2026年4月27日月曜日

若いときにしか出来ないこと

ある先生が自分の「近未来」がかかった仕事を始めました。

今までの仕事量とは全くペースもボリュームも異なるレベルの仕事を始めることになりますが、彼の年齢からするとまさに今こそがその脂の乗り切った時期だと感じています。何歳になろうと頭が働き続ける限りどんな仕事でもできるものです。

たとえ体が動かなくなってもデスクワークは腕と頭が動けばできるわけですし、実際にそのような状況で仕事を淡々とかつクリエイティブにこなしている人達は世界中で無数にかつごく普通に生活を営んで居られるわけで、敢えて言うまでもないほど普通の景色です。

しかし、これとは別に働く時の集中度を高めていく時にはどうしても「体力」が絶対的に必要になってきます。何らかの質の高い仕事を成し遂げようとする時にはほぼ絶対のレベルで肉体的、精神的な集中と持続を維持しなければならない時期というものがあって、それはやはり知的に円熟してきているのみならず、体力も未だ残っているような時期でなければ成し遂げられない仕事のレベルだと思うんです。

特に、あるボリュームの一定以上の仕事を一定の期間内で仕上げるためには純粋に体力が絶対条件だと考える私です。今まで行ってきた仕事も歳をとってくると効率化という部分では明らかに力を抜いてやれる部分は見えるんですが、やはり絶対的な体力が必要なシーンでは加齢が邪魔をします。w

超一流の人達の話を聞くと数学者であろうと医学生物学の人であろうと、凄いレベルの仕事を物凄い集中力を発揮して仕上げていくという事をされています。

そういう事ができるのはやはり「ある程度の歳まで」つまりは体力が持つ期間にだけ仕上げられるものだ思うんですけどね。しかし、まさに今こそが最初に書いた先生の人生で最も充実した挑戦の時期、時間だと感じている私です。

2年後に花を咲かせるその姿を是非見てみたいと感じる私でした。

2026年4月26日日曜日

アメリカの旧友達と横浜で同窓会・後編

さて、昨日の記述の続きです。(登場人物は分け合って詳述できませんが、皆アメリカで同じ釜の飯を食った野郎たちです!)

前日記したようにわずか半日の間ですが、とりあえず一人でうろちょろと表面的に山下公園界隈を歩いた訳ですが、私が驚いたのは横浜という街の持つ観光資源のリッチさです!

本当に名古屋が云々と言ってあまりの名古屋の観光資源の無さを嘆く名古屋人も多く、自虐的になる地元民も多いのですが、実際には名古屋もそれなりに見どころは多いと思うんですよね。しかし、大きな違いは観光資源がまとまったエリアに一揃いという形では存在していないこと。山下公園の周りを散策した後ではこの点に関しては「白旗」を大きく掲揚せざるを得ません。w

名古屋も海沿いにレゴランドや工業地帯観光、水族館、南極観測船などの展示も有りはしますが、散策してそこのベンチに腰掛けて愛を語る未来を語る多くの若人が居ないとね。そして家族連れが気軽にベビーカー押しながら港の風に当たる様でないとね…。そういうセッティングがなされていないと思います。

そして横浜には港と街が一体化している魅力がある。港と街の中心部が大きく離れていないというか、中華街という異国情緒が山下公園と渾然一体となってその魅力を相乗効果で輻輳強化している印象。食と景色と歴史的観光の対象がひとセットになっているという強みは何にもまして素晴らしいと思いました胃袋も目も脳みそも満足させてくれるという良さ。また家族を連れていきたいと思うのです。

さて、私は一旦ホテルに荷物を預けた後、野毛の飲食街を通り抜けてその辺縁にあるところまで行って今は横浜にいるY先生が指名してくれたお店「だるま」へと到着しました。ここはその先生曰く、「昔はもう少しDEEPなところにあったけれども、店の大将が心機一転こちらへやってきて店を仕切り直した」とのこと。そういう由緒ある店だけに中は深夜食道ばりにいい感じでした。

まずは我々二人(私とX先生)が座ってY先生とA先生の到着を待っているとすぐにA先生到着。そしてその直後にY先生も到着されて皆で乾杯となりました。私にとってA先生との再会はほぼ10年ぶり。余りにも何も変わっていない若々しさに驚くほど何も変わっていませんでした。

次々に出てくる美味しい小料理を食べながら酒を継ぎ足し馬鹿話と思い出話に花を咲かせました。愚かな話は私が中心になって話をして、思い出話と近況報告は残りの三人の先生方からそれぞれ話して頂き、いろいろと感心することしきりでした。

なかでも驚かされるのは三人の先生のお子さん方の年齢。もうそんな歳!という感じでしたが、よく考えたらうちの長女も30超えですからね。当然と言えば当然なんですが。

A先生は私用でどうしても千葉に帰らないといけなかったためここでお別れでしたが、私とX1先生、Y先生は野毛のDEEPERなエリアへ移動し更に飲みながら今後の研究の方向性や仕事の話にスイッチ。実はここからいきなり真剣モードに変わってしまいまして、ありとあらゆる今後の可能性に関して業界の動向に話を話を広げつつ情報の整理整頓と今後の方針決定に関する意見を出し合いました。

最後に中華麺の店で締めとなったのですが、ココでもまだまだ仕事の話。w
Y先生とはここで別れたのですが、私とX先生はホテルに戻る道すがらも、ホテルに戻ってからも寝る直前まである「作戦」に関して延々と議論を続けたのでした。

ある意味、非常に有意義で2年後の未来を見通せるような大事なミーティングになったと思いました。やはり気心の知れたお互いの研究や仕事の内容がわかっている人間同士の集まりは何かを生み出す、何かを変えるにはいい刺激を与えてくれますね。

次のミーティングは6月半ばの名古屋です。

2026年4月25日土曜日

アメリカの旧友達と横浜で同窓会・前編

今日は朝から名古屋の家を出て名駅へ向かいました。

目的は今日の夜に行われるアメリカにいた頃に苦労を分かち合った旧友4人で同窓会をするためです。特にその中のお一人の先生とは十数年ぶりの再会ですので、私もウキウキ。

新幹線に乗って新横浜についたのが12時ちょっと前。品川では降りますが、横浜をターゲットにして移動したのは恐らくほぼ30年前の生化学会か何かでパシフィコ横浜に来た時以来でしょうか。潮風を感じるエリアです。

予め横浜在住のY先生に「横浜エリア」に来たならばどこを見て廻るべきか?という質問をしておいたのですが、完全にエリアの異なる二種類のルート・マップが送られてきました。一つは山下公園界隈を散策するコース。もう一つは北鎌倉から南下して最後は鶴岡八幡宮で散策を終える鎌倉殿の13人コースとでもいいましょうか。

しかしここで思いだしたのは自分の日本史の知識の無さ。高校の頃赤点ギリギリで日本史を突破した実績を持つ己の黒歴史。orz

そこで、少なくとも近現代史に彩られたイベントの展示場たるおしゃれエリアである山下公園周辺の散策から開始することにしました。まあ、その気持ちを大きく盛り上げてくれたのは襟の西の橋に鎮座するカップヌードルミュージアムの存在に気付いた事だったんですけどね。

桜木町駅まで移動した後すぐに歩いて汽車道からカップヌードル・ミュージアムへ!あの安藤百福の苦闘とカップヌードルの誕生、そしてそのカップヌードルが世の中に拡がっていく様子を展示してくれている美しいミュージアムです。
見たことも無いようなカップ麺もたくさんありました。
大きな入口でしたね。びっくりサイズ。
最後にミュージアム・ショップでちょこっとしたお土産を家族に買って次の目的地であるJICAの海外移住資料館に行きました。
ここもマップを見ている時に偶然見つけたものだったのですが、海外で長く過ごしてきた私にとっては彼ら「初代」の苦闘の歴史の凄まじさが強く胸に迫る展示でした。最後の方にはミネタ長官やジョージ・タケイ等もビデオ出演されていて、それはそれで良い展示物だなーと感じて出てきた次第。
黄禍論渦巻くアメリカのターゲットの一つが日本人でした。
言葉もわからぬ中で凄まじい差別と貧困と戦いながら、最後には現地で資産やネットワークを形成しソサエティを作り上げたにも拘らず、第二次世界大戦で理不尽にも資産没収と激しい暴力の渦に巻き込まれて日本に送還されたり、強制収容所に移送されたりというとんでもない苦汁をなめ続けた先輩方の姿に胸が熱くならない理由がありません。

私はここで1時間半ほど過ごしましたが、日本で初めて旅券を取得したのは旅芸人の一団だったことに驚きを隠せませんでした。そもそも、旅券という名前自体が存在しなかった頃の幕府からの発行証だったというのも驚きでしたけどね。

さて、ここを出て港に停泊する飛鳥IIIを見ようと海辺に近寄っていこうとしたところ眼の前に「!」という建造物が見えてきました。それは「海上保安資料館」という名称の建物。ここには私の記憶にも生々しい2001年に発生した北朝鮮工作船による領海侵犯とロケットランチャー等による海保巡視船への攻撃、そして最後の自沈までの過程の説明と回収された種々の武器と工作船本体の展示でした。
船体に残る生々しい日本側から撃たれた弾痕は当時の凄まじい現場の状況が伝わってきます。まあ、真の心の底から碌でもない国だなと言うことを雄弁に語る第一級の一次資料であり、常に緊張みなぎる現場で救難に警護にそして赤い夜郎自大の国々とも戦い続ける海保の方々心の底より感謝です。

最後は出口のそばに設置されていた海保グッズショップで売られていたシャツやリング・タグなどを購入して出てきました。
雨も降らない、寒くも暑くもない最高の天気の中で次に向かったのは赤レンガ通り。おしゃれ絵なイメージは持っていたのですが、どんな所か知らないままで周囲をぐるりと回って中には入らずじまい。なんだかおしゃれなお店が入っているのは見えたのですが、私は腹も空いていないし、入るのは少し気後れしたので周りでポケモンのマンホールの蓋の撮影などを済ませた後に山下公園の方へと向かいました。
飛鳥IIと思っていたら既にIIIをでした。長崎製じゃないのかな?

長崎では一個しか無いポケ蓋!横浜にはたくさんあります。
橋をわたっていくと公園の西の端でこの道30年とかいうメチャ面白い大道芸人さんが数々の芸と話術を披露しながら皆を笑わせてくれていました。
ここの直ぐ側にはかの有名な「赤い靴」の女の子の銅像がありまして、熱々の男女の皆さまがベンチで戯れるのを横目に「かもめの水兵さん」の歌詞なども写真に収めて更に移動。花壇の向こう側になんだか歴史ドラマで見た覚えのある瀟洒な洋館風ホテルが見えてきました。なんとNEW GRAND HOTELと書いてあります!そうです、マッカーサーなども来たというあのホテルなのでした。
横浜のポート・タワーもショットに収め、更には時間がもう無くて入ることの出来なかった氷川丸の融資を後ろ側と側面から眺めて中華街の方へと移動しました。名高い「港の見える丘公園」まで800メートルと出ていたのですが、次第に陽が傾き始めていたので、このままだと同窓会に遅れると思い心を公園の方向に残しながらも有名な横浜中華街へ入って娘達と病棟へのお土産を選んで桜木町駅の方にある予約されていたホテルに向かいました。
美しい氷川丸!
とりあえず今日はここまで。




2026年4月24日金曜日

大学病院だからといって⋯

皆さんは大きな病院は安心できる病院という認識があるのではないでしょうか。特に大学病院とか?

しかし、人間は神様ではなくミスを犯します。その上、システム上でいくら考えても考えてもやはりヒューマンファクターの部分で穴が開けば、システムの構成を超えてミスは穴から漏れ出してきます。その事故のサイズは気づかれないものから、ヒヤリハット、大事故、死亡に至るまで様々。

要するに組織のサイズには関係なく、起きるものは起きると言うこと。病院の組織の性質次第でそれらのミスの発表レベルというものは様々ですが、いろいろな大学の多くの科の先生たちの話を聞いてびっくりするのは事故を起こした当人がそれを事故と認識していないことがあるということでした。

更には医局を司る教授などから全力で医局員擁護が入って、医療安全委員会と全面的に対立するような場面もあるそうで、大学側は医療安全委員会を筆頭に患者さん側には謝罪を入れつつも医療安全委員会の委員は大学内のその事故に対する認識が希薄な医師や医局に対しても戦いを挑まなければならないという二重の物凄いストレスのもとに置かれるということが「よく」あるという話。

裁判になって初めて表に出てくるなどということもあるような世界ですし、裁判になったからと行って裁判を起こした側が正しいというような訳でもなく本当にひとが人である限り永遠に無くなることはない話ですが、規模がデカいからと言ってその医療機関での加療が規模の小さな病院よりも必ずしも治療のレベルが高いというわけではないということは念頭に入れて病院を選ばれるというのが正解だと思います。

無論、高度な医療機器や多くのスタッフがいて種々の希少疾患まで含めて面倒を見れるという意味ではスタッフ数と施設充実度のまさる大学病院や高度救命救急が日常である病院が圧倒的に有利でしょうが、必ずしもそういった機関での「治療」がベストの結果を生み出すわけではなく、あくまで診療を行う医師の能力にかなり依拠するという点は間違いないと思います。

実は今回、ある大学病院から送られてきた超高齢のおじいさんの受け入れを巡って発生したあるインシデントを通じてそういう事を改めて感じて、この一文を認めた次第でした。

2026年4月23日木曜日

娘の仕事探しは面白そう

娘の仕事探しはある斡旋専門の会社から回ってきているだけでなく、自分でも「面白そう」と思ったことだけを金額に関係なく選んで仕事をしてみて技術や経験を蓄積しているみたいです。

先日も書いた人材斡旋業というのはヤクザな仕事ですから、高給を提示する会社の契約を取れれば取れるほどその成功報酬(ピンハネ分)は高くなるはずですから、何度でも高いオファーをする企業の紹介をもって娘にアプローチしてきているようです。

娘の場合、高度な英語と普通の日本語を読み書き話し出来ますので、それを使ったあらゆるビジネスチャンスがある訳なんですが、娘に話を聞くとその手の高度スキルや肌感覚を経験値付きの実務レベルで持っている人というのはどうしても数が限定されてくるようで、引く手は数多なんだそうです。

その上で選ぶ・選びたいのは給料の額もさることながらやはりやっていて「面白い」と感じる職種なんだそうで、そこらあたりは私も異論はありません。特に彼女の場合はスタートアップ企業に関心があるようで、どのように事業を展開していくのか、そして資金繰りや人事はどうやって行くのかなどという事をトップに近いところで見てみたいのだそうで、将来の自分の仕事に活かしたいのだとか。

面白くなくとも学びがある仕事は長く続けて一緒に成長させて、企業を大きくして給料も一緒に上げて貰いたいと思うし、面白くない仕事でも高給であれば一年とか二年と割り切ってお金をセーブするためだけにでもキチンと仕事をして結果をだして、CVに載せられる仕事としてやる感じですね。

スタートアップ企業というのは面白いと思うんですが、(業種にもよるとおもうんですが)次から次へと淘汰されて、夢破れ去っていく人達のほうがむしろ普通。通常成功した!と呼ばれる人達も平均すると4回は起業に失敗しているといいますので、失敗を恐れるタイプの人には向かないスタイルなんでしょうね。

要するに人生「ハイ次!」と言えないような人には起業は向かないということなんでしょう。でも、これって生き方そのもののような気もするんですが?