2026年2月2日月曜日

看護師に求められる能力と看護師長に求められる能力

どんな組織でも兵隊に向いている人と、その統率者に向いているというのはあるもので、育てられる能力と育てようとしても向上しないものがあるというのが私の考え方です。

病院において私がよく観察しているのは新たに看護師から主任、そしてその後に昇格して師長さんになった人達の仕事ぶりです。日本に戻って12年目になりましたが、看護師に求められる能力と看護師長に求められる能力とはかなりベクトルが違うなと何度も何度も見せつけられる日々です。

戦場においては兵士としては勇猛果敢でも師団長としては統率力に欠ける軍人とでも言えば良いのでしょうか。そして、それがプロ・スポーツであれば選手としてはそこそこの活躍しか残せなかったけれども名将として活躍する人も一杯居る訳です。サッカー、野球、バスケなどそれはそれは枚挙に暇がなくて、その逆も当然で選手としては超一流でも監督としては残念レベルの人もこれまた掃いて捨てるほど居る訳で難しいものです。

看護師としては気が利いてチョコチョコと良く動いてくれて本当に助かる!という御仁でも、人を束ねて何かをさせる、指示を出すということに関しては全く訓練を受けてない人は沢山います。しかも、訓練を受けてもやっぱり伸びが少なくて「向いてないな~」という人はやっぱりかなり居て、こういうリーダーシップというのはある程度天性のものなんだろうなと思います。

私なんかは人の上に立ってあれこれ指示出すのは苦手な人間、というか大嫌いな人で精々のところ少人数のグループと仕事をこなすほうが好き、かつ得意です。最初から自信満々かつ意外と上手な指示を出せる人というのは居るもので、なんだかある程度は生まれつきそういうことに向いているキャラというのはあるのだと確信しています。

そもそも、師長さんになると必要なことは看護師だった頃とはガラリと変わって、職員の管理業務や書類仕事、データの整理や患者さんの家族背景に関する情報の整理や連絡などですから、PCも普通に使えなければ仕事にならないし、物事を理路整然と説明する能力はもっと必要。更には対人スキルとして最も重要なコミュニケーションが取れないとなるとこれは致命的な欠陥となってしまいます。

眼の前にある書類の山を右から左にさっさと片付けながら、業務を中断するように次々と飛び込んでくる電話対応をこなし、開かれる会議を意味あるものにする発言をしつつ、データ整理をする。更には病棟の患者さんや看護師さん達のクレームや悩みにものってあげる事ができなければ務まらないわけで、看護師としてバリバリに現場業務をしていた頃とは相当に異なるベクトルの能力が求められるわけです。

ですから、こういう訓練を師長になるために短期間受けたとしても、能力が追いつかない人は当然いるわけなんですが、ではそのポジションについて時間をかければそれが大きく改善されるかというと、どうも私が見た限りではあんまり変わりません。残念ですが。

ある一定以上のインプットがあると、パニック状態になってしまう人というのはやっぱり向きませんね。忙しい忙しいと言っていても手が動かせない人は向いていません。忙しいのは「当たり前」という前提でこの手の師長業務が出来ない人には看護師さんは向いていても、看護師長という「別の仕事」には向いてないと私は考えます。

何なんでしょうかね、指示を受けるのに向いている人と指示を出す方に向いている人。明らかに存在する適性というものはやっぱりどの分野にもあるんですね。

もちろん、看護師の時もパッとしないで師長に抜擢されてやっぱりダメダメという方も居られるわけで、こういう人は何で選ばれたんだろうと抜擢した人間の側の能力?それともなにか個人的な繋がりでもあったのかとを強く疑ってしまうんですが…。まあ、それは言いますまい。w

2026年2月1日日曜日

患者さんと家族の関係

患者さんとその周りを囲む家族さんとの関係というのは本当に千差万別どころでは済まないほどに多種多様です。

患者さんと家族の数だけのパターンがあると言っても良いくらいです。仲の良い人、悪い人。関係絶ってウン十年という人。息子とは関係絶ってるけど娘達とは普通に繋がってるとか。名古屋に仕事に来て以来、次第に田舎との連絡が疎遠になり知らないうちに親が亡くなり、その上兄弟達も消息が絶えていって…等という感じの人達はみなさんが想像する以上に多いのです。

男が浮気で家族に縁を切られたり、女と出ていって家族を捨てて行った挙げ句、人生の最後になって捨てていった家族や孫に会いたい等というパターンも思った以上に普通にあります。特に昭和のやらかし男達にはこういう人は多いです。

ギャンブルで金をすっからかんにして生活保護一直線。親子の縁を切られてもやっぱりギャンブル止められずなんていうのもこれまたごく普通。やっぱりギャンブルは依存症というかなり深刻な病気です。

また、これも実に多いのがアルコール関連で家族から捨てられた人達。これもやはり依存症です。ギャンブルとは違って、これは患者さんご自身の命が病院の中で消えていくというパターンも多いのです。肝硬変で腹の水が溜まり続け、最後の最後には命の火が消えていく人達。

時々、ここには患者さんと家族のお話を書き込みますが、無数の家族と患者さんの組み合わせの中で起きてくる種々のドラマの中でもやはり問題のある絡みが多くなってくるのはどうしても「お金」の事ですね。

あと一つ目立つパターンは犯罪を犯して家族から捨てられて久しい人達でしょうかね〜。強盗、傷害、詐欺、窃盗…刑法に記述されているだけの種類全ての犯罪を犯している人達が集まるのも病院というところです。ここから刑務所に行かれてしまった方もおりましたし。

消えていく患者さんの命を活かす代わりにその人が持っている年金を頼りに生きている他のメンバーもあれば、亡くなっていく人のお金を虎視眈々と狙ってるよねこの人達?というような  テレビドラマで出てくるような方々もちらほら。

上に挙げた例もごく一部ですが、今日入院してこられたある方の娘さんに複雑な人生の来し方を伺って、改めて家族と患者さんたちの関係に思いを馳せた午後でした。

自分の最後の瞬間にはまだ家族と繋がっているんでしょうか?うーむ。w

2026年1月31日土曜日

第51回衆議院議員総選挙

ほぼ一週間で史上最短の準備期間と言われる第51回衆議院議員総選挙が施行されます。 

私自身は日本に帰って来てからはほぼ必ずのレベルで色々な選挙には行っているんですが、最近は誰に投票するか迷うことが多いです。

いつも書くことですが、本当に消去法で「これは絶対にない」というところから削っていって選ぶしか無いような状況。最後の最後は各候補の今までの主張と実績などを勘案しながら決めるわけですが…。議員などというのは村会議員から国会議員レベルの全てが「基本は嘘つき」ですので、その嘘の程度を測定するのも大事。

今回も愛知県選挙管理委員会からの選挙広報が出ていますが、それらを読んでみても結局分かるのはその連中が「言いたいこと」の一覧が載っているだけ。実績も動向も何も読めません。YouTubeなどでは真偽綯い交ぜのヤバい論評が満ち溢れていますが、この手のものは手を出さないに限ります。最も効率的に人を騙すのは昔から真っ赤な嘘に少しの真実とか、多くの真実に信じ込ませたい嘘を流し込むみたいなパターンですから。w

陰謀論の世界にまで踏み込んだ自称インフルエンサーの皆様の登場が実に目障り。その中におそらく真実に近い時事論評も混ざっているのでしょうが、その手のものを発掘する時間自体が陰性の無駄な時間になりますので。

という訳で、いつも投票所の手前まで来てやっぱり悩むことが多い日々。昔のようにシンプルに決定することが出来ません。

日本の中で大事なのは海外のコピーにならないことではないかと思います。もう既に「西洋」という追いつき追い越せというモデルはないということ。いかに悲惨な出来事が次々に「西洋」で起きているかと言うのを見ればかなり色々と明白。

一つの国家の中に存在する許されないレベルの貧富の差や医療サービスの質の低さ、麻薬の蔓延や愚かなポピュリスト元首達のバブルの如き出現等を我々の国にコピーさせる必要はないのです。

極端な意見に耳を貸すことなく、現実の落とし所を淡々と語る候補をこそ選ばなければならないと思っています。(党を選ぶ比例代表はそこにクソが混ざるリスクが高すぎて嫌ですな〜)

2026年1月30日金曜日

山本リンダのコンサート

昨日は次女と嫁さんが山本リンダのコンサートに行きました。
直近では名古屋と静岡であるようなことを嫁さんから聞いたのですが、名古屋では特別にマチャミが出てくるという話でした。

一体何でアメリカ帰りの次女が「我々の世代にとっては馴染み深い」アイドルの歌を知っているのか?という疑問なんですが、答えはまさに今どきの世界の流れそのもの。次女がいつも聞いているJ-POPのストリーミングで流れてきたノリの良い曲が、あの「どうにもとまらない」だったらしいのです。

そこからリンダちゃんの他の曲を聞いて、当然のように「狙い撃ち」とか「こまっちゃうな」等を更に知ったらしいいです。まあ、流れとしてはそうなりますよね。

その時にネットを調べたら上のようにたまたまリンダちゃんが名古屋にやってくるという情報を知ってこういう感じで今回母親とコンサートにいったらしいんですが、感じるものはそれぞれだったようです。

嫁さんにとっては「あの」伝説のアイドルが74歳になってもこんなに元気に歌い踊るということに感動し、次女にとっては物凄くいい歌をリズミカルに歌うおばさんという感じ。実際のコンサートでは結構な年配の人達が沢山来ていて、階段を降りる時に背が曲がっているような集団も通りかかったとは言っていましたが、リバイバルブームの中でまだまだホールに人をギッチリ入れるだけの人気があるというのは凄いですね。

最近色んな人のコンサートに親子で行っている娘達と嫁さんでした。

2026年1月29日木曜日

何でも引き受けるヤバい医者

内科や外科と違って精神科は加療の結果が微妙な世界でもあります。

数値や症状に結果が出てくる内科の世界、整復後の形態や機能、痛みのレベル、ADLの改善などで評価される外科系の世界とは違って患者さんの心や行動という数値ではなかなか表現できない世界で勝負する世界ですから実際はこれはこれで非常に高度な珍談と治療と技術が必要な世界です。

ところが、この世界は以前にも書いたんですが結構な割合で他の科からの「都落ち」みたいな人が居るんですね。他の科では使い物にならなかったから精神科医になったとか堂々という人もいれば、マイナー科にいたけどやっていけなくてこっちに来たとかいう人も少なからず。

要するに「最初から」という感じの医師が他の科に比べて圧倒的に?いや、少なくとも比較的には多い科だと思います。

そこで問題になるのは他の科で使えなかった御仁が「では精神科なら使いものになる」のかと言うこと。結論から言うと、他の科で十分使えていた人で他の研究室や科から退職後にやってきて認定医などをすぐに取れるような人達はやっぱり使える人達なんです。ところが、そうでない人達の多くはやはり皆様のご想像通り…というパターンが余りにも多すぎます。

そうでなければ良いのですが、現実は実際に冷徹でして、駄目な人はやっぱり転科してきてもやっぱりアレな人が多いのは残念ながら私の周りの日常です。

医療連携関連の部署から患者受け容れの依頼があった時でも「まともな医者」なら己が、ひいては自分の所属する部署がその患者さんを受け容れるだけの診断、治療能力や看護なども含めた人的余裕、施設的許容力などを総合的に判断して受容をきめるハズですが、それが出来ずに何でも言いなりに受け容れる愚かな人間が若干名存在するのが私のところの精神科。

まあ、これはどこの病院でも似たり寄ったりなのかもしれませんが、こういう御仁が居ると迷惑を被るのが他の同僚医師。結局、診断も加療も間違っていてどうにもならなくなって他の医師に泣きついては手放すの繰り返し。

要するに「出来もしない事」に手を出しては失敗するのに「学習できない・学ばない」という人なんですね。非常に簡潔に言うと「能力が低い」のですが、こういう人には話をしても理解出来ないし、話したところで曲解されて逆恨み何ていうパターンも充分想定できるので、君子危うきになんとかです。

内科医としてはこの人が受け持つ患者さんが私の診察対象にならないように何とかするばかり。万一内科的疾患で私の受け持ちになるような事がある時はきちんとこの手の医師からは引き剥がして、別の信頼の置ける精神科医の患者として必ず「付け替え」を行って自分を守るようにしております。

身近なところに危険はあるのです。orz