2020年12月31日木曜日

あっという間の一年

去年も同じくあっという間の一年、そして今年もあっという間の一年。生物としてのエンディングが毎秒毎秒近づいてきているのを実感する日々です。w

子供達もそれになりに育ってきているし、オヤジの俺が死んだとしても長女は既に2回目の就職で結構良い収入を得ているし、長男は取り敢えず問題のないレベルの障害者年金を得ているし、次女は次女で(オヤジの死をもって)学費は免除されるであろうし、嫁さんは嫁さんで家の支払いは免除された上でアメリカの俺の401kと日本の寡婦年金で贅沢さえしなければ生きていけるかな?と思う次第です。

私は私で日々忙しくそれなりに充実した日々を送っているのですが、病院で仕事をしていると人間「明日はわからないもの」という、これだけは疑いようのない全く完全な真理を好むと好まざるに関わらず目の当たりにさせられますので、日々元気に生きていることだけでも謙虚に感謝しなければなりません。

普通の日常の活動、仕事というのは体が動いて、頭が動いてこそのもの。今年一年も「取り敢えずは」普通に動いて人のために役立ったことを神や仏に感謝です。そうは言うものの還暦に向かってまた一歩近づいたわけですから今後も斎戒沐浴の日々を送って精進するしかありますまい。

世界全体がコロナに揺すられ続けた一年ですが、来たる年は科学の力がコロナを普通の病気の位置まで引きずり下ろし、皆に安心が拡がり経済活動や人的交流が復活することを祈っています。少なくともトランプ・フリーの少しは良い時代になる事でしょうが。

皆さんにとってもより素晴らしい一年となりますように!


2020年12月30日水曜日

日本の隠れた貧困が嫌でも目に入ってきた一年だった・・・

この数年で在宅の仕事をすることで、名古屋の貧困が「より一層」目に入ってくるようになりました。

名古屋というところは良くも悪くも日本の多くの労働力、特に製造業の多くをごっそりと抱え込む大都市の一つです。そこで発生している労働環境の変化と労働者の様子の変化はまさに日本という国の都市の変化を前もって占うもの。

私が気付いたのはこの数年で「若い労働者」でさえも仕事にあぶれて病に倒れ、住む場所を失う人達が増えているのを強く感じます。ここでいう若いというのは勿論50代前後からを示すのですが、まだまだ働く意欲もあって働ける人達がちょっとした理由をつけて会社を追い出されたり、長く居た寮から立ち退きを命ぜられたりと厳しい目に遭っているようです。

私自身はこの他にもここで以前ちょろっと書きましたが、あちこちに「目立たぬ形で」子ども食堂が増えていることにも気づきました。本来はこんなシステムがなくても家庭が機能していれば不要なシステムであるはずなんですが、実際には家庭があってもシングルママで仕事をすれば家では子供をみれないケースや給料が少なすぎてカツカツで、育ち盛りの子供達にご飯を十分に食べさせてあげられなかったり。

その人の年齢や性別、健康状況などりその逼迫のパターンは書き出すと本当に様々です。大人が相手であろうと子供が相手であろうと、こんなシステムが増えなければならない事自体が本当は良くないことなのですが、必要なのですから仕方ありません。必要であればあったほうが良いに決まってます。

餓死したり寒空のもとで震える人が居ない年の瀬こそが皆にとっての良い年の瀬。困っている人が居たら、手を上げさえすればレスキューされるシステムが身近にある事こそが肝要でしょう。日本に戻ってきてこれでアッと言う間に満六年。寄付も含めて自分の稼いだ金で彼らに手を差し伸べてやることの出来るもっとシステマチックな方法を探し続けたいと思います。

もう少し智恵と時間ああれば、そのシステムを自ら構築できるはずなのですが、怠け者かつ発想が貧困なせいでなかなかドネーション以上の良い方法を導き出せません。

何か無いかな。ああ、本当に頭が悪いし行動力がない。


2020年12月29日火曜日

世間は休みでも病院は休まない

コロナ禍の留まるところを知らない年末が続いています。

我々の病院でも今年一年で職員さんが2名陽性、そして職員さんの家族が2名コロナ陽性者と判定されています。すべての職種を合わせると500名前後となるこの大きな組織が、これだけコロナが流行っている状況でそれだけで済んだという事自体に幸運を感じざるを得ません。

毎日毎日多くの職員さん達がその家族との間で普通に接触し、かつ開放病棟の患者さん達は朝の9時を待ちきれないかのように毎日外に出ては買い物から帰ってきます。まあ、基本的に近所のコンビニにみんなで行って帰ってくるだけですのでまだリスクは少なめなのでしょうが、それでもその行動自体がリスクファクターには変わりません・・・。

前回、第一波の発生時に愛知県に警戒警報が発令した時にはビシッと感染がコントロールされました。ところが更に桁違いに巨大な第三波が来ているにもかかわらず、名古屋市も愛知県も前回のような明確な「非常事態宣言」を出してくれませんので、病院を行政の指示という明確な形でロックダウンできないままです。しかし、こればかりは仕方ありません。我々自身が行政を遥かに上回る注意を自主的にするしか無いのです。

まあ、病院は未だに危篤状態の患者さんとその家族さんの面会以外は許しておりませんし、中にいる全員がほぼずっと緊張感を持って過ごすとともに、外出、その他諸々の点で何らかの不便を強いられています。

しかも、万一コロナ患者が院内で確認された場合に、いわゆる「ボランティア」としてコロナ患者の対応に当たる看護師さん達10名も既に決定されています。一体その10名が誰なのかは現時点で私達医師にも知らされていませんが、厳しい状況であることに変わりはありません。

以前にもここに書きましたが、そもそも精神科の患者さん達というのはこのような状況では治療のチャンスという意味で差別を受けやすい存在。治療中に暴れたり指示に従わなかったら・・・等という「万一」の事態を理由に転院を渋られることが多いのです。「責任を取れる方を一緒に付き添わせてください」等と言われても実際には家族が居なかったり関係断絶という形で捨てられている方々も多いのです。

ワクチンの成否はまだ判りませんが、やがて多くの方々に免疫が成立するような安全なワクチンが配られることを心の底から願うと同時にクラスター発生などが起きないことを願う令和2年末の私でした。


2020年12月28日月曜日

実家が空き家になったなら?年末に思うこと。

両親が80台ですが、来年の誕生日を迎えたら83になります。

今日ネットで記事を読んでいて、いわゆる「田舎の空き家」というものを放っておくとどうやらとんでもない事になることがかいてありました。事実が淡々と記述してあるだけだったのですが、2015年の「空家等対策の推進に関する特別措置法」というものが施行されて以来、空き家を放置しておくことによる所有者責任の発生に関していろいろな事が書いてありました。

そもそも万一のことがあって(既に単なる時限爆弾ですが・・・)両親が倒れて家が空き家になるような事が発生したら、タブに間の家はアッと言う間に劣化していくと思われます。家というのは人が住んでそれとなく毎日使われてメンテナンスが行われて初めて家として綺麗さを保つわけであって、一年も住まなかったら多分、九州の実家は資産価値どころか不良債権まっしぐらかと思われます。

大体において、九州でも福岡以外の一部を除いた田舎の家というものはこの人口急減の日本においては殆ど不良債権と言っても良いのではないでしょうか。私も実際の所、先日叔母の最後に立ち会うために田舎に戻った時に家の周りの(一昔前は)瀟洒だったアパート群の多くに既にカーテンがひかれていないのを目の当たりにして、この辺りでも人口が目に見えて減少しているのだという事実を実感しました。

「空家等対策の推進に関する特別措置法」によると、家のメンテが悪く周囲の環境に対して危険であると認定され、「特定空き家」なるものに認定されると固定資産税の軽減措置は廃止され、場合によっては立ち入り調査や修繕命令、撤去命令がくだされそれでも改善無き場合は強制代執行による解体とその費用の請求なんて言うのがなされるというもの。

勿論、そこまでは行かないとは思いますけど、そもそもこの空き家をどうするかに関して良く考えておかないといけないと最近強く思っています。頭の中には幾つかのプランがあって、それなりに優先順位を付けて考えてはいるんですけど、こればっかりはどうしたものかイマイチ結論は見えていません。

一番いいのは両親自身が今のうちに見切りをつけて家の売却プランを私に提示してくれるのがベストなんですが、苦労して手に入れた終の棲家をに関して息子の私からあれこれ言っても何だかね・・・。特に母親の方は親父と違って手に入れたモノに固執しておりますので、結構大変ではないかと推測しています。

母親は田舎から名古屋には移りたく無いと言うし、先に親父が逝ってしまったら蓋手間くらい余計に面倒臭いことになりそうです。仕方ありませんが、それも考慮に入れたプランB、Cも準備しておかねばなりますまい。

唯一今の時点でまともにこういった事を話し合えるのは現実的に言って親父だけですな~。


2020年12月27日日曜日

日本の年末年始の受験生悲喜交交

我々オッサンは既に高校受験、大学受験等という時期を遥か昔に終えています。

人と人の間での順番毎に頭から切り取っていくという明示的な順位競争という意味ではこの2つの競争以外には私は経験がありません。学校にいる間のテストでの順位付けなどというのは基本的に次の人生の大きな節目を決めるほどのものではなかったので、正直なところその時点での基本的な学力を測るのに最も近いのではないかと考えていた「実力テスト」以外のテストは殆ど無視しておりました。

大学受験のように頭から100人のみを切り取るというようなテストで実質的に将来の職業まで決めてしまうのが医学部の受験でしたから、やっぱりハイテンションになるのはこの大学受験を以てそのピークと言って良いと思います。

これに比べると医師国家試験なんて言うのはメチャクチャ楽勝。何人だろうと一定の水準を超えた得点さえ叩き出せば極端な話「全員」合格するわけです。これは結局自分との競争のみ。

医師国家試験というのは基本的にパターン記憶の勝負ですから、二ヶ月間部屋にこもって友人達と寝ても覚めても過去問10年分を解く事で容易に高得点を取ることが出来ました。大学受験の時のように広範なエリアの異なる科目の知識を詰め込み続けたりしなければならないような勉強とも異なり、基本は全て人の体につながる知識ですから、ロード・マップは非常に描き易い世界でした。

さて、去年もそうでしたが、この時期周りの「受験生」という年頃の子供達を持つ看護師さんや医師の友人達の話を聞くと、当然のごとくクリスマスや正月は春まで無し!というのが当たり前の世界。しかも、直近の模試などで成績が振るわず、判定が厳しかった子の親達は「来年は浪人の可能性大!」とか言って嘆き節の連発です。勿論その逆もありますが・・・子供の気持ちは別として親は影で一喜一憂しているようです。

幸いにして我が家はそういった時期はアメリカに子供達が居たために、子供達が「気付いたら」我々に持ってきた結果を見て「へー」とか「ほう」とか言うばかりでしたし、私自身も受験というものから離れて既に35年以上というのはやっぱり遠い遠い昔の出来事ですね。

殆どの国公立大学受験生にとって先ずは共通テストの初日1月16日。心の底から日頃培った実力を発揮していただきたいとものです。親御さんも息を止め子供さん達を見守るような日々でしょうが、最後まで応援をしてあげてください。何れにしても、この残り僅かな時間を使って夢に向かって突き進んでいって欲しいものです。平等平等で人生の競争を教師達によって「阻害」されてきた若人諸君の人生初の真の競争にハッピーエンドが訪れますように!


2020年12月26日土曜日

アメリカの悪夢はきちんと終わるのか

未だに己の負けを認めない「世紀の馬鹿」にも終わりは来るのでしょうか。

周りの人間達もそろそろこのいかれた金髪のオジサンの首に鈴をつけようといろいろしているようですが、脳味噌に巣のあいたジャイアンにはのび太の持つ良識は通じません。

ロシア疑惑、売春婦問題、Twitterを使ったフェイクのバラマキ、有り得ないような司法妨害、コロナ対応への大失敗、そして最後っ屁という形で自分に忠誠を誓ってブタ箱に入れられそうになったり入れられていた人物を恩赦しまくった男がこの大統領職をきれいに去るのかというのが次の大いなる疑問です。

アメリカでは最近は表からは見えにくくなっていた「アメリカがもともと持っていたアメリカ自身に内在する暗い側面」を見事なまでに体現させた男が7000万票以上もかき集めて対抗馬のバイデンに肉薄していたという事実は、アメリカが普段表向きに世界に向けて唱導するpolitical correctnessとは全く縁のない世界であの国に国民として住んでいる人間が山の様に居るという事実を得票数という形でリアルに示し思い出させてくれました。21世紀初頭のアメリカの現実がこのクソ男の存在のおかげで、見事に炙り出された事になります。

私自身は民主党の中に存在する一部の極左的発想には全く共感を示せませんし、逆に共和党支持者が持っている自分の努力と才能でのし上がっていくという自助努力の発想にも大いに共感します、しますが・・・あるべき姿はその間に有ると思っています。ただ、共和党の良識ある自助努力派をも間違った形で己に引き込んでアメリカの分断を深めた罪は本当に万死に値すると思うのです。

アメリカ・ファースト等と表向きには国内どころか自分の住んでいるエリアの事しかしか知らないような馬鹿な田舎者のアメリカ人を中心に票を集めているだけと考えられていましたが、薄く広くその他の世代やエリアでも支持者は沢山いたという事実になんともやるせなさを感じますが、事実はそんなもんでしょう。

果たして実際の所、この男のリアリティは「Me First」に終止していたという事。在任中どころかTVでThe Apprenticeに出ていた頃から周りの見えないテレビ向けの俗物だなとは思っていましたが、大統領になってからも徹頭徹尾、最初から最後まで清々しいほどのクズでした。職責は人を作るといいますがその言葉が充て嵌らない輩もやっぱりいるということを確認させてくれるという意味では貴重な症例でしたね。

次のバイデン氏が健康問題を起こさずにきちんとその任期を全うできるかということも心配事の一つではありますが、兎にも角にもこの悪夢のような4年間が来年の1月19日に「何事もなく」終了してくれることを心の底より願うものです。


2020年12月25日金曜日

次女の帰国時期変更!

仕事中に次女からテキストが入ってきました。

Big News My required studio classes for my major that were supposed to be in-person announced that they changed to virtual because of worsening COVID-19. So now I don't have to go to America. I am deciding to stay in Japan and do online classes until covid ends because of ....(以下理由を幾つか羅列)

という感じで、長女のみならず次女までリモートでの授業になってしまいました。結局の所、授業の全てがリモートになってしまったということで、このコロナの時代の「極短期間での」凄まじい社会の変貌ぶりには、驚きを通り越して時代自体が変わっていく原動力が(感染症とは言え)外的要因として影響を及ぼしていることに感慨深いものがあります。

ふとソファの上の娘のマック・ブックの上の紙切れを見てみると、次のセメスターの時間割がびっしりと書き込まれていました。そこで考えたのは唯一つ「この授業って全部日本の夜中ににやってるよね?」という事。ということは、日本では昼にバイトをして夕すぎに夜食を食べた後にその疲れた体と頭で授業に突っ込んでいって朝方近くまでZoomの画面を眺めながら勉強をする?ということになります。

果たして、そんな事を来年の夏休みの始まるまで続けるようなことが本当に出来るのかという話。まあ、次女の場合は比較的私と似たところがあって「滑り込みセーフ」的なところで辻褄を合わせる人ですので、おねおねしながらも何とかかんとか一年を過ごしていくのかな、とは思っていますので余り心配はしていません。

日本にいる間はLockdownされたピッツバーグに戻ることもなく、健康保険代は払わずとも日本のインシュランスで全てカバーされるという有利な条件。ただし、既にピッツバーグにはリースを開始した物件が有るので、その物件はサブリースすることでなんとか経済的な凹みを解消していこうとするようです。上手くいくかどうかは次女次第ですが!

年末になって、急に来年に繋がるいろいろなことが起きる我が家の年末でした。


2020年12月24日木曜日

クリスマス・イブ

今日は家に少し早めに帰ってきました。

クリスマス・イブのほうがクリスマスより大事かつ盛り上がるという不思議の国日本ですが、それもこれも、これほど「宗教というものに心底からは傾倒していない」日本人の特性によるものでしょうか?

数百年の昔から、日本を訪れる各国ガイジン(主に西洋)の皆様の手記には、日本人の生活様式には自然の中に存在する八百万の神々を敬い、そもそもは異国由来の仏に手を合わせつつも、神様(神道)にもやっぱり同じように敬意を示し~というような一神教の国民には良く理解できない何でも取り敢えずは拝んでしまうという日本人の観察記録があちこちで普通に書かれています。

とは言えアメリカに居た頃のようなsirent night感は全く無い中での日本のクリスマス・イブはどちらかと言うと単なる子供達のプレゼント収受会というべきイベントだと思うんですけど、まあそれはそれで経済を回すためには良いのかもしれません。私自身はもう本当に物欲というものは無くなってきておりまして、欲しいのは後部座席を取り外したポルシェ・ターボだけという慎ましいもの。(どうせ買えないので、欲しい物は無いのと同じ!w)

さて、家に帰り着いて早速気づいたのはテレビ画面から流れるアメリカのクラシカルなクリスマスソングの定番達。まあ、クリスマス好きの嫁さんの発想でしょうか。直ぐにテーブルの上には各種の皿が10種類以上並べられ、何となくアメリカっぽい感じを出していました。

息子と娘としてはそれが嬉しかったようで、パクパク食べておりました。その後には定番のケーキが出てきたのですが、アメリカに居た頃のようにオーブンで焼いたでっかいケーキではなくて、セブンで買ってきた小さめのケーキ。ところがコレがびっくりするほど甘さ控えめの美味しいもので、ちょっと最近のセブンのスイーツの真剣勝負具合に驚いてしまいました。

その後には息子へのプレゼントとしてお菓子の詰合せとジグソー・パズルが3セット。娘達には私からちょっと多めの商品券。家族から私にはパジャマでした。アメリカにいる長女にもその二分割した半分を日本での使用分としてとっていることを報告した所、「ありがとう」との連絡。

こうやって我が家の今年のクリスマス・イブも静かに過ぎていくのでした。


2020年12月23日水曜日

ロシアはやっぱり碌でも無い国だなw 

プーチンがとんでもない独裁者っていうのはロシアの知識人の間ではほぼ合意事項のようですが、ニュース読んでてとんでもない奴だという認識に笑うレベルの確定事項が加わりました。

やっぱり社会主義国家・共産主義国家が理想の形式云々どころか先ず以て人間の運営する組織としては全く機能しないアイデアであると断言できますね。そもそも人間には知的能力差と欲望と勤勉性の大きな差があります。そこに運の要素やカリスマ性が加わって貧富の差や身分階級などが入ってくるわけですが、それが良いこと悪いことではなくて「事実」なのだから仕方ありません。

勿論、そういった事の「行き過ぎ」を解消するための動きとして王政打倒や資本家への攻撃などが近代になって革命という形で行われ、更には高福祉国家というものの概念が成長を遂げてきたわけですが、それは正しい方向へ動くための揺り戻しの過程。

富を分配して貧富の差を無くして優れた党がみんなを主人たる人民を指導するなんて言う訳のわからないアイデアは結局の所、無謬の理論として神の如く上が下を搾取する方便を与えるだけであることは、北朝鮮をみるまでもなく中国でもロシアでも碌でもない人間が碌でもないことを「独裁者」として行っているのを見ればあまりにも明白。

今回大笑いしてのはロシアのプーチンが「大統領経験者が罪を犯しても生涯にわたり訴追されない権利を保証する法案」というものに署名をしたというもの。

今までは在職中の犯罪行為のみ不起訴だったらしいのですが・・・。(この手の不逮捕特権もある状況では有用でしょうが、多くの例ではトランプを見るまでもなくとんでもないとは思いますけどね)

更にとんでもないのは大統領経験者が捜査機関による尋問、捜索、逮捕を逃れるのみならずその家族も保護の対象とか。唯一の例外は国家反逆罪と最高裁、憲法裁判者が認めたときのみ訴追対象になるとか?じゃあ、そこに至るまでの証拠集めはどこの捜査機関がするの?ってことですが、そこに至るまでの過程の主人たる捜査機関が御本尊に対する尋問等を行えないのですから何をか言わんやということです。

全くもってどこの野蛮人の発想なのかということなのですが、トランプがこれを見てまさに「コレだ!」と言っているはずです。w

碌でもない国で碌でもない輩が碌でもない考えを形にして己を守ろうという法案を署名通過させたのを見て、ああいう国では民主主義国家の「常識」などというものは全く通用しないという事がよく分かるものである事を再度認識させられた日となりました。

こんな事が日本で起きたらそれこそ俺はこの国を出るか革命軍に参加します。日本に生まれて良かった。


2020年12月22日火曜日

コロナ陽性者はそこかしこに

バイト先の病院で「使用しているデイ・ケアのサービス利用者に新型コロナの陽性者が出てしまったせいで」偶発的に濃厚接触者となってしまった患者さんの検体検査に行くことになりました。

「発症の2日前から1メートル以内で15分以上接触した人」というのが濃厚接触者の定義だったため、私がいつも在宅で診ているこの患者さんはその定義に当てはまってしまいました。おまけにそのデイ・ケア利用時にマスクを着用していなかったと言いますので、これは保健所的には当然アウトです。

とは言いながら、今回担当地区の保健所ではなく何故私が個別にお宅に行ってサンプル採取をしなければならなかったのかと言うと、理由はごくシンプルで保健所のキャパ・オーバー。もう保健所としては一件一件の個別の疑い案件等に対して職員が毎度の対応を行えるほどの人的資源の余裕がないのです。ですから保健所から私のバイト先の病院に直接「サンプル代理収集の依頼」が入り、その要請に対して我々も協力を行うという形で事が運ばれたわけです。

基本的にやることは病院と一緒なんですが、病院と違うのは我々が仰々しい防護服をフルに着て家にやってくると「周りの人」がどう思うかという状況が発生し得るという状況なので、患者さんの家の中に入るときにも私一人が入り、しかもササッと見られずに入れるように車を家のドアのところに近づけて入りました。勿論、誰も見ていないのを確認してからの訪問です。

到着直前までにゆっくりと移動の車内後部座席で服を着ながら準備万端。最終的には「一見すると」人類で初めて宇宙から帰還した飛行士を迎えるNASAの科学スタッフのような感じで家の直前まで来るわけです。その後は家に入って患者さんの鼻腔にスティックを入れて5回ほど内腔を擦りサンプルを収集、それを送付用の溶媒に浸けて箱に密封し保健所へ送るセットアップ終了。

その後、手順に従って二重手袋まできちんと外し特別なゴミ袋へ入れて車へ戻りました。

このバイト先の病院に来てこんな事は勿論ありませんでしたが、今年に入ってからは既にあちこちのデイ・ケア及びその関連施設でコロナの陽性患者がボコボコ検出されています。もう以前のような特別感は一切なし。我々の側も淡々と保健所と協力しあって処置を進めていくだけです。

我々もいつ感染してもおかしくはない状況になってきました・・・。


2020年12月21日月曜日

普通は起こらない?そんなミスが重なることで普通に「最悪の事態」が起きます。

今回の爪白癬(いわゆる水虫)の優秀な治療薬イトラコナゾールに眠剤が混ざったという訳のわからないほどのとんでもない事件は間違いなく我が国の薬害史に名を残す悲劇となりました。

小林化工というのは調べてみるとジェネリック製薬会社の有名所の一つと考えて良いでしょう。我々がジェネリックを処方する際に多くの薬で最後に「MEEK」と付く会社のものを使っている事には気づいていたのですが、それが小林化工のものだということはこの事件が起きるまでは知りませんでした。他にもよくあるのは「サワイ」「アメル」「トーワ」などですが、明らかにMEEKは有名所の一つ。

残念なことにイトラコナゾールというのは水虫の治療薬としては素晴らしく効果のある薬でして、塗っただけでは治りきらない水虫もこれを経口的に長期服薬することでほぼ完全に治療することが出来るのです。いい時代になったもんです。

ところが問題はこの「高い倫理観と技術」を持っているはずのこういう医薬品の会社が「普段は起こらない」ハズのミスと手順違反が次々と重なっていたという説明。ありえないのはそもそも継ぎ足し作業そのものであり、継ぎ足したものが間違ったというのは間違いの上に間違いが重なっていることになります。

薬剤の工場搬入でも2人の人間によるダブル・チェックがなされていなかったし、バーコードによる間違いを減らず薬品管理もそもそも存在せず、最終的に行われていた品質検査でも異物混入が示されていたにもかかわらずそれも見過ごされていたという。

こういった事はマニュアルの不備も去りながら、マニュアルがあってもそれを無視し続ける現場の人間も普通にいるということです。こういった事は過去にもJCO臨界事故、病院における眼球や乳房の左右取り違え事故などで限りなく繰り返されています。間違いの起こらないシステムや人間の作業というのはありません。

しかし、それらがこと人命に関わる作業である場合、可能な限りではなく「絶対」を求めるレベルで安全性を追求することが我々の基本姿勢でなければなりません。首脳陣がビデオカメラの前で揃って90度頭を下げて、被害者へ保証金を払って、国から業務停止と改善命令を受けて終わりというのはもう結構です。

今回の事故を受けて「実は」肝を冷やしている他の製薬会社は他にも多いのではないかと私は一人思っております。「他山の石、以て玉を攻むべし」まさに今回の件でしょう。


2020年12月20日日曜日

rowingの辛さと楽しさ

体重コントロールのために続けているrowingですが、最近は淡々と出来るようになってきました。

以前と変わってきたのは負荷の量が増えても「きつい」と感じるまでのレベルがかなり上ってきました。以前は5キロ漕いだら汗がブワッと吹き出していたんですが、最近は最低でも10キロは漕げるようになってきましたし、当直明けの時間の余裕が有るときには800カロリーを消費するために15キロ以上漕ぎます。

以前だったらそもそもその距離を一回では漕がないように心理的なストップがかかっていたと思うのですが、最近はそれは無くなりました。むしろしないと落ち着かないくらいの感じですね。

このトレーニングの最大の問題は「ケツ」でございます。どういう事かと言うとこれだけの距離を漕ぐとなると時間としては50分から1時間10分程度かかりますので、私の薄い「おケツ」では下の硬いプラスチック・シートではとてもとても30分以上の長時間漕艇は出来ないのです。

長い時間漕ぐと、漕ぐ辛さなどどうでも良くなってお尻の辛さがまず第一の問題になってくるのです。どっちかと言うと漕ぐことよりもお尻の辛さを耐える競技になってしまう事で、もともとの目的など何処かに飛んでしまうのです。w

そこで、その「ケツ痛問題」を解決するためにシートの上に敷く緩衝ジェルを購入してそれで問題をかなりのレベルで解決できました。これがあれば少なくとも一時間程度まではお尻のことを忘れて頑張れます。

一ヶ月だと平均して大体150キロは漕ぐことになっているんですが、だからと言って筋肉モリモリになるわけでもありませんし、腹が大きく凹むわけでもありません。結局の所、こういった運動は私にとっての中年男性としての健康体重「70キロ前後」という数字を保ちつつ、好きなものを比較的好きな程度は食べる自由というものを与えてくれるものだと思っています。

脚や肩の柔軟性も保たれるなんていうことも良いことでは有るのですが、何より大事なのは「心肺を使った運動をやっている」という心の安心感が最も大きなプレゼントでしょうか。

来年も淡々と続けつつも内容に変化を導入して更に続けやすいようにしていきたいと思います。しかし、この程度では体重の減少には繋がりません・・・。orz そもそも、体重を減らすという目的のためだけならばこれがベストの運動ではありませんし、しょうがないですな。この運動自体は私にとっては楽しい作業ですからそれで充分としておきましょう。


2020年12月19日土曜日

喉のうがいは水か塩で十分でしょう

新型コロナの季節になって喉の痛みを訴える人も例年に比べると大幅に減りました。

これほどまでにマスクと三密回避が種々の「かぜ症候群」の発症を抑え込むのかと実感すると改めてそのパワーに驚かされます。インフルエンザなんぞは現時点でほとんど全国を探しても絶滅というレベル。勿論、海外との交流がほぼ無くなっているという事もその発症抑制には物凄く大きいファクターなんでしょうが。

とにかく今年はそういう訳で風邪で喉を痛めた人を診ることが激減しているんですが、実際に喉が痛い時の対応はどうするのか医者も通常はそれぞれ独自の処方を出しているというのが多いのではないでしょうか。

よくあるのがトランサミンとか、イソジン等のうがい薬、そしてトローチ。医師によっては定番のように抗生物質や胃薬をここに併せて処方する人もおられますが・・・。最近医師のフォーラムをつらつら読んでいる時に、このイソジンやのどぬーるスプレー等を激しく糾弾している先生がおられました。よく経歴を見てみると耳鼻科の先生。そしてそこに他の耳鼻科の先生方も「全くだ!」風の書き込みが次々に。

その指摘する所によると、そこにいるウイルスや細菌を消毒するという名目で咽頭表面の細胞をガンガン傷付けていることで、更にその後の痛みが増してしまうというものです。実際の所、私自身は風邪をひくときにはまず喉からやられる人なのでこういった薬を「以前は」使っていました。ところが、こういった薬を使っても使用実感としては改善しているのを全く感じられないところかその日の夕方には更に痛みが増すなんて言うことがごく普通でしたから、「そうかもしれん」と思う感覚はあります。

そもそも表面にそういったものを使用したからと言って細胞の中で増殖している細菌やウイルスを殺せる訳もないわけで、その点は理屈にあってませんよね。

そういう事を考えると、そもそも「感染しない」という感染防御のほうがよっぽど大切なわけで、そのためには水うがい程度で、しかも頻回のうがいが一番効くのではないかと思います。実際にそういう論文もありますし。

手洗いと一緒でうがいも頻回にしかもそこら辺の水道水で充分だと考えます。カネを使わずとも達成できることは予防医学に関しては幾らでも有ると思います。万一発症した時に私がやっぱり使うのは桔梗湯エキスでのうがいですかね。(細胞からサポニンが分泌されることが実験的に実証されているようです。)

兎にも角にも、かからないことが一番です。


2020年12月18日金曜日

ドラマや映画でいろいろと駄目な人達

ここ数年ほどはアマゾンやNetflixなんかで大量に映画やドラマ、アニメなんかを観れます。

だからと言ってはなんですが、例え映画であっても昔のようにDVDをWalmartで安くで買ってきて、イソイソとそれを再生装置に入れて~なんて事はもうほぼ無くなりました。(未だに昔のアメリカで買い揃えたDVDなんかは時々引っ張り出して観てはいますが。)

比較的高速大容量のネット環境が水道や電気のように当たり前になって以来、オンデマンドでそういった作品を見るのが当たり前になってしまいました。多分今時の子供達にはDVDやBlurayなどと云うメディア自体がレガシー・システムになっているでしょうから、これから先の時代は今持っているいわゆる「手持ちのDVD」なんかを再生する装置を探さなくてはならない時代がきっと来るのでしょう。

8ミリビデオ、VHS、Hi8なんかの我が家の子供達のビデオなんかも本当に再生する装置自体が無くて、今のうちになんとかデジタルメディアに変換して渡しておかないといけないなと焦っているところです。

さて、話は逸れましたが本日書きたかったのはそういう事ではなくて、そのオンデマンドで幾らでも観ることの出来る作品中に出てくる大根の話。幾らでも定額で観ることが出来るからこそ、本当にチャンネルを変えるように次々と無数の作品群からドラマや映画を観ていると、折角の台本を「ぶち壊す」レベルの大根役者が出ているのをちょくちょく眼にするわけです。「一体誰がこんなのを主役に据えた?責任者出てこい!」みたいなレベルの役者。

宮崎アニメなどに出てくる、一部の「棒読み声優」のような感じの役者版と言えば良いでしょうか。w

折角の良い台本を壊すのが大根役者なら、一方で名優の演技をもってしても救いきれないほどのクソ台本というのもありますので、いろいろなものを短期間のうちに比較できるからこその役者、内容の比較ができる時代。やはり眼を肥やそうと思えばいろいろなものを大量に注意深く見る必要がありますね。

それにしても今日観たアマゾンのドラマは観た時間分だけ人生の無駄でした。あ~時間の無駄。時間の無駄。主役もドヘタやし、筋書きも有り得へん!というレベルのもの。よくもこんなレベルで映像化を許したなって思ったんですけど・・・。

誰とは言わんし、どの作品とも言いませんがゴールデン・クソ作品賞というのがあれば差し上げたいような作品でしたな。orz


2020年12月17日木曜日

やっぱりデカイ第三波

残念ながら、従前の予想通りの拡大を見せてきました。

この手の予想は社会にとっては当たらないに越したことはないのですが、まさに残念なあたりです。そもそも皆で集まるなと言っとる宰相自身がその日の夜や前日などに会食で集まってるところを叩かれてしまっているという間の悪さ。

ワシらオッサンは「何やってんだよこの間抜け!」とは言うものの己の行動をそれで緩める事は有り得ませんが、若い兄ちゃん達の中には「首相がやってるんだから俺たちも良いよな~」なんてノリで飲み食いに出かけるのも居そうで、何だか嫌ですな。

取り敢えずデータを見てみると愛知県はもう真っ赤に燃えています。

太く高い第三波。第一波が赤ん坊のように小さく見えてしまいます。
この重症者数の増加がベッドを埋め尽くしていくわけです。
では、インフルエンザはということでデータを眺めてみると、以下のような感じ。
今年に入って12月の今の時点までは昨年以上に「ピクリとも」患者が出ていません。確かにインフルエンザ様の高熱の患者を診る事が本当にありません。高めの熱の患者で当然のようにコロナの抗原スクリーニングをかける時にもしやと思ってインフルのチェックもdualで調べることがありますが、今年は今の所一切出ていません。多分、このままで大幅に変化することは無いのではないかと思われます。いわゆる流行り言葉としてのtwindemicは少なくとも今年は起きなさそうです。

この低下は、まさにマスクの効果と三密回避による感染リスクの低減と言って良いでしょう。そう考えると、コロナの感染力というのはインフルエンザよりも高い可能性があると感じてしまいます。インフルエンザは感染者が次の人に感染させるリスクと言うのに余り個人差はないと言われていますが、新型コロナの場合は数人の感染者の内、1人が多くの人に感染させるというパターンを取るようだと言われていますのでそういう感染力の平均値では出こない嫌らしさが潜んでいるようなので厄介です。

しかも、もう一つこの事態から予想されるのはもしコロナがワクチン等で相当上手に抑圧され成功裏に来年に臨めるようになったら、今度は今年インフルエンザで感作されていな分、いつもワクチンなどを打たない人々の群の中でどっとインフルの感染者が増えやしないかという予想です。

何れにしても見えない敵というのは対策が大変ですね。


2020年12月16日水曜日

老いた親との同居とか・・・

今日患者さんの娘さんが遠方の地からやってきて、私と面談をしました。

実は彼女のお母さんは私の管理している病棟に既に一年半も入院している患者さんなんですが、普通こんなに長期にわたって入院させることはないのですが、循環器の先生が特別に彼女の病状に関して関心があり、これほどの特別な長期になっています。

まあ、それは良いとして今回彼女が久しぶりに病院に来てくれたことで現時点での御母堂に関する種々の状況説明を行うことが出来てよかったのですが、家族関係に関して連絡が取れないごく近所に住まわれている「ハズ」のお兄さん方が何故お見舞い、というか説明を受けに来れないのかをそれとなく伺ってみたところ、本当に正直にそのお母さんが発火点となって上の兄弟お二人の御家族が崩壊してしまったというお話を切々と話してくださいました。

切っ掛けは御母堂の配偶者がお亡くなりになったことで、家に引き取って同居を始めたことだったようです。最初は良かったらしいのですが直ぐにありとあらゆることで衝突をしはじめ、後は崩壊というのを長男だけでなく次男の家庭でも同じことをしてくれたみたいで、近所に住んでいながら決してお母さんには近付かないし連絡も取らないとのこと。

娘さんによれば「外面だけは良い」のだそうです。このおばあさん、病棟では言動丁寧で仕事も沢山手伝ってくださる愛されキャラなのですが・・・家族にとっては悪夢のような存在のようです。

娘さんは病棟の面談室を去る時に私に「私がこうやって母のことで面倒を見るのは別に立派なことをしたいとか感謝からではなくて、こうしないといけないだろうなという世間に対する義務感のようなものです。」と言われました。

日本の病院に帰ってはや6年。家族関係というのは外からは見えないほど異様に複雑なことが沢山あるという事は学びましたが、一見すると素敵なお婆さんと笑顔を絶やさず直ぐに遠方からやって来てくださる娘さんの間にこんな複雑な捻れがあったことに改めて驚いた次第です。

老いた両親を自分の家庭に導き入れることには「同居実験」と言うにはあまりにもリスクの高い何かが潜んでいる可能性も決して忘れてはならないということでしょうか。それぞれの人物は社会においては良い人であっても混ぜるな危険とでも言うべき親子関係も世の中には多いようです。


2020年12月15日火曜日

アメリカに残している401K

アメリカで職を得て払い込んでいた401Kの値を時々覗いています。

私のアメリカ時代の薄給からちょこっとずつ毎月天引きされていたものですが、アメリカを離れて6年。取り敢えずそのまま手を付けることもなく放っておきました。60歳になる前に手を付けたところで、猛烈に税金を抜き取られるだけなので、よっぽど追い詰められていない限りはおいそれと手を出して現金化するものではありません。

注ぎ込まれた私の給与を仮にXとすると、10年ほどでその額が3X程になりました。私のプランはどちらかと云うと、リスクと言うか積極性のレベルでは中程度よりちょっとだけ安全な方に振っている実に保守的なものだったのですが、それでも10年で約3倍ですから、積極的なリスク高めのものはどれくらいになっていたのか知りたい気もします。まあ、これで十二分ですが。

以前覗いたときに一旦ボッコリと凹んだことがありました。それがいわゆるリーマン・ショックのときだったのですが、そのときは一時期順調に増えていた総額が暫くの間、と言っても数ヶ月間ですが、三割ほど減ってしまいました。私自身は投資の方針としては一旦買ったなら上がろうが下がろうが基本的には十年は持っておこうという感じの投資しかしませんので、たかがその程度での低下では「あれまあ」程度の反応です。

落ちた株というのは通常アメリカ株であれば普通は黙っていても戻ってきます。特に今回の私の場合の401kではIndexファンドに投資するタイプでしたので、ファンド・マネジャーが猫レベルの脳味噌の持ち主でもない限りは必ずリバウンドして戻ってきます。そして実際に戻って来て最初に書いたように今の時点で上に書いたような「成長」を遂げた訳です。

翻って日本ではどうかと云うと、自分の親父が国家公務員だった頃にそんな確定拠出型の個人年金にあたるようなものあったっけ?てな感じで、親父は確か退職金とみんなが貰う年金だけだったような気がします。ただ、親父達には国民年金の上に積みませるような文部省共済組合の年金が確かあったはずでして、(日本の公務員制度のこと全くわかってませんが!)かなり優遇されていたはず。

いずれにしても年取ってリタイアする頃に受け取る年金の額は普通にやっていればアメリカのほうが給料に比して遥かにデカイはず。そもそもが、投資という概念は日本人の平均的な人々には全く届いていないはずです。それがアメリカでは出来て何で日本では出来ていないのかと思ったら近年は日本にも企業では普通にあるのがiDeCo。使わない手はありません。

日本って投資教育したらアメリカ人より平均して皆リッチな老後を送れると思うんだけど何で「投資は博打」みたいな感じで対応するんですかね???タンスや貯金箱に金を投げ込んでおいても金は増えませんが・・・。

謎の投資倫理です。


2020年12月14日月曜日

チューハイは危険だな~

患者さんの中で酒を飲む人(特にアル中患者)の言葉の中にチューハイという言葉を良く聞くのは日本に帰ってきてからです。

とは言っても、実際に自分自身がそれに金を使ってまで口にすることは最近までありませんでした。最初の一杯となったきっかけは企業戦略。実際にそれは巧妙で、LINEで配られたコカ・コーラの「鬼レモン5%」が鳥羽口。

最初の感想は「へ~、こんなにも酒を意識させん酒もあるんやな」と云うもの。実際その最初の一本はタダだった訳ですが、それを次にも買ってみたのも自分自身。基本的には余り物の選択で悩むこと無く同じものを選び続ける傾向のある私ですので、それ以来、10本は間違いなく買いました。

しかも、そのシリーズに存在する5%、7%、9%(ウェブ上でチェックしてみると、3%もあるみたいです。)という別のアルコール濃度も試してみましたので、最初の一本をタダで配ったコカ・コーラの戦略はきっちり初期投資としては回収され尽くしたと思われます。

その上で思ったのが、自分にとって5%以外のもので350mL缶以上のものは明らかに「酔い」を誘発する事でした。ドブロクや日本酒で「酔う」というような「呑み方」というのは通常私自身は今迄は家飲みでは発生させませんので、この「自分にとっての新しい酒」の呑み方を改めて意識してみることはリスク回避としては大切な事だと思いました。

まず口にする時には5%以上のものは手にも取らないこと、そして買うときは500mL缶を購入しないこと。勿論、呑む量のトータルは5%であっても2缶を超えないこととして、通常は1缶で済ませること等としました。そもそもビールなどを毎日のまなければ仕事から帰って来た気がしない等と云う先輩も医学部等にはおられましたが、私に関して言えば酒を呑みはするものの、飲酒に関してはそんな事は決して無かったので、「味付け」によってジュースのように酒を飲ませるこの缶チューハイは飲酒の鳥羽口を下げる「リスクファクター」として記憶しておくことで、病院外来を受診するアル中患者さんへの警告となるものだと強く感じました。

飲みやすく、種々のバックグラウンドに隠れる味付けで人を酒に惹きつける企業戦略、賢いけど、頻繁にアル中の内科的治療をしている私個人としては危ない戦略ですな・・・。要注意です。


2020年12月13日日曜日

転倒、転倒、転倒

高齢者の多い病棟に勤めていると高齢者ならではのインシデントに遭遇します。

そしてその中で最もよく起こるのが誤嚥と転倒でしょうか。通常は脳血管障害がベースになってそのような障害を起こしますが、老化によるインシデントとしては早い人は70代でその様な障害が発生し始めます。

生物の老化というのは本当に個体差が大きく、人間はその中でも最も個体差が大きな生物の一つじゃないのかななどと1人で想像したりしますが、それはきっと生物としての日常生活における食・睡眠・運動などのパターンが他の動物などとは桁違いにバリエーションに富んでいるからではないかと思います。もちろん遺伝子上のバックグラウンドの差も巨大な要素の一つではあるのでしょうが。

そのせいでしょうか、60代で既に生物学的には80歳くらいに見える人もいるし実際にADLも80代に人もいれば90代なのに見かけが70そこそこにしか見えない人まで様々です。しかし、肉体年齢が衰えている人を中心に誤嚥や転倒のインシデントは頻発。時にそのインシデントは命を奪いかねない危険なイベントとなるのです。

一度などは70代で歩行機能の落ちていたお爺さんが廊下で「地蔵倒れ」の感じで後ろ向きに昏倒し、直ちに近隣の医科大学で開頭手術が施されましたが術中に死亡されるというようなことが起きました。

そういう極端な例は稀だとしても、椅子から立ち上がった拍子に、トイレから立ち上がった拍子に、ベッドから動こうとした拍子に転倒したり尻餅をついたことで驚くほど容易に大腿骨頸部骨折や寛骨、そして恥骨骨折などの単純・複合骨折を起こしてしまうのです。

入院時に骨密度の測定を行いその数値がある一定の数値以下の方を骨粗鬆症として最初にアラートを発しておきます。その上でベッド上、若しくはリハビリ室でのリハビリを通した骨量の維持を行って、カルシウムの取り込みを促す薬の使用と共に筋量も増やそうとするのですが、本人の認知能力や意欲の問題などが様々に絡み合いそのリハはなかなか進まないことも多いのです。

個人的に強く思うんですけど、肝になるのは中年以降のコンスタントな運動による筋力と骨量維持ではないかなと。そういう意味ではある程度自分に鞭を打つことで「無理せず」頑張るのはこれから自分自身には益々大事になるかと考えるのした。

とは言え俺は根が怠け者だからな~。コケて怪我する爺さんの一群に属さなくて済みますように・・・。w


2020年12月12日土曜日

「1917 命をかけた伝令」を観て

第一次世界大戦での英独の塹壕戦を描いた映画を観ました。

昨年英米合作として制作された映画で、最大の特徴としては「一見すると」あたかも最初から最後までワンカットで制作されたかのように見える非常に巧妙に作られた映画だということです。(実際にそのカット間も相当長尺です)実際の塹壕戦の戦闘の激烈さと悲惨さの描写という意味では全く真実には及ばないと思うのですが、その塹壕内での兵士の日常の描写と当時の兵士達の戦闘の前後の様子は多分、大変精密に描写されているのではないかと感じました。

第一次世界大戦での戦闘では戦車、航空機、毒ガス、潜水艦、高性能の銃器等がワンサカと登場しており、今迄の地域間の戦闘とは一線を画するレベルで、殺る方も殺られる方もその質も量も全く酷いことになってしまった多国家間の初の大規模戦闘でした。しかも死傷者数は今もってたぶん世界一。

当初の戦争開始の興奮と情熱は急激に醒め、始まった後は「何故戦っているのか?」という戦闘開始当初の大義と決意が消えた後も今日戦っているから明日も戦う的な状況がヨーロッパ全体を覆い続けたのです。

厭戦気分とやりきれないほど大量の人々の死がヨーロッパを舐め尽くした後、今度は30年も経たないうちにアノ男が登場してきて世界を戦闘の渦に巻き込んでいったわけです。

そもそものきっかけはサラエボへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フェルディナント大公を暗殺した事件(サラエボ事件)が大本で、私自身もこのフェルディナント公の着衣を貫いた弾丸の跡をウィーンで見たことがありますが、狂信者のこの一発が1500万人以上の人間の死を導き、更には第二次世界大戦での悲劇を間接的にもたらしたのかと思うと「XX主義」などと云うものの信奉などというものはほぼロクデモナイものだと言うことが解ります。

それだけに留まらず、この一発はハプスブルク家とロマノフ家の終焉をももたらした訳ですから、なんともはや恐ろしいほど重い一発だったわけです。言って悪いのですが、まさにバタフライ理論レベルの激烈な振動。

一度あげた拳を下ろす場所など容易には見つからないのだということを我々後世の人間は鬼の如く何度も噛み締めなければなりません。恐ろしいのは、今この様な事態が発生した時にそれを交渉・判断していくのがテレビに映っているような「あのレベルの政治家達」なのだということでしょうか・・・。orz

1917を観てそういった諸々の事をつらつらと考えてしまった今日の深夜でした。


2020年12月11日金曜日

納税者を「わざと」育てない国

今年もふるさと納税の駆け込み選択の時期がやってきました。

毎年毎年この時期になるまでにさとふるや、ふるなび等のサイトから何通もメールがやってきて「こんなものあります」「あんなものあります」という感じで推薦してくる種々の品々が盛り沢山。だからと言って直ぐ選ぶこともなくほぼ毎年こうやって年末に駆け込みチョイスです。

あとは福祉施設への現金寄付とモノの寄付を行うというのが私の例年の動き。実際の所、最後の瞬間になって鬼のように動いているわけですが、日本に帰ってきてこの瞬間ほど納税者である自分というものを意識する瞬間はありません。

アメリカに居たときは同じように寄付する場合でも、どこの誰にどれほど寄付するのかきめ細かく自分で選ぶことも出来たし、自分の持ち物もdonationという形でガンガン持っていってその金額を記録して年末の調整として計算していたものです。

日本ではサラリーマンからは天引きという形で自分の税金がどれだけ引かれるのか大きく意識せずに毎月納税「させられ」ています。そもそもこの天引きという方法は先の戦争時に導入された戦時体制の名残りなんですが、戦争が終わって75年経ってもまだ国はその便利な徴税方法を改める気配はゼロ。要するに国民に税金を払わせることには「大変」熱心ですが、その使い道や払わせ方を意識させるようなことに関しては極力目を向けさせないようにしているわけです。

おまけにその税金を国、県、市、町、村の各レベルの馬鹿で恥知らずな議員達の箱物行政や取引材料の餌食として我々の税金が喰い物にされていく訳で、どう「使い込まれるか」を詳らかにされるのは大変困るわけです。

基本、NHKの受信料と同じで、どう使われるかも判らない金が「徴収」される訳で、これで納税者意識が醸成されるわけがありません。無理。例えばNHKの受信料であれば、役に立たない置物のような天下り会長その他に払われる多額の給料や退職金、ネットでもいくらでも得られるレベルの別に公平でも何でも無い報道に何故こんなにカネがかかるのか、そして過去のNHKの我々が払った受信料で作製された膨大な数の番組を見るのに何故我々は二重に多額の金を払ってしか視聴することが出来ないのか等、ピンポイントで火炙りにすることが出来るわけです。

しかし、税金に関してはそれが巧妙に隠されており「こんなもんなんだから仕方がない」という気持ちを国民に持たせて「終わり」です。各種のガソリンにかけられる税金にかける税金のような「明確に違法」な徴税でも、国家の御都合で放置されているわけですから世話ありません。w

ほんと、みんなもっと怒ろうぜ!


2020年12月10日木曜日

Gotoキャンペーン全く使わず

Gotoキャンペーン、個人的には全く使わないまま終わりそうです。

今時医療従事者としてはわざわざリスクを犯してまで外に出ていくのもアホらしいですし、結局は己の税金となるこの馬鹿キャンペーンをリスクを犯しながら支える気はそもそもありません。(これから更に感染者が増えれば政府が宣言して強制的に停止するでしょうが、何時になることやら。)

結局は使わないままで、どこかの誰かさんが必死になって予約したり、スマホでぐるなびなどから予約して、予約していった店でクーポン使える上に飯を食べてある一定以上使ったらクーポン再発行とかいろいろあるみたいですけど、一言で「結構です」って感じです。そこまでして食いたいものはほぼ何処にもないです、というかそんな事に気を使わず食べたり泊まったりしたい。そもそもがクーポンとかポイントには余り気を回さない人間なので、仕方ないと思ってます。詰まるところ「面倒くさがり屋」なんですが。w

そんな私に「折角の得なことをしないアホやな~」と考えるかとか、旅行での「宿泊費や旅先でも使ってご飯その他の食べ物も安くあげられるのに勿体ない」とかいうのもあるんでしょうが、数百億円の税金を前倒しして使い込んで、結局のところ払うのは我々自身なのですが・・・?勿体ないと言うか自分の足食ってるだけでしょうという感覚しかありません。

何故、この飲食、宿泊(そして多分旅客輸送業も?)産業だけを集中的に助けるのか、という議論も深くされないまま使い込む数百億円。役所が使う愚にもつかない箱物行政への数百億円に比べれば遥かにマシだとは思うんですが、感染症の拡散へのアクセルとして働く可能性という事を考えると「何だかな~」というところ。

以前も書きましたけど、アクセルとブレーキをどっちつかずで踏み込むとか結局マシンがぶっ壊れるという顛末を迎えることになりはせんかと心配です。経済回すために、生き残るためにそういう産業を保護するためにどのみち来年度は更に己が増税の対象となるのはわかっていますけど、その支払い自体には誇りを持って喜んで協力したいと思います。

ただ、感染症の拡散だけは避けたいものです。この点は特に乗り気になれない大要因ですね・・・。やっぱり使いたくない!


2020年12月9日水曜日

ワクチンを打つか否か。選択の日は近し。

最近名古屋大学の先生とお話をする機会がありましたが、当然のごとく名大のようなマンモス大学ではコロナに感染する学生なども発生しています。

学生が熱発した時の狼狽ぶりなど話してくれたりもするのですが、医療従事者としては淡々と学生達に「アップデートされた情報に基づいた」適切なアドバイスを送り続けるしか無いという、至極当然のことを話しておられました。基本は保健所との連携ですけどね。とは言え今のコロナ禍のもと、保健所の担当者と連絡をするのはなかなか大変なようで、連絡一つするにも電話がつながるまでがけっこう大変な場合なども有るようです。

しかし、いま医療機関では既に検査対策などの手順は一通りルーティン化されてきておりますので、こういった場合にはどう動く、こういった場合にはどう動くというような標準的な手順が既にフロー・チャートとして整っていることもあり、慌てることはほぼありません。もちろん、知らない間に院内でクラスターが発生していたりしたら慌てはするでしょうが、取り敢えずは全数検査などはしておりませんし、有症状者を選別することで大規模な感染などは発生しておりません。

こうなると我々の中での次の話題はワクチンのこと。ワクチンがいつ来るのか、何処の国のどの会社のワクチンを使うことになるのか、一年に一度で済むのか、そもそも我々のところにワクチンは優先的に来るのかなどと云う質問を看護師さんから受けたりします。

正直な所、まだその結論はもう少し先の話ですので、我々にも現時点では推測しかできません。ネットなどではXXのセットが1億回分とかXXのキットが何処から輸入されるとか言っておりますし、まずは優先的にX歳以上の年寄と医療従事者を優先して・・・等と言っているようですが、それも具体的にどの施設からなどとは言っておりませんしね。

更に一歩踏み込むと、そもそも配布されたワクチンを素直に打つのか?という質問があります。通常は5-10年かかるワクチンの開発と製造が、このワクチンに関して言えばわずか2年弱!ワクチンの安全性の確認は慎重に慎重を期して進められていきますので、それだけの手間と時間がかかるのが普通。しかし今回はそれがかなり短い。

そもそも、ヒトパピローマウイルスのワクチンでさえ世界的には最終的に安全であると確認されているにも拘らず、日本では一部の狂信者の発言から逆に多くの救われるべき命がこれから数十年の間に消えていくことになってっしまっています。(既に確定事項・・・残念ですが!)

それからすると、今回のコロナウイルス・ワクチンが「たとえ行き渡ってたとしても」素直に皆に打たれるのか否かという点に大きな疑念が生じてきます。現時点で早くもイギリスなどではワクチンの大規模接種が既に始まりましたが、これから出てくるであろう有象無象の副作用等に関する症例報告から真の情報が選り分けられて、正しいワクチンの接種の影響が短期的に評価されてくるはず。さらには超長期的な影響は・・・これは残念ながらすぐには判りません。

我々医療従事者、打つべきか打たざるべきか。ハムレットのように悩む人も出てくるのではないでしょうか。私は・・・です。(秘密w)


2020年12月8日火曜日

血液疾患の難しさ

数ある疾患の中でも専門性とその理解の難しさという意味では血液疾患に勝るものはなかなかないと感じます。

血液疾患というのは「ある程度」までは疾患の内容を字面の上からは暗記することは出来ますが、他の疾患というのは消化器や神経にしても、やはり「ある程度」までは深みを持って理解することが出来ます。ところが、血液とその他の疾患では「ある程度」のレベルが違うと考えます。

血液疾患の研究においては多くの優秀な人材が集まり(研究志向の強い人材!?)各種の優れた遺伝子その他の研究が進められてきました。日本の血液研究は世界でもトップクラスと言えるレベルで、東大や名古屋等が総本山を目指して研究に邁進してきた歴史があります。

私が学部の学生だった頃などは21世紀の現況と比べると、本当にまだまだ未成熟と言えるものでしたが、解析手段の劇的な進歩は血液学に多くの恵みをもたらしてきました。一昔前であれば「思考実験」レベルのものであった解析法が現実に眼の前に出現するとともに、レファレンスとしてのヒトゲノムが眼の前で日常的に使えるようになり、タンパクの解析手段も劇的に進化するとともに、解析の速度の劇的向上は昨日までは夢想でしかなかった方法論を用いて試行錯誤を可能にしてきました。

また、解析結果の解釈に関しても比較や解析が高度なレベルで「容易に」行われることとなるとともに、AIを用いた思考実験を通しての分子間相互作用が超高速で行われ、昔はSF映画でしか出てこなかった推論と莫大な超高速演算による分子間相互作用の解析結果としての新薬候補の設計とスクリーニングが出来るようになってくるという世界の登場が眼の前にあります。

私が学生だったときの血液疾患の情報量を1とすれば、現在の血液学の情報量というのはその100倍は優にあるのではないかと思ったりします。当時は全く手も付けられなかったような血液疾患が今では普通に治ったりという時代ですが、これから更に経口服薬等で血液疾患が治療される時代になってくるのでしょう。

それでも未だまだ治療できない疾患も多々あります。血液の専門家に血液疾患のことを聞いてももちろん我々とは比べるべくもない深く広い知識を以て専門的アドバイスを下さるのですが、そういった先生にしても「今は中でもいろいろと専門エリアが深く広く別れていて我々の中でさえも其々の専門家に質問をするのです」とのこと。宜なるかなです。

そう考えると、我々一般内科医の見つめる血液疾患の理解などというものは極めて皮相なものなのですが、血液の専門家が内蔵をどれだけ見れるか、呼吸器は?という時代ですのでお互いの専門性を尊重して助け合うしか医学の進歩は無いと感じます。

先日久しぶりに血液専門の先生に伺って理解することがたくさんあり、意外と自分が研究していたエリアの分子が次々と疾患のパスウェイに登場することに個人的に納得する次第でした。

何歳になろうと勉強は大事だし楽しいです!


2020年12月7日月曜日

勝川に初めて行く

私が勤めている病院の常勤医を辞して非常勤医なられた先生が移って行かれた老健を訪れました。

以前からその先生が「一度ご飯を一緒に食べましょう」と誘ってくださっていたのですが、遂に時間が出来ましたので、先生と一緒に私の車に乗って先ずは先生の働かれている施設に行ってその中で擦れ違う看護師さんたちに次々と挨拶をしながら中を見学させていただきました。

なかなかシステマティックに作っれた構造の施設で、春日井地域に昔からある「基幹施設」的なところで、多くの老人達が入居するとともに、クリニックはクリニックで多くの方々を診察するようになっており、その裏側には先代の院長が付設されたというリハビリ、トレーニングジムが並んでいました。

「なるほどね~」と感心するとともに、今まで私が回ったことのあるどの施設ともちょっと毛色の異なる感じで、面白いなと感じました。老健であって病院ではないので、やれることの内容もかなり病院とは異なっており、それなりに「お金を使わない工夫」というものもなされています。

その後、先生が住まいとして使われている勝川駅そばの高層マンションに移動しました。小牧空港などへの飛行機の離発着が非常によく見えるし、 一人暮らしにしては全く意味不明なほどの広いお家に1人で住まわれておりました。最新の家電を一通り揃えておられて、楽しそうでした。

暫くして家を辞し、2人で歩いて近隣にある「水徳」という店に移動し大変美味しい鍋料理を食べさせていただきました。そこで先生が予約してまで食べさせてくださったのは「ひきずり鍋」という料理で、数種類の醤油をブレンドした割り下と名古屋コーチンの鍋なのですが、実は名古屋コーチンの本場中の本場とはここなんだそうで、店によると「水徳が使用するのは春日井の"稲垣種鶏場"の「純系名古屋コーチン」全国から一流の料理人が遠路はるばる求める逸品です」とのことで、誇りを持つだけのことは有ると思える味でした。

ともあれ、この効果な料理を広い店内で2人だけで舌鼓を打ちながら贅沢に食べさせていただきました。実はこっそりと先生が教えてくださったんですが、「鶏は良いけど鰻はイカン!」と言って笑っておられました。既に賞味済みとのことでした。w

最後に先生が全てを奢ってくださり申し訳なかったのですが、先生が当院から移動された後も大変充実した日常を送られている事に感心致しました。それにしても、勝川駅周辺は実はいろいろと味のある飲み屋・食べ物屋が散らばっており、味わい尽くすのには時間がかかりそうです。また、勝川に行って今度は酒を飲んでみたいものだと感じました。


2020年12月6日日曜日

子供による老親のネグレクト

本当に世の中はいろいろな精神疾患に溢れています。

その様は人の体格が色々異なるように、人の顔が其々異なるようにと言うほどの自然な差異だという気が最近しています。無論、精神科の病棟を歩き回ると認知症の人も含めてうつや統合失調、薬物・アルコール依存、双極性障害などを始めとする本当に驚くほどのバリエーションに富んだ「異常」というものを目の前で観察することが出来ます。

しかし、先ず以てわからないのは「異常」と言われて入院治療を受けている人間の異常とは一体何なのかということなんですけど、例えば統計学的にある能力や指標を設定して母集団の95%に入らない上と下の端っことか、97.5%に入らなかった切れ端である上下1.25%とか?以上に高いXX能力とか異常に低いXX力等と云う感じでこの様な人達を「普通でない人達」という感じで遠ざける人も多いとは思いますが、凡夫に入らない上の端っこだろうと下の端っこだろうと、こういう人達は一生において平均と異なることで特異な生活を送りつつも(多くはトラブルに満ちた人生でしょうが・・・)人類の遺伝子に種々のチャレンジングな変異を持ち込み続ける可能性を持った人々だと私は内心考えています。

さて、その様な人の中の1人にあたる「自分の子供」によって人生を終わらせてしまいそうになったおばあさんを診察することになりました。

この娘さんは統合失調症の一症状として「被毒妄想」というものをもっておりまして、それを老いたお母さんにも押し付けることで、一緒に御飯を食べない日々というのが長期化した結果、遂にはふたりとも餓死寸前という状況でレスキューされ、娘さんは精神科病棟へお母さんは私の内科病棟へとやってきたのですが、老いたお母さんの方は最初はもう驚くほどのガリガリで、体のあちこちに褥瘡をつくって入院してこられました。

お母さんはもう最後の方では生きる気力も無くなり一緒に死んでいもいいという状態だったらしいんですけど、統合失調を発症した娘とともに家の中で亡くなる既(すんで)のところで助かり、かつ娘さんも薬を服用して本当に話のわかる礼儀正しい「普通の人」に戻ってしまいました。

現時点では取り敢えずはメデタシメデタシなのですが、今後とも症状の再発も含め、問題が起きないとは限りませんので、ソーシャル・ワーカーや訪問看護師さん達の協力も得てこの人達の人生を安全なものにしていかなければなりません。しかし、不幸にしてそういったサーチ&レスキューが効かなかったケースも全国には無数にあるはずで、こういう時代だからこそ、老々介護を含め、8050問題等のケースも「システマティックに」一見ドライに見えるほどしっかりと行政の手で家族の観察を継続し、その様なインシデントの発生による悲劇の連鎖を止めていかなければならないと思いますね。

しかしそれを達成するためにはお金と人と知恵が必要。AIの力を使って、家族の加齢と構成の変化を戸籍などから推定し、保険支払いの経過データをそれに被せて見ながら、リスクの高まっている家族に積極的にアクセスすることも直ぐにでも考えていく必要があるのではないでしょうか。


2020年12月5日土曜日

はやぶさ2の快挙!凄いを通り越している。

2014年打ち上げの「はやぶさ2」無事に一旦日本に還ってきました。

52億キロの旅の途中でカプセルをオーストラリアのウーメラに落として再び地球を離れていきました。何という高度な技術かと驚くばかりですが、それも先代やその前からの小さな小さな失敗と成功の堅実な積み重ねがあってこその世界。  

前回、最初のはやぶさは「イトカワ」に、そして今回のはやぶさ2は「リュウグウ」から還ってきて長大な距離を更に旅するわけで、次は「1998 KY26」の観測を行うということですが、きっと成功してくれることでしょう。人仕事終えてまた更に遠くで一仕事とか、どんだけ働き者なんでしょうね。

今回のリュウグウのミッションの白眉はやはり微小重力環境での弾丸を使った表面の剥離と物質の採取。しかも今回の弾丸打ち込み時にはリュウグウの裏側に回り込んでその飛散から逃げた上でもう一度アクセスするという高度な技。何億キロも旅させた挙げ句のこんなチャレンジとか、電波の飛ぶ時差や自立運動のプログラムなどを考えても何だかクラクラと目眩がしてきます。

プログラムに関与するハードウェア及びソフトウェア・エンジニアたちの何と緻密な頭脳の持ち主達であることかと・・・。アメリカなどとは桁の違う限られた予算の中での高度な内容への挑戦はいつもの日本の研究開発の様子ですが、やはり世界の中で日本が果たした今回の天文学への大きな貢献というのはそのまま人類の知見の地平を外へ拡げた偉大な仕事となりました。

遥か彼方にある小惑星の表層下の地質をえぐり出して持ち帰られたサンプルは、惑星のそして人類の起源を解析する元種となります。この前のイトカワのときには目に見えないレベルの塵のようなサンプルからでさえ大量のハイレベルの論文が報告されました。今度のサンプリングでは大量のサンプルの持ち帰り成功が期待されています。

必ずやこれらのサンプルは世界中に配られて各地で夫々の哲学と科学に基づいた高度な解析を施され、更に大量の論文を産み出し人類の知識に深みを付けてくれることでしょう。

次の仕事の報告は11年後。俺生きてますかね?w

ところで今度の成功をリアルタイムで報告したのか?「みなさまのNHK」さん。前回もリアルタイムでの報道なし。桜を見る会とか元ボンクラ宰相とそのバカ嫁の下らないニュースはもう10番目くらいにしてはやぶさ2の実況中継をトップに据えなさい。受信料盗んでるんだから、それくらいしたら良い。


2020年12月4日金曜日

一難去ってまた一難

驚いたことに先日の弟の入院後、一度(話を聞いても良く解らぬうちの実家の親父に代わって)わざわざ医師である息子の私の方に在宅の先生が病状説明のために直接電話をしてくださいました。

いつも私の弟を診て下さっているだけあって、実によく細かく私の弟の種々の病歴を理解されていることに大変感心しました。どの様な形であろうとも通常この様な形で追って連絡を入れてくださるような先生であれば心配することもなかろうというものですが、実際は何が起こるかは体のみが知るところです。

実は熱の上昇も無く翌日には種々の数値にも大きな問題がないことが判明し退院した弟でしたが、親父から翌日に更なる一報が入ってきました。

「血尿があったらしいと施設から連絡があった。」とのことでした。

もしかしたら今回の(意思表示の出来ない弟にとって)元気の無さなどの症状は尿路結石などの存在によるものである可能性も十分にあるわけです。ごく小さな尿路結石でも肉眼的血尿はいつでも出るわけで、その結石が尿路を降っていく途中では大の男でも七転八倒するほどの痛みが背部を中心に拡がるわけで、弟の元気が無くなる可能性は十分にあるわけです。

何れにしても、週明けに再びエコー若しくはCTにてフォローアップの検査を受けることになるとは思うのですが、まあいろいろ起こります・・・。

とりあえずこれ以上はおかしな事が起きず、落ち着いてくれることを祈るのみです。


2020年12月3日木曜日

虐待を防ぐ方法は無いものか・・・

毎年毎年、国を問わず施設を問わず報告される虐待のケース。

虐待を行う側も行われる側も実に多種多様なコンビネーションなのですが、そのほとんどは、「ケアをする側」の圧倒的な力と「ケアをされる側」の圧倒的な力の無さ。ケアをされる側の実例としては孤児、DV避難者、老人、精神障害者、身体障害者等挙げだしたらキリがありません。

いかなる組織においても今の時代は上と下の序列関係に関してはその位置関係がパワーや性別その他の要素によるハラスメントを受けないように法の力や倫理の力がそういった「支配・被支配」になりがちな関係を一方的なものにしない様に力の均衡を保たせようとしています。しかし、それはそういう行為を受けた時に「訴える力」があればこそ。

残念ながら上に上げた多くの施設においてはそのようなシステムは成り立っておらず、中に陰湿な人間、異常な人間などが居れば必然的に性的虐待、心理的虐待、肉体的虐待などを始めとして自殺他殺を始めとした「死」に至るまでの加虐が発生することになります。

こういう人間は「普通の顔」をして諸施設に紛れ込んでいますのでなかなか摘発が難しい。しかも、残念ながらその施設の長やセクションの長がそういった行為に鈍感であったり、見て見ぬ振りをしているようなことも多々見られますので、防止は第三者などによる客観的な査察と抜き打ちの調査などが入らないと、正直とてもじゃないけれど防げないと考えます。

残念ながら、実際に私も一度私の勤める病院で(後で統合失調と判明したのですが)あるヘルパーが他の入浴時の老人達に対して暴言を吐いていたのを「たまたま」聞いたのをきっかけに、その暴言を吐いていた人間をその場で直ちに厳しく叱責、職務からその日のうちに仕事に就かないように師長に連絡するとともに、その脇で彼の暴言をそのまま聞き流していたヘルパー2人も厳しく叱責し虐待に関するセミナーを開き強制的に参加させました。結局その日を境に暴言を吐いていたヘルパーは病院に来なくなり、程なくして病院を辞めたという風の噂を聞きました。

暫くの間、私の存在自身がヘルパーさん達には恐怖の対象のようになっていたようで、私が各病棟に入って来る度にヘルパーさんの視線が集まるのを感じました。そもそも後ろ暗いことをしてさえいなければ、私の存在など気にすることもないのですけど?

話す力のない人、抵抗する力のない人を一方的に虐待するなどそもそも重大な犯罪ですが、こういった人間を入職の段階で判別することは一部を除けば極めて難しい。どこも人手は足りませんので、入職を許可する側の人間の選別眼という「知性や経験」を要する部分が低ければ選別はザルのようになるわけです。

しかも、前職でこの手の行為で馘首になった人間が次の同じ様な施設にやってくる確率は大変高いわけで、そういった事を繰り返すうちにそのエリアに居られなくなっても他の地域に行ってまた同じ様な事を繰り返しますから質が悪い。

私はこういったことの原因の一つは日本における「紹介状システム」の欠如だと強く思います。アメリカでは次のジョブを得るためにこの「紹介状・推薦状」というものが無ければ「あるレベル以上の仕事」を求めるジョブ・ハンティングまともには前に進まないのが普通。

無論、推薦状等を書く側も重大な責任を負います。こういった紹介状を書く人というのは多くの人の同様の書類を書く機会が必然的に多いので、書く側の信用問題にもなりますから。

クズの排除システム。何とかしないといけないこれからのさらなる人口減少を迎える日本の喫緊の課題だと思います。多くの人間は必要なのに、只でさえ少ない人間から「クズを弾いてかつ必要な人材を満たす」ことの難しさ。想像してみてください。


2020年12月2日水曜日

お笑い生命保険

今朝は笑わせて貰いました。

当院にはある精神科の先生がおられるのですが、彼は60を超えたシングルの先生。いろいろと奇妙なことをされる先生なのですが、一つ一つのエピソードを書き出すと病的なものが浮き彫りにされますし、確実に個人特定されますので書けません。w

しかし、この先生と実生活で直接交わらない限り、私に対して実害はありませんので、観察している限りは面白い限りです。正直な所、精神科の先生というのは他の科の先生方に比べてキテレツな方が多いのですが、この先生はスペシャル。いろんな意味で。w

朝、医局に入っていくとこの先生と別の先生が何やらトーク中。普段は興味もなく聞き流すところなんですが、やたら大声で話しているので自然と耳に入ってきます。それによると、この先生は毎月毎月かなりの額の生命保険料を払っているんだそうですが、よく考えなくともこの先生シングル・・・。

しかも、御両親は既に片親状態で90代のお父様がおられるのみ。更に三親等以内の血族はおられないというのですから、純粋に自身の疾病に対する支払いの保証などの現代風の保険でもない限りは「何の意味もない」保険だと思うんですが、どうやら病院に出入りしている飴玉を配っている保険のお姉さんに騙されているようで、この保険に加入したようなのです。

話し合っている別の先生は完全に茶化して質問しているのですが、この保険に加入しているほうの先生一生懸命いろいろと指摘された後、必死に言い訳しておりました。「一体先生が亡くなられた後その高額の生命保険の受取人はどなたなんですか?」というド・ストレートの禁断の質問を受けたこの先生の回答が「自分自身」だと判明して皆大爆発。しかも質問者の先生がよく聞くと貯蓄型の保険でもありませんでした。

要するに死んだ御本人以外、誰も受取人が居ないのです。w 己の死後に黄金の墓でも建てるように信託にでも遺言を託すのでしょうか?

いろいろと指摘されて揶揄された後、この先生呆然と立ち尽くしていたのですが正直アホすぎて可愛そうでした。最後には「先生、先生の保険金は死後確実に国庫に収納されますよ?」と、これまた身も蓋もない言葉を放たれ、表情を失くして立ち尽くされておりました。

どういう思考回路がこの保険契約を成立させたのでしょうか・・・。謎です。


2020年12月1日火曜日

とりあえず元気そうです

親父からメッセージが嫁さんにLINEで入りました。

とりあえず弟は熱も高くならず、肺炎の方も落ち着きを見せたようで明後日には退院できるとの報告があったようです。私の方には勤務中に直接電話が入り、同じようなことを伝えてきました。親父としては先ずは一安心だろうと思います。

私は私でやはり医者としての立場で弟の病態をいろいろと考えてしまいます。自分ならどの抗生剤を使ってどの検査を入れてなんてことを考えますが、弟の病態を目の前でいつも診ているK先生に敵うはずもありません。

ちょっと退院が早いかなとも思うのですが、先生から見てそれだけ病状の改善が早くレスポンスも良かったとうことなのでしょう。先生に心から感謝です。

実は私の弟は出生時に臍帯巻絡という状態で生まれてきました。簡単に言うと「へその緒」が首に巻き付いて生まれてきたのです。そのまま脳性小児麻痺という状態で成長することになるのですが、言葉も喋ることが出来ず片脚にも痙性麻痺という症状も残りました。同時に重度の意識消失型のてんかん症状も。

ずっと昔であれば、私の弟のような娘は20歳を迎えずに種々の病態で早逝することが多かったのですが、弟は少なくとも今の歳までは施設で生きてくれています。私が無能ではあっても、研究者や医師として生きる道を自然に選んだのも弟の存在あってのこと。とても自然な流れでした。

勉強ができるからとか(私自身は学びに関しては残念ながら確実な凡愚・凡夫です。)、職種のステータスとか、家の家計が医師の家系だからとかいうようなことは私に関しては「一切」ありません。そもそも何れも私の仕事に関しては当てはまるものはないと思っています。しかし、仕事自体は尊いもの。誇りに思います。

それにしても、今回の一件を通してやはり弟の命はかなり儚いものであるという実感を再度私自身に強く思い出させてくれました。今度宮崎に帰ったら一度真っ直ぐに弟に会いに行こうと思います。K先生にもお礼を一言直接伝えたいと思っています。


2020年11月30日月曜日

弟が肺炎になった

宮崎に住んでいる私の年子の弟が肺炎になったようです。

夜まったりしていると、7時半頃に親父から電話がありました。大体において、こんな時間に田舎の両親から電話があるなんて言うことは通常「望ましくない」事が多いのですが、実際にその通りでした。

親父によると夕方に施設から搬送されたその病院の主治医の先生が夜の8時に直接お話してくださるということで、親父が直接電話をしたようなのですが、結局受付の事務の方に、息子である私が内科医師である事を話してそちらのほうが説明を伺っても良いか?との質問をしたようです。

私はこんな時間にいくら緊急であるとは言え、このように顔の見えないシステムである電話で弟の病状、容態を尋ねるのは大変失礼で通常はあり得ない状況であることを説明したのですが、不安であることが電話越しにも伝わってきましたので、腹を括って失礼を承知でお電話させていただきました。

御電話に出られたK先生は体の不自由な私の弟のことをいつも診察してよく知っておられるようで、今回の肺炎に関してもその部位や性状、今後の治療方針などを電話越しに明瞭に説明してくださいました。改めて、老いた両親が己の次男の病状説明に関して説明を聞いても理解できない可能性に慄き、私にその質問をするよう依頼してきたことの非礼を詫びるとともに、日頃の丁寧な診療のお礼を申し述べ、今後の治療もK先生に一任することを改めてお伝えさせていただき電話を切りました。

直後に親父に電話を返して、私とK先生が話した内容に関して改めて噛み砕いて説明するとともに、このコロナの時代には安易なことでは病院に親族を見舞いに行くことも叶わない理由をきちんと説明しました。

親父としては説明を聞いて安心したらしく、「これで安心できる」等と云う謎の言葉を残して電話を切ったのですが、親なら本心としてはまあ当然というところでしょうか。少なくとも老いたオヤジの気持ちがこの説明で安らいだのなら少しは役に立ったかと己を慰める始末でした。

基礎疾患もある身体の弱い弟ですが、今まで何度も肺炎にかかったりしておりますので、今回もきちんと乗り切ってくれることを期待したいところです。今の時点ではコロナではなく、誤嚥性肺炎のようですが・・・。


2020年11月29日日曜日

西ベルリンの想い出・孤独死の話

私が医学部の学生だった頃、授業をガッツリとサボって二ヶ月間のヨーロッパ一人旅に行ったことがありました。

持っていたのは帰りのチケットと1000ドルのT/Cのみ。後は着替えのズボン一枚とシャツ数枚。細かいことは全て省略して書きますが、最初に降り立ったのは当時法医学教室の先輩が住んでいた西ドイツのマインツへアクセスするためのフランクフルト国際空港でした。

これまた全ての細かい事を省略してそのお宅へ到着した後の行動の第一弾として当時の東ヨーロッパをぐるぐるアテもなく廻るというものがありました。その移動の途中、乗り合いレンタカーというものがありまして、数人の人間が一台の車に乗って目的地へ向かうというシステムの紹介を受けたのです。

移動当日の朝、私とドイツ人の男性とポーランドから帰ってきたドイツで働くポーランド人のメイドさん、そしてもう一人の女性がいました。ドイツ人男性が運転手としてオペルをかっ飛ばしてAutobahnをベルリンへとひた走ったのですが、最終的にベルリンで降りて散会したときにその男性Frankと言ったのですが、彼から「もし泊まるところが見つからんかったら俺に電話せい。泊めてやるから!」と言われていました。

夜までいろいろ探したのですが、当時のベルリンには私のような当て所なくやってきた人間が素泊まりできるようなホテルなど何処にもありませんでした。仕方ないので駅にでもダンボールを敷いて寝るべい!と思ってベルリン中央駅に行ってさっさと寝ようとしたのですが・・・。寒くてとても寝られません。

オマケに2m位ある激ヤセの(ほぼ間違いなくAIDS末期)ジャンキーがドイツ語で喚きながら寝込んでいるトルコ人をガンガン蹴っています。スゲーなと思ったのは、このトルコ人のオジサン寝ていてガンガン背中を蹴られているのにグースカと鼾をかいて微動だにしません。ほとんど脳卒中の昏睡状態でもなければこんな事は無理だろうと思われるのですが、世界は広い。w

段々と人の間を渡り歩きながらこのジャンキーが金を出せといろんな人に言って回っているのですが、あいにく大学でのドイツ語はスレスレで通っただけですから何を言っているのかサッパリ解りません。最後には私のところに来てドイツ語で捲し立てるのですが私は英語で反応するともしかしてレスポンスが返ってくる可能性を考え日本語で「知らん。俺から金が欲しいなら日本語で話せ~。」とか言っていたら、ドイツ語で何事かを喚きながら起こって離れていきました。私の勝ちです。

とは言え、寒い寒い。やばい寒さだったので仕方なくギブ・アップして道中知り合ったフランクに電話した所「すぐに来い!」との有り難いお返事。若い者同士恐れるものも遠慮もありません。

彼はベルリン自由大学の電子工学科の学生でしたが、この大学はいわゆるドイツのエリート大学の一つでして、気さくな様子とは裏腹に優れた頭脳の持ち主だけが集う国際色豊かな大学なのでした。ところで、この学生が泊めてくれたベルリンの部屋の隣ではいわゆるMad Manが住んでいたとのことで、毎日毎晩おかしな声を出して四六時中喚いていたと言うんです。

ところがある日、突然声が聞こえなくなってしまったということで引っ越したのかなと彼は思っていたそうです。ところがある日隣の部屋にポリスが沢山やってきて、彼の部屋にもやってきて「隣の男が死んで大分経って見つかったんだけど君何か知ってる?」と質問してきたとのこと。真夏の部屋で腐っていたらしいのですが、彼には何も臭ってこなかったと言う話で、彼は静かになった理由に「なるほど」という感じで話は終わったというのですが。orz

実は彼とはいろいろとそれからもお世話になったり、面白いことも経験させてもらったのですが、それはココには書かずということで・・・。

まあ、とりあえず昨日孤独死の話を書いていた時に30年前のこの話を思い出したので、ちょっと書いてみようと思っただけです。


2020年11月28日土曜日

孤独死の激増

テレビでもネットでも80・50問題というものが存在していることを盛んに喧伝しています。

確かに引きこもりの自分の子供が50になっても未だ家で両親や片親の年金などをアテにして細々と「呼吸して食べて排泄するだけ」の生活を送り続けるうちに親が死にその脇で自活する能力も意欲もない老いた子供達は骨と皮になって死んでいくという悲惨なものが多くなっているようです。

悲惨なのは腐ったり白骨化した両親の年金が止まらないようにそのまま家の布団や押し入れの中に遺体を置きっぱなしにしてその家の中で生活していたりという異様な状況が展開されるわけです。子供が生きている途中で見つかれば未だ救いようもあるのでしょうが、玄関やトイレ、風呂場の浴槽の中で息絶えている老いた子供(多くは50~60代)が共に見つかることもあるわけで、一体いつその両親が亡くなったのか推定に困るほど古い遺体であることもあるわけです。

一言でいうと「無残」と言うしか無い状況ですが、これからも大量のゴミに塗れセルフ・ネグレクト状態になって外との関わりを絶った状況で亡くなっていく人間があちらこちらで続々と発見されるのでしょう。成長が終わった国家の最終フェーズで登場してくるとんでもない状況で、こんなインシデントが激増しているのかと思うと薄ら寒くなるばかりですが、実は自分の部屋の壁の向こう側で人が倒れているのが見つかる時代というのがやってきているのかと思うと暗い気持ちになってしまいますが、それも頻回になるとやがて皆それに「慣れて」くるのでしょうか・・・。

私の家も子供達は三人にいますが、兄弟姉妹の住む場所がお互い遠くに離れるのが普通の時代。しかも、我が家には自閉症の息子が居ますので、80・50問題というのは全く他人事ではないのです。知的障害のある子供の将来を誰にどう託すのか?少なくともその答えは娘達2人に任せるようなものではないと考えています。

全国に同じような状況で悩みその対策をとろうと、そして今とっている方々は山のようにいるわけで、己のことも去りながら残される子供達が不幸な余生を送らなくて済むように考える日々が続きます。


2020年11月27日金曜日

ヒカルの碁に熱中

アメリカに住んでいると当然のように日本での「流行り」というようなものには疎くなりがちです。

その範囲はニュースのみならず、人々の口に上っている流行りの言葉やドラマ、歌、本、アニメなど様々ですが、アメリカにいる間はそんな事がどうであろうと気にもしていませんでしたが、日本に帰ってくると事実としていろいろなものを見逃してる、知らないままで今の時代を過ごしていることに気づくのでした。

そのなかでも特に私にとって目につくのは本、映画、歌、アニメ等。アメリカにいる間は当然のようにアメリカで流行っているものに関しては良く知っていたし、娘達にも「良くそんなの知ってるね」と言われるようなことも耳や目には入ってきているつもりでした。

その代償として、日本のことはほぼ全く知らないままで過ごしてきたものも当然多いわけです。特にアマゾンやネット・フリックスで一昔前の日本のアニメがどかっと見られるようになってからは「ああ、これも」「あれも今アニメになってるんだ」何ていうのばかりが大量に並んでいます。

しかも、私のように何周も周回遅れの人間にとってはちょうど若い世代が、我々が幼かった頃のアニメやドラマを初めて視るのと同じ状況が再現される訳。しかも、それらのratingは既にある程度固まったものばかりですので、ある程度安心して視始めることが出来るわけです。

そんな中で今回視始めたのが「ヒカルの碁」なんですが、これが全部で70話以上あって既にアニメ状はとっくに完結しているお話になっているわけで、私のような人間には毎週次の話などを待つ事無しで最後まで突き進むことが出来るわけです。

今の所数日前に視聴し始めてあっという間の45話。ほぼ一年間分を数日でドンドコ視る事が出来るわけで効率良いことこの上なし。しかもCMなども当然のように入っていませんしね!

それにしても、碁打ちという人々の世界で繰り広げられる勝負の厳しさを一端であってもこういった形で世間が興味を持ってくれる形でアニメ化してくれる作者は素晴らしいものです。私自身はヘボ将棋しか打てませんし、やっていたのはこれまた麻雀ばかりで、特別な頭脳と努力を要する碁打ちの世界の真実などはとてもとても見えませんが、それでもこういった棋士と呼ばれるプロの碁打ち達の物凄い能力には驚かざるを得ません。

碁や将棋、チェスなどの盤上の世界では素人とプロとの間でまさに天と地ほどの差があることはいろいろな書物や映画で書かれ、表現されていますが、10人相手の勝負でもプロは尽く素人を叩き潰していくわけで、その能力というものはどれほどのものか素人には想像もつかないレベルなのでしょう。

以前、プロ棋士の米長さんがあっと言う間に150手以上の詰将棋の正解手をほぼ瞬間的に出したり、どこで闘った誰との盤面を当然のごとく頭の中で並べ直す様を見せつけられて「触っちゃいけねえガチのヤバさ」というものがある世界を感じたものです。

しかしなー、今のAIっていうのはその人達を完膚なきまでに叩くんだから何だか不思議な時代になったもんです。まあ、ともかくそんな事は脇においておいて、未だ視ていない方は「ヒカルの碁」を一度ご覧になることを強くお勧めいたしますぞ!(ルールを知らない私でもこれだけ愉しんでいますので。)


2020年11月26日木曜日

人の褒めかた

評価がないと報われないという人はごく普通で、しかもそれが殆どと言ってよいかと思います。

私は正直なところ他人にどう思われようが関係なく動く人なので、外からどう評価されようが口で言っているほどには気にしない人なのです。とりあえず褒められたり評価された言葉に対しては必ず感謝の言葉を返しますが、それで気分が高揚したりということも特に有りません。

「得意淡然」「失意泰然」というのを何となく座右の銘としているのですが、他の人からの評価はポジもネガも可能な限りサラリと流すようにしているので、ネガティブな言葉を私に吐く人が私を見れば所謂「ム・カ・ツ・ク」等という言葉がその人の脳裏を過ぎっているのかもしれません。まあ、私に悪意は有りませんが不徳の致すところというやつでしょうか。w

最近病棟で仕事をしていて大変忙しく仕事をしている人を見ていると、私はその人達に「褒める言葉」というのを探してその労をねぎらう事のできる小さなフレーズを投げかけています。しかし、果たして自分のかけた言葉が彼らの努力を十分に労(ねぎら)っているのか?と考えてしまいます。

私自身は物事の「説明」というのは比較的上手く出来る方だと思うのですが、人を喜ばせる・元気づけるフレーズというのは正直なところ出せていないような気がします。また、私だけでなく、更に上のポジションの人達などからもそういう「見えないところ」で頑張っている人達を褒めたり労ったりする言葉を投げかけることは組織において想像以上に重要な要素だと思います。

やはりそういう言葉が全くなければ、多くの場合人の心は疲れるのでは無いかと思うのです。この歳になってなんですが、やはり人を鼓舞するような、しかし落ち着いたフレーズというものを手持ちとして繰り出せないというのは情けない話です。

ポジティブな気持ちを引き出すための言葉を人に与えられないというのはやはり自分がそういった事になるべく無関係に生きてきたという自分の来し方そのものなんでしょう。今になって困っている私。だからと言ってこういった事の答えがネットに散らばっているとも考え辛いのですが・・・。

ここからまた頭を捻りながら、なるべく「然りげ無く」人に元気を与えるフレーズを作り出さなければ!


2020年11月25日水曜日

お笑い「裸の大統領」

恥の上塗りという言葉がこれほど似合うオッサンも珍しい。w

アメリカ合衆国の大統領と言えば良くも悪くも世界の中で中心的な役割を果たす国のトップ。技術的な進歩の中心も種々の概念の萌芽も近代においてはこの国からやって来ることが多いのは事実。そもそもが、多くのアイデアを持った人間が世界の果てから「われこそは」と集まってくる訳ですから、新しいものが生まれない筈が有りません。

そもそもアメリカという国はアメリカ人が作ったものではなく、世界軍とも言うべき国ですからね。人種、年齢、性別、宗教、国家、文化的背景等などの差異を全て乗り越えてアメリカという国へ全てぶっこまれて掻き混ぜられたアウトプットがアメリカの産み出すものです。別にアメリカという地で花開いただけでアメリカ産というよりも人類製という感じ。

そんな国の国家代表がアメリカ・ファーストと世界に向けて嘯き、国内に住む自分の支持者向けに「だけ」通じる言葉をalternative factとかfake news等というこれまた自分の支持者以外には呆れられ嗤われているのですがそれでも数を頼んでの強気な発言を繰り返す日々。

そして最近はもう「負け確定」の今回の大統領選でアチラコチラの州で即刻棄却かつ厳しい裁判官からのコメントまで付けて突き返される日々。これほど駄目な提訴も無能な大規模弁護団が何の証拠も示せずに次々勢いだけで「大規模不正投票の確たる証拠がある」等と大法螺を吹き続けるからなのですが、その中核たる証拠はどこにも・・・。

ある州のあるカウンティーでの詐欺扱いされたミシガンの案件などが精査された結果、なんとその名簿に載っていた人々はミネソタ州にいる人であり、しかも他の数値もメチャクチャ。投票人数の算出も間違っているし投票率の計算ももちろんメチャクチャ。w 国外の報道機関たるBBCに精査されてボコボコに叩かれています。

ドミニオンの投票マシンへの疑いもこれまた出鱈目、その投票動向を精査して報告したというエジソン・リサーチの報告書もそもそも存在していないというお粗末さ。だからと言ってその真実に目を向けようともしない閉ざされた情報空間に住む田舎の皆さんには真実など届くはずも有りません。

最近はFOX NEWSにも愛想を尽かされる始末。さて、この裸の老人どこまで転がり続けるのでしょうか。既に政権移行準備をしろと身内の共和党からも突き上げを食らっておりますが、どこか自分の支持者の多い州にでも引っ越しして、己のBanana Republicでも建国するのでしょうかね?

これから彼に襲いかかるのは種々の訴訟の嵐。彼がどれほど資産を食いつぶして国家や企業からの訴訟に対応し、かつどれほどそれに勝ち続けるのか楽しみです。ほらふき男爵の後半生の幕がもうすぐ上がります。


2020年11月24日火曜日

眞子さまは強く賢い

皇室の方々というのは「本当に」大変な生活をされていると思います。

基本的に個人の自由意志、特に成人後の個人の自由意志で種々の行為を決定する事が出来ないことはヒゲの殿下の頃から「誰もが知っている事」でした。戦前の神格化された天皇陛下に対する異様な表現規制は特高のクソ連中による愚かしい行為のみならずとも普通に行われていたことですが、これまた愚かな左翼の登場で国外における王室に対するような「皇室に対する中庸の表現」を行うことさえ極端に憚られる嫌な時代をこの令和の時代において今更に感じることもあるほどです。

そういう事に関して最も迷惑がられているのは間違いなく現皇后上皇后両陛下と今上天皇陛下でしょうが・・・。(そういった御意志を自由に表現するチャンスさえ奪われているとしか思えませんが。)

そんな中、先日、眞子様から以下のような手記が発表されました。

一昨年の2月7日に、私と小室圭さんの結婚とそれに関わる諸行事を、皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の本年に延期することをお知らせいたしました。 新型コロナウイルスの影響が続くなかではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、改めて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。
 前回は、行事や結婚後の生活について充分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。それから今日までの間、私たちは、自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに、様々なことを話し合いながら過ごしてまいりました。私たちの気持ちを思いやりあたたかく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを、心よりありがたく思っております。 
 一方で、私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です。 
 今後の予定等については、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが、結婚に向けて、私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております。 
 この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております。

上の文章は日経に掲載されてい全文ママの掲載ですが、文章から感じるのは29歳の賢く強い意志を持った女性の控えめではあるけれどまっすぐ前を見つめた人生の選択の上での堅い決意を感じます。

女性週刊誌を中心に事実か否かも全く検証できないようなゴシップが次から次に飛び出してきてはこの若い女性を傷つけてきました。皇室を不純なものから「我々のような誠実で純粋で美しい者達」が守ろうとでも言うような下らないオバハンの妬みの粋を出ないまさに老婆心に溢れた糞のようなお節介が波のように彼らを洗っています。

しかし、こういった醜い糞のようなバッシングは現皇太后陛下の時にもこれまたクソ週刊誌を中心に皇太后陛下の御両親をして心痛を通り越した痛みを与えるレベルの攻撃が行われた時と全く一緒。国体護持の錦の御旗のもと日本を地獄に叩き込んだバカ軍人達の精神の延長上で彼女の決意の邪魔をするおためごかし野郎共に天罰が当たります事を心より祈っております。

いかなる結婚も御本人達の意思のもとでしか行われないことは皇室の人間だからと言って制限されて良いものでは有りません。彼らも人間。戦前のように神格化された不可触の対象でないことは紛れもない事実です。我々日本人の多くが敬愛する「現天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かに見守ってくださっている」ときちんと理解されているわけですから大いに結構ではないですか。

そもそも、言及された四人の陛下も世間や皇室関係者の大いなる反対を押し切って幸せを獲得した方々です。父上も民間からの人間を娶ったわけで、娘にだけは駄目だと言っても娘さんである眞子さまからは論破されてしまうのではないでしょうか。

確かに配偶者の家族がクソという事は良くありますが、そこを切り離して2人が幸せを築く事が出来ないと誰が言えるでしょうか?人は人生の選択においてたまさか失敗したとしても、それは許されないことなのでしょうか?そんな筈がない事はまともな思考回路の持ち主なら誰でも理解できるはず。皇室の人間だから人生の始まりから終わりまで金ピカの無傷の履歴に彩られたものでないといけないのでしょうか?

そんな「愚か」な事をほざく輩には歴代天皇と一族の歴史上の様々な人生ドラマを詳細に史実・伝記ともに読む事を強くsuggest致します。世界に誇る日本の皇室は戦前戦後の安っぽい神格化などではとてもとても語り尽くせない山あり谷ありの世界有数の物語を持っていますから。

私は眞子様がその決意のもとに自分の信じる人間を配偶者とされて労苦を共にされる事にたいして強く支持を表現したいと思います。ジジイやババアは己の明日の心配をしとれば良いのであって、他人である若い二人が良いと思った人生の選択肢にがたがた首を突っ込む暇があったらADLが落ちて家族や他人の世話にならないで済むように歩行訓練でもしとけってことですナ。

そもそもご結婚を批判をしているお前らは神の選択眼と情報を持った高貴な存在か何かか?ってことです。お二人には週刊誌やネットの噂などガン無視して前に突き進んでほしいなと思うオジサンでした。コロナの時代にサッと結婚されて明るい令和にして頂けることを望みます。可愛い子供さんが生まれて幸せにしている写真が出てしまえば、無責任の極みたる世間などは今のゴシップのことなど無かった事の如く霞のように忘れてしまいますから。


2020年11月23日月曜日

ソロ・キャンプの夢想に耽る

当直中にちょこっとだけ近所のコンビニに飯を買いに行きました。

よく食べるのはおにぎりとサンドイッチなんですが、今日は珍しく雑誌の並んでいるコーナーに立ち寄りました。するとそこにはMonoMaxのアウトドア特集号が並べられていたのです。ちょっと気になって手にとって見ると、何やら面白そうな記事が・・・。

今時のキャンプ用品のトレンドがどうなっているのかが気になっていたところなので、食べ物と一緒に買い込んで当直室でページを捲り始めました。アメリカのキャンプ用品群の値段と頭の中でざっと比較しながら「なんだか日本のは値が張るな~」などと思いながらじっくりと眺めました。

実際の所、名古屋から少し北に行ったり西側の三重、東側の静岡の方まで走っていけばあちこちにそれなりのキャンプ場があるようです。ただ、何というか人がワイワイいるのも何だかな~という感じなので、そういう感じの場所がベストなのか読んでみたらヒロシいわく「低規格」のキャンプ場が返って狙い目のようです。いわゆる家族が子連れで沢山来たり、大勢のドキュンの皆さまが傍若無人に振る舞わないような何でもガチっと揃った「高規格」な場所では無い所なんでしょう。

1人で自分のことだけ考え、自分の来し方を自省してみる時間。日常の右から左に仕事をこなしつつ「いろいろなことを考える時間」から自然と遠ざけられている事に気づかなくなっている事が自分なりに不味い事だなと思います。

いろいろなキャンプ道具を本やネットで眺めながら、週末はいつも必ず一日は当直が入ってしまっている私の日常。しかし、なんとかしてそういうサイクルから少しだけ脱出して「らしい場所」で近々ソロキャンプをしたいものです。

無理とは思わず必ず近々実現させると言う気持ちの維持が大切でしょう。何としてでも行くぞ!


2020年11月22日日曜日

若い人への行動制限の(現実的)難しさ

若い人達の行動制限を止めるのは本当に難しいと再び感じました。

実はポケモンGoをしている時に相手がどんなポケモンをゲットしたのか見る事が出来る部分がありまして、そこにその直前に自分とポケモン・フレンズとしてプレゼント交換をしていくれる相手のマークの右側にそのゲットしたポケモンが見えるのです。(ポケモンGoしてないひとには何の事かイマイチ解らないと思いますが・・・。)

私も機会が有るとそこら辺の「ポケモンやってそうな人」にそれとなーく尋ねてはポケ・フレになって貰っているんですね。ところが、院内でなって貰っている女の子の1人の欄の横に「地域限定ポケモン」としてサニーゴというのが出ていることを確認してしまいました。

これって、通常日本では「沖縄限定」と思って良い分布を示す南国のポケモンなんです。しかもこのサニーゴを見せている女の子、ダイビングが好きらしくて以前から妹さんとちょくちょく沖縄に潜りに行っていると言っていたんですが・・・。

いろいろな事を併せて考えると、どうやらこの連休に沖縄に行っちゃってるみたいなんですね。国が推し進めるGotoキャンペーンのことは一昨日書いたばかりですので、何度も言いたくはないのですが、国家がお墨付きをつけて人を動かしているわけですから彼女に非は無いと言いたいところなんですが、医療従事者であれば可能な限りそういう対人口比でコロナの感染者が濃厚なエリアには行って欲しくなかったですね。

とりあえず沖縄は東京都並んでダントツです

とは言え、院内の他の若い看護師、ヘルパーなどの動きを見ている限りではやはり、XXに行ってきましたとか、あっけらかんと普通に話している状況ですので、おっさんおばさんの意識低い系は別としてなかなかその行動に制限をかけるのは難しいのかな・・・。

我々医師としては、院内にも当然のごとく無症状感染者が居るという前提で計画立案をし行動をとっているわけですが、それでもこの様な形で入ってくる可能性にブーストをかけられると少し脱力してしまいますな、正直なところ。やれやれです。


2020年11月21日土曜日

今年のインフルエンザ感染者はどう動くのか興味深い

もし、インフルエンザと同じ傾向を示すようであれば今度のコロナも多分1-2月がピークになるはず。

もっとも、コロナであろうとなかろうとウイルス性の感染症というのはこの時期には自然と流行っていて、単にインフルエンザのキットで検出されていなくてもインフルエンザ、若しくはそれと同様のウイルス性感染症として治療の対応を取るなどということはごく普通のことでした。下にあるグラフが、いつもの名古屋におけるインフルエンザの発生届け出表ですが、2019年はボコッと発生が「抑制」されています。まさにマスクと三密回避行動の賜物でしょう。

今のところはまだほぼゼロ!
今年は今の所「ほぼ例年通り」で、発火するにしても「まだこれから」であって、どんなに遅かろうとも1月の半ば過ぎには今年のインフルエンザはどうであったかをレビュー出来る感じです。ただし、今年はここに去年以上にコロナの関与がありますので、このカーブがどう動くのか?という壮大な実験が行われる年です。

今年の動きを見ていれば来年の動きは多分かなり高い精度で予測できるのではないかと考えます。しかし、ここにも「但し書き」が入るんですよね。それは新型のワクチンの登場がこのカーブに何を加えるかというもの。現時点では数社からのリポートで既に「9割以上の奏効率を示した云々」などと希望的な観測が述べられていますが、まだまだ副作用や追加接種の有無を含めわからないことが多すぎます。

科学を信じて希望はそのまま持ちつつ、静かに次の事象の推移を待つことにしましょう。


2020年11月20日金曜日

そもそもの無理筋「Gotoキャンペーン」

ガースーがGotoキャンペーンを続けたい切実な理由はわかります。

しかし、この時期のウイルス感染者の増大は「冬季」というキーワードだけでも増加する事が理解されていたわけで、科学的根拠としてのGotoキャンペーンがそれに何らかのブーストをかけるか否かは明確に数値化されてはいないものの、実際に外に出てみれば前回第二波を抑えようとしていた時の国内の整然とした静粛さとは全く異なる様子が看て取れるわけです。

良いワクチンが出来るまでは不要不急の外出は控えましょう」という、現時点では最良と思われるコンセンサスを多くの人に理解させるためにはGotoキャンペーンなんてのはそもそも無理筋のアイディア。特にそもそも三密なんかを守る気のない連中をガッチリ抑え込むための第一防衛線は言葉による抑制のはず。しかし、政府はアクセルとブレーキを同時に踏むよな事をやらかしていますから、正直見ているこっちとしては「馬鹿じゃねーの?w」となる訳です。

あちらこちらの病院でコロナ対応用の病床が次第に逼迫しているという状況が報告されていますが、日本医師会も遂に官邸に忖度することなく「Gotoヤメレ!」と言うのに等しい宣言を怒りの籠った感じを醸し出しつつ強い調子で発言しましたね。まあ、十分に遅いくらいですが・・・。

人が交わることで感染者が増大するならば、その交わりを政府が奨励するということはそもそもあってはいけない事でしょう。飲食店、宿泊業者、観光地、観光運輸業者も含めて大変ですし当然の如く医療従事者も大変ですが、アクセルとブレーキは同時に踏んで良いものではないのは誰の眼にも明らかなはず。

リモートでの仕事法の更なる開発と普及を行うことで社会の仕組み自体が変わる時期に来ているというのがまさに今だと感じます。アメリカで再び新しい仕事を始めた長女に話を聞いてみても「大変にefficientで素晴らしい」と言っています。しかも自分で自由に休憩も入れられるし、効率良く自分で仕事内容を組み上げてしまえば余った時間は寝ようが本を読んでいようが大学院の勉強をしようが構わないわけで、家にいながら仕事も勉強も完結するわけです。

こんな新規感染症、これからも必ず出てくるのは前にもココで書いたように必然。人間の活動範囲が広がっていれば、今まで有り得なかったような場所から引っ張られてきたウイルスが変異を重ねながら、飛行機に乗る人間を通じて地球全体にあっと言う間に拡散するようなことが何度も有るでしょう。願わくはそれが物凄い致死性を持ったものでないことを祈るのみ。

政府はこの手の感染症対策において種々のレベル別のstandard procedureを確立しておかないとこれからも後手後手になりますな。感染症のタイプによっては厚労省の役人の首が飛ぶだけでは済まないことは明白で、人の命が大量に消えることになりますからね。

何れにしてもガースーが自らの口で直接「Gotoキャンペーン感染が落ち着くまで中止」と一言言わざるを得ないでしょうな。


2020年11月19日木曜日

働き方改革していない私の病院

やっぱり内科医が足りませんね。

どんな病院でもすべての診療の基本は内科。私の病院では最近、常勤医師の一名が非常勤に移動しましたので私の所属する内科の負担がググーッと上昇しています。

平日の一日の勤務時間中、こちらが受ける電話だけで自分が院内にいる時にかかってくる電話は最低でも30回。今、用件を終わったと思って電話を切るとその瞬間にもう電話が繋がって次の用件に対するコンサルが有るという感じ。

次から次にかかってくる電話の用件を聞き続けながら立て込んでいる時は「今すぐ解決せないかん問題かな?」等という短い質問を投げ返したり、「この後で行きまーす」とうフレーズで電話を切り返さないといけないことも結構あります。それほどに用件が立て込んで次から次に質問、依頼、緊急報告、緊急招集等の電話がかかってきます。更にこの中にミーティング、家族への説明、患者さんとの会話と診察が入ってくるわけです。本当に分単位で移動しながら用事を片付け、次の優先順位を入れ替えながら仕事を続ける毎日です。

更にこれに加えて行政への対応が入ってくることも良くあります。もちろんこれには週三回の外来対応や他科への応援診療、新患さんの受け容れの時間は入っていません。正直なところ、看護師さんが「忙しい忙しい」と言っていても「俺の横に1日付いてみる?」という言葉を投げかければきっと黙ると思うのですが、それも野暮天の極地なので決して言いませんが。w

そもそも「忙しい」という言葉は基本的に二流の発する発言と心のなかで極め付けているので、(発想の改革が必要ですね!)その重なってくる山のような仕事に対応できない己は「修行が足りん・工夫が足りん」と考えがちです。とは言えな~、最近の忙しさは過重労働じゃねーか?という気がしますが、それでも患者さんの命の事を考えるとやっぱり自分の時間を削るということを優先してしまう昭和の人なのでした。

労働時間という意味では看護師さん達は週休二日で仕事を回していますが、医師はと言えば・・・精神科医も含めて働く人間は働き、働かない人間は徹底的に9時5時ですね。しかもその連中、休み時間は長く長くとり、間にはPC上で将棋をしたり碁をしたりネットを眺めたり。良い御身分です。まあ、どこの世界でもそんなもんでしょうが。

一体何時になったらこのサイクルから抜けられるのか?もう2人くらい内科医が入ってくれないかな~。


2020年11月18日水曜日

猫をアメリカに連れて帰ると言い出したアホな次女

いつも通り我儘でアホな次女ですが、今度もまた勝手なことを言い始めました。

そもそもアニマルシェルターから自分の意志で「レスキュー」するということで飼い始めたアメリカン・ショートヘアーの我が家の猫ですが今は日本の私の親父の家で親父が誠心誠意心を込めて飼っております。性格丸出しの過剰なまでの猫のケア。親父らしーなーと、息子の私も感心するほどです。

さて、この猫がアメリカから必死の思いと沢山の長たらしい過程を経て日本に連れて帰られた経緯はずっと昔ここのブログにも書いたのですが、せっかく連れて帰ったこの猫も長男が猫アレルギーということが判明してその皮膚疾患の改善のために親父に頼み込んで迷惑承知で引き取ってもらったもの。それが今では愛情いっぱい注がれて元気に宮﨑の田舎で生活しているのです。

ところが、今回またもや次女の勝手な発想で再びもどるアメリカでの学生生活をこの猫とともに過ごすと母親に切り出したようで、それを母親が許したとは次女の弁。ペットを飼い一緒に生活するということはまさに家族の一員として命を絶やさないように大切に飼ってやることですから、大学生活中に容易に家をあけることなど出来なくなることは自明のはず。果たしてそこの点に関してどれほど理解しているのか正直なところ不明です。

また、私から見ると今現在の宮崎に居る老夫婦にとってはこの猫を世話して飼い続けるという行為自体が一つの「生きる糧」になっているような気がするんですが、今回の猫を老いた両親の生活サイクルから取り上げるという行為がその「生きる上での生活のハリ」というものを大きく削ぎはしないかと心配しています。

まあ、何れにしても今回の米国帰国では飛行機の旅客席に猫を連れて乗り込むことの出来ない航空会社を選んでいたために次回の帰国時にそれを行うとのことですが、果たして?気まぐれな次女のことですからどこまで本気にして良いいのやら。

まあ余計な話ですが、私自身は今家に居る犬よりも猫のほうが好きです。犬と猫どっちが好きなんていうことは今まで考えたこともなかったのですが、実際飼い始めたら猫のキャラのほうが私には数段合っているということが理解できました。自分勝手で気儘、好きな時に好きなことをする癖に時々勝手に甘えてくる・・・。

あれ?こうやって書くとなんか次女と猫って似てるような?w


2020年11月17日火曜日

クリーニングでも落ちない汚れ

最近「失敗したな~」と思ったことに白衣の汚れ落としがあります。

基本的に白衣は一年中4着程度の自分の物を着回しているのですが、一時期院内のリネンのおばさんに洗濯とクリーニングをするのを怠ってしまったところ襟首に汗染みが付いてしまいました。最初の頃は「あらら」くらいに感じていたのです。

何故ならこの程度の汚れは簡単に取れると思っていたから・・・。ところがところがでした。一旦明確な汗染みが付いてしまったら、リネンのおばさんに頼もうとも、特別な石鹸でつけ置き洗いしようとも無駄。ヨッシャそれなら!ということで専門店にお願いして白衣の値段自身の半分程度の出費を行って汗染み抜きにチャレンジしてもらったのですが、返ってきた結果はと言うと「金返せ!w」というレベル。

All aboutを読んでみると、「夏服で気になる汚れといえば、襟袖や脇につきやすい「汗染み」。時間が経つと「黄ばみ」に変わります。これは汗に含まれる皮脂などの汚れが時間とともに酸化し、変色したものです。一見汚れなどなかったように見えるかもしれませんが、通常の洗濯だけでは落としきれなかった繊維の奥にある汚れが、何カ月も置いておくうちに黄ばみへと変わってしまうことがあるのです。」と書いてありますし、その後も最もしつこい汚れに対しては「煮込み洗い」という方法もあると書いてあります。

本当は毎日毎日白衣を洗ってローテートさせれば良いのでしょうが、なかなかそうもいきません。もう少し自前で購入する白衣の数を増やしてリネンのおばさんに毎日渡すと良いんでしょうかね?

私の場合、スーツを着ることは年に一回もありません。精々のところ法事での着用くらいでしょうか。会社員にとってのスーツが医師にとっての白衣。スクラブを着るという代替案も有るのですが、やはり白衣が一番私には「着心地」という意味であっている感じです。

もう少し良く考えて次の一手を指そうと思います。

それにしても、もう少し同じ様な状況の方で良い知恵をお持ちの方がおられましたらお知恵を拝借したいところです。どうしたもんでしょう?


2020年11月16日月曜日

トヨタがなくなる日

愛知に住んでいて時々ふと想うことがあります。

実に他愛もない空想なのですが、もし愛知県からトヨタが無くなるような事があったらどうなるんだろうというものです。名古屋に住んでいると素晴らしい福利厚生の充実がありますが、それもこれも間違いなく大企業群からの潤沢な税収のおかげです。

名古屋の少し外のみよし市なども、トヨタの隣りにあって何もないようにあって実は種々の企業の工場やロジスティクス(多分多くはトヨタ関連)が軒を連ねていてやっぱり結構市としては贅沢できています。

ところがよく考えてみると、こういうのは炭鉱町と一緒でその産業が廃れると街自体が成り立たなくなるのは日本中、世界中の鉱山で歴史的に証明されているわけです。大きな産業といえば例えばアメリカであれば今ではラスト・ベルトと呼べれる州のある街々にあったUSスティールやベスレヘム・スティールのように超巨大かつアメリカや世界の種々の需要を賄っていたのですが、今や見る影もありません。あってもなくても構わない程度の規模であったり、消えてしまったり・・・。

20世紀初頭にそんな事を考えたアメリカ人がどれほどいたでしょうか。同じことはアメリカの自動車産業でもしかり。実際は数多くの自動車会社が栄枯盛衰の末に合併吸収や倒産で消えていっています。GAFAMが今は世界を席巻していますが、長いスパンではそれがどうなるかも将来はわからない。驕れる者久しからずです。

愛知ではトヨタに勤めている人と結婚するのは安定を得るための良い結婚だというのが看護師さん達が私に囁いてくれた話ですが、例えば電気自動車が大量に走る時代になった時に大幅に減った車の部品のうち特に機械関係の部品に関して言えば衝撃的な減少が起きるでしょうし、その変化に対応できない若しくは不要となった会社はどうやって生き残りをかけるのか。そしてトヨタ本体は?実はトヨタの中の高いポジションにいる人達自身がその危険をもっとも肌で感じているのかもしれません。知りようもありませんが。

実は今日こんなことを書くきっかけになったのはイーロン・マスクのSpaceXが作り上げようとしているStarlinkの記事を読んだからです。劇的で冒険的な速度で想像可能な限りの技術革新を自分で手繰り寄せて「自分で未来を作ってしまう」タイプの人間の挑戦を果たして変化を好まぬ、調和大好きな日本人がどれほど防衛し切るのか大変心配しているのです。

人口も減り勢いも無くなっていくであろう日本にどれほどの抵抗力が有るのか。教育と人間の意識改革は喫緊の問題だと思うのですが、内向きに縮こまろうとする日本人が増え続けるようであれば、その過酷な運命を受け容れる日まで100年もかからないのかもしれません。

その時名古屋という街はどう変わっているのでしょうか・・・。


2020年11月15日日曜日

多国籍「たこ焼き」軍

一体全体どうなったらそういう構成になるんでしょうか。

娘が駅前のたこ焼き屋でバイトをしているのは以前ココでもちょこっと書きましたが、結局は1月ごろにはアメリカへ戻ってしまうということが前提で働いておりますので、実際にたこ焼きを焼く仕事まではさせてもらっていないそうで、いろいろなものを準備したりするのが仕事なんだそうです。

まあ、それはそれで良いんですが、このお店で働いている人間の国籍を聞いてみると何とほぼ日本人と言える人はいないという話で、今時の日本の「small commerceの実情」というものを垣間見ることが出来ます。

なるほど~と感心したのですが、前線でたこ焼きを焼き続けるのはベトナム人の男性二人。バックヤードではロシア人が1人ととアメリカ人である次女が働いて種々の準備と接客。そしてオーナーは韓国人とのこと。日本人が登場してきませんが、実際のところこの人達は既に日本人としての国籍を持っていたり、日本に永住していたりとかそういう形で日本に何らかの溶け込みと関与をしているわけです。

これって、まるでアメリカそのものですよね。そこら辺のコンビニや店でも第一世代や第二世代で結構明確にそこの国が出生国でない人達の苦闘から始まってやがてはその国に溶け込んでいく様子はソックリです。

人口が減っていく今の日本、結局は知恵も力も日本のオリジナルとの上手い融合を経て変化していくのを受け容れること次の新しい日本を作り出す方法論だと確信しています。そもそも仏教にしても、外国からの新宗教。有力ファミリー同士の生死をかけた激しい闘いを経て最終的には日本のものへと変容していった日本。その知恵と知識は日本人により咀嚼・解釈され、あたかも日本土着のものであるかの如く変化しました。

それが今の日本にできないはずも有りません。純粋なものなど世の中にまずどこにもないのです。適者生存。結局その一言に尽きると思うのです。

近所のたこ焼き屋から考えた日本の今後の生き様の提案でした。w


2020年11月14日土曜日

お笑い社会党

むかしむかし、そのまた昔「社会党」という党がありました。

結党して既にに75年とのことですが、一時期は「山が動いた」というセリフを作るきっかけとなったLand slidingともいうべき、劇的勝利を見せたこともあった社会等ですが・・・ズーッと3人とか2人とかいうマイクロ政党になるまでの道程は急激なものでした。

そして今回、遂に党が分裂して1人!にまで減ったのです。w 

歴史のページを捲ってみると、私の記憶に残っているあたりでは良く親父が夕方に観ていたNHKニュースに名前の出ていた石橋政嗣あたりからでしょうか。次が飛鳥田委員長かな。他にも土井たか子、田辺誠、横路孝弘、山花貞夫、仙谷由人、岡崎トミ子、赤松広隆、輿石東等の名前が出てきますが、まあ、こうやって私の知る限りの社会党の人間を羅列してみても本当に「どいつもこいつも」というような連中ばかりで、本当にお前らときたら・・・と溜息が出そうです。

何時まで経っても時代が見えず、党内の派閥争いとイデオロギー対立でしか世の中を見ることしか出来ない60年代的脳内回路の皆さん。そら幾ら労組の支持があろうと、その労組自体の存在理由の縮小と消滅が続いているんですからそもそも支持母体自体が消えちゃうと言う時代の流れ。

更に決定的なのはこの党が北朝鮮の思想を支持し、その党から支援を受けていたという誰もが知っている破滅的な関係性にある時期から日本人が普通に気付いてしまったことでしょう。そんなテロを扇動する拉致国家に操られる売国奴政党が日本人に一票を入れてもらっていたということ自体が本来は「ありえない話」ですが。

最後に1人党員、1人党首という漫画のような状況を作り出した福島瑞穂。恥ずかしながら同じ郷土の出身です・・・。私の親父と同じ高校を出たあと(私の親父は紛うことなき劣等生w)東大法学部卒出てますが、1センチ前の現実が見えないアホです。orz

それにしても驚いたのは社会党の党のマークがあのグラフィック・デザイナーの和田誠の手によるものだと知ったことでしょうか。(社会党自体なんて今時全くどうでも良いことなんです。)和田誠も昨年肺炎でお亡くなりになっていますが、草葉の陰で今回の茶番と党勢の衰退、消滅をどう思われていることでしょう。


2020年11月13日金曜日

第三波が一番大きいだろうな・・・

結局の所、間違いなく第三波が来ました。

この前も書きましたが、この冬の波の立ち上がりはやはり大きい。しかも今回の波の大きさは前のときよりも大きいという気がします。一番イヤなのは検査システムが充実してきている最近のCOVID対策において、陽性率の上昇がジリジリ且つコンスタントということ。こういった現象は全く喜べるものではありません。今後の展開を占う上で、いわゆる「不気味」な数字ですね。

街を歩く多くの人々がきちんとマスクをしていようと、政府の経済対策GoToEatキャンペーンが感染者達を街の真ん中に展開しGoToTravelキャンペーンが、県をまたいで感染者達をかき混ぜて来るわけですから世話ありません。経済と感染というどっちつかずの展開を結局は国民の税金を使って一時的に凌いでいるだけですけどね・・・最終的には今使っている金は税金の先走った使い込み。

さて、今回のCOVID、結局は空気感染ではないと言われていた当初の考えは次第に「空気感染エアロゾル感染と考えないと無理がある」というふうに変わってきていると考えます。クラスターの発生もやはりエアコンなどの空気対流によってかき混ぜられたウイルス粒子が上に書いたような流れで拡散していると考えるとクラスタの発生等はかなり自然で納得がいきます。

今回、この一ヶ月間にどこまでこの波の勢いを抑え込めるのかが正月前後にやってくるであろう更に巨大な勢いを占うことになります。アメリカではほぼ毎日のように一日の新規発生患者数の記録を更新するような状況。アメリカはアメリカで苦難の道を歩むことになるでしょうが、日本は日本で独自にかつ地道に対策を続けなければなりません。

私の耳にも実はいろいろと噂が流れ込んできていて、すでに「XXの病院で患者が出た」などという話が実しやかに流れてきます。自分自身の病院がそうなる日があるかのないのか、まさに神のみぞ知るという状況になってきました。

本当に面倒な相手です。


2020年11月12日木曜日

栄養課で衝撃を受ける

今日は患者さんの中心静脈栄養のラインをとった後に栄養課の女性とすれ違いました。

その時に彼女が「今度新しく入れる入院患者さん用の何種類かの補助栄養食食べてみます?」と言われました。今まで何回かこういった「新規導入食の試食役」というのを何回かやったことがありますので、二つ返事で引き受けて栄養課の患者さん教育時の指導室に入っていきました。

そこには初めて入ったのですが、見慣れぬジュースの缶やペットボトル、そしてインスタント食品類の空きサンプルが大量に並んでいました。更にその前には不思議なことに白い小さな粒の入った透明の空き瓶が一つずつ並んでいたのです。

しかもその瓶の中の白い粒の量はそれぞれ異なるもので、それぞれにラベルが貼ってあってキロカロリー数と炭水化物と同量の砂糖が中に入って居るのでした。それを見て驚いたのはその砂糖のボリュームでした。見てほとんど「唖然とする」という表現が適切なほどの大量の砂糖が入っていたのです。

勿論、コーラには角砂糖XX個分の、とか缶コーヒー飲料にはXX個分とかの荒い情報は知っていたのですが、実際にその瓶の中に詰めてある砂糖の実際の量を見ると「俺はこんなに大量の砂糖を何も意識せずに飲んでいたのか・・・」と言うほどのものでした。

コーラなどの清涼飲料水は勿論避けていたのですが、今回腰を抜かしたのはカルピスでした・・・。正直、このボリュームの砂糖を当直中に日本も飲んでいたのか?というほどのがっくりボリュームの砂糖・砂糖・砂糖。

今回のちょっとした見学で私は実際の目の前で教育をされる糖尿病や肝硬変などの患者さん達の気持ちが解ったような気がしました。やっぱり教育は大切ですね。衝撃を与えるというのは最も記憶に刻み込む適切な方法かもしれません。

ああ、それにしてもカルピスが・・・・。


2020年11月11日水曜日

PS5が手に入る訳がない!

この前ふとした事がきっかけでPS5のことが気になり始めました。

よう考えたら・・・そろそろクリスマスセールが始まるけどPS5はどうなってたっけ?ということでウェブサイトを訪れたら、最初はなんと抽選販売。それもとうの昔に終わってるし。w しかも、抽選の倍率は100倍!とかいう話も聞こえてきますし。

まあ、そんなことだろうと思ってましたのでそれ自身には何という感想もなかったのですが、問題はその後です。今ふるさと納税で2年ほど前に手に入れたPS4のセットが有るのですが、実際のところ全くゲームをしておりません。全く。

しかし、今度のPS5なんだか凄そう!ついに夢のレベルの画像や性能ローディングスピードが達成されそうです。いわゆるノン・ストレスで遊べる世界の到来ですね。ローディングの瞬間にカサカサというディスク音とともに数秒待って次の世界へ~と言うようなことがこれからは無くなっていくのがデモ画面を見ていると解ります。

そもそも今日くらいから実際にプレーをし始めている人が居るはずですから、直ぐにYoutube上にはもっと大量の実動プレイ動画が上げ続けられるはずです。しかもディスクレスというのが今後の基本になるのは間違いないところですから、ディスクレスのシステムを購入して遊ぶというのが間違いないと思われます。今時もうブルーレイも何もあったもんじゃありません。全てはシリコンの上で完結してしまうことになると思われます。

まずやるとしたらもう少しオジサンに優しい系のRPGとかラリー、グランツーリスモ系のレースゲーをダウンロードしようかな?と思ってます。

しかし、そんな話をしていたところリハビリ部門に勤めているガチゲーマーのお姉さんが「先生、初期ロットはいろいろ壊れたり問題でますよ~、もう少し待ったほうが良いんじゃないですか?」と一言。まあ、それも一理ありますし、どうせゲームなどする時間など殆どありませんから焦る必要もないのですが・・・。

画像の処理速度が早くなることでVR酔いが無くなってくれることを期待しているのですが、どれほどの実力があるのか興味津々です。とは言え、一体何時になったら潤沢にモノが供給されて変な転売野郎たちが暗躍し無くなるようになるのでしょうか。何れにしても任天堂スイッチのような何時まで多頭が供給不足っがなくならないなんて事にならないことを祈っております。


2020年11月10日火曜日

バイト先の病院の先生の知識を使う

週一回のバイトで在宅診療に行っていることは何回過去のブログでも書きましたが、実は私にとって良い心の休息になっています。

何と言ってもいつものメンバーと異なる人達と出会っていつもと違う雰囲気で仕事ができるというのは心のリフレッシュメントに大変宜しいです。肉体的には疲れても間違いなく今の私には必要な一日だと感じています。だからと言って、常勤の先生のように毎日が訪問診療というのは正直言って逆に心が疲れるのも事実。(実際のところ訪問診療の常勤の先生というのは殆どの場合、一つの病院や施設での長い期間の勤務はあまり無いというのが実情で、他の病院のお話を別の先生に伺っても、似たりよったり。特に若い先生ほど移動を繰り返すというパターンは多いように感じます。)

こういう病院では、医師は基本的に経営者のリクエストのままに右に左に出動せざるを得ませんので、鵜飼いの鵜と一緒でして、それが嫌になって限界点に達したら次の仕事へ・・・という人が多いのです。

ともあれ、こういう在宅の病院には各科のスペシャリストが週1から週2回程度のバイトとして三々五々集まって来ていますから、日頃自分の病院で日常診療をしている時にその科の先生が捕まらなくて困っている患者に対する「専門家の視点」から見た時のその疾患やデータの解釈、今後の治療方針、今大きな病院で理由があって使われている最新の治療法や治療薬などのアプリケーションの可能性などを次々に伺うことが出来ます。

また、時と場合によってはその先生の勤めるその科にその先生宛に紹介状を出して患者を紹介するなんて言う裏技も簡単に使えたりします。

お話していて常に感じるのは教科書には書かれていない裏の情報やデータ解釈上のピットフォールとも言うべきいくつかの大切な注意点を自分の経験した実例を上げながらスラスラと教えていただけること。本当に金銭では代えがたい素晴らしい情報源だといつも感じます。

今後もこういった先生方とは連絡を取り合ってきちんと継続的な己の日常診療能力のレベルアップに応用していきたいと思う毎日です。医師という職種のくくりはありますが、専門レベルの異なる異職種混合というのは医学知識の拡がりが広大になった今の時代、本当に有り難い世界ですね。



2020年11月9日月曜日

立つ鳥跡を濁しまくり

白旗の上げ時を間違えるとどんな事になるか75年前に苛烈な体験として知らされた日本人。

敗者の美学と言うまでの事は有りませんが、今アメリカで最もみっともない負け方をしている男がみっともないエンディングを迎えています。この男のことを世界中のメディアがココぞとばかりに揶揄しているのですが、オーストラリアのメディアは以下のように書いています。

曰く「現実以外の全てのものにしがみついているちっちゃな手」w。なんというキャッチーなフレーズでしょう。この男の今の様子をズバリ表す素敵な表現ですね。
しかし未だに国家の元首のはずなのですが、未だに表に出てこずに2日連続でゴルフをしてるとか、どう考えても老人の現実逃避以外の何物でもないと思うのですけれど・・・。

晩節を汚すという意味では元NY市長のジュリアーニもこのとんでもない男の弁護士に付いたことで、今迄の業績も全てぶっ壊す碌でもない晩年になってしまいましたね~。警察改革によるNYの治安の劇的向上やテロ後のNYの復元等で世界中の人々にヒーローとしてもてはやされた時はもう遠い遠い昔の話になってしまいました。

家族の中ではまだ息子を中心に徹底抗戦を唱えるごく少数の身内を除けば皆が距離を取り始めているという話。当然ですが。実際のところこの男について行って良い事なんてな~んにもないと思うんですが、勝ち馬を見る目がないんでしょうね。

既にバイデン側は政権移行チームを立ち上げ仕事を始めている状況。政府側の機関はまだ勝者確定せずとして機密へのアクセス権などを与えていないという事なのですが、愚かなことです。首寒くなっても知らんぞ~。w

世界各国の政府代表も様々な方法でバイデン氏にアクセスして祝意を伝えているようです。サッサと去ね!Small hands!


 

2020年11月8日日曜日

病院はこれからますます潰れる

厚生労働省の誘導で医療業界というのは如何様にも変わります。

厚労省は医療費の総額を絶対に下げたいのは当然。そもそも医療費というのは年々歳々増加していますが、実はその増加の中身というのは高齢者の人数に比例した分にかけ合わせたほぼ正比例の増加分とググッっと盛り上がっている増分が有るのです。その増分の部分は実は高度医療の部分なのです。そう、例えば1バイアルが50万とか、一回の注射が数万円するとかいう先進的な薬品を使った治療費が大きくブーストをかけているのです。

勿論、創薬というのは物凄い博打打ちと同じことですから薬が出来るかどうかなど本当に最後の最後までわかりません。論理的には上手くいくはずのことが細胞実験でも上手くいって、小動物や大型動物を使った実験でも上手くいって、人をターゲットとした小規模実験でもそれほど悪くないと思われる結果を出した薬が次のステップで深刻な副作用が見られた為に大どんでん返しで店仕舞い。数百億円が水疱に帰すなんて言うことが毎年どこの製薬会社でも起きていると考えて良いでしょう。

さて、翻って医療業界。今回のコロナの件に関わらず多くの病院で利益の大幅縮小や倒産が発生しています。大きな病院で医療法人XX会等というようなところは倒産すると目立つ形で医療業界のニュースで発信がなされますが、医院や診療所レベルのところはまず表には出てこない形で終了、廃院などということになりますのでその詳細な実態を知っているのはm3などの会社や厚生労働省くらいでしょう。それでも確実に今回のコロナの波は大きな影響を与えています。(厚労省は腹ではこの波による医療機関縮小を絶対に喜んでいるハズ!)

患者の数が減っているとは思えませんし、実需という意味では入院要請は引きも切らないのですが、それをケアする側の人手不足はかなり深刻で、人手不足倒産などというのは別に製造業やサービス業のみならず、医療業界にも確実に忍び寄っていると思います。

儲かるのは人材斡旋業などというのは医療業界でも確実に同じ構図です。はい。

これから団塊の世代が死滅していくまでは(表現が直截で申し訳ないのですが・・・)「暫くは」この状況は継続するでしょうし、ケア・テイカーの方であるヘルパー、看護師なども「暫くは」人手不足でしょう。

しかし、大規模病院はやがて間違いなく階段状にドン・ドン・ドンと規模を縮小していかないと、気付いたときには身動きがとれないまま頓死ということになっているような気がします。その差を決めるのは経営者の才覚なんでしょうが、決断の遅い人間、未来を読めず過去にしがみつく人間が頭を取る医療機関には引き続きこれからも過酷な運命が待っている可能性があります。まあ、これは会社と同じですね。図体がデカイ分だけ倒れる時の音は大きく周りの迷惑も随分大きなものでしょうが・・・。こればかりは仕方有りません。

後になって思い返せば、転換点で転換できなかった組織が死ぬのはリーマン・ショックの時と同じです。明日は我が身。「もしも」は何時来てもおかしくないと備えておいたほうが良いのかもしれません。


2020年11月7日土曜日

バイデン勝利!

勝ちましたね。途中経過ですが十分です。
キャンキャン吠える負け犬にTwitter社側は「Some or all of the content shared in this tweet is disputed and might be misleading about an election or other civic process.」と貼り付けを喰らう始末。w

どこまでも、素っ裸の哀れな男です。父親による育成歴と母親との関係性がこの歪んだ男を生み出したことは親戚の女性二人によって赤裸々に暴露されていますが、女性を女性と思わない父親と、そのクソ親父の育児に全くタッチできないこれまた駄目な母親。13歳で既に一端のクズに育っていたトランプを軍隊式の寄宿制学校へ放り込むことでなんとかしようとした父親の行動を止めてくれなかったことで母親そして女性一般への関係性が全く破滅的になってしまった「只の無能な目立ちたがり屋」が親父の遺産を引き継いでやりたい放題をしてきたわけで、その女性蔑視の愚かな一面を男らしさと勘違いする馬鹿な男性有権者を中心に、そしてそのバカ達の取り巻きとしての配偶者に支えられ、今までの4年間を国家分断の増勢に割いてきたわけです。

アメリカという国家の敵ではなくて、近代民主主義の敵でしたね。まあ、宗教と同じで、ハードコアの連中は宗旨替えなどしないでしょうからレミングスのように最後の一匹までトランプとともに命運を共にしていただき、その人生をなるべく無駄に過ごしていただきたいものです。なるべく世間から遠く離れたところで異形の集団として、カルトクラブとして・・・。

これから始まるバイデンの政治はきっと中国にはもう少し甘いものになる可能性が強いかと思われますが、それでもウイグルで弾圧や内モンゴルなどでの漢語教育強制などには反政府という反応を示すはず。中国への制裁は強い形で継続してもらい、北朝鮮は無視という方向で舵取りをしてもりたいところです。

バイデンの影に隠れてはいますがカマラ・ハリスも実は大統領になる可能性がありますからね~。任期中にバイデンは80超え!何かあったら大統領はハリスですゾ!皆さん今回の副大統領の選定は実は物凄く大きな意味が有ると思いませんか?初の副大統領での黒人「かつ」アジア系の血を引いた人物。

スタンフォードで経済学の教授であったジャマイカ人の父と乳がん研究者であったタミル系インド人の母を両親に持つインテリ・ファミリーに育った彼女。例に漏れずLeftyですが、私は彼女が実務を執った時の仕事ぶりを見てみたいと思うものの一人です。どれほど現実的な場面で現実的な対応が出来るのかという。

実は彼女が次の大統領選で返り咲きを狙うDonky Trumpと戦うというのもなかなか笑える喜劇だと夢想したりしています。


2020年11月6日金曜日

アメリカ大統領戦の報道に噛み付く愚かなコメント

大統領選の報道に関して、アメリカのみならず日本のツイートや他のSNSサイトでも「何故トランプに批判的な報道ばかりするんだ!」という様な疑問や怒りの声が結構書き込まれています。

が、、、実際はアメリカにおいてもバイデンの息子のスキャンダルなどに関してはバンバン報道されていますし、それを報道すること自体は誰も止めていません。しかし、いわゆる本人自体の人となりには関係ない醜聞の報道合戦にどれほどの拡がりを見せれば良いのかという話で、間違いなくこのバイデンの息子に関する話もまたほじくり返されるでしょうけど、今の段階では本質的なものでないことは間違いありません。

そもそも、ネットのQ信者やトランプ支持者のグループ、Foxの報道関係機関対残りのいろいろな報道機関という感じで対立が伝えられていますけれど、実際のところこういった報道機関は報道を売って金を稼ぐ連中です。いくら社会の木鐸と言ったところで、報道している記事で金銭を得ている以上、文章や画像を準備している御本尊側は当然のごとく己の情報を最も喜んで買ってくれる、若しくは視聴してくれる相手は誰かということを「群」として理解しているわけです。

ですから、その報道に一定の「いろ」が付いていないなんてことは期待するほうが無理な話で、それを報道する側の持つ「御本人にとっての常識」の世界観からあまり逸脱することのない報道がいろいろな形でフィルターにかけられて内外に撒き散らされるわけですから、それを好む一群の人々がこれまた寄ってきてその情報を消費することになります。

事実というものは発信と受信の2回の過程でそれぞれ取捨選択と解釈が入るわけで、そもそもきちんと伝わることはないと知っているのが読み手に必要な良識ではないでしょうか。それを踏まえて考えてみると、実際に彼ら自身を知る上で最も大事なのは例えば今回の大統領選で「候補者自身が発した発言や書簡、文章そのもの」の中身。

だとするとTwitter大統領の発言こそがそもそも本人がフィルター無しで発しているダイレクトな発言ですから、読み手の方がもつ受信機のみが解釈というフィルターをかけるわけです。本当に人を識るのにこれほど良い時代はないでしょう。かつて無い素晴らしいことです。

それでもあの文章や一連の発言を呼んで尚、あのsmall handsを応援する人々がいるわけです。それが良いと軽いとかはもう言う気力も有りませんが、やっぱり私には理解できないタイプの思考回路をもった人間なんだなと感じるのでした。


2020年11月5日木曜日

史上最低の男w

案の定という景色がニュースで流れてきて大笑い。

民主党側の支持者が「Count EVERY Vote」というボードを掲げてデモしているのに、もう一方はと言いますとアメリカの旗を掲げてトラックで走り回り「Make America Great Again」という愚かなキャンペーン・ワードを掲げて走り回るという馬鹿丸出しの様子。

トランプはトランプで、「票のカウントを中止しろ!」という現代の先進的民主主義国家では絶対に有り得ない、まさに「暴言」をTweetするという、これまたアメリカの恥丸出しの発言を見せるバカっぷり。

お前は、民主主義国家の最高責任者がその根源を成す投票行為を否定する発言をこれまたその軽い脳クソで軽々と言っとるということの意味を解っとるのかという・・・。しかも、恥の上塗りも極まれりというのが勝ちも負けも判らぬうちに一方的な勝利宣言を行った上で相手が投票を盗んでいるのなんのというカオスというか末期的な恥知らず状態。共和党支持者、そして共和党元大統領スタッフ関係者達、共和党議員からさえ批判されているのも知らぬ存ぜぬの鉄面皮ぶりは相変わらずですが。

本当にこんなのにアメリカは4年間も自国の命運と世界の政治の一端を任せていたのかと思うと頭痛がしないのかと言う話。しかし、アメリカのほぼ半分は未だにこの男に投票したというわけですからアメリカ人に対する世界の中での評判もそれはそれは堕ちたものですが、内向きの連中でアメリカ以外の国などに一生行かないような田舎の連中にはほぼ関係ない話でしょう。

Red stateであっても、都会における得票とDemocratsの今迄の郵便投票尊重発言を考えると、時間が経てば経つほど民主党側の投票が立ち上がってくるのは投票前から当然のように判りきっていたことですからね。

裁判を起こしては投票を中止に、無効になどとわめき続けるこのバカの醜態を我々は薄笑いを浮かべて暫く見続けることになるでしょう。

裸の王様、まさに丸裸。w


2020年11月4日水曜日

結局は「荒れる」大統領選

4年に一度の国を二分するお祭りの火蓋がついに切って落とされました。

どっちにしろ事前に判っていることはどちらに転ぼうとトランプは見るに耐えないことをするだろうという事でしょうか。勝てば勝ったで画面を切り替えたくなるような碌でもない勝利宣言をするでしょうし、負けたら負けたで・・・というか決して負けは認めないでしょう。w

この手の「脳足りん」は自分の周りを所謂賛同者で固める裸の王様でしょうから、周りが「これはあかん」という感じで完全に諦めて、裸の王様に鈴を付けらるまでは多分動じないでしょう。基本的にこの政治に何の興味もない、株価の上下動と自分の懐が潤うことにしか興味のないインチキ嘘つき野郎ですから「Deal!」という言葉が使えるところ以外では基本的に役立たずです。(そもそも、何度も自分のビジネスでも破産を繰り返している男ですが!)

今回の一番の面白い爆弾は「郵便投票」です。この郵便投票は間違いなく民主党陣営の人間が中心で、投票所などに行って感染される必要のない事を十分考慮に入れたリスクを見通せる人間が使っているものと思われます。しかも、今回の郵便投票は史上空前の数であることから例え直接投票に行ったトランプ支持の人間達の開票が進んでも、最終的にはバイデン支持票がグイグイと持ち上がる可能性大。特に大都市部の民主党支持層が多いエリアでは周りの田舎者がいくらトランプに入れたところでバコーンと大逆転することは何時でも起きています。

結局、都市部に住む人間で教育レベルが高い人々は平均して民主党、いわゆる左寄りになりやすいのはどの国でも一緒です。(日本はそれを一回経験して大反省して以来自民党が圧倒的に強くなりすぎておりますが。)全米の地図で見ると毎度毎度のことですが、青いバンズが赤い内容物を挟むサンドイッチのような状態です。

しかし、これから先20年30年経っていくうちに白人は愈々その数を減らし、黒人さえもマイノリティになり、ヒスパニックが選挙の動向を大きく左右する時代が来ることでしょう。人口動態予想が示すようにやがて白人が選挙で「当たり前のように」大統領になる時代は必ず収束するものと思われます。女性の大統領であっても、時間の経過が必ずそれを実現させることでしょう。勿論、嘘つきヒラリーなんかでは有りませんが!


2020年11月3日火曜日

冬のコロナはより危険

間違いなく来てると感じます。

正直GoTo云々と言っている場合ではないと感じていますし、感染者大爆発のバカ大統領の国も選挙で浮かれていますが、足下の感染者数の激増は本当に火炎地獄のような感じですし、アレ見ても大統領を支持する輩ってどんな頭の構造しているのか実に興味深いです。多分、そういう連中が「カミサマ」を深く信仰してるんでしょうね。

昔、アメリカに居た時にネット上でゲームをしている時にライサンダーというニック・ネームのハードコアゲーマーが同じチームに居たのですが、彼の話では彼の居たWest Virginiaなんかには、全米でも有数の協会密集地区があって殆どのスクエア毎に巨魁が2つ3つあるという謎の密集率で、そういうところでは本当に仕事といえばマクドナルトのバイト程度とのこと。失業者の率も異様に高く、頼めるものはまさにカミサマ。そういうところの皆様は申し訳ないほど教育のレベルが平均して低くて、収入が低くて~というお決まりのパターン。信じるのは嘘でも何でも耳に気持ちい良いことを言ってくれる人なんでしょう。牧師の説教以下の文言でも信じる人は酒と甘言が欲しいのです。諫言は聞き入れませんし。

さて、話が横に逸れましたがデータを見ると二回目の爆発の時とソックリの波。

上のように患者の純粋な数自身も増えていますが問題なのは陽性者のパーセンテージ。この数字が上昇しているのは危険な兆候と考えるべきです。ほんのこの前まで3%程度まで落ちてきていたものに再び火が着いた感じ。

南半球では昨年、日本の11月に当たる頃から感染者数の激増が発生しているという状況ですから日本でも十分にその可能性が有り得ます。そうだとすると、11月初旬の今はまさに北半球におけるその時期。

爺さん婆さんのいる家を中心にまさに今から用心すべき時期が開始されたと思っています。今迄の時期は準備期間くらいに思っておいたほうが良いのではないでしょうか。爆発に用心しながら病院の患者さんを守っていく厳しい季節が始まったと思っています。


2020年11月2日月曜日

センスの問題

机の上や引き出しの中、家の中の整理整頓まで含めて片付けや飾り付けというものをするのはどこのおうちでも有るかと思います。

先日も長女から部屋の中の写真が送られてきましたが、部屋の中は簡素でよく飾られているのですが、ミニマイズされたものしか置いていない感じ。親の私が言うのも変ですけど単純にセンス良いなって思います。以前DCに住んでいた時の部屋もそんな感じ。高校生の時の自分自身の部屋も同じ感じでした。

一方で、次女はと言うと一言で言えばカオス。片付けという意味では全く駄目でして、今まで綺麗に部屋が片付けられていた試しがありません。美術の成績はもともとは長女も良かったのですが、絵を書く練習とそのこだわりのレベルが違った次女はあっと言う間に長女の美術のレベルを遥かに凌駕していきましたので、美を表現する技術というものと部屋のデコレーションなどというものは余り関係ないようです。まあ、センスと技術もまた全く違うものとは思いますけど、その美への拘りが部屋の飾りつけや整頓には全く生かされません。w

翻って我が家。
別の意味で何の飾り付けもない部屋です。通常の女性の感覚ではちょっと何も無いというレベルの部屋で、基本的に家具は私が購入した巨大なテーブルと椅子とソファくらい。壁の飾りの絵もほぼ無いと言って良いレベルです。オマケに部屋の中は娘のトランクケースが開いたまま置きっぱなし。犬のためのクッションが次女の手によって3つも置かれていますし、風呂場の乾燥機を使っているにも拘らず万年にわたって置かれている洗濯物の室内干しの竿などもありもう美的なというか気持ち良い空間などというものとは縁遠い状態です。

以前、綺麗好きの義父が結婚したばかりの頃は義母の部屋の片付けの拙さによく怒っていたらしいのですが、それも次第に諦めへと変わっていったということを聞いたことがありますが、私ももうとっくにそういう心境は通り越して自分の仕事場が常にシンプルで機能的であることのみに専心しています。そもそもこの家に身内以外の人間がそう来る機会もありませんし。家を持つこと自体にも何の関心もないのでそれでいいと思っています。

自分が死ぬ前には金だけ残してひっそりと家を出て橋の下で死ぬのもまた有りかな等と最近は思うようになってきました。そもそも、な~んにも無い四畳半の部屋で寝るところと机が一つあれば私自身は何の不満もないのですが、家族がいるとそうもいきませんか。

部屋の飾りつけも、家に住むことに対する執着があってこそのもの。センス云々といったところで、そもそもそこで雨露をしのぎ、暖を取ること以上の何の関心もなければ家の広さも飾り付けも要らんということになるのでした。

こうやって、ますます私自身は金を稼ぐこと使うこと自体に対しては大きな意義を見いだせなくなるのでした。今の時代、昭和平成とは大きく異る「消費の持つ本質的な意味」を体感として理解している若い世代の人達が給料云々とは別に車やモノを買わなくなっているという事を聞いても「宜(むべ)なるかな」と感じるオッサンです。


2020年11月1日日曜日

我が家のヨーキーの誕生日に公園へ

ついに我が家のヨークシャー・テリアがハロウィーンを迎えました。

という事は彼の誕生日がまた、まわって来たということです。South Carolinaで産まれたこのチビ助も遠路はるばる日本まで飛行機で飛んできて随分と時間が経ちました。実際のところこれで我が家のチビ助は13歳になりました。

ヨーキーにとっての13歳というのは平均寿命にかなり近づいています。いろいろなところで調べてみても大体が平均寿命が14-16年位と記述しているものが多いですね。14歳は老年期前半で、ほぼ70-76歳相当という換算のようです。ただし、犬の寿命も人と同じで年々歳々伸びているのは間違いないようですが。

昨日はこのチビ助を連れて家族で揃ってモリコロパークへ誕生記念の散歩に行きました。車で着いた後は、皆で揃ってとろとろと歩いていったのですが、公園の中はまばらに人がいる感じ、そして中央の広場では人は意外と沢山いたのですがそれでも皆マスクをし、かつソーシャル・ディスタンスを保ちながら遊んでいました。

周りには綺麗な色のピンクや白、オレンジ色のコスモスがまさに満開で次女達と犬の写真やビデオを撮りながらモリコロの中を二時間弱歩き回りました。いつものように途中でモスバーガーに寄って私はダブル・チーズバーガーとポテトを頬張り家族のみんなは別のものをそれぞれ楽しんだようです。

驚いたことに年老いたとは言え、この間ずっと我々の歩行ペースで一緒にこのチビ助がモリコロの中を歩き回ったことでしょうか、我々の心の片隅には「もしかしたら疲れて駄々をこねるかも?」という気持ちがありましたので、これは嬉しい驚きでした。やはりペットとは言えなるべくの事なら平均寿命よりは長生きしてほしいですからね、こういう元気の良さを見せてくれるのは飼い主としては良い知らせです。

来年も再来年もここで誕生日の報告を出来ると良いなと思います。


2020年10月31日土曜日

アメリカ大統領選の私的予想

前回の大統領選でのトランプ当選直後の私のブログではただただ驚いている自分の様子が書き込んでありますが、その前のブログであってもやはり予想のつかない雰囲気というのを書き込んでいます。

実際、教育のレベルの高い人間が集まる大学などの内側から全くわからない状況がある事を実際に書いています。しかし今回、私自身はアメリカに滞在しているわけでもありませんので現地の「空気」というものが体感できていません。

バージニアというのはNorthern VAは北部風の顔をしていますが、リッチモンド以南では今でもバリバリの南軍贔屓の白人が多い街です。勿論表面的にはそういう事は表に出されることは「少なくとも我々の前では」ありませんが、自分達の生き様を侵害されるような状況が発生すると感じるレッド・ネックを中心に男・白人というだけでトランプを選ぶような人間はいくらでもいると感じます。

さて、翻って今回の選挙戦。トランプという男は基本的に最初から割り切って「自分側の人間」だけをきっちり炙り出して自分の側につく人間だけを強く惹きつける戦略。前回もそうだし今回もそれ。ただし、この四年間で「人として」は最低の人間であることを繰り返し繰り返し証明し続ける第一期でしたが、非トランプ側の人間にとっては耐え難い4年間だったと思います。

問題は1回目にトランプに票を投じた人間が2回目の二期目にもどれくらいの割合で投票をするのかということだと私は思っています。そもそも彼のコロナへの対応に関しては完全に失敗ですが、彼の口から呼吸をするように出てくる嘘の数々を頭ごなしに信じる脳味噌の硬い人々、いわゆる鉄板層にとっては大したことではありません。5Gの電波に乗ってコロナが拡がるとか、QAnonの出鱈目陰謀論を信じちゃうような「扇動されやすい」低レベルの人々ですから。これらの人々はまず動きませんから。

主婦層の動きも気になるようなことが書かれていますがその部分がどう動くかなんて私には全くわかりません。ただ、郵便投票は今までにないほどの勢いがあってそれが全体の命運を左右するとも言われていることからすると、既に命運は決まっているのかも・・・。私的には希望も込めてバイデンと言っておきましょう!

私としてはさらば嘘つきクソ差別主義者野郎!というところなんですが、どうなることやら。長女、次女とも徹底的に呆れるこの男の命運も3日後には決まっていますが、負けても直ぐにゴネるでしょうな。馬鹿だから。


2020年10月30日金曜日

ヴィレバン行ってきました

ネットを見ていた時にヴィレバンことVillage Vanguardのテレビドラマが去年あったことを知りました。

おまけに今年はその2と映画があるとのことでTVerでやっている前回のシリーズを眠い目をこすりながら一気に見てしまいました。すると、自然に6年前に日本に帰ってきた時に病院のサブカル好きに連れて行ってもらった「変」なんだけどなんか面白いものが詰まっているヴィレバンという店にもう一度行きたくなりました。 

しかもヴィレバンは私の家から2キロちょっとの所にあるのですから仕事が終わって飯食ったらすぐに行けます。前と違うどんなものが揃えてあるのか大変興味あがありましたので、久しぶりにワクワクです。モールの中にもあるヴィレバンですが、何となくこっちは大人しい雰囲気であんまり入ることもありません。外に並べてある本なんかには本好きの私の目を引くものがさらっと置いてあったりするのですが、それでもあんまり入らない。

多分、一度入ったら出てくるまでに凄い時間がかかってしまって家族とはぐれてしまうという感覚が心の奥にあるからなのかもしれません。とは言えヴィレバンに行くからには「なにかがある」という期待を持っていくもの。興味のない棚の前は徹底的にサッと通り過ぎますが、面白い棚の前ではそこだけで30分くらいは過ごしてしまいそうな感覚もあります。

今回行ったのは長久手イオンモール前のリニモ長久手古戦場駅すぐ南にあるヴィレバン・イースト店です。イオンモールの中にもあるのですが、もともと私が日本で初めて行ったヴィレバンはイースト店。車で夜に乗り付けて超久しぶりに赤い階段を登って店内に入ると期待通りのカオスが眼の前に広がっていました。

店の中には5-6人ほどの人がウロウロ。男女の比率はほぼ同じですが、お互いが干渉しないようにササッと譲り合うのが、広いけど通路は狭いヴィレバン店内でのマナーか。棚を渉猟すること1時間ほどでしたが、これはもう店が閉まる直前であったためで仕方のないことです。本を3冊手にとってレジへ。

レジの前にどっかで見たような人達の小さな写真と色紙が飾られているではありませんか。もしやと思い見てみると、平田満、滝藤賢一、最上もがさんなどの名前が入っています。恐る恐るレジのお兄さんに「もしかしてココのヴィレバンはドラマで使われたとか?」と尋ねてみると「はい」とのそっけないお返事。

家に帰ってTVerで第2シリーズのヴィレバン・ドラマのビデオを観てみると・・・「あ!イースト店だ!」と一秒で判りました。俺の行ってた店って何でそんなのに選ばれたんだろう?と思いつつもなんだかラッキー!と思ってしまったのは私だけでしょうかね。

今度はアート好きの次女でも連れていきましょうかね。


2020年10月29日木曜日

長女の仕事が決まった模様

風呂に浸っていたところ、長女の使っているTelegramからメッセージが入ってきました。

”You free?”とのこと。私は風呂に浸かってるよと英語で反応したところ自分が新たに引っ越しした部屋の写真が2毎送られてきたあと直ぐに音声コールが入ってきて「仕事決まったよ~!」とのこと。

一体全体未だ大学院のはずですが、どうして仕事が決まったのかな?と思ったのですが、NYUの大学院をやがて出るという前提での就職となったようです。しかも、実際に大学院を卒業してしまったら更に賃金アップ。オマケに一年ごとに5%ずつの賃金上昇が約束されているとのこと。当然、job positionが上がる度に給料もアップですから一体いくらもらえるの?という話なんですが、そこは私の預かり知らぬところ。とりあえず私にそのdetailed job descriptionと賃金などの記述がありましたが、DCで働いていた頃よりも毎月1000ドル以上の賃金上昇のようです・・・。

仕事はアジア系とパシフィック・アイランダーの為のhealth insuranceやhealth promotionが滞りなくサービスとして行き渡るようにするサービスの統括責任者の仕事のようです。DCの頃の仕事と似ているようで似ていないもので、以前よりもhealth related problemに近づいた仕事のようです。私としてはこれで長女には賃金補助は要らないな~!と内心にっこりと思った瞬間に娘が私の銀行口座から毎月の支援分である今月の$1000を引き出しました(引き出されました・・・orz)。w 

記述を見てみると既に仕事は始まっているようで、一体全体仕事と勉強をどうやって両立させておるんやろ?と思ったら、9時5時は新しく始めた仕事、5時からはNYUの大学院ということで相変わらずフルに一日を使って勉強しているようで、忙しいことこの上ない状況でいろいろやっているんだそうです。全て仕事はリモート!とのことで、本来はWashington.D.C.かCaliforniaのどちらかがオフィスになるようなのですが、今の所リッチモンドから移動する必要が無いのも彼女をハッピーにしているようです。

しかも、保険のアシストが極上でびっくりするような良い保険。電話代の補助や仕事始めに当たってのいろいろなものの購入が許されたようで、Macbook Proの16インチと接続モニタ、作業用の机、椅子などを即購入しておりました。そう言えばさっき送られてきた部屋の写真にピカピカのマックが写っておりましたな・・・。

多分、この仕事も次の仕事に就くためのキャリアの1ステップなんだろうなとは思うのですが、興味を持って勉強していることと仕事がマッチすること自体は素晴らしいことだな~と思いました。しかし、コロナの時代に仕事が見つかってよかったですな。取りあえずはメデタシというところですが、兎にも角にも人の役に立って頑張って欲しいですね。


2020年10月28日水曜日

生まれてはじめての睡眠薬

「もうこれはあかん!」と考えるような自体になっていることが問題なのですが、昨日の夜は己の忙しさの延長線上にある無能さとの掛け算の上に「疲れているのに入眠のリズムが合ってなくて眠れない」という状況が発生してしまいました。

横になっても縦になっても姿勢を変えても眠れません。今日の外のバイト勤務は当直明けであったため、家々を移動するあいだ運転は運転手さんに任せて後部座席で短い睡眠を何度もとっていたところ、なんだか少し疲れが逆に溜まった感じになっていました。その後家に帰って来てこれまた日課の筋トレを愚直に実行。これで疲れに加速がついてくれた筈なんですが、去にあらず。逆に体の方は興奮している感じでモンモンモンという最初に書いたような状態。

今寝ても明日の朝までに6時間も無い。しかも仕事とトレーニングの一週間の疲れがここに来て変な感じで逆噴射してきています。

そこで!自閉症の息子が時に使っているベルソムラ(スボレキサント)というオレキシン受容体拮抗薬タイプの睡眠薬を思い切って使ってみることにしました。次女が帰国後に眠れなかった時に半錠使った時に引きずり込まれるように寝てしまったという薬です。

患者さんには日常的に使用していても、自分では使ったことがないものだったのですがここは思い切って使ってみることにしたのは良いのですが、ベッドルームから出てみると次女がリビングでミッドナイトハンバーガーを食べていました。w

横をササッと通過してベルソムラを一錠開封。緑の粒を口に入れてベッド・ルームへ逆戻りです。最初の五分、何も起こりません、次の五分何となく目の前に変な白い画像が・・・「あ、これってもしかして?」と思っていたところ次の朝になっていました。

私の場合特に翌日の朝まで引きずるようなものはまったくなく普通の目覚め。このタイプの薬は子供が疲れた時に自然に眠くなる仕組みと同じ作用を持っています。

私のアバ愛(場合)幸いにして朝の目覚めにも入眠時の悪夢をみることもなくごく自然に寝て自然に起きました。まあ、合っていたのかもしれませんが?薬など使わなくても良い背かつ(生活)リズムを作らなければ!とは言いつつ勉強とトレーニングとブログ書きと入浴をしていると、仕事を終えたあとの時間ってあっという間に無くなるんですよね。ここに私の場合は映画鑑賞も入ってきますので時間はタイトになりがちです。w

まあ、生まれてはじめての眠剤使用。何てことはないものでした。とはいえ二度目はなるべく無いようにがんばるつもりです。


2020年10月27日火曜日

日本学術会議という不思議な機関

「金は出させるけど口出すな」というのは普通は世間で通る台詞ではありません。

そういう立場にあるのが日本学術会議という機関。もともとアメリカのNASや英国王立協会のようなものをと戦後にGHQの勧告下で生まれたようですが、その働きにより東大京大阪大を中心に沢山の基礎研究所やプロジェクトを「勧告」のもとに政府に注文して作り上げてきたようですが、学者連中の作るこの手の功成り名を遂げた連中+別に功もないけれど名誉は欲しい連中が寄り集まって作られる機関なんて時間の経過云々以前に胡散臭いに決まってます。w

少なくとも私が知っている大小の日本の医学や生物学会で機関のトップに「就任したがる人達」というのは基本的に俗物根性の持ち主です。実力や実績という意味で特別に飛び抜けているからと言って別に学会やこの手の胡散臭い学術会議等というような機関に一切属さない科学者なんて掃いて捨てるほど居ます。

今回の「推薦名簿に載っていているのに排除されたガクシャ」の6名の名前とバック・グラウンドを見ましたが、全員文系の皆様。

正直など・ストレートの感想を言わせてもらうとするならば、お前らの信じない政府の金で運営されている政府直轄の謎組織に所属できなかったからと言って、それに文句を言うとかどうかしてるヨって事です。お前らは「飯は食わねど高楊枝」という程度の矜持程も持ちあわせてないのか?餌をくれる飼い主の言うことを聞かなければならない屈辱が嫌なら己で飯を探せということ。学問の自由は金銭の自由(ヒモ体質からの自由)があってこそのものというのはリサーチを行うものなら誰もが理解していること。

極貧の中でもリサーチをし続けて、こんなクソ機関は不要・有害であることを示す程度の気概を示して欲しいものですが、マアこの手のブヒブヒ文句を垂れるだけはやかましいような連中にはそもそも期待すること自体が無理。

学問が政治から独立、特に文系の学問がその上から指示変容をもたらされぬ為に政治から独立すべきことは根本的に重要なこと。だからと言って税金で純粋に運営される御上の組織に属すことが出来ないからと言って文句を言うのはまさに噴飯ものです。

そもそもその選出方法からして実績なんかを正確に比例して選出されるものでは「まったくない」ことは明白。その時代において「有名=優れている」などという等式が全く夢物語であることは誰でも知っていること。しかも、名誉欲の強いジジババが己を含め己の子飼いの人間を推薦・互選するリスクを排除できない選出方式がまともな訳がございません。設立当初の意義やよし、経年変化で腐ってしまった制度疲労の残骸が今目の前にある日本学術会議です。

科学に対する提言を何かしたいならこんな組織はさっさと潰してもっとまともな組織を別の運営方式で作るべきでしょう。(未だ組織にこだわるならばですが!)

あ、私の尊敬する本物の天才ファインマンは一度は誘われて入ったNASの運営に愛想を尽かしてサッサと脱退しております。真の実力者に勲章や栄誉など自分で求める意味もない、というか不要な良い例ですね。そんな人に対しては断っても撥ね付けても周りが勝手にそういうバッジを貼り付けまくりますから。栄誉・評価などというものは己が求める類のものではないのです。いい年こいた大人が学者面して恥ずかしいぜ。(学問を求めればこそ栄誉からは距離を取れ!)w


2020年10月26日月曜日

この母にしてこの子あり・アルコール依存症

精神科で「共依存」なんていう言葉を頻繁に聞きますが、結構とんでもないことが多いです。

私自身は精神科の専門医でも何でもありませんから、周りの専門医の先生達がいろいろな症例に関して話しているのを聞く機会が多いだけなのですが、それでも病院内で症例が語られるときに「共依存」という言葉が出てくるような話に関しては余り良い物語は私の記憶に蘇ってきません。

今回の話では実は私が消化器疾患を担当している患者さんのソーシャル・ワーカーから聞いた話なのですが、医師である私に隠している隠された重大なストーリーとしてその患者の実の母親の存在があるというものでした。母親は80前後なのだそうですが、息子の疾患はアルコール依存症。そしてこの患者にも精神科医は付いていて、医師から治療を受けているというのです。

この男性患者自身はこれまたアル中に良くある大法螺ふきででして、外来にも酒の臭いを振りまきながら入ってきます。私はこの手の患者には今まで軽々と裏切られ続けた経験から常に冷淡に取り扱うのですが、この患者ふざけた事に「そんな厳しいことを言ってくれる先生が大好きです」等との賜ります。

まあ、それはそれでどうでもいいんですが、私が今回「ウッ」と思ったのはこの男性の酒の入手先。なんと老いた母親が自分のアル中の息子のために酒を買い置きして家に置いておいてくれるんだそうです。orz

正直その話を付き添いのソーシャル・ワーカーから聞いたときには開いた口が塞がりませんでしたが、彼の説明ではこの駄目親子、上に書いたような共依存状態なんだそうで、調べてみると「親が子の行動を支配し子の自立を妨げてしまうこと。共依存の親は、子に親がいないと何もできないと思わせたり、逆に子がいないと親が困ると思わせたりして、子をそばに置いておきたがります。引きこもりの子を甘やかす親や、逆に子が自立しようとすると病気になる親などその症状は様々。」

まあ、上に書いたのは総論的なことなのでしょうが、このアル中の50過ぎの息子も結局はそうやって育てられたのかそれとも親をそう思わせるような騙し方をしているのか・・・。何れにしても碌なもんじゃありません。

ワーカーさんは、現状を打破する為に「お母さんを別個につれてきて先生にに話をしてもらいたい」と頼み込んでこられるのですが、正直言ってそんな親御さんを内科医の所に連れて来られてもね~というのが私の実感。まあ、勿論連れてこられたら話は致しますが、その話は極めて厳しいものになるだろうと推測されます。

この母(親)にしてこの子あり。この世の多くの場合に当てはまる、短いけど確かな先人の言葉だと思います。


2020年10月25日日曜日

こんな松茸もあるんだ

今日の今日まで知りませんでした。

ある方から連絡が入り「美味しいものが手に入ったのでもし時間があれば取りに来ていただけませんか?」とのこと。何を?と思いつつ仕事が終わった帰りに寄らせていただくと以下の写真のようなものを玄関口から出してこられました。

上に8本ほどの松茸、下に2本の全く上の(通常私が松茸と思っていたもの)とは異なる松茸が入っている特大のトレイが目の前にありました。下の二本の松茸は老茸(ろうじ)というものだそうで、酒呑みのつまみとしては最高のものなのだそうです。

調べてみたところ、藤村の「夜明け前」にこのろうじの話が出てくるようで、茶屋で主人が酒呑みに対して「老茸でも焼こうか」等という台詞があるのだとか。

早速家で焼いてもらい、松茸「も」一緒に頂いたのですが、少し苦味がありつつも間違いなく酒のあてとしては美味い!という事が理解できました。それにしても焼き松茸とか本当に何時食べた?という話でして、先日の松坂屋では松茸3本で38,000円だったという話を伺ったばかりだったのですが、目の前にあるのは・・・。

あまりに恐ろしかったので、難しい事は考えずに素直に推し戴き、その味と香りを賞味するとともに明日の松茸御飯に期待を抱くことと致しました。w 御本人によれば、毎年注文していてもナカナカ手に入らなかったとのことでしたが、私どもの一家にとっては見たこともない量と中身でしたので、この幸せは近所の方々にもおすそ分けとして味わってた抱くことと致しました。

世の中の美味いものはまだまだ限りなし・・・。


2020年10月24日土曜日

皆に観てほしい「チョコレート・ドーナツ」

邦題「チョコレート・ドーナツ」原題「Any day now 」という2012年のアメリカ映画を観ました。

アマゾンにあるかなと思って探してみたらしっかりありましたので、喜んでボタンをクリック。すぐに見始めました。登場人物の軸は基本的に三人。ルディ、ポール、マルコ。

舞台は70年代後半のCAという設定ですが、ルディというゲイの歌い手がいるバーにゲイであることを隠しながら生きる弁護士のポールがやってきて互いに一目惚れ。二人は相思相愛となるのですが、それだけならただの恋バナ。ところが、ここにダウン症の少年マルコと言う男の子が絡んできます。大好きなバービー風の人形をいつも大事に抱えている彼の母親はジャンキー。息子の前でコレまたヤク中の男とセックスをしてしまうような典型的なぶっ壊れた女。

このマルコをふとしたきっかけから救うことになった隣人のルディとそのゲイ・パートナーであるポールの法に基づいた「マルコを救い出すため」の激烈な戦いを描いています。あんまり書き込んでもネタバレになりますので、例のごとく詳細は実際に映画を観て頂いてご自身の感想を持っていただきたいというのが本音なのですが、当時のアメリカでは既に比較的LGBTにはオープンであったと思われるCAでさえも、実際にはこの様な「世間一般のゲイに対する強い偏見」があったことを想起させます。いわゆる「福音派的クリスチャンの持つべき伝統的発想」に基づいた正義というやつでしょうか。

衝撃的なのは、これらの偏見に基づいた「法と正義の番人達」よって引き裂かれたマルコが迎えた悲劇的な最後に関して淡々と、本当に淡々と綴った短い手紙が送りつけられた当該裁判の判事、ポールを馘首した上司、そしてマルコを何度もゲイの二人から引き剥がした家庭局のオッサン達がその文章を読んだ時の強い戸惑いの表情はその後の時代の変容を予感させるものだと思いました。

ウッと息がつまり涙をポロッと流した素晴らしい映画でした。観てよかった。差別や偏見というものの愚かしさを再び強く認識させられる映画でした。


2020年10月23日金曜日

自分の日常診療分野以外の疾病の薬の勉強

テレビの宣伝で法律事務所の宣伝がありました。

名古屋のローカルなのかどうかそもそも法律事務所の名前を覚えていないので、法律事務所の方には申し訳ないのですが、私向けには少なくとも効果がなかったことになります。なにせ名前覚えていないから。w

ところがその事務所の宣伝に医師を意識した各法律問題別の専門家を配して勉強させ、研修させそれぞれの問題にあたらせているというような宣伝内容をほのぼのアニメ風に解説しているものでした。この説明は確かにまっとうしごくなものですし、得意分野に特化した法律家が夫々の分野で攻撃や防御を担当するのは今の時代当然ですしね。

法律事務所だからと言って何でもかんでも案件に喰い付けば~という状態では勝率を上げることも出来ないでしょうし、そんな法律事務所じゃ時間が経てば客も寄り付かなくなるでしょう。(法律事務所って自分の受け持ち案件の分野別の勝率とかを開示してるんですかね?法的にそういう事をしたら駄目とかあるんでしょうか?知りませんが。)これはそもそも医者だからと言って何でも出来る等という事は「決してありえない」のとおんなじですよね。江戸時代の医者ならいざ知らずですが。

しかし、良くあることに関しては薄い知識であっても知っておけば日常臨床には大変有用だということはいくらでもあるわけです。患者さんが転入してきた時に他科の先生が処方されている薬の内容を見てその治療の組み立て方を当方のアタマの中で再構成する時などには、書かれている有名どころの薬を「ある程度は」知っていたほうが(すぐに調べが付く薬の辞典はフリーで医師用にスマホ・ソフトとしていくらでもありますが、それでも)スイスイと記憶の倉庫から呼びだしてアタマの中で理解できればやはり時間が短縮するし手早いわけです。

ところが、こういった時にもよく理解できないのはやはり(自分ではほぼ初発処方としては絶対に使わない抗癌剤は別として)眼科の薬です。幸い当院にはバイトの眼科の先生が大学病院から週に2回来てくださるので多くの患者さんに検査後は色々な処方が出されているのですが、それでも長い期間みていると点眼薬というのにも時勢によってイチオシというのがあるようで(無論、その先生方の好みにもよるのでしょうが)ある程度「この眼疾にはコレ」が今は流行っているのだなということや、処方のパターンが見えてきます。

そういった知識がどこで生かされるかと言うとバイトで行っている在宅診療。患者さんたちの中には本当に足がなくて外に出られない人がいるのですが、その人達にも50過ぎている人達を中心として他に糖尿病や眼の見え方に問題のある人などには(伏してお願いしてでも)最低半年に一回から1年に一度くらいは眼科に行って目の検診を受けてもらっているのですが、その眼科通院以降に使用する薬としての点眼薬の処方継続などの時に自分が継続を仰せつかっている時の勉強として「眼科という自分にはよくわからない世界」の処方の勉強は役に立つわけです。

オマケに最近は眼科の先生でも多くの方がネット上で薬の作用の解説や使用実感などを開陳してくださっているので、知識の肉付けには素晴らしく良い時代が来たんだなって強烈に思いますね。

ざっとではあっても、隣は何をする人ぞ?っていうのが理解できていると色々便利だなというのはどの世界でもあると思いますが、医者の世界も細分化が進んでいるとはいえ、そういった知識は無駄ではないなと感じる日常臨床です。今日は偶々思い出した眼科の話をしましたが、精神科薬なんかもその世界。睡眠障害、せん妄、認知機能障害などの対応などは一般科の先生にとっても決して他科任せでは済まされない事態も起きますのでそういう他科に関する知識が役立つ場面は同様です。

とはいえ、最終的には必ず専門医に確認を取りながらというのが我々の日常ではありますが。


2020年10月22日木曜日

携帯電話が無くなった!

「今日の仕事も辛かった~」というのは我々より少なくとも一世代以上年配の方々が聞いていた岡林信康の「山谷ブルース」という歌ですが、そんな感じの今日の仕事の締めくくりに事件が起きました。

さて、4時を過ぎあと病棟を2つほど回れば終了という時に「はっ」と気づきました。

「携帯が無い!あれ、あれ?」ということで白衣のポケットに左右の手をそれぞれ突っ込みます。更に胸ポケットも内と外それぞれに手を差し込みますが無い。もしかして、さっきIVHを刺入した時にベッド脇にふと置いたとか?という感じで患者さんのベッド脇にこっそり行ってみましたがやはりありません。

うむむ、これは不味いかも?ということでその前に行った別の病棟を3つ確かめましたがやはり無し。内科外来に行ってみましたがやはりそこにも影も形もなし。院外には全く行っていませんから調べるべきは院内です。周りの看護師さん達には「電話をかけてみたら?」と言われましたが、院内では何時も消音バイブレーション・モードにしています。

別の作業をした放射線科の部屋にも「iPhone無かった?」と聞いてみましたが暫くして「無いですね」との悲しい返事。仕方ないのでそんなあっちこっちの移動をに往復してみたのですが、影も形もありません。何時も軽口を叩く師長さんなんかは「あら、先生。w ちょうど走り回って痩せるからダイエットに良いわ~」等と大笑い。

私としては電話機自体はそれほど惜しくないのですが、病院から入ってくる緊急連絡が入らないのは激マズです。私的目的のこと関連は大したこと無くても患者さんの急変や病院からの相談などをキャッチできなければ「業務上の死」です。

焦る気持ちが盛り上がってきましたが、もう一度アタマの中で冷静に動線をトレース。やはり、一カ所だけは自分で確かめていない放射線科の「白衣を脱いだ時に作業する棚」の上を調べなければならないと思い直し、当直室で病院のマスターキーを借りて事務当直さんと突入するとありました。裏返しにおかれた私のiPhoneが。

良かった!一緒に歩き回ってくれた事務当直さんに大感謝。これで仕事の連絡がつきます。

しかし、今回の件で思い出したのは電話が無くなったらどこにも連絡が取れないということ。LINE,SNS,mail,電話。誰にも連絡取れません。勿論嫁さんの電話番号も知りません。w 今回のiPhone探索では「iPhoneを探す」というマックブックを使っていた頃には試してみた機能も自分のIDは覚えていてもPWを何年も使っていないために思い出せず・・・という情けなさ。生体認証ばかり使っていてどのPWだったか忘れてしまっていたのです。

しかし、久しぶりに物を失くす焦りというものを再体験致しました。疲れました。心が。


2020年10月21日水曜日

「どぶろく」くらい家で作ったらあかんのか

昨日、アル中の話を書いたばかりなのに矛盾しているように思われるでしょうが、本当にあっても良いのではと思ってます。

アメリカにいた時に生まれて初めて飲んだドイツ系アメリカ人の研究仲間が作ってくれた手作りビールほど旨いビールはこの世にないと断言できるほどの美味さでした。私自身は精々好きなのはアイリッシュビールと、コロナ・ビールの一部の銘柄くらいで、日本に帰ってきても確かに「美味いね~!」というビールは何度か飲んだことはあるものの、彼が作った手作りビールに勝るビールには未だこの世で出会ったことがありません。アメリカだとどこに行こうと手作りビールの制作道具や材料を売っている店がありまして、比較的手軽にビールを作ることが出来ますし、自分なりの味付けができるのです。ただただ大変なのは手間ひまをかけることと、最終製品を手に入れるまでに比較的長い間待たないといけないということ。

しかし「あの味」が手に入るのであればそれくらい待つのはどうってこと無いと思うほど美味しかったのです。

そういう意味で日本だとそれに匹敵するであろうものは「どぶろく」ではないでしょうか。ウィキペディアを調べてみると、どぶろくというのは所謂にごり酒ですね。清酒と比べて「濾す」という工程を経ていない酒ということなのですが、本当によく冷えたドブロクは旨い。

今回、こんな話を昨日に引き続き書いたのはある方から「郡上八幡のドブロクを手に入れたので試飲してみてください」という連絡を受けたためです。よく見てみるとビールのみならずドブロクも特区があるということを学びました。

そもそも、家で造るような酒が禁止になったのは上のウィキペディアにもありますが、明治の酒税法が原因だと言います。そのうえで、今の時代に合わない「手作り酒禁止」の法律が我々の伝統と想像力を奪ってしまっているわけです。私、思うんですけれど、私のベセスダの友人が最高の手作りビールを作り出したように、日本でもこの点を緩めた瞬間に百花繚乱の手作り醸造酒が登場するはず!

そしてその中からは量こそは敵わないものの、カンパニー・レベルでも太刀打ちできなメチャウマの手作り酒が登場するはず。さっさと「悪法」酒税法を改正して旨い酒を我々の手に取り戻させてほしいなと思うのです。


2020年10月20日火曜日

次から次へとアルコール依存症患者が・・・

大変残念なことですが、精神科の「依存症病棟」という部門から最近次から次へと患者さんが内科へやってきます。

しかも、その患者さんの多くがアルコール依存症の末に辿り着いた「非代償性肝硬変」という状態です。日本人の肝硬変の多くはB型・C型肝炎ウイルスによるものなのですが、肝臓をアルコールによる波状攻撃で連日のように洗い続けた末に辿り着くのがアルコール性肝硬変。

肝臓というのはもともとが素晴らしい回復力を持つ沈黙の大工場ですから、通常はちょっとやそっとのことでは音を上げませんし、持ち主の無理な飲酒でも黙って耐え続け、相当のレベルまでは「肝硬変の症状」が出てくるようなことはありません。

しかし、それでも血液学的にはある程度の確率でγ-GTPが上昇してきたり、赤血球が大球性になってきたり、アミラーゼの値が上昇してきたりと思えてに出ないところでは生体側の反応としていろいろな数字が踊り始めます。実際に肝臓全体の種々の酵素が上昇してきたとしても、飲酒を止めればかなりの速度でこれらの数字も正常値に戻ってくるのですが、それも繰り返されれば炎症の発生と消退のパターンと一緒で組織の線維化と言うことが起こり、正常組織の割合が減少していきます。この過程が肝硬変の進展。

さらにそういった飲酒行為を繰り返していくと御想像の通り正常部位はどんどんと減り続けるとともに回復の限界を迎えた時点で肝硬変の「症状」が出てきます。そこから始まるのは種々の「肝機能の非代償性」による宜しくない症状の数々。

易出血性、腹水貯留、肝腎症候群、意識障害など多様。静かな大工場と言われる肝機能を代用する本当にたくさんの薬を飲んで貰いながら腹水を抜いたり心不全のコントロールを行ったり、食道静脈瘤などの破裂に備えるわけです。

しかし、彼らに共通するのは本当に「病識の欠如」だと感じています。いくら患者さんと話をしても、本当に多くの場合「大して飲んでいない」という詭弁を繰り返すのみ。その酒量を聞くと唖然とするような物がほとんど。休肝日もほぼありません。

そして内科病棟へカエル腹でやってきたときにはもう手の施しようもないことが殆どです。ウイルス性肝硬変は日本において今後劇的に減っていくのは確実です。しかし、日本においてはアルコール依存症由来の肝硬変は確実に現在の10-15%の率から時間をかけて半分以上の肝硬変要因になってくることと思われます。(非アルコール性脂肪肝炎NASHの上昇率がどこまで行くかにもよりますが。)

厳しいです・・・。


2020年10月19日月曜日

精神疾患と思ったら・・・

最近経験した症例でこれは気をつけないかんという例をメモしておこうと思います。

ある中年の女性患者が、家族に連れられて病院にやって来られました。私の外来の患者ではなかったのですが、夜間だったので興味深く脇から話を聞いていました。家族の方によると、なんだか最近話が噛み合わないし様子が変だということで来られたのは良いのですが、よく観察していると少し歩く時の姿勢に問題があるのと靴を履いたときに上手に履けませんでした。

話の内容もどうにも不明瞭で言っていることが曖昧。論理的に話すことが出来ないようです。この点に関しては精神科医ではないので、その精神科の先生が診察する様子を見ていたのですが、いろいろと問診や家族歴などを採ると同時に他の家族さんにも「おかしさ」を感じた時期やその時の様子を詳しく聞いて最終的に神経学的なチェックと脳のMRI画像を取得することとなりました。

認知症の患者さんでは、大脳皮質の全般的萎縮や特徴的部位に優勢な部分的萎縮、脳の各所に散らばる梗塞巣などそれぞれの部位へのダメージで現れるであろう症状を予測したり、病名をつけたりしながら診断を進めていきます。勿論、統合失調などだと思っていたところ、頭蓋内に腫瘍性病変や血管性病変、出血などが存在して精神症状としてそれが表現型の一部になっているというのも良くある話です。また、代謝疾患が如何にも統合失調や認知症様の表現型を見せることだって医学的には稀ではありません。

しかし、初診で精神科に連れてこられた時に基本的には医師はその「異常」をまずは認知症や統合失調という型に嵌めようと言う感じで見ていきがちです。しかし最終診断までには画像も含めた診察も大切で、こういう頭蓋内のイメージングが得られなかった時代の患者さん達の中には物凄い数の誤診による出鱈目な投薬治療なども行われていたと思います。間違いなく。

さて、この時の女性患者さん、全ての診察が終了してイメージングのためにMRI室まで言った時点で装置前のモニタを見てびっくり。ソフトボール大の巨大な腫瘍が左側頭部に一つ、更にはピンポン玉を少し小ぶりにしたようなサイズの虚血部位が右後頭部に一つありました。

夜だったのですが、これは精神科領域の取り扱うものではないということでこの日の当直の先生は直ぐに大学病院に連絡を取り搬送という対応を取られたようですが、最終診断を知りたいところです。

「こうだろう」という先入観を持って物事を見ていくのは実に危険なことだと、日頃の忙しさの中で忘れかけていた自分に改めて思い知らされた症例でした。


2020年10月18日日曜日

汲めども尽きぬ悪行の数々w

先日、893のオジサンの入院のことをチラリと書きましたが、今まで聞いたこともないような話の連続でその手の世界とは通常縁の無い私にとって面白い事この上なし。

基本的に私の好きなバクチの話が話の骨格の多くになってくるわけですが、(単にテレビドラマや小説で見せてるような博打がどれほどリアルなのかという事が中心)オジサンの話は私の想像の斜め上を直ぐに飛び出していき、「まじかい・・・」という様な話が次から次に出てきます。

その話の中にはXX会のXとかXX県警のXとか警察やデカのヤクザへの当たり方と潰し方、ムショに入っている若衆からの連絡にどうやって対応しているとか、具体的な名前や組織名はなんとなくボカして話しているのですが(勿論私には何の事だかよくわからない人達なのですが)出てきて面白おかしく種々の話をしてくれるばかり。ラブホに立てこもったバシタの話や、警察との競り合いの話などなんだか表からは見えてこない話はワクワクものです。

結局の所、組織というのはその仲間を守りその仲間に金を稼がせ飯を食わせることが出来る人間が組織のアタマになるという事がよく分かる話の数々が出てきます。博打のときでもやはり既に彼らの行う麻雀などは既にカネを右から左へ動かすための究極に簡便化された「博打」であって、既に麻雀の牌を使った別の賭け事になってしまっています。ブーマンなんていうのはまだまだ序の口で、更に掛け金とテラ銭が普通の次元とは全く異なるレベルで動いている話を聞いて口もあんぐりです。

暴対法後のミカジメ料の集め方や半グレ集団と暴力団の実際の関係、若い女の子達と裏の社会の繋がりなど、話を残らず書き出せばそれだけで一冊のムックが出版できそうな豊富な話。しかし、出てくる話が次から次へと尽くやばい。やっぱりこの人、還暦前後の人生のうち20数年近くを塀の中で過ごしてきただけあって「あっちの世界」の話には事欠きません。

やっぱり、この人は病院から出ていっても笑いながら、また悪い事に手を染める、、、というか普通にまた悪い事やっちゃうんだろうなと思います。話を聞いていると、人生の中でそういう仲間たちが助け合って生きていく「互助会」のような世界観で生きているので、娑婆に戻ってきたところでまた生きていく為に悪いことに手を出し続けるな、と直感ではなく強い実感として感じるのでした。

ピカレスクと言うのはこんなオッサンなんでしょうかね?安部譲二も元気な若い頃はこのオッサンみたいな人だったのかもしれません。


2020年10月17日土曜日

子供を叱らない親がいるそうな・・・

ネットの記事を読んでいると「子供を叱らない育て方」「褒めて育てる」というのが流行っているというのを読みました。

最近病院で若い看護師さん達が内科病棟での仕事を続けるうちに3人次々にドロップしていっていくという出来事が起きて師長さんが頭を痛めていたのです。ストレスがかからないように特別に考慮した勤務表を作成して仕事を教え始めていたのですが、まず始めに仕事を開始しようとした当日に一人目の女性が現れませんでした。orz

残る二人のうち一人は女性で看護師になって間もない人だったのですが、三ヶ月ほど頑張ったあとやはり辞めていかれました。最後の一人は男性看護師。小さなお子さんもいるということで夜勤も可能な限り組み込まず、入れるときでも本来二人のところを三人夜勤としていました。ところが、最終的にこの若い男性も看護部長に精神科病棟への勤務配置換えを希望し去っていきました。

師長さんの落胆ぶりは相当なもので、見ていて本当に気の毒になるくらい。

彼女なりに最善を尽くし、ベストのケア・テイクまでしていたのに最終的に三人共育たなかったことに大きな衝撃を受けたことは確実で、涙を流す場面も見ることになりました。口をついて出てくる言葉は己を責める言葉と自信を失ったことによる仕事への疲れと意欲低下の表現でした。

私は彼女の指導や努力を横で見ていましたが、十分新設で周りの看護師さん達も十分に三人をサポートしていました。最初のトンデモ女性は別として、残りの二人も適切な指導をしていたと思います。しかし指導は「結果として」うまくいきませんでした。

実は、今回のネットの記事を読んで思い出したのは今回の三人のこと。彼らの世代はいわゆる運動会で順位をつけずにゴールをさせるようになったり、同じレベルの子供達をグループいして「差をつけないように」育てられた世代だということでした。唐突に今回のことを繋げるのに違和感を覚える人もいるかも知れませんが、私には強く繋がっている気がします。

差をつけられないヌクヌク生活の義務教育を終わった後はいきなり一点差で順位をつけて己の実力をまざまざと噛み締めさせられるREAL WORLDの中へ叩き込まれるわけですが、一体全体先生方は何を考えて共産主義思想を教育の中にまで持ち込むのでしょうか。

私の感じるこういう「弱い」若者達に共通して見て取れるのは叱られることへの徹底的な弱さ。親に叱られた事がないのでしょうか、先生に叱られた事がないのでしょうか?ちょっとの指導が耐え難いほどの心の傷になるようで、直ぐに看護部長室へと直訴をしに行くようです。先生に怒られて親に言って叱ってもらうようなつもりですかね。w

それはそれで私は構いませんが、そんな連中が溢れかえる未来の日本に勝算はあるんでしょうか?傷つきやすく優しい、自分の力を客観的に評価できない大きな子供達。

外の世界は日本とは比べることも出来なほどの強くて冷たい風が吹き荒れているのですが・・・。


2020年10月16日金曜日

のぞきが商売

週刊文春や週間新潮のゴシップ記事に本当にオワコン感を感じます。

昔からどうでもいいようなくだらない事も含めて諸々の世事を書いてきたのが週刊誌の「調査記事」の真骨頂でしたが、最近はネタというのが芸能界の方にグッと寄ってしまっている上にそもそものベースが盗撮ばっかり。一昔前の平成の頃だったらその手の記事と言うか写真というのはFLASHとかFRIDAYとか言うようなその時代のその瞬間の特にどうでもいいようなものも混ぜて写真を載せていた写真週刊誌というジャンルのゴシップ誌が受け持っていたものですが、最近は上に書いたような記事が中心であったはずの週刊誌がその役割を担っているようです。

正直なところ、XX坂YYとかいうアメリカの我が家の庭に以前ムクムクと生えていた奇妙なきのこのように出てくる十把一絡げの秋元康の作ったグループのメンバーの特に美人でもなければ特に才能があるわけでもない女性が、これまた芸能界のどこぞの男性と路上で手を繋いで歩いたとか、路上でキスをしたとか、同じマンションに入って二時間半後に出てきたとか・・・。

そんなのばっかり。

未成年と飲酒や淫行するバカはさておき、高校卒業とか20歳を超えた男女が芸能界という職場で恋愛のような事をしているのを盗撮して一体それがニュースか?という話。事務所が恋愛禁止なのに恋愛しとるからその現場を押さえてやったワイ、とでも思って記事を上げとるんですかね。正直な感想を言うと「バカか?」という一言。

いい年こいた男女がいい年こいとるんだからこそするであろう普通の恋愛行為を周りで「覗き見」してそれで金を稼ぐとか、書く方も読む方も悪趣味の一言でしか表現できないくだらなさとしか感じません。

そんな記事を書く奴もよっぽど若いころからモテなかったのか、それをネタとするところに絶望的なモテナイ感を感じてしまいます。お前は若い頃に手を繋いで女と歩いたことはなかったのか?お前は好きな女と抱き合ったことはないのか?とかいろいろと聞いてみたいことはあるんですが、そんな連中と合って話すこと自体が人生の中における最大の無駄な時間としか思えませんし会うこともないですしね。w

少子高齢化に悩んどる国なんだから、恋愛ガンガンしていただいて幸せなペアリングを愉しんでいただければ宜しいではないですか。若い頃に誰かを好きになって相手方に対してアクションを起こすなんて言うのは若者の大特権1~10のなかの、その「いち」そのものです。

人の色恋沙汰を外野から言う奴に限ってモテない連中か道徳の教科書の執筆者のような人間、若しくはそもそも他人の行為をあげつらうお前自身が下衆野郎で、人の私生活を覗いて他人にばら撒くのに快感を覚えるような変態なんでしょうな。

覗きなど、まことに大人の関わるべきでないつまらない話です。


2020年10月15日木曜日

意味のない薬の処方要求

薬をもらうのが大好きな日本のじいちゃんばあちゃん。

金を払う額に関してほとんど気にせずとも良い国の政策によって使いもしない薬でも気兼ねなく、かつ気軽に何とかして手に入れようとする連中の多いこと多いこと。連中と書きましたが、正直わたし最近頭にきています。

自分もだんだん還暦に近づいてきましたので良く分かるんですが「年寄りを敬え」というのは全くのデタラメで、敬うべき人物は年令に関係なく自然に敬われるべきものだという単なる自明の摂理を年寄りだか誰だか知りませんが勝手に書き換えられているだけの話です。私は自分より若くても仕事のできるひとには大きな尊敬を払います。自然なことですよね。

年寄りだろうが若かろうが碌でもない輩は碌でもないわけで、そもそも歳をとったから尊敬の対象にシフトしていくわけでもありません。多くの場合、単純に体力知力が共に弱くなっていきますから丁寧に扱っていきましょうという優しくすべき対象になっていくだけです。尊敬されるべきか否かは全く別の問題。多くの場合「ただの人」です。

年寄りがこの社会を作ったというのではなく、先祖からの知恵の積み重ねの上に人類の生活自体があるわけで、社会を支えているのは別に年寄りではなく若者も含んだ労働人口というものに含まれるグループの人間達です。

前振りが長くなってしまいましたが、外来に来て薬を欲しがるお年寄りの中には本当に症状なんかは全く関係なくPL顆粒をのまないと体が持たないとか、漢方のXXを月にこれだけのまないとやってられないとか言い張る連中がわんさか居られます。はい。

そもそもその手の人達はこっちの話を聞こうとしないし、多剤併用による深刻な副作用出現のリスクなどに関しても聞く耳持ちません。知力の低下と頑固さの増強が重なり合ったときには本当に担当の外来看護師と顔を見合わせて「困ったね~」という事になります。ではこちら側で勝手にこっそり不要な薬を切ったらどうなるかと言うと、これが意外と強いこだわりを持って薬の色や形、数などを覚えていて「XXが入っていない!」と怒る人もこれまた多し。認知機能は低下していてもこれにだけは奇妙なコダワリという困った状況が出現します。

私は基本的にいろいろとこういった爺ちゃん婆ちゃんをダマクラカス方法論を長い間にちょっとずつ編み出してきて少しずつ少しずつ減薬していきますので、最近は最終的にはかなり減らすことが出来るようになっています。

無論、それを乗り越えてこようとする難敵は未だおりますが!w 爺ちゃん婆ちゃん、薬はのめばいいってもんじゃないのですよ~。