2024年12月31日火曜日

今年も年末感の無い大晦日

2024年(令和6年)の大晦日は隣でテレビ(主に紅白)を視ている嫁さんの主導によって終了。

夕食終了後には丹波の黒豆を出してくれました、その数時間後、夜の10時前には年越し蕎麦を家族に配り今年の我が家の食事は終了。紅白歌合戦には嫁さんの大好きなB’zが登場し、会場の異様な盛り上がりを食い入るように見つめている姿がありましたが、タダでこんなもんが視れるのは彼女にとってはラッキーな年末プレゼントだったことでしょう。

紅白も最後で白組の圧倒的な勝利に終わり、蛍の光を合唱した後「ゆく年くる年」風の画面に切り替わっていたようですが、実際にはその前後に行われていた芸能人達のミニ・マラソン大会等を食い入るように視ていた時間もありました。

しかし、ウクライナでは今も空襲警報が鳴り響き、パレスチナでは毎日無辜の人々が糞ハマスの起こした誘拐・殺人の影響で絶滅の危機にあるというのに、ここ日本は「今年は」のんびりしたものです。

とは言え、この日本も一見のんびりしているように見えるだけで、近所に居る…というか隣の赤い国々のトンデモナイ面々が己の保身のために織りなす碌でも無い侵略政策の数々が、世界の国々に余計な緊張を撒き散らしていますが、改めて社会主義とか共産主義がとてつもない糞ポリシーだというのを世界に見せつけた年になりました。

人間が考えた「~イズム」なんていうのはほぼどれも碌なのは無くて、こうあって欲しいという姿には何れも程遠いもので継ぎ接ぎだらけ、民主主義と言われる形態も一枚薄皮を捲れば中身は殆どが残念なものばかり。それでも、共産主義や社会主義等と比べればまだマシだからこっちを選んでいるというだけの話。

横で楽しそうにテレビを視ている嫁さん達をジッと見ていると、80年前の同じ場所では毎晩空襲に震えながら逃げまどっていた日本人の一群が居たのだという事を考えると、まさに隔世の感がします。

しかし、あと20年で1世紀になろうという日本の平和。果たしてきちんとその貴重な時間を延ばし続けることが出来るのでしょうか。平和は脆く、戦争の開始という行為自体は恐ろしいほど容易な世界の情勢を見ていると、こういう静かな「何もない年末」と云うのは本当に貴重なものだと思えるのでした。

2024年12月30日月曜日

年末には別の意味で「悲劇」がある

今年最後の当直でした。

去年までと違い、最近の当直は精々あっても月に三回。ほとんどは二回までで済むようになっていて、外部から大学の先生を当直に雇う様にする事が殆どになっています。アクティブな先生なんかは60歳を超えて月に8回以上とか恐ろしい事をしている人も居ましたが、次第にそのような事は許されない時代になってきました。

とは言え、何だか今日の当直はキツイものとなりました。朝一番に病棟に入った瞬間に心臓マッサージをしなければならないような案件が入り、一時間ほどの格闘を行ったにもかかわらず、命は戻ってきませんでした。

その後もインフルエンザAによる熱発患者が連続で報告されるわ他の病棟で死亡確認を依頼されるわで真っ当に眠る事も出来ませんでした。これ、宿直なのか当直なのか訳の分からない状態ですよね…。まあ、部外者にはどうでもよい事なんですけどね。w

さて、夜になって遺体を引き取りに来られた業者の方とエレベーターで偶々居合わせることになりましたが、実は夜になって迎えに来られる迄に随分と時間が経っていたのでした。

電話で最初に伺った時には3時間以上もお待ちいただく…等という事を言われていたのですが、実際に来られたのは2時間30分を少し超えた頃でした。理由を伺うと「名古屋市内の業者の全ての車がフル回転して御遺体を運び続けても追いつかない」との事。

個人的には「特に冬だからといって今日に限って増える理由は無いはず…」と思って訝しんでいると、業者さんが一言「警察からの依頼が多いんですよ」とサラリと言われました。「?」と思って考え込んでいると「田舎から帰ってきた御親族が家で亡くなられている御両親、御親族なんかを見つけて警察が動くというのが多いようです」とのこと。

思わず、えええっと声に出してしまいましたが、よくよく考えると普段は繋がっていない年老いた家族が、物理的に家に戻ってきた子供達によって「御遺体」として発見されるのがこういったシチュエーションになるのは当然ありやな…と納得してしまいました。

年老いていなくとも「一人で生きる」という事はこういう最後を迎える可能性が高まるのだという事も受け容れなければならないという事なのだという事を改めて理解させられた2024年最後の当直の寒い夜でした。

しかし、再会のために家に帰ってきたら親が家で…という状況で年末を迎えた方々の事を考えると言葉も有りません。

2024年12月29日日曜日

カーター元大統領死去

カーター大統領の死亡が確認されました。

あの大平首相の時代に活動していたと考えると、恐ろしく昔の話だな~という実感が湧き上がってきます。あの!東京サミットで居並ぶ首脳陣はサッチャー、シュミット、アンドレオッティ、ジスカールデスタン等という既に近代史の教科書に出て来るような人々な訳で、その年季の入り方が解ります。

未だ私は小学生でした!w

私にとってのジミー・カーターというのは南部ジョージアのピーナツ農家の出身で、そもそもが近所の人達と集まって大工仕事をしたりするような人、かつワシントンのいわゆる「established」と言われるような連中とは対極に居る人という感じで私の中学時代に彼の事をニュースで視ていた覚えがあります。

その次に「私にとって」印象深い彼の政治家としての達成事項と云うのはイスラエルとエジプトの和平合意。未だに両国には精神的な溝や政治的に強烈な駆け引き、裏世界での暗闘等は普通に有るにしても、合意以降エジプトとイスラエルがダイレクトに戦火を交える事は無くなった訳ですから、外交では中国との国交締結も含め大きな仕事を成し遂げた人だったと思います。

ただ、経済への貢献は最低だったのは中坊の私でも連日のニュースで解っていましたし、イランの米大使館人質事件での汚点やソビエトのアフガン侵攻を許したのもアホの極みでした。侵攻後にソ連は戦場で地獄を見る訳ですが、以降のテロ組織の拡大と暗躍、延いては9/11へと続く暗くて長い道の素地の敷衍を許したのはお人好しの甘い見通しでした。

この後、レーガンという鷹そのものの誕生が準備され、彼が悉くカーターと反対の事を行ってアメリカの経済と国力が回復していったわけですが、ボロクソに言われて引退した筈の後の彼の言行は逆にいつまでも残る「善き人」としての側面を輝かしいものとして懐かしむ人々が多かったのが本当に印象的でした。

James Carter Jr. 1924年10月1日 - 2024年12月29日 100歳の天寿を全うされました。

2024年12月28日土曜日

帰ってきて早速また忘年会

昼頃にはサクッと名古屋まで戻ってきました。

山に泊まれなかったことは残念ですが、こういう事は命あっての物種です。次回チャレンジするときはやっぱり四駆を借りていくか、四駆を持っている人間とキャンプに行くのが良いのでしょうが、そんな人間を周りに直ぐに見つけられる環境にはおりません。

取り敢えずユックリそういうチャンスを待って「人」が現れるのを待とうかと思います。^^

そう云う訳で今回はキャンプの件は終わり、ここからは今晩の後輩との酒飲み会の話です。実際、一昨日から病院の後輩任せで店が脳内リストから抽出されるのを待っていたのですが、この時期はどこも当然の様に一杯。何時もはもう少し下手に出て来るお店も今日ばかりは入った瞬間「ご予約は?」てな感じで、所謂「一見さんお断り」的な雰囲気を醸し出してくれていました。

まあ、これがダメでも覚王山があるわい!くらいに思ってグルグル回って居たらナント!昨日の岐阜のデジャブが登場してきました。そう、煙力が眼の前に出てきたのでした。ここに首を突っ込んでみると15分ほど待っていただければ入れます!と言われたので、外で待っていると2分程度で「ハイ入れますよ!」という事になりました。

私自身は昨夜からの連発ですけど、彼にとっては好きな焼肉を食べられるという事で私が我慢すればよいだけの話。ここでビールをガチッと飲んで、肉をしっかり腹に詰め込んだところで二次会の覚王山へ移行し泡盛43度で呑み始めたのでしたが…。

彼には濃すぎたようで、鼻を近づけただけで”ウプッ”という感じ。それでも頑張って薄めながら吞んでいたのですが、暫くすると「もうこの辺りまで酸っぱいものが上がって来てます~」等と言い始めたので、ここでストップ。

ナント、彼は私にゲロ袋を準備してきましたというのを見せてくれました。あと、口を拭くためのウェット・ティッシュも。何というか大笑いしてしまったんですが、彼は真面目なんですね~。w

2024年12月27日金曜日

キャンプの為に長野へ向かうも…

今日は仕事を終えて前から決めていた長野方面へのキャンプに向かいました。

病院にそのまま置いているキャンプ道具の箱をサクッと車に載せて、何時も準備しているレトルト・カレーもそこに入っている事を確認した後北に向けて出発しました。

最大の心配は路面の状況。私の車はFFの上にタイヤは夏用タイヤ!人生で一度もスタッドレスタイヤなどというものを装着したことが有りません。メリーランドやバージニアに居た頃も雪が降ろうとお構いなしのサマータイヤで通してきた人間。そういう状態では平地では何とかなっても、坂道の上り下りではどうしようもない事は良く理解できています。

昔、ゴルフIIIに乗って居た頃にヤナセから代車で借りたオペルのベクトラに乗って朝の雪の山道を登っていき、目の前を軽の四駆がスルスルスルッとなんの危なげも無く走り去っていく姿に「勘違い」して己も行けるかと思ったら全く上っていくことが出来ず、逆に後ろにズルズルと滑り出してもう少しで崖下へ転落して死ぬ寸前でした。

結局、圧雪路・アイスバーンでは普通のタイヤを履いて四駆以外で坂を登ると「死ぬ」という臨死体験?だけが体験(トラウマ)として強烈に残りました。

という訳で、雪山には畏れを抱いていたので、道がヤバそうだったら絶対に近づかないと固く決めていたのですが、夕方までの段階では雪マークも無く安全そうだったのですが、義父を超えた時点でもうヤバヤバ。例えキャンプ地に入れたとしても、そこから安全に出て来ることは出来ないな~という感じの予報に変わってしまったのでした。

その時点でもうさっさとギブアップして、岐阜駅まで戻り適当な安宿を見つけて泊まる事にしました。

幸いにして一万しない程度の宿が直ぐに見つかったので、そこにアクセス。車は満杯でしたので、案内された近所の駐車場まで行ったのですが、この年末のこの時間帯…どこも空いておりませんでした。しょうがないので歩いて10分ほどの所へ停めてホテルへ戻り荷物を部屋へ入れて直ぐに夜食を食いに出ました。

すぐ外にはいろいろと魅力的な店が並んでいたのですが、眼に入った焼き肉の文字に引き寄せられて入ったのは煙力(「けむりき」と読むのだそうです)でした。

一人用でもきちんと使えるコンロが眼の前に置いてあり、強い火力でサクサクと肉が焼けます。次々と憂さ晴らしの様に肉を食ってビールを流し込んで岐阜駅前で夜を迎えました。
寂しーw
昨日の夜は二時過ぎに寝たために今日は早く寝る事にしてさっさと床に就き思わぬ場所での爆睡となりました。

行きの中で無理はしない!との己の心の約束に従った結果でしたが、まあこれで良かったのかな。次回の挑戦を待つ!という感じでしょうか。

2024年12月26日木曜日

嫁さんと飲みに出ました

家に帰ってきた後でちょっと思い立つことがあって嫁さんを誘いました。

今日は息子が家に居なくてお泊りをする日でしたので、夫婦二人と娘たちだけです。という訳で「飲みに出んか?」と誘ったところ、既に風呂上がりで髪を梳かしていた段階でしたので、ちょっと文句が出てきました。「ええ、もう少し早く言ってよ~。言ってくれれば、髪もお化粧もそのままで行けたのに!」との事。

ところが、その後は意外な言葉が嫁さんの口をついて出てきました。「実は私も銭湯かお酒を飲みに誘おうかなと思ってたのよ」と。

おお、これは奇遇ということで40分程度で準備をしてもらうことになりました。急いで髪を乾かして、ちょっと化粧をしたようで二人揃って寒空の中を藤が丘駅へ!二人で並んで座席に座りどこに行くかを最終確認。嫁さんの希望は「沖縄料理をいつもお父さんが行くお店で食べたい」とのことでしたので、覚王山へ向かいました。

直ぐに到着してお店の中へ入ると嫁さんが先ずは生チューという感じでオーダー開始。店のママさんが「今日はお客さんが少なくて困ってたんで、助かりました~」と満面の笑みで迎えてくれました。

我々にしても次々に出すオーダーが、ほぼ我々だけのために処理されるので好都合です。実際に、何故か今日は夕食を殆ど取っていなかった嫁さんがいつもの様に舐めるようにメニューを見て次々にオーダー。びっくりするほどの注文をしているのを前で見て私はただ腰を抜かしていました。

出てきた料理は、まずいつもの自分では絶対に注文しないようなものの数々でしたが、食べてみるとみんな美味しく、たまには他人を連れてきていつもは食べない料理を食べるのも良いかもと感じた次第。

10時半頃までマスター達と笑いながらいろいろと語らったあとに家路につきました。

子どもが大きくなると、こういう事が出来るのが良いですね。

2024年12月25日水曜日

「問題あり」と言われて紹介を受けた患者さん達

臨床をしている醍醐味は何と言っても患者さんと話しながら進める日常の治療。

ほとんどの患者さん達とは楽しい会話をしながら毎回毎回笑顔で別れる事の繰り返し。しかしながら、患者さんの中にはなかなかそうとばかりはいかない人が混ざっているのもこれまた普通なのです。

特に医療連携の人間から前もって連絡が入っているような人がたまに居て、「XXさんという次の患者さん、いろいろと揉める事が多くて精神科の外来で暴れて警察沙汰になった事もあるようです」とか「Yさん、昨日の夕方は物凄い事になって、他の病院の受付けで2時間くらい居座ったらしいです」等という前情報を聞くと、私の頭の中で巡る想いは意外とシンプルで「あ、そうですか」という程度のもの。

私にとって大事なのは患者さんを診る時に先入観を可能な限りゼロにしておく事です。

確かに精神疾患を持つ患者さんでrestlessだったり、易怒性の強い人などは居ることは居ますが、そういう人々でもその視線や表情を読み続けながらその一人一人に異なった対応をしていく事で最善の反応をその一人一人から引き出す事にチャレンジしています。もちろん毎回全員に最初に思っていたような対応が成功する訳ではありませんが。^^

その「問題あり」といわれた人の診察が何事も無く互いがにこやかに終わった後で、後ろで控えていた看護師さんが「本当にあの人問題があるって言われてた人なんですか?」と尋ねてくれた時は私の気持ちも上がろうってもんです。w

いろいろな疾病を持ついろいろな年齢の患者さんとの出会いの日々、一筋縄ではいかない事が起き続ける日々ですが、疾病と人間への対応力を試されるのは緊張感と充実感に満ちた楽しい日々です。

これからどこまで対応力が伸びるのか…アラ還挑戦の日々です。

2024年12月24日火曜日

クリスマス?

今年も12/24を迎えましたが、超久し振りに家族5人全員が日本に居るという珍しいクリスマス・イヴとなりました。

次女はバイト先に行ったままなので、残り4人の家族が豚シャブを食べて腹一杯になった後にモンブランのクリスマスケーキを食べていた時も次女だけは居りませんでした。

今年は私自身は嫁さんにちょっと早めのクリスマス・プレゼントとしてJBLの携帯型スピーカを送っていたのですが、嫁さんも靴下をプレゼントしてくれました。私からのプレゼントの方が金額的に高かったので取りあえずはメデタシメデタシ。^^

コレと言って他にする事も無く、モンブランのクリスマスケーキにキャンドルを立てて、火を点けたのを息子に吹き消して貰い、全体を6つ程度にカットしてから美味しく頂きました。

アメリカに居た時の様に一か月も前から雰囲気のある飾りつけやクリスマスツリーを家にドーンと置いて飾りつけをしたりするわけでもなく、前もってプレゼントの箱をツリーの下に置くような事も無く…クリスマスも日本に帰って来てからは極めて形式的なものになってしまいましたね。

そもそも、アメリカのクリスマス・シーズンも今の時代、多くのアメリカ人にとっては極めて商業ベースの行事という感じで、宗教色もそんなに強くは感じませんでした。況やほぼキリスト教の信仰とは無関係の大多数の日本人がクリスマスを祝うのはほぼ「年末気分」+「商業主義の無意識片棒担ぎ」レベルのお話。平均的な日本人にとっては精々、子供や嫁さんにクリプレと称す何かを買って家で、家でケーキを食べる日という様に定義しておいてよいのではないでしょうか。

何でも取り込み自分のものに改変してしまう文化の柔軟な吸収国日本。今年の年の瀬もまことに「らしい」年末となりました。

2024年12月23日月曜日

墓穴を掘ったのはあなた自身

今日は内科外来で「あるお婆ちゃん」が大暴れでした。

事の始まりは施設からの依頼でして、このお婆ちゃんが下腿の浮腫が酷くなってきているから一度診察して欲しいというものでした。無論異論などありません。直ぐに連れてきてもらい、診察を行いつつ採血したうえで画像データも集めました。

結局、肺気腫をベースとした心不全の増悪。確かにソックス状になった浮腫が経時的に膝に近づくと共に、呼吸も苦しさのあまり酸素を使わなければどうにもならないレベルで、胸に水も溜まっていました。当然入院の運びとなったのですが…。

実はここからがお婆さんの一日の始まりでした!

このお婆ちゃん、入院したくない余り有る事・無い事いろいろと文句を言い始めたのです。その内容がほぼ譫妄(せんもう)に近い様な発言で、事実誤認と記憶の間違いと日頃の施設への不満が入り乱れたハチャメチャなもの。

役所の人間、病院の担当者、施設の人間の皆さんが入り乱れていろいろと説得したようですが、一切効果なし。おまけにこの患者さんの妹さん迄も「あなたが来ても家に入れない」と言い切る始末。もう自分自身で四方八方を塞いでいったのです。最終的には警察を呼びつけて施設に騙されたという本人の主張をぶつけようとしたのですが、無論相手にされませんでした。

結局、入院は勿論、妹の家にも帰る事は叶わず宙ぶらりんの状態で施設に一泊。施設の方針に従えない人は施設にも最終的には居残りは出来ません。

大暴れして拳を振り上げたのは良いものの、お婆さんに残ったものは摩擦だらけで傷ついたお婆さん自身の心の傷と治療されていないお婆さんの病気だけでした。感情に任せて拳を振り回すのは簡単。しかし、それを収めるのは本当に困難なのです。

お婆さんの一日を見て改めて己にそういったことを自分が起こさ無いように肝に銘じたのでした。


2024年12月22日日曜日

伊勢志摩の旅から戻りました

朝は7時前に嫁さんに起こされました。

私はもっとゆっくりと起きたかったのですが、朝の時間の早い時間での移動開始を目論むこの方には勝てません。7時前には私と息子の眠る部屋にドカドカと入って来て「はい起きて~」と尻を叩きました。

息子も私も昨晩は直ぐに寝ましたので、これしきの「妨害」ではやられません。そもそも、私も息子も週末の何も予定が無い時は普通に10時くらいまで寝ている人なのですが、今朝はそういう理由で「やられた感」は有りませんでした。

7時半から食べたホテルの朝のビュッフェは実は我々の毎年の愉しみ。朝から食べきれない程の和洋の小物が揃えられた沢山のテーブルから選び放題の状態なんですが、ここのホテルはミシュランで星を取る有名女性シェフ長が居られるだけあって、献立が良く練られているなと感心すること頻りです。そんな朝食に大満足して今年もこのホテルを後にしました。

ここを出て向かったのは長女のリクエストに従った二見の夫婦岩観光。何で娘がこんな所を知っているのかと聞いたら「外人の旅行記にお勧めで出てた」とのこと。何時でも娘達の検索のベースはガイジンの視点が中心です。まあ英語が思考の中心なので仕方ないですけどね。

恐らく私自身は7~8年ぶりという感じで滅茶苦茶久し振りに行ったのですが、今回は波風が強く猛烈なしぶきで家族全員が波にやられました。おまけに私の髪は風にやられて(嫁さん曰く)ドンキング状態。w
波風強し!
それでも行った甲斐があったと思える良い景色でした。アジア系の外人さん達が沢山来ていたのが言葉で良くわかりました。昨日フグを食べた後に寄った安乗崎灯台の時とは違う劇的な強風でしたが、また行きたいですね。

その後は定番のお伊勢参り「内宮」詣でとおかげ横丁での買い物に行ったのですが、内宮を気持ちよく巡っておかげ横丁迄再び戻ってきた時はちょうど赤福の店の曲がり角位のところで雨が本格的に降り出して急いでギブアップ。参拝は出来たし問題は無かったのですが、もう少しゆっくり買い物したかったなというところでした。とは言え、私は伊勢志摩サミットで各国首脳に出されたという宮﨑本店の「宮の雪」というお酒を買えましたけどね。^^

車に乗り込んで最後に向かったのは1時半ごろで少し遅かったのですが、昼飯という形でいつもの四日市のヒモノ食堂へ!一時間ちょっとの移動に家族をつき合わせたのですが、気持ち良さげに皆さん寝ておられました。(^^)

到着して直ちに縞ホッケ2つとサーモン、きんきを注文しました。やっぱりここは時間をかけてドライブしてでも来る価値のある食堂だなと思いました。もう私はココには10回とは言わずに来ていますが、もっと近ければ毎月でも来たい、藤が丘にあれば毎週末はココでも良いくらいです。調べてみると、そもそも醬油メーカーさんが運営しているとの事なんですが、でっかいグリルで焼かれたヒモノの味はやはりここでしか出せないような気がします。

夕方にはゆっくりと帰って来て寛ぎの夜を過ごせました。ちょっと速めでしたが、再びの素晴らしい旅となりました!

2024年12月21日土曜日

年末の伊勢志摩へ!

年末の恒例行事のようになりましたが、家族四人で安乗ふぐを食べに行きました。次女は仕事と猫の世話でお留守番。

行ったお店は何時もと同じく安乗ふぐの「まるせい」です。これで私自身は3回目かな?と思うのですが、ここは何時行ってもハズレ無しとは言っても行くのは常にこの時期で、最高の白子が食べられる時期なんですけどね。

このお店、何十回とテレビや雑誌の取材を受けているお店で、店内には(恐らく一部でしょうが)大量の芸能人やテレビ関係者の色紙が並べられています。しかも写真付き。私が一番気にいっているのは当然?小柳ゆきなんですが、彼女のハンドボールくらいしか無い顔の写った写真を一年ぶりに見せて頂きました。

ただ、驚いたのはふぐ料理の値段の変わりよう!
以前は確か、もう少し安かったような覚えがあるのですが、やっぱり1000円くらいは上がっているような気がします。やっぱり船の燃料代とか餌代とかいろいろ上がってきてるんでしょうね。世の中の動きに合わせたインフレ状態というものなんでしょう。それにお店の中も昨年とは内装が変わっていて、明るくなっている感じでした。アップデートというやつですね。^^

今日のこの日のコースの非日常的な量を考え、例年のパターンからしっかり学習したつもりだったんですが、今回も朝食を抜いて行ったにも拘らず我々の小さな胃袋ではとてもとても太刀打ち出来ませんでした。w

という訳で、今年も半分泣きながら最後のふぐ雑炊を食べておりました。最後は女将さんに気の毒そうに微笑まれながら店を退散。また来年も来れたら来たいな…。ただ、来年はもう一つ下のコースで充分ですね。orz

この後はコレまた例年の如く伊勢志摩観光ホテルのザ・クラシックのほうに泊まる為にそちらへと移動。年末限定の「非日常の世界」へと入っていくことが出来ました。

夕方6時半にはアノ伊勢海老や鮑を使った贅沢なディッシュが出て来ることは判っていましたので、5時間の間に腹が減るのか…と思ったのですが、やっぱり無理でした。結局、空腹感の殆どないまま贅沢な夕食が開始され間違いなく劇的に美味い料理が出てきて、相変わらず感動するほど美味かったのですが、やっぱり腹は満タンになってしまって…。

結局ジャバ・ザ・ハットのようになった感じで部屋へ戻って行きました。

息子をトイレに座らせたらウンチもでたのですが、吐いてしまって…。来年からはふぐ料理のコース変更をお願いしなければなりません。

息子はベッドに入ったスーッと寝てしまい、夜はアッという間に更けていったのでした。

2024年12月20日金曜日

たかが2回の失敗なんぞ

カイロス・ロケットの二度目の打ち上げが失敗しました。

スペース・ワン社がギリシャ神話に登場する「時間」および「機会」の神。同社は世界で最も契約から最短で、頻繁にロケットを打ち上げる宇宙輸送サービスを目指していて、「時間を味方に市場を制する」との意思を示したというカイロス・ロケット。

一回目の打ち上げは自律飛行安全システムの問題?そして先日の打ち上げでは90秒後にノズル関連の問題で制御不能になったようですが、私の個人的な感想は「なんのこれしきw」という感じです。

電装関連はキャノン、機体自体と個体燃料でのロケット推進はIHIが主にやっているということらしいのですが、この二社がメインで頑張って経験を積めば恐らく何の問題もなく安定的なロケット発射が出来るようになることは間違いないでしょう。

問題は、この会社の資金が今後も続くかどうかという事と、今後何回かの打ち上げの中で失敗と成功を重ねていくのでしょうが、他の国のように政府丸抱えで補助金ジャブジャブでデベロップしてくるような国と勝負を続ける中で、資金が尽きる前に打ち上げを連続で成功させ続け、最終的には打ち上げる毎に黒字を積み重ねるというような好循環を「できるだけ早く、一機でも早く成立させる」事に尽きるのでしょう。

それにしても、今回の打ち上げはたったの二回目!です。たったの二回でその二回目がそれぞれ異なる理由で失敗したところで、私からすれば本当にそれが何?って感じです。アメリカやロシアを見ろって話。恐ろしいほどの大小の、そして悲惨な失敗を重ねて今のアメリカやロシアのロケット事業があります。

日本人は完璧を求めて失敗を許さないが故に(ロケット大国となった諸外国に比べるとそもそもの予算が少なすぎる!)失敗はそもそも何に起因するのか等という知見の集積も進まないまま、一点集中で成功する事ばかりを求めてきました。今華々しく活躍を伝えられるSPACE Xでさえ何回失敗したことか!?

いい加減前に進む人間の転倒を嗤うのは止めろと言いたいです。転ぶ人間は歩くからこそ!動かない人間は転ぶこともありません。失敗しない最高の方法は何もしないことです。しかし、それは座して死すと言うことなんではないでしょうか?討って出る人間を嗤うやつには嗤わせておけば良いのです。

2024年12月19日木曜日

無い袖は振れない時代に

最近、開業医の先生達が呻き声を上げているようです。

「ようです」と云うのは私がそういった情報を見るのは医師専用のサイトで色々な医師が書き込んでいると思われるフォーラムを見ての感想。この一年で自分のクリニックや医院を開業をしている先生方が「もう終わり」とか「国は開業医潰しに必死」「受付も雇わず、自分で殆どやって看護師さん一人雇うのが精一杯」とか云うような書き込みがエラく増殖している印象です。

以前からそういう書き込みは当然あったのですが、この一年での増え方は半端ない印象で、株式相場の相場感で言えば「弱気」一色という状況です。

しかし、それは別に個人の病院に限らない感じでして、大きな病院に勤めているドクターからも「俺は公的病院に勤めてるから慢性赤字でも税金での補填で維持されると思ってるけど、私立なら逝ってるよな」等という発言も微妙に文言を変えて結構な頻度で散見されます。

実際の話、私のメインで勤める病院でもトータルの入院患者数は、いわゆる「最盛期」といえた時代からすると5-6%程度のコンスタントな減少を経験しています。コレは正直言って病院としては重大なインシデントで、ボーナスを出す出さないみたいなレベルにまで影響を及ぼす程の変動なのです。

そもそもがここ数年で段階的に色々な「今までの標準的な診療行為」において、以前は付いていたような加算が全く認められなくなるパターンが増えてきています。その間隔はほぼ2年毎なんですが、財務省主導でドンドコドンと切り落とされていきます。

まあ、これから残るのは自由診療と各都市の中央に残された三次救急とかなり数を絞られた二次救急ばっかりになるんじゃないでしょうか。

かなり近い将来には医療資源はかなり絞りに絞られて、21世紀初頭の医療行為のような「これから改善の見みが無い人も何とか助ける」という事が遠い昔の夢物語のように語られる日が来るに違いありません。

「無い袖は振れない」というお題目の下、財務省主導で人の命の選択は進んでいくのでした。良いか悪いかは別として、単に事実としてそういう事態が急激に進行している今の日本なのです。

2024年12月18日水曜日

ドス黒いネットの悪意

匿名でネットの掲示板に意見を書き込むという事が出来る今の時代、その掲示板の悪意に後退りしてしまうような書き込みを見ることがあります。

私自身はこのブログ以外にはネット上ではほぼ何も書き込みをしない人で、時々友達がネットにあげた美味そうな手作り料理の写真にハートマークをつけたり、子や孫として生まれた友人達の赤ちゃんの可愛らしい姿にオメデトウの書き込みを日本語か英語でする程度。

しかし、世の中には暇というか何というか粘着質、かつ物凄い悪意を持った人間が居るもんで、ヤバイよな~コレは・・・というような書き込みをする連中が沢山いるということに対して薄ら寒い気持ちになってしまいます。

単純な右翼のサイト程度のところはまだ可愛いもんで、今までで一番人間のどす黒い一面を見たなと思ったのは「ガールズちゃんねる」でした。コレの存在を知ったのは嫁さんがスマホにインストールしていると知ってから。

自分の方でPCでそのサイトを覗いてみるとその女性達?(ネカマも沢山いるんでしょうが!)からと思われるその差別的な書き込みや悪口に驚愕してしまったのでした。何と言うか人の心の見たくない面を剥き出しにして突進してくるような暗く冷たい書き込み。歪んだ、今のコンプライアンスの時代に「名前を出して」同じことを書き込んだら社会的に即死と言えるようなレベルの書き込みが平然とされていることに暗澹とするのでした。

嫁さんに対して思ったのは「よくこんなサイト読むわ!」という事ですが、良い書き込み、面白い書き込みもあるとかなんとか。

匿名で書き込んでもヤバいことを書き込んだら今の時代逮捕や賠償請求も有り得ると言うのは普通になってきましたが、一部の無敵の人々にはこういう事は関係ないのでしょうね。ちょっと前にもとんでもない書き込みをしていた女子中学生が警察の網に引っかかっていましたが、子供だろうがそこらの主婦だろうが、犯罪に手を染めてはいけないのはネット空間も現実空間も全く一緒。

ネット上の発言も現実世界と一緒であることを理解させるような教育を最近の学校では既に行っていると思うんですが、やっぱり一部のバカには浸透しないんでしょうね。

現実世界では何か言うとハラスメント・ハラスメントの大合唱。その反動のようにネットの上には日頃吐き出せないドス黒い鬱憤が吐き出されているような気がしてなりません。書き込みの主は自分が誰かというのがバレないとでも思っている低レベルの連中なのでしょうが、一旦法的に「開示請求」が発動したら今まで書き込みを行っていた全ての文言が世間に晒される訳なんですけど…。それを受け入れる度胸はあるんでしょうか。

ちなみに私の書いているこのブログは私を知る多くの人々に身バレしています。w

2024年12月17日火曜日

VHS対β戦争の勝敗の本当の原因は?

日経ビジネス電子版の記事を読んでいたら「VHS対β戦争 開発わずか5カ月、松下が放った対ソニー・奇跡の一手」という記事がありました。

中身を読ませてもらったのですが、ビクターが開発したVHSシステムを当時のナショナル?の幸之助さんが決断して世界で売りまくり始めるまでの簡単な内幕が時系列でわかりやすく書いてあります。

画質ではとてもとてもソニーのβマックスに勝てないというのが明確だったにもかかわらず、VHSは何故ビクターのVHSを選んでいったのかというのがそもそも「?」だったのですが、この記事を読んで改めてナルホドねって感じです。恐らくはもう少し細かい複雑な事情もあったのでしょうが、大筋はこんなもんで正解なのでしょう。

さて、VHS対βというと丁度私が大学に入った頃に決戦の最終戦という感じの頃で、次第にVHSが優勢になっているのが世界販売から明確に読み取れるという状況になっていた頃でした。勿論、オーディオマニアの先輩方のイチオシはBetamaxで、音質に拘る先輩方はやはり画質にもこだわりソニーの真四角のモニタを買って、それにBetamaxを繋げて画像再生を行うというのが標準。確かに我々から見てもBetamaxのビデオは画質が良いよな~というのが素人の共通認識でした。理由は異なれどテレビ局でも同じく使うのはBetamaxということで、プロの方もご愛用。

ところが、そういった先輩方の希望や画質上の勝利、巻き戻しやシステム的なローディングの優勢も虚しく、明確にVHSの勝利が世間で確認され始め、ついにはソニーが「Betamaxのテープは永遠に作り続けます」みたいな広告を大々的に新聞に打つほどの事態にまでなっていきました。(最後はソニー自身がVHSを作り始めるという事態に…)

では何故こういった見かけ上の画質の勝利等々にも拘らずBetamaxの勝利が導かれなかったのかというのは上に書いたような内情があったにせよ、実態はもっとシンプルなところにあったと私は信じています。

私の信じているBetamax陣営の敗北の根本はそのテープの録画時間が明示的でなかった事だと思っています。ベータでL-250(βII:60分、βIII:1時間30分)とかL-500(250の倍)とか書いてあったところで、それが一体何分まで録画できるテープかというのが全く理解できませんでした。勿論、読んで調べればよいのでしょうが、VHS陣営の60とか120とかいうその分数で明示的に理解できるシステムと比較すれば話にならないのは間違いありません。

もし、Betamaxがこの標準で録画可能な時間をもっと明示的に書いていれば、それだけで勝負の流れは随分と違ったものになっていたんじゃないかと思っているんです。マニアでないから悪阻、アホだからこそ感じる「見てすぐ理解できる」という事実への拘り。

どうでしょうかね、私の思い込み。w

2024年12月16日月曜日

貸金庫の闇というか銀行の闇、そして日本の闇

昨日のブログに対してコメントを頂きました。

その方の短いコメントは昨日のブログの下にありますが、教えてくださったのは以下の動画。
いやいやいやいや、ヤバすぎるでしょ、コレ。銀行というのは信用が商売の根源というか、商売の世界そのものが、そもそも信用がその取引きの根源だと思うのですが、その商売の中でも最も信用を売りにしなければならない所である筈の銀行の実態はやっぱりボロボロというお話。

別に三菱UFJでなくとも、いろいろな形態でヤバいことは日常的に行われていて、そのヤバい事が隠しきれなくなった時に銀行は謝罪会見を開いて揃い踏みでハゲた頭を見せながら揃い踏みをするのでしょう。

よく考えると、貸金庫を「個人」で借りている人達の中にはヤバい勢力だけでなく、別の意味でヤバい人達の金も預かっている訳です。それは認知症の人達もしくはそうなる可能性の非常に高い高齢者を中心とした予備軍。

この人達が個人でバックグラウンドの情報を登録していても、悪意ある銀行員の上の方がやらかしさえすればそのお金は消すことも出来るはず。今の状態ではその貸金庫に個人が何をいくら入れたのかというのは申告しないで使える訳ですから、その人が亡くなればその人に繋がる情報を意図的に消すなり、中身をゴソッと取ることも出来る筈。

要するに犯罪への意思と貸金庫にアクセスする権限がありさえすれば、貸金庫の中身は時間をかけて取り放題になりませんか?そもそも公的な役所でさえ個人情報を盗み見し放題というのは暗黙の了解で、そのアクセスログは全部取られていても、本当にターゲットとなる人間の情報は見られる運命にあると思います。

基本、こういうシステムは性悪説に基づいて作らないといけないのですが、人が関与してシステムを作り続ける限り「必ず」悪がこの隙間を狙ってくるもの。

一体、本当に全ての「事案」をきちんと数え上げたら銀行というシステムの内部が如何にぶっ壊れているのか判るような気もするんですけどね。w

所詮は銀行も人の集まり。良い人がたくさん小心翼々と仕事をしていようと、必ずソコには悪い奴も混じっているという話。消えていった金、モノ、記憶、全てはやがて持ち主を変えて時間の流れの中に飲み込まれていくのでしょう。

貸金庫の闇はそのまま日本のシステムの闇の中に繋がっているような気がします。昨日も書きましたけど、法改正が無い限りこの闇を照らす光は現れないでしょうね。マスゴミも下らない事には熱心でも、本当に大事なことは己の関わる闇を照らす可能性を恐れて騒ぎませんので。

2024年12月15日日曜日

貸金庫騒動ヤバスw

銀行には貸金庫というサービスが存在します。

商売してる人間にとっては普通に使うだろうし、お金持ちの方々にとってはいろんな「大事なモノ」を隠しておく特別な場所なのでしょう。使っていないので知りませんが。
銀行にとっては恐らく今の時代負担にしかならないと思われるこの貸金庫サービスもお客さんを自行に繋ぎ止める大切なサービスの一つなんでしょう。きっと。w

さて、今回三菱UFJでどデカいパンドラの箱が開きましたね!

三菱UFJの40代の女性行員が、この貸し金庫の担当者としてやりたい放題。予備鍵を使ってこの管理責任者であった女性が4年半にわたって(今申告されている判明分だけで)合計十数億円が盗まれて投資等に運用されたとのこと。

この最大の問題は、本来であれば銀行の口座に預けられている筈のキャッシュが何故ソコにあるのかという事なのではないでしょうか。例えば慶弔事で札を云々という話をしたと嘯いたところで、必要な額は恐らく100万も要らない筈。大人が普通に考える貸金庫内の「大きな現金」は通常「おもて」に出しておきたくない、税務署や警察関係から見つけられたくない類のものではないかという話。

反社会的な組織に所属する人間や個人は恐らく口座を持てないでしょうから、他人の名義でこういう口座を持って利用するでしょうし、他人から又借りして一定の金を払って貸金庫に金や換金可能な資産を持つことでしょう。俺ならそうします。(<隠す金も無い反反社人間の戯言^^)

そう考えると、被害届を出さないのではなくて、怒り心頭であっても被害届を「出せない」人間が相当数居るんじゃないかという気が致します~。

今回、UFJで詳らかになった事件ですが、果たしてこれは大手行も含めて貸金庫に関する同様の件で「初めての事件」なんでしょうか?違うと思うのは私だけですかね?政治家自身がこういったサービス、というかシステムを己の隠し財産に使っているのならこれ以上事を荒立てたくないから銀行法の改正は無いのかな。

魑魅魍魎の絡まってくる貸金庫という世界がソコにあるような?

2024年12月14日土曜日

年賀状どうしよう

今年も嫁さんが手際よく年賀状を準備してくれて、私は文言を書き添えるだけになっています。

JPにはそういうサイトがあるんだそうで、自分で住所を入力しておいて、この人は出す・この人は喪中だから出さないとか言う感じでクリックして、年賀状のデザインを選んでいけば後は郵便局の方にその仕上がった印刷された年賀状を取りに行くだけでいいんだそうです。

まあ、こういうデジタル・サービスまでやっておかないと今時の人たちは年賀状なんて出す訳もなくただでさえ敬遠されがちな年賀状作成と年賀状出しが絶滅することになってしまう事になるのでしょうか。新宿会計士さんのウェブサイトを見ていたところ、2004年の発行枚数44億枚台をピークとして淡々と直線状に減少しており、2024年分は15億枚を切るまでに減少しています。ということはこの20年で1/3にまで減少していることになり、まるで新聞のような減り方ですが、新聞以上に急速に萎んでいる感じですよね。

そもそも私の周りでも、年配の方々を中心に「今年を以て賀状仕舞いとさせて頂きます」という人もほぼ毎年出ておりますし、連絡手段がe-mailそしてLINEに移ってきてからはますます年賀状というものが脇役になっていくばかり。そもそも日頃からLINEでテキストや音声で連絡している相手に改めて年賀状出すか?という話です。

そんな相手には「アケオメ・コトヨロ」くらいでも十分なのも解るような気がします。^^ しかし、こういった電子的な挨拶や会話は確実に消えていきますけどね。まあ、死ねば人間終わりですから大したことではないのかも知れませんが。

そういえば、官製年賀状というのは1949年から始まっているらしいのですが、こういう習慣もお歳暮なんかと同様に今の年寄りが消えていくのと歩を合わせるように消えていくのではないでしょうか…。

新宿会計士さんの予想カーブを見る限りでは、この減少速度からすると恐らく2032~4年前後には年賀状というモノ、制度自体が消えていくような可能性もあるのではないかと思えました。

まさに時は移れりですね。とは言えクリスマスカードも年賀状も、何十年も前のものが物理的に残っているのを見るとそれはそれで素敵なものなんですけどね。

2024年12月13日金曜日

年末の大掃除時ですが

気がつけば今年もあと三週間も無いというビックリ状態。

そろそろ家の中だけでなくいろいろな場所を一旦は見直して掃除する頃合いになってきたかな?などと考えてしまいます。いつもそこそこには片付けているつもりですが、やっぱり一旦全体を見直してみるという作業があってこその日常。

基本的に大掃除をしたところで毎年家の中のいろいろなものの外観の片付き具合というのは大きくは変わらいのが私の家の大掃除の特徴。

私の場合の掃除の基本は(多くの人もそうやっていると思うのですが)いらないもの使わないものの廃棄。この時の取捨選択というのは何時も私を悩ませるのですが、一年間経っても全く出し入れしていないものや今後の生活を想像しても二度と使わないだろうなというもの、更にはそもそもそれが何の為にそこにあるのか思い出せないようなものを中心に廃棄していきます。(あんまり多くはないんですけどね)

もう一つ我が家の場合、家にあるものの中でそれを片付けることで容積を減らせるのは「衣服類」です。通常季節毎に片付けて病院に持っていって、服を持っていない患者さん達の為に我が家の「性別や年齢」の異なるいろいろな衣服類をあげています。要らないものを…というと聞こえは悪いのですが、実際に患者さん達には役に立っています。^^

さて多くの場合、私の掃除は書類の片付けと本棚の掃除…なんですが、本棚の掃除をしても息子が直後に「自分なりの法則」に従って片付け直してしまうのです。いくら私が自分なりに綺麗に片付けたつもりでも、サッサと自分の気になる本を抜き取ってベッドルームに持っていって平積みにしてしまうのでした。w

という訳で、我が家では小さい子供が居る家のように毎年おなじ戦闘が繰り返されるのでした。所詮、モノの形はエントロピーの法則に従って崩れていくもの、それを加速させるXファクターが我が家の場合ムスコとはなりますが!

何歳になっても小さい時のまま同じ作業をさせてくれる自閉症の息子は考えようによっては俺達両親を老けさせない大事な宝物です。^^



2024年12月12日木曜日

神経解剖学という難しい世界

昨日、学生時代の解剖の思い出を書きましたので、ついでに他の授業のこともちょっとだけ書いておきたいと思います。

今でも記憶に残るのは神経解剖学。(全身の系統解剖とはまた別)脳を大脳・小脳・脊髄・そして末梢の神経支配へと筋道立てて繋げながら、どこがどう繋がっているという夜店の紐を引っ張ったらあの景品が取れる!みたいにしてストーリーを語っていくのです。

もう全くもって授業等には出席していなかった私の場合、他の出来の悪いいつもの麻雀仲間(主にラグビー部とボート部)とともにほぼ知識としては壊滅状態の状況で、その知識レベルは試験直前数日の詰め込み程度ではどうにもならないのです。なぜならば、組織切片を使った試問まであるため!

というわけで、一回目の試験はほぼ白紙。(私はラグビー部でしたが、他のボート部員もほぼ白紙)しかし、何とこの試験で800点満点をとった凄い人物が現れました。何故かこの人物一回留年していたボート部の人物で、同じ学年にもちろん他のボート部員もおりますので、満点の一つ上の先輩とほぼ白紙の私の同級生が同じ船に乗っている状態でした。w

最終的にはこの人物、4年後に見事「神経内科医」になるわけなんですが、このとき京都大学出身のこの神経内科のI教授曰く「僕も長く神経解剖を教えてるけど、実習も含めて満点だったのは彼が初めてだ!」とホクホク顔でした。

まあ、伝説誕生というわけでした。^^

「得手に帆揚げて」というのはこういうことなのでしょうが、問題はゼロ勉で試験に突入していったあとの我々ボンクラ組の再試の準備。試験の傾向と対策を練ってボンクラ組で集合。どうすれば最小限の手順で最大限の結果を出せるかということ「しか」考えない究極の怠け者共の集まりなので、幾つかの山をドドーンと張ってそこだけに集中。

最終的にはギリで抜け出せましたが、一発満点の先輩とは月とスッポンという情けない結果でした。もちろん神経内科医などを目指すのは最初から諦めて最低ライン突破だけで次の学年へと進んだのでした。

┐(´д`)┌ヤレヤレ 馬鹿すぎます。

2024年12月11日水曜日

解剖実習の記憶

養老先生のお話がネットの記事に出ていたので、自分の頃の記憶を断片的に書いてみました。

医学部の外の世界の人には医学部における解剖実習なんて言うのはどういう世界なのか全くわからないでしょうし、私自身も他の医学部ではどういった感じの解剖実習というものを行っているのか実際はよく知りませんので、己の経験しか書くことはできないわけです。

我々医師にとっての妥当性のある近代解剖学というのは16世紀初頭のベルギー人であるヴェサリウスに始まると考えるのが妥当だと考えられます。西洋絵画の中に出てくるようなたくさんの人間が一人の遺体を解剖する人間の周りに集まって人の体というものを解剖しながら理解していくというのが、医学教育としての近代解剖学の始まりで、床屋兼外科医の延長線上にあった人々の知識に深みを加えていくわけです。

その大先輩方の苦労の集積を辿る形で医学部の解剖学というのが授業として行われるわけですが、我々の頃は4人で一人の御遺体を解剖するというのが標準形でした。ほぼ40年前の出来事ですから、今はどうなっているのか知りませんが、少なくとも当時はそうでした。

解剖の実習が始まる前にそれぞれの献体が亡くなられた死因の簡単な説明や、解剖にあたっての心構えなどの説明もありました。

実務では上半身・下半身という感じで解剖の担当が分かれていて、私は男性の御遺体の上半身を担当させてもらい教科書であるグレイ解剖学の図譜に従うように解剖を行いながらの実習でしたが、御遺体によって時々見つかる変異(ヴァリエーション)を見つけては教授や講師の先生に報告していました。多かった変異は馬蹄腎や血管走行のヴァリエーション。特に血管走行に関しては教科書に書かれているのは最も標準的なものであって、中には走行がdualであったりするものが稀ならず見つかったものでした。

解剖の実務は実際に解剖それ自体よりも「臭い」というか保存剤のマテリアルであるホルマリンに悩まされました。最初の頃から刺激臭が鼻腔に襲いかかってくるわけですが、最初は慣れたと思っても、私の場合は今度はある一定時間以上御遺体に向かい合っていると物理的に不味いレベルでホルマリンによる鼻腔の刺激痛がしてくるような事態に陥っていました。

それでも、昼休み時で誰も居なくなってしまうような解剖実習室で皮を外し神経の分枝や骨を露出した状態になっている首だけになった献体と向かい合っていてもそこには恐怖・ホラーなどというものは存在せず、その方が生きていた頃はどんな事をしていたどんな方だったんだろう?というような生の空想のほうが支配的になるのですから不思議なものでした。

今の時代、貧しさ故に自分の体を葬式に出せずそのまま献体登録して最後は合同葬にしてもらうように仕向ける人々が多いとか多くないとか…。我々の頃は当時、不老会という献体組織が大学にあり、病院やその他からの献体集めがなされていたというのですが、国立ではそれほどではなくとも、私立の医学部では献体集めは大変で解剖実習も8人で一献体などと言うことも噂で聞いたことがありましたが、今はどうなっているのか…。

臨床で医者になっている今だからこそ、解剖実習というものに改めて参加して人の体に関してリアルに学び直したいと思う還暦直前のオッサンでした。

2024年12月10日火曜日

カラオケ行こ!

今日まで知りませんでした。

つい最近、綾野剛の出ている実写版の「カラオケ行こ!」という映画を観たのですが、観た理由は単純で、Netflixが私の映画やドラマの視聴履歴から勝手に推測してくれて「コレなんかどうでしょ?」という感じで推薦して来たもののうちの一つだったというだけの事。

しかし、このカラオケ行こ!を観てみたらシンプルな筋書きなのに設定と配役が抜群にマッチしていて、観始めたら止められない感じで最後まで一気に通して観てしまいました。

いつも通りネタバレ関連の事は一切書かずに話をしますが、劇中でメインの歌として登場してきたカラオケ練習曲であるX-Japanの「紅」が頭から離れなくなってしまいました。そもそもX-Japanって小泉元首相が大好きだったグループだったよな?確か世界的にも有名になったグループだったような?そして一番薄い、そして間違っているかもしれない記憶は、なんかたけしの元気が出るテレビかなんかで大昔にとんでもない貧乏バンドマンていう感じのなんかコミックバンドやってるみたいなヘビメタ風の若い男達がX-Japanっていうのが出ていたような????

結局のところ、私のX-Japanに関する知識とも言えないような知識はこんな薄っぺらで頼りのないものでしかないんですが、この紅を歌うlittle glee monsterを中心として歌われる映画の最後の合唱版のエンディング・ソングが一日中頭にこびりついて離れません。w
(little glee monsterというのもどっかで聞いた事があるという程度で、そもそもおじちゃんはLittel Green Monsterだと思っていました。(^_^;))

映画やドラマにおいて脚本の大本になる原案が大事だというのは百も承知のはずでしたが、何とこのカラオケ行こ!はそもそもそのスタート地点が2019年のCOMITIAという同人誌販売会から始まったものだという事を知り、その出自に二度驚いたのでした。

でもやっぱり、どういう形であれ、そしてそれがどんな形式の作品(音楽、小説、漫画、絵画)であれ、それを気に入った人間が沢山増えて、止まらない勢いがついて伝説が小波のように拡がった最後に、こうやって大きくブレークするのは良い時代になったもんだと思います。

これはネット社会の一つの「良い側面」だなと感じた私でした。紅だ~~~!

2024年12月9日月曜日

韓国人ヘルパーさんの焦燥

病院内の私の管理する病棟の一つで真面目に働いている在日歴何十年のヘルパーさんが居ます。

元々はソウルの江南で生まれ育って成人した後に日本に来た方なんですが、働き者でシャカシャカとよく動く元気なオバサンです。言うことは言うけどきちんと手も動かし働くという「言うだけの事はある」人物です。

時々場面にあった生の韓国語を教えてもらっては覚えるようにしているのですが、頭の回転も早くいつも話が面白い。しかし、最近このオバサンの顔が非常に疲れ、口数も少ないように見えるのでした。こういう時は何があったのかと心配するのですがそこはこのオバサンといつも話を良くする私。何となく見えていました。

恐らく彼女の表情を暗くしているのは「母国の政治状況」だと睨んだ私は、彼女に「尹さんやらかしたね~」と話しかけたところ、クルリとこちらを振り返って怒涛のように話す話す。止まりません。^^

彼女の話をまとめると、あの北朝鮮とつるんでいる左派政権がこの状況を利用しない訳がなく、来年の春過ぎくらいの段階で返り咲いてくる左派の碌でもない奴らが韓国を「また」メチャクチャにすると言って怒りと不安で夜もよく眠れないというのでした。流石は「熱い」血を持っているなと思うのですが、彼女といつも立ち話で話す韓国の政治状況というのはまさに北朝鮮との対決を意識したもの。

長年日本で暮らしてきた彼女にとって日本の悪口をほぼ因縁レベルでつけてくるあの連中がひとまとめでお気に召さないようで、そういった面でも彼女の怒りは沸騰するのです。

同じような日本擁護発言は日本人として日本で暮らしている残留孤児の子である日本人看護師さん(御主人は中国人)も同じで、中国の事を日本のニュースを通して眺めている御夫婦は最近中国の事が心配だし、政治のシステムが嫌いで嫌いで堪らないという話。

やはり人と云うのは「自分の住んでいるところ」「身近に居る人」というのが好きになるものなのかなと感じた次第でした。まあ、韓国人のオバサンの場合は単に左派の滅茶苦茶な亡国的な活動が嫌いなだけみたいですけどね。

まともな知性があれば、伊さんの謎のイカレタ戒厳令もオカシイと思うでしょうし、あの左派の売国奴的な行動も到底許しがたいと思うのは当然なんでしょうけれども…。

外国人として他国に定住する事の厳しさを乗り越えてきた逞しさのある人達の発想はやはり温(ぬる)くは無いですね。

2024年12月8日日曜日

息子の体重コントロール

息子の体重は私達親の責任です。

自閉症の息子には喜びが幾つかあるのですが、その一つは明らかに食べる事!当然我々親も当然の様に美味しいものを食べることには喜びを感じる人達なので、息子と外に食べに行っては一緒に舌を喜ばせるものを味わうという行為は我々の日常です。

実は値段とかには全く拘りはなくて「美味しいものは美味しい」という結論の部分だけブレがなければA級だろうがC級だろうが何でも食べてしまう我々親子。そういう何でもござれ的な感じで栄養を吸収し続けるためかなりお腹に肉がついてしまう今日この頃…。

息子の体重は昔から嫁さんがコントロールしているところがあって、少し腹に肉がついてきたらお菓子は無しにするとか、夕ご飯を少し絞るとかすると(若さのおかげ?)あっという間に体重コントロールができます。(私が同じことをしてもほぼ効かない…<加齢の影響か?)

息子の食べ方には私には無い特徴があって、その差は食べる速度。せっかちの私がシャカシャカと皿の上の食べ物を平らげていくのと違って「非常にゆっくり」とものを食べます。それは朝食・昼食・夕食を問いません。不思議なんですが、これだけは小さい頃から全く変わらず眼の前にある食べ物をジックリと味わう姿勢はせっかち食いの親父として見習わんといかんなと反省することしきり。それでも、やっぱり治りませんが…。

食べる速度に関しては息子はイタリア人ですね。実に幸せそうな顔をして食べますので。

唯一息子と私の間で同じ様に食べる食べ物?と云えば「飴玉」ですね。これだけはふたりとも口に入れた直後にボリボリと噛み砕いてしまうというクセがあります。せっかちで堪え性のない私の場合ならさもありなんで住むのですが、これだけは共通ですね。この点はいつも嫁さんに呆れられています。

嫁さんに取っての息子の体重コントロールの目安は体重計+体型変化。特にお腹のほうがコンモリしてきた時に嫁さんなりのプログラムを発動させるようです。私自身は彼女のプログラムの詳細は知らないのですが、確かにココぞという時には確実に息子の体型・体重を正常化させますので、何かのコツがあるのでしょう。

ただし、私に対しての体重減少プログラムは効果が無いようです。

2024年12月7日土曜日

シリアに大変化は起きたけれど

あっと言う間でしたね。

今回のバッシャール・アル・アッサードの終焉は結局のところロシアがウクライナ侵略であっぷあっぷである事を当然の様に見抜かれた反政府勢力に「蹂躙」され、かつ政府軍内部からも幾分反旗を翻されて終わりというまことに以てシンプルな構図でした。

今迄はロシアに何度も何度も助けられ、イランも裏側にきちんと立って支援、またあの立派なテロ組織ヒズボラにさえ支援されていたシリアですが、イスラエルがこの時期にヒズボラをボコボコにしてしまったのも大きかった。しかも、トルコのエルドアンはこの反政府軍にクルド系の熱い血を持った連中を核として支援し続けた事も大きい要素だったな~と感じます。

そもそも、トルコなんて自国の異様な物価高で他国への干渉に力を貸すどころの状態では無いはずなんですけど、まあこっちはこっちで立派な独裁者ですからそんな事は歯牙にもかけていないんでしょうな。^^

眼科医としてのキャリアをスパッと捨てて独裁者である親父の後を継いだバッシャール。彼の名前の響きが良いので、随分前からこの名前をフルネームで覚えていました。親父が屑なら子もまた屑という悲しい独裁者国家はどこかのアジアの半島にもありますが…。

巨大都市パルミラ、古代都市ダマスカスのウマイヤド・モスク、大規模なスークと城で有名な神秘のアレッポ。世界遺産尽くしのようなこのユーフラテス川沿いの歴史の交差点の名所が戦闘で破壊し尽くされる前に政権がぶっ壊れます様に~と心から祈っていたのが天に通じたのかもしれません。w

イスラム教徒とキリスト教徒がそれこそ血で血を洗う様な戦闘を繰り返しながらスプラトゥーンのような色の塗り直し作業を繰り返したこの地が再び反政府勢力という魑魅魍魎を掻き集めたようなイスラム教徒の集団に奪還されました。

同じような光景はタリバンによってももたらされた記憶が真新しいのですが、当初融和姿勢を見せ「それらしく」振舞っていた連中が今はどうなっているのかを見るにつけ、シリアの未来がそんなに明るいものでは無かろうな…という気がするんですけどね。

今のところは対岸の火事と言いたい所ですが、韓国の来年の事を思うと先が思いやられます。

ヤレヤレ…。



2024年12月6日金曜日

今日は医者四人で忘年会

自分の主たる勤務先の医師とは夜の交友においては疎遠です。

そもそも私は精神科医ではありませんし、その精神科医も女医さん若しくは話の合わないレベルの(私から見ても)爺ちゃん先生だったりしますし、同じ科のもう一人は完全なアスペの先生で、飲み食いする時にズルズル・クチャクチャというお方ですので、こんな人物と金を払って外で飲み食いするなど完全に想像の外の世界です。

今回集まったのはバイト先の病院の先生方。皮膚科、精神科、眼科、そして自分が内科ですからやってる事が全然違うし専門性も全くバラバラ。しかし乍ら、それが楽しいという感じでしてお互いの世界をお互い良く解らないからこそ、お互いの世界の話を良く聞けるという感じの集まりです。

理想を言えば全く知らない世界の人間が集合する方がよっぽど面白いのですが、まあこれ位までの集合体ならオモシロいというものです。

今回集まったのは池下にある「探さないと見つけられない」ようなお店でした。とは言っても小さめの表通りに面した店なんですけどね。通常は会費が5~6,000円程度のお店に集合してヘルパーや看護師さんも集まりその人達の分も医師側が出してあげる…という感じの事が多いんですが、今日は医師一人の予算が大体一万程度で!という感じの集まり方。

6:30に集合してメニューを眺めながら酒や肴を次々注文。特に刺身は絶品で、この時期の良く脂の乗った魚の切り身が次々に出て来るので私自身は心の中で「おお、これは大当たり!」という声を出していました。長崎から寄せた食材もメニューに入っていてそれもキッチリ出て来ました。これまた絶品!こんな美味い魚を出せる郷土長崎を密かに誇りに思えました。

実は昨日嫁さんと飲みに行った時の日本酒パンチが効きすぎて朝起きた時はもう小脳失調かというレベルのグラつきが残っていました。w

最終的に酔いが完全に冷めたのはなんと午後二時ぐらいでしたので、今日は前もって組み込まれていた忘年会とは言え酒はサングリアとかレモンスカッシュのナントカという様なまさにお酒の弱い女の子が口にするような飲み物でしたので、今日はアルコールはセーブという目的は達成しました。

家に帰り着いたのは9時前。何とも早い御帰還でした。^^

2024年12月5日木曜日

嫁さんと連続で外出

今日は実に珍しい事ですが、嫁さんと二週連続の二人だけでの外出となりました。

今回も息子が外泊日でしたので、その合間に嫁さんが「食べに行くか銭湯に浸かりに行くか」という事で数日頭を悩ませた挙句の選択が今日の夜の行き先となりました。

結論から言うと本日二人で向かった先は銭湯ではなくて「食事」の方でした。しかも、今日地下鉄に乗ってその店に行けは「お父さんもお酒が飲める」という事で、再びの地下鉄アプローチとなりました。私自身も地下鉄に乗って移動するのは嫌いではないので即了承。

少し寒い夜となりましたが着いたのは今池。そしてお店は今池屋となりました。以前も家族全体では食べに来たことがありますが、私の場合は一人で食べに来たり友人を連れて食べに来たりするというパターンばかりで既に20回弱は来ている感じです。今回は開店の5時からでは無くて、私の仕事が終了してからの移動ですから恐らくしばらくは外で待ってないとダメだろうなという覚悟で移動しました。

ところが、今池駅で降りて今池屋の中を覗くとまさに丁度席を立とうとするおばちゃん達二人が席から離れているところでした。まるで我々が来るのを待って席を暖めてくれていたかのようなドンピシャのタイミング。^^

嫁さんと鉄板を挟んで直ぐに座ったところ、お手伝いのお嬢さんが直ぐに注文を取りに来ました。するとどうでしょう、目の前の嫁さんが淀みなく注文をし始めました。この手の事は私は何時も嫁さん任せなのですが、また予習復習をしてここにやってきたようで、滔々とそのメニューを喋り出しました。

苦笑を抑えながら半ば呆れて見ているとあっと言う間に注文終了。

結局、生チューが持ってこられた後はレバ、軟骨、エリンギ、ホタテの肉巻き、ミックス焼きそば等々を次から次に頼みながら最後に自分で日本酒を瓶ごとオーダーして一人呑み。機嫌よく店の大将と世間話をしながら味を、酒をと愉しんでいたら次の若いカップル二人が私達の後ろで待っていましたので席を立つ事にしました。(実際は隣の二人組がとっくに食べ終わっていたのですが、やたらと話すだけで去らないのでした…)

勘定を終えて寒空の中を嫁さんと二人で再び移動開始。結局向かったのは先週も行った私の隠れ家。しかし、これでは隠れ家になっていません。orz

到着したら温かく迎えられ、カウンター席で呑みなおし。私は古酒を、嫁さんはノンアルの飲み物を頼んでまた少しずつ食べ物を注文しながら緩い時間を過ごしました。

奥からはこれまた滅多に出てこない筈のGさんが出てきてご挨拶をして下さいました。その上でまたヒョコっと厨房に引っ込んで行かれたのですが、なかなか嬉しいご挨拶でした!

比較的短い時間でしたが、二軒の店で今日も嫁さんと美味しい食べ物と酒を愉しめました。
また行くかな。^^

2024年12月4日水曜日

103万円の壁にやられたorz

これか~~~~~~!!って感じでした。

今、巷で噂の103万円の壁という奴に刺されました。ぜいっむ所から私がお世話になっている税理士さんの方に連絡があったようで、私が扶養控除の為に扶養家族として入れていた次女の収入がイワユル103万円の壁を2万円分超えていたのではないか?という質問があったようです。

次女が私に渡していなかったのか、私が次女から渡された分を提出していなかったかのどちらかなのですが、私は娘のバイト先の源泉徴収票を一枚は確実に貰っていてそれをそのまま提出していたので、恐らくは娘の方だと思われるのですが、まあここは水掛け論になるので脇に置いておいて…。

さて、103万円の壁から2万円超えていた事により扶養家族から外れて十数万円の申告所得税及復興特別所得税という長たらしい名前の税金(まあいわゆる所得税ですね!)を追加支払いとなりました。

娘の2万円の所得超過の為に十数万円か…と考えると「何じゃコレ?」の世界で、世間の皆さまが気にされておられる「働き控え」の源はこれかい…というのを痛みを伴って実感させられた次第でした。そもそも娘が幾ら稼いでどうなっているのかという事を把握していないばかりか「このラインを超えたらアウト!」と云うのを意識していないばかりか、その当落線の線引きが幾らかというのを知りもしなかった私が完全に悪いんですよね。

今迄、嫁さんが全く金銭を設ける様な働きが無い専業主婦なので、そういうことを知らなかったというのが正直なところなんですが!

はあ、やられたやられた!!!!!

まあ、これじゃあ損得勘定を考えて一家の稼ぎ頭の為に「わざと」働かない人間なんてゴマンと居るわな~と考えた次第でした。

2024年12月3日火曜日

ここしばらく考えていた事

実はアメリカ大統領選の結果が出た後サッパリと選挙のこと自体を忘れていました。

直前のセンサスを見る限りではトランプの大勝だなと思っていて、結果もその通り。ですから、結果自体は勝ち負けが見えた時点でもうどうでも良くてハイハイ予想当たり!という感じでアメリカ大統領選の事はチョン。

しかし、ここ数日何故か頭の中でグルグルグルグルとある疑問が浮かんでは消えを繰り返していました。それは「何であんな普通に考えればトンデモナイとしか言えないような男が勝つのか?」という疑問の自分なりの答えが欲しいという気持ちでした。

ヒトラー礼賛の記事や売春婦に関する下司なひそひそ話のリーク、そして己の根拠なき妄想をあたかも確信のように語る独裁者としての資質タップリの話等、ネガティブな面は枚挙に暇なく…というレベルの男。それでもアメリカ大統領選では勝利。

資金源の豊富さで到底ほかの候補は太刀打ちできず、共和党内でも最初からほぼこの男でという空気が作られていましたが、そもそも宗教の教祖と云うのはこんな感じで自分に全能感を持つ輩に付いて行く集団から始まるというのを淀みなく証明してくれる21世紀版の一例だな~と想えたのでした。

しかし、それだけでは何故という当初の疑問には答えていません。そこでいろいろと考えてみたのはその対比。カマラとは人種、そしてキャリア形成でのワシントンD.C.のエスタブリッシュメント達との距離等ありとあらゆる部分で「アメリカ建国前後に新大陸に集った食いはぐれた白い人々を中心とした田舎者」を共感させることが出来なかったという事でしょうか。

でも、それでも全部は説明できない。じゃあ、移民と経済への対策に対する支持の差?ありとあらゆるモノの値段が上がる中で、日々の生活で明日が見えない人々の持つ怒りがバイデン民主党政権への反感として出てきた?うーん…どんなもんなんでしょう。それも決定打ではないような。

そこで私が自分なりに納得した全てを包括すると思われる結論はpolitical correctnessに対する強い拒否感ではないかというものでした。要するに理屈の上では正しいけれども、それが日常をアメリカの中だけで過ごす普通のアメリカ人にとってフェアかつcorrectなものかという疑問と、そのcorrectnessの存在が日常生活を維持する上での経済的な面、日常生活の多くのシーンでの自分の生活改善には当てはまらず、やって来る今日よりよい筈の明日から置き去りにされる材料となってきたと感じる人達がトランプじゃないけどカマラを選ぶくらいなら…NONカマラという感じで今回の結果が出たのではないかというものでした。

私は選挙やアメリカ文化の研究者では無いので細かい分析などは出来ず、断片的な記事や結果、自分のアメリカでの生活体験からしか話を語れませんけど、いわゆる左派という連中が叫ぶイデオロギー(political correctness)のもとに形成される窮屈さに対する反動なのではないかと云うのが結論でした。

やっぱアメリカの背骨はカウボーイが持ってたマッチズモなんでしょうかね。

2024年12月2日月曜日

ストレスだったんだ!

今日、病院の階段を降りている途中で女性の看護師が一人で嗚咽していました。

余りにも激しく嗚咽しているので驚いて足を止めて、思わず見てしまいました。相手も私が後ろにいる事に気付いたのですが、彼女の嗚咽は止まりません。基本的には病院におけるこういう「女性が一人で泣いている」という様な場面は師長さんに怒られて離れて泣いているとか、同僚のいじめに遭って云々等というパターンが殆ど。

しかしながら、ここまで嗚咽が激しいのは普通は無くて精々シクシク程度なので、これは何か深刻な事が起きたかと思って「大丈夫?」と声を掛けました。それでも嗚咽は止まらず泣き続けていました。嗚咽しながらも「大丈夫です」なんて言われましたので、そのままその場を立ち去りました。

ところが全くの偶然だったのですが、その二時間ほど後に看護部長室からその女性が出てきたのでした。もしかして?と思って部長に先ほどの話をしたところ、実は新型コロナの患者の居る病棟で働く事のストレスに耐えきれなくなって、病棟から出てきて階段で泣いていたとの事…。

「そういう感じの出来事って実は時々あるんですよ」と云う意外な言葉が部長の口から出て来ました。

やはり、強いストレス、恐怖と云うのは人をして感情のコントロール下から外れてしまうという事は有るのです。PTSDもそうですし、心の底から湧き上がる焦燥感と云うのはその人の人の殻を剥き取ってしまうのです。閉所恐怖症や広場恐怖などは判り易い例ですが。

今日の看護師さんの姿を見て、人の感じた恐怖というものをソレを感じない他人がああだこうだと論評する事は出来ないという現実を改めて肝に銘じたのでした。

年齢に関係なく、状況に関係なく、人間の感情を恐怖で押し流す状況下で仕事をせざるを得なかった女性の気持ちを考えると自分自身の「人の感情を推し量る力」というものがまだまだだな~と考えさせられた今日の出来事でした。

2024年12月1日日曜日

紅葉狩り

今日は昼から紅葉狩りに出かけました。

紅葉狩りなどというと、愛知県で有名なのは香嵐渓という所なんですが、ここはこの時期地獄のような渋滞が出現するのを私のような余所者でも知っておりまして、とてもとても昼から家を出てそこに行こうなどという気力はありません。

たとえ出て行こうとしても、到着する頃には数時間の渋滞に巻き込まれた挙げ句に着いた頃にはヘトヘトでとても紅葉狩りを楽しむような状況ではないというのが既に目に見えておりますので、チャレンジすらしないという状況。w
到着したあとで車を停めるのに必要な数少ない駐車場もあっという間に満杯で、あとは私有地に誘導されるこの季節特有の高額私有駐車場を利用する選択肢しかありません。

ただ、到着したあとは実に素晴らしいもので、当たり!の季節であれば美しく色づいた紅葉の波の中で遠近感を失うほどの素晴らしい景色のなかに心をどっぷりと沈めることもできますし、夜まで待てば美しくライトアップされた景色を眺めつつ夜の川に流される青白く光る無数のボールの群れも見ることが出来ます。

しかし、今回私が嫁さんに誘われたのは意外に近い場所である東山動植物園。正直なところここが紅葉狩りに良い所だという認識冴えなかったのですが、名古屋では比較的有名な所の様です。

息子と三人で中に入ると早速進行方向の両方、特に左手には良く色付いた紅葉と銀杏の並木が見えました。
奇麗なんですけど、写真撮る私が下手です。
未だもう一段いけそうな感じですね。
あっちもこっちも真っ赤っか。
紅葉狩り!この幟を見た瞬間シャッター押しました。
五色池からの一枚。
光が当たると暗めの赤がこれほど美しく映えます。
植物園の中では色々な木々が混ざっている事がこの時期に判明します。
これも光が当たればもっと照り映える筈なんですが、この時は陰でした…。
園の中では動物園、植物園どちらにも行ったのですが、動物などは一顧だにせずひたすら三人でいろいろな屋台の食べ物の食べ歩きと紅葉狩り。w

日本で二番目に入場者の多い筈の東山動植物園でこんな事をしている家族もいるのでした。腹がくちた段階で地下鉄に乗って今度は藤が丘でリニモに乗り継ぎ長久手イオンに行き眼鏡を見たのですが、結局買わずにここでも和食屋に入って腹を満たすという食ってばかりの一日でした。

家に戻った時は腹がパンパン。嫁さんも夕食を準備せずに済んだ週末で何よりだった事でしょう!


2024年11月30日土曜日

若い店員さん

最近、己の加齢が進んでくるとモールなんかに行った時に多くの店においてその売り場の店員さんは自分よりも若い人ばかり。

紳士というか、オジサン関連の服が多いLacosteなんかでは売り場の担当者も「自分と同じくらいかな?」と思えるような上品な女性が多い様な気がしますが、他のショップでは基本は家の娘達と同じくらいもしくはさらに若い、私から見れば高校生のバイト?いや大学生かな?と云う位の「女の子」達が仕事をしている事が殆ど。

お店で買い物をする時に向こうから軽く声掛けをしてくる子もいれば、何もせず遠巻きに見ているだけの子も。それぞれの個性が出るという意味では売り場というのはキャラのテスト会場みたいな所だなと感じます。

学校教育では表に出てこない「小さなころからその年になる迄の育てられ方と身に付いた事の集大成」が接客業では出て来ると思うんですが、今日偶々嫁さんと寄って服を買った所の女の子は何だかボンヤリした子で、可愛らしいニャンコのビーンズを頭に被った不思議な雰囲気の天然風の子でした。

その店で「良いな」と思って手に取ってみた服のYKKのジッパーが珍しく変な噛み込み方をしていたので、その女の子に「済みません、これ何かおかしな感じなんで見ていただけますか?」と言うと「あ、これ変ですね」と言ったので、「向こうのマネキンに着せてある同じものを見せて貰えませんか?」と私からリクエストすると無言でそのマネキンから同じ服を外してくれました。

お礼を言いましたが「はい」と言ったきり。おお、塩対応だなと思いつつも野暮な事を言うと嫁さんに怒られるので何も言わずにその服を買わせていただきました。自分の娘が同じ対応したらどう思うかな?等と思う事自体が既に完全親父目線。ウーム。

病院の看護師さん達もそうですけど、若い女の御子達を見てその発言や所作に親としての目線でいろいろ考える事が出て来るのはやっぱ歳喰ったってことなんでしょうね。

野暮な事は言わない言わない。下手したら何を言ってもパワハラになります、今の時代。w

2024年11月29日金曜日

院内での新型コロナ感染拡大止まらず

この二週間ほど他の病棟で火を噴き始めた新型コロナの感染拡大が止まりません。

院内で日常業務をしている間も他の精神科病棟からの内線でのコールが鳴り止みません。正直「本当にどうなっちゃった?」と云う位の頻度で院内の電話が鳴り続けるのでした。orz

通常の自分の業務に完全に支障が出るレベルで、ピリピリと鳴るPHSに「またか」とウンザリする程。感覚的には10分おきに鳴ってませんか?でしたので、私の方でも対策を立てて新型コロナが流行っていなかった頃にスタンダードにしていた熱発後一日経ってから風症状と共に熱が残っていたらコロナとインフルをチェックする、という病棟との約束事を即日チェックに変えてスクリーニングという方式に変更。

ラゲブリオとベクルリーの投与方法を簡潔にまとめたテーブルをササッと作成して各病棟にラミネートして配布し、細かいレベルでの繰り返しの質問を新くても良い様にセットアップしました。

それにしても、コロナの嫌らしいところは静かに拡がって症状として感染者が出現するまでにdelayが長めである事。インフルと比べてその1~2日の感染から発症までのズレが対策、特に初動の遅れを生み、気づいたら既にn人が感染し、その人達が更に感染源となって…という事の繰り返し。実に厄介です。

とは言え、最初の頃とは異なり明確に効果があると思える「投与できる薬」が存在する事が最初の一年目とは大きな違い。高齢者でも希望者にはワクチンを投与する事が出来ており、その点では複合的な種々の疾病を背景として抱え込んでいる活動性のもともと低い高齢者を護れる可能性が高まっている事は良い事だと思います。

恐らくある程度の時間はかかるにしても、AIの高度化に伴う分子間相互作用の大規模シュミレーションがますます高速化されて、一昔前にはSFでしか見られなかったような計算予測に基づく創薬は益々実世界で増えて来ると思われます。

我々がウェットの実験で数十年かかってやっていたような事がシリコンの上で一秒間に数百億回も実行されてはなかなか勝ち目は無くなってきているような気もします。

しかし、この年末の当院での新型コロナの再流行は本当に「勘弁してくれ」レベルです。頼むから早く収束して欲しい、というのが噓偽りの無い本音です。

2024年11月28日木曜日

嫁さんと飲みに出た

息子が何時もの「施設お泊り」に出ていたので、嫁さんと連れ立って二人だけの外食に出ました。

5時半過ぎに家を出て、ゆっくりと歩いて地下鉄東山線へと乗り込みました。二人で黙ってシートに座り電車の中を観察しながらの移動でしたが、何だか周りに居た男の子も女の子もベルボトムのジーンズをはいているのを見るにつけ「ファッションていうのはあんまり代わり映えもしないまま繰り返すんやな~」と思ったのでした。目的地の今池について二人で無言で見ていた若者達の事に話が及ぶと同じ事を考えていた様で、ほぼ同じ感想を述べておりました。

予約しておいた「どて煮」の店に着くと引き戸を滑らせて入店。カウンター席を選んで早速注文をしていったのですが、注文はほぼ100%嫁さん任せ。こういう店に来る前には必ずメニューを研究してから行くという暇人全開のオバサンですからオーダーする時の生き生きした様は特筆ものです。w

さて、注文を始めたのは良かったのですが、いきなり最初の注文品であった「当店自慢のどて串」が売り切れ。おいおい、まじか?と思ったのですが、開店時間が4時からですし、メニューの下の方に数量限定とちゃんと書いてありましたので、まあ仕方ないかな…。orz

飲み物は生チュー。最近はノンアルばかりの嫁さんも珍しく飲みました。しかも流れに乗って2杯!食う方も食う方でドンドコドンドコ頼んで最後はいきなり腹が一杯。コレで二次会に行く気力が急に萎えました。ちょっとした失敗です。^^

という訳で腹を満たし7000円ほど払って店を出た後は吞むことを中心として店を考えたのですが、暫く歩き回ったところで見つけた千ベロも今日は閉店していました。そこで嫁さんに提案したのは禁断の私が何時も行く隠れ家の飲み屋。

自分としては躊躇いもあったのですが、ここは仕方なしという事で地下鉄に乗り直して覚王山へ。たった二駅ですが早く移動するために乗りました。

何時ものように階段を上がっていくのでしたが、後ろに嫁さんが居る事が何時もとは違う事。それでも何時ものように挨拶して入店すると幸いな事にカウンターが空いておりましたのでサクッと座って何時ものように何時ものものを頼み続けました。

嫁さんは珍しそうにメニューを見つめ、いつも私が何をどう注文しているのかを細かく聞いてきました。お店のママさんも嫁さんと気軽に話をしていました。

結局私は泡盛の古酒をロックで4杯飲んで、その横で嫁さんは軟弱なカクテルを…。いい感じで二人で地下鉄に乗って息子の話をしながら家路につきました。藤が丘駅ではミスドで息子用のドーナツを買い込んでいそいそと帰り着いたのでした。

たまには夫婦で呑みに出るのみ良いみたいですね。


2024年11月27日水曜日

再当選したのはいいけれど

なんだか斎藤さんもボロボロですな。

勝手連とN党のTが流したネット動画の大盛り上がりで「弄られ易い方々」が斎藤さんに投票して再当選となったのが今回の選挙の図柄かと思っていたら、勝手連と思われていた連中の構成員が実は金払ったあとのmerchuという会社だったことが判明したというお話。

そもそも、金が無い人間と金が有る人間とに立候補というシステムにおいてなるべく差が出ないように選挙管理委員会がお金を使ってポスター代を払う筈なのですが、斎藤さんの言い訳の中でこれ自体(己がポスター制作代を払ったという説明)もおかしな言い訳になっていることを元鳥取県知事の片山さんに指摘されています。

基本的に徒手空拳では立候補できないように、更に有象無象の立候補者乱立を避けるために供託金という壁(国政選挙では300万円、地方選挙では50万円などとされています)はあるものの、その候補者が本気で挑めばきちんと結果は返ってくるし、10%以上の得票をすればお金自体も選挙管理委員会から返納されますから、かなりリースルナブルなものですが。

さて、斎藤さんの原罪である再選挙に至った罪自体の追求も滞りがちになる中で、馬鹿が百条委員会の委員長などの家に脅迫をかけるという愚行を犯している時点でもう斎藤さんという人物の応援者達の思考回路がスケスケ感満載。衆愚政治ここに極まれリという感想しか出てきません。

誰の説明が正しいのかというのは一旦脇に置いておいたとしても、先ずは肝心の重要質問で「弁護士の説明に一任」などという情けない行為はさっさとやめて疑惑の渦中にいる折田という人物と弁護士三人で雁首揃えて合同記者会見で正々堂々と説明すればよいだけの話。そうすれば互いの説明の矛盾点は「誰かが嘘をついていない限り」解消されるはず、簡単なことです。何故それをしないのか…という時点で疑念が収束しないのは無理からぬことではないでしょうか?

無理筋の説明にはいくらスマートに見えたところで、必ず時間とともに矛盾点が積み重なっていくのはサイエンスでも同じこと。

テレビの悪役面したポンコツ司会者の言がどうであろうと、真実はデータと説明さえあれば全て見えてくるのです。白旗上げてサッサと全部出しなさいってところですかね。w

2024年11月26日火曜日

南海トラフで大揺れしたら?

夜に嫁さんがふと呟きました。「今、揺れんやった?」

直ぐに輪島が震度5である事が判明しましたが、正直な感想は「能登半島の北側にこれから気持ちが折れずに住めるのか…」というものでした。そしてもう一つ、今住んで災害からの復帰に当たっている必死の人達の所に何でこんなに何度も何度も酷い地震に襲われ続けるのか、自然災害とは云え強い憤りが込み上げてきます。

私の住むエリアは速報では震度1だったのですが、良く気づいたなという感じ。それでも考えたのは、何時かは「必ず」自分達のエリアにもやって来る巨大地震のこと。

東北大震災の時には私は日本には居ませんでした。それでも、大きな地震というのは小さい頃に経験していますが、九州の婆さんの家で経験した木造平屋建ての震度5というのが最も大きいもの。震度6、ましてや震度7等というのは南海トラフでは確実に発生する震度。おそらく個人として幸運にも生き延びることが出来たとしても、日本全体では語るに恐ろしい程の事が無数に発生する事でしょう。外れて欲しい予測ですが、これは残念ながら外れそうにも無い事。

名古屋の様に浸水予想地域の広大な大都市かつ重要な工業インフラが固まっている地域ではどれほどの惨劇が展開するのか、しかも今判明しているだけでも東西を結ぶメインストリートの一つである広小路通りに立ち並ぶ中小ビル群の半分ほどは新規の耐震基準に及んでおらず、恐らく地下に潜む無数の断層への距離によってはポキリと折れたりするビルが発生する可能性があるようです。

そんな日が来ない事を祈るのではなく、交通事故と同じで「起きたらどうするか」という事を考えての行動をしていくしかありません。

家の中にはその「万一の日」に備えた色々な物がストックしてありますが、今年中にもう一回レビューし直しておこうと思います。食料、水、薬、調理道具、燃料、簡易トイレ、クリーニングタオル、緊急連絡方法等は整っているとしても、今足りないと思っているのは安全シューズだと思っています。

今度ワークマン・プラスに行こうかな。

2024年11月25日月曜日

どうしてこういう蛆が湧くのか…

環境テロという言葉があります。

日本人にとって歴史的に最も身近で頭がオカシイこの手の連中の代表はシー・シェパードでしょうか。

ここ数年は確かあの黒い船がぶっ壊されたこともある上に、あの基地外白髪船長のワトソンが逮捕監禁されていた事もあり、この連中のニュースは最近あまり聞いていませんでした。ところが最近デンマーク警察に急襲され日本のレッド・ノティスで逮捕されたこのオジサンがフランスへ亡命申請したとかしないとか?

マクロン大統領は最終的にどう判断したんでしょうかね。一生ぶち込まれる可能性もあるという話ですが、自称「環境保護の騎手」しかしてその世間的認識は「テロリスト」そのもの。まあ、神は偉大なりと言ってビルに突っ込んでいったアノ人達と何も変わらん訳ですが、御本人達は仲間内ではヒーローですから。どこにでも転がっている良くある話です。w

たちが悪いのはこの連中の親分であるグリーン・ピースに資金提供をしている巨大企業が結構いるという事。以前からこの連中のバック・ボーンになっている企業の製品は買わないようになっています。そもそも環境団体の名を騙った犯罪者集団なのに脱税を繰り返しながら各国で大問題を起こし続けている基地外共です。

こいつらの亜種が最近流行りの美術館で世界的に有名な絵画・美術作品にペンキや油を投げつけるというクソ共。天才の発想は無限ですが、馬鹿の発想も下限にキリが有りません。^^

そして今回、日本では別のタイプのバカ連中が大事な大事なWRC・ジャパンラリーにおけるWRCマニュファクチャラー・チャンピオンを決める戦いで「一般車両が検問を突破し交通規制エリア内に進入したことによりSS12がキャンセル」という事件を起こしました。

ネットの伝聞では時速35キロ以上で走ると昆虫が車に当たって死ぬからその非を訴えに来たという頭のオカシイ連中らしいのですが、横浜ナンバーで愛知まで来るのに時速35キロを終えずに来るのは交通妨害以外のナニモノでも無いと思うんですが。頭がオカシイだけに説得も通じんでしょうな。orz

結局、FIA/WRCは今回の主催者側に対してこの件を重く見て2400万円の罰金を科したとか。ホント屑ってどこで何しても屑ですな…。

2024年11月24日日曜日

看護師さん達の新陳代謝

病院を辞めていく看護師さんというのは何時でもいます。

辞めていく理由はまさに人それぞれなんですが、他に良い働き場所を見つけたとか違う病院で働きたい、子育てや御主人の関係で引っ越しなども良くあります。そして最近多いのが訪問看護ステーションを展開する問う理由で辞めていく人。

それに対する私の部外者としての視点からは…
  • 今時の介護に対する保険関連の支払いの急激に下がる薄ら寒い状況を理解しているのか?
  • 更には稼ぐのは良いけど、訪問している家庭から時間関係なく連絡があって自分のパーソナルな時間にグイグイと食い込んでくる状況にどのレベルまで耐えられるのか?
  • 最後に今の時代かなりのレベルでレッド・オーシャン化している過当競争状態をキチンと解析できているのか?
等の疑問があるのですが、最後のとどめはもし仮に全部が上手く行ったとしても、事業が個人レベルの延長上にあるとすると、自分の体調、つまりは健康上の問題が収入を大きく左右するという事なのです。そして、一旦自分が動けなくなるとそれは患者さんとその御家庭に迷惑をかけるという事。

それを防ぐためには共同経営者や従業員を雇ったりしなければならないのですが、そうなると運転資金やその他の事が大きな要素として通常業務の中に食い込んできますから心労が重なりそうです。

そういう意味では公的な病院や大きな私立に勤めるというのが裁量が狭い代わりに人生における安全係数が高い訳です。どちらが良いのかはその人次第。しかし、生半可な知識や覚悟で準備不足で海に漕ぎ出しても恐らくは長く続かないでしょう。

それは実際に私の周りの出ていった看護師さん達を見てのお話だから実話として話せる訳でして…。世の中はそう簡単にはいかないみたいですね。

2024年11月23日土曜日

やっぱり熊は恐怖以外のナニモノでも無い

熊というのは物凄く賢くて危険な動物で恐怖以外のナニモノでも無い生物だというのは日本で発生した事件だけでもありとあらゆる記録に残っています。

少なくとも私が目にした記録だけでも江戸、明治、大正の昔から人間が如何に悲惨な目に遭ってきたのかという悍ましい話だらけ、それは昭和になっても変わらずトンデモナイ話は幾らでも出て来ますし小説にもなっています。

そして、その「人の世界」に近づいて来るヤバイ熊に立ち向かってくれるのは各地の猟友会なのですが、今回札幌高裁はとんでも判決を下して猟友会のやる気を大きく下げてくれたのでした。

そもそもこの判決の大本はある人物のクレームが発端になって居る様なのですが、こういう判決を下す前にこの人物のクレームを事件として取り上げる札幌の検察も私的には「あんたらアタマ大丈夫?」という感覚しかありません。そもそも警察というのは日本の民間人から完全に銃というものを取り上げてしまいたいというのが見え見えの本音ですから、熊の捕獲を頼みつつこういう事を考えているのが警察

もとより、警察という組織は己の崩れっぷりは棚に上げて、何かあると猟友会を悪い事にしてきた歴史を持つ組織ですから、猟友会も完全には援助を断ち切らないにしても内心は「これ以上ガタガタ言うなら…」と云うのが本音でしょう。

トンデモ検察、トンデモ裁判官…もうちょっと今回の訴訟の裏を常識的に読み取って現実に即した高度な判断を行えっていう話。札幌高裁の次は最高裁なんでしょうが、正直なところ「お前らときたら何を学んできたんだ?」という感想しかありません。

斉木楠生じゃやないけど一言「やれやれ」です。

2024年11月22日金曜日

名古屋市長選…

ポピュリストの権化たる河村前市長が国会の方に出ていって始まった次期名古屋市長選のレースもあと2日で結末を見る事となりました。

選挙が近づいてきたので、どんな御仁が候補者なのか見てみると出走者は7人。動画や経歴を見てみると実質的な戦闘力を持っているのは広沢一郎氏と大塚耕平氏という二人だけというのが直ぐに解りました。

この二人がどういうバック・グラウンドを持つのかというと、広沢さんはまんま河村のミニ・コピー。特に自分のビジョンや思考様式がある訳ではありません。ではもう一人の極となるであろう大塚さんというのはどういう人かと言えば、これまた大村愛知県知事の推薦する人物で、自民、立憲民主、国民民主、公明各党の推す地元の雄たる旭丘高校卒で早稲田を出てる人です。参議院議員を辞めてこれに賭けてるみたいですけど、日本保守党のハゲ百さんが応援する広沢さんは今の時点でかなりの難敵と思われているようです。

果たしてどちらのオジサンが名古屋市長に相応しいかという話になるのですが、最大の問題は名古屋市民にとっては河村というポピュリストの持つ表立っている理解できる瑕疵が見え辛いという事。これは私の場合はまず第一にパピローマ・ウイルスに対するワクチン接種の名古屋スタディから始まった話で見えてきたその俗物ぶりからだったんですけどね。

その後、知れば知るほど河村たかしという男の徹底したポピュリストとしての本質が見えてきてウンザリという状況。このオッサンも大塚さんと同じ旭丘高校卒。この中で旭丘に関係していないのは広沢さんだけですね。広沢さんは大学は慶応らしいですけど、こういうのは後援会としてどう関係して来るんでしょうか。全く判りませんが。

広沢さんを語るには結局河村たかしを語るしかない訳ですが、このオッサン日本保守党に入ってはいるもののウィキを見ると全くその政策は右往左往。ビックリするほどポリシーというものがありません。まあ、ここまで何も信念が無いと潔いレベルですが。w

二日後の日曜日の投票は反河村で行くつもりですが、まあ難しいでよしょうな。




2024年11月21日木曜日

特に何もない結婚記念日

32年も経つと結婚記念日とかもタダの日付け。

家の中にオジサンが2人住んでいるようなもんです。ただし、そのオジサンが違うのは一人は外で働き、1人は家の中に居る事でしょうか?w

私も生まれ変わったら家の中で鼻糞ほじくっていれば金を貰える身分になりたいものですが、御本人は洗濯と夜食の準備できっと忙しいのでしょう。だからと言って来世でそういう生活をしなさいと言われても恐らく絶対拒否しますが。

この歳になると昭和の昔は家で夫婦が茶を啜って日がな会話も無く一日が過ぎていくという感じの日常があったみたいですが、今の時代そんなのはまさに絵空事。よっぽどの暇人でもなければ日がなテレビを見たりして日々を過ごすなどという事は有り得ません。(我が家はどうなのかというのは私自身は気にもしておりません)

看護師さん達を見ていると、パートの人以外はみな毎日忙しそうに走り回って働いています。まあ、これが本来の「フツー」の令和の主婦の姿なんじゃないかと思うんですけどね。そもそも家に居てゴロゴロするという事自体が私には耐えられないレベルの生活パターンですので、やれと言われても無理ですが。^^

結婚と言えば、今でも人生最大の「不本意」として残っている結婚披露宴。あんな恥多き行為は元から絶対のレベルでしたくなかったのですが、蓋を開けてみればあれよあれよの平成初期のアリガチ大規模結婚式。今でも悪夢として甦ります。あれ以来、自分の人生の大方針は絶対に他人に左右されないという事を大切にするようになったと思います。

さて、何年目まで結婚記念日って続くんでしょうね?

2024年11月20日水曜日

年末年始の当直

取り敢えず忘年会などの年末の予定は決まりましたが、年末年始の当直に関してはまだハッキリとはしていません。

そもそも外部の人達からは病院の当直体制というのは全くどうなっているのやら…というか関心も無い事でしょうが、実際は病院によっていろいろと少しずつシステムが違います。ある程度のポジションになった時点で当直免除になる所、年齢でポジション免除になるところ、そしてマイナーな診療科目の先生は当直の能力が無いという事で免除されたりとう事でいろいろと不公平感が出る場合があって不満のもとになったりする事が多いのです。

実際、心筋梗塞の患者さんが来て当直が眼科の先生だったり泌尿器科の先生だったりすればまさに患者にしてみれば「知らぬが仏」となる訳で、倫理的にもちょっとね…となる訳です。シリアスな外傷の患者が来た時に呼吸器内科の先生が当直をしていても困りますし、眼の怪我をしたした人にはやはりそれなりの眼科のエキスパートが必要という訳。

さて、多くの病院では世間的にはそれなりの当直費を出すのですが、これって正直何十年も変わっていないんですよね。この点は世の中の物価に全く連動していないという事で、医師の相対的収入の低下の典型的な傍証例などと身内では言われています。

もう一つの不公平感の元は男女差。男女差別という事が声高に言われているのは病院の外の世界。病院の中では女性というだけで例え育児が終わっている先生でも「何故かそのまま」当直免除が許され続けているケースも稀ならずあります。

さて、冒頭の話に戻るのですが、今年は除夜の鐘を聞きながらの当直なのか、それとも明けましておめでとうと言いながら病院の門をくぐるのか?副院長とお話をしながらの考察になるとは思うんですが、今年はちょいと熱田神宮一人参拝とその後の酒飲みと洒落込もうと思っていますので、なんとか31日だけは避けたいものです。

まあ、無理でしょうが。w

2024年11月19日火曜日

忘年会が戻ってきた

遂に忘年会が「フツー」の状態に戻ってきました。

今年の夏に納涼会のようなものがありはしたのですが、私は特に出席もせずそのまま無視。特に出たいとも思わず、個人的にもっとやりたい事があったのでそちらに集中という感じで過ごしていました。

しかしながら、今年の冬はどうもそういう風にはいかないようです。昨年の冬には自分の主たる病院1件、バイト先の病院1件だけと絞っていた忘年会の件数も今年は既に自分の主たる病院だけで4件。大小個人も全てスケジュールの中で綯交ぜになってはいますが、年末は結構食べ物、飲み物にお金が消えていきそうです。

何よりもこの時期、忘年会で困るのは医師にだけ課される税金のような忘年会費。例えばどこかの病棟で忘年会費が看護師さん一人5,000円だったとすると、私は2‐3万円飛んで行くことが前提になっています。orz

理事長などは各病棟に5万円程度の「寄付」をドロップして居られましたが、それは稼ぎの桁が私たち下々の医師より1つ以上多い訳で、払う税金だけで我々の年収を超える様な人物と一緒にされては敵いません。私もそれくらい稼ぎがあれば何の見返りが無くとも「その程度」の寄付は各病棟に落としたい所なんですが、それは夢物語。見栄張って同じ事やったらおまんま食い上げです。w

それでも、今年は私自身は参加しないにしても障害のある息子の施設には寄付として今年も10万円を納めさせていただき、忘年会費の「足し」という形で一年の労に報いたいと思っています。大変失礼な話なのですが、国は障害のある人達を一年中助けてくれている先生方に対する給料のもとになる支払いを物凄く絞っていて、薄給としか呼べないレベルのお金しか払いません。

国家のレベルというのは弱い人々に対するお金を使う能力の差そのものだと常々思っている私ですが、一番下の部分でいろいろと汗を掻いているこの先生方や補助の方々には国も自治体もお金を使う余裕は本当に無いのです。

どっかの会社の社長や国会議員を務めた人間に勲章や賞状を渡す金と暇は有っても、こういった人達に陽の光が当たる事は滅多な事では無いのです。葬式に飾る勲章や賞状なんぞをしょうもない連中に散らす時間があったらもっとやるべき事は有るやろ?と私は何時も怒っているんですけどね。

所詮はごまめの歯ぎしりレベルです。

2024年11月18日月曜日

やった~!斎藤前兵庫県知事再選w

さすがは兵庫県民。

充分にネットとダンスしたようです。出てきた対立候補の乱立具合を見てこういう結果になるだろうなと密かに期待していたのですが、ちゃんと兵庫県民勝手連の皆さんが兵庫を別の高みに導いてくださったようです。^^

N党のいつものお騒がせトンデモ野郎のアイツが大量の投稿を行っていたようですが、大量の再生回数を稼いでいた様で、おめでたい事です。そもそも斎藤前知事の問題はパワハラ云々もさること乍ら、(後に死亡した)県民局長の男性が配布したとされてますけど、その時に県から三か月の停職処分を受けたことに対してその中立性が担保されていないとして百条委員会を設置して調査を始めた訳です。

橋本さんも言っていたんですが、この手の「県知事である自分に対する疑惑」への対応として
①文書を後期通報窓口に渡して担当者を委縮させないようにコメントを控える
②自ら文書の作成者を探す
という選択が有り得ると発言しています。

つまり、県のトップであり権力者である己を告発するペーパーは十分に「公益通報」である可能性を含む訳ですから、それを副知事と幹部が一体となって組織に指示して犯人潰しに行ったという拭い難い権力の濫用こそが恐るべき間違いだった事実であった訳です。

ここだけは揺るがし難い事実であり、権力を持つ者が間違えた恐ろしい真実。

権力者としての最低の行為は直接の指示によるこういった行為であって、私的に使用されたパソコンの内容を隠匿する為に知事のパワハラを刺したという事であたかも権力濫用の事実は二の次の話題に落とされて、選挙期間中に「腐った兵庫県庁の組織とその陰謀の犠牲になった斎藤」という単純化された構図に色の塗り替えがされた訳です。

全体の半数にも行かぬ45%の得票で再度元の鞘に収まった訳ですが、果たしてあれだけ出されたパワハラ・アンケートの結果は嘘だらけだったんでしょうか?

まあ、私には特に仕事が出来る訳でもない、何かしたい訳でもない東大卒のフツーのパワー大好きオッサンに再度の勘違いをさせただけ…にしか見えないんですけどね。コレって意外と兵庫の外に居る人のフツーの選挙戦の結果の見え方にはなってないのかな。

兵庫県知事選。ネットを視てモノの見方を「判り易く」単純化させて騙され易い人を囲い込んでいく。どっかの国の大統領選と一緒だな~と微笑ましくなりました。w

2024年11月17日日曜日

靖国神社参りとか

朝ははよからベッドの下段の「顔の見えない誰か」がゴソゴソしていた所為で5時に一旦目が覚めてしまいました。

そもそも二段ベッドが金属製のフレームでしたので、ちょっとでも床から起き上がって朝の準備をするだけでキコキコ忙しないきしみ音が鳴るのでした。実際、下の「誰か」が去った後再び私は眠りに陥り次に目が覚めたのは8時ちょっと前でした。

私自身もそこで直ぐに起き上がりシャワーを浴びて今日の行動の準備です。ササッと荷物をまとめて一回へ下りました。トーストを焼いてバターを塗り、ブルーベリー・ジャムを乗っけてかじりつつ、淹れたての紅茶を飲みながら胃袋を満たしました。

直ぐにカード・キーを返却して本日の行動を開始。折角東京に出てきたのであればいろいろと東京の面白げな所を巡るのが私の愉しみです。今日は昨日から狙いを定めていた場所を数か所まわります。先ずは生まれて一度も行った事のないアノ靖国神社。

九段下を通り過ぎて靖国通りの歩道橋を渡るとあっと言う間に靖国神社の入り口。
超巨大な鳥居。
別の場所で見つけた説明書きを読むと理論上は1300年ほど立ち続けるとの事!( ゚Д゚)
ココが何時も中国に難癖をつけられる神社の入り口です。
境内にアプローチする途中で黒尽くめのスーツの男達が街宣車の周りに集まっていました。w まあ、そういう人達が居てもおかしくは無いですわな。しかし、それを見て英霊達はどう思われるのかという事をふと考えてしまいました。
さらに奥に進んで行くと境内がすぐそこに!
二礼二拍手一礼し、手短に参拝。何も考えず一言、心の中で「有難うございました!」と呟きました。そのあと遊就館に行こうと思ったところ…。
まさに「ガーン」でした。しかも今日から!
あああああ、と声にならない声を心の中であげながらも「ま、仕方ない」と諦めて次へ移動するなかで、靖国の中の御土産屋やさりげない展示物などをコソコソと見ていたらすぐ脇にあの有名な暁星中学・高等学校が脇にある事に気づきました。そこの入り口を通って次の場所へ移動。
ここは昨日知り合ったもう一人の人物に「ここは行く価値があります」と言われて来てみました。実際、中に入ってみると戦争で当然の様に発生する戦傷病者の様々な苦悩が「息遣いが聞こえてくれるレベルの現実」として展示されていました。偶々だったのですが、入り口の所にシベリア抑留者として生き残って帰ってきた方の息子さんが亡くなった親父さんの出征時の幟やゲートルその他の貴重な品々を資料館の方々に寄贈して目録を作っているところでした。

この方々に展示物の脇でいろいろと話を聞く機会があったのですが、この爺さんは日米の砲弾の到達距離や威力の差を開戦初期から熟知していて「これで勝てというのが無理。この戦争は負ける」と最初から家族の中では呟いていたんだそうです…。

一時間以上ここには居たのですが、改めて戦争というのは人間の幸せを完全に叩き壊す過程なのだという事を再確認した次第でした。水木しげるの展示物もあって、その中に「ヒットラーさん」という漫画があったのが印象に残りました。

ここを出て次に向かったのは目黒寄生虫館。昔から名前は知っていたところでしたが、ここは行かねば男が廃ると突撃。
そもそもここの設立者である「亀谷了」先生は私の母校の大先輩。寄生虫学の世界的権威で偉人中の偉人です。中に入ると私の大好きな世界が待っておりました。
これはある先生の記された寄生虫学の世界的に有名な古典の下書き原稿。
恐ろし舗殿加筆訂正が繰り返されています。
寄生虫の標本が山のように展示されていて、昔の寄生虫学の授業を思い出して懐かしくなってしまいました。ロマンがありますね~こういう世界は。^^ 寄生虫学はまだまだ研究する世界は山の様に残っているなと思いました。所謂ブルーオーシャン戦略が使える世界ですね~。

終わって外に出たら何だか縁日風に大量の屋台が出張っていました。何かと思えば酉の市との事。あとで調べてみると、目黒寄生虫館は大鳥神社というところの真隣に建っていました。今日は二の酉の日という事でしたが、下の写真の様にあちこちで買い物成立後に一本締で祝っていました。
ココから後は生まれて初めての東京バス体験。前から乗って後ろから降りるのですが、東京駅南口まで一直線です。慶応大学の前や白金台などという田舎者でも知っている場所を経由してSuicaで楽に移。。バスはバスで楽ちんですな。コレもアリかも。^^

東京駅ではラーメンでもと思っていたら、並んでいる人間が多すぎて急遽中止。コンビニに寄っておにぎり二個と豚まんとお茶を買って駅の外に出て一人飯を愉しみました。五時きっかりののぞみに乗って名古屋へ一直線。

家に帰り着いてホッとした私でした。今度東京行ったら何を観ようかな?

2024年11月16日土曜日

これでタダとか有り得ない

今日は日本武道館に行って参りました。

目的はただ一つ。自衛隊音楽祭2024「音」に出席する為です。最初は全くこの行事自体の存在も知らなかったのですが、毎年やっているそうで日米合同+同盟国から一か国が招待されて合同演奏というのが毎年の平均パターンなんだそうです。

この存在を教えて頂いたのは何時も歌舞伎の事を手取り足取り教えてくれる東京の方。今回はこの方の友人の分も含めて3人分一組で申し込みをする事になりました。私のクジ運というのはほぼ最低レベルでして、日常のあらゆるシーンで人知を超えたツキの無さを誇ります。w

今回は相手方の歌舞伎の先生から「宜しかったら私達の名前を書き込んで応募して頂けませんか?」とのリクエスト。私自身は二つ返事で「ハイハイ、じゃお名前二人分教えてください」との返事と共に応募しておきました。そもそも当たる筈もないや~とは思いつつも当たらなかったら申し訳ないなという程度の気持ちでした。己のクジ運の事も予め伝えていたのですが、その発表がなされ始めているという事をXで見つけたその歌舞伎の先生が、メールをチェックし始めてみてと言われたその日に当選の通知!有り得ませんがラッキーでした。そのあと、五月雨式に三人分の入場券がメールで送られてきました。

さて、新幹線に乗って安宿の九段下の直ぐ傍にあるホステルへチェックイン。すぐ近くにあるあの有名な九段会館を左手に見ながら昭和館というビルを過ぎるとすぐにあのサンプラザ中野の歌で有名な玉ねぎを頭に抱く武道館が見えてきました。
生まれて初めて中に入るとまたまた巨大なドーム内の構造物。開演の二時間も前の三時半に待ち合わせて久しぶりの歌舞伎の先生との再会。暫くしてその友人も集合となりました。
ココでいろいろなコンサートや大会が行われてきたのかと思うとちょっと胸アツでした。
さて、開演時間になるといきなり会場が暗くなり第一章の幕開け。
先ずはパリ・オリンピックに出た三人の自衛隊の銀メダリスト。
近代五種、レスリング、柔道団体だったかな?若々しい!当然ですが。w
そして出て来るドリルの素晴らしい出来具合い、更に自衛隊、そして沖縄の海兵隊、そしてヨルダン軍楽隊の勇ましい演奏と次々素晴らしい演奏が続いて出て来ます。
これは3軍+海兵隊での合同演奏。コレも良かった!
そして、三軍それぞれに有名な自衛隊の歌姫たちが登場して歌ってくれましたが陸の歌姫が一番声が出ていた気がしました。
恐らく一番有名な歌姫さんですね
途中歌姫三人衆から「スマホのライトを振って」と言われて会場は幻想的に!
そしてその後は恒例の色々な自衛隊基地からの太鼓連が素晴らしい迫力の出しもの。素晴らしい演奏で鳥肌が立つばかり。物凄い音の波が会場を揺るがしました。
これだけでもお金を払って観る価値のある演奏でした。
最後のほうは皆さんのスマホから投票された最終選考に残った曲が二曲演奏され、更に全員が出てきてグランド・フィナーレ。いやいや、これが無料とか無いですわ。^^

最後は会場周辺に出ていたミリタリー・ショップに行って取りあえずはデジタル迷彩の海自のタオルを買いました。本当はTシャツも欲しかったのですが、サイズ無し…。残念でした。

夕食は近場の焼鳥屋とBARに行って12時直前まで飲み食いしていました。夜はbunk bedの上の段でスコッと寝落ちしました。

2024年11月15日金曜日

9連勝!

やっぱ日本の野球は底が固いですね。

昨日は原駅の傍にある鉄板焼き屋に行きました。最初は何時もの覚王山で呑もうと考えていたんですが、出かける直前に嫁さんに「また覚王山?」と尋ねられて、ふと「そう言えば今日はちょっと風向き換えて別の所にすっか」という気持ちが頭の中を過りました。

しかも、頭の片隅から(確か今日は野球かサッカーのナショナル・チームの良い試合があったはず~)という情報があやふや乍らも流れ出してきました。

そうなるとネットで一発。そのどちらもが同じ日に試合です。一方は韓国戦。もう一方はアウェイでのインドネシア戦という充実ぶりでしたから視ない訳にはいきません。日韓の野球対決というのは親父達の世代から因縁が絡みつくようなゲームばっかりで、あのイチローをして「千年発言」が出て来るような国同士の心理的代理戦争みたいなところがありますんでね。w

一方サッカーのインドネシアの方はオランダ人の血が混ざった連中をインドネシアに帰化させてチームを組みなおしているとはいえ所詮、今の日本の敵で無い事は明白。幾らアウェイだのなんだのという異様な雰囲気があろうともその程度の雰囲気には毎試合慣れっこのヨーロッパ組にしてみれば「屁」でもありませんので、これは視る迄も無いこと。

という訳で、酒を呑みながら小鉢を摘まんで野球を観れるとすれば「てっぱん侍」しか知りません。原駅で降りて店の戸を開けてカウンターに座ると、期待通り広島カープファンの店の親父がきちんとテレビつけて日韓戦を観ていました。w

熱中するあまり作業する手も止まりがちな大将でしたが、それは注文した後の自分も同じ。料理どころではありません。試合の流れを手許のスマホのアマゾン・プライムのネット中継とテレビの画面で眺めながら一喜一憂。

それでも最後には決めるべき人間が期待通り決めて、何の心配も無い素晴らしい結果で日韓戦9連勝を飾ってくれたのでした。大谷も居ない、その他のメジャー級も居ない、確かに素晴らしい面子だけどトップ中のトップとは言えない選手達で構成された日本チームでも十分に勧告を叩きつける強さがある事に安心しました。

寧ろ怖いのはアウェイの台湾ですわな。^^

さて、サッカーの方はというと…4-0という野球のようなスコア。今の日本に対してインドネシアに勝て!というのはちょっと酷というものでしょう。

2024年11月14日木曜日

精神科の患者さんの治療

内科や外科と違って精神科の治療は一種独特の難しさがあると強く思います。

そもそも診断が医師によっていろいろ異なるのを日常目の当たりにします。何というかいわゆるポンコツレベルの医師も名医も一見すると同じような診断を下すこともあれば、全く異なる診断を下すことも当然あるのですが、果たしてどちらの診断があっているのか?内科や外科の診断の様に画像や数値による客観的な指標に欠けるのが最も悩ましいところ。

更には治療にあたっては一見表面的には同じように見える病態であっても中身は全く異なる事があるのが内科や外科以上にあって、精神に影響を及ぼす要素が細胞表面のレセプターレベルの検討から始まるにしても、それが及ぼす要因の広範さは実に多岐にわたるため、どの薬を使用するのが良いのか、結局は経験則に基づく観察とその対応によるものが中心の様にしか思えないからです。

問診を詳しく行ってその患者さんの状態を把握するのは内科も一緒ですが、内容のおかしさや病院での診察に至る迄の生活歴やイベントの問題を詳細に検討分析してそれを統合する過程は「本当は」最高級の頭脳を必要とするのではないかと思うんです。

ところが精神科医の実態はまさに玉石混交で、他の科に属していたけれども結局のところモノにならなくて精神科に転科してきたという人がゾロゾロ。あと、歳とって体を使わない科を選んでおこうという事で初期投資をたくさん必要としない「駅前お気軽クリニック」の開業という選択で仕事している人も残念ながら混じっているのでした。

結局、もとより知的レベルの高い人で症状の詳細を素早くきめ細かく分類出来た上で、正しい方向性をもって投薬を行っていけるハイレベルの精神科医は実際にはかなり絞られてくると感じています。

治療結果も日常生活への戻り具合や精神状態の評価などである程度はスコア化出来はしますが、所詮内科や外科の様に数値化が出来ない点ではなかなかその治療のレベルをスコア化しづらいのも事実だと思います。

その上、精神状態が多種多様な患者さんを家族さんが納得できるような状態で共に治療できるという高みに居る先生は更に絞られてしまうと私は個人的に思っています。

こういう精神科における治療の日常を真横で見る機会が多い私にとっては、精神科医になるというのは「なる事自体」はそれほど壁は高く無くとも、なった後の責任と信頼を患者さんと共に築けるレベルの医師と評価されるのは恐ろしく困難な事だなと思うのでした。

という訳でワタシには精神科医はとても務まりません。w

2024年11月13日水曜日

冗談キツイぜ

!ミリオタ、鉄オタ、アイドルオタの目付きのヤバい変人がトロい組閣してくれました。

これはまあオッサンの総理としての専権事項ですから誰もそれ自体を止めることは出来ませんが、その中身が酷すぎ。特にオタク丸出しの組閣の内容が組閣の人事としてはほぼゴミレベルではあるものの無能の元アイドル二人に政務官!という地位を与えてしまいました。

一人目はフランスへショッピングと遊びに行って楽しそうな観光写真をネットにあげて非難轟轟状態になった後「無駄な外遊では無い」「追って活動報告します!」と強気の捨て台詞を残してそのまま説明責任を果たさず、というか果たせるはずも無い空約束。

外遊費も給料も通信費、交通費など「こいつに掛かる全てがムダ」そのものの税金泥棒の元糞アイドル今井絵理子。

二人目は伝説の「無回答」連発オバサンこと生稲晃子。仕事・育児を両立して乳がんを乗り越えてきたというのが売り文句なんだそうですが、そんな事は売りにしなくとも日本中に数百万人単位でそんな女性は居ます。敢えていう程の事ではないのよ、オバサン。

政治家というのは政策、立法等の議論が出来てナンボ!不勉強を理由に人から問われたことに回答が出来ぬ状態ならそもそも立候補するなバカ!という話です。医者が免許を取って実地で鍛錬していく前には十分に高度な訓練を受けてから出撃するように、司法修習生が現場に散っていく前に長い研修を受けていくようになっています。

ではお前ら政治屋は?と問うと何も答えられないのでは無いのでしょうか?

無論、官僚から成り上がったり法曹資格を有するレベルの人間であればまだある程度の見識や知性は期待できるのでしょうが、上に書いたような低レベルの連中にどれだけのソレを期待出来るのでしょうか?

前にも書きましたけど、本当に政治家になりたいんだったら最低限の試験を行って高校生レベルの政治の知識がある事はクリアにしてから当院させて欲しいものです。

全く何考えてるんだかこの鳥取のオタクは…。

2024年11月12日火曜日

訪問診療の医師達

日本に帰ってきた私がバイトで訪問診療を始めてもうすぐ9年になります。

その間に私がお手伝いさせて頂いた病院はどんどんどんどん大きくなり、最初は理事長先生を始めとして(私を含めても)本当に6-7名の先生方から始まった感じでしたが、今では常勤だけで20人ほどまで増え、バイトまで居れたら50では済まないほどの充実ぶりを見せています。

しかし、ここに至る迄は理事長先生がまさにスマートさを十分に行使させつつも、眠れない日々も過ごしてきたとの間接的な話をいろいろと聞いてきましたのでよく頑張られたもんだと感心すること頻りです。まあ、ここまで大きくなった訪問診療のシステムを見ると立派な経営者ですわな。

恐らく教授になって教室を引っ張る大学人になったとしても充分に通用した人物だと感じているのですが、しょうもない教室運営をするくらいなら…という感じでこちらの人生を選んだように思えます。(実は研究者としても立派な業績を残されています)

さて、そんな先生が経営しているこの病院。実は訪問診療においては本当にいろいろな先生方が常勤、非常勤ともに毎年出入りが激しく異動されております。しかし、医師の訪問診療業界というのは本当にこんな感じが極普通なんですよね。

看護師さん達の出入りもなんですけど、医師も出入りが激しいのがこの訪問診療。なかなか落ち着きません。辞めた先生、辞めさせられた先生。私の居たこの10年弱で本当にいろいろなヤバい先生、素晴らしい先生、面白い先生などを見てきましたが、最近は今までのようなある程度歳を重ね経験を積んだ先生方によって構成されていた時代と違って、大学を出て数年も経っていないような若い先生が医師としてのトレーニングもそこそこにこの業界に入ってくる時代。

何だか様子が変わってきているのですが、この先生方はこれからの訪問診療業界がその厳しさをズンズンと増していくのを知っているのでしょうか…。個人的には大変心配です。

まあ、訪問診療の世界は幅の狭い専門医というのはあんまり常勤としては歓迎されなくて、なんでもそこそこにこなしてコミュニケーション能力の高い人が好まれます。

そういった点に自信のある方々は挑戦されるとよろしいかと思います。どうなるかは全く保証できない時代になってきているのではありますが…。

2024年11月11日月曜日

健康診断の結果

年二回ある健康診断を今月やりました。

取り敢えず通常の病院がタダで提供する項目に自前で金を払って項目を追加することで気になる項目を毎回フルカバーします。何と言ってもアラ還ですから、少しくらい金を使ってでも己のデブ・ボディに異常が無い事を確認したいのです。何時も副院長先生にオーダーして貰っています。

とは言え、こういうのは所詮「数値」として出て来るものばかり。後ろに潜んでいる腫瘍やその他の疾患の多くはカメラやその他の画像で無いと確認できませんし、画像で視ても100%見つからない疾患も数えきれないほど沢山ありますしね。

まあ、そうは言っても血液が語る事は沢山ありますし、HbA1cやBNP、PSA等の今の年齢くらいからいろいろと気になり始める数値も自前で払って確かめています。これも数年間分積み重なってくるとほぼ加齢と体重の関連データも含め「疫学調査」の世界になってきます。何にしても医者として自分の数字の変化を眺めるのは面白いですね。

しかも、自分の勤めている病院では院内の検査や投薬に関しては6割の医療補助があるので、最終的には保険でカバーされない分もそうやってかなり還って来るので健康管理に使えるわけです。

とかなんとか書きましたが、数字がどうだろうと結局は歳とって死に向かって毎時間毎時間突き進んでいる訳なんですけどね。まあ、それまでのエンタメと思えば老いてゆくダメな自分を客観的に視る一助としては愉しめる訳です。

さて、そう言って書いてきた己の健康診断の結果ですが「取りあえず」今回の生化学検査のデータは全て正常でした。とりあえず目出度しメデタシ。^^

2024年11月10日日曜日

息子の作業所でお祭り!

コロナが壊したいろいろな行事が息子の通う作業所でも戻って参りました。

新型コロナが流行り始めてから病院への御見舞はもちろん、最後の最後に至る迄、患者さんと家族さんが会えないままに最後を迎える等というとんでもない期間が年単位で続いた碌でも無い期間でした。

国の分類上は2類から5類に変更になっても体力の低下した高齢者の死亡率はやはりまだ高いのです。それでも、若い人達の集団を中心にいろいろな年中行事が戻って来ています。そう云った中での息子の作業所でのお祭りはナント4年ぶり!

息子と嫁さんはかなり前から今日の日の為に何度かミーティングを開いて綿密に練り上げたスケジュールのもとに今日を迎えたという訳。嫁さんはともかく、果たして息子がどの部門でどう働く予定なのか?と思ったら、嫁さんによると縁日・屋台形式の所で何か仕事をする、とかポップコーン売り場に居るという話だったのですが、私が行った時には嫁さんに手を引かれて休みに入ろうとしている瞬間でした。

私は直ぐに嫁さんから息子の手を引き継いで、既にお祭りの中で買ってあった肉まんと焼きそばとポテトのフライを持って3階に上がってむしゃむしゃと二人でいきなりのハッピー・アワー開始。

その後は手を引いたままバザー会場をウロウロしたり、ボランティアの大学生の皆さんが仕切ってくださっていた縁日形式の釣りモノやカーリング遊びなどを見ていました。しかし、良く考えると息子が割り当てられていた仕事は???という感じでしたが、唯一それらしい仕事と云えば二階からお菓子を3個だけ撒いた事でしょうか。w

まあ、息子と私は何時もこういうところではウロウロするだけというのが定番なんですけど、毎度の男軍団役立たずの巻でした。^^

そうこうしているところへ長女も合流し一時間以上更に時間を過ごしました。最後の最後でビンゴ・ゲームがあったのですが、確実に100人以上いた中で先ず嫁さんが3等賞、息子が4等賞、私が5等賞という碌でも無い当たりの連続で、実に周囲に申し訳なくコッソリとアタリのお米、油、手指消毒用アルコールなどを頂きました。

最後は私と嫁さんでガンガン片づけを手伝っていろいろなものを奇麗に何時もの場所に戻して終了。今年4年ぶりのお祭りは大成功だったと思いました。

それにしても憎いのは新型コロナですね…。

2024年11月9日土曜日

酒場で出会ういろんな人

自分の日常の生活範囲に居ない全く違う世界の人と出会う事は大切だと思っています。

なによりも自分の知らない世界の話というのはシンプルに「興味深い」という事です。病院に居る患者さんに限らず、旅先で出会った方であっても未知の人が行っている私の知らない世界の話にはいつも興味津々です。

そもそも、医者同士の世界でも「診療科目」が異なれば、知っている知識や同じ疾患を診た時の視点が大きく異なってますので、人の話を聞いて「へ~、そうなんだ」という事がしばしばどころかいつでもです。

それが他の業種の世界に住む人達の話というのは本当に何度話しても月の裏側のような話が多くて楽しく聞くばかりです。いろいろと知らないその業界の掟なども、相手にとって私という人間に利害関係が無いからこそ次々と面白い話が聞けるという訳です。

最近その手の話を聞くことが出来るようになった場所の一つが一人呑みに出かける居酒屋。カウンターに限らず、4人席などでも時々全く知らない人との相席を「居酒屋の姐さん」に勧められてそのまま話すというパターンが、上に書いたような自分の知らない世界の人達との交流を増やしてくれているのです。

先日は隣に座ったのは「光の研究」をしていた方のお話でした。これまた興味深い話が次から次へと出て来るんですが、酔いが進むと話している本人が何を言っているのか段々と怪しくなってきて最後は必死に立ち上がる感じで奥様の待っている家へと帰って行かれました。

酒の入った席で花開く物理の世界の話は遠い昔の私の高校時代の記憶を呼び覚ます一連の知的バイブレーション。ブルーバックスなどは今でもよく読んでいるので、その手の話の「外面(そとづら)」というのは何となく見えるのですが、本職の話す深い話は今その業界で何が起きているのかを知る愉しいひと時でした。

これまた予定時間を大幅に超えて飲んでしまった私は終電を逃して3時過ぎに家に帰り着いたのでした。

2024年11月8日金曜日

変態は治らない

年端もいかない女の子の腹を刺してその血を見て性的興奮を得る…。

タイプしている自分自身がその文章に悍(おぞ)ましさを覚えるレベルの行為。純粋に性的な変態です。快楽殺人の要素も入っているのかもしれませんが、今までこの手の殺人と性的快感の回路が繋がっている変体共の記録は枚挙に暇が有りませんが、こんなのに自分の娘を殺された親御さんはこの勝田という男を磔にして焼き殺してもその怒りが消える事は決してないでしょう。

警官ファミリーの息子だったとの報道ですが、こういう輩は親の職業とかなんとかに関係なく変態は変態。野に放っておくと必ず同じ犯罪を繰り返します。

実は私の勤める病院にも以前、前に勤めていた病院で性犯罪で(しかも2度も!)捕まった変態医師が転入してきたことがありました。私自身は「ヤバい奴が来た、理事長こんなの入れて大丈夫か?」と内心思っていたら、1年もせずやらかし発覚。未成年との金銭関係のある関係が発覚。

あっと言う間に休職になったと思ったら数か月そのままになった状態で顔を見ない状態が続く中で、今度は更に追加の一発のやらかし発覚…。

そして当然の様に馘になりました。w

しかし、この手の犯罪を犯しても何故か医師免許というのは剥奪になりません。要するに告訴という形で訴訟に持ち込まれに様に金が動いているとみられ、和解金という形で訴訟への持ち込みを消し去っている可能性が高いのです。

それにしても最初に書いた少女の腹を刺して出血を見たいという異様な、狂った性衝動の為に犠牲になった女の子達の事を考えると、そもそもが無期懲役というのが間違いであって、最初から死刑にするのが最も正しい判断だったと思います。恐らく次に出される判決は死刑でしょうが!

この男に対してはアメリカの様に化学的去勢を行った上で、塀の中で最後の日を迎える日をカウントさせるのが最後の償いには最適かと。

あ、そう言えばこの元同僚、暫くしたらもう一回捕まったと風の噂で伝え聞きました。変態は治りません。日本では有名な宮崎勤の例もありますし。orz

2024年11月7日木曜日

ギンナンを食いすぎると・・・

バイトで週一回だけ訪問診療に行っています。

以前からその事実は時々ここでは書いていたんですが、毎回訪れるお宅の中の一軒でお婆さんが私の訪問を待ってくれていました。そこでは帰りしなにいきなり私に紙袋を渡してきて「先生、これ銀杏なんやけど皮剥いたばっかりやから少し臭いけど食べて~」との一言。

おお、と戸惑いつつも有り難く押し戴き家を辞しました。

仕事が終わって夜にアメリカ大統領選でのアノ結果を横目で視つつも100倍気になるのはこのギンナンの実のほう。私としてはこのギンナンの実をどうすれば美味く食えるのかという事が焦眉の急でした。w

そもそも私にとってギンナンの実というのは小学校低学年の頃に見た親父のギンナン狩りから始まる記憶です。農学部の隣に住んでいた私達。親父の仕事の休みの日に「ついて来るか?」と言われた私は農学部内に生えていた銀杏の大木の下に毎年撒き散らされるメスの銀杏の木の事は知っていたのですが、そこでギンナンの実を拾うという事に驚かされました。

そもそも、子供の私にはこんな臭いものが食べられるものだと知らないという前提がありましたので、大きな銀杏の木の枝にスルスルと登って行ってユサユサと木の大枝を揺らす度にドサドサと実が降ってきたのをせっせと集めているのが不思議な感じ。
しかも家に持って帰って猛烈な臭みを振りまく皮を剝いては捨てを繰り返し部屋が臭くて辟易した覚えがあります。

今回、好みを下さったお婆さんは「1分間レンジでチンしてくださいね」と仰っていたので、その言葉に従って作ったところ美味しいギンナンの実の完成。1個ずつ皮を剥きながら淡々と食べていたのですが、横に居た嫁さんが急に「食べすぎたらイカンらしい」との一言を呟いたのでした。ギョッとした私はその件に関して尋ねるとどうやら一気に20個以上は食べないほうが良いとの事。その時点で10個ほど既に食べていた私は何となく心因性の胃の痛みを感じたような気が…。w

そこで調べてみると、子供などでは6個くらいで腹痛などを起こすような子もいる等と書いてあったのですが、その理由は脳内の神経伝達物質の生成に重要な役割を担っているB6に対して、構造の似た4'-メトキシピリドキシンが恐らくホモログとしてビタミンB6の働きを阻害し、数時間のうちにビタミンB6欠乏症となって中毒症状としての嘔吐や痙攣、興奮等の神経症状を惹起すると考えられているとのこと。

まあ、何事も過ぎたるは…という事なんでしょうね。

ギンナン好きの親父に食べ方の件を確認する為に電話をしたところ「一遍に沢山は食べるなよ」と言った後、当時ギンナンを取った後の話を一くさりしてくれたのですが、当時皮を剥いて処理した後で誤って己のちんXを触ってしまったとの事で、その後「大変な事」になったそうです。w

電話口でその話を淡々と親父がしたのですが息子の私は大笑い。逆に「何でその話ムカシ俺にせんかった?」と聞いたところ「恥ずかしいやろが」と返してきました。

息子の私も間抜けですが、その親父は親父でまたアレな人です。orz

2024年11月6日水曜日

アメリカ大統領選…とか正直どうでも良いw

日本時間の昨夜から始まったアメリカ大統領選挙。

今迄の経過の中で最も最近のセンサスでは共に48%前後と聞いていた時点で、個人的には「あ、負けるわ」と思っておりました。なんか132年ぶり?とかいう1回負けて次の選挙で返り咲いた大統領になったらしいのですが、いろいろあるにせよあの程度の、あんな出鱈目な爺さんを論戦その他でもっとコテンパンに出来ないような選挙チームと論戦能力では所詮勝ち目は有りません。

邪悪というレベルのサイコですが、それにも負けたという事実は覆せません。時と場所を選んで右に左に迎合している様は「Unstable」という言葉が最も相応しかったと思います。まさに右往左往。女性だから、黒人だからサイコよりずっと若いからというだけではやはりダメだったという訳です。

という訳で、最初から判っているゲームがどんどん結果開票でそのパズルのピースが埋められていくのを見ただけという感じで、内心は何の心の動きも有りませんでした。面白かったのはBYDの株価の動き。

時間の経過とともにズコズコ下がっていく様は中国叩きと貿易障壁形成で悪名高いトランプの勝利をあっという間に市場が織り込んでいたという事です。投資家達にとって今日の中国売りくらい濡れ手で粟の株式空売り相場は無かった事でしょう。w

これからの4年間。またアノお爺さんが戻ってくるという漫画のようなアメリカが続くわけですが、恐らくは周りの人間ががんじがらめにこのサイコの自尊心をくすぐって操縦してくれる事でしょう。

America FIRST! AGAIN! lol

2024年11月5日火曜日

運動会:競争には晒す?それとも晒さない?

小学生の子持ちのお母さんから聞いた話でちょっと呆れてしまいました。

それは運動会の「かけっこ」のシステム。平成の頃から皆が差が付かないように手を繋いでゴールするというような所もあるという「競争」という概念を抜き取ったような何かをしているという話がある事は話としては有名でした。

しかし、私がここ数年近所の公立小学校で見かけた運動会はどう見てもただシンプルにごちゃ混ぜの集団を順不同で走らせている感じ。激速の子もいれば鈍足の子もいて、まあこれが私の知っている何時もの運動会でしたので、伝え聞いたタイプの運動会は必ずしも通常のものじゃないんだろうなと思っていました。まあ、伝聞は所詮伝聞です…というのがこれまでの私の認識。

と思っていたら…やっぱりこのお母さんの子供さんが行っている小学校のかけっこでは速さの同じような子達を層別に寄せての競争という話をしていたのでした。だから身近にも有ることは有るんだろうなという程度の話に認識を改めました。

小、中学校の頃は運動会のヒーロー=学校のヒーローでした。正直あんまり勉強は関係なし。学年リレーや全校リレーに出場して、後ろから一気に全員をゴボウ抜きにするような奴は超人扱いで、スーパー・ヒーローとしてヒーローの中でも別格扱いでした。

そういうのを見ていると、幼いながら十分に解る事が一つあります。それは「何かの分野において突出した天賦の才と言えるもの」を与えられた人物が存在するという事。しかし、それが悪い経験なのかというと長い目で見れば逆だと思うんですけどね。個人的には。

詰まるところ、だからこそ己はココではない別の何かで頑張るしかないという話。ベストでなくともベターな何かを探しながら前に進む旅。

しかもコレは大人になれば個人個人の種々の得意分野はあちらこちらに枝分かれしていくのが常で、そこにどういう磨きをかけていくかで人生のバリエーションが生じていくというものじゃないかなと。勿論、得手不得手なんてなかなか判るもんじゃないし、得手に帆揚げて等という状況で人生を謳歌できる人は極々僅かでしょう。それでもみんなえっちらおっちら頑張って生きているし。^^

しかし、話を運動会に戻せば運動会なんちゅうのはそもそも日本人が当たり前と思っているだけの季節の行事で、アメリカは勿論、その他の国もほぼ無くて旧日本軍が一時占領した国々に残っているくらいじゃないんでしょうか。そういう意味では運動会云々という事をあんまり大げさに考えなくてもいいんでしょうね。

とは言え運動会は例えの一つであって、子供達をどういう形であれ競争に晒さなくとも何れは強制的に人生という競争社会の中に自動的に押し出されていき、好むと好まざるとに関係なくその荒波の乗り切り方でいろいろと人生が変わっていく訳なんですが。

時計の針は止められず、結局は自分を取り巻く現実には何時かは向き合わなければならない子供達。大きくなる過程で耐えきれない時は家に引き籠るのでしょうか?私の子供時代には不登校の子供というのは知る限り前項に1人もいなかったもんですが、学校に行かない事情も今の時代とても複雑なんでしょうね。

2024年11月4日月曜日

iOS18の日本語変換オカシイよね?

ここ最近強いフラストレーションが溜まっているのがiPhone15で日本語を入力する際の仮名変換です。

どう考えても今回のiOS18にアップデートしてからは日本語入力の変換表示候補がメタメタ。今までの学習分は何となくは出て来ますが、余計な変換候補がズラリと出て来るし、殆ど「なんじゃこれ?」状態。

英語の予測変換は何時使っても常に猛烈に優秀やな~と思うんですけど、日本語入力に関しては出すべき感じの候補も、誤入力に対する変換予測も、文章の区切りに見合った正しい漢字やカタカナへの変換等の何れをとっても本当にダメダメが多いと思うんですが、このiOS18アップデート後は特にぶっ壊れた?というレベルで駄目だと思います。

これに対しては変換学習のリセットや日本語キーボードの削除と再インストールをすることで解決する「場合も有る」とのネット情報ですが、どうやら毎回それで全てが解決する訳でもないようで、結局は全面的なOSレベルでの改善しかないというのが最終的な回答の様です。

それにしても、昔から日本語OSの変換能力ってあんまり劇的に良くなっていないような気がするんですけどね…気の所為でしょうか?

逆に最近になって驚いているのはGoogle経由の音声変換の精度の異様な高さです。2000年ぐらいの頃はまだまだIBMとかでそういうシステムが結構な値段で別売りソフトという感じで売っていたんですが、まだまだポンコツという感じでとてもじゃないけど金は出せんよというレベル。

しかし!技術の進歩は凄いもんです。最近はかなりとんでもない難しさの文章を口述しても全くのリアルタイムでゴンゴン変換していくのでこっちが驚くのでした。太古のムカシを知るこちらにしてみれば「マジかよ…」という精度なのですが、今の人はこれが当然と思っているんでしょうね。時代は変わりました。orz

それにしてもアップルよ、いい加減日本語の変換システムを大改良してくれ!

2024年11月3日日曜日

ジブリ・パークじゃ無くてモリコロ・パーク

息子と嫁さんと私の三人でグリーン・ロード沿いの長距離歩行にチャレンジしました。

散歩というよりも最近肥えてきた私と油断するとこれまた直ぐに太る傾向を持つ長男、そして三人目は嫁さん。この方に関しては説明は省きますが、ちょっと聞いたところによると最近次女に藤が丘近辺のスポーツ・クラブの会員権をプレゼントしてもらったそうです。知りませんでしたが、それなら恐らくは私の知らないうちに体力はついて体型も保たれているのでしょう。きっと。知りませんが。

さて、出発は軽いブランチを食べてから。息子と私は首の周りに白いタオルを巻いて日焼けと汗の流れ止めとして使用。更にはお互いのバック・パックにそれぞれハイドロ・フラスクを麦茶で満タンにして出発しました。

凡そのターゲット時間は出発してから一時間半程度を目途にして出発。何時もは私一人で歩いてトヨタの八草まで歩いてまた戻ってくるというのがパターンなのですが、これだと片道だけでも二時間はかかるので、モリコロパーク迄なら一時間半というのがいつもの予定時間。

ところが、今回はてんかんを発症する事もある「運動とは通常縁の無い息子」が一緒に付いて行きますし、最近は運動をしていると呟く嫁さんの体力も未知数ですので、慎重に行くというのも大事。それなりのゆっくりスピードで出発しましたが、手を繋いで歩く息子もそれなりに元気でしたのでサクサク歩きながら短めの大休止を一回入れる等をしつつ水の補給やお菓子をちょこっとだけ食べさせる等の工夫をして息子のテンションが下がらないようにしながらモリコロ・パークに到着しました。(地元民はジブリ・パークとは決して呼びません!)

何時もは使わない公園西口から入っていきました。息子への御褒美でもあるモスバーガーのお店へと直行。ドーム・テントの下で三人でそれぞれが異なるハンバーガーのセットをゆっくりと食べました。ここには良く犬を連れてきて散歩をしていたのですが、その事を想いだした嫁さんが目を真っ赤にして泣いておりました。俺が死んでもこんなには泣きはしないだろうなという感じ。w

一息ついたところで嫁さんが知らない・・・と言った愛・地球博記念公園駅のほうへとわざと移動してその目に新しい姿を焼き付けて貰いました。

それからは直ぐに家へ戻る下りの道をサクサクと歩いて行きました。流石に戻り路は息子のテンションも下がり気味でしたが、軽く手を握ってラスト・スパート!幸いにも最近は疲れてもてんかん発作を起こす事無く頑張れている息子ですが、今日もしっかり往復三時間以上の歩行を頑張ってくれました。^^

帰り着いた息子は夜の床では流石に泥の様に寝ていたのが何とも微笑ましい光景でした。私はと言えばちょうど一キロの体重減でしたが、まあまた直ぐに戻る事でしょう。w
 

2024年11月2日土曜日

長女の趣味に付き合わされる

今日は昼から長女の趣味の為に運転手として動員されました。

長女の好きな古着、カメラ、フィギュアその他のアニメ関連のグッズ探索の為にブックオフ・バザールという結構巨大なブックオフに行きました。

名古屋にはブックオフのみならず中古の様々なものを売る店が大量に点在しています。知らない人にしてみれば「そこにそんなものがあったの?」という様な感じなんでしょうが、ググるのとは別に頭の中にあそこにあるのはこんなモノ、ここにあるのはあんなモノというラフなデータベースが存在しています。

服が中心でバッグや靴は余りないところ、服はそこまで沢山は無いけれど本やCDやカードは大量に置いているところ等、その展示物に個性があるという事でしょう。

ビレバンではそこに居る店長とそれぞれのコーナー担当者の裁量が全てで、それに合わせてモノを揃えていくと言いますが、こう云ったセコハンを揃える店というのもそういった裁量権が大きいのでしょうかね?一度話すチャンスがあったら話し込んででも知りたいものです。

高針の方の店に到着して娘と嫁さんとは別々に行動したのですが、二階のフロアが全てそのバザールでした。私達は到着して直ぐに三人ともバラけてそれぞれの気になる所へ散っていきました。

結局、私が落ち着いたのは長女の趣味の為に運転手として動員されました。

長女の好きな古着、カメラ、フィギュアその他のアニメ関連のグッズ探索の為にブックオフ・バザールという結構巨大なブックオフに行きました。

名古屋にはブックオフのみならず中古の様々なものを売る店が大量に点在しています。知らない人にしてみれば「そこにそんなものがあったの?」という様な感じなんでしょうが、ググるのとは別に頭の中にあそこにあるのはこんなモノ、ここにあるのはあんなモノというラフなデータベースが存在しています。

服が中心でバッグや靴は余りないところ、服はそこまで沢山は無いけれど本やCDやカードは大量に置いているところ等、その展示物に個性があるという事でしょう。

ビレバンではそこに居る店長とそれぞれのコーナー担当者の裁量が全てで、それに合わせてモノを揃えていくと言いますが、こう云ったセコハンを揃える店というのもそういった裁量権が大きいのでしょうかね?一度話すチャンスがあったら話し込んででも知りたいものです。

高針の方の店に到着して娘と嫁さんとは別々に行動したのですが、二階のフロアが全てそのバザールでした。私達は到着して直ぐに三人ともバラけてそれぞれの気になる所へ散っていきました。

結局、私が落ち着いたのは古書のコーナー。岩波文庫で「回想の明治維新」と「ラ・ロシュフーコー箴言集」の二冊を買い込んで後はする事も無く店内をウロウロ。私自身には何かを買おうという欲求は何もありませんし、店内に私の購買意欲をそそる様なモノは何も有りませんでしたので、時間だけが過ぎていく感じ。

暫くすると娘も品定めを全て終えた様でやっと帰る事になりました。言いませんでしたが疲れました。しかし良い本が手に入ってそこは満足。w

家に娘を降ろした後で今度はいつも病院でお世話になっていたお婆ちゃんの定期買い物への連れ出し。重い物や嵩張るものはお婆ちゃんにはとても無理なので、それを定期的に手伝う事にしていますが、取り敢えずはしのつく雨の中をカネスエというディスカウント・ストアに連れて行っての一時間弱のショッピングを終えて家へ送り届けて一日の仕事を終了させました。

2024年11月1日金曜日

比例代表制は衆議院の奴はかなりあかん

今回の解散総選挙の後で国民新党が何だかチヤホヤされています。

今回の選挙戦において国民新党というのは「非自民」というカテゴリーにおいてさえも私の視野の中には全く入って来ていない政党だったのですが、結果を見て気づいた時点でいつの間にか政局のキャスティング・ボードを握っているという状況になっていました。

まあ、こういう事もあるんでしょうが国民新党や大量得票をした事や立憲民主党の躍進も実際には「選挙にはいくけれども自民党は懲らしめる」という暫く前の日本で自民党がボロボロに負けた時と同じ現象だとしか思っていません。

恐らく、次の選挙までの間に政権運営という意味で実績を残せなければ再度弱小政党へと落ちていくだけでしょう。しかし、今回の選挙で少なくとも一つは良い事もありました。それは公明党が明確な退潮傾向を見せ始めた第一回の国政選挙になったという事でしょう。

別名「集票マシン」と言われ、コンスタントに800万票前後の集票力を誇ったこの池田犬作を頭と仰いだ新興宗教団体も、教祖の死と信者の高齢化と死去の進行に伴って年々歳々弱まっていると思われます。
Nikkeiより
30年ほど前には病院の中にまで「創価学会の人間」がやって来て、病床の判断力の無い人間の片手を取って期限前投票をしているのを見たことがありましたが、さすがに最近はそんな事はせんくなったなと思っていましたが、恐らくは人手不足なんでしょうね。

宗教二世問題の事もあり、親が学会員だからと言って子がそうならないパターンも自然に増えてきているでしょうし、犬作亡きあともう学会には…という人達も恐らく少しは居るでしょうから、新聞の購読者数と同じで確実に減ってくれる事でしょう。このミニ自民党と化していた集票マシンも力が無くなってきたら最後は共産党みたいに「居るけどただ五月蠅いだけ」の党になっちゃうのか、それとも消えていくPL教団の様になって社民党のように消えるのか?どっちかというと理想は後者ですが。w

しかし、今回の選挙結果を見て思ったのは比例代表制の悪いところばかり。少なくとも参議院のような非拘束式名簿にしないと、小選挙区で箸にも棒にもかからなかったような輩がその小選挙区で3位であったにもかかわらず、2位は落選、3位は当選で国会議員へなんていう事になります。どうしようもない輩、例えば今回は絶対敗戦と決まっていたずる賢い杉田水脈のような連中でさえもし安倍ちゃんが生きていて名簿順位が上なら通ってたわけです。(とは言え、来年の参議院選で戻ってこようという不穏な動きがありますので、当選絶対阻止の為にもこいつが出るならそれだけで再び自民党に入れませんが!)

批判票が「れいわ」のようなクズ集団に零れ落ちた事も痛いのですが、野田さんは信じても他の金魚の糞達には…と思っていた投票者達の受け皿が立民しかないというのもな…というのが大方の投票者達の本音でしょうね。

だから、本当は立民なんかに居てはいけない野田さんはそこが見えているからこそ、他の浮かれ当選者達とは異なり「笑っている場合ではない」という事実をしっかり認識できていたのでしょう。

野田さんって見識は有ってもそれを囲む人間の選択を間違っているんでアカンのですわな。