2020年11月29日日曜日

西ベルリンの想い出・孤独死の話

私が医学部の学生だった頃、授業をガッツリとサボって二ヶ月間のヨーロッパ一人旅に行ったことがありました。

持っていたのは帰りのチケットと1000ドルのT/Cのみ。後は着替えのズボン一枚とシャツ数枚。細かいことは全て省略して書きますが、最初に降り立ったのは当時法医学教室の先輩が住んでいた西ドイツのマインツへアクセスするためのフランクフルト国際空港でした。

これまた全ての細かい事を省略してそのお宅へ到着した後の行動の第一弾として当時の東ヨーロッパをぐるぐるアテもなく廻るというものがありました。その移動の途中、乗り合いレンタカーというものがありまして、数人の人間が一台の車に乗って目的地へ向かうというシステムの紹介を受けたのです。

移動当日の朝、私とドイツ人の男性とポーランドから帰ってきたドイツで働くポーランド人のメイドさん、そしてもう一人の女性がいました。ドイツ人男性が運転手としてオペルをかっ飛ばしてAutobahnをベルリンへとひた走ったのですが、最終的にベルリンで降りて散会したときにその男性Frankと言ったのですが、彼から「もし泊まるところが見つからんかったら俺に電話せい。泊めてやるから!」と言われていました。

夜までいろいろ探したのですが、当時のベルリンには私のような当て所なくやってきた人間が素泊まりできるようなホテルなど何処にもありませんでした。仕方ないので駅にでもダンボールを敷いて寝るべい!と思ってベルリン中央駅に行ってさっさと寝ようとしたのですが・・・。寒くてとても寝られません。

オマケに2m位ある激ヤセの(ほぼ間違いなくAIDS末期)ジャンキーがドイツ語で喚きながら寝込んでいるトルコ人をガンガン蹴っています。スゲーなと思ったのは、このトルコ人のオジサン寝ていてガンガン背中を蹴られているのにグースカと鼾をかいて微動だにしません。ほとんど脳卒中の昏睡状態でもなければこんな事は無理だろうと思われるのですが、世界は広い。w

段々と人の間を渡り歩きながらこのジャンキーが金を出せといろんな人に言って回っているのですが、あいにく大学でのドイツ語はスレスレで通っただけですから何を言っているのかサッパリ解りません。最後には私のところに来てドイツ語で捲し立てるのですが私は英語で反応するともしかしてレスポンスが返ってくる可能性を考え日本語で「知らん。俺から金が欲しいなら日本語で話せ~。」とか言っていたら、ドイツ語で何事かを喚きながら起こって離れていきました。私の勝ちです。

とは言え、寒い寒い。やばい寒さだったので仕方なくギブ・アップして道中知り合ったフランクに電話した所「すぐに来い!」との有り難いお返事。若い者同士恐れるものも遠慮もありません。

彼はベルリン自由大学の電子工学科の学生でしたが、この大学はいわゆるドイツのエリート大学の一つでして、気さくな様子とは裏腹に優れた頭脳の持ち主だけが集う国際色豊かな大学なのでした。ところで、この学生が泊めてくれたベルリンの部屋の隣ではいわゆるMad Manが住んでいたとのことで、毎日毎晩おかしな声を出して四六時中喚いていたと言うんです。

ところがある日、突然声が聞こえなくなってしまったということで引っ越したのかなと彼は思っていたそうです。ところがある日隣の部屋にポリスが沢山やってきて、彼の部屋にもやってきて「隣の男が死んで大分経って見つかったんだけど君何か知ってる?」と質問してきたとのこと。真夏の部屋で腐っていたらしいのですが、彼には何も臭ってこなかったと言う話で、彼は静かになった理由に「なるほど」という感じで話は終わったというのですが。orz

実は彼とはいろいろとそれからもお世話になったり、面白いことも経験させてもらったのですが、それはココには書かずということで・・・。

まあ、とりあえず昨日孤独死の話を書いていた時に30年前のこの話を思い出したので、ちょっと書いてみようと思っただけです。


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