2020年11月16日月曜日

トヨタがなくなる日

愛知に住んでいて時々ふと想うことがあります。

実に他愛もない空想なのですが、もし愛知県からトヨタが無くなるような事があったらどうなるんだろうというものです。名古屋に住んでいると素晴らしい福利厚生の充実がありますが、それもこれも間違いなく大企業群からの潤沢な税収のおかげです。

名古屋の少し外のみよし市なども、トヨタの隣りにあって何もないようにあって実は種々の企業の工場やロジスティクス(多分多くはトヨタ関連)が軒を連ねていてやっぱり結構市としては贅沢できています。

ところがよく考えてみると、こういうのは炭鉱町と一緒でその産業が廃れると街自体が成り立たなくなるのは日本中、世界中の鉱山で歴史的に証明されているわけです。大きな産業といえば例えばアメリカであれば今ではラスト・ベルトと呼べれる州のある街々にあったUSスティールやベスレヘム・スティールのように超巨大かつアメリカや世界の種々の需要を賄っていたのですが、今や見る影もありません。あってもなくても構わない程度の規模であったり、消えてしまったり・・・。

20世紀初頭にそんな事を考えたアメリカ人がどれほどいたでしょうか。同じことはアメリカの自動車産業でもしかり。実際は数多くの自動車会社が栄枯盛衰の末に合併吸収や倒産で消えていっています。GAFAMが今は世界を席巻していますが、長いスパンではそれがどうなるかも将来はわからない。驕れる者久しからずです。

愛知ではトヨタに勤めている人と結婚するのは安定を得るための良い結婚だというのが看護師さん達が私に囁いてくれた話ですが、例えば電気自動車が大量に走る時代になった時に大幅に減った車の部品のうち特に機械関係の部品に関して言えば衝撃的な減少が起きるでしょうし、その変化に対応できない若しくは不要となった会社はどうやって生き残りをかけるのか。そしてトヨタ本体は?実はトヨタの中の高いポジションにいる人達自身がその危険をもっとも肌で感じているのかもしれません。知りようもありませんが。

実は今日こんなことを書くきっかけになったのはイーロン・マスクのSpaceXが作り上げようとしているStarlinkの記事を読んだからです。劇的で冒険的な速度で想像可能な限りの技術革新を自分で手繰り寄せて「自分で未来を作ってしまう」タイプの人間の挑戦を果たして変化を好まぬ、調和大好きな日本人がどれほど防衛し切るのか大変心配しているのです。

人口も減り勢いも無くなっていくであろう日本にどれほどの抵抗力が有るのか。教育と人間の意識改革は喫緊の問題だと思うのですが、内向きに縮こまろうとする日本人が増え続けるようであれば、その過酷な運命を受け容れる日まで100年もかからないのかもしれません。

その時名古屋という街はどう変わっているのでしょうか・・・。


0 件のコメント: