2022年5月31日火曜日

常識の「猛烈」な変化

嫁さんがNHKの再放送「ひまわり」を視ています。

四角い画面のフレーム(縦横比が今と違うので両脇が余って黒くなっている)を眺めながら録画を視ているようですが、脇でPCを触っている私も時折ではあるものの、必然的に画面をチラっと見つめるチャンスも増えます。

松嶋菜々子、大鶴義丹、夏木マリ、三宅裕司、川島なお美、藤村志保、藤谷美紀、浅野ゆう子などの錚々たる俳優陣が出演していた96年の朝ドラなんですが、当時、大学院の研究の仕上げで忙しかった私はテレビ・ドラマというのをただの一本も視たことはありませんでしたので、当然、如何なる形でも記憶の片隅にこのドラマのことは残っておりませんでした。

ところで、論点はその登場人物やドラマ自体の筋立てというものには余り関係無いもので、いわゆるドラマの中で交わされる会話の内容や行為に関するもの。その平成初~中期のドラマであるにも関わらずえげつない程色濃く見せつけられる「昭和的価値観」の残滓です。九州で生まれアメリカで長く暮らした自分にとってはアメリカという環境は性別や性に関して大きくそれらに関する考え方を自然な形で見直させてくれた場所です。(正直な所、人種に関しては私自身に対する差別というものを感じるという事は余り無かった事と、そもそも肌の色が何色であるかというのはその人の人間の能力やキャラに関して全くどうにも関係ないと思っていた人だったので、それは余り学んでいないです。)

そしてこのひまわりで出てくる台詞や行為がもう何というか「たとえドラマとは言え今の時代では有り得んわ~」というような文章が散りばめられていることに、横に居て一所懸命視ている嫁さんと二人で「今時有り得んわ」とか「わ~、今どきこんな事言ったら一発アウトやで!」とか言うような登場人物達の台詞を聞きながら時代の移り変わりというのを強く強く感じるのでした。

当時のドラマの中ではみんな男性の登場人物が仕事場でプカプカとタバコをふかしているのを見て、思わず横の嫁さんに「普通にどこでもこうやったよな~」、「そうそう」等と言って笑うばかりです。

性や性別、その他諸々に関する小さな事件、大きな事件が報じられる中で、種々の「新しい」教育を受けてきた世代が旧世代と置き換わっていく中で、年々歳々と言うか実際は本当に日々と言うレベルで少しずつ 少しずつ「時代の中の常識」や「スタンダード」というのは変化していくんでしょうね。医療現場でもそれは言えてますが。

僅か四半世紀前の天下のNHKの朝ドラに出てくる脇役を含めた登場人物達の行為・台詞に強烈な違和感を感じて今日の文章を書いてしまいました。

変われない人間は良い意味でも悪い意味でも過去の人になっていくだけなのでしょう。


2022年5月30日月曜日

長女の夏休み一時帰国

長女が夏休みに一ヶ月ほど日本に帰国してくることが判りました。

突然だったのですが、telegramに「このチケット買って良い?」というテキストが入っていました。実は数日前にアメリカをベースにしている日経の旅行会社のメールを読んでいた時に6月1日購入分以降からoil surchargeの大幅値上げが実施されるという連絡を読んでおりましたので、夏休みに日本に遊びに行こうかな~等と言っていたのを思い出してその情報を送っていたためでしょう。

8月9日から9月6日の間の約一ヶ月の間の滞在で、$952+taxの扱いでした。就職してこの時点で4ヶ月しか経過していないはずなのですが、いきなり一ヶ月の日本での夏休みというのは如何にもアメリカ、しかもリモートワークらしいなと感じますね。

前回日本に帰国してきていたときも、早起きして部屋で誰かとゴニョゴニョ話して仕事をしているところを家族に見せていましたし、逆にそれを見て「ああ、これがリモートワークの姿なんだ」と感じた次第です。親としては「何だかこれで給料もらえるんだから良いよな~」とは思ったものの、逆に健康管理を自分でしないと、長期的にはグダグダになりそうだよコレ!とも感じた次第です。

一ヶ月の帰国となるにしてもこの間に何処かに次女と長女を揃って家族旅行という形で連れて行ってあげようと思うんですが、はてさて何処にいたしましょうか?安直ではあるのですが、すぐに思い浮かぶのは飛騨高山とか京都とかでしょうか?日本海側に出て能登半島を巡る旅なんて言うのもあるかとは思うんですが、まだまだリサーチが必要です。こういう時に名古屋というのは便利なところで、九州に住んでいたときのように先ずは関門海峡の先に出て行かないと日本の他のところには基本的に何処にも行けない等という事はありません。

家族で集まるのも家族がアメリカと日本の間に離れて住んでいる我々のような家族だと「一堂に会する」というような機会はアメリカで集まるにしろ日本で集まるにしろ、他の国で落ち合うにしろなかなか大変ですので、こういう機会は千載一遇のものと捉えて行動しなければなりません。

やがては子供達も更にそれぞれのエリアの人間として益々忙しくなると思われます。そして夫々に家族を持つようなことにもなるでしょう。そうなるとなかなか実家に帰るというようなことも大変になってきます。そうなる前に家族旅行!頑張ろうと思います。

やっぱり温泉が良いかな~?


2022年5月29日日曜日

次女を連れて日間賀島へ!

昨日からの次女のリクエストに応えることにしました。

それは次女が以前行った日間賀島での体験が余りにも彼女にとって素敵だったらしく、今回も先ずは食べることを最優先して再体験したいということで乙姫に行ってタコ飯とシラスの天ぷらなんかを食べに行くことに。

乙姫に前回行った時にはシラス飯を中心として食べましたが、今回はタコ。例えば他にも有名なフグなどはこの時期が旬ではありませんので、今食べるべきは何かを考えるとフグは無し。という訳で日間賀島に渡るための師崎漁港のフェリーまで家から50分もかからずに到着しましたが、予想通り問題はここからでした。

大きな問題では無いのですが、ここはいつも駐車場がすぐに満杯になるのです。立体駐車場も4層くらいの立派なものがあるんですが、もう一つの近場にある側の駐車場が平地にある単層のものでキャパを全く稼げていません。ここを多層式にするだけでみんな待ち時間も劇的に減ってくれると前から思っているんですが、お金との相談なんでしょうかね。長期的にはかなり損をしているという気もするんですが、部外者の言うことではないでしょうし、お金を貯めるステップを自治体が既に何年もかけて行っているのかも知れませんし…。

さて、最終的に車を駐車できたのは到着50分ほど後でしたが、すぐにフェリーも港を出て篠島に寄った後、日間賀島の西港に到着。今日は日焼け止めを塗ってきてよかったと十分に思えるほどの日差しでした。船の乗客も前回の8月のコロナ禍が収束しきっていない頃とは大違いで、小型フェリーを臨時便で継ぎ足さないと無理というレベルの混み具合。地元の人や釣り客、我々のような観光客まで入れると一杯一杯の運行でした。

到着して直ぐに目に入る乙姫を眺めてみると、悪い予感があたってしまい店の前に30人ほどが列を成して待っていました。それでも「ここ」で食べるために来たのですから待ちました。結局、一時間ほど日差しのもとで「立ち待ち」をして入店。すぐにオーダー。

実は日間賀島のここに来た理由のもう一つは、個人的に購入したかったお店特製の岩海苔なんですね。この店のゴッド・マザーであるおばあちゃんが仕込んでいるらしいのですが、入店してすぐにいつも置いてあるはずのガラス引き戸の冷蔵庫に海苔が全く見当たりません。心配になって従業員さんに伺ったら「朝から全部出ちゃって、もう無いんです…。」との衝撃的な御言葉。

ガックリ来ていたら、にこにこ顔の元気なおばあちゃんが登場。エビの剥き方を教えながら我々のテーブル周りで笑顔を振りまいていましたので、コッソリとお母様に相談。「あの~、さっき愉しみにして買いに来た岩海苔がもう無いんですけどやっぱ無理ですかねえ。」と伺ってみると、「あるよ!何本!?」とニッコリ笑顔を返してくれます。内心では欣喜雀躍しながらも顔には出さずに「出来れば4本頂ければ~」と話すと「待っとって」との力強いお言葉!そしていつものアレが出てきました。

一本500円ですが、それ以上の価値があります。
最初に予定していたもの全てを腹に収め待っている時間で疲れたことも忘れてお店を出ましたが、直前に厨房に顔を出してゴッド・マザーに感謝の挨拶。わざわざ厨房から出てきてくれたおかあさんは店の外までお見送りしてくれて「要る時は送ってやるから注文の手紙送ってくれれば良いヨ」とのお話でした。ニコニコです。

さて、店を出ると島の頂上にあるコスプレも出来るカフェに行って素晴らしい眺望を畳部屋から臨みながらジュースとタコ・アイスなどを頂きました。途中、置いてある占いなどで家族で大爆笑でした。最後は疲れを残しながらも山の急階段を歩いて降りて島の空気を吸いながら海岸端を歩いて港まで還りました。

フェリーに乗って10分。港に帰り着いた後は名古屋に一直線、近所でパンを買ったりアピタに行って娘の靴を買ったりしたあとで家に帰り着いてすぐに休憩と食事となりました。

帰った直後からまたまた行きたいなと思った日間賀島です。


2022年5月28日土曜日

ストレス耐性の大きい人

私は辛いことがあると「どちらかというと」スーッとそれをしないで良いように逃げます。

恐らくは辛いことを体の中に溜めないようにそういう事によって起きるであろう良くない体や心の反応が可能な限り起こさないように自然と心が逃げる(逃がす)んでしょうね。とは言っても、上に書いたように「どちらかと言うと」と書いたようにやらなイカンと思った時には全てを度外視してやり込むことは有ります、と言うか比較的多いです。

研修医の時には「学びたい!」と言う気持ちと「次々に新しい手技と知識が吸収できる!」と言う喜びで、殆ど病院の寄宿舎にも帰らず救急の仮眠室で24時間生活しているようなことを続けていたところ3ヶ月ほどで帯状疱疹が右季肋部に出来たことはずっと前にもここのブログに書きましたが、体にも心にも限界があることは自分自身が良く知っています。

とは言うもののこのストレスに対する耐性というのは個人差が大きいです。例えば、当院の副院長は私の尊敬する種々の能力の持ち主でもあるのですが、この人は本当にストレスに強いというかストレスというものを感じたことがあるのだろうか?と傍から見ていると思うばかりです。

ところが!この先生のによく個人的にお話を伺うことがあるのですが、年に数回ほど血便が出るということ、そしてその他の症状としては「首が凝るな~」というような時が良くあって、そんな時に血圧を測定すると上が200を超えているような時があると言いますから仕事が忙しい時にはしっかりとストレスがかかっていることになります。(というかそれ以外は考えられませんよね。)

戦争に行ってPTSDを発症する人にもいろいろな体験がその背景にあるわけですが、「まともな人間」が強いストレスを受け続けるとその正常な結果として体や心に目に見える形で問題が発生したり、自分では意識しなくてもやはり問題が発生する訳です。それは殆んど「必ず」と言うレベルであることが研究の結果では明確に示されています。

もちろん、「えっ?」と言うくらいアッと言う間に心や体がポキンと折れる人もいる訳ですが、とんでもないレベルのストレスに心が鈍感で、あたかも何事も起きていないように見える人は居ても、体は最終的に正直にそれを表現してしまうという事が普通にあるわけで、その体のほうがポキンと折れた時点が「命にかかわるような疾患」に繋がるようなことがあるのはやっぱりマズイですよね。

そういう意味では人間どこかで辛いことから逃げる、楽しいこと「も」する!と言うのは大事なことでしょう。そして大いなる心と体の休憩を取ることも。

まあ、私のような凡人は怠ける理由をそういうところに求める訳ですが!w


2022年5月27日金曜日

油絵を描く道具選び

娘と一緒に近所の画材店巡りをしました。

来月の11日からリノベされた2軒隣のアパートで油絵などの制作を始める次女のために、先ずは車での移動で30分以内の場所で油絵の開始のために必要な画材がないか調べることにしました。

グーグル・マップで調べてみると結構近場でアチラコチラに絵の具店、画材店、絵画教室などという名称で「らしいお店」が見つかります。実は自宅から来るまで3分程度のところに素晴らしい画材店があったのですが、コロナが流行り始める少し前に残念ながら閉店してしまいました。良いお店が近くにあったのに本当に残念ですが仕方がありません。

さて、今日回り始めたところの一軒目は絵画教室を兼ねた画材屋さん。結構それなりに絵を描く道具は揃いはしていたのですが、フレームのみの販売はなし。残念です。という訳で二軒目へ移動。ここは名前がXX絵の具という所でして、画材としてのフレームなんかは売ってないかもと思っていたら悪い予感は当たりました。瀬戸という場所柄を反映してか焼き物用の絵の具が豊富に揃っているお店だったのですが、目的が違うためにここは刷毛を一本買っただけで失礼させていただきました。ただし、親切な御主人がフレームを買うならここなら良いのがあるかもと言って教えてくださったのがトヨタ画材店

そこで、そこへ向かってみると御主人のお言葉通りそういうフレームも含めてきちんと売っておりました!更に次女としてはキャンバスのロールを買ってそれを切りながらフレームに貼り付けて絵を描いてフィニッシュさせてはそれをまた剥いで次のを貼り付けて次の絵を制作するのだそうです。

油絵のことを私は全く知らないのですが、次女によればキャンバス地のようなロールも本当に色々あってそこに下地のようにジェッソという石膏のようなものを塗りつけてその上にアクリルを塗って更に油絵を描くのだそうです。ジェッソというのは恐らく私がアメリカの家で壁塗りなどをした時に使ったプライマーのようなものなんでしょうね。

とりあえずF50と言うサイズのフレームを4000円台で購入してキャンバス地はAD145の10mサイズのものを使うことにするようですが、今日は未だキャンバスまでは購入しませんでした。

価格も良心的だし、お店の御主人も娘のよくわからない日本語での説明を根気よく聞いてくださって良い感じでした。ネットと比較しても全然高くないし、会員価格だと更に割引。ここで良いよね!と言う感じのお店でした。

後は我が家のフレッシュマンが絵を描くのを私達で裏から支えるだけでしょうか。どんな作品がうまれてくるのか楽しみです。


2022年5月26日木曜日

若手の不満

今日は夕方から若手の病院職員と差しで飲みに行きました。

昨日の夜突然ある課の若手から当然ラインでコールが入りました。「先生、明日飲みに連れて行ってください!」とのこと。話の感じが何となく切迫した感じでしたので、何となく仕事の中の大きな不満、もしかしたら仕事を辞めるような選択も入った話なのかなと思っていたのですが、とりあえず一も二も無くO.K.の返事をしました。

そこで今日は藤が丘駅の周りのお店を選ばせてもらって予約。嫁さんが言うところの「帰りがけにちょっと一杯って感じで入ると良いんじゃないの?」と珍しく嫁さんに勧められたお店を選んで入っていきました。店の名前は「も作」といいますが入ってみると良い雰囲気の店。

5:30に藤が丘駅の時計台の下で待ち合わせ、中に入って生ビールを注文し始めて30分も経たないうちに、話の内容は今のままだったら仕事を辞めるかもしれないというような話になりました。結局最初に予想した通りです。

しかし、私にとって更に大事だったのは彼が病院をどう見ているのかということや、その課全体にとって病院の全体はどう見えているのかと言うような情報。結局はいつもは発言をしないような、そして発言をしたところで病院全体からは相手にもされないような若手は病院の経営陣の上部をどういう視点でどう見ているのかというのが手に取るよう判りました。

彼の口から出てくる正直かつ素直な病院に対する不満や印象は本当に私自身にとっても驚きや納得に満ちた提言の数々を含んでいました。漫然と歳を取ったから賢くなる訳ではなく、いつも問題意識を持って考え続けることの大切さをこの若手から今日の夜は学びました。彼と飲みながら話して聞いた種々の新たな情報は殆どが「新鮮」な視点に基づいたもので、頭の中では「なるほどね~」と思うものばかりでした。

しかし、その後に改めて考え直したのは、果たして我々年長の者、あるいは経営陣の中枢に近い者は果たしてより良い未来へ向けたビジョンを持って日々の仕事をしているのかという疑問です。

発言権が無い、若しくは無視されがちな若手の中には全体の細かな「歴史的内部事情」などとは無縁の「理屈通りに正しいこと」を正直に堂々と言ってくれることが大変貴重。酒も入れば益々忖度など全くなしです。

このコロナ禍の中久しぶりに持てた若手との貴重な時間。全額を持つ意味のある貴重な5時間でした。また、近々話を聞こうと思います。彼の職場への愛とそれ故に見えてくる「良いところ、悪いところ」の視点は貴重な参考意見でした。


2022年5月25日水曜日

お嬢ちゃん騙されてない?

医者というのは中途半端にお金を持っていると「勘違い」されている職種です。

騙そうと言う側にとって病院を歩くカモと言えば基本的に医師と看護師です。医師の方は私が知っている一昔前はそれはそれは酷いもので、当直中の医師に対して不動産投資などを持ちかける業者からの電話が病院の電話に本当にガンガン入ってくるような頃もありました。

まあ、基本的によっぽどの馬鹿でもない限りはこの手の電話は即切りか、いじるだけいじって、弄んだ挙げ句、相手を激怒させてブチッと切らせる程の暇な時間を過ごした時もありましたし、こちらの方から相手の理屈を一つ一つネチネチと計算と具体例を上げながら論破していくと、向こうの方も「買う気もないのに騙そうとした相手に逆に遊ばれている」ということにかなりの時間が経過した後にやっと気づいて、滅茶苦茶に話を端折って気もそぞろ状態で電話を切ってくることもあります。w

まあ、何れにしてもこんな業者から掛かってきたしょうもない電話を医師に繋ぐ事務員や当直の人間が一番愚かなわけですが、繋ぐのは大体において「仕事のできない残念な職員」が多いのは当院医師なら誰もが知っている事実です。

そもそもが「今日の当直の先生どなたでしょう」とか言って聞いてくる本物の単刀直入な馬鹿業者もいれば、例えば「田中先生、御当直中でしょうか?」等と適当に振ってきて、冴えない職員が「いえ、本日は鈴木先生ですけれども」等と答えると「あ、そうでした。鈴木先生でした」という風に切り返してきたあとに「お繋ぎいただけますか?」と言って来るのが多いのだそうです。もちろん普通の職員であれば、「どちら様でしょうか?どういったご要件でしょうか?」というようなふうに聞き返していってそこで殆どの「業者」は門前払いになるわけですが、業者が手練れかつ事務員がアホと言う組み合わせの時には稀に繋がってしまうのです。

そういう時は応対した事務員が事務長から後から強く叱責されているようですが…。それでも、殆どの普通の職員はこの手の電話は軽く蹴り飛ばしてくれますので、我々が割りを食うことは普通まず有り得ませんが。

しかし、病院にはもう一つの騙されやすい集団があります。それは看護師さん達。比較的若い頃からコツコツと貯金をされたりしていて、マンションを買えるくらいのお金を持っている人は意外と多いのです。そういった内情を知っている悪徳業者がこの人達をカモとして騙しにかかることがあるのです。

先日もファイナンシャル・プランナーの資格を持っている「別の看護師」の話に熱くなった若い看護師さんが投資関連の「無料」セミナーとか言うものに週末に行くとか言っていました。そもそも論で彼女に私は言いました。「ファイナンシャル・プランナーっていう人種がそもそも投資や経済の先を見る目があったらみんな大金持ちやろ?でも、殆んどのファイナンシャル・プランナーはそうじゃなくって、精々がところ小金持ちじゃろ?セミナーで変な買い物を勧められるようなものだったら先ず買い物とかするなよ~」と釘を差しはしたのですが、果たして信じてくれたのか…。

「タダより高いものはなし」とは言いますが、大損をこくことで学ぶことにならないように祈るばかりです。


2022年5月24日火曜日

戦術で勝って戦略で負ける

やばい発言を堂々と言うのはさすがに国のために命をかける軍人らしい行いです。

私は正直今回のロシアの「全ロシア将校の会」のレオニード・イワショフ退役大将の発言はまさに己の命などどうでもいいという、当にロシアの長期的な国益に沿った世界観をもつ正しい地政学的解釈をロシア人側が見せるとどういうものになるのかというのをまざまざと見せつけられました。ロシア人の最後の良心の吐露ですね。

その全文はまさにロシアの良心そのものだと思いますので、リンクが消される前に以下に貼り付けて自分用に記録しておこうと思います。ANNの元モスクワ支局長・武隈喜一死の手になる翻訳整理版です。

 ◆ 歴史上「経験したことのない」危機的状況 

 軍事行動というものは、個々の戦闘を組み立てる「戦術」の面では、現場の部隊が見事な働きをして成功を収めることもありうる。 しかし、上層部で大局的な「戦略」を立てる時、間違った決定が下されると、どんなに現場が奮闘しようが、作戦は失敗し兵士の勇敢な戦いも無に帰してしまう。 戦争全体の勝利を最終目標とした正しい戦略が用いられれば、部隊が戦闘で負けても、全体として破局的な敗北に至ることはない。 英米や中国では、そうした「戦略」の研究が行われているのだが、ロシアの上層部ではおろそかにされている。 大局的な戦略というものは、対立する他国との関係のなかで自国の最大限の利害を探る「地政学」的に、どんな結果をもたらすかを精査したうえで決定されなければならないのだが、ロシア軍ではその研究が行われていない。スペシャリストはいるが、軍に登用されることはない。 今回の特別軍事作戦では、初期の段階で戦略的な間違いがあったため、兵士はよく戦っているが、作戦は滞っている。ウクライナ領土のいくばくかは獲得できるかもしれないが、地政学的にはすでに敗北を喫した。 われわれが直面しているのは、ロシアの歴史上、これまで経験したことのない危機的な状況なのだ。 

 ◆ 欧米の長年の“夢”を実現させてしまった「特別軍事作戦」 

 地政学的に間違った選択をすると、戦略も間違えることになり失敗する。そうなると現場でのせっかくの成果もゼロになる。これが戦争の本質だ。 アメリカや欧州各国は、NATOの元で団結し、「ひとつの拳」となってロシアを叩きのめすことを長い間、望んでいた。EUもロシアの石炭産業を締め出したかったのだが、結局今回、貿易そのものを止めることになった。 以前アメリカは、ドイツとそれに続いていくつかの国がロシアと軍事協力体制を組むことを何よりも恐れていた。 私が現役だった1990年代、ユーゴ空爆の1998年までは、ロシア軍とドイツ軍との間には62の合同イベントがあり、合同軍事演習も行われ、軍事装備の協力もあった。米軍との合同イベントは8つだけだった。 アメリカの軍人は私に不平を言ったが、「ロシアとドイツは地理的にも近く、合同イベントは対テロ対策で必要だ。アメリカは遠い」と言い返したものだ。ドイツのコール首相やシュレーダー首相の頃、アメリカは気が気でなかったはずだ。 それがいまやアメリカと欧州の対立は解消され、アメリカは自らの原理原則のもとに、経済制裁だけでなく、反ロシア、ウクライナ支持という旗の下に、すべての欧州の国々を結集させてしまった。 アメリカがやりたかったことは、19世紀のドイツ帝国宰相ビスマルクが望んだように、ウクライナをロシアから切り離しさえすれば、ロシアに勝てる、ということだった。 1948年8月にアメリカの安全保障会議がまとめた「米国の対ソ戦略」の中で、軍事戦略とならんで中央アジアやコーカサス、バルト3国に対する対応が書かれているが、ウクライナについては特に重点が置かれている。 そこには、ウクライナ人とロシア人を分けることは困難だ、彼らは一つの民族である、それゆえに亀裂を作り出す必要がある、さらにこの亀裂を政治的対立や軍事紛争にまで拡大する必要がある――と書かれていた。 まさに今、このアメリカの思惑が実現している。 ブレジンスキー(アメリカの政治学者、元大統領補佐官)が言っていたように、「ロシアはウクライナがあって初めて世界の大国であり、ウクライナを欠いたロシアはただのアジアの一国家にすぎない」のだ。 英米両国にとっては、中央アジアもコーカサスもロシアからもぎ離し、ロシアを孤立させる、というのが19世紀末以来の構想だった。 こうした長年の夢を今回の「特別軍事作戦」は実現させてしまった。

 ◆スターリンの時代にもなかった「歴史的孤立」 

 たとえキエフ(キーウ)を奪取しても、われわれは世界で孤立している。 国連で誰がロシアに賛成票を投じてくれるというのか。中国さえ棄権している。CIS諸国(旧ソ連の国々)も、反ロシアの経済制裁に加わっていくだろう。残るのはベラルーシだけだ。 ロシアがこんなに孤立したことはなかった。 スターリンが第二次大戦直前にやったことを思い返してみればわかる。 戦争の匂いをかぎ取ったスターリンは、英米というアングロサクソンの大国をさえソ連の側に引き寄せた。 日本との関係には問題があった。しかし1941年春、日本の外務大臣(松岡洋右)がモスクワを訪問した時、スターリンは自ら4度も会い、出発の際には、未曾有なことだが、スターリンが駅頭で見送ったのだ。外務大臣をスターリン自身が見送りにきた唯一の例だ。そして日本と中立条約を結んだ。 つまり東と西で安全保障環境を整えたわけだ。 1941年6月、ナチスドイツが電撃作戦を開始した当初は困難な立場に置かれたが、スターリンは英米がソ連支持を表明することを確信していた。日本も動かなかった。その間、ソ連は日本に対する軍備を整え、蒋介石の国民党にも中国共産党にも援助をして日本をがんじがらめにした。 ところが現在、われわれは裸のままだ。 

 ◆ロシアは情報戦争でも「完全に敗北した」 

 われわれは何をすべきだろうか。どんな戦争でも勝利するのは知性だ。 ハリコフを取ろうが、たとえ沿ドニエストル地方を奪って戦闘に勝利しようが、対立する他国との関係のなかで自国の最大の利害を探るという「地政学的な」戦争では敗北した。 現代の世界には不正や暴力があふれているが、しかしロシアはこのひどい世界の中でも最悪の状態に置かれることになるだろう。 この70年でロシアは、特に技術と社会状態は最悪の状態に落ちる。1937年の大粛清のような抑圧がある。「勝利勝利!」と叫ばされ、「戦争反対」と言っただけで投獄されるような法律はスターリンの時代にもニコライ二世の時代にもなかった。 大統領は知恵と経験のある者たちを集めて虚心に意見を聞くべきだ。 地政学的な俯瞰図を描き、民衆の心理を示し、社会の極端な階層化、矛盾について論じる必要がある。経済の状況と見通し、安全保障の現状などの客観的分析が必要だ。 そして第二に、この状況からどう脱出するかという具体的プランを立てることだ。 いろいろな意見が出るだろう。その中から指導者がプランを決め、そのプランに基づいてプロフェッショナルを集める。ふんぞりかえって大声を出すだけで何の役にも立たない者ではなく、役に立つ専門家を集めて、世界におけるロシアの位置を話し合う。 ロシア大統領に電話しようという指導者がこの世界のどこにもいない状況だ。大統領は謝罪し、処罰すべき者を罷免し、政府のトップには「特別軍事作戦」に反対する者を据えることだ。 大統領も詫びるのだ。 いま世界中の国でロシア人は大変困難な立場に置かれている。ロシア語を話しただけでいじめられたり殴られたりしている。 われわれは情報戦争に完全に負けたのだ。 ウクライナではロシア軍は花束を持って歓迎されるとか、儀礼用の軍服をした兵が出迎えてくれる、などという誤った情報が上層部まで届いていたのだから。ロシアの戦車は最強だなどと言って敵を侮って過小評価するのは最悪だ。 

 ◆ ショイグ国防相は軍事の素人…「プロが必要だ」 

 ウクライナ軍はこの20年、ことに2014年以降、プロの軍人に率いられてきた。国防相が文官の場合でも、参謀総長にはすぐれた将軍が抜擢されてきた。 ロシアではこの20年間プロの国防相は一人もいない。 欧米諸国では国防相に文民が就いているというが、西側とロシアとではまったく事情が異なる。西欧諸国では選挙で勝った与党から国防相が出ることが多いが、これはシビリアンコントロールで、軍機構の再編や国防予算の獲得などに奔走する。 だがロシアでは国防相は最高司令官だ。軍の戦闘準備態勢も決める。素人がその職について、自己PRとしか思えない演習実施を命令するような国はロシアくらいだ。 ショイグ国防相は軍事には素人だ。国防第一次官のルスラン・ツァリコフも軍務の素人なのに階級は将軍だ。 しかも参謀総長には一流とはほど遠い軍人がついている(2012年からワレリー・ゲラシモフ)。アメリカの統合参謀本部議長は実質的な軍のトップだ。しかし現在のロシアは参謀本部もプロを遠さげている。 いまロシアにはプロフェッショナリズムが必要なのだ。最高の愛国主義者は、テレビでプーチンの腰巾着ぶりを見せる者ではなく、プロの軍人だ。軍人と言う職業を愛し、民衆を思う者こそが最高の愛国者だ。 今日ロシアに必要なのはそういう人間だ。」

もうこれ以上書くことがなにかあるでしょうか?現政権のほぼ全てと現在の将軍達をバカプーチンとまとめてナマス切りです。退役軍人の団体を敵に回したプーチンに未来などあるわけがありません。所詮プーチンなんて戦争のど素人であるKGBの小物。戦術で勝っても戦略では大敗です。(以前までと違い、今回の侵略では戦略でも勝ちは無さそうですが!)策士策におぼれるとはこの事です。w

解っている人は解っている。それだけです。この人が「不慮の事故」や「自殺」と言う呼び名の死亡とならないことを切に祈るものです。プーチン亡き後にはこの人の事はWikipediaや戦争博物館に永遠に記録として残ることでしょう。偽物と本物のは命を賭けた場面でこそギラギラに輝く差となるものですね。


2022年5月23日月曜日

プライドと実力

何でこんなに差があるのか、と考えてしまいます。

4月から入職してきた正看護師の女性達に中国人の子達が入っています。何というか基本的には賢い子達なんだと思います。というのも、そもそも中国でも看護師さんの資格を持っている子もいて、更に日本という外国に来て外国語で看護師の試験を突破するのですからそれなりに能力があることは既に保証済みなんですが、これが一筋縄ではいかない。

看護師さんとしての評価は全く別の視点から見ないといけません。それは看護師さんというのが必然的にマルチ・タスクを要求される仕事であって、病に悩む患者さんに対する対応や同僚とのコミュニケーションを通じて「業務を廻す」必要があるからです。

ですから「座学」としての看護学が出来たとしても「実務」が出来なければ正直なところ残念な人にしかならないわけで、むしろ現場としてはその様な人は要らない人、残念な人になるわけです。しかし、一度雇った病院側はそんな事では簡単に教育を諦めたりはしません。

手を変え品を変え、人を変えて病棟を変えて「どうにかしてその人が使える場所、その人がより効率的に働ける場所」を探し続けて教育も続けます。

しかし、しかし。ここまでやってもやっぱり「使えない」看護師さんが居るんです。残念ですが。今回の中国人看護師さん達の中の一人にもそうなってしまいそうな感じの女の子が一人います。何故だか知らないんですが、この子と同期で入って来た他の女の子達がこの女の子を「忌避」しているのです。食事時も席は一緒ではないし、何故か中国人同士の助け合いの輪の中に入っていないのです。

他の日本人看護師さん達に聞いてみると、どうやら教えてくれる側の日本人にも「教える時に意地悪です」とか「ハイ出来ます」と言う割にはほぼ何も出来ないとの事。周りの中国人の女の子達によれば「座学の成績」は一番出来るのだそうですが・・・。

結局その事が彼女のプライド形成に大きく影響を与えているようなんですが、かえってその肥大化したプライドが新たな学びのチャンスを奪っているようなのです。残念な話です。きっと素直に学べばきちんと優秀出来るだけの知的な素地を持っているのに実務と対人関係が築けないという事態を生んでいます。

このままでは自分が下に見ている同僚の中国の友達にずっと先にまで行かれてしまいそうな事態が発生しそうなのですが、看護師さん達の育成に関してはあまり医師側からは口を出す事も出来ず、ある程度距離を置いて見つめることしか出来ません。

高いプライドを内に秘めるのならまだしも、学ぶにあたって人から教わる素直さ、謙虚さが無いというのは人生において大きな損なのだとこの子を見て逆に再確認させられるオジサンなのでした。

何とかしてあげたいと思う毎日です。

 

2022年5月22日日曜日

次女を成田に迎えに行って六本木で悲惨な目に遭いましたw

まさかこんな目に遭うとは。

当直明けに帰国してくる次女の為に成田まで行くことになっておりましたが、名古屋出発は10時少し前。車は順調に流れて途中少し早過ぎると思って時間調整とトイレ休憩のつもりで横浜の港北で一回、千葉の酒々井のSAで休憩。ポケモンを捕まえながらの移動でした。w

今回帰国する便は本来はAir Canadaだった筈なのですが、次女の帰国2日前になっていきなり「乗客数が十分集まらない」等という意味不明の理由でUnited Airlinesの方に便が振り替えられて(恐らく集約されて)、UA79で帰ってきました。しかし、この便自体もほぼ30分遅れて到着。

しかしここからが長かった!FAST TRACKのハズがまったくFASTでは無かったのです。PCRの検査のためのquarantineエリアに入ってからほぼ2時間微動だにせず。娘とテキストを交わすと「They said 5428 just now but my number is 5507」などという感じ。PCRの速度も感覚的に解っていますから恐らく時間かかるだろうなと思っていたので覚悟はしていたのですが、まさか2時間とは。orz

こうやって皆待たされております
結局ポケモンを捕まえたりしながら時間を潰し、外の少し肌寒い中で待ったりしていたのですが、その間にバスに荷物を積ませてもらえない韓国人とバス会社の人の間の争いが繰り広げられたりしていました。韓国人らしい人は日本語も上手なのですが、韓国語で奥さんと話して起こっている時に「XXXXチョッパリXXX」等と私でも解る悪口で怒っておりました。まあ、小さな二人の子連れ状態で帰国してきた(恐らく長期赴任先の)日本で、疲れている時に荷物を積ませてもらえない事で感情が爆発したんでしょうね。無理もありません。w

ちなみに最新の情報では日本も6/1からは先進国等の低感染国からの入国者はこういったPCR検査無しで入国できるとのこと。ハヨしろ!

さて、最終的に出てきた次女は比較的元気だったのですが、移動し始めてすぐに腹が減って死にそうであることを私に訴え「寿司、寿司、寿司」と煩く言ってきました。とは言え高速に乗ってすぐに帰ったほうが良いと思っていた私は構わず高速に乗ってすぐに東京通過を目指しました。

ところがところが!港区辺りまでやって来た時にいきなり高速の先の方にX印が登場。「なんやこれ、事故でも起きたんか?」と言う感じの初めて見るマークがナビのマップ上に登場。しばらくすると高速は動きがピッタリ止まってしまいました。その直後にナビが「道路事情により経路を変更いたしました。」等と、初めて聞くようなセリフを吐きましたので、その先を見てみると六本木の一般道へ指示を変えていました。仕方なくそれに従うと、今度は六本木の一般道には警官がウジャウジャと出ていて鉄策を持って道を塞いだり開けたり。

なんじゃこれは???と思っていて思い出しました。今日はもしかしたらバイデン来日の日!?ということを。そしてその嫌な予感は的中。GPSの予測帰宅時間はどんどんと遅くなっていきました。50分ほど余計にスタックした後にやっと動き出し再度高速に乗れましたが、次女は空腹でもう動きませんし喋りもしません。子供と一緒です。まさか天下の六本木でよりによってバイデン渋滞とか勘弁してくれと言う感じでしたが、こればかりは仕方ありません。

そういう訳で海老名のSAまで行って寿司屋を探しますがありません。そこでちょっとだけお土産を買い込んだ後、海老名周辺のスシローを探しましたが、ネット検索しても最短で70分待ち。そこでくら寿司をさがしたら、2キロちょっとのところにありました。そこに向かって車を停めて店に入ると次女の顔に生気が戻りました。ここで一つ次女らしいバカな失敗話。入った時に発券された席の案内券。「6番と書いてある」と次女が見せてくれた後、席に座ってオーダーをずいぶんした後に手元のチケットを何気なく見てみると「9番」と書いてありました。要するに逆向きに読んで間違った席に座ってしまったのでした。慌ててお店の人を読んで対応していただいて事なきを得ましたが、なんとも「いかにも」次女らしいお話でした。

腹を幸せにして車の横で次女はすぐに爆睡。いびきをたてて寝ていました。私は頑張って帰りも眠気を振り払いつつ名古屋へ直帰。第二東名は120キロ制限という現実的な速度制限ですので、みんなバンバン飛ばしておりましたが私もその流れに乗って快適に帰投。

11時前には帰り着いて荷物を降ろし、次女の久々の帰国に嫁さんの顔も綻びました。犬も激しくしっぽを振って大歓迎。直ぐにシャワーを浴びてお土産を広げて楽しそうに母親と会話をしておりました。無事の到着で何よりでした。ああ疲れた。

さて、最後に写真を一枚。どうやらゼロ・コロナの国から飛んできた中国語を喋る女性。いくらなんでも・・・と思ったのですが、中国的にはこれがあるべき姿なのでしょうね。笑いを堪えて写真を一枚何気なく撮りました。

テレビでよく見る「あの国」の格好です。


2022年5月21日土曜日

ゼロ・コロナとか出来る訳がない

お隣の大小2つの赤い国、完全に防疫に失敗してます。(K国も御自慢のK防疫破綻してますけど、ムンさんの脳内では世界に誇るものようです。w)

防疫の上で、あの赤い国々の一番上の方はそれぞれコロナを完全に水際で止め、もし入ってきても完全隔離を次々に拡大実施してコロナ自体を無きものにしようと画策すること二年と少し。他の国々が科学の力とwith coronaで次々に克服していく状況を見せ始めているのとは全く正反対に向いていますが、今これを逆向きに向けると己の、ひいては社会主義の大失敗を認めることになりますので、今更止めますとはいえません。

コロナ感染云々とは言ってもデルタ型の頃までの恐るべき病原性がかなりのレベルで緩んできて、いま先進国ではマスクを無くす議論まで普通にされていますし、同調圧力というよりも皆がきちんとルールを守るという意味では高度なレベルの日本でさえも時と場所を選んでマスクを外そうという話になっているのが現状です。

赤い大きなほうの国では強制隔離によって死人が出ている事は既に一人や二人ではありません。そもそも、自分の意志に反して(コロナに罹っていようがいまいが)お上の鶴の一声で強制的に移転させられて、隔離させられるなどという様な事が21世紀の文明国家に存在して良い訳がありません。要するにやはり中国というのは文明国家ではないということですわな。

お上に科学的思考力が無いことは明白で、今年のミーティングで己のミスを指摘されれば下手をすると国家主席の座を蹴落とされかねない深刻なミスですから、今はぎゅうぎゅうに箍を締めあげておくことで「何とかしろ!」と地方の責任者にその全責任をなすりつけているような状況ですから、地方官吏も仕事も責任も押し付けられて恨み骨髄でしょう。

そして小さい方の赤い国も将軍様が国家の上級責任者たちの雁首を揃えさせた席でしつこく叱責。アレが無い、コレが無いと言われて小さく萎んでいましたが、そもそも無償提供予定のワクチンを輸入拒否したのは将軍様なんですけど・・・。まあ、諸官吏の皆様は将軍様には頭が上がりませんので仕方ありません。w

あんな国に生まれなくて本当に良かったです。


2022年5月20日金曜日

家の中で妙な緊張感を覚える・・・

今日は嫁さんとこういう事で意見が一致することもあるんだな~と思わず笑ってしまいました。

少し前からこのブログでも書いていた「次女の一時帰国」がいよいよ日曜に迫ってきました。本当に帰ってくると解っていても、気持ちの何処かで「またいろいろあるな~、は~」というのもあるのです。

キャラが自分と大きく被るので、いろいろな場面で次に何をするのかどう動くのかというのが何となく事前にわかってしまうのです。基本はズボラで、表にはあまり出さないけれど好き嫌いが激しく、好きな事ばかりやりたがる・・・私の嫁さんは私を夫として、そして次女を母としていつも見ている訳なんですが、いつも口にするのは「あんたら本当にソックリやわ!」という呆れ顔で放たれる言葉。

ですから、私は次女が次々にアイデアを変更しながら自分に都合の良いことを言い出す度にそういう方向性でアプローチして来るのが薄々解るだけに「またか」と言う感じ。嫁さんが恐らく私に同じ感覚を抱いているんだろうなと感じつつ黙っていました。ところが、昨日の夜、思わず嫁さんに「あいつが帰ってくると思うとまたいろいろあるかと思ってしまって嬉しいのと疲れるのが綯い交ぜだわ」みたいなことを呟いたところ、即座に「私もそうなんよ~」と強い同意。まさにお前もか!状態でこの短いシンクロに二人で力無く笑ってしまいました。

明日は次女のリクエストに従って成田空港まで次女をピックアップしに行かないといけません。名古屋から出発して単純に行くだけでまず5時間。そしてピックアップ後に何処にも寄らずに名古屋へ帰ってきたとしてもやはり5時間。途中の諸々の食事休憩やトイレのことを考えると、ピックアップだけでまるっきり半日をキッチリ使う訳で、絶対に疲れますね。

それでも次女と出会うことはやっぱり非常に嬉しいですな~。親バカです。


2022年5月19日木曜日

こんなやつでも入学出来る慶應経済とはw

ほんとに昔から日本の私立文系と言うのは「死人量産所」という意識があります。

一体全体これからの日本をどうしたいのかというビジョンの全くない人がその空っぽの見識で日本の企業で「今までは」トップに君臨してきました。理系が経営に良いとも全く思わないんですが、私は基本的に高校数学レベルの理屈が理解できない人は大企業のトップに就任したり、討論において理屈の積み重ねが必要な仕事に就くのはやめたほうが良いと思っています。

理由は簡単で「向いていないから」です。w

求められた仕事を遂行する上で数理哲学的な思考を要する分野に身を置こうと思えば高校数学の理解が出来ないようではその先の進歩は望めません。基礎医学をしようと思ってもやはりモルを使った計算や分子量、統計を使った「らしく見える」インチキデータに騙されないための統計学的な知識やデータ解析の論法などは必須です。それはアメリカなどの先進国では当然のこと。

では翻って日本はどうかというと、もちろん文系から出てきた人間であっても非常に数字に明るく、大変明晰な理屈を展開する人物も沢山おられますが、少なくとも「我々の世代」の知る私立文系を選んだ学生の多くは数学や理数系の他の選択科目がダメで理系から逃げていった生徒の集まる世界でした。

国公立では文系の数学理科の傾斜配点が弱められるとは言え、それでも理数の「学び」は共通一次で必要で、逆に数学の出来不出来が文系の合否を決めるような世界がありましたので、物理や化学は避けられても少なくとも「数学」からは逃げられませんでした。という訳で国公立の文系は否が応でもある程度は数学も解る人達。

科学の女王が数学であることはガウスの言った通りで、これを深く理解する人々にとっては世界は別のものに見えるわけです。(私は別のものに見えない残念な側の人間ですが。w)

さて、最近はfintech大流行ですが経済学部の皆さんはどれほど数学ができるのでしょうか。実際にアメリカの大学のfintechを教えるHPを見てみると相当高級な応用数学がバンバン使われていて各種の複雑な関数の組み合わせが理解できないようでは絶対に卒業は出来ないだろうことは容易に理解できるレベル。

ところがニュースになっている慶應経済卒の衆議院議員・藤巻某議員は「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」と思っておられるようです。そもそも経済の循環は高度な三角関数の遥か先の数学の応用の延長線上にある世界のお話でしか語れない筈なんですが。

コレステロール高そう
これだから慶應は閥を作った人間の馴れ合いの世界と言われるんじゃないんでしょうかね。福沢諭吉も罪なシステムを作ったもんです。(少なくとも慶應経済の卒業生がこの議員の底の浅い恥ずかしい発言を苦々しく思っていることを願うばかりです。)日本の沈没が加速するのであれば、こういったバカが学歴の皮を被って日本のシステムの上位組織で闊歩する時。そして、今まさにそれが日本中で起きているような気がします。考えたくないのですが、今の日本の沈みゆく大企業はこの手の人間の学閥で蹂躙されているんではないでしょうかと外野の私は思うんですが。まあ、今こそ日本人は太宰の斜陽を読み直すときなのかも知れません。

そうでないことを願うばかりです。


2022年5月18日水曜日

勤務先病院のデジタル化は全てが遅い

院内のデジタル化の遅れは死を意味すると前から言っているのになかなか進みません。

私などは院長から嫌われようがどう思われようが、いつもこれが最善と思った「言いたい事」を必ず目の前で話すだけの人ですから。どうしても理事長と二人きりになる度に「電カルの病棟導入が何故、進まないのですか?」としつこく聞きます。w

バツが悪そうに話す事はシンプルで、年配の看護師さん達が電子カルテを使えないことで病院を辞めてしまうかも知れないから・・・と言われるのです。

私は他の病院、特に大学病院などで電子カルテ導入に伴って何が起きたかというお話を他のいろいろな施設の方々から伺っているのですが、大まかに言うと「電カル使えない人はシステムから排除され淘汰されていく」のです。長い間の電カル導入に伴う教室のようなものが開かれる上に、懇切丁寧にいろいろなことをデジタル音痴の年寄の方々に「も」教えていくのですが、そもそもマウスを握ったことのないようなアナログ人間も沢山おりますので、ストレスに耐えきれなくなったり理解できない人々は次の年度を待たずに辞めていくのだそうです。

しかし、私からするとそれこそが病院職員の「若返り」そのもので、デジタルの波に乗れる人達だけが病院に残るのです。歳を取っていても関係ありません。波に乗れればそれでいいだけの話。何歳になろうと勉強をすればよいだけの話。そもそも、その程度のことで業務につけないような人間がいつもの看護現場でも看護の勉強という名の精進をして居る訳がありませんから。そんな人は恐らく経験だけに則った錆びついた知識を偉そうに後輩に強制したりしているのでしょう。

電子カルテ使用による使用者側のメリットは数え上げると限りがありません。少なくとも私にとっては何処にいてもアップデートした情報(画像とその所見・検査データ・他の病院とのやり取りデータ・各種看護師さん達の記録)が手に入るのですから、一昔前であれば夢のような世界です。

ついてこれない年寄りが辞めるから、初期投資がかかるから…もうこういう言い訳を聞くのは本当に飽きました。世の中は物理的に移動しなくてもいろいろ出来るようになり、迅速に診断と次の治療へのステップが踏める時代です。

そもそも、デジタルのカルテしか知らない世代が増えてきているのにもう紙カルテとか人を退ける要因でしか無いと思うんでうけど、こういう事が理解できないようではもう先がやばいと感じています。

病院の次の世代の理事長や院長がその重要性を理解してくれることを心の底から祈るのでした。


2022年5月17日火曜日

長女の誕生日

ついに長女の28歳の誕生日がやってまいりました。

何と遠くまでやって来たことでしょう。健康に育ってちゃんとアメリカで自立した生活をしてくれています。これ以上に親孝行なことがあるでしょうかというのが私の親としての正直な感想です。

まずは健康、次に健康、そして職業を持って自立してくれること。そこが全ての起点だと思っていますので、大変に幸せな気持ちです。誕生日を迎えた日の深夜12時の日付の変わった瞬間に準備していた文章を間髪入れずにバスっと送りました。

28といえば私自身が父親になった歳ですから何となく娘に言いづらいとはいえ「良い配偶者を見つけて結婚して幸せになってくれんかな」等というクラシカルで普遍的な親としての願望を持ってしまうのですが、それは表に出さない様にしております。w

街中で小さなサイズの子供服を見ると半分本気で、そして半分冗談で「もう一揃い季節の服と合わせて男女全セット買っとくか?」等とお爺ちゃんやる気満タン・モードで待ち構えていることを嫁さんの横で呟くのですが、既に「お父さん孫に激アマになりそうで怖いわ~」等と言われております。

しかし長女自身は今当に人生の伸び盛り期。仕事は自分の人生の10%等と超生意気な事を言っている割にはその仕事を大変にエンジョイしているようで、先日も自分の会社のCTOと親しげに話しているチャットのコピーの一部を送ってきたのですが、「何でお前そんなでかい組織のCTOと親しげに話しとるん?おかしくないか。」と言葉を返したところ、今の仕事はSVP(Senior Vice President)の直属での仕事らしいので、そう言った人物と普通に遣り取りしているのだそうです。未だ2ヶ月しか経ってないのに大丈夫かよ?

そしてその後、「お父さんこれ買って良い?」という毎年お決まりの誕生プレゼント自分買いの選択肢が送られてきました。一つはNikeの1977年のBlazerの復刻版ハイカットシューズ。そして2つ目は同じくNikeのVioletのclub fleeceでした。

まあ、これらに関しては一も二もなくYes。子供達が元気で幸せにやって貰えればお父さんは他に何も要らないのです。本当に。


2022年5月16日月曜日

ロシアの確定的衰退

私にとってのロシアは西側とは相容れない価値観を持った、しかし変わったものが勢揃いの面白い国というものでした。

高級な基礎科学が発達し、サイエンスの分野では継続的に重要な成果(特に物理や数学)を国という確固たるイメージです。「金はないけど代わりに知性はある」という印象ですね。

ところが、政治が絡んだロシアという国は昔から本当にもうド最低を超えたクズの領域。昔から権謀術数が渦巻く蛇と蜥蜴とゴキブリの集合体。「ロシア人は」と言う括りは「日本人は」と言う括りと同じですべてが正しいとはとても言えませんが、政治が絡むとただのド最低であることは鉄板。今も昔も世界中に害悪を振り撒き続けています。本当に共産主義の残像は世界各国で数限りない悲劇を産み出し続けてきました。

残念ながら我が日本も「隣人は選べない」という昔からの言葉通りウクライナと同様国境をせしています。ロシアという現代の国家群において世界最大の面積を誇る国に接する国はなんと16。そのうち陸続きが14、海超えが日本とアメリカで合計16。しかも北方領土はドサクサに紛れて日ソ不可侵条約を一方的に破ったソ連に侵略され、未だに盗まれたままですからウクライナ侵略は時間を超えて再現されたソビエトによる犯罪なのです。

しかし、そのロシアも政治という意味では国はデカくても感覚は夜郎自大。特にその国家の経済規模に比して突出してでかい軍事出費は核兵器を除けば当に蟷螂の斧であることが世界にバレてしまいました。所詮、21世紀の西側の敵ではないのです。

現代の戦争は火薬の量だけでは決まらないことが今回、本当にはっきりと形に出てしまいました。優秀な兵器を作るには先進的な半導体製品が必要で、それが無いと製作は愚か修理さえも出来ないということ。結局、今回の侵略でこれからは「更に厳しく」輸出入への網が掛けられるはずですから、ロシアが大量の現代的兵器を手にすることはほぼ不可能になった訳です。本当に愚かな選択をしたものです。

今までは幻想の彼方で「ロシア軍は強く侮れない」と言われていたのに、蓋を開けてみれば「これ程までに!」と言うほど激弱。士気は低く、練度も低く、補給も弱く、作戦本部まで弱い。もちろん最高司令であるはずの糞プーチンに至ってはタダのKGBあがり。先その進め方など知りもしないただの元情報将校。ロシアの悲劇は国家のヘッドに充てがうべき器のサイズを間違えたこと。しかし覆水盆に返らず。これからは強がりを言う余裕もないほどにロシアは世界の中でのポジションを失っていくことでしょう。

優秀な人材は次から次へと西側へ出ていき、タダでさえ減り続けているロシアの人口を占めるのは、未来のないより多くの「残った」人材で構成されるのではないでしょうか。まさにこれは91年のソ連邦崩壊後と同じ構図。国家の未来を構成する優秀でアクティブな若者達に見捨てられるようでは国も成り立ちません。ただの資源大国としてそれが枯渇するまでのロシアなんでしょうね。国際機関でも追放された後はどうなるんでしょうか?

終わりの始まりのエンジンを始動させたプーチンの罪は数世紀にわたってロシアで語り続けられることでしょう。丁度、太平洋戦争での東條を始め、雁首揃えた陸軍三馬鹿のように

汚名は100年では消えますまい。今回の一件からどれほどもう一つの赤い国「中国」が教訓を引き出せるのか。プーさん以下、戦争を知らない高級官僚の皆様が愚かな想像はしないで欲しいものです。


2022年5月15日日曜日

食べ物の「老舗有名店」はうまいものを出し続けるのか

うなぎのお店に行ってきました。

所謂「知る人ぞ知る」と言うお店らしいのですが、われわれ非名古屋原人は知りませんでした。このお店、知り合いの御婦人から紹介いただいたお店で何と江戸時代末期から続くお店。名前は「木屋」と言うお店です。

九州から来た我々はひつまぶしで有名なところという感じでまさに観光客目線でしかお店を知らない訳で、あつた蓬莱軒やまるや、白河などを思い浮かべるわけですが、ネット上に確かに名前はあるもののそれらのお店を食べ尽くしている訳では「全く」ありません。

そこで、名古屋生まれの名古屋人で食への拘りがあり、あちらこちらのお店を食べ歩いているというこの御婦人にお話を伺ったところ「是非、一緒に食べに行きましょう!」という有り難いお誘いの言葉をいただきました。

お店は東区で名古屋市政博物館の目の前にあるのですが、ここは11時からオープンということで10時30分には嫁さんと店について入り口で御婦人の到着を待っておりました。それから一緒に中に入り、何故あつた蓬莱軒に今は行かないのかという話を伺うと、「昔は確かに美味しかったの!だけど忙しくなりすぎてからは味が明確に落ちちゃってね。それからは行かなくなったのよ。」とのお話でした。

今でもお店は大繁盛ですが・・・と言う話をしても、やはり「美味しさでは木屋に敵わないからここに来るの。」との明快な返答。それではということで早速「特選おひつまぶし」を注文いたしました。

実際に出されてきたひつまぶしはそもそもお客さんの注文が入ってから調理が始まるという地焼きでして、前もって下焼きして準備せず、更に殺す前には臭み抜きに井戸で泳がせるという具合。しかも焼くのは備長炭。出てきたうなぎは物凄く粘りがあってモチモチかつお櫃からはみ出さんばかりに盛り上がり、肝吸いが付いています。

これをゆっくりと三種類の食べ方で食べ最後には直接お櫃の残りをガブガブと食べさせてもらいました。何というかもう幸せホルモン出まくりでしたね。w この美味しさは癖になりそうです。4700円と正直安くはないのですが、味と原材料代と手間暇を考えればこれは出すべきお金と考えました。(もちろんたまにしか行けませんが~!)

また行きたいですね。それにしてもこの御婦人から教わった他の名古屋の美味しい店の一覧は綺羅星の如くあって、コノ隣のお店のうどんの山田屋も名前はうどん店なのに有名なのはカレーカツ丼とか、ある店は天ぷらやなのに美味いのはヒレカツとか。

名古屋はいろいろと食に関して謎の深いエリアです。

蛇足ですが、お店の中に橋本環奈ちゃんの色紙があることに嫁さんが気づいて「どこに座ったんだろう?」と呟いておりました。


2022年5月14日土曜日

給付金返還拒否のお兄さん「も」なんとなく気の毒

山口県の阿武隈町の件で世間はいろいろと盛り上がっているようです。

簡単に言えば役所の新人の給付金振込の担当者が463軒分の各々10万円をそれぞれ別々に振り込むべきところを、誤って一人の20代の兄ちゃんに一括して振り込んでしまったということ。それを「返してくれ」と言ったところ、返せないと言いながらその前後に金をちょっとずつ引き出して「返せない。罪は償う」と言った後に暫くしすったもんだした挙げ句にその身を隠してしまったという話。

恐らくも何も、今はかなりの確率で日本の何処かにじっと身を潜めているのでしょう。海外に高跳びしても日本に帰ってくる=「公金使い込み」で逮捕でしょうからね。なんか法律上は自分の口座に振り込まれた金は自分で何をしようが構わないとかいうような話なんですが、実際法的にはどうなんでしょうか。この手の振込み間違いの話は今回が初めてではないですし、今後もやらかす担当者必ず出てくるでしょうから、解決への方法論が一直線でないということは本当のところ法律のほうの不備と言う状況だと個人的には思います。

それにしても、この訴えられた若者、年齢が60代くらいなら未だなんとか解るんですが、まだ恐らくこれから60年ほど残っていると思われる長い人生を考えると「たかが」と言うとなんですけど、均等割として年に換算すると100万円にもならないような端金で、仕事を捨て、年金を捨て、実名を晒された上に犯罪者の烙印を押され、時間が経てば経つほど利子がついて積み上がっていく使い込んだ分と訴訟の費用とで二進も三進もいかなくなってくるのが周りの人間からは見えているんですけど、本人だけは目の前の金に目が眩んでしまっているという状態。

一番心配なのは盗っちゃった金を比較的短期間に使い込んだ果てに、お縄になったお兄さんを待っている訴訟と収監と罰金支払い若しくは自己破産の世界。報道を読んだところでは被疑者のお母さんは返しなさいと切々と説諭したそうですが、聞く耳は持たなかったようで。

今後お母さんというか、御実家の方に費用返還のベクトルが向かってもし持ち家なんかがあったらそんな家や土地を売り払わざるを得ないような自体が発生したりしないとも限りませんが、一体こういうインシデントってどうなるのか?訴訟自体は今後の判例をかためる上での大切な試金石になりそうです。

母ちゃんには電話とかこっそり入れてるんでしょうかね?しかし、間違っても金を使い込んだあとでも自死とかは選んではいけません。振込間違いをやらかした役所の新人も眠れない夜を過ごしていることとは思いますが、若い者同士で起こしたこの一件。何らかの形でお互いが時間をかけて解決することで解決してもらえればいいと思います。

本来、振込間違いさえ起きなければこの人自身にもこの一件を起こすチャンスさえなかったこと。言い換えれば「発生させられたインシデント」と言うようにも考えられます。眠れない人ばかりが増えることのないように何とか収まらんもんでしょうか。

しかし兄さん返さなあかんよ!?(後日談として、オンライン・カジノに全額注ぎ込んだという話なんですが、実際は仮想通貨などへの交換の可能性のほうが怪しいと思うんですけどね。徹底的に調査すべきでしょう。


2022年5月13日金曜日

ウクライナの反撃が止まらない

アゾフスタリで死闘を繰り広げるアゾフ大隊は今のウクライナのすべてを現しているように思えます。

潰しにかかっても全く怯まずに向かってくる敵ほど恐ろしいものはないと私は考えます。小さい敵であっても、殴られても、殴られても、何度でも立ち上がって来る時というのは攻撃する側にとっては「恐怖」そのものであって、そのような敵はなるべくならば出会いたくないものです。

たとえ勝ったと思っても、物凄く後味の悪い勝利ではないでしょうか。いわうる「勝った感じのしない」勝利という、勝ったと思われる側も深く疲れ果て打ちひしがれ、その残りの一生で何度もその戦闘がフラッシュバックしてくるような・・・。

大儀なき戦いを強いられるロシア兵が、ウクライナ兵の「家族を守る、人々を守る、土地を守る、祖国を守る」という最強の大義の下に戦う戦闘に勝てるわけがありません。最新・最強のものではないにしても、西側からポーランド経由で武器が染み透る血液のように流れ込み、ロシア周辺の現・親ロシア国家の国々で反ロシアもしくはロシアへの協力拒否という動きが出ている現状では先は見えているような気がします。

ロシアがウクライナ侵略を始めてやがて3ヶ月が過ぎようとしています。南オセチアでも大統領選でプーチンの傀儡が負け、政府系メディアでも政府の批判記事が大量にリークされ、ベラルーシも一切自国の兵士を派遣する意志は無さそうですし、ルカシェンコ自身もロシアが勝つことは無理筋だというような発言をかなり前にしています。武器を造りメンテナンスをするための部品が西側から一切入ってこないような現況で、一体今後のロシアはどうやって戦闘を継続しようというのでしょうか?

おまけにハルキウ(旧ハリコフ)もほぼロシア軍は完全撤退を覚悟した模様。こういった大きな都市での負け戦はロシア軍全体の「一層の」戦意の低下を確実に惹起することでしょうし、その逆の効果がウクライナ軍全体に勝利の雄叫びとして拡がると、全体の士気を否応なしに高めることでしょう。戦闘においてはその大小にかかわらず勢いは大事です。流れに乗った側はとんでもない間違いさえ侵さない限りは勝ってしまうものです。身近では剣道や球技でも良くあることですが。

さてクソ・プーチン。どうやら血液関連の悪性疾患にかかっているという話なのですが、これからどうなることやら。どうころんでも勝ちはない印象ですが、この夏までにどういう変化が起きているのか知りたいものです。この戦いの行方は恐らく中国の台湾侵攻の目論見を少なくとも短期的には大きく変えるものとなることは確実ですから、日本としてもウクライナには絶対に勝ってもらうしか選択肢は無いのです。

そういう意味では日本はもっと積極的な援助を行いたいと思えるのですが、法制上無理なんでしょうね。残念な状況です。


2022年5月12日木曜日

上島さんの死に衝撃

上島竜兵さんの自死を当日の朝一番の報道で知りました。

自分も嫁さんも只々驚き「えー」と絶句。実はつい最近再放送された出川の「充電させて貰えませんか」のダチョウ倶楽部の三人の一人として、出川と一緒に風呂に入っているシーン等を録画で視ていたのがほんの数日前だったので本当に絶句としか言いようがありません。

リアクション芸人としては上島、出川と言えば日本ではほぼトップの有名人達ですが、後輩思いで何時でも後輩達を飲みに連れて回って竜兵会の仲間として飯と酒を食べさせていたといいます。

私は思うんですけど、恐らく上島さんを自分の弟のように可愛がっていたという志村けんさんの突然の死が彼に与えた影響というのは計り知れないのではないかと。夜の飲み会を通じて常に接触が続いていたというけんさんと竜兵さんの間には恐らくややもすると沈んでいくようなこともあった竜兵さんの魂の疲れを癒やす言葉の力と存在の安心感があったのではないでしょうか。

優しく竜兵さんを包んでくれたけんさんの突然の死は親のような偉大な兄貴のような存在の喪失から回復することが出来なかったのではないでしょうか。

うつ状態にある人達をそういう状態から引き戻すのは「心の元気な普通の人」にはとても理解できないような厳しさがあります。病院でもうつ状態と言われるような人達と話すことが始終ありますが、本当に周期的に襲ってくる波のようにしつこいもので、他人には想像もできないような重い絶望的な重圧らしいのです。

患者さんの話を聞いていても、我々に時々有り得る「ガックリするようなレベルの失敗の後」程度の容易なものではなく、本当に振り払っても振り払っても光の後側から襲ってくるようなまとわりつく黒い影のようなものらしいのです。

ある人はひたすら眠り続けてそれをやり過ごそうとし、また別の人は抗うつ剤を飲んだりして必死に食事をしたりと本当にいろいろな闘い方をして過ごしているようですが、私にはそのような経験がないので、その辛さは恐ろしいほどであろうとは想うものの、それを経験したくもありません。そして理解できません。

先日のファイト一発の渡辺裕之さんと言い上島竜兵さんと言い、まだまだこれから普通に四半世紀は生きるであろう方々が自らその生命を絶つ事に底知れない悲しみを覚えます。辛くなったら評判の良い先生のところへ通院されたりすることを強く強く勧めるばかりです。

一人の自死が巻き起こす悲しみの波紋の波の拡がりは周りの人々全てを長く深い暗闇の中に引きずり込んでしまいます。


2022年5月11日水曜日

EVが高くて買えなくなる日が来るのか?

最近は何だか猫も杓子もEV,EVとなっておりますが私はそんなにシンプルな話ではないと考えています。

そもそも今回のEVシフトはヨーロッパのマニュファクチャラーの、特にVW、Audiグループのやらかしたdefeat deviceによる排ガス数値偽装事件が発端で、そのダメージを必死で回復するためにドイツのメルケル首相の旗振りの下で経済界がドイツ経済界が一丸となって宣伝しまくった挙げ句のお祭り行事。

余りの勢いにこの「politically correct」なアクションに付き従わざるを得なかったのが残りのメーカー達。今の時代SDGsを唱えなければ市場にさえ入れさせて貰えない時代ですから、これからやってくる時代のチャートも描かないままに耳に優しい宣伝文句だけが世界を駆け回っています。

そもそも、バッテリーにチャージする多めの電気の発生源が何かによってガソリン車との比較で滅茶苦茶にそのCO2排出量は変わるハズのものですが、いろいろな計算も有耶無耶になって結局のところは「表面上は」各社共にEVを何処かで100%にするような画餅を描いていますが、私は個人的にはそんなに甘くないと考えています。

全固体電池のマス・プロダクションの手法が成立したらまたもう少し変わってくるんでしょうが、これからは経済的な原理に則ったレベルでの採掘可能なレア・メタルがガンガン減ってくるのが目に見えているのにどうやって現実的な値段で売ることのできる車を大量に作れるのでしょうか。

そもそも、EVの価格に占めるバッテリーの割合は「現時点で」さえ1/3と言われています。よく言われるようなマス・プロダクションによって全体として劇的に下がる!と言われますが、以下のグラフを見てもらうとそれがいかに怪しい話なのか一目瞭然だと思うのですが。

これはコバルト
こちらはリチウムです。
上の表ではウクライナへのロシアの侵略戦争が始まる前から値段がグイグイ上がってきていたのがわかります。もしこのトレンドが戦争の終結後も続くのであればどうなるか考えたら、かなり恐ろしい事になるような気がするんですけどね。(上の表ではそれぞれほぼ4-5倍ですよね。)

例えば「仮に」300万のEVが売っていたとすると(現時点では実際はもっと高価なものも沢山ですが・・・)その1/3がバッテリー代だとして、その中で使う希少金属類の部品の占める価格の値段がそのバッテリーの更に1/3だとしても33万円の材料費が150万円くらいになってその差額は100万円+アルファ!の上昇。
増々若い人たちには車というものが手の届かないものになっていくであろうことは容易に理解できます。

しかし、上でも書いたように恐らくヨーロッパ勢を中心に自動車業界はトヨタが遥か前から出し、かつ特許をタダで大公開しているハイブリッド車を「電気」自動車として茶を濁すことはまず間違いありません。前者をハイブリッドにしておけば取り敢えず100%の電動車と言えますからね。w

エンジンがない自動車でどうやってアフリカ諸国の国々に車を売るんでしょうか?砂漠のど真ん中から確実に生きて帰ることの出来るのは信頼性の点で圧倒的にガソリンやディーゼル車ではないんでしょうかね?

まあ、何はともあれでかい技術的ブレーク・スルーがあれば上のような悩みも当に杞憂となってメデタシ・メデタシなのでしょうが。

じっくりとこれからの10年を眺めていきたいと思います。


2022年5月10日火曜日

アゾフスタリ製鉄所の死闘に想う

ロシアの侵略におけるマリウポリでのウクライナ側の最後の拠点がアゾフスタリ製鉄所です。

ニュースの中で、信じられないような長期にわたって血みどろの戦いを繰り広げている様子が伝えられています。話を聞いていると民間人をなんとか大量に脱出させる中で、軍人達はほぼ食料も弾薬も尽きた中で死を覚悟して戦い続けているという話。

そもそも最初の疑問は一体全体なんで「たかが」製鉄所如きがこんなに長期の物凄いロシア軍の攻撃に耐え続けられるのかということで、ネットを調べてみるとこんな事が書いてありました。

同製鉄所は欧州最大級の製鉄所で、ソビエト連邦時代に建設された巨大施設で、核攻撃などを想定した地下6階のトンネルなどを備えた要塞が備えられており、いくつものシェルターやトンネルがつながっているほか、検査・診療所や園芸場、カフェ、居住空間などが完備され、最大4000人を収容できるように水や食料を備蓄している。広さは11平方kmと東京ドームおよそ235個分に相当する。市内には他にも同様の地下施設があり、製鉄所の施設と地下通路でつながっている。ニューヨーク・タイムズによると、2014年の親露派武装勢力によるマリウポリへの攻撃の際にも、作業員が製鉄所の地下に隠れたことがある。

一読して「なるほど!」と感じ入った次第ですが、ソビエト時代のロシアの造ったものが皮肉にもロシア自身の攻撃を非常に厳しいものにしているわけです。しかし、ここ数日中にこの施設に対してロシア軍が外道の作戦である化学兵器を使用する可能性が指摘されています。

このウクライナ側の超人的な戦いぶりは恐らく大部の歴史書のみならず、軍事の教科書にも掲載されるのではないでしょうか。何とかして助け出されて欲しい、そして最後は戦勝記念日に全員が祖国防衛の英雄としてパレードの中で胸を張って行進のど真ん中にいて欲しいと願うのですが、果たして叶うのか。

この戦いの話がニュースで伝えられる度に私が思い出すのが「硫黄島の戦い」です。圧倒的な戦力で攻め入ったはずのアメリカ軍が予想を遥かに上回る巨大な犠牲を払わざるを得なかったあの闘いは「決死の覚悟と十分な準備」をしている側の戦闘員を壊滅させるのは並大抵のことではないことを教えてくれます。

たとえ製鉄所が陥落するような事があっても、まず間違いなくウクライナ軍はこの東側の全域にわたる超長期の持続的戦闘を続けるはずで、ロシア軍はこの大義無き戦いにおける厭戦気分の蔓延に悩みながら次々と補給されてくる西側の新型兵器に補強されたウクライナ軍とずっと戦闘を継続する訳です。

戦術核でも使わない限り「戦闘」におけるロシアの勝利は今後とも無いでしょう。補給される武器を作るための部品が無いような国がそもそも戦争を継続できるはずはありません。しかも、戦術核を使ったが最後ロシアに対する制裁はたとえ西側が核での反撃を行わなくても無間地獄といえるレベルの国境閉鎖と国際的な半永久的な非難を受け続けることでしょうから、戦略的なロシアの「国家としての勝利」はどこにも存在しないわけですが。

その瞬間にクソ・プーチンは果たして倒されているのか、それとも戦術核ならぬ戦略核を使った「死の手」へと世界が導かれるのか、何れにせよ独裁制というのは全く碌でもないものですね。改めてその思いを強くしました。


2022年5月9日月曜日

40年振りにリンスを使ってみた

今、風呂場にある嫁さん専用のシャンプーとリンスがそろそろ使い切り状態になってきました。

持ち上げてみると重さ的に恐らくワンプッシュかもうひと押しで使用済みになる程度。どうしてリンスとシャンプーがこんなに均等になるように減らせるのかと聞いたところ「意識してそうしてる」とのことでした。

彼女によると一回の洗髪でそれぞれのボトルをポンピング4-5回と言う感じで押すのだそうで、私の「一回!」という潔さがありません。髪が少しくらい私より長いからと言って余りに使い過ぎやろうと揶揄したら「女性はそんなもんよ~」と言われてしまいました。

私などは通常髪を洗って泡立ったシャンプーでそのまま体も洗ってしまいますが、頭皮でさえ問題ないような液体洗剤であれば体に使ってもほぼ問題はなかろうという演繹的な理屈です。

さて、そもそも私の場合は高校生になったくらいの頃に数回だけリンスを使ったことがあったのですが、それ以降シャンプーだけを使ったときとリンスをしたときの自分の髪の違いが全く仕上がりに差を感じられなかったことからその面倒くさい作業を一切しなくなりました。

それで一切何の問題もなく今までの56年を生きてきたわけですが、今日は最後の使い切り状態ということで「お父さんも使ってみればいいじゃん」と言われましたので、40年ぶりに使ってみたのですが、そもそもどうやって使っていいのか知りませんでしたので、「リンスってどう使うんだ?」と尋ねたところ「シャンプーをしたあと綺麗に流してその後でリンスをつけて暫くそのままにしておいて~」と仰るので「何秒くらい?」と再度聞くと「私はつけたまま暫くゆっくりお風呂に使ってるけど」等とフザケたことを言いましたので「無理」と言って30秒程度で濯いで終わりました。

一体全体どうなるのかと風呂から上がって乾いた髪を触ってみましたが見事に何もなし。

まあ、結論から言うともう私の残りの人生で二度とリンスはしないだろうなということです。嫁さんは毎回シャンプーとリンスをそれぞれセットでいろいろな会社の製品に変更してそれを楽しんでいるらしいのですが、何が楽しいんだか全くわかりません。匂いや手触りがいろいろ違うと言っていますが、私からすれば幾つか試してベストと思えたらそれをずっと使えばいいじゃないの?というのが私の方法論なんですが、そうじゃないんだそうです。

シャンプー1つ取っても一生解りあえませんね。w


2022年5月8日日曜日

身近な昭和レトロ

名古屋には名古屋市歴史民俗資料館の言うのが「ひっそり」と存在しています。(名古屋市北区)

中には文献のみならず三階に昭和日常博物館という全国的な博物館関連の金賞を令和二年に取った博物館が存在するのです。地下一階には昭和の名車やバイクなども数台展示されていて、全体的にきれいに(おそらく)昭和の20年代から50年代くらいの時期を中心に整然とかつ興味を引くような形で素晴らしい展示が為されています。

何故こんなところにこんな素晴らしい展示館があるの?とは思うのですが、実際にあるのですから有り難い限りです。どんな展示物があるかというと沢山ありすぎて正直伝えきることは到底出来ないのですが、その一部を写真で見ていただければと思います。

昔のバイク修理をしてくれる店の入口みたいに見えました。
昔のタバコ屋ってどこでもこんな感じでした。
学校では低学年の頃には未だビン牛乳で蓋をこの栓抜きで「刺して」取ることがありましたね~。
明治のキャラメルシリーズ。
個人的に一番好きなのはクリームキャラメルでした。
ある看護師さんにこれを見せた瞬間「あ!懐かし~松坂屋コレだった!」と叫ばれました。
トランジスタのラジをシリーズ。子供の頃は身の回りに普通にありましたけどね。
昭和の部屋のセッティングは10年区切りくらいで中身を変えてある年代別の「数種類の部屋」かあったのですが、この部屋が私の記憶に残る私の子供の頃の昭和の部屋の記憶に最もマッチしました。左の壁を見てみると、1964年の3月の東郷青児の絵のカレンダーが見えていましたので、昭和39年のお部屋の設定というコンセプトなんでしょうね。
さて、この展示群を見たあとでここのHPを家で調べてみるとこの博物館を使用しての「回想法」を用いた高齢者や認知症患者さんの治療にも使っていけるのではないかと言う提案が書いてありますが、私自身もココに両親を連れてきたいなと強く思いました。

隠れた博物館、展示室、名古屋程の場所になると色々と隠れて存在しますね。今後もいろいろと訪れて見てみたいと思います。帰りしなに受付の方に「展示物はどうやって収集されたんですか?」と伺ったところ、地元の方も多かったけれど全国からも沢山のご寄付があったとのことでした。捨てるばかりが能じゃないですね。

あ、ここの民俗資料館は入場無料でしてかつマンホールカードが配られておりますので、コレクターの方は一枚頂くことをお忘れなく!

ここの帰りにはmozoに寄って昼夕兼用の食事をたらふく摂りました。


2022年5月7日土曜日

一日の歩数カウント

スマホにコカ・コーラのソフトをインストールしています。

理由は実に単純で、スタンプを集めること。スタンプを集めるとなにか良いことが有るかというと15個集めるごとにコカ・コーラボトリングの自販機で売っているドリンクを一本タダで手に入れることが出来ることが一つ。もう一つは歩数カウント・システムがついていて、それを毎週締めでカウントしてそれが自分の設定したカウント数に到達するとスタンプを一個もらえるのです。

「だからどうした?」言われてしまうとそれまでなのですが、このスマホで歩数をカウントすることがリワードと結びつく事が素晴らしく自分のモチベーションを刺激するのです。

スタンプ一個は約10円!w しかし、この達成感は格別で、己の日頃の体力不足を補うベストの方法論としての日々の歩行がスタンプという形で達成されると「可視化」されることが私の運動意欲をもり立てるのです。

今日一日の設定歩行数が足りない時に一人で歩くのが寂しい時には息子と嫁さんを誘って一緒に散歩をします。そうやって達成する基本的な一日の歩数はアプリの中で個人の目標としていろいろに設定できるのですが、私の場合はそれが7,000歩。少ないといえば少ないのですが、車で職場に移動する人間にとってはなかなか院内での7,000歩というのは厳しいのです。

特に外来のある日は午前中はずっと外来で座って仕事。歩くのは午後のみですし、水曜日の訪問診療の日も移動は運転手さんの手によって全て終わってしまい、歩くのは車から降りて患者さんの家へ入る時くらいですから歩数が伸びません。

勢い、その歩数を増やそうと思えば土日と言うことになりますが、土曜日は当直であることが多かったのでなかなか歩数が伸びませんでした。

今後はこの歩数を伸ばそうと考えているところで、厚労省の65歳までの目標歩数1万歩を達成するために来週から1日1万歩に目標を無理目に設定して行こうと思っています。

一日1万歩なんていうのは地下鉄を使って移動する人にとってはなんてこと無い歩数なんでしょうけど、車の使用者にはこんな感じです。明日から早起きして仕事場まで歩いて歩数を伸ばそうかな?なんて言うちょっと無理目の希望もあるんですが、まあ無理はやめてどれほどこの目標が達成できるものか試してみようと思います。

インセンティブ方式の歩数や運動量カウントがなにかの報酬に結びつくものは今の時代一杯ありますけど、私の場合はコカ・コーラ関連のソフト使用がその肝というお話でした。


2022年5月6日金曜日

帰国する次女に1つだけプレゼント

次女の日本帰国までほぼ二週間。

数カ月後のことと思っていたことがもう二週間後という所まで迫ってきました。日々が過ぎるのは本当に速いものです。先輩方が口にしてきた光陰矢の如しというのはまさに間違いのない真実ですね。時間だけは何処にいようと、どんな人間にとっても平等に過ぎていく確実なセッティングです。

さて、今回の帰国にあたって次女が絵を描く場所を提供することにしました。今まではペン画を中心に布団の上でコソコソと寝ながら作り続けていたのを知っているのですが、油絵も描くようになってからはやはりそのような状況では「体に悪くてちょっと無理」と言う事で、家の中では描かないことになりました。

実際に名古屋にアトリエのようなものがあればそこで描けるのでしょうが、実際にそういうモノを調べてみると物件自体が少なくかつ当然ですが高い!しかも致命的なのは家から遠く不便というもの。

そこで考えたのは家の近くに安い部屋を借りてそれをアトリエとして使う方法。4畳半レベルのワンルームで十分な訳です。パッと思いついたのはSUUMOを使っての物件検索。調べ始めると瞬間的に安くて近い物件がゾロゾロと出てきました。住んでいるマンションの真隣と、その一つ向こうに数部屋。

値段は共益費込みでどちらも3万円でした。実はこのアトリエ探しの件は次女自身の希望で、自分がバイトをしながら払うつもりだったらしい事が後々嫁さんと次女の間のLINEで判明したのですが、そこはまあ、オヤジの生きている間にしてやれる小さな援助かなと割り切って最初の契約を含め私の方で貧乏の代名詞のような「アーティストの卵」のために支援することとしました。いわゆるpatoronですね。w

結局、SUUMO経由で近所にあるminiminiの担当者と繋がり、現物を見せていただき更にリストには出てこなかった少しだけ遠いけれど部屋が広めのものも見せていただきました。それらの写真とビデオを撮った後それを次女に転送して後は嫁さんに決定を報告してもらうことに。

翌日には直ちに返答があり、結局のところ家の2つ隣の物件に決定。その際に次女は私がそのお金を援助することを端から考えていなかったようで、その後私に普段とは「全く違う」様子で”OTOUSAMA THANK YOU FOR THE APARTMENT”と全てupper caseで感謝の文章を送ってきました。

それに対して私からは条件を2つだけ提示。

1番目は作品を出し続けること。2番めは日本滞在中に日本語をbrush upすることでした。これらに対しては娘も当然YESで、実際自分自身でも言葉ができることがチャンスを大きく広げることを理解していることを書いて返してきました。

まあ、結果はどうであれ時間をかけて頑張って欲しいものです。「好きな事に専念できる人生の贅沢さ」を味わう贅沢さは私が居なくなった後に理解できるのでしょうね、きっと。


2022年5月5日木曜日

結局、人間観察をしに動物園へ?

ゴールデンウィークの取り敢えずの最終日であるこどもの日には再び近場へと向かいました。

結局嫁さんのリクエストに従っているだけなのですが、こんなゴールデンウィークに遠出するのは日本においてはほぼ「時間殺し」に等しいので、安・近・短という黄金の不文律に従って行動しているという状況です。

そもそも、どんなところでも列に並ばないというのが我が家全員の基本的なパターンですので、本日も地下鉄に乗ってまったりと出かけました。向かった先は超久しぶりの東山動物園です。本来、東山動植物園と呼ぶべきですが、植物園の側へは一歩たりとも足を踏み入れたことがありません。しかし、下の写真に有るように大変立派で手入れの行き届いた植物園ですので、植物好きには間違いなく素敵な場所なのだと思います。

実はこのコロナ禍でこの動植物園は事前予約制に切り替わっており、ネットで予約していかないと2時前には入れません。我々は息子の障害者手帳で無料かつ自由に(付き添い二人まで!)出入りできるのですが、実際1時40分頃に入園しました。知らないで行くと2時まで待たされるわけです。(5/8までで終了予定)

中に入ると今年初めて「暑い」と言える天気になっていましたが、淡々と歩き回り象、鹿、虎、ライオン、オットセイ、熊、キリンなど諸々の動物をじっくりと見て更に爬虫類、両生類もみて十分満足。

最後に息子の大好きなモノレールに乗って園内を一周しました。(一周600円、片道半額。)

沢山の人達で賑わっており、また少しコロナがぶり返すかもと感じましたね。
中で食べた種々の変わったネーミングのファスト・フード!良いネーミングです。
実は上のファストフードを食べている時に実は動物ならぬ人間観察をして楽しんでおりました。何を見ていたかというと、目の前を歩いてくる若い可愛らしいカップル達。歩いてくる二人の手の繋ぎ方や距離感、視線の会わせ方等を見ながら勝手に私が、その親密度やデートの回数などを横にいる嫁さんに話しながら、似たような年頃の自分の娘達は今頃どうしているのだろうと考えてしまったのでした。
雲一つ無いとはこのことです。
Bat cave。無音で飛び回っていました。
十分に満喫した後、本日の夕食を食べに行くために今池の今池屋へと再度地下鉄に乗って向かったのですが、そこは予想通り連休休店。そこで、エリア観光を兼ねてあちこち回りながら店を品定め。
街中にはこの今池をすくための協賛ポスターが張ってありました。
このTシャツもあったのですが、サイズがない・・・。
最後には「きも善」に入りました。むちゃくちゃに注文して腹が破裂しそうになりながら最後はいつものように地下鉄に揺られて家へ戻っていきました。やはりアルコールが入るときには車フリーがベストです。




2022年5月4日水曜日

次女の絵が売れたそうで・・・

次女からいきなりtelegramで連絡が入りました。

それは持っていた絵のうちの一枚(この前prizeをとったものとは別のもの)が値段が付いて売れたとの連絡でした。一体いくらで売れたのだろうと文章の続きを見たところ、売値は$600だったとのことでした。誰が買ってくれたんだろうと思っていたら自分の卒業前のindependent study mentor for paintingとのこと。

卒業前から数枚の絵を仕上げていた事は知って居たのですが、そのうちの「自分の母の実家である長崎のお爺ちゃん宅で行われたトランプ遊びのシーン」がテーマになった写真から作られた不思議な絵を教授が買い取ったとのことでした。

結局のところ賞をとった絵自体は売らずに長女の居るバージニアに送るということにしたらしいのですが、なんとその先生が次女に対して「絵を飛行機で送ったりしたら必ず傷んでしまうから私が直接お姉さんの所に車を運転して届ける!」と言ってくれたのだそうです。

私はこの事に大変驚いてしまいました。一体全体指導教授がその生徒の作品を「そんな事をしたら傷んでしまうから」という事でピッツバーグからリッチモンドまで往復してくれるものかと・・・。

Google Mapで調べてみたところノンストップで移動しても片道7時間弱のドライブ。往復だと14時間以上かかることは確実で、私はひたすら恐縮しています。長女に言って私のカードを使ってでも接待して貰うようにしたいと考えています。

それにしても教授自ら絵の運搬のためだけに・・・と言う点に正直な所「うーーーん」等なってしまうところでして、実際非常に申し訳なく当惑してしまいます。

この運搬してくれる絵というのは学校での展示の後、3人の人から購入の手が挙がったようなのですが、売ることはせずに保存することになったようです。中の一人はもし売らないのであればプリントでもいいから売って欲しいとまで言われていたようで、そのメールの画面を次女に見せてもらった後「そんな事もあるんだ」と感じてしまいました。

家に飾りたくなるような絵、自分で持っておきたくなるような絵と言うのは売れる絵なのでしょうが、芸術というのは結局のところ一体どう捉えればいいのかということを再び考えさせられた今回の一件でした。

とは言え、私が何を考えようと次女の創作活動に変化はないわけで、下手の考え休むに似たりというやつなんでしょうが。w



2022年5月3日火曜日

生まれて初めての名古屋タワー

名古屋に始めて来たのが96年。それから間にアメリカ滞在を挟んで既に2022年になりました。

しかし、名古屋の中は広いもので行っていない所は行っていないものです。そもそも名古屋大学と家の間の往復、若しくは今の病院と新しい家の間をウロウロするばかりでしたので、むしろ嫁さんよりも名古屋の有名スポットは行っていないところが多いのが現実です。

嫁さん達は娘と街へ出かけたり、一昔前であれば実の妹と有名所を訪れたりしていましたので、街中とその周辺に限って言えば私よりかは名古屋通と言っていいかと思います。

さて、そんな私が今回生まれて初めて名古屋の東京タワーこと中部電力MIRAI TOWER(旧名古屋テレビ塔)に登ってみることにしました。このタワー、実は日本初の集約電波塔でして、設計は札幌電波塔や東京タワーの設計で有名な早稲田大学教授の内藤多仲博士の手によるものです。

このテレビ塔は現在既に再改造を受けて免震装置が追加設定されており、60年を経て更に「万一の場合」の安全性が配慮されて新たな時代を生き残っています。しかも、中部電力の目指す排出エネルギーゼロを目指した観光用タワーとしてホテルなども内部にあります。

入場料は大人900円でしたが、息子と嫁さんは障害者とその同伴者ということでそれぞれ半額。チケットを提示してエレベーターに乗り込むとずんずん上昇していきますが何を隠そう私は極度の高所恐怖症。自分の身長よりも高いところが全て怖い始末。

今回お昼にエレベーターで登っていったのですが、エレベーターで登る途中に見えた「歩いて階段を登る若い男女の一群」を見てオノレのX玉が縮み上がるのを強く感じました。w 医学部の学生の頃に授業をサボって5週間ほどヨーロッパ全土を旅したときに西ドイツのUlmで登った世界一の尖塔で死ぬ目に遭った私は二度とあんなことはしたくないなと思いつつその元気な若者達を横目に見つつ心のなかで改めて震えてたのです。
こういうポジションからオアシス21周辺を見渡すことはココ以外ありません。
この高さでもガクガクレベルで足が震えます。w
さて、最上階まで行くと中からはいつもの高層ビル側から見る景色とは異なる景色が眼下に広がり素晴らしいものでした。嫁さんと二人でアレは何だコレは何だと指さしながら四面を散策。その後二階の展望室に降りていってYABAIYOYABAIYOの名古屋との提携スティッカーを購入して下に降りました。
東京タワーやエッフェル塔等と比べるとストレート感が強いですよね。
当名前にはDCそっくりのreflection pondがありました。
外に出てみるとアメリカのスクールバスをまんま改造したものが置いてあり、懐かしがって息子と二人で「バス、バス」と呪文のように呟きながら写真を撮りました。

そのあとは嫁さんの手抜き食卓のために三越の地下でお好み焼きともつ煮込みを買い込み家に戻ったのでした。飛び飛びではありますが夕食準備の手を抜けて連休中ハッピーな嫁さんです。



2022年5月2日月曜日

次女が大学を卒業しました

次女が4月30日に大学を卒業したとの事。

まるで他人事のように聞こえてしまうのですが、実際のところ自分の家の次女がいつ大学を卒業するのか知らないのは我が家では毎度のことです。この正確な日付を知ったのは実は昨日のことで既に卒業済みでして、娘いわく「Yesterday! LOL」とのことだったので、時すでに遅しでした。w

Univ. of Pittsuburghを卒業してくれましたし、一旦日本に帰国して犬と一緒にしばらく過ごしつつ日本で絵を描き、かつ仕事もするとのことでしたので私としては毎月送っていた家賃と生活費としての$1,000や、時々追加しないといけなかった奨学金を差し引いた後の数千ドル単位の追加授業料を払わなくてよくなりましたので、「非常に」助かります。

最初はロシア語とアラビア語dual専攻で始めた大学生活ですが、何故だか知らないのですがやはりアートへの想い捨て難く~ということで、最終的に決断して一年後には一旦休学。一年ほど日本でいろいろしながらいろいろなアート・スクールを選んだ挙げ句にそれらは選ばず、結局は元の大学のアート・スクールに転科しました。せっかく良い成績で2つの言語を専攻していたのに・・・と、実の親としては大変に複雑な気持ちでしたが、娘にも自分なりにいろいろと考えることが有るのだろうと考え、理由その他を含め特に何も聞かずやりたいようにさせました。

結局のところ実質のところ日本に居た頃に受けていたリモートと併せ、1年半程度で学部を卒業したことになります。

これからは日本でいろいろと少しサイズを落とした色々な種類の絵を描きながら他の技法も勉強していきたいと思っているようです。少なくともオイル・ペインティングその他のことをやっていくようなことを言っておりましたが、さてどうなるのでしょうか。

日本に帰国するのは5月22日。もう3週間も残っておりません。卒業して今は悠々自適の生活を友人たちと楽しんでいるようですが、余り「物持ち」ではないようですので、アメリカを発つのはそれほど大したことはないようなのですが、それでも捨てられなかった服を入れた箱を日本に送ったそうです。

また、ウルサイのが帰ってまいります。w



2022年5月1日日曜日

風呂場での過ごし方

風呂場での過ごし方という言葉自体が少し変かも知れませんが・・・。

私は被害者です。嫁さんの入浴の習慣の。基本的に彼女は入浴時に絶えず音楽を聞いておりまして、それを風呂場の扉を少しだけ開けて脱衣場の脇の洗面台の上にiPhoneを載っけてかなりの音量で入浴の間中気に入った曲を聞いています。

聞いている元のソースはspotifyやYoutubeがメインのようですが、聴いている曲ときたら常にほぼ一定の範囲から出ません。基本は昭和の特定の歌手のポップスかB’zのいすれかです。その昭和のレトロ感溢れる曲構成の中心は「松田聖子」「中森明菜」「ミスチル」「佐野元春」「Boowy」「稲垣潤一」「レベッカ」「バービーボーイズ」「ユーミン」等々。

まあ、上の名前を見ていただけば解るように中身は「ザ・昭和」精々が平成初期です。上に書かれた人々の中の曲でも最近のものはほぼ表に出てきませんので、聞くのは私でさえ聞いたことの有る懐かしいものばかりです。

その曲を鼻歌で楽しそうになぞりつつ、体を洗っては湯船に楽しく浸かっているようです。しかしその鼻歌の音程が・・・。もう慣れましたが、あんまりキーが合っていないんですね。w

一方私はというと、以前ここにも書いたようにiPhoneを湯船にまで持ってきてYoutubeで音楽を聞いたりニュースをネットで調べたり。ほとんど何かを同時にしているという情けない状況。本当は湯船に浸かって本を長々と読みたいのですが、それはそれで本には大ダメージですからおいそれと出来ることではありません。

精々出版物で言えば風呂場で読めるのは読み捨てのパンフレットくらいです。何かをする時に活字や情報を同時に欲しいなと思うのはなんとなく昔からの習い性でして、まあ貧乏性なんでしょうね。

トイレの中でも同じ感じで座って「大」を・・・と思いつつも読んでいる本に夢中になってそのまま出さずに30分以上経過してしまい、嫁さんに呼び出されてそのまま出てきたり。

風呂場でも今後はもう少し湯船に浸かることに集中しましょうかね。上(のぼ)せてしまわないように。