何気ない都市空間の何気ない貸しビルのワンフロアや一室に実は認知症を患った患者さんのベッドが並べられていて、それをヘルパーさんが一人だけで看ているなんていう隠れた感じの施設って実は一杯あるんです。
一階は学習塾だったり、全く普通の何らかの食料品店だったりするようなビルの5階や6階に何気なく存在しているそういう部屋では、多くの寝たきり老人達が毎晩数回おむつを交換されながら日夜ご飯を食べたりしているのです。(まあ、同じような感じで全く普通に見える家の中が幾つかの部屋に仕切られて同じように運営されている住宅も街なかに実はたくさん存在してるんですけどね)
そんなお年寄り達もやはり超高齢だと何気にお亡くなりになってしまうような瞬間も当然ある訳で、その手の隠れた施設のある雑居ビルでひっそりと亡くなってはヘルパーさんを驚かせ、救急車で運び出されることになる訳です。しかも、そう言う事はターン・オーバーというか単純に新しい入居者さんに入れ替わるだけで何事も無かったように次の日の日常に繋がっていく訳。
コレの繰り返しが続く事によって、あなたの日常仕事をしている普通のビルの或る階では実はすでに何十人どころか100人以上の方がこの世を去っていった部屋になっている…という事も実際は起きている訳で、実は皆さんが知らないだけ。
法的には何の問題も無い訳ですから、知らなければ気味悪がることも無く、怖がることも無い訳なんですが。
人は生まれて必ず死にます。生まれ変わるという人も居れば土に還るだけという人も居て当然。どちらが正しかろうと、魂の入った物理的な箱としての人の体は一回はスイッチが切れて死に至る訳ですからやっぱり死は避けられないもの。
それでも、味気ない雑居ビルの一室でヘルパーさんに看取られる訳でもなく、気づいたら心臓止まってその後は運び出されて終わり…という様なエンディングは何だか余りにも味気ない様な気がするのはおいらだけですかね。
2 件のコメント:
その事実にも、ソレを知らなかった事にも驚きを抑えられず、そして何よりも、「幸せな人生の終わり方」とは、何なのか?あるいはそんなモノ「幸せな終わり方」などそもそも無いのか?
と思ってしまいます。
「幸せな人生の終わり方」というのはそれだけで既に哲学的命題なんでしょうが、上に描いたような施設って大都市の普通の空間の中に普通に紛れ込んでいるんです。
これは仕事で行ったのではないのですが、いろいろな施設を見る機会を作って今回廻ってみて、正直「これでは生きている意味が…」と感じてしまったのは正直なところです。
長く生きても幸せではない人生というのは普通にあるのです。
しかも、我々の身の回りに普通に散らばっているのです。
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