むかしむかし、そのまた昔「社会党」という党がありました。
結党して既にに75年とのことですが、一時期は「山が動いた」というセリフを作るきっかけとなったLand slidingともいうべき、劇的勝利を見せたこともあった社会等ですが・・・ズーッと3人とか2人とかいうマイクロ政党になるまでの道程は急激なものでした。
そして今回、遂に党が分裂して1人!にまで減ったのです。w
歴史のページを捲ってみると、私の記憶に残っているあたりでは良く親父が夕方に観ていたNHKニュースに名前の出ていた石橋政嗣あたりからでしょうか。次が飛鳥田委員長かな。他にも土井たか子、田辺誠、横路孝弘、山花貞夫、仙谷由人、岡崎トミ子、赤松広隆、輿石東等の名前が出てきますが、まあ、こうやって私の知る限りの社会党の人間を羅列してみても本当に「どいつもこいつも」というような連中ばかりで、本当にお前らときたら・・・と溜息が出そうです。
何時まで経っても時代が見えず、党内の派閥争いとイデオロギー対立でしか世の中を見ることしか出来ない60年代的脳内回路の皆さん。そら幾ら労組の支持があろうと、その労組自体の存在理由の縮小と消滅が続いているんですからそもそも支持母体自体が消えちゃうと言う時代の流れ。
更に決定的なのはこの党が北朝鮮の思想を支持し、その党から支援を受けていたという誰もが知っている破滅的な関係性にある時期から日本人が普通に気付いてしまったことでしょう。そんなテロを扇動する拉致国家に操られる売国奴政党が日本人に一票を入れてもらっていたということ自体が本来は「ありえない話」ですが。
最後に1人党員、1人党首という漫画のような状況を作り出した福島瑞穂。恥ずかしながら同じ郷土の出身です・・・。私の親父と同じ高校を出たあと(私の親父は紛うことなき劣等生w)東大法学部卒出てますが、1センチ前の現実が見えないアホです。orz
それにしても驚いたのは社会党の党のマークがあのグラフィック・デザイナーの和田誠の手によるものだと知ったことでしょうか。(社会党自体なんて今時全くどうでも良いことなんです。)和田誠も昨年肺炎でお亡くなりになっていますが、草葉の陰で今回の茶番と党勢の衰退、消滅をどう思われていることでしょう。
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