2020年10月5日月曜日

9時5時働きで済むものか?

義理や人情なんていうものとは次元の違う話なのかもしれません。

が、それでも考えさせられることはあります。目の前で人が亡くなり、自分がその死亡診断書を記載した人間であった時、葬儀社がその御遺体を引き取りに来る時に「到着が17時05分になる」と看護師から伝達されて「それは契約の17時を過ぎた時刻だから私はちょっと出られません」とはなかなか言えないと思うのですが、契約だからそれは当初の就業規則に反していないと言って退(の)ければ良いのでしょうか?という話になります。

それが平成末期の医学部卒業生の「スタイル」であって、契約以上のことをしないというのであればそれはその人なりに院内でも取り扱われるでしょうというだけの話なんですが、果たしてそれで「その人にとっても」良いのか?ということです。

そもそも、日本というのは医学のレベル自体は諸外国に比べて極めて高い平均レベルが維持されていますが、残念ながらその本質は医師の過剰な労働が質を担保しているだけというのが内側から見た実情。それは別に医師だけに限らず、多くの看護師の肉体的精神的犠牲の上にも成り立っています。たしかにごく一部のマイナーな科目の看護師や医師は緊急性の低い状態で日常の暮らしをかなり楽しめているかとは思いますが、病院としてある一定以上の数のベッドを持つほとんどの医療従事者にはそのような自由はありません。

正直、日本の医療従事者はもっと沢山の人がいて当然だし、9時5時とまでは言わないまでも、仕事は可能な限り就業時間内に早く切り上げられるように管理者ともども常々努力すベきだと思うし、サービス残業なんて言うものは絶対に無くすべきだと言う考えも変わりません。しかしなかなかそれだけでは成り立たないのが今の令和の日本。割りを食うのはその他の人々です。

今のアメリカのように、就業規則に関してこの半世紀いろいろと変革が導入され続けているところでも、そこに至るまでの歴史は権利を得る戦いの連続でした。それでもやはり時間外の出勤で自分がオペをした患者さん達を見回りに来る医師も未だに普通に居られるわけで、そう言った行為を行う医師に対しては高い職業倫理を持つものへの尊敬というものが当然付いてきます。

特に専門性の高い科における内科系・外科系ドクターへの尊敬の高さ、収入の高さというものはそういった部分への医療技術者としての専門性・技術力・仕事における結果責任等に対する評価の裏返しと言って良いと私は思っています。

では翻って本日私が目の前で経験したような出来事が日常であるような医療現場においてドクターは尊敬を勝ち得るのでしょうか。そして「尊敬なんてもの不要」というドクターに対して院内で積極的にコミュニケーションを取ろうとする他の看護師がどれだけいるのでしょうか。

私の治療・診療の基準は「この人が自分の親兄弟だったらどうする?」とうものです。その質問に平然と「今日と同じ様に同じようにします」というのであれば大したものです。もう愚かな意見は具申しますまい。


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