2019年12月18日水曜日

終末期の医療

この前の人生会議の話の続きでもないんですけど、人の死の選択というのは本当に複雑です。

終末期をどうするかというのをきちんと話し合って決めていても、最終的には最後の最後で「やっぱり」という感じで方向を修正してくる親族の方がいます。
特に精神科に長く入院している親族の方であまり病棟に現れない方ほど決定事項が「揺れてしまう」傾向が強いと感じています。

こればかりは我々医療者サイドも動かすことは出来ないことなのでいつも直前で「不要と思われる」延命措置をとったりしなければならないことがあります。意識がなくなっている90過ぎのおばあちゃんなんかに心臓マッサージをリクエストする方も「稀に」居られるので、そういう方の案件に遭遇した時にはその処置をとった後で遣る瀬無い気分になったりします。

やはり、人には寿命というものがあって当然で、私自身は自己決定による尊厳に基づいた死というものがあってしかるべきだと思うのですが、現行の法はその手の繊細な事案には直接的には触れもしておりません。

結局のところ、ある国における平均的な人の死というのはそこに住む人達の平均的な死生観の緩い反映の結果だと思っていますので、日本人の死に対する最終的な「決断」というのはやはりまだ白黒とハッキリ決められるようなものではないというのが本当のところだと思います。

実際の法律の施行と、こういった死生観の変化というものはおそらく数十年の「ズレ」を伴って成し遂げられるものだろうと考えられますので、今の年配の人達の「とりあえず生きてもらって後は先生にお任せする」というような考え方が無責任だといわれるようになるのが当たり前になるにはあと数十年から1世紀ほどかかるのかもしれませんね。

勿論、その頃は私などはチリになっているわけですが・・・。


0 件のコメント: