2024年11月17日日曜日

靖国神社参りとか

朝ははよからベッドの下段の「顔の見えない誰か」がゴソゴソしていた所為で5時に一旦目が覚めてしまいました。

そもそも二段ベッドが金属製のフレームでしたので、ちょっとでも床から起き上がって朝の準備をするだけでキコキコ忙しないきしみ音が鳴るのでした。実際、下の「誰か」が去った後再び私は眠りに陥り次に目が覚めたのは8時ちょっと前でした。

私自身もそこで直ぐに起き上がりシャワーを浴びて今日の行動の準備です。ササッと荷物をまとめて一回へ下りました。トーストを焼いてバターを塗り、ブルーベリー・ジャムを乗っけてかじりつつ、淹れたての紅茶を飲みながら胃袋を満たしました。

直ぐにカード・キーを返却して本日の行動を開始。折角東京に出てきたのであればいろいろと東京の面白げな所を巡るのが私の愉しみです。今日は昨日から狙いを定めていた場所を数か所まわります。先ずは生まれて一度も行った事のないアノ靖国神社。

九段下を通り過ぎて靖国通りの歩道橋を渡るとあっと言う間に靖国神社の入り口。
超巨大な鳥居。
別の場所で見つけた説明書きを読むと理論上は1300年ほど立ち続けるとの事!( ゚Д゚)
ココが何時も中国に難癖をつけられる神社の入り口です。
境内にアプローチする途中で黒尽くめのスーツの男達が街宣車の周りに集まっていました。w まあ、そういう人達が居てもおかしくは無いですわな。しかし、それを見て英霊達はどう思われるのかという事をふと考えてしまいました。
さらに奥に進んで行くと境内がすぐそこに!
二礼二拍手一礼し、手短に参拝。何も考えず一言、心の中で「有難うございました!」と呟きました。そのあと遊就館に行こうと思ったところ…。
まさに「ガーン」でした。しかも今日から!
あああああ、と声にならない声を心の中であげながらも「ま、仕方ない」と諦めて次へ移動するなかで、靖国の中の御土産屋やさりげない展示物などをコソコソと見ていたらすぐ脇にあの有名な暁星中学・高等学校が脇にある事に気づきました。そこの入り口を通って次の場所へ移動。
ここは昨日知り合ったもう一人の人物に「ここは行く価値があります」と言われて来てみました。実際、中に入ってみると戦争で当然の様に発生する戦傷病者の様々な苦悩が「息遣いが聞こえてくれるレベルの現実」として展示されていました。偶々だったのですが、入り口の所にシベリア抑留者として生き残って帰ってきた方の息子さんが亡くなった親父さんの出征時の幟やゲートルその他の貴重な品々を資料館の方々に寄贈して目録を作っているところでした。

この方々に展示物の脇でいろいろと話を聞く機会があったのですが、この爺さんは日米の砲弾の到達距離や威力の差を開戦初期から熟知していて「これで勝てというのが無理。この戦争は負ける」と最初から家族の中では呟いていたんだそうです…。

一時間以上ここには居たのですが、改めて戦争というのは人間の幸せを完全に叩き壊す過程なのだという事を再確認した次第でした。水木しげるの展示物もあって、その中に「ヒットラーさん」という漫画があったのが印象に残りました。

ここを出て次に向かったのは目黒寄生虫館。昔から名前は知っていたところでしたが、ここは行かねば男が廃ると突撃。
そもそもここの設立者である「亀谷了」先生は私の母校の大先輩。寄生虫学の世界的権威で偉人中の偉人です。中に入ると私の大好きな世界が待っておりました。
これはある先生の記された寄生虫学の世界的に有名な古典の下書き原稿。
恐ろし舗殿加筆訂正が繰り返されています。
寄生虫の標本が山のように展示されていて、昔の寄生虫学の授業を思い出して懐かしくなってしまいました。ロマンがありますね~こういう世界は。^^ 寄生虫学はまだまだ研究する世界は山の様に残っているなと思いました。所謂ブルーオーシャン戦略が使える世界ですね~。

終わって外に出たら何だか縁日風に大量の屋台が出張っていました。何かと思えば酉の市との事。あとで調べてみると、目黒寄生虫館は大鳥神社というところの真隣に建っていました。今日は二の酉の日という事でしたが、下の写真の様にあちこちで買い物成立後に一本締で祝っていました。
ココから後は生まれて初めての東京バス体験。前から乗って後ろから降りるのですが、東京駅南口まで一直線です。慶応大学の前や白金台などという田舎者でも知っている場所を経由してSuicaで楽に移。。バスはバスで楽ちんですな。コレもアリかも。^^

東京駅ではラーメンでもと思っていたら、並んでいる人間が多すぎて急遽中止。コンビニに寄っておにぎり二個と豚まんとお茶を買って駅の外に出て一人飯を愉しみました。五時きっかりののぞみに乗って名古屋へ一直線。

家に帰り着いてホッとした私でした。今度東京行ったら何を観ようかな?

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