2019年12月14日土曜日

ノイジー・マイノリティー

サイレント・マジョリティーという言葉は昔からありますが・・・。

最近は小さな声「も」大切にしようということになっています。無論、弱い者の立場に立ってその権利を考慮するというのも非常に大切で、どう考えても理不尽な搾取や攻撃が行われているときに、その力を持つものを別の力を持ったものがガツンと痛い目に合わせてやることは常に行われてきました。

その反撃に当たる行為が正しいこともあれば、大きな歴史の中の流れで見れば間違っていることだって当然ありますが、それは多くの場合その時点での常識の中での判断であることが実は普通で、ある時点の過去の出来事をのちの常識で測るのはまさに見識のズレそのもの。

たとえそれがその時点でベストの判断だとその当時は思えても後の世から見ればとんでもないというようなことは人類の歴史においてはごく普通で、ちょっと考えてみても実例なんて言うのは枚挙にいとまがありません。時代の差のみならず、国の違い、宗教の違い、人種の違い、思想の違い、経済力の違い、性差などからくるある時点での判断は、別の地域に住むのちの人から見れば「トンデモ」なものも無数にあるわけです。

とはいえ、そんな中で気になったのはあるネットニュースに出ていた「除夜の鐘がうるさいとXX年より中止になっている」という話。

第一の私的リアクションは「出た基地外!w」というものでした。

そもそも寺というのはもともとほとんどの場合は現地に大昔からあってあとからその寺社に人が一緒に、もしくは後からやってきて住み始めているわけで、100年200年後からのこのことやってきた有象無象が「寺の鐘はウルセーから突くな」と言うのはまさにイチャモンでしかないように聞こえるんですが?そもそもお前がそこに来るなっちゅう話じゃないんですかい?年に一回だけある108回の鐘も我慢できんのかい?この煩悩のかたまり野郎が!

花火がやかましいから花火大会するなとか、保育園の園児の声がうるさいから静かにしろとか移転しろとか・・・。もうね、お前らがどっか行けよ。w 別にお前らのようなお上品な方々はそもそもその地域には要らんから。

周りと協調できずに、てめえのエゴだけ前面に押し出すような輩は富士山の麓の樹海あたりで静かに森と向き合って暮らしとけって感じです。この手の意味不明の「市民」の皆様の家の隣に鐘楼でも建てて毎日千回くらい朝から晩までフリーで鐘突くサービスをして差し上げたい気持ちになりました。

一日千回というと、時間当たり41.67回。ほぼ1分6秒に一回つくようにタイマーセットすれば・・・(^ω^)・・・。

後の世では私のほうが基地外ですわな。(いや、今でも)w


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