電話で叔母から話を聞いた直後、たまらず目頭が熱くなりました。飛行機が遅れて僅かにその死に目に間に合わなかったことが残念で仕方ありませんでしたが、それを悔いてももう弟は還っては来ません。
飛行場から車を飛ばして、比較的近くにある救命救急センターに駆けつけるとそこには親父と親父の妹夫婦が控室で静かに待ってくれていました。
救命センターの看護師さんが部屋にやって来て「お兄さんですか?」と問いかけてくれました。「先生に会って説明から聞かれますか、それとも弟さんに先に会われますか」と問われましたが、一も二も無く「先ずは弟に会わせてください」とお願いしました。
部屋に入ると、既に血の気が引いたというよりも低酸素血症で組織には酸素を持ったヘモグロビンは殆どない状況、更に死語経過30分くらいの時間経過で既に「ほとけ様」と言えるような表情になっていました。
思わず近寄って手を握りましたが、体は未だ温かく、手もしっかり握って温かみを感じることが出来ました。左手にはルートを確保した形跡がありましたが、既に抜き取られていました。胸郭や腹部には特に特徴的な変化は見られませんでしたが、既に動きを止め静かな躰になっていました。
間に合わなかったことを弟に詫び、静かに語りかけると押さえ込もうとする涙が溢れて止まりませんでした。兄貴より早くあの世に行く弟があるか!親より先に死ぬ子供が居るか!と語りかけると共に、弟を治療するという小さな頃の目標を達成すべく医者にはなったものの、俺自身は弟に何もしてやれなかった事を心の底から詫びました。
手を握りしめてずっと語り続けていると、レスキューに当たってくださったM先生が出てきてくださり挨拶をして下さいました。私は意思疎通の困難な弟の為に全力を尽くして下さった先生に深謝し、言葉を交わしました。
その後、先生に案内されCT画像や血液データを見せて頂き医者同士が判る内容の話をしました。画像上はS状結腸捻転による絞扼性イレウスが酷い状態で、胸郭の下半分を埋める程に腸が膨張しており、誤嚥性肺炎などは無く腸管壊死後の敗血症性ショックと思われる事が推定されました。
恐らく、昨夜から激痛に苦しんでいたであろうと思われましたが、そのうちに腸管が壊死して痛みも無くショック状態に陥った状態で搬送されたことが容易に想像でき、言葉を発すること、自らが急いで動く事が出来なかった弟の無念を思うと医師の兄としては弟にゴメンという言葉しか出て来ませんでした。
親父の薄い記憶と親戚の叔母さんの話を頼りに葬儀社をネットで探し、家の近所の葬儀社の手配を済ませると三時間後に迎えに来れるという事でしたので、親父と息子と三人で近所のファミレスを探して食事を摂る事にしました。
Joyfullがありましたので、そこに入ると親父は何とツイン・ハンバーグを注文。どんな時でも良く食べる親父で、これなら心配は無いなと少し安心しました。
7時にお迎えが来ると何時もは送る側である私が今度は送られる側の家族になって送られるのは奇妙な感覚で、二人の看護師さん達に付き添われて移動するのは何だか現実感がありませんでした。
親父には遺体搬送車に付き添ってもらい、私は後を追う形で宮崎市内へ向かいました。そこでは仮通夜という形で弟の体が既に布団に寝かされており、土気色の体を右に傾けて眠っていました。(抗てんかん剤の長期摂取による副作用による骨粗鬆症で円背状態だったので、真っ直ぐ上を向いて寝ることが出来なかったためです)
暫く弟に線香をあげたりして明日からの事に関する打ち合わせを簡単に葬儀社の方と行ったあと、我々は葬儀社の方々の御助言に従い、弟を残して家へ戻って行ったのでした。
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