2024年7月21日日曜日

官僚が馬鹿すぎて日本の劣化が止まらない

昭和の頃は伝説の官僚として今でも歴史に名を残す特別な切れ者達が綺羅星の如く揃っていました。

そう言った人達は既に在任中から「カミソリのような」という感じで、周囲を圧倒する能力を発揮して国益を死守する能力を見せていました。しかし、その能力が省益優先になってしまえばたかだか同期を含むオラが村の人間にはチヤホヤされて終わるのみで決して国家の歴史には名を残しません。

今迄にも(私のような外野の人間でも知る)日中共同声明で相手国の周恩来をして「我が国にもあんな有能な外交官がほしい」と言わしめた高島条約局長は普段はオンボロ官舎でステテコ一丁で歩き回るような金に執着しない御仁だったとか、当時の厚生省で現在の介護システムの基礎を作って志半ばで亡くなった「官僚を信じるな」という名言を遺したアノ方とかも含め、私の知らないようなレベルの方々も沢山いたと信じます。

日ソ漁業交渉でもイシコフ漁業相等を相手に脅威の粘りで常に日本のために動き続けた官僚の一群の働きは、幼かった私にさえ「なんか大人の中にはもの凄い面倒くさいことを鬼のような忍耐力でやり切る人達がいるんだ」という強烈な印象を残したものです。

しかし、最近は国益よりも身内の評判を気にする輩の「比率」が上がっているような気がするんですが、間違いでしょうか。例えば日銀も財務省も本当にコレで良いと思っているんでしょうか?

内部では若い頃は国益を考えている立志の若人もいるのでしょうが、昇進の階段を登るために己の初期の志には目を瞑り、省の上のほうの総意に沿って進む。反論を通せば干されるというシステムなのだろうと思います。そして愚かな国会議員達の愚かな質問の議会・委員会での問答集を作成するために深夜まで働くような日々。

結局、そういう事が外部に厳然たる事実として色々なメディア、ネットなどで漏れるような時代が当たり前になって、近未来がクリアに見える賢い連中から順番にそんなところを志望しなくなるというのは余りにも当たり前のことではないかと思うんですよね。その結果が官僚の質の低下。例えば、比較的ニュースに出やすい官僚としてのここ三代の日銀総裁の質の低下は外からみても「頭を抱え、目を覆いたくなる」レベル。機動力、柔軟性もなければ、信念の欠片もなく、信じるのは己のカビの吹いた宗教のみ。

例えば文科省も酷いもんで、教員の任期制を若い順から設定し未来がどうなるか判らない人間たちを大量に作る。そんなシステムに一体どれだけの人間が挑戦しようと思うでしょう。東大の川東泰之先生の「数学者の思案」を読んで、深く頷くところが多々ありました。

現在の厚労省に至ってはもう議論の俎上にも上げたくないほど酷いもんです。武見という昔の日本医師会のバカ息子を縦横無尽に持ち上げて日本の医療を隘路に追い込んでいきます。薬事行政に至ってはもう日本が自国で基本的な薬を作り続ける力も無くさせてしまいました。今、大事な薬の基本的な材料の多くを中国を始めとした他国の原材料に頼る状況になっているのをどれほどの日本人が知っているのでしょうか?

終わる国に蔓延る劣化官僚。選ばれた集団の中から誇りを持って仕事をしてきていた今は亡き諸先輩方が今の後輩たちを見て何を思うのでしょうか…。

こういう劣化はやっぱりバブル以降なんでしょうかね。中の人間ではないのでわかりませんが。危機感が欠如したシステムはやがて必ず自壊を始めますが、もうかなり自壊のレベルは進行しているような気がします。

矜持無き官僚の群れを我々は獅子身中の虫と呼ぶ時が来ているのかもしれません。

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