病院で仕事をしていると、人生のエンディングが近い時に全く兄弟や配偶者、そして子供達がいない人が沢山います。単に「今の時代」だからというだけでは無い、複雑な背景があることも非常に多くて、本人の犯した犯罪による離縁・死別・アル中・駆け落ち・遺産相続の揉め事・その他諸々の理由から血肉を分けた親族親兄弟が患者さんの晩年においても全く姿形を表さない最後が本当に多いです。
この事は内容を変えて何回か書いてきた部分もあるのですが、年老いた患者さんの甥っ子、姪っ子とか後見人などがついているパターンが本当に増えています。あとは役所が親戚代わりとなっていて、亡くなったりしたらそのままお骨焼きみたいな感じの直葬という最後。
死んでしまえばどうでもいいじゃ無いの?というのは確かに一つの考え方ですが、その人の長い人生に関する記憶が周囲の我々に一言も語られる事なくスッと泡の様に消えていく様は古典で言うところの「もののあはれ」そのものです。
そこを敢えて目指しているならいざ知らず、勝手に終着してしまっているんですから、まあ一つの芸術的な終わり方なのかもしれませんが!それにしても元気な時、若い時にタイムマシンにでも乗って今この瞬間の自分の無縁状態というものを見たとしたらやっぱり若い時の生き方を変えるんじゃ無いでしょうかね…。
トラブルの中に自分から飛び込んでいく様な人生を選び続けてきた人達が多いのは事実。人生の来し方を伺ってみても、普通なら「そっちは危ない方だよね」という方向に向かっていく選択を続けてきた人達がそういう状況に陥っているという、まあ比較的だれもが納得のいく終わり型になってきているんでしょうかね。
死ねば終わり、という言葉を真正面から力強く受け止められるならそれでも問題はないのでしょうが、根っこの弱い自分にはなんとなく寂しい終わり方だという気がしないでもないのでした。
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