2026年10月5日月曜日

覚王山日タイ文化フェスティバル

日曜日の少し曇りがちな天気の中、日泰寺で行われていた毎年恒例の文化フェスティバルに行ってきました。

お目当ては食べ物とTシャツ。^^

もう何度もこのお祭りには来ていますので、どんな事が行われているのかはよく知っています。縁日のほうはいつも参道に出店が来るのですが、このフェスティバルは基本的にお寺の境内で行われますので、参道をずっと歩いてお寺に近づくとまず山門に到着。

ほぼ例年と変わらない配置で賑やかそうな様子が入る前から伝わってきました。小さな子供達のはしゃぎ声や着飾った女性達のそろいの法被を着た様子などを見ると既に多くの行事が行われているようでした。それでも、我々の目標は基本的にそれらの演じものでは無くてタイ料理とTシャツ。

さっさとシャツを売っているお店に近づいて派手なタイ製のシャツを一枚ゲットした後、パッタイその他の料理の行列に(主に嫁さんが)並んで数種類のタイ料理をゲットしました。とは言え、私は息子にほとんど食べさせて嫁さんと私はちょろっと食べただけ。それでも、息子の幸せそうな顔を見ているのは大満足でした。

その後は即座に一旦家にかえってアピタに行って久しぶりにマクドナルドでハンバーガーを食べた我々でした。

嫁さんとしては一日中食事の準備が手抜き出来て別の意味で大満足ではなかったでしょうか?w

2026年10月4日日曜日

関の刃物

畑仕事の相棒はメカ関連の仕事をしています。

いろいろな作業用の器具をいろいろな業者に納入しているため、様々な業界に「顔が広い」という人物。もともとは大型車両の整備をしていたとの事ですが、今ではそういう縛りも無くなりプレス・マシンやその他の種々のマシンを取り扱っているという事です。

さて、その彼は今もよく刃物の町関市に行ってはそこで刃物造りの中心人物となっている方にあらゆる伝を頼って各種マシンなどを入れているうちに親しくなったようです。

私は気づかなかったんですが、この方のインスタグラムを見ていたら、なんと以前行った刃物博物館で刃物を時々削っている人物であることが判りました。あの時あそこで仕事をしていた人なのかもしれないと思うとちょっとワクワクしているんですけど、実はこの方の作った刃物を直に相棒経由で注文して貰えるかもしれないという話になりました。

この方の作成している刃物は実は超一流のレストランのシェフから一生モノと言ってもらえるレベルの作品。そんな方に間接的であってももしかしたら素晴らしいナイフ・包丁を作っていただけるかと思うと胸が熱くなります。

刃物を鉄の板から研いでいく様子を見ていると、その中から現れてくる刃紋がさざ波のように見えて美しい事この上なし。自分用のキャンプ・ナイフと、嫁さん用の包丁。この二つが手に入れられればもう大満足です。相棒からは「どんな形のどんなものを手に入れたいのかよく考えて」と言われていますが、悩みは深いのです…。^^

木曜日までに考えておいてと言われました。どうしましょ…。

2026年10月3日土曜日

落花生の収穫とロスト・アーク

実は前回のサツマイモの収穫の時に畑の端っこに二株ほど「遊び」で植えていたのですが、そのうちの一粒だけを前回のサツマイモ堀りの時に見つけたからでした。
上の写真にあるように地面の上に極わずか体を突っ込むように埋まっている落花生を拾い上げて割ってみると見事な落花生が本当に薄いピンクの皮に包まれているのがよく判る状態で出てきます。

鵜沼の親父さんに話を伺ってみると、これをきちんと乾燥させたらいわゆる普通の落花生になるという事です。またお母さんに伺ってみたところ、このままでも茹でて美味しい生の落花生を味わえるよ~と楽しそうに話してくれました。

ただ、今回の落花生植えはまさに試験的なもので、一体全体「落花生」というものはどうやって育ってどうやって収穫するものかというのを観察するためのサイズであれば十分だったからです。^^

そして、その収穫を実際にしてみたところ以下のようなものが出来上がってきました。
こうやって土の中に沢山の「実の入った殻」が出てくることが解りました。何とも凄い自然のシステムですね。人間の知恵なんて軽く吹き飛ぶ進化の面白いところです。植えたものが育って人間が食べられる形のあるものになるなんて言うのは本当に感動的です。

さて、今回こうやって落花生は少量ですが収穫できました。しかし、ここで驚くべきことが起きました。落花生を収穫し終わって畑を再度眺めまわしたところ、どう考えてもこれサツマイモの葉だよね?という部分が畑の中に残っている事が判明したのです。そして直ぐに相棒と考えた事は「これってこの前どこに行ったか判らなくなった紫イモの葉じゃなかい?」という事。

そこで、数メートルに亘って生い茂っている葉っぱの根元を搔き分けてみると出てくる出てくる真ムラサキの芋!

やった~!という感じで相棒と二人で興奮して畑を掘り返すこと一時間弱。ゴッソリ出てきた紫イモに、心の中で「隠れとったか!見つけてやれんで悪かった」と謝りました。何にしろ「おっかしーなー、絶対植えたのに一体どこに消えたんや?」という感じで相棒と二人でその謎に悩まされ続けていた訳ですから、今回の図らずもその謎が解けたのは素晴らしい主格となりました。

畑の近所にある親父さんの家に戻ってその話をしたところ皆に大笑いされました。その後、近所の種苗を売っているローカル・ストアに向かい一玉384円もするニンニクを3玉購入して親父さんの畑に植え込まさせてもらいました。来年の種ニンニクにする為です。18株のニンニクが6株のニンニクを実として付ければ来年には100粒以上のネタになる筈です。それでも来年はそれをネタにしてさらに増やそうかなと折っているんですけどね!w

ニンニクがどう育つかた新たな愉しみです。


2026年10月2日金曜日

京都まで歩く????

私の勤める病院にバイトで来ている外科の先生から「あるお誘い」を受けました。

それは「京都まで160キロ二泊三日で歩くんだけど一緒に行こうよ!」というもの…。一瞬ですが、本気で固まってしまいました。w

そもそも私が散歩で一番歩くのでも家族と共にモリコロパークに行く往復の散歩。恐らくこの散歩でさえ16キロ程度です。この距離でゆっくり歩いて3時間ちょっと。その往復を二回しても約30キロでしかありません。たったの30キロ。それでは家から名古屋駅まで歩いていけばどれくらいかというと約14キロ。往復でやっぱり30キロ弱です。

つまり、家からモリコロパークへ向かって歩き、その後家まで戻ってくると名駅へ向かってま直ぐ歩くことで約21キロの道のりを終了、そしてそこから戻ってきて家に戻ってくることでやっとマラソンと同じ程度の距離。グーグルの予測時間を積み重ねるとハーフの距離で4時間半程度。往復でなんと無休憩で9時間も掛かるコースです。

40キロで9時間!朝8時に歩き出して何もせずに歩き続けて夕方の5時にやっと40キロなんですが…。( ゚Д゚)

そう考えると、仮に体力がもっと続いて日に9時間歩けたとしても120キロにしか届きません。京都までの距離をグーグル・マップで見てみると到着地点が京都駅だとして143キロ!一日に約48キロ!は歩かないと届かない事になります。しかも、この距離を歩くのにほぼ10キロ程度の荷物を持って途中は一人用テントで寝起きしようというのがお誘いの内容。

道は中山道経由でないときついと考えられます。なぜならば全部を舗装路で歩くとなると返ってくる反動は脚を壊す可能性があるからです。しかも、靴はその時に靴擦れを起こさないことが前提ですから、ある程度は慣らして履き込んでおかないといけませんし。

こういった事を全て勘案してChatGPTに対してこの道中の厳しさを聞いてみると…超上級者向きのUltra Walkになるというお話。しかも、厚底クッション・ メリノウール靴下+ワセリンで靴擦れ防止・荷物は5kg以下(可能なら送る)・  夜間歩行は避ける(危険)・  こまめなストレッチと休憩・水分は1日2〜3L・事前に40km歩行を2回以上試す、云々という長い長い試し書きが付いてきました。orz

しかも、普通の人間は1日に30キロ以上歩くと翌日は強烈な疲労や体調の問題を起こすと書かれていて、先生が主張する「出来たら60キロは行きたいな」というような距離は私のようなど素人が居ては到底無理でしょう。w(なんと、先生は「80は無理か?」等という事を呟いていましたが。orz)

何段階か練習を重ねたうえで靴やテントを試してからチャレンジしていかないと「到底」無理なことは明らかですな!

2026年10月1日木曜日

山本夏彦はやはりイイ!

先日購入した古本の中に3冊の山本夏彦の本が入っていました。

3冊の題名は①「社交界」たいがい②良心的③一寸さきはヤミがいいというものなんですが、昔から私は山本夏彦氏のファンで、その一刀両断振りは普通に考えれば諧謔と機知を超えた素晴らしい切れ味の批評の連発。

新聞屋と銀行屋と株屋の話は何時も飛びぬけて面白いのですが、氏の話が常に面白いのは世間のモノの見方とは一線を画す切れ味と裏面の真実の暴露があるから。世間の常識が如何に嘘に塗れて間違っているのかというのが次々と解りやすく示されます。

いつも彼の文章を読んで思うのは正義を標榜する人間達の胡散臭さの観察眼の鋭さでしょうか。

ものごとは裏と表から見てその評価を定めないといけない、そして人間というものを純粋な正義などと見誤らない事を何度も何度も対象とインシデントを替えて教えてくれます。そして必ず戻ってくるのは上に太字で書いたような正義を騙る人間達の裏の顔を嗤えというものでしょう。

社会の木鐸を標榜する人間達の垂れ流す道徳論を嗤い、戦前暗黒史観を繰り返し「それは嘘だった」と叩き続ける。歴史というのは書いたもの勝ちですから、正しかったことを少数であろうと書き続けることが大事。そういう意味では既にとうの昔にお亡くなりになった氏が繰り返し書き続けた数多くの文章は何時の日か大きな意味を持つことと思います。

私は彼を右翼とは思わないし、極端な思想の持ち主だとも思いません。淡々と世の中を見つめて自分の体験した世界をもとに自分の皮膚感覚で事実を記述する。なかなか出来そうで出来ない事です。

恐らく多感な時期(15歳~18歳)をフランスで育ち、その後に戦争に突入するような当時の日本に帰ってきたのが普通の日本人とは違うものの見方をさせたのかもしれませんね。

人とは違うモノの見方、常に持っておきたいと思います。(変人扱いされても。w)