2026年4月14日火曜日

長女がタイから帰ってきました

長女が一週間のタイ滞在から帰ってきました。

食べて食べて食べまくってきたようです。ともかく、長女が漏らした言葉の数々はタイの安全なエリアの広さとトイレの清潔さ、そして何にも増して感じ入ったという食べ物の美味しさに関しては「めっちゃ美味しかった」を百回くらい連発していました。

帰国にあたっては香港のエアラインを使ったそうですが、中国語字幕の映画がメインでちょっと楽しめなかったとのことでした。

持って帰った荷物は大きなスーツケース2つ分ですが、私向けのTシャツ3枚も入っておりまして、その記事の品質はベトナム製のTシャツを上回っておりまして、その上で値段もベトナム製のものよりも安いという小さな衝撃がありました。

娘によるとタイという国、少なくともバンコクではモール、モール、モールの集まりという感じなんだそうです。マップではモールで検索すると300以上出てくるとか言ってましたが…。超高級なお店の集合体もあれば実に庶民的なお店の集まりもあってモールと一言に言っても、アメリカや日本のイオンモールのようなある程度画一的な感じのモールとは趣を異にするようですね。

気候はたしかに暑いのだそうですが、何故かサラッとしていてベタベタしないんだとか。もう一つ娘が気づいたのはタイの人達は体臭が全然しないということなんだそうです。アジア系でもインド人なんかはアメリカに住むインド人の女の子自身が嫌うような強烈な匂いの香りを体に擦りつけてたりしますが、タイではもともと臭くない+おかしな臭いを振りまかないと云うことが効果を見せているのかもしれません。

兎にも角にも、私にとっては高校時代のリッチモンドの友人がバンコクで仕事をしているのを利用して安く旅行をして現地で楽しく安全に旅を楽しんで安全に帰ってきてくれただけで一安心。

長女は早速タイ・ロスになっているようで、以前日本を楽しんでアメリカに帰っていく時に感じたようなジャパン・ロスと同じようなレベルの喪失感を感じたとのことで、また絶対にタイに行きたいと思っているとの事です。

まあ、何れにしても彼女の場合は仕事の関係で世界中あっちこっち行くことになるでしょうから、敢えてお金を使わなくても行かざるを得ないことになるんじゃないでしょうかね?わかりませんが。

タイの隣の国ベトナムに行った私ですが、タイにも行きたくなってきました。^^

2026年4月13日月曜日

ポピュリスト大敗^^

ハンガリーの選挙結果で一日が嬉しくなりました。

長い間ハンガリーを弄んできたポピュリストが遂に大敗を喫して下野することになったというニュースが入ってきたからです。

ポピュリスト達が目の前の群衆にパンをバラ撒き、サーカスを催し、剣闘士を戦わせて民衆をたぶらかせ続ける方策は16年しか持たなかったという事。自分に都合の良いように法律を改正し、数の力に物を言わせて対立相手を抑え続け、一族郎党に蓄財を続けた事が表に出てきました。

言いたい事が自由に言えて、対立相手だろうとお互いに激論を交わせるというのは先人達が長い時間をかけて獲得してきた貴重な権利です。それをポピュリスト達は目先のパンで人を騙しながら少しずつ権利と自由を侵食していくのがどの時代でも常套手段。

21世紀になって人も多くのことを学んできたと思ったんですが、ロシアは言うに及ばず、ハンガリーもアメリカも「気付けばこの体たらく」というレベルまで自由な発言と公正な日常というものが消える事態となっていました。

安全の確保という名で当然の権利を侵害され、大量の頭の悪いセキュリティーの守り手が、国家の安全という大義名分の前にあのエゴの化物である愚かな老人とそのおべっか使い共の指令で同じ国民に暴力を振るっています。

私はハンガリーに二度遊びに行った事がありますが、自由な雰囲気の漂うスマートな人達の住まう素敵な国でした。それが昨日までは、ロシアの肩を持ち不正蓄財をする糞ポピュリスト達が国家の上層部を牛耳るトンデモ・システムの世界で生活していたと言うんですから悲しいもんです。

結局、パンのバラマキと権力による意見の弾圧だけでは国家の経済など操縦できる訳もなく、今回の民衆の大反乱となった訳です。結局いつも言えることは唯一つ。「歴史は繰り返す」ですね。何時でも、どこでも、誰がトップであろうと長期政権は必ず腐敗するというのは歴史の真実ですね。

日本がそうならないと誰が言えますかね?80数年前にはそういう世界のトップを走っていたのは他ならぬ日本でした。 

2026年4月12日日曜日

日本は自転車に乗れる国か?

車を運転していても歩道を歩いていても何時も気になるのは自転車の動き。

NYでは無いというのは納得済みとしても、日本という国には自転車に道を走る権利がありません。(輪権?) どこを走ったら良いのか全くわからない上に、そもそも自転車が安全に走れるエリアは名古屋であれば精々矢田川沿いの自転車専用ロードくらいではないでしょうか?

朝の通勤時間帯に自動車の運転をしていると、スーツのパンツの裾をきちんとバンドで留めて颯爽と走り去っていく自転車を数台見かけますが、正直「危ない」と感じること多々です。誰が悪い訳でもない、自転車も悪くない、車も悪くない。しかし全く自転車と車が走るための道としては整備が追いついていないという感じ。

法整備をして自転車のライダーを青切符や赤キップで取り締まるのは良いけれど、余りにも自転車を一方的に追い詰めてないか?というのが私の感想です。こんな状況だとカオス状態でしか無いと思うんですよね。路上での法解釈も「絶対」のレベルでかなり恣意的に適用されていると思いますが如何でしょうか。

自分自身としては自転車を名古屋では一度も運転していませんが、一つは車が怖いから。原チャリでさえ煽られる危ない街ですので、自転車なんぞ恐ろしくて…。

自転車絡みの事故は確かに沢山起きているし危ない状態にあるのはわかりますが、果たしてこいういう形の「交通システム未整備」のままでの「法整備」は果たして実効性があるんでしょうか???
そもそも一番大切なはずのヘルメット着用が未だに努力義務というところがおかしくないですかね?斯くして法整備で青切符は全国で連発されて毎日大量のお金が懐へ。公安委員会の皆様は懐の資金が潤沢に確保されますます大喜びなのでした。

今回の法整備にあたって俺が心の中で強く思っていることがあります。それは以下の一文。

この法律作った奴は絶対普段使いで自転車乗ってね〜だろ!

2026年4月11日土曜日

デートで豊臣ミュージアムに行ってきました

嫁さんの一言で土曜日のデートが決まりました。

中村公園の中に作られている豊臣ミュージアムに行くことです。「豊臣兄弟! 名古屋中村 大河ドラマ館」というタイトルが作られていますが、要するに今現在進行中のNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」の中村公園における展示場です。

中の人に伺ってみるとどうやら日本に展示場は三箇所あって、他にも確か京都と静岡だったかな?にもあるようです。しかし、この中村というのは豊臣兄弟にとっては生まれ育った場所ですから、ここにミュージアムがあるのは当然というべきかココであるべき。^^
豊国神社もありますし、直ぐ側(公園出口から数十メートル)には加藤清正公の生誕地まであります。

ミュージアムの中にはドラマで使われたセットや衣装、そして登場人物達の相関図、そして歴史の裏話などが淡々と書かれていました。もともと高校の日本史で28点(26点やったかな?)を取ったことの有るくらい記憶力関連が駄目な人間ですから、書かれていることすべてが新鮮でした。そもそも、豊臣秀吉と秀長が中村出身ということも初めて知ったくらいですから。w
ミュージアムの中に居られた解説のお姉さんは物凄くフレンドリーで、このミュージアムを訪れた我々夫婦を信長公の衣装の前に並べて色々なポーズで写真を撮ってくれました。並べてる衣装はすべて実際にドラマの中で使われたものだそうでして、ある役者さんご自身がここを訪れた時に自分の劇中の衣装を懐かしくなって思わず触ったら注意されたと笑っておられました。
外に出る前の回廊には出演された役者の皆さんのサインがバリバリに飾ってあったのですが、そこだけは写真撮影禁止でした。

そこを抜けるとお土産コーナー。ちゃんと豊臣兄弟のドラマに合わせて色々と売っていたのですが、私は嫁さんに秀吉の金文字のTシャツと信長公のメタルのブック箋を買ってもらいました。

そこを出て中村の豊国参道を歩きながら大鳥居に戻る道すがら、三枚の大武将のマンホール蓋の写真を撮ったり、有名な孝和堂の和菓子を「初めて」買ったりしながら家へ帰りました。藤が丘に着いた後はFreshnessBurgerでハンバーガーを頬張りながらビールを飲んで昼から大満足でした。

今日のデートは当初予想していた以上に充実しておりました!一人のキャンプもいいけれど、嫁さんと二人きりのデートも(たまには)なかなか良いですな。

2026年4月10日金曜日

農業を小規模な事業として行う事はできるか?

この前から実際に岐阜の畑を借りて農作業を始めていますが、この農作業という行為をどこまでどうしようかとついつい考えることが増えています。

実際には知り合いの仕事リタイア後のお父さんが、トンデモなくあれこれと手を尽くして土作りをしてくださっているおかげで私は手植えをするだけですし、日常レベルでの畑の観察はそのお父さんが時間にあかせて畑の視察をしてくださっているおかげで、「今おいで」とか「今日来てもぬかるみにハマるだけで意味がない」とか指示を出してくれています。

そういう意味では私がやっているのはまだまだお遊びです。実際には100〜300㎡の土地を借りて、それを販売したりして初めて農業の事業者ということの第一歩。そのうえで、それを毎年繰り返さないことには農業事業者とは認定されないようです。

どうせやるからには小銭を作りたいなと思わない訳ではないんですが、その理由は自分の農業が次の農業の資金を生み出すようなシステムにしておかないとモチベーションが保てないようなことにならんかな?というお話。

お金というのは実際に借畑をしてそこに肥料を使って土を作り、種やツルを仕込んで水を使って雑草を処理して…という何段階ものステップを踏んで作物を収穫して、それを市場やJAに持ち込んで売って初めて金になるという「気の遠くなるような」先の話ですし、一年目から何もかも上手くいくと思うこと自体がほぼ無理筋のドリーム。

なんとかかんとか「ナニカ」を収穫してみるという瞬間を味わうことが最初の二年間くらいの目標だと思っています。

実は後輩の医師に軽井沢付近でワイナリーを作ってワインを売り出し始めている人物がいるのですが、その話を見ているとそれはそれは長いストーリー。十年なんてレベルの仕込みではありませんし、始終東京と軽井沢の間を往復しているような状況。結局は手間暇を掛けることが成功の基本ということがよく理解できます。

これからの数年、あれやこれやと試行錯誤を繰り返しながら自分がどれほど畑仕事に向いているのかいないのか、見極めていきたいと思います。