2026年3月29日日曜日

早生まれ・遅生まれ

嫁さんの誕生日でした。

日本という国においてはこういう春の日付というのは結構微妙なもので早生まれ、遅生まれという言葉で微妙な時間を構成しています。

女性であると3月29日生まれというのは学年の中では常に最も若い人になりやすい。
友達で4月3日生まれの友人がいるのですが、毎回毎回あっという間に一週間も経たず一才差に戻るのでその点に関していろいろと笑い話になるんだそうです。

実際のところ学年の中で「特に6−7歳前後」のごく幼い年齢の中での一年の差は巨大な差だと思います。身長も知性も一年の間の差というのはものすごい差だと思うので、厳しい子には厳しいだろうなと強く思うんです。嫁さん見てると、学力の差は少なくとも18歳までは縮まっていないんじゃなかったのかと…。w

さて、この早生まれという言葉の定義、以前から知識としては知っているつもりだったのですが実際その詳細に関してはよく理解していなかったというのがわかりました。その解説サイトは「早生まれとはいつ生まれた人? 遅生まれとの違いや意味を解説!」で、早生まれと遅生まれに関して詳細に解説してくれています。

以前からなんで4月1日を以て学年の切れ目とするのかが謎だったのですが、法律がその理由をきちんと根拠としているんですね。まあ当たり前と言えば当たり前ですが、文言が凄い硬い。その根拠は(「年齢計算ニ関スル法律(第1項)」により「年齢は出生の日より之を起算す」と規定されており、生まれた日を起算日として1年は起算日に相当する日の前日で満了することになっています)とのこと。まあ、分かりにくい事この上ないですね。さすが法律。

29日は長女が独占的に嫁さんを名駅にあるレストランに誘いおしゃれに誕生を祝った様です。なんだか凄いなとは思うんですが、何故独占?まあ良いんですが…。

2026年3月28日土曜日

岩倉ダムキャンプ場(2度目)に行ってきました

今日は暖かくなってきて「今の時期」のキャンプ場に行きたくなって以前も行った岩倉ダムキャンプ場に向かいました。

実は嫁さんの誕生日でもあったので、昼前から2時過ぎくらいまで誕プレ選びに付き合って名古屋を出発したのはもうすぐ3時になるというような時刻でした。これほど遅いとキャンプ場に着いた頃には日が暮れ始めてテントが立てにくくなるな、と思っていたのですが幸いにして4時半頃には岩倉の見慣れたキャンプ場に無事到着。

すぐにテントを立てましたが、その後早速そばにある山を半周回った向こうにある「売木温泉こまどりの湯」に浸かってきました。
ご覧のように渇水続きでダムの水も相当干上がっていました。
信じられないほど肌にすべすべで気持ちの良いアルカリ泉が(失礼ですが)こんなところにあることが信じられないほどのものです。実はサウナに入っている時に、従業員の方とたまたま一緒になってお話を伺ったところ、既に町営で温泉が始まって30年ほど経っており赤字覚悟でこのサービスを提供しているとのことでした。いつまでも続いて欲しいものです。
道すがらはどこを通っても美しい桜の花が咲き乱れる所ばかりでした。
キャンプ場に戻ってみると、実は夕方でも13度程度の気温。そして夜になると息は白くなるほどの寒さでストーブを焚いたのですが、持ってきていなかったら寒くてヤバかったと思います。今回良くわかったのは寒いときにでも温まろうと思えば水をストーブの上に乗せて水を沸かし、湿度をグングン上げること。容易に「温かい!」と思える程の状況を作り出すことが出来ました。(持ち込んだ本には良くない環境ですが…)

夜中には30メートルほど離れたところにテントを張っていたデブのお兄さんのところから怪獣のような鼾が聞こえてきて参りました。最初は何かの心霊現象か?と思うほど奇妙な呼吸パターンでしたが、この人恐らくは確実に睡眠時無呼吸が強いよねーと言うやつ。高度の肥満に起因した無呼吸で高血圧などの循環器疾患まっしぐらなのではないでしょうか。

朝には気持ちよく起き出してさっさとテントを片付けて、昨日の到着時にはいなかったお爺さんのいる受付へお金を払いに行きました。3,500円でしたがまあリーズナブルだと思います。

直ぐに「再び」帰宅直前にこまどりの湯の持つアルカリ温泉に浸かりました。全ての疲れを癒す素晴らしい温泉でしたがまた夏にやってきて疲れを癒そうと思います。

今回は人から借りた「志の輔の背丈」という本を持ってきたのですが、一人の時間に読み耽る貴重な読書の時間はやっぱり良いですね。

2026年3月27日金曜日

やっと当たり前の判決が出たよ!

以前ここにも書いた猟友会・北海道砂川支部の池上さんの猟銃使用による「依頼を受けた」熊駆除に関する事案に対する最高裁判決が出て終審となったニュースが出ました。

判決は無罪。当然の判決でしたが、個人的な感想はシンプルに「やっと、やっと、当たり前の判決が正しく出たの〜!」というものです。

事件の概要は簡単に言うと「2018年8月、市の要請で出動し、市職員や警察官らが立ち会う中でライフル銃を1回発砲してヒグマを駆除した」というもの。
しかし、これに現場周辺に民家があった事を以て道公安委員会は良く2019年4月に鳥獣保護管理法が禁じる「弾丸が到達する恐れのある建物に向けた発砲」で銃刀法違反だとして池上さんの猟銃所持許可を取り消したというもの。

一審札幌地裁は公益目的かつ建物に当たっていないから問題ない!としていて当然シロで、常識的な判決。ここで公安委員会のアホは控訴。
二審の札幌高裁は跳弾の可能性があるから処分は適法という現実を見ろという法律の本に埋もれたバカが如何にも出しそうなおバカ判決。w

道の方は「市民生活の脅威となっているクマの駆除であっても、危険性を過小評価することは許されない」と謎の反論で処分は適法と言い返してこの件は最高裁まで持ち込まれました。
   
ここでおいおいちょっと待て!ですよ。じゃああんたはどうせ一ちゅの?というのが私の質問。対案なくしてワーワー言うのは学生でも出来ること。もしくはいつもの共産党を始めとした無責任な人間にのみ許される愚か者達の専売特許です。^^

結局、この一件が大きな引き金になって猟友会が全面的に公安の要請に懐疑的、非協力的になり白旗掲揚。その後に現実を後追いで公認する形で鳥獣保護管理法が改正され、2025年9月から市街地でクマへの発砲を当然のように認める緊急銃猟制度が始まりました。これは住宅など建物に向けた発砲の原則禁止の例外として、市街地でも自治体の判断でハンターが発砲できるようになったというものですが、実際には個別の事案ごとに判断し、警察庁に確認するという現場への丸投げシステム。お前らアホか?w

要するに国は知らんけど、お前ら下部組織で「個別に」検討してよろしくやって頂戴なといういつもの奴。戦争の交戦可能性発生時における戦闘開始の運用もお国の中枢にあげてこうやって対応する訳ですから戦争でこの国は勝てません!というのと同じです。

池上さんに猟銃免許が返還されたのは素晴らしいことですけど、二度と熊の駆除なんかしなくていいですよ。警察が公安委員会の指令のもとに「よろしく」やってくれるでしょうから。ハンターも死傷のリスクが高い中で、あんな弁当代程度の金銭で命懸けで手持ちの銃弾と銃で駆除に駆けつけてくれる人達にしてみれば「ふざけるな」という事に尽きますな。

最高裁も今回は常識的な判決をしてくれてホッとしました。

2026年3月26日木曜日

血圧のコントロールと日常の生活

我が家では私も嫁さんも降圧剤を服用しています。

始めの頃はARB系の薬を使っていたのですが、今ではCaチャネルブロッカーの代表的な薬を使っています。基本的に半減期が長く朝一粒服用だけで一日中持つ感じの良い薬です。副作用の少なさもARB系の薬と拮抗するレベルだと思うんですが、ある論文でARB系の薬で肺癌のリスクが上がるの上がらないのという「イマイチ」結論の曖昧な論文が出されて以降、とりあえずはこっちにしとこうかという事でCaチャネルのブロッカーで行こうと決めました。

いろんな薬はそもそも体の恒常性が充分に維持されていれば服用しなくて良いもの、というのが基本ですから何らかの副作用があるものですが、その中でもこの薬はある一定の濃度以降ではかなり低い副作用しか示しませんので、優秀な薬であることには変わりません。

しかし、まあ今後の加齢のことや遺伝的背景も考えると降圧剤だけでなくコレステロール降下剤なども使わないといけなくなるかも?あんまり考えたくはありませんが…。

やっぱり運動をする云々よりも食べ物のコントロールがゆるゆる過ぎてまるで駄目です。嫁さんはその点偉くて「ある時間以降は食い物を食べないと決めたら一切食べない」ということに関しては物凄く強烈な意思を持っていて、今でも下腹の肉などは本当についてなくて立派なもんです。

勉強関連のことに関してはからっきし忍耐力も何もない嫁さんなのですが、この食い物に対する意思の強さがなぜ紙の上の勉強にも活かせなかったのかと不思議でなりません。目標の向けるべきベクトルがかなり偏ってしまっていると私には思えるのですが、結果は出ているのでまあ良いのかなと何も言っておりません。w

自分も「この点だけは」見習わんといかんかなと思っております。はい。

2026年3月25日水曜日

信頼は一瞬で崩れるもの

バイト先の病院で訪問している家庭のある方に相談を受けました。

退院してから退院した自分の配偶者にある症状が出たので、その事を相談しにいったら「明日来てください」と言われたんだそうです。その上で、おむつに着いたその付着物を一緒に持っていったのですが、病院に到着して先生のところに面談に行くと「僕は病棟医ですから、既に退院した患者さんは訪問診療の意思に任せますので、説明はしません」との対応。

いつもは温厚なこの女性もこの対応には腹に据えかねたようで、「もうこんな病院行きません」と言って本当に怒っていました。

私はバイトの身ではありましたが、私がその場に居合わせた件ではなかったにしてもその様な事案が発生した事について深く謝り、同時にその件を説明後に医局長に説明しました。医局長ご自身はその案件に実は少し関わった事もあり内容に関しては直ぐに理解してくださり、ご自身でこれまた私の方に平謝り。

私に謝ることは全く無くて、こういうインシデントが発生したということは「果たして今回だけだったのだろうか?と言うことのほうが気になります」という事を懸念として伝えたところ、次回の会合で議案としてあげて検討しますとのお言葉を頂きました。

病を得た人というのは家族も含めて大変弱い立場にあります。診察をしてくれる医師に頼るしか無いことが殆どであって、その頼っている医師からその様な扱いを受けるということは、その頼っている命綱を断ち切られるようなものです。

どの病院にもどの大学にも、人と話をすることが出来ない、人に理路整然と病気や治療に関して話すことの出来ない人がいます。何度かの悪評を得て、間違いを繰り返してやがて医療現場の真ん中から消えていったり、次から次に病院を移っていったりなどという事が起きます。そして、中には裁判になる人も。

人への説明がきちんと為されない治療行為は今は既に許されない時代。ちゃんとした説明、納得のいく治療行為。どんな時にも忘れてはならないと思います。

幸い、今回の件に関しては最終的に御家族さんは受容してくださったのですが、いつもそうなるとは限らないことを肝に銘じておくべきでしょう。