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2026年10月30日金曜日

駅前の糞

嫁さんと二人で外に食べに出た時にハンドマイクを持って何かを連呼してるオッサンの濁(ダミ)声が聞こえてきました。

二人で近づきながらも、聞くと話に内容を確認すると言っている事は「皆さん、日本人ファーストです!近所に怪しい感じの外国人が居たら名古屋市に通報してください。報奨金が出ま~す」という事をちょっとだけ言葉を替えながらダラダラと連呼しているだけ。

二人でベンチに座りながら私はポケモンGOを嫁さんは景色を眺めながら座っていましたが、ほぼ誰も聞いていないそのオッサンの姿をずっと遠くから眺めながら私は面白半分に「コンビニの深夜枠は誰が埋めるんですか~」とか「病院や施設のヘルパーは誰がやってくれるんですか~」「解体の仕事は誰が引き受けてくれるんですか~」「アマゾンの宅配は誰が持ってきてくれるんですか~」等とにやつきながら独り言ちていました。

暫くして台湾ケーキとミスター・ドーナツを買うために横断歩道を渡って反対側からオッサンを眺めてみたら随分と疲れた感じの爺さんでした。何だか中年の女性がたった一人だけオッサンと話をしていて、名刺交換みたいなのをしていました。勿論その脇には参政党のオレンジの旗がニョキニョキと立っていました。

言ってる事は単なる外国人排斥の連呼。他に何の見識も無くヘイトの言葉を振りまくオッサンにも発言の自由があるという事に日本の自由発言の幅というものが見えてきますが、それはそれ。頭の悪いクズの発言に特にみるべきものはありません。

参政党の数々の人物達による数々の問題発言。中に居る人間達を見ればこんな連中に入れる票などひとかけらも無いなと再び強く思いました。

2026年10月29日木曜日

消えていく店・後編

実はこの話を耳に入れたのはある偶然からでした。

私の病院に来られているお酒好きの先生がおられるのですが、その方から「あの店のビルのオーナーが建て替えをするから出ていってくれってあそこの界隈の店に全部言って回ってるらしいんです」という私にとっては驚愕の情報が入ってきたのでした。

その先生は亀ちゃんの隣にある名古屋では有名なバーの常連さん。そこのマスターからそのビル立ち退きの話が入ってきたのを私が亀ちゃんに行っているというのを知っているその先生がわざわざ教えてくれたという訳だったのです。

しかしながら、その事はまだ直接おばちゃんに訊いたことはありませんでした。

話が一段落着いて2人いたオジサンのうち一人が席を立ってお勘定を済ませた後に私はおばちゃんに恐る恐る訊きました。「あのさ、脇でちょっと聞いたんやけどココってもしかして立ち退きになるとかいう事無いよね?」と。するとおばさんは一瞬顔を曇らせて「うん、ほんと」とのシンプルな返事。その後は暫く沈黙がありましたが、訥々と語られたその内容はやっぱり前情報の通りビルのオーナーによるリクエストの様でした。

暫くはその話を細かく聞いた後、最終的には店を二月末か三月半ばには閉じてそのまま明け渡すことになるようです。

亀ちゃんのおばちゃんと残っていたもう一人のおじさんとはその後に壁に掛けてある二匹のタイマイの剝製の事で長い議論となりました。ヤニだらけのそのタイマイの由来と今後の行方を話し合って熱い話し合い。騙されて人に安く渡したりする事の無いようにおばちゃんに何度も忠告。^^

その議論も終わると叔父さんも弁当持って家へ帰っていきました。すると突然おばちゃんは「さ、行くよ。店閉めよ」と言ったかと思うと、おもむろに電話帳を捲ってどこかの店に電話。一体どこに行くのかと半分?状態だったのですが、電気を素早くパチパチと消して歩き出しました。

歩くこと5分。着いたのは像ビルと言われる像の置物のあるビルのあるお店。中では韓国人のママがおばちゃんを抱きしめて歓迎。私とおばちゃんはカウンターの席で隣り合っておばちゃんの家庭の話に花を咲かせました。話す内容はほぼ傷の付いたレコードのようなもので、さっき言っていた同じ話を何度も何度もしてきます。w

私はその都度、なるほど!なるほど!と合いの手を入れて更に別の話を聞きだすことでおばちゃんの今までの人生がどんなもんだったのか、今池の昔はどうだったのかというのを嫌という程聞かされました。

帰りに払う段になっておばちゃんが「お前は黙って私に払わせろ」と言いましたが、私はママに目配せして受け取らないようにしてもらい私が払わせていただきました。店を出た直後に韓国人ママが追いかけてきて私達にお土産と称して大量のお菓子と韓国のりを持たせてくれたのですが、これはこれで困ってしまった私です。

私はピロリ治療の最終日だったので、酒は一切飲んでいなかったのですが、病院に停めていた車に乗せておばちゃんを送ろうとしたらおじちゃんが迎えに来るというのでそちらはお任せ。若水のほうに揚々と帰っていくおばちゃんを見ながら、もうこういった歴史上の人物とここで飲む時間もあと僅かなのかな…とちょいと寂しい気持ちになりながら家路へ着いたのでした。

2026年10月28日水曜日

消えていく店・前編

仕事を終えた後に今池のディープな飲み屋に行きました。

ディープとは言え、私は既に何度も行っている「亀ちゃん」です。ここに夜な夜な集まるのは基本的に近所の「ちょい悪不良爺さん」が中心。無論今池に集まるあちこちのある程度遠方の親父達も含まれますが、基本は今池界隈。

私が中に入った時に先客は2人。店のおばちゃんはというと既にそのおじさんの一人の横に座って一杯やっておりました。そもそも店を真面目にやる気が無い。w

この店ではおばちゃんのやることがどんなに頓珍漢な事であろうと客は皆黙って許すのが暗黙の了解。82歳のおばちゃんが何を云おうと何をやろうとおっちゃん達は小言を云いながらも(それを云えるのはごく一部の長年の客であるエリート爺さんのみ!)黙っておばちゃんの様子を優しく見守るのです。私などは正にペーペーですので、何も言えません。殆どの客はおばちゃんにべらんめえ調で怒られながらもニコニコ笑っていて「あいすみません」という感じで楽しんでいます。

勘定も全くのザルで一体どうやって計算しているのかは全くの謎。数か月前なんかに行った時などはがぶがぶ飲み食いして最後に勘定をお願いしたら、なんか紙の上でごちゃごちゃやった挙句「1750円」とか有り得ない事を言ってくるので「母ちゃんそりゃね~よ!w」と言って、一万円札以外で持っていた千円札全部となる4000円を押し付けて帰ろうとしたところ「待って待って、え~とお釣り、お釣り」と言ってもう一度紙のほうに向き直ってはいこれにと言って渡してきた金が5000円札という謎のお釣り。オイラはわらしべ長者?w

もう、自分で何やってるんだか全く訳が分かっていません。w

「母ちゃんダメダメ~」と言って札が5000円だという事を見せたら「あれ?」という感じで5000円札を眺めていました。こんな感じだから、おばちゃんの店は一体全体どうやってやりくりしてるのか全く解らないんですけれど、とりあえず今年で38年!もやっているという話。創業当時の小学6年生が既に50歳です。

飲み屋で38年も続くのはきちんとした客層あっての事!そう考えると、このおばちゃんの店がどれほどあちこちの碌でも無い男達に愛されているか解ろうというもの。私もその末席に座らせて貰えたのは光栄というものです。

しかし、ここでの問題はそんな些細なことでは無く、この店が「来春で店を明け渡さなければならなくなったということ」なのでした。

続きは明日。

2026年10月25日日曜日

おいしい給食4

「そんなの美味そげに決まってるだろう。この野郎」これが、決め台詞となる番組があります。

知っている方は知っていると思いますが、甘利田幸雄こと市原隼人が主人公として働く中学校の給食をメイン・テーマにしています。ライバルである生徒一人が毎回登場して給食を独自の工夫でアレンジして食べて見せる事で、シンプルな食べ方で食材を愉しむ喜び満面の甘利田を衝撃的敗北に追い込むというのがメインのパターン。実はこの甘利田先生が学校に来ている理由は給食を食べるためというのが誰にも知られていない隠れた理由という程「給食」に取りつかれているという設定なんですね。^^

その中では女性教師との恋にはならない触れ合いがあったり、給食のおばさん役である「いとうまい子」との付かず離れずの付き合いなんかもあるんですけど、いくつかの話が絡み合うところも絶妙。

シーズン1から始まって遂に新シーズンが戻ってきました。今回はシーズン4なって戻ってきたのですが今回の舞台は沖縄の中学校。給食のメニューも毎回どのシーズンでも郷土色豊かなのが次々に素材やおかずとして出てくるんですが、沖縄は本当に別格のバリエーション。素材と料理が本土とは全く違う感じでこれまた美味そうなんですね!

やはり気候は人と料理を作る、そして社会を作りますね。ハンティントンの言っている事は正しいんじゃないのかと思わずにいられません。

既に3話まで来たシーズン4ですが、やっぱり面白いですね。私の笑いはこういう「振り切れ」型のバカバカしいのが大好きなんですね。徹底的にナンセンスなところにシュールな物語が繋ぎ合わされている美味しい給食が今後もシーズンを積み重ねてくれることを心から祈っています。

映画も今回再び創られるみたいですのでそれも早くNetflixに出てくるのを待ちたいと思います。

2026年10月24日土曜日

ここまでやるか?

ピアゴである買い物をしました。

私の家では味付けのりをよく食べます。アメリカに居た時も日本のノリをアジアン・マーケットで買ってきては食べていました。勿論、ペースト状のノリも大好きで良くご飯に着けては食べる日々。ただし、同じように「似せて」作られていた格安のノリの佃煮があったのですが、これは買ってきた後に廃棄する羽目になりました。

というのも、帰ってきて瓶を見て気づいたのはMADE IN CHINAだったこと。食べ物に関しては判る限りは中国製のものを排除するというのはアメリカに住んでいた頃からの我が家の第一原理。

更に驚いたのはこの瓶。何と瓶の上蓋のスクリューの形状が瓶についているメタルの蓋にマッチしていなくて外と中の空気は完全に行き来自由になていたのです。w 
それでも全く腐る事もなく長い時間を使って中国からやってきたことを考えると、如何ほどの保存料がぶち込まれているか、想像を超えるものだと思えるレベルです。

さて、そういうのを見越していつも選んでいる日本製の日本原産材料の「海苔」なんですが、今回の海苔はハッキリ言ってがっくり物件でした。

直径は9センチくらいのプラスチックの海苔の筒に入っていて高さも12センチほどあるのですが、中身に大きな問題がありました。佐賀・有明海産と書いてあって恐らく国産であることは間違いないと信じたいのですが、海苔の分包が問題でした!

何と、一包の中に入っているのがたったの三枚、且つそのサイズは「明らかに」他の標準的な海苔のサイズよりも小さくて、恐らく9割より少し小さい感じ。開けてビックリとはこのことで、嫁さんにもそれを見せたところ「わ~」と言ったきり言葉を失いました。

いろいろなものの袋の中身がいろいろな形で減量されるこの頃、数だったり、サイズだったり、底上げされたり…なんだか世の中が残念なほどにセコイ時代になってきましたな。

2026年10月23日金曜日

AI自身もこっそり商売するんか?w

今日はAIにある質問をしました。

「1980年代にあった、TOYOTA自動車協賛の番組で、知られざる世界ってありましたよね?」という質問をしたのです。すると、きちんとその番組に関するまとめを返してくれてその上で逆にいろいろな豆知識を教えてくれました。
私はそれに続いて、今度はNHKで放送されたNHK特集の「石油・知られざる技術帝国」のことを尋ねたところ、きちんと答えを返してくれたのですが、第一部の「地底の戦い」までは判っても、その先の2部と3部の事はデータベースには持っていない様でした。

それでも、石油掘削に使われる技術の中で高度な数式として三次元層流常階変微分方程式とかいう名前の式が出てきたような気がするんですが…という中学の頃の薄く曖昧な記憶をもとに質問をぶつけていったところから話がぐんと広がりました。

登場したのであれば次の三種類の偏微分方程式で
①ラプラス方程式:地下の圧力分布や、流体の定常的な流れを扱う場合に現れます。 ②拡散方程式(圧力拡散方程式):油層内で圧力変化が時間とともに伝わる現象を記述します。 ③ダルシー則に基づく流動方程式:多孔質の岩石中を石油や水が流れる仕組みを表します。油層シミュレーションでは、こうした関係を偏微分方程式に組み込みます。
との回答。その後もいくつかやり取りがあって、油層の中のガスや水や石油の拡散に関してどのような分析を行うのかを細かく説明していくのですが、ChatGPTは実に懇切丁寧に説明を加えてくれます。

風呂に浸かりながらこんなことが学べるなんていい時代になったもんです。^^

結局、三次元の地下構造をデータに基づいて例えば100万グリッドに分解し、それ等の各グリッド毎に物理の実験やデータ取得で得られた各種の数値を当て嵌めて、高度かつ大量の数値計算を高速に解いていき、それらの分割されたグリッドの数値計算の結果を常に隣の100万グリッド、そしてそのまた隣の100万グリッドの計算数値と擦り合わせながら全体を再構成していくというものでした。

巨大な連立方程式を解く数学的手法自体の進歩や計算機の性能の向上、そして計算機科学の進展による数値計算の方法論の進歩、地質物理の進歩などが重層的に重なり合って信じられないほどのリアルなシミュレーションが出来るようななったとの事です。

まとめると
①数値誤差を抑えながら方程式を離散化する方法②数百万、数千万規模にもなり得る未知数を効率的に解くアルゴリズム③地層の不均質性、断層、複数の流体相をより詳しく表現するモデル④AIを用いて、従来なら何時間もかかる計算の一部を短時間で近似する技術
等が具体的な記述でしたが、やっぱり金の集まるところにはありとあらゆる知恵と技術が集まるのね~と46年後に再度感心したのでした。

その上で「ウーム」となったのは、一番最後!突然以下の一行が加えられていたのです。

「TOSHIBAの冬季インターンシップ募集」のお知らせリンクがコッソリ提示されたのでした。w 普通、レベルの高いAIに対する多くの仕事に対してはお金を払って仕事を進める昨今ですが、こういう無料の質問でも質問者側の興味を見ながら「こっそり」こういうリンクを張るんですかね?

個人的には無料でこんな事を教えてくれるのか?と驚くほど興味深い質問のやり取りでした。

2026年10月22日木曜日

立川談春 独演会 2026 秋

3か月ほど前、メールを読んでいた時に目に留まったある人物名「立川談春」。

もしかして!と思って期待を込めて詳細を見てみると10月22日になんと名古屋に来て独演会を開いてくれるというではないですか。^^

「俺がメールを見たばかりだからもしかしたらまだチケットが手に入るかもしれんぞ」という事でローチケ経由でチケットを探してみると、幸運な事にまだチケットは手に入る。素晴らしいぜと小躍りして、思わず録画したドラマを横で見ていた嫁さんに「お前も談春の独演会行かんか?」と尋ねました。

勿論、落語に詳しくない嫁さんは「談春って…」という感じの反応だったのですが、私が如何に談春が凄い噺家であって、あの談志が危機感を認めた素晴らしい噺の研究者であるかという事を懇々と説明したところ「行く!」と言って乗ってくれました。

直ぐにチケットの枚数を2枚として注文を入れると無事に入手する事が出来ました。
そして本番の日。3か月などという時間はあっという間に飛んで去り気付けば談春を生で観る、そしてその話を初めて聞ける、そして生れて初めて「生」の落語家の噺を目にする事が出来るという3つの初尽くしの喜びで震える日を迎える事が出来ました。

地下鉄に乗ってニテラのビレッジホールに到着すると「比較的」高齢な方々が既に沢山座っておられました。到着したのは公演開始50分ほど前の5:40頃でしたので、じっくりと「待つ」という期待感で楽しく過ごす事が出来ました。

6:30になって一瞬暗くなり、あの談春が舞台の袖左からスッと登場。心の中で俺が「お~~~~っ」と声をあげていました。

噺が始まると枕の部分から笑ってばかり。「これ話しちゃだめよ!」という話がいくつも出てくるのですが、映画:八犬伝における鶴屋南北の代役裏話や数十年前の中日の選手の試合前競艇観戦の話などがあったことを自分用のメモとして残しておきたいと思います。それにしても、三遊亭円杖師匠が名古屋は瑞穂区出身だとは知りませんでした。

噺の初めは「厩家事」、二話目は「五貫裁き(一文惜しみ)」でしたが、何れも優れて良く練られた名人の噺でした。自由自在と言ったほうが宜しいのでしょうか。これは何度でも聞きたくなるよなっていうのが正直な感想だったのですが、枕の噺だけでも十分に2時間以上「余裕で」楽しませていもらえるなと感じ入った次第でした。

何と総ての噺の終わりに全員で集合写真!そもそも写真や動画を撮っていけないはずのものでは無いかと思っていたら、男子は終演に皆と写真を撮る事を行事のようにしている事を後で知りました。

噺の中で出てきた大阪でやる還暦記念公演「玉響」のチケット。その場で取りました。(取れて良かった!鶴瓶とグレープまで来る。^^)これは秘密ですが、来春には再び名古屋にやって参りますぞ!秘密!w

2026年10月21日水曜日

ピロリの除菌

ひと月ほど前に胃部不快感が発生しました。

家に帰って夜にチャーハンを食べようとした瞬間に、突然気持ち悪くなって少量の内容物を戻してしまったのです。orz

普通こういう症状があると我々医者は「嫌な事」を想像してしまいます。例えば胃噴門部の狭窄、幽門部閉塞に伴う逆流、食道の狭窄による通過障害…。想像は幾らでも逞しく広がっていき、かつ良くない事ばかり想像してしまいます。

そこで、ここからは胃カメラの登場です。自分の病院にバイトに来ている胃カメラの上手な先生にまずはカメラによる検査をしてもらうと萎縮性胃炎になっているではないですか!そこで次はピロリの検査なんですが、ここに至るまでに既に私はタケキャブという薬を飲んだり、歯科治療の時に抗生剤を服用していましたので、今ピロリの呼気検査をしたところで偽陰性が出る可能性は高いという事で、抗生剤とタケキャブの中止で2週間待ちました。

その上で窒素ガスを用いた呼気検査を行ったのですが、とりあえず数値は陰性に近いものでした。しかし、こういうものは偽陰性であるパターンも否定できず。

という訳で、最終的に抗体検査を行いました。するとこれでは陽性に判定!

20年ほど前にアメリカから短期日だけ日本に帰国したときに先輩のクリニックで受けた検査で潰瘍と共にピロリ強陽性の判定を受けた訳ですが、その後に除菌して症状が消え去ったので、そのまま判定する時間もないままアメリカに帰国していたのでした。

そして今、ピロリはカムバック状態。という訳で本日よりボノサップ400というキットになった除菌システムを用いて今日から七日間の服薬継続によるピロリ除菌を行います。

何だかな…。面倒くさいですが、人間にとって細菌やウイルスとの戦いは永遠ですよ。

2026年10月18日日曜日

人生初尽くし

今日は鵜沼に行って人生初の米の収穫を行いました。

そもそも、今日は嫁さんが仕事なので息子は私がみる事になっていて、朝もはよから起き出して息子と二人でうきうきと鵜沼へ向かいました。(息子がうきうきしていたかは不明ですが、オヤジは少なくともうきうき。w)

鵜沼に着いたのは10時頃でしたが、既に相棒は田んぼで収穫を始めており、紐で結われた稲の束が乾いた田んぼで大量に並べられていました。(下の写真みたいな感じ)
これを拾っては集め、拾っては集めを繰り返し画面の真ん中にあるような鉄の掛け棒に渡していくんですね。束ねられた稲穂の付いた稲わらを二つに割って次々掛けていく。それを繰り返して繰り返していくと下のようなものが仕上がります!
今の時代、こんな天日干しをして手間暇かけるような事はもうほぼしないんだそうです。
これが実は見えない所にももう一列あって、それで一反分くらいの田んぼの稲を全部干すことが出来る訳です。その作業は実に地道で、相棒のファミリーが総出で出てきて大人7人程度で次々に仕事をこなしていく訳です。(息子はおまけ程度の手伝いで、基本的にあぜ道でお菓子を食べて俺がヒーヒーしてるのを楽しそうに眺めていました。w)ただし、見ている息子も含めて皆が脱水だけは起こさない様に、持って行ったどでかいボトルや途中で買い足したペットボトルをがぶ飲みして仕事を続けていました。

やる事と言えば腰を曲げて地面から稲穂の束を拾い上げては柱に掛ける事を繰り返すのが仕事。最後は腰が悲鳴を上げていましたね。orz 最後のほうでは稲わらの運搬機の履帯が切れてしまいましたが、残り僅かの分は人力で仕上げて取り敢えず最後には楽しく打ち上げ。お互いに気持ち良くお礼を言い合って笑顔で労をねぎらいあいました。そのあと私は息子の手を引っ張って車に乗って帰宅しました。息子も米粒1キロ分くらいは仕事をしたかな?^^

最後は仕事を終えた息子を連れて4時ぐらいには家に帰りつき藤一番でラーメンを食べました。

それにしても、この作業を終えて思ったことはただ一つ。「何事も経験しない事は本当に理解できたとはとても言えない」という事でしょうか。ありきたりの言葉ですけど、失敗も含めて経験していない事を語るのはAIの語る「さも見てきたような話」でしかないなという事でしょうね。

実体験。失敗しようと成功しようと大切なキーワードだと思います。チャレンジしない事には失敗「さえ」出来ないのですから。

2026年10月17日土曜日

昔の雑誌の内容に改めて驚き

次女が上前津の海星堂という所から雑誌を買って帰ってきました。

最初は珍しく多弁になっていた次女が一体嫁さんと何を話しているんだろうと聞いてみると、大昔の漫画や雑誌を三冊買ってきていたのでした。

その三冊は何だったかというと①週刊少年マガジン1970/1/1日号②週刊平凡パンチ#599(
S51/3/1号)③別冊SFタイムズ(3)たがみよしひさマガジンでした。

マガジンに収載されているのは力石とリング上で戦うジョーのシーン。他にはさいとうたかをの無用の介とか。しかし、そういうのは全く別として何と言っても白眉は一番最後のページのアサヒ靴(現在はアサヒ・シューズ)の広告。出てくるキャラが時代を反映しています。
そしてひとつ前のおもちゃのはなやま(何と今もしっかり存在しています!)が作っていた家庭盤というボードゲームの宣伝。更に世界の切手を申し込むための案内など、今ではあり得ないものが目白押し。また、他のページにはあの「コーリン鉛筆」の宣伝がありました。

最近コーリン鉛筆の事聞かないなと思ったら、なんと1回1997年に倒産していて、タイで復活していました。復活何より!

更に平凡パンチなどの中身に関してはもう今の基準では「全くダメでしょ」という感じの中身が目白押し。w 
表紙キャラは水沢アキ。中身はMG5の宣伝に草刈正雄。本の宣伝はビートルズの百科本など。桜井真一郎のスカG設計者としての話が出ています。(ケンメリ・スカイラインC110の写真アリ)

三冊目は見た事のある、記憶にある画風の方でしたが、詳しくは判りません。

当時の事を当然ことながら全く知らない次女によるランダムな選択でこのような面白いものが掘り出せたので、今度は自分の手で特定の目標に絞って買いに行ってみたいなと思いました。ここって買取もしてくれるんでしょうかね?嫁さんが週刊セブンティーン一年分くらい持ってるんですけど…。^^

2026年10月16日金曜日

古着の購入

最近、新しく購入する服はTシャツばかりとなりました。

理由はシンプルで、上のジャケットも下のジーンズとかパンツも街の古着屋で手に入れるようになったから。このあたりの話は以前にもちょろっと書いたんですけど、最近はチャンスがあったら先ずは手に取ってみて眺める事が普通になってきました。

一番の理由はシンプルに「値段」ですね。昔、家庭教師先の生徒のお母さんに伺った事がありました。彼女のお仕事は衣服の仕入れと販売だったんですが、洋服の値付けの話を聞いたところ基本は5掛けとの事でした。要するに仕入れ値がX円だとすると売値は5Xだとのこと。

もしそうだとすれば、普通の感覚を持った人間にとって何かを「安く」かつ「リーズナブル」に手に入れる事が出来るのであればそれが古着だろうが新品だろうが洗濯さえできれば構わない訳です。

仮に新品だとしても、一回着れば形式上は古着。そもそも古着だろうと「未使用」のものもたくさん売っているし、古着で使われたものでも使用感自体が全くない程に丁寧に使われたものもたくさん出回っていますから、私にとっては宝の山です。

もともと2万円とかしていたジャケットが4,000円になっていたり、時によっては800円だったり。1万円だったウインドブレーカーが1,000円になっていたりとかするなんてことはごく普通。3万円のデザイナーズ・ジーンズが5,000円とかになるのであれば何故そういうものから選ばない?という事になります。w

ただ、問題はサイズですよね。こればっかりはどうしようもない。「いい服だな~」と思っても、サイズが無いので終わりなんて言うのは古着選びでは日常ですわね。だからこその古着ですが…。

今後も新しい季節が始まる前の古着屋訪問は続くと思うんですが、まさかこの俺が古着屋探訪とかね。w 娘達の考え方にすっかり影響を受けてしまった親父の話でした。

2026年10月15日木曜日

中国人の看護師さんの日本語の能力

私の働く病院では正看護師として働いている中国人の看護師さんが何人もいます。

平均すると各病棟に1人は居る感じと言って良いと思います。他の国の看護師さんは居るかと言われれば、ヘルパーさんには比較的多くのアジアの各国の人が居ても、看護師さんには居りません。彼や彼女達はベトナム、インドネシア、フィリピン、ミャンマーの人達が殆どですね。

では何故この中で日本で看護師をしている人達が殆ど中国人なのかと考えるとそれは偏に高等教育システムと考え方の違い、母数となる人間の数の差だと思います。

私は本当に最近迄全く知らなかったんですが、日本で正看護師になるためにはN1というレベルの日本語能力試験をパスしないといけないという話でした。たまたまXの記事の中に韓国人でN3とN2というその下二つの検定資格を取得したという韓国軍人の写真が出ていたのですが、その人を褒め称える文章を読んでいるとN2でも十分に難しいという事が書いてあります。

そこで、ネットで実際にN1のお試し問題という形で試験を受けてみました。

実際に問題を解いてみると確かにこれは日本語を殆ど自然に操る人と思っていいレベルの問題でしたね。しっかり高校受験対策をしている中学生が問題を解く感じのレベルと言ったらよいでしょうか。これ位の問題をスラスラ解けるようだったら、確かに日本に来て更に日常会話や方言、時代にあった言い回し等を吸収続けていけば病院でも働けるかもと思いました。

しかし、言葉というのはある一定水準に達した後に次のレベルに進むためには間違いなく「研鑽」が必要。

では私の病院で働いているその中国人看護師さん達はどうかというと、病院にやってきた当初からびっくりするくらい普通に日本語を理解できるし記述も出来たのですが、2年以上経過した今、彼女達の日本語能力が「上達」したのかと言われるとその答えには極めて大きな疑問符が付くというのが正直なところでしょうか。

確かに素晴らしく上手!しかし進歩は見られない。特に会話能力。これって多くの外国語話者に比較的共通する特徴じゃないかなと思うんですよね。無論、人によっては読解力が、会話能力が、筆記能力が伸びない等とそれぞれ違うのでしょうが。勿論、私もこれらの例外ではありません。

アメリカに居た時にガンガン喋って読み書きも大量にしていた頃に比べると明らかに能力が萎んだという実感があります。言葉や能力は常に磨き続けることが大事だという事実に、まさに他人を実例としてみる事で改めて気づく自分でした。

特に私のように還暦すぎた人間は今後に発生する種々の生理的能力の低下の事を考えればもっと真剣に勉強しないとね!w

2026年10月13日火曜日

熊出現ちょっとヤバいかも

今年は私がよく狙っていくキャンプ地で多くのクマ目撃情報が出ています。

このあたりの熊は当然の如くツキノワグマでして、基本情報によると体長は1.1~1.4mなんだそうです。ただ、強烈な爪と顎を持っていますから人間が相対しても真剣勝負して勝てる相手ではありません。勿論、銃器以外の武器で戦ってでもっていう意味ですけど。恐らく普通の人間がナイフなどで向き合って戦ったところで、最初の一撃でゴッソリと体の一部が削り取られるか、噛みつかれて喉笛嚙み切られて試合終了となる事でしょう。

マップで調べてみると以下のような感じ。
基本的には瀬戸よりも東、豊田や新城よりも北側に出現すると思って良い様です。という事は…「俺のキャンプエリアとバチ被り」という事です。w
今年のクマの餌となるドングリの生育状況に関する情報も出されていてそれは以下のようになっているんですけど、平年並みにできている筈なのに凶作であった昨年、一昨年よりもずっと多い目撃数の様です。
どうしてそうなるのかは私のような生態系の非専門家には理解できないのですが、実際にはエリア毎のクマの食べ物の細かな差もあるとの事ですし、みんなが例年以上にクマによる被害というものに関して神経質になっている事が報告数の増加という形になているのかもしれません。あくまで根拠も何もない推測ですが。

クマの目撃数が激減する12月から1月頃迄はこのエリアでは一人でキャンプするのは止めないといけないのかな~って少し思ってしまいました。

2026年10月12日月曜日

レア・コレクション

実は関に関連したお話がもう一つあります。

先日、私の畑仕事の相棒が関の刃物関連の会社にも出入りしている事をチラリと書きました。ところが実際にそこの出入りしている会社の剛毅な大将は、私の為に相棒経由であるナイフを「何と」プレゼントしてくれたのです。

最初は「自分の好きなタイプのナイフを選んでその写真を送ってくれれば、それにあったタイプのものを見繕って造ってあげる」との話だったのですが、私がそのナイフの写真を選び出して相棒に送信して「これなんかどうでしょう?」という感じでお伺いを立てていたのですが、今回大将の手から出てきたのはもっと凄いものでした。

相棒が当直中の私の病院まで寄ってくれて手渡してくれたのは、関の刃物博物館で見かけて「たまたま」写真に収めた凄いナイフと同じ系統のものでした。
病院の駐車場で手渡された時には「うわ~、スゲーナイフが出てきちゃってるよ!」と思って調べてみたところSOG Bowieというものでした。ただし、調べ始めた当初は上にある写真のナイフと自分が手渡されたナイフが同一系統のものだとは全く気付かずに「こんなナイフをキャンプに持っていける訳がない。w」という感じでなんという妖しい魅力を持ったコンバット系のナイフだなと思っていたんですが、上の写真を撮っていたことを思いだして、画像を突き合せたら間違いなくこれでした。しかも、純粋な関バージョンで、黒い焼き入れ?無しのもの。
上にこのナイフの由来が書き込んでありますが、やはりかなりの物語を持っているようです。しかし、私のは恐らく2008年までで製作が止められたその派生バージョン、もしくは製造前の刀匠による試作物なのではないかと思われます。
容れ物がまた特別なのですが、これはちょっとある理由で写真は出さないでおこうと思います。これ以外にも大将は別のコレクションを持たれているのですが、関というエリアの職人さん達は本当に密なネットワークで繋がっていて、いろいろと見えないところで助け合ったりするように出来て居るようです。

そりゃそうですよね!関のような歴史ある職人町ではきっと何代も何代も前から複雑な地縁と職業上の縁で複雑に絡み合っていると考えるのが私にとっては普通に思えます。今度機会があったら大将のところに挨拶に伺っていろいろとお話を伺いたいと思っているナイフ初心者の私でした。

2026年10月11日日曜日

関の刃物まつりへ

嫁さんと行ってまいりました!

関には既に数回行っているんですが、こういうフェアのような事に当たったのは初めてです。ちょっと前にたまたま相棒から「今週末にお祭りあるから行くと良いよ」と言われていたので、ガチの予定として今週末の行き先にしておりました。

この週末は珍しく嫁さんが仕事入っていなかったので、ゆっくりと息子を連れて三人で関へ向かいました。私が昨日テント泊をしていたので、帰ってきた時間に合わせてちょっとだけ休憩して関へ向かいました。

関に到着すること自体は一時間もかからなかったのですが、案の定駐車場はどこも満杯だったので、バスでシャトル便が出ている関市役所から出発しました。
出発する前にも市役所のステージでは楽しそうなステージが開かれていたのですが、こういった出し物が一緒に観られるのもなかなかいいもんですね。

さて、ここからまたバスに乗った後到着したのは食べ物や刃物など、いろいろな店が出店を出してくれていました。
人通りは大変なものでした
長い長い出店の列も見終えた後に関の刃物会館の方へ移動しました。ここも大変な数の人達が居たのですが、意外と早く店仕舞いをするところが多くて、そこは残念なところでした。
実は上の写真の場所は大小の企業や個人がそれぞれの刃物や入れ物を持ち寄って商売をしていた場所なんですが、行った時はちょうど片付けが始まった時間帯で、超残念な気持ちで満タンになってしまいました。面白そうな刃物製作所や個人の出店もあったのに⋯。orz

今後はもう少し長めに、少なくとも5時くらいまでは店を撤収することなく展示に励んでいただけると嬉しいなと「個人的には」思いました。

帰りは家族で近所のアピタに移動して息子の好きなマクドナルドを食べました。

  

2026年10月5日月曜日

覚王山日タイ文化フェスティバル

日曜日の少し曇りがちな天気の中、日泰寺で行われていた毎年恒例の文化フェスティバルに行ってきました。

お目当ては食べ物とTシャツ。^^

もう何度もこのお祭りには来ていますので、どんな事が行われているのかはよく知っています。縁日のほうはいつも参道に出店が来るのですが、このフェスティバルは基本的にお寺の境内で行われますので、参道をずっと歩いてお寺に近づくとまず山門に到着。

ほぼ例年と変わらない配置で賑やかそうな様子が入る前から伝わってきました。小さな子供達のはしゃぎ声や着飾った女性達のそろいの法被を着た様子などを見ると既に多くの行事が行われているようでした。それでも、我々の目標は基本的にそれらの演じものでは無くてタイ料理とTシャツ。

さっさとシャツを売っているお店に近づいて派手なタイ製のシャツを一枚ゲットした後、パッタイその他の料理の行列に(主に嫁さんが)並んで数種類のタイ料理をゲットしました。とは言え、私は息子にほとんど食べさせて嫁さんと私はちょろっと食べただけ。それでも、息子の幸せそうな顔を見ているのは大満足でした。

その後は即座に一旦家にかえってアピタに行って久しぶりにマクドナルドでハンバーガーを食べた我々でした。

嫁さんとしては一日中食事の準備が手抜き出来て別の意味で大満足ではなかったでしょうか?w

2026年10月4日日曜日

関の刃物

畑仕事の相棒はメカ関連の仕事をしています。

いろいろな作業用の器具をいろいろな業者に納入しているため、様々な業界に「顔が広い」という人物。もともとは大型車両の整備をしていたとの事ですが、今ではそういう縛りも無くなりプレス・マシンやその他の種々のマシンを取り扱っているという事です。

さて、その彼は今もよく刃物の町関市に行ってはそこで刃物造りの中心人物となっている方にあらゆる伝を頼って各種マシンなどを入れているうちに親しくなったようです。

私は気づかなかったんですが、この方のインスタグラムを見ていたら、なんと以前行った刃物博物館で刃物を時々削っている人物であることが判りました。あの時あそこで仕事をしていた人なのかもしれないと思うとちょっとワクワクしているんですけど、実はこの方の作った刃物を直に相棒経由で注文して貰えるかもしれないという話になりました。

この方の作成している刃物は実は超一流のレストランのシェフから一生モノと言ってもらえるレベルの作品。そんな方に間接的であってももしかしたら素晴らしいナイフ・包丁を作っていただけるかと思うと胸が熱くなります。

刃物を鉄の板から研いでいく様子を見ていると、その中から現れてくる刃紋がさざ波のように見えて美しい事この上なし。自分用のキャンプ・ナイフと、嫁さん用の包丁。この二つが手に入れられればもう大満足です。相棒からは「どんな形のどんなものを手に入れたいのかよく考えて」と言われていますが、悩みは深いのです…。^^

木曜日までに考えておいてと言われました。どうしましょ…。

2026年10月3日土曜日

落花生の収穫とロスト・アーク

実は前回のサツマイモの収穫の時に畑の端っこに二株ほど「遊び」で植えていたのですが、そのうちの一粒だけを前回のサツマイモ堀りの時に見つけたからでした。
上の写真にあるように地面の上に極わずか体を突っ込むように埋まっている落花生を拾い上げて割ってみると見事な落花生が本当に薄いピンクの皮に包まれているのがよく判る状態で出てきます。

鵜沼の親父さんに話を伺ってみると、これをきちんと乾燥させたらいわゆる普通の落花生になるという事です。またお母さんに伺ってみたところ、このままでも茹でて美味しい生の落花生を味わえるよ~と楽しそうに話してくれました。

ただ、今回の落花生植えはまさに試験的なもので、一体全体「落花生」というものはどうやって育ってどうやって収穫するものかというのを観察するためのサイズであれば十分だったからです。^^

そして、その収穫を実際にしてみたところ以下のようなものが出来上がってきました。
こうやって土の中に沢山の「実の入った殻」が出てくることが解りました。何とも凄い自然のシステムですね。人間の知恵なんて軽く吹き飛ぶ進化の面白いところです。植えたものが育って人間が食べられる形のあるものになるなんて言うのは本当に感動的です。

さて、今回こうやって落花生は少量ですが収穫できました。しかし、ここで驚くべきことが起きました。落花生を収穫し終わって畑を再度眺めまわしたところ、どう考えてもこれサツマイモの葉だよね?という部分が畑の中に残っている事が判明したのです。そして直ぐに相棒と考えた事は「これってこの前どこに行ったか判らなくなった紫イモの葉じゃなかい?」という事。

そこで、数メートルに亘って生い茂っている葉っぱの根元を搔き分けてみると出てくる出てくる真ムラサキの芋!

やった~!という感じで相棒と二人で興奮して畑を掘り返すこと一時間弱。ゴッソリ出てきた紫イモに、心の中で「隠れとったか!見つけてやれんで悪かった」と謝りました。何にしろ「おっかしーなー、絶対植えたのに一体どこに消えたんや?」という感じで相棒と二人でその謎に悩まされ続けていた訳ですから、今回の図らずもその謎が解けたのは素晴らしい主格となりました。

畑の近所にある親父さんの家に戻ってその話をしたところ皆に大笑いされました。その後、近所の種苗を売っているローカル・ストアに向かい一玉384円もするニンニクを3玉購入して親父さんの畑に植え込まさせてもらいました。来年の種ニンニクにする為です。18株のニンニクが6株のニンニクを実として付ければ来年には100粒以上のネタになる筈です。それでも来年はそれをネタにしてさらに増やそうかなと折っているんですけどね!w

ニンニクがどう育つかた新たな愉しみです。


2026年10月2日金曜日

京都まで歩く????

私の勤める病院にバイトで来ている外科の先生から「あるお誘い」を受けました。

それは「京都まで160キロ二泊三日で歩くんだけど一緒に行こうよ!」というもの…。一瞬ですが、本気で固まってしまいました。w

そもそも私が散歩で一番歩くのでも家族と共にモリコロパークに行く往復の散歩。恐らくこの散歩でさえ16キロ程度です。この距離でゆっくり歩いて3時間ちょっと。その往復を二回しても約30キロでしかありません。たったの30キロ。それでは家から名古屋駅まで歩いていけばどれくらいかというと約14キロ。往復でやっぱり30キロ弱です。

つまり、家からモリコロパークへ向かって歩き、その後家まで戻ってくると名駅へ向かってま直ぐ歩くことで約21キロの道のりを終了、そしてそこから戻ってきて家に戻ってくることでやっとマラソンと同じ程度の距離。グーグルの予測時間を積み重ねるとハーフの距離で4時間半程度。往復でなんと無休憩で9時間も掛かるコースです。

40キロで9時間!朝8時に歩き出して何もせずに歩き続けて夕方の5時にやっと40キロなんですが…。( ゚Д゚)

そう考えると、仮に体力がもっと続いて日に9時間歩けたとしても120キロにしか届きません。京都までの距離をグーグル・マップで見てみると到着地点が京都駅だとして143キロ!一日に約48キロ!は歩かないと届かない事になります。しかも、この距離を歩くのにほぼ10キロ程度の荷物を持って途中は一人用テントで寝起きしようというのがお誘いの内容。

道は中山道経由でないときついと考えられます。なぜならば全部を舗装路で歩くとなると返ってくる反動は脚を壊す可能性があるからです。しかも、靴はその時に靴擦れを起こさないことが前提ですから、ある程度は慣らして履き込んでおかないといけませんし。

こういった事を全て勘案してChatGPTに対してこの道中の厳しさを聞いてみると…超上級者向きのUltra Walkになるというお話。しかも、厚底クッション・ メリノウール靴下+ワセリンで靴擦れ防止・荷物は5kg以下(可能なら送る)・  夜間歩行は避ける(危険)・  こまめなストレッチと休憩・水分は1日2〜3L・事前に40km歩行を2回以上試す、云々という長い長い試し書きが付いてきました。orz

しかも、普通の人間は1日に30キロ以上歩くと翌日は強烈な疲労や体調の問題を起こすと書かれていて、先生が主張する「出来たら60キロは行きたいな」というような距離は私のようなど素人が居ては到底無理でしょう。w(なんと、先生は「80は無理か?」等という事を呟いていましたが。orz)

何段階か練習を重ねたうえで靴やテントを試してからチャレンジしていかないと「到底」無理なことは明らかですな!

2026年10月1日木曜日

山本夏彦はやはりイイ!

先日購入した古本の中に3冊の山本夏彦の本が入っていました。

3冊の題名は①「社交界」たいがい②良心的③一寸さきはヤミがいいというものなんですが、昔から私は山本夏彦氏のファンで、その一刀両断振りは普通に考えれば諧謔と機知を超えた素晴らしい切れ味の批評の連発。

新聞屋と銀行屋と株屋の話は何時も飛びぬけて面白いのですが、氏の話が常に面白いのは世間のモノの見方とは一線を画す切れ味と裏面の真実の暴露があるから。世間の常識が如何に嘘に塗れて間違っているのかというのが次々と解りやすく示されます。

いつも彼の文章を読んで思うのは正義を標榜する人間達の胡散臭さの観察眼の鋭さでしょうか。

ものごとは裏と表から見てその評価を定めないといけない、そして人間というものを純粋な正義などと見誤らない事を何度も何度も対象とインシデントを替えて教えてくれます。そして必ず戻ってくるのは上に太字で書いたような正義を騙る人間達の裏の顔を嗤えというものでしょう。

社会の木鐸を標榜する人間達の垂れ流す道徳論を嗤い、戦前暗黒史観を繰り返し「それは嘘だった」と叩き続ける。歴史というのは書いたもの勝ちですから、正しかったことを少数であろうと書き続けることが大事。そういう意味では既にとうの昔にお亡くなりになった氏が繰り返し書き続けた数多くの文章は何時の日か大きな意味を持つことと思います。

私は彼を右翼とは思わないし、極端な思想の持ち主だとも思いません。淡々と世の中を見つめて自分の体験した世界をもとに自分の皮膚感覚で事実を記述する。なかなか出来そうで出来ない事です。

恐らく多感な時期(15歳~18歳)をフランスで育ち、その後に戦争に突入するような当時の日本に帰ってきたのが普通の日本人とは違うものの見方をさせたのかもしれませんね。

人とは違うモノの見方、常に持っておきたいと思います。(変人扱いされても。w)