2020年10月13日火曜日

ノーベル賞発表の季節に

毎年マスゴミの皆さんが大騒ぎ「今年日本からノーベル賞は出るのでしょうか?」と。

正直言ってまいどまいど思うのは本当に愚かだなって言うことです。確かに受賞に値する業績の多くは確かに「素晴らしい」ものです。しかし、一体全体このダイナマイト商人が設定した賞が本当に世界の知性を本当にHONORしていると言えるでしょうか?

私は全くそうは思いません。受賞が一つのタイトルに関して最大3人。死んでいたら受賞の対象者にならず。しかも今迄の受賞者の中に全くその栄誉に属すべきでない人間も紛れ込んでいますし、受賞のタイトル自身もその後に「過ち」と判ったものもある始末。

素晴らしい研究は世の中を「必然的に変えていくもの」だと思っています。その事自体がその人達にとってのHONORであり、数が限定されるものでもなく年齢も関係ありません。まさに表には出てこない物凄い数と質の貢献者達が無数にいるのです。

本当に訳がわからないのはノーベル賞には対象となるべき受賞の対象分野があること。しかし、数学のような学問の根幹となるような分野は対象になっていませんしね。(ノーベルの恋敵が数学者だったからという説があるようですが。)いろいろと欠陥を抱えた状態ですが、物理や化学くらいまでならまだまだ純粋に世界のすべての分野にその利をもたらす論理的整合性という意味で世界の誰もが理解できるものでしょうが、翻訳されもしないモノが世界中に散らばっている世界中の文学の中から文学賞を選び出したり、政治の対立や運動の中で「その時代のそのある瞬間」に正しいとされるような思想を委員会の誰かが選び出してメダリストとするとか殆ど茶番・噴飯ものです。

経済学賞もほぼ「お前らときたら・・・」というようなのばかり。選考委員達からして己の弟子や友達のレベルの人間を選考していく訳ですが、その上でそもそもあんたらが作った経済学の理論の殆どは世界の人達を幸せにしていますか?という根本的で重大な疑問には誰も答えられないと思いますが、どんなもんでしょう。

お隣の国韓国ではまさにそういった「受賞」自身が中身より大切なクソのような思考回路を持つ国。受賞予定者用の台座が準備されているファンキーな国です。同じような思考回路を持つマスゴミもお隣を笑えませんわな。

そんな連中には私の敬愛する本物の科学者の言葉を噛み締めていただければと「毎年」思います。下で語られる言葉は本当にそういう賞を神輿のように担いで馬鹿騒ぎする連中に氷水をぶっかけるような凄みがあります。


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