2026年1月30日金曜日
山本リンダのコンサート
2026年1月29日木曜日
何でも引き受けるヤバい医者
2026年1月28日水曜日
アメリカはもう俺の知っている国ではない
2026年1月27日火曜日
納税の季節
2026年1月26日月曜日
マックブックのバッテリー交換
2026年1月25日日曜日
地上の楽園と朝日新聞
朝日新聞をはじめとする一部の新聞・メディアは、帰還事業を人道的事業とか希望ある移住として好意的に報道したと、明確に
・北朝鮮を社会主義国家の「理想郷」として描写
・労働・医療・教育が保障される国家であるというイメージ強調
・帰還事業を在日朝鮮人にとっての素晴らしい選択肢として後押し
・「地上の楽園」「希望の移住」「社会主義の理想郷へ帰る」といった表現を使用し続け彼の独裁国家に対する誤ったイメージを撒き散らしました。
これらは、帰還を肯定的・中立的に描き、
帰国船は1959年12月14日に第一便が出港し、最終的には約9万3千人が帰還事業で北朝鮮に渡りました。途中から明らかになっていった北朝鮮での「宣伝とは異なる」厳しい生活実態がすでに存在したにも拘らず礼賛記事をやめなかった犯罪的記事垂れ流しの事実と責任がアカヒにはあります。
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| まさに大政翼賛! |
2026年1月24日土曜日
修理して使い続ける
2026年1月23日金曜日
やらかした〜
2026年1月22日木曜日
もう少し言葉を覚えないとネ!^^
2026年1月21日水曜日
死のリスクを冒すべからず
2026年1月20日火曜日
Notionというアプリ
2026年1月19日月曜日
昭和の男が高齢者になると…
2026年1月18日日曜日
トランプのアホさに苦笑い
2026年1月17日土曜日
親をどうする?
2026年1月16日金曜日
宮崎を離れる日
2026年1月15日木曜日
葬式を終えて
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| 延宝五年巳年歳と書かれていて、これは第四代将軍徳川家綱の治世の時代という驚くべき古さでした。 |
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| 田の神様ではありませんでしたが、七人の侍のようにシンプルなマークとして〇が彫り込まれていました。 |
2026年1月14日水曜日
弟の葬式
2026年1月13日火曜日
弟の通夜
翌日は今日の本通夜に備えての一日が始まりました。
そもそも葬儀をどういう形態でするのかという所から葬儀社の方と話が始まりましたが、先ずは家族葬でコンパクトに行うという事から話を開始。それでも基本料金の下限は50万円からです!
その上で明日の葬儀進行の時間の段取りや加える花などを次々に選んで行くとともに最終的に無宗教で行く事をお話しました。知りもしないクソ坊主を弟の葬式に呼んで、何を言っているのかわからない読経を長時間聞かされて、有難くも何ともない説教を垂れてレクサスに乗って帰るような野郎の関与が弟の葬式に必要とは思いません。それは自分の葬式でも全く同じ。
最終的に額を決定して全て終了。
それにしても基本額がX万円だとしても、それから後に次から次へと提案して来る「様々なオプション」を付けるとあっと言う間に数十万円の追加になってしまいます。ここを一つ一つ丁寧に固辞しながら最終的にほぼミニマムに近い金額で収束させました。
私は自分の勤める病院にも「弟の不幸の為に仕事を休む」という事を知らせたのみで、それ以外に一切の情報を伝えませんでしたので、ここに花が来る訳もなく。プライベートは完全にブロックしました。
「X時」というようにコレと言った時間を通夜の時間に決めた訳ではありませんので、午後から三々五々親父の親戚や弟の施設の方々が集まって来られては焼香をして下さいました。弟に関するありとあらゆる思い出話に花が咲き、弟に関して初めて聞くような施設での話が沢山出て来ました。
更に3時過ぎには長崎からやって来た長女を飛行場に迎えに行って会場に案内したところ、大量にスキャンしていた私の家族の過去の写真群からあっと言う間に弟の写っている大量の写真をピックアップしデジタル・フォトアルバムを作ってくれていました。更に親族たちの過去の写真も!
それを見た親戚達も弟の話や親族の過去などに関して大量の新鮮な話をしてくれて皆が大変い盛り上がりました。弟も大勢の人に集まって貰い、きっと喜んだことでしょう。皆遅くまでずっと座り込んでいろいろな話をし続けて終わることはありませんでした。
そこに名古屋から駆け付けた嫁さんが合流してきました。やって来たのは夜の11時直前。宮崎駅でピックアップしたのですが、飛行場まで行って機材整備の為といって飛ばなくなった飛行機の代わりに新幹線で博多まで行って、そこから九州新幹線で鹿児島まで移動し、日豊本線で北上して宮崎駅までやって来たのでした。
嫁さんが到着する直前に本当に夜遅くになって流石に皆が明日の事もあるからという時間になって散会。嫁さんの到着は散会後でした。
私は私で弟の体からドライアイスを外し、体が硬直して難し目でしたが服を旅立ちに問題ないものに着替えさせました。その後、今度は私の長女が弟の死化粧をしてくれました。先ずは二人で弟の少しだけ伸びた髭を完璧に剃り上げて、その後に娘が心を込めて自分の化粧道具から適切な色を選んで弟の顔を血色良くしてくれました。
最後に弟に再度線香をあげて終了を報告。納棺師任せでは出来ない心のこもった作業を最後に娘と二人で弟にしてあげることが出来ました。その作業の間中親父はずっと私と娘の共同作業を見つめ続けていました。娘には感謝しかありません。本当に普段は喋らないけど、ここぞという所では何時も凄く役立つ人間に育ってくれたことに改めて気づき、驚き、感謝した夜となりました。
最後に、今日の通夜には親父と親父の弟が一緒に通夜の会場に一晩泊ってくれるとの事で、私の家族は実家へ戻って明日へ備える事にしました。
2026年1月12日月曜日
弟の最後に間に合わなかった兄貴
電話で叔母から話を聞いた直後、たまらず目頭が熱くなりました。飛行機が遅れて僅かにその死に目に間に合わなかったことが残念で仕方ありませんでしたが、それを悔いてももう弟は還っては来ません。
飛行場から車を飛ばして、比較的近くにある救命救急センターに駆けつけるとそこには親父と親父の妹夫婦が控室で静かに待ってくれていました。
救命センターの看護師さんが部屋にやって来て「お兄さんですか?」と問いかけてくれました。「先生に会って説明から聞かれますか、それとも弟さんに先に会われますか」と問われましたが、一も二も無く「先ずは弟に会わせてください」とお願いしました。
部屋に入ると、既に血の気が引いたというよりも低酸素血症で組織には酸素を持ったヘモグロビンは殆どない状況、更に死語経過30分くらいの時間経過で既に「ほとけ様」と言えるような表情になっていました。
思わず近寄って手を握りましたが、体は未だ温かく、手もしっかり握って温かみを感じることが出来ました。左手にはルートを確保した形跡がありましたが、既に抜き取られていました。胸郭や腹部には特に特徴的な変化は見られませんでしたが、既に動きを止め静かな躰になっていました。
間に合わなかったことを弟に詫び、静かに語りかけると押さえ込もうとする涙が溢れて止まりませんでした。兄貴より早くあの世に行く弟があるか!親より先に死ぬ子供が居るか!と語りかけると共に、弟を治療するという小さな頃の目標を達成すべく医者にはなったものの、俺自身は弟に何もしてやれなかった事を心の底から詫びました。
手を握りしめてずっと語り続けていると、レスキューに当たってくださったM先生が出てきてくださり挨拶をして下さいました。私は意思疎通の困難な弟の為に全力を尽くして下さった先生に深謝し、言葉を交わしました。
その後、先生に案内されCT画像や血液データを見せて頂き医者同士が判る内容の話をしました。画像上はS状結腸捻転による絞扼性イレウスが酷い状態で、胸郭の下半分を埋める程に腸が膨張しており、誤嚥性肺炎などは無く腸管壊死後の敗血症性ショックと思われる事が推定されました。
恐らく、昨夜から激痛に苦しんでいたであろうと思われましたが、そのうちに腸管が壊死して痛みも無くショック状態に陥った状態で搬送されたことが容易に想像でき、言葉を発すること、自らが急いで動く事が出来なかった弟の無念を思うと医師の兄としては弟にゴメンという言葉しか出て来ませんでした。
親父の薄い記憶と親戚の叔母さんの話を頼りに葬儀社をネットで探し、家の近所の葬儀社の手配を済ませると三時間後に迎えに来れるという事でしたので、親父と息子と三人で近所のファミレスを探して食事を摂る事にしました。
Joyfullがありましたので、そこに入ると親父は何とツイン・ハンバーグを注文。どんな時でも良く食べる親父で、これなら心配は無いなと少し安心しました。
7時にお迎えが来ると何時もは送る側である私が今度は送られる側の家族になって送られるのは奇妙な感覚で、二人の看護師さん達に付き添われて移動するのは何だか現実感がありませんでした。
親父には遺体搬送車に付き添ってもらい、私は後を追う形で宮崎市内へ向かいました。そこでは仮通夜という形で弟の体が既に布団に寝かされており、土気色の体を右に傾けて眠っていました。(抗てんかん剤の長期摂取による副作用による骨粗鬆症で円背状態だったので、真っ直ぐ上を向いて寝ることが出来なかったためです)
暫く弟に線香をあげたりして明日からの事に関する打ち合わせを簡単に葬儀社の方と行ったあと、我々は葬儀社の方々の御助言に従い、弟を残して家へ戻って行ったのでした。
2026年1月11日日曜日
弟が急死しました
朝 身体障碍者の弟の入所施設より連絡があり、弟が宮崎大学の救命救急センターに搬送されたという連絡が入りました。
三連休の入り口という事でゆっくりと寝ている所を突然起こされたのですが、朝から切迫した声で弟の入っている施設から急な連絡。「昨日の夜二回嘔吐されて、経過を見ていたんですが今朝また嘔吐されてSaturationが測れなくなって宮崎大学病院の救命救急センターに救急車で運ばれました」との事。
正直、これはただならぬ事態が発生したことが確信出来ました。
実は三年ほど前に誤嚥性肺炎を起こし始めてからというもの、流動食が中心になっておりまして、劇的に痩せてしまっていたのでした。親父から送られてくる施設で過ごす弟の写真を見ていても「やつれていく」のが目に見える状態でした。ですから「なにか」が起きる可能性というのは常にあり、しかもそれは日々増していた訳なんですけど、その日が来てしまった感じです。
施設以外からも直接救命救急センターの先生御自身から電話が入り「血ガスの結果をみると乳酸値がXX、CO2がXX、COがXX」というお話で、今からCTを撮って何が起きているのか確認しますとのこと。その数値は絶望的なもので、聞く限りではもうアカンかなと思わせるもの。
実際に先生からも「どこまで治療されますか」という質問がありました。これは親父とも話をしてみないとと思いつつも、施設に親父が書き置いた意思表示評がある筈だと思って一旦施設に質問をしてみたところ、探し出してきた紙には「どちらにするか決めていない」という選択肢にばかり丸が付いていたとのお返事。orz
私からは救命センターに再度連絡を入れ「挿管と経静脈的処置まではお願いいたします。万一オペが必要でしたらそれも行っていただいて結構です」とのお返事を一旦させていただきました。
直ちに身支度をして出発する準備を始めてANAの時刻表を睨みながら息子を連れて二人で出発するためにチケットを取得。昼1:05分の便で出発する事となりました。到着は2:45ですが、万一の事を考えると一刻も早く到着したい所。
斧間にも先生から報告があり、造影CTまで行えたけれども誤嚥性肺炎ではなくS状結腸捻転による絞扼性イレウスが強く疑われるとの連絡。この言葉に再度衝撃を受けました。それが事実であれば発症の経過からして腸管壊死から敗血症などが発生していてもおかしくありません。
飛行機の出発は少し遅れ、ここ一年で一番の寒波の日と重なり遅延。飛行機に乗っている間も内心暗い気持ちでした。
実際に到着したのは3時過ぎ。レンタカーを直ぐに借りて乗り込もうとした時に(連絡のとれない親父に代わって)親戚の叔母さんから一本の電話が入りました。「間に合わんかったよ。先生が3:09分に亡くなったって言いやったよ」。連絡は15:12分でした。
2026年1月10日土曜日
樹木の間伐を初めて見た
2026年1月9日金曜日
降雪の予報を更に深読み
びっくりするほど強い寒波が北陸から北を中心にグイグイと降りてくる事が判っています。
実はある会社の社長さんから「明日、山の間伐で大きい木を伐るんでもし時間があったら今日から泊りがけで来られませんか?」とのお誘いがありました。要するに明日の仕事に備えて、今日は夜少しみんなで飲みませんか?という事です。w
私が先ず初めに行った事はネットで気象庁の降雪予想の経時的変化を時間単位で見ることが出来るサイトです。しかしながらこれには弱点があって、降雪の情報は示されても、路面の情報は示されないのです。
実際にそれに近い情報を示してくれるサイトも無い事は無いのですが、実際の路面の情報は粗く、現場のものとのマッチングはよくありません。特にメインロードから入った後の枝になる脇道の情報は「あかん」のです。
ここはもう完全に人間の推理能力の方が上。実際の情報がリスク50だとすると、前日の天気と当日の天気との混ぜ合わせ具合で当日の脇道のリスクは50から100まで大きく揺れるのです。特に日陰の道とカーブ、そして下り坂などは路面の状況がちょっとでも悪いと直ぐに事故へ直結です。
山の脇道の下り坂で崖の法面に突っ込んだり、轍に車輪を落としたら救助までの時間は地獄そのもの。勿論、命あればの事ですが!
結局、私は偵察を兼ねて「ダメ元」で設楽の山の中へ酒瓶を抱えて入って行きました。昔からラリーをしているので「これは滑る」という感覚はかなり掴んでいるつもりです。そこで、脇道へ入っていくと・・・思ったよりも前日の降雪と路面の凍結状況がヤバイことが容易に判りました。
特にブラック・アイス・バーンがあちこちに斑の様に見えたのです。
「あかんあかん!」入り口から直ぐ程度でこれならば上に登っていくと更に降雪とアイス・バーンの残りが増えるのは鉄板の事実。私は慎重にUターンして元来た道をさっさと戻りました。社長さんにはこういう事になる可能性を前もって話しておりましたので、相手も二つ返事で了解。
私は家へ戻る前にファミマに寄っておにぎりを一個だけ購入して帰宅。嫁さんはまだ起きておりましたので、事情を話したあとさっさとシャワーを浴びて体を温めました。
明日の朝から仕切り直しですね。やっぱ四駆の王様「軽トラ」が欲しくなる今日この頃です。^^
2026年1月8日木曜日
最近の病院は外国人無しでは…
2026年1月7日水曜日
やっと治った風邪
帰国してからの体調不良、やっと終息を見せてくれました。
漢方をベースに抗アレルギー剤を一日一回服用する状況でしたが、やはり小青竜湯の効果はよく出てくれて、私の風の諸症状を緩和してくれました。
何というか、残念ながら私の体調が戻って来るのに合わせるように何となく嫁さんが調子が悪いという状況が発生。何となく申し訳なかったのですが、嫁さんのバイト先でも一緒に仕事をした相方の人がその数日前に滅茶苦茶調子悪かったらしいので、一応犯人はその人という事にしておきたいと思います。w
今の所、嫁さんは小青竜湯をきちんと飲んでくれておりますので、これからそう悪化する事も無く症状は収束してくれる事でしょう。幸い、同室にいた娘も息子も何の症状も見せず安定した状態。恐らくウイルスには罹患していないのではないかと思います。
病院の中を見回しても意外とインフルエンザやコロナは出ておりません。熱発者のスクリーニングをしても、少なくともこの一か月で私の患者さん達にコロナは一人も検知されていない上に、外来でインフルエンザAが2人見つかっただけ。
コロナは今の段階では名古屋では流行っていないのは確実で、それは統計にも出ています。今月は既にインフルエンザも物凄い速度で消退している状況ですから、インフル等由来の熱発者は検出されなくても不自然ではありません。
何れにしても我々医療従事者側から見るとこの手の厄介な季節性の感染症というのは無いに越した事はありませんので、私としてはハッピーモードです。
高齢者の多い病棟では、我々くらいの歳では問題ない感染症でも、二次感染から最終的に命を脅かすような状態になるような事はごく普通ですので油断は絶対に禁物。今後も春先くらいまではコロナが戻って来る時期になるのを、統計情報を見つめながら日々注意してみていきたいと思います。










