今でも記憶に残るのは神経解剖学。(全身の系統解剖とはまた別)脳を大脳・小脳・脊髄・そして末梢の神経支配へと筋道立てて繋げながら、どこがどう繋がっているという夜店の紐を引っ張ったらあの景品が取れる!みたいにしてストーリーを語っていくのです。
もう全くもって授業等には出席していなかった私の場合、他の出来の悪いいつもの麻雀仲間(主にラグビー部とボート部)とともにほぼ知識としては壊滅状態の状況で、その知識レベルは試験直前数日の詰め込み程度ではどうにもならないのです。なぜならば、組織切片を使った試問まであるため!
というわけで、一回目の試験はほぼ白紙。(私はラグビー部でしたが、他のボート部員もほぼ白紙)しかし、何とこの試験で800点満点をとった凄い人物が現れました。何故かこの人物一回留年していたボート部の人物で、同じ学年にもちろん他のボート部員もおりますので、満点の一つ上の先輩とほぼ白紙の私の同級生が同じ船に乗っている状態でした。w
最終的にはこの人物、4年後に見事「神経内科医」になるわけなんですが、このとき京都大学出身のこの神経内科のI教授曰く「僕も長く神経解剖を教えてるけど、実習も含めて満点だったのは彼が初めてだ!」とホクホク顔でした。
まあ、伝説誕生というわけでした。^^
「得手に帆揚げて」というのはこういうことなのでしょうが、問題はゼロ勉で試験に突入していったあとの我々ボンクラ組の再試の準備。試験の傾向と対策を練ってボンクラ組で集合。どうすれば最小限の手順で最大限の結果を出せるかということ「しか」考えない究極の怠け者共の集まりなので、幾つかの山をドドーンと張ってそこだけに集中。
最終的にはギリで抜け出せましたが、一発満点の先輩とは月とスッポンという情けない結果でした。もちろん神経内科医などを目指すのは最初から諦めて最低ライン突破だけで次の学年へと進んだのでした。
┐(´д`)┌ヤレヤレ 馬鹿すぎます。
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