2019年12月31日火曜日

今年もあっという間に大晦日

長女はまだ時差が抜けきらずゆっくりとした朝を迎えました。

私も最近の当直疲れから、何もないときくらいはユックリ~という感じでのんびりと午後に起きました。今日はどこも家で親族で集まったりゆっくりとしているはず。10年前ならラボで実験したりしてる感じだったかもしれませんが、最近は少しでも休みがあるときには病院でウロウロして患者さんと話したりしている事が増えました。

ちょっとびっくりしたのはカルロス・ゴーンの保釈中の国外逃亡。
日本の司法はこれで世界的にも赤っ恥をかきましたね・・・。最近は国内でも保釈した人間の逃亡や収監しようとした人間の逃亡で赤っ恥をかき続けるなか、再びの失態。これは警察庁の上の人間の首、検察のトップの首、出入国を管理する税関のトップの首も寒くなることでしょう。そして何より、この理屈っぽい小心者のオッサンの事を全く把握していなかった愚かな弁護士。

ネットの記事を読む限りでは、フランス国籍をもつ嫁さんが裏で準備して楽器の箱に入れて入管を騙したとの話ですが、何がどうであれ家族で堂々とした犯罪を構成するというところにこのファミリーの本質を見る次第です。要するに「己の主張は司法や事実がどうであれ、通してしまえば正しい。」という、如何にもフランスのエリート校で学んだ官僚の論理そのもので、笑えちゃいます。

アルジェリアを強烈に弾圧し続けつつも自由フランスとか言っていたインチキ野郎達と何ら変わりませんな。w

さて、夜になる前に年越しそばをいただいて少し腹を満たしたところで今度は夕方から大量の(いつもは買えない)高級肉が次々に出てきましたが、パクパク食べ続けたのは子供たちで、お父さんはその勢いをジーッと見つめる時間が多かったような気がします。

私の横では家族が何気なく紅白を見つめていましたが、なんかthe NHKという感じで滑ってる様に感じましたが、皆様にとってどんなもんなんでしょうかね。私にはもう番組の国民的需要はとうの昔に切れちゃってるような気がしてるんですけど。それに比べて同じNHKが特集したワールドカップ・ラグビーの日本対スコットランド戦のドキュメンタリーは流石と思わせるものでした。

12時になった瞬間、我が家の恒例である若水が配られました。しばらくして初夢を見るために床についたのでした。来年も良い一年でありますように~。


2019年12月30日月曜日

長女がNYから一時帰国

年末年始の短い休暇を日本で過ごすために長女が帰国しました。

NYUの大学院でビンボー生活をしているようですが、家賃は私からの$1,000で賄い、生活費は大学の仕事をアシストすることで得られる$2,000/monthで賄い、学費の多くは大学から貰った奨学金でなんとかしているようです。

とは言えそれはそれ、NYでの生活ですからいろいろなものが冗談みたいに高いため、なかなかのボンビー・ガール生活を送っているようです。今回の帰国にあたっては本人既に「日本で何を買い揃えるか」という買い物に関する希望をリストアップしているのには笑ってしまいました。

今回は「あしながおじさん」(実物は反対ですがw)になって、持てるだけのものを持って帰らせたいと思いますが、御本人によるとやっぱりモノより「四角くて平たい紙状のもの~」とか、「サインだけしてある白紙のチェック」とか、訳のわからぬことを申しておりますので、そこは多分帰国中にこちらで買ってあげる服その他の日用品を持てるだけ持たせて、あとは・・・ちょこっと多めに振り込むようにしようかなと思っています。

風邪気味で帰ってきた娘でしたが、とにかく無事に帰ってきてましたし、生きるエネルギーに満ち満ちて快活かつ話すこと満載という感じですので、親としては一安心です。

結局親としての最終目標は、自分がこの世から消えたあとでもしっかりとジヌンの日本足で立って前へ向かって歩き続ける独立した人間を育てることですので、この大学院卒業後はかなりキャリア・アップをしてくれるのではないかと感じています。

帰国して家に着いたあと二人きりで話した時に「卒業したらどうするか」の前に、ある世界的企業でのインターンシップを行おうとしているみたいなことを話しておりました。
一体彼女は何をしたいのか、いまのところ親の私からはまだまだ見えてきませんが、自分で責任を取ることでしょう。

彼女の大学院も実質あと一年半。シッカリ勉強して良い成績で卒業してもらえばそれで十二分です。


2019年12月29日日曜日

徹底的に子育てと障害者支援に!

障害者支援の施設に現金と新品のノートパソコンを寄贈しました。

使っているパソコンは自分が使っているのと全く同じもので、使いやすさを確かめた上での追加購入で納得した上で寄贈しました。
あとはふるさと納税。今年は「さとふる」を使って」徹底的に子育て支援と福祉にその使途を絞って納税させてもらいました。

自分で使う税金を「これに使ってもらいたい!」と思えるものに投入できるというシステムは実に気持ちいいです。言い出せばそれこそ細かい議論が沸き起こってキリはありませんが、土建屋や利権繋がりの不要な箱物に自分の税金を垂れ流されるくらいならきっちりと使途を指定したほうがよっぽど気持ちよく仕事を続けられます。

少子化と貧困の拡大で子育てに苦しむママ達が少しでも、ほんの少しでもお金のことを心配せずに日常を送れるように自分の税金を使って欲しいなと心から思います。
お金があまりにもない事で子供たちに「ひもじい思いをさせず毎日ご飯を食べさせる」こと、「それぞれの季節に合った服を着せる」ということ、「穴がない状態の靴をきちんと履かせる」こと。

お金さえ普通にあれば「何を今更」というような事なんですが、そういったレベルで物事を心配し日々を過ごさねばならない若いお母さん達のことを考えると「頑張れ~」と肩叩いてあげたくなります。しかし、肩を叩くよりも一食分の御飯、一冊のノート、一枚の服を送るほうが余程、生活の援助という意味では効果的なわけで、この納税法は気持ちいいものです。

来年の障害者支援と子育て支援にどうやって効果的にお金を落とすのか、十分に考えて思いっきり行こうと思っています。私の小さな小さなお金ですが、少しでも道筋つけた支援ができるというのは良いもんです。


2019年12月28日土曜日

議員とか上から下までどうしようもない連中ばっか。w

下は村会議員から上は国会議員まで、ホンマ屑と糞ばっか。

テレビではIR導入に伴って秋元とかいう小物がまた捕まっておりますが、すぐに名前ごと忘れられることでしょう。大東文化大卒で「あの」小林興起の鞄持ちをしていたとの話を読みましたが、学生の頃からの謎の政治家志向!習字と駅伝に専念すべきではなかったのか?w

他にもなんか広島で河井とかいう、夫婦揃って仕事をしない議員センセイがいるとかいう話もありますですが、こいつらはこいつらでで終わりですわな。

以前、村会議員の運営の話を酔っ払った村会議員から聞いたことが有りましたが、想像を超えてほぼマンガでした。そこには交代で椅子に座る、おらが会社の建築事務所に談合して村の予算から仕事を回し合う、云うこと聞かんと文字通り村八分。

こういった低レベルの話は村会議員レベルかと思いたいところですが、皆様御存知のように、国会議員などもニュースで報じられている通り。奴らは結局のところ自分が当選再戦することが至上命題であって、その為に支持者達(というより陳情者達)にコネをつけてやってテーブルの下で物事を進め、その見返りに金と票を拾い上げるという選挙制というシステムが導入されて以来永遠に変わらぬ手法を使っては捕まったり捕まらなかったりするわけです。

医者をしていると、いろいろと国政市政レベルの屑達からの投票依頼が間接的に回ってくることが多いのですが、そういった折にそれを依頼された他の先生からその「議員センセイ」の人から見えないところでの醜態や発言を聞く機会があるのです。
いわゆる、有権者からは見えなところでの「御本人の真の姿」に関する話なのですが、本当にその話の諸々は唾棄すべき話しのオンパレード。まず、連中はロクなもんじゃないです。

私が聞くそいつらのいろいろな話は正しいと思えるような、微細をうがった話なのですが、それを総合するに・・・皆さんが頭の中で想像するような大センセイそのものだと思ってくださってよろしいかと思います。

中身スカスカで何の理念もないけれど、高校生が書いたようなレベルの文章を口から紡ぎ出すだけの連中や、スーツとバッジを外したらしがらみしか残らないような老若男女。オッサンもオバハンも、ジジイも若手も今どきあんな仕事をしようとする時点で人としては基本「アレ」なわけです。

世襲も総務省からの落下傘も、明治の頃からな~んにも変わっておりません。屑はサイズの差さえあれど所詮どこまでいっても土に埋めるか燃やすしかないクズなのでした。

「絶対的権力は絶対に腐敗する」ジョン・アクトンの言葉は今も変わらず正解です。日本においてはまさに今の自民党そのものですな。しかし対抗馬が糞すぎてこれまた・・・。金もらって糞を演じているんじゃないかというくらい見事な糞であんなのでも歴代最長という。w

日本の今のレベルそのものです。

2019年12月27日金曜日

日々是好日

どっかのブログのタイトルみたいですが、映画のタイトル。

樹木希林さんの遺作となった映画ですが、私は今日まで残念ながら観ておりませんでした。で、私的な感想はというと「素晴らしい」ものでした。アマゾンのプライムにそれとなく入っていましたので、気軽な気持ちで当直室で観始めたのですが、呼び出しを受けた時間以外はずっと観入っていました。

爆発もカーチェイスも戦闘も裏切りも、派手なことは一切起きない茶道の話なのですが、これが実にいい。希林さんと黒木華の間(私の好きな多部ちゃんも絡んではいますが・・・)でやり取りされる静かな言葉のやり取り。

人生における時間の経過と人の生死というものを、季節の移り変わりの中で季節を切り取る美しい日本の映像と繊細な音を使って表現している佳作でした。いつもの如く、自身で観た映画の内容はブログでは詳述しないことにしておりますので、もうこれ以上は内容に関しては書きませんが、やはり樹木希林の最晩年の円熟味は素晴らしいの一言に尽きました。

あと黒木華さん。正直「目の覚めるような美人」ではないのですが、彼女は間違いなく大女優になるなって思いました。一体、何なんでしょうかこの人の表現力は。あの若さでああいった自然な演技ができるというのは凄いことだと思いました。努力、それだけではない資質があるんでしょうね。(ただし、最後の雨の中の踊りはいただけませんでしたが・・・、あれは監督が悪い!w)

この映画を通じて茶道、表千家・裏千家というものを改めてネットで回って調べ、「へーそうだったんだ!」という知識をこの歳にして初めて識りました。日本に生まれて生活しているばいろんな時に何気なく耳に入ってくるこの茶道の「表・裏千家」という言葉。実は武者小路という分家も有って総称して三千家ということを知ったときはヒョーという感じで、日本のこんな代表的な文化のことをな~んにも知らないことに改めて情けなく感じた次第でした。

思わず地元の茶道教室の検索をやってしまったオジサンでした。w

それにしても、昔観て涙を流したフェリーニの「道」がアマゾンで観られないのは寂しい限りです。


2019年12月26日木曜日

医学部合格が人生の至上命題の可愛そうな人たち

同じ医局の女医さんでいわゆるヘリコプターママと呼べそうな御仁がおられます。

驚くような話を滔々と大声で医局の中で喋るのですが、まあ、ちょっとサイコ系の人なんでしょうかね。御両親ともお医者さんでいわゆる自称サラブレッド。例に漏れず御主人「も」お医者様です。サラブレッドですよね?何がそれにあたるのかはトンとわかりませんが。w

息子が中学からいじめられてそれを守るために相手の子供の親に電話でカチコミをかけるは、校長等を呼んで直談判をするわ、弁護士を立てて相手に内容証明付きの書類を送って子のいじめに関して責任を取らせようとするわでそれはそれは大暴れした方です。

その合間にもいじめられている(と、お母さんは信じ込んでしまっている)子供を守るために、子供を医局につれてきて自分の机で自習させて高校受験の勉強をさせてましたが、第一志望は落ちたもの、第二志望(ここも十分名古屋では比較的有名な公立進学校)に通り狂喜乱舞しておられました。休日も日曜もダブルで塾に行かせて朝夕送り迎えしていた苦労が報われたってもんですよ!

ご本人曰く、ざっくり6000万かけて息子さんを御自身の卒業校であるA医大を受験・合格・卒業させる予定らしいのですが、「それでも十分人生ではもと取れますよね~」との御発言をされておられました。金持ち恐るべしです!

まあ、正直言うと15にもなってこんなキチガイ・ママの言うことを粛々と受け入れるガキの脳味噌なんて言うのは成長しないまま既に終わってしまっているわけで、自我の発達どころか発現もないままこの歳まで来ている輩でしょうから、まず間違いなくマザコン決定でしょうな。

こんなのでもこれくらい金と手間さえかければ少なくともこれくらいの学校には行けるのですが、さて、その入学後の成績はどうなんでしょうか。入学して半年くらい過ぎましたが、以前医局でやっていたような息子自慢関連の放言が全く聞こえなくなったので、なにか高校での成績に緊急事態でも起きているのでしょうか。他人事ながら心配です。w

この息子さんもきっとママ~ンの(金と)愛情をこれからもたっぷり注がれて大きく育っていくことでしょうからきっと医者程度の職業にはつくことでしょう。いわゆるお医者さんの三代目完成ですね!

計算してみると、このまま浪人無しとすればあと9年程度で皆様を御診察される研修医になる可能性(危険性)大ですね。きっとダイセンセイとして名古屋の医療を引っ張ってくださることでしょう。


2019年12月25日水曜日

寂しく一人で死んだクリスマス・イブ

突然朝の院内専用PHSがなりました。

電話の向こうからは当院の精神疾患患者が退院後に社会復帰をする上で一時的なケアを行っているケア施設の施設長が発する声が聞こえてきました。「先生、もうお聞きになられましたか・・・」

最初は何のことか意味がわからず、正直に「何か有ったんですか?」と問い返しました。すると、私の外来に来ていた肺癌末期の患者さんが家でひっそりと亡くなっていたというのです。

この患者さんは私が日本に帰ってきてからすぐに別の先生から引き継ぎずっと診てきていた患者さんで、糖尿のコントロールに私が必死で取り組んでいた方でした。少しだけ理解力に難はあったのですが、心は素直そのもので少年のような人物。ただ、どうしても入院だけはしたくない、絶対に入院はしない。入院するくらいなら死んでもいい、という発言をしていました。

この方ある等級の精神障害者手帳を持っていた方で、入院においてもお金はかからないしご飯も病院できちんとカロリーが計算された御飯が三度三度ちゃんと出るよ、と言ったのですが彼の答えはいつも決まって「やだ。絶対ヤダ」という簡単な返事。

糖尿のコントロールや肺癌の痛みが出たときの対応がきちんとできるようにしておけば良いよと言っても、答えはいつも「入院だけは嫌だ。先生にはお世話になっているけど入院だけは絶対しない」というものでした。

半年にして一回撮っていた胸部写真に異常陰影を発見してCTで確認。ほぼ悪性腫瘍で間違いないから今ならサイズも十分小さいし、大学病院で切り取ってもらえば全然長生きできるよ!とは言ったのですがやはりこの時点から「絶対手術とか入院とか嫌だ」という一点張り。

なにか過去に入院に関連して、私の知らないなにか嫌なことが有ったのかもしれません。しかし、結局のところ私は彼を治療に導くだけの言葉を持ち合わせていませんでした。
痛みの訴えや呼吸苦の訴えが無かったことだけが私にとっては救いでしたけれども、それは私にとってという私だけの救い。結局、私は彼を救うことはできませんでした。

友達がかけていた電話の記録からするとおそらくイブにひっそり一人だけで昇天したようです。
ほんの一年前に亡くなられた100歳近い彼の御母堂のもとに安らかに旅立っていった彼のことを思ってい一人飲んだクリスマスの夜でした。


2019年12月24日火曜日

働き方改革で起こる医師の仕事と病院の変化

夢と希望に満ち満ちた地上の楽園を実現させることが出来る法案がすでに動き始めました。

医師に関して言えば、5年の猶予をつけてその間に何とかせい!ということだと解釈していますが、多分そこに至るまでの道はボロボロで、出来上がった浅い集計は泥縄の編まれたものになる事と推測しています。院長達の多くは「こんな仕事やっておれん」と考えるはず。

多分、働き方改革法案が厳密に施行された暁には病院のサービスの質は大きく低下し、研鑽を積もうと思っても仕事という形では参加できない勤務状況不明の医師が給与支払い不能状態で、サービスという形で文字通りゴーストとして引き続き治療と救命のために院内をうろつき、患者たちにはタスクシフトとタスクシェアリングという美名のもとに充てがわれた仕事をこなす無数の非医師が患者さん達に種々の「リスキーな」処置を施すこととなるでしょう。しかも、これらの最初の変化は患者側からは見えない形で静かに深く進行していくと思われます。

無論彼らのミスの最終的な責任の所在は主治医と院長に全て反射波として戻ってくるわけで、これまた医師達のストレスはいや増すことでしょう。こういった事態を防ぐ短絡的で最高の方法は病院の数、ベッド数の大幅縮小。更にはリスクの高そうな患者はそもそも受けずにいわゆる「経営にとってリスクになりにくい」患者が選択される傾向が強まると思います。

医師が合法的に研鑽を積めるチャレンジングな時間と時期が短縮されて「強烈なテク」を持った世界の医療会で渡り合えるような神の手の持ち主などと呼ばれる医師は日本からは生まれにくくなってくるのではないでしょうか。

巨大な制度変革とともに倫理と知識が負の方向に変性してしまうと、その一度大きく劣化したシステムを取り戻すには50年以上の時間がかかることを赤い隣国は文化大革命という地上の楽園を目指した改革を行って大勢の人の死をもって証明してくれたのですが、お役所では御理解が進んでいないようで。

僻地と離島医療は崩壊し、限界集落には当然のように残酷な現実が津波のように押し寄せることでしょう。更に厚労省の本来の目的通り医療費は抑制されるのでしょうが、医療の質も大きく落ちていくことでしょう。

人口が減った未来の日本で、廃院の跡が累々と各地に散見され「昔はここに地域の医療を支えた基幹病院が有ったんだよ!」と30年前を語る地域住民がきっと普遍的に列島に散在していることでしょう。

厚労省が机上で考えたビッグ・プランでなにか最終的に上手くいったアイディアって有りましたっけ?

ま、その頃にはプランを練った連中は隠居状態でしょうから、病気になったら己の策定したプランの末に出来上がった医療システムのお世話になっているのかな?ベッドが空いていればですが・・・。(おっと!上級国民様には差額ベッドも何のそのでしたね!w)


2019年12月23日月曜日

長生きの先にあるもの

今の日本で長生きすることによって得られる幸せのターゲットはどこにあるのでしょうか。

元気で、子がいて孫がいて、贅沢はできないけれどそこそこのお金があって・・・と言うならばいいんですけど、残念なことに病院や在宅、その他の施設で見てきた長寿者の中にはそうでない人がズラリ。

勿論、優しい家族に優しく囲まれているお祖父ちゃんお祖母ちゃんもいるんですが、その手の方は意外とeuphoricというか、幸せの方向にボケている感じの人が多い印象なんです。自分がボケていることを認める人もいれば認めない人もいるし、そもそも認知症の何たるかが理解できないレベルまでボケてしまっている人も少なからず。

もう一つ考えるのは「じゃあボケていないのは幸せなのか?」という疑問なんですが、お金があっても自分の老化を認識できている人は、そうやって老いていくことをシッカリと自覚できているだけに年々歳々確実に老化していく肉体と精神をそのしっかりした頭脳で客観的に見続けるという罰ゲームを課されているように""見えます。

若さというのは本当に金では買えないもので、若い頃には観念では解っていても心配するようなものではないもの。あの老害の石原慎太郎も、太陽族という言葉を生み出した頃は戦後の若さの暴走を描出して遠慮のないものを描き出して、偉そうなことを(当時から)放言しておりました。

金があっても老いた肉体では楽しめないことばかり。VRやARが発達したら少しは状況は変わるのでしょうが、興奮しすぎたら今度は心臓が止まりそうで。w

大便や小便をトイレに行って一人ですることができなくなってきたら私個人としては「老いた」と自分を定義しようと思っています。そして、自分の口で飯を食べられなくなったらもうそれ以上の長生きは不要と思っています。ただし、これは「自分」に対するものであって、他の誰にリクエストするものでもありませんし、いわんや自分の日常の患者さんにそれを求めるものでもありません。

若いというのは無理がきく時間。若いというのは失敗がたくさん許される時間。若いというのはこれから何十年も先のまだ何者でもない自分を数限りなく夢想することが出来る時間だと思います。

そういうことも還暦を過ぎてくると次第次第に・・・少なくなるのではないのでしょうか。夢は沢山見れても、それを実行に移すチャンスは次第に減り、安定方向に振られていくのが歳を経るという現実なのだと思います。

寂しいことですが。


2019年12月22日日曜日

ファイルメーカーPro16でDB作成中ですが・・・

今、病院の種々のルーティン作業を効率化させるために自分でシコシコとFM(FileMaker)を使用して簡易データベースのハンドリングに取り組んでいます。

無論、私はDB用の種々の言語を操れるわけでもなく、またそれをしようとも思いません。理由は簡単で、昔からラボで使うレベルの簡単なDBであれば、FMを何となくイジっておけば昔から何となく「日常の研究で使うには困らない程度のそれらしいもの」が出来上がっていたからです。

いわゆる洗練された業者制作レベルの、大規模かつ複雑な構造のものとは程遠いのですが、それでもやっぱり日常の仕様には十分事足りるものでした。この美点は今でもバージョンが上がり続けるFMにも連綿と受け継がれていて、ネットに散らばっている「それらしい」動画や説明を読んでいくことで解らないところを一つ一つ潰していくことができます。

それでも、私の脳みそというのは全く精密機械!等と呼ばれるような頭脳の持ち主とは対極にあるようなボンヤリ理解型のボンクラ頭なので、なんとな~く理解したことを「ああでもないこうでもない、いや、やっぱり上手くいか~ん」等という感じであっちにぶつかりこっちにぶつかりながら進めていくだけです。

それでも、ヒーヒー言いながらではありますが最終的に「まあ使えるか、、、な?」などというものを作ってみて、現場のデータを吸い上げてみて最終的に修正を加えて再調整しながら一件落着という、なんともアナログというか土方仕事みたいな仕上げです。

種々のスクリプトや関数の記述が上手くできればもっともっと洗練されて更にかっこよく「やりたいこと」ができるのでしょうが、現時点ではこの程度のレベルで我慢するしかありませんし、仕事でそこそこ使えるならそれで良し!とすべきだと思っています。

これ以上のことをやろうと思ったら院内で勉強会を開いて自分で教える!等のモチベーションを自分にふっかけない限り大きくは成長しないだろうと思っています。事務方の昭和のオフィス風の伝票処理などを見ていると、「21世紀に何を紙の帳票をめくっとるんだ?」というような作業をしているんですが、事務方のトップが爺さんだとなんにもそこら辺は解ってないから仕方ないんでしょうね。それよりはそれに文句を言わない若手のほうが大問題なんですけど!

今度、やっぱり若手を集めて勉強会を強制的に開いて進化を促そうかな?


2019年12月21日土曜日

年賀状書き終えた

珍しく今年は早めに年賀状を書き終えました。

いつもはがギリギリのことが多いし、いつも会っている人には会った時点で年賀状以上の濃い話をしておりますので、ほとんど年賀状で「改めて」という必要性を感じないのですが。日本に帰ってきた以上とりあえずはこうやって挨拶です。

もともと昔から年賀状の数は限定的な数しか出さない上に、日本に帰ってきてから働いている病院でも基本的には虚礼廃止ということで、職員同士は特別の関係がない限り上下の職位に関係なく何もすべからずという暗黙の了解があるようですので、そこは助かっています。看護師さんやその他のコメディカルの人達、師長さん達から雨のように年賀状が来たら、筆不精かつ超怠け者の私自身かないませんので。w

ちょっとだけ気になる年賀状の発行枚数の推移ですが、ここに詳述されておりました。これを見る限りでは本当にここ15年ほどの先細り具合はものすごい勢いですね。いまの発行枚数はピーク時の半分ですし、個人の年賀状の発行枚数の変遷でも明らかにこのままの低下が続けば、10年も経ずして一人あたりの年賀状を書く枚数は10枚を下回りそうです。

年賀状を書くという風習は残り続けるとは思うんですが、予想を超えた速度で減っていくこの発行枚数を見ていると、2050年頃には個人で年賀状を出すという風習自体が珍しいものになっている可能性大と思えてしまいます。

筆まめでもない限りはきっとそういう動きになっていくのでしょう。
ちょっと寂しくもありますが、電子的な手段というそういった代替物がある限りは消えていくのはしょうがないのでしょうね。


2019年12月20日金曜日

次女のトランスファー1つ目の合格通知

果たして2つ目があるのか知りませんが、とりあえずは1つ目の通知が来たみたいです。

その1つ目はSAICでした。シカゴ美術館付属の芸術大学という日本ではちょっとあり得ないパターンの学校なんですが、ここのアクセプタンスは次女によると6割程度はるということなので、彼女の口からは特に何の達成感も無い感じで「とりあえず他が落ちても行くところは出来た」とのこと。いわゆる滑り止めという事でしょうかね。

とはいえArt&DesignではWorld rankingで毎年トップ10には入っているところですし、その内容を学校のウェブサイトなどで調べると「マジすか?」というような美術館付属ならではのいろいろなメリットがあって正直羨ましいなと思いました。

美術館の講演会や展示会には自動的に無料で出入り自由。かつ、いつでも美術館の展示物の模写や写真撮影が許されているうえにいわゆるバックヤードや資料へのアクセスがかなり幅広く認められているようです。これだけでも良いな~と思わず第三者の私は思ってしまうのですが、こういったことは多くの美大生などには各国で許されていることなのでしょうかね。

大学では個人のアトリエがあてがわれ、24時間好きな時に好きなように自分の好きな創作活動を行っていいというようになっているみたいです。

ここは私の個人的な想像なんですが、こういったところに集まる多彩な才能というのはまさにルツボなのでしょうね。変わった作風を持つ人間、似た作風を持つ輩が種々に集いお互いの作風に感化され影響を与え、与えられながら技術・作風を高めあっていくのだろうと思います。

今回のメリット・ベースのスカラーシップは毎年$18,000ということですので、助かりはしますが、次女の情報によるともろもろ込みで一年にかかるであろう生活費や教材費その他のお金は、平均すると$45,000とのことですので、私が当初より送っている毎月の$1,000からすると追加の$15,000が必要となってくるわけです。

しかも絶対にこれだけの出費では済まないと思いますので、私のほうはここに行くのか行かないのかは別として、今から首が回らないような事態だけは避けられるように爪に火を灯すような生活に「再び」慣れておかなければなりません。orz

親の心子知らずですな。今になって実感です。w


2019年12月19日木曜日

病院の飯の不味さはなんとかならんのかw

ほぼどこの病院もそのサイズには関係なく病院食は美味くないと思います。

例外があるとしたら産婦人科の食事でしょうか?
嫁さんが長女を産んだときにはそこで出される美味しい料理に大喜びで、二人目を産むときも「あの料理」が食べられると解っていたために、出産前から楽しみにしていたくらいです。まあ、何もしなくても三食美味しいものが食べられるということ自体が楽しかったのかもしれませんが・・・。

それにしても、平均的にどこの病院で出される食事も正直不味いと思います。いろいろな病院で結構「検食」というシステムを導入していて、その病院でその時間帯に出される患者さんの標準的食事を我々医師達に提供するわけなんですが、特に多くなるのはバイトで行く関係上、昔から必然的に休日の朝・昼・夕の三食。

しかし、それらが「患者さん向け」の病院食であるところはまず美味しかったことがありません。時には正直「豚の飯?」というようなものもあるんです。医師向けに別に作っているところはもちろん「おお!」というような病院食であることも無きにしもあらずなのですが、それは患者さんが食べているものとは別注ですのでカウントには入りません。

結局の所、栄養バランスとカロリーと1食にかけられる値段のバランスが全てで、これを削ってくるのが多くの病院の真実。それは大学病院でも同じことです。

アメリカで私が心臓のオペをして入院したときの飯はまさに豚の餌の極みというか、これ宇宙食用の缶詰を皿の上にぶちまけたのかと思えるほどのものでした。
おかげで入院中は点滴以外ほとんど何も体に入らず入院してる間に一週間で4-5キロ痩せる始末。

病院食の不味さには国境はなさそうです。w


2019年12月18日水曜日

終末期の医療

この前の人生会議の話の続きでもないんですけど、人の死の選択というのは本当に複雑です。

終末期をどうするかというのをきちんと話し合って決めていても、最終的には最後の最後で「やっぱり」という感じで方向を修正してくる親族の方がいます。
特に精神科に長く入院している親族の方であまり病棟に現れない方ほど決定事項が「揺れてしまう」傾向が強いと感じています。

こればかりは我々医療者サイドも動かすことは出来ないことなのでいつも直前で「不要と思われる」延命措置をとったりしなければならないことがあります。意識がなくなっている90過ぎのおばあちゃんなんかに心臓マッサージをリクエストする方も「稀に」居られるので、そういう方の案件に遭遇した時にはその処置をとった後で遣る瀬無い気分になったりします。

やはり、人には寿命というものがあって当然で、私自身は自己決定による尊厳に基づいた死というものがあってしかるべきだと思うのですが、現行の法はその手の繊細な事案には直接的には触れもしておりません。

結局のところ、ある国における平均的な人の死というのはそこに住む人達の平均的な死生観の緩い反映の結果だと思っていますので、日本人の死に対する最終的な「決断」というのはやはりまだ白黒とハッキリ決められるようなものではないというのが本当のところだと思います。

実際の法律の施行と、こういった死生観の変化というものはおそらく数十年の「ズレ」を伴って成し遂げられるものだろうと考えられますので、今の年配の人達の「とりあえず生きてもらって後は先生にお任せする」というような考え方が無責任だといわれるようになるのが当たり前になるにはあと数十年から1世紀ほどかかるのかもしれませんね。

勿論、その頃は私などはチリになっているわけですが・・・。


2019年12月17日火曜日

生活習慣病改善にはまず食生活と運動


成人病というのは実際のところ言葉足らずで、誤った認識を多くの人に与えています。

成人病というのはその疾患が成人に多いというだけで、実際は不健康な生活を送る若年者でも「普通に」発生します。体が大きいよく食べる小学生が体の不調を訴えるため、検査してみたら高尿酸血症による痛風発作だったということもあります。

アメリカでは子供でも普通に2型糖尿病になっている子供がいますし、いわゆる成人病で指摘されるような糖尿病のほかに痛風、高血圧、心臓病などの肥満が大きな誘因の一つとなるような疾患が普遍的な広まりを見せて大きな問題になっています。

私が通常診る様な成人病の患者さんは本当に生活習慣が崩れてしまっている人が多い。本当に。種々の実例を話しながらこのままこのような生活を続けていくとあなたにこれからどういった病気が各種の具体的な症状とともに発症していくかを時系列で話すことを常としているのですが、この手の話を数回するうちに文字通り「劇的に」種々の数値が改善していく人たちがいます。

勿論パーセンテージが高いわけではないのですが、基本的に理解力の高い人が中心で、食事療法と軽度の運動療法を入れていくだけでビックリするほど数値が改善していくのです!体重をはじめとして血糖値、各種の脂質の値、尿酸値などがそれこそシューーーっと改善していく様子は長々と怖い話をした甲斐があったと思わせるだけのもので、治療者側たる医者にとっては素晴らしい喜びをもたらしてくれるという意味では医者をしている報酬「そのもの」ですね。

一方で薬に頼って生活の質を改善しない人たちというのは、残念ながら客観的に言って改善どころか次第に、そして中には残念ながら急激に数値が悪化していくことが多いのです。残念ながら知的レベルが低めで人の話も聞かない。特徴的なのは言い訳が多いことでしょうか・・・。

こういう人たちの治療成績を見ていると、生活習慣病というのは実によく実態を捉えたネーミングであって、先を見る力のある偉大なる大先輩がつけた病態だと心の底から思います。

私自身も別に健康マニアではありませんが、患者さんを指導するからには指導中に「お前もな!」とビシッと言われないで済むような体を保っておきたいと思います。w


2019年12月16日月曜日

突然の病

病院のある役職者が病に倒れました。

酒に強く、食い物もガッツリ食べてとても70代と思えないほどの精力を感じさせる人物で、よく飲みに出てよく遊び、夜の街には彼を待つママが居るほどでした。もちろん押しも強く、大抵の人間は彼との問答では勝てません。

本当にひと月前まではゴルフコンペで上位に食い込むほどのレベルだったのですが、突然の大量下血とるい痩、そして下半身の知覚麻痺がこの人物を襲ったのでした。
大学病院で検査入院を繰り返す間にも症状は進み、最終的についた診断はある臓器がオリジンの癌だと判明したのですが、それが判った時点ではすでに全身に転移しているという有様。

今日、当直が明けてお見舞いに行って参りました。

大学病院の高層階へ行くと清潔で無機質な病室には奥様がソファに座っておられ、彼は静かにベッドに横たわっていました。前もって近所の寿司屋でほんの30分前に時間を合わせて握って貰っていた特上の握りと近所のコンビニで買いこんできたオッサンでも大好きだと思われる菓子の数々をお茶と一緒に持っていきました。

彼が眼鏡をかけて私の姿を確認したのですが、意外と元気で言葉も明晰。思考も全く普通そのもので、足が動きづらいことを除けばとても病人とは思えません。
しかし、その口から出てくる言葉は後ろ向きのものばかりで、いろいろと言葉をかけるものの奥様とともにその予後を悟りきったような口ぶりでした。

あまりお邪魔しては疲れると思い、十分も居なかったのですが、話しているときにお互い無言でつい涙がポロリと目から溢れてしまいました。

発見さえ早ければ5年生存率は99.9%以上のタイプの癌。日頃が元気だっただけに高血圧以外には注意を払っていなかったようです。彼の存在が無くなっているオフィスは実に異なった雰囲気で、異様に寂しい限りです。

奥様に「くれぐれもよろしくお願いいたします」とお話しして別れたのですが。やはり泣けてしまいました。


2019年12月15日日曜日

救命救急措置のドリル

病院における救命救急措置(Advanced Cardiac Life Support)のドリルを行いました。

こういった練習は「日ごろから」準備しておかないと実際の心停止や呼吸停止の患者さんが発生したときには全く役に立ちませんので、日頃からどのように動けばよいのかというセットアップを行い、それをシミュレーションを通して繰り返し体に覚えこませておかなければなりません。

一番良い例はERの看護師さんたちで、ほとんど医者が何も言わなくても状況判断をある程度自分達で行ってくれるため、医者さえ患者さんの所に近寄っていけば、必要なものが医師の目の前に次々と飛び出してくるほど習熟した動きを見せます。

それもそのはずで、心停止や呼吸停止、それに被さった外傷その他が次から次へと1日に何回も運び込まれてくるのですから、よっぽどのドジ造でもない限りは1か月もそこに勤務すれば取りあえずは看護師や医師としての形は決まってきます。

ERというところは物凄い充実感のあるところで、運び込まれてくると戦場の軍医のように素早い判断と手技を要求されますから、現場に合わない人はそもそもERには向かないという感じで、辞めていく人も多いのです。(まあ、そもそも若いうちしか出来ないような仕事の一つなんですけどね。)

今日はあらかじめ、一人のベテラン看護師さんに部屋のモニターその他の器具配置や緊急カートの中のセットアップなどをしていただいて貰っておりましたので、大変助かりました。そこに私自身が書き込んだA41枚にまとめた手順書を持ち込んで30分間のミニ講義を行い、そのあとに看護師さん達に役割をいろいろと変えてもらいながら5回ほど患者搬入から心マ、全てのモニター装着、気管挿管補助、CV挿入の補助、注射のセットアップの準備などを含めた一連の動きを果たしてもらいました。

今回は特に経験の浅い人たちを選んでのドリルでしたが、終わった後は質問を含め、解りにくかったところ、忘れがちなポイントなどを再履修して貰いました。
今後も繰り返しこのドリルを行いながらこの人たち自身が他の看護師さん達に教えることのできるような人に育ってほしいなと感じた午後のひとときとなりました。

若い人たちの実技や知識の吸収は早いと信じております。私が教え方さえ間違わなければ、きっと看護師として更に飛躍してくれるものと信じております!


2019年12月14日土曜日

ノイジー・マイノリティー

サイレント・マジョリティーという言葉は昔からありますが・・・。

最近は小さな声「も」大切にしようということになっています。無論、弱い者の立場に立ってその権利を考慮するというのも非常に大切で、どう考えても理不尽な搾取や攻撃が行われているときに、その力を持つものを別の力を持ったものがガツンと痛い目に合わせてやることは常に行われてきました。

その反撃に当たる行為が正しいこともあれば、大きな歴史の中の流れで見れば間違っていることだって当然ありますが、それは多くの場合その時点での常識の中での判断であることが実は普通で、ある時点の過去の出来事をのちの常識で測るのはまさに見識のズレそのもの。

たとえそれがその時点でベストの判断だとその当時は思えても後の世から見ればとんでもないというようなことは人類の歴史においてはごく普通で、ちょっと考えてみても実例なんて言うのは枚挙にいとまがありません。時代の差のみならず、国の違い、宗教の違い、人種の違い、思想の違い、経済力の違い、性差などからくるある時点での判断は、別の地域に住むのちの人から見れば「トンデモ」なものも無数にあるわけです。

とはいえ、そんな中で気になったのはあるネットニュースに出ていた「除夜の鐘がうるさいとXX年より中止になっている」という話。

第一の私的リアクションは「出た基地外!w」というものでした。

そもそも寺というのはもともとほとんどの場合は現地に大昔からあってあとからその寺社に人が一緒に、もしくは後からやってきて住み始めているわけで、100年200年後からのこのことやってきた有象無象が「寺の鐘はウルセーから突くな」と言うのはまさにイチャモンでしかないように聞こえるんですが?そもそもお前がそこに来るなっちゅう話じゃないんですかい?年に一回だけある108回の鐘も我慢できんのかい?この煩悩のかたまり野郎が!

花火がやかましいから花火大会するなとか、保育園の園児の声がうるさいから静かにしろとか移転しろとか・・・。もうね、お前らがどっか行けよ。w 別にお前らのようなお上品な方々はそもそもその地域には要らんから。

周りと協調できずに、てめえのエゴだけ前面に押し出すような輩は富士山の麓の樹海あたりで静かに森と向き合って暮らしとけって感じです。この手の意味不明の「市民」の皆様の家の隣に鐘楼でも建てて毎日千回くらい朝から晩までフリーで鐘突くサービスをして差し上げたい気持ちになりました。

一日千回というと、時間当たり41.67回。ほぼ1分6秒に一回つくようにタイマーセットすれば・・・(^ω^)・・・。

後の世では私のほうが基地外ですわな。(いや、今でも)w


2019年12月13日金曜日

塀の中の人生

受け持ちの患者さんと少し長い時間話し込む時間がありました。

その患者さんというのは一言でいうと「筋モノ」だった人物で、私より二か月ほど年上。その半生の大部分は塀の中の暮らしでした。最初は少年刑務所。当時は冬に氷点下20度になるような環境で、当時の年少はポットン便所。

凍える中で水は出ず、歯磨きに成功するのは週に一回というような環境だったといいます。だからと言って懲りないのが彼の彼たる所以。カッと来ると止めに入る人間も含めて全員をなぎ倒してしまうんだそうです。

いわゆる武闘派というタイプの戦闘第一の人生だったようで、年少だけで三回も入所。
15歳からヤクザをやっていて、三回目の出所をしたときには年老いた親分がなくなってしまい組自体が解散。そのあと移った組で自分の兄貴分に当たる人間の女癖が最悪で、自分が傷害事件で入所中にその女性が刑務所に訪問してきたときに涙ながらにあってはならぬことをその兄貴分にされたとのこと。通常、入所中に人の女に手を付けるということはいわゆる「やってはならぬこと」の不文律第一条らしいのですが、まあそうだろうなと思います。

そのあとは組を出て、いわゆる全国的に有名な多分日本人なら誰でも知っているXX会の人間として仕事をしていたらしいのですが、もちろん細かいことなどは一切お互い聞きもしませんし話も出てきません。

しかし、その彼がしみじみ語るその日常生活というのは嫌になるほど普通の人間の感情が渦巻く普通の世界。ただ、恐ろしいのは決着のつけ方が「普通では無い」よいうところ。
クスリの話や対決の話、親分子分の関係、女、堅気とのつながり、やばい仕事関係の話などもそこそこ出てくるのですが、やっぱり思考回路が違うなと感じてしまいます。

しかし、老いてきた時、即ち「力」というものの勢いが削がれてくるような歳になってきた今、彼が受け容れなければならない病気による衰えは普通の人以上に彼自身を小さくしてしまっていると感じるのでした。

50数年の人生のうち、塀の中に30年以上住んでいるというのは一体どういう感覚なのでしょうか。そういう彼も今の時代の中で既に組からは「もう関わるな」と言われるような事を言われ、女性からは連絡をしてくれるなと言われ、自分から電話番号とアドレスを消したとのこと。

いったい今の彼の胸中にはどんな思いが去来しているのでしょうか。斬った張ったの人生も、別の意味で容易ではないようです。


2019年12月12日木曜日

インフルエンザ急拡大

外の病院のバイトで外来を診ていると熱発、熱発また熱発。

次々と熱発と関節痛、咽頭痛でインフルエンザのチェックアップをしていきます。すると、7割くらいの確率でインフルエンザA型が検出されます。一昨日来院したときには陰性だったけど、今日改めて調べてみたらやっぱり陽性だったなんて人も少なからず混じっています。

結局、私が診た多くの患者さんはどちらかというと若い方ばかりでした。これは推測なのですが、具合が悪くて家から出ることさえ叶わない高齢者の人達はきっと家でぐったりしていたり、そもそもこの時期に外に出ることさえなく感染するリスク自体も高まっていないのかもしれません。

しかし、そこは高齢者。やはり若い感染者とは違って、感染による体力の低下、免疫系への打撃が重なり細菌性の肺炎に移行したりするなんて言うこともありますから、インフルエンザ感染に関する甘い考えは高齢者に関しては特に禁物です。

アメリカにいたころは家族に高熱が出ても勿論病院に行くことはなくて、薬局に行って一般の感冒薬を購入して対症療法に徹していました。日本に帰ってきて思うのはインフルエンザに対する防御体制の厳戒感の高さ。やはり国が違うとスタンダードというのは全く違いますよね。

実際のところ抗インフルエンザ薬というのはその投与経路や効果の出るまでのスピードもまちまちですが、実際これらの薬を使って得られる効果は数日分の解熱と症状の改善を加速することです。ですから多くの若い人は解熱さえ確実なら抗ウイルス剤をガンガン使わなくとも、最終的には治癒するんですけどね。

まあ、早く治ったほうが良いことはいいんですが・・・。

最近は私の病院でも、子供さんなんかが学校で感染してきてお母さんが割を食って」お休みになるなんて言うパターン激増えです。


2019年12月11日水曜日

大変有意義な飲み会

本日はある目的をもって飲みに出かけました。

それは病院の中枢に関する今後の意見の流れはどうなっているかというのを「大筋」では「本当は」どうなっているかを知ることが目的にしておりました。幸いにしてその中心となる人物から貴重なご意見を伺う事が出来たと思えるような一晩となりました。

その人物から今日聞くことのできた話は十分に出費に見合うと思えるレベルの意外な話の連続でして、逆にこれほどの話をこの出費と手間で知っていいのか?と思えるレベルの正直な話が次々と出てまいりました。

酒を飲んで腹を割って話をするときに、多くの人は隠し事をしませんし、それでも隠し事をする人は生理的に避けてしまいます。今晩はそういう意味では「腹を割って」話をできる人物と話をしてまいりました。

この人物の話を聞く限りでは色々とドライな話を聞くこともできましたが、そうでもないようなウェットな話も実は同時に進行していることが理解できて「世の中満更でもないな」と思える夜でした。

美味しい日本酒と数々の突き出しの合間に流れてくる意外な話の数々は良い意味で私の期待を裏切るものでした。これからの数年間がどうなっていくのかこの人との短い話の中でかなり理解できたと思います。

大事な話を聞きたくて酒を呑むときには「慎重に人を選ぶ」のが大切だということを理解できた一夜でした。


2019年12月10日火曜日

次女の次のアプリケーション

この前アプリケーションを出したThe Cooper Unionに次いでどこに出すかだんだんとわかってきました。

何のかんの言ってやはりアート系へのアプリがほとんど中心になっているようですが、今のところとりあえず判明しているのが次の四つみたいです。


この他にも何かギョッとするような名前の学校がチラッと書いてあったんですが、忘れ(るように)しました。w

この手の教育機関に関してはあまり詳しくない私ですので、ここは便利なウィキペディアにそれぞれのカレッジの説明を求めてみましたが、其々に異なった伝統や特徴があって面白そうな学校ばかりです。娘が一体どこに行きたいのかもその本心はわからないのですが、そもそもこの前出したThe Cooper UnionからきたEarly Decisionの課題からしてその質問自体が本当に課題提出者の解釈力と課題作成能力を試すような面白い質問で区政されており、それを読ませてもらってすぐに思ったのは「サイエンスの世界とはえらく違うな~」というものでした。

スケッチブックにいろいろと描きまくっては色付けや次の」作品への構想を練っているようですが、こういう情熱というのはどこから出てくるんでしょうかね?
娘の画は親の私からしても、正直奇抜で面白い作画だなとは思うのですが、果たしてそれが選抜の中で教授陣の眼に留まるチャンスのあるものなのか否かは全く私には予想もつきません。

私に言えることはただ一つ。「失敗しようが成功しようが好きなことなら頑張んなー」ということくらいです。


2019年12月9日月曜日

swift5到着

実際に待っていたマシンが到着しました。

実はある目的をもって最初から二台のマシンを注文していたのですが、何と到着したマシンの一台がいきなり問題のあるものでした。その問題というのがスクリーンの右下にカルシウムというか電池の液漏れの後みたいな結石を付着させていたのでした。

ちょっとビックリしてまじまじと見た後、万一逆クレームをつけられたら敵わんと思ったのでスマホで写真をパシャっと撮っておきました。
まあこういうことは今までアップルの製品を購入したときに発生したことがないので、やっぱりそこはそれということかな?等とも感じたのですが、そこでめげずに二台目を開けてみたら奇麗そのものでしたので、私としては一件落着。問題のあったマシンを送り返すだけの話です。アマゾンはこういう点に関しては全く問題なく受け取ってくれますのでサッサとアクションをとることにいたしました。

さて、マシンの使用実感ですが、今まで使っていた嫁さんのマックブックとは比較にならない画面の広さで、普通にA4が二枚広げられるっていうのは実に便利です。
タイピングもしやすくて、病院で使っている安いほうのレノボのマシンよりかはキーは打ちやすいですね。」ただし、前のネットでの論評にもあっのですが、ホームキーの横に爆スペースがあるのは一寸アレですので、しばらく使って不便だったらキーアサインを変えようと思います。

あと、エンターキーがもう少しその左のひらがな「む」のキーと離れていてもよかったかもしれません。

とはいえ、ここまで安く購入できたのですから文句は言わない!w
直ちにFileMakerとOfficeをインストールし、Googleのアカウントを紐づけして一瞬でいつもの環境になりました。まあ、マックならではの良さもありますが、13インチの狭額ベゼルのものが出るまではないもしようとは思いません。

三年壊れなければ良い買い物をしたと思うことにしたいところです。


2019年12月8日日曜日

一人博物館

日曜日に家族が家でゴロゴロの中、私だけは滅多に無いチャンスとして動くことにしました。

アメリカから名古屋に移ってきて6年。
実はどの博物館にも一度も行ったことがなかったのです。都市に住むということはそういった展示物、行事、アトラクション等を余り移動せずに享受できるチャンスが大きいと言う事を意味しています。

朝起きた時点で、まずネットを検索。すると一番目立ったのはカラバッジョの展示会。しかし、これはきっと「大量の人」が並ぶという日本のいつもの有名美術展のパターンが繰り返されているでしょうからあんまり乗り気では有りませんでした。

というわけで、まずは何も考えずに鉄板の名古屋市博物館に行ってまいりました。ネット上では以下の展示物が特別展という形で展示されておりました。
そもそも、私は歴史というものに全く疎い人間で、高校の時などは受験に関係ないと思っていた“一学期間だけ取らざるを得なかった日本史”の授業では赤点を取ったことのある人間です。w

試験の関係ない今だからこそ、全く純粋な興味だけでそういったタイトルに向き合うことが出来る訳です。実際に車を転がして行ってみると古いコンクリートの建物が有りました。後で調べてみると、もう40年以上も経っている建物だったのです。

それでも、名古屋市のような大きな自治体だからこそ持てる大きな建造物。中に入ってみるとやはり昭和感満載の中身でしたが、展示スペースは結構広かった感じですね。
私が中学高校の頃に習っていた日本の歴史とは何だか様子が違うぞ?と言う感じの展示物で、きちんと全国の、特に福島の遺跡からの発掘物が展示されていて興味深かったですね。

ただ、あまりに一生懸命集中して回って2時間以上も休まず、飯も食べずに展示物に見入っていたために一回の特別展示物を見終わった時点で「魂を抜かれた状態」になってしまいました。

それでも、ココまで来たからには〜という事で、常設展示場も回りました。ここはここで名古屋の歴史を周辺のエリアとの絡みをつけて古代からごく最近である我々の知る懐かしの昭和の諸々の歴史までを見せてくれます。それでもやっぱり見終わった後はヘロヘロ。

取り敢えず、今後はゆっくりといろんな博物館を回って当たりをつけていこうと思います。一人で回ると誰のことも考えずに時間軸を組み立てられるので、滅多に取れない休みには良いチャレンジだと一人考えた日曜日でした。

次はやなせたかし生誕100周年の記念展示があるみたいですね。高知では記念館にはいきましたけど、もし面白そうなものが追加であるのなら行くかもしれません。いや、それよりも先に他の美術館かな?


2019年12月7日土曜日

日本のサイバー・マンデー使ってみた!

米国にいた頃から次第に賑やかになってきたネット上のお祭りCyber Monday。

米国ではいろいろなネット上のショップが競うようにビジネスチャンスを広げるためのお得なセールを次々と展開していきましたが、日本にこうやって言葉が入るまでは(当然ですが)少し時差がありました。

日本でも、結局のところはアマゾンという巨人が踏み込んできて大安売りを現実として大きく展開することで人口に膾炙することとなりました。しかし、実際にはそれが本当に安くなっているのか否かというのは非常に難しい問題で、細かな日々の比較データとしてその価格の上下動が比較できるシステムがなければ「実は安売りセールとか言って買ってみたら他より高かった!」なんて言うネット通販あるあるになってしまう訳です。

その対策として私がアマゾンの購入時の参考にしているのが優れもののアド・オンであるkeepaです。私から見ると、アマゾンの利用者はこれを入れていないとマズいでしょうというレベルのアド・オンで、いわゆるアマゾン版のkakaku.comにおける価格変動履歴表示システムです。

いろいろと宣伝があったんですが、ほとんど食しを動かされるものは何もナシと言う感じで一週間ほどじっと観察していたのですが、ネットニュースに出ていたある記事が目に止まりました。

それはGIZMODEにあった記事で、AcerのSwift5があり得ない値引きを行っているというものでした。どれほどのものかと言うと下の写真のようなもの。
同じものが他のネットショップ十軒分ほどと比較されてその記事には並んでいたのですが、アマゾンだけが突出してこの値段提示。他の店ではせいぜい14万円台がズラズラと並んでいました。

自分のマックブックをワインで駄目にして以来、嫁さんのマックを使っていたわけですが、これでやっと自分のマシンを再び持てるようになりそうです。

しかしなんでココまで、しかもこの特定の機種だけ安くなったんでしょうかね?新しいMacbookProの13インチが出たらどうなるのかわかりませんが、今の所はこのマシンがぶっ壊れるまでは使っていこうと思っています。

願わくは三年ほどは壊れないでくれ!w


2019年12月6日金曜日

筋トレが楽になってきてしまっている

やはり一定期間を過ぎると同じ負荷では筋肉の発達が進まないようです。

始めの頃にかけていた負荷でいま二月ほど経ちましたが、重いものを挙げると言うより軽いけれども素早く繰り返すとキツくなるようなトレーニングを繰り返しておりましたが、それも一旦ある程度の壁に突き当たってきたようです。

こういった事は当初から予想されていたことですが、5.5キロの重さのものを種々の動きを入れながら最初は50X3X5セットで750回だったものも、最終的にはセット数が上がって1500回動かす方法ところまで伸びてきました。これだったら関節その他に重さによる影響を強く及ぼすことなく、見せびらかし用の筋肉のバルクを付けることなく増やせるだろうと思っていたのですが・・・。

最初はヒーヒー言っていた運動も一ヶ月経つ頃には次第にそれが苦痛でなくなってきて、首や肩のコリも翌日に残らなくなってきたのです。上半身は家で鍛えることが多く、下半身に関しては階段を使った有酸素運動を行うことがメインとなるトレーニングを行い、それぞれ別々の日に鍛えているのですが、下半身の方は未だにきついにしても上半身の方はどう考えても最初に書いたように「キツさ」が無くなってきています。

それなりに汗は出るのですが、明らかに当初に比べ楽に同じことが出来るようになってきているため、今後は少しこのシステムを使用して別の方法(本来の使い方)でチャレンジすることで新たな負荷をかけていこうと思っています。

重さを増やすとなると、今のものより7キロほど重いものを使うことになると思いますので、己が「オッサン」であることを十分に自覚して、その新しい重さのマシンを考える前にあと数ヶ月はこの重さでいろいろな動きにチャレンジし、それでも十分に楽にトレーニング出来ているとなったら次のステップに進みたいと思います。

ブログと一緒で、まずは一年続けてからその結果を解析していこうと思います。最初は体重減だけが目的でしたが、段々と己のアナライザーとしての本性が出てきた感じです。自分を解析するだけならプライバシーのことなんぞ何も考えんでいいですしね。w


2019年12月5日木曜日

珍しく連日続く飲酒

この一週間弱、アルコールを飲む日が続いています。

皆で飲むというのは三回だったのですが、買ってきたジャック・ダニエルズが美味しかった為に夜のパソコンでの作業中にチビリチビリと飲んでいたことによります。
実際に飲むためには患者さんの容態が比較的安定している、そして信頼できる先生が当直をされているという条件のもとで飲むことになります。

しかしながら、実際にはこれだけ連続して飲むことはいろいろな意味で好ましくないわけで、通常は一ヶ月でも二ヶ月でも全くの酒無しで生活できる私にしては年末スペシャル状態と言って良いかもしれません。

自分で金を出して飲む酒というのは通常日本酒かウイスキー、そして稀にワインとなります。九州生まれの男のくせに焼酎が美味いと思ったことは一度も有りません。母親や親戚達は集った時に飲むのは焼酎、焼酎、また焼酎という感じですので、もしかしたら私はどこか他所からの貰い子なのかもしれません。w

寒い時に暖かい部屋で飲むお酒は適度な量である限りは大人の楽しみとして今後も体が元気な限りは続けられるかなと思います。

とはいえ、諸先輩方のお話を伺う限りでは、還暦前後を境にしてグッと弱くなる人が増えるとのこと。特に大量の酒を飲んでいた人に限って、急激に飲めなくなる人が多いようです。私はほとんど日常ベースでは飲まない人なので、細く長く飲む方を選びましょうかね。

皆様も、呑みすぎ注意。飲酒運転絶対禁止で年末をお楽しみください。


2019年12月4日水曜日

忘年会のシーズン

今年もやってきました。

アチラコチラでの病院内外での忘年会です。しかし、いくら誘われても何らかの理由をつけて断れるのがこういった病院の忘年会。それでも断れないのは自分が担当している病棟です。

私の場合、昨年とは異なり幸いにして主に2つの内科病棟だけに集中できる環境を手に入れましたので、この2つの病棟の忘年会にだけ反応すれば良いわけです。(あと一つあるのは外の“バイト”に行っている病院で呼ばれているものですが。)

病院の忘年会というのは各病棟の師長さんや看護師さんのキャラ、そしてたまにそこの病棟医のキャラが加わって独特のものになるのですが、強烈に弾ける病棟もあればまるで精進料理を食べている食事会のような病棟も・・・。どちらが良いと言うより上述のようにその病棟の看護師のキャラによるところが大きいので、ただの参加者である私は何も申し上げることはございません。w

今回は病棟長として何か言わないといけないんですが・・・。
言うべきことはいつも病棟でガッツリ言っているので、忘年会では一年の労を10秒程度の手短な労いのことばで始めようと思っています。まあ、呑み始めれば冒頭のオッサンの言葉なんて言うのはみんなの脳裏から一分で消えていきますので短かければ短いほどよいと信じております。

それにしても、米国にいた時は忘年会というのはまず全く無くて、当然のようにクリスマスパーティーがあるのみでした。どっちが良いなんて言うこともないですし、特に何もなくても私は特にどうということもなんですが、滅多に一緒には喋らない人と話をして意外な一面を見つけるのも一面の愉しみではあります。

オッサンですから呑みすぎに注意です。みっともない姿は若い頃とは比べ物にならないレベルで情けないこと必定ですので・・・。


2019年12月3日火曜日

PTSD

人によってその中身はいろいろと異なると思います。

しかし、本当のPTSDと言うのはその人を自殺に追い込むほどのものだと本当に信じられるような話をアメリカに居る時に直接その本人に聞いたことがあります。

私にとっては「そうなんだ〜」ということでも、本人にとっては一生消えない心の傷。実際に聞いた話はMAZDAのディーラーに勤める男性でした。彼は私に本当のPTSDというものがどんなものか話してくれました。

 その話はアフガニスタンでの従軍経験にまつわる話。
塹壕の中で白兵戦になった時の殺し合いの経験が彼を真夜中に起こしてしまうのだそうです。おかしな時間にその白兵戦の悪夢が彼を呼び起こしてしまうとのこと。

起きる時はいつも汗びっしょりで、アフガニスタンで自分を守るために銃弾を撃ち尽くした後に飛び込んできた相手を銃剣で突き殺した時の事が何度も何度も何度も何度もフラッシュバックとして蘇ってくるのだそうです。

本当に薬で治せない不眠症と言うのはこういうものなのでしょう。そしてそれを忘れさせる、というか記憶から遠ざけるのが彼の場合はいわゆる麻薬というヤツみたいです。彼自身が悪いのでしょうか?私はそう思いません。

自殺を試みた彼が本当に悪人だったのかと問われれば、答えは明確にNOです。

心に負う傷は各人各様。しかし、その理由は実に様々だということ。

私にも少し酔った時にしか話せない話というのもあるみたいです。あることがきっかけになって今日は少しだけこういった話を書いてみたくなりました。


2019年12月2日月曜日

女の中には恐ろしい奴も居るもんだ

私の尊敬しているあるAという女医さんさからチョッとビックリする話を伺いました。

というのは、最近、医局の中で、前からXという別の女医さんはちょっと頭おかしいというか、どこか精神構造に大きな問題があるな〜と日頃の言動や行動などの観察から思うところがある先生が居るのですが、先日、病棟でふとしたことがきっかけになってこのX先生に関する話が出てきたのです。

それは・・・同じ科のある男性医師Y先生に取り入って、他の女医さん達を助けている別の男性医師Zに対抗しようとしているということ。まるで政争なんですが・・・。
結局、どういうことかと言うと、その男性医師がちょっとおかしなその女医さんXに対してかなり冷たく接するので、Y先生を操っていろいろ思い通りにやってやろうと思っているらしいです。まあ、私の予想では上手くいくとは到底思えないんですが。

驚くべきは、女医さんが集まって飲む女子会ではその女医Xさんは、その男性医師Yを操っていることを得意げにベラベラと喋るんだそうです。(どうせバレるのに、このあたりも頭おかしいと思うんですけどね。)可愛そうなのは騙されているとは全く気付いていないそのY先生。

しかし、その程度の事は世間では普通なんでしょうかね。

私自身の発想の中にそういった「誰かに乗っかってその人を操り権力闘争を勝ち抜く」的思考様式が全く無いもんで、そういった話を聞いた時に感じたのは「えーっ」という自分の心の声だけでした。その「えーっ」と言う心の声の中には実にいろいろな感情がこもっていたのですが、それは驚愕、嘲り、嗤いというかその手のネガティブな感情が混ざり合わさったものでした。

それでも、今回の件で感じたのはひたすら“女って恐ろしい”ということ。
騙されていると解った上でそういうことをされているのならまだ男としてはマシなんでしょうが、その先生全くそのことを理解されていないようで・・・。
その哀れさが気の毒すぎてとても私からはその騙されている事実を告げられません。orz


2019年12月1日日曜日

「人生会議」メチャクチャ大事!

何かと世間を賑わしている厚労省の人生会議のポスター。

吉本の小藪さんを起用してのものですが、厚労省によると基本的には「人生の最終段階でどんな治療やケアを受けたいか、家族や医師と事前によく話し合っておこうという取組の普及啓発を目的にした」ものだそうです。

その弁や良し。しかし、これに対しがん患者の治療やケアをする団体から直ちに抗議が入ったとのこと。まあ、私のような場末のヤブ医者から見ると感想は唯一つ。
病院にはちょっと貼れんシロモノやな・・・
ということに尽きると思います。しかし言っている内容は実に大切な内容で、日常の臨床の現場ではそれがない事から起きる種々の問題が結構、毎日この日本のどこかの病院で起きているのです。間違いなく。

確かに小籔という吉本新喜劇のキャラを使ったことで、裏側に何となくウケを狙いながらも「大事なこと言っとこう」という感じで出したのだろうと思うんですけど、同じ内容でも関西ならまた違った受け止め方をされたことでしょう。これまた間違いなく。w

東京の「間違い許さん・political correctness」というドグマの上では完全にアウトになるんでしょう。また、厚労省なんて言うハッキリ言うと我々医師から見て余計なことしかせん役所みたいなところが叩かれていることに関しては何の同情もしないのですが、(再び言いますが!)問うている内容は特に突き詰めるまでもなく、実に大切なことなのです。

私は患者さんの中で死の迫っている可能性の高い方の御家族に対する説明を諸々合算すると最低でも30分以上かけて行うようにしています。(通常はそれ以上になりますが。)
その中で、実例を出したり己の例を出したりしてあくまで「医師としての正直な思いを述べて」親族たる患者さんが、どうあるべきかを御家族と一緒に考える時間を持つことで、最後にはそこにいる全員が患者さんと最後に持った僅かな時間であっても、後悔の最も少ないものにしようと必死です。

結局、今の令和の時代でも(感覚的には凡そ半分弱か三分の一くらいか?)結構な割合の方々がこの患者さんが戦っている最後の日々の中で、初めての人生会議を開くことになるのです。とは言え、ここ最近思うのは若い世代を中心に自分の親や己の最後における処置の方向性を既につけて病院に入院してきている人の多いことです。

そういう私も既に自分の両親とはこの手の話はとっくの昔に済んでおりまして、基本「ごく短期間で消えゆく命とわかっている時に余計な延命はしない」「痛みは可能な限り取る」「経済が常識的に許す範囲で治療できるものであればそれなりに頑張る」というものです。しかしながら、自分と親に関しては実際のところもっと諦め早くて、親はどんな事があろうともう多分何もしないと思います。私もほとんど以下同文。w

まあ、私の場合は家族がもう少し金残してから三途の川渡れと言う指令があればもうちょいだけネジ巻かざるを得ないような年齢ですけど、それでもそれほど長生きに執着は無し。いろいろな方々の最後を看取る日々ですが、正直なところそれなりの歳になれば男らしくスパーッと割り切りたい自分自身なのです。

単純思考の我が家では既に終わっている人生会議ですが、多くの人には宗教観や哲学の問題も絡んでそう簡単なものではないのかもしれません。