AIが「質問に対する答えを出してくる」という出力は一体全体「知能が生み出した思考の結果なのか?」それとも、ストックされたデータから抽出したエッセンスを言語の統計的処理の結果として並べただけのものなのか、議論になるところです。
ここで思い出したのは天才チューリングのオラクル・マシンの話。オラクルというのは神の御宣託みたいなものなんですが、チューリングの考えたオラクル・マシンというものは計算不能問題を即答する数学的ブラック・ボックスであり、それは完全正確で、計算可能性の理論を拡張するための概念として存在しています。一方で人工知能は統計的推論を行う不確実な機械であって、当然後藤もすれば計算の限界を超えるわけでもないマシンなんですね。
第二次世界大戦の時代のど真ん中で発表されたチューリングの論文は恐ろしい程に現代のLLMの姿を描き出していて、時代をはるかに超えたチューリングの天才的想像力の一端を嫌でも見せつけらる恐るべきマスターピースです。
無論、現代の哲学的議論の中ではチューリングが主張するところの「知能」に対する議論ではチューリング・テストで言われるところの知能=人間らしい振る舞いを見せ、その内部構造は問わない(=行動主義)であり、中国語の部屋という論理学的問題提起で主張されるチューリング・テストに対する矛盾の指摘では、そもそも記号操作だけでは意味理解は生まれない上に、内部の意味理解こそ知能の本質であるという(=内部主義)という反論が提示されていますが、チューリングはこの中国語の部屋という静的なルール・ブックの構成する世界はチューリングの想定するテストで討論されている知能の定義には当てはまらないと再度否定しています。
AIが発達してきたからこそより深まる哲学的議論としての「意味の理解」とは何なのかという人智の最も深く重要な部分へのアプローチが進んでいくのではないかと思います。
AIがオラクル・マシンへと進化するような事は「無い」と思いたい私ですが、果たしてこれからの10年後がこの世界に人類の進歩した正常な世界として出現する余裕があるのか、それとも滅亡へのカウントダウンが始まってしまうのか、本当にどうなってしまうんでしょうね。
私にはわかりません。
