2010年9月30日木曜日

京速スパコンやっと出荷・でも稼働は2012年

やっと出てきました京速スーパーコンピューター
一番でないとダメなんですかの元スーパージョッキーに出ていたクラリオンガールのネーちゃんに一言言われただけで、押し込まれていたショウモナイ役人の尻拭いを、ノーベル賞やフィールズ賞の先生達が必死に防戦の盾になって回復された予算で走っているこのプロジェクト。
ハードありきの作戦では云々という批判もされた方が居ましたが、ハードさえ無くなる自体を招きかねなかった今回の一件では、如何に日本のこの手の事業に対する投資意欲が下げられているかを直に見る思いがしました。アメリカのように軍の予算も、エネルギー省の予算も、個人の投資もというあれもこれもの金がより速く、より使いやすいスパコンに向かっているような国と伍していくには国からの投資はもちろん生命線を握るわけです。この前国連でバカ土管がばら蒔いてきた一兆円があればこんなプロジェクトは余裕で支えられるのですがね、、、。
如何にスパコンが近代国家の競争力の根源になっているか、医学関係を見ただけでもその有用性は恐ろしいほどのものでしかもその進展は未だ黎明期と言って良いものだと思います。そんな事を考えると、その競争に乗り遅れるということは先進国として今後の数十年が何を意味するかということに充分な覚悟を持たなければいけません。

常に襟を立てたどっかのクラブのママ風情にはそんな事は露ほども解りません。(笑)

しかし、我々はここで考えないといけない大事なこと。政府主導という名の下の馬鹿な計画には乗せられていけないという事。あの、あの「笛吹けど踊らず」の第五世代コンピューター計画やシグマ計画のようなバカプロジェクトで税金を使うことはやはり許されないのです。しっかりした目標と、それを達成するための確かな「民間ベースでの」計画こそが次代の日本を守り育てる大元になるとおもうのです。無論受益者は大型の研究施設や機関だけでなく、国民にもそれが受益として還ってくることが想定されるものであるべきだというのは論をまちませんが。

2010年9月29日水曜日

日本の大学院教育・続き

私がコメントできるのは実に私の経験した医学部での大学院教育に限られますので、あくまで暴論ということで、、、。
私の大学院時代は既に20年ほど前の話になってしまいます。(歳がばれますが、まあ気になさらず。)最初から癌関係のことを学ぼうと思って腫瘍の勉強を始めました。免疫学、分子生物学、細胞生物学、表面糖鎖、腫瘍抗原、医科生化学等、やることはてんこ盛りで、医学部学生時代の怠けたつけが一気に表面化した見事な白紙(白痴)状態でした。しかしヤルとは言っても特にそれらの授業があるわけでもないのです。
「そんなの当たり前」と言われる方も、「日本的には」沢山いるかも知れないのですが、医学部で極短期間に学んだことはハッキリ言えば少なくともここんとこまではコンセンサスとして認められている、「教えても間違いないであろうかなり基本的な知識」までであって、実際に仮説に基づいて実験を始めてみると、発表されていることの、しかも新しいと言われる知見の多くは、まだまだ要検証というような事が多いことはこの世界の人なら誰でも知っている周知の事実です。
しかし、そういうことに気づくまでの痛々しいステップや、研究者としての基礎的な訓練は誰かについてミッチリやらないと、実際我流ではなかなか上手く行くものではありません。もっと端的に言えばどんな人に最初に習ったかでその後の進路や研究の質が大きく影響されてしまうのです。無駄というか、ただただ無為に過ぎていく時間の量も、指導者がきちんとしていればかなり違ったものに変換することが出来ます。
指導者の考えを聞き、討論し、セットアップを一緒にやってみて、失敗しても成功しても自分で悩み、その結果に解釈を付して次の一手を指導者と共に再検討するという地味な作業の繰り返しで一人前の研究者は育っていくものなのでしょうが、通常、日本の大学院でそんな事が真剣に行われているとは寡聞にして知りません。
アメリカに来て初めて知って愕然としたのはティーチングデューティーという名目で大学院生には通常お金が支払われ、かつ、ポスドクといえども日本の米粒ポスドクとは違って、しっかりキャリアの上でのプラスとして大きくカウントされ、先ず間違いなく次のポジションでは給料の額が上がることです。博士だかバカセだか判らないような扱いを受けることはあり得ません。
もしそうなっていないのだったら、昨日の記事にあったように、大学院に入るためのステップに問題があるか、大学院の中での教育に問題があるかしか考えられないですよね?大学院をでたものが企業からかえって使えないと言われるような自体を生起せしめたのはどこのお役所だったのでしょうか。(名前を書くのもいやですが。)
ポスドク1万人計画はその悪しき一例です。毎度変わらぬ箱物行政を人にまで敷衍した結果がどうなったかは、2010年のポスドクの悲惨な実態を見れば、それがゆとり教育と並ぶ「糞計画」だったことはバレバレです。一時的に奴隷的労働力となった博士号取得者達は取り敢えず運が良くてかつ必死に予算の多いところで働ければ、いわゆる御三家の雑誌等に「共著者として」名前も載ったかも知れません。しかし、その後のキャリアパスがないところでそんなものを持っていても、いわゆる猫に小判状態です。
いわゆる打ち上げ花火という奴でその他は何も無し。大規模実験に組み込まれて日がな電気泳動をやらされてるとか、ウェスタンの準備で三年過ごしましたとか、そんな人たちのはなしも予算潤沢なT大系のラボであったという話を内側の人から聞いたこともありました。そんな人企業が使いたくなるわけありませんよね。(笑)
もし中身のない博士を増やしているのが日本の大学院だったら、それは自業自得の結果だとしか思えないのです。(無論、何時でも例外はありますが!)優秀な人材を排出し続けるラボに良い人が集まりその再循環というのは当然あるのですが、それが余りにも少なすぎませんかね。

結果が出ない>論文が出ない>予算が付かない>人が来ない>ラボの衰退>退職

皆この経過を「少なくとも大学と大学院の教授は」いつでも例外なしに受け入れるべきだと思います。そうすれば日本もアメリカのように新陳代謝が活発になるでしょう。

いつものようにブログに書く暴論でした。

2010年9月28日火曜日

日本の大学院教育

今日配信されていた日経ビジネスオンラインの記事の中で、伊藤さんという人が書いていた記事を読んでいて大学院教育について考えさせられました。
まあ、日本の大学院の多くが何も教えないただの授業料徴収システムだという事実は広くその方面には知られていますが、教員に卒業論文作成を指導する能力が欠けている人が「大変」多いのも事実です。少なくとも私が出た某国立大学の医学部ではそうでした。新知見を学ぶ意欲が全くのゼロで、10年経とうが、昔からあいも変わらぬ何の進歩もない授業を永遠のように退官まで続けるロボットのような教授。科学に対する興奮を何も呼び起こさないどうしようもない人。大学院生が何年も入ってこないような死んだラボ。基本的に日本の科学論文は大学院生とその上にいるポスドク程度のランクの人の奴隷的献身で成り立っているものだという認識があります。
まあ、私が経験した二つの日本の国立大学がそうだったから全体がそうだというのはまさに暴論ですが、教授と「熱い」科学的討論をした覚えはありません。思い出したような感じの枝葉の質問はしてきますが、体系だって「学問」と言う見地から大学院生を指導しているところを近隣のラボでも見たことはありません。まあ、優秀な方々はそれでも良いのでしょうが、私のような人間は多くの場合、以心伝心では伝わらず、結局必死で自学自習という形で痛い目に遭い続けながら自分を磨いていくしかありません。まあ、昔から自分で学んだことしか憶えてないことがほとんどなのであの指導は裏をかえせば人を育てる素晴らしき放任主義だったのでしょうか。(そんなわけないけど)大学院で「自ら学ぶ」というのは大基本!しかしそこに体系的教育がなされないというのは全く次元の違う大問題なのです。
みなさんの周りにもいませんか?どうみてもお前さん教授としての能力無いのに何でそこ座ってんの?という人たちが。別にT大、K大に限ったことではないと思います。君、縁故採用(笑)?それとも我慢比べで相手を負かしたの?というような人周りにいませんか。それとも21世紀の日本はもうそんなしょうもない人達は綺麗に消えちゃってくれたんでしょうか。

この話はまた改めて書きたいと思います。

2010年9月26日日曜日

久しぶりに雨

何が起きたのかの分析能力も当事者としての意識もない土管政権が取り仕切ろうとする、低レベルの日中間の諍いごとを見ていても「つまらない」だけなので、暫くはこの手の話はメモとしてもとらないことにしようかなと思います。
さて、今日は午後に入って早めの風呂に入っているときに久方の慈愛の音が聞こえてきました。最初はポツ、ポツという間欠的な音だったのが、やがてサーーっという大きめの音になって天窓を叩きはじめました。植物を、貯水池を、そして何よりも人の心を満たしていく慈愛の雨とはこのことでしょうか。以前からここにも書いているように,個人的には雨というのが大好きなので、この音を聞くと本当に心が癒されます。たったこれだけと言っては何ですが、本当にこれだけの自然現象の積み重ねで、普段は偉そうなことを言っている人間の生命線を容易に左右することができるのですから、自然の力というのは本当に偉大だと思います。それに比べて改めて人の力の何とも小さなこと、、、。
病気にしても自然現象にしても、人のコントロールできることは本質的にはまだまだちっぽけなもんだなと思うのです。

さあ~、話は面白くなって参りました~!

予想道理のバカバカしい筋書きが日中間で進んでいるようで、誠に喜ばしい限りです。(笑)
盗人猛々しいとはこのこと?庇を貸して母屋を取られるとはこのこと?ますます混沌の度合いを深めて欲しいものです。ビデオを公開してチョンだったはずが、ドロドロの愛憎劇に進んでまいりました~。所詮は残念な共産主義社会国家、一党独裁の名のもとに情報から何から一本筋が通っています。エライ!人口が多いから商売の相手先として皆気をつかっている「だけ」なのに、さすがは発展途上国から抜け出せないこのお国。世界からどう思われようが構いません。(日本が政治的な能無しに操られた去勢牛の国だというのはもうバレていますが)

民主党大勝の結果として日本国民の待ち望んでいた未来の到来は今まさに、「ここ」にあります!投票された方々はさぞかしこの事態を殊の外、喜ばれていることでしょう。イケイケ日本!

2010年9月25日土曜日

万死に値する選択・日本は法治国家ではないよね

世の中には歴史を決定づける誤った判断というものが幾つもころがっている。それこそ世界中に。
今回の中国人船長釈放は間違いなくその一つとしてカウントされることになるだろう。本人は官房長官という肩書きを持って今回の決定を行ったことに自分の脳内では「重要人物(デシジョンメーカー)としての達成感に」嬉々としているのだろうが、今まで夢想だにしなかった権力を謀らずも持ってしまった小人物にありがちな典型的な勘違いでしか無い。ほんと、日本の法曹出身者はアメリカの場合と違って政治の世界では使い物にならんですな。もっとも、法曹でまともにやれるほどの人間ならこんなことはしてないわけで。(笑)
この誤ったシグナルをよりによってお隣りの共産党政権に送ってしまったのだ。このドヤ顔の馬鹿はやがて死ねば消えるから本人は良いだろうが、残された日本国民は堪ったものではない。これが今の日本人のコンセンサスとは到底思えないが、このような愚か者たちの神輿を担いだ日本人にはまあ天罰があたったと思えば良いのだろうか。天罰にしても痛すぎるだろう。ホゾを噛んでももう遅い、、、悔やんでも悔やみ切れ無い失態だと思う。レアアースの件はWTOで堂々と主張すれば良いことだし、ビデオもさっさと公開すれば、これも堂々と正論を通せたはずだ。今回の件は(安々とこの共産党政権に鼓舞される馬鹿な中国人の右翼はさておいて)そのような衝突を望まない普通の中国人にも悪い影響を及ぼしたと思う。それは何か。他国からの尊敬という名の金では買えない価値だ。無論、日本は今回の件で大きく国際的な信用を失った。ヤクザに脅されればキャンと哭く馬鹿なチビ犬だということが露呈したのだ。(笑)犯罪は犯罪、間違いであれば国内法に従って処理をする。それが法治国家です。
細胞の調製をしているときにラボの中国人男性が今回のことで感想を求めてきたので、順ぐりに自分の意見を述べた。最後にひとこと言った。「中国人は可哀相だ。自分達で選んだ代表者というものを持たないし、それにノーと言えるシステムをたとえ国外に住んでいても持たない。何故なら、君たちの親戚家族を含めて中国政府の人質なのだから。いくらでも恣意的に解釈されていつでも君たちを処刑台の露にすることが出来る。アーメン。」

彼がどの様な反応を示したかは彼の安全の為に書きません。

2010年9月24日金曜日

結局そう来ますよね、、、情けな~

脳天気とはこのことか。

最後に今の日本を守ってもらうのは何がどうであろうと結局は西側同盟国でしか無い。余りにも当然のことだ。政権をとった瞬間、大訪中団で朝献外交を見せつけた某悪沢はとびきりとは言え、それに続く金魚の糞のレベルも推して図るべし。そして挙句の果てにその相手国に足元を見られるこのザマ。結局のところ民意で選ばれたことのない代表者が頭を務めるような国家の外交政策に対するには今も昔も棍棒外交しかないのでしょう。棍棒は大きければ大きい方が良いと昔から言いますが。
新聞の記事ではクリントン国務長官から力強い言質を得られたとの報道が見られますけど、この言質を最初から引き出すのが日本政府の最初からの一大重要事ですと、誰か土管に教えなかったのだろうか。ここまで中国を怒らせ勝手気ままに言うだけ言わせて最後はあれだけバカ鳩がかき混ぜて呆れさせたアメリカに助けてもらう。その外交手腕には本当にFを付けてあげたい。日本は所詮外交小国。マキャベリズムは内側に使うだけで、外に対しては全く上手く立ちまわる事の出来ないお猿さん外交官だらけだ。今回のことは駐米大使がきちんと水面下で上手く根回しをしてくれていたのではないかと、私は勘ぐるのですが、あの聡明な現在の駐米大使にしても、本国政府の無能ぶりにはいつも鼻白む想いをされているのではないだろうか。いわゆる「ドン引き」という奴。長い時間を賭けて摺りあわせられた普天間の三者合意事項を思いつきでかき混ぜ、挙句の果ては知れば知るほどその容易ならざる全体像を「混ぜ返した後で」知ったとつぶやき、最後は辞任で糞を残して飛び立ったバカ鳩の尻も拭わぬ保守ならぬ「自己保身」の権化としての土管が切り札として登場。国家戦略局という看板だけつけてあとは戦略なき自己保身。昨日も国連で日本人の税金を一兆円近くばら撒く「最小不幸社会を世界にも」などと宣う間抜けぶり。世界の皆様もきっとひなのように大口開けて日本の税金が降ってくるのを待っていることでしょう。
一言言いたい。

人の金でマスターベーションはするな

怒りに任せて今日の私も相変わらず下品です。

2010年9月23日木曜日

多国籍のラボでは、、、

日本のラボも少しは文科省の肝入りでいろいろな国籍の人間がラボに増えたのだろうか。
アメリカでは、通常中国人ボスのラボでもない限りは同じ国の人間だけで固めてるラボというのは殆ど見ないです。時々、少人数の日本人ボスで、二、三人のラボメンバーが日本人だったというのは見たこと有りますけど、、、やっぱ普通はないです。
ここのラボだと、中国人テクニシャン、アフガン人、ロシア人、アメリカ人、シリア人、韓国人、ルーマニア人、スコットランド人、そして日本人の私というかんじですか。この前はグルジア人の男の子がいたのですが、ちょうどチェチェンとロシアが戦闘拡大中の時で、ロシア人の女の子とはどうやら気まずい雰囲気になっていたような気がしました。今回は日本人の私と中国人の女性が「尖閣諸島」的にはそんな感じになるんですかね?今のところは何とも無いですが、実際に日本と中国の間で有事が発生したらどうことになるやら。彼女は非常にはきはきした素敵な人柄の持ち主ですが、こと自国のことになるとやはりいろいろと気に病むことが多いようで、ポジティブなことにもネガティブなことにも時々自国人らしい切れ口鋭い意見を聞かせてもらえて楽しんでます。
今までだったらそんな事は思いもしませんでしたが、最近の絵に書いたような一連の馬鹿内閣の愚行を見ていると偶発的とは言え、そのような「万一の小競り合いレベルの衝突」事が起きないとは限らない状況があり得るのではないかと危惧しています。バカ鳩が媚びて隙を作り誤解を与え、それに乗じた相手国の動きに土管が愚かな対応をするという最悪のバトンのリレー。少し前までは、首相の席には犬の飾り物でも据え付けておけば良いのではないかとも思ってましたが、何か言うたびにネガティブに物事が動くのであればむしろ排除したほうがいいのかなという気もします。所詮は民意で選ばれたわけでもない社会党の搾り滓たる市民運動家の成れの果てに日本の総理が務まるわけは無いと思います。

2010年9月22日水曜日

送迎会

二年間働いてくれていた秘書の女の子が同じ大学内のキャンパスで、栄転することが決まっていたのだが、ラボ内での勤務も最終日ということでファカルティー五人で彼女を誘い、ショッコーにあるthe tobacco company restaurantに行ってきました。
まあ、リンク先を見ていただければおわかりかと思うのですが、昔のタバコの集積地だったこの一角に再現されたウェアハウス(倉庫)風の建物です。なかなか内部はおしゃれに出来ていて、昼は近隣のビジネスマン達で、夕方からはオシャレな格好をした男女が連れ立って美味しいディナーとお酒を味わいにやってきます。この手のところはあんまり貧乏研究人には縁がなさそうなのですが、実際にはメニューは非常に安く。腹一杯の一皿分で日本円で高くても千円ちょっといったところですので、腹は膨れる財布は痛まずというところで大変気に入ってます。
昼食時には会話も大変盛り上がり、女の子をみんなで送り出す素晴らしい昼食会となりました。

2010年9月21日火曜日

今日も面接

今日もグラジュエイトの学生が実験をしたいと言うことで面接をした。今年になって既に7人目だ。今日の学生はエチオピア出身の女の子で医学部進学希望の子だった。アメリカに来て二年ということだが、GPAはほぼ満点に近い。そこら辺のアメリカ人学生よりも遥かに知的で、目的に向かってまっすぐに前進するという感じの学生だった。私自身はこの子を三ヶ月くらいトレーニングしてもいいかなと思ったのだが、医学部にあるMD/PhD希望のポストグラジュエイトコースもあることをフェアを期して紹介し、そこの責任教授にまずはメールを送り、話を一度伺ってから今後のステップを慎重に考えるように考慮を促した。無論賢い子を取るのに異論はないのだが、こういう所はフェアに行っておいて無駄なことは何も無い。それでも私のところに後々来たいというのであればそれは歓迎しますと言いました。
ホントは真面目に働く日本人学生も見てみたいなとはちょっと思うんですが、、、最近はアメリカにはただでさえ来ないですもんね。 これも時代という奴ですか。

2010年9月20日月曜日

久しぶりにポカホンタス

今日はもう一時間ほど寝ていたかったのだが、下の娘からのリクエストに応えて久しぶりに近所のポカホンタスへ。最近雨が全然振っていないせいか、湖の水位もかなり低くなってしまって、ダムやブリッジを流れる水も完全にとまってしまっていた。干上がるところまで入っていなかったのだが、いつもに比べると水が少し汚くなっていた。通常は入り口から時計回りに廻るのだが、今回は疲れ具合の比較ということで数年ぶりに反時計回りに歩いてみた。
ゆっくり歩いて数分間の数回の休憩込みで約1時間ちょっと。汗をなんとなくかき始めたくらいでちょうど全行程を終わる感じです。数回にわたって5-6組の家族連れっぽい人、夫婦等に会いましたが。みんなカジュアルな格好で楽しんで歩いていたようです。
キャンプサイトの下見も兼ねてそこら辺を少し来るまで廻り家路へ。久しぶりの大自然の中での散歩も良いものです。

2010年9月18日土曜日

NIHへ再び

今日は午前中はラボで実験の仕込みをして、その後車を運転してNIHまで出かけて昔のボスに出会うことに。NIHについたのは二時間後の午後2時過ぎ、最初は友人の彼女である韓国人女性研究者のいるビル50に。2001年以降、キチガイじみたセキュリティーでげんなりしていた各施設も、メインエントランス以外はもうほぼセキュリティー要員もいなくなり、昔の快適なNIHの姿に戻ってきている。
再会を祝し、しばらく話し込んだ。面白い実験をしている。DOD関連の仕事らしい骨損傷とその修復治癒過程における化骨の実験を幹細胞を使って行うものだ。その後はいよいよ本日のメインイベントである昔の大ボスに会いに行き話し込む。実は次回提出する二つのグラントにコンサルタントとしてもらうレターのお願いをしに行ったのだ。メールや電話でという手もあるが、実際に行くたびに面白い話ができる上に副次的にお互いの近況も当然のように話す。また、実験の色々なアイデアも頂けるので一石「数」鳥なのだ。そう考えると往復4時間弱のドライブのほうが実は生産的だったりする。面と向かって話すというのは大事なことだ。これだけは未来永劫変わらぬことのような気がしてならない。テレビ会議でもこうはいかないだろう。面白い実験ベクターもシェアしてもらって大変興奮した。
夜はインド系イギリス人の友人とベセスダで外食をとったが、そこに韓国人のその彼女と、旧友のアメリカ人夫妻も来て話が盛り上がったのだが、今回は泊りがけではなかったのでビールが飲めず残念!
リッチモンドに戻ってきてからはラボに一旦寄って、もらったベクターなどを冷凍庫に保存して12時過ぎには家に戻ってきた。

いつ会っても、腹を割って話せる旧友は良いものです。

2010年9月17日金曜日

クワガタとカブトムシ

小さな頃から虫集めが好きだった。農学部のある大学の真横にある官舎に住んでいたため、演習林の中や林の中で昆虫取り放題という、子供にとっては楽園のようなところだった。ここでは例に漏れず、感謝の子供たちがうじゃうじゃと集まってはあらゆる危ない遊びやその他子供なら誰でもするような幼稚園小学校の延長線上の遊びを皆が集まって朝から晩までやっていた。
この2-30人の子供たちにとって、虫取りにおける最終目標は常に「クワガタ」であって、決してカブトムシではなかった。何でかと言っても説明はできないのだが、コクワガタ(雑兵)、ノコギリクワガタ(標準、お、クワガタかという感じ)、ヒラタクワガタ(持ってる人は英雄とまではいかないが、羨ましがられる)、ミヤマクワガタ(持っている人はしばらく神)、オオクワガタ(そして伝説へ)という感じの格付けだったような気がする。
なぜかは理由はないがその種類の豊富さが格付けを産み、クワガタ優位の感じを創り上げたのではないかという気がするのだが、どんなもんなんでしょうか。実際に勝負させるとやっぱりカブトムシが圧倒的に強かったような記憶があります。それでも、それでもクワガタが圧倒的な人気だったのは間違いないですからその理由に関してはどこかで深く論じられているような気がします。

そういえば最近全然実物見ないですね。

2010年9月15日水曜日

井上陽水

最近、ラボへの行き帰りの車の中では井上陽水を聴いている。
たまたまyoutubeでバッタリ出会った「ありがとう」という歌が気に入って以来、陽水の曲を焼いて車中で聴きまくるという感じです。ありがとうだけでなく、他の歌手にプレゼントした曲、トリビュートした曲等沢山ありすぎてどれを聞けばよいのか選曲に迷うところですが、取り敢えずは歌詞をうろ覚えにでも覚えるために流して全部聞いています。
何と言ってもあり得ないくらい声が良いですね。こんな声持ってたら、巷の酒屋でもしこんな人が隣でカラオケ歌ったら他の人達はあまりのその差に、自分で歌うのが嫌になってしまうのではないでしょうか。
男声で良い声は一つはこんな感じの声、もうひとつはバリトンだと僕個人は思ってます。どちらもただ聴いているだけで、何だか自分の心の琴線というものを直接弾かれているような素敵な感覚になるのは何ででしょね。きっと生物学的な、神経生理学的な理由がそこにはあると思うのですが、、、。

書きそびれたことをここで

昨日は実は安部譲二のサイトでチンポコの話が出てきていたのを読んで、私的にこのキーワードで思い当たる話を書こうとして話が脱線してしまいました。
このキーワードで思い浮かぶ話は最初から自分の息子(長男)のこと。以前にも少しだけ書いたのですが、息子は自閉症で言葉を余り出しません、しかしその分、感情を込めて色々な思いを表に出してくることが多く14歳の今でも親子の対話は心情的には小学校低学年の時と余り変わりません。
そんな息子も当然のように二次性徴を迎えてきます。数年前から急にチンポコが大きくなり、やがて周りにモソモソと大人の印が生えてきました。その間の息子のチンポコに関する関心度の高さは大変興味深いものがありました。通常だと、こういう事は親の前から隠して秘密裏のうちに成長していくものなのでしょうが、何せ息子は隠しません。通常はお客さんがいないときには風呂やシャワーから上がっても二人の娘の前でも裸で飛び跳ねているので、娘達ももう慣れっこです。不思議とというか、当然というか、お客さんの前ではそういうものを見せてはいけないと理解してくれているようで、その時は扉の影から影へ移動して着替えを出してきます。その点は親としても非常に助かっています。
そのチンポコへの関心度なのですが、数年前はもう「これでもか」というくらい自分のものを引っ張ったり縮めたりして不思議そうに眺めていました。それもそのはずです、一年で急激にあの可愛らしいチンコがチンポコへと進化したのですから、ポケモンもかくやの二次性徴さまさまです。なめ茸紅天狗茸くらいになったかと思ったら急に松茸になったので、お父さんとしてもビックリです。(笑)最近はちょっとそういった行動にも落ち着きが見られるようになり、私たちも親として一安心です。
友人の小児科のドクターの子どもが小さい頃に自分のチンコを柄杓で掬ってマジマジと眺めていたという話を聞いて大笑いしたものですが、男の子のチンポコは外に出ているぶんどうしても関心が直接にそこにいきやすいのでしょうね。
自分のチンポコは一生付き合っていくものですから、息子にもバイキンが入らぬように、時々チンポコを触ることに関して注意報を出さないといけないことがあるのはご愛嬌でしょうか。

2010年9月13日月曜日

チンポコの話

物事を伝えるときに使う言葉の選択によっては、当然のようにその情報の受け手に大きな誤解を与える危険を常に孕んでいる。まあ、余りにも自明なことなんでしょうが、、、。
例えばある言葉を使っても、その言葉に対して共通の言語感覚と理解がなければ当然お互いの脳の中に出てくるイメージが違っているわけでその最も極端な例が、外国人との会話。向こうにとってはこちらが外国人で、同じ単語を使うにしてもお互いに脳に思い浮かべるイメージなんて言うのはほぼ同じものであるわけがない。それは勿論、同国人で同じ言語を使っている者同士でも大なり小なりそうでしょうが、、、。
結局は、共通の認識を出来るだけ少ない説明で互いに共有しあえる者どうしが群れを作るのが普通の社会なのかなという気がします。ましてや説明しても理解出来ない、若しくは説明しても全く訳がわからないなどという状態でお互いが親密になるなどということはまあ通常、セックス以外は無いような気がします。(それも、一時的なものでしょうが。笑)
まわりくどい事になってしまいっましたが、結局今日書きたかったのはマスゴミと受け手側の齟齬の大きさが次第に大きくなってやしないかということ。20世紀と違って、今では一つのことでも、それまでは考えられもしなかったような角度から多くの人がつつく時代になったということ。真偽の程は受けて判断に任せられ、情報源も様々、その解析手段も様々、それに対する論評までありとあらゆるものがネット経由でただで探し出せる。使う言葉の定義というのは、大上段に構えたマスゴミ様が設定していた時代はもうとうの昔に伝説の過去の時代になってしまったというのに。

嗚呼、それなのにそれなのに(笑)、世の中には未だ新聞様、テレビ様の一方向の情報を鵜呑みし、かつ昔のままのマスゴミの定義で情報を受け取る日々を過ごしている方々がわんさかいるという喜劇。実家の両親もこの口です。話を聴いていると両親にとっての世の中というのは、家から半径数キロの世界なんだなというのがよく判る感じ。時事問題については新聞に書いている事とそっくりの意見。でも、こんな人達はやることもないので選挙には熱心に行くわけで。

あれ、タイトルのチンポコの話はどこへ行った。
しょうが無いので次に書くということで。


R21

現在R21の準備をシコシコとしているところです。提出は10月16日ですが、思ったより期日はありません。実際には他のグラントも出さないといけないし、実験も同時進行ですから。
そんなこんな言いつつも、本当に朝晩は完全に秋の様相です。また、あの「大量の」樫の葉を掃除する季節がやってくるのかと思うと、、、。電気ブロアで処理しているときはそれはそれなりに楽しいのですが、一時間過ぎるとまた同じ状態という繰り返しになります。まるで賽の河原。昼にすると、夕方には「今日俺確かに葉の掃除したよな、、、。」と自問せざるを得ないほどのrestore状態になるのは精神的疲労感をきっちり増幅させてくれます。もう少し遅く秋が来てくれんかな。

2010年9月12日日曜日

9・11

今日は、あの事件が発生して9年目の記念日だった。
未だに続くテロの連鎖。そして時折発生する爆弾による脅しと実際の事件。なんの関係もない無辜の人たちを「自分たちの神の名の下に」無差別に殺そうとする馬鹿共。はっきり言ってイスラム教徒の大部分の人にも大概いい迷惑だろう。
そして、コーランを焼くとか言って問題になった田舎者のバカ牧師や実際に焼いたバカ牧師。まあ、こいつらも本質はその批判している相手と何ら変わらないということを理解していないことが、実にオメデタい。バカの連鎖はいかようにも。時と所を選びません。(笑)結局は世間の耳目を引きたいだけのインチキヒーロー。こんなのに日曜毎に説教を食らってるかわいそうな地域のキリスト教信者も実にかわいそうです。もっとも、このバカ牧師の近所の人達はそれをよしとせずプロテストしている様子で、その写真も出ていましたが。
アメリカのネット上でもこいつらは総スカンを食っていますが焚書坑儒の行き着く先には何があるかは歴史が繰り返し教えてくれるところです。

2010年9月11日土曜日

世論調査?世論操作?

あいも変わらず毎週毎週のマスコミの世論調査。
母集団も電話をかけてランダムと言っているが、結局のところ「その新聞社が行った」もしくは「その新聞社が代行業者に頼んだ」もので、かつ「自分たちが知りたいと思ったことだけを」列記したただの偏ったサンプル調査でしかない。
いろいろなところでこのマスゴミの行う「世論調査」で仕事をした人間の打ち明け話が出てきているが、まあ、調査そのものも科学や統計学の初歩も理解していないような人間が行うまるで出鱈目なものばかり。それらの内幕物が嘘で当て欲しいと思うようなものばかりだが、、、。
たとえば、旧大政翼賛大本営発表垂れ流し新聞がある調査を行ったとしよう。
まずは次のようなステップを踏む段階でいかに偏りが大きいかすぐに解るとおもうのだが箇条書きにしてみると、

  • 自分たちの知りたい質問を選ぶ(それが必要な質問かつ、公平さを欠くかどうかは別)
  • 誘導尋問形式の質問にもできる(例えば、XXが必要かどうかというときに、XXは必要ないと思いますか?などと聞くだけですでにもう大きく偏っている)
  • 例えば質問のための電話調査を自分たちの読者から選ぶ、まずはこれだけで最低限以下のバイアスがかかる(1・新聞の購読者(年齢層の大きな偏りがあり、近年若年になるほど新聞などほぼ購読されていない単身世帯だらけ)2・そしてその新聞を取るというだけですでに思想的には通常バイアスがかかる。3・電話を持っている世帯の意見のみが取られている。4・その時間帯に家にいて、かつそのようなくだらない質問にも答えるような人間がどのような年齢層、性別、職業の人たちか想像できますか?(笑)4・ある程度以上の回収率の回答でない限り、その質問を無視するような人間の意見は完全に欠落しているということ。回収率6割程度の回答を誰が信頼しますかね。)
  • そして最後に、得られた回答の処理プロセスが全く不明で、どのようにも味付けした結果を発表することができ、かつ、発表しないこともできるということ。

右も左も、ほんと少数の勘違いマスゴミによって形成され、大量に発行されるマスメディアで、言いたい放題の世論操作。ほんと、騙す方も騙される方も勘弁してください。新聞を購読してる60代以上の人間の何割がネットしてるか正確な統計がみたいです。統計局の調査でもあたってみましょうか。

とおもって、ネットを探すとちゃんとありました。まずは年代別の利用状況ですが、まあ、19年までのレベルでこんな感じですね。新聞社の購読者でというクロスは分かりませんでしたが、年代別に大きく利用率が違うことがエクセルの表から読めます。まあ、せいぜい50歳くらいを境にしてドーンと利用率が激減していく状況が分かります。では新聞購読者はどうかというようなものを統計局で探したのですが、ここにはありませんでした。そこで民間の機関を探すと、なんか怪しい結果のサイトが、、、。(笑)あきませんな。

2010年9月10日金曜日

極端に太い!

今朝、通勤途上の車中から隣の女性ドライバーがフト目線の先に入って来ていつものようにこう思った。
太い!

あまりにデカイのだ。申し訳ないのだが、大きなバンに乗っているにも拘わらずハンドルの上にお腹がめり込んでいるという感じで、だからといってシートを後ろに下げたら今度はその電柱のように太い腕がハンドルに届かなくなってしまうのだろうと思える感じで、、、。この国では、基準を超える異常な肥満者は身体障害者としての資格申請が出来ます。実際にウォルマートなんかに限らず、大きなストアではそのような人向けの電動カートが数台常に常備されてますから。無論疾病としての肥満もあるわけですが、統計によるとその多くは食べ過ぎに伴う単純性肥満。実際見ているとこの人達よく食べます。間食が多いし、食べる時間が夜中だったりとか不規則です。その割にダイエット何とかというのを食べてるんですけど、、、本当に矛盾だらけです。やっぱアメリカで生まれ育って、成人になる過程で肥満から逃れるのは非常に大変なことではないかなと正直思います。特に親が肥満の家庭で娘や息子がいると、どうしてもその食習慣が染み付いてしまうという結果になりやすいのでしょうね。
そういう意味では、肥満をなくすというのは大変むつかしいことだと思います。しかhし、極端な肥満から推定されるアメリカの逸失利益は膨大なものだそうで、保険会社も必死にそういったことに関する情報を載せた啓蒙のメールを定期的に送ってきます。私も嫁さん曰く「他山の石」にしなさいとのことだそうですが、、、。

2010年9月9日木曜日

じっと座りっぱなし(よくあることですが)

一日中、モニターの前に座ってグラントの書き込みと練り上げに時間を使う。
あと、不要な書類をごっそりリサイクルボックスの中へ叩き捨てて身のまわりを整えて論文の仕上げの下準備も行っておいた。その後で、オーストラリアとフランスに次の実験で必要なベクターをリクエストする。既にハイレベルな論文で使われたベクターなので、結構信頼できるものと思いたい。(あくまで希望)自分の方でも、それと数%だけ配列の短いバリアントを使って既に実験結果は出しているので、ほぼ同じ材料を用いて同様な結果が出るハズの実験をもう一度だけして論文を送り出したい。
そんなこんな事をやっているうちに、早速オーストラリアの方からはShipmentのFedEx番号を聞いてきてくれる。実にありがたい事です!この先生、かなり若いのですが、毎年着実に実績を上げてタイト・ジャンクションのタイトになりつつ有ります。良い教授をもった賢い弟子のあるべき姿という感じの方ですね。フランスの方からはどういう反応が来るのか愉しみです。


2010年9月7日火曜日

トイレの怪異

トイレに行くと何だか不気味な音が壁越しに聞こてくる。
最初朝トイレに行った時から壁の向こうからゴーー、ガーーという音が絶え間なく聞こえてくるのだ。
気にはなりながらも、誰か作業でもしているのかなくらいに考えてそのままトイレから出て来たのだが、昼になって行った時も未だ同じように地の底から響くような轟音が壁越しに聞こえてくるのだ。余りに連続的な轟音なので、さすがにこれはオカシイと思ったのだが、どうやらその音は女性用のトイレから聞こえてくるので、入るわけにもいかず、他のラボから女性のポスドクを連れてきて中をチェックするようにお願いしたところ快諾してくれた。
すると暫くして浮かない顔をしたその女性が中から出てきて曰く「トイレのフラッシングシステムが壊れてる」。結局、この新しいビルに導入されているセンサー式のトイレのどこかが壊れて、今回大量の水が流れっぱなしになってしまったようだ。早速ワークオーダーをPCから出してメンテナンスのおじさんが来て修理してくれました。

幽霊の正体見たりトイレ水

ハイテクも良し悪しです。