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2026年10月5日月曜日

覚王山日タイ文化フェスティバル

日曜日の少し曇りがちな天気の中、日泰寺で行われていた毎年恒例の文化フェスティバルに行ってきました。

お目当ては食べ物とTシャツ。^^

もう何度もこのお祭りには来ていますので、どんな事が行われているのかはよく知っています。縁日のほうはいつも参道に出店が来るのですが、このフェスティバルは基本的にお寺の境内で行われますので、参道をずっと歩いてお寺に近づくとまず山門に到着。

ほぼ例年と変わらない配置で賑やかそうな様子が入る前から伝わってきました。小さな子供達のはしゃぎ声や着飾った女性達のそろいの法被を着た様子などを見ると既に多くの行事が行われているようでした。それでも、我々の目標は基本的にそれらの演じものでは無くてタイ料理とTシャツ。

さっさとシャツを売っているお店に近づいて派手なタイ製のシャツを一枚ゲットした後、パッタイその他の料理の行列に(主に嫁さんが)並んで数種類のタイ料理をゲットしました。とは言え、私は息子にほとんど食べさせて嫁さんと私はちょろっと食べただけ。それでも、息子の幸せそうな顔を見ているのは大満足でした。

その後は即座に一旦家にかえってアピタに行って久しぶりにマクドナルドでハンバーガーを食べた我々でした。

嫁さんとしては一日中食事の準備が手抜き出来て別の意味で大満足ではなかったでしょうか?w

2026年10月4日日曜日

関の刃物

畑仕事の相棒はメカ関連の仕事をしています。

いろいろな作業用の器具をいろいろな業者に納入しているため、様々な業界に「顔が広い」という人物。もともとは大型車両の整備をしていたとの事ですが、今ではそういう縛りも無くなりプレス・マシンやその他の種々のマシンを取り扱っているという事です。

さて、その彼は今もよく刃物の町関市に行ってはそこで刃物造りの中心人物となっている方にあらゆる伝を頼って各種マシンなどを入れているうちに親しくなったようです。

私は気づかなかったんですが、この方のインスタグラムを見ていたら、なんと以前行った刃物博物館で刃物を時々削っている人物であることが判りました。あの時あそこで仕事をしていた人なのかもしれないと思うとちょっとワクワクしているんですけど、実はこの方の作った刃物を直に相棒経由で注文して貰えるかもしれないという話になりました。

この方の作成している刃物は実は超一流のレストランのシェフから一生モノと言ってもらえるレベルの作品。そんな方に間接的であってももしかしたら素晴らしいナイフ・包丁を作っていただけるかと思うと胸が熱くなります。

刃物を鉄の板から研いでいく様子を見ていると、その中から現れてくる刃紋がさざ波のように見えて美しい事この上なし。自分用のキャンプ・ナイフと、嫁さん用の包丁。この二つが手に入れられればもう大満足です。相棒からは「どんな形のどんなものを手に入れたいのかよく考えて」と言われていますが、悩みは深いのです…。^^

木曜日までに考えておいてと言われました。どうしましょ…。

2026年10月3日土曜日

落花生の収穫とロスト・アーク

実は前回のサツマイモの収穫の時に畑の端っこに二株ほど「遊び」で植えていたのですが、そのうちの一粒だけを前回のサツマイモ堀りの時に見つけたからでした。
上の写真にあるように地面の上に極わずか体を突っ込むように埋まっている落花生を拾い上げて割ってみると見事な落花生が本当に薄いピンクの皮に包まれているのがよく判る状態で出てきます。

鵜沼の親父さんに話を伺ってみると、これをきちんと乾燥させたらいわゆる普通の落花生になるという事です。またお母さんに伺ってみたところ、このままでも茹でて美味しい生の落花生を味わえるよ~と楽しそうに話してくれました。

ただ、今回の落花生植えはまさに試験的なもので、一体全体「落花生」というものはどうやって育ってどうやって収穫するものかというのを観察するためのサイズであれば十分だったからです。^^

そして、その収穫を実際にしてみたところ以下のようなものが出来上がってきました。
こうやって土の中に沢山の「実の入った殻」が出てくることが解りました。何とも凄い自然のシステムですね。人間の知恵なんて軽く吹き飛ぶ進化の面白いところです。植えたものが育って人間が食べられる形のあるものになるなんて言うのは本当に感動的です。

さて、今回こうやって落花生は少量ですが収穫できました。しかし、ここで驚くべきことが起きました。落花生を収穫し終わって畑を再度眺めまわしたところ、どう考えてもこれサツマイモの葉だよね?という部分が畑の中に残っている事が判明したのです。そして直ぐに相棒と考えた事は「これってこの前どこに行ったか判らなくなった紫イモの葉じゃなかい?」という事。

そこで、数メートルに亘って生い茂っている葉っぱの根元を搔き分けてみると出てくる出てくる真ムラサキの芋!

やった~!という感じで相棒と二人で興奮して畑を掘り返すこと一時間弱。ゴッソリ出てきた紫イモに、心の中で「隠れとったか!見つけてやれんで悪かった」と謝りました。何にしろ「おっかしーなー、絶対植えたのに一体どこに消えたんや?」という感じで相棒と二人でその謎に悩まされ続けていた訳ですから、今回の図らずもその謎が解けたのは素晴らしい主格となりました。

畑の近所にある親父さんの家に戻ってその話をしたところ皆に大笑いされました。その後、近所の種苗を売っているローカル・ストアに向かい一玉384円もするニンニクを3玉購入して親父さんの畑に植え込まさせてもらいました。来年の種ニンニクにする為です。18株のニンニクが6株のニンニクを実として付ければ来年には100粒以上のネタになる筈です。それでも来年はそれをネタにしてさらに増やそうかなと折っているんですけどね!w

ニンニクがどう育つかた新たな愉しみです。


2026年10月2日金曜日

京都まで歩く????

私の勤める病院にバイトで来ている外科の先生から「あるお誘い」を受けました。

それは「京都まで160キロ二泊三日で歩くんだけど一緒に行こうよ!」というもの…。一瞬ですが、本気で固まってしまいました。w

そもそも私が散歩で一番歩くのでも家族と共にモリコロパークに行く往復の散歩。恐らくこの散歩でさえ16キロ程度です。この距離でゆっくり歩いて3時間ちょっと。その往復を二回しても約30キロでしかありません。たったの30キロ。それでは家から名古屋駅まで歩いていけばどれくらいかというと約14キロ。往復でやっぱり30キロ弱です。

つまり、家からモリコロパークへ向かって歩き、その後家まで戻ってくると名駅へ向かってま直ぐ歩くことで約21キロの道のりを終了、そしてそこから戻ってきて家に戻ってくることでやっとマラソンと同じ程度の距離。グーグルの予測時間を積み重ねるとハーフの距離で4時間半程度。往復でなんと無休憩で9時間も掛かるコースです。

40キロで9時間!朝8時に歩き出して何もせずに歩き続けて夕方の5時にやっと40キロなんですが…。( ゚Д゚)

そう考えると、仮に体力がもっと続いて日に9時間歩けたとしても120キロにしか届きません。京都までの距離をグーグル・マップで見てみると到着地点が京都駅だとして143キロ!一日に約48キロ!は歩かないと届かない事になります。しかも、この距離を歩くのにほぼ10キロ程度の荷物を持って途中は一人用テントで寝起きしようというのがお誘いの内容。

道は中山道経由でないときついと考えられます。なぜならば全部を舗装路で歩くとなると返ってくる反動は脚を壊す可能性があるからです。しかも、靴はその時に靴擦れを起こさないことが前提ですから、ある程度は慣らして履き込んでおかないといけませんし。

こういった事を全て勘案してChatGPTに対してこの道中の厳しさを聞いてみると…超上級者向きのUltra Walkになるというお話。しかも、厚底クッション・ メリノウール靴下+ワセリンで靴擦れ防止・荷物は5kg以下(可能なら送る)・  夜間歩行は避ける(危険)・  こまめなストレッチと休憩・水分は1日2〜3L・事前に40km歩行を2回以上試す、云々という長い長い試し書きが付いてきました。orz

しかも、普通の人間は1日に30キロ以上歩くと翌日は強烈な疲労や体調の問題を起こすと書かれていて、先生が主張する「出来たら60キロは行きたいな」というような距離は私のようなど素人が居ては到底無理でしょう。w(なんと、先生は「80は無理か?」等という事を呟いていましたが。orz)

何段階か練習を重ねたうえで靴やテントを試してからチャレンジしていかないと「到底」無理なことは明らかですな!

2026年10月1日木曜日

山本夏彦はやはりイイ!

先日購入した古本の中に3冊の山本夏彦の本が入っていました。

3冊の題名は①「社交界」たいがい②良心的③一寸さきはヤミがいいというものなんですが、昔から私は山本夏彦氏のファンで、その一刀両断振りは普通に考えれば諧謔と機知を超えた素晴らしい切れ味の批評の連発。

新聞屋と銀行屋と株屋の話は何時も飛びぬけて面白いのですが、氏の話が常に面白いのは世間のモノの見方とは一線を画す切れ味と裏面の真実の暴露があるから。世間の常識が如何に嘘に塗れて間違っているのかというのが次々と解りやすく示されます。

いつも彼の文章を読んで思うのは正義を標榜する人間達の胡散臭さの観察眼の鋭さでしょうか。

ものごとは裏と表から見てその評価を定めないといけない、そして人間というものを純粋な正義などと見誤らない事を何度も何度も対象とインシデントを替えて教えてくれます。そして必ず戻ってくるのは上に太字で書いたような正義を騙る人間達の裏の顔を嗤えというものでしょう。

社会の木鐸を標榜する人間達の垂れ流す道徳論を嗤い、戦前暗黒史観を繰り返し「それは嘘だった」と叩き続ける。歴史というのは書いたもの勝ちですから、正しかったことを少数であろうと書き続けることが大事。そういう意味では既にとうの昔にお亡くなりになった氏が繰り返し書き続けた数多くの文章は何時の日か大きな意味を持つことと思います。

私は彼を右翼とは思わないし、極端な思想の持ち主だとも思いません。淡々と世の中を見つめて自分の体験した世界をもとに自分の皮膚感覚で事実を記述する。なかなか出来そうで出来ない事です。

恐らく多感な時期(15歳~18歳)をフランスで育ち、その後に戦争に突入するような当時の日本に帰ってきたのが普通の日本人とは違うものの見方をさせたのかもしれませんね。

人とは違うモノの見方、常に持っておきたいと思います。(変人扱いされても。w)

2026年9月30日水曜日

もう9月も終わりとな!

あっという間でした。

雨ばかりいつまでもいつまでも降り続くと思ったらいきなり9月の終わりです。関東地方に至っては35日とか連続で雨の日が続いたとかいう観測史上初のレベルの秋の長雨だったようです。わたし、これを見ていてなんか「天気の子」を思い出しました。^^

何れにしても、今年の九月は「雨・台風」という言葉で全てが語られるような状況でした。今のところこれほどの長雨が続いたことで、昨年迄のダラダラと続いた酷暑が消えてしまったという事で体には優しかったのですが、農作物に対してはとてもとても厳しいものとなりました。日照不足という天災ともいえる状況が酷暑の代わりに襲い掛かってきました。

それでもこうやって時間が飛んでいく感覚を持つのはやっぱり歳を取ったという事なんですよね。子供にとっての一年と年取ってからの一年は全く感覚も違えば意味も違うのは大人なら誰でも理解できること。それが今年の九月は特に「その感じ」を強くしたものとなったのでした。

結局、今年の秋は作物の追加作付けも前回音連れた鵜沼の農作業でははとても出来ず、多分このまま。まだまだ我々新米農作業隊は農業の鳥羽口に多々だけだという事を強く実感させられました。

美味い作物を作りたいというのは当然なんですが、実際作り始めて気づいたことは自分で作った作物はなんでも美味いという事でした!

来年の作付けの計画は先輩や親父さん達と相談しながら今年以上に淡々といろいろなものを植えていこうと考えています。しかし、今年の作付けもそうでしたが、言うは易く行うは難しというのはまさに農業そのもので、お天道様は我々の希望などガン無視ですから我々の計画なんちゅうのは軽くぶち壊してくださる訳です。w

それでも頑張ってやるしかありません。来年は土づくりのところから策を練っていきたいと思います。

2026年9月25日金曜日

明日は伊勢湾台風の日

9/26の土曜日という日は昭和34年(1959)年に伊勢湾台風で多くの人命が失われた日です。

当時のアメリカ軍の記録ではカテゴリー5で、更に台風は26日18時過ぎ、929hPaの勢力を持って潮岬の西15キロ付近に上陸、上陸時の勢力としては本州へ上陸した台風の中では今でも史上最強とwikiの記述に残っています。

ここ名古屋においては市内だけで死者・行方不明者は1851人。全壊流出が7723棟、半壊43249棟、浸水は上下合わせて67352棟というまさに激甚災害。今でも緑区には滝の水公園という伊勢湾台風の瓦礫で作られた、高さ35メートルの高台がありますが、当時の大災害の酷さ・凄さを形として伝える遺構になっています。

さて、私はこの前の名古屋を襲った線状降水帯と集中豪雨でも名古屋という街が示した抵抗力は東海大水害を経て物凄いレベルでresilienceを獲得したことを示しました。勿論、名古屋市の策定している計画の下敷きにはこの伊勢湾台風があり、更にこれより酷いレベルの台風による高潮が発生したという前提で行政計画を立てているという事です。

しかも、この台風等による風水害への備えは今も時々刻々、年々歳々先へ先へと進歩しているというのですからなかなかのものです。そもそも、名古屋という街は地質学的にはごく最近まで海の中だった街。しかも、名古屋城の西側は更に水に弱い街。また、名古屋の東の端に至るまでかなり緩やかに勾配が上がり続ける訳ですが、南と西は相変わらず津波の発生には非常に弱いエリアですから今後の備えも次々に改善する必要はある訳ですが…。

今回、AIに「もし今、伊勢湾台風が名古屋を襲ってきたらその被害はどうなる」という質問を投げかけてみたところ、興味深い回答が返ってきました。

まず、災害の予測能力が桁違い。そしてその警報を通知する能力が桁違い。更に建っている構造物が当時とは全く異なる上に、ハザードマップを含めた行政側の準備のレベルが桁違いという事で、死者・行方不明者は最終で数十人、最大で数百人とのことで時代の違いを感じさせます。

ただし、自動車の水没、電気設備の故障、工場設備の損壊、倉庫物流システム、地下鉄、データセンターの被害等(特に地下施設関連)はやはり大きいだろうとの事。
そして、今でも港・南・中川・熱田・瑞穂・緑区の一部などは今でも相当危険との事で、このエリアから災害の犠牲者が出てくる可能性が残るという予想でした。

何れにしても天災は不可避なもの。人知の及ばぬ規模の災害がいつ来るのか誰にもわかりません。備えあれば憂いなしという言葉が本当になるためにはいつまでも準備を磨き続けることが大切ですよね。

2026年9月22日火曜日

愛知県の人口減少

感覚的には「まさか」というものでしょうが、人口推移予測では名古屋市でさえ既に人口は3年前の2023年にピークを迎えたといわれています。

2060年には211万人程度との事で、これから数十年はゆっくり減少するという話なんですが、実際のところ転入は超過が続くのだそうですが、死亡による自然減が続くために人口の減少は続くとの事。

しかしまあ、大都市名古屋は未だこの程度で済むんですがヤバいのは周辺エリア。大トヨタがある一大産業都市とは言え、名古屋の周辺エリアは財政も人口も維持するのが困難な限界集落化しつつあるエリアが結構ある事が統計でよくわかります。特に愛知県の中でもショッキングなほど維持が無理なのは愛知の東側の多くの村や町。

設楽、豊根は言うに及ばず南東部のエリアも南部のエリアも財政の自立度は異様に低く、人口の減少速度もほぼロケットで加速をつけたような感じ。その他にもあま市のように財政的にきついのに馬鹿な豪華市庁舎を立てる自治体とか。犬山、蒲郡、津島、愛西、田原、美浜、南知多、東栄などもグリグリにヤバそうです。そしてあの豊橋でさえも減少に加速が付いているというのですから日本全体に勢いが無くなるのも仕方ない訳です。

こうなると地方の財政もボコボコになる訳で、まさかとは思いますけど豊根村とか設楽とかは夕張のようになりませんかね?もう、こんな勢いで人口がシュリンクしてくると己が勝手に住みたいところに「自己責任」で住む!という前提でしか住めなくなるわけで、医療、教育、行政などのサービスは勿論、インフラなども「我々が決めたエリアの外に住んでいるあなた方には残念ながらサービスは届きません」でも税金は市内や村内に住んでいる限り徴収はしますよ~という様になりかねない気がします。もしくはエリア別に異様に水道料金が高くなるとか?

既にいろいろな自治体が無い袖は振れないという眼の前の事実に呻き声をあげる中、どこまでそういう「サービスエリア外」のところにサービスを届ける事を続けられるのか?医療サービスのようにそもそもお金がかかる分野も財務省、厚労省は既に明確に切り捨てを始めていますし、これからはある一定レベルの水準以上のサービスを受けたければもう田舎に住む人達は諦めなさいという残酷な時代のタイマーのカウントダウンが動き始めているのでしょう。

国が老いるというのは世界の多くのエリアで必然としても、いざ眼の前にこうやって現れてくるとやはり厳しいものですね。

2026年9月21日月曜日

雨の中のキャンプ

今回久しぶりのキャンプに出掛けました。

2日前の夜に嫁さんが「お父さん久し振りやし、たまにはキャンプでも行って来たら?」との提案をしてくれたのでお言葉に甘える事にしました。

実際のところ台風25号の影響下にあるここ数日の天気だったのですが、私自身は天気予報の全体像から自分が向かう予定のエリアにはギリギリ雨雲がかかるレベルであることを把握していました。勿論、所詮はスパコンによるシミュレーションなのでしょうが、線状降水帯もしっかり描出するレベルに高まっています。正直信じているという所。

その雨雲の移動を見ていると、私の実験にはまさにもってこいの状況が目的地のキャンプ場に到来することが予測されました。つまり、昼に出発してキャンプ場でお金を払ってテントの設置を始めれば新しく購入したギアをいくつかの点で調べられることになります。

まず初めに新規購入したテント下に敷く防水シート。次に前から買っていたのに全く使っていなかったタープ。そして新しく買ったテント自体の防水能力と遮光性。これらを一気に試す絶好の機会が本日訪れたと考えました。三河高原キャンプ場は雨がガンガン降っても何かが流れてくるようなところではない山の中のフラットな場所です。

後は熊の事なんでしょうけど、そのことはすっかり忘れていたのが正直なところです。orz
初めて張った2ポール・タープなんですが、背の部分が垂れています。
さて、キャンプ場に着いて早速新しいテントをおろして張ってみたのですが、張るための突っ張り棒を差し込む穴がどこにあるのか最初は見つからなくてちょっと手間取りました。しかし、それ以外は極めてスムース。強いて言えば上の写真のようにタープの背が垂れた事が改善点ですが、AIに訊いてみるとこのタイプのタープは先ず縦軸をピンと強く張るのがコツで、対角線のXにあたる部分の張りの強度で強弱をつけると良いと書いてあるのですが、言うは易し。w

まあ、今回はコレで良しとして夕方に息子からコッソリかっぱらってきたどでかいカップ麺に湯を注ぎ食べてテントの中へ。早速読み始めていたこの前手に入れた中古の本をゆっくりとページを捲りながら愉しんでいるとポツポツという音が次第に激しくなりスパコンの予想する雨雲の動き通りに大雨が降ってきてくれました。

タープに大量の雨が当たって凄い音がしましたが、テントの中には一切雨の漏れは無し。勿論と言えば勿論ですけどね。その上で、テントの下に敷いた防水シートはどうだったかというと、これもバッチリ。滅茶苦茶安い品だったのですが、タイベックとは違う意味で良い品でした。タイベックは防水ばっちりですけど、この前のストーブ使用時に私のミスで溶けちゃったんで。w

翌日は7時位に起きてテント内で暫くグダグダした後、撤収開始。テント泊に必要なものもいろいろと削れるようになってきて大分キャンピングに慣れてきたなと自分でも感じるようになってきました。

次は何時、そしてどこに行こうかな。



2026年9月19日土曜日

やっぱりブルーはカッコいい!

戦闘機乗りのパイロットというのはやはり男の憧れの職業の一つでしょう。

理由はあの三次元空間をあり得ない速度であり得ない技術で自由に飛び回れるから。文字に書くだけでも非常に明確な素晴らしさがありますが、以前中島悟氏が雑誌の企画でF15に搭乗したときに「F1の15倍面白い!」というコメントを残していたのが印象的でした。

尤も、あの恐ろしいGの中を吐くことも酔う事もなくニコニコしながら楽しんでいるF1ドライバーの中島氏も異常と言えば異常ですが。w

さて、そのブルーインパルスが昨日名古屋にやって参りました。アジア大会のオープニングの一環としての登場でしたが、以前名城公園周りで飛んでくれたのと同じ感じでやってくれるのか、今回は久屋大通りをまっすぐ飛んでくるコースだというので地下鉄に乗って栄駅で降りて待っていました。

嫁さんのアドバイスに従って9時からの飛行予定に備え7時半には家を出て、8時にはオアシス21のところに座るようにしていました。(終わったら鵜沼に向かってサツマイモの収穫予定!)
これでも一時間前!
少しだけ暑いかな?という感じでしたが比較的直前までオアシス21の天井が影を作ってくれていて、最後の最後に帽子を被ったくらいで間に合いました。9時5分ごろにいきなり陰からドーンと登場。見ている人達はみんな、カッコいい!と声をあげながら大はしゃぎでした。
5~6回の各種演目をこなしてくれたのですが、やっぱり素晴らしく息が合っていて、プロ中のプロというのはこういう仕事をする人達なんやなと改めて心の中で敬礼させてもらいました。

最後に飛び去った後でみな自然と拍手が沸き上がってきたのは当たり前と言えば当たり前だったのでしょうか。(`・ω・´)ゞ

総てが終わった後で、大混雑の中を鵜沼に向かって名鉄に乗って行った後に実は松島?に向かって帰っていこうとしていたブルーインパルスを畑作業中に眺める事が出来たのは秘密の幸せでした。多分、各務原か小牧基地で一休みしていたんじゃないかなと農作業のパートナーと話し合った午後でした。


2026年9月14日月曜日

伝わらなくなる感覚

寅さんを視ている時に電話のシーンがありました。

勿論、旅先から柴又の家族に電話をする訳なんですが、その時に使っていたのが赤電話。そもそも赤電話自体が眼の前から消えてしまう時代になっていますが、小銭の10円を次々と入れながら最後は小銭が足りなくなってさくらと話そうとしたところでプチッと会話が切れる訳です。

こんな感じは私が高校生くらいの頃まではごく普通で、緑の電話が出てきてテレホン・カードが使えるようになった時には本当に「革命!」と思いましたね。

主にイラン人達による偽高額テレカ事件が続発しすぎてNTTがいろいろと彼らと戦った挙句に、ゆっくりとPHS、スマホというのが覇権争いをし始めました。その後で時間が経つほどに明確にスマホが勝利を収める流れのなかで公衆電話が次々と姿を消していき、やがてはPHSが姿を消しそこへ初代iPhoneが登場してきましたよね。^^

とは言え、今の20代の人達にしてみれば、上に書いた話はまるで私の世代が手回し式の電話のことを見た事が無いような感覚なんじゃないかと思います。
電話をしている時に手持ちの小銭を気にしながら電話をするという話自体がもう彼ら達にしてみれば見た事のない歴史なんですよね。w

知っている商品名も世代判定に使えるというのはここ最近よくわかります。この前もアイスクリームの商品名である「宝石箱」というのがあったんですが、その商品を知っていたのは私を含めほぼ全員50代以降。

調べてみたら1978-1983年の間だけ売られていた雪印の製品だったようで、そりゃ40代でも知らないのは当然と言えばあまりにも当然でした。自分の周辺では当たり前の事でも、世代が代われば知らないことだらけというのは余りにも当然ですよね。

上が消えて下の世代が支える。既に今の日本を支えているのは私の一回りしたの世代になってきています。そういう意味では時代の流れを素直に受け容れるのは大事な儀式なのかなと思いました。

2026年9月8日火曜日

歴史に残る大雨の日となりました

とんでもない一日となった名古屋でした。

一日の仕事が終わりに近づいてきた時にナース・ステーションにいるみんなのスマホから一斉に警報音が鳴り響きました。見ると警報の中身は高齢者の避難開始等と言う禍々しいもの。

雨雲の様子を示すレーダー画像も、物凄い厚さの雲が見えから名古屋市のほうにかけて長々とかつ真っ赤に線状になってカバーしているのを示していました。そこに夜勤の看護師さん達がずぶ濡れになって登場し一言「ヤバい雨です」と言葉を発していました。

その時点で既に駐車場は大きく冠水し、15センチ程度の深さの水に覆われている事が窓から眺めていて判りました。ほとんどすべての車が徐行しているのが病院の敷地内だけでも良く理解できます。

さて、Google Mapを見てみると、あちこちで真っ赤なlineが描かれているだけでなく、一部は既に黒くなっていました。恐らく冠水した車が前にいけない感じでトラップされているのだろうと推測していたのですが、それは後で見たニュースで正しかったことが判りました。後で聞いたところではこの日に千種や北区の周辺で仕事をしていた人達は車が動かずに往生したそうで、帰院予定を二時間もオーバーしてほうほうの体で訪問診療から戻ってきたとの事。そして戻って来てからも家に帰りつくまでにこれまた2時間近くかかって帰宅しボロボロに疲れ切ったとの事でした。

ニュースでは200台程度の車が水の為に冠水して動けなくなり、河川はあちこちで氾濫。地下鉄は5時間程度ストップした上に市バスは全面通行止めになってしまったようでした。

しかし、それでも20年に亘る名古屋の大雨対策としての冠水用の地下神殿の建設のおかげで名駅周辺は冠水して車が動かなくなるような事もなく、十分に機能したようです。この地下神殿とそれに繋がった貯留用の用水は何と小学校の25メートル・プール400杯分の貯水能力があるのだとか!

東海豪雨を上回る時間当たり降水量(時間100ミリ越え)だったにもかかわらず、こうやって被害の抑制に効果があったのはきちんと備えを行っていたからだという事でしょう。

天災は忘れたころにやってくると常に言いますが、地震も同じように備えが必要ですよね。

娘はあるレストランでバイトを淡々とこなしていたようですが、地下鉄が10時半には動き出してくれたおかげで兎に角、特に大きな問題もなく家には戻ってこれたようです。しかし、名駅で夕方からトラップにはまった人達の中には歩いて名駅から藤が丘まで「大雨の中」帰ってきたようで…お疲れさまでした。

2026年9月5日土曜日

特攻平和会館

蕎麦を食べて今回の旅の目的のもう一つの大きな柱である特攻平和会館へと移動しました。

桜島を左手に眺め、右手にはH2ロケット?の巨大なレプリカがある道をずっと走り続けるとその会館がある「知覧」へ到着。知覧茶で有名なエリアですが、場所自体はとても特攻のはとても特攻の出撃基地があったとは思えないような長閑でこじんまりとした場所です。

暫くすると見えて参りました。特攻平和会館。
前から見るとそれほど大きく見えませんが、中にはびっしりと特攻されていった方々の遺書や持ち物が展示されており、そのリアリティとそれぞれの人物達の背景にある物語の悲しさに打ちのめされます。

長女は文章が読めずに写真と活字化された文章のみ読んでいたようですが、私自身はその書き手の性格や教養がそのまま写しこまれたような遺書となる手紙やハガキを見て涙が溢れそうななりました。悠久の大義の下に等と言う美名の背景には国家によって死を命ぜられた17歳!から20代前半の方々を中心とした戦死者の方々、平均年齢21.6歳の死の前の文と写真の前には喉元に込み上げる熱いもの以外の何物もありませんでした。

検閲される前提で書かれた手紙の裏には決して語られない本人の物語が隠されています。

外道の戦法はお互い顔も知らない二つの国の人間が敵国殲滅の名の下に殺しあう無意味さを三度自分に思い知らせるのでした。あの時、日本や肉親の為に散っていった今の自分の子供より若い人々の犠牲に応えるような国家になれたのか、改めて我々は問わなければ再び愚かな行為を繰り返しかねないと考えます。
錦江湾より引き上げられた21式ゼロ戦
帰りには特攻の話をまとめた「只一筋に征く」という本を買いました。

国の未来の礎たる若者を戦地に送り消耗させるためだけに死を命じる作戦のどこに大義がありましょうか?金の卵どころか金の卵を産む親鶏も死に至らしむ作戦を狂気と呼ばないのは明確な間違い。戦前戦中にこの若者達を煽りに煽っていた軍の連中や報道関係者達が戦後にのうのうと平和を享受した事実を我々は決して忘れません。

もしこの死に追いやられた若者達が生きていればどれほど今の日本の繁栄に資していたかを考えると慙愧の念に堪えません。

特攻でお亡くなりになられた人々の合計は6,371人。愚かな戦いを聖戦の美名の下に美化することは決してあってはならないと思います。領土拡張の野望で愚かな指導者に操られる隣の赤い国を見て嗤っているいられるのか?30年ほど前に北朝鮮のツアーで一緒になった当時60くらいだったオジサンがポツリといいました。「今の若いあんたたちは北朝鮮のこんな状態見て笑うだろうけど、戦時中の日本てこんな感じよ」と。

歴史は場所と時を超えて繰り返すということでしょう。

車を運転して宮崎へ戻る激しい雨の道すがら、いろいろな想いが交錯した一日でした。

帰り着いてからは近所の焼肉屋さんへ行って親父にお祝いを渡しながらその米寿を祝いました。転倒にさえ気をつけてくれれば90歳までは先ず生きてくれると思ってます。がんばれ親父!

2026年9月4日金曜日

明るい農村蒸留所

朝もはよからトップにある階の展望風呂に息子を連れて入ってゆっくりと朝の湯を愉しみました。

その後からみんなで美味しいバッフェ形式の朝食を摂るためにみんなで移動。本当にいろいろな小品がズラリと出されていて正直ひとつづつ全てを食べても腹が破裂するレベル。全部味わうのは到底無理というのは最初の一周目で直ぐに理解出来ました。

朝食が終了したらすぐに部屋の内湯です。旅先で深い緑の木々と桜島を眺めながらの入湯は最高です。この後の動きをどうするか考えましたが、まず昨日霧島神宮から帰る直前にチラリと目の端に入っていた「明るい農村」見学のお誘い看板のお誘いに乗る必要があります。^^

そして目的の場所を直ぐに発見!ワクワクです。

レンタカーで工場の前に近づくと美しい笑顔のお姉さん二人が店の前で出迎えてくれました。誘われるままに中に入るといきなり一升瓶ならぬ一斗瓶の「明るい農村」が出迎えてくれました。

これをら抱えて家族5人で記念撮影もしました!

蒸留所見学を始める前にこの蒸留所で作っているいろいろな焼酎の試飲をさせてもらえるのでsが、私は運転手。涙を流しながら娘の試飲を眺めています。工場見学は明るいお姉さんが手際よく、かつ楽しく進めて下さりながら興味深い話を混ぜていろいろとサービスしてくれました。

上の写真に写っているタンク一本を普通の人が飲もうとすると毎日飲んでも40年かかるんだそうです。w このタンクが建物の外だけでは無くて内側にも80本!あるとの事。以前は年にタンク5本ほど毎年出荷されていたそうですが、最近は3本程度に減っているとの事。必ずや巻き返して貰いたいもんです。酒というのはいろんなサイクルで流行り廃りが繰り返されます。ウイスキーしかり、焼酎しかり。
美しくレイアウトされたお店の中には私の大好きなTシャツも売っておりましたので迷わず購入いたしました。結局ここでだけ手に入れられる復刻版のHOUJOU NO MINORIともう一瓶の明るい農村(赤芋仕込み)を購入。その後、美しい笑顔に見送られて店を後にしました。

みんなで「明るい農村」を飲みましょう!^^

次は知覧の特攻平和館に行く予定。その前に昼ごはんをどこで食べるかというのが次の問題でしたが、実は私の勤める病院の看護師さんに南鹿児島の出身の方がおられまして、実はその方が高校の頃に勤めていたバイト先が美味しくて有名な蕎麦屋さんだという事で、道すがらにあるそのお店に直行しました。

名前は「そば茶屋・吹上庵」という所でした。たった一つのミスは事前にどのメニューが美味いのかというのを聞いていなかった事。orz

仕方ないので板そばを食べたのですが十分に美味しかった!しかし後で知ったところによると「冷やしゴマダレうどん」を食べるべしとそば家を出た後に返答が帰ってまいりました。時すでに遅し。w しかし十二分に美味い板そばでした。

取り敢えず、今日はここまで。

2026年9月3日木曜日

親父を連れて霧島へ一泊旅行

今日は朝から娘のリモートでの会議が終わるのを待って霧島観光ホテルへと向かいました。

親父の米寿の御祝いに連れて行く事を計画して随分前に予約していたものでした。宮崎出身の人間にとって霧島というエリアは実質的に宮崎のような「感覚」。実際は昔から鹿児島の住所ですが感覚的にはそんなもんです。小林、都城、えびの、霧島というのは恐らく鹿児島側の人からみたら「そこは鹿児島」的な感覚じゃないかと思うんですよね。

そもそも宮崎と鹿児島の間で明治維新後も霧島に関してはずっと鹿児島のエリア。しかし、それは中世まで遡るといろいろと違ってくるんですよね。それでも、中世以降は鹿児島に含まれるエリアですからずっと鹿児島と言っていいところです。^^

さて、道を走る事1時間半でホテルに到着。案内されて入った部屋はお金を払う価値のある素敵な部屋でした。鹿児島の錦江湾にどっかり映える雄大な桜島が目の前に広がってそれを眺めながら入れる内湯が部屋に付いていました。しかも、入ってすぐお部屋は広いリビングがあってその向こうにはこれまた広い畳のお部屋と巨大なダブル・ベッドが二台。
ガラス越しに見た内湯。向こうには桜島。
このあと先ずは車で15分の霧島神宮に直行です。

親父自身は霧島神宮には公務員だったころの職員研修や旅行で何度も来た事があるらしいのですが、久しぶりに来たのが我々に連れられてきた今回の米寿旅行となった訳です。
入口駐車場にある大鳥居。でかくて綺麗!
神社までのわずかな坂を上ろうとしたときに実は親父に異
変が起きました。高さの差にすれば僅か2メートル程度距離だと100メートル程度の道を登り切った時に、親父が「フーフー」と異様に疲れた感じで道を歩きながらふらつき始めたのです。

「お前たちだけ神社で拝んで来い」という言葉を発しはしたのですが、息づかいがおかしいのでその場に座らせて脈をとると120程度の頻脈。リズムは整なのですが、このままおいてはいけないので暫く座らせて様子を見ていると脈も80程度に落ち着いて親父の不通に戻ってきました。

息切れも消失したようなので、心配しつつも神社で拝んできました。勿論、拝んだ内容は家族の健康。(と親父の長寿って既に長寿ですが!)
どでかい御神木
お守りを少し買い込んでおみくじを引くと長女も長男も私も大吉。長男は何気に引いたくじが1番くじでした。嫁さんは中吉、とは言えどれほどあてになるんだか?御神体は神社におわしましても、くじ作るのは人間ですからね。

まあ、そんなことはどうでも良くて下に戻ってみると親父は元気に階段に座って待ってくれていました。そもそも、慢性腎臓病があって下腿の浮腫もバンバンですから心負荷も当然のようにかかっています。そういう意味では薬での調整も次第に追いつかなくなっているレベルになってきたという事なんですけどね…。やはり歳には勝てません。

その後はいつもの普通の親父に戻ったのですが心配の種は尽きません。転倒、心不全、その他の理由での突然のインシデントは何時でも起こり得ますので、私は後ろからお親父をみていて「良く生きていてくれるな」としんみり思いました。

霧島神宮からホテルへ戻ると直ぐに温泉です。このエリアの温泉は強い硫黄泉ですので、シャワーも含め硫黄臭がします。それも旅の一興。先ずは我々男三人だけで4階にある予約済みの家族風呂に入ってきました。畳の上で直接入浴できるもので、大変快適。それでも一時間入るような事はせず直ぐに1階にある露天風呂へ直行しました。正直こちらの大浴場のほうがいい感じで、ここの湯を楽しんだ後に510の自分達の部屋へと戻っていきました。

その間に嫁さんと長女は内湯を楽しんだようで、気持ちよさそうにクーラーの効いた部屋で涼んで待っておりました。^^

夕方には素晴らしい大食堂で美味しい料理を腹一杯食べたのですが、親父は案の定コーラを入れていたグラスを叩き落として割ってしまうし…。子供以上に手がかかるのが米寿の親父の現実です。

部屋へ戻ってもまた私たちはそれぞれに何度か内湯や外の湯にも浸かりましたが、やはり内湯が一番良かったかなと思いました。雄大な眺めを楽しみつつ雨が降ったり止んだりする様子を愉しんだ一晩となりました。

2026年9月1日火曜日

とんでもない輩に予定を狂わされました

実は本日より5日まで、宮崎の実家に弟の初盆と親父の米寿祝で帰る予定です。

そこで、私たちの家族は生れて初めてANAのLCCであるソラシド・エアに搭乗してサクッと宮崎に返ろうという事になりました。いつもは移動に私の車で12時間かけて帰るというような事をやっていたんですが、嫁さんが「車はきつい」という話をしてきましたので、止めとくかなという気もちになっていました。それに彼女が「お父さんももう若くないんやから前の頃と同じような気持ちで行動したらイカン!」という風にも釘を刺されましたので、お言葉に従わせていただきました。

という訳で、私としては珍しく随分前にレンタカーを予約してJ-Netレンタカーで飛び切りグッドなdealを見つける事が出来ましたので、それに飛びついて確保させていただきました。

飛行機のチケットのほうは嫁さんが準備してくれていたので特の問題なかったのですが、宮崎のようなド田舎に飛んでいく便は通常朝と夕方の二回というのが多いパターンですので、朝を逃したら一日が無駄になるという事が多いのです。

という訳で、朝は早起きしなければなりません。セントレアまでゆっくり走って45分ですが、朝9時半発の飛行機ですから、お土産なんかを買う時間を考えたら、なんとしてでも8時半までには到着してゆっくり過ごしたいと考えて7時ちょいには家を出ました。これだったら二時間半前だからちょっとした渋滞程度では問題なく行けるだろうと思っていたのですが…。

ここである事件が発生します。orz

前回も書いたのですが、宮崎の行き帰りなんかにはなぜかいろいろな事が起きるという変なジンクスが最近我が家にはあるのです。この前の大豪雨で広島に行くまでに死んだ話とか、全く人災・天災いろいろです。

さて、今回のは人災のほうでした。名古屋口から高速に乗ってスイスイと高張のほうへ近づいて行っていた時のことです。予想到着時刻は出発当初8時15分で、物凄い余裕で着くなと思っていたのにもかかわらずいきなり8時40分とかに予測がジャンプしました。

「?」なんじゃ、これもっしかしてナビが誤動作した?とか思ったのですが、同時に後ろの座席に座っていた嫁さんにも調べてもらうとGoogle上でももう少しましな予測にはなっていたのですが、それでも10分程度の予測差。頭の中は「おいおい、なんか事故かよ?」という考えが過りました。マップを見ると知多半島を南下する高速が真っ赤に塗られています。

しかし、その気付いた瞬間はすでに遅し!眼の前にノロノロ運転でハザードを焚き始めている最後尾の車が見えてきたのです。

「ああああああ、高速乗っちゃった」という大後悔も時すでに遅し。降りる出口も近くに無ければ、迂回路を使った分岐予測でも数分しか違わない程度の予想。しかもナビの予測はリアルタイムでどんどん後ろにずれこんでいきます。

どうやら渋滞の先頭は十数キロ先の阿久比ICの入り口の少し先です。どこのバカがどんな事故をこんな時間に起こしてくれとんねん!と思いつつもここは焦っても仕方ないと腹を括ってノロノロ運転をしていましたが今回はいつも俺の宥め役、諫め役に回るはずの嫁さんが怒っています。w

しかし、そうこうするうちにもフライトの時間は刻一刻と迫って来て例え乗れても全力走りで行くしかない!という所まで来ました。嫁さんはソラシドエアに万一の場合はどうすれば良いかというのを尋ねると少なくとも10分前に搭乗口前に立っていて貰えば何とかなるという返事をもらったのですが、確か今日からは30分前にはチェックインを済ませていなければアウトというルールが始まったばかりじゃなかったっけと内心では思いつつ黙っていました。

とりあえず、そうこうするうちに渋滞の最先端に出てみるとそこに停まっていたのはレッカー車に積み込まれる前の前部が大破して確実にエンジン(これフェラーリのエンジンでっせ!)のぶっ壊れたホワイトクリーム色のマセラッティ・クワトロポルテが左車線を塞いでいました。

その脇には頭をスケベ分けにした頭の悪そうなホスト風の男があらぬ方向を向きながら髪をかき分けて地べたに座っておりましたな。この糞が!と内心で思いつつもそこを過ぎてからはあっという間に空港へ。

何時もと異なり、まずは第一ターミナルで嫁さん達を下ろして手続きに向かわせて私はその後に駐車場に停めたのですが、この時点で既に9時10分。もうアカンかもなと思っていたら嫁さんからLine通話が入って来て「やっぱりダメだって、でも午後の便は取ってくれるって!」とのお話が入ってきたのでした。

さて、どうするオレ?w

まあ、その続きは明日書くとして、今日思ったのはたった一つ。「やっぱり高級車は金で買えても知性は買えんな」という事でした。若造が乗っていたあの車。新車で最低でも1500~2500万です!パパに買ってもらったのか、ヒモとして稼いだのか?ま、どうでもいいや。

とにかく迷惑な話でした。またこの続きは明日。

2026年8月31日月曜日

教授選考の時期

再び教授選の季節が巡って参りました。

毎年毎年、日本全国でいろいろな大学のいろいろな教室が教授募集をかける訳です。文学、理学、医学、哲学、農学、その他諸々の科目の数えきれない程の教室で多くの人物達が定年退官を迎える事でその空きを埋めるために多くの人物達がそこに応募をかけていく訳です。

応募した人物は徹底的に、かつ多角的に人品骨柄を見極められることになる訳ですが、医学部の場合は少なくとも周りの教室との関係性、医学部長や前任者の意向、応募してくる大学間の力関係、その教室が保持する病院の数や規模、そしてそれらの病院に関連する大学の入り乱れ具合など訳が分からないほど複雑な要素が絡まってきています。

勿論、とてつもない業績があれば否が応でも教授なんかにはなり易いのですが、とてつもない業績があっても人間がとんでもない…というパターンも稀ならず有って、そこら辺りが教授選考を別の方面から難しくします。

しかも、医学部という所は恐らく他の学部以上に自分の大学出身者を「なんとか」優遇しようとしますので、Cellを二報first authorとして書いた人よりも、誰も読まないような国内雑誌や学内報を沢山出しているような人が選ばれちゃって学内からも「おい!w」というような事が行われることもしばしば。なんやかんやと屁理屈をつけて学内出身者を優先し続けるような日本の大学はこうやって沈んでいくのです。

他の大学と交流せず、おらがとこの大学を出た奴を先ず第一にしとかんと、次の教授選考もその大学から人が流れてくるかもしれんし、いずれ関連病院をそいつの出身大学の連中が乗っ取るかもしれん、等と言う名目でそういう「やらかし」を続けるんですね。

今の時代、教授になるメリットなんて老後に割り充てられるどこかの病院長くらい。気苦労多く、自分の教室に魅力が無くて人が来なければそれで終わりという時代です。

昭和の時代の白い巨塔のような事は今の時代、もう無いんです。

日本医師会のトップにいるような芸者好きのバカ男達がやるような政治ゲームが好きな連中はほぼ100%医学的実力や実績なんて何もない連中で、己の財布と老後に貰う政府が呉れる勲X等何とか章とかいうメダルを葬式の時にその棺の前にメダルと賞状を飾りたいだけの屑ばっか。w

本当に医学に貢献する連中は何とか会の会長とかで時間を潰す暇なんてありません。

一流の人間は研究と臨床と教育という巨大な三本柱に毎日自分を捧げて実力に磨きをかける事で精一杯。皆さんの命を預けられるのは「何とか県医師会」の会長様達では無くて、いつも大学や病院で走り回っている人達のほうです。

そんな一流の人達の中で、研究・教育・臨床の三本の柱を磨いて次代の人材を養成し、エリアの臨床レベルを底上げしたり治療法を改善できる人達であればいくらでも教授になっていただいて、人類を救って欲しいものです。

そうでない人で、名誉が欲しいだけの人なんかは手を挙げないでね。^^

理由は簡単、そんなヤカラが教授にでもなったら、その後に広い範囲で周りが長い間迷惑を被るからです。是非。身の程を知っておやめください。

2026年8月29日土曜日

そろそろ夏休みの宿題は?

私はこの時期になると夏休みの宿題を思い出します。

私は今も昔も根っからのズボラで、夏休みの宿題は夏休みの初日にほぼ半分を済ませ残りはほったらかし。8月27日くらいから超焦りだすのですが体は動かず。8月30日くらいになって残りの分を「なるべく」済ませます。

なるべくと書いたのは毎年必ず間に合わずに始業式に行われる宿題回収では先生からげんこつを頂くというのが毎年恒例の夏休みの儀式になっておりました。それでも実はその宿題サボりにもコツがありまして、厳しい先生の宿題はなるだけ頑張って済ませる事。図工の宿題はしていないと点数が付かないので頑張って作る(どっちかというと好きだったので苦にはなりませんでしたが)というのがコツ。w

小学生なりの傾向と対策とでも言いましょうか、9月も4日くらいになると次第に先生自体も夏休みの宿題の事など忘れ気味になってきまして、何も言わなくなってきます。それまでは毎日毎日出していない宿題の科目の先生の授業時間が来るとびくびくびくびくしていたものですが、流石に4日や5日になると先生のほうも「まさか出さないまま夏休みを終わってしまった生徒」がおるとは思ってないのか、もう宿題の事は言わなくなります。

ここまで来ると私の勝利。実際は宿題をしない事で勉強をせずに割を食うのは自分自身なのですが、そこは知恵の足りない愚かな小学生であった私。苦しみから逃げた事でラッキーという事になって楽しかった遊び満載の夏休みの終了となりました。

日本中の「宿題を済ませていない小中学生諸君」の事を考えると実に当時の自分の事を思い出し、かわいそうになります。アメリカにいた時には娘達には休暇中の休みなど全くありませんでした。そう考えると、夏休みだからと言っても休むことを許されない子供たちはなんだか気の毒に思えます。

宿題済ませてなくてもまあ、死ぬほどの事はありません!大人になった時に先生も含めてそんな事誰も覚えておりません。w

2026年8月25日火曜日

男はつらいよを視て思う事

Amazon Primeの中で契約できる松竹+で男はつらいよを視られるようになってほぼ毎日いろいろな番手の話を次々と視ています。

話が古いものから新しいものに移ろうに連れて寅さんのがらっぱちなところが抜けて「ものわかりの良い人」になっていくのが目に見えてしまいます。そもそもはやくざな兄貴という感じで、やることなすことが「あ~あ」というような感じだったのが、少しずつ少しずつ常識が通じる人になっていくんですよね。

視ている我々はどうしようもなくあれこれ駄目な寅さんを見ながらも人情の機微を読み取る能力にはいつも一目置くようなシーンが連続するわけですけど、26話の満男の登場するあたりから一人の恋に挑戦する男というよりも、人の恋の指南をする男である方向にグッとシフトしていったと思うんですよね。

それでも、実際は15話くらいからリリーを中心に話を追う毎にもしかしたら一緒になるという事を繰り返すうちに視ている我々は「絶対に一緒になるな!」と思う完璧な状況の中にある二人が結局のところ最後まで一緒になることは無くシリーズが終わってしまったのですが、最後のほうはもう完全に夫婦。単に籍を入れていないだけ、という所まで行きました。

しかし、ここまで来た時にはもう完全にチンピラ臭は抜けきってしまっていて、何だかシンプルに良い人になってしまっています。

車寅次郎というキャラが渥美清を完全に飲み込んでいく過程を見せられているというのが何だか辛くもあります。本当は渥美清という人は本来はもっと寅の事をやくざな男のままに演じたかったんじゃないかなと思うんですけどね。

それにしても、寅はこと女性に関しては謎の奥手ぶり。山田監督のセッティングなんでしょうが、視ているこっちはイリイリしますよね。この点については俺のほうが成熟が足らずにその気持ちを読み切れていないんでしょうね。きっと。

ところで今回いろいろ調べているうちに驚いたことが一つ。寅の甥っ子の満男のこと、私はずっとミツオと読むのだと思っていましたが、調べてみると正式にはマンオと読むとなっています。松竹の公式でも!

本当かいな?


2026年8月24日月曜日

Apple高すぎる!

メモリの異常な高騰が続いています。

理由はAIコンピューティングの異常な需要増加に伴うメモリの払底。まあ、数年サイクルのメモリの世界の事ですから「必ず」落ち着いてくるときは来るでしょうけど、少なくともあと数年は無理かなって諦めてます。

さて、そういうメモリ高騰までもが理由にされているのがApple製品の値上げ。

ここ最近のApple製品の値上げは正直なところ次の製品を買おうという気が全く失せるレベルのものだと私自身は感じています。例えば以前は20万円程度の感覚で買えていた一番安いマックブックProが14インチで34万円!16インチに至っては52万円から!という値付け。一体どこの殿様商売なんでしょうか。

果たして学生を相手にはしていないのでしょうね。w
若い層に支持されなくなった製品が最終的にどういった運命を辿るかというのを見るのはなかなか興味深い未来予想になるのではないでしょうか。

かく云う私も以前自分のマックブックProをワインを零して壊して以来買い替え期はAcerのWindowsマシン。そして今二代目として使っているのも二代目のAcerのWindowsAIマシン。特に何の不便もなく使えている状況で既に何年も過ぎています。 マシンは32Gのメモリを積んだ512SSD・Ryzen7のOLED画面のマシンですけど、値段は25万程度でした。同じレベルのアップルマシンを持とうとしたら…。考えるだけで背筋が寒くなります。

滅茶苦茶儲かっているのにいい気になっていろんなところで値上げを続けているアップルですけど、AIの開発では大きく後れを取手結局のところ他社に依存する構造になり始めていますし、以前はアップルを使う確かな理由としてプライバシーの問題というのがありましたが、AIの登場でプライバシーの件はほぼ何の意味も持たなくなる世界になってきました。

2026年になって二度の値上げ、理由は円安やメモリの高騰なんだそうですが、既に20万円を超える値付けとなっているiPhone17ProMaxなんかを見ていると「次にアップデートできなくなったら、もう日本製のアンドロイド製品でいいかな」って考え始めています。

大学三年の頃からアップル一筋だった私と私の家族ですが、先ず娘のノートが仕事上の理由からウィンドウズマシンを使用しはじめ、私は上のような理由でマシンがここ数年Windowsに替わってしまいました。

そして今、私のiPhoneは15ProですけれどこれもAI関連のアップデートが出来なくなった時点でどこまで維持するのか正直なところ大変疑問です。アップルにとって一番の問題は今迄アップル製品を好んで使ってきた理由が消失し始めている事ではないでしょうか。

そして、価格差がこれほどドでかくなってくると給料の安い「若い人達」を中心に急速に乗り換えが進んでくるのではないかと思います。その証拠に急速にシェアを落とし続けているではないですか!

日本人はアップルにとっての金銭刈り取り機ではないという事。非現実的な値付けで痛い目を見るのはアップルのような気がします。それはNANOのような、スマホのチップで作ったPCで人を騙すような事をしても最後はバレてしまうのではないでしょうか。

まあ、それでも今時PCでやる仕事なんてブラウザで全部出来てしまうからそれでも良いんでしょけどね。w