2022年9月30日金曜日

老化の著しい我が家のヨーキー

家にヨークシャー・テリアが居ることは随分前からちょこちょことこのブログに書いています。

歳も今年のハロウィーンで丁度15歳!この前産まれたような気もするのですが、寿命が人間とは全く異なるヨーキーにとっては次第に「寿命」と言える領域に迫っています。
実際の所、その老いの状況は痛々しいほどで、まずモノが殆ど見えていないということ。食べ物を目の前に置いても見つけることが出来ず食いつくまでに一分間ほど床の周りをクンクン嗅ぎ回るばかりでなかなか最終目的を達成できず、時にはその場を離れたりします。

そこで、目の前の床を指でトントンと叩いて「ここにあるよ!」という事を示唆することでやっと鼻先で食べ物を確認し、パクっと食べることになります。容器の中にあるときは良いんですけど、個々のおいしい食べ物を少し食べさせてあげたいときなどは上記の如しです。

そして立位の保持が出来なくなっていています。こんな当たり前のことが…と考えがちですが、人間での例を考えれば容易に理解できるもの。人間でも寿命の終わりに近づいてくるようになると「立つ」そして「歩く」等という若い頃ならば当たり前にできるような事が出来なくなる訳です。

ジッと立っている時でさえも何となく体が斜めになっているし、小刻みに揺れています。しかも、滑り気味の床の上では四本の脚が次第に左右に拡がってしまうのです。筋力が衰えている事が確実に見て取れます。

更にシビアなのは排尿行動。ほんの数週間前までは殆んど間違えずに決められたコーナーでオシッコをしていたのですが、ここ暫くは場所を選ばずそこかしこで「漏らす」様になってきてしまいました。娘と嫁さんが漏れた場所を見つけては必死で拭き取っています。そろそろフルにオムツを使う時期なのかも知れません。しかし上手くいくものでしょうか。

そして、最後は眠る時間(横になっている時間)が長くなってきた事です。見た感じでは生きているのか死んでいるのか全く判らない程で、まさに「死んだように」寝ていることが多いのです。近くに寄っていって手をかざしても薄目を開けたままピクリともしないし、呼びかけてもなかなか動かず本当に死んでしまったのではないかと思わせるのでした。

しかし、それから暫くしてヨロヨロと立ち上がり、自分の寝床に行くのを見て「大丈夫」と一安心する訳です。

一日でも元気で、一日でも長生きして15歳を迎えて欲しいと思うのでした。


2022年9月29日木曜日

目薬の点け方

医学部を出て医師になったからと言ってその知識が多岐に亘っているかというと全くその逆。

皆さんの推測通りで、周りを見渡す限りでは基本的には自分の専門とする範囲をバッチリ磨き上げて守備固めをしておき、専門のエリアであればup to dateな知識を間断なく入れておき技術も磨き続けるというのが多くの医師のやり方。

その上で、その周辺領域、更にその外の領域へと中心部から離れるにつれて次第に知識が薄くなっていきいわゆる素人の皆さんに毛が生えたような状況になっていく訳です。
田舎に帰ったりすると親族一同から最近受けた検診のデータの話や飲んでいる薬の話、調子の悪い時の話等をされて「このままで良いのか」とか「一体どうすれば良いのだろう」などという話をされる事は医師ならではのあるあるネタでしょう。w

しかし、医師自身の内情はと言うと上に書いたような状況で、現代医学の広く深い知識と技術の海の中では一人の人間がこなせる技術やカバー出来る知識というのは本当にスプーン一杯のようなものです。例えば「初期診断と慢性疾患などのフォローアップ」で世界的に見直されている総合診療科のように、各エリアのスペシャリストのように深みは無いものの、広いエリアで取り敢えずスクリーニングの網の目に患者さんを引っ掛けて、その初期診断を推測した後にその領域の専門家達に引き継ぐということを毎日のようにやっているわけです。

私などもいわゆる一般内科医として仕事をするわけで、たとえ過剰診断になろうとも全く恥じること無く「間違って恥をかく」なんて言うことは全く恐れず専門家の先生方に患者さんを渡して、患者さん、そして自分自身の不安を払拭することにしています。

隣のエリアのことはうっすらしか知らないどころか、国家試験のとき以来の知識の追加がないという意味では産婦人科や眼科などは背筋が寒くなるほどで、例えば隣で産気づいた女性が出現したらあたふたするのは市井の皆様と全く変わりません。

そんな中で、昨日たまたま勉強出来たのが点眼薬の正しい使用法。大学の眼科の授業でこういうことをきちんと教えていたのかも知れませんが、授業をサボって寝てばかりいた自分には初めて触れる正しい知識の山。まさに目が覚めました!w

ここで私が再び内容を変にまとめて開陳するのも問題なので、参天製薬のサイトのリンクを一読されて、皆様も勉強されてみては如何でしょうか。これからの人生に大変役に立つと思える小さいけれど大切なQ&Aの知識だと思います。薬を渡されてもどう「正しく」使うのかは意外と知られていないものの代表こそは点眼薬だと思いちょこっと書いてみました。


2022年9月28日水曜日

安倍さんの国葬

何だかボロボロの国葬に見えました。

私の勤める病院でも半旗が掲揚されていましたが、仕事前後も仕事中も誰も何も国葬の事など全く自分には関係無いという感じでした。それはバイト先の病院でも同じ。バイト先の運転手さんなんかは安倍さんの死因に関して「結局は統一協会とギブ・アンド・テイクではまり過ぎちゃった挙げ句の因果応報ですよね?」と言われて返答に困りました。

結局、票が集まるから・事務の人間として来て貰えるからなどの表立っては言えないような理由の積み重ねが、多くの政治家を集票マシンたる宗教団体とのズブズブの関係にまで落し込んでしまうのは「集票=当選」という民主主義国家における宿命の延長線上に今回の悲劇が有ったように思えます。

今回、岸田さんの弔事がとてつもなくポンコツで、何にも心に響かないものであったのは本当に岸田さんの中身そのものだなと思いました。ハーバードで我々のscientific meetingが有った時に突然現れて語った「上から目線」の話を聞いた時には「多分、他に適当な人がいないから、この人が次かその次の総理になるだろうけど、外交経験以外に何も無さそうだな~」という直感が嫌な意味で当たってしまいました。

4割程度の招待状が「出席出来ず」と言うかたちで返送されたようですが、数日前に行われたエリザベス女王の国葬とは比べるのも気の毒なくらいの差が付いてしまいました。

それにしても、国葬に反対という連中の精神の子供じみた浅ましさには改めて嫌悪感を抱きました。様々な大問題を抱えたまま冥土に旅立ってしまった元宰相ですが、亡くなった日の当日くらいは反対派も非業の死を遂げた一人の人間を静かに見送ることは出来なかったのでしょうか。それがたとえ無視でも良いではないですか。静かに見送ることも出来ず、葬儀会場の外で警官と揉み合うなどということはまず人としての中身を疑ってしまいます。別に極悪非道のスターリンやヒトラーの葬儀では無いのですが?

国葬という選択を行った岸田さん、その理由説明も何もあったもんじゃなかったですね。今後、本当の偉大な人物が出てきた時も本来は出来るはずの国葬を行うことは躊躇われるであろうという意味では大きな失態だと思います。国会葬とか党葬くらいが最適だったのではないでしょうか。恐らく一番迷惑がっていたのは安倍さん本人でしょうね…。あの世で溜息を付いていたんじゃないでしょうか。


2022年9月27日火曜日

軍備は好き嫌いの問題では無い

ロシアのメチャクチャな侵略戦争の様子を見るにつけ、侵略された国家というのはもう主権どころかヤラレ放題なんだというのが嫌というほど判ります。

ウクライナの東側の4つの州ではマシンガンを突きつけられて投票所に集められた人間達が透明の投票箱に己の侵略された州をロシア領として編入したいか「Da」・「Nyet」で答えるというトンデモナイ茶番ですが、プットラーにしてみれば侵略を正当化する儀式としての一手順の大事な茶番なのでしょう。

この茶番、投票率数パーセントの時点編入に対してYESとしたと言われる回答が軒並み98%前後という御伽噺が漏れ伝わってきます。w

満州では女性を強姦し、子供を殺し、男を虐殺したりシベリアで長期の非人道的な抑留を行ったソビエトがロシアと名を変え、そのトップの名前が変わっただけでやっている非道さは相変わらず。そして北方四島もまさにドサクサに紛れて盗んだママで返還の意思など昔も今もそしてこれからも当然持っていません。

これほど迄に非道な国が未だに隣国である不幸は日本がどこかに移動するかロシアが消えるくらいしか解消する方法はありません。という訳でこういった国がお隣りにある以上、我が日本は議論の余地無き「防衛力」の存在が安全保障の前提として必須な訳です。

防衛のためには攻撃のやってくる方向に向けての反撃のシステムも必要だということは今回のロシアのウクライナ侵略で明白。ベトナム戦争が長引いたのも、ロシア軍人が居ることが明白な北ベトナム軍の航空基地を直接叩くことをアメリカが恐れたため。やられたらやり返すだけの武力が必要なのですが、相手が核を持っている国か否かで対応が大きく変わってしまいますし、隣の凶悪な三国は皆その最終兵器を持っているという碌でも無さ。本当に難しい。

今の自衛隊は日本らしい「オモテ」から見るとそれなりに金を使った軍隊に見えますが、果たして中国軍から攻撃を受けた時にどれほどの時間耐えられるのでしょうか。攻撃を受け始めても反撃は総理の許可が出るまで出来ないようなナマクラなシステムでは、許可が出るまでにレーダー全滅。飛行場の滑走路と管制塔全滅となっているのではないかと素人ながら危惧するのです。

ルールなど全くもって視野の外、外道の戦略で来るのが確実な相手をどうやって叩くのかをこそ考え抜いた防衛及び反攻システムの構築に全力を注ぐべきと考えるのですが。「飾り」では無い真に必要な兵器でハリネズミのように全身を固めておくべきではないでしょうか。

それはまさに防衛力においてイスラエルのような国であるべきだと強く思うし、そのためなら俺の税金使って欲しいと感じます。

共産党や旧社会党の流れを汲む連中も社会主義、共産主義にのぼせて「おまえどこの国の人間?」というような事を言いますが、我が国にとっての軍備というのは家持にとって泥棒の侵入を防ぐ鍵や監視カメラのシステムそのものです。鍵が要らん、カメラが要らんと言う人はそれでも結構。ただし犯人から殺されても物を盗まれ放題でも何も文句は言うなよ!と言うことと同じなのです。責任ある一家の主としてはそれは「絶対」にあり得ない話です。


2022年9月26日月曜日

風呂の壁掃除はどうするべきか

風呂場の床掃除は排水口をビニール袋に水を入れて作った蓋できちんと漏れないように蓋をして、その上に市販のオキシクリーンを指示通り水で希釈した液でヒタヒタに浸けて2時間も放置した後、その液体を排水してしまい床を軽くスポンジで擦るだけで顎が落ちるほど容易に汚れが取れてしまいます。その事は以前書きました。

しかし、壁面となると話が別。

何故かというと理由は簡単で、こういう液体洗剤などを壁面にスプレーや濡れた紙を使って塗布したり付着させても重力の作用であっと言う間に液体が垂れてしまったり、その作用が効力を発揮する前に蒸発したりしてしまうのです。

そこで、考えたのは愚直な攻撃。壁に傷をつけないようなハードなスポンジなどは使わず、目地は細かくソフトだけれど、なかなか全体が潰れないようなスポンジを使ってアミノ酸系のソフトな洗剤を壁に吹き付けながら円を描くようにかつそれなりに力を込めて同じところをグルグルグルグルと回すように擦り続けるというもの。

これなら傷も付きません。実際にやってみると腕は疲れるものの確実に汚れが取れていきます。スマートに済ませようとするといろいろと高い洗剤や道具などが必要なのかも知れませんが、取り敢えずこの方法を使えば安上がりにかつ完璧に綺麗になります。

欠点は「疲れること」なんですが、一回シャワーを浴びる度にフルチンで壁に向かっておじさんが出来る範囲は精々1平方メートル前後。

しかし、それでもアミノ酸系の昔からある有名な洗剤「ウタマロ」を吹き付けた後、擦り続けること約数分で壁がキラキラ~っと光ってオノレの醜い裸体が反射しているのが判るほど綺麗になります。例えシャワーで流したあとでも未だ少し残っているような「長期にわたって付着した垂れたような跡になっている皮脂やソープの汚れ」さえも、そう言った動きを二回アプライするだけで確実完全に落とせました。

今後もこれをしていけば何の問題もなく綺麗になると思うんですけど、問題はその後。結局のところ水などがかかった後にササッと拭き取るような行為を毎回すれば汚れるようなこともないのでしょうが、そんなことを果たしてするか?というのが問題。

やはりズボラな私自身は絶対にしません。ということはやはりこういう行為を定期的に繰り返すしか無いということですね。生きていくという事はそういう事の繰り返しです。orz


2022年9月25日日曜日

今回の犯罪捜査は映画のよう

東京の特養で92歳のお婆さんを殺した菊池という50歳の男。

「馬鹿は帰ってください」と言われカッとなって頭を叩いた(恐らくこの時点で殴っている!)ところ「覚えておくからね」と言われ逆上して腕を折った後、動かなくなったこの女性に熱湯をかけるというまさにお婆さんが言うところの「来て欲しくない馬鹿」というかキチガイそのものだったわけです。供述によれば20分にわたってベッドの上で髪をつかんで引きずり回したり、枝を折るようにお婆さん骨を両手で折ったとのこと。凄惨極まりない現場です。

その後直ちに非常線が張られるとともにその足取りがニュースで画像と共に詳細に報じられ続けました。その都度出てくる画像は監視カメラを次々時系列で繋いだもので、東京でも数点以上、茨城、福島、岩手、仙台、盛岡、札幌等と移動する店や駅などで着ている服やバッグ、行動などを全て記録されながら追い詰められていったわけです。

一昔前のSF映画でAIが街中の監視カメラを勝手に繋いで対象を追い続け、自分の方に引き寄せていくというのがありましたが、まさにその手動版。FBIやCIAは間違いなく既にそのAI版のものを作成済みだと思いますが、日本でもそうなることは間違いないでしょう。中国ではもっと恐ろしくタイトでしょうが。

この施設職員の男、過剰に激昂して今回のように事件として露見したわけですが、実際はこういったレベルには至らないまでも、虐待は全国で見えない所で見えない形で反論できない人に毎日起きていると考えるのが普通です。行為をなしている人間がそれを虐待と認識していないだけで、実際は虐待であったりするというのはイジメと同じ構図で、本人は「やってない」等といけしゃあしゃあと何事かを語る訳です。

99人の善があっても1人の悪意で全てが台無しになるのがこういった介護の世界。残念ですが、現場は性悪説に基づいてシステムを設計しなければならないのは法律と一緒です。刑法犯としての人殺しなんて年間10万人に一人のインシデントでしかありませんが、殺された方はその理由に関係なく理不尽な許されざるものでしか無く、その年間700件前後の行為に対して膨大な法令とその番人がシステムとして緻密に配置されているわけです。

今回の鮮やかな犯人逮捕を見ていると、悪いことなんぞ絶対に出来ませんという時代が来たなという感じがします。警察もこんなにスマートになってきているんですね。イメージと異なり驚きました。

2022年9月24日土曜日

ロシアの侵略で連想すること

ロシアお得意の毎度のインチキ住民投票が東部各州を始めとして予定より早くはじまったようです。

ニュースを見ていて哀しくなるのは、この「誰がみてもインチキ」と解るこのチープな侵略の手法が旧日本軍が満州国と後に言われたエリアで行なっていたやり方にソックリな事。時代が変わっても侵略を行おうとする人間の発想は全く変わらないことの良い証左です。

日本の場合は対外的に新たな領土と資源を求めることで世界恐慌からの脱出を図ろうとした訳ですが、現地の人間がどう思うかなどということは全く関係なく現地政府というものの混乱に乗じて日本が勝手に他所の土地に行って、当時の張作霖が力を持ったエリアを助けるというような名目で進出した挙げ句、協力をしようとしない張作霖を中国政府が爆殺という手法で殺したという事にして、今度は担ぎ上げた溥儀を頭とする日本の傀儡政府を作り全世界から避難を浴びたわけです。

やっている手順や場所は違うものの、おのれらがその工作内容をどう正当化しようとも、外から見ている人間にはその工作自体のお粗末さは全くチープ以外の何物でもない訳で、当時は国際連盟における日本、そして今は国際連合におけるロシアという容器と中身のラベルが変わっただけのほぼ同一の侵略同化政策が進んでいるわけです。

日本の頃は事変と呼び、ロシアは特別軍事作戦と呼んでいるようですが、先の事変と今回の作戦で大きく違うのは2つ。1つ目は攻める側が核というとんでも無い武器を持っていること、そして2つ目は攻める側が国連の安保理常任理事国の一つということです。

これ一つを見ても、安全保障理事会などというものが戦争の暴発に対する安全装置としては、全く機能していないことがよく判ります。安保理常任理事国が前時代の帝国主義的なアクションを起こし、かつそれをもう一つの赤い帝国主義国家が補佐する等というシナリオは最も存在して欲しくない筋書きの一つです。

この出来レース投票が終了した後は高らかに領土宣言をして、そこに進軍してくるものは核で脅して(十分使用する可能性がありますが!)でも、逆に侵略者として己を正義の味方として戦いたくもない徴兵要員達を用いて戦わせるのでしょうね。

戦術のみならず戦略でもボロ負けのロシア。最後の頼みの綱は核という「使えば負け」のカードのみです。

2022年9月23日金曜日

看護師から嫌われる医者

今ちょっと院内が揉めています。

内科系の話なんですが、コロナが明確に病院に発生するようになって此の方、「より」明確になってきたことがありました。それは病棟に入らない医師が居るということ。実は看護師さん達が「先生、ちょっと~」と言う感じで話しかけてきました。こういう時は必ずと言っていいほど私に対するお願いもしくは不満モードなので、私の方もナニナニ?」と言う感じでちょっとだけ構えてしまうのですが、こればかりは聞かないわけにはいきませんので仕方ありません。

さて、今回の御意見はと言うと、コロナになって受け持ち患者が40人ほどいる医師が患者さんの所に一度も行かなかったということに対する大きな不満でした。私は知らなかったのですが「マジでそんな事になってたの?」と逆に聞いてしまいました。

病棟の師長さんも余りの事に、その先生に「何で行かないんですか?」とか「そんな事で良いんですか?」などと聞いた後、要領を得ない医師の回答に最後はブチ切れて大声で詰ったらしいのですが、御本人はどこ吹く風だったらしく所謂「馬耳東風」の様な感じだったとのことで看護師長は既に「医者としてどころかそもそも人として問題だわ」と怒っておりました。

私自身は、この医師が雇用された詳細な経緯を実は知っているのですが、病院外の表に見えない所で実は種々の問題を起こしておりまして、その問題がいつ社会的に表沙汰になるか、若しくは院内で大騒ぎになるかと心配しておりまして、実は内心ヒヤヒヤしっぱなしなのです。

この医師、まだ30代と比較的まだ若いのですがどうやら人間というものに興味が無いようなんですね。しかし、こんな人物でも医師としてセレクトしてしまっている地方国立大学の某T大学…。一体全体どういうセレクションをしたらこんな人物を入学、卒業させてしまうことになるのでしょうか。

そして私がもっと頭にきているのはこんな医師を病院に引き入れた事務長と理事長です。さてさて、この人物。次第にその内面が外に漏れて、噂が漣(さざなみ)の様に拡散してきているのですが、本当に病院に留まり切れるのでしょうか。

人間に興味のない医師。居るんですね。可愛そうな被害者は実に患者さん達です。


2022年9月22日木曜日

今も昔もルールなど完全無視のロシア

第二次世界大戦末期に日本との条約を全て破って日本人を殺し、犯し領土を不法に選挙し未だに恬として恥じない拡張主義者達の国ロシア。

我々の3~4周り年上の世代の人達のように戦争の実体験を持つ人々はロシア人の事を「露助」と読んで憚りませんでした。大学生の頃、何時もは優しい飲み屋のお婆ちゃんもアノ国のことになると遠慮なくこき下ろして逆に私を驚かせたのですが、そういった態度を取らせるだけの蔑みを生み出す実体験があったようです。

彼女はソ満国境で駆け落ちをした男性と暮らしていたというのですが、終戦直後の凄惨な体験は一生彼女をしてロシアをそしてロシア人を「赦さない」という態度を取らせたのでしょう。詳細は当時の我々には語りませんでしたが、何時もはニコニコして本当に静かなお婆さんが露助の話になるとボッコボコにする感じで怒りを示すのでした。

そして21世紀の今。学生時代の我々に採算度外視の串焼きや酒を出し続けてくれたおばちゃんはもうこの世には居ません。しかし、80年近く経った今もロシアの国を挙げてのルール無視、国家元首クラスの人間達の恥知らずな大法螺は何にも変わっていません。こんな奴らにとって「約束」というのは人を騙すために存在する道具。何も信じてはいけません。北方四島など絶対に返す意思など無いのです。

そもそもスポーツからして国家を挙げてのドーピング。フェアな戦いなど端っから頭の中にはないということの良い例えそのものです。日頃から大国気取りの見栄っ張り。自国の国民等は己とその取り巻きのために存在するという程度にしか考えていないでしょう。

政府どころか、その政府のトップの人間たった一人を非難したり、戦争反対というプラカードを持って道に立っただけでブタ箱にぶち込まれる国なんてマッピラ御免です。

どうやら今回の「部分的徴兵動員令」等というのもこれまた真っ赤な嘘らしく、抗議で捕まった人間を始め、徴兵されないはずの大学生等も徴兵されている御様子。黙ってウクライナ侵攻に頬被りを決め込んでいたツケが、そしてもっと端的に言えばここまでプットラー(ウクライナ人は今プーチンをこう呼ぶようです)をここまで増長させ、支持していた(もしくは反対の意思を示していなかった)ツケの支払いがまさに今ここで始まったというこという事です。

国外逃亡の行列が陸路でも空路でも大変なようですが、恐らくそれらの扉も内と外から数日中に早急に閉じられることでしょう。申し訳ないですが御愁傷様。ゼレンスキーが言うように捕虜となって自由の道を選んでください。前線に立ったらさっさと白旗を上げましょう。

そういえば医療従事者にも召集令が来ているようで。クワバラクワバラです。


2022年9月21日水曜日

アメリカの旧友と久方の再会

今日はバイト終了後に名駅(名古屋駅)へ向かいました。

アメリカで一緒に研究をしていたリサーチ仲間に会う為です。もともとはほぼ毎年帰ってきていて、私自身もその度に名古屋で再開し楽しく食べて楽しく飲んでいたのですが、今般のコロナ禍で3年ほど帰日が先延ばしになっていたのでした。要するに入国が面倒くさい状態だったので、手間暇をかけて出入りするのを避けていたというのが真実。

ただし、今回入国の条件も大きく緩和されたこと、更には亡くなられた御尊父の7回忌に当たるとのことで是非帰る必要があったと考えての帰国だったとのことです。

さて、実際に名駅のほうに近づく前に先生の方からLINEで連絡が入ってきました。「事故で新幹線が停まっています」というもの。一体何事かと思ってニュースを調べてみると、なんと「豊橋で人身事故」とのこと。駅で新幹線に人が飛び込み2キロ先で新幹線が停止したというではないですか。停まれないんでしょうね。

しかも先生自身が出発する15分前の2:20に事故発生というわけでもろに影響を被ったとのことでした。それでも急速に処理は進んだようで、わたしともともと約束していた6:30にはきちんと再会することが出来ました。

すぐに近くに取っていたJR Gatetower Hotelにまずチェックインしてもらい、荷物を置いた後に名駅前の飲み屋街に近づき、暫く店を探した後「昭和の味」を残すお店に入って飲み始めました。次から次に話が弾み、お互いの家族の近況やアメリカでの日常の変化、物価高の話など尽きることはありませんでした。

更に河岸を変えてバーに入って更に追加の話などなどを。素晴らしいサイエンスの話をするとともに最近の日本のサイエンスの状況をずっとしていました。実は先生、今年の7月からfull professorになって予算もRO-1を2つ、更にはR-21も一つとイケイケ状態!やはり勢いがあります。これで何歳になるまででも予算が取れていて、かつやりたい限りはサイエンスを続けることが「やっと」許されることになったわけです。素晴らしいと言う言葉以外ないですよね!
今後も毎年帰国してもらい、その度に研究の進歩に関して話を聞き続けたいものだと思いました。

それにしても、水曜日だというのに名駅前は若い人達で溢れかえっていましたね。やはり時代を動かすのは若い人間。そう言えば、先生曰くやはりアメリカでは「誰もマスクしてないです。w」と言っていましたが、長女もそういっていましたからやはりそうなんでしょう。しかも、先生はご家族が全員感染してちょっとした熱と咽頭痛が主症状だったとのこと。以前までの株と違ってワクチンを打っている人達にとってオミクロン以降は風邪になったと言う強い印象を受けています。

最後に駅に戻って暫しの別れの挨拶。来年の先生の帰国が愉しみです!


2022年9月20日火曜日

医師の勉強会

医師にとってのウェブ・セミナー花盛りです。

以前は例えば「7月13日に朝9:00より定員150名で愛知県医師会館X階で〇〇のセミナーを行います。つきましては6月4日までにお申し込みください。尚、お申し込み多数の場合は受付順に締め切らせて頂きます。」等という告知が普通でした。

ところが、このコロナ禍で医師会や大学も講義のやり方を変えてきました。単位取得に物理的な出席が必要であった数々の勉強会やセミナーがネットでの参加に大きくシフト。たしかに会場自体を設営される所も有りはするのですが、そういう場合でも同時にZoomやYouTubeでのキャスティングを多なっている場合がほとんどになってきました。

実際、講演をする方もaudienceは沢山いた方が良い訳で「準備のしがい」もあろうというもの。カメラに映っている演者の居る会場には15名ほどしか居ないのに、接続者総数は200とか300とか普通ですし、複数の演者そのものが全て本会場外からウェブ接続でキャスティングしていて、お世話係以外は誰も本会場には居ないなんて言うのもこれまた今では結構普通です。

また、医師の所属する斡旋業者などが開催するセミナーに至っては接続者数1万人以上というのもザラにあります。もし物理的なアクセスが必要な今までのミーティングであれば、1万を超えるようなaudienceが参加するような医学ミーティングなんてちょっと考えられない規模で、殆どどこかの野球スタジアムを借り切るようなことでしか出来ない夢のような話です。

地方の小さな勉強会でも参加することで日本医師会の講習ポイントを貰えたりしますが、こういう形式のものは基本的にキーワードと医師免許証の番号を運営事務局に返送して初めて講習参加のポイントを貰えたりしますので、少しだけ不便なのですがそれでも物理的に動かずとも、家で御飯を食べたりしながら勉強できるというのは素晴らしいことで、コロナ前ならそう簡単にはセッティングされなかったことでしょう。

そういう意味では、人間というのは戦争や災害の度に何らかの代替手段を発明して逆に進歩を遂げたりしますので、今回のコロナ禍はそういう方面の進歩のためには「奇貨」となったのでしょう。恐らくコロナ禍がなければ、同じレベルに達するまでに余計に10年かかっていた可能性が高いと正直に思います。特に日本のようにテクノロジーの日常生活への導入に及び腰の国では!

移動に伴う移動費や、場合によっては宿泊代まで必要な研究会や講習会の費用が浮き浮きになるのは資源とお金のセーブという意味では素晴らしいと思います。

ただ…人と人というのは物理的に出会うことによってのみ発生する進歩、変化というものもありますのでそれが削がれるのは危険と言えないこともないな等とぼんやり考えたりもするのでした。

2022年9月19日月曜日

上から目線のクソ正義感

馬鹿は暇になると余計なことをするものです。

昔の人は小人閑居して不善を為すという至言を残していますが、歴史の中で作り出され、かつ荒波の中で生き残ってきた格言は今でも強く輝きを放ちます。アメリカに居た頃は極普通の出来事であった中でも、日本に帰ってきてからほぼ全く見なくなったことが幾つかありますがその中の代表的な現象の一つが警察官によるレストランなどでの飲食行為です。

稀にではありますが、ショッピングセンターでちょっとした買い物をしている恐らくは帰りがけの警察官を見ることはありますが、その程度の事。レストランやフード・コートで何かをぱくついている警官や消防士なんて見たこともありません。

法律は識らないのですが、公務員は制服を着ていると公務執行中とみなされて、その間は税金で働いているのだから「その時間」を私的なことに使ってはいけないとかなんとかなってるんでしょうかね?そもそも昼や夜の公務の中での休憩時間にあたる間は制服を着ていようが休みは休みだと思うんですけど、そこら辺の解釈が恐らく日本では杓子定規なのでしょう。

アメリカに居た頃は極々普通にマクドナルドに警官が入ってきて制服のまま注文をして、制服のまま席に着いてマックをぱくつきシェイクを飲んでいましたがそれは周りに全く溶け込んでいて何の違和感もないものでした。アメリカに行った当初こそ物珍しさから「お~」てな感じでチラ見していましたが、慣れてくると単純に店にとっても保安装置が入ってきたようなものだろうな、位にしか思わなくなりました。家にもパトカーで普通に帰ってきて駐車してましたしね。

ところが今回、こんな事があったとネットに書かれていたんですが、公務員がコンビニでソフトクリームを注文していたことをチクるネット上の投稿やクレームの電話があるというのですから、お前の独善的な小さな小さなマイクロ正義感は何が基準で何を根拠にしておるんだという話です。まるで小学校の学級委員レベル。ちびまる子ちゃんの丸尾くんの様な発言です。w

こういったことで役所なんかに文句をいう事で「上から目線」で反論の出来ない正義と言う感じでクレームを付けたかったのでしょうが、そのアクションには哀れみしか覚えません。御本人はそれで気を良くして鬼の首を取ったようなつもりなんでしょうが、只管その矮小で非寛容な独善的正義感には反吐が出そうです。

息が詰まる様な「俺様正義感」の闊歩には「もう1回人生最初からやり直してこい」という言葉を送りたいです。

そう言えばなんかこれって国会議員の某蓮舫とかいう輩の国会質疑に似てるような気がするのは自分だけかな?

2022年9月18日日曜日

よそ行きの顔

時々ですが~大きなモールやストアで「あれ、この人どっかで見た人だな?」という事があります。

勿論、殆どの場合においてその相手となる人は知り合いでもなんでも無くて、場面の記憶を手繰ってみるとさっきまで別のエリアで自分達に商品の説明をしてくれていたお姉さんだったというのが殆ど。

そしてその人達を見かけるのは多くの場合地下一階にある夕暮れ時の生鮮食品売り場です。要するに帰りがけに食材を買い揃えてこれからつくるであろう夕食・夜食の素材を買っている訳です。しかし、そこで見る彼女達はさっき迄の笑顔満面の女性達ではない訳で、真剣な顔をして何を買い込もうかなどと食材の値段を真剣に眺めているという微笑ましい様子を見せます。

私は大小の店舗に関係なく「売り子さん」というバイトをしたことが有りません。学生の頃にしていたのは基本的に塾の講師、家庭教師、家具の配送くらいです。ですから次から次にランダムに現われる多種多様なお客さん達を相手にしたことはないので、彼・彼女らがいろいろな話し方や態度で私に向けて接客してくる瞬間というのは何時も興味深いものです。

そもそもお客さんを相手にしている時というのは、アマチュアでもない限り恐らく「お店を代表している仕事びと」として振る舞われているわけで、個人として強く目立つキャラクターは封印しつつも個人の能力を滲ませての仕事をするのだろうなと推測しています。ですから、物を選ぶときに長く立ち話をしているとその人の「本当の姿」が話し方の端々に滲み出してきます。

こういう場面で高い能力を発揮できる人というのは、きっと看護職を始め他の仕事をさせても水を得た魚のように活躍できるのではないかと推測してしまうのです。

たとえ「営業用の顔」であっても、それはそれでその人の仕事用の「表の顔」だと思いますが、それでも有能であることに変わりありません。人当たりというのは正直言ってかなりの部分は後付の教育の難しい「才能」だと私は考えます。喋り方、相槌等の身振り、表情も含めこの人は天性のものが有るなと思わせるような人が少数ではあるものの存在することは間違いないことで、トップセールスというのはこういう人が適所に配属されて、適切なものを売ることになった時に達成されるんでしょうね。

それが家だったり、車だったり、服だったり宝飾品だったりカバンだったり、食べ物だったりするのでしょうが。

店の売り場一つを巡るにしても、いろいろと楽しむ為の要素満載だと思った最近の買い物でした。




2022年9月17日土曜日

朝日新聞の凋落が止まらない

ネットでニュースやその他の記事を読もうとすると、よく「これから先を読みたい方は読者登録してください!」と言うのにぶつかります。

更に、そうやって読める記事の本数も月に10本までとか言う感じで制限がついていることが多いのですが、その先は通常課金記事。しかし、本当に金を払ってでも読みたいような記事というのはほぼ無くて、他のソースで同じニュースを記述しているものを探してその記事の内容をカバーして終わりとなります。

所謂「金銭を払ってでも読みたいと思わせるような独自の切り口で記述された記事」というようなものは殆ど存在していなくて、実際の所は課金の直前までで寸止めされても何も困らないという程度のものばかりです。

そこで今回、ITメディアの記事によると朝日新聞は記事の完全課金化をメインにするという事。そもそも、11年前に私自身が書いたプログ記事があって、その時にカウントされていた800万人を切ってしまった!という慌てふためいていた部数が何と11年で457万部にまで減少。更に朝日新聞はこれからデジタル化で課金を強化するというのですが、朝日新聞デジタルの有料会員数はたったの25万人というのですからかなりの挑戦です。

今の時代、「それでも」紙に記事を印刷して高齢者世帯や事業所に新聞という個別に配らなければならないという負担がある新聞社は著しく不利です。しかしながら、もし物理的に配らなくなれば…恐らく人々の脳内から朝日新聞というメディア自体が忘れられていくという10年前でさえ考えられえなかったような事態が発生すると私は推測しています。

新聞購読者世帯自体が高齢化し消滅する中で、朝日新聞は遂に不動産を扱う「かつては全国に新聞紙というモノを配っていた」中規模出版社なんかに凋落していくのでしょう。

私の10年後の朝日新聞発行部数。200万部代後半に100ゴールド!と予想しておきたいと思います。尤も新聞社として息をしていればですが。w

2022年9月16日金曜日

年に二回の自己検診

心臓エコーと病院自体の行う検診以外に自分で数値設定した検診を他の先生に頼んで指示を出してもらっています。

歳が歳なので心、腎、肝などを中心として通常病院で行われる検診の数値に追加してこれは診ておこうと思える項目を追加しています。例えばコレステロールをHDL/LDLと其々の数値を調べたりします。また、今年は初めて親父が罹った前立腺癌の数値の「ある程度」の指標となるPSAの精密測定値を測ってみました。

私自身は母親方が家系としてコレステロールの値が上がり易いし、親父の方は尿酸値が上昇する傾向を持っています。当然私もその影響を受ける可能性がある訳ですが、実際に50代の前半頃から中性脂肪が上がったり、コレステロールが上がったりという感じで「継続的」ではないものの、時々正常上限の上の方に近づいたり突っ切ったりということが発生します。

自分でも解っているのですが、自分の体重が70キロを切る値であれば、このような悩みはほぼ何も起きないということ。ところが、少しでも酒を飲む機会が続いたり、美味しいものを沢山頂いたりするようなチャンスが続くと、体重もススーッとプラス1キロ、プラス2キロ。orz

何を食べても太れないというような褐色細胞の多そうな、便秘とは無縁そうな方々とは異なり、私は太ろうと思えば容易に太ってしまう体質なのです。母方の親族は皆が小柄で小太りで、何だかよく太った小柄な人達。そして親父の親戚はガリガリに痩せているかムチムチに太っているかと言うどっちか一方に寄っている感じ。そして親父自身は少しでも油断するとすぐに太る体質ですから、減らす方向に向けての体重コントロール的には「難しい体質」であることに間違いなさそうです。

そんなこんなで出てきた数値。取り敢えず今回はトータル及びLDLコレステロールが正常上限より5%弱抜け出していました。まあ、これが続かない限り、そして中性脂肪と共に上がっていない限り動脈硬化は起きにくいと言われてはいるのですが、もう少しよく調べるには実際は保険では余り測らない脂質の検査なども本当は動脈硬化の指標としては有用なものが明らかになっています。しかも、この正常範囲と言われるものが曲者で、実際は数値が素押しだけ高めのほうが長生きするという話も有るとか無いとか。難しいものです。

とは言え、最初に書いたように私自身の健康の基本は70キロ前後を維持すること。何よりも服を着た時に似合いません!ファッションはやせ我慢です。w その為には節制とは言わないまでも、ある程度は口に入るものを制し、かつある程度の負荷の運動を定期的に入れる必要があると言うだけのこと。

そうでないと偉そうに肥満の患者さんに生活指導をする事ができません!というのが今日の話の最大の要点です。w

2022年9月15日木曜日

人生の最後を心静かに苦しまず

長崎の義父も癌のターミナル・ケアでいろいろなリスクと闘っています。

私自身も様々な癌患者さんの最後を看取る事が多いのですが、痛みに顔を歪めていた癌患者さんが適切な疼痛コントロールを受けて穏やかに人生の最後の時を迎えられるようにする為には疼痛コントロールに対する経験や知識の集大成である先人達の残してくださったマニュアルが大変に役に立ちます。

痛みのコントロールには何段階も、何種類もの方法があるのですが、正直言ってペイン・コントロールには「痛いのならこれをやっておけば良い」的な機械的対応だけでは絶対に吸収しきれない深い溝の様なものがあって、患者さんと対話をしながらその日の調子に合わせて種々の副作用に対する対応や薬効の低下による使用薬剤のローテーションや投与量の変更を行っていかなければなりません。

ですからマニュアルはベースにあるのですが、そのマニュアルに書き切れないような「感情を持つ人間」だからこそ存在する微妙な部分を経験を積み知識を深めることで少しずつ上手くコントロール出来るようになる訳です。それでも絶妙なコントロールは「実に奥が深い」ものとなります。

無論、私のような一般内科医では「疼痛のコントロールが困難な症例」のように麻酔科の先生がその理論と技術を駆使して行われるような高度に洗練された組み立てを行うことは敵わないわけで、そのような時には素直に専門家の意見を拝聴して日常の診療に相談結果を戻します。

癌の場合、疼痛のみならず特に呼吸苦に対するオピオイドの効果の高さは人生のエンディングを迎えるにあたって塗炭の苦しみの中に沈んでいくのか、それともその苦しみを大幅に削減してお別れが出来るのか。

もし苦しさにもがいている身近の方がいたらきちんとそれをコントロールしてくれる医師が必ず近くに居られるはずですので、不安と疲労を抱え込まずに相談しましょう。きっと長崎の義父も今の先生のきちんとしたプロトコルのもと苦しさを遠ざけたエンディングを迎えられるものと信じています。

2022年9月14日水曜日

才能の潰し方

せっかくの才能もこんな事では…と思える記事を読んで悲しくなりました。

まさに「THE JAPAN」と言う感じの結末で、天が割り振ってくれた限られた人に与えられた才能を持続的に援助できない「国富」を創出できない政治家や役人達の視点の狭さと低さにため息と怒りの混じった涙が出そうになってしまいます。

そもそも研究というのは「効率」とはなかなか相容れない性質のものです。大成功への一本道を直走って来たように見える研究であっても実際は膨大な失敗の積み重ねと運の掛け合わせ。勿論そこには透徹された視点と知識の蓄積に基づくセレンディピティがそれを加速させるのは間違いありませんが、それでも必ずしも大成功が手繰り寄せられるわけではありません。

それでも、その成功の確率を上げてくれるのは研究に専念させてくれる環境の存在が前提だと考えます。その環境という言葉にはその優秀な才能を導く別の知性をビーコンとして引き合わせてあげること。また、長い間にわたって研究結果が出てくるのを待ってくれるtoleranceとpatience。更にはその研究を行い続ける間の生活を保証してあげる「才能」に対する経済的な援助でしょう。

この飛び級制度を使って政府が入学させたこの佐藤さんの例などは実に歯痒い例で、彼が同じ才能を持ってアメリカで生まれ育っていたら…と想像を巡らさざるを得ません。所謂「生まれる国を間違えた」という事になっていないでしょうか。

しつこさ、こだわり、強い興味、知性等という研究のベースに求められる才能は金をかけようが育てられるものではありません。これは生まれつきのもの。ただし、そのもともと「持っているもの」のサイズを大きく育てられるかどうかは周りの環境が大きいのですが…。

「沈みゆく国」には国家的戦略というものは短期的な視点をもったものしか存在しないようです。彼が生み出していたSomething NEWを見ることは日本では叶いませんでした。

税金が正しい場所で正しい時に正しい量が使われないという事実がまことに残念です。


2022年9月13日火曜日

一人散歩で見えるもの

夜に仕事が終わって一人で散歩をするといろいろと初めて気づくものがあります。

通常は車や電車でスーッと移動してしまう道ですし、車の運転中は主に前と周囲を、電車に載っている時でも地上走行をしている時間は短いものなので、それほど周囲の景色を見ることもありません。そもそも、あんまりキョロキョロしていると唯でさえ怪しい顔つきのオッサンなのに益々怪しまれて咳を移動されたりでもしたらこちらが戸惑いますし。w

one shotで1時間から2時間程度の散歩ができるのが独りでする散歩の良いところ。犬の体力や家族の歩き方などを全く気にする事もなく自分のペースで全てをコントロールできます。
距離にすると5キロから10キロ程度でしょうか。今の時期であっても弱い夜風の下では薄っすらと汗をかく程度です。

歩きながら周りを見て意外に思えるのは擦れ違う自転車乗りの男性には意外と缶酎ハイを飲みながら運転している人が多いことでしょうか。
更に歩いて初めて理解できたのは地下鉄の通風口が歩道沿いにあったことでした。キーンという音と共に何かが近づいてくるなと思ってその穴の中を覗いていたら風がブワッと押し出されてきた後にまた音が小さくなっていきました。

こんな所に塾があったの?とか、おいおいNISSANがこんなところで商売しとったのか、目立たなすぎ!とか、シトロエンの店の横にはプジョーが隠れてたんだ!とか、歩いとる人はまず殆どもうマスクをしてないな~、とか。更には多くの美味しそうな料理店がポツポツと隠れ家のように散らばっていたりとか。

タワマンの横を通る時に上を見上げながら「ここを選ばんで正解だった」とか、住人には大変失礼な事を心のなかで呟いたりしています。やはり、昼と夜とでは世界は変わってしまいますね。

散歩の度にあちらにふらふらこちらにふらふらと向きを変えながら近所の知らない世界の「土地勘」を磨いていこうと思います。何にしろ一人でいるときは本当に色々と考えることが多いですね。世界の偉人は散歩をして素晴らしい新着想や発見をするようですが、私は精々のところ足の疲労を感じて終わりです。やはり所詮は大凡人ですな。w

メインストリートを歩き過ぎると排ガスで鼻毛が伸びるといけ無いので時々裏通りの空気キレイ目の道を歩くように気をつけています。

2022年9月12日月曜日

一人の時間

一人で行動するといろいろと考え事をします。

特に散歩や遠出などの完全に一人の時間。本当はキャンプに言ってそういう時間を作るべきなのでしょうが、今のところ出来ていません。時期的に猛烈な暑さとは段々縁遠くなって来ましたのでまさにキャンプを行うべき時期に来たと思います。

家族も誰も周りにいない時間。自分が自分の頭だけで考えたいことだけを考える、もしくは何も考えずに飯の準備と寝る準備だけを考えて、それが終わったら夜空を眺めるか虫の声を聞くか風の音に耳を澄ますのか。仕事も家族も忘れてもう一度一人の時間を手に入れる事の素晴らしさに強い憧れを持ちます。

娘達も取り敢えずは成人し、取り敢えずは放っておいても何とか一人で生きていけます。(自閉症の息子は別ですが!)後は家庭に金だけ入れてもうずっと一人で暮らしてみるのもアリか等と考えてネットでバーチャルに一人暮らしの部屋を探して、一人で最低限の備品だけで暮らしたら幾らくらいで生活できるかな?等と頭の中でザッとシミュレートしてみたりする事も既に何度やってみたことでしょう。

住む場所によって全然かかる金額が変わるものの、それほどの額でもありません。仕事場に近いという条件を考慮しても全然問題のないロケーションに問題のない金額でそれなりに散らばっています。結局一人暮らしに必要なのは布団と食器とタオルくらい?と思ったらこの前の一人暮らしで大変不便な思いをした「机」が必要だということを思い出しました。w

後は好きな本だけを身の回りに散らしておけば準備完了。人生のもう一つの愉しみ方を考える時期なのかもしれません。

まあ、一人暮らしをする男はそうでない男と違って十年ほど早死にするらしいのですが、特に誰が困る事も無いと思われます。贅沢さえしなければ後は私の小さな貯金と遺族年金でなんとかなるでしょうから。

2022年9月11日日曜日

オミクロン株の拡散と病棟

遂に名古屋や東海三県でもコロナの新規感染者数が大きく減少し始めました。

結局私自身が勤める病院も、幾つかの病棟単位で新型コロナが発生したのですが、発生した病棟ではその病棟の患者さんのキャラクターによって特徴的な拡がり方を見せました。

全く患者さんがベッドから動かないような病棟ではもしコロナが拡散するのであれば、基本的にヘルパーもしくは看護師達が拡げていることになります。
そして患者さんが認知症が酷くて自分達で歩き廻るような病棟では基本的にコロナの感染拡大をストップすることはできません。(このパターンでも当然、看護師やヘルパーさんあ追加的な拡散の手助けをしている可能性は否定できませんが。)

いろいろな病棟で今回新型コロナの拡散を経験して気づいたのは、病棟に入っている医療スタッフの中に理解力の低い人がごく少数でも入り込んでいると、その人を中心に爆発的に感染のリスクが上昇することです。

病棟を観察していた時に、特にその事を感じました。ある年配のヘルパーさんはあれほどしつこく実演まで入れて、本人達にも一人ひとり実演させて教育したはずの手順を勝手にスキップした上に更に患者さんの間での移動で換えるべきプラスチック・ウェアを換えずに次々と作業を行っていたのでした。これでは感染が拡大しない訳がない!というものです。

結局感染防御のシステムはモノと人で成り立つ訳で、モノをいくら揃えても人がそれを運用出来なければ役に立たないという訳です。orz

幸い今回のオミクロン株の拡散においてそれが直接の原因となって亡くなられた方は私の受け持ち病棟では発生せず、オミクロン株は症状も熱発と咽頭痛が多く、昨年はじめの頃までの新型コロナとは本当に病原性が変わったなと強く思います。

今回の第7波の急速な新規感染者減少、コンスタントに続いてくれることを強く願うものです。

2022年9月10日土曜日

電通という巨大なパラサイト

腐臭のする所に必ず出てくる企業があります。それが電通。

そもそも、学部違いの関係で企業研究などしたことがないので日本最大の広告業の会社?くらいの認識しか無かった20年ほど前の私ですが、国の絡んだ事業のあちらこちらで昔から電通が碌でもない事を繰り返しているという事をあちこちの過去のネットにアーカイブされた記事で読んで規模にモノを言わせた中抜きの虚業軍団じゃんと思うようになりました。

最近では持続化給付金を巡る中抜き事件。そして現在進行系で進んでいる東京オリンピックを巡る「種々の」中抜きと賄賂に関する事件。何れもボコボコに叩かれていますが、必ずこの連中は子会社経由でいろいろと悪さをしては最後は己の利益が掠め取れるようなシステム構成にしているわけです。

宿主は日本。寄生虫は子会社。そして更にその寄生虫の腹の中に入り込んで最後は自分達が栄養を全て吸い上げるわけです。日本という宿主自体がそもそもデカい上に国会議員その他がどういう理由かは判りませんがどこまでも素晴らしい便宜を図ってくれますので!コネはいつまでも繋がり続け、どこまでもカネは懐に入り続けるわけです。

今回の東京オリンピックに関してはニュースでは電通社長「痛恨の極み」 五輪汚職事件、社員に動画と言う感じでアップしているのですが、このニュースにあの明石市長の泉房穂氏がtwitterで「これまではいくら不祥事があっても”時の権力”にまもってもらえてきていたのに、事件がオープンになるなんて「通根の極み」ということか。電通の電通による電通のためのオリンピックは、これを最後にしてもらいたい。この点、大阪万博や札幌五輪はどうなんだろうか・・・」と書いてありました。

おんなじ事を考えてる人はあちこちに居るんだなってよくわかる話です。

そもそも、もうオリンピックは日本には要りません。世界陸上のような形での使う金が遥かにかからない競技会方式があるはずで、税金の投入自体がそもそも要らないようにしなければなりません。オリンピックで国威発揚とかどこかの共産圏国家のような事も要らないし、造った建物が膨大な税金を投入して初めて維持されるようなお荷物も「もう要らない」です。

20世紀的な発想では何もかもが回らなくなっている時代に未だにこんな組織が水面下でうごめいて議員を中心とした糞ジジイや糞ババアが何故か口利きをするという話。普通に考えて何らかの便宜が図られていると考えるのがマトモな大人の常識でしょう。

変わらない、変えられない昭和のシステムにガタが来て引き続き日本を喰い潰しています。関係者が全員逮捕されますよう心の底より祈っております。

2022年9月9日金曜日

エリザベス女王の逝去

70年の治世にわたったエリザベス女王が亡くなられました。エリザベス・アレクサンドラ・メアリーという名前が正式名称と初めて知りました。

70年以上もの間、戦争の時代から実質的に王室の仕事をこなしてきたキリスト教国を代表する王女でした。そもそも96年もの間全く外見上の知性の衰えを見せることなく公務を遂行できたことにも驚きですし、様々な困難な時期・時代を淡々と乗り切ってきた事実も瞠目に値します。

昭和天皇や平成天皇(上皇様)と縁が深く日本の皇室とは深い関係にあります。世界で唯一「皇帝」と公式に称される天皇陛下とその次のランクであるとされるKing/Queenですが、不幸な戦争を挟みながらもその関係は耐えることなどありませんでした。

そして今上天皇もオックスフォードでは英国の自由な空気を満喫され、テムズ川の水上交通の研究を始めとした水上交通、水路・水利の研究で名を識られています。要するに切っても切れない程の深い繋がりがある訳ですが、今回も喪に服されるとともに英国で行われる国葬に御参列されるとのこと。いわゆるもともとの法律に基づく本当の国葬ですね。

まさに世界中から国王元首クラスが参集することは100%確実ですが、あの戦争中の赤い国のプットラーが参列することは無いでしょう。そもそもヨーロッパ上空は飛べないし、イギリス本土に来た所で確実に暗殺されるでしょうから国内で襲われる英国側も大迷惑でしょうし。

これからは息子のチャールズが73歳で三世として次の治世を行うようですが、これだけ偉大かつ歴史の教科書で既に多くの記述の対象となっているような母を上に持つといろんな意味で大変でしょうね。

大英帝国の歴史の大きな一幕が下りた日となりました。天国でついこの間亡くなられた御主人と仲睦まじく手を取り合って互いの労を労っていることでしょう。

2022年9月8日木曜日

片付けられない?アスペルガーの人

精神科医の同僚に聞いてみようと思っていることがあります。アスペとは何なのかと。

アスペルガー症候群と言ってもそのカバーする症候の範囲は広く、いろいろな症状がオーバーラップするということまでは理解できるのですが、その詳細に関してはやはり理解できないことが多いというのが正直なところです。

先日ここに書いたアスペと思われる医師と看護師の話の続きなのですが、彼らもそれぞれ当然のように細かなところでは異なる点はあるのですが、強烈に似ている点が2つ。1つ目は物を上手く片付けられないこと。というよりも実際は物を沢山持ってそれを適切に処理使用できないということでしょうか。

具体的には医師の方の「彼」は自分のデスクトップ周りにビックリするほど色々なものを積み重ねており、隙間が殆ど無いのです。毎日毎日3つか4つのバッグを持ってくるのですが一体何が入っているんだろうと何時も不思議でなりません。本当に謎です。彼は未だ病院に来て半年も経っていないのですが、病院に置いている荷物は少なめに見積もっても既に私の4-5倍です。

そして荷物と言えば「彼女」の方である看護師さんの方も毎日何かが入っている巨大な薄地の肩掛けバッグを持ってくるのですが、風船のように膨らんでいるそのバッグを時々病棟の方にまで持っていってナニカに使っているようです。それが何か知らないのですが、ある看護師さんが「何時もそれ持ってるけど何が入っているの?」と聞いた所ところ「私の血圧計を入れて家族用の3つの血圧計とかいろいろと必要なものです」とのこと…。

この前無造作にナース・ステーションにこの薄い生地のバッグが置かれていてこちら側にお尻(ボトム)が見えていたのですが、そこには病棟で使っているアルコール綿の袋や丸められたゴミ、他にもなんだか判らないものがはち切れんばかりに詰まっていました。その中にはきっと3つの血圧計も入っているんでしょうね。w

かくの如く、恐らくは「必要性に応じて適宜ものを取捨選択して使用する」という能力に血管があるようです。もしかしたら「どこかで使うかもしれないから取り敢えず持っておく」と言う感じで運び続けているのかも知れません。車の中とか家の中ってどうなっているんでしょう?恐ろしくて見たくありませんが。

実際に上記の1つ目と重なる2つ目の特徴と言って良いのかもしれませんが「物が上手く捨てられない」ようです。ものが溜まり続けるという方向の捨てられないだけでなく、捨てるべきゴミも捨てない、と言うか眼中に入っていないようです。看護師さんのアスペと思われる彼女は患者さんの痰の吸引を行うときに外すエンベロープをベッドの上に捨てたまま次のベッドで同じ作業を繰り返します。何度師長に注意されても、同僚に指摘されても「済みません」と言って同じ事を繰り返します。あたかも視界の中にそれが無いかのようです。そういうもう一つの方向でも捨てられないようです。

実は今日挙げたモノの整理整頓や捨てる行為に関してなどというのは極一部で、周りの人達はいろいろな意味で負担マックスなのですが、それは患者さんにこの障害の延長上の何かで「万一のこと」が起きないように気を配っていることもその負担感に繋がっているのでした。

他の看護師さん達の苦情を私が聞き続ける事になるのですが、前回も書いたようにパワハラにならないように、そしてストレスが自分にかからないようになるべく関与しないようにしています。ただし、この人を雇った看護部長には責任を取って貰うべく対応策を練ってもらっているところです。

看護部のことは看護部で対処して頂くのがこの病院の基本方針らしいので。


2022年9月7日水曜日

Appleも本当に輝きを失ったな~

新しいiPhoneやApple watchが発表されました。

一言でいうと何の感慨も起きない実につまらない「新?」製品でした。ティム・クックがアップルのCEOになってから、確実にアップルはカネを稼ぎそのストックは上昇し、本社も巨大になりました。しかし、本当に何の面白い製品も生み出さ無いマイナー・アップデートと価格改定で高価格を維持するような製品ばかり。

ノートブックのプロセッサという意味では確かに高性能のものを生み出していますが、画面にしてもそのプログラム(インターフェース)の進化にしても、もう進化させるの諦めた?と思わせるようなものばかり。

私はそもそもAppleの製品が大好きで、新製品が出てくる度に「こう来たか!」「次は何じゃい?」という感じで予想を上回るもの、予想に近いものを含めてSomething NEWがありました。しかし、ティムがCEOになって以降、特にジョナサン・アイブがAppleを去ってからは更にアップルには何の革新も産まないようになってきてしまっている感じがします。

枯れた技術の組み合わせで大きな利益を生み出しているのはよく分かるし、宣伝に向くようなApple watchの転倒告知システムなんかは有りはしますが・・・。ワクワク感が無くなったのなら正直windowsで十分でして、私がワインをこぼして以来去ってしまったAppleのノートブックも今のところ「有ればいいな」と思う程度で、今現在使っているSwiftの極薄・デカ画面のノートブックに何の不満もありません。

アメリカではJobsの娘が今回の新製品発表に何も新しいモノがなかったことを皮肉ったtweetをしたという話なのですが、私からすれば「さもありなん」という感じです。

最近のApple製品で唯一デザインと性能と価格が合ってるな(でもアイデアはオリジナルでは全く無いんですが)と思ったのはAirTagくらいでしょうか。

今回のiPhoneアップデート。あんまり売れなくて、前のバージョンであるiPhone13が半額くらいになれば買おうかな?w


2022年9月6日火曜日

全くもって他人事ではない

静岡の「認定こども園」で悲惨な事故が発生しました。

園バスの中に取り残された3歳の女の子が熱射病(熱中症の中で最重症のもの)で亡くなりました。ニュースソースよると、亡くなった女の子のお父さんが園内の話し合いの中で「子供の姿と違うので、そこだけはびっくりしないで下さいといわれて、中に入りました。抱っこしてもいいといわれたので抱っこすると、普段の2倍くらい重くて、何でこんなと…」等という発言があったとのこと。

亡くなられた3歳の娘さんのお父さんの気持ちを思うとこちらの気持ちまで張り裂けそうです。3歳の女の子なんて本当に人生の中で最も可愛い盛りの一つ。そんな時期にまさに理不尽な理由で突然に我が娘を奪われた御両親の気持ち、そのお爺ちゃんお婆ちゃんの気持ちは誰にも理解できないものだと思います。

73歳の園長というのも大概の爺さんのようですが、小さい子供達を預かる管理者の責任感というものは何処にも見当たりません。

病院や保育関係など、弱い立場の人々を預かる施設で大切なことは基本原則を絶対にスキップしないというものがあります。なぜ?というようなバカげているように思える安全手順書の真の意味はその手順の裏に今まで発生した「想定・予測を超えた事故」を可能な限り起こさないための愚直な予防策が練り込まれているのです。

例えば病院においては手術を行うときの手術する臓器の左右の確認における二重三重の確認。インシュリン注射を行うときに他人の目を借りての二重確認。劇薬を使用するときの数人のナースによる手順と量の確認等々は本当に日常です。それでも、数年に一度は悲惨な事故が「表沙汰」になります。それを検証するとその殆どは勘違いや慣れという名の必要手順の無視や軽視が発生しています。

今回のこども園での事故は間違いなくこの一例。乗った子供をカウントし、降りた子供をカウントし、最後にその上で必ずバス内のシート全体をシートの下まで含めて再度チェックするという原理原則を無視した結果以外の何物でもありません。

法的には未必の故意とかいう致死事件になるのでしょうが、これは親にしてみれば紛うことなき殺人でしょう。言い逃れは無理です。運行管理責任や園全体の統括責任を考えると、園長は何の言い逃れもできないトップであって、今後も御両親や亡くなった女の子に刑事・民事ともに懺悔する以外に無いと考えます。

私も他人事ではありません。まさに「以て他山の石と為す」であって、気を引き締めなければなりません。


2022年9月5日月曜日

開業医は客商売?

長崎の実家に行く前から嫁さんには空咳が良く出ていました。

特定健診でも画像上は問題なく、勿論のことコロナの抗原検査でも何も出ません。降圧剤でも空咳が出たりするのが有名な降圧剤がありますが、そういうたぐいのものも使っておりませんので咳喘息かなと思っていたのですが、代表的な咳止めなどを嫁さんに処方しておりました。

長崎に行っても咳がそれなりに止まったような止まらないような~という感じでしたので、一度は呼吸器の専門医に診てもらうといいよとsuggestしていました。

今回長崎から名古屋に戻ってきて時間もできましたので、嫁さんも駅の近場から少し離れた内科に行って診察をしてもらうことになったらしいのですが、最初に行ったT内科と言うところの70過ぎの先生が昔風の偉そうな感じのセンセイで、嫁さんが行って診察してもらおうとした所エラく嫌味な感じで「うわッ」と思ったらしいのですが、院内が何らかの理由で立入禁止になっているらしく、写真も撮れないと言われ申し訳無さそうな顔をしているそこの看護師さんから「駅にもっと近いFクリニックというところがあります」と親切に教えていただいたとのこと。w

という訳でそこに行ったら対比としてエンハンスされた効果でしょうか「物凄く親切」な先生が診察してくださったと言って意気揚々とLINEを送ってきました。取り敢えずコロナも「やっぱり」陰性で、呼吸音も綺麗なのだけれど恐らくは咳喘息のようなものの可能性が高いですという事で幾つかの有名処方を貰って帰ってきていました。

今日2つの呼吸器内科をまわった嫁さんですが、先生の世代の差や大学の差などもあったのでしょうが、前者は名古屋の唯一の国立の卒業、もう一つは長久手にある私立大学。開業してしまった後は医者は客商売。偉そうにしていては今の時代お客さんは集まらないと思うんんですけど…。余計なお世話ですね。開業されている先生が飯を食べられればそれで十分なんでしょうけど、今どきSNSで変なことを呟かれてしまったら?と考えると恐ろしい時代になったものです。

まあ、開業なんて一生しようと思わない私のような人間が何をか言わんやですが。w


2022年9月4日日曜日

アスペルガーの人達

ガチガチのアスペルガー症候群(アスペ)の医者が最近入職して参りました。

今まで何人か見たことはあるんですが、私の近傍に新たにやって参りました。本人もそれなりの自覚があるようなのですが、今までアスペの職員は何人か容易に見つけ出しましたが、本格的なのは院内で数人。独特の反応と思考様式を見せてくれます。(脳のMRI検査と機能のチェックをするある大学の共同研究が院内でありました。)

彼らは基本的に人と話すのが大変苦手なようで、ナース・ステーション、医局、事務職のエリア等で彼らの会話や思考様式と馴染めない、理解できない人達との間で何時も大きな「摩擦」を引き起こしているようですが、私自身はもう関わらないように物理的に距離を置くようにしています。

事務系等では上手に電話の取り次ぎができない、患者と無用のトラブルを起こす等の事態を起こしているのですが、それがナースとなると更に悲惨で、看護師長等はアスペの彼女がその日に日勤で入る日などは一日中そのナースのフォローで疲れた顔をしていますし、時には本当にブチ切れる寸前まで行っているようです。まあ、笑い事ではなくて他の看護師も気の短い人や率直に物事を言う人は彼女にいろいろと苦言を呈しているようなのですが、彼女は「注意されたという事自体」は気に病んでも、残念ながら「注意された内容」には全く気が回りません。ですから改善は殆どないのです。

殆ど違う言語を話していると言うくらいに思っておいたほうが良くて、実際には赤いスイッチを押したつもりで、赤い光が返ってくると思っていても、あちらから返ってくる信号は黄緑だったり青だったり。w

という訳で私は関わりを最低限にして私自身のストレスを最小化するようにしています。ただ、ナース同士やその日にその看護師さんが受け持つことになった患者さんは大変です。彼女が病室を去った後にいろいろな不満、苦情がナースステーションに上がってきたり、患者さんの家族と彼女が揉めに揉めて何だか訳の解らない問題がどデカくなったあとで、彼女から「何とかしてもらえませんか…」等という謎依頼が師長やリーダーに上がってきたりしてヘトヘトになっているようです。

さて、これが医師バージョンになると患者からも直接間接に「あの先生嫌だ」とか「気持ち悪い」等という強い拒否のリクエスト?が入ってきたり、患者の家族に病状を上手く伝えられなかったり大変です。これらに増して何よりも大変なのは看護師と上手くコミュニケーションが取れないために本当にここには書けないほどのいろいろな問題が起きることです。

また、一般的にこれらのアスペの人達は医療業務に最も必要な要件であるマルチプル・タスクが最も苦手なので、医療の現場で働くことが本当は合っていないと私は感じるのですが、周りがどう感じているかは別として彼ら自身は折角ここまで来たからと言う感じで必死で齧りついているのが何とも哀れです。

恐らく周りの人達のストレスも大変なものだとは思うのですが、彼ら自身は周りの受けているストレスを一体どういう風に解釈しているんでしょうね?

進路の設計は人生の一大事。周りも苦しみ己も苦しむ職業選択は一生の大過です。彼らには彼らにあった仕事はある筈なのですが、少なくとも医療現場じゃないなと強く思うこの頃でした。


2022年9月3日土曜日

長女のアメリカ帰国準備

昨日長崎から帰ってきたばかりですが、長女は明後日にはもう東京からフィラデルフィアに戻ってNYへ出張です。

一日だけ東京で散策する時間をとっていたようですが、何にしろ本来は数日余計にあったはずの日程が義父の容態急変で9日分短くなっていますから、色々な予定をすべてキャンセルしています。しかし、今回は偶々でしたがそれで良かったと思います。本当に何かが呼び寄せて長女を長崎に向かわせたのでしょう。

名古屋に着いてからの長女は長崎から持ってきた大量のネガ・フィルムの大急ぎでのデジタル化に一所懸命で、数時間はフィルムを変え写真を変え最後には仕事を終わらせました。あまりにも大量の写真の読み込みで疲れたのでしょうか、脇に敷いていた布団の上であっという間に寝入ってしまいました。

寝入る前には何度も何度も荷物の中身のチェックをして荷物を持ちながらパッケージの重さを確認していました。最終的にスーツケース1つとバックパックを一つ、手荷物を一つ。これで明日は問題ないというところで上に書いたように寝たのでした。

今回の長女の訪日で良く判ったことは長女が私といろいろな意味で「そっくり」という事でしょうか。もともと顔の形などは似ていましたが、思考様式や意見等まで遠くに離れていてもそっくりとだと「私のいないところで」長女自身も嫁さんもそう話していたようです。

良い事なのか悪い事なのか…。あまり考えないようにしたいと思います。w

明日からは長女と再びのしばしのお別れです。


2022年9月2日金曜日

お祖父ちゃんにさようならを

耳鼻科のドクターと我々家族三人の間での病状説明会が持たれました。

話の詳細が理解できるということで、義母に請われて否応もなく出席。私の長女と義母も同席しての説明会となりました。話は淡々と現在の病状説明と今後の予想や治療方針、施設移送の可能性などのこともありましたが、保険適応の云々を気にせず最善の内科的治療を継続すること、緩和ケアは麻酔科のドクターと連携して積極的に行うこと、リハビリも継続。最後の瞬間はDNARということで心臓マッサージや気管挿管などは行わないということなども再確認しました。

若い先生ですが、大変真摯に対応してくださっておりその治療内容や義父への対応などに関して一切の不満はありません。素晴らしい対応をしていただいている義父はある意味幸せだと思います。

特に私が来た次の日から始まったモルヒネによる注射治療では精神的にも安定し始めた上に苦痛の軽減が顕著で、バイタルも大変安定的な状況で取り敢えずは何事も良い方向に動いています。

長女(私の嫁さん)による顔や手の清拭、次女による口腔内のスポンジでのクリンナップ、私自身の手で義父の爪を切るなど、それぞれが得意なことをしていきました。気持ちよくなったのかその後に義父はスヤスヤと寝入ってしまいました。
我々は最後まで、今日名古屋に帰るということをなかなか切り出せずにいたのですが、意を決して「XXX(長女)はアメリカに帰る準備をするために名古屋へ戻ります。僕も名古屋で仕事をしなければならないので戻りますね。」と、詳細は曖昧なまま事実を告げて病室を出ようとしたのですが、長女は見えないところでポロポロと涙を流してなかなか離れられませんでした。長男にも「おじいちゃんにさようならを言いなさい」と促して何事かよく理解できていない長男にも「バイバイ」と言わせました。

義父は目をパッチリと開けて(うんうん)と言う感じで頷いてくれました。

恐らく今日が生きている義父と会うことになるであろう最後の日になるかと思うとなかなか部屋を出られませんでしたが、最後は意を決して部屋を去り、ナース・ステーションに会釈をして病棟を出ました。
病院を去るときに自分の学んだ母校の病院をもう一度振り返りましたが、生きている義父には恐らくもう再びは会えないと思いながらの辞去でした。

ガソリンを満タンにしたレンタカーを大村で返し、ANAに乗って名古屋に戻ってきたのですが、機長の説明によるとあちらこちらに接近する台風の影響によるものと思われる入道雲が発生しているため、大阪上空を直に飛ぶ許可を得たため早く到着いたしましたとの機内アナウンスがありました。確かにほぼ一時間のフライトで、予定よりも10分ほど早い感じ。実際に大阪の上空を飛びながら綺麗な都市の灯を見たときには、神戸、ミナミ、そして和歌山の黒い山々等が見えていたので何時もとコースが違うなとは思っていたのですがそういう事だったのですね。

久しぶりに家に帰り着いたときにはやはり心が落ち着きました。既に長崎は我々にとって客として行く街になったのだと強く感じた久しぶりの帰郷でした。嫁さんも同意見でした。


2022年9月1日木曜日

実家の大掃除と終活

嫁さんの実家に帰ってきては大掃除をしています。

男手が足りないこともあり、大量の廃品をドサドサと捨てることが数年に一度の行事になっていますが、大きな荷物を運ぶのにはやはり年老いた義母では危ないですし、僅かな思い入れがあるといろいろなものが捨てられなくなってくるのは世の常。

という訳で、今回は使われなくなった布団や古い本等を棚等と一緒にどっちゃり捨てることにしました。お義母さんと嫁さんに横に居てもらってこれはどうするあれはどうするということに許可をもらって進めなければならないものや私達夫婦がアメリカから移動する以前に暫く住んでいた頃の名残りの品々も含めて大掃除。

最終的にはネットで探した廃品回収の業者さんに軽トラで来て頂いて、荷物満載状態のゴミを1.5万円で引き取ってもらいました。以前は赤帽の軽トラで「超」満載状態でガチガチの二杯分になるような大量の荷物も運び出しています。

私達自身もそうですが、歳をとってくると「こんなもん持ってても仕方ない」というような判断が少しずつではありますが入ってきます。更には「見栄をはってどうする」みたいなものも。嫁さんの実家の両親の持ち物にしても良い方は悪いのですが、これからも誰も使わないそして誰も見ないようなものが次々と積み重なっていましたが、今回のようにお義父さんの調子が悪くなってからまた一段の終活に向けての動きが入ることになりました。

しかし、こんな風に両親の終活を手伝っている自分たちもやがては己の番です。我々がいなくなったあとに残るものは恐らくデジタルの写真データと遺伝の結果として残された子供達三人、そして彼らの中に残る我々のライブの声や姿なのでしょうが、私としてはそれで十分ですね。

我々夫婦の間抜けな失敗談を後年家族や姉妹で思い出して笑ってくれれば何よりです。^^