2026年7月19日日曜日

「日本ぶらりぶらり」を読んで

山下清の事を知る人は恐らく年を追うごとに減ってきていると思います。

私のような年齢の者でさえリアルタイムでの山下清の言動を知っている訳ではなくて、私が物心ついた頃に亡くなったみたいです。調べて驚いたのですが、彼が亡くなったのはなんと名古屋にある熱田神宮だったそうで、高血圧のコントロール不良からくる脳出血だったようです。(1971年-49歳)

私自身は彼の亡くなった時にはまだ5歳で、山下清の事をリアルに知っているのは親父たちの世代。ちぎり絵やペン画の天才的作画は驚異のグラフィック・メモリーに支えられていたようですがそもそもの知的能力は12~13歳だったとの事。

昭和の頃は山下清のお話はテレビで「裸の大将放浪記」として、昭和には芦谷雁之助、平成では塚地によって2シリーズとして放映されていましたので、ドラマを通じて改めて人々の脳裏に山下清とはどういう人物であったのかというのが記憶として刻まれているのだと思います。私には芦谷雁之助の演じる山下清が秀逸なものとして残っているんですが、塚地もなかなかでしたしね。

さて、今回読んだ「日本ぶらりぶらり」ですが、純粋に文章として面白い。その文体はまさに知的発達障害のある山下清らしいものなのですが、世の中を観察するときの視点が本当に純粋で混じりっ気が無いというのはこういう事かと感じました。それでも自分が人に比べて一般的な意味での知性が劣っているというという自覚はあって、それを恥と思う心もある。しかし、そういう己の内側に持った劣等感と呼べる気持ちを持ちながらも世の中を見つめる眼の透徹した感想は、日頃から手垢だらけの余計な先入観を被せて世の中を眺めている自分にはハッとするようなものばかり。

「ああ、そういう風に見えたのか!」という感じ方は目に幾重にも張り付いた色付きの鱗が剥がれ落ちる感覚を味わわせてもらえます。

昭和の頃の表現ですから、今では確実に差別用語だったり時代的にとても書けないような内容も書き込まれていますが、それでもその視点は貴重。大人の経験をしているもののその視点は無垢。

いずれの文章も一昔前の昭和の日本に関する記述ですが、アナログの世界に関する記述は今でも懐かしさを呼び起こすのに十分素晴らしいものですよ。それにしても、今大人気の草津温泉では皆沢山の人が糞や小便を湯の中でしていたというようなびっくりするような記述がある事にはぎょっとさせられました。orz

時代ですかね。それとも今でも…?

2026年7月18日土曜日

アマゾンで物を買う時代に変わる事

モノを買う前にあちこちに出ていって品定めをするという事がまずありません。

自然とネットで物を探したうえで商品比較をし説明を熟読玩味して研究終了。実際にはその手の類似のものを使っている人の意見も参考にはしますが、最後はエイッとばかりに確定ボタンを押してお買い物終了となります。

それで実際にモノが家に到着したときに初めて「品定め」という事になるのですが、殆どのものは予想通りとはいえ、中には外れのものもある事はあるという普通の展開。実際に目で見て触って購入したものでも使用感というのはこんなもんだろうと思うのでネットショッピングもかなり「実世界にかなり近いレベル」での買い物ができるほどにはなってきたんじゃないかなと思います。

ただし、ネットと実世界のモノの値段差というのがどこまで違うのかというのが買うこっちにとっての最大の関心事。その点の比較では多くの場合アマゾンのほうが安く手に入る感じなのですが、私が使わないその都のサイトである楽天などをチラ見してみると少し安かったりしますね。それでも、慣れたサイトからはあまり外れたくないのと楽天という会社が何となくアノ経営者がトップかと思うと使いたくないというのがあって使わないんですけどね。w

アマゾン経由のネットコマースで一番いいのはアメリカと同じ感覚で「問答無用の返品」が効くこと。これが日本の買い物の常識になって欲しいところですけど、アマゾンのサイト内にネットショップを展開している無数のショップもアマゾンのこの「カスタマーからの問答無用の返品」というのを呑まされたうえでのショップ展開なのだろうと思うとちょっと小売りの会社もアマゾンに飲み込まれてしまっていて気の毒な気もします。

しかし、それが当たり前になってくるとそれを呑まなければ商売自体が始まらないという時代になる事は確実です。そうなるとリアルワールドのショッピングを行う人々もネット・コマースに対抗するためにはこういう勝者の論理を受容しなければならなくなってくるのでしょうか。少なくともアメリカではWalMartはアマゾンに負けないための動きを普通にしてはいるようですが。

まあ、そんなことはさておき月に何度も「必要があれば」アマゾンで買い物をする私でした。

2026年7月17日金曜日

結婚退職の御祝い

今日は忙しい中病院の若手に誘われて病棟の看護師さんの結婚祝いを兼ねた四人池下焼き肉会をしました。

まあ四人いても最初から私が親の役割を果たして全てを私が出すつもりで出陣。結婚退職で病院を辞めていく人、結婚しても病院を辞めない人、結婚をして御主人と共に名古屋にやってきて入職してくる人などパターンはいろいろ。彼女の場合は御主人が隣県の営業のトップとして出ていくために結婚と合わせてついていくとの事でした。

ただ、話をよく聞くとやはり名古屋のほうが遊ぶところはそこよりも遥かに多いので、今後子供が生まれたら何があっても名古屋に戻ってきて自分と子供たちだけでも生活するなどと今から不穏な事を申しておりました。w

多くの看護師さん達、特に若い看護師さん達は御主人の転勤に伴って移動を繰り返しその度に病院を移って経験を積んでいくという事が多いようです。ただし、キャリアを一つ所で積んでいってそこでポジションを上げるという事はなかなか難しくなりますよね。そういう意味では奥さん側が主導権をもって赴任地を決めるというような事が多いというような時代には未だなっていませんね。(恐らく今後も無いと思いますけど、どうなりますかね?)

ガンガン肉を食べてもらったんですけど、新しく結婚する女性とその病院友達からいろいろな話を聞きながら最近の院内の看護師さん達の人間関係などを聞いていましたが、まあ、どれもこれも俺には関係ないな~という感じ。女性の世界はなんだか男性の視点とは「かなり」違う思考回路で形成されているようだと改めて感じました。

焼肉屋を出た後は、ほんの数分歩いただけで一本裏道に出ているパブによって一時間ほど過ごしました。そこではお酒の話ばかり。女の子達は私が飲んでいるラフロイグを「おえ、臭いです。無理」と言って笑っていましたが、アイラ・モルト劇的に美味いんですけどね?

最後は皆で今後の彼女の幸せと「早々に戻ってくるな」という言葉をかけて散会となりました。

2026年7月16日木曜日

手書きノートと電子ノート

日常の中でデータを記録するのにちょっと写真に撮ってそれをメモ代わりにするという事は今や普通の話。

その写真で撮ったデータからはテキストが抽出できますから、いざとなったら文章抽出さえ何も悩まなくていいという事です。時代は変わりましたよね。以前は文書・文章を写真に撮るなんて国立国会図書館とか新聞社とかスパイくらいではなかったかと考えてしまうのです。

私の場合メモはiPhoneのメモと手書きメモの二種類をどちらとも使います。

どちらが良いかというもんでは無くて自分で描いた絵などの説明が入っているものが私にとっては手書きのメモ帳用で、医学知識などの何度も手許で見返してその場で仕事に使いたいものはiPhoneのメモ帳ですね。

メモまではまあこういう簡単な考え方で分けてるからいいんですが、これが本となるとどうも電子的なものは「私は」駄目ですね。人によっては重いものを運ばなくてもいいからこっちが絶対的に便利と言って譲らない人もいるんでしょうけど、宇宙船に乗るために少しでも嵩張るような重さを持つ実物は載せられない、なんていう状況以外は本のもつ手触り、臭い、そして今までその本を読んできた人達の書き残してきたメモ等を見つける喜びなどは電子的なダウンロード書籍からは得られません。

そもそも、電子的な本であるキンドル本なども昔から持ってはいるんですけど、使ってみてそのページをめくる感触などが全くダメで「これは俺にはムリ」という結論にかなり前に至った記憶があります。今も娘達が旅先で稀に使っているのを見ると、その使用感は昔のものと同じでやっぱり娘達も「旅先なんかでない限りは使わない」との事でした。

私は今でも旅先にも「本の実物」を持っていきます。^^

ネットで読んだ記事では記憶に残るのはどちらかという比較調査をしたものがいくつもあるのですが、東大で行われたコミック本の場合は「紙の本は、同じ理解度に到達するための脳の負荷が少なく、「記憶統合が効率的に行われる」 ことが示されたとなっていますし、ヨーロッパの幾つかの大学で行われた研究でも明らかに神のほうが物語の要約や理解度がより良い成績を見せたとの結果を出しています。

空間記憶という「どこに書いてあったか」という記憶が紙媒体をその手の記憶の呼び出しと焼き付けに有利なものだという事なんでしょうね。

まあ、私がどうこう言ったところで自炊本でリアルな本自体を捨ててしまう人もたくさんいる時代。時代はどういう形になろうともどんどん流れていくのでしょう。その時にはもう私はいませんしね。w

2026年7月15日水曜日

山口瞳ベスト・エッセイ

ある日、散歩の途上でブック・オフに立ち寄った時に本棚の中から私の眼の中に飛び込んできたのはこのちくま文庫「山口瞳ベスト・エッセイ」でした。

もともと山口氏はサントリーの宣伝部にいた直木賞作家です。(その5年前には開高健が芥川賞を受賞しています!)江分利満氏の優雅な生活という文章で昭和のサラリーマン生活を描いたものでこの賞を受賞しているのですが、サントリーで出されていた洋酒天国という当時の宣伝誌が秀逸なコラム等ののったもので、これが山口氏の活躍で成立していたといっても過言ではないものだと私は思っています。

さて、今回元値950円の文庫本を700円で手に入れたのですが、結論から言うと素晴らしい本でした。小玉武さんという方による編纂でしたが、この方もサントリーで洋酒天国の編集に携わり同僚として山口氏と仕事をしていた方で、山口氏の死後も山口氏を題材として種々の文章をしたためられています。

中には向田邦子の死に関して書かれ当時の社会問題となったという「木槿(むくげ)の花」の連載もあり、生前の山口氏の幅広い交友と多くの著名作家の若い頃の様子や語られざる秘話が次々と溢れ出してきます。やはり「書き方」が溢れ出してくるという感じで、その文体が読み手を引き付けてくるんでしょうが、平均して素晴らしいものの中身の題材によっていろいろな興味深さの「差」があると感じました。

文脈に関係なく、私生活に合わせて私が個人的に印象的な文章もあって、こうやって抜き出しても皆さんには?かもしれませんが、P172の「きみたち、いかにデッサンが上手であっても本物の飢餓感や本物の切実な思いがあるのだろうか。きみでなくては描けない絵があるのだろうか」とか、P348の「名前を知らない文化人やたれんとがどんどん出てくる。名前をよく知っている人がどんどん世を去っていく。この「知らない人がふえてくる、知っている人が減ってくる」というのが免れ難い老年の一つの状況ではあるまいか。」等と言う文章は印象に残りました。

この全体に描かれる軍隊、酒、博打、男女関係、社会人とりわけ会社人間としての生きざま、料理、生老病死、人間観察などはやはり全編を通して珠玉と言って良い素晴らしいエッセイ集で間違いありません。セレクションが時代の流れに沿っていたのもまたヨシでした。
(個人的には色川武大氏関連の記述が秀逸でした。直後に「怪しい来客簿」の初版本をメルカリで手に入れました!)

700円で約一週間の極上の時間を手に入れられる読書。やっぱり最高ですね。次は向田邦子ベスト・エッセイと山下清の「日本ぶらりぶらり」が待っています。