すっかり部屋を片付け、弟の遺影となった写真に向かってお鈴を鳴らし暫しの別れの挨拶。6時少し過ぎには家を出て少しだけ冷えている未だ薄暗い朝の中で親父と短い挨拶を交わしましたが、親父は少し涙ぐみながらも明るく気丈に振る舞ってくれました。
暫くは弟の種々の手続きの事で気が紛れるはずです。実際、宮崎は田舎なのに地方都市としては異例なほど「死後の諸々」に関する種々の手続きは窓口が一本化されているようで、ありとあらゆる事が役所の窓口で済むように設計されているとのことで安心しました。あの書類でこっちの課へ、この書類でこちらの部署へ等ということが無いそうです。きっと決断力とスマートさを持った人物が意を決して制度設計をしてくださったのでしょう。役所でも出来る人は出来るのです。
さて、親父と別れてから暗闇の中を飛行場に向かって走ること20分弱で飛行場に到着。しおさいレンタカーの愛想の良い素敵なお姉さんに車を返し、いろいろと骨を折ってくださったことを感謝しました。
ブーゲンビリア空港という名のついた可愛い飛行場では暫し時間を使って名古屋へ持って帰るお土産選びを愉しみました。マンゴー関連の商品が多彩、漬物や牛肉関連の食べ物も豊富、そして何よりも多いのは信じられない種類の焼酎関連の品揃え。流石は芋焼酎の本場です!
飛行機に乗るとやはり乗り物好きの息子は顔が満面の笑み状態。実は息子は顔が弟と瓜二つであたかも傍らに弟が生きて座っているような感覚を覚えるのでした。そう言えば、弟は車に乗っていた時はいつも嬉しそうに外をじっと見ていたな~。
名古屋に着いてからは家まであっという間でしたが、やはり我が家は落ち着きますね。実家とは違う勝手の良さというのでしょうか。
家に帰り着いて座って今回一番思ったことは実は葬儀に関与してくれた長女のことでした。遠く離れて自分の見えないところで大学生として育ち、自分で仕事を選んで、自分でアートの仕事へとスピンアウトしながらも生活費は自分で大きく稼いでいる長女の成長。
親の自分がこういうことを言うのも実際変変なのですが、他人として見ても実にいろいろな事を手早くスマートにフィニッシュさせるその能力ともう一つ存在する創造性に「俺の子じゃないな」という感想を持ったことでした。
正直、俺の生物学的役割は「患者さんを助けることに集中して良い」という事を確認した5日間になったと思いました。もう、子供のことは子供に任せよう、嫁さんの老後も俺が死んだあとのことも心配は要らん…と思った2026年の年頭所感でした。
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