2026年1月30日金曜日

山本リンダのコンサート

昨日は次女と嫁さんが山本リンダのコンサートに行きました。
直近では名古屋と静岡であるようなことを嫁さんから聞いたのですが、名古屋では特別にマチャミが出てくるという話でした。

一体何でアメリカ帰りの次女が「我々の世代にとっては馴染み深い」アイドルの歌を知っているのか?という疑問なんですが、答えはまさに今どきの世界の流れそのもの。次女がいつも聞いているJ-POPのストリーミングで流れてきたノリの良い曲が、あの「どうにもとまらない」だったらしいのです。

そこからリンダちゃんの他の曲を聞いて、当然のように「狙い撃ち」とか「こまっちゃうな」等を更に知ったらしいいです。まあ、流れとしてはそうなりますよね。

その時にネットを調べたら上のようにたまたまリンダちゃんが名古屋にやってくるという情報を知ってこういう感じで今回母親とコンサートにいったらしいんですが、感じるものはそれぞれだったようです。

嫁さんにとっては「あの」伝説のアイドルが74歳になってもこんなに元気に歌い踊るということに感動し、次女にとっては物凄くいい歌をリズミカルに歌うおばさんという感じ。実際のコンサートでは結構な年配の人達が沢山来ていて、階段を降りる時に背が曲がっているような集団も通りかかったとは言っていましたが、リバイバルブームの中でまだまだホールに人をギッチリ入れるだけの人気があるというのは凄いですね。

最近色んな人のコンサートに親子で行っている娘達と嫁さんでした。

2026年1月29日木曜日

何でも引き受けるヤバい医者

内科や外科と違って精神科は加療の結果が微妙な世界でもあります。

数値や症状に結果が出てくる内科の世界、整復後の形態や機能、痛みのレベル、ADLの改善などで評価される外科系の世界とは違って患者さんの心や行動という数値ではなかなか表現できない世界で勝負する世界ですから実際はこれはこれで非常に高度な珍談と治療と技術が必要な世界です。

ところが、この世界は以前にも書いたんですが結構な割合で他の科からの「都落ち」みたいな人が居るんですね。他の科では使い物にならなかったから精神科医になったとか堂々という人もいれば、マイナー科にいたけどやっていけなくてこっちに来たとかいう人も少なからず。

要するに「最初から」という感じの医師が他の科に比べて圧倒的に?いや、少なくとも比較的には多い科だと思います。

そこで問題になるのは他の科で使えなかった御仁が「では精神科なら使いものになる」のかと言うこと。結論から言うと、他の科で十分使えていた人で他の研究室や科から退職後にやってきて認定医などをすぐに取れるような人達はやっぱり使える人達なんです。ところが、そうでない人達の多くはやはり皆様のご想像通り…というパターンが余りにも多すぎます。

そうでなければ良いのですが、現実は実際に冷徹でして、駄目な人はやっぱり転科してきてもやっぱりアレな人が多いのは残念ながら私の周りの日常です。

医療連携関連の部署から患者受け容れの依頼があった時でも「まともな医者」なら己が、ひいては自分の所属する部署がその患者さんを受け容れるだけの診断、治療能力や看護なども含めた人的余裕、施設的許容力などを総合的に判断して受容をきめるハズですが、それが出来ずに何でも言いなりに受け容れる愚かな人間が若干名存在するのが私のところの精神科。

まあ、これはどこの病院でも似たり寄ったりなのかもしれませんが、こういう御仁が居ると迷惑を被るのが他の同僚医師。結局、診断も加療も間違っていてどうにもならなくなって他の医師に泣きついては手放すの繰り返し。

要するに「出来もしない事」に手を出しては失敗するのに「学習できない・学ばない」という人なんですね。非常に簡潔に言うと「能力が低い」のですが、こういう人には話をしても理解出来ないし、話したところで曲解されて逆恨み何ていうパターンも充分想定できるので、君子危うきになんとかです。

内科医としてはこの人が受け持つ患者さんが私の診察対象にならないように何とかするばかり。万一内科的疾患で私の受け持ちになるような事がある時はきちんとこの手の医師からは引き剥がして、別の信頼の置ける精神科医の患者として必ず「付け替え」を行って自分を守るようにしております。

身近なところに危険はあるのです。orz

2026年1月28日水曜日

アメリカはもう俺の知っている国ではない

最近のICEによるアメリカの政府機関自身によるアメリカ人への暴力の導入と論理、倫理の破綻は本当にもう破滅的だなと見ていて暗然とした気持ちになります。

自分がアメリカに向かった1998年の頃は何もかもがチャランポランで、いろいろ頑張るんだけどあちこちに間抜けなところがあって、それでもお互いがなんとなく親切な助け合いをして生きていく。そんな世界でした。

当然のように家の周りには仕事をしている英語を話せないヒスパニックが沢山いて、それ以外にも東南アジアの各国から来たのであろう人間達もソロゾロ。正規入国か違法入国なのかも全くわかりませんが、家の車庫前のアスファルト舗装に来たヒスパニックは「領収書を出せない仕事」で何とかキャッシュで乗り切ろうとしましたし、家の屋根を張り替えてくれた陽気なアジア人たちとヒスパニックはまさに下請けの下請けみたいな感じでどこから集められてきたんだろう?と思いつつもいい仕事を格安でしてくれました。

しかし、今のアメリカでは非白人で肌の色の違う人間はICEによるチェックアップの対象としてratial profilingのもとにアメリカ人自身も追い詰めるようなヤバい組織が各州で蠢いては暴力行為を繰り返しています。今のこいつらがやっているのはやっている事はトランプの尖兵としての悪の代行者。ビデオを視ても権力者側のただの犯罪にしか見えません。どこのギャングでしょう?

トップが馬鹿で詭弁に満ちた自信満々の天性の嘘つきだと本当に国家はここまで堕落崩壊するのかという驚きで私自身も空いた口が塞がりません。大国が滅ぶ端緒というのはこういう愚かな皇帝の出現がローマ帝国の如くその途中経過にあるのかなと思います。

俺の知っているアメリカ、俺のいた頃の間抜けだけど全世界の人間と才能が寄り集まって所帯を形成したアメリカは今まさに馬鹿を絵に描いたような偽物の自称エリートに食い荒らされてボロボロの様です。

アメリカらしく、きちんとした揺り戻しが発生することを切に望んでいます。それまではアメリカに行きたいとは思いません。日本の西にある赤い面積の広い国と中身が変わらんのではないかと思う日々です。

2026年1月27日火曜日

納税の季節

確定申告を行う季節となってきました。

税理士さんから何時ものようにこの時期になると「準備すべきもの」「制度の変更点」などのポイントが纏められたメールが送ってきます。

実際にメインの病院やバイト先の病院などからは一年間の収支決算を示す所得証明書が送られてきています。じっと眺めていると「オー、税金沢山払ったな〜」という感慨一入。頑張って仕事をしたなと言う感じが一枚の紙から伝わってきます。

去年からは嫁さんも頑張って仕事を始めて小銭を稼いでは自分の楽しみに使うようになったので、社会との関わりも増えて何よりです。職場のおばちゃん同士の交流もかなり増えたみたいで、漫画を貸してもらったり、美味しいお菓子やお店を紹介してもらったりしているようです。^^

私は毎年書いているんですが、一切の間違いがないように、一切の責任を私が取らなくて良いようにカッチリとプロの方にファイリングして頂くというのを信条にしています。ネットで済ませる事も当然できるのですが、申請において「取り零しが無い」というポイントこそが私にとって枕を高くして眠れる安心のもとですので、そこは2-3万払う価値があると思います。

やることは決まっているし、大して複雑でもないのですが税理士さんの認証を得るという行為こそが全て。放射線の読影において内科医師のみならず必ず最終的に放射線科の医師によって「確かにそうだ!」と認証してもらうとともに読み落としがないのかというポイントを探してもらい、取り零しなく読み尽くすことと同じだと思っています。

「おそらくは大丈夫」でも、念の為といいましょうか。w

どちらの仕事も確実にフルにAIがやってくれる時代に既になってしまいましたが、専門家による最終確認は絶対大事と思う私でした。

2026年1月26日月曜日

マックブックのバッテリー交換

マックブックのバッテリー届きました。

外の修理店に頼んだら最大45000円前後というナニがナンダカ解らないような値段でしたので、最初から選択肢から外しました。

というわけで、型番を慎重に調べてアマゾンで調べるとほぼ1万円!全然値段が違います。要するに自分でリスクを取って淡々と修理をやるだけで3万円以上もセーブできるわけです。そりゃ、こっちを選びます!これ一択という感じ。オーダーして2日めには来ました。
上の写真に映っているのが全部セットになっていて、バッテリーは本当に極薄。実際にYouTubeにインストラクションが全てビデオとして載っていますので、何も悩むことは無い「ハズ」です。

実際にそのインストラクションを視てみると、英語でずっと説明してて注意点などを淡々と説明しておりまして、これならできるなという根拠のない感触を得ました。そこで、教示通りに作業を始めると、ちょっとだけ?というポイントが有りましたが、よく見ると「ああなるほどネ」という感じで理解できました。

その中で一番大変だったのはバッテリーをマック本体から剥がした後に本体内部に残った接着部のゴミをアルコールとともにゴシゴシと剥がし取る作業でしたが、これも淡々とやればネトフリなんかを視ながら無意識で終わってしまうような作業。

そして新バッテリーを裏蓋に貼り付けてインストール。一番気を使うコネクタ部をゆっくりと滑り込ませて接続。ここさえ間違えなければ絶対成功するはずと信じてサクッと挿入させました。最後にマックブック本体を裏返して慎重に螺子をはめ込んで終了。
さて、この後の「火入れ式」でショートでもすれば終わりですし、うんともすんとも言わなければそれはそれでショックですが、どうなるか…。

恐る恐るスイッチをオンにしてみると…何も反応がありません。orz

とりあえず一息ついて10分ほど充電進行の時間を待ってもう一度スイッチを入れてみると…見事にスイッチが入りました。そこで、バッテリーのチャージ率を調べてみると70%前後。更に、このバッテリーは1時間半程度で満タンになるという表示が出ていました。ナンカちょい思ったより時間かかるなと思いながら、そのまま待っているとそれよりもずっと早く満タンになりました。

そうです。最終的にインストールは大成功でした。^^    

インストールも成功しましたし、インストールの作業自身も愉しめました。おまけとしてお金もセーブできましたしね!めでたしめでたし。

2026年1月25日日曜日

地上の楽園と朝日新聞

ネットを見ていたら北に8800万円の返還命令などという興味深いタイトルの記事がありました。

在日朝鮮人の北朝鮮への「帰還事業」(1959年開始の!)について、当時の日本の新聞、とくに朝日新聞を中心とした報道姿勢や社説・見出しに「地上の楽園」と銘打って、戦争終了後も日本に住んでいたいわゆる在日の人々を地獄へ送り続けた事件を裁判所が北朝鮮に対して断罪したものです。そもそも、国家の犯罪に対する裁判権が一地方裁判所にあるのかと言う疑問は別として帰還事業の闇は決して忘れてはいけません。

朝日新聞をはじめとする一部の新聞・メディアは、帰還事業を人道的事業とか希望ある移住として好意的に報道したと、明確に後年の研究や検証で指摘されていますが、あのアカヒ新聞は
・北朝鮮を社会主義国家の「理想郷」として描写
・労働・医療・教育が保障される国家であるというイメージ強調
・帰還事業を在日朝鮮人にとっての素晴らしい選択肢として後押し
・「地上の楽園」「希望の移住」「社会主義の理想郷へ帰る」といった表現を使用し続け彼の独裁国家に対する誤ったイメージを撒き散らしました。

これらは、帰還を肯定的・中立的に描き、北朝鮮側の宣伝内容を十分に検証しないまま紹介・礼賛していたと後に批判されているのですが、勿論連中の反省は無しです。

帰国船は1959年12月14日に第一便が出港し、最終的には約9万3千人が帰還事業で北朝鮮に渡りました。途中から明らかになっていった北朝鮮での「宣伝とは異なる」厳しい生活実態がすでに存在したにも拘らず礼賛記事をやめなかった犯罪的記事垂れ流しの事実と責任がアカヒにはあります。

斯様に北朝鮮側のプロパガンダ垂れ流しの役割を果たした重い責任があるのですが、奴らアカヒは勿論そんなことを認めようとはしません。結局、戦前の過ちを繰り返さない〜とか言いながら、やっていることは右が左に付け代わっただけで、やっぱり何の反省もないただのインチキ・スピーカーなのです。
まさに大政翼賛!
帰還事業の途中からすでに脱北者の証言や帰還事業の現実を見た連中からは以下のような秘密の、そして決死の文章や証言が漏れてきていたにも拘らずアカヒは目を瞑って北朝鮮礼賛を続けたのでした。連中の学習能力の低さは折り紙つきですね。
学校の多くでは日教組の職員が授業中に率先して北の礼賛をしていたという「ごく普通の生徒達の証言」も整っています。
万死に値するのはそもそも北朝鮮自身ですが、その片棒を担いだクソ野郎達は高級を食みながらインチキ記事をずっと流し続けて人の命を奪っていったのです。まさにスーツを着た人殺しであって、ゲッベルスと同じ役割を果たしているというとんでもなさ。

そんな連中の書いてる新聞など無くなって正解です。w

2026年1月24日土曜日

修理して使い続ける

これは考え方の違いそのものだと思うんですけど、世間の皆さんにアンケートを取ってみたらどういう答えが返ってくることが多いのだろうと考えることがあります。

それはモノが壊れた時にそれをどうするかという質問。私は可能な限り修理して使い続ける方に一票を投じるんですが、それは身近なものである電気製品から車まで全てに共通しています。

尤も、一番の理由は「金が勿体ないから」更に有り体に言うと「僅かな投資で以前の機能が戻ってくるなら」特に「手作業という愉しみ」を通じて仕組みを理解しながら一度バラけさせたメカをもう一度壊れた部位を推理、特定しながら追い詰めて行くことはそれ自体がパズルを解くようなもので物凄く楽しく感じるのですが、嫁さんはそうではないようです。w

頭の中でぶっ壊れた理由、そして修理に必要なものはナニ?と考えた後で部品を注文し「まずは一回やってみよう!」もしその部品が動かなくなった理由でなくとも、その他の本当の壊れた理由になっている部品を替えるついでに経年劣化の逓減、将来の故障に対する予防的措置という意味でそれ以外も一緒に置き換えておくという考え方で修理していきます。

こいう行ったやり方でアメリカにいた頃から掃除機、乾燥機、洗濯機、車、PCその他諸々のマシン類を修理してきました。

先日のようにPCに液体ぶっかけでやらかしてしまう事も当然あって、モジュール交換で部品がない時などは諦めることも考えたりしないといけないのでしょうが、少なくともこの1月は鏡、マックのバッテリーの置き換え、壁掛け時計の駆動部の交換、車のLED交換などは自分でやっていく予定です。

さっさと買い替えたほうが新機能が手に入ってええやんか!というのももちろん正しい考え方の一つなんでしょうが、例えば車においてその新型の新装備が飛び抜けて安全性のレベルを一段上の高みに引き上げてくれる、なんていうのなら購入はアリだと思いますがそれほどのないものは可能な限り修理し続けたいと思うのです。まあ、それは人の体も同じなのかもしれません。将来的には新規臓器への置き換えなんていうのが意外と普通(多分、高度医療で手に入るレベル)の医療になるのかもしれませんが。

古く使い込んでいったものというのはナンカ「味」が出てきませんか?そういう意味で使い込めば使い込むほど黒光りしてくる革製品などが好きなんですけどね。

とにかく使えるもんは部品が手に入る限り修理して使い続けようと思います。(そういう意味で、部品全体の巨大モジュール化というのは修理欲求の強い人間の敵ですな。部品交換自体が新品を買ったときより高くなるみたいな奴。w)

部品全体が古びてきているおじさんの独り言でした。

2026年1月23日金曜日

やらかした〜

今日昼飯を食べようとして以前やらかしたミスを再び犯してしまいました。

今回繰り返されたミスはPCの上に飲み物をこぼしてしまうというものでした。実際にはこぼしたのはブルーベリー・ヨーグルトでして、トレイに乗っけてソロソロと机に置こうとした瞬間だったのですが、ちょっと気を抜いたその一瞬に液体のヨーグルトを入れた背の高めのコップがPCの方に向かって倒れていきました。orz

スローモーションのようにその瞬間は目に焼きついたそのシーン。PCの左端の端子側にかかってしまったのです。かかった部分は端子側だけなのですが、確実に端子の中にそのヨーグルトが見えていました。おまけに底面の方にも少しだけではありましたが、即座に掬い上げたにも関わらず入っていきました。

「あーーーーーー」という感じで、声にならない声を出していたのですが、手の方はなんとしても液体がPCの本体の方に入って行かないようにPCを左に傾けてティッシュを充てがっていました。

優しくトントンとPCをティッシュに充てながら叩いたのですが、粘性の高いヨーグルト飲料のようなものはクリーンに全てが出てくれるわけではありません。こぼした時にはPCはスリープモードだったのですが、蓋を開けてみたところスイッチは入る気配はなくウンともスンとも言いませんでした。

ここで、思い出したのは以前ワインをぶっかけてダメにしてしまったマックブック。また、あの時の再現ということでしょうか。一旦、裏蓋を開けて中身を見てみましたが一切濡れた部分は残っていませんでした。ここでは綿棒で端子をクリーンにして一旦全てを諦めて終了。

一週間ほど放置して再度スイッチを入れてみようかと思っています。それにしても…。俺ときたら、ほんまにアホの極みですな。orz

という訳で、この文章は嫁さんが使わなくなった10年前のマックブック(インテル・バージョン)で書いています。マックに触るのは本当に超久しぶりなので、ちょっとしたことをするにも「あれ?どうやったっけ」ということの繰り返しの10分間でしたが、一時間ほどかけてありとあらゆるところを改変して嫁さんの設定から私専用の設定に変えました。

それにしても、どうしましょうかね。PCがこのまま死んでいたら、どうするかということですが、多くのファイルや作業はクラウド上に存在しているので特に問題はないし、多くの作業はブラウザ上で完了する時代なので多くの問題はないのですが、勿体無いことは勿体無い。

安くで手に入れることのできた極薄の15インチPCでしたが、なんだかな。

とりあえず、死んでしまっているマックブックのバッテリーを交換するために今日早速Amazonでバッテリーの手作業での交換キットを注文しました。ハー。


2026年1月22日木曜日

もう少し言葉を覚えないとネ!^^

外国で生きていくのならやっぱり言葉は大事!

病院で働く男女のヘルパーさんや看護師さん達を見ていると、仕事への親和性は語学の習得能力とかなり強い相関があるように思えます。やはり、同じ作業能力があっても「言葉」を使ったコミュニケーションがその質を左右しますので、言葉の習得能力の差は比較的そのまま作業のアウトプットの差となります。

言葉が上手に話せないうちはどうしても受動的な仕事内容になりますが、仕事をする仲間同士、患者さんとのコミュニケーション等が出来るようになってくると明らかに仕事の速度と質が上がってきて、指導を受ける回数がみるみる減ってきますね。

師長さんの中には結構有能な外国人指導者という人がいて昨日の出来事を「日本語の日記」として書かせ、それを翌日に添削して返却、また書かせて添削して返却という行為を繰り返していくことで驚くほどの速度で日本語を習得していく一群の女の子達がいました。見た感じやはり男の子とは言葉の習得速度がちょっと違う感じで、自分から話をしない、集まりがちな女の子達と交わらないという感じで日々を過ごしていることが多い男性の場合「どうしても」言葉の習得に関しては差がつきがちです。

言葉なんていうのは使ってナンボという類の道具ですから、喋らなければ、書かなければ、読まなければ進歩は望めません。恥かくことを恥ずかしいと感じているうちは伸びはまだまだ、所詮外国語なんていうのはその相手のために「喋ってあげる」くらいの感じで始めれば良いのです。

上手くなって、言葉で金を稼ぐ!というレベルになりたいのだったらそれから先の差rないレベルの高い授業や練習を目指せば良い話。

私、本当に思うんですけど、日本に来る技能習得生の皆様には早期からもっと真面目に日本語教育や日本語テストを積極的に行ってあげて、日本を支える人材に育てることが大事だと思うんですけど、如何なもんでしょうかね?彼らは若い!きっと言葉もすぐに覚えてくれると思うんです。

2026年1月21日水曜日

死のリスクを冒すべからず

病院で仕事をしている時、通常は内外の患者さん方を診る事になります。

ところが、それが100%ではありません。そうなんですね、体調不良という事で数日来無理をして仕事をしていた看護師さんからコンサルを受けて診察したり、上室性頻拍で緊急コールをして内科外来に駆け込んでくる人が居たり、緊急性高血圧症で病棟師長から間接的に緊急コールが入ってきたり。

勿論、酷い腰痛をおして仕事を続けてますます悪化させるような人も居れば、熱があるのに仕事場に来てコロナやインフルなどの感染症である事が発覚して怒られながら帰っていく人たちまで居ます。orz

上に書いた様な人だけでなく、実際は肺炎が重篤化している状態が見つかりそのまま入院になったり、喘息の重度の重積状態で病棟からほうほうの体で緊急の診察に来たり、血圧も高いし何だか具合が悪いから~とやって来て診察をしてみたら重度の大動脈解離で慌てて大学病院に緊急搬送したり等と言う事例も今までにはありました。

私は、医療の現場で多くの方々が自分を犠牲にしてまで仕事をして下さるのを「以前は」凄いなと思っていたのですが、今はそう思いません。ギリギリでしか現場が回らない程忙しいのに、人が足らず、自分達の時間や体を犠牲にして居る現場というのをいやというほど毎日見ています。

そんな中で命を削ってまでなんで仕事を続ける?という話。自己犠牲の果てに大切な医療スタッフの命が削られていったり、人が辞めたりするようでは組織は持ちません。勤労が評価れない組織は消えるべきです。

しかし、それでもこういう疲労感漂う医療の現場は働き過ぎの上に毎年赤字が続いているのが日本の多くの病院の現実で有る事は皆さん多くの方々が理解していません。世の中はここ数年でいろいろな製品が円の価値の棄損で10-20%どころではない異様な物価の上昇を繰り返しているのに、医療現場では1%とか3%とかの微増で「勝ち取った」等と愚かな日本医師会からの発表があるばかり。

厚労省や財務省は医療には金を使いたくありませんので、ありとあらゆる難癖をつけて医療費削減に奔走していますが、これからも淡々と病院の大型、小型の倒産は増え続ける事でしょう。

何度も繰り返しますが、これからの日本は医療費に金を使わなかったツケを払う時期に入っていきます。近所には適切に疾患を見てくれる適切な科の医師が居なくなり、前はあそこに病院があったのにねという昔話をする事になるでしょう。

良く勘違いされていますが、医療費を底上げしているのは医師の給料などでは全くありません。寧ろ医師の給料はここ数十年ほぼ上がっていません。(私の知る限りここ30年は!対物価上昇で見ると寧ろ大幅な減額です。)そして今からは医師の給料も下がっていきます。

医療には金がかかります。世界最高の医療制度を維持できなくなる日。それはもう皆さんの目の前に姿を見せ始めてかなり近くまで来ています。暫し待ちましょう、その日の到来を。

2026年1月20日火曜日

Notionというアプリ

ネットで便利そうなアプリを探していた時にNotionというアプリを見つけました。

どうやら作られてから10年くらいしか経っていないこのアメリカ発のソフトは物凄い支持を受けていて、各国で採用されると共に日本の一流企業と言われるところでも最近あちこちで大量導入され始めている模様。

一体どんなアプリなんだろうかとYouTube等で見てみると何だかいろいろな事がいろいろとできる、というか出来過ぎて余りにも多機能なものの様です。

基本的に私は何とかしてiPhoneに入れているアプリ群の数を減らしていきたいというのが第一の目的。しかも、そのアプリの中で出来る事が簡単に作製できるもので得あれば尚良し!という感じでアプリ探しをしていたところに登場したのがこのNotion。

見れば見る程「おお、これは凄い!」という感じ。ただし、アプリ制作なんていう所に行く前に既に存在している既存の便利な作成済みの構成物を使って要らないソフトを捨てていって、なるべく全ての作業を少ないアプリ数で済ませたいと考えている所です。

少なくとも個人で使う範囲ではこのプリは全て無料というのが凄い。

私は昔から「優れたソフトウェアは鉛筆と消しゴムに近づく」と考える人で、特別な事を覚えなくともかなりの事はマニュアル無しで出来る様なものでなければならない、という考えです。勿論、紙も鉛筆も消しゴムも使い方次第で絵も描けるし、使う人次第で恐ろしく高度な数式が流れ出てくることにもなるんですが、基本的な使い方は使っているうちに解るというものが理想だという考え。

子供に鉛筆を持たせてあげれば字を知っている子は当然字を書き出すし、絵を描ける子は何も言わなくとも絵を描いていく。

そのうち紙を綴じて本を作る子も出て来るでしょうが、それは単にアイディアの延長線上に自然と発想できるようなもの。そういうアプリが理想と思っていましたので、このNotionがどれほどのことが出来るのか上に書いた様な使い方が出来るのか、使いまわしてどんなことが出来るのか一か月ほど頑張ってみようと思います。

2026年1月19日月曜日

昭和の男が高齢者になると…

病院に入院して来た患者さん達には本当にいろいろな人達が居ます。

驚くほど凄い技能を持っていた人、ホームレス、DV被害者、離婚した後子供達も含めて誰とも無縁になってしまった人、ヤクザ、犯罪者、認知症になっちゃった高齢者の方々等々と書いたところでこの「等々」と列記した程度のバリエーションはその等々のほんの入り口。

しかし、こと性別と年齢に関しては「ある一定の傾向」を持つ集団が見受けられます。それは昭和生まれの男性陣で生まれが昭和30年程度の人々。まあ、年齢で言えば70+の方々でしょうか。(あと10年下に年代が下ると私までが入ってきてしまいますが!)

この年代の男性陣、私は時折昭和の勘違いクソ男世代と呼んでいるのですが、既に死滅しかけているその上の90代の男性陣達は別として今の70代半ばから80代の男性陣の一部にはカッとなった時に女性看護師を見下したような発言をする輩が混ざっている事がままありますね。

勿論、統計を取った事は無いんですけど、そういう「傾向」は明確にその世代の人間には看て取れまして、カッとなった時に暴言を吐く時など「このアマ」等と言う今時、映画でしか聞かないような脅し文句を使ってきたりします。

これに対して若い看護師さん達の中には怯んだりする子も当然いるのですが、ベテランの看護師さん達の多くは然(さ)に非ず!w

平然とした顔で「だめよ~、そんな言い方したら~。怖がる子がいるでしょ~」と言って諭すようにその爺さん達を諫めます。その上で未だ爺さんが「うるせ~、言うこと聞け!聞かんかったら出ていくぞ!ゴルァ~」とかいうと、「はい、良いですよ~。どうぞどうぞ、出ていかれても困るのは私達では無くてXXさんですよ~」という感じでカキーンとマシンを捉えてヒットを返します。

その後で、寄って集って年配の看護師さん達が患者さんの周りに集合して来るとワイのワイのと患者さんにあれこれ注意をし始め、最後はお爺さんがたじたじになって言いくるめられて終了。私の方では常に「暴力をふるう患者は認知症の易怒性の発露でない限りは内科病棟では即アウト、暴言も一回説諭して収束しない様であればキックで問題ないです」という指示を出してありますので、前述の看護師さんのような対応が取れる訳です。

まあ、稀に患者さんのそういう発言シーンに私が立ち会うチャンスもありますが、その様な時にはほぼ100%収束させる自信があります。通常こういう「女性蔑視系」の爺さん達は女医や女性看護師に対しては勘違い上から目線で言葉で襲い掛かっても、男性且つオッサンである私には何も出来ないという人が殆ど。

私の方で物理的に距離を詰めて淡々と例え話をしながら短期で行動を起こすとどういう事後が待っているのかを多角的に解りやすい事例を挙げて説明するとしゅ~んとなってしまいます。

やっぱり時代の教育なんでしょうね「女性蔑視」というのは。

今の時代、そんな思考回路を持っているとそのような考え方を持つ人間自体が少数派になってきている状態では自分自身を窮地に追い込むだけの話です。爺さん達を余り不利にしないように軟着陸させるのにはそれなりの技芸が必要というお話でした。

2026年1月18日日曜日

トランプのアホさに苦笑い

「自分が見えていない」というのはこういう人を指すんだなと良く解る、グリーンランドを巡る耳を疑う様な発言が続く最近のトランプ。

以前にも増して漫画レベルでその愚かさが目立つようになってきました。戦争を8つも止めたのにノルウェイは俺にノーベル平和賞を授与しないとか、もう本当に病気。そしてもっと悪いのはこの心と頭が病気のお爺さんを誰も周りが止めない事。

普通は「システム」としてのサポート役達の筈ですが、現実にはこの病気のお爺さんを利用しようとする連中ばかりですから質が悪い事この上なしという感じ。本当に連中は同じ穴の狢ですわ。

こういう連中はそのキャリアの上昇中に入り口から結構な確率でトンデモ・システムを使います。所謂有名大学のレガシー・システムという奴。親がその大学の卒業生だとクレジットがデカくついて能力が無くとも有利な下駄を履かせられ大学に入れるのです。ブッシュもクリントンの娘もケネディ一族もトランプも例に違わず。

勿論、数多い一族の中には比較的大学の実力に近いレベルの人間も混じって入るのでしょうが、上に書いた人間達の若い頃の色々な醜聞や伝聞を海外のネットで見ると、本当にいろいろとその「愚か」なスキャンダルがザクザクレベルで出て来ます。

まあ、結果としての彼らを見れば「アア、やっぱりね…」というのは良く判るんですが、恥を知らない連中というのはとても強いですよ。最強。

金を持ってる連中がつるんで互いに利益供与を繰り返しサークルを作る。そしてその連中が国家の中心に居座って金とコネの力でやりたい放題。そしてそれがファミリー・ビジネスとして何代も続くという世界。別にアメリカだけの話ではなく全世界で似たような話ばかり。どこかの国でも同じですよね。世襲世襲の繰り返しで、どこかの私立大学に金を使って教育して脳味噌が足りなくとも下駄を履かせて押し込む。

本人の資質なんて関係なし。成〇大学、成〇大学、K応大学の一部の学部とか脳力は無いけど金は有るでよ~とかいう御子息、御息女様達達がわんさか入って来られてますよね?w

某衛大臣とか、元総理大臣とかも含めそんなのがうじゃうじゃ。日本のみならず、世界に閉塞感が漂うのはそう言った事の連鎖が国家の発展の延長線上にドッカリ蓋をしているのが皆感覚的に判っているからなんでしょうね。

次の直近の選挙。そういう視点で世襲の馬鹿達には入れないというのもアリなのかもしれません。

2026年1月17日土曜日

親をどうする?

今回、弟が急に亡くなって哀しみに沈んだ我が家でしたが、実は話はここで終わりません。

勿論、弟亡き後の書類上の種々の整理を親父が開始して口座などの残金整理なども行い始めている訳ですが、それらの整理は僅かな時間経過の後には自ずと終了してしまう事です。弟自身に何らかの資産がある訳でも無く、いわば本をパタンと閉じるように「書類上」の人生は幕を下ろす事になるでしょう。

長女が我が家の家族向けに弟を中心に写された写真を使って何らかのメモリアル・ブックレットを作成しているようですので、その意味では物理的なメモリーとしては家族内で共有されるものは逆に増えるのですが…。

さて、終わらないものは何かと云うと我々遺された「生きていかなければならない」人達の人生。親父達二人は現在ともに寅年の87歳で、今年中に米寿になるような高齢者です。実は以前から先ず母親に「名古屋の方に住むところを準備したら来るかい?」という質問をそれとなく投げかけた事があるんですが、母親の答えはシンプルに「ノー」でした。

親戚や友人達が居るところ、自分の記憶が詰まっている所で余生を過ごしたいというのがありありとわかるような状況で、その様な反応が返ってきたのですが、当時はまだ今から10年以上前の事で、実際に母親の兄弟はまだ生きている人間が殆どという状況でした。ところが、それから十年経つ間にまさに櫛の歯が抜け落ちるように高齢の親族は癌や事故、その他の疾病で逝去していきました。

今遺されているのは母の妹と弟のみ。しかし母親の記憶の中ではまだまだ姉や他の親族も「生きている」事になっている様で、認知症のある母が時に「最近XXが家に来んけどどうしたっちゃろかい?」等と惚けた事を言って親父を苦笑いさせたりしているようです。

という訳で母は移動したくない派だったのですが、車いす暮らしになって認知も進んでくるとどこに住んでもあんまり変わらんのじゃ無いかなという気がしてきています。

親父の方はというと同じ質問に対して「俺はどこでもいいよ、来月からでも名古屋に住める」等と言うような腰の軽さを見せつけます。しかし、同僚の先生ともちょっと話したのですが、家で「する事がある」親父を無理に宮崎の家から名古屋に連れてきて「老人の家」に住まわせて暇させると却って認知症なんかが出て来るんじゃないか?というような予想も出て来ますので、それもむべなるかなという話。

何れにしても危なっかしくてとても宮崎の住み慣れた施設から動かす事の出来なかった弟が亡くなってしまった今、いくつかの選択肢が新たに許される状態で残ったまま宙ぶらりんとなっているのが一週間経った我が家の姿です。

嫁さんとも話したのですが、風呂場で孤独死したりしないような状況などを作りたければやはり施設かな~等とも考えるのですが、意外と一筋縄ではいかないものですね。ここ暫くはもう少し考えないといけない状況です。

2026年1月16日金曜日

宮崎を離れる日

木曜は朝の7時45分の飛行機で名古屋に帰ることになっていましたので、朝は早めに起きて準備をしました。

すっかり部屋を片付け、弟の遺影となった写真に向かってお鈴を鳴らし暫しの別れの挨拶。6時少し過ぎには家を出て少しだけ冷えている未だ薄暗い朝の中で親父と短い挨拶を交わしましたが、親父は少し涙ぐみながらも明るく気丈に振る舞ってくれました。

暫くは弟の種々の手続きの事で気が紛れるはずです。実際、宮崎は田舎なのに地方都市としては異例なほど「死後の諸々」に関する種々の手続きは窓口が一本化されているようで、ありとあらゆる事が役所の窓口で済むように設計されているとのことで安心しました。あの書類でこっちの課へ、この書類でこちらの部署へ等ということが無いそうです。きっと決断力とスマートさを持った人物が意を決して制度設計をしてくださったのでしょう。役所でも出来る人は出来るのです。

さて、親父と別れてから暗闇の中を飛行場に向かって走ること20分弱で飛行場に到着。しおさいレンタカーの愛想の良い素敵なお姉さんに車を返し、いろいろと骨を折ってくださったことを感謝しました。

ブーゲンビリア空港という名のついた可愛い飛行場では暫し時間を使って名古屋へ持って帰るお土産選びを愉しみました。マンゴー関連の商品が多彩、漬物や牛肉関連の食べ物も豊富、そして何よりも多いのは信じられない種類の焼酎関連の品揃え。流石は芋焼酎の本場です!

飛行機に乗るとやはり乗り物好きの息子は顔が満面の笑み状態。実は息子は顔が弟と瓜二つであたかも傍らに弟が生きて座っているような感覚を覚えるのでした。そう言えば、弟は車に乗っていた時はいつも嬉しそうに外をじっと見ていたな~。

名古屋に着いてからは家まであっという間でしたが、やはり我が家は落ち着きますね。実家とは違う勝手の良さというのでしょうか。  

家に帰り着いて座って今回一番思ったことは実は葬儀に関与してくれた長女のことでした。遠く離れて自分の見えないところで大学生として育ち、自分で仕事を選んで、自分でアートの仕事へとスピンアウトしながらも生活費は自分で大きく稼いでいる長女の成長。

親の自分がこういうことを言うのも実際変変なのですが、他人として見ても実にいろいろな事を手早くスマートにフィニッシュさせるその能力ともう一つ存在する創造性に「俺の子じゃないな」という感想を持ったことでした。

正直、俺の生物学的役割は「患者さんを助けることに集中して良い」という事を確認した5日間になったと思いました。もう、子供のことは子供に任せよう、嫁さんの老後も俺が死んだあとのことも心配は要らん…と思った2026年の年頭所感でした。

2026年1月15日木曜日

葬式を終えて

朝起きると昨日と違うのは弟の躰がこの世から無くなったという事実でした。

棚の上に置いてある弟の遺骨と遺影をジッと眺めたあと、正座をしてお鈴を鳴らして弟に語りかけました。何か具体的な話を語りかけるでも無いのですが、語りかける事でこちらの心の安定を得られるのであればそれは今の私にとっては必要な儀式です。

実際には語りかけている時ではなく、その合間合間に何かをしている時にふとした事で涙が出そうになります。それは親父も同じようで、実の息子を亡くした哀しみは容易には離れる訳がありません。

そこで、私は親父に弟のこれからの死後の役所関連の書類等、身辺整理の事を進めるように持ち掛けて気を紛らす事にしました。そもそも、書類仕事は丹念にかつ淡々と進める人ですので、任せておけば種々の書類を集めて役所にもって行っていろいろとやる筈で、そう言う事に関しては「間違いのない人」です。

早速、書類仕事を始めた直後に親父から私にリクエストがあり、37年間もお世話になった、弟が長い間入所していた施設へ必要書類を幾つか取りに行く事になりました。

施設まで親父を送り届けて施設の方々と再びの御挨拶をさせて頂き、突然の非礼を詫びつつも手短に必要書類を提出して頂きました。実際に必要だったのはマイナンバー・カード以外には数種類の障碍者手帳等のカード類で、その他を合せても四種類程度でした。

何れにしても全ての準備が一度で終わるとは思えないので、一旦は施設の方にお別れの挨拶をして施設を辞しました。

このあと、清武周辺の親父が少年時代を過ごしたエリアやその思い出話を語ってもらいながら田舎道をウロウロと走り回りました。その途上で宮崎らしい景色と遭遇!「これは長女を連れてこないといけない」という事で急ぎ家へと一旦戻りカメラを持たせて先ほどの場所へ。
下の写真がその現場です。
宮崎の中でも、清武・田野周辺で特に有名な切り干し大根の最終局面でした。そして、その脇には田の神ならぬ石碑が建っておりまして、近くによってその塚の表面の文字を読んでみると驚くべき事に350年前(1677)の正月に開墾を記念されて建てられたものと判りました。
延宝五年巳年歳と書かれていて、これは第四代将軍徳川家綱の治世の時代という驚くべき古さでした。
田の神様ではありませんでしたが、七人の侍のようにシンプルなマークとして〇が彫り込まれていました。
こういうものを見ると、時間の流れと人の移り変わりは時間の流れの中の短い一コマなのだという事を改めて想い出させるものでした。

夜はエヴァンゲリオンを観るという娘をイオンに送迎して一日を終えました。


2026年1月14日水曜日

弟の葬式

今日という日が弟の物理的な最後の別れの日となりました。

納棺は実は私の間抜けな勘違いで朝7:30過ぎに行われるというのを8:30と間違えていたために親父と葬儀社の方々の手で行われました。既に旅立ちの衣服は着替えさせ死化粧は済ませていたので、納棺自体は何も問題なかったそうですが、まことにいつも間抜けな兄貴です。弟も呆れていた事でしょ云う。

さて、葬儀は9:00から開始されました。

無宗教のスタイルで始まりましたので、先ずは親族が椅子に座り焼香開始。順番に一通り終わると今度は飾られていたお花を手折って弟の躰の周りに皆の手で飾っていきました。そこにはそれぞれの人間が口を付けた一杯のお猪口で水を掛けて最後のお別れ。

私は最後の最後で冷たくなった弟の顔を撫でながら何度もその顔にキスをしました。涙が目から溢れてなかなか止める事も出来ず、そのまま垂らしながら弟に何もしてやれなかった馬鹿な兄貴の今迄の人生を謝りながら「またみんなであっちで会おうな!」と約束しました。

親より早く死んでしまった、兄貴より早く死んでしまった弟。もし周産期の事故が無かったら一体どんな生活を送っていたのだろう、結婚して仕事をして子供もいたのかな。絶対俺よりかっこよくて賢かったろうな…などと、とりとめも無い事を考え続けました。

親父が涙声で会葬者の皆さんに短い謝辞を述べて弟の躰は棺に蓋をされ葬儀場から運び出されました。車には写真を持った親父と骨壺を持ってくれた私の嫁さんが乗り込み静かに出発。葬儀会場を出る時には道行くトラックも静かに止まって我々の出発を優先してくれました。

お焼きの場所(火葬場)は清武の方にありますが、ゆっくり走るうちにあっと言う間に到着。親族が集合して分散して乗ってきた車から降りて遺体搬送車から出て来た躰を囲みながら最後のお別れの場へ。5番の番号札を渡され最後に部屋へ入っていく四角い棺を茫然と見守りました。親父が火入れのボタンを押して後は待つ事になりました。

我々は直ぐに部屋から出て昼ご飯を食べる為に近くのJoyfullへと全員で移動。こんな時でもしっかりとtwin humburgersをたべる事のできる親父を見て少し安心しました。^^

親族皆が腹をきちんと温かいご飯で満たして火葬場へ戻ると指定された時間の20分前。ソファに座って皆でゆっくりと弟の話や昔話をしながら待っていると職員の方からコール。

お焼きの部屋から出て来た弟の躰は既に骨だけになっていました。

先ず私と親父で脚の方から骨を拾い箸で二回渡し合いながら最初の御骨拾いを終了。その後は下半身から次第に上半身に向かって少しずつ骨を拾い喉仏を親父が拾って骨壺に収め、最後に頭蓋骨頭頂部で蓋をして終了。

全員で一礼して全ての儀式を終えました。

写真と骨壺を持って外に出ると思いのほか暖かく、雨も降らずという穏やかな日差し。皆で並んで長女から写真を沢山撮って貰いました。最後は私の方から親族の皆に兄として手短に感謝の言葉を述べさせて頂き皆の眼に少し涙が見えたような気がしました。

感謝感謝感謝。参列して下さって弟の人生の最後の締め括りを見送って下さった方々に挨拶をしてその場を離れました。

家に戻り弟の遺影を最適な箪笥の上に置いて骨壺をその隣に安置しました。水を供えお菓子を皿に盛り「お鈴(りん)」を鳴らしました。線香に関しては備え付けのものはあったのですが可愛らしい蝋燭立てと灰皿を準備するまでは少し待つ事にしました。

こうやって骨壺に入って小さくなってしまった弟を見ると改めて「形としては」居なくなったんだなという事を実感せざるを得ませんでした。

我々は親父を元気付ける兼ね合いも込みで、暫くして夕食に親父を誘い皆で焼き肉を食べました。ここでも沢山食べてくれた親父を見る事で逆に私は安心しました。生きている者は今日も食事をして糞をして仕事をして…とやらなければならない事が順繰りと寄せては返す波のようにやって来ます。それが生きるという事。

弟の為にも少しでも世の中に役に立つ余生を送らなければなりません。

家に帰ってゆっくりした後、弟にまた手を合せてから寝床に就きました。

2026年1月13日火曜日

弟の通夜

翌日は今日の本通夜に備えての一日が始まりました。

そもそも葬儀をどういう形態でするのかという所から葬儀社の方と話が始まりましたが、先ずは家族葬でコンパクトに行うという事から話を開始。それでも基本料金の下限は50万円からです!

その上で明日の葬儀進行の時間の段取りや加える花などを次々に選んで行くとともに最終的に無宗教で行く事をお話しました。知りもしないクソ坊主を弟の葬式に呼んで、何を言っているのかわからない読経を長時間聞かされて、有難くも何ともない説教を垂れてレクサスに乗って帰るような野郎の関与が弟の葬式に必要とは思いません。それは自分の葬式でも全く同じ。

最終的に額を決定して全て終了。

それにしても基本額がX万円だとしても、それから後に次から次へと提案して来る「様々なオプション」を付けるとあっと言う間に数十万円の追加になってしまいます。ここを一つ一つ丁寧に固辞しながら最終的にほぼミニマムに近い金額で収束させました。

私は自分の勤める病院にも「弟の不幸の為に仕事を休む」という事を知らせたのみで、それ以外に一切の情報を伝えませんでしたので、ここに花が来る訳もなく。プライベートは完全にブロックしました。

「X時」というようにコレと言った時間を通夜の時間に決めた訳ではありませんので、午後から三々五々親父の親戚や弟の施設の方々が集まって来られては焼香をして下さいました。弟に関するありとあらゆる思い出話に花が咲き、弟に関して初めて聞くような施設での話が沢山出て来ました。

更に3時過ぎには長崎からやって来た長女を飛行場に迎えに行って会場に案内したところ、大量にスキャンしていた私の家族の過去の写真群からあっと言う間に弟の写っている大量の写真をピックアップしデジタル・フォトアルバムを作ってくれていました。更に親族たちの過去の写真も!

それを見た親戚達も弟の話や親族の過去などに関して大量の新鮮な話をしてくれて皆が大変い盛り上がりました。弟も大勢の人に集まって貰い、きっと喜んだことでしょう。皆遅くまでずっと座り込んでいろいろな話をし続けて終わることはありませんでした。

そこに名古屋から駆け付けた嫁さんが合流してきました。やって来たのは夜の11時直前。宮崎駅でピックアップしたのですが、飛行場まで行って機材整備の為といって飛ばなくなった飛行機の代わりに新幹線で博多まで行って、そこから九州新幹線で鹿児島まで移動し、日豊本線で北上して宮崎駅までやって来たのでした。

嫁さんが到着する直前に本当に夜遅くになって流石に皆が明日の事もあるからという時間になって散会。嫁さんの到着は散会後でした。

私は私で弟の体からドライアイスを外し、体が硬直して難し目でしたが服を旅立ちに問題ないものに着替えさせました。その後、今度は私の長女が弟の死化粧をしてくれました。先ずは二人で弟の少しだけ伸びた髭を完璧に剃り上げて、その後に娘が心を込めて自分の化粧道具から適切な色を選んで弟の顔を血色良くしてくれました。

最後に弟に再度線香をあげて終了を報告。納棺師任せでは出来ない心のこもった作業を最後に娘と二人で弟にしてあげることが出来ました。その作業の間中親父はずっと私と娘の共同作業を見つめ続けていました。娘には感謝しかありません。本当に普段は喋らないけど、ここぞという所では何時も凄く役立つ人間に育ってくれたことに改めて気づき、驚き、感謝した夜となりました。

最後に、今日の通夜には親父と親父の弟が一緒に通夜の会場に一晩泊ってくれるとの事で、私の家族は実家へ戻って明日へ備える事にしました。

2026年1月12日月曜日

弟の最後に間に合わなかった兄貴

電話で叔母から話を聞いた直後、たまらず目頭が熱くなりました。飛行機が遅れて僅かにその死に目に間に合わなかったことが残念で仕方ありませんでしたが、それを悔いてももう弟は還っては来ません。

飛行場から車を飛ばして、比較的近くにある救命救急センターに駆けつけるとそこには親父と親父の妹夫婦が控室で静かに待ってくれていました。

救命センターの看護師さんが部屋にやって来て「お兄さんですか?」と問いかけてくれました。「先生に会って説明から聞かれますか、それとも弟さんに先に会われますか」と問われましたが、一も二も無く「先ずは弟に会わせてください」とお願いしました。

部屋に入ると、既に血の気が引いたというよりも低酸素血症で組織には酸素を持ったヘモグロビンは殆どない状況、更に死語経過30分くらいの時間経過で既に「ほとけ様」と言えるような表情になっていました。

思わず近寄って手を握りましたが、体は未だ温かく、手もしっかり握って温かみを感じることが出来ました。左手にはルートを確保した形跡がありましたが、既に抜き取られていました。胸郭や腹部には特に特徴的な変化は見られませんでしたが、既に動きを止め静かな躰になっていました。

間に合わなかったことを弟に詫び、静かに語りかけると押さえ込もうとする涙が溢れて止まりませんでした。兄貴より早くあの世に行く弟があるか!親より先に死ぬ子供が居るか!と語りかけると共に、弟を治療するという小さな頃の目標を達成すべく医者にはなったものの、俺自身は弟に何もしてやれなかった事を心の底から詫びました。

手を握りしめてずっと語り続けていると、レスキューに当たってくださったM先生が出てきてくださり挨拶をして下さいました。私は意思疎通の困難な弟の為に全力を尽くして下さった先生に深謝し、言葉を交わしました。

その後、先生に案内されCT画像や血液データを見せて頂き医者同士が判る内容の話をしました。画像上はS状結腸捻転による絞扼性イレウスが酷い状態で、胸郭の下半分を埋める程に腸が膨張しており、誤嚥性肺炎などは無く腸管壊死後の敗血症性ショックと思われる事が推定されました。

恐らく、昨夜から激痛に苦しんでいたであろうと思われましたが、そのうちに腸管が壊死して痛みも無くショック状態に陥った状態で搬送されたことが容易に想像でき、言葉を発すること、自らが急いで動く事が出来なかった弟の無念を思うと医師の兄としては弟にゴメンという言葉しか出て来ませんでした。

親父の薄い記憶と親戚の叔母さんの話を頼りに葬儀社をネットで探し、家の近所の葬儀社の手配を済ませると三時間後に迎えに来れるという事でしたので、親父と息子と三人で近所のファミレスを探して食事を摂る事にしました。

Joyfullがありましたので、そこに入ると親父は何とツイン・ハンバーグを注文。どんな時でも良く食べる親父で、これなら心配は無いなと少し安心しました。

7時にお迎えが来ると何時もは送る側である私が今度は送られる側の家族になって送られるのは奇妙な感覚で、二人の看護師さん達に付き添われて移動するのは何だか現実感がありませんでした。

親父には遺体搬送車に付き添ってもらい、私は後を追う形で宮崎市内へ向かいました。そこでは仮通夜という形で弟の体が既に布団に寝かされており、土気色の体を右に傾けて眠っていました。(抗てんかん剤の長期摂取による副作用による骨粗鬆症で円背状態だったので、真っ直ぐ上を向いて寝ることが出来なかったためです)

暫く弟に線香をあげたりして明日からの事に関する打ち合わせを簡単に葬儀社の方と行ったあと、我々は葬儀社の方々の御助言に従い、弟を残して家へ戻って行ったのでした。

2026年1月11日日曜日

弟が急死しました

 朝 身体障碍者の弟の入所施設より連絡があり、弟が宮崎大学の救命救急センターに搬送されたという連絡が入りました。

三連休の入り口という事でゆっくりと寝ている所を突然起こされたのですが、朝から切迫した声で弟の入っている施設から急な連絡。「昨日の夜二回嘔吐されて、経過を見ていたんですが今朝また嘔吐されてSaturationが測れなくなって宮崎大学病院の救命救急センターに救急車で運ばれました」との事。

正直、これはただならぬ事態が発生したことが確信出来ました。

実は三年ほど前に誤嚥性肺炎を起こし始めてからというもの、流動食が中心になっておりまして、劇的に痩せてしまっていたのでした。親父から送られてくる施設で過ごす弟の写真を見ていても「やつれていく」のが目に見える状態でした。ですから「なにか」が起きる可能性というのは常にあり、しかもそれは日々増していた訳なんですけど、その日が来てしまった感じです。

施設以外からも直接救命救急センターの先生御自身から電話が入り「血ガスの結果をみると乳酸値がXX、CO2がXX、COがXX」というお話で、今からCTを撮って何が起きているのか確認しますとのこと。その数値は絶望的なもので、聞く限りではもうアカンかなと思わせるもの。

実際に先生からも「どこまで治療されますか」という質問がありました。これは親父とも話をしてみないとと思いつつも、施設に親父が書き置いた意思表示評がある筈だと思って一旦施設に質問をしてみたところ、探し出してきた紙には「どちらにするか決めていない」という選択肢にばかり丸が付いていたとのお返事。orz

私からは救命センターに再度連絡を入れ「挿管と経静脈的処置まではお願いいたします。万一オペが必要でしたらそれも行っていただいて結構です」とのお返事を一旦させていただきました。

直ちに身支度をして出発する準備を始めてANAの時刻表を睨みながら息子を連れて二人で出発するためにチケットを取得。昼1:05分の便で出発する事となりました。到着は2:45ですが、万一の事を考えると一刻も早く到着したい所。

斧間にも先生から報告があり、造影CTまで行えたけれども誤嚥性肺炎ではなくS状結腸捻転による絞扼性イレウスが強く疑われるとの連絡。この言葉に再度衝撃を受けました。それが事実であれば発症の経過からして腸管壊死から敗血症などが発生していてもおかしくありません。

飛行機の出発は少し遅れ、ここ一年で一番の寒波の日と重なり遅延。飛行機に乗っている間も内心暗い気持ちでした。

実際に到着したのは3時過ぎ。レンタカーを直ぐに借りて乗り込もうとした時に(連絡のとれない親父に代わって)親戚の叔母さんから一本の電話が入りました。「間に合わんかったよ。先生が3:09分に亡くなったって言いやったよ」。連絡は15:12分でした。

2026年1月10日土曜日

樹木の間伐を初めて見た

以前、キャンプや焚火をしながらの「枝打ち」をしました。

朝、

今回は昨日書いた様に枝打ち以前の間伐そのものですから、いわゆるキコリのイメージそのものの仕事です。社長さんは「まあ、見ていってください」というゆるっとした感じでしたが、私は何か新しい作業を見たりすると自分でも「どれだけ出来るのかやってみたい」という欲求を抑えられない人なので、今回も作業の要点を観察させて頂いた後に出来る事を見つけてやらせて頂きました。
上の写真は先ず倒すと決めたターゲットになる木を見つけてそこに梯子を掛けて上に上りワイヤ・ワークを行っている所です。梯子が外れたり、問題が起きたりしたりしないように三か所にベルトを張って行う事が大切です。
もう一方の木にはベルトを掛けてキコキコとワイヤを引っ張って「ある程度の」テンションを掛けます。(私はこの部分を担当させて頂きました!)そして下の写真の様に木こりをイメージするような作業が開始されます。
上の写真では倒す方向側に楔形の切込みを先ず入れます。その上でその楔をパコンと外します。それだけでは通常、未だ倒れません。それは中心部の固い部分には切り込みを入れていないからです。写真では未だ出ていませんが、その反対側に上から下に向かって斜めに切り込みを入れていきます。
そしていよいよ二番目に示したテンションを掛けるマシンをキコキコと引き続けることによって根っこの方がパキ、キキキキキ、メリメリ、ズドーンという音を立てて倒れていくのでした。
最後は上の写真の様に倒れて完成します。その後、残った切り株を更に地面に平行な面が出るように切り込みを入れて終了。一本一本切っていくのにこういう手順でするのは日本なんでしょうが、アメリカやヨーロッパでは劇的に機械化が進んでいて、こういう手順は全く無いようです。^^

最後は皆で伊勢神トンネル先の五平餅「も」売っている気さくなおじさんの週四日だけやっているお昼ご飯を食べて五平餅+蕎麦で楽しく昼を過ごし、もう一度山に戻って更に一本切り倒して散会となりました。

やっぱり新しい体験は新鮮でグッドです!

2026年1月9日金曜日

降雪の予報を更に深読み

びっくりするほど強い寒波が北陸から北を中心にグイグイと降りてくる事が判っています。

実はある会社の社長さんから「明日、山の間伐で大きい木を伐るんでもし時間があったら今日から泊りがけで来られませんか?」とのお誘いがありました。要するに明日の仕事に備えて、今日は夜少しみんなで飲みませんか?という事です。w

私が先ず初めに行った事はネットで気象庁の降雪予想の経時的変化を時間単位で見ることが出来るサイトです。しかしながらこれには弱点があって、降雪の情報は示されても、路面の情報は示されないのです。

実際にそれに近い情報を示してくれるサイトも無い事は無いのですが、実際の路面の情報は粗く、現場のものとのマッチングはよくありません。特にメインロードから入った後の枝になる脇道の情報は「あかん」のです。

ここはもう完全に人間の推理能力の方が上。実際の情報がリスク50だとすると、前日の天気と当日の天気との混ぜ合わせ具合で当日の脇道のリスクは50から100まで大きく揺れるのです。特に日陰の道とカーブ、そして下り坂などは路面の状況がちょっとでも悪いと直ぐに事故へ直結です。

山の脇道の下り坂で崖の法面に突っ込んだり、轍に車輪を落としたら救助までの時間は地獄そのもの。勿論、命あればの事ですが!

結局、私は偵察を兼ねて「ダメ元」で設楽の山の中へ酒瓶を抱えて入って行きました。昔からラリーをしているので「これは滑る」という感覚はかなり掴んでいるつもりです。そこで、脇道へ入っていくと・・・思ったよりも前日の降雪と路面の凍結状況がヤバイことが容易に判りました。

特にブラック・アイス・バーンがあちこちに斑の様に見えたのです。

「あかんあかん!」入り口から直ぐ程度でこれならば上に登っていくと更に降雪とアイス・バーンの残りが増えるのは鉄板の事実。私は慎重にUターンして元来た道をさっさと戻りました。社長さんにはこういう事になる可能性を前もって話しておりましたので、相手も二つ返事で了解。

私は家へ戻る前にファミマに寄っておにぎりを一個だけ購入して帰宅。嫁さんはまだ起きておりましたので、事情を話したあとさっさとシャワーを浴びて体を温めました。

明日の朝から仕切り直しですね。やっぱ四駆の王様「軽トラ」が欲しくなる今日この頃です。^^

2026年1月8日木曜日

最近の病院は外国人無しでは…

以前からヘルパーさん達を病院が雇う時に外人さん達が増えているのは気付いていました。

まず初めにフィリピン人の女性達が結構沢山入り始めました。しかし、彼女達の職業倫理というものはかなりバラつきが多くて、真面目に淡々と仕事をする人達といろいろと言い訳を考えては遅刻を繰り返し、その挙句に辞めていく人達などが混ざっていた時期が結構続きました。

真面目に働いているフィリピン人達はその当時から今迄、全く辞める事無くごく普通に病院の戦力として働いてくれています。

その次にやって来たのは日系ブラジルンの人達が多かったのですが、この人達はあっと言う間に跡形もなく消えてしまいました。そもそも募集をかけても家が遠い人達が多くてちょこっとしか集まりませんでしたけどね。

その次に来たのはミャンマーの人達。彼女達はあっと言う間に日本語を覚えて文章も書けるようになってきたんですけど、なかなかに恥ずかしがり屋さん達で、病院では「それなりに」話しをする事に関しては進歩してもなかなかそれ以上には進まない感じ。彼女達、休日には非常にアクティブに活動しているみたいで、着飾って楽しく遊びに行くようです。w

そして最後に入ってきたのはインドネシアの人達とベトナムの人達。

彼女達は語学研修を受けてから日本へやって来ていますが、まだまだ来日してからの日が浅くて日本語の能力はまだまだこれから花開くという所でしょうか。話し言葉としては日本語を学習する事にたけた人達と云うのはある一定の割合いで居ますが、読む、書くというのはもう一つ次元の違う難しい世界。頑張って欲しいものです。

上に書いた様にいろいろな国から来た人達が病院のベースになる部分を支えてくれているのですが、日本人のヘルパーさん達の割合の減り具合ときたら驚くほどのものです。病棟によっては一人か二人の日本人ヘルパーさん達のもとに数人の外人さん達が付くような状態。

彼女達がもし日本語が達者になってきたらもう日本人いなくなるかも?

いろいろな企業のいろいろな経営者さん達とも話すチャンスがあるんですが、本当にどこでも「人が居ない・人が足りない」というのが当たり前になっている日本。郊外の畑などでも実は外人さん達が畑仕事をしているなんて言うのは普通です。

入国時のビザの審査とその後の把握は大事なのは間違いないんですが、人手不足倒産の激増と人口減のダブルパンチを乗り切る大切な人的資源の確保はどうすれば良いのか、もう時間的猶予は無いという意味では彼女達の近未来は日本を支える試金石そのものなんですよね。

2026年1月7日水曜日

やっと治った風邪

帰国してからの体調不良、やっと終息を見せてくれました。

漢方をベースに抗アレルギー剤を一日一回服用する状況でしたが、やはり小青竜湯の効果はよく出てくれて、私の風の諸症状を緩和してくれました。

何というか、残念ながら私の体調が戻って来るのに合わせるように何となく嫁さんが調子が悪いという状況が発生。何となく申し訳なかったのですが、嫁さんのバイト先でも一緒に仕事をした相方の人がその数日前に滅茶苦茶調子悪かったらしいので、一応犯人はその人という事にしておきたいと思います。w

今の所、嫁さんは小青竜湯をきちんと飲んでくれておりますので、これからそう悪化する事も無く症状は収束してくれる事でしょう。幸い、同室にいた娘も息子も何の症状も見せず安定した状態。恐らくウイルスには罹患していないのではないかと思います。

病院の中を見回しても意外とインフルエンザやコロナは出ておりません。熱発者のスクリーニングをしても、少なくともこの一か月で私の患者さん達にコロナは一人も検知されていない上に、外来でインフルエンザAが2人見つかっただけ。

コロナは今の段階では名古屋では流行っていないのは確実で、それは統計にも出ています。今月は既にインフルエンザも物凄い速度で消退している状況ですから、インフル等由来の熱発者は検出されなくても不自然ではありません。

何れにしても我々医療従事者側から見るとこの手の厄介な季節性の感染症というのは無いに越した事はありませんので、私としてはハッピーモードです。

高齢者の多い病棟では、我々くらいの歳では問題ない感染症でも、二次感染から最終的に命を脅かすような状態になるような事はごく普通ですので油断は絶対に禁物。今後も春先くらいまではコロナが戻って来る時期になるのを、統計情報を見つめながら日々注意してみていきたいと思います。

2026年1月6日火曜日

NotebookLMに衝撃を受ける

昨日はAIの事を書きましたが、実は最近その優秀さに肝を潰したアプリがあります。

それはNotebookLMというもの。このアプリ最初は一体何するものぞ?という感じだったんですが、軽く説明書を読んでみるとどんな資料を投げ込んでも、その資料を基にAIが様々なフォーマットで資料を作ってくれるというものです。

一番最初に使ってみたのは統合失調患者の英語論文を丸々読みこませてそれを男女が対話形式でラジオ放送してくれるというもの。

一旦吸い上げて、そのまま暫く待っていたら何と男女が軽快に会話をしながらその論文の内容を反芻して説明してくれました。ぞれをじっと聞きながら、只々感心すること頻り。何というか時代は変わったんだな~というのを強く感じました。

このアプリのシステムの良いところは、もとになっている資料が正しい限り正しいコンテンツの解説やサマリーが仕上がってくる事。その逆も真で、もとになっている資料が間違っていれば吐き出されるものもまた間違っているというお話。これの良い所は正しい資料を読み込ませる限り、Geminiがやる仕事は種々のフォーマットでの「要約」のみという事です。

あげることが出来るのは・・・
PDF、音声、画像、ウェブサイト、YouTube、コピーしたテキスト等となっています。
出力形式としては・・・
音声解説、フラッシュカード、テスト、インフォグラフィック、スライド資料となっていて、今後更にいろいろな形式が追加されるのかもしれません。

ところで、このアプリ使って感じたのはこういったアプリを使って勉強する学生と、全く使わない学生とでどういう差が出て来るのだろうかという事。恐らくは目先のテストではこれを使ってサクサクと勉強を進める学生は高得点を得ることが出来るんじゃないかという事。

ただし、その先はどうなんでしょう。種々に散らばったものから「目ぼしいもの」をきちんと嗅ぎ分けてそれをいろいろと工夫しながら取捨選択の後に苦労しながら資料を作るという道筋を踏むというのが今までの資料作成だったのですが、これからは皆が「それなり」の資料をあっと言う間に作って来る時代になるんでしょうな。

面倒くさいどうでも良い仕事にはこれを使うっていうのもアリなんでしょうかね?

人としての能力が退化するのか?それともうまく使う事でより大きな翼を得て高く飛ぶことが出来るのか?結局は仕上がったものを判別する能力が全てを決める様な気がします。

まさに時代の分かれ目でしょうね。

2026年1月5日月曜日

娘達はAIを全く使わない

私はAIを使ったいろいろな仕事の進め方をする事に大きな反対の気持ちは持っていません。

私の家では長女はAIの過度な利用にはあくまで反対派。自分の脳で考えて、自分の腕で産み出して、自分の眼で考えた基準で選んだものを信じるという人。逆に言うと人の言う事(親のいう事も!w)も「参考にはする」けれども、それに靡いて物事を決める人ではありません。

AIに関しては私の娘達が今現在日本でやっている事はAIとは全く反りの合わない仕事がメイン、かつ別の仕事も長女にはAIを使った方が良いのかなというような仕事「も」しているのですが、そんなのを使わなくとも十分に仕事をスイスイこなしているようなので、実際に問題ないのでしょう。

それともコッソリ使ったりしてるのかな~?w

次女も何かに憑りつかれたようにず~~~~っとiPad1に絵を描きつけるような日々ですが、参考にするのは自ら足を運んで観に行った美術展や展覧会、そして国内外のアマゾンで選んで買ったある種の美術関係の参考文献を良く脇に積み上げている感じです。

しかし、私の場合は最新のデータに基づいた知識と系統立てた理屈が仕事においては大変重要ですので、薬の探索やデータに基づく病名の推定、更には症状に合わせた除外診断等もいろいろとAIを使います。

しかし、そう言った基本的な使い方は今まではネット検索をいろいろとしてその幾つものサイトをまわった後に最終的に得られたものでしたので、その効率性の高さにはいつも驚かされます。しかし、実は医師としての仕事はその先にあって、提示された病名や薬を疑っていく事も大事。

言われたままの病像が患者さんに出現している訳ではなく、あれやこれやと観察しているうちに「あ~、これはこっちの方が正しいな」と線引きを変えることも良くあるのです。AIのsuggest自体も誤った知識体系や不正に作られたデータから得られた間違った結論から推定されるものが沢山ある訳で、所詮は人が作ったデータベースから「尤もらしく」話を作成しているだけの話。

AIに恋をしてとか、AIが作ったリポートを投稿してその投稿をまたAIに読ませて感想を書かせるとかいうもう何というか本当にポンチ絵が描けそうな事をやっている連中も居る訳で、そんなことやってたらお前ら自動的に職場からeliminateされちゃうよ!っていうのを今から強く警告しておきたいと思います。^^

AIを上手く使うというのと、AIに使われるというのは対極の世界。

AIに依拠した挙句に使われるというのは知的活動における自殺行為ですわな。

2026年1月4日日曜日

間違った事をしてしまった!w

実は夜にトンデモナイ間違いをやらかしてしまいました。^^

夜になって久しぶりに永谷園の「お~いお茶」の粉末を溶かして緑茶を飲んでリラックスしようと思いました。パッケージが二つあって一つは全くの未開封で、もう一つは「極僅か」と思っていたもう一つの開封済みの袋でした。

実際に底の方を覗いてみても、袋を振ってみてもそれほど重みを感じませんでした。

そこで…その袋全体を傾けて400ml程度のコップの中に氷と共に叩き込んだのですが、意外とそのパウダーの量が多く、傾けた直後にパウダーは無くなってくれると思っていたところ、「これで終了!」と思っていたところから更に数秒粉が落ち続けました。orz

あ~、やらかした!とは思ったのですが、まあ取り敢えずこの濃さでどんなもんか飲んでみるとパウダーの多くは下に沈んでいましたので、それほど濃くも無く普通に飲めたのですが、最後のほうは極悪なほど濃くなって…orz

そこで、そのめちゃくちゃ濃い所をもう一度薄めて作り直すとマア普通に飲めました。ところが、調べてみると100mlあたりカフェインの量が玉露は160mg、抹茶は60mg、コーヒー は60mgとなっているので、それを数百ミリリットル飲むという事は「やっちまったな~」という事。

これから後が大変でした。以前ベトナムの(通常のアラビカ種と比べてカフェインが三倍濃い)コーヒーを飲んでしまった時と「同じ事以上」の事が起きてしまいました。

夜は勿論、朝薄明かりが見え始めても、そして完全に朝になっても全く眠れない!これほど「不眠」という事に悩まされたのは一生のうちでこの前のベトナムコーヒー事件振り。w

眠れない!というのがこれほど辛い事だというのが初めて理解出来ました。とは言え、今日になっても眠気というのが無い為幸いにしてそれほど日常の仕事には問題がありませんでした。

今後は緑茶にも気をつけんとあかんなと思った一晩でした。

2026年1月3日土曜日

ホンマにやったんか!

やっぱり、歴史に学ばない者は愚かな過ちを繰り返しますね。

力による正義というのを21世紀でもこれほどまざまざと見せつけられるのかと驚きの連続です。ベネズエラというれっきとした主権国家に宣戦布告無しで突っ込んで行って大統領夫妻をかっさらってくるなんてとてもとても今の日本には有り得ない選択枝。

確かにアメリカに対してとんでもない量の麻薬を国家ぐるみで流し込んで碌でも無い連中が運営している国家で、国家の内部は崩壊しており殺人事件は異様なレベルで高い治安最低のトンデモ国家である事は普通に国内外に知れ渡ってはいるものの、それでも~ですよね。

現代のアメリカ政権のモンロー主義の復活という事に関してちょっと前に書き込んだ覚えがありますが、もう全くそれを隠そうとはしませんね。まあ、中国もアメリカもロシアも結局のところは自分の建前の下にやりたい放題の事をするという事が再度明確になっただけの話なんですが。

国連などというものが表面的な、道徳上の正義の維持という面では全く機能していない事がこれほど明確になってくるとみているこっちも無力感で切なくなりますね。結局、核を持った国の脅しに皆が黙るという構図。碌でも無い国家であっても、例え相手がならず者であっても、結局は頭に拳銃を突き付けられたら何も言えないという事。勇気を奮って何かを言っても引き金を引かれたら一瞬で終わるというギャング映画そのものの世界。

モンロー主義は200年前の世界の出来事ですが、またその亡霊が地球の表面を這いずり回っているのを見ると、人類はなんにも学んでないなって思うんですわ。しかも、背後に持っている拳銃に当たる武器が当時は大砲程度だったものが、今では核ミサイル。

アタマに立っている連中も漫画に出て来るような判り易い悪人面。

これからの10年、本当に核戦争が起きない、台湾進攻が起きない、NATOとロシアがぶつかり合わないというような状況が続くんでしょうか?熱狂のなかで始まった戦争が巨大な疲弊の中で双方の国民を枯らしていく事は大昔から繰り返されてきた人類の歴史ですが、テクノロジーが進んでも政治がこれでは…。

どこまで時代が進んでも、個人の欲望が国家のトップに現れる形で出現する時歯止めを付けるシステムを探し続けるしか人類の生存は約束されない気がしますが、本当に間に合うのか心配です。

2026年1月2日金曜日

最悪のコンディション

やはり旅の疲れが出たのでしょうか。

帰国後から喉が少しイガイガしていたんですが、連日の深夜までの種々の作業、それこそ夜更かしそのものの生活が続いていたことが免疫力を下げてしまったものと思われます。

熱発なんかはないんですけど、体は怠いし痰絡みの咳は出るしで「絶不調」そのものです。久しぶりの風邪症候群というやつですが、水洟と喉の痛み、くしゃみや流涙などとくれば小青竜湯の出番かなと思いこれを服用し始めました。

とりあえず、抗アレルギー剤も一粒追加して加療開始したのですが、体調がどこまで戻るかはまさしく免疫の力次第だなと思っています。

という訳でこんな状態なのに正月1日から日勤当直。とりあえず体が持つことを祈ってはいたのですが、幸い呼び出しと言えるような呼び出しもなく寝当直と言えるほどの静かな当直となりました。

薬の処方をちょっとだけ行い、注射箋を検討し書き込み。

さっさと寝るに越したことはなし。w



2026年1月1日木曜日

明けましておめでとうございます

なんと20年目のブログ書きに突入しました。

こんな糞のような記録の集積でも20年経つとその時々に何が起きていたかどんなことを考えていたのか、家の中の行事は何だったのか等が「ある程度」思い出せます。しかし、昔の記録を読んでいて思うのは「オレって進歩がねえな~」という一言に尽きます。orz

20年の間にあった種々の由なし事も終わってみれば懐かしい思い出、命が消える事なく「取り敢えず」は駄馬の如き人生を生きることが出来ています。気づけばこの前5000回記念などと書いていたのに、今回記録数のカウントを見てみたら6000を大きく超えておりました。

やはり20歳までの人間としての仕上がりがその後も基礎にある訳で、大きな可塑性は無い様な気がします。様々な体験を通してこれをこうしたらこうなる確率が高いとか、危険を回避する能力は年々歳々発達していっているような気がしますが、だからと言って敢えて回避しない様な間抜けな所は20代の頃の肉体的年齢の若い時のまま。要するに大本の所では変わらないのです。

まあ、それは兎も角、実は30日の朝にベトナムから戻って来て名古屋に着陸した後、少しだけ休んでそのまま4時過ぎにはアメリカから二週間ほど一時帰国されている旧知の先生と今年も名古屋駅で再会し旧交を温めました。

リッチモンド界隈の現状と種々の付帯したお話はなかなか興味深いものだったのですが、ここではそういう事を書くことは出来ませんので取りあえず「なるほどね」という感じの話だったことだけを記しておきたいと思います。何にせよ時間が経過する中で今のアメリカの科学は予算的にだいぶん酷い目に遭っているようだという事は確認できたこと。更にはそのような状況の中でサイエンスに向かう若い人達が「更に」減り続けているようだという事がうっすらと見えてきました。

アメリカというのは移民と科学技術のイノベーションで世界を引っ張ってきた国だと思っていたのですが、一昔前に私が持っていたようなアメリカの科学、特に医学生物学に対する幻想はかなり痛めつけられているような気がしました。

取り敢えず、今年もこれ以上は戦争が拡大しないような世界であって欲しいと思う正月でした。