2026年8月23日日曜日

スマホの画面割れ

みんなスマホを使いながら画面割れと云うのは通常無いのだろうかと考えてしまいます。

通常アップルやアンドロイドの表面に使われているコーニングのゴリラ・ガラスも年々歳々レベルが上がっているので、割れにくくなっているのもあるんでしょう。

しかし、私の家族は私も含めて全員が何らかの画面用の種々のコーティングカバーを張り付けています。ブルーライト対応のもの、斜めからの盗み読み防止用のもの、ただのカバーなど様々。私自身はどれを使っても大して差は無いとぐらいにしか感じていません。

そもそも、ドン・キホーテやその他のスマホ・ショップでは一枚の画面用カバーが2,000円くらいするものまであります!私にはとてものそんなものにお金を投資する事が出来ません。というのも、通常私はポロポロスマホを落とすので、ちょっとしたことで前回綺麗に張ったカバーに「傷」をつけてしまうのです。

そのために私がやる事はシンプルで、セリアの100円画面カバーを何枚も買っておいて少しでも傷が付けばさっさと替えるというものです。100円ですから何てことない感じで幾らでも「犠牲」にできます。少なくとも自分のスマホは常にピカピカの画面プロテクタに守られています。100円とは言え、ぴったりと自分の機種にマッチしたカバーは全体を綺麗に見せてくれますね。

一枚数百円のシステムだと、画面合わせの時にボックス上のものでスマホ全体をカバーし、手元のところからカバーされているシールを剥ぎ取っていくだけで良いのですが、100円のものだとそこはコツが必要で、画面を徹底的に眼鏡用のクロスで綺麗にした後エア・ダスターで表面の最後の汚れを取り除きます。その後、慎重に気泡を気にしながら張り付けると全く問題なく美しいカバー貼りが出来ます。

その仕上がりを見てそういう事が不慣れな嫁さんは私にいつもお願いしてきます。勿論、無料サービスです。w

2026年8月22日土曜日

他人の運転

バイト先の病院では在宅診療を行う時の移動に専属の運転手さん達を大量に雇っています。

しかし、毎度強い違和感は拭えません。違和感の元は運転手さん達それぞれの運転の特徴。運転の癖としてそれぞれ異なる停止のタイミングや強さ、運転の速度、その他の癖など様々です。

通常こういう運転手の人達というのは何らかの仕事をいったん退職されて人生の余った時間を小遣い稼ぎで何らかの生活の足しとして働いている人が殆ど。近くに住んでいるからという事で、一流企業を退職してから余り時間という感じで数年間働かれている方もいれば、もともとタクシー運転手であったという方も多いという事。

それぞれに強い癖があって、滅茶苦茶慎重な運転の人もいれば、やたらとイラチの人もいる。更にはタクシー運転手時代の癖なのか、指差し運転をする人も中には居ます。実際に接触事故をよく起こす人もいてそういう人は直ぐに馘。また、信号無視を一回でもしたらやはり馘。そういう極端な人は別としても中にはセクハラ発言をする人もいてこういう人も当然馘。w

しかし、そんな極端な人は別としても私が気持ち悪くなるのは右折左折などの時にきちんと止まって歩行者にじりじりじりじりと近づいていくような人や歩行者に舌打ちする人。これ本当にヤバいです。

そして更に嫌なのは対向車が譲ってくれたりした時に相手に「会釈」をしない人の運転。ちょっとしたことですけど、俺的には「あり得ない!」という感じ。病院の名前を車体に刻み込んで走っている車なのにそういうちょっとした事が出来ないのはかなり不味いんじゃないのという事です。

余裕が無いのかな。そういう意味では運転手としての第二の人生もそろそろ終わっていくような時期に来ているのかもしれません…。

運転というのは命の関わった仕事。高齢者ドライバーになる途上でいろいろと失っていく過程を確認する時期なのかも。

2026年8月21日金曜日

形成外科と美容外科

形成外科の苦闘を最初に見たのは大学の最終学年の時でした。

当時、雲仙の火砕流に巻き込まれた人達のレスキューに入局したばかりの形成の先輩が自分の時間を全て患者さん達の治療に充てていたところからは始まりました。みるみる疲労を蓄積させながらもそれこそ必死に患者さん達を診察して実力と自信をつけているのが会話の端々から溢れ出ていました。

それでも患者さん達は次々と敗血症性ショックで亡くなっていく状態。全身火傷も火砕流のような異常な状況での罹災で全身が酷い状態になると本当に救命は極端に困難になることが間接的にも理解出来ました。

そしてレスキュー後はまさに形成外科の標榜する「形成治心」の本領発揮です。火傷に対する何度もの皮膚移植を通じてどんどん綺麗に戻していくような加療が続きます。

その他にも形成の医師は腫瘍摘出後の乳房形成や先天性の形態異常の治療、けがなどの傷跡の治療、褥瘡に対する加療など様々な領域に日々一生懸命仕事されているんですが、これだけの大変な治療能力を持っていても今話題の美容整形の医師にはとてもとても稼ぎでは及びません。大学病院の形成の先生はバイト代入れても1,000万を超えていく程度が普通。アメリカとは全く比較にもなりません。

ところが直美だと数千万がデフォルトで、その後は…という世界。

何をどうだという気もありませんし、人にとっての「やりがい」というのは違うんでしょうが、自分としてはねやっぱりアレですよ。俺や家族がこれからも必要な先生はやっぱり形成外科の先生だけですね。

2026年8月20日木曜日

一週間に何回散歩できるか

何時も自分でセットアップした散歩コースを歩いています。

前にも少し書いたのですが、自分の家からイオンモール長久手までのアップダウンのあるまっすぐな道を歩きます。

アップは46.2mでダウンは41.1mです。トータルの距離は片道あたり約2.5kmでした。勿論、その反対に戻るときはアップダウンの数字は全く反対になりますが、基本的にそれほどきつくはありません。それでもこの暑い時期にこの往復5キロの道を歩き終えると汗びっしょり。

夜間、私の前後で同じ方向や反対方向に歩いていく人々。1人だったり2人だったり、夫婦の様だったり友達同士だったり見える人達。走る人、歩く人、自転車に乗って通り過ぎる人々が私の周りを次々に動いています。夜の闇の中では自分自身の存在を周りに示さないとはねられたりぶつけられたりしかねません。

そこで私の格好はというと基本的に上を明るい色である黄色や白系のTシャツを着て下半身も黒のスパッツを履きますが後ろ側は反射材が付いたものを履きます。更に首には白いタオルを巻いておきます。そして最終的にもう一つの安全装置としてのLEDライトを首にぶら下げた状態で歩き続けます。

正直格好はよくないのですが、撥ねられては折角の散歩の意義も台無しになってしまいますからね!

これを週に一回から二回行うのですが、片道は大体3,000歩で往復で6,000歩くらい。正直大した歩数ではありませんが、自分の健康維持に何とか資してくれないかなと心の片隅で祈っています。

取り敢えず、ポケモンGO用に作ったこのセットアップでこのルートを30キロ以上歩いていますが、まだまだ健康に何か役立っている感はありません。進行する加齢と衰える筋力に抗う小さな小さな抵抗ですが、一体いつまで続けられるのやら。

それでもやるしかありません。



2026年8月19日水曜日

患者さんも選ばれる側

在宅のバイトをしていると昔とは事情が変わってきたなと思います。

一つの病院で大量の患者さんを抱えていると、無理をしてまでトンデモ患者の面倒を我慢してまで見る必要は無いという事が標準的になってきました。

患者さんを家族ともども診る、お世話するというのが在宅診療の基本線ですけれど、病気ではない人でもトンデモない人間がいるのと同様に疾病を持っている人の中にも明らかに実におかしな人間達もたくさんいるのです。まあ、自然な事ですよね。

病院を維持するためにはある一定数以上の患者さんが居て、その人達に昼も夜も対応するためには膨大な数のスタッフが必要です。これは商売でも病院でも一緒だと思いますけど、所謂カスハラにあたるような行為をする患者さんというのが一定の割合で存在します。そういう人達は基本的にいくつかパターンがあるのですが、その中でも最も困るパターンは「自分で決めた薬を要求してくる人達」でしょうか。

データと症状とを診て、その患者さんや補助する家族さんが達成する事が出来る服薬コンプライアンスまで推理しながらどの薬を飲むべきか慎重に決定していきます。医療関係者ではない方が驚くかもしれませんが、患者さん、特に高齢の患者さん達の中には「驚くほど」服薬の手順を守れない人々が居るという事、そして服薬自体を忘れてしまう人、その他にも出した薬を「わざと」服まない人までいるという事は医師にとっては半ば常識です。

その上で服薬の組み立てを行うのですが、そういった考えにはまったく想いが至らず、自分から指示を出してその薬が出ないと判った瞬間に医師側を詰り病院を変えるという人がごくマレに居ります。

そういう時の我々の答えはシンプルで、「では医師と患者の信頼関係が醸成できませんのでこれで訪問診療は終診です」というもの。
時には追い打ちでそういった回答に激怒して「お前のところを訴えてやる」という人までいるのですが、我々はそれまでの経緯をきちんと電子カルテに記載していますので何にも負ける要素がありません。

無論、訴えて頂きたいくらいですけどそういう脅しを吐いた方々で未だかつて実際に訴えてきた患者さんは一人も居りません。^^

理不尽な怒りに身を震わせながらも、なぜそういう事を言われたのかがまた区理解できない可哀そうな方々は、同じような「トラブル」を他の医療機関でも繰り返しながら、次第に己の住む世界を狭くして最後は「そんな人達でも良い」医療機関に引き受けられていくのでした。

医師と患者の関係も所詮は人と人。常識以外の何物もその関係を作り上げる手立てというのは無いのでした。