勿論、弟亡き後の書類上の種々の整理を親父が開始して口座などの残金整理なども行い始めている訳ですが、それらの整理は僅かな時間経過の後には自ずと終了してしまう事です。弟自身に何らかの資産がある訳でも無く、いわば本をパタンと閉じるように「書類上」の人生は幕を下ろす事になるでしょう。
長女が我が家の家族向けに弟を中心に写された写真を使って何らかのメモリアル・ブックレットを作成しているようですので、その意味では物理的なメモリーとしては家族内で共有されるものは逆に増えるのですが…。
さて、終わらないものは何かと云うと我々遺された「生きていかなければならない」人達の人生。親父達二人は現在ともに寅年の87歳で、今年中に米寿になるような高齢者です。実は以前から先ず母親に「名古屋の方に住むところを準備したら来るかい?」という質問をそれとなく投げかけた事があるんですが、母親の答えはシンプルに「ノー」でした。
親戚や友人達が居るところ、自分の記憶が詰まっている所で余生を過ごしたいというのがありありとわかるような状況で、その様な反応が返ってきたのですが、当時はまだ今から10年以上前の事で、実際に母親の兄弟はまだ生きている人間が殆どという状況でした。ところが、それから十年経つ間にまさに櫛の歯が抜け落ちるように高齢の親族は癌や事故、その他の疾病で逝去していきました。
今遺されているのは母の妹と弟のみ。しかし母親の記憶の中ではまだまだ姉や他の親族も「生きている」事になっている様で、認知症のある母が時に「最近XXが家に来んけどどうしたっちゃろかい?」等と惚けた事を言って親父を苦笑いさせたりしているようです。
という訳で母は移動したくない派だったのですが、車いす暮らしになって認知も進んでくるとどこに住んでもあんまり変わらんのじゃ無いかなという気がしてきています。
親父の方はというと同じ質問に対して「俺はどこでもいいよ、来月からでも名古屋に住める」等と言うような腰の軽さを見せつけます。しかし、同僚の先生ともちょっと話したのですが、家で「する事がある」親父を無理に宮崎の家から名古屋に連れてきて「老人の家」に住まわせて暇させると却って認知症なんかが出て来るんじゃないか?というような予想も出て来ますので、それもむべなるかなという話。
何れにしても危なっかしくてとても宮崎の住み慣れた施設から動かす事の出来なかった弟が亡くなってしまった今、いくつかの選択肢が新たに許される状態で残ったまま宙ぶらりんとなっているのが一週間経った我が家の姿です。
嫁さんとも話したのですが、風呂場で孤独死したりしないような状況などを作りたければやはり施設かな~等とも考えるのですが、意外と一筋縄ではいかないものですね。ここ暫くはもう少し考えないといけない状況です。
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