2026年9月7日月曜日

特攻平和会館

蕎麦を食べて今回の旅の目的のもう一つの大きな柱である特攻平和会館へと移動しました。

桜島を左手に眺め、右手にはH2ロケット?の巨大なレプリカがある道をずっと走り続けるとその会館がある「知覧」へ到着。知覧茶で有名なエリアですが、場所自体はとても特攻のはとても特攻の出撃基地があったとは思えないような長閑でこじんまりとした場所です。

暫くすると見えて参りました。特攻平和会館。
前から見るとそれほど大きく見えませんが、中にはびっしりと特攻されていった方々の遺書や持ち物が展示されており、そのリアリティとそれぞれの人物達の背景にある物語の悲しさに打ちのめされます。

長女は文章が読めずに写真と活字化された文章のみ読んでいたようですが、私自身はその書き手の性格や教養がそのまま写しこまれたような遺書となる手紙やハガキを見て涙が溢れそうななりました。悠久の大義の下に等と言う美名の背景には国家によって死を命ぜられた17歳!から20代前半の方々を中心とした戦死者の方々、平均年齢21.6歳の死の前の文と写真の前には喉元に込み上げる熱いもの以外の何物もありませんでした。

検閲される前提で書かれた手紙の裏には決して語られない本人の物語が隠されています。

外道の戦法はお互い顔も知らない二つの国の人間が敵国殲滅の名の下に殺しあう無意味さを三度自分に思い知らせるのでした。あの時、日本や肉親の為に散っていった今の自分の子供より若い人々の犠牲に応えるような国家になれたのか、改めて我々は問わなければ再び愚かな行為を繰り返しかねないと考えます。
錦江湾より引き上げられた21式ゼロ戦
帰りには特攻の話をまとめた「只一筋に征く」という本を買いました。

国の未来の礎たる若者を戦地に送り消耗させるためだけに死を命じる作戦のどこに大義がありましょうか?金の卵どころか金の卵を産む親鶏も死に至らしむ作戦を狂気と呼ばないのは明確な間違い。戦前戦中にこの若者達を煽りに煽っていた軍の連中や報道関係者達が戦後にのうのうと平和を享受した事実を我々は決して忘れません。

もしこの死に追いやられた若者達が生きていればどれほど今の日本の繁栄に資していたかを考えると慙愧の念に堪えません。

特攻でお亡くなりになられた人々の合計は6,371人。愚かな戦いを聖戦の美名の下に美化することは決してあってはならないと思います。領土拡張の野望で愚かな指導者に操られる隣の赤い国を見て嗤っているいられるのか?30年ほど前に北朝鮮のツアーで一緒になった当時60くらいだったオジサンがポツリといいました。「今の若いあんたたちは北朝鮮のこんな状態見て笑うだろうけど、戦時中の日本てこんな感じよ」と。

歴史は場所と時を超えて繰り返すということでしょう。

車を運転して宮崎へ戻る激しい雨の道すがら、いろいろな想いが交錯した一日でした。

帰り着いてからは近所の焼肉屋さんへ行って親父にお祝いを渡しながらその米寿を祝いました。転倒にさえ気をつけてくれれば90歳までは先ず生きてくれると思ってます。がんばれ親父!

2026年9月4日金曜日

明るい農村蒸留所

朝もはよからトップにある階の展望風呂に息子を連れて入ってゆっくりと朝の湯を愉しみました。

その後からみんなで美味しいバッフェ形式の朝食を摂るためにみんなで移動。本当にいろいろな小品がズラリと出されていて正直ひとつづつ全てを食べても腹が破裂するレベル。全部味わうのは到底無理というのは最初の一周目で直ぐに理解出来ました。

朝食が終了したらすぐに部屋の内湯です。旅先で深い緑の木々と桜島を眺めながらの入湯は最高です。この後の動きをどうするか考えましたが、まず昨日霧島神宮から帰る直前にチラリと目の端に入っていた「明るい農村」見学のお誘い看板のお誘いに乗る必要があります。^^

そして目的の場所を直ぐに発見!ワクワクです。

レンタカーで工場の前に近づくと美しい笑顔のお姉さん二人が店の前で出迎えてくれました。誘われるままに中に入るといきなり一升瓶ならぬ一斗瓶の「明るい農村」が出迎えてくれました。

これをら抱えて家族5人で記念撮影もしました!

蒸留所見学を始める前にこの蒸留所で作っているいろいろな焼酎の試飲をさせてもらえるのでsが、私は運転手。涙を流しながら娘の試飲を眺めています。工場見学は明るいお姉さんが手際よく、かつ楽しく進めて下さりながら興味深い話を混ぜていろいろとサービスしてくれました。

上の写真に写っているタンク一本を普通の人が飲もうとすると毎日飲んでも40年かかるんだそうです。w このタンクが建物の外だけでは無くて内側にも80本!あるとの事。以前は年にタンク5本ほど毎年出荷されていたそうですが、最近は3本程度に減っているとの事。必ずや巻き返して貰いたいもんです。酒というのはいろんなサイクルで流行り廃りが繰り返されます。ウイスキーしかり、焼酎しかり。
美しくレイアウトされたお店の中には私の大好きなTシャツも売っておりましたので迷わず購入いたしました。結局ここでだけ手に入れられる復刻版のHOUJOU NO MINORIともう一瓶の明るい農村(赤芋仕込み)を購入。その後、美しい笑顔に見送られて店を後にしました。

みんなで「明るい農村」を飲みましょう!^^

次は知覧の特攻平和館に行く予定。その前に昼ごはんをどこで食べるかというのが次の問題でしたが、実は私の勤める病院の看護師さんに南鹿児島の出身の方がおられまして、実はその方が高校の頃に勤めていたバイト先が美味しくて有名な蕎麦屋さんだという事で、道すがらにあるそのお店に直行しました。

名前は「そば茶屋・吹上庵」という所でした。たった一つのミスは事前にどのメニューが美味いのかというのを聞いていなかった事。orz

仕方ないので板そばを食べたのですが十分に美味しかった!しかし後で知ったところによると「冷やしゴマダレうどん」を食べるべしとそば家を出た後に返答が帰ってまいりました。時すでに遅し。w しかし十二分に美味い板そばでした。

取り敢えず、今日はここまで。

2026年9月3日木曜日

親父を連れて霧島へ一泊旅行

今日は朝から娘のリモートでの会議が終わるのを待って霧島観光ホテルへと向かいました。

親父の米寿の御祝いに連れて行く事を計画して随分前に予約していたものでした。宮崎出身の人間にとって霧島というエリアは実質的に宮崎のような「感覚」。実際は昔から鹿児島の住所ですが感覚的にはそんなもんです。小林、都城、えびの、霧島というのは恐らく鹿児島側の人からみたら「そこは鹿児島」的な感覚じゃないかと思うんですよね。

そもそも宮崎と鹿児島の間で明治維新後も霧島に関してはずっと鹿児島のエリア。しかし、それは中世まで遡るといろいろと違ってくるんですよね。それでも、中世以降は鹿児島に含まれるエリアですからずっと鹿児島と言っていいところです。^^

さて、道を走る事1時間半でホテルに到着。案内されて入った部屋はお金を払う価値のある素敵な部屋でした。鹿児島の錦江湾にどっかり映える雄大な桜島が目の前に広がってそれを眺めながら入れる内湯が部屋に付いていました。しかも、入ってすぐお部屋は広いリビングがあってその向こうにはこれまた広い畳のお部屋と巨大なダブル・ベッドが二台。
ガラス越しに見た内湯。向こうには桜島。
このあと先ずは車で15分の霧島神宮に直行です。

親父自身は霧島神宮には公務員だったころの職員研修や旅行で何度も来た事があるらしいのですが、久しぶりに来たのが我々に連れられてきた今回の米寿旅行となった訳です。
入口駐車場にある大鳥居。でかくて綺麗!
神社までのわずかな坂を上ろうとしたときに実は親父に異
変が起きました。高さの差にすれば僅か2メートル程度距離だと100メートル程度の道を登り切った時に、親父が「フーフー」と異様に疲れた感じで道を歩きながらふらつき始めたのです。

「お前たちだけ神社で拝んで来い」という言葉を発しはしたのですが、息づかいがおかしいのでその場に座らせて脈をとると120程度の頻脈。リズムは整なのですが、このままおいてはいけないので暫く座らせて様子を見ていると脈も80程度に落ち着いて親父の不通に戻ってきました。

息切れも消失したようなので、心配しつつも神社で拝んできました。勿論、拝んだ内容は家族の健康。(と親父の長寿って既に長寿ですが!)
どでかい御神木
お守りを少し買い込んでおみくじを引くと長女も長男も私も大吉。長男は何気に引いたくじが1番くじでした。嫁さんは中吉、とは言えどれほどあてになるんだか?御神体は神社におわしましても、くじ作るのは人間ですからね。

まあ、そんなことはどうでも良くて下に戻ってみると親父は元気に階段に座って待ってくれていました。そもそも、慢性腎臓病があって下腿の浮腫もバンバンですから心負荷も当然のようにかかっています。そういう意味では薬での調整も次第に追いつかなくなっているレベルになってきたという事なんですけどね…。やはり歳には勝てません。

その後はいつもの普通の親父に戻ったのですが心配の種は尽きません。転倒、心不全、その他の理由での突然のインシデントは何時でも起こり得ますので、私は後ろからお親父をみていて「良く生きていてくれるな」としんみり思いました。

霧島神宮からホテルへ戻ると直ぐに温泉です。このエリアの温泉は強い硫黄泉ですので、シャワーも含め硫黄臭がします。それも旅の一興。先ずは我々男三人だけで4階にある予約済みの家族風呂に入ってきました。畳の上で直接入浴できるもので、大変快適。それでも一時間入るような事はせず直ぐに1階にある露天風呂へ直行しました。正直こちらの大浴場のほうがいい感じで、ここの湯を楽しんだ後に510の自分達の部屋へと戻っていきました。

その間に嫁さんと長女は内湯を楽しんだようで、気持ちよさそうにクーラーの効いた部屋で涼んで待っておりました。^^

夕方には素晴らしい大食堂で美味しい料理を腹一杯食べたのですが、親父は案の定コーラを入れていたグラスを叩き落として割ってしまうし…。子供以上に手がかかるのが米寿の親父の現実です。

部屋へ戻ってもまた私たちはそれぞれに何度か内湯や外の湯にも浸かりましたが、やはり内湯が一番良かったかなと思いました。雄大な眺めを楽しみつつ雨が降ったり止んだりする様子を愉しんだ一晩となりました。

2026年9月2日水曜日

結局、宮崎には行けたけど…

という訳で、午後7時30分の便まで滅茶苦茶時間が出来てしまいました。

ほぼ10時間。これで家まで戻るのもバカバカしいし、長女は長女で1時から三件分のウェブ・ミーティングが3時間分待っています。という訳で直ぐに思いついたのは飛行場の眼の前にある東横INNを予約する事!

ここは何時でも安くて値段の上下が少ないので大体の値段予想がいつでも弾けます。ここを「例え泊まらなくとも」利用するといい理由はシンプルで、ここは宿泊した人が車を置いてそのまま旅に出ていったときに10日間までは出庫時1,000円の駐車料金で済むのです!

だとすると、今から10時間の時間のうち3時間を娘がそのリモート・オフィスワークに使えて、シャワー浴びたり休憩したりできるとすれば、例え7,000円程度かかっても全然問題ない訳です。セントレアの駐車料金は近年ぐいぐいと上がって来てて、昔はTSキュービックカードなどを持っている人はセントレアでいろいろと特典があったんですが、それも無くなり今最強なのは東横INNです。

それでネットを探してみると「泊まり捨て」みたいな事をしなくとも、なんと、DAY USEという選択肢があるでは無いですか!しかもお値段5,600円と破格に安い。そこで、ネット予約をする前に東横INNに電話でお尋ねして、DAYで使った時もそのまま駐車場に車を置いて行っても帰ってきたら1,000円の駐車代でいいのですか?と聞いたところ「その通りです」との有難いお言葉が返ってきました。

そこで、ネットで予約を済ませた後にセントレアの駐車場からさっさと退去して東横INNへ移動して部屋へ移動。荷物は既にソラシドさんに預けた後だったので手持ちの荷などはありません。

そこで、セントレアで食事を済ませた後に娘は部屋で仕事開始。我々三人は飛行機好きの息子も含めてFlight of Dreamsのほうへ移動しBOEING787の機体をじっと眺めながらうろうろと散歩。お土産も買い込んでいつもは人が多すぎてとても見学できない機体内部や写真撮影を済ませて超リラックス出来ました。

その後で仕事が終わった娘のいるホテルへ移動。私はシャワーまで済ませて飛行機に乗り込む事が出来ました。

久方ぶりに飛行機に乗る事の出来た息子は嬉しそうでしたが、暫くするとあっと言う間に宮崎ブーゲンビリア空港に着陸してしまいあっという間のフライトでした。その後は既に時間も過ぎているJ-Netレンタカーのオフィスに行って、言われた通りのボックスの言われた通りの番号を回して車をゲット。白いフリードでした。

そのまま実家に辿りついたのは夜の10時。
予定より半日遅れでしたが、いろいろといい事もあって人間万事何とかという良い結果になりました。

家に着いたら弟の仏壇に手を合わせてお参り。線香がきつすぎてのどを痛めているという親父のために、部屋では日常的に線香を焚かない事。焚くにしても部屋の戸は開けて線香を焚くことを確認してもらいました。

明日からの移動がまた大変です。

2026年9月1日火曜日

とんでもない輩に予定を狂わされました

実は本日より5日まで、宮崎の実家に弟の初盆と親父の米寿祝で帰る予定です。

そこで、私たちの家族は生れて初めてANAのLCCであるソラシド・エアに搭乗してサクッと宮崎に返ろうという事になりました。いつもは移動に私の車で12時間かけて帰るというような事をやっていたんですが、嫁さんが「車はきつい」という話をしてきましたので、止めとくかなという気もちになっていました。それに彼女が「お父さんももう若くないんやから前の頃と同じような気持ちで行動したらイカン!」という風にも釘を刺されましたので、お言葉に従わせていただきました。

という訳で、私としては珍しく随分前にレンタカーを予約してJ-Netレンタカーで飛び切りグッドなdealを見つける事が出来ましたので、それに飛びついて確保させていただきました。

飛行機のチケットのほうは嫁さんが準備してくれていたので特の問題なかったのですが、宮崎のようなド田舎に飛んでいく便は通常朝と夕方の二回というのが多いパターンですので、朝を逃したら一日が無駄になるという事が多いのです。

という訳で、朝は早起きしなければなりません。セントレアまでゆっくり走って45分ですが、朝9時半発の飛行機ですから、お土産なんかを買う時間を考えたら、なんとしてでも8時半までには到着してゆっくり過ごしたいと考えて7時ちょいには家を出ました。これだったら二時間半前だからちょっとした渋滞程度では問題なく行けるだろうと思っていたのですが…。

ここである事件が発生します。orz

前回も書いたのですが、宮崎の行き帰りなんかにはなぜかいろいろな事が起きるという変なジンクスが最近我が家にはあるのです。この前の大豪雨で広島に行くまでに死んだ話とか、全く人災・天災いろいろです。

さて、今回のは人災のほうでした。名古屋口から高速に乗ってスイスイと高張のほうへ近づいて行っていた時のことです。予想到着時刻は出発当初8時15分で、物凄い余裕で着くなと思っていたのにもかかわらずいきなり8時40分とかに予測がジャンプしました。

「?」なんじゃ、これもっしかしてナビが誤動作した?とか思ったのですが、同時に後ろの座席に座っていた嫁さんにも調べてもらうとGoogle上でももう少しましな予測にはなっていたのですが、それでも10分程度の予測差。頭の中は「おいおい、なんか事故かよ?」という考えが過りました。マップを見ると知多半島を南下する高速が真っ赤に塗られています。

しかし、その気付いた瞬間はすでに遅し!眼の前にノロノロ運転でハザードを焚き始めている最後尾の車が見えてきたのです。

「ああああああ、高速乗っちゃった」という大後悔も時すでに遅し。降りる出口も近くに無ければ、迂回路を使った分岐予測でも数分しか違わない程度の予想。しかもナビの予測はリアルタイムでどんどん後ろにずれこんでいきます。

どうやら渋滞の先頭は十数キロ先の阿久比ICの入り口の少し先です。どこのバカがどんな事故をこんな時間に起こしてくれとんねん!と思いつつもここは焦っても仕方ないと腹を括ってノロノロ運転をしていましたが今回はいつも俺の宥め役、諫め役に回るはずの嫁さんが怒っています。w

しかし、そうこうするうちにもフライトの時間は刻一刻と迫って来て例え乗れても全力走りで行くしかない!という所まで来ました。嫁さんはソラシドエアに万一の場合はどうすれば良いかというのを尋ねると少なくとも10分前に搭乗口前に立っていて貰えば何とかなるという返事をもらったのですが、確か今日からは30分前にはチェックインを済ませていなければアウトというルールが始まったばかりじゃなかったっけと内心では思いつつ黙っていました。

とりあえず、そうこうするうちに渋滞の最先端に出てみるとそこに停まっていたのはレッカー車に積み込まれる前の前部が大破して確実にエンジン(これフェラーリのエンジンでっせ!)のぶっ壊れたホワイトクリーム色のマセラッティ・クワトロポルテが左車線を塞いでいました。

その脇には頭をスケベ分けにした頭の悪そうなホスト風の男があらぬ方向を向きながら髪をかき分けて地べたに座っておりましたな。この糞が!と内心で思いつつもそこを過ぎてからはあっという間に空港へ。

何時もと異なり、まずは第一ターミナルで嫁さん達を下ろして手続きに向かわせて私はその後に駐車場に停めたのですが、この時点で既に9時10分。もうアカンかもなと思っていたら嫁さんからLine通話が入って来て「やっぱりダメだって、でも午後の便は取ってくれるって!」とのお話が入ってきたのでした。

さて、どうするオレ?w

まあ、その続きは明日書くとして、今日思ったのはたった一つ。「やっぱり高級車は金で買えても知性は買えんな」という事でした。若造が乗っていたあの車。新車で最低でも1500~2500万です!パパに買ってもらったのか、ヒモとして稼いだのか?ま、どうでもいいや。

とにかく迷惑な話でした。またこの続きは明日。