2020年12月12日土曜日

「1917 命をかけた伝令」を観て

第一次世界大戦での英独の塹壕戦を描いた映画を観ました。

昨年英米合作として制作された映画で、最大の特徴としては「一見すると」あたかも最初から最後までワンカットで制作されたかのように見える非常に巧妙に作られた映画だということです。(実際にそのカット間も相当長尺です)実際の塹壕戦の戦闘の激烈さと悲惨さの描写という意味では全く真実には及ばないと思うのですが、その塹壕内での兵士の日常の描写と当時の兵士達の戦闘の前後の様子は多分、大変精密に描写されているのではないかと感じました。

第一次世界大戦での戦闘では戦車、航空機、毒ガス、潜水艦、高性能の銃器等がワンサカと登場しており、今迄の地域間の戦闘とは一線を画するレベルで、殺る方も殺られる方もその質も量も全く酷いことになってしまった多国家間の初の大規模戦闘でした。しかも死傷者数は今もってたぶん世界一。

当初の戦争開始の興奮と情熱は急激に醒め、始まった後は「何故戦っているのか?」という戦闘開始当初の大義と決意が消えた後も今日戦っているから明日も戦う的な状況がヨーロッパ全体を覆い続けたのです。

厭戦気分とやりきれないほど大量の人々の死がヨーロッパを舐め尽くした後、今度は30年も経たないうちにアノ男が登場してきて世界を戦闘の渦に巻き込んでいったわけです。

そもそものきっかけはサラエボへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フェルディナント大公を暗殺した事件(サラエボ事件)が大本で、私自身もこのフェルディナント公の着衣を貫いた弾丸の跡をウィーンで見たことがありますが、狂信者のこの一発が1500万人以上の人間の死を導き、更には第二次世界大戦での悲劇を間接的にもたらしたのかと思うと「XX主義」などと云うものの信奉などというものはほぼロクデモナイものだと言うことが解ります。

それだけに留まらず、この一発はハプスブルク家とロマノフ家の終焉をももたらした訳ですから、なんともはや恐ろしいほど重い一発だったわけです。言って悪いのですが、まさにバタフライ理論レベルの激烈な振動。

一度あげた拳を下ろす場所など容易には見つからないのだということを我々後世の人間は鬼の如く何度も噛み締めなければなりません。恐ろしいのは、今この様な事態が発生した時にそれを交渉・判断していくのがテレビに映っているような「あのレベルの政治家達」なのだということでしょうか・・・。orz

1917を観てそういった諸々の事をつらつらと考えてしまった今日の深夜でした。


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