2026年6月2日火曜日

AIに日記を書かせてみたら…

実は当直の日にいろいろとPythonでプログラムの勉強をして(遊んで?)いる時にAIに日記を書かせたらどんな文章を書くんだろうと思いました。

そこで、2026年の6月2日の日本にいる私の日記を書いてくださいという命令を与えてみるとCoPilotが下のような小説のいろいろな部分を寄せ集めてきたような時系列のつぎはぎのものを一日の時系列を表現する直接的な安易な言葉を段落の文頭に持ってきて時間の流れを表現。

そして、一日の締めにまでもってきたのは日本の好きなどこかの外人が表現するような、これまたどこかから借りてきた翻訳文のような文章でした。w


📘 2026年6月2日 日本についての日記(約1000字)

6月2日。窓を開けると、湿り気を含んだ初夏の空気が流れ込んできた。日本の6月特有の重さと柔らかさが混ざった空気で、街路樹の葉は濃い緑に変わり、昨夜の雨を吸ったアスファルトが黒く光っている。こうした季節の細やかな変化は、日本にいると自然と身体に馴染んでくる。

朝、コンビニへ向かう途中、黄色い帽子の小学生たちが列を作って歩いていた。「おはようございます」と元気に声をかけてくる礼儀正しさに、日本らしい安心感を覚える。コンビニの中は冷房の涼しさとコーヒーの香りが混ざり、棚には抹茶や柑橘の季節商品が並んでいた。日本のコンビニは、季節の移ろいを映す小さな舞台のようだ。

昼過ぎ、街を歩くと風鈴の音が聞こえ、商店街には紫陽花が飾られていた。梅雨入り前なのに、すでに夏の気配が漂っている。紫陽花の青や紫のグラデーションを眺めていると、時間がゆっくり流れていくように感じた。

午後、電車に乗ると車内は静かで、乗客はそれぞれの世界に沈んでいる。大声も雑音もなく、ただ静けさが共有されている。この「静かな公共空間」は、日本の文化を象徴しているように思えた。窓の外の景色を眺めながら、こうした空気が日本の生活を形作っているのだと改めて感じた。

夕方、スーパーに寄ると、色とりどりの弁当が並んでいた。天ぷら、焼き魚、煮物、季節の野菜。日本の食文化の豊かさと、忙しい日でもきちんとした食事ができる環境のありがたさを実感する。

夜、家に戻ると外からカエルの声が聞こえた。雨が近いのだろう。窓を開けると湿った風が入り、遠くで雷のような低い音が響いた。日本の6月は、雨と緑と湿気の匂いが混ざり合う季節だ。鬱陶しさもあるが、自然の音に耳を澄ませていると不思議と心が落ち着く。

今日一日、日本の空気を改めて観察してみて、この国は「静けさ」と「細やかさ」でできているのだと感じた。人の動き、街の音、季節の変化、食べ物。どれも派手ではないが、丁寧で優しく、気づけば心に残る。6月2日は、日本という国の魅力を静かに再確認した一日だった。


必要なら、

  • もっと感情を強めたバージョン
  • 逆に淡々とした記録風バージョン
  • 仕事・旅行・家族などテーマを絞った日記
など、別の書き方でも作れるよ。
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と云うような最後の「余計なお世話」部分までこちらにプロンプトとして投げかけてくる親切設計。

毎度AIの文章を読んで思うのはこのシステムには一定の文体があるという事でしょうか。曰く言い難いのですが、乾いた慇懃無礼さというか受験参考書の各年度の大学入試問題の現代国語の回答欄に書いてある文章のような言い回しとでも言いましょうか?^^

AIが書いた文章を判定していくシステムも幾種類か(考え方を変えて作られた種々のシステム)存在しているようですが、実際には人が書いた文章をAIが書いたものと判定したり、誤判定を起こしやすかったり、様々な特定の回避方法に弱いという特徴があり、まだまだ弱いという所みたいですね。

しかし、より人間らしい文章に近づいていく事は恐らく間違いないでしょう。それでも、紋切り型の文章である判例や研究の文章には絶対的な強さを持つんじゃないかというのが私の勝手な推測です。

俺のブログもそろそろお払い箱かな?いや、とっくに!w

2026年6月1日月曜日

患者さんの家族さんからの言葉

令和に入ってからはますます「人生の最後の形」の選択がある一定の方向に収束してくるように感じます。

それは「無理をして長生きをしない・させない」というものだと感じています。我々のような仕事をしていると、人生の終末期というものをどう考えるのかという事を患者さんや患者さんの御家族と一緒に考えることが頻回になります。

それこそ週に何回もいろいろな患者さんや家族さんと、今後の加療の進行方向に関してどういった事までするのか、そこに至るまでにどういう手段を用いるのか等という事をしつこく納得のいくまでお話をします。

私のほうでは理解力のある方も無い方もどこまで理解できるのかを探りながら絵を描く、たとえ話をする、実例を挙げる等の種々の方法を用いながら、こういう方向性に進んだらこうなる感じになる事が多くなりますし、こちらの方向だとこういう方向になる事もありますというような聞いている人達がイメージし易いように話を進めていく事が大事だと思っています。

今回、そうやって終末期を看取って最期を迎えられたある患者さんの娘さんから受付に呼び出しを受け、心の底からの感謝の言葉を授かりました。

実際に、お亡くなりになるまでの間は多くのドラマの連続で、悩みぬきながら方向性を決めていく過程に寄り添う中で兄弟の中で諍いが起きたり、方針を巡って家族の中で沢山の話し合いがもたれたとの事。最終的には娘さんの今までの苦労をそのほかの御家族がきちんと認めてくれて万全の協力と理解が得られる形で親族全体が一つに団結し、お父さんの最後をみんなで看取られたのでした。

受付の前では10分以上娘さんから感謝の言葉をいただき、この病院を選んで先生に診ていただいたことが私にとっての最良の選択でした、というような過分な言葉を頂き激励していただきました。

私はひたすらどうにも面映ゆいばかりでしたが、娘さんが「御自身で悩みぬいた末に自分で行き着いたお父さんとのお別れの過程」は本当に貴重な時間だったと思うんです。お別れの形を自分で紡ぎ出された娘さんのお手伝いを少しだけ出来たことに誇りを持ちたいと思いました。

明日からも真面目に淡々と仕事をしなければ、と思った自分でした。

2026年5月31日日曜日

もう収穫開始?

今日は9日ぶりに鵜沼の畑に行ってきました。

正直言うと、もう少しだけ雨が降ってくれても良かったのかなという気持ちもありはするのですが、そんな理想的な条件でばかり作物の育成が出来るわけもありません。特に離れている畑でそんな事を考えたところでどうにもなりませんので、いわゆる「お天道様まかせ」というシステムです。^^

本日の関心は前回感じていたジャガイモ収穫のための成長レベル確認でした。葉っぱが枯れていないのにかなり葉は立派に茂っていたので、地面の下の部分も相当元気に栄養を溜め込んでジャガイモが育っているんじゃないかと希望的に推測したわけです。

という訳で、先ずは雑草の処理をしながらジャガイモの様子を見てみると一部においては以下のような感じ。
要するに茎に近いジャガイモの栄養が溜まった根っこの部分がこうやって露出してしまっている部分が何か所かあったのです。何十本も植えていますし、こういう形で露出することもあるだろうなとは思っていましたので特には何とも思わなかったんですが、実際のところお日様に当たって緑っぽくなている部分はソラニンが生成している状態ですから、既に緑になっているようなのはもう無視して、とりあえずもう一回だけ収穫前に他のジャガイモ達に盛り土をして、劣化事故をなるべく減らそうという事で親父さんと一緒に作業をしました。

腰を屈めて必死で雑草取りをして、盛り土を行って来週以降に備えることとしました。実際のところ場所によって成長曲線に大きな差があるので、試し掘りをしつつ2~3週間くらいにわたって収穫することになるものと思われました。
上の写真では「きたあかり」と「男爵」の二種類が混ざっていますが、見分け方は意外と容易で、凹みのある根が出るところに薄紅を引いたような赤い部分があるのがきたあかり、そうでないものが男爵です。(実を言うと師匠に聞きました。w)

さて、この親父さん、全てが終わって家に戻ると既に田植え用の苗を作っている状態。下の写真のように物凄く本格的です。
御本人は「素人のお遊びです」等とご謙遜されるのですが、こんなのが素人の遊びの訳がありません。

この苗をすべて植え終わって収穫すると数百キロでは済まない量の米が収穫できるとの事で、植物のパワー畏るべしです。これを天日干しまでしてコメの味を上げていくとの事。やっぱり素人ではありません。w

帰りがけには多くの自家製根菜類を沢山いただきました。(私自身は宮崎の田舎から百姓をしている親戚が送ってくれたピーマンを手土産に持って行ったのですが、到底マッチング出来ないレベルの差が出ています。まあ、最初から勝とうとは思っていませんが…。)

最終の収穫がいよいよ愉しみになってきました。

2026年5月30日土曜日

子供の減少を検診で強く実感

今日は朝からある保育園の検診に行く日でした。

この日が来ると私はいつも夏の到来を実感するのですが、最近はそんな行事とは関係なしに夏の到来を強制的に実感させられますよね。

さて、病院にいつも依頼されているこの検診。私自身が園長先生に伺ったところによると、前理事長とは大昔から知り合いで、その縁もあっていつも子供さん達の検診を当院に依頼されていたとの事です。今回も私が担当ですが、既に今年で6回目になります。毎年毎年、子供さん達の事をみているのですが、この数年明らかになっている明確な変化に驚きを隠せません。

それは園児の猛烈な減少。

以前は波のように次から次へと嫌がる園児やにっこり笑ってくる園児さん達を見なければならなかったのですが、今回は体感的に半分程の人数で済んでしまったのです。もう一人一緒に行った先生ともその話が話題になるほどの減少ぶりでした。

昨年も「去年よりかは少し体感的に少なめだったかな?」という程度ではあったのですが、今年はあまりにも明確に体感できるレベルの短時間の診察だったので、その減り具合にその事を園長先生に伺う事自体を躊躇ってしまいました。
 
今年も気づいたことは本当に虫歯(齲歯)を持っている子供たちの少ない事。200人の子供たちの中で検診で虫歯を指摘されたのはたったの一人だったという事で、我々昭和の人間達の時代とは本当に真反対ですな。俺たちの頃は1クラスに1人でも虫歯の無い子がいたら表彰されてたのに、今はある子のほうが劇的に少ないという世界。

本当に予防歯科の世界は発達したんだなって思いますけど、大丈夫か?歯医者さん達。

2026年5月29日金曜日

トヨタのEV計画中止のニュース

今、医局においてある唯一の紙媒体の新聞は地元の中日新聞だけです。

というか、よく未だにこんなもんとってるなと思って事務の人間に聞いたら以前この医局にいた「今は亡き御高齢の先生」の為にだけとっていたとの事。要するに紙が配られていただけで誰もずっと読んでいないのです。

その一面にトヨタのEV開発中止みたいな書き方のセンセーショナルな見出しがついていましたが、もちろんOld Mediaの書くことなんて(New Mediaの言ってる事もw)信じていませんので、いろいろなソースやインタビューを探して調べてみたら実態は単なる需要低下に伴う発売の延期のようで、要するに今の(高級車も含む)EV需要低迷期に巨大なリスクとなり得るEV販売を考え直して、来る将来に向けて研究開発は一瞬も緩めないけれども「実売」は一旦差し控えるという事のようです。

正直、無理しなくともトヨタの技術開発力があれば既にバッテリーサイズさえ考慮しなければ、一回の充電で1000キロ走る車を「発表」し、「発売」する事は全く難しい事ではないでしょうけど、共産圏の某国のように国策で電気自動車を作って補助金漬けで販売を拡大し続けて他の国の経済を混乱に陥れるような状況を輸出されてインフラ未整備の状況で電気自動車を受け入れ続けても、確実に販売は低迷し車の充電も危機的状況になることは確実。

MIRAIのようにあちこちで水素をチャージすることが出来ないにもかかわらず、その購入選択を行う愛知周辺の一部のEarly adapter等を除けば、この国では高級車を運転するような標準的な人間が現時点で充電環境に満足して高級EVを購入するとはとても思えません。要するに時未だ至らずというのが現時点での正直な反応なのではないでしょうか。

その意味で、現実的な判断を常に下し続ける商売の鬼であるトヨタが世界に向けて一旦は発売延期を発表したこと自体はまことに妥当な判断だと私は思うんですけど、これからの日本のEV、世界のEVの動向を正確に予測することがどれほど困難なのか、外野にいる私のような人間には本当にわからんですね。

まあ、次もディーゼル・エンジンの車を乗り継ごうと思っているような私にはそもそも無理なんでしょうけども。w