2019年11月21日木曜日

「清潔感」の個人差のデカさは果てしない

入院して入ってくる人達の身なりは皆それぞれに様々です。

しかし、それをそれぞれの人がどう思っているのかはまた全く別の問題。
己の格好がみすぼらしいと感じている人がいると思えば、全く気にしない人もまた沢山おられます。しかし、その患者さんを家から連れてくる時の様子を担当の人から伺うと「多くの家出は、玄関からすぐに尿が一杯詰まったペットボトルが山のように並んでいたり、一体何だか正体がわからない謎の液体や半固形の物質が畳の上に流れたり付着したりしてるんです」とのこと。

そして実際のところ、その殆どは尿や糞便です。

しかし、それを不潔とは思わない精神構造がそこには既に組み上がっています。自分が出した糞便や尿が家に流れていても、それを本人が不潔とは思わない限りは本人にとって特に何の問題もないわけです。しかし、問題は他の多くの標準的な清潔感を持っている人たち。

普通の人はたとえ自分の少量のクソであっても自分についているのは嫌だし、小便が体にまとわりついていることも勿論嫌です。ところが、一部の方々はそもそもそういう事に気が付かない。例え気付いていても(多分気付いていませんが)自分が猛烈な尿臭や便臭を放っていることをなんとも思っていないんです。

たとえ病院に連れてきて病気を治療してもその点に関しては治療の仕様がありません。そこのところを改善することが出来ればきっと独居生活に戻っても“いわゆる”汚部屋を再度作るようなことは無いと思うんですが・・・。なかなかムリなんですね。

思わず「おおおっ」と思ってしまうほどの臭いがなんとも無くなってしまうその過程。

小さい頃きれいな環境で育たなかった人もいるでしょう。でもそこまで汚れた環境がなんともない・・・というようになってしまうには何らかの大きな跳躍が「知らないうちに」起きていたはず。

一体それって何だったんでしょうか。知りたいのです。


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