺、上手くいくような気がそもそもしません。orz

もう少し考えねば。って、その過程でそもそもメモを取らなければ!w

2019年4月21日日曜日

人の意外な一面を知った時の驚き

いままで”この人はこういう人”だと漠然と括っていた感触。

それが、別のことからフト知ったその人に関する「!?」というような事実を知ることで、その人への見方がかなり変わってしまうことは50年も生きていると時々起こること。
そもそも、それを驚かないことが殆どではあるのですが、今日知った話はそういった”そういうこともあるでしょう”と言った小さな驚きで済むものではありませんでした。

勿論人間ですから、大なり小なり見たこともない陰も日向もあるわけでそれが自然。多分そんな陰影が無い人は付き合っていて面白い事もないのでしょう。
人の知らないところで誰にも解ってもらえないような事に苦しめられていたり、知らないところで人のために働いていたり、知られていないような美徳があったり。

しかし、その”知らなかったこと”も、思わず「えええ、そんな事があったんだ・・・」と、思わず口を噤んでしまいそうになるような事だとすると、なかなか翌日からその人に昨日までと同じような感じで接することも出来なくなるというか”感じる”事が出来なくなってしまいそうです。

”人間なんてそんなモノ”というのは簡単なのでしょうが、ショッキングなほどの知らなかったネガティブな事実が重なってくると影響を受けないわけにもいかないわけで。物事には何事も知りすぎると掘り返される何か別の面というものが見えてくるもんだなと改めて思い出した次第です。

この世を生きるっていうのはそういうイベントの繰り返しなんでしょうけどね。やっぱりキツイものはキツイ。orz

2019年4月20日土曜日

高齢者の認知機能検査

後期高齢者、超高齢者の認知機能検査をしていてウーンと思う事が幾つかあります。

我々が毎回のように使ったり、他院からの紹介状によく記載されている認知機能検査の代表的なものを2つ上げるとすればトップはHDS-R・長谷川式簡易認知症スケール(改定 長谷川式簡易知能評価スケール)でしょう。その次はMMSEでしょうかね。まず、HDS-Rでは
  • 自分についての見当識(年齢)
  • 時間についての見当識(年月日と曜日)
  • 場所についての見当識(ここはどこか)
  • 作業記憶(3つの単語の直後再生)
  • 作業記憶(数字の逆唱)
  • 計算(計算)
  • 近似記憶(3つの単語の遅延再生)
  • 非言語記銘(5つの物の視覚的な記銘)
  • 前頭葉機能(野菜の名前の想起)
などを大まかに見ます。実際には慣れた検査者であれば、凡そ15分前後で終了しますので、臨床家としては便利なテストなんですね。他の患者さんを診察したりしているうちに結果が得られますので。

このテストで大事なのは検査をする人自身の技能もありまして、注意力・態度・自発性・言い繕いなどもキチンと見ている事が前提になっております。その上で、被験者をやる気にさせるというモチベーションの喚起も大切。ヤル気の有り無しで結果も大きく変わってまいります。上に書いた4つの要素は実は認知機能障害者でダメージを受けた結果として変化を受ける資質だったりするんです。

満点は30点なのですが、実際には自分が出来ないという事がわかっていたり、認知機能の低下を指摘されるのが嫌でそもそもテストを受けようという気が無い人や、やる気自体を全く見せない人などの場合などキャラクターによる点数への影響も大。0-10を重度。11-19を中等度、20以下ではやはり基本的に認知機能低下を疑います。

ですから、X/30点という風に表せるのが理想なのですが、実際には曽於までは出来たとかこのテストは出来たけど全部は出来なかったというような時にはX/25とかX/22と書いた上で、補記の所に(・・・のテストは本人の意志により拒否とか、意欲を喪失しテストは中止)などという記述をつけて帰ってくるわけです。

ただし、教育のバックグラウンドが高い人は認知機能が低下する傾向にあっても、いわゆる足が付く(異常と言われる点数に到達するまでの期間)までが長くなったり、検査を受ける時に知恵を使って点数を上げるような方法を使ったりする人もいるのです。まあそれが出来るだけでも実際は知恵があると思えるのでしょうが。

もう一つの代表的な試験はMini-Mental State Examination (MMSE)ですが、これは米国発祥のものなんですね、しかし、多くの場合この2つのテスト、大変良く点数が一致しますので、ナカナカのものだなーと感心することが多いですね。
それでも、HDS-Rには野菜十種を言わせるテストが付いているのですが、自炊したりしない男性や料理に関心がない人などではここで点数が大きく削減されることが多い印象です。

臨床の場で最も驚くのはこの点数が急激に変動することでしょうか。特に超高齢者の場合は上がったり下がったりということは"非常に"良くあるのです。ただし、残念ながら多くの場合かなりコンスタントに時系列で落ちること。

たった半年程度で25/30程度の得点が13/30とか7/30等と低下することがあり、80-90前後の人達の失っていく認知機能の低下に時に愕然とすることも。

今回事故を起こした爺さんも、二年前には問題なかったということですが、運転免許証の検査では出てこなかったとしても・・・ということも十分に有り得る話で、今回の事故後はその結果がどうだったのか可能な範囲で警察は公表して欲しいものだと思います。
きっと、今後の事故から得られた教訓・注意点として各警察その他の公的施設で共有されるべき知識となるのではないかと考えます。

2019年4月19日金曜日

超高齢者と自動車事故

池袋の交差点で起きた事故。悲惨すぎます。

若いお母さんの操作する自転車とその後ろに乗っていた幼気ない三歳の女の子が87歳!の爺さんが運転する暴走車に跳ねられ死亡。その他大勢の方々がこの暴走車に跳ねられ大怪我をしたという事故。

私にはやはり事故ではなく事件としか思えません。この飯塚という爺さん、旧通産省の工業技術院長かつ、クボタの副社長まで勤め上げた人物との事。

赤信号を少なくとも二回完全に無視しながら、ほぼアクセル踏みっぱなしでブレーキ痕もなく現場に突っ込んでいったとの事。跳ねられた31歳のお母さんと娘さんの自転車は現場で真っ二つに引き裂かれ、子供さんの方はカゴに乗ったままの絶命だっという。

爺さんは爺さんで「あ〜、どうしたんだろう」と妻の呼びかけに応えているとのことですが、事故直後に息子に「アクセルが戻らなくて、人をいっぱいひいちゃった」と電話をしているようすがドラレコに残っていたとのこと。

これらのエピソードを知るにつけ、何らかの認知症あったんだろうなと推測してしまいます。爺さんがまずしなければならないのは救急と警察への連絡なんですが、車の中から救急隊に引っ張り出されたとかいう目撃情報もあることから、そういう状況でも無かったんでしょうね。暗澹たる気持ちです。

爺さんに免許を出した警察側の当時の記録もしっかり調べ直さねばならないのは勿論のこと、もうこの手の後期高齢者による悲惨な事故はいい加減やめにしてもらいたいという本音が炸裂してしまいます。87歳の爺さんにどんな刑事罰を与えたところで、死期を一、二年いじるだけの話。運転免許というのは取得する権利があるにしても、その運転の品質を担保できない人間はステアリングを握るべきではないはず。

免許というからには、医師免許であろうと自動車免許であろうと一定の品質を保っている事は常に再評価を受け続けなければいけないと思うのです。
ですから、”運転しないことで保有できる無事故無違反”に対するブラックジョークの代名詞になっている感のあるゴールド免許も、更新には実技があってしかるべき。20年運転していない人物が持つゴールド免許に、なにか運転の品質を担保する如何なるものも実在しないと思うんですが?

私も米国で一回スピード違反で停められて以降は幸いなことに15年ほど無事故無違反状態ではあるものの、事故などというのはいつ起こすか、もしくは向こうから飛び込んでくるかもわかりません。
むかし、テレビを視ていた時に現役を引退したばかりの中嶋悟に向かって、バカな若造が「僕は事故を絶対に起こしません!」と言って彼を激怒させていましたが、そんな客観性の欠片もない身の程知らずは特別のバカだとしても、事故は何時でも起きうるということを肝に銘じて日々を過ごさねばならないと改めて感じたのでした。

この無辜の親子の死が無意味なものとならぬように国は高齢者の運転に対する何らかの厳しいフィルタリングを行うとともに、保険会社は後期高齢者に対する任意保険料の引き上げを行い、経済的に「運転は無理」という状態に持って行く必要があるのかもしれません。もしくは、更に高齢者に対する交通福祉パスの充実を図るとか・・・。

超高齢化もいよいよいろいろな意味で長生き自体が残酷な時代になって参りました。

因みに我が家の実家の爺さんは大型トラックの免許まで持っていたのですが、70代で自主的に自動車運転免許の返納をしました。理由を聞いた所、「バックしてカーポートに入れようとした時に、その柱に車をぶつけたことが原因」とのことでした。判断力あるうちに判断してくれて良かった。

亡くなられた方々の御冥福を祈るとともに、怪我をされた方々の一刻も早い回復を心より祈っております。

2019年4月18日木曜日

連日の食事会と病院人事の話

大阪で外科学会のあったあとわざわざ名古屋でストップオーバーしてくれた米国時代の研究者仲間の先生と名駅側のやまとで一杯引っ掛けたのに引き続き、今度は名東区の木曽路で当病院に新たに赴任してこられた先生の歓迎会に参加してまいりました。

知らなかったのですが、木曽路というのは基本的にしゃぶしゃぶ屋さんなんですね。
新たに来られた先生を囲んで十名ちょっとの人間でお酒とともにしゃぶしゃぶを食べたのですが、それなりに美味しかったです。とは言え連中の目的は最初から二次会。w

私はとりあえず彼らと行動をともにしなければならない人間としてカウントされていたようで、粛々と彼等について藤が丘に移動するとともに、知っている店に入ってキープしていたボトルでロックを作りました。

この辺りから一緒に付いて来ていた60すぎのエンジンが全開で稼動し始め、アララというようなことを喋りだす始末。おまけに歩く時にはフラフラ状態。若手の同僚男性が、トイレに行く時に一緒について行ってあげて転倒と嘔吐を監視せざるを得ない状況となってしまいました。席に戻ってきてもグースカ寝てしまって、「はい本日終了」状態。みっともないもんです。年取ったら楽しく飲みましょう。

残りの7人と乾き物を摘みながらいろいろな話に花を咲かせました。
それらの話を総合すると、6月にどうやら看護師長の人事異動で一波乱ありそうという話は本当の様でしたね。関わらないように距離をとっておくのが懸命だなと思いました。w

2019年4月17日水曜日

大きな変化が病棟にあるのか?

噂では・・・ですが。

私の勤めている病院のある病棟で大きな反乱があったらしいのです。
伝聞によれば、その病棟で大部分の看護師(8人)が看護部長室まで出向いて行って、一向一揆のような感じで訴えたらしいのです。曰く「私達を馘首(クビ)にするか、師長を変えるか!」とのただならぬ直談判だったとのことですが。

その師長、同じ病棟の下の人間にそこまで徹底的に嫌われているらしいのですが、それに気づかないという御目出度さがあるようで、一種の特殊能力でしょうかね。w
何で嫌われているのか、その病棟にいるある親しい看護師さんに聞いたのですが、「気分屋で朝と夜とで機嫌が全然違って全く読めない。」「人の好き嫌いが激しくて、徹底的に弱い人を虐める。」「実力ないのに権力志向」等と散々な言われよう。

そこまで嫌われる人っているんかね〜という感じなんのですが、その病棟に十数名しか居ない看護師さん達の内、8名から連判状を出されるとかハッキリ言って異常事態。でも、そういうことってあるんですね〜。
私はその病棟と直接の関わり合いはなにも無いので、何となく他人事、他所の国の変わった出来事ぐらいにしか思っていないのですが、そこまでされてもデンと構えていられるだけの神経の図太さというのはなかなか大したものだと言う気もします。

こういった事って普通全国的にも滅多に起きるようなことでは無いんじゃないかと思うんですが、どんなもんなんでしょう。
事実は小説より奇なりと申しまして、というのは簡単なんですが。女の世界って凄いですね・・・。私の理解の外にある世界です。ついて行けません。

この師長さんの病棟を入れ替えるために他の内科病棟の市長さんもガラガラポンで入れ替えられるとかいう噂なんですが・・・。この人が私の病棟に来ないことを祈るばかりです。

2019年4月16日火曜日

日本に住むという決意

病棟にブラジル人の青年が居ます。30を少し超えた歳。

彼はブラジルでは大学を出ているのですが、日本ではヘルパーをしているのです。
この前病棟で患者さんの間を回診していた時にすっと私の方に寄って来て「先生ちょっとお話があるんですが。良いですか?」とニッコリ笑いながら話しかけてきました。

「勿論良いよ〜!どしたん?」と話をしたところ、「この前先生と話した後よく考えたんだけど、やっぱりもっと勉強して資格を取りたい。」と言ってきました。

実は一週間ほど前の夜勤の時に”いつも”真面目に仕事をしている彼の所にちょっと寄っていって「どう?」と軽く声をかけた所、「いろいろと考えることがあって元気が出ないです・・・。」とのこと。
よく話を聞いてみると「自分は今までいろいろなことをやってみてきたけれど、どれもこれも途中で止めてしまって中途半端です。どれも最後まで行っていない。こんなことして今はもう32になってしまったよ。夢がなくなってきて、後はお母さんに誕生日プレゼントとかして喜ばせることくらいしか楽しみがない。」と寂しそうに話すのでした。

彼にちょっとだけ質問。「日本には永住したいの?」

彼の答えは明確で「それは勿論!」との返事。だったら彼に必要なのは彼にとっての遺伝子の故郷である日本ではあってもここは文化的にも経験の上でも外国であることを再度認識させて、”改めて”彼の不完全な日本語に磨きをかけていくことが生き延びていくための第1ステップです。そしてその後に続くのは資格をとること。お金に繋がり実需の強い資格といえば看護師です。

結局のところ、読み書きの能力は収入そのもの。彼の読み書き能力をちょっと調べたところ精々のところ日本人の小学二年生程度です。これではどんな資格試験もまず問題を読んで理解するというはじめのステップで躓いてしまいます。

彼があの有名な「うんこドリル」を買ってきて勉強を始めたということを知り、彼の応援を請け負うことに。彼が資格を取るまでアシストしようと私自身も決意を固めました。
今まで教えてきたヘルパーさん達に最も欠けていたものは結局の所「日本語」の読み書き能力。

知識云々の前にそこがしっかりしていなければ何も達成できません。天は自ら助くる者を助く。私にとってもエキサイティングな日々が始まります。

2019年4月15日月曜日

結局娘が最終的に決めた大学院は・・・

長女から最終的な連絡がありました。

大学院を選ぶ期日制限(デポジット$1000の払い込み最終日)が今日だったらしいのですが、最終的にNYUに決めたとのことでした。この前のブログで書いた通りの選択となりました。

私としては彼女がどういう選択を行おうと彼女が自分の頭で考え進んでいく方向を信じて応援するのみです!
これから始まる彼女のNY Manhattanでの生活はきっと彼女にとって大変エキサイティングかつbusyな日々になることでしょうが、きっと本当に”生きていること”をエンジョイするような日々が待ち受けているのだろうと想像します。

私自身は九州の片田舎で生まれ、小学五年までは隣の鹿児島県に一回出たきりでした。その後、おばさんに連れられて東京に遊びに行ってみてその世界の違いに驚き、更にその夏休みにそのおばさんに連れられて北海道にしばらく滞在した時のさらなる世界の拡がりの違いに驚いた経験はありましたが、それ以上のものではありませんでした。

そんな自分の子供達がまさかアメリカのあちこちの大都会を移動しながらいろいろとキャリア・デベロップメントをしていくような人間に育つとは全く予想だにしておりませんでした。嘘偽りのない正直な感想です。

娘達には小さい頃から「お父さん達のことなんか気にせずなるべく遠いところで、沢山の人達の役に立つ人間になりなさい。」とは言っていたのですが、まだまだそこに至るまでには知識も経験も少ない彼女達。

これからもいろいろと苦労はあるでしょうが、大学の頃とは更に一段レベルの上がった世界各国の人達と大学院で出会ってその世界を拡げていってほしいものです。

おめでとう!とは言え、とりあえずお前が健康だったらお父さんはそれでイイよ〜!
NYなら遊びに行ってもいろいろと観るところとイベントがあるから休日にでも行こうかな。(^^)

こんなポストありました。まさに何をしたいかによって決めるという当然の流れみたいですね。

2019年4月14日日曜日

看護師にとって最高級の能力とは

今日のタイトルに書いたんですけど、字面通り「看護師にとって最高級の能力」ってなんでしょうか。

私が考えるのは対人関係構築能力と共感力です。理由はシンプルで、この能力だけは訓練ではまず身に付かないものだから。将来いくらAIが発達しても、まずは技術面での能力はあっという間に追い越されてもこの2つの能力は真の意味で全く到達不可能な能力だと考えます。

患者さんという最もいま癒しを必要としている人にとって看護師から最も提供されたいことは何でしょうか?と問われたらそれは無限大の包容ではないかと思うんですが、如何でしょう。

明日どうなるのかもわからない、検査の内容はなんだろう、今日の結果はどうだったんだろう、治療法はどうなるのか等々、治療する側がその日その日の注射や検査の準備に追われ、ややもすると見逃してしまいがちな、しかし患者さんにとっては内面で渦巻く疑問と強い不安というものをきちんと現場で拾い上げてくれるのは、最も濃密に患者さんに接している看護師さん以外には有り得ません。

医師は勿論、診療を通じて対話と治療とで患者さんを安心させるのが仕事ではありますが、病棟でまず第一番に長い時間を過ごすのは看護師さん達です。
そういう”接触の濃密さ”という意味では、家庭における母親のようなもの。父親が通常子供達の人生に大きな影響を与えはするものの、それが母親の理屈抜きの留まるところを知らぬ愛とはまた違った形をとっているのと同じだと私は思います。

技術は金で買えますが、看護師が示すことの出来る優しさは金では買えないと私は思っています。しかも、看護師になった時点で、既にそういった点に関する可塑性は無くなっていると私は考えています。
知性があって、優しさがあって普通の技術以上のものがあればその人は私のような医師にとっても掛け替えの無い病棟の同志です。

ですから、私は仕事をしているときに「万一病気になったら」この人なら看護してほしいな〜と思う人を頭の中で自然と選んでしまっています。w
裏表なく人が見ていなくても優しく患者さんに声掛けをし、困った人にも優しく対応できる、文字通り「能力」を見せる一部の看護師さん達。

こういった”出来る”人がいると、病棟実務においては、そうでない人との対応能力にどでかい温度差が着くため、患者さんもしっかり見抜いてしまうんですね。
いつもいつも「あの患者さん困る!先生どうにかして〜!」とか言っている看護師さんもいれば、同じ患者さんに当たっても”何事もなく”一日が平穏無事に終わってしまう看護師さんもいるわけで、その差はどこから来るのか・・・と言うことなのですが、残念ながらその説明をしなければならないような人には、ほぼ永遠に何故自分が看護をするとそういった一連の問題が病棟で発生するのかを理解することはほぼ無理なのでした。

ちょっとした他の看護師とは違う資格(例えば認定褥瘡看護師とかその他の名称)を持つものの、対人関係構築能力や共感力に欠ける看護師とかは、正直言って「要らん」の一言です。あ、これ以上書くと具体的すぎて個人特定されるといかんので止め止め。w

2019年4月13日土曜日

Hunter killer 潜航せよ

再び行って参りました、週末のフラリーマン一人見映画。

今日観に行ったには潜水艦物の映画「ハンター・キラー」でした。
基本的に潜水艦物にハズレ無し!ということで、戦闘シーンに緊張感を伴う瞬間が連続するのであろうという予想と、閉ざされた艦内での人間ドラマの展開に期待しての映画鑑賞となりました。

時間は9時20分からだったのですが、夕方ゆっくりと休憩していたらえらく時間が押してしまい、気づけば映画館に突入したのは9時25分でした。

映写室はそれほど人が多く入れない8番ルームでしたが、100人位は居たんじゃないかな?ソコソコの入りでした。これまたネタバレになるので多くは書きませんが、基本的に”娯楽モノ”として面白かった言うのが正解に近い評価というものじゃないかなという感じがしました。そもそも久しぶりの米ソ冷戦関連の設定なのですが、上空からのシールズの設定における迎撃群の登場無しとか、クーデターを起こしたロシア国防大臣の簡単すぎる国家掌握の設定とかは内心「オイオ〜イ!w」という感じでしたね。

とは言え、今回の映画で特筆すべきはアメリカ海軍の全面協力下の作品というところで、そのリアリティーは今までのものとは間違いなく一段階違ったものになっていましたね。
おまけに本作品の原作自体が本物のもと潜水艦艦長の作品というだけあって、操作、攻撃型原潜の内部、その他の描写のリアリティーはやけにリアル。

ロシア軍の武器の描写や救出されたロシア軍艦長に対する部下の忠誠をもとにした反撃も、そこら辺の武器を一通り知っていた私にとっては大変リアルでロシア感満載。
筋書きに関しても「もしかしてこう来るかも?」と思っていた私にはその通りの筋書きになってなかなかグッドでした。叩き上げ艦長のキXタマのデカさには脱帽ですっていうかデカすぎ。w

それにしてもDas Bootを超える作品はやはりまだ出てこんですな・・・。

2019年4月12日金曜日

癌の痛みをコントロール

患者さんの安堵する顔を見ることはこの仕事をしていると仕事をする上で大きな喜びになります。

そのための仕事には幾つか有るのですが、そのうちの大きな一つが末期の患者さんの癌の痛みをコントロールすることです。積極的に、本当に積極的に痛みにアプローチして、患者さんが痛みを感じることを可能な限り排除していくことによって、本質的には戦う必要のない”激しい痛み”を取り除くことで人生の最後の瞬間を安らかに過ごしていただくことです。

今の医学では痛みのコントロールにおいてまことに多種多様な手段を取ることが出来るのですが、だからといってそれが”良いコントロール”を得られるということとは全く異なるのです。

質の良い疼痛コントロールを得るためには患者さんの観察と可能な限りのインタラクティブな対話を通しての細かなコントロールのメインテナンスが必要になります。

通常のNSAIDS系統の鎮痛剤や新種の鎮痛剤、偽薬、ステロイド、麻薬、そして麻薬を使い始めてからでも種々の麻薬を投与経路や量を変えながら、ローテーションとオーバーラップを組み合わせての細かな仕事が待っています。

今日も病棟で他の病院から移ってきた患者さんとお話をしたところ「痛みが消えるっていうのは本当に素晴らしいですねー。先生本当に助かったわ」と言われ、「いやー、私じゃないよ。薬の力!(^^)/」と返してしまいました。

患者さんが覚悟を決めたその貴重な人生の残り時間において、痛みと戦わせること無く充実した時間を過ごしていただける手助けができるならば、それは私にとっても充実した時間以外の何物でもないと考えます。

2019年4月11日木曜日

中国人技能研修生達の来院

びっくりしました。

私の勤めている病院でこの4月から中国の農戸(農業戸籍)を持った女の子たちが10人ほど研修生としてやってくるとは聞いていたのですが、実際にその若い子たちがやって来てみると、その若さに驚きました。

何というかみな若い!(昭和風に言うところのピチピチ)
化粧はしているのですが、何というかいい意味でまだまだ洗練とは程遠い感じなんですね。来ているとこを聞いたら吉林省とか黒竜江省とか甘粛省とか、何というか中国でもまだ田舎のほうじゃないんですか?というような感じのところから来ているとか。

ところが、この女の子達は中国では看護学校は既に出ていて日本にやってきて看護学校にもう一度入り直して日本で看護師さんになる夢を持っているとの事。とりあえずは一年間のしごとをしながらの学校通いだそうです。

上海などでは看護師さん達の給料は日本の同じ給料よりかは良いそうなんですが、そんなのは都市戸籍を持っている人達のはなし。

結局この人達のように農村戸籍の持ち主にとってはそのような給料は夢のまた夢。今でも日本に来て看護資格をとって生活するほうがよっぽど良い仕送りが出来るのだそうです。

外国で頑張るという生活に邁進した上に仕送りまでしようという中国の田舎の若い子たちの健気さに「昭和の中頃までの日本人」を見てしまうのは、院内で私だけではないようです。

今日は私の病棟に居る中国残留日本人孤児をお母さんに持つ日本人の看護師さんが通訳となって(彼女らにとって見れば大先輩ですよね!)彼女たちをアシストしていたようで、その部屋からは沢山の笑い声が漏れてきていました。

彼女達の努力が異国で実りますように。

2019年4月10日水曜日

長女の最終決定はどうなる?

長女の公共政策大学院の決定、最終フェーズのようです。

実は東海岸の方で決定しそうなのですが、コロンビアは二年間で諸々で約9万ドル前後、NYUは8万ドル前後のお金がかかるとのことでしたが、NYUからはスカラーシップが5万ドル出され、追加で保険代の9割がカバーされるという条件。更に院内で学生の仕事の手伝いをすることで年に2万ドル出してくれるとのことで、NYで経済的により助かる条件ということで「NYUに行こうかな〜」って言う感じみたいです。

3つの公共政策大学院の全米ランキングでは実際はSIPAが一番上というのと、3つのうちでは最初からSIPAい行きたかったという気持ちがあったとのことで、どうやらNYU-Wagnerに行きそうな感じ。

学部に依らないトータルランキングとかではコロンビアがmuch betterというのは間違いないので、日本人の大学評価の感覚を持つ私としては「うーん、そうなんだ。」としか言えません。今の私ではとても一千万をスパッと出してやれない親なので、いつもお金関係で子供達に自由に大学を選ばせてやれない負い目があって何だか情けないです。

借金をしてでもコロンビアを選ぶという手も有るかと思うのですが、公共政策大学院のランキングを見ると確かにコロンビアよりも上だし、そもそもこういう方面の世界のことをよく解りもしない私が口を挟むのもおこがましい話。

というのも、実はこの手の選択に関しては私なりに驚いた話がありまして・・・彼女がJohns Hopkinsを卒業した後、娘は自分がJHUを出た後感じていたことを私に話してくれたことがあったんですね。それは彼女の卒後感じたJHUでの経験が「最悪」というものでだったんです。聞いた時にはそれこそ「えーーーーっ」と思ったんですが、バックグラウンドがいわゆる全米でも有数の裕福な家の子供達が集まるような学校であったこともあり、そういった人間たちの自分の思う標準と異なるいろいろな行動に”強い違和感・忌避感”を持っていたようで、コロンビアがその繰り返しになるのではないかというのを強く危惧しているのもあるようなのです。

私としては良い学校にほとんどお金もかからずに出してやれたと感じて居たつもりだったのですが・・・。orz

とりあえず私が言ってあげられたことは2つ。
一つは大学院に行っている間は毎月1000ドルの送金をしてあげるということ、もう一つはJHUに居た頃に仲が良かった友人のUCLAで教授をしているお父さんにメールを書いて、そのデシジョン・メーキングに関してどう思うかという質問をすると良いというものでした。

娘達の選択を陰でちょこっとしか応援してやれない情けないお父さんです・・・。

2019年4月9日火曜日

子宮頸癌ワクチンを巡る日本のマスゴミの無知蒙昧

本当に愚かとしか言いようがない。村中先生の記事を読んで再び強く思いました。

日本のこれから生まれてくる子供達はほんとうに可哀想です。(H12年以降の子供達)
2013年6月の「接種の積極的な勧奨」のあっという間の一時中止に伴う、HPV16/18に対するワクチン接種者の激減は間違いなく日本の子宮頸癌患者の”先進国における”異様な高さというものをこれからの25年から30年で示してくるはずです。しかも未だに積極的勧奨を再開していないという毎度のバカ厚労省のクソ役人。

話は反対向きになりますが、実は欧米では逆にMMR(麻疹・ムンプス・風疹)ワクチンが自閉症を起こすと未だに信じている一群のそれもかなりの数の人々が居ます。しかし、これらの人々を減らすことは殆ど宗教家を説得するのと同じ程の難しさ。彼ら自身をそっとしておくのと、他の無垢な人々にはそう言った考え方に洗脳される前に科学的根拠をきっちりと示してやることが大変重要です。まるで日本における子宮頸癌ワクチンと同じ話なんですね。

子宮頸癌ワクチンの有効率は日本においても94%と既に研究結果で示されており、十二分のエビデンスと共に世界の若者や母親達の子供や配偶者との悲しい別れを防ぎ続けています。まさに現代の医学生物学の凱歌とでも呼んで良い劇的な、本当に劇的な勝利です。

細菌性髄膜炎に対する予防効果を持つHibワクチンも同様の悲しい歴史がありますが、これも日本は欧米に遅れること20年以上と、大幅に遅れて導入されその間に発症しなくて良い疾病と障害を残してしまった子供達を作り出してきました。

厚労省のバカ役人の皆さん。早くしないとあんた達逆に訴えられるよ???
早く白旗上げて、科学的厳然たる事実の前に白旗を上げなさい。

あ、もうその頃にはお前ら退職して天下り中か・・・。

興味の有る方はこの記事この記事もよく読まれると良いと思います。
あと、私の尊敬する長崎大学小児科医の森内先生の記事も読んでいただければ光栄です。

2019年4月8日月曜日

患者には言うのにオノレはと言えば・・・

外来での私は普通にお医者さんです。

ワーッと押し寄せる時もあれば、そうでない時も。
季節によって滅茶苦茶混んだり、季節であっても不思議とその症状をもった患者さんが少なかったりして、そのウェーブの変化の理由がよく理解できない時も稀には有るのですが、通常は淡々と患者さんの来院を捌き続けないと、昼ご飯の時間にも影響が出てくることも結構あります。

その診療の中で我々は必要あって言わなければならないことは患者さんに言わなければなりません。例えそれが患者さんにとっては余り言われたくないことであっても・・・。
それでもお話をするときのテクニックというのは千差万別で、患者さんそれぞれのキャラクターを見てそれぞれの理解力、年齢、生活の背景(+生活史)、性差などを考慮してのお話になります。そして時には処方する薬の種類もその人の生活のパターンと性格を見極めながらの処方となります。

こういった薬の服薬の服用遵守の具合のことをコンプライアンスと言います。

いくら病気に対してはこれがベストと思われる”良い処方”をしたところで、それを患者さんが服薬してくれなければ、そんなものは単なる画餅・絵に描いた餅と言う奴でして、実用的なものとはなりません。この人ならこのシステムなら間違いなく出来るなというような線引きを推理しながら実際にその患者さんのバイタルや血液データの変遷を見ることになります。

ところが、処方をしているお前はどうかと言いますと、これはもう本当に最悪のコンプライアンスでして、とてもとても患者さんに自分の服用具合を言ったりすることはできません。ですから、患者さんを診た時もデータを見ながら「これは効いてないぞ〜。さてさて、その理由はきちんと服んでいないのかそれても薬が効いていないのかどっち?」という推論をする事になるのですが、薬が無くなるはずの”次回”処方日を随分過ぎて診察に来る患者さんの場合などは多分前者でしょうなどとなるわけです。

よく考えると自分も治ったと思った後は勝手に服薬中止したりすることも多々あるわけで、一概に患者さんに注意するなんて言うおこがましい態度をとることはできないということに・・・。

医者も人間。患者さんになった時にやることはそう大差ないのです。