2020年10月31日土曜日
アメリカ大統領選の私的予想
2020年10月30日金曜日
ヴィレバン行ってきました
2020年10月29日木曜日
長女の仕事が決まった模様
2020年10月28日水曜日
生まれてはじめての睡眠薬
2020年10月27日火曜日
日本学術会議という不思議な機関
2020年10月26日月曜日
この母にしてこの子あり・アルコール依存症
2020年10月25日日曜日
こんな松茸もあるんだ
今日の今日まで知りませんでした。
ある方から連絡が入り「美味しいものが手に入ったのでもし時間があれば取りに来ていただけませんか?」とのこと。何を?と思いつつ仕事が終わった帰りに寄らせていただくと以下の写真のようなものを玄関口から出してこられました。
上に8本ほどの松茸、下に2本の全く上の(通常私が松茸と思っていたもの)とは異なる松茸が入っている特大のトレイが目の前にありました。下の二本の松茸は老茸(ろうじ)というものだそうで、酒呑みのつまみとしては最高のものなのだそうです。2020年10月24日土曜日
皆に観てほしい「チョコレート・ドーナツ」
邦題「チョコレート・ドーナツ」原題「Any day now 」という2012年のアメリカ映画を観ました。
アマゾンにあるかなと思って探してみたらしっかりありましたので、喜んでボタンをクリック。すぐに見始めました。登場人物の軸は基本的に三人。ルディ、ポール、マルコ。
舞台は70年代後半のCAという設定ですが、ルディというゲイの歌い手がいるバーにゲイであることを隠しながら生きる弁護士のポールがやってきて互いに一目惚れ。二人は相思相愛となるのですが、それだけならただの恋バナ。ところが、ここにダウン症の少年マルコと言う男の子が絡んできます。大好きなバービー風の人形をいつも大事に抱えている彼の母親はジャンキー。息子の前でコレまたヤク中の男とセックスをしてしまうような典型的なぶっ壊れた女。
このマルコをふとしたきっかけから救うことになった隣人のルディとそのゲイ・パートナーであるポールの法に基づいた「マルコを救い出すため」の激烈な戦いを描いています。あんまり書き込んでもネタバレになりますので、例のごとく詳細は実際に映画を観て頂いてご自身の感想を持っていただきたいというのが本音なのですが、当時のアメリカでは既に比較的LGBTにはオープンであったと思われるCAでさえも、実際にはこの様な「世間一般のゲイに対する強い偏見」があったことを想起させます。いわゆる「福音派的クリスチャンの持つべき伝統的発想」に基づいた正義というやつでしょうか。
衝撃的なのは、これらの偏見に基づいた「法と正義の番人達」よって引き裂かれたマルコが迎えた悲劇的な最後に関して淡々と、本当に淡々と綴った短い手紙が送りつけられた当該裁判の判事、ポールを馘首した上司、そしてマルコを何度もゲイの二人から引き剥がした家庭局のオッサン達がその文章を読んだ時の強い戸惑いの表情はその後の時代の変容を予感させるものだと思いました。
ウッと息がつまり涙をポロッと流した素晴らしい映画でした。観てよかった。差別や偏見というものの愚かしさを再び強く認識させられる映画でした。
2020年10月23日金曜日
自分の日常診療分野以外の疾病の薬の勉強
テレビの宣伝で法律事務所の宣伝がありました。
名古屋のローカルなのかどうかそもそも法律事務所の名前を覚えていないので、法律事務所の方には申し訳ないのですが、私向けには少なくとも効果がなかったことになります。なにせ名前覚えていないから。w
ところがその事務所の宣伝に医師を意識した各法律問題別の専門家を配して勉強させ、研修させそれぞれの問題にあたらせているというような宣伝内容をほのぼのアニメ風に解説しているものでした。この説明は確かにまっとうしごくなものですし、得意分野に特化した法律家が夫々の分野で攻撃や防御を担当するのは今の時代当然ですしね。
法律事務所だからと言って何でもかんでも案件に喰い付けば~という状態では勝率を上げることも出来ないでしょうし、そんな法律事務所じゃ時間が経てば客も寄り付かなくなるでしょう。(法律事務所って自分の受け持ち案件の分野別の勝率とかを開示してるんですかね?法的にそういう事をしたら駄目とかあるんでしょうか?知りませんが。)これはそもそも医者だからと言って何でも出来る等という事は「決してありえない」のとおんなじですよね。江戸時代の医者ならいざ知らずですが。
しかし、良くあることに関しては薄い知識であっても知っておけば日常臨床には大変有用だということはいくらでもあるわけです。患者さんが転入してきた時に他科の先生が処方されている薬の内容を見てその治療の組み立て方を当方のアタマの中で再構成する時などには、書かれている有名どころの薬を「ある程度は」知っていたほうが(すぐに調べが付く薬の辞典はフリーで医師用にスマホ・ソフトとしていくらでもありますが、それでも)スイスイと記憶の倉庫から呼びだしてアタマの中で理解できればやはり時間が短縮するし手早いわけです。
ところが、こういった時にもよく理解できないのはやはり(自分ではほぼ初発処方としては絶対に使わない抗癌剤は別として)眼科の薬です。幸い当院にはバイトの眼科の先生が大学病院から週に2回来てくださるので多くの患者さんに検査後は色々な処方が出されているのですが、それでも長い期間みていると点眼薬というのにも時勢によってイチオシというのがあるようで(無論、その先生方の好みにもよるのでしょうが)ある程度「この眼疾にはコレ」が今は流行っているのだなということや、処方のパターンが見えてきます。
そういった知識がどこで生かされるかと言うとバイトで行っている在宅診療。患者さんたちの中には本当に足がなくて外に出られない人がいるのですが、その人達にも50過ぎている人達を中心として他に糖尿病や眼の見え方に問題のある人などには(伏してお願いしてでも)最低半年に一回から1年に一度くらいは眼科に行って目の検診を受けてもらっているのですが、その眼科通院以降に使用する薬としての点眼薬の処方継続などの時に自分が継続を仰せつかっている時の勉強として「眼科という自分にはよくわからない世界」の処方の勉強は役に立つわけです。
オマケに最近は眼科の先生でも多くの方がネット上で薬の作用の解説や使用実感などを開陳してくださっているので、知識の肉付けには素晴らしく良い時代が来たんだなって強烈に思いますね。
ざっとではあっても、隣は何をする人ぞ?っていうのが理解できていると色々便利だなというのはどの世界でもあると思いますが、医者の世界も細分化が進んでいるとはいえ、そういった知識は無駄ではないなと感じる日常臨床です。今日は偶々思い出した眼科の話をしましたが、精神科薬なんかもその世界。睡眠障害、せん妄、認知機能障害などの対応などは一般科の先生にとっても決して他科任せでは済まされない事態も起きますのでそういう他科に関する知識が役立つ場面は同様です。
とはいえ、最終的には必ず専門医に確認を取りながらというのが我々の日常ではありますが。
2020年10月22日木曜日
携帯電話が無くなった!
「今日の仕事も辛かった~」というのは我々より少なくとも一世代以上年配の方々が聞いていた岡林信康の「山谷ブルース」という歌ですが、そんな感じの今日の仕事の締めくくりに事件が起きました。
さて、4時を過ぎあと病棟を2つほど回れば終了という時に「はっ」と気づきました。
「携帯が無い!あれ、あれ?」ということで白衣のポケットに左右の手をそれぞれ突っ込みます。更に胸ポケットも内と外それぞれに手を差し込みますが無い。もしかして、さっきIVHを刺入した時にベッド脇にふと置いたとか?という感じで患者さんのベッド脇にこっそり行ってみましたがやはりありません。
うむむ、これは不味いかも?ということでその前に行った別の病棟を3つ確かめましたがやはり無し。内科外来に行ってみましたがやはりそこにも影も形もなし。院外には全く行っていませんから調べるべきは院内です。周りの看護師さん達には「電話をかけてみたら?」と言われましたが、院内では何時も消音バイブレーション・モードにしています。
別の作業をした放射線科の部屋にも「iPhone無かった?」と聞いてみましたが暫くして「無いですね」との悲しい返事。仕方ないのでそんなあっちこっちの移動をに往復してみたのですが、影も形もありません。何時も軽口を叩く師長さんなんかは「あら、先生。w ちょうど走り回って痩せるからダイエットに良いわ~」等と大笑い。
私としては電話機自体はそれほど惜しくないのですが、病院から入ってくる緊急連絡が入らないのは激マズです。私的目的のこと関連は大したこと無くても患者さんの急変や病院からの相談などをキャッチできなければ「業務上の死」です。
焦る気持ちが盛り上がってきましたが、もう一度アタマの中で冷静に動線をトレース。やはり、一カ所だけは自分で確かめていない放射線科の「白衣を脱いだ時に作業する棚」の上を調べなければならないと思い直し、当直室で病院のマスターキーを借りて事務当直さんと突入するとありました。裏返しにおかれた私のiPhoneが。
良かった!一緒に歩き回ってくれた事務当直さんに大感謝。これで仕事の連絡がつきます。
しかし、今回の件で思い出したのは電話が無くなったらどこにも連絡が取れないということ。LINE,SNS,mail,電話。誰にも連絡取れません。勿論嫁さんの電話番号も知りません。w 今回のiPhone探索では「iPhoneを探す」というマックブックを使っていた頃には試してみた機能も自分のIDは覚えていてもPWを何年も使っていないために思い出せず・・・という情けなさ。生体認証ばかり使っていてどのPWだったか忘れてしまっていたのです。
しかし、久しぶりに物を失くす焦りというものを再体験致しました。疲れました。心が。
2020年10月21日水曜日
「どぶろく」くらい家で作ったらあかんのか
昨日、アル中の話を書いたばかりなのに矛盾しているように思われるでしょうが、本当にあっても良いのではと思ってます。
アメリカにいた時に生まれて初めて飲んだドイツ系アメリカ人の研究仲間が作ってくれた手作りビールほど旨いビールはこの世にないと断言できるほどの美味さでした。私自身は精々好きなのはアイリッシュビールと、コロナ・ビールの一部の銘柄くらいで、日本に帰ってきても確かに「美味いね~!」というビールは何度か飲んだことはあるものの、彼が作った手作りビールに勝るビールには未だこの世で出会ったことがありません。アメリカだとどこに行こうと手作りビールの制作道具や材料を売っている店がありまして、比較的手軽にビールを作ることが出来ますし、自分なりの味付けができるのです。ただただ大変なのは手間ひまをかけることと、最終製品を手に入れるまでに比較的長い間待たないといけないということ。
しかし「あの味」が手に入るのであればそれくらい待つのはどうってこと無いと思うほど美味しかったのです。
そういう意味で日本だとそれに匹敵するであろうものは「どぶろく」ではないでしょうか。ウィキペディアを調べてみると、どぶろくというのは所謂にごり酒ですね。清酒と比べて「濾す」という工程を経ていない酒ということなのですが、本当によく冷えたドブロクは旨い。
今回、こんな話を昨日に引き続き書いたのはある方から「郡上八幡のドブロクを手に入れたので試飲してみてください」という連絡を受けたためです。よく見てみるとビールのみならずドブロクも特区があるということを学びました。
そもそも、家で造るような酒が禁止になったのは上のウィキペディアにもありますが、明治の酒税法が原因だと言います。そのうえで、今の時代に合わない「手作り酒禁止」の法律が我々の伝統と想像力を奪ってしまっているわけです。私、思うんですけれど、私のベセスダの友人が最高の手作りビールを作り出したように、日本でもこの点を緩めた瞬間に百花繚乱の手作り醸造酒が登場するはず!
そしてその中からは量こそは敵わないものの、カンパニー・レベルでも太刀打ちできなメチャウマの手作り酒が登場するはず。さっさと「悪法」酒税法を改正して旨い酒を我々の手に取り戻させてほしいなと思うのです。
2020年10月20日火曜日
次から次へとアルコール依存症患者が・・・
大変残念なことですが、精神科の「依存症病棟」という部門から最近次から次へと患者さんが内科へやってきます。
しかも、その患者さんの多くがアルコール依存症の末に辿り着いた「非代償性肝硬変」という状態です。日本人の肝硬変の多くはB型・C型肝炎ウイルスによるものなのですが、肝臓をアルコールによる波状攻撃で連日のように洗い続けた末に辿り着くのがアルコール性肝硬変。
肝臓というのはもともとが素晴らしい回復力を持つ沈黙の大工場ですから、通常はちょっとやそっとのことでは音を上げませんし、持ち主の無理な飲酒でも黙って耐え続け、相当のレベルまでは「肝硬変の症状」が出てくるようなことはありません。
しかし、それでも血液学的にはある程度の確率でγ-GTPが上昇してきたり、赤血球が大球性になってきたり、アミラーゼの値が上昇してきたりと思えてに出ないところでは生体側の反応としていろいろな数字が踊り始めます。実際に肝臓全体の種々の酵素が上昇してきたとしても、飲酒を止めればかなりの速度でこれらの数字も正常値に戻ってくるのですが、それも繰り返されれば炎症の発生と消退のパターンと一緒で組織の線維化と言うことが起こり、正常組織の割合が減少していきます。この過程が肝硬変の進展。
さらにそういった飲酒行為を繰り返していくと御想像の通り正常部位はどんどんと減り続けるとともに回復の限界を迎えた時点で肝硬変の「症状」が出てきます。そこから始まるのは種々の「肝機能の非代償性」による宜しくない症状の数々。
易出血性、腹水貯留、肝腎症候群、意識障害など多様。静かな大工場と言われる肝機能を代用する本当にたくさんの薬を飲んで貰いながら腹水を抜いたり心不全のコントロールを行ったり、食道静脈瘤などの破裂に備えるわけです。
しかし、彼らに共通するのは本当に「病識の欠如」だと感じています。いくら患者さんと話をしても、本当に多くの場合「大して飲んでいない」という詭弁を繰り返すのみ。その酒量を聞くと唖然とするような物がほとんど。休肝日もほぼありません。
そして内科病棟へカエル腹でやってきたときにはもう手の施しようもないことが殆どです。ウイルス性肝硬変は日本において今後劇的に減っていくのは確実です。しかし、日本においてはアルコール依存症由来の肝硬変は確実に現在の10-15%の率から時間をかけて半分以上の肝硬変要因になってくることと思われます。(非アルコール性脂肪肝炎NASHの上昇率がどこまで行くかにもよりますが。)
厳しいです・・・。
2020年10月19日月曜日
精神疾患と思ったら・・・
最近経験した症例でこれは気をつけないかんという例をメモしておこうと思います。
ある中年の女性患者が、家族に連れられて病院にやって来られました。私の外来の患者ではなかったのですが、夜間だったので興味深く脇から話を聞いていました。家族の方によると、なんだか最近話が噛み合わないし様子が変だということで来られたのは良いのですが、よく観察していると少し歩く時の姿勢に問題があるのと靴を履いたときに上手に履けませんでした。
話の内容もどうにも不明瞭で言っていることが曖昧。論理的に話すことが出来ないようです。この点に関しては精神科医ではないので、その精神科の先生が診察する様子を見ていたのですが、いろいろと問診や家族歴などを採ると同時に他の家族さんにも「おかしさ」を感じた時期やその時の様子を詳しく聞いて最終的に神経学的なチェックと脳のMRI画像を取得することとなりました。
認知症の患者さんでは、大脳皮質の全般的萎縮や特徴的部位に優勢な部分的萎縮、脳の各所に散らばる梗塞巣などそれぞれの部位へのダメージで現れるであろう症状を予測したり、病名をつけたりしながら診断を進めていきます。勿論、統合失調などだと思っていたところ、頭蓋内に腫瘍性病変や血管性病変、出血などが存在して精神症状としてそれが表現型の一部になっているというのも良くある話です。また、代謝疾患が如何にも統合失調や認知症様の表現型を見せることだって医学的には稀ではありません。
しかし、初診で精神科に連れてこられた時に基本的には医師はその「異常」をまずは認知症や統合失調という型に嵌めようと言う感じで見ていきがちです。しかし最終診断までには画像も含めた診察も大切で、こういう頭蓋内のイメージングが得られなかった時代の患者さん達の中には物凄い数の誤診による出鱈目な投薬治療なども行われていたと思います。間違いなく。
さて、この時の女性患者さん、全ての診察が終了してイメージングのためにMRI室まで言った時点で装置前のモニタを見てびっくり。ソフトボール大の巨大な腫瘍が左側頭部に一つ、更にはピンポン玉を少し小ぶりにしたようなサイズの虚血部位が右後頭部に一つありました。
夜だったのですが、これは精神科領域の取り扱うものではないということでこの日の当直の先生は直ぐに大学病院に連絡を取り搬送という対応を取られたようですが、最終診断を知りたいところです。
「こうだろう」という先入観を持って物事を見ていくのは実に危険なことだと、日頃の忙しさの中で忘れかけていた自分に改めて思い知らされた症例でした。
2020年10月18日日曜日
汲めども尽きぬ悪行の数々w
先日、893のオジサンの入院のことをチラリと書きましたが、今まで聞いたこともないような話の連続でその手の世界とは通常縁の無い私にとって面白い事この上なし。
基本的に私の好きなバクチの話が話の骨格の多くになってくるわけですが、(単にテレビドラマや小説で見せてるような博打がどれほどリアルなのかという事が中心)オジサンの話は私の想像の斜め上を直ぐに飛び出していき、「まじかい・・・」という様な話が次から次に出てきます。
その話の中にはXX会のXとかXX県警のXとか警察やデカのヤクザへの当たり方と潰し方、ムショに入っている若衆からの連絡にどうやって対応しているとか、具体的な名前や組織名はなんとなくボカして話しているのですが(勿論私には何の事だかよくわからない人達なのですが)出てきて面白おかしく種々の話をしてくれるばかり。ラブホに立てこもったバシタの話や、警察との競り合いの話などなんだか表からは見えてこない話はワクワクものです。
結局の所、組織というのはその仲間を守りその仲間に金を稼がせ飯を食わせることが出来る人間が組織のアタマになるという事がよく分かる話の数々が出てきます。博打のときでもやはり既に彼らの行う麻雀などは既にカネを右から左へ動かすための究極に簡便化された「博打」であって、既に麻雀の牌を使った別の賭け事になってしまっています。ブーマンなんていうのはまだまだ序の口で、更に掛け金とテラ銭が普通の次元とは全く異なるレベルで動いている話を聞いて口もあんぐりです。
暴対法後のミカジメ料の集め方や半グレ集団と暴力団の実際の関係、若い女の子達と裏の社会の繋がりなど、話を残らず書き出せばそれだけで一冊のムックが出版できそうな豊富な話。しかし、出てくる話が次から次へと尽くやばい。やっぱりこの人、還暦前後の人生のうち20数年近くを塀の中で過ごしてきただけあって「あっちの世界」の話には事欠きません。
やっぱり、この人は病院から出ていっても笑いながら、また悪い事に手を染める、、、というか普通にまた悪い事やっちゃうんだろうなと思います。話を聞いていると、人生の中でそういう仲間たちが助け合って生きていく「互助会」のような世界観で生きているので、娑婆に戻ってきたところでまた生きていく為に悪いことに手を出し続けるな、と直感ではなく強い実感として感じるのでした。
ピカレスクと言うのはこんなオッサンなんでしょうかね?安部譲二も元気な若い頃はこのオッサンみたいな人だったのかもしれません。
2020年10月17日土曜日
子供を叱らない親がいるそうな・・・
ネットの記事を読んでいると「子供を叱らない育て方」「褒めて育てる」というのが流行っているというのを読みました。
最近病院で若い看護師さん達が内科病棟での仕事を続けるうちに3人次々にドロップしていっていくという出来事が起きて師長さんが頭を痛めていたのです。ストレスがかからないように特別に考慮した勤務表を作成して仕事を教え始めていたのですが、まず始めに仕事を開始しようとした当日に一人目の女性が現れませんでした。orz
残る二人のうち一人は女性で看護師になって間もない人だったのですが、三ヶ月ほど頑張ったあとやはり辞めていかれました。最後の一人は男性看護師。小さなお子さんもいるということで夜勤も可能な限り組み込まず、入れるときでも本来二人のところを三人夜勤としていました。ところが、最終的にこの若い男性も看護部長に精神科病棟への勤務配置換えを希望し去っていきました。
師長さんの落胆ぶりは相当なもので、見ていて本当に気の毒になるくらい。
彼女なりに最善を尽くし、ベストのケア・テイクまでしていたのに最終的に三人共育たなかったことに大きな衝撃を受けたことは確実で、涙を流す場面も見ることになりました。口をついて出てくる言葉は己を責める言葉と自信を失ったことによる仕事への疲れと意欲低下の表現でした。
私は彼女の指導や努力を横で見ていましたが、十分新設で周りの看護師さん達も十分に三人をサポートしていました。最初のトンデモ女性は別として、残りの二人も適切な指導をしていたと思います。しかし指導は「結果として」うまくいきませんでした。
実は、今回のネットの記事を読んで思い出したのは今回の三人のこと。彼らの世代はいわゆる運動会で順位をつけずにゴールをさせるようになったり、同じレベルの子供達をグループいして「差をつけないように」育てられた世代だということでした。唐突に今回のことを繋げるのに違和感を覚える人もいるかも知れませんが、私には強く繋がっている気がします。
差をつけられないヌクヌク生活の義務教育を終わった後はいきなり一点差で順位をつけて己の実力をまざまざと噛み締めさせられるREAL WORLDの中へ叩き込まれるわけですが、一体全体先生方は何を考えて共産主義思想を教育の中にまで持ち込むのでしょうか。
私の感じるこういう「弱い」若者達に共通して見て取れるのは叱られることへの徹底的な弱さ。親に叱られた事がないのでしょうか、先生に叱られた事がないのでしょうか?ちょっとの指導が耐え難いほどの心の傷になるようで、直ぐに看護部長室へと直訴をしに行くようです。先生に怒られて親に言って叱ってもらうようなつもりですかね。w
それはそれで私は構いませんが、そんな連中が溢れかえる未来の日本に勝算はあるんでしょうか?傷つきやすく優しい、自分の力を客観的に評価できない大きな子供達。
外の世界は日本とは比べることも出来なほどの強くて冷たい風が吹き荒れているのですが・・・。
2020年10月16日金曜日
のぞきが商売
2020年10月15日木曜日
意味のない薬の処方要求
薬をもらうのが大好きな日本のじいちゃんばあちゃん。
金を払う額に関してほとんど気にせずとも良い国の政策によって使いもしない薬でも気兼ねなく、かつ気軽に何とかして手に入れようとする連中の多いこと多いこと。連中と書きましたが、正直わたし最近頭にきています。
自分もだんだん還暦に近づいてきましたので良く分かるんですが「年寄りを敬え」というのは全くのデタラメで、敬うべき人物は年令に関係なく自然に敬われるべきものだという単なる自明の摂理を年寄りだか誰だか知りませんが勝手に書き換えられているだけの話です。私は自分より若くても仕事のできるひとには大きな尊敬を払います。自然なことですよね。
年寄りだろうが若かろうが碌でもない輩は碌でもないわけで、そもそも歳をとったから尊敬の対象にシフトしていくわけでもありません。多くの場合、単純に体力知力が共に弱くなっていきますから丁寧に扱っていきましょうという優しくすべき対象になっていくだけです。尊敬されるべきか否かは全く別の問題。多くの場合「ただの人」です。
年寄りがこの社会を作ったというのではなく、先祖からの知恵の積み重ねの上に人類の生活自体があるわけで、社会を支えているのは別に年寄りではなく若者も含んだ労働人口というものに含まれるグループの人間達です。
前振りが長くなってしまいましたが、外来に来て薬を欲しがるお年寄りの中には本当に症状なんかは全く関係なくPL顆粒をのまないと体が持たないとか、漢方のXXを月にこれだけのまないとやってられないとか言い張る連中がわんさか居られます。はい。
そもそもその手の人達はこっちの話を聞こうとしないし、多剤併用による深刻な副作用出現のリスクなどに関しても聞く耳持ちません。知力の低下と頑固さの増強が重なり合ったときには本当に担当の外来看護師と顔を見合わせて「困ったね~」という事になります。ではこちら側で勝手にこっそり不要な薬を切ったらどうなるかと言うと、これが意外と強いこだわりを持って薬の色や形、数などを覚えていて「XXが入っていない!」と怒る人もこれまた多し。認知機能は低下していてもこれにだけは奇妙なコダワリという困った状況が出現します。
私は基本的にいろいろとこういった爺ちゃん婆ちゃんをダマクラカス方法論を長い間にちょっとずつ編み出してきて少しずつ少しずつ減薬していきますので、最近は最終的にはかなり減らすことが出来るようになっています。
無論、それを乗り越えてこようとする難敵は未だおりますが!w 爺ちゃん婆ちゃん、薬はのめばいいってもんじゃないのですよ~。
2020年10月14日水曜日
ガン末期の患者さん達の身の寄せどころ
ガン末期の患者さん達で家族の縁の無い人達がいます。
自ら家族を捨てた人、自然と類縁の人々がひとりひとり亡くなって最後の一人となってしまった人、家族から見捨てられた人、家族との縁の切り方は様々です。
本当にいろいろな人が居るんだな~と自分でも驚くほど、様々な理由で家族の絆というのは切れていきます。犯罪、病気、借金、家出、火事、浮気、リストラ、アルコール、薬、DV等など確かに想像はつくけどここまで簡単に家族というのは崩れるのだなということを日本に帰ってきてからの6年で学びました。
どんな人生を送ってきたにしても、どんなに金があっても人の半分は癌になる時代。様々な人達が家族と縁が切れた状態で病院に流れ込んできます。無論私が行っている在宅のバイトの患者さんの中の一部の人達のように、手厚い看護を受けて家族に囲まれて最後を迎える方も居られますが、それはごく一部。
痛みを取り除き、呼吸苦をなるべく意識させないように患者さんを安楽な状態に持っていくのが私の仕事ではありますが、家族と会えない状態での人生の最後は「私には」寂しく見えたりします。ところが、それはごく皮相な見方だと思えることが以前ありました。
咽頭癌の患者さんでしたが、私の受け持ち患者さんではありませんでした。時々この方の気管切開チューブを交換するお手伝いをするくらい。明らかに癌が大きく盛り上がって首を物理的に強く圧迫、最後の最後まで繰り返される大量失血や呼吸苦に悩まされて看取られましたが、この方は何度インタビューしても決して家族関係を「誰にも」話しませんでした。話を気管切開のチューブを交換する時に時々聞いてみてもニヤッと笑うだけで決して話さず、生活保護受給者としてその最後を迎えたのでした。
この人にとって家族と言うのが何だったのかは最後まで想像する事さえも出来ませんでしたし、この人の最後はもしかしたら彼なりのダンディズムに貫かれた最後だったのかなと後になって考えたりもしたのでした。逆にこういう態度を取らせた彼の「本当の」人生の遍歴と本当の元の家族の人達を見てみたいと考えたりしました。
しかし、どこでどういう最後を迎えようと、家族に囲まれていようとヒトの最後は一人ですね。それだけは確かだと思うこの頃です。
2020年10月13日火曜日
ノーベル賞発表の季節に
毎年マスゴミの皆さんが大騒ぎ「今年日本からノーベル賞は出るのでしょうか?」と。
正直言ってまいどまいど思うのは本当に愚かだなって言うことです。確かに受賞に値する業績の多くは確かに「素晴らしい」ものです。しかし、一体全体このダイナマイト商人が設定した賞が本当に世界の知性を本当にHONORしていると言えるでしょうか?
私は全くそうは思いません。受賞が一つのタイトルに関して最大3人。死んでいたら受賞の対象者にならず。しかも今迄の受賞者の中に全くその栄誉に属すべきでない人間も紛れ込んでいますし、受賞のタイトル自身もその後に「過ち」と判ったものもある始末。
素晴らしい研究は世の中を「必然的に変えていくもの」だと思っています。その事自体がその人達にとってのHONORであり、数が限定されるものでもなく年齢も関係ありません。まさに表には出てこない物凄い数と質の貢献者達が無数にいるのです。
本当に訳がわからないのはノーベル賞には対象となるべき受賞の対象分野があること。しかし、数学のような学問の根幹となるような分野は対象になっていませんしね。(ノーベルの恋敵が数学者だったからという説があるようですが。)いろいろと欠陥を抱えた状態ですが、物理や化学くらいまでならまだまだ純粋に世界のすべての分野にその利をもたらす論理的整合性という意味で世界の誰もが理解できるものでしょうが、翻訳されもしないモノが世界中に散らばっている世界中の文学の中から文学賞を選び出したり、政治の対立や運動の中で「その時代のそのある瞬間」に正しいとされるような思想を委員会の誰かが選び出してメダリストとするとか殆ど茶番・噴飯ものです。
経済学賞もほぼ「お前らときたら・・・」というようなのばかり。選考委員達からして己の弟子や友達のレベルの人間を選考していく訳ですが、その上でそもそもあんたらが作った経済学の理論の殆どは世界の人達を幸せにしていますか?という根本的で重大な疑問には誰も答えられないと思いますが、どんなもんでしょう。
お隣の国韓国ではまさにそういった「受賞」自身が中身より大切なクソのような思考回路を持つ国。受賞予定者用の台座が準備されているファンキーな国です。同じような思考回路を持つマスゴミもお隣を笑えませんわな。
そんな連中には私の敬愛する本物の科学者の言葉を噛み締めていただければと「毎年」思います。下で語られる言葉は本当にそういう賞を神輿のように担いで馬鹿騒ぎする連中に氷水をぶっかけるような凄みがあります。
2020年10月12日月曜日
女性の敵は女性
病院というところは女性が圧倒的に多い職場です。
勿論、診療科によっては男性を多く採るような部署(男性患者の多い精神科病棟など)もありますが、多くの内科系やクラインの科目は女性が圧倒的です。そこのでは私達男性の目からは見えない、女性だけの多くの静かな戦いがあるようです。
ずーっと後になって別の女性から、ふとしたことで「先生、あそこの病棟でXさんとYさんとでグループが分けられてて反目しとったの気付いとった?」というようなことを言われて、正直「?」という反応を返すのが精一杯。鈍感です。
そういう話を聞いたあとで、こっそりと~それとなく~その手の話に関係無さそうな人にそういう事はあるのかと事実関係を尋ねると「え、前からですよ。w」というような反応が返ってきたあと、結構細かくナカの人間模様に関する詳細な証言が得られたりするもので、そのドロドロとした内実に腰を抜かす事があったりします。
無論、得られた話は話し半分以下で受け止めるといういつもの「この手の話に対する」私の情報処理のやり方なのですが、それでも何時も働いている病棟の中の人間模様に関してそういう話が出てくる事自体に驚きを隠せません。
という事は、私のような鈍感力の高い人間は「見えない銃弾」が飛び交う中をあるきまわって仕事をしていることになるのでしょうか?私には一見すると普通に仕事が回っているようにしか見えないのですが、もしそうやって数人が話してくれた職場の人間関係の内実に関する情報がある程度正しい話を「含む」ものであるとしたら、看護師さんの職場というのは男の私が想像する以上にドロッとした何か掴みどころのないものが漂っているのかも知れんな~等と思ってしまいました。
私のような医師が彼女達の噂の俎上にあげられて膾切りにされたり良いように調理されて噂をばら撒かれるのは私自身は全く気にもしないし、傷もつかない(気付いてない)のですが、彼女達の内輪の争いで病棟業務に万一の支障が出るのは主治医としては阻止したいところ。
ただ、そういうことを綺麗に捌いてくれる師長さんの存在が比較的多数なので、多くの病棟において私には有り難い事です。勿論、全ての病棟においてそういった手綱捌きを見せてくれる人ばかりではないのも事実で、一部グダグダの人間模様を見せるところも有りはするのですが、そこはやり過ごすしか有りません。残念ですが。
こういったグループは比較的看護師としてのレベル別に別れている事が多い印象で、病棟を良くしたいと思う人と、それを気にもかけない人達との間には深くて広い溝があるような気がします。願わくは改善派が優勢であって欲しいものと心の底では願っているのですが、実際はそうシンプルでもなさそうなところが難しいですね・・・。
女性の間の戦いは男の私には全く読めません。
2020年10月11日日曜日
893も大物はやっぱり頭が切れる
入院患者さん達の中には当然「その筋」の方々もたくさんおります。
ところが入院患者になってしまうと多くの人は一見して「萎んでしまったような」人達が殆んどですね。確かに威勢の良い「墨」が若かりし頃の勢いと切った張ったの渡世の感じを醸し出してはいるんですが、齢も75位を超えてくるとその体に彫り込まれた柄にもシワが入ってきて逆にみっともなくなってきます。
私はこっそりこの手の墨が沢山体に入った渡世人達を「アニメ好き」と呼んでいるんですが、だいたいこの手の彫り物は赤・黒・緑・黄・青で全て構成されている感じです。みっともないのは筋までは入っていて色が部分的にしか入っていない人達。金が無かったのか、根性が無かったのか、はたまた中途半端な輩だったのか。
明らかに手前で彫ったんだろうなと思える彫り物も多くて、その中でも自分の女の名前が多い印象。あとは星型や文言の彫込み、残りはクスリやってて絵かきをやったんじゃないんかい?というような全く意味不明の「やっちまったな~」系の落書きですかね。
アルコールで肝臓が萎んじゃってる人、クスリで脳味噌が萎んじゃってる人、若い頃のクスリの回し打ちや入れ墨関連と思われる感染でC型肝炎になってしまって肝障害や肝臓癌になってしまっている人など、沢山この手の人達の最後の瞬間を見送らせていただきましたが、中には指もきちんと10本あって、墨など体のどこにも入っていなくて、人柄もにこやかで、役所の人からの案内で「その筋の大物」との前説がなければ決して893とは思えない一見すると好人物の人がいるのです。
ところが、この手の人の中には然りげ無く「超高級な時計」とかを持っていたりする人もいて、やっぱりなんか金回りが違うんだろうなと思える瞬間があります。全部で10回くらい懲役打って、今度出てくる前には4年食らっていて・・・何ていう話を楽しそうにしたりするので、私のように「いろんな違う世界」の話を聞きたい人にとってはこの手の世界の人達の話は時間つぶしには最適です。w
実は同じ病棟に対立する組の人間同士が入っていたり何ていうのも「意外と」多いのですが、一方が既にそういう世界を過去に捨てているような場合にはこれまた「意外にも」病棟内では摩擦というようなものは殆ど起こりません。何にしろ病棟で一番強いのは医師。万一の場合には「出ていってください」の一言で終了ですし、更に問題起こすようだと直ぐにXX署から大挙してデッカイ警察官たちがやってきてこれまた終了です。
とはいえ、上に書いたような幹部クラスの入院患者になると揉め事を起こすことはほぼ絶無と言って良いレベルでして、やはり人の頭につくような人間というのはどの世界でも脳味噌の中身が良質のようで、話をしていてもポイントを良く理解して話をするし、人を話の中に持ち込むのが上手です。まあ、こうやって人をたらし込んでいくんでしょうが・・・。
今の時代、金を稼ぐのが上手い人間があちらの業界ではトップになるのでしょうが、そのトップになるための稼ぎ方が常に法に触れるものなんでしょうな。そこの中身は相手が語らない限り聞きませんが・・・。
その脳味噌を学問に向けてたら別の世界が広がっていたのでは無いかと思うとちょい勿体ない気も致します。
2020年10月10日土曜日
発熱外来の拡充
愛知県からの補助金が出てきたため新たな施設購入をおこないました。
貨物車のコンテナ風の移動式設置が可能な窓付きの部屋を2つ購入して内科外来の外に設置することになりました。今まで他の病院を眺めていると、病院の外に簡易テントを置いたりしているところ、またインフレート(空気でふくらませる方式)の自衛隊の災害用テントのようなものを置くところなどがあります。
値段を調べてみると、ごくごく簡単なものは数万円なのですが、例えテント式であっても、本格的な空調設備などが付帯していると400万円位するものまでありました。我々のところはコンテナ式ではありますが、まずはレンタルでその使い勝手を調べてみてそのシステムの使い勝手が良ければ買取りというふうに変えていこうとしているみたいです。
このコンテナの中も換気システムや冷暖房システムが完備されて居るわけですからそれなりに価格が上昇するのも当然なんですが、「医療用」という名目が商品につくだけでいろいろなものの値段がフツーに3~4倍に値付けされますので、原価は1/4程度と思ってますけど、実際に私が金出すわけじゃないんで・・・。どうせ病院としては損金処理とかで何とでもなるでしょうし。
今の時点でも有熱者のスクリーニングのみでなく、今まで病院に通院していなかったけれども今回われわれの病院に新規入院することになった新患さんの受け容れにも大変に気を使っています。心理的な負担のみならず実際に物理的な防護システムを厳重に装着して検体検査を行った後、個室での数日間の発熱観察というwindow periodを経て最終的に大部屋への移動などしておりますので、受け容れの効率という意味でもかなり余計に手間暇と時間がかかってしまいます。
毎度毎度抗原検査等を走らせては胸を撫で下ろすというのが非専門系の内科病院の実情と言うべきところでしょうか。
今回のパンデミックの影響ですが、実際、毎月に換算すると平均して2-3人分の受け容れ患者数の削減を行わければ各病棟は安全に回せない状態が続くため、減収としては各病棟毎に100万円ほどとなるのではないでしょうか。それを病院全体の病棟分で掛け算を行うと、毎月最低2000万弱の減収になるんじゃないかなと荒く推測するんですが、この推測が当たっているか否かは経営に関与する側の人間ではないのでわかりません。でも、増収ということは「絶対」にないので打撃は大きいと思います。
病院全体の入院患者数を示すボードを毎日眺めていますけど、確かに警戒警報が愛知県全知でビシッと威厳を保って出されていた第一波の後ぐらいには通常の入院患者数マイナス30人くらいにはなっていたので、やはり月換算で1000万台の減収は固いとみています。
首を斬られないように真面目に働かねば!w
2020年10月9日金曜日
大忙しの当直の日は
通常、当病院での当直というのは業界用語でいうところの「寝当直」というのが多いのです。
ところが、年に数回ではありますが火を噴くような忙しさを経験する日がありまして、それがまさに本日でした。orz それはそれで医師として対応するのは仕方ないんですけど、通常朝から晩まで救急車が駆けつけ続けるという前提で仕事を受け付ける病院で仕事をする時と寝当直で仕事をする時とで当直に入る前の気合いの入り方自体が全く違うのです。
ですから、寝当直のつもりで入った時の当直であちらの病棟から緊急コール、こちらの病棟から緊急コール、それが終わったらこっちからエマージェンシー等というような状況が発生すると正直「聞いてないよ」と心のなかでボヤいたりします。
状況がシビアすぎて大学病院に送り込まなければ対応が難しいと言うようなときには大急ぎで紹介状を書いて救急車を呼んで転院などということも当然しなければならないわけです。何れの場合でも淡々とやり続けるわけですが、流石に一人で4件5件と休み無しの対応を続けると、ここって三次救急の病院じゃないよね・・・ブツブツ・・・となってしまいます。
そういう時は冗談半分で今日の担当当直司令(<多くの場合各病棟の師長さん)が呼び寄せ体質なのではないか⁉等と訝ったりするものです。完全に濡れ衣ですが、遠足に行って雨が降った時に「誰か雨男とかおるんやないやろうな~?」等と言うレベルのものですね。
時には患者さんだけでなく職員が高熱を出したり、処方が欲しいと言ってきたり、最悪の場合職員さん自体が怪我や針刺し事故、てんかん発作などで倒れたりなどという事も一年を通してみれば時に起こることなのです。仕方ない時は仕方ない。
とは言っても、当たらないに越したことはないんですよね。w 忙しいかった後にちょっとぼやきで呟いてみた今日のブログでした。
2020年10月8日木曜日
人を見る時の基準
よく「第一印象が大事」等と言う言葉を聞きます。
実際に第一印象が良いと人生においていろいろと有利になるというような研究結果が出ていますし、見栄えの良い人というのはいろいろな面で有利なのは間違いないと思います。50年以上生きてくると別に統計などみなくとも実体験として他のイケメンや美人を観ていると「その通りでございます」と自信を持って言えます。w
しかしながら、世の中の多くの人々はノン・イケメン、ノン・美人でありまして、そのような人々が社会の中で良い印象を得ようとすると、自然に外見ではないなにかをbrush upするしか無いわけで・・・。勿論、私の場合はますは自分の外見や体臭で「迷惑」をかけないようにオジサンとして清潔を保つことになるべく努力を傾けているわけですが、そう簡単でも有りません・・・。
ところが実際にその人の魅力というものは外見を超えたもののほうがずっと深く、男か女かであるかなどに関わりなくその魅力を持つ人を一旦好きになってしまったら、その人に対する評価というものは比較的良い方に固定しがちです。
その魅力の源泉は喋り方であったり、深い見識であったり、知性であったり、収入であったり、運動能力であったり本当に様々。何らかの魅力を持って社会の中で生きていくほうが有利なのは間違いありませんがその「魅力」なんて言うのはたった一つであっても得ることは難しく多くの人は突出した一つではなく幾つかの破片を掻き集めて何とか魅力にしようとするのが日常ではないでしょうか。
寧ろ魅力を得るよりも自分の印象を傷つけるもののほうを他の人に撒き散らす確率のほうがよほど高いわけで、魅力の相殺どころかメーターは得てしてネガティブの方に傾いちゃったりします。だからと言って必ずしも落ち込む必要もないわけです。外との関係を絶って一人で生きるという立派な生き方もありますから、そういう体外的なものが苦手な人は自分でできることをして自分一人でなんとか生きるという選択もあり。しかし、これは実際のところ内面が強靭でないとキツイ人生になりがち。
社会に出て働きだして私が簡便法として「ヤバい人」を判別する方法として使っているのは実に2つの簡単な方法ですが、結構使えます。頭の構造が単純なのでまずはこのふたつだけで最初の人間関係フィルターとしています。
1つ目は「話す時に目を合わす人」かどうか。2つ目は「挨拶をする人」かどうか。理由や実例など何もここには書きませんが、日常生活での面倒くさい種々のことを起こすような人を避けるにはこの2つを気をつけておけばかなりクリアにトラブルを避けられると思います。
この2つが初対面からできる人との付き合いは私の記憶の限り多くの場合問題ないように思えます。他の人はなんか明確な基準を持っているんでしょうかね。知りたいなと思うこともあります・・・。
2020年10月7日水曜日
新型コロナの時代のインフルエンザ
そろそろ患者さんやその家族の方々から「インフルエンザのワクチン接種って何時して貰えるんですか」という質問をもらうことが多い時期となってきました。
実はインフルエンザというのは特に冬に感染者数が多く発表されて「有」症状の方々が毎年11月頃から爆発的に増加して3月を過ぎると急速に萎むというパターンを繰り返しているのは毎度のことです。ところが下のグラフを見てもわかる通り、例えば勢いのあった2018年の次の年の昨年2019年などは本当に激減というレベルです。
これが実際のところ皆がマスク着用を励行したせいでしょうか。実際のところはわかりませんが、新型感染症の噂が拡がり始めたのは少なくとも11月なんてことはなかったと思いますので、12月以降の凹みの状況からが実際のコロナウイルスに対するマウス着用の効果だともっています。実際に私が最初にコロナウイルスに関して記述をした最初のブログが1/26の記述ですから、この頃には十分日本国内でも中国からのウイルス電波のニュースが広がっていたことが判りますし、実際に私自身もマスクをして移動したりし始めていました。だとすると、今年のインフルエンザは昨年以上により激しく落ち込みを見せてくれるんじゃないかという個人的な予想をしています。もしかしたら今後もこの時期にはポスト・コロナという感じでより多くの人がマスク着用を励行し始めて、上のグラフにあるような高いピークの高さが今後はかなり恒久的に半分くらいになったり・・・なんていうことが起きてくるのかもしれません。
さて、インフルエンザ・ワクチンですが、上のピークを見てわかるように基本的には10月の末から11月の頭にかけて打っておけば十分だという事がお解りいただけるかと思います。早すぎても流行末期の頃に免疫抗体価が下がってしまって発症してしまったなどとならないためにはそれ位が丁度良いでしょう。
それにしても、今年は医療者側は大変厄介です。例年なら鑑別の対象としてかなり容易に絞り込めたインフルエンザが、今年はコロナと同時にやってくる可能性を「必ず」考察しないといけないので、チェックの手間が2倍になります。
幸いにして、熱発者に対するスクリーニングにおいてコロナ・ウイルスのスクリーニングが保険として認可される施設へと病院が転換されましたのでお金の方の問題はないのですが、リスクを待ち受ける緊張度という意味ではやはり医療従事者にとってはこういう新型感染症対策というのは嫌なものです。
さてもうすぐ11月。例年と比較してどういう患者動向の変化を見せるのか?こういう言い方をすると起こられそうですが、私は疫学的な見地から大変興味津々です。コロナ感染者もインフルエンザ感染者も劇的に下がる事を期待したいと思います。
2020年10月6日火曜日
金持ちにも程がある
高齢者になって、どこでどういう老後を送るかというのは思った以上にバラエティに富んでいます。
勿論、家で死ぬまでをなんとか過ごせるというのが最高の幸せには違い有りません。しかし、皆が皆、なかなかそういう幸せな最後が送れるわけでも有りません。実際は最後の最後に病院以外の場所として「外の施設」に最後の数年間~十年前後を頼ることになることが多いのが現実です。(本当に最後の最後は病院に移る方も多いのですが。)
病気の有無、認知症の程度、家族の有り無し、持ち家の有無、そしてデッカイのは経済力です。みんな意外と忘れているのは高齢者になってくると賃貸の新規契約どころか契約更新をされないことがあるという恐ろしい話。特に安いところに移ろうとすると高齢者にとって「えっ!」ということになりかねません。
また、認知症のみならず行動異常などがあると例え施設などであっても受け付けてもらえないことがあります。(施設っていうのは意外といろいろと細かい基準があって、年取って金を払えば入れると言いうものではなくて、注射をしなければ栄養が取れない人とか、認知が酷いと入れないとか、食事を摂れない人はお断りとか、食堂まで自力で移動できない人は駄目とか、外からは伺いしれないいろいろな制限がついていることも多いのです。要注意!)
私がバイトで在宅に入っていろいろな施設を見る事が出来るようになって、図らずも名古屋市のいろんな場所の老人向け施設事情を見ることになったわけですが、中でも驚くことが多かったのは「サ高住」と言われるサービス付き高齢者向け住宅のバリエーションの多様さと、その中の特に特上レベルの居住サービスの豪華さです。
しかし、それには当然のようにお金がかかります。月に10万~15万何ていうのはまだまだ普通で、中には月に30万とか45万とか・・・私が知っている最高レベルのものは名古屋において月70から90万!というもの。
月に90万とか・・・爺さん婆さんにそんな金額をつぎ込めるとか凄いですね。上には上がいるもんですが、その中身はどういうものかと言うと3LDKとか4LDKとか言う豪華さ。中を見たことがありますが、まさにマンションそのもの。きれいなフロアには大理石がはられた壁があったり、食事はホテルのメニューもかくや?というようなレベルの豪華なものが多いんですが、本当にこれってジジババが幸せなの?っていうのが本音です。そこにお年寄りを送り込んでいる家族はベストと考えているフシがあるのですが・・・。
実は中には「ここから出たい、ここは地獄」なんてこっそり私に話しかけてくる人も居るんです。施設の人には話しませんが、実は施設の人自身もそれを判っている人がいて、お年寄りに直接そういう内容の話を話しかけられて本当は「可愛そうです」と私に話しかけてくる施設員の人もおります。
世の中、金だけで解決できないものも沢山あるみたいです。
2020年10月5日月曜日
9時5時働きで済むものか?
義理や人情なんていうものとは次元の違う話なのかもしれません。
が、それでも考えさせられることはあります。目の前で人が亡くなり、自分がその死亡診断書を記載した人間であった時、葬儀社がその御遺体を引き取りに来る時に「到着が17時05分になる」と看護師から伝達されて「それは契約の17時を過ぎた時刻だから私はちょっと出られません」とはなかなか言えないと思うのですが、契約だからそれは当初の就業規則に反していないと言って退(の)ければ良いのでしょうか?という話になります。
それが平成末期の医学部卒業生の「スタイル」であって、契約以上のことをしないというのであればそれはその人なりに院内でも取り扱われるでしょうというだけの話なんですが、果たしてそれで「その人にとっても」良いのか?ということです。
そもそも、日本というのは医学のレベル自体は諸外国に比べて極めて高い平均レベルが維持されていますが、残念ながらその本質は医師の過剰な労働が質を担保しているだけというのが内側から見た実情。それは別に医師だけに限らず、多くの看護師の肉体的精神的犠牲の上にも成り立っています。たしかにごく一部のマイナーな科目の看護師や医師は緊急性の低い状態で日常の暮らしをかなり楽しめているかとは思いますが、病院としてある一定以上の数のベッドを持つほとんどの医療従事者にはそのような自由はありません。
正直、日本の医療従事者はもっと沢山の人がいて当然だし、9時5時とまでは言わないまでも、仕事は可能な限り就業時間内に早く切り上げられるように管理者ともども常々努力すベきだと思うし、サービス残業なんて言うものは絶対に無くすべきだと言う考えも変わりません。しかしなかなかそれだけでは成り立たないのが今の令和の日本。割りを食うのはその他の人々です。
今のアメリカのように、就業規則に関してこの半世紀いろいろと変革が導入され続けているところでも、そこに至るまでの歴史は権利を得る戦いの連続でした。それでもやはり時間外の出勤で自分がオペをした患者さん達を見回りに来る医師も未だに普通に居られるわけで、そう言った行為を行う医師に対しては高い職業倫理を持つものへの尊敬というものが当然付いてきます。
特に専門性の高い科における内科系・外科系ドクターへの尊敬の高さ、収入の高さというものはそういった部分への医療技術者としての専門性・技術力・仕事における結果責任等に対する評価の裏返しと言って良いと私は思っています。
では翻って本日私が目の前で経験したような出来事が日常であるような医療現場においてドクターは尊敬を勝ち得るのでしょうか。そして「尊敬なんてもの不要」というドクターに対して院内で積極的にコミュニケーションを取ろうとする他の看護師がどれだけいるのでしょうか。
私の治療・診療の基準は「この人が自分の親兄弟だったらどうする?」とうものです。その質問に平然と「今日と同じ様に同じようにします」というのであれば大したものです。もう愚かな意見は具申しますまい。
2020年10月4日日曜日
お願いだから!今日にでもタバコは止めよう
一体全体なんで君達はタバコを止めんの?
誰が何と言おうと本当に止めたほうが良いです。どんなに若くても、タバコを吸うことで肺がやられ続けていきます。一本一本吸う毎に煙がずーっと細胞を攻撃し続けるのですが、これは結局「炎症」なんです。炎症がずっと続くことで細胞はダメージを受け続けていて、その結果として細胞が炎症を起こしてそれを治そうとする過程で線維化したり細胞死を起こした挙げ句に肺胞の間質という部分が消えていきます。
その先に待っているのは肺炎ならまだしも、残酷なのは肺気腫、そして慢性閉塞性肺疾患、別名COPDです。これまでもこのブログに書いてきましたが、本当にこの病気で亡くなる方の最後を診るは辛い。
ガリガリに痩せ細った(私の関わった多くの患者さんの場合、中年以降の)男性患者さんの息も絶え絶えの最後を見送ることになるのです。「苦しい、苦しい、息が、息ができない」と言いながら、最後は二酸化炭素が貯留して意識が遠のいて呼吸が止まるのです。
そこに至る前に咳や痰の量が大幅に増える事が多いのですが、そうでなくても肺癌になったり酷い喘息で苦しんだりする人もたくさんいます。とろが、私が理解できないのはそういう状況で苦しんでいるにもかかかわらず「喫煙」という行為は止めない人の多いこと。例えば医療従事者であったところで、どんなに目の前でCOPDで亡くなる人々を自分自身が看ていても「喫煙」という行為を止めないんですよね。
それを愚かというのは簡単ですが、それほどまでに喫煙者を魅了してカネを払い続けさせながら己と周囲の健康を害し続けさせるタバコというものは本当に質の悪い物質です。
いまも私の患者さんで未だ還暦に達していない男性がいますが、肺胞の多くはほとんど消失している上に肺化膿症と言う状況が重なっています。どちらか一方でも厳しいのに、それが2つ重なるというのは正直「難治例」そのものです。気管挿管と人工呼吸器への接続、そして胸腔からの膿のドレインということで疾患と闘っていますが、果たして患者さんがきちんと治療に反応してくれるか。
この患者さんも幾ら呼吸器専門医の先生が「こういう未来が来る可能性がある」と話をしても、全く聞く耳を持たず、集中的な治療に入る2日前まで隠れてタバコを吸うような人でした。因果応報と言うんのは簡単ですが、未だ還暦前の人。助けてあげたい必死の思いがあります。
皆さん、タバコは止めましょう。百害あって一利なしです。「俺はタバコで税金を払ってるんだ」等と嘯くバカがいますが、その程度の税金、一回の入院と加療で数十年分の細切れ納税は一瞬で蒸発です。そもそもあなたが周りにかけた害悪はカウントされれてませんので・・・。
2020年10月3日土曜日
本当に久しぶりの休み
本当にリラックスできる久しぶりの休みでした。
昔教えていた長崎の家庭教師の子とは今でもポケモン繋がりで色々とLINEでやり取りをしているのですが、そのこが送ってくれる情報に従ってポケモンGOをしていると言っても良いでしょう。そこで今回の大いなる休日に普段は車で移動しながら時々降りてはプレーしている夜中のポケモンを昼にするチャンスのほぼ絶無なオジサンの気晴らし日として午後の数時間をポケモンをして過ごすことにしました。
私の今のレベルはLV39でいわゆる最後の一歩というやつです。久しぶりの長距離の歩きでしたが、何ていうこともなく淡々と歩き続けていきました。ただ、これほど真面目に静かな裏通りを淡々と歩き続けながらプレーをすると首が痛くなります。w
3時間ほど歩き回って9万点を稼ぐことが出来ました。このゲームの良いところは純粋に自分の時間と作戦にのみ向き合って人と競ることがないところです。勿論、レベル上げ競争とか色違いをどれだけ揃えるとかで友人と比べることはあってもその競争はごく「緩い」ものです。
それでもみんながこのゲームを続けるのは強いボスを倒すのに「協力」し合うことと、種々の色や形の異なったポケモンを「集める」コレクション性だと思っています。普通の世界と重なり合った拡張現実の世界で目の前に現れるかわいいポケモン達の存在がそれを飽きさせないのでしょうか。
子供から爺さん婆さんまで巻き込んで今でも続くこのゲーム。既に4年になるゲームですが、今でもナイアンティックに莫大な利益をもたらしているようです。私自身は課金して勝負を続けるイワユル「ガチ層」ではありませんが、金を消費してでも勝ちたいという人達がいることに対しては否定も肯定も何も有りません。
自分のやりたい方法でやれる範囲で愉しめばいいと思っています。
このゲームも本当に少しづつ少しづつ進化を重ねてきて今があります。少なくともこれだけ世界的な規模で行われるゲームですので、お金を産み出し続ける限りは十年程度は容易に続くものと思います。
私も生きている限りはuninstallはしないんじゃないかな・・・。
2020年10月2日金曜日
トランプ・・・ただの阿呆(・・;)
実質的には現代資本主義国家の頭目を任じているはずのアメリカ合衆国大統領。
この四年間はその大統領の卑俗さと矮小化ばかりが目立ったピリオドでしたが、コロナの対応においても実にみっともないことの繰り返し。とてもとても自由主義国家のビーコンとなるような人物でないことばかりが目立つ、ただの大柄な体格の「小物」です。
我々日本にとっては覇権主義を唱える赤い国家の力を抑えつける人間としての都合良さは唯一の利点として利用価値がありますが、それはどちらかと言うとポンペオ副大統領のもつ面がトランプ経由で滲み出てきたものであって、世界への施政方針という意味ではこのトランプおじさんに確固たる戦術が有るとはとても思えません。その結果が内向きの施策である「アメリカ・ファースト」というモンロー主義の珍妙な焼き直し。これの便利なところは外に対して何も考えず、ひたすら自国の利益を恥も外聞もなく主張するという方法だけで過ごせるからです。哲学や戦術は不要。実にテレビの申し子らしい方法論です。w
さて、遂にこの「マスクしたくないオジサン」とその奥さんも共にコロナに感染したとのこと。上にも書いたようにマスクしないのはいわゆる「コロナなんて大したこと無い」という集中を裏付けるパフォーマンスの為だけのものですから、真に選挙向けの戦略に則ってレッドネック向けに動いているわけで、全く自由主義世界に対する責任なっていうのは感じておりません。
まさにテレビの人気取りの方法と一緒。自分を見てくれる人にのみアピール出来ればそれでよいわけですから、彼の行動にはいささかの迷いも有りませんよね。実にストレート。
ところが今回そのリスクの高い「賭け」に自分で引っかかってしまいました。オッズはともかく、あれだけ人前でマスクをしていなければそりゃあハイ・リスクそのものでしょうよ。驚きというものは全く有りません。彼の選択ですからね。
問題はこれから。世界最高レベルのモニタリングと治療を受けられるのは既に約束されていますが、彼の場合は肥満と高齢、心臓疾患という3つの大きなリスクファクターを抱え込んでいます。初期の段階では問題がないように見えても、急速に悪化する場合があります。それは単純な事実。上記のリスクファクターの事を考慮すると、クリティカル・コンディションに陥らないとは誰も断言できません。
正直大統領としては・・・なのですが、1人の人間としては是非リカバーして欲しいと心から思います。憎まれっ子世に憚るという諺通りのことを実行してもらいたいものです。戻ってくることが出来たらブラジルの阿呆大統領同様に、アメリカ国内のポピュリストたちからはその政策に関係なく激烈な同情票と賛成票が集まるはずです。
何れの方向に動いてもゲンナリする話ではありますが・・・。