2026年7月29日水曜日

大災害時の緊急医療体制

新しい情報によるとイオン・モールの災害はガス爆発によるものとの事。

お客さん達を送り出した後で従業員さん達が店内でガスの臭いを感じる中での罹災との情報が出されていますが、正確なところはまだまだ闇の中。何よりも多くの就労者の方(恐らくバイトの方々も多いのでは?)が亡くなられている様子。各種の動画を見る限りではウクライナのミサイルが落ちた時の衝撃と本当に同じ状況にしか思えません。

かなり離れたところで走っていたトラックの荷台の壁の吹き飛び具合や同じように遠くのガード・レールのガードが剥ぎ取られて吹き飛んでいるのを見ると、同じ建物内で近傍100メートル以内に居た人達が恐ろしい状況に遭遇されたことは容易に想像出来ました。どうか被害に遭われた方が最小限で済むように祈るとともに、罹災された方々とその御親族の方々の気持ちに近くで寄り添う事の出来ない事に本当に申し訳ない限りです。

我々医療人はこういう大震災の発生時に先ず考えてしまうのは我々自身の施設で同じ事が発生したらどう動くのかというのを被害の段階別にどれほど適切に対応し、どれほど人的被害を軽減できるかという話です。

災害は必ず起こる。しかも日本では巨大災害が周期的にやってくるという大前提で種々の対策を練り、大災害がやってくる度に設計の考えのボトムアップがなされ耐震基準が改善され法が整備されてきました。しかしそれでも想像を超えてやって来るのが大災害。

私は自分の今勤めている病院がその手の準備が全くダメなことを自覚しています。駄目な状況である理由は簡単で、その「準備している」という病院側の文言が厚労省の標準的な仕様のPDFをダウンロードしただけのお粗末なものであって、自分の病院様に改変を入れたものでは無いという事を知っているからです。

そんなものが実際の災害時に役に立たないという事は日の目を見るよりも明らかな事であるのに何度注意をしても実物を準備しない、要するに準備する能力が欠如しているという話。

今回の熊本での10年ぶりの大地震でも、やはり想定していたにも拘らず想定を超えて被害が拡大し対応できていない病院の話がD-MATの先生経由で入ってきております。それ程までに現実は厳しい。況や準備さえしていないとは!という話です。明日も事務方をつついて凹ろうと思っています。対応する能力と責任が無い人間には退いてもらわなければなりません。

大規模災害対策準備委員会が無い病院など訴えられて当然だという心構えの欠如こそが恐ろしいです。

熊本の悲劇から学ばなければ。

2026年7月28日火曜日

熊本の地震・またか!

そろそろ仕事が終わるなと思って病棟で少し寛いでいたところ、NERV防災アプリがピコーンと立ち上がってきました。

自分自身のセッティングは己の田舎が関係するところであれば通知するようになっているので、今回の通知は長崎関連で入ってきたのですが、その通知を見て文字通り我が目を疑いました。
場所が九州のど真ん中である事に愕然、そしてその震度が7などと言う巨大なものである事に二度驚き。これって前回巨大な橋が落ちて大学生が亡くなられた時の熊本の大地震と同じことが起きとらんか?というのが先ず頭を過りました。そして次に現在再建中のアノ熊本城はどうなった?という大きな疑問符が頭に沸き上がってきたのでした。

長崎の義理の母に電話したところ通話中なのか繋がりません。そこで長崎にいる別の昔の教え子にLINEしたところ「めちゃ揺れた!びっくりした」という話。暫くして義理の母とも繋がりましたが、曰く「人生で一番揺れた」とのお話でした。80歳の義母が言うのだから相当の揺れだったのでしょう。

暫くして熊本の画像が一部流れてきましたが、イオン・モール熊本の建物の損壊具合が異様だったのが大変気になりましたが、続報では多くの方が安否が分からないとの事。無事であることを祈るしかありませんが、このような巨大災害が連続して熊本を襲うとか、天災の無慈悲さと人間の無力さに憤るばかりです。

どうか被害が最小限に収まりますようにと祈るしかありません。

2026年7月27日月曜日

人生一周り+1

人生一周したのが昨年の今日。そして今年は生まれ変わって1歳になりました。^^

人生の中での成長というのは身体的には完全に停止どころか退化ばかり。基本的に体はこれから小さくなり、骨密度は下がり、筋肉は衰え~という事が進んでいくことになるんですが、なるべくこの部分をゆっくり後ろの方に持っていくことが「健康長生き」と呼ばれる状況なんでしょうが、現時点で精々やっている事と言えばいつもの夜のポケモン6キロ散歩と階段を必ず使ってビルを昇り降りする事くらい。

まあ、これではあきませんわな。わかっています。orz

いつも外来や病棟でお年寄りを診察していると、実年齢にそぐわない加齢の進んだ人、そして反対に本当に90歳ですか?という感じの70にしか見えない人など実にバラバラの生物学的なバリエーションを見ることが日常です。

これてどう考えても遺伝的背景も大きいとは思うんですけど、日頃の生活の容態というバックグラウンドが大きいのは間違いないんですよね。日光へのあたり具合から始まり、食事、喫煙、飲酒、睡眠時間、精神的・肉体的ストレスを含む各種のストレスへの反応。列挙しだしたらキリがないのですが、実際に我々が頑張ってコントロールできるものの一番は食べ物でしょうかね?

何時に何をどの程度の量食べるか。

たったこれだけという感じですが、タバコや酒などの実質的には必須でない慣習を除けばこれは恐らく人生の中で最も大きな加齢のコントロール要素だと感じます。ところが、解っちゃいるけどの最たるものがこれでして、これを一日三回として3X365X60と単純計算すると6500回以上の食事の積算回数。

こういった嗜好や慣習の積み重ねが人生の中において健康に影響を及ぼさない訳もなく⋯。

しかしなあ、もう既に60年もこういう感じで食事してきた俺にどういった改善がもたらされるのか?いや、それでもやることはやらんとな⋯などと中途半端なことを考えながら次女と嫁さんに連れられて栄の中部電力MIRAI TOWERの前にあるタイ料理屋とパンケーキ屋で美味しいごちそうを食べてしまい腹一杯になってしまったのでした。

でも、まあ楽しい食事会だったので良しとしましょう!w
因みに食事代は2箇所とも出させて頂きました。(出すつもりのお二人には申し訳なかったけど、気持ちだけ頂きました。 帰りがけにくまざわ書店で向田邦子の本を買ってもらったので、十分です!^^)


2026年7月26日日曜日

企業主催の公演会でも良いものは良いんだな~

実は今回の講演会、正直なところあんまり期待していませんでした。

今まで出席した企業主催の講演会には「ハッキリ言うと」企業とグダグダのCOI(Conflict Of Interest=利益相反 )塗れの演者が何の理念も無しに、明らかに正しくないと思われることを発表する事がありますからそういう時は厳しい質問を浴びせて会場を気まずくさせるのが一番。w

明らかに正しくない結論や非劣勢を示しただけのような新製品は気の毒ですけど御退場願うしかないのです。

創薬や研究の世界というのは実に残酷で、二番は負け犬。一番の発見者よりも質が高くても、より明確なデータで追補のようなものが揃っていても、発見の順番や特許の取得という点で負けてしまえば研究や創薬ではまるまるヤラレタという事態になることがほとんど。

その意味では今回の講演会はその手の新薬発表ではなくて既存の薬の精神科病棟におけ生理学的に自然な使用法というものを新たに啓蒙して旧知の医療業界自体の常識を動かしていこうとするものでしたので、消化管に関するスペシャリストが行ったその公演は私にとって大変に有用なものでした。

わたしにとってこういう説明で大切なのは「理詰め」で納得できるものであるという事。正直なところ「現時点の科学では」という前提が付くのは残念なところですけど、少なくとも整合性があって詰将棋のように(今の時点での説明は)これしかないし、こうこうだからこうなる!みたいな事が辻褄合わせてフローが出来ている事がMUSTなのです。何年か経ってあそこのあの部分には実はもう一つの別の経路が大きく関与していて…というような事は当然いつでもありますけど、インチキ説法師がドヤ顔で企業から金をもらってデータと合わない整合性のない説明をするよりはましです。

今回の講演会では沢山のメモを取って、学ぶことも多かったし病院に戻ったらさっそく月曜日から応用してみようと思えるレベルの知識が得られて大満足でした。

新しい薬の登場は今迄の治療の常識を一気に塗り替えることが時々起こります。よく言うブロックバスターと呼べる薬なんですが、糖尿病の治療でも循環器の治療でも泌尿器の治療でも癌の治療でもそういうものが時に向こうから飛んできて一気に医療の世界を塗り替えることがあります。

やっぱり何歳になっても勉強せんと時代の進歩から取り残されますね。万一にでも勉強する気が消えたり、理解できなくなったら医者を引退しようと思います。

2026年7月25日土曜日

久しぶりの東京観光

新幹線は昼には到着したので、東京駅の日本橋口から出て直ぐのホテル・メトロポリタン丸の内に一度荷物を預けました。

27階に受付がありましたが、5時の講演会まではまだ実質4時間程度の空き時間があります。直ぐにホテルの外に飛び出して新幹線の中で目をつけていた貨幣博物館へ直行。(UFJのものとは異なります)歩くと本当に直ぐに汗が噴き出るような状況でしたが、そこは水分をバンバン補給して熱中症に注意しながらの移動です。
中は基本的に撮影禁止でしたが、日本の貨幣に関する歴史が一望のもとにかつコンパクトに見渡せる最高の資料館でした。正直、ここに出されていないバックヤードにあるはずの膨大なコレクション目を瞠るレベルのものなのでしょうが!そもそも古貨幣収集家・研究家であった田中啓文氏(1884~1956年)が収集した銭幣館コレクションの寄贈がその出発点だったとのことですが、やはり個人の異常なレベルでの蒐集への執念はやはりどのエリアの蒐集物であろうと、歴史の貴重な柱を形成する素晴らしい礎になるんですね。

入口に一億円の札束と同じ重さの束を持ち上げるコーナーがありましたが、俺には関係ないオブジェクトだなと苦笑いしながら持ち上げてみましたが、それなりに重かったですね。w

さてこの後は出口すぐ脇にある日銀本店の前を通りました。
これは旧館ですが、この一角で日本の金融政策の大元が決定されているのかと思うとなんだか複雑な想いが沸き上がってきました。とは言え俺なんぞが何を想ったところで世の中何も変わりませんが。

この後は生まれて初めての皇居へのアクセスでした。滅茶苦茶暑い中での移動ではありますが大した距離ではありません。ホテルを出る前に飲み物を一本飲んでは来ましたが、絶対的に不足しているのは体が感じてしまいます。外苑からアクセスして追手門と桜田門の間くらいの道をまっすぐ行くと外国の大使達が新年会?で集まる巨大な砂利の駐車スペースが見えてきました。
そして遂に歌にも出てくる二重橋に生まれて初めて近づきました。少なくとも訪れている人の半分以上は外国人で、私みたいな日本人はむしろ少数派でした。

結局、更に歩いて追手門の入り口にまでやって来て、持っていたスカスカのバックパックを調べてもらい直ぐに門を通過。しかし、ここに至るまでに既に体はオーバーヒート状態。入り口で左手に自販機があると聞いていたのにそれらしいものを確認できず(帰りがけに脇に隠れてある事に気づきました!)顔真っ赤、汗だらだら状態で熱中症初期状態確定。

それでも、マップでは上に行きさえすれば売店があると書いてありましたのでそこに一点賭けして坂道を登りきったところで売店を右手に発見。自販機でアクエリアス・ソーダを発見してまず一本。その直後にアイス最中を食べて更に落ち着きました。それにしても地面にぽたぽたと汗が落ちて止まりませんでした。Tシャツは完全にビショビショ。ここまで汗だくなのは久しぶりでしたね。雅楽に関連した特別なメタル栞を1,200円で買って人心地が付きました。

この時点で3時半くらいだったので、今からホテルに戻ってシャワー浴びてちょこっと移動すれば間に合うでしょうという予測の元にホテルへと戻って行きましたがこの暑さは人間には良くない暑さですな。救急車がやたらと走り回っていたんですが、速報値では午後三時までに78人が搬送されていたとのことでしたので、まんざらあの音はその人達の搬送の音だったのかもしれません。

さて、これから学術集会へ移動していきました。(続きはまた明日)