2020年2月21日金曜日

次女の成人式写真撮影

昼過ぎてから前から予約していた写真スタジオに向かいました。

次女を連れての成人式写真の撮影のためです。一体どれくらいの時間がかかるかわからなかったので、一旦娘を写真スタジオで降ろしたあとそのまま病院へと向かいました。
実はこのスタジオは5年前にまだ私が一人で日本で暮らしていた時に一時帰国していた長女が成人式の写真を撮ったスタジオでしたので、その技量や写真構成はどんなものになるか既に知っているつもりです。

しばらく病院で仕事を行ってその後で息子を作業所からピックアップしたところで都合よく次女からLINEで連絡が入りました。早速スタジオに向かったところ、まだ和服を着たままの次女がスタジオにいました。暑そうな顔をしていましたが、黒っぽい和服を着ていた長女の時と違い、赤っぽい和服を着ていました。

髪も今まで見たことがないような感じでキレイに編み上げてあり、良い感じです。娘の姿をスマホで撮っても良いですよ~と、店の方に言われたので数枚の写真をパシャパシャと撮らせてもらいました。

そのあとは前回の如く、たくさん撮った写真の中からどの写真がアルバムに残したりCDに焼きつけるものにするのかと娘が選択しながらマウスをクリックしている横で私と息子がちょこんと座り、この写真は入れておいたほうが良いんじゃない?という感じでマークを付けたり外したり最終的に15枚を選択してfinalizeしました。

お姉ちゃんの時の写真に似ているようで似ていないやっぱり次女らしさがよく出ている写真になったようです。

これで我が子達の成長お祝い系のイベントは全て終了したと考えて良いかな。後は人生のイベント(更なる卒業・就職・結婚・出産等)が追加でやって来ることでしょう?

2020年2月20日木曜日

名古屋のゲイバーに同僚達と

今日はいつもの独身男性を励ます会の為に藤ヶ丘の天麩羅屋に行きました。

彼の独身生活は未だに継続中で、「一体君は何年経てば良きパートナーと知り合いになれるのかね?」との質問をこの飲み会で会う度に両脇から二人の人間に責められて頭をかいています。

今回もこの数ヶ月のアクティビティを聞いてみましたが、どれもこれも続きのない単発の話ばかり。婚活の道は長く厳しいようで、もう一人の同僚などは「もうそろそろ結婚紹介系の会社に登録するかい?」等とかなりドライな方向に発言がシフトし始めています。w

結局、その後の話は彼の結婚の話は進展無しということでそこまでで終わり、職場のこれからの話しや人事の話などに移りました。人物評もいろいろと出てきたのですが、何れも別に目新しいものはなく興味のある話は出てきませんでした。その話が一旦途切れて静寂が訪れた時に、二次会はどうするかという話になりました。

その時点で既に栄の有るゲイバーに大勢で一行いっていた話が出ていました。そこでは彼がかなりゲイのオネエさん達にモテるとのことでしたので、時間も早いことがあり「そこ行ってみよう!」と即決まりとなりました。

既に一次会でそれなりに気持ちよくなった状態でしたが、地下鉄に揺られて直ぐに移動。夜に栄に来るなんてことはまず私の場合ありませんので、珍しい光景を眺めながら歩くことしばし。彼らの案内でゲイバーに入っていくと賑やか賑やか。「藤ヶ丘から来てくださったお三方でーす!」との大ボリュームでの紹介で席に着くと、人定質問から始まり、名前、セクシャリティ、結婚歴、家族の有無などアッと言う間に聞き出されすぐに彼には「G」というマークが入りました。w

GayでなければゴキブリのGなのだそうですが、彼はGayの皆さんに入れ代わり立ち代わり頬を触られて縮み上がっておりました。
まあ、彼らのお話自体はシモネタの連発で、全国どこでも同じ感じなのでしょうが、久しぶりの息抜きにはなりました。

あとは一人の同僚と別れて地下鉄へ。吊り革に掴まって二人で家路についたのでした。

2020年2月19日水曜日

大腸ファイバーで下部消化管検査

私の勤める病院に大学からバイトに来られているある先生に質問をしました。

「先生の大学で一番大腸ファイバースコープの検査が上手い方はどなたですか?」と。先生の反応は極めてストレートで素早いものでした。「それはXXのAA先生です!私も、もし身内にしてもらうのならあの先生が良いです。みていて全然患者さんが痛そうじゃないし、早くて丁寧です。」とのイワユルべた褒め。

このバイトの先生、自分が大腸ファイバースコープで患者さんを使っての実技を始める前に自分自身で別の私立病院に行って"手技を施される側の感覚を予め経験した"というほどの真面目な先生。

こんな先生がお薦めする先生なのですから信じるしかありません。
そもそも、今回私が大腸ファイバーでの下部消化管検査をしようと思ったのは自分の年齢が50を超えたことという単純な理由です。
アメリカでも日本でも50前後を境にして大腸癌の発生率が上昇してきます。実際に私の病院でもよく別のバイトの先生がお爺ちゃんお婆ちゃんのファイバーをしてますが、やはり大腸ポリープが悪性化した状況のものを見つけることが頻繁に起きています。

こういうのは胃カメラと同様で、早期発見しやすい病気であり、カメラさえ突っ込んでおけば相当の確率でポリープの切除とかをしてしまってそれ以上の悪性化などを防ぐことが出来るわけですから、やらないという選択肢はありません。やはり医師としてはこういった前もって防げるものは可能な限り予防して健康を保って働くということは患者さんを説得する手前大切かと思います。

前準備の下剤使用とか患者さんによってはもう"泣きながら"飲んでる人も居ますし、ファイバーを挿入されている患者さんによっては痛い痛いと泣き出したり、気分が悪くなる人もおられます。

自分の心臓手術のあとでもそうでしたが、経験したことは全て患者さんの治療を行う時にその治療がどんなものなのか「患者さんの視点で語る」事ができます。
とりあえずその上手だと言われる先生に手技を施されることで私の体がどう反応するのか試してみようと思います。

ポリープや癌が見つからなければなお良しです!
というわけで、今日は二時間ほどかけて大学病院で予約をしてきた私でした。

見つかっても、早ければ昔からある単純なポリペクトミーだけでなく、EMR、ESDなどでサクサクっと切除する時代。どんな結果が出るかまな板の鯉として待つしかありません。w

2020年2月18日火曜日

メルカリでヘタレな俺

あるトレーニング・マシンを思ってネットで調べたらアメリカでの販売価格よりも3割以上高い価格設定でした。

アメリカから輸出してもらって日本で打ってメンテなどの代理店サービスを展開するとなればそれくらいの割増金も納得なのかなと思うのですが、アメリカから直接持って帰るということも選択としてはあるわけです。とはいえ、現時点では日本の中古品を買うのもあるよね!ってことで調べてみたのが私には全く馴染みのないメルカリ。

メルカリのことを知ったのは外来の看護師さんからで、何時でも子供さん達の物を購入する時にはメルカリを通して購入するんだそうです。
そこで、メルカリでの購入の手続きや交渉の方法などを聞いてどうやって購入に至るのかということに関して根掘り葉掘り聞いてみました。

結局、アメリカでのeBayとあまり変わらんなと思ったんですが、交渉の過程で書き込まれる文言の書き方にちょっとしたコツがあるみたいなんですが・・・。
実際に自分でアカウントを作っていろいろな商品の交渉途中のnegotiationを読んでみて思ったのは「いや~、コレってあんまり俺が得意とするようなやり方じゃないな」ということ。

一対一での対面交渉というのはワタシ非常に得意な方だと思うのですが、交渉の過程を衆人に見物されながら進んでいくような掲示板方式での交渉は正直苦手というか恥ずかしいのです。
そこの話をその看護師さんにしてみたところ「かーんけいない、かーんけいない!そんなのガン無視して交渉です!w」「あんまり安いなと思ったら交渉無しで即買いしますけどね~」等とのお話。

まさにソコなんですけどね、恥ずかしさの源泉は・・・。

やっぱ新品買うか?病院の備品として購入するか?手に入れるのはもう少し先になりそうです。

2020年2月17日月曜日

娘を見て考えるアーティストの資質

世の中にはちょっとテレビに出たりして、人から貰った下手糞な曲を数曲歌っただけの自分をアーチスト等と尊称する方も居られます。

が、その手の自称脳内アーチストは脇に置いておいて、本当の芸術家と呼べる人達というのはどういう人なんだろうと本物と思われる歴史的人物たちの自伝や記述を見てみると、その多くが「創作」との戦いに明け暮れていたというのがアーチストと似非を峻別するんだろうなと思いました。

こういう事を考えざるを得なかったのは、娘が今回Pittから他のどこかの芸術系の大学に移動するという段階になって居るこの時期、果たして娘はこの移動を通じて何を得るのかということを考えざるを得なかったからです。

次女は若いから好きなことをしたいと言うのですが、その先にあるのは自分で築く自分自身の人生。私自身は自分の子供達に「XXになると良い」等という言葉をかけたことは神に誓って一度もありません。聞かれれば一緒に考えるという形で答えるんのでしょうが、聞かれたこともないですし。w

始まったばかりの20代も無為に過ごそうと思えばアッと言う間に使い切りますし、青い鳥はどこか遠くにいる訳でもないことはメーテルリンク先生の書かれた通りです。はい。

娘が絵を書くことが好きと言っても、それを将来の人生における趣味として磨くのか、自分の口から入れるメシ代を稼ぐための道具にするのか私にはわかりませんし、たぶん今の娘にもわかっていないとは思います。

しかし、娘の生活を見ていると24時間の生活の中で絵を描きたいという衝動が手を動かし続けると言うほどのものではないことは明らか。寡作であろうが多作であろうが、ギリギリと自分の手先から生み出される魂の絞り汁を紙の上に出していると言うほどの「勢い」は感じないのです。そういう意味ではやっぱり"好き"という範囲を超えないのかなと感じてしまうんですよね。環境が変わるとまた彼女自身もいろいろと変わるんでしょうか。

それと、もう一つ私の心から離れない疑問はサイエンスの世界などでは多くの場合どうしても必要となってくる系統的な厳しい教育が、芸術の世界でも同じ様に必要なものなのか?というものです。

楽器だったらやっぱりお師匠さんの存在というのはいかなる形でも必要なんでしょうけど、それでも桑田佳祐のように天才的メロディーメーカーは別に音楽大学に行っているわけでもないですし、ロダンが当時の芸術学校は尽く落ち続け、失敗を繰り返した後、師匠と呼ぶべき人物から深い影響を受け作品に更に磨きがかかっていったというような話を知るとアートというのは学校で技術を学ぶことは出来ても・・・その先、どうなんだろうかなとちょっと考えてしまうんですよね。

とはいえ、やっぱり素晴らしいアートを生み出し続ける人が集まっているその手の芸術系の大学なんかに行ってテクニカルなもの以上に何らかの啓発を受ける、素晴らしい仲間にインスパイアされるというのが己を磨く道なのかも等とそういうことに疎い私には金を出してあげること以上の何事もしてやれないし教えてあげられないのでした。

自分の知らない世界に子供達が自分の選択で進んで生き(行き)続けている現状、お父さんとしてはじっと見守るのが最良の選択なのでしょう。

2020年2月16日日曜日

騙される看護師さん

病院の中は普通に職場結婚をしていく人達もいれば、全く予想もしていなかった女の子がある日突然「今度結婚することになりました」と報告してくることもあります。

しかもかなりの確率で全く医療と関係ない仕事の人と一緒になったりするのですが、そんな人とどこで知り合ったの?と聞くと友だちの紹介というのもあればネットで探した合コンに行って~等というのも普通みたいです。時代の違いでしょうね。

アメリカだったらカジュアルにネットでマッチングを行ったりするサイトも無数にあります。一度ネットで話題になっていた頃(もう15年以上前)に、あんなサイトに登録して一体どうやってと思って覗いてみたことがありました。まあ、ハッキリ言ってこれほどみんなが自分のプライバシーを写真と赤裸々なプロフィールで登録しているのかと逆に驚いた次第。

名前はもちろん、宗教、性的指向、子供の有無、学歴、住んでいるエリアとかまるでCIAかFBIにデータ・ベースに載せてくれと言わんばかりの剥き出しの個人情報。その後FBに自分のプライバシーを載せて友達だけで見せあっていたつもりの己も目糞鼻糞ですが、あの手の「実質的な性的パートナー募集」サイトにだけは激マズ過ぎて載せられね~と正直思いました。

さて話は元に戻って院内の若手女性。看護師さんにしてもヘルパーさんにしてもいろんな方法でパートナーを見つけて一緒になったは良いけれど・・・という感じのエンディングがあまりにも多い。下手したら数年しないくらいで「終わりました」なんて言う子が居ます。感覚的には1-2割にもなるでしょうか。

話を聞く限りではどうやら男の側がクズっぽい感じなんですが、こればかりは双方から話を聞かないと本当の原因はわからないところなんですけど、「女と金」関係の話が表に出てくるのは洋の東西を問わない感じです。

若いから情熱に任せてというのもわかるんですけど。1-2年しか持たないような相手とどうして?と言いたくもなります。まあ、それこそが若さなんでしょうけど、結婚に至るまでにはいろいろと相手の不味い点をお互いに観察する時間とチャンスは十分あったと思うんですが・・・。

病棟の誰にも言わずにコッソリと別れて居る看護師さん多すぎて。別れてしばらくした時にふとしたことで表に出てくるまで誰もその事実を知らないというようなことも度々あるんですけど、病院全体だと男女合わせると(少なくとも)バツイチ以上の人の数は半分では済まないんじゃないでしょうか。

時代は変わったものです。ていうか、昔の日本に戻ってきてるのかな?

2020年2月15日土曜日

野村監督という哲学者

野球界でこれほど高知能の人は他にどれだけ居るんだろうかといつも思っていました。

いつもボヤいてボヤいてなにか核心を突くような一言をボソっと言うという感じのおじさんだったと思います。「がんばれタブチくん」の中でも陰キャラみたいな感じでずっと描かれていましたが、この人は本当に苦労人でしたからね。

見えないほどの細い細い糸を自分の力で手繰り寄せ続ける努力を怠らなかった苦労人。糸がどんなに細くとも、必ず粘ってその先にあるものを手繰り続けるうちに、ついにはその先にあるチャンスをつかみ取り、その後も更に自助努力を怠らずに自分を磨き続けた努力の塊のような人でした。

金持ちの家族や溢れ出るような才能に最初から恵まれた訳でもないこの人の最大の武器はまさに首の上に乗っかっていた「頭脳」でした。自分を野球人として改良する方法を自分で考え、自分がどうすれば更に優れた選手になれるかを考え、それを自分の手で実際に実行していくという言うと簡単でも実際には世の中の殆どの人が出来ないことを文字通り「己の中で具現化」した偉人でした。

ID野球という言葉も残した人でしたが、南海ホークスで神のような記録を残した後も理論で卓越した人物として、多くのチームで多くの偉大な選手達を育てながら、駄目になりかけていた選手たちも更にもう一度復活させて送り出すという名伯楽としての資質を遺憾なく発揮させた一生でした。

こういう言い方は監督に大変失礼ですが、首の上についているもののクオリティーが首から下の能力を恐ろしいレベルにまで仕上げていったと思うのですが、それを他の選手達にも敷衍していくことで歴史に残る指導者になったのだと私は信じています。

私の最大の疑問は・・・あの亡くなられた「配偶者」なんですが、神様の選択に凡人が口を挟むのは愚かというべきでしょう。w

2020年2月14日金曜日

バレンタイン・デー

さて、今年もやってまいりました。義理チョコ受領の日。

病院というところは男性医師であって歳が上がればどちらかと言うと自然にチョコが集まってくるものです。私のようなしょうもないオッサンでもそれは例外ではなく、ほぼ確実に廻っている病棟毎に何らかのチョコが準備されているのです。

最近は精神科病棟で日常を過ごすということはなくなっているので、精神科病棟には当直の時以外に行くこともないのですが、いつも診療に行く内科病棟やワイワイ話をしている医事課の子などからちょこっと貰ったり。

とりあえず今年もらった中で気になったものを2つお見せします。
1つ目がROYCEのチョコ。蓋を開けたら食べるためのスプーンまで入っているというような一工夫が凝らされておりました。
生チョコレートで数量限定のプレシャスというものらしいのですが、これは中身も工夫が凝らされていて、二種類のワインを使ったもののようで、開封してびっくり。値段を見て二度びっくり。きっと味もびっくりの美味しさなのでしょうが、今の所もったいなくてまだ冷蔵庫の中に保管しております。はい、根っからの貧乏人ですので高級な食物はなかなか素直に口に放り込めないのです。

2つ目はこれまたオジサンの私にはよくわからんのですが、どうも病棟の女の子が名古屋の高島屋で並んで買い込んだというパティシェのサイン入りチョコ。
パティシェの金井さんという人は握手をしてもらうような人気の人らしいのですが、私には有り難みが伝わらず・・・。しかし、買ってきてくれた女の子に家の嫁さんが次女に対して興奮して何かようわからんことを話していたと話すと、顔を真っ赤にして喜んでくれました。

どうやら、並んだタイミングが良くて一旦売り切れたチョコが再び館内に搬入された瞬間に居合わせることが出来たようで幸運だったとのことでした。
こちらの方は私と息子でまずは一個ずつ頂きました。

あと一つ、ピンク色の包装紙で美味しそうな小粒のものをバイト先の病院の看護師さんからいただいたのですが、これはこれで大変美味しいものでした。また名前を調べておかなければなりません。

それにしても、最近は本当にパンやチョコに大変な人気が出ているのが理解できるようないろいろと工夫や味付けが盛りだくさんの品々が多いですね。私が子供の頃は生活している範囲でチョコと言えばチロル、森永、明治、ロッテの板チョコやアポロチョコが全てだったのですが、日本も食をこれ程楽しめる国になったんだな~と遠くへ来た感が強いです。

さて、一ヶ月後のお返しに向けてどうすべきか・・・。オジサンも思案のしどころです。

2020年2月13日木曜日

母ちゃんもボケボケ

ビールの飲みすぎで数年前に脱水を起こし、脳梗塞を発症した我が母。orz

その後脳血管性の認知機能障害が少しずつ進んできておりました。今年の春に82歳になりますが、MCIと言われる状態から次第次第に認知症が本格化してきたようです。最初の頃の長谷川式簡易知能スケール(HDS-R)の点数24点というのも今はきっと激落ちでしょうな。

最初の頃はまず金銭感覚の欠如が出現。あとは料理中に火の消し忘れが出てきたりとか。更には買い物をした時に冷蔵庫の中に既にあるものを何度も重ねて買い込むという日々。親父の報告で耳に入ってきたのは最初の頃は良く「肉」を買ってきていたらしいのですが、最近はキャベツらしいです。w

これが既に3-4年前からのお話ですから、最近までどんな感じで認知機能障害に基づいた行動異常が起きていたのかなと思っていたのですが、淡々とLINE経由でやってくる親父の報告を聞くところでは、ここ数ヶ月は徘徊もしくはそれに近い状況が起き始めたようで、いよいよ認知症も佳境に入ってきたかというところでしょうかね。

親父によると勝手に居なくなって数時間後に家に居たりしても、どこで何をしていたのかハッキリと話せなかったりということが起きているらしいのでまあ完全に徘徊ですわな。
まだ家に帰るだけマシなのかもしれませんが、一度なんかは警察が家に連れてきたらしいので、これまた病膏肓。

こういう人は一見すると結構流暢にベラベラと話しをしてくるので認知症なんてなさそうに見えるのですが、日常の細かい行動である、計算や記憶、空間認知能力などが次第次第に複合的に欠落していくことが普通になっていきます。

排便排尿はまだ問題ないようなのですが、そもそも物を食べる量が極端に減ってきた感じも二年ほど前から次第に出てきており、私が日常的に診療している認知症の患者さん達の行動と重なるところ多々です。ホンマ。
認知症の患者さんの家族から聞く話も全く重なる所だらけで、やっぱり教科書や実体験というのは本当にみんな「人間らしいエピソード」に溢れています。認知症アルアルっていうのは本当にみんな似た話ばっかり。

こういう経過を辿るのはまあ覚悟していたんですが、長生きするジジババも元気であればこそ~と言うわけで、そろそろデイ・サービスの利用を開始する方向で親父も動き出したようです。

私の勤める病院の先輩の「亡くなられた御母堂」も実家に帰って話をしたときには既に自分の息子さんのことを覚えておらず「おたくどなたさんかね?」と言われてガックリ来た、と言われておりましたのでやがては我が家の母ちゃんも自分の息子の顔や名前を忘れる日が来るんでしょうかな?

施設への移送等も含めて真剣にその手の対応策を練る時期になりました。

2020年2月12日水曜日

倫理が消えて法が残るw

つくづくガキの国だなと思います。日本は。

自分で責任をとって行動できない大人の国っていう意味ではいつまでたっても変わらない国。そんな状態なのに、昔に比べて法律だけは生活の中にノサバルようになってきました。いわゆるアメリカ化って奴でしょうか?

稼げなくなってきた弁護士がそろそろ終わりに近づいていてきた「過払い金返還訴訟」から医療訴訟、特に精神科領域においては認知症患者の拘束や個室移送がこれからの訴訟の対象になるであろうと専らの噂です。(実際に知り合いの弁護士さん自身が警告を漏らしてますから。)

倫理なきところに法のニーズが出現するというのが私自身の内なる、かつ確固たる信念なのです。w 訳のわからん有象無象のクレームを掬い上げて法の名のもとに訴訟を組み上げるのが弁護士ならば、その攻撃を防ぐのも病院のお雇い弁護士。

そこに流れるのは消え去った常識的な倫理の遣り取りと、その跡に生えてくる金を汲み取ろうとする弁護士と親族たちでしょうか。いつも周りの先生達の関与している訴訟でびっくりするのは「病院で見たこともない人間達」ばっかりが訴訟の原告の中心に立っているということ。

極端な物言いをすると患者なんて見舞いに来たことの無い人間が訴訟を起こし、いつも来ていた家族の人達は医療サイドに有り難うと言って感謝を表して病院を去るという感じでしょうか。

他の先生の医療訴訟の訴状を読ませてもらったことが何度かありますが、中には「マジ?」というレベルの「難癖」というか何と表現して良いのか表現に困るような私の常識の外側にある発想を以て訴訟を起こす人が居るのだということに逆に感心した次第でした。

訴訟というのはある人が「おかしい」と思った時にそれに対する刑事、民事の罰則を対価として相手に起こすものだと理解していますが、最近の日本では取り敢えず文句を言って金を毟れるところから毟り取ろうという流れが出てきているようです。

日本もいつものようにアメリカの悪いところも積極的に取り入れているようです。

こういった先にあるもの・・・一つ一つの処置と入院に山のような同意書の書類を提出し、患者や親族がサインをしなければならない殺伐とした世界でしょう。
その結果起きたのは産婦人科が車で運転して1時間の範囲に誰も居ないアメリカの地方都市!とか誰も受け取らない難易度の高い患者を運ぶ救急隊みたいなのが日本にもやって来ることでしょう。(もう来てますけどね、実際。)

医者が神様ではないことを皆が知るのは何年先なのでしょうか。

2020年2月11日火曜日

受診時に大切なこと(患者として医師として)

私のようなヤブ医者でも、日常診療で大切にしていることがあります。

日頃の診察においてはまず第一に念頭に置いているのはシンプルかつ継続的なデータ収集です。続ければ続けるほど、その人の後ろになにか隠れている迫りくるリスクや病気を探知する可能性が高まってくるようなデータです。

なんだか物凄い金のかかる検査データなのか?と思われそうですが、全く去にあらず。
実際に高齢者の疾病の検知に使っているものの中で、どんなに忙しくても診察室内で計ったり記録するバイタルとしては体重、血圧、下腿の浮腫の程度、舌の乾燥具合、脈の不整、排便・排尿の間隔と量・性状、SpO2、睡眠の性状等です。

勿論、聴診などもしますがそれは疾患が潜んでいない限りは日常ではあんまり変わらないことが多いです。血液のデータは一度採血しておかしくなければ、その人の年齢やバイタルに合わせて3ヶ月から6ヶ月の間隔で採取していくことにしています。胸の写真と心電図は最低年一回。

こういう数値データで大切なのは「収集の継続性と各種データのコンビネーション」。実際に、これらの「変化」を見つめることで「何かがおかしい」という赤色灯が回りはじめてそれがもとになって数カ月後とかに確定診断されることになる疾病を初期の段階で見つけることが何度もありました。(とはいってもそれこそが診断学の要諦の一つだと思うんですけど。)

これらのバイタルを活かすもう一つの大切なデータは患者さんのしてくれるお話。日頃の調子、周りの人との関係、日常の運動量、過去の病気の話や職業歴、諸々の雑多な生活歴、飲酒、喫煙、結婚と子育ての話、井戸水での生活をしていたか否か、御両親や兄弟、親族等の病気の話、出身地、長い間過ごした生活地等の四方山話の中から実はその人の現在や未来に確率的になりやすそうな疾患をかなりのレベルで予測する素晴らしいデータベース。

血液データや画像データは確かに神の目を提供する診断の要ではありますが、診察室の中だけでも本当にいろいろと病気が推測できることを皆様も御理解ください。というわけで、診察されるお医者さんにもし質問を受けたら可能な範囲で結構ですからお話してあげてくださいね!:-)

そう考えると、逆にお医者さんというのは患者さんからいろいろな話を気軽に「聞き出す力」も大変に重要なのです。

しかし大学病院みたいな医師が殺人的に忙しいところでは四方山話まで沢山話す患者さんは逆に煙たがられます!間違いなく。多分。w

そういうわけで、大学病院や三次救急レベルの病院はまず市井の病院で紹介状を書いてもらえるようにして行くといい理由がここにあるわけです。高度な治療を要する病院に行くまでに既に色々と前医達の推測や診断、個人のデータがかき集められているわけですから、先生の時間も節約でき、より専門性を発揮することが出来るわけです!

2020年2月10日月曜日

障害のある兄弟、子供の死

当直で悲しいことがありました。

以前私が診させてもらっていてその後別のドクターに担当が移動した障害のある「ある患者さん」が自分の当直中にお亡くなりになりました。ある部位に腫瘍があって、その腫瘍の存在のために次第に食事が摂れなくなり、やがて排痰能の低下によると思われる誤嚥性肺炎とその腫瘍の浸潤による呼吸中枢への影響のため、静かに明け方亡くなられました。

私より元年齢は下で、お父様も毎日のように来院されていた方でした。本当に親としてはこれ以上の愛を子供に示す方法は無いというレベルの愛情の示し方を身を以て見せてくださる辞儀正しい素晴らしい方でした。

息子さんが他院から転入院されて約三ヶ月、前院でも頻回に誤嚥性肺炎と尿路感染症を繰り返して居られましたが、当院に来てからは幸いにして担当させていただいている間はほぼ熱発されることも無く安定した容態でした。

しかし、腫瘍の部位的に何時でも突然の呼吸停止は有りうるという事を説明していたのですが、その「起きてほしくないこと」が己の当直の時に起きてしまいました。

お父様に電話をし、患者さんの二人の御兄様とともに御来院いただいて種々の話をさせていただいたのですが、私自身にもあまり状況の変わらぬ弟がいることを以前より御存知のお父様は逆に噛んで含めるように種々の話をしてくださり、私を励ましてくださるような状況で、その悟られたような言葉に、はからずも医師である私の方の目頭が熱くなってしまったのでした。

障害がある人が周囲に居ない人にはなかなか理解していただけないのかもしれませんが、一人では人並みの状態で日常生活を送れない家族を持つからこそ持てる人としての優しさや思いやりというものをこのお父さんから染み込むように感じたのでした。

「役に立たないものは世の中から消す」という確固たる信念を持って相模原の障碍者施設で大量殺人を働いた植松のような輩には決して、たとえ死刑判決が出ても理解できない「障害・ハンデがあるからこそ素晴らしい」世界というものが確かにここにはあるということを改めて自分の中で確かめました。

本当は通常は無いことですが、今後も可能であればお付き合いを頂きたいと思った御家族でした。

私は「効率」が世の中のすべての選択基準になった時に、きっとこの世にナチズムが再び花を咲かす日が来ると思っています。

2020年2月9日日曜日

専門医資格のコレクター

バイトで来ている某先生の話を伺う機会がありました。

性別も明かさずXさんとボカして話しますが、この方「専門医」「認定医」の資格を収集するのがライフワークなんだそうです。
興味深かったのでもう少し話を伺ってみたところ、今後の医師においてはこういった資格の有無が存在意義と言うか死命を制すのだそうで、どこに行ってもこの様な資格は役に立つのだそうです。

ナルホドナルホドと話を更に伺ってみたところ、この様な資格を取るには例えばA学会に入って年会費を収め続け、研修指定施設で指定された最低限の年間数と症例をクリアした上で、報告書を提出し、更に試験をパスした上でその後も毎年資格を維持・更新するための年会費を払い続けるんだそうです。

その専門医の資格次第では更に数年ごとに資格更新の為の症例報告数の維持や試験を継続的に受ける、または継続的に講習会に参加して点数を集め続ける等と言った行為を要求するものもあるとのこと。

通常取ったら取りっぱなしでそのまま放置なんて言うのもあって、通常学会への上納金とかお布施等と呼ばれるお金を集めるマシンだというような訳のわからない資格も多々ありますので、偏に専門医とは言ってもいろいろとその質には差があるみたいですね。

しかしながら、ある病院の理事長から話を伺ったことがあるのですが、人を集めてくる時に「XX専門医」「YY認定医」というのを綺羅星のようにもっている人は逆に要注意だということを経験的に学んだんだそうです。

最も信頼が置けるのはエリアの資格を精々3つ程度まで持っている様な人が最も技術的に信頼できるとのこと。私にはそれが真実なのか否か判別も出来ませんが、医師を年がら年中募集し続けて沢山の医師を観察し続けた経験がそういった事を言わせるのでしょうね。きっと。

まあ、大学病院を見渡してみても確かに資格を大量に持っている教授がその医局でのベスト・テクニシャンって訳でもないですからね。ある程度は真実を内包した観察なのかもしれません。

それにしても、10以上もその手の資格を持ってるって、一体年間に幾らお布施をされて居られるのでしょうか?畏るべき経済的余裕と根気です。w

2020年2月8日土曜日

確定申告の時期になりました

確定申告。面倒くさいです。

医事会計の女の子とかで一日中入力業務をやっているのとか見てると、正直なところ「凄いな~」という感想しかありません。本当に心から思います。私には出来ないです。忘年会の時期などに直接、会計をやっている女の子に「一日中やっているけど疲れんかい?」などと聞いた折に返ってきた答えが「いや、私一日中でもやっていたいんです!」というもので、ニコニコしてそんな飲み会の場所でいわれたので、逆にこちらが驚愕したのでした。

「得手に帆あげて」という言葉がありますが、まさに彼女にとっては医事会計でPCの会計ソフトと向き合っている事自体が喜びなんでしょうね。推測ですが、きっと同じ様な感じで公認会計士とか税理士とかこういう感じの仕事を嬉々としてされる方がたくさんいるのでしょう。きっと!

私は毎年毎年少しずつ変わる申告上の制度改正とかの文言を細かく読んでいくのとか本当に苦手です。というか、生来の怠け者キャラがこういうところに出てくるんですね。
アメリカに居た時も他の日本人とかで、舐めるように文章を読んで嬉しそうにIRSでのファイリングをしている人とかが居て、いつも感心しておりました。

当然、今年も払い戻しを期待してのユックリ作業ですが、ネット上で完全にファイリングさせるにも関わらず、アメリカのファイリング・システムとは「器だけ似ていて中身は全く異なる」といういつものダメダメ状態で、還付金も一体いつになるのやら全く予測さえつきません。

アメリカとか下手すると数時間でもう口座への払い戻し金額の提示とかありましたけどね?日本のお役所仕事って本当にネット上に仕事を移すのがダメダメですね。多分そんな話を税務署の人間にしても理解の枠の外だと思うので話すこともありませんが、悲しいです。世界的に日本がいろいろ負け続けてるのは、ありとあらゆる場面においてデジタルに対応できる人間がまるで足りていないからだという事なんでしょうが。

まあ、私は今年も会計課の女の子の力を借りてあれこれエッチラオッチラやっていこうと思っております。

2020年2月7日金曜日

組織・グループの長になるのは楽じゃない

多くの人は通常、年齢の上昇とともに大小様々な部門のちょっとしたXX長になったり、大きな組織のXX長というものになっていくことが平均的かと思われます。

特に戦後の日本はあまり能力の上下に関係なくポストが「ある程度は年齢に応じて配られた」のが比較的典型的な例だったと思います。人口が増えていく人口ボーナスの時期はこれでも良かったかもしれませんが、そうでない今の人口オーナスの時代においてはそういった事が普通ではなくなってきました。

一時期アメリカ式の業績相互評価とか流行らせてポコポコ降格とかやってた企業もありましたが、それが上手く言ったっていう話はあんまり聞きませんが、どうなってるんでしょうか。そもそも、他人をフェアに評価するなんて言うシステム自体に慣れていない国民を全く教育的段階を経ずにそういうシステムに投げ込んで、こんな感じが相互評価システムですから~なんていう短時間教育を行っただけで、まともに運用できるはずもありませんわね。

アメリカ式の年令に関係なくテストと面接を経てごく短期間の経験を繰り返しながら急速にプロモーションを繰り返すアメリカのような国でも、やっぱり若手が上司となって年配の部下をコントロールするのは基本的にはやっかみの対象になります。プロモーションから取り残されていく当初は同僚だった人間なんかも当然のごとく多くの場合はそういった感情を抱くのは当然で、いろいろと言われるようです。

長女もDCで二年の間に二回のプロモーションをして給与とポジションが上がる度に元同僚から最初はオメデトウと言われながらも、実際にはやっかみの言葉が影に日向に入ってくるということを経験したそうですが、長女はこの点比較的ドライで「自分も挑戦すればいいじゃん?」との一言。

まあ、それはそうなんですが・・・。

翻って私。自分も医師として組織の中でX部長、X長などという形で組織の中で逃げられない仕事と職責を充てられていくと「勘弁してくれ」と言いたくなるようなしょうもない仕事を割り当てられたり、全く自分自身には見に覚えの無いインシデントの責任者として責任をとっていかなければならならなかったり。

無論、院長などの全ての責任の終着点として一気に全ての責任を追うまでのことはありませんが、それでも人の配置換えや様々な訳のわからない不満の捌け口として悪者にならざるを得ないことが多くなります。

決して八方から「いい人」と言われるような事はない訳で、そんなことは最初から期待するほうが間違いですし、有ってはいけないと思っています。
嫌われることを恐れていては「組織」全体としてはかなり誤った判断を選ぶことがあり得ます。個人的に親しいから、中がいいからと言った理由でその人を何らかの責任者にすること無く、あくまでも能力と可能性にかけて適正配置をしていかなければならない訳で、これで全方位から好かれる訳がありません。

ときには「泣いて馬謖を斬る」事も当然あるわけです。

組織は患者さん達と共に職員とその家族の生活の基本となるもの。決して衰退させ潰すような方向にはもっていけないのが「非公立」機関の宿命なのでした。正直、疲れますが。

2020年2月6日木曜日

病院ではたまに事件が発生する

日本に帰ってきて、医師として病院に勤めるなかで現代日本を大人として眺めるチャンスを得て既に六年目。

世の中っていうのは本当におかしな人が沢山いるということに驚く日々です。

認知症などの「疾患」によって起こるおかしさというのは既に診断済みである患者さんを診るわけで、こう居う診断済みの患者さんからの発言に診察側としては驚きはほぼ無く、思わず苦笑いしてしまったり、微笑んでしまうような人間の本音が聞けて腕組みしてしまうことのほうが多いです。
逆に「ナルホドね~」というような原始的な本音満載、欲望むき出しの爺ちゃん婆ちゃんの話には普段はそういうものを知性や理性で覆い隠している普通の日常を送る大人との間では得られない楽しさが隠されています。

しかし、同じ疾患であってもやはり爆発系の怒りを見せる人は病院内であっても恐怖を感じることがあります。これは、もとヤッちゃんとかというのとはちょいと違うことが殆どで、自分の感情をコントロールできない系の人にはアップ・ダウンの状態に関わらず私個人としてはちょいとやばいか?と「危険」を感じてしまうのでした。

精神科医ではないので上手に分類はできないんですが、シーンという感じの人でも突沸という感じでなにかのスイッチが入って拳が振り回される時とか、もともとオラついている人で注射台の鉄の棒を振り回してくるような状況というのが稀に発生するものなのです。

精神科の先生の問診を用があってたまに訪れた時など見かけることがあるんですが、多くの場合、一人で診察すること無く屈強な看護師(特に男性病棟での診察)や他の看護師さん達と一緒に診察をしているようです。理由は簡単で、その手の暴発が発生した時にそれが重大事故となることを事前に避けるため。

医師側もしくは医療者側が診察中に襲われるというような事件は昔から稀ならずあって、中には命を落とされた方も居られます。そうでなくても傷つけられたり・・・。そんな時に日本の法では「心神喪失」という名称で罪が不問になるような凡例がありますから、身を守る義務は自然と我々の側に発生するわけです。

それでも、そういった同伴者無しに診察をされる先生方も居られますので、私自身は内心「肝が座ってるな」と思うことしきりです。

先日も残念ながら患者さん同士のいざこざで残念な事態が発生してしまいました。数年に一回ですが、警察が出動し調書を取らざるを得ないような事も稀ではあっても全国レベルではたまに発生してしまうものなのです。

こういったことは、未来永劫なくなることはないでしょうね。残念ながら。しかし、こういう話というのはイスラム教徒差別と一緒で、99.9%の平和主義者達の中のごく一部のテロリストをもって彼奴等は!と断罪するような話で、多くの方々は日常レベルの悩みから来る小さな問題解決を目指したり、心の底から自分の疾患自体に悩まれて「何とかして治療したい」と感じている人々がほとんど。同じように殆どの方々にはこのような危険な話は当てはまりません。

そこを理解しないと精神疾患の治療は事実を超えて「危険なもの」という都市伝説のようなおかしな話になってしまいますので要注意です。

2020年2月5日水曜日

二極化している在宅医療の訪問先

以前も少し書いたのですが、ピンからキリまである在宅の訪問先の話をもう少しだけ細かく書いてみようと思います。

この前の記述ではエアマットのベッドと畳に直に寝るようような家の話もそれとなくぼやけさせた感じで書いたのですが、家の中の種々の様子を書いてみたいと思います。(差し障りがありますので、既に訪問診療を終えた方の家のことを書きましょう。)

上のレベルの家というのは基本的に交代で来るようなお手伝いさんが居て、24時間患者さんである家族の一員を誰彼と無くケアしているような豪華なお家住まいのお家。
この手の「上」の方々の家というのはまあ、質素も豪華もあるのですが、基本的にはお金持ち感満載でも私達的には何となく冷たいという感じでしょうか。

多分、この感覚は家の中における人と人との距離感が私にそういう事を感じさせるんだと思います。で、もう一方と言うか対極にあたるのがいわゆる四畳半一間とか三畳+キッチンに家族三人で住んでいるような家。未だにそういう家もあるんです。建物自体が間違いなく私の年齢よりも古く、いわゆる昔の「文化住宅」風の家に老いた両親ともしくは片親と息子何ていうパターンが結構多いんです。

しかも、家の中には比較的ペットを飼っているというか野良猫なんかが飼い猫として餌を与えられて自由に出入りしているような家がよくあります。猫はまだ良いのですが、小型犬を飼っている家でお婆ちゃんが認知症とかになっていると比較的家の中が悲惨なことになっていることが多いんです・・・。どういう意味で悲惨かというとあまり詳述すると具合が悪くなる方も居ると思われますので、書きませんがイワユル糞尿系というやつ。

犬を飼っているカゴの周りに煮しまった畳があって、そこがもうオシッコでふやけたような状態のところなんかもあったり。また、これは私の担当家庭ではないところなんですが、他の先生の行かれているお宅などではおじいさんの周りにいつもゴキブリがワラワラと走り回っているようなところもあるそうで、こういうのは流石に勘弁願いたい。w

しかし、清潔感に対する閾値というのは各家庭で大きく異なるので、めちゃくちゃ汚れて醤油で煮しめたような布団に寝ていてもそれを何とも思わないような家庭の人達がいることも私が訪問診療のバイトをはじめて事実として良くわかったことで、こんな生活していたらそれだけで健康を損なうわな・・・と感じてしまうのですが、それを相手に伝えるわけにもいかず、なかなか大変です。

役所の保健婦さんや相談員、訪問看護師、薬剤師、食事の配達人、リハビリの人達など多くの人が関与している訪問看護ですが、こりゃ当然金もかかるわなって感じです。
厚労省って、こういう所まで制度設計して金がかかるっていうのをわかった上でやり始めたんかな?それとも、最終的には訪問看護を一斉にぶっ潰す大きな仕込み爆弾を隠しながら現在の行政を進めているのかな?

訪問看護。多くの地事業者が関与していますが淘汰の波もまた厳しいのは当然だと思います。

2020年2月4日火曜日

次女の帰国日決まる

次女がアメリカに帰る日が決まったようです。

今月の終わり頃に帰るのですが、ある程度は運を持っているようです。いつもなら、入国・帰国に一番安い中国東方航空というキャリアを選んでいるのですが、今回は私の使っているカードのポイントで帰国するため、アメリカへの帰国はANAということになります。

ですから、コロナウイルス騒動で騒々しい「あの国」を通過すること無く(もちろん今はアメリカへ向かう中国からの直行便は禁止されているという異常・非常事態ですが!)アメリカへ戻ることが出来ることになります。

そのうち、日本でも感染者の数が万一アメリカの許容する数を超えるようなことが発生したら、直行便が云々などという馬鹿げた事態になるかもしれませんが、今のところ日本は感染コントロールを上手くやっていると思います。

さて、彼女のフライト先はワシントンDCなんですね。当初はそうなっていたんですが、そこからクルッとそのまま西海岸へ向かって飛んでいくのでした。
何故かと言うと・・・カリフォルニアに居るボーイフレンドの家に再び戻ってアメリカの大学(まだどこにするのか決めていないらしいのですが)をどこにするか最終決定するまで、彼氏のお父さんの友人というのが異様な格安で貸してくれるレント・ルームに留まるんだそうです・・・。

これまた男親の私にとって見れば「訳のわからない行動」なんですが、彼女にとっては彼氏の側に居ることが出来るという小旅行のようです。私にしてみれば複雑なところですが、まあ、二十歳の人間に親がグチグチ言ってもきりが無いので、ここはジッと我慢して観察です。

実はふるさと納税で手に入れた日本の素晴らしいナイフが本日、土佐から届いたばっかりだったのですが、一回箱から出しただけで娘から「彼氏のパパにプレゼントしてもいいか?」と切り出されました。なんとナイフのコレクターで、壁にコレクションが飾ってあるんだとか。

差し上げることといたしました。断る特段の理由もなし、娘もそれなりの期間お世話になりますのでね。

ハーです。娘達はこうやって私から物欲を剥ぎ取っていきます。orz

2020年2月3日月曜日

名古屋の中の緊急医療体制

病院では本当にいろいろな事が発生します。

通常の疾患でもデータに疑念が残るようなことは素直に専門家に紹介し、自分の診断以上のものを求めてそのエリアの専門家に尋ます。誤診によって自分のところに尋ねてきている患者さんの人生を台無しにすることは許されませんので、症状やデータの改善が見られないときには紹介状をサクッと書いてセカンド・オピニオンを求めます。

そのような状況に限らず、緊急性を要するような時も三次救急などのシステムを持つ大病院に外科系の治療や内科系の緊急疾患の治療を求めることがよくあります。
例えば、転倒に伴う頭蓋内出血や、腸管穿孔、コントロールの困難なARDS患者等の発生などがそういった症例に当たります。

夜間の当直時にびっくりするような事由(例えば警察を呼ばなければならないような事件性のある患者同士の喧嘩が理由によるもの怪我等)での骨折や種々の怪我なども我々内科医の手には負えませんので、通常は決まった病院にお世話になります。

特に「この疾患にはこの病院が強い」というような病院として理解している”ある程度の傾向や情報”をもとに配分を考え依頼するのですが、実は医師同士ではその病院内の当事者だけが知る「各病院の内情」というものが伝わってきます。
これは飲み会や忘年会、医師同士の個人的なつながり、病院に来ているバイトの先生からの愚痴などから今のその病院の現状、各医局の隠れた人脈の繋がりや仲の良さなんかが漏れ伝わるわけです。

そんななか、今我々が住む名古屋市で一般的な意味で緊急疾患の受け容れに積極的かつ実績も高いのではないかと(我々の病院で)頭の中に浮かぶのは第二日赤と藤田医科大学(旧藤田保健衛生大学)でしょうか。
勿論、他の医療機関も同様に素晴らしいところがあるのですが、「断らない」という意味では圧倒的に強い印象を日頃から受けております。(あくまで個人の印象ですので、事実とは異なるとは思いますし、治療内容が云々という意味でもありません。)

三次救急で内情はきっとてんてこ舞いでしょうし、救急科が受け容れてもそれを次々と回され続ける他の専門各課の先生方は先生方できっとベッド数や実務キャパの問題でかなりの軋轢を生んでいると推測はされるのですが・・・。

日頃からこの様な形でオーバーロードの可能性が高いにもかかわらず、命と時間を削って働いてくださる三次医療救急の先生方には本当に頭が下がります。
今後も難しい症例をお願いすることがあるかと思いますが、この様な医療機関も働き方改革の中で維持運営をしていくのが難しくなってくるのではないかと密かに心配しております。

2020年2月2日日曜日

インフルエンザと報道

中国からひろまったとされる今回のインフルエンザ。

陰謀説その他の諸々の「どこで聞いてきた?」というようなアイデアも含めた諸説がネットを賑わしております。又聞きしたことをもしくは見てもいないことをもとにした風説の流布以外の何ものにも見えないんですが、大騒ぎしていてもパニックでなければまだ良いとは思うんですけど・・・あくまでパニックでなければですけどね。

現時点では病院に薬などを卸している問屋さんも「マスクの在庫が無くなってきています」との報告を病院に入れてくれてはいるのですが、正直マスクしたって「自分から出す分の病原体の巨大な一次飛沫」をある程度減らすことは出来ても、それだけの話であって、外からの侵入をカットするという意味ではかなり無力だということを十分理解されているのでしょうか。

使用にあたっても、マスクの装着方法が上下・裏表と間違っていたり、する人なんて看護師さんの中にも居たりする程度ですから、市井の人達がどれほど正しく装着しているのか甚だ疑問です。

中国政府という信頼できないソースが発表する数字であろうと、あくまで先進国諸国は諸々の周辺状況を勘案して実際の感染者数や致死率を推測しているわけですが、実際には死亡者数も含めて感染者数も全く正確な数字とは思えません。それは多いか少ないかどちらに振れているのかという意味も含めてです。

そもそも日常診療にあたっていると、例えばインフルエンザの検査キットとかあるのですが、それの偽陰性・偽陽性率ともに感染した時期と検査した時間、検査の手技等によって大きく結果がばらつくというのは医療者の常識ですし、PCR等での検査でもサンプル汚染や、検査の時期によっては当然のごとく結果に嘘が混じってくるということは「大前提」としておかなければならないのはサイエンスを行う者の常識です。

更に、病院に行っていない人、病院に並んでいても実際は通常のインフルエンザであろう人もおそらくかなりの数が混じっていると思われます。その意味では今回の武漢のコロナウイルス騒動は騒動が収束して一旦解析が終了するまではまったくその正体に関する疫学はあくまでも統計学的を使って推測に推測を重ねたものでしかありません。

病原性も強毒性なのかもしれないという前提で備えるのは大切ですが、パニックこそが医療システムの正常な防御態勢をぶち壊すということを心がけておくことが大切だと思います。冷静さこそが人類の最大の武器です。

現在のテレビ報道も、まるでノミ屋の馬の順位予想レベルのような気がするんですけどね。信じさせたい人が居て、信じたい人がいる。宗教と同じレベルのことが起きなければよいのですが・・・。

2020年2月1日土曜日

欅坂脱退の人の話

欅坂46というグループ。

紅白にも出てなんやかんやと歌って踊っているらしいのですが、私が知っているのはたった一つ。過呼吸で倒れたネーチャンが居たということ。申し訳ないくらい何の興味も無いんですけどね。あと平手というセンターのお姉さんが辞めた?とか卒業したとかいう。

若い頃から舞台一筋なのは凄いなとは思いつつも、この十把一絡げの人達はシステムに組み込まれ、プロデュースされてこその人気者。完全な合成物なんですが、脱退しても人気を維持できる人なんて(何らかの強いコネか強烈な才能でもない限り)ほぼ無理の3乗だと思います。そういう意味では、若い頃からこの世界だけでやってきて世間の常識も識るべき世界の常識も無いまま年齢だけ大人にしていく芸能界のシステムは犯罪的というか犯罪そのものです。

あの世界だからこそ生きていけるんだろうけど、世間では全く通用しない人達が掃いて捨てるほど集められている世界でしょうから。私も芸能界に居たあるアイドルの親御さんに話を聞いたことがありますが、それはそれは腐臭漂う様々なお話の渦巻く世界でございます・・・。

そもそも秋元某のプロデュースしたお布施方式の課金システム自体が私には人を見下した宗教団体の集金マシンにしか見えんのですが。握手会と人気投票による舞台の位置決めにCDを買わせ、チケットを買わせ、これでもかと言わんばかりに貧乏人の財布の底から小銭まで引っ張り出していくとか。

ネットに上がっている投票券?なんかのCD購入後に捨てられたプラスチックのゴミの山とか見てると本当にただの狂気としか思えないんですけど、彼らは一体人生においてなにか夢とか希望とか志とか言うものがあるんでしょうか。自分がコマーシャリズムのど真ん中でただただあの豚のようなオッサンの描いた図面に塗りつけられた餌の上を這い回るダンゴムシだということに気づかないんでしょうか。

わかってて突っ込んでるなら良いんですけど、「誰にも迷惑をかけてない」と言ういつもの台詞で一生一度の大切な時間を下らない事のために、とくにあの虫唾の走るようなプロデューサーの為に消費しないで欲しいと思います。無理でしょうが。
多分、祭りが過ぎてから「誰それ?」と若い世代に言われるように一周りした時にまつりに使った金と時間は二度と戻らないことに気づくのでしょうが、祭りというものがそれで良いというのであればオッサンが口を挟むことではないですからね。

追っかけも限度を超えると生活に支障が出ますよってくらいの話と思ってくださればそれでいいのかな。w

2020年1月31日金曜日

ついにブレグジット

ついにその日がやってきました。

EUROこそ使っていませんでしたが、ありとあらゆる面でEUの様々なメリットを享受していた英国がついにEUから出ていきました。今でもセンサスを実施すると英国がEUを脱退するほうが良いとする人自体の数はしないほうが良いという人よりも少数派という状況ですが、結局の所「選挙」での結果が全てですから国家自体は己の出した選挙の結果に従うほかはありません。

スコッチウイスキーの輸出もしているスコットランドは関税率の上昇に対して早くも英国からの脱出を狙っているなどというBBCニュースもありましたが、イギリスと我々が呼ぶ国は実は互いに愛憎入り交じった、歴史の様々なしがらみをもつ四カ国の連合王国ですから、その国々で今回のブレグジットに関して反応が大きく異なるのは当然といえば当然です。

一年以内にEUから貿易に関する好条件を引き出せるなどという夢想に近い条件を引き出せるなどと思って離脱したのであれば、それはボリスの大甘予想というかやはり夢想だと思います。

今まで数年にわたって離脱する・しないで国内世論を真っ二つにした上に、ヨーロッパ全体からお前らときたら・・・という感じで見られ続けていたイギリス連合王国はこれから10年後に今日の結果をどう回顧するのでしょうか、大変興味深いです。結局、経済さえ良ければ結果オーリというのが現代の最も安直な結論なんでしょうが、残された傷跡は可視、不可視のものも含めてかなりたくさんあると思います。

選挙対策の為に取り敢えずブレグジットを世に問うた挙げ句、「思いもよらぬ結果」に自ら戸惑ったキャメロンはこれから歴史にどう評価されるのか。実に興味深いです。

2020年1月30日木曜日

昔の大学病院のナース

私は日本に帰国して私立の病院勤めです。

看護師さん達は若手を中心に確実によく働きますね。年取ってる人達の中には私から見ても「歳食ってるだけで全然勉強もできてないしまるで駄目だな」と思える人も確実にチラホラおりますが、敢えてその手の人達には接触しないようにしています。

私の仕事は若かろうが、歳食っていようが、勉強をして前向きに看護に当たる患者さんに対して優しい人達を教えていくことだと思っています。
病院というところは巨大な組織であって、患者さんのケアを本筋としてそこに集まる数百人の医療職、事務職などの人達とそこで働く人を頼って生活をしている家族達の為にも存在することを忘れてはなりません。

そもそもチームプレーヤーとしての役割を果たせない人は組織では生き残っていけませんし、存在してもらっては組織にとって迷惑です。分子生物学で言うところのドミナント・ネガティブというものですね。

今独立行政法人になっている大学病院というところがどうなったのかは全く知りませんが、私が大学生だった頃の医学部附属病院というのはおそらく全国どこでもだったのでしょうが、恐ろしいほど看護師が働かないところとして悪名高いところでした。

当時はあそこの組織というのは基本的に看護師が日誌を書きに来るところでして、カルテという芳名録にその日の記事を書くことが御本人様達のメイン業務となっていたのでした。で、結局のところ注射のセットアップ、採血、血型チェックから研修医やその上のオーベンの先生方が率先して仕事をしていたのが印象的でしたが、大学病院のいわゆる国家公務員の看護師で長く勤めていた人間達の中には当然のように医師より給料が高いものまで居たと言います。w

しかも、国家公務員ですから余程の無能でも「やらかし」をしない限りは馘首にはならずという世界。そこは外から見間違えている聖職者ではなく労働者の世界でした。
それが月日も流れて独立行政法人になってからというもの、外の世界を知らないバカ猿は今ではかなりの絶滅危惧種らしいのです。要するにサービサーとして生きていけなくなったにいんげんは去らざるを得なくなったという話。どこまで本当なんでしょうかね。

まず電カル導入で、それを使えないおばさん達がサーッと辞めていったと言います。そのあと、結局、サービス産業という自覚のない人たちが次に櫛の歯が落ちる如く抜けていったという時期があったらしいのですが、その時期に私は日本には居りませんでしたので、友人たちの話を聞いて識るしか無いわけなんですが。

一番印象的だった先輩の話は、大学病院が停電になって小児科病棟の呼吸器の電源に問題があって動かなかったマシンが発生した時に、ドクターたちが大慌てで病棟を走り回って対応していたとき看護日誌をかき続けていた馬鹿に「あんた何してるんだ!」と言ったところ、「日誌を書くのが私達の仕事です!」と緊急対応中のドクターに言い放ってそのドクターが激怒。ボコッと尻を蹴りつけたと言います。今だったらかなりの問題となるんでしょうが、私がそのマシンに繋がれている子の親だったらバットで殴っていたでしょうから先生はまだ優しかったのかな?

時代は変わったんでしょうね。どこに行ってもその組織内で使える・役に立つ人間でありたいものです。

2020年1月29日水曜日

長女の語るDCの人間達

今回の長女の帰国でもう一つ聞いたことがNY好きかい?という質問でした。

まあ、あまりにベタな質問ですが、お父さんとしては数多ある聞きたいことの中の一つには相違有りません。こんな事書いてますけど、じゃあ実際何を聞きたいんだと言われたら「元気でやっとる?生活は安全?勉強は充実しとるかい?」というような、誰でも聞きそうなことくらいしか思い浮かばないんですけどね。w

長女いわく「最初はNYの生活にドキドキ、ワクワクしていたけどなんか慣れた」というものでした。まあ、そんなもんでしょう。そもそも彼女がボルチモアやDCに住んでいた頃から何度も自分や友達とNYには遊びに行っていて、どんな感じの街かとわかっていたはずですけど、観光客として遊びに行くのと実際に住んでみるのとでは大きく違うでしょうから当然の感想。取り敢えずは地に足が着いたということでしょうね。

私自身がNYのMemorial Sloan Kettering Cancer Centerに一ヶ月研究者として滞在したときには、まずNYという街に漂うニオイというものに街を感じました。次に思ったのは街を歩く人達の歩く速さに驚いたこと。少し慣れてきたと思った頃に街のデリーの美味さにハマりました。

娘の学校はSoHo界隈にありますから、私の記憶するNYがそれほど変わっているとも思えませんので、「あの雰囲気」の中で日常を過ごしているのか・・・と思うと「若い頃にあそこに居るっていうのは良いよね~」って思ってしまいます。慣れればどうって言うことはない日常なんでしょうが、ありとあらゆる展示物と興行、人種が集まる街で若い頃を過ごす意味は大きいと思います。

彼女の語るニューヨーカーに関する感想はまだまだ固定していないんですが、DCで関わった人間たちにはかなり否定的だったのが印象的でした。

娘が仕事をDCで二年間仕事をした中で典型的だったのは、彼らの関心事が相手の「仕事」「ポジション」「給料」「学歴」そしてその後に続く「ネットワーキング」ばっかりというものでした。実力もないのに学歴だけでマウンティングをしてくる嫌味な輩というのは洋の東西を問わず居るようで、話を聞いていると思わずナルホドというような話のオンパレードでしたが、実際には逆にハーバード卒でも実力を出すだけでその卒業であることを隠す人間も少ないけどいたとの事。

娘が本人に「なんで言わんかったん?」と聞くといわゆるハーバード卒というカラーで一様に色眼鏡で見られたくなかったとのこと。確かにこれは有名校ならではの一つの対処法ではありますが・・・。

娘には言ったのですが、DCという街の特殊性を考えれば、米国においてキャリアの階段を登ろうとする人間達が最も集まってくるであろう街だと思われるし、仕方ないんじゃないの?と言うと、「わかるけど住みたくはない。」との一言。あいつらしい、にべもない感想でした。

VAの田舎で、高校の同級生の殆どのキャリアの終着点がhouse wife or nurseというような所から出てきた人間である娘にとっては大都会はいろいろと今までになかったことを否が応でも考えさせる場所みたいですね。