2024年12月10日火曜日

カラオケ行こ!

今日まで知りませんでした。

つい最近、綾野剛の出ている実写版の「カラオケ行こ!」という映画を観たのですが、観た理由は単純で、Netflixが私の映画やドラマの視聴履歴から勝手に推測してくれて「コレなんかどうでしょ?」という感じで推薦して来たもののうちの一つだったというだけの事。

しかし、このカラオケ行こ!を観てみたらシンプルな筋書きなのに設定と配役が抜群にマッチしていて、観始めたら止められない感じで最後まで一気に通して観てしまいました。

いつも通りネタバレ関連の事は一切書かずに話をしますが、劇中でメインの歌として登場してきたカラオケ練習曲であるX-Japanの「紅」が頭から離れなくなってしまいました。そもそもX-Japanって小泉元首相が大好きだったグループだったよな?確か世界的にも有名になったグループだったような?そして一番薄い、そして間違っているかもしれない記憶は、なんかたけしの元気が出るテレビかなんかで大昔にとんでもない貧乏バンドマンていう感じのなんかコミックバンドやってるみたいなヘビメタ風の若い男達がX-Japanっていうのが出ていたような????

結局のところ、私のX-Japanに関する知識とも言えないような知識はこんな薄っぺらで頼りのないものでしかないんですが、この紅を歌うlittle glee monsterを中心として歌われる映画の最後の合唱版のエンディング・ソングが一日中頭にこびりついて離れません。w
(little glee monsterというのもどっかで聞いた事があるという程度で、そもそもおじちゃんはLittel Green Monsterだと思っていました。(^_^;))

映画やドラマにおいて脚本の大本になる原案が大事だというのは百も承知のはずでしたが、何とこのカラオケ行こ!はそもそもそのスタート地点が2019年のCOMITIAという同人誌販売会から始まったものだという事を知り、その出自に二度驚いたのでした。

でもやっぱり、どういう形であれ、そしてそれがどんな形式の作品(音楽、小説、漫画、絵画)であれ、それを気に入った人間が沢山増えて、止まらない勢いがついて伝説が小波のように拡がった最後に、こうやって大きくブレークするのは良い時代になったもんだと思います。

これはネット社会の一つの「良い側面」だなと感じた私でした。紅だ~~~!

2024年12月9日月曜日

韓国人ヘルパーさんの焦燥

病院内の私の管理する病棟の一つで真面目に働いている在日歴何十年のヘルパーさんが居ます。

元々はソウルの江南で生まれ育って成人した後に日本に来た方なんですが、働き者でシャカシャカとよく動く元気なオバサンです。言うことは言うけどきちんと手も動かし働くという「言うだけの事はある」人物です。

時々場面にあった生の韓国語を教えてもらっては覚えるようにしているのですが、頭の回転も早くいつも話が面白い。しかし、最近このオバサンの顔が非常に疲れ、口数も少ないように見えるのでした。こういう時は何があったのかと心配するのですがそこはこのオバサンといつも話を良くする私。何となく見えていました。

恐らく彼女の表情を暗くしているのは「母国の政治状況」だと睨んだ私は、彼女に「尹さんやらかしたね~」と話しかけたところ、クルリとこちらを振り返って怒涛のように話す話す。止まりません。^^

彼女の話をまとめると、あの北朝鮮とつるんでいる左派政権がこの状況を利用しない訳がなく、来年の春過ぎくらいの段階で返り咲いてくる左派の碌でもない奴らが韓国を「また」メチャクチャにすると言って怒りと不安で夜もよく眠れないというのでした。流石は「熱い」血を持っているなと思うのですが、彼女といつも立ち話で話す韓国の政治状況というのはまさに北朝鮮との対決を意識したもの。

長年日本で暮らしてきた彼女にとって日本の悪口をほぼ因縁レベルでつけてくるあの連中がひとまとめでお気に召さないようで、そういった面でも彼女の怒りは沸騰するのです。

同じような日本擁護発言は日本人として日本で暮らしている残留孤児の子である日本人看護師さん(御主人は中国人)も同じで、中国の事を日本のニュースを通して眺めている御夫婦は最近中国の事が心配だし、政治のシステムが嫌いで嫌いで堪らないという話。

やはり人と云うのは「自分の住んでいるところ」「身近に居る人」というのが好きになるものなのかなと感じた次第でした。まあ、韓国人のオバサンの場合は単に左派の滅茶苦茶な亡国的な活動が嫌いなだけみたいですけどね。

まともな知性があれば、伊さんの謎のイカレタ戒厳令もオカシイと思うでしょうし、あの左派の売国奴的な行動も到底許しがたいと思うのは当然なんでしょうけれども…。

外国人として他国に定住する事の厳しさを乗り越えてきた逞しさのある人達の発想はやはり温(ぬる)くは無いですね。

2024年12月8日日曜日

息子の体重コントロール

息子の体重は私達親の責任です。

自閉症の息子には喜びが幾つかあるのですが、その一つは明らかに食べる事!当然我々親も当然の様に美味しいものを食べることには喜びを感じる人達なので、息子と外に食べに行っては一緒に舌を喜ばせるものを味わうという行為は我々の日常です。

実は値段とかには全く拘りはなくて「美味しいものは美味しい」という結論の部分だけブレがなければA級だろうがC級だろうが何でも食べてしまう我々親子。そういう何でもござれ的な感じで栄養を吸収し続けるためかなりお腹に肉がついてしまう今日この頃…。

息子の体重は昔から嫁さんがコントロールしているところがあって、少し腹に肉がついてきたらお菓子は無しにするとか、夕ご飯を少し絞るとかすると(若さのおかげ?)あっという間に体重コントロールができます。(私が同じことをしてもほぼ効かない…<加齢の影響か?)

息子の食べ方には私には無い特徴があって、その差は食べる速度。せっかちの私がシャカシャカと皿の上の食べ物を平らげていくのと違って「非常にゆっくり」とものを食べます。それは朝食・昼食・夕食を問いません。不思議なんですが、これだけは小さい頃から全く変わらず眼の前にある食べ物をジックリと味わう姿勢はせっかち食いの親父として見習わんといかんなと反省することしきり。それでも、やっぱり治りませんが…。

食べる速度に関しては息子はイタリア人ですね。実に幸せそうな顔をして食べますので。

唯一息子と私の間で同じ様に食べる食べ物?と云えば「飴玉」ですね。これだけはふたりとも口に入れた直後にボリボリと噛み砕いてしまうというクセがあります。せっかちで堪え性のない私の場合ならさもありなんで住むのですが、これだけは共通ですね。この点はいつも嫁さんに呆れられています。

嫁さんに取っての息子の体重コントロールの目安は体重計+体型変化。特にお腹のほうがコンモリしてきた時に嫁さんなりのプログラムを発動させるようです。私自身は彼女のプログラムの詳細は知らないのですが、確かにココぞという時には確実に息子の体型・体重を正常化させますので、何かのコツがあるのでしょう。

ただし、私に対しての体重減少プログラムは効果が無いようです。

2024年12月7日土曜日

シリアに大変化は起きたけれど

あっと言う間でしたね。

今回のバッシャール・アル・アッサードの終焉は結局のところロシアがウクライナ侵略であっぷあっぷである事を当然の様に見抜かれた反政府勢力に「蹂躙」され、かつ政府軍内部からも幾分反旗を翻されて終わりというまことに以てシンプルな構図でした。

今迄はロシアに何度も何度も助けられ、イランも裏側にきちんと立って支援、またあの立派なテロ組織ヒズボラにさえ支援されていたシリアですが、イスラエルがこの時期にヒズボラをボコボコにしてしまったのも大きかった。しかも、トルコのエルドアンはこの反政府軍にクルド系の熱い血を持った連中を核として支援し続けた事も大きい要素だったな~と感じます。

そもそも、トルコなんて自国の異様な物価高で他国への干渉に力を貸すどころの状態では無いはずなんですけど、まあこっちはこっちで立派な独裁者ですからそんな事は歯牙にもかけていないんでしょうな。^^

眼科医としてのキャリアをスパッと捨てて独裁者である親父の後を継いだバッシャール。彼の名前の響きが良いので、随分前からこの名前をフルネームで覚えていました。親父が屑なら子もまた屑という悲しい独裁者国家はどこかのアジアの半島にもありますが…。

巨大都市パルミラ、古代都市ダマスカスのウマイヤド・モスク、大規模なスークと城で有名な神秘のアレッポ。世界遺産尽くしのようなこのユーフラテス川沿いの歴史の交差点の名所が戦闘で破壊し尽くされる前に政権がぶっ壊れます様に~と心から祈っていたのが天に通じたのかもしれません。w

イスラム教徒とキリスト教徒がそれこそ血で血を洗う様な戦闘を繰り返しながらスプラトゥーンのような色の塗り直し作業を繰り返したこの地が再び反政府勢力という魑魅魍魎を掻き集めたようなイスラム教徒の集団に奪還されました。

同じような光景はタリバンによってももたらされた記憶が真新しいのですが、当初融和姿勢を見せ「それらしく」振舞っていた連中が今はどうなっているのかを見るにつけ、シリアの未来がそんなに明るいものでは無かろうな…という気がするんですけどね。

今のところは対岸の火事と言いたい所ですが、韓国の来年の事を思うと先が思いやられます。

ヤレヤレ…。



2024年12月6日金曜日

今日は医者四人で忘年会

自分の主たる勤務先の医師とは夜の交友においては疎遠です。

そもそも私は精神科医ではありませんし、その精神科医も女医さん若しくは話の合わないレベルの(私から見ても)爺ちゃん先生だったりしますし、同じ科のもう一人は完全なアスペの先生で、飲み食いする時にズルズル・クチャクチャというお方ですので、こんな人物と金を払って外で飲み食いするなど完全に想像の外の世界です。

今回集まったのはバイト先の病院の先生方。皮膚科、精神科、眼科、そして自分が内科ですからやってる事が全然違うし専門性も全くバラバラ。しかし乍ら、それが楽しいという感じでしてお互いの世界をお互い良く解らないからこそ、お互いの世界の話を良く聞けるという感じの集まりです。

理想を言えば全く知らない世界の人間が集合する方がよっぽど面白いのですが、まあこれ位までの集合体ならオモシロいというものです。

今回集まったのは池下にある「探さないと見つけられない」ようなお店でした。とは言っても小さめの表通りに面した店なんですけどね。通常は会費が5~6,000円程度のお店に集合してヘルパーや看護師さんも集まりその人達の分も医師側が出してあげる…という感じの事が多いんですが、今日は医師一人の予算が大体一万程度で!という感じの集まり方。

6:30に集合してメニューを眺めながら酒や肴を次々注文。特に刺身は絶品で、この時期の良く脂の乗った魚の切り身が次々に出て来るので私自身は心の中で「おお、これは大当たり!」という声を出していました。長崎から寄せた食材もメニューに入っていてそれもキッチリ出て来ました。これまた絶品!こんな美味い魚を出せる郷土長崎を密かに誇りに思えました。

実は昨日嫁さんと飲みに行った時の日本酒パンチが効きすぎて朝起きた時はもう小脳失調かというレベルのグラつきが残っていました。w

最終的に酔いが完全に冷めたのはなんと午後二時ぐらいでしたので、今日は前もって組み込まれていた忘年会とは言え酒はサングリアとかレモンスカッシュのナントカという様なまさにお酒の弱い女の子が口にするような飲み物でしたので、今日はアルコールはセーブという目的は達成しました。

家に帰り着いたのは9時前。何とも早い御帰還でした。^^

2024年12月5日木曜日

嫁さんと連続で外出

今日は実に珍しい事ですが、嫁さんと二週連続の二人だけでの外出となりました。

今回も息子が外泊日でしたので、その合間に嫁さんが「食べに行くか銭湯に浸かりに行くか」という事で数日頭を悩ませた挙句の選択が今日の夜の行き先となりました。

結論から言うと本日二人で向かった先は銭湯ではなくて「食事」の方でした。しかも、今日地下鉄に乗ってその店に行けは「お父さんもお酒が飲める」という事で、再びの地下鉄アプローチとなりました。私自身も地下鉄に乗って移動するのは嫌いではないので即了承。

少し寒い夜となりましたが着いたのは今池。そしてお店は今池屋となりました。以前も家族全体では食べに来たことがありますが、私の場合は一人で食べに来たり友人を連れて食べに来たりするというパターンばかりで既に20回弱は来ている感じです。今回は開店の5時からでは無くて、私の仕事が終了してからの移動ですから恐らくしばらくは外で待ってないとダメだろうなという覚悟で移動しました。

ところが、今池駅で降りて今池屋の中を覗くとまさに丁度席を立とうとするおばちゃん達二人が席から離れているところでした。まるで我々が来るのを待って席を暖めてくれていたかのようなドンピシャのタイミング。^^

嫁さんと鉄板を挟んで直ぐに座ったところ、お手伝いのお嬢さんが直ぐに注文を取りに来ました。するとどうでしょう、目の前の嫁さんが淀みなく注文をし始めました。この手の事は私は何時も嫁さん任せなのですが、また予習復習をしてここにやってきたようで、滔々とそのメニューを喋り出しました。

苦笑を抑えながら半ば呆れて見ているとあっと言う間に注文終了。

結局、生チューが持ってこられた後はレバ、軟骨、エリンギ、ホタテの肉巻き、ミックス焼きそば等々を次から次に頼みながら最後に自分で日本酒を瓶ごとオーダーして一人呑み。機嫌よく店の大将と世間話をしながら味を、酒をと愉しんでいたら次の若いカップル二人が私達の後ろで待っていましたので席を立つ事にしました。(実際は隣の二人組がとっくに食べ終わっていたのですが、やたらと話すだけで去らないのでした…)

勘定を終えて寒空の中を嫁さんと二人で再び移動開始。結局向かったのは先週も行った私の隠れ家。しかし、これでは隠れ家になっていません。orz

到着したら温かく迎えられ、カウンター席で呑みなおし。私は古酒を、嫁さんはノンアルの飲み物を頼んでまた少しずつ食べ物を注文しながら緩い時間を過ごしました。

奥からはこれまた滅多に出てこない筈のGさんが出てきてご挨拶をして下さいました。その上でまたヒョコっと厨房に引っ込んで行かれたのですが、なかなか嬉しいご挨拶でした!

比較的短い時間でしたが、二軒の店で今日も嫁さんと美味しい食べ物と酒を愉しめました。
また行くかな。^^

2024年12月4日水曜日

103万円の壁にやられたorz

これか~~~~~~!!って感じでした。

今、巷で噂の103万円の壁という奴に刺されました。ぜいっむ所から私がお世話になっている税理士さんの方に連絡があったようで、私が扶養控除の為に扶養家族として入れていた次女の収入がイワユル103万円の壁を2万円分超えていたのではないか?という質問があったようです。

次女が私に渡していなかったのか、私が次女から渡された分を提出していなかったかのどちらかなのですが、私は娘のバイト先の源泉徴収票を一枚は確実に貰っていてそれをそのまま提出していたので、恐らくは娘の方だと思われるのですが、まあここは水掛け論になるので脇に置いておいて…。

さて、103万円の壁から2万円超えていた事により扶養家族から外れて十数万円の申告所得税及復興特別所得税という長たらしい名前の税金(まあいわゆる所得税ですね!)を追加支払いとなりました。

娘の2万円の所得超過の為に十数万円か…と考えると「何じゃコレ?」の世界で、世間の皆さまが気にされておられる「働き控え」の源はこれかい…というのを痛みを伴って実感させられた次第でした。そもそも娘が幾ら稼いでどうなっているのかという事を把握していないばかりか「このラインを超えたらアウト!」と云うのを意識していないばかりか、その当落線の線引きが幾らかというのを知りもしなかった私が完全に悪いんですよね。

今迄、嫁さんが全く金銭を設ける様な働きが無い専業主婦なので、そういうことを知らなかったというのが正直なところなんですが!

はあ、やられたやられた!!!!!

まあ、これじゃあ損得勘定を考えて一家の稼ぎ頭の為に「わざと」働かない人間なんてゴマンと居るわな~と考えた次第でした。

2024年12月3日火曜日

ここしばらく考えていた事

実はアメリカ大統領選の結果が出た後サッパリと選挙のこと自体を忘れていました。

直前のセンサスを見る限りではトランプの大勝だなと思っていて、結果もその通り。ですから、結果自体は勝ち負けが見えた時点でもうどうでも良くてハイハイ予想当たり!という感じでアメリカ大統領選の事はチョン。

しかし、ここ数日何故か頭の中でグルグルグルグルとある疑問が浮かんでは消えを繰り返していました。それは「何であんな普通に考えればトンデモナイとしか言えないような男が勝つのか?」という疑問の自分なりの答えが欲しいという気持ちでした。

ヒトラー礼賛の記事や売春婦に関する下司なひそひそ話のリーク、そして己の根拠なき妄想をあたかも確信のように語る独裁者としての資質タップリの話等、ネガティブな面は枚挙に暇なく…というレベルの男。それでもアメリカ大統領選では勝利。

資金源の豊富さで到底ほかの候補は太刀打ちできず、共和党内でも最初からほぼこの男でという空気が作られていましたが、そもそも宗教の教祖と云うのはこんな感じで自分に全能感を持つ輩に付いて行く集団から始まるというのを淀みなく証明してくれる21世紀版の一例だな~と想えたのでした。

しかし、それだけでは何故という当初の疑問には答えていません。そこでいろいろと考えてみたのはその対比。カマラとは人種、そしてキャリア形成でのワシントンD.C.のエスタブリッシュメント達との距離等ありとあらゆる部分で「アメリカ建国前後に新大陸に集った食いはぐれた白い人々を中心とした田舎者」を共感させることが出来なかったという事でしょうか。

でも、それでも全部は説明できない。じゃあ、移民と経済への対策に対する支持の差?ありとあらゆるモノの値段が上がる中で、日々の生活で明日が見えない人々の持つ怒りがバイデン民主党政権への反感として出てきた?うーん…どんなもんなんでしょう。それも決定打ではないような。

そこで私が自分なりに納得した全てを包括すると思われる結論はpolitical correctnessに対する強い拒否感ではないかというものでした。要するに理屈の上では正しいけれども、それが日常をアメリカの中だけで過ごす普通のアメリカ人にとってフェアかつcorrectなものかという疑問と、そのcorrectnessの存在が日常生活を維持する上での経済的な面、日常生活の多くのシーンでの自分の生活改善には当てはまらず、やって来る今日よりよい筈の明日から置き去りにされる材料となってきたと感じる人達がトランプじゃないけどカマラを選ぶくらいなら…NONカマラという感じで今回の結果が出たのではないかというものでした。

私は選挙やアメリカ文化の研究者では無いので細かい分析などは出来ず、断片的な記事や結果、自分のアメリカでの生活体験からしか話を語れませんけど、いわゆる左派という連中が叫ぶイデオロギー(political correctness)のもとに形成される窮屈さに対する反動なのではないかと云うのが結論でした。

やっぱアメリカの背骨はカウボーイが持ってたマッチズモなんでしょうかね。

2024年12月2日月曜日

ストレスだったんだ!

今日、病院の階段を降りている途中で女性の看護師が一人で嗚咽していました。

余りにも激しく嗚咽しているので驚いて足を止めて、思わず見てしまいました。相手も私が後ろにいる事に気付いたのですが、彼女の嗚咽は止まりません。基本的には病院におけるこういう「女性が一人で泣いている」という様な場面は師長さんに怒られて離れて泣いているとか、同僚のいじめに遭って云々等というパターンが殆ど。

しかしながら、ここまで嗚咽が激しいのは普通は無くて精々シクシク程度なので、これは何か深刻な事が起きたかと思って「大丈夫?」と声を掛けました。それでも嗚咽は止まらず泣き続けていました。嗚咽しながらも「大丈夫です」なんて言われましたので、そのままその場を立ち去りました。

ところが全くの偶然だったのですが、その二時間ほど後に看護部長室からその女性が出てきたのでした。もしかして?と思って部長に先ほどの話をしたところ、実は新型コロナの患者の居る病棟で働く事のストレスに耐えきれなくなって、病棟から出てきて階段で泣いていたとの事…。

「そういう感じの出来事って実は時々あるんですよ」と云う意外な言葉が部長の口から出て来ました。

やはり、強いストレス、恐怖と云うのは人をして感情のコントロール下から外れてしまうという事は有るのです。PTSDもそうですし、心の底から湧き上がる焦燥感と云うのはその人の人の殻を剥き取ってしまうのです。閉所恐怖症や広場恐怖などは判り易い例ですが。

今日の看護師さんの姿を見て、人の感じた恐怖というものをソレを感じない他人がああだこうだと論評する事は出来ないという現実を改めて肝に銘じたのでした。

年齢に関係なく、状況に関係なく、人間の感情を恐怖で押し流す状況下で仕事をせざるを得なかった女性の気持ちを考えると自分自身の「人の感情を推し量る力」というものがまだまだだな~と考えさせられた今日の出来事でした。

2024年12月1日日曜日

紅葉狩り

今日は昼から紅葉狩りに出かけました。

紅葉狩りなどというと、愛知県で有名なのは香嵐渓という所なんですが、ここはこの時期地獄のような渋滞が出現するのを私のような余所者でも知っておりまして、とてもとても昼から家を出てそこに行こうなどという気力はありません。

たとえ出て行こうとしても、到着する頃には数時間の渋滞に巻き込まれた挙げ句に着いた頃にはヘトヘトでとても紅葉狩りを楽しむような状況ではないというのが既に目に見えておりますので、チャレンジすらしないという状況。w
到着したあとで車を停めるのに必要な数少ない駐車場もあっという間に満杯で、あとは私有地に誘導されるこの季節特有の高額私有駐車場を利用する選択肢しかありません。

ただ、到着したあとは実に素晴らしいもので、当たり!の季節であれば美しく色づいた紅葉の波の中で遠近感を失うほどの素晴らしい景色のなかに心をどっぷりと沈めることもできますし、夜まで待てば美しくライトアップされた景色を眺めつつ夜の川に流される青白く光る無数のボールの群れも見ることが出来ます。

しかし、今回私が嫁さんに誘われたのは意外に近い場所である東山動植物園。正直なところここが紅葉狩りに良い所だという認識冴えなかったのですが、名古屋では比較的有名な所の様です。

息子と三人で中に入ると早速進行方向の両方、特に左手には良く色付いた紅葉と銀杏の並木が見えました。
奇麗なんですけど、写真撮る私が下手です。
未だもう一段いけそうな感じですね。
あっちもこっちも真っ赤っか。
紅葉狩り!この幟を見た瞬間シャッター押しました。
五色池からの一枚。
光が当たると暗めの赤がこれほど美しく映えます。
植物園の中では色々な木々が混ざっている事がこの時期に判明します。
これも光が当たればもっと照り映える筈なんですが、この時は陰でした…。
園の中では動物園、植物園どちらにも行ったのですが、動物などは一顧だにせずひたすら三人でいろいろな屋台の食べ物の食べ歩きと紅葉狩り。w

日本で二番目に入場者の多い筈の東山動植物園でこんな事をしている家族もいるのでした。腹がくちた段階で地下鉄に乗って今度は藤が丘でリニモに乗り継ぎ長久手イオンに行き眼鏡を見たのですが、結局買わずにここでも和食屋に入って腹を満たすという食ってばかりの一日でした。

家に戻った時は腹がパンパン。嫁さんも夕食を準備せずに済んだ週末で何よりだった事でしょう!