2024年7月31日水曜日

地獄の一日

まさかこんな一日になるとは思ってもみませんでした。勿論誰もそんな事にはならないと思って一日が始まるとは思わないでしょう!

朝の6:50に妙な鈍痛で目が覚めました。何じゃこの強く続く鈍痛は?という感じの痛みで、ちょっとさすって体位を変えてみるのですが全く痛みは減るどころか「この痛みの強さヤバくねっすか?」というレベルである事が10分もせずに理解出来ました。

ベッドから転がるように落ちてリビングのソファへ移動したのですが、どうにもなりません。大動脈解離やイレウスなども無いとは言えませんが、この状況と痛みの性状を考えるとどう考えても先ず鑑別診断の筆頭は尿管結石。

右腰背部の強い鈍痛ですが、木槌で強くドーン、ドーンと叩かれている感じ。既に起きている嫁さんの前で声にならない呻き声で獣のように唸りながら体を延ばしたり縮めたりする事一時間以上。それでも自分の病院が開くまでまだ一時間弱ありました。

取り敢えずEchoか腹部CTで一発で結石は判りますので、とにかく画像が欲しいところ。しかし、痛みが余りにも強くてとても自分の病院へ車で移動する気力も湧きません。トイレに立った時には少なくとも肉眼的血尿は見えませんでしたが恐らくこの感じは間違いなく尿管結石。

リビングにやって来て既に二回ほど嘔吐をしていましたが、9時も近づいてきたので近所の泌尿器科の先生の所にお世話になる事を決めました。そこにはCTもありますし。

たった200メートルほどですが、最初はタクシーで移動しようとしていましたが、それを断ってびっこを引きながらヨタヨタと病院へ。やっと病院の入り口に付いて受付までエレベーターで上がっていくと受け付けのお姉さんに小声で「尿管結石で痛くて!」と囁くと「アッ!」と小声で返してきました。w

先ずは先生に看護師さんが状態を伝えてくれて、採尿された後で直ぐに診察。やはりmicro hematuria(顕微鏡的血尿)陽性で、CT撮影でも左右に小さな3ミリ程度の石が!痛みの大本である右尿管へ落ちてきている医師もしっかり写っていました。右の腎杯にはまだ一個ありましたし、左にもその出来始めみたいなものも写っていました。

お尻にケトプロフェンを注射され少し痛みは減り、その後ソセゴンとアタラックスPを点滴されスコ寝。アタPは抗不安効果や抗アレルギーの為にも使われる古い薬で、点滴などされればフラフラになるというのは当たりまえ。

処方も予想通りでウロカルンとブチルミン錠。ウロカルンは「主成分はウラジロガシという生薬で、腎臓・尿細管にできた結石の排石を促すだけでなく溶解や発育の予防効果」もある薬、そしてブチルスコポラミンは管腔性臓器の疼痛に良く効く薬で、胃カメラ前の蠕動抑制などにも良く使われます。

後は鎮痛剤でしたが「抗生剤は自分で持っているの適当に服んでください。w」と言われて終わりでした。まだ痛みはありましたが、着た頃に比べると全く別世界。それでも家に帰ってからはスコ寝していました。本来はバンバン水分を飲んで歩き回るべきだったのでしょうが。

その後夕方に起きてきてもやはり弱く痛みは続き結局その痛みが突然取れたのは夜中の一時半にNetflixを観ていた瞬間でした。まさに石が尿管から落ちたのが判るレベル。一瞬だけ膀胱が厚くンあった感じがしましたがそれも数分。あっと言う間に何事も無かったようになりました。しかし、これこそが尿管結石。

結局今回の尿管結石がいたずらした理由は簡単で、昨日の一時間半ほどの暑い中での散歩が恐らく主因。結局自然と脱水になりつつも石まで落下してきていたのでしょう。

実は尿管結石の痛みの発生はちょうど20年前のアメリカのアパートで経験したのに続く二回目。その時は左で、キリが刺されたような痛みでしたが、30センチ右側に寝ていた嫁さんにその痛みを伝える事も出来ず二時間ほど?脂汗を掻いていたのですが、気が付いたら無痛となっていて朝はすっかり寝ていました。

今回の尿管結石とはパターンが違いましたが、その日の昼に黒いゴマ粒くらいの物体が2ミリ出たのが白い小便器で確認できて終わったのですが、こんな小さなものがあの痛みを起こすのかと驚いたものです。しかし、もう三度目は御免です…。マジで嫌。w

2024年7月30日火曜日

スギ薬局が真隣りに出来るとな?

家の隣に名古屋のマツキヨことスギ薬局が出来るというのを知ったのは一か月ほど前。

通院している歯科の奥さんから間接的に伺ったのですが、今は40台分くらいの駐車場になっている場所が来月の1日から一旦更地にされて、その後から急ピッチでスギ薬局の建設が始まるようです。

建設の予定を告げる建設会社からの通知の紙切れには大まかな進行スケジュールが書き込まれていました。最終的には9月中にはスギ薬局がオープンする事になるようですが、一体この建設は何を意味する事になるのでしょうか。

同じマンションに住むあるお金持ちの方の解説によるとこういった大型薬局の近隣開局というのはマンションにとっては資産としてプラスに働くとの事で、その理由を問うた所、その方の口からは「万一の際の薬部、その他のストック・ヤードとして働く場所となる」との話が出て来ました。

例えば南海トラフ地震が発生したら傍にそういった薬や日用品の諸々を持っている店があるという事はその傍に住む人間にとっては資産価値プラスとして働くという感じなのでしょうかね。

建築関係の会社にとっては会社の隣に建築資材屋さんが出来たような感じと言えばよいのでしょうか。わかりませんが。w

それにしても、隣にスギ薬局が出来てしまったら徒歩二分の所にあるB&D薬局は一体どんな競争を強いられるんでしょうか?競争自体の激化は近隣のコンシュマーにとっては大歓迎なんですが、御本尊のお店の方はまさに仁義なき戦いなんでしょうね。くわばらくわばら。

さあ、我々の生活がどう変わるのか?無駄遣いなどしないようにしていこうと思います。しかし、これから加齢の進む我々にとっては家を出て3秒の所にできるドラッグ・ストアっていうのは福音そのものですね。

2024年7月29日月曜日

オリンピックという一発勝負

世界の超人達が四年に一回集まるオリンピック。

夏のオリンピックが行われ始めたパリでも既に沢山のドラマが生まれていますが、最初にバレー男子がドイツとの大接戦を落とした後は観る気は落ちてしまっていたのですが、その後に起きた幾つかのスポーツでの日本勢の大逆転劇には「若さのもつ凄さ」を改めて感じざるを得ませんでした。

特にスケボーに出ていた14歳の本当に小学生くらいにしか見えない小野寺君のチャレンジはもうただただお父さん目線(下手すりゃお爺さん目線w)で「頑張れ~」という感じ。日本の希望の星である堀米君が物凄い一発大逆転で金を獲得したこと以上に「こりゃ日本のスケボーはこれからも柔道レベルでメダルを稼ぐマシンになるかも?」と想像を逞しくするのに十分な質と量を見せてくれたと思います。

どんなに強いと言われていても四年に一回しかない大会で、そのベストをそこに持ってくるなんてのは本当に不可能に近いレベルの難しい話。それでも中には連覇という偉業をやってのける絶対王者のような連中が各競技に居るというのは凄い事だなとオジサンは素直に感動してばかり。^^

私はみていないのですが卓球で驚くような敗退もあったようです。しかし、外の世界も日本の最大限の努力を超えてくるような連中が沢山居るのが当然と言えば当然の話で日本が全部勝つ訳でもないのは当たりまえ。日本にとっては残念な話ですが、よその国の皆さんも当然チャンピオンとなっていくのです。

朝知ったのは日本の団体体操の金メダル獲得の経緯でしたが、最大の競争相手であった中国の最後の鉄棒演技で一人の選手が二度落下してしまった様子を見て、相手の選手が気の毒で気の毒でなりませんでした。そんなことを言ったら橋本選手のあん馬での不運と相殺されるだろうと言われそうですが、本来であればどちらにも不運なく最高難度の技の出し合いで競えたら夢の競演だったのでしょうが…。

それにしても競技はまだまだ続きます。凄い選手達がその一発を出してくる有り得ない瞬間を十分に堪能させてもらいたいと思うのでした。

しかし、アメリカに居た頃はオリンピックなんて片手間くらいにしか見てなかったような気がするんですけど?何で日本に帰ってきたらこんなに気になるんでしょうね。w

2024年7月28日日曜日

オトコだから優れているのか?

アメリカ大統領選の醜さが日毎に増している感じです。

やっと老化の激しかったお爺さんが説得を聞き入れてくれて選挙戦から撤退しましたが、次に登場したハリス副大統領に対する共和党側の誹謗中傷を読んだり視たりしていると「ああ、この人達の頭の中って公民権運動前のアメリカ白人から何も進化しとらんな~」という気持ちしか浮かんできません。

女性である事のナニが大統領候補として不適格なんでしょうか?

例えば一般的に科学においては女性の進出はまさに見えない壁によって阻まれていました。それは枚挙に暇がない程の実例で世界中のありとあらゆる地域・年代において示されていますが、世の中の半分は女性。しかも才能にも差はありません。性別に関係なく、人種に関係なく学問の出来る人間に差は無いと感じています。

世の中を動かすレベルの強烈な発見を促してきた数学者達の中にはまさに男尊女卑のど真ん中にありながら、抑え難く噴き出すマグマのような才能と努力で世界の数学者を驚愕させるような人物もいます。イラン出身のミルザハニ等はまさにこの典型。そもそも道徳警察などというような化石のような脳味噌を持った男側の都合だけで作られたような組織を持つ国家から登場したこのウルトラ・ウーマンはイランのそいつらをして「イランの誇り」と言わざるを得なレベルの爆発的な推進力を持った女性でした。(過去形なのは、ミルザハニはほんのこの前に乳がんで若くして世を去ったから…。)

物理、文学も同様。進出する素地さえあれば性別など関係ないのです。医学生物学の世界においては随分前から男女に能力の差が無い事は当たり前でした。

では政治は?結局のところ、男女平等などを謳って裏では女性を蔑視する嘘つき達が構築したシステムがまだまだ世の中のメイン。しかも、大変に間の悪い事に女性だからというだけで担ぎ出された人間と、本当に性別に関係なく能力を発揮して政策の立案と討論が出来る人間とが一緒くたに同じ舞台に上るシステムが政治の世界。

学問の世界とはココが違います。

それでも!
出て来る候補達の中で女性だからと言ってその能力が周りの男性達より劣っていない事は既にその経歴が示しているというもの。少なくともSATの得点から始まるインチキな学歴とそれを証明するかのような愚かな発言の数々でその人となりと能力とを白日の下に晒す共和党対立候補のバカボンとは比べようも無いでしょう。

人種、性別、宗教、年齢などは関係なく「出来る奴を上に引っ張り上げて使う」というアメリカの最高のシステムを今回の大統領選でも示してアメリカを引っ張って欲しいものです。

2024年7月27日土曜日

プレ還暦

この歳になると誕生日というのは加齢確認日という感じです。w

特におめでたい訳でもないのですが、取り敢えず生きて次の歳を迎えたという感じでしょうか。還暦直前の59歳になったのですが、この歳になると親父が8月に86になるという事実に驚愕するばかりです。

とてもとてもあと26年とか生きれる訳がない!というのが正直な感想。親父は私のこの歳から今の歳になる迄に前立腺癌と(この前発生した胃穿孔からの)汎発性腹膜炎を克服している訳で「俺にはそげな事無理~!」と断言したいのです。80過ぎるというのはそれだけでも長生きという一種の芸ですね。^^

さて、今日は予め誕生会をするという事で外出禁止令が出されていたのですが、夕方になると美味しいすき焼きが出されました。柔らかい美味しい肉に舌鼓を打ちながら暫し誕生会の導入部を祝ってもらった後、腹一杯状態で今度はケーキが出て来ました。この部分は実利一点張りでして、どデカいホール・ケーキではなく一個一個自分の好きな味付けのショート・ケーキの群れが出されてきて、それぞれ自分で好きな味付けの物をピックアップするというものでした。

最初に選んだのは先ずは息子、次に次女、その後は私。抹茶ケーキなどだれも手を出しませんので、それを好きな嫁さんがそれをピックアップして目出度し目出度しでした。

私の選んだのはモンブランでしたが、そのモンブランのマロン・クリームの上に三本の蠟燭がが乗っけられて一度に点火!家族のみんなでバースデー・ソングを歌って貰いましたが、今回も蝋燭の灯を吹き消したのは息子。いつもの事ですが、どうやら己にはその義務と権利があると思っているようです。w

最後にはプレゼントが出てきたのですが、今年はオニツカ・タイガーのトラのTシャツといろいろな高級な紅茶とかドライ・フルーツなどの私が好きなものの一群が出てまいりました。早速、それらを頂いて、腹一杯なのにさらに腹が膨れたのでした。w

来年はいよいよ還暦。親父からもLINEが入ってきて「誕生日おめでとう、いよいよ還暦が近くなつたね、今から家族た為に身体に気お付けて無理せず頑張ってください。」(文章ママ) と激励されました。

淡々と頑張っていきたいと思います。  

2024年7月26日金曜日

真夏の散歩

夏に散歩するといってもこの夏は暑さがおかしいレベルです。

日が沈んでもヌルッとした湿度の高い昼の残気が街の上にびたっと張り付いたまま動きません。名古屋から動く気配のないこの高湿度の空気の中だと、例え夜の帳の中であっても移動し続けると体力を奪います。

コロナの始まった頃に暑いとはいえ少し気温が落ち、湿度も落ちた時の気持ち良い散歩とは全く異なります。

最初の10分程度はまあ、ぬるい空気の中を掻き分ける感じで我慢できるのですが、それを超えて20分くらいになってくると汗が額を流れるのがわかります。それでも構わず歩き続けていると、今度は全身から汗が出て来るのがわかります。曽於時点では空気がまとわりつく感じがし始めます。この時点で40分程度。段々と怠さを感じるようになるのは1時間弱もなってくる頃。本当にきつくなってきます。

こんな調子ではアノ先生から御誘いを受けるような低めの山の縦走であっても、疲れを見せずに往復出来るような事は無理でしょう。いくらrowingが一時間ガンガンできても、足腰の方が弱ければこれはバランスを欠くというもの。

人間の老いは足腰に強く表れますので、こういう長時間の負荷がかかった散歩の能力、ひいては歩行能力は強い意志を以て維持しなければならないと自分では思うのです。

最近の二次、三次救急の病院での熱中症と新型コロナの患者の受付激増は普通ではありません。病院には迷惑をかけないように例え夜に散歩に出る時でさえも前もって多めの水分を摂っておくと同時に、水分を常に携帯するのは大事な事だと思います。

カッコイイ~ペットボトルの携帯用ベルトを手に入れて散歩しましょう!

2024年7月25日木曜日

歯ブラシの持ち

やっぱり性格的なものなのでしょうか。

家で歯ブラシを使っていても、なかなか長い間にわたって歯ブラシを使い続けることが出来ません。「使い続ける」というのは歯ブラシのブラシ部分が拡がること無く長く使い続けられるという意味なんですが、本当にこれが私には全く出来ません。

力を抜いてソフトタッチで磨き続ければこういう事にはならないのでしょうが、こういう力の調整が出来ないのは昔から。いわゆる不器用なんですね。自分で言うのもなんですが、小さな機械部品の組付けやプラモの組み立てその他は器用に出来る方だとは思っているんですけど、歯ブラシの時の力の抜き具合や文字を書く時の脱力などというものがもう本当に壊滅的ですね。

当直のための2本も仕事場において昼や夜の歯磨きもしているのですが、これもなかなかアカン感じです。通常、歯ブラシの背中側から見てブラシ部分がはみ出し始めたら替え時等と言いますが、これを厳格に守っていたら大変な事になるのですが実際大変です。w

次から次に歯ブラシの色が変わっていくのが1本数週間も持たない感じで進んで行きます。

病棟の看護師さんにそういう話をしたところ、持つ人は持つという感じの様で、数か月経っても全くブラシ部分の拡がりなどは無いですよ~と言う人もいて、その人の歯が悪い訳では全く無くてむしろ真っ白。

歯に当てる強さの差が歯の白さの差というではないのは明白。ちょっと深く考え直さなければなりません。恐らく間違いないのは歯を磨かず酔っぱらって寝落ちなどをしない事の方が大事なんでしょうね。ブラッシングは別として、何故虫歯になるかという根源的なところを考えるとよほど寝落ちの方が悪いのです…。解ってはいるんです。

2024年7月24日水曜日

ヤクザもチンピラも最後は死ぬ

当然ですが、みんな最後は死にます。まさに遅かれ早かれ。

今日、ある病棟に用事があって訪れた時、入院している患者さんのネーム一覧に消息自体を忘れていた患者さんの名前を見つけたのでした。少なくともこの方の初期の内科入院受付から受け持ち、数年前に施設への移動も補助し、そこから当院の外来への通院中は「それなりに」大人しく通院していましたが、一年ほどした後で施設を出たという所までは伺っていました。

私自身はこの人の来し方というかいろいろと複雑な背景を知っていたので、内心は施設で大人しいと伺った時も「猫被ってる」ということを理解していたつもりで外来では(この患者さんがどういう人かという事を理解している事をお互いに暗黙の了解のうちに理解しているつもりで)対応していました。外来で会うとニヤッという感じでしょうか。脇で施設の女性が彼の事に関してわーわーあれこれ言うんですが、私もその患者さんもニヤニヤしてハイハイという感じ。w

この方、最初に社会的理由で入院されていた時に、胃もたれするというので胃カメラのスクリーニングをしたところ、少し変わったタイプの白血病の発症が確認されたため、血液内科の先生に紹介状を出してそれが完治した時には紹介状を出した私までも大変に感謝されたものです。(実際に感謝されるべきは治療して下さった血液内科の先生!)

しかし、最初に書いたような経緯でたまたま再会したこの患者さんに挨拶をしようと訪れたところ、ベッドの上でまさに口を大きく開け眼球を上転させ、呼びかけにも応じず…。とても空しい気持ちになりました。

入院した当初は、大柄で周りを威圧するような炯炯とした眼光で、言葉の端々に昔、その筋の人間であったことを偲ばせるような名残りを響かせる人でしたが、今は筋肉どころか肉自体が削げ落ち本当に骨と皮の様に…。

力を以て世の中を渡り歩いた彼も筋力の消失と共に見るも無残な様になってしまったのをみるのは、驕る平家も久しからず…という歴史的台詞を眼の前に寝て動かなくなっている彼を通して思い浮かべざるを得ませんでした。

そもそも、なぜここに再び彼が入院しているのだろうと思い師長さんに尋ねたところ、実は各移動先の施設や病院でいろいろと問題を起こし、警察沙汰になる事も二回。そのうちあちこちで出禁になると共に最後は体調を崩してある組織で発癌しているのが見つかり今回の経緯と相成った様です。

どんな人生を送るかは人の勝手ですが、出来るなら人に喜ばれることをして少しは役に立って死んでいきたいものだなと思うのでした。


2024年7月23日火曜日

記事の内容を批判的に検証しながら読む能力

大人になって良くわかったことは新聞やテレビの言っている事は別に正しくも何ともないという事でした。勿論、社会の木鐸なんて言うのは真っ赤な嘘。

これはシンプルなことに見えますけど、私自身が長い年月をかけて痛い目に遭い続けて理解させられたことは「一つの真実に対する万華鏡のようにバリエーションに富んだ、多様な濃度勾配を持つ嘘と事実の綯交ぜになった雑文」を人に読ませることで、タイトルもしくは文章の尻の部分に売文屋が思い込ませたい文章を挿入しておくというものでしょう。だから、ナイーヴな少年少女に新聞を読ませて人間形成を~なんて考えている親が居れば、それはもう親としての…という以前の愚かな行為以外の何物でも無いと思います。

前にも書いたと思うんですが、新聞やテレビで正しいのは新聞の名前やテレビの番組名と日付くらいです。コレホント。w

文章を読ませたいときにはセンセーショナルな文章の一部を書いて結論を書いておけば人は読んでみたくなるもの。という訳で、この手の文章でタイトル付けをしているような記事は強い意志をもって「そもそも読まない」という癖を受けるようにしました。

誘惑に負けて何百回も読まされた挙句その殆どは良くても精々がところ竜頭蛇尾、そして残りの殆どは期待して読んだ己の愚かさを呪い・後悔するだけの時間しか与えてくれなかったものだからです。

特にネットの時代では短文を読み継がせる為に、思わせぶりな結論は本当に最後まで読ませず、その間に邪魔でしかない糞広告を無限に織り込んでくるようなものばかり。特に酷いのは「XXをしたYYの末路」というような思わせぶりシリーズ。そして「XXに起きた驚きの結末とは!」とかいうようなものもアレルギーレベルで大嫌いです。私の場合、今ではこのようなタイトルをつけて出してくるメディアはそもそもそれ以降読まなくなりますけどね。

さて、基本的に私自身も自分のブログを自分の生活の記録として書いている時には最初にタイトルさえ思いつけばスラスラ内容は書けるものが殆どなんですが、書いてみた後で「あれ?タイトルとズレとる」と思えばサッとタイトルを置き換えます。それでもやっぱり違和感あるな~と思えばもう一回変えてみたり。

わき道にそれた話ではありますが、誰も読まないと知っていても、日記としてのブログを自分が何年か経って読み返したときにそのタイトルからある程度中身を推測できるようなものにしておこうとは意識しているのです。しかし、10年位前のもののタイトルを読んでみたときに「あれ、これ何の事を書いてるんだろう?」という文章が意外と沢山あるのは事実なんですよね。そういったものは殆どが時事ネタのパターンなんですが、やっぱタイトルから中身を容易に推測できるような優れたタイトル付けというのは難しいもんだと感じる日々です。結局今日のタイトルも三回も書き換えてやっぱりしっくりこないものになってしまってます。ホントに笑っちゃうほど無能。

とは言え、タイトルを慎重に考えなければならないような大切な文章なんちゅうのは私の場合どこにも無いので、まあ己の脳内的な小問題という以外は取り立てて深刻な問題でも無いとは思うのですが!w

私の尊敬するバーナード・ショウの遺した一文に以下のような文章があります。
間違った知識には注意せよ。それは無知よりも危険である。
私はこの警句に自信をもって「俺は違う」ととてもとても言えません。残念ですが。

ああ、今日の文章もまた冴えんな~!

2024年7月22日月曜日

何も考えてない医者が…

何度でも言いますけど、やっぱりどんな仕事にも引き際というものはあると思います。

今日もその事が判っていない爺さん医師のやっつけ仕事で大概の迷惑を被りました。今朝も良い気分で寝ていた朝の5時前に突然のコール。こういう時間帯のこういうコールは通常、大変な問題が起きている場合です。

案の定、今回のコールではある精神科病棟で巡回中の看護師さんが呼吸停止状態の高齢患者さんを発見したのです。当然こういう場合は呼ばれるのは精神科医では無くて内科医。入院時には通常、心肺停止状態になった場合の患者さんに対して心肺蘇生措置というのを行うのか否かという事に関して予めペーパー・ワークというのを行っています。

この患者さんの主治医はお爺さん先生。いろいろといい加減な事をして迷惑をかけまくってくれる御仁なんですが、御自身はもう全くそんな事には気付いておられません。orz

ベッドから飛び起きてからこの爺さん先生の患者さんという事が確認できた時点で「嫌な予感」しかしなかったのですが、この時点ではまず患者さんに救命措置を行うか否かを急いで調べると、その用紙には①心マッサージは行うか?に対して「行わない」とマークがしてありました。そして次に②気管挿管は行うか?に対して「行う」にマークしてあります…。そして③人工呼吸器に接続を行うか?に対しては「行わない」となっています。

私にしてみれば「オイオイ、医者は患者の家族に何を説明しているんだよ?」という感じ。

②の存在の為にそのほかの部分が完全に矛盾してしまう状態。②と③はそこまで酷く矛盾しませんが、①と②の矛盾はもう完全に水と油。ペーパー・ワークの表面にはしっかりこの爺さん医師のサインが日付と共になされています。人の命をどうするかという重要な判断にほぼ全く医師側の大脳が関与しておりません。orz

それでも、②は直ぐに行いつつ心臓マッサージを行い御親族に連絡を入れ、レスキューを継続するか否かを確認するとその時点で既に30分経過して反応が無かったこともあり中止に対するリクエストがありました。

レスキューが中止された後にカルテを詳細にチェックしてみるとやはり患者さんの状態を把握できるような記述が何もありません。いろいろと調べてみても実にいい加減なものばかり。もうね、何というか…。

医局会がありましたので、そのようなことが無い事を医局会で要望したのですが、爺さん先生をチラッと見ると下を向いたきり面を上げません。解っているのかいないのか…。

自分の仕事のクオリティが自ら判別出来なくなったらもう引退だなと自戒する日々です。

2024年7月21日日曜日

官僚が馬鹿すぎて日本の劣化が止まらない

昭和の頃は伝説の官僚として今でも歴史に名を残す特別な切れ者達が綺羅星の如く揃っていました。

そう言った人達は既に在任中から「カミソリのような」という感じで、周囲を圧倒する能力を発揮して国益を死守する能力を見せていました。しかし、その能力が省益優先になってしまえばたかだか同期を含むオラが村の人間にはチヤホヤされて終わるのみで決して国家の歴史には名を残しません。

今迄にも(私のような外野の人間でも知る)日中共同声明で相手国の周恩来をして「我が国にもあんな有能な外交官がほしい」と言わしめた高島条約局長は普段はオンボロ官舎でステテコ一丁で歩き回るような金に執着しない御仁だったとか、当時の厚生省で現在の介護システムの基礎を作って志半ばで亡くなった「官僚を信じるな」という名言を遺したアノ方とかも含め、私の知らないようなレベルの方々も沢山いたと信じます。

日ソ漁業交渉でもイシコフ漁業相等を相手に脅威の粘りで常に日本のために動き続けた官僚の一群の働きは、幼かった私にさえ「なんか大人の中にはもの凄い面倒くさいことを鬼のような忍耐力でやり切る人達がいるんだ」という強烈な印象を残したものです。

しかし、最近は国益よりも身内の評判を気にする輩の「比率」が上がっているような気がするんですが、間違いでしょうか。例えば日銀も財務省も本当にコレで良いと思っているんでしょうか?

内部では若い頃は国益を考えている立志の若人もいるのでしょうが、昇進の階段を登るために己の初期の志には目を瞑り、省の上のほうの総意に沿って進む。反論を通せば干されるというシステムなのだろうと思います。そして愚かな国会議員達の愚かな質問の議会・委員会での問答集を作成するために深夜まで働くような日々。

結局、そういう事が外部に厳然たる事実として色々なメディア、ネットなどで漏れるような時代が当たり前になって、近未来がクリアに見える賢い連中から順番にそんなところを志望しなくなるというのは余りにも当たり前のことではないかと思うんですよね。その結果が官僚の質の低下。例えば、比較的ニュースに出やすい官僚としてのここ三代の日銀総裁の質の低下は外からみても「頭を抱え、目を覆いたくなる」レベル。機動力、柔軟性もなければ、信念の欠片もなく、信じるのは己のカビの吹いた宗教のみ。

例えば文科省も酷いもんで、教員の任期制を若い順から設定し未来がどうなるか判らない人間たちを大量に作る。そんなシステムに一体どれだけの人間が挑戦しようと思うでしょう。東大の川東泰之先生の「数学者の思案」を読んで、深く頷くところが多々ありました。

現在の厚労省に至ってはもう議論の俎上にも上げたくないほど酷いもんです。武見という昔の日本医師会のバカ息子を縦横無尽に持ち上げて日本の医療を隘路に追い込んでいきます。薬事行政に至ってはもう日本が自国で基本的な薬を作り続ける力も無くさせてしまいました。今、大事な薬の基本的な材料の多くを中国を始めとした他国の原材料に頼る状況になっているのをどれほどの日本人が知っているのでしょうか?

終わる国に蔓延る劣化官僚。選ばれた集団の中から誇りを持って仕事をしてきていた今は亡き諸先輩方が今の後輩たちを見て何を思うのでしょうか…。

こういう劣化はやっぱりバブル以降なんでしょうかね。中の人間ではないのでわかりませんが。危機感が欠如したシステムはやがて必ず自壊を始めますが、もうかなり自壊のレベルは進行しているような気がします。

矜持無き官僚の群れを我々は獅子身中の虫と呼ぶ時が来ているのかもしれません。

2024年7月20日土曜日

排尿困難の人々

病院入院中の方も外来に駆け込んでくる方も、高齢者になると本当に排尿障害の人々が増えてきます。

男性で早い人は40代くらいから既にそういう症状を見せる人も居るのですが、尿閉の最初の症状は残尿感の発生という感じでしょうか。キレが悪いとか、何度も何度もトイレに立つとか、若い頃の様にトイレを意識しないでも活動が続けられるというような事が無くなったとか、寝た後にトイレに起きる事があり更にその回数も次第に増えてきたとか…。

泌尿器の先生に伺ったところ、投薬開始の基準は夜に三回起き出したらもうあきませんな!という事だったのですが、この頻尿の最大要因となる前立腺肥大というのは効果が出るまでにナカナカ時間のかかるものなのです。

その上、男女とも過活動性膀胱という状態による頻尿も多いし、女性は特に尿路感染による排尿時痛を伴った頻尿を訴える方が多いですね。(この感染症の方は小さな女の子でも普通のの健康な成人女性でも多いです)

男性の場合、緊急に物理的に導尿しなければその先に多様な問題が何段重ねでも待ち構えていますので種々の方法を使って導尿しますが、この時点で看護師さんが導尿をした時に尿道を傷つける事がたまにあるのです!一旦傷ついた尿道はその操作以降のステップを困難にするだけでなく、患者さんの尿道出血や感染をもたらしますのでこのステップは私自身の患者さんの場合、通常医師である私がする事にしています。

先生によっては看護師さんに任せる方もあるようですが、私はリスク回避を含む二度手間を防ぐため、必ず自分でやっています。

歳をとると若い頃には「当たり前」だったおしっこをするという単純な行為でさえもがリスクを孕んだ日常となってしまうのでした。

排尿障害は高齢者達の生活の質を猛烈に落とします。症状のある方は早め早めに対処しましょう!^^

2024年7月19日金曜日

8月は歌舞伎座に行くことになりました

歌舞伎に詳しい友人が8月の新作歌舞伎のチケットを取ってくださいました!

こういうのはいきなり外野からは良い席は取れないのだそうです。理由はその歌舞伎を仕切る一座のファン・クラブが通常は贔屓筋の為にきちんと良い席を先ずは取っておくという「当たり前」のアクションが取られているからで、これらのファン・クラブに属している其々の縦横の繋がりを駆使して歌舞伎ファンはチケットを取得するのだそうです。

私の場合は本当にこういう歌舞伎の熱狂的なファンの方の繋がりのおこぼれに預かるという事になる訳ですが、この方の持つそういうネットワークの力に寄りかかって取って頂きました。
今回観るのは第三部の京極夏彦さん原作の新作歌舞伎「狐花」なんですが、少なくとも今を時めく方々がきらびやかに出てくださいます。松本幸四郎、中村勘九郎、中村七之助等の有名どころを観れるというのはやはり金を使う価値があろうというもの。
ところが、今回この方にリマインダーを出されました。それは「ちゃんと宿は取られましたか?」というもの。正直言うとすっかり忘れておりました!まあ毎度の事ですが。w

食事しながら酒を呑み、かつそのまま地下鉄乗ってホテルにまで帰る事の出来る位置がベストなわけなんですが、何がどうであろうと私にとって全く謎なのは東京の地理。名古屋もやっとわかってきましたが、東京に至っては謎のメトロポリタン・エリアです。ワシントンD.C.のほうがよっぽど詳しいです。(^^)

しかし、どうせ素泊まり。全然飯無しで十分なんですが、歌舞伎座で歌舞伎を観るにしても酒は一体どこが一番いいのか「全く」アイデアが無いのが痛いです。一応、友達の友達という方からお勧めを頂いてはいるのですが、どうしましょうか。それによってホテルの予約場所も変わりますからね。

もうちょっと勉強してみます。


2024年7月18日木曜日

まだまだ続く名古屋教育界の腐敗追及

名古屋市教育委員会の腐敗の底が見えません。

以前のブログでも名古屋の教育界の腐れっぷりに驚いて記事を書いた覚えがありますが、当然この件は全く終わっていません。いわゆる犯罪を犯している人間達が人の教育者として子供達の前で能書き垂れている訳ですから「噴飯物」という言葉はこいつらの為に有る様なもの。w

今日もその件に関していろいろなメディアがニュースを配信していたようですが、この名古屋市教育委員会が校長会や大学同窓会などの教員団体から、校長などに推薦する教員名簿とともに金品を受け取っていた問題は賄賂事件そのものです。

ネットの辞書では賄賂とは「1 自分の利益になるようとりはからってもらうなど、不正な目的で贈る金品。袖の下。まいない。「—を受け取る」 2 公務員または仲裁人の職務に関して授受される不法な報酬。金品に限らず、遊興飲食の供応、名誉・地位の供与なども含む。」等という記述があります。

本件はガチガチの汚職事件として検事さん達に動いてもらうべき案件だと単純に思うんですけど、何をのんびりとしているのか、全体像を掴ませないために証拠隠滅の時間を与えているのか、名古屋市教育委員会というこの賄賂を受けた人間側が成り上がったような人間達で構成された委員会がその下部組織の検査をしているという漫画のような構図が動いています。

これでは刑法を作る時に犯罪者達にその骨子を作らせるようなポンチ絵レベルのお話。外の人間が純粋にこれをみたら通常「???」としか思わない筈。まさに異常な構図です。

この甘々の追及でさえこの6年で1300万円の金銭が動き、その他にも飲食その他の物品が動いているという話。しかも、これは表面に出てきた自己申告だけでこれだけなのですから、実態はどれほどのものかは想像するだに悍(おぞ)ましいものでしょう。

出でよ検察!出ないのは職務怠慢そのものですぞ。

2024年7月17日水曜日

順調な回復を見せるオヤジ

親父から連絡がちょくちょく入ってきます。

現在の状況をたどたどしいテキストで送ってくる何時もの親父様ですが、それを読むたびに次第にリハビリのレベルが上がっている事が理解できます。最初は「痛くて云々」とボヤいていたのに、いまは整形外科の先生の所に通ってはここまで出来た、今度はここまで出来たという感じでリハの進展具合を書いてきます。

今年の8月には86になろうという親父ですが、少なくとも食欲や知的な能力にも大きな低下は無さそうな感じです。

とは言え、認知機能障害がどの程度のレベルなのかというのはテストなどで「酷く」落ちていない限りはなかなか判らない面もあるので、難しいものです。いわゆる総合的判断というのが最後には効くんですが、入院当初の腹膜炎でボコボコの頃はなかなか返答も無いどころか既読さえ付かなかったのですが、今では送って一時間以内には返事が返ってくるような状況になって息子としては一安心です。

しかし、個人が一台一台スマホを持つようなスマホの時代になってからはこうやって個人の返答のあるなしでその安否が確認できるようになっている訳ですから、便利な時代になったものです。しかもこんな80半ばの爺さんまでも恩恵を被っている訳ですから凄いもんですよね。

まだまだデジタル・ネイティブという意味ではギリギリその入り口に立っているかな?程度にしか言えない我々のような50代の人間が80過ぎになった頃にはまた少し別の世界が広がっているんでしょうが、更に我々の子供達が80になろうかという頃のデジタル・ワールドはどんな世界が広がっているんでしょうか?

何か全く違う物凄くメジャーなアプリが登場していると良いんですけどね。今ではFaceBookを殆ど見る事も無くなったように、グーグルもAIの登場で何となく検索の一番窓じゃなくなるような時代になっている気がします。意外とGoogleやAppleがメジャーのトップからは滑り落ちたりしているかも?

勿論、私はそのころには確実に灰になっておりますが。w

2024年7月16日火曜日

カスペルスキーへの攻撃のえげつなさ

実はこの4月に自分用のセキュリティソフトの使用有効期限が切れていました。

ソフトの名前はカスペルスキー。そう、セキュリティのソフトの中ではかなりずっと長い間トップランクのウイルス検出率を誇っていたこの世界の雄と言ってもいいソフト。そもそもこれを売っている会社のもともとのオリジンを作り上げた人はユージン・カスペルスキーといういわゆる高度な知性の持ち主なんですが、私よりも3か月ほど後に生まれている(何の関係も無い!w)同い年のオジサンです。

問題なのはこの会社が何度も何度も優秀な成績を残している抗ウイルス・ソフト及びサイバーセキュリティ・ソフトであるにもかかわらず、この会社がロシアという国家をオリジンとしている為、色々と~特にアメリカ政府からは目の敵にされているという事です。

いろいろなデータを見る限りではこのソフトの優秀さは一目瞭然なのですが、このソフトを作り上げている人物達のキャリアがやはり憂慮されるレベルで政府や軍に近い人が多い事、そして特に経営陣として参画している人間達が技術云々以上に12人も資産凍結措置を受けた事なども含めいろいろと難しい立場になっていました。

そしてとどめを刺したのはカスペルスキーのソフトがアメリカにおいて新規契約は勿論アップデートも出来なくなるという事態(2024/9/29以降)に陥った事です。

秒単位でリスクを回避する為のアップデートが配布され続けているようなソフトにおいて、この禁止措置はその国における事業の死を意味しますので、当然アメリカでの事業はもう終了となってしまいます。

また、ウィンドウズ標準のdefenderのレベルが昔と比べてかなり上がっていることから、ジッとアップデートを控えていたんですが、結局今回の見送りは「恐らく」正しい決定になったのかなという気がしています。

それにしても、アメリカ政府というのはエグイ事しますな。特にロシアのウクライナ進行以降はこういうゴタゴタが続いていたので天下のNTT様も結局はカスペルスキーを使わなくなったとか…。

まあ、実質的な敵国ですからありとあらゆるリスクを排除しようとするアメリカとしては当然なんでしょうけれども。あの中国が買い取ってしまった元IBMPCのレノボも確か合衆国政府の情報機関関係では使用禁止だったはずですし。工学も数学も政治の前では歪められることもあるという事なのでしょう。


2024年7月15日月曜日

産業医の仕事として多い事

この時期は各企業や事業所、病院などで働く皆さんの健康診断とストレスチェックが終了し、それに対応する時期になっています。

健康診断の結果は、得られた各人のいろんなデータを医師が見つめながら問題とすべきレベルの異常値をテーブルの一覧表に弾き出して、もう一度総合的に数値を見つめ直して従業員の人達にそのnoticeを出して、気をつけて生活改善から始めましょうとか、医師の診断加療を要すとかいろんな事を伝える訳です。

もう一つのストレスチェックの方はそもそもが検査を受けるか否かも含めて従業員の自由。更にはそのチェックを受けた上で「ストレスレベルが高い」と判定された後も、その後に産業医と面談をするか否かさえ本人達の自由。

しかし、通常毎年数名の方々がコンサルを求めてきます。実際のところ産業医はコンサルの相手になるのではなくて、コンサルをするべき精神科医を見つけるべきか、作業環境・与えられた仕事の変更や仕事量を調整してストレスを軽減するべきか否かの必要性を組織の最上位の職位にsuggestするようなものなのです。

ですから、本来は相談の相手になる様なポジション自身にはないのですが、健康相談を兼ねてそういう困り事の相談を受ける事も頻繁にあります。そういう時は可能な範囲でその人達がどのような状況でどのようなストレスを受けているのかを質や量・頻度等を慎重に聞き取りながら実際に歩を進めていきます。

しかし、言うは易く行うは難し。状況を改善しようとしても、ストレスを受けている人が真面目な人で、他の人の仕事も受けてしまって残業を自ら増やしてしまうとか、上司が仕事をしている間は家に帰れない…等という事が多いのです。そして周りもこういう仕事をする人、出来る人に依存してしまう構造というのが存在するのはどこの国でも同じ事。

しかし、問題はこういった頑張りの報償が多くの場合無い事。金銭も微々たるもので、殆どポジションが上がる訳でも無し。そもそも、本質的にそんな残業があってはいけないのです。

そういうストレスを受ける人が居なくとも、システムが回るようにシステムを作り上げなければ日本の産業はやがて衰退するという事を判っていない昭和のバカが多すぎます。ますます人口が減る日本。AIの使用も含めて上の人間は効率化にもっと知恵と金を使わねば日本は持ちません。

日本の仕事の効率性が低いのはトップがそう言う事に責任を持って取り組まない事に尽きると思います。

2024年7月14日日曜日

ゴルゴ13は未来を予見するコミックなのか?

歴史は繰り返されます。

最近は安倍元首相が暗殺された我が国ですからアメリカの事など何も言えませんが、今回の狙撃事件はまさに「またか」としか言えないインシデントとなりました。

ところが、私には今回の狙撃事件に関して「おいおいこれは余りにもタイムリーじゃないんか?」と思えるストーリーの素地が一週間ほど前にコンビニで購入したゴルゴ13の最新刊♯213「重慶の土龍」収録の二番目のストーリー「夢の国」に出て来る一見してトランプ大統領を思わせる大統領が低迷する支持率を回復させるために狙撃を仕込んで支持率を上昇させるという話。

これは2017年のものですし、既に就任後の大統領がそういう狙撃によって…という話なので、少し物語の外枠が違うのですが、狙撃をもとに支持率上昇というところがまさに同一。

今回、実際の所、起きたインシデント自体は到底許される事の出来ない民主主義への挑戦で、如何なる国の如何なる政権下であろうと起きてはいけないものではあっても、こういう事件が発生してしまうと、選挙においてそのターゲットに対する同情票や変な支持票が集まるという毎度の動きがあるのも事実。

そういう意味でワタクシ的には今回のテロは「最悪のシナリオ」だなと感じました。テロ自体は狂気の行動で如何なる文脈でも決して許されるものでは無い事は明白ですが、この民主主義の敵みたいなポピュリストを盲目的に支援する連中の結束がより一層強まる事が最大の懸念です。orz

要するに、この狙撃犯に言いたい一言は「なんて事してくれたんだよ!」という言葉。ただでさえ、ヨボヨボで選挙に負けそうなお爺さんが、こういう予期せぬ形で「テロに屈しなかった男」というイメージを付け加えて戦線に戻って来るトランプと戦うなんて対共和党という意味では最悪のテロだと感じるのは私だけでしょうか。戦うのであれば正々堂々と戦う状態であって欲しかったのです。

それにしても、お爺ちゃん…もう引退してください。認知症の兆候が表に湧き出しちゃっててヤバいです。

2024年7月13日土曜日

誰も知らない都市空間の死に場所

今どきの老人介護施設の事、多くの方々は現実を知らない事と思います。

何気ない都市空間の何気ない貸しビルのワンフロアや一室に実は認知症を患った患者さんのベッドが並べられていて、それをヘルパーさんが一人だけで看ているなんていう隠れた感じの施設って実は一杯あるんです。

一階は学習塾だったり、全く普通の何らかの食料品店だったりするようなビルの5階や6階に何気なく存在しているそういう部屋では、多くの寝たきり老人達が毎晩数回おむつを交換されながら日夜ご飯を食べたりしているのです。(まあ、同じような感じで全く普通に見える家の中が幾つかの部屋に仕切られて同じように運営されている住宅も街なかに実はたくさん存在してるんですけどね)

そんなお年寄り達もやはり超高齢だと何気にお亡くなりになってしまうような瞬間も当然ある訳で、その手の隠れた施設のある雑居ビルでひっそりと亡くなってはヘルパーさんを驚かせ、救急車で運び出されることになる訳です。しかも、そう言う事はターン・オーバーというか単純に新しい入居者さんに入れ替わるだけで何事も無かったように次の日の日常に繋がっていく訳。

コレの繰り返しが続く事によって、あなたの日常仕事をしている普通のビルの或る階では実はすでに何十人どころか100人以上の方がこの世を去っていった部屋になっている…という事も実際は起きている訳で、実は皆さんが知らないだけ。

法的には何の問題も無い訳ですから、知らなければ気味悪がることも無く、怖がることも無い訳なんですが。

人は生まれて必ず死にます。生まれ変わるという人も居れば土に還るだけという人も居て当然。どちらが正しかろうと、魂の入った物理的な箱としての人の体は一回はスイッチが切れて死に至る訳ですからやっぱり死は避けられないもの。

それでも、味気ない雑居ビルの一室でヘルパーさんに看取られる訳でもなく、気づいたら心臓止まってその後は運び出されて終わり…という様なエンディングは何だか余りにも味気ない様な気がするのはおいらだけですかね。

2024年7月12日金曜日

今どきの職場結婚

ちょっとビックリしました。

二週間ほど前に、私がバイトに行っている病院のIT担当さんが突然「私この度結婚する事となりました…」と私に報告してきました。私はいきなりの報告に驚いたものの「おめでと~~!!」という言葉が直ちに心の底から口をついて飛び出してきました。

「いや~、良かったね~。ところでどこの女性と?」と尋ねたところ、実は…と言って返ってきた答えが、これまたいつも同じフロアでお世話になっている女性事務員さん。という事は職場結婚ですか?という事になりました。

実は2年前から付き合っていたんですが、誰にも知られず今日までやって参りましたとの事でまさに鉄壁の守備。w

そんな二人とその仲間達に誘われて今池のベンガラ屋に向かいました。そこには皆さんが既に待ってくれていて、あと数人が来ればスタートという状態。しかし私の到着後すぐに開始という事になり、乾杯の音頭と共にパーティーに劇的な加速が加わりました。いろいろと小道具も出てきて皆さんの手際の良さに感心。

皆がガンガン飲んで、遠慮会釈なく新郎新婦に種々の際どい質問をぶつけ続けました。が、二人は意外と素直にそれらの際どい質問に淡々と返答していて、皆爆笑の渦。この二人はなかなか手ごわい夫婦となりそうです。^^

それでも本当に楽しい時間は続き、私ともう一人の皮膚科の先生は飲みすぎてフラフラ。しかし最後は年長者たる私に締めの言葉を~という事で話をさせて頂いて散会となりました。

その後はいつもの様に覚王山の隠れ家へ。足元はふらついていましたがお店に入って何時もの様に何時もの物を口に入れてゆったりした時間を過ごしました。終電はとっくに終了していて、朝の始まった明るさの中をヨタヨタしながら家まで帰りついてそのまま布団の上に倒れ込みました。

職場結婚って昔は本当に普通だったと思うんですが、久しぶりにこういう状況での職場結婚を実際に目にしました。クラシカルとは言え男女が出合い幸せの鳥羽口に立ったわけですから、その幸せを形にしていって欲しいものです!


2024年7月11日木曜日

歳をとるといろいろあるとは言え・・・

見る影もない 年がそれほど違わない看護師さんが病院に勤めていました。

最近あんまり見かけないなと思って気にはなっていたのですが、敢えて周りの看護師さん達に尋ねる事も無く過ごしていました。病棟自体も違うし、もしかして病院を辞めたんだろうか?位に思う事もあったのですが、やはり尋ねることなくそのまま過ごしていたのです。しかし、今日たまたま廊下ですれ違ったある師長から「先生御存じですか?」と逆に話しかけられました。

何気に立ち止まって話を伺うとその消えた存在が気になっていた看護師さんの話。

しかし、残念ながらその口から出てきた話は私を愕然とさせる事ばかり。50を過ぎて一念発起し自分で看護学校に通い、准看護師から正看護師になったこの人。昔は医療とは何の関係ない全く別の仕事をしていたそうで、話をしていても頭脳明晰で気持ち良くいろいろな話が通じる人だったのですが、今回聞いた話は本当に言葉を失うようなものでした。

何がどうだという事は具体的にここには書きませんが、人は病を得てあっと言う間に変わってしまうのだという事が嫌でも解るような話。

体の大きかったその看護師さん。病室に会いに行った師長さんの話では声を掛けられるまではその人がその人である事に気づかない程に躰が小さくなってしまっていたそうで、いわゆる「見る影もない」程に痩せて小さくなっていたという話。

非常に珍しい病に罹っていて、愛知にはそれを診る特定の病院が無い程のレアな疾患なのだとのことでしたが、本当にどうにかならないものかと医者である自分自身が悩んでしまうのでした。

人は歳と共に何がしかの病を得る事は普通。しかし、治療法の無い病というのは得たくないものです。

どうにかならんもんでしょうか。

2024年7月10日水曜日

上には上が居るという話

どんな世界のどんな分野で何をしようと上には上が居るというのを常に皮膚感覚で理解しているのが私くらいの年齢の現実では無いでしょうか。

「そうは思わない」という人が居るのであれば、それはその人が有り得ない程の種々の物凄い能力を持った人なのか単に世間知らずのバカなのか、本物のトップという稀な人でしかないなとしか思いません。火星人と言われたノイマンでさえ、ゲーデルの事を優れた頭脳の持ち主として尊敬したと言われていますし、数学の王と言われたガウスも夭逝したリーマンの講義に感服・激賞しています。上を知らないというのはある意味「幸せな人」なのかもしれません。w

さて、キャンプに一回行ったのは良かったのですが、その話をいつも農作業やマラソンのスペシャリストである先生にポロッと話したらニヤッと笑われて(嗤われて?)次元の違う話が出て来ました。

自分のスマホをちょこちょこっと弄って数々の写真を捲って見せてくれたのですが、その写真がヤバいレベルの登山+キャンピングの数々で、先生曰く「XX君の言っているキャンプというのはここに水場があって、ここにトイレがあってっていう感じのものを言うのかな?」という話で、私はもうその時点で白旗を揚げていて「へえ、その通りでごぜえます」としか言えない態勢でした。

写真に写る景色は厳しい山々が見える景色の冬山や、断崖絶壁にしか見えない岩肌をオジサン達が列を成して上ったり下りたりするコースばかり。軽さと装備の質を重要視するのは勿論の事、経験者の軍団が淡々と山を踏破してそのついでにキャンピングするという世界。

目指しているものが違いました。w

なんだかんだと話を聞いてみると、その疑問は直ぐに氷解。先生は大学からワンゲル部員だったのです。ワンダー・フォーゲル(渡り鳥)というドイツ語が由来のこの言葉。先生達の世代では一大ブームだった頃で、東京農大ワンゲル部での恐ろしい事件の後にワンゲル部員になっている先生ですので、そのころはこの先生もまだまだ子供だったはずですが、そういう意味ではまだまだいわゆる昭和の強い筋金の入った先生なのかもしれません。

山行きに関する命がけの恐ろしい話が次々にその口から出てきた後に、「XX君今度いっしょに来る~?」と声を掛けられましたが「むり~」と一言だけ言ってその方向性の違いに恐怖を感じた骨ナシの私でした。私の求めるのはグランピングでもなく、ワンゲルの厳しさでもなくその間の緩めのぼっちキャンプなのでした。w

ワンゲルも突き詰めるとルバング島の小野田少尉の世界になってしまいますので…。

2024年7月9日火曜日

都知事選の結果を見て思う事

都知事選の結果が出て2日経ちました。

何の驚きも無い結果でした。何の見識も無い嘘つきオバサンが勝ち、二位になるだろうと思っていた石丸さんは2位になりました。「二位じゃダメなんですか?」の元立憲民主党のヒトは三位。w

だから言ったろうオバサン?一位を目指さないと二位にもなれんのよ。結局アンタんとこの元所属政党は共産党等という悍(おぞ)ましい組織とくっついて選挙をするという暗愚ぶりを遺憾なく発揮してくださいまして、自らに大鉈を振り下ろすという素晴らし爆発振りで改めて共産党に感謝です。
確かホリエモンの出てきた一連の何かの対談で小池270、蓮舫170、石丸100とか予想したうえで、バンド・ワゴン効果で2位と3位が凄く縮まるんじゃないかという予想を聞いて、ホリエモン自身が「それは衝撃的な数字ですね」と言っていたんですが、私自身は蓮舫は絶対に石丸さんに勝てない。しかし石丸さんはネットを視ない年寄と自民・公明の組織票には届かないだろうと思っていましたので、順当な結果だと思いました。

個人的には理詰めで都政を支配して欲しかったという意味ではいろいろ詐称の嘘つきオバサンに勝って欲しかったなとは思うんですが、東京都民の前政踏襲という鉄板の思考回路の前ではどんな人間でも都知事を続けられますからこんなもんでしょう。

人殺しでもしない限りは続くものです。結局、東京都というお金持ちマシンは首から上が無い人間が都知事になろうと、銅像である上野の忠犬ハチ公がなろうと何も変わらないのです。要するにとんでもない輩が公務員を敵に回さない限り自動で時間が過ぎていくだけのシステム。

その証拠に歴代の知事で犯罪を暴かれそうになった輩や、己がステップダウンしますと言って登壇拒否した輩以外は全員当選してますからね。

東京都民はこれからも変なアイメイクの学歴詐称の無知な婆さんに四年間の都政を預ける幸せを噛みしめて頂きたいものです。^^

まあ、これからは石丸さんが居た元自治体の守旧派バカ議員達の盛り返しと反撃がネットの一部に漏れてくる事でしょう。安芸高田市に栄光のあらんことを!

2024年7月8日月曜日

人生初のソロ・キャンプ!(まとめ)

今回のソロ・キャンプやっぱり行ってみて正解でした。

今日になって別の看護師さんに聞いた笑い話なんですが、あるお医者さんが友人と二人でキャンプに行って、テントにそれぞれ別々に二人で泊まったんで「ソロ・キャンプ」に行ったと言い張ったいう話。w

まあ、そういう笑い話は別として、ソロでキャンプに行くのはそれなりにきちんとした準備をしていくのが大事だなって言う当たり前の事を実感として学びました。当然と言えば当然、ちょっとした準備の差がキャンプ場での快適さの差を決めるという感じが実感できました貴重な第一回目でした。(<箸や匙を忘れる等というのはそれ以前の人としての何か大事なものが欠けているというレベル。話になりませんw)

今回周りの手慣れた感じのキャンパーの皆さまを観察していたのですが、何だか凄い準備をしていて、テントを張る為にその外にどでかいテントをまた張るというようなセットアップをする人達が沢山居て、「ヒロシのぼっちキャンプ」で想像していたキャンプとは全く異なる世界が広がっている事に感心しました。

やっぱりハイエースなどにドカッと大量の荷物を詰め込んでどデカいテントを張って、ウイスキーグラスを傾けながら数人で夜長を過ごすような人達というのは求めるものが私とは違うけど、本当に別の楽しみ方をしている人達なんだなと感じましたが、まあ、恐らく一緒にこの人達とキャンプしたらそれはそれで絶対に楽しいだろうなとは思いましたが。

設楽オートキャンプ場というのはそういう意味では水道も、洗濯場も、温水シャワーも、バーベキュー用のカマドもある初心者や家族がみんなで楽しめるサイトなのでしょう。我ながらそういう安全なサイトを教えて貰ってラッキーだったと思っています。

今後、どのようなキャンプ場もしくはそれ以外の場所でキャンプをしに行くにしても、ミニマリストとしての本分を忘れずに、キャンプ場で生きていく為の最小限の必要装備とは何か?を改めて考えながら、備品を削り削り「これで十分」というものを自分なりに考えたいと決意しています。

初回の「夏のキャンプ」で思ったんですけど、寒い時期の秋や冬のキャンプって良さそう…と今から感じるのは先走り過ぎでしょうか。勿論、揃えるべきアイテムは寒さ対策というものが当然必要ですから変わってくるんでしょうけど、やっぱりこっちの方も想像するだけでワクワクします。^^

とにかく良かったことはテントを張って火を起こして飯食って寝るだけという生活がそこに出来上がるという事実。ほぼ強制的にそうなります。テントの中でちょこっと本を読むというのもアリなんでしょうが、日が落ちたらそのまま眠るというのも良いのかもしれません。誰とも喋らない丸一日。私の生活の中では普通は余りありません。

キャンプ場では夜8時過ぎにはもうほぼ誰の声も聞こえてきませんので、テントの中で何かをしなければ自然と9時ごろには眠れるし朝は朝で自然と5時、6時には目が覚めますし、長く眠れるせいで別に早起きとも感じません。

欲を言えば雨の中のキャンプしてみたいですね…。

何はともあれ何か新しい自分の人生を見つけた気がしました。次のキャンプも家族に内緒でセットアップして勝手に行こうと思ってます。w

2024年7月7日日曜日

人生初のソロ・キャンプ!(後編)

 車で乗り付けて自分の区画に後ろ向きに車を突っ込み、リヤ・ゲートをあけてキャンプ用品の入ったボックスを展開しました。

周りのロットは既に皆私より早くやって来てとっくの昔にどデカいテントを展開している人達ばかり。子連れの家族や夫婦、若しくは野郎共数人で等という感じの人達ばかりで、ソロで来ているのは見渡す範囲では正直私しかいませんでした。

まあ、そんな事はどうでもよいので日が暮れる前にさっさと準備をしなければなりません。そもそもずっと前に準備したふるさと納税でコソコソと一個ずつ集めたキャンプ用品は「頭の中で」キャンプをしてみたらどんなものが必要なのかというバーチャルなセットアップをしただけのもので、実際にはまともな展開をさせてフルにその道具を使ってみたことなど一度も無いピカピカの新品ばかりです。

さて、今日こそが審判の日。一個ずつ道具の袋を開けていきながら組み立てが必要なものは組み立て、展開すべきものは展開していきながら足りないものが無い事を祈りながら歩を進めました。

最終的にテントを組み立てて「無い」と判ったものはテントの下に敷く(敷かない人も居るのでしょうが)グランド・シートとでした。先ずはどんな感じに展開したかという写真を下に出してみます。(車はAIの力で判らないようにデフォルメしました。w)

だらしない性格が判る無計画な展開です。
写真で判るようにトップの外側をつける方法が最初の時点で思いつかず、そのまま被せてお終い。あとで寝る前になって「あ、そうか~ポールに内側のシャフトを通す時点で一緒に通せば良かったんだ!」と気付いたのですがその時点では既に真っ暗でして、雨も降ってなかった上に暑かったのでそのままで夜を過ごす羽目に。更に間抜けなのはテント下に敷いているのはヘキサタープ。本当はテントの更に上に重ねて張るものです。バカ丸出し。素人感満載の初ソロとなりました。w

この日良かったと思った事は、一から火起こしをしようなどという上級者向けの作業を最初から諦めて、点火補助剤とライターを持ってきていた事。これに尽きます。このおかげでさっさと火を起こして暗くなる前に精米したばかりのコメを使って飯盒で美味しいご飯が炊けましたし、カレーのパックを温めてさっさとご飯を食べられました。
火の集まる端っこを使った危ない調理です。w
こんにゃくにゆず味噌をぶっかけて終わり。
一人の夕飯に二合は多すぎました。
焚き木には買ってきた薪だけではやはり無理があって、小枝を突っ込んだり枯れ気味の乾燥して葉を入れると素晴らしい勢いが出ました。これはヒロシのぼっちキャンプで視ていたのでナルホドでした。

上の写真でお判りでしょうが、馬鹿な俺はスプーンも箸もコップも持ってきておりませんでした。orz 結局上の写真の金色の棒に見えるのは使わなかったペグでして、それを箸のように二本重ねて使ったのです。おまけに肉も野菜も買って来ないシンプルな調理だったのに、油と金山寺味噌と醤油は何故か買ってしまって荷物を増やしたのでした。(いずれ使えばよいのですが)あと、腹が膨れすぎて絹ごし豆腐を食べる余力もありませんでした。
食べ終わった後の焚火。幻想的な色を出していました。
防火シートって本当にすごいなと思った次第です。
全てが終わって寝る前に外から撮った己のテント。
孤独って良いですね。
ぬるいビールも腹に収まって最終的には寝床へ。しっかり作ったつもりの寝床だったのですが、翌朝それがベストのセッティングで無かったことは腰の痛みで知ることになりました。
左のオレンジの寝袋はこの時期の正解でしたが、恐らく秋以降用には薄すぎ。
また寝袋の下には空気で膨らます方式のアメリカから娘に持って帰ってきてもらったマットレスを敷いたのですがこれは体を痛くしてしまいました。多分さらにその下に組み立てている(見えていませんが)高さ15センチくらいの布ベッドとは反りが合わないものだと思います。
最後にキャンプのセットアップをしてみて全てが終わった時に意外と正解だったのは中国製の安い小さな扇風機。テントの中にフックして自分の方に向けて寝たのですが、これが朝まで十分しっかりと稼働した事。これは本当に意外でした。

更に少ししくじったのは白灯油で稼働するポンプ式のコールマンのランタン。やり方を間違えたのか、最初のマントルピースの焼き方を間違えて奇麗な強い灯が出来ませんでした。これはもう一度事前に練習して次回のキャンプン臨みたいと思います。その分は同じコールマンの充電式ランタンが大活躍でしたので問題はありませんでしたが。

次回に追加で揃えるとしたら、朝用にちょっと湯を焚いて仕上げられるカセット式のミニバーナー型コンロを揃える事。そして、コーヒーか紅茶も二袋くらいずつは持ってきておけばよかったと感じました。また、蚊取り線香入れはもっと小さなものを揃えておけばなお良し。それにビニール袋は幾らあっても余分な事は無いですね。もう一つしくじったのはクーラーボックスでしょうかね。これはスペースさえあれば積んでいきたいです。

しかし、ソロキャンプ素人の私にとって、テントを張って飯を食べて寝ることが出来た!という事をもって100点満点としたい初ソロキャンプでした。^^

明日は今回のソロ・キャンプでちょっと考えたことを追加で書いて終わりたいと思います。

2024年7月6日土曜日

人生初のソロ・キャンプ!(前編)

レベルは低いのですがソロ・キャンプというものにチャレンジしてきました。

人生初の試みでしたが、特に大きな準備も何もなく思い立って一日で実行しました。実は昨日金曜日にお亡くなりになった患者さんの件でその病棟に何度か往復している時にふとした事から休日の過ごし方話になりました。

すると、意外な事に「そういう人には全く見えない人」が実はガチガチのリアル・キャンパーだという事が判明。これはチャンスとばかりに焚火が出来るキャンプ場の事を聞きまくり、近場とそれ以外を問わずにこれまでで良かったと思う場所を列挙して貰いました。

その上で、その人が最もお勧めする初心者用の近場のキャンプ場をネットで探し出してその雰囲気をネットで確認したうえで予約をしてみようとするとナント!一区画だけ空いていました!そのキャンプ場は設楽オートキャンプ場という所。家から真東に走って1時間とチョットで到着します。

急いでネットの予約を埋めて4300円をネットから即座に払い込み。その上でメールの返信を受け取り予約完了。全てが終わった後で掲示の最後のほうに「一週間以内の方はネット予約は直接管理事務所と連絡を!」というような事が書いてあるではないですか…。ヤバいなと思っていたのですが、多分大丈夫という何時もの楽観主義でパス。

朝一番に管理事務所から電話が入り「すみませーん。昨日予約されたXXさんですかね?お越しになった時にメールのコピーでも頂ければ結構です~」という事で出発前に予約の件は一件落着しました。

何時も医局に置いてあったふるさと納税で掻き集めたキャンプセットのデカいボックスを二つ車に積み込んで目的地へ出発。途中でアピタに寄ってホワイトガソリン用のランプのマントルピースとホワイトガソリン、そしてちょっとした調味料と食材を購入。更に近場の精米機を使ってコメを精米した後で、ゆっくりのんびりと運転しながら4時前には稲武どんぐりの里(薪をここで購入しました)を通って現地に到着しました。

現地は下界よりは少し気温が下がった感じでしたが、それでも暑い事には変わりありません。やはり湿度が高いのが日本の気候の肝ですよね。電話をして下さったと思しき笑顔の優しいオジサンが管理棟で私の受付けをして下さいました。

予約した時には特にロットを指定できるような状況では無かったはずですが、着いてみるとオジサン曰く「意外とキャンセルとか出ていてこれだけロット選べますよ!」と見せてくれたのが4か所。川側1か所と山側の3か所でしたが、一番奥の山側を選んでみました。川のせせらぎも捨てがたかったのですが…。

実際のソロ・キャンプのドタバタは続きとしてまた明日書かせて頂きます。

2024年7月5日金曜日

有り得ない忙しさ

普段は5時過ぎには、そして遅くとも6時前には家に着くように努力はしています。

それでも仕事柄(というかどんな人でもでしょうが)突発事態は発生し易く、患者さんの容態急変とか、遅い時間になってからの役所依頼での緊急入院なども当然発生しますので、いつもかつも(これ、博多弁とか高知弁とかでいろいろバリエーションある表現らしいのですが、九州の人間ならこの言葉の各種バリエーションは直ぐ理解できますよね?)狙った時間に変えることが出来る訳でもありません。

それでも今日は異様でした。入院を二人受ける事は前日から解っていたのですが、午前中はイレウス・チューブを一人挿入し、その後続けて患者さん二人に中心静脈栄養投与の為のルートを設置し、消化器の患者さんのカメラの相談を受けた後、いろいろな伝票処理や紹介状の作成をしていた時点で3時半くらいになっていました。

ところが、インシデントが火を噴いたのはここから。まず、熱発の確認された患者さんの腹部CTを見てみると驚くほどの胆嚢腫大が発生しているではありませんか。再確認すると熱発は午前から発生していたのに師長が私に連絡をしたのは4時直前。このままでは胆嚢破裂して坂発性腹膜炎を起こすリスクが大です。元のADLが低い方なので、このままでは命の危険もある状況。そこで、大学病院やその他の三次救急のある病院を探してドレナージをしてもらわなければなりません。二件目で受け容れして下さった第二N赤の先生には本当に頭が上がりませんでした。(やはりA医大は今回も受け入れる余力は見せていただけませんでした。)

その診療情報提供書を作成している途中で今度は今日入院したばかりの強い認知症症状を見せる高齢の女性患者さんが、食堂の椅子からセルフ・バックドロップ状態で頭頂部を強打し物凄い皮下血種が出始めました。

緊急CTを撮影し、骨折や出血が無い事を確認しながら応急処置。意識レベルその他のバイタルも問題なかったのですが、これから3日間は全く観察に気が抜けません。

最初の患者さんを送り出したところで今度は院内に私が残っている事を当直師長から聞いた別の病棟の看護師さんが「XXさんが亡くなられたので死亡確認を…」との依頼を入れて来るではありませんか。orz

上の病棟に行ってみると、以前私が診ていたガン末期の患者さんが6年目にして遂にお亡くなりになった事が判明。病棟で結婚された御主人の到着を待ちその場で死亡を確認させて頂き、葬儀社が迎えに来たところで一緒に霊安室からの送り出しにも帯同させて頂きお別れをしました。

新患患者さん達の診察とカルテ記入が終わったのは午後8時過ぎ。久々に疲れました。orz
(実はその後も、家にN赤の先生から御電話がかかってきて、患者さんの対応に関して10分ほどディスカッションもさせて頂いたのでした。)


2024年7月4日木曜日

たまには役に立つ講演会もあるんだな~

ある製薬企業のある薬に関する説明会に呼ばれてあるホテルまで行ってきました。

今の時代、学会も含めてオンラインというのが殆どなんですが、コロナ以降次第に人が集まるミーティングも増えてまいりました。今回の会合はT医療センターとA医科大学の先生の講演でしたが、その薬の知識に限らずその薬が目指す治療の周辺知識が沢山開陳されて私には大変に勉強になりました。

何で私なんかが呼ばれたんだろうとは思ったのですが、タクチケくれてタダ飯食いながら勉強できるのなら、まあ良いかって感じです。おまけにレクチャーしてくださった先生のスライド直接送ってくださる約束も取り付けましたので。

さて、その講義と討論会が終わったのは丁度9時ごろ。この時間を有効に使わない手はありません!w

帰りのタクチケを使って寄ったのは何時もの覚王山の隠れ家。店に入ると、数名が居るだけで私の狙い通りでした。ところが!カウンター席の端っこにどこかで見たような顔の御仁が。数か月ぶりですが、あの沖縄話で盛り上がった素性不明のNさんではありませんか。

思わず数か月ぶりの再会を喜び、カウンターの近く同士へ座り直し。帰り際で既にお金を出していたNさんでしたがもう一杯ビールをとなりましたので、そこは私が奢らせて頂きました。

いろいろと話をするうちにまたいろいろと盛り上がりましたが、一時間ほどでお別れ。私自身は店のマスターとその奥さんと三人でお店に来る人間達の色々な世代ごとの変遷などを話し合い盛り上がり。この酒呑みの為の隠れ場に、イヤホン着けてスマホを見ながらカウンターでスパゲティだけ食って帰っていくのだとか。しかも一言も喋らずに…。こんな客にマスターはあきれ顔で、時代が変わったんですかねと嘆いていました。

更にはこの後、奥様から今後のメニュー表の在り方や一工夫の相談などをされました。何故だかは判りませんが、その隠れ家はやはり癖のある人間が集まってくる傾向というのがあるようで、変わったものを受け容れるのは構わないけれど、あんまりそういう人達というのはお金を落とす行動とは無関係の人が多い感じの話でした。来年の春にはもう一度リノベして新規巻きなおしのイベントを開くんだそうです。商売も更に上手く行くと良いのですが、人が増えすぎるのはなんか嫌だな…。矛盾してるけど。

話の中で取り敢えず私としては自分のアイデアを幾つか出させて頂いて話は11時半過ぎ位まで続きました。お金はキリの良い払い方をして終電ひとつ前の地下鉄に飛び乗り藤が丘に着いた後、子供たちの為にミスドでドーナツを詰め込んで家に帰りつきました。

2024年7月3日水曜日

悲惨極まりないアメリカ大統領選

アメリカに住んでいる友人とLINEでやり取りをしました。

この秋に再び日本に一時帰国する際にまた名古屋に出て来るので飲みましょうという話。要するに要点はそれだけなのですが、その中でちょこっと付け加えたのは次期アメリカ大統領選の悲惨な候補者選びの事。

今の時点で普通に考えて行われている悲惨な対決はまさに何時もここでいつも書いているような犬のウンコと猫のウンコのどちらかを選べというレベルの闘い。
 
上の討論を見てもただ一つだけ言えるのは、賞味期限切れとペテン師の叩き合いという感想のみ。orz

民主党支持者の多くが民主党に勝たせたいとは思っても少なくともこの爺さんでは拙いでしょ?と思うのは正直正直で正しい反応というか判断だと思います。

賞味期限は切れているけど消費起源まではいって無いんじゃないかな?という希望を持ちたい所なんですが、冒頭の掠れ声の大統領の演説開始の部分からしてアカン!と思わせるのに十分なネガティブインパクトがあります。

正直な所、トランプが優れているというようなものでは無くてこれはバイデン自身のオウンゴール。対立候補に私の娘が出ていても勝ったんではないかなというよ言うれべるの酷いものだと私は感じてしまったのですが、現地在住の人間にとってはどうだったのでしょうか。まあ、感想は言わずもがなという気もしますが…。

元よりBIDEN贔屓の筈のNYT自身が彼に退場勧告を下したことで翌日は蜂の巣をつついたような状況にはなりましたが、この判断は正しいと思います。やはり人間も何歳まででも働けるとは言っても、今回の様に国家の運営を任せるという超高度なレベルに限らず、それに相応しい判断力と体力、知識を持った人間がその任に当たらねばなりません。

その「適任」判断自体が出来なくなった時点でいわゆる「耄碌した」という本人にとっては認めたくない状況が到来しているのだと思います。いわゆる老醜という奴でしょうか…。

今度の大統領選。投票という意味では全く無関係の日本在住の日本人たる私がアメリカの投票権のある人達に「まことに気の毒」という言葉を送らざること無しとしか言えません。


2024年7月2日火曜日

スマホを落とすとヤバい事になりますヨ!

ある病院の訪問診療のバイトで、車に同乗していた新米の看護師さんがやらかしてしまいました。

何を?という事ですが、病院で連絡用に皆で共用しているスマホの一台を訪問先かどこかで落としてしまったのです。

一軒目が終了し、二軒目に移動。そして三軒目へ移動という時に車内に居た入職間もない看護師さんが「スマホを無くしたかもしれません!」と声をあげました。すわ一大事~と私は感じたのですが、無くしたと思われる御本人は意外と落ち着いている感じでこっちがちょっと戸惑いました。

確かに、スマホを落としてもiPhoneでは探すことが出来ますし、通常拾った人が居たとしてもそれを持って移動している限りはiPhoneの数の暴力で、最終移動地点というのはかなり正確なポジションを示した状態でマップ上に表示されますから、電源を入れている限り逃げるという事は余り出来ないのですが。

それでも重大なのは、このスマホには病院の指揮所と看護師さん達の長い長いテキストの遣り取りの記録や大勢の患者さん達の病変部位の全体写真とその拡大写真等が溜め込まれているのです。それが社会に流出したらそれこそ大変な事になります。病院の信用が棄損され、場合によっては患者さん達の画像付きの疾患情報がネット上にばら撒かれるリスクも幾らでもあり得るのですから実は大変に恐ろしい事態なのです。

さあ、ここからが大変。先ずは車の中を探して、鞄の中を探して、少なくともどこまではそのスマホを見ていたかを思い出して貰いながらの時間軸の巻き戻しが始まりました。結局最初の家と二軒目の家にも謝罪の電話を入れながら再度お家を探させて頂き、電話を鳴らすもどこでも鳴らず。

もう一度、病院の司令塔に電話して位置情報を確認してもらうと、どうやら二軒目の家の前で最終的な位置情報が消えた形跡があるとのこと。しかし、この二軒目の家にはありませんでしたので、どこへ消えたのか…。

そうして一時間ちょっとが経過した時に指令塔から電話が入りました。曰く「拾った方が今近所でそのままスマホを持って下さっている!」とのこと。その方の電話番号を書き取り、直ぐに電話するとなんとその地図情報のドットから数メートル離れただけの家の方で、二軒目の家の裏手に住まわれているお方でした。

お電話を差し上げ、合流地点でお会いしてスマホを取り戻した時には「は~、良い人に拾われてて良かった~」と心の声が出そうになるほど嬉しかったのですが、無くした御本人はその時点でも反応が薄い感じ。orz

結局、サーチに一時間半もかかってしまったのですが、それでも見つかって何よりでした!

学校の先生が生徒の成績表の入ったUSBを落としたり盗まれたりというような話を時々ニュースで聞きますが、公的なレベルで使用しているスマホなんぞを落とすと場合によっては大変な事になるという事を身をもって体感した一日でした。

皆様も6桁のパスワード・ロックやサーチを何時でも出来るようなセットアップをお忘れなきように!


2024年7月1日月曜日

問題を分けて考える事の大切さ

この歳になっていろいろと学び直すことが沢山あります。

やっぱり偉大な先人の遺した言葉というのは遺っただけの価値がある言葉ばかりです。時間があれば「何か」をしなければ気が済まない貧乏性の典型が私ですが、本を読む事もその一つ。

実生活の中でその言葉を実感する瞬間を見出そうとするのですが、頭が悪い所為で事実と明言の擦り合わせの瞬間を実感する事はなかなか無いのが正直なところです。まあ、こんなのが凡夫の凡夫たる所以なんですが。

そんな言葉の中で最近一番インパクトのあったのはデカルトの「困難なことはすべて、扱うことができ、解決が必要な部分へと分割せよ」という有名な言葉。人間は考える葦とか、我思うゆえに我あり等ということばで高校の授業では有名なおじさんですが、実際は数学の世界の方でも大変に有名な近代合理主義の始祖と呼べる人物。合理的な思考を推論の積み重ねによって行うという方法において、上のように問題は理解できる大きさに分割して考えるという言葉は日常生活でも大変に有用かつ重みをもって私自身に迫ってきます。

日常の己の生活において解決すべき問題の事を考える度に、殆どの場合において実際に自分がやらかしてしまっている事は、あたかも奇麗な解決策を見出したかのように思えてもその中身をもう一度考えてみると、その命題が内在する二つ以上の問題をあたかも強く連関した事象として解決しようとしているというもの。

良く考えると、それぞれの問題って従属事象じゃなくて独立事象だよね?…ということが多い事に気づいて臍を噛むこと毎度です。

そう言う命題を当然の様に分解して考え、その上で統合して問題を解決できるというような人を「目から鼻へ抜ける」というような表現で呼ぶのでしょうが、己には本当に程遠いこと甚だし!です。w

それでも、このデカルトの言葉をことある毎に反芻するのは有用な事で、何か大小の問題に対応をする度に、解決策を探る方法論の第一歩としてこの400年前の偉大な思想家の言葉の断片が私に刺さるのでした。

「遠くを見つめる手段として巨人の肩に乗る」にはやはり先人の本を読むのが早いなと今更感じるバカなおじさんでした。

しかし、超ド級のオッサン顔に見えるデカルトも亡くなったのは53歳。老けてるなって感じました。まさに余談ですが。