2026年3月2日月曜日

イスラエルの友人曰く

トランプの指示したイラン攻撃、遂に始まりましたね。

核問題に関する交渉が合意に達する見込みが全く見えてこない感じがニュースから伝わってきていたので、個人的には「アメリカやる気やな〜」というくらいの気持ちで、私自身はその発動を待っていました。実際には爺さんがスタートの宣言をしたのがマー・ア・ラーゴで政治資金パーティーを開いた直後と言われています。

私の疑問はこの爺さんは戦争は嫌いだと言っているのにやたらと好戦的なこと。従軍経験のない輩はそのあげた拳の行方がどこに降ろされるのかということを全く理解できない様で、プーチンの愚かさそのものをアメリカ版でコピーした様な印象です。

ロシアにしても中国にしてもこの爺さんがいつも言ってる事とは反対にこれほどまでに好戦的なのはビビっているんじゃないでしょうか。そもそも、アメリカの制服組トップはイランとの開戦というのは避けたがっていることがビンビン伝わってきていました。そもそもウクライナの対ロシア戦での武器弾薬供給で相当に色々なものがタイトになっている段階でもう一段の開戦とか?

今回の開戦でイスラエルも共同戦線を張っていますから反撃を受けているんですが、ビンヤミナに住んでいる友人に安否確認のメールを送ると即返事。曰く「アメリカが我々を助けてくれるのをイスラエルも助ける」という認識の様です。既にイスラエルはヒズボラとも2年半もの戦争状態であることを気違いじみているという風に指弾していますが、あの国は良からぬ隣人に囲まれていますから戦闘行為が国の宿痾になっていますね。

写真も添付されてきていて地中海に面したその美しいビルからの眺めは一隻の貨物船もいない港を映し出していました。
戦争が日常である国家は常にハリネズミの様に注意深い生活を送ることが必須。平和ボケという呼び名がつけられる状況でいられるというのは実にレアで幸せな世界であることを実感させてくれます。

今回の開戦は短期終結で済むと思っているんでしょうか?米国民からNOを突きつけられて政権がレームダック化するのが早まった様な気がします。どの戦争であろうとも開戦は高揚とと共に始まり疲労と悲劇の後にその扉を閉めるものです。

2026年3月1日日曜日

車の安全性の進歩

最近、キャンプ用にジムニー良いよね〜便利そう〜!と云う感じでネットを眺めていることが多くなっています。

結局、ウィンドウ・ショッピングのみで終わるのが常なんですが、車のような大きな金額のものを買うなんて言うことは安易な気持ちでは到底出来ません。永遠にカネを払い続けるようなトヨタの残クレのような恐ろしい収奪システムなんていうのは間違っても使ってはいけないし!

そん中で、いつも考えるのは乗っている車の安全性に関することですね。本当にこれが保証されないことにはどんな車のかっこよさもその輝きは大きく薄れ鈍ってしまいます。速くてもカッコよくても、エレガントでも答えは一緒。ダサい車でも能動的、受動的安全性が高いものがあれば少々高くてもその車を選ぶと言うのが私の哲学です。

そういう意味で最初に挙げたジムニーなんかは素晴らしい車だけど、ぶつけられた時という「受動的安全性」と云う意味ではたいへん心もとない感じがします。そもそも軽ですからぶつけられた時にグシャリといけば一巻の終わりです。だからこそウインドウ・ショッピングの息を出ないままでずっと見つめるわけです。

そんなこんなでいろいろなサイトを巡りここ10年で格段に進歩した衝突回避性能というものを見ていた時に法務省のHPに1970年代からの交通事故死亡者数の推移というのが載っていました

そして別の人のYouTubeでは以下のような統計画像も!
これらを見てよく解るのは一般的な傾向として年々歳々減っていく交通事故の一人事故死者の数。驚くほどの減少を見せていると言って良いのではないでしょうか。そのなかでも、印象的なのは2000年頃までの一貫して多い北海道での死亡事故者数。恐らくは見晴らしが良いからこそ起こるスピードの出しすぎとその結果としての死亡事故ではないでしょうか。

21世紀に入って一旦は減少傾向を見せるも、再び交通事故大国愛知と競り合っているのを見るとウーンという感じしか持てません。何れにしても良いことは年が経つごとに事故数も死亡者数も減っていっていること。その変化は驚くほどです。

結局、これらの結果が出てきているのは車が事故を起こさない仕組み、そして万一起こしたとしても中の人は守られる仕組みの発達ということでしょうね。ではこれをゼロにさせるには?と考えるのですが、バイクと人が路上を使っている限りはそれらがゼロになるのはまだまだ先じゃないのかなとも思うんですよね。

それでも、安全装置の発達している車を動かす限りは車が関与した死亡事故というのはぐんぐん減っていくものと思います。そして、安全な車と認定されたもの以外は高額な保険料を払わなければならなくなるようになれば、その事故率も更に下がってくれるのでしょう。

10年後の数値を見たいなと思うのでした。

2026年2月28日土曜日

弟の四十九日

早いもので今日で弟が亡くなってから49日を数えることとなりました。

心のなかでは弟のことが日々出てきますが、宗教的な行事は私も親父も無縁です。何度も言いますが、有り難くもなければ功徳もないようなレクサス乗りの糞坊主などに金などは一円も出す気はありません。

あの日起きた突然の悲しい出来事は私が死ぬまで忘れることはないでしょう。それでも、あの日以来実際には弟は私の胸の中でより身近なものになりました。触覚、聴覚、視覚、嗅覚等の記憶の中で蘇る弟の感覚を覚えているのは間違いなく私の両親と私だけでしょう。

弟の存在というのは恐らく私が死んでいくことでこの世の中からは「かなり」忘れられたものとなると思いますが、それでも良いと思います。みんな順番にそうやって他人の記憶の中から次第に消えていき、語られなくなり本当に魂は昇天するのでしょう。

今回の49日の前日に親父からLINEで「明日はXXの49日やけど、わかっとるか」というよいうな話がありましたが、もちろんわかっておりましたよ!^^

ただ、今回親父からやっぱりというか気になっていたんだなと思われることが語られました。それは今回の弟の死を認知症の母親に伝えるべきか否かということでした。私は即座に当初の決意を親父に伝え「伝えないほうが良い」ということを繰り返しました。そもそも、会わせるのなら死に目に会わせるべきで、今回の弟の死でそれをしなかった理由は以前にも書いたように母の心を乱さず、会うのなら共にこの世を旅立ってでも間に合うということ。

基本的に老いた母親の心を「再び」乱すのは止めよう!という事で手短に合意してLINEでの会話を終えました。

弟のことを想い写真の前で手を合わせている時にはそう強い感情は出なかったのですが、「弟」という血の繋がった直近の身内の喪失は「ふとした時」にこそ、己の血を分けた片割れの存在がこの世からは消えたことを思い出させます。

そしてその瞬間に熱いものが胸に込み上げてくるのでした。止めようもありません。

2026年2月27日金曜日

精神科治療の「常識」の変化

勉強をしないとどうしようもなく取り残されていくばかりか、裁判で負けるような結果になりかねないのが今の時代の医療です。

私が学生だった頃の常識は今の時代の非常識なんていうのはそれこそ枚挙に暇もない程で、医療技術はもちろん看護技術などの常識も年々歳々変わり続けた結果、卒後35年の間に病院の中で行われる治療の多くが全くの様変わり状態です。

私はいま内科医ですが、同じ病院の中で行われている精神科領域の治療もものすごい進歩を遂げていて「昔の診断で昔の治療薬で治療された患者さん」と「同じように見える疾患でも今の薬で加療された今の患者さん」では社会復帰のレベルが全く違います。

30年前だったら「これは難しいか」と思われたような激しい症状を見せる精神疾患の患者さんも、正しい診断と正しい加療さえ行われれば、昔以上に素晴らしくちゃんとした治療結果を見せる時代となってきました。

いわゆる昔の向精神薬等で治療されてひどい錐体外路症状で廃人のようになってしまっている人が大勢居て、その患者さん達が長期入院という時代が長く続いてきました。ところが、最近は長期的なトレンドとしてそのような副作用で仕上げられたような患者さんは幸いなことに本当に減ってきて、良い感じで社会復帰が出来るようになってきてるのです。

内科医の私から見ると精神疾患であっても、何らかの分子の問題があってその異常なシグナルの部分に対する精巧な拮抗薬や刺激薬等を使うことで症状の改善を目指すことが出来るはずと考えるわけですが、製薬会社が投じた巨額の資金と世界中の研究者達の必死の研究の結果が時代を動かしました。

その結果が実際に日本の多くの病院で結果を見せ始めています。

厚労省の方針として精神科の患者さんの入院の長期化を少しでも減らしたいという明確な方向性があるため、保険点数上も入院制度上も長期入院を厳しく厳しく減らす方向に向かっている上に、上に書いたように治療薬の質も大幅に改善していることもあって入院患者さん、特に長期の入院患者さんは劇的に減っていくことでしょう。これはいろいろな意味で大変に良いことで、困るのは空き病床の出来る精神科病棟のみという状況。

長期の入院は今でも一部残る種々の治療を試してもなかなか治らない難治性の方だけという時代がやってきています。これから2040年代くらいまでは激増していく認知症の患者さんの入った病棟に置き換えられていく事は必然でしょうね。

毎年縮小していく日本の人口の動態の一部が精神科の病棟の現実にも大きく反映されていく時代が実際に目の前で起きている日々です。

2026年2月26日木曜日

写真、動画の保存の悩み

私のiPhoneのサイズはメモリがいつも最小のものです。

理由は比較的シンプルで、貯まってきた写真と動画のデータはいつもクラウドに上げて古いものから削っていくからデカい容量は要らんよね〜と云う理屈。

幾らでも写真や動画を撮る時代になってきて、ちょっと気を抜くとすぐにギガ単位で容量が減っていくのでいつでもクラウドに上げ続けるということを気にしています。こういう保存システムというのは勿論のこと冗長性が大事なんで、冗長X2という事でアマゾンとGoogleに全く同じものをそれぞれストックしています。

それでも、デジタル時代に移行してからのHDに貯めてある非クラウド・データもまだまだ沢山ありますので、それらの移行も今後大事な仕事になりますね。それでも、何時それを始めるかというのがあるんですが、私はそこの取っ掛かりがいつも遅い。やればサッサと出来るだろうにやらないのはやっぱりダメ人間なんでしょうね。仕事できる畏友はそういう事を遅滞なく実行できますから、それの積み重ねが人としての差になっているんだと思います。

さて、クラウドはクラウドで良いんですが本当はSSDやHD、SDカードなんかがもっと信頼できるメディアならそっちのメディアで分割コピーを持っておくというのが個人的には好きなんですが、M-Discと云うメディア以外はほぼ壊滅的な部分を持っているのでなかなか安心できないのです。でも結局は追加のお金を払ってでも、デジタル・データはクラウドに分散させておくのが安心だというのが私の結論。

私が小さな頃の写真は完璧なアナログ・メディアですが、実際ネガ・フィルムとともにリアルなピンボケ写真は無くなることなく大量に残っていますので、保存の安心感という意味では洪水で流されるか火事にでもならない限りはかえって安心なのはこういうアナログ・メディアですもんね。

何度でも思うんですけど、我々の存在記憶というのは意外とデジタルの時代の分から喪失していくのかもしれませんね。