2016年5月31日火曜日

脱水に注意すべき季節に入ってますな

病院の患者さん達の変化を見ていると季節を感じることがあります。

それがまさにこのシーズン。
外の施設でも、病院でも患者さんに脱水気味、もしくは脱水の進行した人が時々チラチラと出始めました。他のエリアではどうなのかわかりませんが、カラッと晴れた状況下で気温が上がり続ける日々が続いてくると増えてきますね〜。

特に還暦過ぎたあたりの年齢の方は知らないうちに脱水になるというひとが多いのです。元々年齢が上で体内の水分量が少ない状態で水が蒸発していけばリザーブが無い分、アッという間に脱水という図式は極めて自然な上に、暑さに対する鈍感力が発達してしるというか温度センサーの検知力が落ちてるという感じで、施設などで部屋の中に入っていっても、むっとするような暑さの中で布団を被っていたり、更に綿入り半纏を羽織っていたり!というような事があります。

看護師さんたちと部屋の中に入って、お年寄りが生活している部屋の余りの暑さにビックリしてしまうというようなことが非常に頻繁にあるので、特に病院の個室とは言わずとも全国の家庭でこういったことは極めて普通に起きているのだと思います。

かくいう私の母親も去年の夏には親父が見つけた時には部屋の中で汗もかけないくらいの状態でハーハー、ゼーゼー言って危なかったというようなことになっていましたので、全くのところ他人事では有りません・・・。(病院に連れて行かれて輸液で乗り切ったらしいのですが。orz)

カンカン照りで無い、なんとなく涼しい瞬間も有るようなクーラーの入っていない時間帯が長いこういう夏の入り口の日々こそお年寄りは脱水に注意でござんす。

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2016年5月30日月曜日

VRの到来寸前

最近、待ち遠しくて仕方ないものがあります。

それはSONYのPlaystation VRの発売です。この10月に登場すると発表されているのですが、私にとってこのマシンはまさしく未来そのもの。ゲーム機の未来というよりもこれからガラリと変わってしまう21世紀の生活様式の大きな一端を直にこの目で見て触れる第一弾がこれだと思っています。

私が想像するにこの登場によるインパクトがどれくらいの変化かというと、人類が初めて電気による光を経験したような、20世紀当初の人にとって初めてラジオを聞いたような、ラジオしか聞いたことのない人が初めて街頭テレビを見たようなものを生活にもたらすと信じています。

いろいろなデモで多くの人達が経験後にその感想を述べているものが各種Youtubeに上がっていますけど、今の時点でのまだまだ原始的なソフトウェアを使ったレベルでの人々の興奮した様子を見ていると、その可能性はほぼメガトン級であることが容易に推測されます。

これから登場してくる数種類のマシン自体もアッという間に小型化されかっこ良くかつ安くなっていくものと思われますが、それを使っての応用範囲はもう想像のできるかぎり無限だと思います。

ディスプレイの応用範囲などではとても追いつかないくらいの様々なレベルで多くのプロダクティビティを上げ、エンタテインメントの世界ではありとあらゆるものがVirtual realityによって共有体験という名のもとに大規模なものに変わっていくと思います。

そのうち、この文章を読んだ人が「こんな原始的なこと書いてる奴が居た時代なんだな〜w」って言う時代がすぐにやってくる。確実に!
こんな新しいすごい世界がもうすぐドーンと出現する時代に生きてて本当に良かったです。

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2016年5月29日日曜日

治療における過剰な自信は常に禁物

言うは易し、行うは難し。

かのWilliam Osler先生の有名な言葉”Medicine is a science of uncertainty, and an art of probability”はまさに医師の行う”治療行為”の本質というものが何であるかを一文で見事に言い切っていると思うのです。臨床においては同じ病状を示していても実は後ろに控えている病態は異なったりというようなことは実に毎度のことで、文字通り”見かけ”に騙されていては治療は全く錬金術のレベルまで落ちることになります。

しかしまた、実際のところ教科書に出てくるような診断基準を全てきれいに満たしてくれるような状況で病気が医者の前に出現することはむしろ稀というべきで、同じ病気でも時間軸によって数値や状況が違ったり、性別、年齢、背景になる遺伝的バックグラウンドが異なる事によって治療の方法は勿論、治療に対する反応性も全く異なってくるのは当然のことですし、自分の前に患者さんがあらわれてくるまでに既に他の医師の治療によって状態に修飾がかかっていることもこれまた日常。そのような情況の下では最初のオスラー先生の言葉が全くのところ正鵠を射ているということが私には強い実感を伴って腑に落ちます。

臨床の現場に戻って二年半。大先輩達の助言に助けられる日々ですが、実際にその分野のエキスパートと言われる人達が集まっているミーティングでさえも、詳細なデータ提示が行われて尚わからない事が沢山出てきて専門家たちが必死の遣り取りをしているのをみると「理解に苦しんでいるのは俺だけじゃないんだ」という安心感とともに、医学における治療行為というものが本当にいろいろな集学的知識に基づく微妙なバランスの上に成り立つものなんだなって改めて考えました。

実は今日、こういった堅いことを書いているのはデシジョンメーキングに関するある記事を読んで、”決定”を行うときにどのようなプロセスを経て”実行という行為”に及ぶかということに関してもう一度考えさせられたからでした。

医師の治療行為は、それこそ間違った薬一粒の投与、1ミリのメスの動きのミスで人を殺してしまうことがいつでも起きうるシリアスなものです。 何かを決定して行うに当たっては、その時点では最良と思われる方法論になるべく自分の知識を近づけて行いく日常の研鑽と謙虚さが求められると私は信じています。が、これが本当にムリというレベルで難しい。日々の最新情報があってもそれを常に応用できる環境にあるかというと、そういうことは僥倖というレベルであるわけで、大学病院のようなところで出来ることが外の中規模病院でできるか、更には開業医で出来るかというとそれは無理。時には素直に患者さんを高度治療の可能な病院へと送ることになります。そして、それが必要な時には無理をしないで患者さんを紹介することは”とても”大切なこと。

一人の医師の出来ることなんて本当に限られているのです。

私自身は、基本的になにか大きな治療方針を決定していく時には己の理解できないことに関しては常に同僚、上司に質問を発し続けることにしています。自らが決定的に見落としているなにか非常に大切なものが自分の見通しの中に無かったのかを確認する作業なしには責任を伴った行いは出来ないと信じているからなのですが、この行いによって実際に今まで多くのことに気付かされるとともに、そうやって悩んだ症例こそが血肉になることをこの短い期間にも強く実感しました。

オジサン医師は今後も悩みながらDecision Makingを続ける日々がずっと続いていくのでしょう。浅学非才を恥ずるのみです。何だか反省文みたいになってしまいました。まあ、慢心しないためには己の行為を振り返って文章化するのは良いことかな・・・。

眼の前にある事実を先入観にとらわれず、可能な限りあるがままに観察できる人間でありたいものです。常に謙虚に。常に謙虚に。

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2016年5月28日土曜日

髪を切って帰国したら・・・

アメリカに今回戻った時に毎回の行事である「散髪」をしました。

アメリカには日本で購入した4000円程度のスキカルがおいてありまして、だいたい月一くらいの感じで、浴槽の中に私が裸で座って嫁さんに髪を切ってもらっていました。
アメリカにいる間の約16年の間に床屋に行ったのは多分三回を超えていないと思います。w

それくらいスキカルのお世話にはなっておりました。私だけではなく息子も毎回、そして小さかったころの娘達に対してもちょこっとだけ使ったことがあります。おかげでスキカルは今のマシンで既に第二世代。
一体、いくらの散髪代をセーブしてくれたのかわからない程、貧乏所帯の我が家の家計のお助けマンとなってくれておりました。

そして今回。卒業式も終了し、当然のごとく散髪してから帰国するというのが私の頭の中では予定として入っておりました。ところが、嫁さんは「もう、日本に帰ってからきちんとお金払って切ってもらえばいいよ〜。」とのやんわり拒否に遭いましたので、説得して「どうなっても良いからお前が是非切ってくれ!」という私からのしつこい呪文を受け容れさせました。

短くするのは短くするのですが、息子のように五ミリというわけにはいかなかったので、15ミリ?程度で切ってもらうようにして開始しました。最初は私の髪が久し振りの嫁さんが面白がってモヒカンとかにして遊んでいたのですが、最後に前髪をどうするかというところで嫁さんの手がはたと止まりました。

という訳で、私が自らスキカルを手にとって前髪に当てて「ここをこれくらいの感じで〜」と言ってスイッチを入れた瞬間。
ザリッ
と言う感じでスキカルが動いて(動かして?)しまいました。やらかしてもうたよ。。。と言う心の叫びと、アッという実際の自分の叫びとはほぼ同時。仕方がないのでこれ以上傷口を広げないように嫁さんにスキカルを手渡して「もう、やっちゃってw」といいました。

嫁さんは失礼な?ことに、声を出しながら顔を真赤にして笑い続けています。私も半分苦笑い。orz
後はさっさと短髪にして頂きましたことですよ。ハイ。

そして日本に帰国。病棟ではどこに行ってもお久しぶりの帰国の挨拶をされると同時に髪のことを言われます。曰く「短く切りましたね〜」「旧日本軍ですね」有る病棟の師長なんかはストレートに「変態だね」とまで言い切ります。もうね、何だか・・・。
しかし、うちの嫁さんでさえも、切った直後には「刑期が満期近くなって、出所前にもう髪を伸ばしていいよって言われた模範囚みたい」と言ってましたからね。身内でさえそうなら他人はそういう感想も当然ありですわ。w

しかし・・・来世はどんなに短髪でもハンサムと言われるレベルの男に生まれ変わりたいものですよ。ハ~。 

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2016年5月27日金曜日

いきなり仕事

帰国して家に着いたらもうどうしようもなく眠くなって爆睡してしまったのですが、起きるのに大きな支障はありませんでした。

ただし、仕事はやはりrecovery phaseと言えるような感じでして、居なかった間に死亡退院こそ無かったものの他の患者さんのパラドキシカルな数値異常の原因追求をしてくださっていた他の先生も、やはり帰国時にもその原因追求は続いている状態でした。

全受け持ち患者さんを診察し記録をするために全病棟を回りに回って記録と検査請求を行い終えた時には既に足はフラフラで午後四時になっていました。おまけにその段階から丁度猛烈な眠気が襲ってくる始末。毎度毎度のジェットラグのご登場ですが、この登場パターンが毎回読めないということで困ったものです。

歯を食いしばるほどではないのですが無理はきかない歳になってきていますので、そこら辺の”自分への労り”が大事なのかもしれません。(情けないことですが・・・。)

家に持って帰った荷物をほどいて巻きに巻いたビニールをそれぞれの荷物から外して一段落。いろいろとやっているうちにもうどうしようもなくまた眠くなってきて暗闇の中に引きずり込まれるように寝てしまいました。w
明後日からは再び連直開始です。何とかリズムを戻さなければなりますまい。

そう言えば、私の帰国と一日ずれてくれた形で大韓航空機が羽田で本日大事件をやらかしてくださいました。
あたった方には誠に気の毒ですが、一日ずれてホンマにラッキーでした。やってくれるわあの御国。

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2016年5月26日木曜日

娘の帰宅・日本へ帰国

昨夜は長女がいきなり家へ帰ってくるということで驚かされましたが、目的は何か言わないまに帰ってきました。

ボルチモアからリッチモンドまでNYでカレッジライフを送っていた女友達と、William&Maryを卒業した男友達と共に家まで帰ってきました。しかし、恐ろしいほど大量の服と幾つかの什器、電子レンジ、炊飯器などをごっそりと男の子の小さなカローラに積み込んで帰ってきました。三人ともどうやってクルマに乗り込んでいたのでしょうか・・・。

その積み込み方と荷物の量はそれこそ手品レベルで、よくこんな量の荷物と一緒に三人の大人がカローラで四、五時間もかけて帰ってこれたなと感じました。三人とも高校時代は同じ学校の友達。若いって素晴らしいです。w  帰宅した後はすぐにシャワーを浴びて自分の妹と爆笑トークをしていたようでした。今時点で既に夜の10時過ぎ。明日朝は8時位のアムトラックに乗っれ消えるということですから家に実質的にいるの9時間ほど。

今朝は昨夜遅かったこともあり、昔の自分自身のベッドでグースカしていましたので、余り刺激せずお別れを言ってそのまま家を出ました。下の娘もグッスリ。父親は寂しいものです。

そのままリッチモンド国際空港へ向かったのが朝の六時少し過ぎ。息子も少し眠そうです。検問所のところで嫁さんが少し泣きながらいつもの如く帰って行きました。本当にいつもよく泣きます。w

アトランタ、成田、名古屋へとつなぐ便なのですが、何とここでいきなりハプニング。出発便のトイレが三つともブレーカーかなんかの故障で使えないというのです。ここで15分ほどで治るとか言っていたのが、ズンズン時間が経ち最終的に原因が解明できたのが一時間ほど後。何とトイレのバルブが壊れていて機能していなかったのでした。これが判って最終的に出発したのがなんと10時10分!!!
アトランタから日本への便は最終コールが11時45分頃で12時10分発のはずですし、飛行機はオリジナルの予定では1時間45分はかかるという予定でしたのでもう半分諦めていました。

ところがところが機長さんグングン飛ばしてくれたみたいで、何と1時間10分ほどで到着。コンコースのBの一番奥から連絡用のトラムまで走りに走って飛び乗り、一番橋のFから更にコンコースの中を横走りして、心臓爆発寸前で最終コール中の出発ゲートに到着したのが何と最終締め切りの三分前で最後から500人中最後から二人目の機内突入でした。

激ヤバではあったものの殆どスライディングの状態で機内へ入ったところで直ぐに出発。
機内では小さな赤ちゃん連れで初めて日本に行くという横須賀基地勤務予定のNAVYの家族連れが左に(本当は私の座席は通路側だったのですが、その席と通路を挟んで左側に家族三人が並ぶために頼まれた私が席を替わって三列シートの真ん中という辛い席に・・・w)、右側は離陸から着陸まで一度も顔を上げず窓も開けず、ご飯も一度も食べず水ばかり飲んで寝続けていた心に闇の有りそうな感じの在米韓国人と思われるおばちゃん。(私は飛行機に乗るからには高い所から外を眺めたい派なので、これはフラストレーション溜まりまくり。横に居た初日本のお父さんも着陸時も全くしたが見えないことに貧乏揺すりで気持ちを表していたようです。w)

ともあれ機内では行きの飛行機では見落としていた機内映画を四本ほどフルで見まくりまして、ほぼ一睡もせず13時間チョットで成田に到着。
日本はたいへん蒸し暑くいきなり汗ダラダラでしたが何とか大丈夫でした。出口では{Youは何しに日本へ?」と思われる突撃取材が体の大きな、日本語の上手な黒人の女の子相手に行われておりました。
今日明日は伊勢志摩サミットということで大量の警官が警備する中をズンズンとバスターミナルまで進み帰宅。

途中の空港へ向かう道も何箇所も検問が見えましたが幸い反対方向なので助かりました。
帰りに少しだけ握りをつまみ帰宅。家ではシャワーを浴びて荷物も開けずに爆睡しました。チカレタビー。

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最後の掃除とゴミ捨て

今日は最後のゴミ捨てを行いました。

まずは朝10時に昨日のうちに約束していた”家の庭の整備に関する話し合い”をLandscapingのお兄さんとしました。芝生を綺麗にするためには先ずはpHを上げてから次のステップに行って・・・と言う感じで説明を受けましたが、何れにせよそれを行う前にまずは庭にある大きな木を二、三本切り倒してから影の多いエリアを減らしていこうということになりました。何れにしもデカイ木を切り倒すのに二本程度で$1500ほど使わないといけないようです。

その話が終わった後、今回の私の帰国にともなって行われた大掃除でガラージに大量に溜まっていたゴミの数々を粗大ごみとともにpublic disposalに捨てに行くことにしました。
屋根裏のゴミ、使わないと思われる先代居住者から引き継いだペイント等のゴミ、使わなくなって巻き取った二枚の古いカーペット、その他諸々の古いゴミたちも嫁さんの小さなFitに積み込めるだけ積みました。

Fitは小柄なクルマなのですが、車内は実は広いのです。運転席前の空間も広いのですが後部座席を折りたたむとアッという間にほぼフラットになる広大な空間が現れます。ここに次々に物を入れていきました。
廃オイルや部品を抜かれて殻になったPCの筐体なども更に含めほぼ空間をビッチリと埋め尽くす様な入れ方をしてちょうど間に合いました。
後何回こういうことをしなければならないのでしょうか・・・。
7ドル払ってゴミを捨てた後、家に帰って今度は日本への引っ越しにおける時期と価格の事前調査をちょこっとだけ行いました。電話をしたのはまずはクロネコのワシントンD.C.支店。次は日通にかけようと思ったのですが、、、実際には半年ほど前からセットアップするのがベストということをクロネコの方に伺い、現時点で細々したことを調べるのは現実的でないと悟り、(個々の事情によって値段が全く想定できないため)とりあえず嫁さんが継続的なリサーチを続けることにしました。

あっという間の二週間弱の濃い滞在ももう明日の朝までで終了です。早い・・・。

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2016年5月25日水曜日

Caryに行ってタイ料理を食べる

今日は比較的ゆったりと過ごしました。

息子の服をOldNavyに買いにも行きましたが、今日は珍しく嫁さんからpre-father's dayということで、Cary St.にあるタイ料理のレストランで御馳走してあげます!とのオファーがありました。
すかさず「御馳走してあげるって言っても結局オレの送金したお金じゃないんですか〜?」と言ったところ、顔を少しばかり赤くして「私にも少し蓄えがあるの!」と言い返してきました。どうやら、実家などからコッソリと送ってきたお金をMy accountにセーブしてあるようです。えらいえらい。w

夕方まだ明るいうちからタイ・レストランに行きましたが、当然のように私達が一番乗りの状態で入店し、真ん中の席に座りました。
毎度のことなのですが、私はこの手の店に外食で来てメニューを見ながらいろいろなものを注文するのが”非常に”嫌いアンド苦手なのです。何故かと問われても上手く答えられないのですが、言葉の問題を超えて日本の店でもあまり好きではありません。
多分、トッピングやサイドのコンビネーションを考えながら全体最適を行うほどの価値をそういった行為の中に見出せないのだと思います。(嫁さんは私とは反対にこの行為にまさしく命をかけておられますが・・・。)

という訳で、全て嫁さんに任せた結果以下の写真の様な品々が運ばれてまいりました。何れも以前から知っているものばかりではあるものの、やっぱり吟味されただけあって大変美味しかったですね。家族全員で食べてほぼ100ドルでした。(勿論ここには写っていない様々な飲み物や沢山のアペタイザーこみこみの値段ですが。)

家族で食べる今回の訪問における最後の外食。
家族の温もりというのは上手く表現できないくらい良いものだと改めて思いました。

結局、中央のイエロー・カレーは全く手を付けないままパックすることになりました。w
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2016年5月24日火曜日

K先生宅にお呼ばれして美味しい食事

一日中ゴソゴソといろいろなものを片付けながらの午前中でした。

ゴミがガラージにかなり溜まってきています。以前であればオデッセイに積み込んですぐにpublic disposalに直行していたのでしょうが、今はそんな大きな車は持っておりません。
ここはフィットに目一杯積み込んで二回ほどに分けて捨てに行くしか無いですね。とりあえず今回のアメリカ訪問分の掃除はいろいろしたかな?屋根裏の空き箱なんかもかなりガッチリ綺麗に片付けましたし・・・。
とりあえず午後にはサッサとグッドウィルに全てのものを持っていってドネーションしてきました。

そのまま、本日お招きに預かっていたK先生宅に向かいました。
先生もVCUとその関連施設で研究をされており御夫婦で仲良くリッチモンド界隈に住まれております。ターンパイク沿いの道を少しだけ入った所に先生方のお宅があり、駐車場に着いたあと嫁さんにドロップしてもらいました。お酒が飲めないのは寂しいので・・・送ってもらったわけですが。w

娘の卒業式に出席しときに購入しておいた白と赤のチリ・ワインをおみやげとして持って行きました。
昨年、名古屋で一度会って以来の久し振りの再会を祝しとりあえずビールで乾杯。先生も奥様も全く変わらず若々しいままです。美味しい煮物とお魚の揚げ物、バナナケーキなどを食べながらいろいろな話をしているうちにアッという間に数時間が経ちました。

いろいろと話を伺ってみたのですが、PIとしてのいろいろな経験を積む時期に来ているようで、自分の時のことを思い出しながら感慨深いものがありました。

実はこの場には三歳の息子さんを連れた愛知医大からVCUに来られているMDの御夫妻もおられて、四方山話に花を咲かせたのです。名古屋では私達も愛知医大には大変お世話になっていることもあり、いろいろな”興味深い話”を伺って面白かったですね〜。

最後はチビちゃんが眠くなってきたため、御夫妻もチビちゃんを連れて帰宅されて行きましたので、名残惜しかったのですが、名古屋での再会を約束し(もしかしてまたリッチモンドでかな?)私も暫くして御夫妻宅を辞することに。ところが、ここで私がやらかしました。orz

御夫妻宅の玄関そばに自分のWiFi専用携帯を置いてきてしまったのでした・・・。
家に帰り着いて気づいて、御夫妻宅に連絡を入れると既に家を出てこちらに持ってきてくださっている途中ということ。猛烈に申し訳ない気持ちに苛まれつつガックリしていると、嫁さんからも「やるんじゃないかと思った」と言う感じで呆れられる始末。思ってるんだったら最初に迎えに来た時に聞けよ!?ヽ(`Д´)ノ

とはいえ私のミス。先生御夫妻がわざわざ雨のそぼ降る中を我が家まで携帯を届けに来てくれました。
「サヨナラ!またの再会を〜!」と言ってそれが1時間以内に実現するとは・・・。しかし、己の間抜けさに改めてため息です。ハ〜〜〜。

ともあれ、本当にまた御食事・お酒を共に愉しみたいものです。(次回はやはりVAの我が家?)来日の際には私の名古屋の家にも是非来て頂きたいと思います。やっぱり旧友との再会は良いもんですね。研究の進展を心より望んでいます。

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2016年5月23日月曜日

ASIAN FESTIVAL

今日も片付けに忙しい午前中を過ごしましたが、午後からはリッチモンドに行きました。

理由は下の娘がASIAN FESTIVALに行って美味しいものを食べたいといったことです。この手の話になると俄然乗り気なのがうちの嫁さん。食べ物にはうるさいのです。w

という訳で車に乗って家族四人でコンベンションセンターへと行ってまいりました。しかし、こっちに来てからというものいつものリッチモンドと違って何とも肌寒い日々が続くばかり。今日もご多分に漏れずとても5月半ば過ぎとは到底思えない寒さ、おまけに小雨つき。

取り敢えず懐かしのコンベンションセンターに入って早速周りを見渡してみました。以下に写真で説明をちょこっと。
ベトナム料理を出しているブース。バンセオが無かった・・・。
バングラデシュ料理。基本的にインドとあまり変わらんですがライスが特徴あり。
ステージ上では皆一生懸命色々なパフォーマンス。基本的に踊りが多いんですが。
今年は全体的に少しばかり少なかったですね。
各国のブースが有りました。
毎回ここに来て思うんですが、アジアと言ってもほんとうに様々。カザフスタンなどは、もう金髪碧眼の人も居ますし、シンガポールはありとあらゆる人種のるつぼ。同じ国でも北と南で全く人の顔形、背格好が違う人達もたくさん居ますしね。

この国に帰ってくる度に日本というのは外も内もまだまだ自然な国際化とは程遠い国だなって思います。本当の意味で人を引き付ける国家かと問われれば答えは自然と出てくるような。
だからといって多人種多宗教が一国の中で自然な状態であることには多くの痛みもあるわけですが。

どっちに行くのか、、、これから百年も経たずに日本は自然に答えを出してくることでしょう。

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2016年5月22日日曜日

わけのわからないもの

今日は朝まったく普通通りに起きて嫁さんと行動開始。

何をするかと言えばアンティーキングということなので、御宣託に従いリッチモンドの傍にあるガラス食器・陶器を扱う店を手始めに巡回を行いました。orz

ここ半年の間に店の内装が少し変わっていたことに驚きましたが、中身は余り変わらず、、、と言うことで嫁さんが目からビームを出しながら店の中を物色していきましたところ、奥の部屋で顔を真赤にさせて居るのがわかりました。

この反応が出た時は”間違いなく”嫁さんにとって良い物がでたシグナルと予想して鉄板です。で何を見つけたのかとその視線の先を追ってみると・・・以下のものがありました。
FireKingのピンク・スワール(Pink Swirl)というやつですね。未使用で底にはスティッカーが貼ってありました。
あと一つはアリスのビットロックというやつの縁が青いタイプのカップですか・・・、嫁さんに聞いて名前がわかるのですが、私自身はもう訳がわかりません。w
 ミルクグラスなのに塗装がしてあり一見すると陶磁器風に見えるというちょっと変わったやつですね。さすがの嫁さんも、このビットロックというやつは他に数個、全体が白いタイプのカップアンドソーサーしか持っておりません。
上がその小部屋の全体像です。この中に欲しいものがある人も日本にはきっといるんでしょうね?

さて、このお買い物の後は嫁さんもすっかり落ち着いてしまい家へ帰ろうということになりました。w
今日は実はVCUの元同僚の先生といえで食事会をすることになっておりましたので、早く帰って食事の準備をしないとならなかったのでした。

時間はあっという間に過ぎて六時半には先生が我が家に到着。
いつものようにVCUでの元ラボの近況を細かに教えていただきました。時間は楽しく過ぎあっという間に十時を過ぎてお開き。帰ってくる度にH先生とお話をするのが一つの習い性となっておりますが、先生も実は昨年末から春にかけて”あること”で大変な目にあっていたことが判りました。

本当に信じられないような話が次々出てきたのですが、、、ここで書くような話ではないので何もこれ以上は無しということで。研究には倫理というものが必要とだけ書いておきましょうか・・・。

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2016年5月21日土曜日

本の片付け等諸々

今日は外出という意味では殆ど大きな動きはありませんでした。

どちらかと言うと来年のこの時期にやらねばならない引っ越しのための様々な下ごしらえが中心です。細々したものを捨てたり、箱詰めしたり、片付けてまとめてはGoodWillに持っていったりしては次に何をしなければならないかを頭の中でシュミレーションしながらの日々です。

とりあえず多くの物件は片付けているのですが、重量と嵩張り具合で王様クラスなのはやはりなんといっても本です。勿論私の本もたくさんあるのですが、それは自分でチャカチャカと厳選して既に何度かに分けて日本に持って帰っておりますので自分の分という意味での本の量はあと一個分のトランクもあればもうそろそろ終わりかなという感じのレベルまで来ました。

大きな問題は娘達の持つ大量の本や写真、DVDの類です。
特に関しては時間の有るときに娘達に頼んで、それぞれの権限で残す本、ドネーションに回しても良い本などと分けて貰って、最終的には本棚のシェルブ12−3棚分くらいだったものが、三分の一くらいにまではシュリンクしましたので、これ以上厳選することはないということでとりあえずこれだけはキープするものというのが残りました。

写真とDVDは私が最終的に持ち帰るか船便にして送るかということになりますが今のところ利用しようと思っている業者はクロネコか、ネット上で日本人に評判の良いさげな”ある会社”かのどちらかという感じでしょうか?
大使館関係者や商社マンの家庭であればそういったことに関して会社全持ちの引越し代が出るのでしょうが、私の場合は完全に個人の都合でやっていることですので、当然どこからも何かが出るわけではありません。己で調達するのみです。

という訳で、いつかは数を絞りに絞った持ち物を持って帰るということになると思いますが、やはりまだまだ頑張って減らす努力をしないといけないかなと思っています。その手のゴミはガラージに既に少しずつパイルアップされ始めていますけどね・・・。カーペットその他は今のところ既にそういったものの先頭バッターになっております。

もっともっと厳しい眼(選択基準)を当て嵌めて、文字通りの取捨選択を続ける日々があと数日続くことでしょう。

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2016年5月20日金曜日

JHUの卒業式へ行ってきました

昨日はスコッと夜の11時にはベッド・インして今日の朝に備えました。

ボルチモアまでのドライブはスムースに行って片道3時間ですから疲労の蓄積はできるだけ避けねばなりません。毎度のことなんでそう言えるんですけどね・・・。
さて、起床は七時過ぎですぐにシャワーを浴びて先ずは娘の下宿まで移動です。行きの道は実にスムースで何の障害も渋滞もありませんでした。

最初はいつものシーフード・レストランで落ち会う約束をしていましたので、そこに11時半に向かって少し待っていると、娘の友達二人が一緒に入ってきました。(後でわかったのはそのうちの一人の子は娘のボーイフレンドとのこと・・・。)

取り敢えずまずは再開を祝しハグ。同時に娘の誕生日でもありましたのでそちらの方もおめでとうとなりました。自分の娘が22歳とか誠に信じられません。
すぐにガンガンとオーダーしてカニや牡蠣やその他のサイドを大量に皆で平らげました。お支払いはチップ込みで合計約$300ちょっとでした。若い方々は皆よく食べます。w
これで二ダース。この後更に追加です。
この後も黙々と色々追加されました。
精一杯食べて皆が腹一杯になった後すぐに娘の所へ向かいました。娘の下宿に着くと式用の服に着替えてすぐにその下宿を後にして車をJohns Hopkinsの構内に駐車。すぐにシャトルバスに乗り、会場である市の中心部にあるRoyal Farms Arenaに移動。15分ほどで到着しました。
本当に沢山人が居ました。概算したら学生用の席は1200ほど?
ファカルティの皆様です。
式は四時から八時までの約四時間の予定でしたが、実際は四時間の殆んどもう最後という所で娘の名が呼ばれました。いや、本当に長かったですね~。
今年のホプキンスのゲストスピーカーはSpike Keeでした。人種に関する厳しい語りをしておりましたな。やはりアメリカきっての社会派です。壇上にはノーベル賞受賞者のRichard Axelの姿も・・・。

式の後は皆三々五々交歓するとともに写真をバシバシ撮っていました。既にこの時点で眠くなっていたのですが、我慢してバスで移動。バスを降りる時にバスドライバーに「四年間娘たちを世話してくれて有難う!」と言ったところ、「ちょっと待て友よ!」と言って、座席の下からゴソゴソと新聞紙に包まれたガラスコップを出してきました。

それは今年の卒業生を祝う可愛いガラスコップ。実は今日のことで一番心に残ったのはこれだったのかも・・・。

帰り道は本当にやばいくらい疲れていてフラフラで再び三時間の運転。家に到着したのは12時半近くでした。私はシャワーを浴びてすぐに爆睡。嫁さんは驚くべきことにこの後また洗濯までして寝たとか。オナゴは強い。w

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2016年5月19日木曜日

娘のバイト先へ行ってきました

今日は朝から明日の卒業式に備えていくつか仕込みをしました。

ひとつ目は自分の上着となるシャツ。アメリカの卒業式はそれほど荘厳なものではなく、実にマスによるラフな集まりです。沢山の人達が来るのはいいのですが格好は実にまちまち。人数も多いので誰が何処の何者なのかなど誰も知りませんし、わかりません。

先ずはAmerican Eagleで黒いシンプルなシャツを購入。同時に下の娘の厳しい目を借りて嫁さんの卒業式用のちょっとドレスアップした服を選び出すとともに下に履くヒール?のようなものを誂えました。そのあとOldNavyへ移動し、私が穿く下のパンツを選び出しました。
隣りにある靴屋に行って私も久しぶりに一足の靴を購入。フォーマルとカジュアルの中間くらいにある革靴を娘と嫁さんに選んでもらってその提案が気に入ったので即購入しこれで準備終了。

後は家に戻って私が来る度に半年一回という感じで行っている車のオイルフィルターとオイルの同時交換、ウィンドウ・ウォッシャー液の充填、エアフィルタの清掃などを行いました。

実は今回、最初にシャツを購入したり嫁さんの服を買ったモールでは下の娘がベトナム料理の店でバイトとして働いていたのですが、今週末には別のバイトを探して変わるとの事でした(もっと沢山の人が働いている店で働きたい)ので、今週の中で行ける最後のチャンスでした。

という訳で、今回は昼に娘がバイトとして作ってくれたPhoやSpring Rollなどを頬張って楽しんだお昼となりました。ちょこっとだけ多めのチップを入れてお互いフフフと笑って店を後にしました。
自分の子が働いて、他のお客さんへの応対をしているのを見るのは何となく不思議なもんですね~。

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2016年5月18日水曜日

嫁さんへのミニ・サプライズ

今日は子供達が学校に行っていることもあり、嫁さんと二人で行動しました。

先ず向かったのはShort Pump Town Centerでした。実はある思惑があって向かいました。
それは新色発売となって少しだけ性能の向上したMacbookを見に行くことです。とりあえずRose goldというのが如何なる色なのか・・・。ネット上では女性から大変人気が高いということは判ったのですがそれも実機を見てから自分の目で判断ということになります。

Apple Short Pumpに入っていってすぐにその実機が置いてあるのが判りましたので、手にとって矯めつ眇めつ見てみている所に嫁さんがやってきて「カワイー」と声を上げました。
今まで嫁さんが持っていたPowerbookはホワイトボディーのかなり古いバージョンだったのですが、息子に酷使された挙句使い物にならなくなり、ほぼ三年ほど前から手持ちのノート型パソコンは持っておりませんでしたので、そろそろ買ってあげようかなと思っていたものですから、いつものアメリカでの嫁さんの苦労への労いと言う事でサクッと購入しました。

嫁さんは顔面を紅潮させて「え、え、え、良いの?何も考えてなかったのに」等と言っていましたので「じゃあやめる?」等とニンマリ笑ってイタズラで言ったところ慌てて「ありがとう〜!」と言ってきましたので、一件落着となりました。

これとあわせて家にあったWindows10マシンのウイルス対策とメンテナンスを一時間ほどかけて行いいろいろとおかしなところを訂正していきました。やっぱりコンピューターは今でも基本的に定期メンテナンスをする人間が居ないと一定期間が立つといろいろと細かな問題が出てきて集積していきますからね・・・。

とりあえず我が家の通信事情を支えるパソコンの性能が維持できた上に、その他の諸々の機械関係のがメンテ出来て良かったです。

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