2024年7月1日月曜日

問題を分けて考える事の大切さ

この歳になっていろいろと学び直すことが沢山あります。

やっぱり偉大な先人の遺した言葉というのは遺っただけの価値がある言葉ばかりです。時間があれば「何か」をしなければ気が済まない貧乏性の典型が私ですが、本を読む事もその一つ。

実生活の中でその言葉を実感する瞬間を見出そうとするのですが、頭が悪い所為で事実と明言の擦り合わせの瞬間を実感する事はなかなか無いのが正直なところです。まあ、こんなのが凡夫の凡夫たる所以なんですが。

そんな言葉の中で最近一番インパクトのあったのはデカルトの「困難なことはすべて、扱うことができ、解決が必要な部分へと分割せよ」という有名な言葉。人間は考える葦とか、我思うゆえに我あり等ということばで高校の授業では有名なおじさんですが、実際は数学の世界の方でも大変に有名な近代合理主義の始祖と呼べる人物。合理的な思考を推論の積み重ねによって行うという方法において、上のように問題は理解できる大きさに分割して考えるという言葉は日常生活でも大変に有用かつ重みをもって私自身に迫ってきます。

日常の己の生活において解決すべき問題の事を考える度に、殆どの場合において実際に自分がやらかしてしまっている事は、あたかも奇麗な解決策を見出したかのように思えてもその中身をもう一度考えてみると、その命題が内在する二つ以上の問題をあたかも強く連関した事象として解決しようとしているというもの。

良く考えると、それぞれの問題って従属事象じゃなくて独立事象だよね?…ということが多い事に気づいて臍を噛むこと毎度です。

そう言う命題を当然の様に分解して考え、その上で統合して問題を解決できるというような人を「目から鼻へ抜ける」というような表現で呼ぶのでしょうが、己には本当に程遠いこと甚だし!です。w

それでも、このデカルトの言葉をことある毎に反芻するのは有用な事で、何か大小の問題に対応をする度に、解決策を探る方法論の第一歩としてこの400年前の偉大な思想家の言葉の断片が私に刺さるのでした。

「遠くを見つめる手段として巨人の肩に乗る」にはやはり先人の本を読むのが早いなと今更感じるバカなおじさんでした。

しかし、超ド級のオッサン顔に見えるデカルトも亡くなったのは53歳。老けてるなって感じました。まさに余談ですが。

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