2023年12月1日金曜日

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こんな事があっていいものかと思う事が世の中にはあります。

私自身であれば自分が開心術を受けなければならない状況に陥った42歳の厄年の瞬間でした。そんな事は誰にも起きて欲しいとは思わないようなインシデントですが、実際には誰にでも起きる可能性はあります。

事故、怪我、病気それが自分だけだとしても何種類もの「出来事」が起こりうるわけですし、年齢があがればあがるほどどうしても起き易くなり始める要素がある類の出来事です。そもそもそれが若者に起きるのはあって欲しくないし、可能であれば身近では起きて欲しくも無いものです。

昨日、廊下を歩いている時に久しく見ていなかった青年看護師が私に向かって手を振っているのに気がつきました。本当に久し振り。今の時期は彼は病院外の研修施設で次のプロモーションに向けて資格取得に向けて頑張っている筈でした。能力も人望もあり、確実に将来の病院で看護部を背負っていくであろう人材とおもっている人材です。

その彼が私に近づいてきて言いました。「先生、ちょっとお時間頂けませんか…」。明らかに顔色が優れません。内心どうしたのかと心配しながらも彼に冗談を言って言葉を返したりしたのですが、それでも元気が無い。

実は…と言って彼が話し始めたのはもしかすると珍しい癌になってしまったかもしれないとの話でした。

具体的な病状を彼から聞いてグッと来てしまいましたが、それでもまだまだこれから先の可能性は幾らでもポジティブなものだと思える状況です。肩を落として涙ぐむ彼を見ていると本当に自分の息子を見ているようなもの。己が1/1000程度の確率でかかった僧帽弁の腱索断裂というしっぺうに比べると彼の疾病は1/100000のエチオロジー。

まさに彼の親の年齢に当たる私としてはクソッタレ!と叫びたい気持ちでした。

「若い者に試練は必要かもしれません、それでも必要以上の試練を与える必要は無いよ」と神様仏様に言いたいです。

それでも彼の事。きっと全ての試練を乗り越えて笑顔で戻って来てくれると心の底から信じている自分がいます。別れ際には彼が笑顔を見せてくれたのがその証拠になってくれるでしょう。

2023年11月30日木曜日

外で先生と呼ばれるとドキッとする

近所のモールに息子と二人で出かけた折にエスカレータに乗っていると誰かが後ろのほうから甲高い声でセンセ~と呼んでいる声がしました。

ほとんどエスカレーターを上り終えたあたりだったのですが、息子と二人手を繋いで何か息子に合う冬服でも無いかいな~という感じであちらへフラフラ、こちらへフラフラと探索していた時でしたので、突然の先生コールを理解するのには一秒ほど間が空いてしまいましたが、どこかで聞き覚えのある声でした。

もしやU主任?と思って後ろを振り返ると案の定Uさん。ニコニコと笑いながら「やっぱり先生だったんだ!」との第一声。後ろ姿だけでも判るもんかいなと思っていたら、Uさん曰く「最初は息子さんのバックパックに可愛いお菓子のキーホルダーとかが一杯ついているし、可愛いなと思っていたらヘルプ・マークも見えたので(あ、だから手を繋いでいるんだ)と思ったんです。だけど、その繋いでる相手を見たら(これ先生じゃん!?)とわかったんで、声掛けしてみたんです」とのこと。

一年ほど前にもU主任には「先生、スマホ持ちながら長久手のほうをスタスタ歩いてたでしょう!」と、走る車の中から家族ぐるみで見つめられていたとのことで、思わず「ポケモンしてた」と正直に話してしまいました。w

何だか生活圏が被っている病院の人達からは時々姿を見られている私なんですが、放射線技師さんからも、精神科の先生からも意外な場所で見られていて、それがパン屋だったり、本屋だったりしているので悪い事は出来んもんです。^^

そもそも500人以上も居る病院の種々の職員。名古屋の多くのエリアに散って生活していますし、病院内の制服と違って当然私服で生活していますから、マジマと顔を見るまでそれがいつもの職員さんと判らないことも多々あるのでした。

それにしても外で「先生」と呼ばれるのは何だか身が竦む思いです。成人の男性同士で手を繋いで地下鉄でも栄でもいつも仲良く二人で歩いていますので、もしかして歳の差ゲイ・カップルとか思われてるのかな~等とふと考えることもあるのですが、息子のハッピーな顔を見ていると正直「どう思われようと、どうでも良いこった」とおもって、思い切り手を振りながら二人でどこでも歩くのでした。^^


2023年11月29日水曜日

人生最後の過ごし方が変わってきた

日本に帰国してはや八年が過ぎようとしています。

私の様な臨床経験が少ない人間にとっても平成から令和への移行は現場における様々な変化を感じることが出来ます。十年一昔という期間に少しだけ欠ける長さではありますが、この間の変化は「充分」という長さだと改めて思います。

一番の変化は人生のエンディングに関するdecision makingの中身の変化でしょう。

特に高齢者が入院して来た時に、高齢の患者さん御自身が独り身の方であればその方自身に伺う事となる「万一の場合の救命措置や栄養補給等の有り方」についての選択を入院の時点でお伺いすることになっているのですが、最初の頃は心臓マッサージや人工呼吸器の装着、胃瘻の造設などを求める方が沢山おられました、また、医師の判断に任せるという選択肢を選ぶ方も患者さんや御親族を含めて大変多かったのですが、今ではすっかりそのような選択肢をされる方々は珍しくなりました。

患者さんの御意見の場合でも、御家族の御意見の場合でも、最近それに代わってきたのは「無理な延命は止めてください。その代わりなるべく苦しみの少ないように安らかな人生の終わりを」というものです。

言葉の枝葉末節は其々の方々で表現が異なりますが、ほぼ言いたいことは皆同じで大同小異という感じです。

緩和ケアも含めて癌やCOPDの末期の方々の人生の終わりの迎え方を何度も何度も経験するうちに私自身も学ぶ事が沢山ありました。私は基本的に世俗的な仏教徒だと自分では思っていますし、詫び寂びというものも理解しようと常に心がけていますが、その本質的な「実体」が眼の前の旅立つ人の中に見えてきている気がします。

人生の終盤で「持っていても儚いだけ」と思えるものが増えるにつれ、様々な欲が体と心から剥がれ落ちていって、最後には身一つでサラリとあの世へ旅立つ心の準備ができる人が増えているのかもしれません。

昭和が終わり、バブルに塗れた平成が遠くなるにつれてますます日本人の選択肢はこのような方向に収束してきているのではないかとふと思うのでした。

2023年11月28日火曜日

更に厳しくなる病院経営

これから更に病院経営が厳しくなっていく事はほぼ確定的です。

今回、財務省の諮問機関である財政制度等審議会の分科会で診療所(ベッド数が20床未満)がサービスの対価として受ける診療報酬が「極めて良好な経営状況を踏まえ(医師らの人件費にあたる)報酬本体をマイナス改定にすることが適当」と提言していますが、ビックリするの今回のデータ・ベースがコロナ前の医療収入と、補助金によってグワッと底上げされた医療収入とを比較して12%の伸びを示した一方で、医薬品や機器貸借料などの費用の伸びは6.5%だったので、その余剰金がある分をマイナス改定に持ち込むという乱暴な議論。

まあ、何とも官僚らしいインチキ満艦飾の強引な数字付けです。まさに恣意的統計解析というやつで、数字に弱い、官僚の意見に何の見識も持てない増税眼鏡オジサンらしい押されっ放しの発表となっています。

こういう特異な時期の特異な数字の変化を以てこれからの日本の医療費の大幅削減を求めていくのであれば、当然医療の質自体は「自然にかつ絶対的に」下げざるを得ないでしょう。

国民皆保険というシステムの中で日本人は恐ろしい程の高度な医療を実に安価に手軽にうけていますが、海外で日本の現在の医療水準と同じレベルのサービスを提供されるにはどれ程の金を使わなければいけないか日本人は全く解っていないと思います。まあ、共産主義的な民主主義国家である日本では金持ちは国家の中に存在を許さない方向で一致団結していますので、医者程度が金を持っている側の「代表」にされて叩かれるという構図が過去からずっと続いています。

これから多くの診療所は今よりも速いペースで潰れていき、淘汰どころか必要な分量の診療所も維持されず、多くの患者は不便を強いられながらも長い待ち時間の果てに大規模病院で短時間診療でまわされるというイギリス型の公的医療制度へと順応させられることとなるでしょう。

そしてその時になって初めて「良質な医療には金がかかる」という単純な事実を確認し、過去のサービスが如何に医療従事者側の犠牲の上に成り立っていたのかという事実に思いを馳せることになる事でしょう。

私、ずっと思っているんですけど、こういった暗い近未来の予測を知ったうえで高校の進路指導の教師達は教え子を医学部に送っているのだろうか?と勘繰ってしまうんです。w

2023年11月27日月曜日

ARTというのはやっぱりセンスの問題だよな~

アメリカの家に新たに住み始めてくださった日本人女性のデザイン・パワーが炸裂している感じです。

アメリカから送られてきた一回のトイレを御自身のペインティングの技能とデザイン・センスを組み合わせて奇麗に塗り直してくださった動画が届いたのですが、単純に言葉を失いました。それはそのトイレが余りにも奇麗に生まれ変わっていたからでした。

私はアメリカの家の一階のトイレ部分を前の持ち主から買い取った後、ダサいピンクに塗られていた壁を一度wall paperを買ってきて、ノウハウ本を読みながらテクスタイルを張り直して、更に大きなミラーも近所のLowe’s買ってきて奇麗に作り直したつもりでした。

それも次第に飽きてきてはいましたが、日常の忙しさにかまけて10年ほど放っておいたのですが、この度見せられたトイレの中身は驚くほどシンプルかつ清潔な美しいトイレへと生まれ変わっていました。ちょっとビックリするレベルでして、心の底から「ああ、この人に家を貸して良かった~」と改めて思えたのです。

デザインのセンスがあって、その目標を達成させるだけの技能がセットになっているとビックリするほどの仕上がりになるんだなという事が嫌というほど解った今回のリノベでした。要するにプロの仕事ですね。キャビネットまで黒檀調のカラーに変えられていて、以前のままの素材剝き出しだった私が居た頃の「おもかげ」は跡形もなく消えておりました。

何度画像を見ていても「飽きない」と云う位の仕上がりって本当に良いですよね。普通だったら間違いなく高いお金を払うレベルの技術料と材料費。ペイントの魔術師という感じでした。今度はリビングのブロックをペイントする予定との話を間接的に聞いたのですが、今から仕上がりが愉しみです。

彼女には何年住んでも最初に決めた額の家賃のままで結構ですというお話で契約をさせて頂いたのですが、本当にこれからも長く住んで貰えればと思ったのでした。