2020年12月30日水曜日

日本の隠れた貧困が嫌でも目に入ってきた一年だった・・・

この数年で在宅の仕事をすることで、名古屋の貧困が「より一層」目に入ってくるようになりました。

名古屋というところは良くも悪くも日本の多くの労働力、特に製造業の多くをごっそりと抱え込む大都市の一つです。そこで発生している労働環境の変化と労働者の様子の変化はまさに日本という国の都市の変化を前もって占うもの。

私が気付いたのはこの数年で「若い労働者」でさえも仕事にあぶれて病に倒れ、住む場所を失う人達が増えているのを強く感じます。ここでいう若いというのは勿論50代前後からを示すのですが、まだまだ働く意欲もあって働ける人達がちょっとした理由をつけて会社を追い出されたり、長く居た寮から立ち退きを命ぜられたりと厳しい目に遭っているようです。

私自身はこの他にもここで以前ちょろっと書きましたが、あちこちに「目立たぬ形で」子ども食堂が増えていることにも気づきました。本来はこんなシステムがなくても家庭が機能していれば不要なシステムであるはずなんですが、実際には家庭があってもシングルママで仕事をすれば家では子供をみれないケースや給料が少なすぎてカツカツで、育ち盛りの子供達にご飯を十分に食べさせてあげられなかったり。

その人の年齢や性別、健康状況などりその逼迫のパターンは書き出すと本当に様々です。大人が相手であろうと子供が相手であろうと、こんなシステムが増えなければならない事自体が本当は良くないことなのですが、必要なのですから仕方ありません。必要であればあったほうが良いに決まってます。

餓死したり寒空のもとで震える人が居ない年の瀬こそが皆にとっての良い年の瀬。困っている人が居たら、手を上げさえすればレスキューされるシステムが身近にある事こそが肝要でしょう。日本に戻ってきてこれでアッと言う間に満六年。寄付も含めて自分の稼いだ金で彼らに手を差し伸べてやることの出来るもっとシステマチックな方法を探し続けたいと思います。

もう少し智恵と時間ああれば、そのシステムを自ら構築できるはずなのですが、怠け者かつ発想が貧困なせいでなかなかドネーション以上の良い方法を導き出せません。

何か無いかな。ああ、本当に頭が悪いし行動力がない。


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