2026年7月5日日曜日

やっぱり「ニワカ」ファン

やっぱり俺はスポーツにおいてはラリーに対して以外は他のどんなスポーツに対しても所詮「俄か」ファンだと思います。

今回のワールド・カップ・サッカーに限らずカレッジ・バスケも、ラグビーもWBCを観ていても、そして日本の大躍進している卓球を観ていても日本というチームが負けた瞬間に、そして自分の贔屓にしているチームが負けた瞬間にその時期に行われている一連のトーナメントに興味を失ってしまいます。

「俄か」という言葉の語源は歴史的仮名遣いで 「にはか」 と書く古語で、既に平安時代の文献には登場しているんだそうですが、大変古く、かつ語源はこれ一本と一つに特定することは出来ないようです。一番「らしい」のは「にひ(新)」から分化した語として、新しい状態が急に現れるというところから「急に」「突然」へ意味が発展して急に、急のその場・その時)という感じの意味を持ち始めたんでしょうね。

という訳で、上のように何に対しても(ラリー以外は)俄かファンなんです。WRCはもう40年近く追っていて、ふるーい、ふるーいラリー選手から新しい選手までよく知っているつもりですし、選手のみならず、車の歴史、その栄枯盛衰、チームの変化なども頭の中にギッチリ詰まっています。^^

大学時代から自分が競技者としてラリーをやっていたので、その時の興奮の記憶というのが忘れられないというのが大きいのですが、道具を使って正確に速く道を飛ばし競技で順位をつけるというのは男にとってはなかなか素晴らしい世界です。ラリーは男が「パンツをはいて出来る最高のスポーツ」等と言う人がいますが、実は私もそれには大いに同意しております。

ちょい脱線しましたが、私のような人間は所詮多くの他のスポーツにおいてはその場でワイワイ言って日本という自分の母国とか日本の代表選手とかを応援したいというだけの人なんでしょう。俄か一直線。

まあ、私自身は日本人のテレビの前の応援団というのは半分はそんな人達だろうと推測しています。

2026年7月4日土曜日

アメリカ建国250周年!

すごい事です。アメリカ建国250周年。

いろいろ見てみると、1776年7月2日に議会で採択され、翌々日までに修正が施された最終の宣言文が公文書として日付が刻まれたことでこの日が独立記念日となったようです。

一年後の7月4日には初の記念日が催されており、新国家としての強力なアメリカのモーターが正式に回りだしたのでした。この宣言文は実際はペンシルベニアで市民に公開されたわけですが、実に残念なことにペンシルベニアはあのトランプが卒業したU-Pennの存在する大学。

U-Penn自体は素晴らしい大学として名を馳せていますし、輩の出たWharton校は更に有名。しかし、大学で人を変える事が出来ない事の一例がまさにこの一例ですね。残念ですが、結局この250周年を祝う中心人物がこの残念マンになっているところにアメリカの悲劇があります。

私が小学生の頃、アメリカ建国200周年を祝う切手を親父がアメリカから届いた郵便物から剥がして持って帰ってくれたことを未だに覚えています。テレビでもアメリカ建国200周年を祝う番組がいくつも特集されていたと思うのですが、私が視たのはほんのちょっと。なんだかアメリカでは賑やかにやってるなというのが幼い私の印象でした。当時の大統領は調べてみるとじゃラルド・フォードだったんですね。(ニクソンがあの事件で丁度二年前に辞任しておりましたので、副大統領がそのまま昇格というパターン)

近代国家としての歴史は十分に長く、多くの大学の医学部も200年前後の歴史があり、近代に限ればアメリカとは近代科学や工業文明の力ではなかなか敵わない歴史があります。次の御祝いの時には私などは確実にこの世に存在しない訳ですが、娘や息子達は恐らく余裕で300周年記念を見ることになる訳です。

人類が50年後も無事に生きていたらという事が前提になりますが、これからの50年はアメリカがどういう国に変わっていくのか、大変興味があります。まさかトランプ以上のトンデモ大統領や内乱による国家の動揺等が出現しなければ良いのですが。

娘達が戻りたいと思うようなアメリカであって欲しいと心より願います。

2026年7月3日金曜日

外国人犯罪者

最近、国会でさえ取り上げられる外国人犯罪者の話。

トクリュウの話と絡んで、まさに「国境なき犯罪者達」が国境線など全く関係なくいろいろな方法で金を搔き集めるシステムを全世界で構築するわけですから、人種も年齢もすべてを超えて騙し騙されの世界。

特にその金を集める方法が多種多様で、千差万別のやり方で金を振り込ませる方法から実際にいろいろなモノを現地にいる人間に盗ませてそれをこれまたいろいろな方法、手段で換金させてはどこかの(特にどこかの発展途上国の国境地帯に多い印象)集約地点に金を送り込ませてマネー・ロンダリング。

悪い奴というのは法を無視したり搔い潜ったりして悪い事で金を集めることに全力を注ぎますので、法を守っている側は基本的にそういうアウトロー共の攻撃に対しては圧倒的に不利な立場にありますよね。認知能力の衰えた人や善意への付け込みなどこの手の犯罪者共にとっては良心というものがありませんからまさにお手のもの。捕まえたら厳罰に処すのは当然ですが、問題はそんな末端の連中を捕まえても頭は残ったままで、幾らでも犯罪が継続的に再生されてしまう訳です。

そんな中で、日本で悪目立ちしているのがベトナム人による犯罪。名古屋というのは日本で最大のベトナム人コミュニティであることはこのブログにも書いてきましたが、その犯罪における悪目立ち具合は正直酷いレベル。

友人のベトナム人達も「勘弁して欲しい」と言っている人達が多いのです。

2025年度末で681,100人(前年比 +46,739!)も日本国内にベトナム人がいれば悪い奴も人口にある程度比例しているのが必定なのが普通。勿論どの国の人間かで人口当たりの犯罪者の比率は相当変わるとは思いますけど…。恐らく諸外国における日本人の犯罪比率なんて極端に低いと思いますが。

これらベトナム人による犯罪で多いのは技能留学生の弱みに付け込んだ「ハノイ界隈の連中」によるものが多いんだという話です。技能留学生としてやって来るまでに多額の金がかかって、それを返させるために犯罪に引きずり込んだりという事も多いらしく、円安による二次的な影響が祖国に金を送り返せない、金を都合してくれた組織の連中に金を返せないという事で悪い事に引き込まれるというパターンも多いようです。

勿論、何があろうと犯罪に手を染めるという事に言い訳はない訳ですが!
自動車盗を始めとして電線盗やエアコンのラジエータ盗、側溝の蓋を盗むなどもあって「お前ら一体何やってんの?」という感じしかありません。

これらのニュースは当然本国ベトナムでもニュースになっているのだそうで、特に殺人が絡んだり傷害事件に絡んだりした時などは特に結構な報道対象となっているようですが、細かい事件までは報道されていない様子。こういう事で真面目に働いている残りの同国人達が迷惑を被るのは本当に彼らもやり切れないと思うんですけどね。

外国人というのは目立つもの、そして大きく報道されやすいもの。こんな事で排外主義者を喜ばせてどうするねんという話でした。

2026年7月2日木曜日

どんな美人でもゴミ屋敷に住んでいることがある

この20年はゴミ屋敷のお話が結構世の中に存在するリアルな社会問題として話題になっていますよね。

私の勤める病院でもとんでもないゴミ屋敷、ウンコ塗れの屋敷などから役所以来で救出されてくる患者さんが居ます。病院に来る時にはまずヘルパーさんや担当看護師さんから直ぐにお風呂に入れられて体を徹底的に綺麗にすることからすべてが始まります。同時に持ち込まれた服などは糞便塗れの事も多いので、それらを綺麗にしてあげることも日常生活を普通に戻すための大切な過程なんです。

さて、このゴミ屋敷に住む人達なんですが、ゴミ屋敷を作るという行為は別に普通の生活を送る方々が想像するような髭を生やして汚い服を着て、酒に飲まれているオッサン風の人達だけの専売特許ではありません。

一見すると滅茶苦茶に清潔な感じを与える美しい人でも「ふつうに」ゴミ屋敷に住んでいるというのが不思議なところ。職業や性別、収入なんかも全く関係なくそういう人達は発生してきます。実はコレらの人々は精神科医の間では精神疾患として取り扱われているんですね。
精神科臨床の現場では複数の精神症状が重なった結果として現れる生活機能障害と捉えられているのが実態です。

そもそも生活空間の荒廃が起きてくるのはうつ病、ADHD、統合失調症、認知症などで出てくる実行機能の低下考えられておりまして、片付けの段取りが組めない、優先順位がつけられない、行動開始ができないという表現型とみなされています。それには意欲低下 や強迫性障害(OCD)=物を捨てることへの強い不安、判断不能、確認行動も関与していて、不安障害、PTSD も絡まった不安・回避行動 のように、片付けを始めると不安が強くなるため、行動そのものを避けるというような行為の積み重ねの最終的な表現型がゴミ屋敷だと考えられているんですね。

要するにゴミ屋敷化は「怠け」ではなく、脳の機能低下や不安の結果として起こる医学的な現象というのが今の精神医学の考え方なんです。

更に若年層では過重労働・学業・人間関係のストレスのために生活スキルがまだ十分に確立していない、一人暮らしでサポートが少ない、メンタル不調自身への自覚が乏しいという事などが複合要因として存在し、最終的には「片付けられない自分への羞恥心 」が目の前に存在するゴミ屋敷の出現に対する問題解決に対する相談を避けるという状況に陥ってしまって、気づかないままに自分が生きている日常の生活空間が自壊し、とんでもない生活環境が更に精神状態を悪化させるという悪循環に陥るという話。

このループは、本人の意思や努力では断ち切れないことが多いのが特徴で、片付けようとしても身体が動かない、捨てることに強い不安を感じる、風呂・キッチンなどが使えず、生活空間が機能しない、不衛生環境で健康被害が出ている、社会生活(仕事・学業)が破綻し始めている等が重なっていたら疾患の容態に応じて抗うつ薬・抗不安薬・認知行動療法・強迫症治療などが早急に導入されるべきだと考えられています。

要するに当事者の自覚が乏しいまま進行するのがこのゴミ屋敷出現の経過。ゴミ屋敷化は「片付けの問題」ではなくて脳の機能・精神状態・生活環境の複合的な破綻として理解すべき現象だというのが本質的なポイント。

テレビに出てきて笑いながらゴミ屋敷を公開する恥を売り物にする芸能人達がごく普通に居ますが、画面に映されているゴミ屋敷の住人たちは実のところ治療対象の方達なのです。

今日こういう記事を書いたのは、最近ネットで公開されたあるアイドル女性のとんでもないゴミ屋敷に関する記事を見たからで、思わずこういう雑文を書いてしまいました。

2026年7月1日水曜日

200万カウント

つい2日ほど前ですが200万カウントを数えました。

最初の100万カウントが15年。そしてこの記事を書くまでが4年ですからカウントの100万カウントを弾き出すまでの速度は四倍になった事になります。
2007年に最初の記事を書き始めたのはまさに日記。しかし、今も昔も誰にも関係ないどうでも良い事をだらだらと書き連ねるスタイルはガチで変わらず。まあ、そもそも「よしなしごと」を書き連ねる日記として書き始めた訳ですからそれでいいんですけどね。

いつも向田邦子のような「天才・名人」レベルのエッセイストであれば、もっと肩の力が抜けたような軽いタッチの洒脱な文章で人の脳を心から喜ばせるようなものが出来るのでしょうが、そういう才能というモノとは一切縁が無いのです。ああいった文章は洒脱に見えても異様に集中して書いているのかもしれませんが、それでもあの方の文章は筆達者と呼ぶのを憚られるほどの名文を生涯にわたって生み続けた訳ですから、本当に天才の部類ですよ。

それにしても、自分で書いていていていつも感じるのは「文才無いな~」という感覚。私の文章は高校の時に英語長文を添削してくれた教師から「君の文章は文法は間違ってはいないけど全体的に硬いんよ」と言われたことがあります。勿論、慣れない英文での文章ですから間違わないように書くという感じで文章全体が硬くなっていたのかもという推測もできますが、基本的に私自身が考える自分の得意な文章は論文の書き込みや他人の書いた文章の添削、それと種々の公的文章等であって「溢れ出す才能がどうしようもなく文体に滲み出る」という感じの天衣無縫感は当然のようにゼロです。皆無。w

いつも何を書こうかな?という所に一番時間がかかっていて、下手をするとここに数時間かかるような事もあります。勿論、その日の朝にさて今日の夜には何を書こうと考えて、結局何も思いつかずに数時間グダグダというパターンも多いのですが、何を書くかという事が決まってしまえば毎回20分程度で通常のブログは完成するんですけど、完成度は御覧の通り。orz

しかも、書いた後はチラリと見返すだけでてにをはをちょっと治す程度の事もせずに疲れて寝てしまうという事も多いので、後になって読み直すと思わず「うわー」というような間違いが見つかったりしていつも頭を抱える私です。しかし、まあ生まれ持ってこのかたのスタイルというモノは勉強でもせん限りは無理でしょうな。

綴り方教室というものにでも通ってみますかな?可塑性は無さそうですが。