2026年9月3日木曜日

親父を連れて霧島へ一泊旅行

今日は朝から娘のリモートでの会議が終わるのを待って霧島観光ホテルへと向かいました。

親父の米寿の御祝いに連れて行く事を計画して随分前に予約していたものでした。宮崎出身の人間にとって霧島というエリアは実質的に宮崎のような「感覚」。実際は昔から鹿児島の住所ですが感覚的にはそんなもんです。小林、都城、えびの、霧島というのは恐らく鹿児島側の人からみたら「そこは鹿児島」的な感覚じゃないかと思うんですよね。

そもそも宮崎と鹿児島の間で明治維新後も霧島に関してはずっと鹿児島のエリア。しかし、それは中世まで遡るといろいろと違ってくるんですよね。それでも、中世以降は鹿児島に含まれるエリアですからずっと鹿児島と言っていいところです。^^

さて、道を走る事1時間半でホテルに到着。案内されて入った部屋はお金を払う価値のある素敵な部屋でした。鹿児島の錦江湾にどっかり映える雄大な桜島が目の前に広がってそれを眺めながら入れる内湯が部屋に付いていました。しかも、入ってすぐお部屋は広いリビングがあってその向こうにはこれまた広い畳のお部屋と巨大なダブル・ベッドが二台。
ガラス越しに見た内湯。向こうには桜島。
このあと先ずは車で15分の霧島神宮に直行です。

親父自身は霧島神宮には公務員だったころの職員研修や旅行で何度も来た事があるらしいのですが、久しぶりに来たのが我々に連れられてきた今回の米寿旅行となった訳です。
入口駐車場にある大鳥居。でかくて綺麗!
神社までのわずかな坂を上ろうとしたときに実は親父に異
変が起きました。高さの差にすれば僅か2メートル程度距離だと100メートル程度の道を登り切った時に、親父が「フーフー」と異様に疲れた感じで道を歩きながらふらつき始めたのです。

「お前たちだけ神社で拝んで来い」という言葉を発しはしたのですが、息づかいがおかしいのでその場に座らせて脈をとると120程度の頻脈。リズムは整なのですが、このままおいてはいけないので暫く座らせて様子を見ていると脈も80程度に落ち着いて親父の不通に戻ってきました。

息切れも消失したようなので、心配しつつも神社で拝んできました。勿論、拝んだ内容は家族の健康。(と親父の長寿って既に長寿ですが!)
どでかい御神木
お守りを少し買い込んでおみくじを引くと長女も長男も私も大吉。長男は何気に引いたくじが1番くじでした。嫁さんは中吉、とは言えどれほどあてになるんだか?御神体は神社におわしましても、くじ作るのは人間ですからね。

まあ、そんなことはどうでも良くて下に戻ってみると親父は元気に階段に座って待ってくれていました。そもそも、慢性腎臓病があって下腿の浮腫もバンバンですから心負荷も当然のようにかかっています。そういう意味では薬での調整も次第に追いつかなくなっているレベルになってきたという事なんですけどね…。やはり歳には勝てません。

その後はいつもの普通の親父に戻ったのですが心配の種は尽きません。転倒、心不全、その他の理由での突然のインシデントは何時でも起こり得ますので、私は後ろからお親父をみていて「良く生きていてくれるな」としんみり思いました。

霧島神宮からホテルへ戻ると直ぐに温泉です。このエリアの温泉は強い硫黄泉ですので、シャワーも含め硫黄臭がします。それも旅の一興。先ずは我々男三人だけで4階にある予約済みの家族風呂に入ってきました。畳の上で直接入浴できるもので、大変快適。それでも一時間入るような事はせず直ぐに1階にある露天風呂へ直行しました。正直こちらの大浴場のほうがいい感じで、ここの湯を楽しんだ後に510の自分達の部屋へと戻っていきました。

その間に嫁さんと長女は内湯を楽しんだようで、気持ちよさそうにクーラーの効いた部屋で涼んで待っておりました。^^

夕方には素晴らしい大食堂で美味しい料理を腹一杯食べたのですが、親父は案の定コーラを入れていたグラスを叩き落として割ってしまうし…。子供以上に手がかかるのが米寿の親父の現実です。

部屋へ戻ってもまた私たちはそれぞれに何度か内湯や外の湯にも浸かりましたが、やはり内湯が一番良かったかなと思いました。雄大な眺めを楽しみつつ雨が降ったり止んだりする様子を愉しんだ一晩となりました。

2026年9月2日水曜日

結局、宮崎には行けたけど…

という訳で、午後7時30分の便まで滅茶苦茶時間が出来てしまいました。

ほぼ10時間。これで家まで戻るのもバカバカしいし、長女は長女で1時から三件分のウェブ・ミーティングが3時間分待っています。という訳で直ぐに思いついたのは飛行場の眼の前にある東横INNを予約する事!

ここは何時でも安くて値段の上下が少ないので大体の値段予想がいつでも弾けます。ここを「例え泊まらなくとも」利用するといい理由はシンプルで、ここは宿泊した人が車を置いてそのまま旅に出ていったときに10日間までは出庫時1,000円の駐車料金で済むのです!

だとすると、今から10時間の時間のうち3時間を娘がそのリモート・オフィスワークに使えて、シャワー浴びたり休憩したりできるとすれば、例え7,000円程度かかっても全然問題ない訳です。セントレアの駐車料金は近年ぐいぐいと上がって来てて、昔はTSキュービックカードなどを持っている人はセントレアでいろいろと特典があったんですが、それも無くなり今最強なのは東横INNです。

それでネットを探してみると「泊まり捨て」みたいな事をしなくとも、なんと、DAY USEという選択肢があるでは無いですか!しかもお値段5,600円と破格に安い。そこで、ネット予約をする前に東横INNに電話でお尋ねして、DAYで使った時もそのまま駐車場に車を置いて行っても帰ってきたら1,000円の駐車代でいいのですか?と聞いたところ「その通りです」との有難いお言葉が返ってきました。

そこで、ネットで予約を済ませた後にセントレアの駐車場からさっさと退去して東横INNへ移動して部屋へ移動。荷物は既にソラシドさんに預けた後だったので手持ちの荷などはありません。

そこで、セントレアで食事を済ませた後に娘は部屋で仕事開始。我々三人は飛行機好きの息子も含めてFlight of Dreamsのほうへ移動しBOEING787の機体をじっと眺めながらうろうろと散歩。お土産も買い込んでいつもは人が多すぎてとても見学できない機体内部や写真撮影を済ませて超リラックス出来ました。

その後で仕事が終わった娘のいるホテルへ移動。私はシャワーまで済ませて飛行機に乗り込む事が出来ました。

久方ぶりに飛行機に乗る事の出来た息子は嬉しそうでしたが、暫くするとあっと言う間に宮崎ブーゲンビリア空港に着陸してしまいあっという間のフライトでした。その後は既に時間も過ぎているJ-Netレンタカーのオフィスに行って、言われた通りのボックスの言われた通りの番号を回して車をゲット。白いフリードでした。

そのまま実家に辿りついたのは夜の10時。
予定より半日遅れでしたが、いろいろといい事もあって人間万事何とかという良い結果になりました。

家に着いたら弟の仏壇に手を合わせてお参り。線香がきつすぎてのどを痛めているという親父のために、部屋では日常的に線香を焚かない事。焚くにしても部屋の戸は開けて線香を焚くことを確認してもらいました。

明日からの移動がまた大変です。

2026年9月1日火曜日

とんでもない輩に予定を狂わされました

実は本日より5日まで、宮崎の実家に弟の初盆と親父の米寿祝で帰る予定です。

そこで、私たちの家族は生れて初めてANAのLCCであるソラシド・エアに搭乗してサクッと宮崎に返ろうという事になりました。いつもは移動に私の車で12時間かけて帰るというような事をやっていたんですが、嫁さんが「車はきつい」という話をしてきましたので、止めとくかなという気もちになっていました。それに彼女が「お父さんももう若くないんやから前の頃と同じような気持ちで行動したらイカン!」という風にも釘を刺されましたので、お言葉に従わせていただきました。

という訳で、私としては珍しく随分前にレンタカーを予約してJ-Netレンタカーで飛び切りグッドなdealを見つける事が出来ましたので、それに飛びついて確保させていただきました。

飛行機のチケットのほうは嫁さんが準備してくれていたので特の問題なかったのですが、宮崎のようなド田舎に飛んでいく便は通常朝と夕方の二回というのが多いパターンですので、朝を逃したら一日が無駄になるという事が多いのです。

という訳で、朝は早起きしなければなりません。セントレアまでゆっくり走って45分ですが、朝9時半発の飛行機ですから、お土産なんかを買う時間を考えたら、なんとしてでも8時半までには到着してゆっくり過ごしたいと考えて7時ちょいには家を出ました。これだったら二時間半前だからちょっとした渋滞程度では問題なく行けるだろうと思っていたのですが…。

ここである事件が発生します。orz

前回も書いたのですが、宮崎の行き帰りなんかにはなぜかいろいろな事が起きるという変なジンクスが最近我が家にはあるのです。この前の大豪雨で広島に行くまでに死んだ話とか、全く人災・天災いろいろです。

さて、今回のは人災のほうでした。名古屋口から高速に乗ってスイスイと高張のほうへ近づいて行っていた時のことです。予想到着時刻は出発当初8時15分で、物凄い余裕で着くなと思っていたのにもかかわらずいきなり8時40分とかに予測がジャンプしました。

「?」なんじゃ、これもっしかしてナビが誤動作した?とか思ったのですが、同時に後ろの座席に座っていた嫁さんにも調べてもらうとGoogle上でももう少しましな予測にはなっていたのですが、それでも10分程度の予測差。頭の中は「おいおい、なんか事故かよ?」という考えが過りました。マップを見ると知多半島を南下する高速が真っ赤に塗られています。

しかし、その気付いた瞬間はすでに遅し!眼の前にノロノロ運転でハザードを焚き始めている最後尾の車が見えてきたのです。

「ああああああ、高速乗っちゃった」という大後悔も時すでに遅し。降りる出口も近くに無ければ、迂回路を使った分岐予測でも数分しか違わない程度の予想。しかもナビの予測はリアルタイムでどんどん後ろにずれこんでいきます。

どうやら渋滞の先頭は十数キロ先の阿久比ICの入り口の少し先です。どこのバカがどんな事故をこんな時間に起こしてくれとんねん!と思いつつもここは焦っても仕方ないと腹を括ってノロノロ運転をしていましたが今回はいつも俺の宥め役、諫め役に回るはずの嫁さんが怒っています。w

しかし、そうこうするうちにもフライトの時間は刻一刻と迫って来て例え乗れても全力走りで行くしかない!という所まで来ました。嫁さんはソラシドエアに万一の場合はどうすれば良いかというのを尋ねると少なくとも10分前に搭乗口前に立っていて貰えば何とかなるという返事をもらったのですが、確か今日からは30分前にはチェックインを済ませていなければアウトというルールが始まったばかりじゃなかったっけと内心では思いつつ黙っていました。

とりあえず、そうこうするうちに渋滞の最先端に出てみるとそこに停まっていたのはレッカー車に積み込まれる前の前部が大破して確実にエンジン(これフェラーリのエンジンでっせ!)のぶっ壊れたホワイトクリーム色のマセラッティ・クワトロポルテが左車線を塞いでいました。

その脇には頭をスケベ分けにした頭の悪そうなホスト風の男があらぬ方向を向きながら髪をかき分けて地べたに座っておりましたな。この糞が!と内心で思いつつもそこを過ぎてからはあっという間に空港へ。

何時もと異なり、まずは第一ターミナルで嫁さん達を下ろして手続きに向かわせて私はその後に駐車場に停めたのですが、この時点で既に9時10分。もうアカンかもなと思っていたら嫁さんからLine通話が入って来て「やっぱりダメだって、でも午後の便は取ってくれるって!」とのお話が入ってきたのでした。

さて、どうするオレ?w

まあ、その続きは明日書くとして、今日思ったのはたった一つ。「やっぱり高級車は金で買えても知性は買えんな」という事でした。若造が乗っていたあの車。新車で最低でも1500~2500万です!パパに買ってもらったのか、ヒモとして稼いだのか?ま、どうでもいいや。

とにかく迷惑な話でした。またこの続きは明日。

2026年8月31日月曜日

教授選考の時期

再び教授選の季節が巡って参りました。

毎年毎年、日本全国でいろいろな大学のいろいろな教室が教授募集をかける訳です。文学、理学、医学、哲学、農学、その他諸々の科目の数えきれない程の教室で多くの人物達が定年退官を迎える事でその空きを埋めるために多くの人物達がそこに応募をかけていく訳です。

応募した人物は徹底的に、かつ多角的に人品骨柄を見極められることになる訳ですが、医学部の場合は少なくとも周りの教室との関係性、医学部長や前任者の意向、応募してくる大学間の力関係、その教室が保持する病院の数や規模、そしてそれらの病院に関連する大学の入り乱れ具合など訳が分からないほど複雑な要素が絡まってきています。

勿論、とてつもない業績があれば否が応でも教授なんかにはなり易いのですが、とてつもない業績があっても人間がとんでもない…というパターンも稀ならず有って、そこら辺りが教授選考を別の方面から難しくします。

しかも、医学部という所は恐らく他の学部以上に自分の大学出身者を「なんとか」優遇しようとしますので、Cellを二報first authorとして書いた人よりも、誰も読まないような国内雑誌や学内報を沢山出しているような人が選ばれちゃって学内からも「おい!w」というような事が行われることもしばしば。なんやかんやと屁理屈をつけて学内出身者を優先し続けるような日本の大学はこうやって沈んでいくのです。

他の大学と交流せず、おらがとこの大学を出た奴を先ず第一にしとかんと、次の教授選考もその大学から人が流れてくるかもしれんし、いずれ関連病院をそいつの出身大学の連中が乗っ取るかもしれん、等と言う名目でそういう「やらかし」を続けるんですね。

今の時代、教授になるメリットなんて老後に割り充てられるどこかの病院長くらい。気苦労多く、自分の教室に魅力が無くて人が来なければそれで終わりという時代です。

昭和の時代の白い巨塔のような事は今の時代、もう無いんです。

日本医師会のトップにいるような芸者好きのバカ男達がやるような政治ゲームが好きな連中はほぼ100%医学的実力や実績なんて何もない連中で、己の財布と老後に貰う政府が呉れる勲X等何とか章とかいうメダルを葬式の時にその棺の前にメダルと賞状を飾りたいだけの屑ばっか。w

本当に医学に貢献する連中は何とか会の会長とかで時間を潰す暇なんてありません。

一流の人間は研究と臨床と教育という巨大な三本柱に毎日自分を捧げて実力に磨きをかける事で精一杯。皆さんの命を預けられるのは「何とか県医師会」の会長様達では無くて、いつも大学や病院で走り回っている人達のほうです。

そんな一流の人達の中で、研究・教育・臨床の三本の柱を磨いて次代の人材を養成し、エリアの臨床レベルを底上げしたり治療法を改善できる人達であればいくらでも教授になっていただいて、人類を救って欲しいものです。

そうでない人で、名誉が欲しいだけの人なんかは手を挙げないでね。^^

理由は簡単、そんなヤカラが教授にでもなったら、その後に広い範囲で周りが長い間迷惑を被るからです。是非。身の程を知っておやめください。

2026年8月30日日曜日

劇団四季:オペラ座の怪人を次女と一緒に観に行きました

実は今日生れて初めて劇団四季の公演を観に行きました。

実は誕生プレゼントにと言って2か月ほど前に「パパ、もしチケット買ったら行く?」と殊勝な事を言ってきたので二つ返事で「行く行く~」と返事をしました。

こんな事を次女からオファーされるなんて事は先ず滅多にない事なので、それだけで私はウキウキ・モード。ところが、実はここからが大変だったとの事でした。暫く前にあった名古屋の劇団四季専用劇場の杮落しから後、本当にギチギチに先の先まで埋まってるような状態なんだそうです。

これは熱いファンが何度でも観に来るし、初めて観に来るような名古屋の人達もまだまだたくさんいるのだと思います。更には県外の熱心なファンの方々は距離など関係無しに名古屋くらいならいくらでも観に来るでしょうし、今回名古屋に作られた劇団四季の専用劇場自体を視察に来たい熱いファンがおられるでしょうから、暫くはチケットを取るのは大変だと思います。
生れて初めての劇団四季、生れて初めてのオペラ座の怪人。行く前にAIにオペラ座の怪人のポイントを聞いていきました。(次女には呆れられましたが。w)劇団四季と言えば私にとっては浅利慶太と世田谷一家殺人事件の犯人が出始めて日本でやっと本格的になり始めたばかりのネット・システムでの四季のチケットの検索をしていたことが記憶に残っています。

さて、現場に到着したのは30分ほど前でしたが、駐車場があまりなくて5分ほど車でうろうろした後に最終的に意外と近くに発見して娘と直ぐに劇場内へ。
開演前は写真を撮って良い実に短い瞬間でした。
娘が電子チケットを提示してくれて何の問題もなく中へ。別に持ち込みのペットボトルもそのまま持ち込めました。
本日のメインの出演者達。
18番の12、13という結構良く見える席で期待が高まります。その上で今日はどういった導入で始まるのだろうとジッとしていたら、会場がスーッと暗くなったかと思ったら直ぐに始まりました。
始まると圧倒的な声量で豊かに表現されたそのストーリーは期待をある意味大きく超えて素晴らしいものでした。これなら会員になって何度も来る人も当然いるだろうし、涙を流す人もいるだろうなと自然に思えるのでした。全体の粗筋を把握したうえで行って良かった。そして、四季の公演を観る事が出来て良かった~。^^(NYとかのThe Phantom of The Operaも観たいなと素直に思いました。)

帰りの車の中では娘に一言「ありがとう!」と素直に言えました、珍しく。w