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2026年9月19日土曜日

やっぱりブルーはカッコいい!

戦闘機乗りのパイロットというのはやはり男の憧れの職業の一つでしょう。

理由はあの三次元空間をあり得ない速度であり得ない技術で自由に飛び回れるから。文字に書くだけでも非常に明確な素晴らしさがありますが、以前中島悟氏が雑誌の企画でF15に搭乗したときに「F1の15倍面白い!」というコメントを残していたのが印象的でした。

尤も、あの恐ろしいGの中を吐くことも酔う事もなくニコニコしながら楽しんでいるF1ドライバーの中島氏も異常と言えば異常ですが。w

さて、そのブルーインパルスが昨日名古屋にやって参りました。アジア大会のオープニングの一環としての登場でしたが、以前名城公園周りで飛んでくれたのと同じ感じでやってくれるのか、今回は久屋大通りをまっすぐ飛んでくるコースだというので地下鉄に乗って栄駅で降りて待っていました。

嫁さんのアドバイスに従って9時からの飛行予定に備え7時半には家を出て、8時にはオアシス21のところに座るようにしていました。(終わったら鵜沼に向かってサツマイモの収穫予定!)
これでも一時間前!
少しだけ暑いかな?という感じでしたが比較的直前までオアシス21の天井が影を作ってくれていて、最後の最後に帽子を被ったくらいで間に合いました。9時5分ごろにいきなり陰からドーンと登場。見ている人達はみんな、カッコいい!と声をあげながら大はしゃぎでした。
5~6回の各種演目をこなしてくれたのですが、やっぱり素晴らしく息が合っていて、プロ中のプロというのはこういう仕事をする人達なんやなと改めて心の中で敬礼させてもらいました。

最後に飛び去った後でみな自然と拍手が沸き上がってきたのは当たり前と言えば当たり前だったのでしょうか。(`・ω・´)ゞ

総てが終わった後で、大混雑の中を鵜沼に向かって名鉄に乗って行った後に実は松島?に向かって帰っていこうとしていたブルーインパルスを畑作業中に眺める事が出来たのは秘密の幸せでした。多分、各務原か小牧基地で一休みしていたんじゃないかなと農作業のパートナーと話し合った午後でした。


2026年9月14日月曜日

伝わらなくなる感覚

寅さんを視ている時に電話のシーンがありました。

勿論、旅先から柴又の家族に電話をする訳なんですが、その時に使っていたのが赤電話。そもそも赤電話自体が眼の前から消えてしまう時代になっていますが、小銭の10円を次々と入れながら最後は小銭が足りなくなってさくらと話そうとしたところでプチッと会話が切れる訳です。

こんな感じは私が高校生くらいの頃まではごく普通で、緑の電話が出てきてテレホン・カードが使えるようになった時には本当に「革命!」と思いましたね。

主にイラン人達による偽高額テレカ事件が続発しすぎてNTTがいろいろと彼らと戦った挙句に、ゆっくりとPHS、スマホというのが覇権争いをし始めました。その後で時間が経つほどに明確にスマホが勝利を収める流れのなかで公衆電話が次々と姿を消していき、やがてはPHSが姿を消しそこへ初代iPhoneが登場してきましたよね。^^

とは言え、今の20代の人達にしてみれば、上に書いた話はまるで私の世代が手回し式の電話のことを見た事が無いような感覚なんじゃないかと思います。
電話をしている時に手持ちの小銭を気にしながら電話をするという話自体がもう彼ら達にしてみれば見た事のない歴史なんですよね。w

知っている商品名も世代判定に使えるというのはここ最近よくわかります。この前もアイスクリームの商品名である「宝石箱」というのがあったんですが、その商品を知っていたのは私を含めほぼ全員50代以降。

調べてみたら1978-1983年の間だけ売られていた雪印の製品だったようで、そりゃ40代でも知らないのは当然と言えばあまりにも当然でした。自分の周辺では当たり前の事でも、世代が代われば知らないことだらけというのは余りにも当然ですよね。

上が消えて下の世代が支える。既に今の日本を支えているのは私の一回りしたの世代になってきています。そういう意味では時代の流れを素直に受け容れるのは大事な儀式なのかなと思いました。

2026年9月8日火曜日

歴史に残る大雨の日となりました

とんでもない一日となった名古屋でした。

一日の仕事が終わりに近づいてきた時にナース・ステーションにいるみんなのスマホから一斉に警報音が鳴り響きました。見ると警報の中身は高齢者の避難開始等と言う禍々しいもの。

雨雲の様子を示すレーダー画像も、物凄い厚さの雲が見えから名古屋市のほうにかけて長々とかつ真っ赤に線状になってカバーしているのを示していました。そこに夜勤の看護師さん達がずぶ濡れになって登場し一言「ヤバい雨です」と言葉を発していました。

その時点で既に駐車場は大きく冠水し、15センチ程度の深さの水に覆われている事が窓から眺めていて判りました。ほとんどすべての車が徐行しているのが病院の敷地内だけでも良く理解できます。

さて、Google Mapを見てみると、あちこちで真っ赤なlineが描かれているだけでなく、一部は既に黒くなっていました。恐らく冠水した車が前にいけない感じでトラップされているのだろうと推測していたのですが、それは後で見たニュースで正しかったことが判りました。後で聞いたところではこの日に千種や北区の周辺で仕事をしていた人達は車が動かずに往生したそうで、帰院予定を二時間もオーバーしてほうほうの体で訪問診療から戻ってきたとの事。そして戻って来てからも家に帰りつくまでにこれまた2時間近くかかって帰宅しボロボロに疲れ切ったとの事でした。

ニュースでは200台程度の車が水の為に冠水して動けなくなり、河川はあちこちで氾濫。地下鉄は5時間程度ストップした上に市バスは全面通行止めになってしまったようでした。

しかし、それでも20年に亘る名古屋の大雨対策としての冠水用の地下神殿の建設のおかげで名駅周辺は冠水して車が動かなくなるような事もなく、十分に機能したようです。この地下神殿とそれに繋がった貯留用の用水は何と小学校の25メートル・プール400杯分の貯水能力があるのだとか!

東海豪雨を上回る時間当たり降水量(時間100ミリ越え)だったにもかかわらず、こうやって被害の抑制に効果があったのはきちんと備えを行っていたからだという事でしょう。

天災は忘れたころにやってくると常に言いますが、地震も同じように備えが必要ですよね。

娘はあるレストランでバイトを淡々とこなしていたようですが、地下鉄が10時半には動き出してくれたおかげで兎に角、特に大きな問題もなく家には戻ってこれたようです。しかし、名駅で夕方からトラップにはまった人達の中には歩いて名駅から藤が丘まで「大雨の中」帰ってきたようで…お疲れさまでした。

2026年9月5日土曜日

特攻平和会館

蕎麦を食べて今回の旅の目的のもう一つの大きな柱である特攻平和会館へと移動しました。

桜島を左手に眺め、右手にはH2ロケット?の巨大なレプリカがある道をずっと走り続けるとその会館がある「知覧」へ到着。知覧茶で有名なエリアですが、場所自体はとても特攻のはとても特攻の出撃基地があったとは思えないような長閑でこじんまりとした場所です。

暫くすると見えて参りました。特攻平和会館。
前から見るとそれほど大きく見えませんが、中にはびっしりと特攻されていった方々の遺書や持ち物が展示されており、そのリアリティとそれぞれの人物達の背景にある物語の悲しさに打ちのめされます。

長女は文章が読めずに写真と活字化された文章のみ読んでいたようですが、私自身はその書き手の性格や教養がそのまま写しこまれたような遺書となる手紙やハガキを見て涙が溢れそうななりました。悠久の大義の下に等と言う美名の背景には国家によって死を命ぜられた17歳!から20代前半の方々を中心とした戦死者の方々、平均年齢21.6歳の死の前の文と写真の前には喉元に込み上げる熱いもの以外の何物もありませんでした。

検閲される前提で書かれた手紙の裏には決して語られない本人の物語が隠されています。

外道の戦法はお互い顔も知らない二つの国の人間が敵国殲滅の名の下に殺しあう無意味さを三度自分に思い知らせるのでした。あの時、日本や肉親の為に散っていった今の自分の子供より若い人々の犠牲に応えるような国家になれたのか、改めて我々は問わなければ再び愚かな行為を繰り返しかねないと考えます。
錦江湾より引き上げられた21式ゼロ戦
帰りには特攻の話をまとめた「只一筋に征く」という本を買いました。

国の未来の礎たる若者を戦地に送り消耗させるためだけに死を命じる作戦のどこに大義がありましょうか?金の卵どころか金の卵を産む親鶏も死に至らしむ作戦を狂気と呼ばないのは明確な間違い。戦前戦中にこの若者達を煽りに煽っていた軍の連中や報道関係者達が戦後にのうのうと平和を享受した事実を我々は決して忘れません。

もしこの死に追いやられた若者達が生きていればどれほど今の日本の繁栄に資していたかを考えると慙愧の念に堪えません。

特攻でお亡くなりになられた人々の合計は6,371人。愚かな戦いを聖戦の美名の下に美化することは決してあってはならないと思います。領土拡張の野望で愚かな指導者に操られる隣の赤い国を見て嗤っているいられるのか?30年ほど前に北朝鮮のツアーで一緒になった当時60くらいだったオジサンがポツリといいました。「今の若いあんたたちは北朝鮮のこんな状態見て笑うだろうけど、戦時中の日本てこんな感じよ」と。

歴史は場所と時を超えて繰り返すということでしょう。

車を運転して宮崎へ戻る激しい雨の道すがら、いろいろな想いが交錯した一日でした。

帰り着いてからは近所の焼肉屋さんへ行って親父にお祝いを渡しながらその米寿を祝いました。転倒にさえ気をつけてくれれば90歳までは先ず生きてくれると思ってます。がんばれ親父!

2026年9月4日金曜日

明るい農村蒸留所

朝もはよからトップにある階の展望風呂に息子を連れて入ってゆっくりと朝の湯を愉しみました。

その後からみんなで美味しいバッフェ形式の朝食を摂るためにみんなで移動。本当にいろいろな小品がズラリと出されていて正直ひとつづつ全てを食べても腹が破裂するレベル。全部味わうのは到底無理というのは最初の一周目で直ぐに理解出来ました。

朝食が終了したらすぐに部屋の内湯です。旅先で深い緑の木々と桜島を眺めながらの入湯は最高です。この後の動きをどうするか考えましたが、まず昨日霧島神宮から帰る直前にチラリと目の端に入っていた「明るい農村」見学のお誘い看板のお誘いに乗る必要があります。^^

そして目的の場所を直ぐに発見!ワクワクです。

レンタカーで工場の前に近づくと美しい笑顔のお姉さん二人が店の前で出迎えてくれました。誘われるままに中に入るといきなり一升瓶ならぬ一斗瓶の「明るい農村」が出迎えてくれました。

これをら抱えて家族5人で記念撮影もしました!

蒸留所見学を始める前にこの蒸留所で作っているいろいろな焼酎の試飲をさせてもらえるのでsが、私は運転手。涙を流しながら娘の試飲を眺めています。工場見学は明るいお姉さんが手際よく、かつ楽しく進めて下さりながら興味深い話を混ぜていろいろとサービスしてくれました。

上の写真に写っているタンク一本を普通の人が飲もうとすると毎日飲んでも40年かかるんだそうです。w このタンクが建物の外だけでは無くて内側にも80本!あるとの事。以前は年にタンク5本ほど毎年出荷されていたそうですが、最近は3本程度に減っているとの事。必ずや巻き返して貰いたいもんです。酒というのはいろんなサイクルで流行り廃りが繰り返されます。ウイスキーしかり、焼酎しかり。
美しくレイアウトされたお店の中には私の大好きなTシャツも売っておりましたので迷わず購入いたしました。結局ここでだけ手に入れられる復刻版のHOUJOU NO MINORIともう一瓶の明るい農村(赤芋仕込み)を購入。その後、美しい笑顔に見送られて店を後にしました。

みんなで「明るい農村」を飲みましょう!^^

次は知覧の特攻平和館に行く予定。その前に昼ごはんをどこで食べるかというのが次の問題でしたが、実は私の勤める病院の看護師さんに南鹿児島の出身の方がおられまして、実はその方が高校の頃に勤めていたバイト先が美味しくて有名な蕎麦屋さんだという事で、道すがらにあるそのお店に直行しました。

名前は「そば茶屋・吹上庵」という所でした。たった一つのミスは事前にどのメニューが美味いのかというのを聞いていなかった事。orz

仕方ないので板そばを食べたのですが十分に美味しかった!しかし後で知ったところによると「冷やしゴマダレうどん」を食べるべしとそば家を出た後に返答が帰ってまいりました。時すでに遅し。w しかし十二分に美味い板そばでした。

取り敢えず、今日はここまで。

2026年9月3日木曜日

親父を連れて霧島へ一泊旅行

今日は朝から娘のリモートでの会議が終わるのを待って霧島観光ホテルへと向かいました。

親父の米寿の御祝いに連れて行く事を計画して随分前に予約していたものでした。宮崎出身の人間にとって霧島というエリアは実質的に宮崎のような「感覚」。実際は昔から鹿児島の住所ですが感覚的にはそんなもんです。小林、都城、えびの、霧島というのは恐らく鹿児島側の人からみたら「そこは鹿児島」的な感覚じゃないかと思うんですよね。

そもそも宮崎と鹿児島の間で明治維新後も霧島に関してはずっと鹿児島のエリア。しかし、それは中世まで遡るといろいろと違ってくるんですよね。それでも、中世以降は鹿児島に含まれるエリアですからずっと鹿児島と言っていいところです。^^

さて、道を走る事1時間半でホテルに到着。案内されて入った部屋はお金を払う価値のある素敵な部屋でした。鹿児島の錦江湾にどっかり映える雄大な桜島が目の前に広がってそれを眺めながら入れる内湯が部屋に付いていました。しかも、入ってすぐお部屋は広いリビングがあってその向こうにはこれまた広い畳のお部屋と巨大なダブル・ベッドが二台。
ガラス越しに見た内湯。向こうには桜島。
このあと先ずは車で15分の霧島神宮に直行です。

親父自身は霧島神宮には公務員だったころの職員研修や旅行で何度も来た事があるらしいのですが、久しぶりに来たのが我々に連れられてきた今回の米寿旅行となった訳です。
入口駐車場にある大鳥居。でかくて綺麗!
神社までのわずかな坂を上ろうとしたときに実は親父に異
変が起きました。高さの差にすれば僅か2メートル程度距離だと100メートル程度の道を登り切った時に、親父が「フーフー」と異様に疲れた感じで道を歩きながらふらつき始めたのです。

「お前たちだけ神社で拝んで来い」という言葉を発しはしたのですが、息づかいがおかしいのでその場に座らせて脈をとると120程度の頻脈。リズムは整なのですが、このままおいてはいけないので暫く座らせて様子を見ていると脈も80程度に落ち着いて親父の不通に戻ってきました。

息切れも消失したようなので、心配しつつも神社で拝んできました。勿論、拝んだ内容は家族の健康。(と親父の長寿って既に長寿ですが!)
どでかい御神木
お守りを少し買い込んでおみくじを引くと長女も長男も私も大吉。長男は何気に引いたくじが1番くじでした。嫁さんは中吉、とは言えどれほどあてになるんだか?御神体は神社におわしましても、くじ作るのは人間ですからね。

まあ、そんなことはどうでも良くて下に戻ってみると親父は元気に階段に座って待ってくれていました。そもそも、慢性腎臓病があって下腿の浮腫もバンバンですから心負荷も当然のようにかかっています。そういう意味では薬での調整も次第に追いつかなくなっているレベルになってきたという事なんですけどね…。やはり歳には勝てません。

その後はいつもの普通の親父に戻ったのですが心配の種は尽きません。転倒、心不全、その他の理由での突然のインシデントは何時でも起こり得ますので、私は後ろからお親父をみていて「良く生きていてくれるな」としんみり思いました。

霧島神宮からホテルへ戻ると直ぐに温泉です。このエリアの温泉は強い硫黄泉ですので、シャワーも含め硫黄臭がします。それも旅の一興。先ずは我々男三人だけで4階にある予約済みの家族風呂に入ってきました。畳の上で直接入浴できるもので、大変快適。それでも一時間入るような事はせず直ぐに1階にある露天風呂へ直行しました。正直こちらの大浴場のほうがいい感じで、ここの湯を楽しんだ後に510の自分達の部屋へと戻っていきました。

その間に嫁さんと長女は内湯を楽しんだようで、気持ちよさそうにクーラーの効いた部屋で涼んで待っておりました。^^

夕方には素晴らしい大食堂で美味しい料理を腹一杯食べたのですが、親父は案の定コーラを入れていたグラスを叩き落として割ってしまうし…。子供以上に手がかかるのが米寿の親父の現実です。

部屋へ戻ってもまた私たちはそれぞれに何度か内湯や外の湯にも浸かりましたが、やはり内湯が一番良かったかなと思いました。雄大な眺めを楽しみつつ雨が降ったり止んだりする様子を愉しんだ一晩となりました。

2026年9月1日火曜日

とんでもない輩に予定を狂わされました

実は本日より5日まで、宮崎の実家に弟の初盆と親父の米寿祝で帰る予定です。

そこで、私たちの家族は生れて初めてANAのLCCであるソラシド・エアに搭乗してサクッと宮崎に返ろうという事になりました。いつもは移動に私の車で12時間かけて帰るというような事をやっていたんですが、嫁さんが「車はきつい」という話をしてきましたので、止めとくかなという気もちになっていました。それに彼女が「お父さんももう若くないんやから前の頃と同じような気持ちで行動したらイカン!」という風にも釘を刺されましたので、お言葉に従わせていただきました。

という訳で、私としては珍しく随分前にレンタカーを予約してJ-Netレンタカーで飛び切りグッドなdealを見つける事が出来ましたので、それに飛びついて確保させていただきました。

飛行機のチケットのほうは嫁さんが準備してくれていたので特の問題なかったのですが、宮崎のようなド田舎に飛んでいく便は通常朝と夕方の二回というのが多いパターンですので、朝を逃したら一日が無駄になるという事が多いのです。

という訳で、朝は早起きしなければなりません。セントレアまでゆっくり走って45分ですが、朝9時半発の飛行機ですから、お土産なんかを買う時間を考えたら、なんとしてでも8時半までには到着してゆっくり過ごしたいと考えて7時ちょいには家を出ました。これだったら二時間半前だからちょっとした渋滞程度では問題なく行けるだろうと思っていたのですが…。

ここである事件が発生します。orz

前回も書いたのですが、宮崎の行き帰りなんかにはなぜかいろいろな事が起きるという変なジンクスが最近我が家にはあるのです。この前の大豪雨で広島に行くまでに死んだ話とか、全く人災・天災いろいろです。

さて、今回のは人災のほうでした。名古屋口から高速に乗ってスイスイと高張のほうへ近づいて行っていた時のことです。予想到着時刻は出発当初8時15分で、物凄い余裕で着くなと思っていたのにもかかわらずいきなり8時40分とかに予測がジャンプしました。

「?」なんじゃ、これもっしかしてナビが誤動作した?とか思ったのですが、同時に後ろの座席に座っていた嫁さんにも調べてもらうとGoogle上でももう少しましな予測にはなっていたのですが、それでも10分程度の予測差。頭の中は「おいおい、なんか事故かよ?」という考えが過りました。マップを見ると知多半島を南下する高速が真っ赤に塗られています。

しかし、その気付いた瞬間はすでに遅し!眼の前にノロノロ運転でハザードを焚き始めている最後尾の車が見えてきたのです。

「ああああああ、高速乗っちゃった」という大後悔も時すでに遅し。降りる出口も近くに無ければ、迂回路を使った分岐予測でも数分しか違わない程度の予想。しかもナビの予測はリアルタイムでどんどん後ろにずれこんでいきます。

どうやら渋滞の先頭は十数キロ先の阿久比ICの入り口の少し先です。どこのバカがどんな事故をこんな時間に起こしてくれとんねん!と思いつつもここは焦っても仕方ないと腹を括ってノロノロ運転をしていましたが今回はいつも俺の宥め役、諫め役に回るはずの嫁さんが怒っています。w

しかし、そうこうするうちにもフライトの時間は刻一刻と迫って来て例え乗れても全力走りで行くしかない!という所まで来ました。嫁さんはソラシドエアに万一の場合はどうすれば良いかというのを尋ねると少なくとも10分前に搭乗口前に立っていて貰えば何とかなるという返事をもらったのですが、確か今日からは30分前にはチェックインを済ませていなければアウトというルールが始まったばかりじゃなかったっけと内心では思いつつ黙っていました。

とりあえず、そうこうするうちに渋滞の最先端に出てみるとそこに停まっていたのはレッカー車に積み込まれる前の前部が大破して確実にエンジン(これフェラーリのエンジンでっせ!)のぶっ壊れたホワイトクリーム色のマセラッティ・クワトロポルテが左車線を塞いでいました。

その脇には頭をスケベ分けにした頭の悪そうなホスト風の男があらぬ方向を向きながら髪をかき分けて地べたに座っておりましたな。この糞が!と内心で思いつつもそこを過ぎてからはあっという間に空港へ。

何時もと異なり、まずは第一ターミナルで嫁さん達を下ろして手続きに向かわせて私はその後に駐車場に停めたのですが、この時点で既に9時10分。もうアカンかもなと思っていたら嫁さんからLine通話が入って来て「やっぱりダメだって、でも午後の便は取ってくれるって!」とのお話が入ってきたのでした。

さて、どうするオレ?w

まあ、その続きは明日書くとして、今日思ったのはたった一つ。「やっぱり高級車は金で買えても知性は買えんな」という事でした。若造が乗っていたあの車。新車で最低でも1500~2500万です!パパに買ってもらったのか、ヒモとして稼いだのか?ま、どうでもいいや。

とにかく迷惑な話でした。またこの続きは明日。

2026年8月31日月曜日

教授選考の時期

再び教授選の季節が巡って参りました。

毎年毎年、日本全国でいろいろな大学のいろいろな教室が教授募集をかける訳です。文学、理学、医学、哲学、農学、その他諸々の科目の数えきれない程の教室で多くの人物達が定年退官を迎える事でその空きを埋めるために多くの人物達がそこに応募をかけていく訳です。

応募した人物は徹底的に、かつ多角的に人品骨柄を見極められることになる訳ですが、医学部の場合は少なくとも周りの教室との関係性、医学部長や前任者の意向、応募してくる大学間の力関係、その教室が保持する病院の数や規模、そしてそれらの病院に関連する大学の入り乱れ具合など訳が分からないほど複雑な要素が絡まってきています。

勿論、とてつもない業績があれば否が応でも教授なんかにはなり易いのですが、とてつもない業績があっても人間がとんでもない…というパターンも稀ならず有って、そこら辺りが教授選考を別の方面から難しくします。

しかも、医学部という所は恐らく他の学部以上に自分の大学出身者を「なんとか」優遇しようとしますので、Cellを二報first authorとして書いた人よりも、誰も読まないような国内雑誌や学内報を沢山出しているような人が選ばれちゃって学内からも「おい!w」というような事が行われることもしばしば。なんやかんやと屁理屈をつけて学内出身者を優先し続けるような日本の大学はこうやって沈んでいくのです。

他の大学と交流せず、おらがとこの大学を出た奴を先ず第一にしとかんと、次の教授選考もその大学から人が流れてくるかもしれんし、いずれ関連病院をそいつの出身大学の連中が乗っ取るかもしれん、等と言う名目でそういう「やらかし」を続けるんですね。

今の時代、教授になるメリットなんて老後に割り充てられるどこかの病院長くらい。気苦労多く、自分の教室に魅力が無くて人が来なければそれで終わりという時代です。

昭和の時代の白い巨塔のような事は今の時代、もう無いんです。

日本医師会のトップにいるような芸者好きのバカ男達がやるような政治ゲームが好きな連中はほぼ100%医学的実力や実績なんて何もない連中で、己の財布と老後に貰う政府が呉れる勲X等何とか章とかいうメダルを葬式の時にその棺の前にメダルと賞状を飾りたいだけの屑ばっか。w

本当に医学に貢献する連中は何とか会の会長とかで時間を潰す暇なんてありません。

一流の人間は研究と臨床と教育という巨大な三本柱に毎日自分を捧げて実力に磨きをかける事で精一杯。皆さんの命を預けられるのは「何とか県医師会」の会長様達では無くて、いつも大学や病院で走り回っている人達のほうです。

そんな一流の人達の中で、研究・教育・臨床の三本の柱を磨いて次代の人材を養成し、エリアの臨床レベルを底上げしたり治療法を改善できる人達であればいくらでも教授になっていただいて、人類を救って欲しいものです。

そうでない人で、名誉が欲しいだけの人なんかは手を挙げないでね。^^

理由は簡単、そんなヤカラが教授にでもなったら、その後に広い範囲で周りが長い間迷惑を被るからです。是非。身の程を知っておやめください。

2026年8月29日土曜日

そろそろ夏休みの宿題は?

私はこの時期になると夏休みの宿題を思い出します。

私は今も昔も根っからのズボラで、夏休みの宿題は夏休みの初日にほぼ半分を済ませ残りはほったらかし。8月27日くらいから超焦りだすのですが体は動かず。8月30日くらいになって残りの分を「なるべく」済ませます。

なるべくと書いたのは毎年必ず間に合わずに始業式に行われる宿題回収では先生からげんこつを頂くというのが毎年恒例の夏休みの儀式になっておりました。それでも実はその宿題サボりにもコツがありまして、厳しい先生の宿題はなるだけ頑張って済ませる事。図工の宿題はしていないと点数が付かないので頑張って作る(どっちかというと好きだったので苦にはなりませんでしたが)というのがコツ。w

小学生なりの傾向と対策とでも言いましょうか、9月も4日くらいになると次第に先生自体も夏休みの宿題の事など忘れ気味になってきまして、何も言わなくなってきます。それまでは毎日毎日出していない宿題の科目の先生の授業時間が来るとびくびくびくびくしていたものですが、流石に4日や5日になると先生のほうも「まさか出さないまま夏休みを終わってしまった生徒」がおるとは思ってないのか、もう宿題の事は言わなくなります。

ここまで来ると私の勝利。実際は宿題をしない事で勉強をせずに割を食うのは自分自身なのですが、そこは知恵の足りない愚かな小学生であった私。苦しみから逃げた事でラッキーという事になって楽しかった遊び満載の夏休みの終了となりました。

日本中の「宿題を済ませていない小中学生諸君」の事を考えると実に当時の自分の事を思い出し、かわいそうになります。アメリカにいた時には娘達には休暇中の休みなど全くありませんでした。そう考えると、夏休みだからと言っても休むことを許されない子供たちはなんだか気の毒に思えます。

宿題済ませてなくてもまあ、死ぬほどの事はありません!大人になった時に先生も含めてそんな事誰も覚えておりません。w

2026年8月25日火曜日

男はつらいよを視て思う事

Amazon Primeの中で契約できる松竹+で男はつらいよを視られるようになってほぼ毎日いろいろな番手の話を次々と視ています。

話が古いものから新しいものに移ろうに連れて寅さんのがらっぱちなところが抜けて「ものわかりの良い人」になっていくのが目に見えてしまいます。そもそもはやくざな兄貴という感じで、やることなすことが「あ~あ」というような感じだったのが、少しずつ少しずつ常識が通じる人になっていくんですよね。

視ている我々はどうしようもなくあれこれ駄目な寅さんを見ながらも人情の機微を読み取る能力にはいつも一目置くようなシーンが連続するわけですけど、26話の満男の登場するあたりから一人の恋に挑戦する男というよりも、人の恋の指南をする男である方向にグッとシフトしていったと思うんですよね。

それでも、実際は15話くらいからリリーを中心に話を追う毎にもしかしたら一緒になるという事を繰り返すうちに視ている我々は「絶対に一緒になるな!」と思う完璧な状況の中にある二人が結局のところ最後まで一緒になることは無くシリーズが終わってしまったのですが、最後のほうはもう完全に夫婦。単に籍を入れていないだけ、という所まで行きました。

しかし、ここまで来た時にはもう完全にチンピラ臭は抜けきってしまっていて、何だかシンプルに良い人になってしまっています。

車寅次郎というキャラが渥美清を完全に飲み込んでいく過程を見せられているというのが何だか辛くもあります。本当は渥美清という人は本来はもっと寅の事をやくざな男のままに演じたかったんじゃないかなと思うんですけどね。

それにしても、寅はこと女性に関しては謎の奥手ぶり。山田監督のセッティングなんでしょうが、視ているこっちはイリイリしますよね。この点については俺のほうが成熟が足らずにその気持ちを読み切れていないんでしょうね。きっと。

ところで今回いろいろ調べているうちに驚いたことが一つ。寅の甥っ子の満男のこと、私はずっとミツオと読むのだと思っていましたが、調べてみると正式にはマンオと読むとなっています。松竹の公式でも!

本当かいな?


2026年8月24日月曜日

Apple高すぎる!

メモリの異常な高騰が続いています。

理由はAIコンピューティングの異常な需要増加に伴うメモリの払底。まあ、数年サイクルのメモリの世界の事ですから「必ず」落ち着いてくるときは来るでしょうけど、少なくともあと数年は無理かなって諦めてます。

さて、そういうメモリ高騰までもが理由にされているのがApple製品の値上げ。

ここ最近のApple製品の値上げは正直なところ次の製品を買おうという気が全く失せるレベルのものだと私自身は感じています。例えば以前は20万円程度の感覚で買えていた一番安いマックブックProが14インチで34万円!16インチに至っては52万円から!という値付け。一体どこの殿様商売なんでしょうか。

果たして学生を相手にはしていないのでしょうね。w
若い層に支持されなくなった製品が最終的にどういった運命を辿るかというのを見るのはなかなか興味深い未来予想になるのではないでしょうか。

かく云う私も以前自分のマックブックProをワインを零して壊して以来買い替え期はAcerのWindowsマシン。そして今二代目として使っているのも二代目のAcerのWindowsAIマシン。特に何の不便もなく使えている状況で既に何年も過ぎています。 マシンは32Gのメモリを積んだ512SSD・Ryzen7のOLED画面のマシンですけど、値段は25万程度でした。同じレベルのアップルマシンを持とうとしたら…。考えるだけで背筋が寒くなります。

滅茶苦茶儲かっているのにいい気になっていろんなところで値上げを続けているアップルですけど、AIの開発では大きく後れを取手結局のところ他社に依存する構造になり始めていますし、以前はアップルを使う確かな理由としてプライバシーの問題というのがありましたが、AIの登場でプライバシーの件はほぼ何の意味も持たなくなる世界になってきました。

2026年になって二度の値上げ、理由は円安やメモリの高騰なんだそうですが、既に20万円を超える値付けとなっているiPhone17ProMaxなんかを見ていると「次にアップデートできなくなったら、もう日本製のアンドロイド製品でいいかな」って考え始めています。

大学三年の頃からアップル一筋だった私と私の家族ですが、先ず娘のノートが仕事上の理由からウィンドウズマシンを使用しはじめ、私は上のような理由でマシンがここ数年Windowsに替わってしまいました。

そして今、私のiPhoneは15ProですけれどこれもAI関連のアップデートが出来なくなった時点でどこまで維持するのか正直なところ大変疑問です。アップルにとって一番の問題は今迄アップル製品を好んで使ってきた理由が消失し始めている事ではないでしょうか。

そして、価格差がこれほどドでかくなってくると給料の安い「若い人達」を中心に急速に乗り換えが進んでくるのではないかと思います。その証拠に急速にシェアを落とし続けているではないですか!

日本人はアップルにとっての金銭刈り取り機ではないという事。非現実的な値付けで痛い目を見るのはアップルのような気がします。それはNANOのような、スマホのチップで作ったPCで人を騙すような事をしても最後はバレてしまうのではないでしょうか。

まあ、それでも今時PCでやる仕事なんてブラウザで全部出来てしまうからそれでも良いんでしょけどね。w

2026年8月21日金曜日

形成外科と美容外科

形成外科の苦闘を最初に見たのは大学の最終学年の時でした。

当時、雲仙の火砕流に巻き込まれた人達のレスキューに入局したばかりの形成の先輩が自分の時間を全て患者さん達の治療に充てていたところからは始まりました。みるみる疲労を蓄積させながらもそれこそ必死に患者さん達を診察して実力と自信をつけているのが会話の端々から溢れ出ていました。

それでも患者さん達は次々と敗血症性ショックで亡くなっていく状態。全身火傷も火砕流のような異常な状況での罹災で全身が酷い状態になると本当に救命は極端に困難になることが間接的にも理解出来ました。

そしてレスキュー後はまさに形成外科の標榜する「形成治心」の本領発揮です。火傷に対する何度もの皮膚移植を通じてどんどん綺麗に戻していくような加療が続きます。

その他にも形成の医師は腫瘍摘出後の乳房形成や先天性の形態異常の治療、けがなどの傷跡の治療、褥瘡に対する加療など様々な領域に日々一生懸命仕事されているんですが、これだけの大変な治療能力を持っていても今話題の美容整形の医師にはとてもとても稼ぎでは及びません。大学病院の形成の先生はバイト代入れても1,000万を超えていく程度が普通。アメリカとは全く比較にもなりません。

ところが直美だと数千万がデフォルトで、その後は…という世界。

何をどうだという気もありませんし、人にとっての「やりがい」というのは違うんでしょうが、自分としてはねやっぱりアレですよ。俺や家族がこれからも必要な先生はやっぱり形成外科の先生だけですね。

2026年8月18日火曜日

こんなに美味い焼肉あるんだね~

偶然入った店が驚くほど美味い店だったときは何時も幸せです。

そんな店の一つが今池にある焼肉「びっくり」です。このお店はガイジンさんの女将さんと寡黙な大将(店内で女将さんからパパと呼ばれています^^)とが切り盛りしているのですが、実にこの女将さんが優しい良い表情をしているんですね。お店はやはり女性の優しい笑顔があると人気に華が添えられます。

しかも一番大事な事は肉が滅茶苦茶に美味しい事。今までいろいろな焼き肉店に行っていますけど、こんなに美味しい焼肉を出す店は正直初めて。食べても食べても美味しさの質が落ちないレベルの美味しさなのです。腹は確かに一杯になるんですけど、腹いっぱいになってもやっぱり美味しい。

最初の一口で「ああ、この店に来たのは正解だった!」と感じて、途中経過で「ああ、どの肉を食べても美味しいい~」と感じ、最終コーナーでも「腹一杯なのにやっぱりまだまだ美味いぞ!」と思えるレベルで美味いのです。やっぱりこれだけ美味いからこその古より続く店。

この店はそもそも南隣にあるあの「今池屋」とほぼ同時期に始められたお店なのですが、爾来80年以上の歴史を刻めたのは恐らくこのお店で出される「秘伝のたれ」がその理由ではないかと思うんですよね。肉も焼いた後でも溶けるほど柔いし、ナムルやキムチもめちゃ美味い。

この店の評価をネットでいろいろと見ると肉は美味しいけどご飯が…等と書いている御仁も居られるようですが、そういえば俺と嫁さんは行った時にご飯でなくてユッケ・ビビンバでそのご飯の代わりにしていたところが違いかな?これも美味しいですぞ!今池屋もびっくりもその味にマッチした人を引き付けて離さない何かがあると思っています。

食べて合わないと思う人がいてもそれはそれで良いと思います。しかし、如何なる話が出てこようと私は「決め」はココが良いなと強く思います。海産物なら福井や長崎のド田舎の店。

鉄板焼きなら今池屋、焼肉ならびっくり。ウナギなら炭焼きうな富士の別邸、鍋焼きうどんなら山本屋総本家の本家とか。その一つとして十分資格のある店です!

来週又出産祝いを兼ねた友人の個人的祝賀会をここでやろうかなと思っています。

2026年8月17日月曜日

アメリカの家の修理のために送金

この8月になって久しぶりに送金手続きをしようとしたときに手続きのためのプロセスが少々変化してしまったため、ログインに失敗して送金できずに困っていました。

そこで、一念発起して間違いのない様に近所の三菱UFJに直接昼休みに行って一時間前後で全てを済ませてきました。送金手続きの項目ない様には幾つか行員さん自身も「?」となってしまうようなちょいと不可解なセッティングもありましたが、実際に行員さんと一々確認しながらなんとか$7,000送金しました。

時間が遅かった事もあり、月曜日まで口座のお金が動くことはありませんでしたが、月曜にはまずUFJの口座からゴソッとお金が動き、その後アメリカの銀行口座に7,000ドルの金額が登場してメデタシメデタシでした。

基本的にいつもこのパターンなのですが、世の中に悪い奴が居てマネー・ロンダリングをするせいでこんなに送金が遅れる訳でして、真に俺ら普通の人々は不便を強いられる訳です。とは言え、犯罪抑止のためにこのような手続きは必須なのも解りますけどね。

さて、今回の送金済みのお金はどのように決済されるかというと、業者さんが先ず開始にあたって契約書を送付。サインが終わってオフィスが使用の確認を終わった時点で半額を引き出して工事開始。全てが綺麗に終了し、アメリカで我が家に住んでいる方が「確かに契約通りに終了した」と思えるような仕上がりであれば残りの半金も口座から引き出して終了となる訳です。

これが標準的なアメリカのコントラクト施行法。書類が電子的な手続きによるサインとなる事が増えているのがここ数年の流れですが、いまだに紙でのコントラクト・ペーパーを遅らせるところもありますので、本当に移行期でしょうね。

恐らく今回も電子的決済だと思うんですが、もしかしたらアメリカにいる我が家の住人の方が紙のサインの場合はサインしてくれるかもと思っています。

速く綺麗なドアポーチになって、住人の方が満足してくださると良いのですが!期待しましょう。^^

2026年8月15日土曜日

夫婦二人で昼食会へ

お盆のど真ん中に昼食会に行ってきました。

お呼ばれで行ったのですが、名古屋観光ホテルの頃からの会員のみの招待状発送だったとの事(それでも1,500通発送されたとマネジャーから伺いました)。勿論、私自身はそんな世界とは無縁の人間なのですが、私達をいつも招待してくださる方は我々の知らない名古屋の食事を知り尽くした人物で、我々夫婦はその方の紹介してくれたあちこちのお店を「その後」使うこと度々です。

いつもこうやって紹介をしていただいてそのほぼ全てが美味しいお店だとしても、もしスクラッチで名古屋の美味しい店を探すようなことがあったら一体いくらお金を落とせば良いのかということになります。

ネット上の評判と実際の味が自分の下に沿う沿わないと言うのは実にいつも発生することですし、雰囲気まで入れると実際に最後に落ち着く美味しい店を見出すのは容易ならざることです。しかも、安い店なら失敗は許されもしましょうが、大きなお金を使うことになるような店を「知る」為には前回書いたような食を極めるようなお金の使い方をする人でなければなかなかたどり着けないようなレベルの世界というのも当然ある訳です。

そこに既にそのそういった味見と雰囲気を調べ済み、かつそこのリピーターとして名前まで覚えて貰っているような人というのにはなかなかなれないものです。

しかし、我々が行くと何時もホテルのマネジャーが出てきてくれてシェフとは個別に挨拶をしてくれるのが常々で、正直我々のような高級な雰囲気に慣れていない「庶民」には恐縮という言葉しか出てこないことが度々です。orz

さて、今回はエスパシオ・ナゴヤキャッスルの昼食会。お一人1万円のコースだったのですが、出てくるbuffetの品数に圧倒されるとともにデザートにも打ちのめされました。小路名の数々それぞれが美味しかったのですが、たとえ少量でもあれだけ数が揃うと全種類を食べ終わる前に腹がパンパンに膨れ上がります。

ほぼ半泣きというか嬉し泣きで食べさせて頂きました。途中でプロジェクション・アートの演出もあり、素敵な時間を過ごさせて頂きました。これなら少し無理すれば嫁さんとの特別な時間として「何かの記念日には行けるな~」と考えた私でした。

B級グルメ専門の我々も歳を取って見えてきた別の世界の存在を少しは愉しみたいなと思う今日このごろです。

2026年8月14日金曜日

日本中から名古屋に集合

お盆とは言え時間があるときにネットでいつも話しているゲームの連中が名古屋に集まりました。

熊本からくる青年の出張に合わせて作り上げた日程だったのですが、千葉、滋賀、東京そして私の住む愛知県名古屋市からの参加で合計五人。

何時もなら今池屋やその他の私がよく知る間違いなくうまい店、雰囲気のある店に集まってもらう訳なんですが、今回は事前に調べたところ確実にその日は閉まっていることが判っていた為にそういった店は選べません。だからと言ってどこか気の利いた店を知っている訳では無かったので、知り合いの若いMRさんにLINEで伺って紹介してもらいました。取り敢えず電話していたところ、2週間前だったこともあり予約問題なし。

場所は名駅から歩いて5分ほどの場所。取り敢えず7時集合だったのですが、たまたま私が一番目に到着。なかなかベストなボックス席を誂えてもらっていました。

千葉からくる方は千葉で数日前から始まっていた雨による大災害の影響で30分ほど電車が遅延したこともあり、新幹線への接続に遅れが出たとの事で7:40頃に到着されたのですが、それ以外は何の遅れもなく初めて見る顔、既に何度も見た顔など職業もポジションも多士済々の面々が集まってきました。

何時もの事なんですが、なぜかゲームのスキルアップの話などは全くなくて、ゲーム内の人間関係などで最初の一時間程度は話が過ぎていきます。ところがそれを過ぎた頃からはもうゲームの事など何時も関係なしで話は次から次へとパーソナルな話題へ。

いつも驚かされるのですが、彼らは東証一部上場企業の人間の比率がめちゃ多いんです。そうでなくても自分の持つ会社の本部取締役とかその手の行為の役職の人間の比率が高いんですよね。何でかはわかりません。しかし、隙間時間を使うのが上手いんでしょうか、ゲームの中ではポイントポイントでは重要な役割を果たす事が出来る人達です。

とは言え、みんなゲームを始めて既に1年半も経過。次第にゲームに対して「飽き」始めています。実際に最初の頃のコア・メンバーは相当やめてしまっているんですが、やめた後も実はネットで普通に繋がって近況報告をするだけでなく実際に会うメンバーは沢山います。何だか職場の人間より有機的で気の置けない関係で不思議な感じなんですが、何でこうなるかと言う事を考えてみるとやっぱり「世代が近い」というのが大きいんでしょうかね。

説明の要らない人間関係というのは良いもんです。

夜の12を随分回ったころまで二次会の焼き鳥店で話が続きましたが、最後はまたの再会を約して別れました。家まで帰った時のタクシー料金は8,000円近く!これなら駅近のビジネスホテルに泊まったほうが良かったわいと思った私でした。

2026年8月9日日曜日

廃業するとな…TT

地域の貴重な文化遺産がこの8月に一つ消えていきます。

実は3か月ほど前?から近所にある古書店「千代の介書店」が閉まっていたのです。何時も一番奥のスペースに腰かけて「あるじ」として座っていた爺さんが齢90を超えておられることは承知していました。そして息子さんが居られる事も。

数年前から余計な心配をしていたのは「この店主さんがお亡くなりになられたら、この大英博物館のようなお店は一体どうなるのか、息子さんか誰かが引き継いでくださるのか」という事でした。まさに余計ですが。

ところが、今回のように実際叔父さんが病気か何か体調不良でも起こしたのか
というような心配な状況になても問い合わせる事さえできません。そもそも連絡番号の記載はあるにはあるにしてもなるのは店内の固定電話だけ。誰も出るわけありません。

しかし、この沈黙を打ち破る大ニュースを嫁さんが私に運び込んできました。日付は8月5日。
そうです。8/9から閉店セールを行うとの告知を嫁さんが拾ってきたのでした。でかした嫁さん。ていうか閉店ですか…涙。

しかし、この日のために私はお金を銀行から下ろし備え万端で9:40頃に家を出たのですが、なんと本好き野郎どもはしっかり全員フライング。着いた時にはもう狭い店の中は30人程度の人間で立錐の余地もない状況。全く本の虫共ときたら!w
行き交う人が居なくなった奇跡の一瞬に写真を一枚
皆汗だらだらになりながら山のように本を抱えて店の奥に勘定をしに行っていました。結局選ぶ本の全てを一度には抱えきれないまま何度も何度も勘定場へ。最終的に第一回のアタックでは9,600円を使い汗だくになりながら家へ帰ったのです。(時間があればあと三回アタックできます!)

帰り際に座っている私と同じくらいの男性を息子さんとお見受けし、お父様のお話をしたところ「今具合が悪くて病院に行ったりしております」とのことでした。目の前に置いてあったノートにお父さん宛の惜別の辞を認めさせて頂きました。

地域の文化財であるこのような文学書やノンフィクションが目利きによって整えられた古書店が消えていくのは一大損失。私が大金持ちであれば…とついつい思ってしまったのでした。

息子さんにもう少しだけ立ち入ったお話を伺ったところ、この店を続けるにも御自身は仕事をしていて無理であるという事。そしてこの店自身が既に耐震に大きな問題を抱える古い建物ということで続けられない。更に専門書の類は既に専門の古書店に引き取ってもらったとの事。

消えゆく日本の文化財を守ってくれる店が消えていく事に何もできないのは本当にもどかしいですね。最後に今回初めて知ったことがもう一つ。この店の千代の介というのはオジサンが最初に飼っていたブルドッグの名前だったという事でした。

2026年8月3日月曜日

災害支援船

恥ずかしながら寡聞にして知りませんでした。

日本にはちゃんと災害支援船というのがあるとのことで、それは「はくおうII」という名前で、今回ようやく熊本に派遣されたとの事。民間のフェリーを改装してこういう時のために運用するシステムを作ってあって、700名程度の種々の日常を支える事が出来るとの事。

基本的には入浴支援(大規模な浴室設備)休憩スペース(冷房完備の客室)宿泊支援(個室・大部屋)食事支援(食堂設備)医療拠点としての利用、等々のフェリー由来の機能がそのまま流用できるようで、被災地の支援には最高の休憩所を提供できるのではないかと思います。

これはこれで素晴らしいと思うのですが、今後発生するであろう大規模災害に備えてアメリカ軍のように病院船というものを日本も持っていても良いのではないか思うんですよね。アメリカ軍のものは本格的な病院船であって戦闘支援の要素がでかいのでしょうが、熊本で起きた事は日本のどこででも起き得ることであることは東北大震災でも証明されている訳でして、病院船と災害支援船数隻のコンビは、日本という災害大国においては間違いなく税金を使うだけの価値のある素晴らしいシステムだと強く思うんですが、ヘリで熊本入りした高市のおばちゃんは引退前になんとかそういう構想を発表せんかね?

国旗損壊云々とか言っとる場合ちゃうやろ?てお話。

災害では手術室、処置室、ベッドを含め医療スタッフを引き連れて被災地にヘリをパッドからズンズン往復させるというシステムを、自衛隊の多用途支援艦や輸送艦だけでなくどこが主体でも良いので、追加で運営させておくのは絶対に意味のある税金の使い方でしょうよ?

今回の令和8年の熊本の地震では発生から一週間が経って未だに8,000人もの人達が家から追い出された状態でいるとの事、水や食料、トイレのみならず清潔や暑さのコントロールの支援の最大化を行っていかないと災害による直接死よりも災害関連死のほうが増えることは確実。本当に急がねばなりません。

非難生活でのストレス、衛生環境悪化、それらに絡んでの持病の悪化、そして熱中症などの二次的要因での死亡は支援の規模と速度を上げることで少しでも減らせることは明確な事実。

国を挙げての大規模支援を更に行う必要があると思います。

2026年7月31日金曜日

息子と二人で生活する理由

実は明日から息子と二人で生活します。

理由はシンプルで、嫁さんが福岡に飛んで行って長崎の実の弟と妹、そして義母と落ち合って「松田聖子」のコンサートに行くのでした。しかも、かなり凄い席(前から二列目!のほぼ真ん中)がたまたま取れたようで、本人たち大喜びの様です。

なんだか二週間くらい前からセット・リストとかいうコンサートで演奏されると思われるリスト一覧を順番に並べた自作の表を一日中聞いて鼻唄だったり声出したりして歌っています。本当にウキウキとしているのが遠くから眺めていても判るほどで、何がそんなに嬉しいのでしょうか…。

移動直前の今夜は沙也加ちゃんのコンサートのビデオも観て気持ちを盛り上げているようでした。「神田沙也加ってこんなに上手かったっけ?」と嫁さんに尋ねたところ「この子はどんどん後になればなるほど上手になって、特にミュージカルとかに出始めてからはグングン伸びたヨ!」との事でした。ここまで伸びていたのに、クソ男に追い詰められて自ら命を絶ったとか本当にこういう年頃の子を持つ親としては気が狂う程の怒りと喪失感を感じた事でしょう。

さて、目の前でカレンダーの裏側に何かの曲名を派手な色のマジックで大書し始めました。「なんじゃそれ?応援メッセージかなんか?」と尋ねたところ「これは、コンサートの途中でリクエスト・コーナーというのがあって、そこで歌って欲しい曲を出す準備」との事。謎のアクションなんですが、聖子ちゃんのコンサートではこれがマストなんだそうです…。謎のシキタリ多いんですね。w

そして最後に聞いたのは聖子ちゃんのコンサートでは必ず聖子ちゃんカットとか聖子ちゃんの往年の服を着て「めかしこんだ」オバさん達が登場するのだそうですが、この人達はほぼ毎回みんなの写真のターゲットになるのだとか!

なんかみんな同窓会のようにして愉しむんですね~。

実に良い事だと思います。十分に愉しんできて日頃の疲れを部飛ばしてきてまた帰ってきてくれれば私としても何よりです。^^

2026年7月29日水曜日

大災害時の緊急医療体制

新しい情報によるとイオン・モールの災害はガス爆発によるものとの事。

お客さん達を送り出した後で従業員さん達が店内でガスの臭いを感じる中での罹災との情報が出されていますが、正確なところはまだまだ闇の中。何よりも多くの就労者の方(恐らくバイトの方々も多いのでは?)が亡くなられている様子。各種の動画を見る限りではウクライナのミサイルが落ちた時の衝撃と本当に同じ状況にしか思えません。

かなり離れたところで走っていたトラックの荷台の壁の吹き飛び具合や同じように遠くのガード・レールのガードが剥ぎ取られて吹き飛んでいるのを見ると、同じ建物内で近傍100メートル以内に居た人達が恐ろしい状況に遭遇されたことは容易に想像出来ました。どうか被害に遭われた方が最小限で済むように祈るとともに、罹災された方々とその御親族の方々の気持ちに近くで寄り添う事の出来ない事に本当に申し訳ない限りです。

我々医療人はこういう大震災の発生時に先ず考えてしまうのは我々自身の施設で同じ事が発生したらどう動くのかというのを被害の段階別にどれほど適切に対応し、どれほど人的被害を軽減できるかという話です。

災害は必ず起こる。しかも日本では巨大災害が周期的にやってくるという大前提で種々の対策を練り、大災害がやってくる度に設計の考えのボトムアップがなされ耐震基準が改善され法が整備されてきました。しかしそれでも想像を超えてやって来るのが大災害。

私は自分の今勤めている病院がその手の準備が全くダメなことを自覚しています。駄目な状況である理由は簡単で、その「準備している」という病院側の文言が厚労省の標準的な仕様のPDFをダウンロードしただけのお粗末なものであって、残念ながら自分の病院用に改変を入れたものでは無いという事を知っているからです。

そんなものが実際の災害時に役に立たないという事は日の目を見るよりも明らかな事であるのに何度注意をしても実物を準備しない、要するに準備する能力が欠如しているという話。

今回の熊本での10年ぶりの大地震でも、やはり想定していたにも拘らず想定を超えて被害が拡大し対応できていない病院の話がD-MATの先生経由で入ってきております。それ程までに現実は厳しい。況や準備さえしていないとは!という話です。明日も事務方をつついて凹ろうと思っています。対応する能力と責任が無い人間には退いてもらわなければなりません。

大規模災害対策準備委員会が無い病院など訴えられて当然だという心構えの欠如こそが恐ろしいです。

熊本の悲劇から学ばなければ。