2024年8月31日土曜日

美味いものを食べたいが…

どうもこの一年体重を上手く減らせません。

眼の前を美味いものが次から次へと流れてきて、それを自分の口に運ぶ作業を繰り返していると「どうしても」体重が減りません。しかも、加齢による代謝速度の低下も明確。^^

自分で「よっしゃ、痩せよう!」と決意していても、各方面からのいろいろな頂きものが食卓に並んだりするとどうしても「食べたい」という気持ちの方が前に出てしまって、胃袋に収まった後、きちんとお腹の脂肪に変換されてしまいます。orz

高脂血症や糖尿の患者さんへの食餌や体重コントロールの指導も自分自身の業務の中に含まれますので、私がデブ状態では説得力がダダ下がりとなってしまうのです。実際の所、自分の腹が出ているな~と言う状態の時には、情けないのですが「人の事は言えない私ですが、共に頑張りましょう!」系の督励になります。w

私の場合、いろいろ紆余曲折を経て出っ張ったり凹んだりを繰り返しているのですが、今後はやっぱり「太らない事」を意識しつつ生活しなければなりません。とは言え、俺の薄弱そのものの弱い意志ではどうにもアカンのではないかという、かなり強い未来予想がある訳でして、何だか始める前からアカンという感じ。

アメリカから家族が帰ってくる前は自分で料理を準備しない怠け者の性質が幸いし「体重に関しては」ほぼ全く上昇しませんでした。今晩は赤いきつねの麵だけ~とか、ビールのつまみだけ~とかいう夜食、そして朝は飯抜き!等という生活も普通でした。そんな貧しい食生活だと自然と太らないもの。(健康的とは程遠い状況でしょうが!)

結局、規則正しい間隔である一定レベルのカロリーが美味い料理として提供されればそれを食べてしまうのは人情。そしてその結果は、フツーのオッサンにとっては肥満を意味します。^^

やっぱり体を動かさんことには、そして口から入る量を制限する事を常に考えておかなければダメダメという事ですな。来年の一月に長崎で卒後30年目の同窓会があるようですので、それを一つのターゲットにして頑張ろうかなと考えた次第でした。

2024年8月30日金曜日

みずほ銀行とんでもなく使いづらい

 今回東京に行って再度確認できたのは名古屋や田舎では例え「都市銀行」と言われていても使ってはいけない銀行というのがある事。

経緯ははっきりと思い出せませんが、親父達への仕送り用に名古屋からお金を送り込めるどこかの都市銀行を一つピックアップしてくれたのが宮崎では一つしかないみずほ銀行だったのでしょう。

ところが、実際に使い始めるととんでもなく使い辛い事が最初から良く解りました。

まず、とんでもなくどこにも支店が無い。それは名古屋においてさえ同じで、名古屋にもATMを含め数か所。実質的な有人店舗という意味では名古屋市内でさえ実質二軒?しかありません。しかも、数件しかないATMは名古屋の中心部にちょこちょこっと固まって存在しているだけ。

通帳への記帳一つでもトンデモナイ労力をとらされますが、ネットにアクセスしない年寄りにはとても無理で、ネット上の通帳を「普通に」使える顧客がそのカスタマーでなければなりません。我が家の爺様の様な人にとってはこういう「実支店のない銀行」はもうとても使える様な銀行では無い訳です。

実際、私が親父とともにセットアップしたみずほ銀行の口座をわざわざ大須のATMまで行って記帳してみたところ、この数年間に送り続けたお金には一円も手が付けられていませんでした。

これが良いのか悪いのかというのは全く別ですが、親父に聞いたところ取りあえず年金で母親の施設入所費用は賄えているという事、また実家の家のローンはとっくの昔に払い終えているという事で、贅沢をしなければ特に何の心配もないという状況にはあるようです。息子としてはヤレヤレですが…。

それにしてもこの都市銀行というかメガバンクというか東京専門のみずほ銀行。我々名古屋人にとっては何の役にも立たないタダの名前だけ有名な銀行の一つでしかないな~、と感じてしまいました。

早めにみずほの口座を解約して三菱UFJなんかに切り替える、もしくは親父の居る田舎の様な所でも普遍的に存在しているゆうちょ銀行にスイッチする事にしたいと思います。

2024年8月29日木曜日

台風十号とコンサート

宮崎の田舎の方では親父によると既に台風一過状態でした。

確かにYahooの台風地図で見るとその時点で台風が宮﨑に影響を及ぼしていると思ったら、なんと九州の西半分だけが雨雲で真っ赤っか。親父曰く「カラッと晴れて傘も要らん。窓を開けたら涼しい風が入って来るよ」と明るい感じでした。

しかし、我々名古屋の方は実は大変イリイリした数日を過ごしていたのです。それはこの週末に嫁さんの実家から義理の妹と母親が松田聖子コンサートに参加する為にやって来るからなのですが、ニュースを見る限りは名古屋へ来るのは絶望的。案の定、直ぐに飛行機のフライト中止のメールが届いていました。

とすると、次の大問題はコンサートが中止になるか否かという一点にフォーカスが来ます。というのも、もしコンサートは行われるのに嫁さんの家族が来ないのであれば、そのチケットは宙に浮くわけで勿体ない!転売なんかもしませんしね。

そこで嫁さんがいきなり私に「あのさ、もしよかったら私と聖子ちゃんのコンサート行かへん?」とにこやかに行ってきたのでした。私としては「え~~~~~~?オレ?」という感じ。ほぼ冗談のレベルなんですが、嫁さんとしてはそうではなさそう。

そこで、私はより松田聖子の事が好きな世代と思われる私の年齢周辺の看護師さん達に「どう?どう?」と聞いて回ったのですが、めちゃくちゃ行きたいけど絶対遠慮します。お金を払わなくてタダであげる!と言ったのですが、それでも皆が猛烈にしり込み。「奥さんと行ってあげてください!」という一点張り。

まあ、仕方ないかとあきらめかけていたところ、今日になってイキナリ「一週間延期になった」との報告が嫁さんのラインから入ってきました。正直「まじ?」という感じ。普通そんなでっかいコンサート会場を一週間単純にずらして取れるものか?というのが私の感想。

しかしまあ、やるというからには取れたのでしょう。さすが松田聖子。持ってます!

更に、長崎の親族も一週間後に来れる事になったとの事で、いろいろと複雑なパズルのピースが嵌まり直した様でした。私は飛行場前のコンサート会場も含め三度も知多半島へ走らなければなりませんが…。

まあ、たまにしか来ない義理の母。きちんともてなす事に致しましょう。

2024年8月28日水曜日

親父の誕生日

昨日は親父の86回目の誕生日でした。

この世に生を受けた後に86回!も誕生日を迎えたという親父の事をただただ驚愕をもって感じ入っている私が居りました。親父に連絡を入れたのはライン。トイレで座りながらじっくりとお話。w

親父にまずはオメデトウを言ったのですが、    親父から帰ってきた言葉は息子の私が59歳の誕生日で放った感想と全く同じで「全然めでたくもないが~、笑」と言う感じ。その後、四半世紀も前に私がアメリカに行く直前に飛騨高山に親父と母ちゃんを連れて行って親父と母ちゃん二人の「還暦祝い」をした頃の話が親父の口から自然と出て来ました。

「お前が来年還暦とか聞くと、俺達がお前にお祝いして貰った頃の気持ちを思い出すわ」とのお言葉。

お互いに時の流れを感じる話となってしまいましたが、この後わたしからは「父ちゃん、先ずは2年後の88を目指せばええが!ここまで来たらマラソンと同じで見えてる電柱の一本一本を目標に走ると良いんやない?」と言うと、親父も腹の底からゲラゲラ。

88は喜寿ですからお祝いも良い感じ。更にその二年後は90となって今度は卒寿です!果たしてここまで親父が生きているのかは親父も含めて誰にも判りません。

息子として、親父を見ていて思うこれから年々高まるリスクは腎機能の悪化との戦い、脳梗塞、転倒による種々のケガとその治癒遷延に伴う廃用症候群の出現、加齢に伴うある程度の認知気機能の低下の速度がどうなるか、あとは誤嚥の出現の有無、最後に悪性新生物が親父に出現するのか否か等様々ありますが、こういう事は上に書いた様に正直「誰にも」判りませんので、論じても意味ないですわね。

とりあえず、LINEを使えるハイテク爺さんとしていつの日にかテレビなんかで「ここまできた!日本のハイテク爺さん」とか出演せんかな等と夢想したりするんですが、これから数年後にはスマホを触りまくる90のジジババなんて普通過ぎてダメか…。w

2024年8月27日火曜日

東京の締めはココで

Tokyo Skytreeを出た後は、向かう先は一か所しかありません。ターゲット「葛飾柴又」です。

以前アメリカから一瞬だけ日本に来ていた時に、新しく出来ていた「寅さん記念館」に以前、時間の関係で行けなかったのです。柴又には既に三回ほど来たことがあって、その度に東京の中に存在する「異空間」の空気を毎回味わっていました。
さくらに別れを告げるところでしょうかね?
脇に控えめなファミマが見えてます。
今回もひ~さしぶりに京成電鉄に乗って葛飾に向かいました。降り立った駅は以前と変わらず、映画の中に出て来るひなびた感じが「まだ」ありました。線路を横切っていくと、寅さんとさくらの像が立っています。(昔は寅さんのだけだったような覚えもあるんですが、記憶の合成でしょうね)目立たないようにファミマも外装が焦げ茶で統一され目立たないようになっていました!
案内所の脇に置いてあったんですが、良い感じ。
久しぶりの柴又参道へ歩いて行くと、ありましたありました。なんだか自分の家に戻ってきた感じ。ここが自分の実家だという人が本当に心から羨ましく(妬ましくw)て仕方ありません。案内所の姉さん二人と話が合ってちょっと話し込んだんですが、なかなかいい感じ。
何度見ても懐かしい。日本人の子心にスッと入って来る眺めですよね。
説明は要りませんよね。
高木屋老舗、とらや、せんべいや、木彫の店など映画の中でも出て来る店がずらずらと眼の前に並んでいます。
寅さん好きが皆知ってるこのエントランス
この鐘楼周りで源公がほうきをもって仕事していたり、鐘を点いたりしてますよね~
この住所に家を持ちたいな~
最後は映画の中でも何百回でも出て来る帝釈様の鐘楼や門、境内などを散策。お守りなどを買い込んだ後、寅さん記念館に移動開始。江戸川の直ぐ傍にあるこの記念館、遂に訪れることが出来ました。
中の設定はこの通り!やっと理解出来ました。
寅さんのお守りですが、コピーは買いましたがこれは映画の中のものとは違いますよね?
日本中のロケ地一覧!
凄い歴史です。アメリカとオーストリアもついてます。
この後は出口から直ぐの山田洋次ミュージアムに入り、山田監督の監督としての歴史や国民栄誉賞の実物展示を見てきました。
デカいです!
ゲートブリッジです。
映画でいつも皆が集った「くるま菓子舗」
中ではミニジオラマや柴又駅の昔の駅長室?の移設したもの等種々ありました。
古式床しき駅のプレート!
ちょっとしてこのシャドー。良いです!
結局、中は期待した通りの出来でしたが、何十年も経ってフーテンの寅さんという映画自体を知らない若い世代が人口の8割とかになったら閉館してしまうんでしょうか…。くだらない事を考えてしまいました。

寅さんの歩き続けたアノ江戸川に出る前に腹が減ってしかたなかったので、ToraCafeへ行ってお姉さんに昔懐かしナポリタンを注文。ジュース付きで1100円でした。美味しい!

腹がくちた後はあの江戸川へ。ちょっと良い写真が撮れませんでしたが、暑い江戸川を歩きながらあの頃の寅さん達の時代の江戸川を夢想し重ねてしまいました。(矢切の渡しにはいきませんでした)
遠くに映画で何度も出て来る橋などが見えています!
再度京成に乗って品川駅へ一直線。新幹線に飛び乗って一日振りの名古屋へ戻ってきた二日目でした。東京はやっぱり日本の最大都市圏として、名古屋とはくらべものにならない「政治の中心」と言うべき都としての面目を見させていただきました!

今度行くのは何の時になるでしょうか?愉しみです。

2024年8月26日月曜日

高いところは苦手だが、ここには上る

朝早く起きて行動を開始しました。

なんというか、朝方寝てるときに猛烈な寒気を感じて一瞬震えていたのですが、寝る前は妙に暑かったのでその寒暖差にやられたのかなと思ったんですけど、取り敢えず起きた時点では何ともなかったのでヤレヤレでした。しかし、念の為に500ミリグラムのアセトアミノフェンを服用しておきました。

ホステルでシャワーを浴びて地下鉄で移動を開始し、目指したのはTokyo Skytreeでした。

押上駅に着いた後、どデカいビルが繋がった構造を通り抜けた後に最後に登り口に辿り着く構造というのは、正直なところ初めてココを訪れた私の様なお上りさんには判り辛いです。
押上駅から出て暫くしたところで見えた全景。デカい!
何はともあれ、エントランスに入る直前にウェブ経由で買ったチケットのQRコードを使って最終的に発券してエレベーターの真ん前に20人程度のグループでまとめられました。私達を乗せたカーゴは本当に驚くべき静寂の下であっと言う間に350メートルまで上昇。開放された後は直ぐに外の見学にでたのですが、東京タワーはメイン・デッキが150、展望デッキでさえ250メートルですから、Skytreeでは低い方のデッキでさえこの高さ。やはり60年の時間の差はいろいろと違いを産み出すものですね。
向こうに見えるのは発券機です。入場は夏休みだけど凄いスムースでした。
私の時間帯は9:30入場の組。
下から眺めた時に思ったのですが、こういう美しい構造でこんな高い塔を作るというのはエッフェル塔の時の感じを受け継いでいた東京タワーとは隔世の感がありますね。上から眺めた時の複雑な構造と幾何学的な美しさには、思わず「ええわ~」と思いました。

それと、アラミドかなんかで出来ていると思っていたガラスは実際に強化ガラスなんだそうで、調べてみるとサイズは2m×3m。厚さは12mmで強化ガラスも4枚重ね。その上で1m下に同じ強度のガラス3枚と厚さ6mmのガラスが2枚重ねられているとのこと。なんと!1㎡あたり800kgまでの荷重に耐えられるという凄さ。やっぱり安全はどこまでも追及するべき対象ですね。
ポケモンのイベントが開かれていて、小学生連れの保護者さん達が沢山!
床の板ガラスから見える遥か下の巨大水遊び場。
人間って凄いもん作るもんですよね。
それでも、実際に高所恐怖症の私はこの上のど真ん中に立つ事は出来ず…。orz

横で小学生と思わしきチビ助が嬌声をあげながら楽しそうに跳ねているのを見て、心の底から「やめろクソガキ!」と思ってしまったのは私だけだったのでしょうか。本能の為せる心からの叫びでした。w
上の展望回廊を手摺の外から撮ったもの。もしスマホを落としたら最悪です。
ここが、普通の人が味わえる塔の上での最高ポイント。
自分のスマホに入っているアプリで高さを表示させたところ。
誤差は3メートルほどでした。凄いもんです。
こんなもんを作り上げる人間ってヤバいです。
上の写真を見て判る事ですが、一本一本のカラムの接続の傾き具合が少しずつ設計図通りに異なっているという凄さ。こんなもんを微妙な溶接その他の技術で一本ずつ変えながら全て作り上げるってある意味異様です。

いろいろと眺めた後最終的に下に降りた時点で「小学校の頃上った東京タワーの時の驚きは超えんかったな」と思いました。^^

この後は、ちょっと考えて大江戸博物館に行こうと思ったのですが、残念ながら今日は改修中という事で閉館中でした。そこで、葛飾柴又、帝釈天へ向かうことといたしました。

またあした。

2024年8月25日日曜日

夢に見た歌舞伎座へ

衆議院見学が終了して直ぐに二人で地下鉄に乗り込み銀座へ移動です。

人生半世紀以上生きてきて、己がまさか日本の伝統芸能の歌舞伎をその本拠地歌舞伎座で観る事になるとは露も思っておりませんでしたが、こうやっていざその日がやって来ると緊張と興奮でチョイ緊張です。

地下鉄の駅を出て彼女とポケモンでチーム編成をしながらの作業をしつつ歌舞伎座へ。中へ入る前に喫茶店ヴェローチェへ入りました。私、全く知らなかったのですが、江戸っ子の彼女にしてみればスタバよりも高コスパで何時も喫煙が出来るので、好きなんだそうです。
因みに後で名古屋で検索してみたら栄に一軒あるだけという感じ?道理で知らん訳です!
美味しいコーヒー・ジェリーとレモンの効いたレモン・スカッシュを頼んで一時間以上四方山話。
お初お目にかかります!
話を終えて店を出るといよいよ歌舞伎座へ。道を曲がった途端にいきなり上の写真の様な構えの歌舞伎座が御登場してくださいました。何枚も写真を撮った後に中の御土産ショップへ入っていきました。とりたてて私自身は買うものが無かったんですが、こんなものがあるんだ~!というようなグッズが置いてあったりして、なかなか興味深かったです。

SNOOPYのクリアファイル・フォルダーを娘に買いました。ゴジラの歌舞伎Tシャツ悩んだんですが、値段に驚き手を出せませんでしたが今になって後悔しています…。orz
正面に寄って八月納涼歌舞伎の垂れ幕を見ました。
今日観るのは最後の「狐花」です。
歌舞伎を観たのは2列8番という花道のほぼ真横!めちゃ良かったのですが、彼女によれば6列位が首が痛く無くて丁度良いらしいのですが、チケット購入時にウェブサイトが凍ってしまってやり直したらすでに無くなっていたとの事でした。
幸四郎、勘九郎、七之助等十四郎の俺でも知っている有名な人々がゾロゾロ。
公演が始まると怒涛の如く京極夏彦氏の描いたミステリーの世界観が炸裂。わざとガイドブックの粗筋紹介などは読まなかったのですが、二部の終わりの方でスパーンと伏線回収されていった時には全てが「腑に落ちて」まさにミステリーだ!となったのでした。
全てが終わった後で、後ろから撮った一枚。
同様に、二階席の一番左の後方から撮ったもの。御園座よりか広い!
七之助の女形とか滅茶苦茶奇麗で男の俺が見惚れるほどでした。この人上手い!他の人達を食うというか明らかに上手いのです。彼女からも解説をしてもらったのですが、納得の裏話がズラズラと出て来ました。歌舞伎の世界は複雑ですね…ほんと。

終わった後は近場のIrish Pubでビールを飲みながら川着物をつまんで更に歌舞伎談義。何かこの一日で大量の歌舞伎の話を伺って少し日本人らしくなった気がしました。w

十時過ぎにはお別れして私は赤坂のユースへ戻りシャワーを浴びてサクッと寝たのでした。明日の為にここは余計な事をせず寝るのでした。地震が起きませんように~と心の中で祈りながらの夜となりました。

2024年8月24日土曜日

人生初のアソコ

東京には八時前には起きて名古屋駅へ向かいました。

11時直前には品川駅へと到着。今回の予約はEXで行って、QRコードの呼び出しでチケットが帰るというシステムを使いました。なんだか日本にいない間にすっかりDXが進んでしまいましたが、70越えのジジババは相変わらず電話とみどりの窓口を使わざるを得ないだろうとコッソリ推測する私でした。(そんなこと言いながら、私も来年は立派に還暦ですが…。やがてはジジババでもスマホでスイスイと出来るような時代になるのでしょう。)

今回、東京に着いて困ったのは電車のチケット。マナカが東京の乗り物では使えないと何故か頭から思いこんでいて、電車の行き先をGoogle Mapで見ながらシコシコ現金購入。おまけにアホな事に折角持っていたView card SUICAも家に忘れてくる始末。重ねての毎度のアホ炸裂です。orz

しかし、なんとか本日の宿泊するホステルに到着。本当はチェックインは3時からなんですが、12時くらいに行ったら中で掃除してるチャキチャキの江戸っ子の姐さんが「良いから良いから~」って感じで「荷物そこ置いてけ!」って言われて直ぐ外出しました。^^

歌舞伎を案内して下さる方と最初に落ち合わせしたのは私のお宿から歩いて行けた国会の衆議院でした。以前より一度でいいから、あの魑魅魍魎共の集う「溜まり場」を見てみたいと思った事がその始まり。

週末は国会の裏側の衆議院の面会受付所から入る事になっていました。東京の激アツ高湿度のなかでTシャツをビショビショにしながら待ち合わせ場所で待っていると超久し振りに歌舞伎のスペシャリストと再会。旧交を温めながら二時からの参観に間に合いました。

自分の娘くらいの超若い女の子がピシッとした制服で案内開始してくれました。30人位の団体をまとめて案内してくれたんですが、後ろから読売旅行の団体も居て結構賑やかでしたね。
昔は馬車に乗ったオジサン達が集まってたからなんでしょうが、こういう馬用の水飲み場が残ってました。
これがアノ妖怪達の集合場所です。w
傍聴席から座って録音された解説を聞きながら議場をジッと見ていたんですが、議員席の後ろの方の長老クラスの人間がいつも座っているであろう席の名前の倒されているところを見ましたが、松島みどりの名前しか確認できませんでした。w
御休所と呼ばれる陛下の休憩所。他の皇族の方々も入れない?
この部屋は国会全体の10%のお金を注ぎ込んだと言われる部屋だとのこと。隣の皇族室と併せてって事でしょうかね。まあ、時代ですわな。
恐らく向こう側に見えていたのは参議院側の見学者!
中央の一番高い塔の下の空間。塔自体は確か65メートルだったかな?結構高め。
この日はなんと電気工事で、電気が止まっていて案内の女の子も、こんなに暗い中央の部屋は初めて見ました!と言っていました。勿論、空調も省エネのために極弱くしか効いていませんでした。
休みの日なので、車の出入りも無く道のど真ん中で写真が撮れました。
衆議院と参議院は何もかもが分離されていて、independentなシステムであるという事を堅持してるという感じでしたね。

ここから後はゆっくり移動しながら歌舞伎座へ移って行ったのですが、そこはまた明日続きを書こうと思います。

2024年8月23日金曜日

旅行の訪問先について

明日から東京に行って歌舞伎を観る事にしていますが、その他の所はどこに行こうとちょい悩みます。

折角、数万円を使って東京まで往復するのであれば、やっぱ歌舞伎見学以外にも何か見ようよ!という事になります。説明しようも無い純粋な貧乏人の性です。何というか余裕がなくて、出来るだけ詰め込みたいという観光バス的なものでしょうか。

結局、ああだこうだと言いながら考えるだけ考えて、実際にはバサバサと枝を切ってそれほどあちこちは行かないというのが今の私の旅のスタイル。むかし、ヨーロッパを始めて一人で二か月まわった時にあちこちを一度にまわり過ぎて、そういった「一気に全部観てやろう」的な旅行は疲れるだけのスタンプ・ラリーになってしまい「訪れた」事が全てになって、訪れるまでのストーリーや訪れた場所でのストーリーが抜けてしまってるという話になる事が多いのに気づき、次からは一切やめました。

実際の話、私の行く学会などでは無い私的な旅行で「記憶に残っている」ような旅というのは、必ずゆっくりと廻ったエリアばかり。一つの事に絞って、若しくは多くても二つに限って行った旅はやはり「記憶に残っている」ものです。

欲張らずに一つか二つに絞った旅行がベストだと気付いたのは20年ほど前でしょうか。

温泉なら温泉に入りに行く事が大目的で、その周りをちょっと散策するくらい。他の所に行くにしても温泉からか帰る時に眺望の良いところとか美味しいところに寄るくらいにするのがベスト、だと思っています。

いろいろ詰め合わせても、幕の内弁当と一緒で全く味を覚えていないのです。という訳で、明日からの東京旅行は場所を絞って参りたいと思います。 


2024年8月22日木曜日

やらかしNHK

 NHKの中国語国際放送できちんとやらかしてくれました。

公共放送であるべき日本のNHKで「40歳代の男性でNHKから委託されて国際放送を担当していた関連団体と契約。2002年からニュース原稿の中国語への翻訳と、ラジオでの読み上げをしていた」とのことなんですが、この男のやらかした事とは…。

19日午後、担当していたラジオ国際放送とラジオ第2放送の中国語ニュースの生放送で、靖国神社境内の落書き事件の原稿を読み上げた後、尖閣諸島を中国の領土。NHKの歴史修正主義に抗議するなどと原稿に無い発言。更に、これだけでは終わらず、英語でも南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるなとトータル約20秒にわたって発言したと言います。

もうね、滅茶苦茶。

再発防止策として20日から中国語ニュースを事前収録に切り替え、他の16言語で行っている国際放送も今月中に事前収録にする方針で、AIアナウンスの導入も検討するなんてしているようですが、正直ヌルいです。

これが彼の中国であれば、死刑を含むスパイ防止法関連の法律が適用される訳で、何をとぼけたこと言ってるんだという事。先ずは拘束して国外逃亡を防止したうえで全てを始めろと言う事です。

関連団体は21日付で契約を解除したとのことですが、NHK自身もこの男性に損害賠償請求をするほか、刑事告訴も検討中との事ですが、正直な所「お前何言ってんだ?」という感じ。先ずは会長が首を自ら飛ばした上に、今まで放送された中身に関しても過去十年程度は遡って全てを再検証。

関連団体との契約も打ち切った上で、この関連団体自体にも賠償請求を行うべきでしょう。

国境や領土の問題と言うものは国家間の関係において最重要かつ最も繊細な問題。コレを自国の国営放送が相手の国の言葉で領土放棄宣言を行ったも同様です。それ程に「国営放送」というのは重いと考えます。

舐めた事をした輩にはキチンと痛みを与えるべき。この際「国内法」の再整備を行い、この手の獅子身中の虫への対処法を行っておくべきです。そもそもが、告訴を検討などと言うものでは無く、この手の事には自動的に検察が動くべき刑事事件として告訴を発動できるようなシステムに切り替えるべきだと考えるのです。

2024年8月21日水曜日

次に消滅するのはあの保険証

突然という感じでしたが、半年以上前から日付は決まっていたという事実を改めて知りました。

今年の12月2日にはいよいよ今のプラスチックの健康保険証もマイナンバー・カードに統一されるという事で、目出度し目出度し。

そう言えば、うちの病院でも何気に各科の受付にマイナンバー・カードの読み取り装置が置かれるようになっていましたし、バイト先の病院でも思いっきり受付のど真ん中に置かれるようになっています。更には近くの歯医者さんでも、この前までは置いていなかったおんなじ読み取り装置が置いてありました。

結局、日付が迫ってくるとこういう風に各医療機関でもシレ~ッと準備する訳です。そうしないと保険証を受け付けられなくなる訳ですから、医療機関自体が保険料から発生する医療費を受け取れなくなる訳で、頓死しちゃいますからね。w

運転免許証のほうは、以前に河野大臣が「令和六年度内に」と言っているので、行政年度と言う意味では来年の三月までにはやったろうじゃんという事だと思います。(期待込み)

さて、ここまでしてもやっぱり紙の保険証を使いたいというrest of usな人々も居る訳ですが、こういった救済策もやがては時間の流れと共にヒッソリと消されていく筈です。(ほぼ間違いなく)^^

そもそも、顔写真無しで使い始められる「紙の」健康保険証はありとあらゆる詐欺の入り口。詐欺師が大好きな貴重な個人なり代わりの入り口なのですから、コレを使っていくという事はどういうことなのかという事をもう一度考えないといけません。例えば詐欺師が役所へ行って戸籍謄本を取って、紙で保険証を作って、それを持って運転免許証を作って顔写真入りのID完成。そこから後はやり放題でした。

今後は先ずはマイナンバー・カードを出せ!と言うのがデフォ。そうなってくると、今度は無くした時の再発行が地獄になるような気がしますが、これは仕方ない。星新一の世界の登場です!確か、ボートに乗っていて一枚のIDを落として以降そのIDを回復するまでの塗炭の苦しみを描いたショートショートSFがあった筈。(小学校のころ読んだ覚えが)

無くさないようにしないといけませんね!w

2024年8月20日火曜日

息子の咳

なんて事はありませんでした。

数日前から寝る時に息子がコンコンと軽い、しかししつこい乾性咳嗽に悩まされていたのです。内心では「マイコプラズマに感染してるかも?」と思っていたのですが、まあ特に大したことも無いので放っておきました。

しかし、嫁さんとしては気になる様でしたので直ぐ近くのいつもお世話になっている内科の先生にでも見て貰うと良いという事を言っておきました。検査結果は一日ちょっとかかったようですが、返ってきたデータをみてみると普通マイコプラズマではあんまり上がらない白血球が正常値の上限より3割程度高くなっていました。しかし、これはあんまりあてになりません。あと炎症性反応タンパクのCRPがそれなりに上昇。こちらの方はまあ「らしい」と言えばらしいんですが、WBCがあがっているのであてになりません。w

結局、マイコプラズマ抗体の検査結果がどどーんと強く陽性に出ておりまして「あ、やっぱりw」という感じでした。プリントアウトされた胸部写真を見てもそれほど炎症起きてるな~という感じでは無かったので、画像上は肺炎を疑うようなものでも無かったのですが…。

既にその時点で先生もマイコを疑っていたのかもしれませんが、empiricにジスロマック(アジスロマイシン)が投与開始されていました。250mgを一日一回2錠3日間の間だけ連用して服用するだけで、通常一週間ほど抗菌剤としての効果が維持されます。

するとどうでしょう、息子の咳は2日目から明確に聞かれなくなりました。実は私の方もちょこっと咳が出ていたんですが、私の方は歯肉炎に対する処方として歯科からジスロマックが出されていましたので、ちょうど被る感じでシンクロしてしまいました。

まあ、二人とも同じ部屋で寝ておりますので、偶然とはいえ治療戦略としては目出度し目出度しでした。^^

2024年8月19日月曜日

原付消滅なんだとか

改めて本当だったのだと理解しました。

原付バイクと言われるものが来年(2025年)の11月を以て販売出来ないようになるとか。令和二年から出されている排ガス規制をとてもクリアできないというのと、減り続ける原付需要というものの為に、昔に比べてはるかに高価になってしまう原付バイクが更に需要を減らすという悪循環。

結局のところ、種々の事情が重なり合って、海外でも売れて(=開発費が回収できて)、且つ排ガス規制をクリアできるレベルの小型エンジンを積める小型バイクとなると125cc以下になるようです。しかも、この125㏄は馬力規制が入っていていわゆる二種免許での125㏄とは違うんだそうですが…。(私の予想では必ず改造してハイパワーにして来る奴が出て来ると思います。w)

それにしても、原付も高くなったもんです。私が大学生になって頃はベーシックなホンダ・タクトが10万円前後、ハイパワーのDJ-1が13万ちょっとという感じで、今時のその手のバイクの6掛けくらいの感じですから、そりゃ当然みんなバイク買わんくなりますよ。無理もないです。

さて、ここで考えるのは可愛いスーパー・カブのバリエーションのCROSS CUBなんかを購入しておいて、そのままストックしておくというもの。そして私の死後、50年ほどして新品のカブとして博物館に展示~!って…あんま意味ないですね。何時もくだらない事しか考えない私でした。

しかし、バイクで何と言っても気になるのはその安全性。軽自動車と同じで、自分が良くても相手がぶつかってきたらひとたまりも無いというのりもの。しかも、軽自動車より危ないのですからこういった事も令和の若人には受けない理由なのかもしれませんね。

バイクは安い。でも命は…。やっぱり時代の流れというものがあるのでしょう。

2024年8月18日日曜日

新・名古屋キャッスルホテル

系列の名古屋観光ホテルに御食事に招待されました。

柳城で御食事お頂いている時にそこで働いているワイン・ソムリエの方に名古屋キャッスルホテルのビルの建築進行度合いを伺って、同時に料理長の内藤さんがどちらのホテルで働くことになるのかということを確認させていただきました。

伺ったところではビルの方は相当完成しているということ。また、料理長は実質的に向こうの新ホテルの方で働くことになるであろう事を伺いました。そして新規に中華のレストランを開くとのことで、その名前は未定であるとのことでした。時期的には25年の春から夏頃であろうとのことでしたが、いろいろな意味で愉しみです。

ただし、新・キャッスルホテルでは、一つ前の「最上階」レストランで名古屋城を切り取ったように見渡しながら食べられたところは、もっと高級なレストランになって貸し切りだとかなり高額になりそうだと「別のある方」から伺いました。いわゆる、お金が幾らでもあるような方々向けなのでしょうね。W(私には縁がなさそうです…)

以前のナゴヤキャッスルの完成図は以下のようなものでしたが、既に相当出来上がっていることがなごや・あす・まちBLOGのサイトの写真で確認できて驚愕いたしました。
Parsはまさに城
著作権の問題がありますので、ブログの方はリンクから見ていただきたいと思うのですが、ほぼ上のレンダリング・イメージ通りで下部の城壁もキッチリ作り上げられています。あとは屋根の部分の「お城に合わせた緑青色の屋根」にはなっていない事。

まあ、来年になればそこも含めて仕上がっていくことでしょう。やっぱり名古屋はいろいろな資本が投下されているだけあっていろんな建物がドカドカ建ちますな~。

新・ナゴヤキャッスルに期待です!

2024年8月17日土曜日

東京での宿探し

24日に観に行く新作歌舞伎の宿探しを今時になって始めました。

こういう事が徹底的に遅い私はやっぱり何らかの意味でダメ人間の要素が「非常に」強いんでしょうが、この歳になってブツクサ言っても何も変わらないし始まらないので、努力すべき事は別の方面に使っていくしかありません。

さて、余所者である私は歌舞伎座と呼ばれるところが東京においてどこにあるのか全く知りません。正直、関東一円の土地勘というものは皆無に等しくて東京の中もどこに何区があるなんて言うのはほぼゼロ知識。八王子が東京の西の奥の方にあるのは武蔵高校からきていたクラブの先輩が八王子出身で、東京のド田舎だと言っていたのを聞いて調べたことがあるから、と言うくらい。

今回調べてみると、歌舞伎座があるのは銀座で、その周りには築地や皇居もあるという事を知った次第。w その程度の知識しかない訳ですから、東京に行けば訪れるところが何もかも新鮮なわけです。そもそも、小学五年の時に生まれて初めて飛行機に乗って杉並の浜田山に二週間ほど滞在したことがあるくらい。その時は確か田舎の小学生のお決まり事で東京タワーに行きましたな。

さて、今回もbooking.comのアプリを使って宿探し。そもそも、車で行くか新幹線を使っていくかさえ決めていないという体たらくでしたので、先ずは其々の交通機関を使ってどれくらいの値段で往復できるのかをチェック。すると、ガソリン・高速代を含めるとギリで新幹線の方が安い。これが2人で行くと、3人で行くとと人の数が増えると圧倒的なパフォーマンスで車の方が良いのですが、今回は新幹線にしました。

第一に車だと駐車場がフリーの所でないと更に金がかかりますし、決定的な事は運転手は移動中にビールが飲めない。w 飲んだら最後、捕まってアウトですし、そもそも事故って人の命でも殺めたらあらゆる意味で全てが終了です。そんな愚かな選択は最初から無しという事で新幹線に決定。品川までで往復2.2万円です。

今度は宿ですが、銀座とかものすごく高い宿と言うイメージ。しかし、アプリによればyouth hostel形式の所であれば4‐5キロ離れた所だと4000円台からあります。しかし、やっぱ少し遠い感じ。

もう少し検索をかけると赤坂の方に5000円の清潔な印象のお宿がありました。ここなら銀座や新橋の周りで飲んだくれても充分にお宿に帰れますので、ここに決定。

後は24日の歌舞伎を愉しむばかりです。詳しい解説を横でして下さるエキスパートが居るという幸せを噛みしめながら鑑賞したいと思います。

お土産も準備済みです。w

2024年8月16日金曜日

銭湯に行って湯疲れ

車で10分ほどの長久手の温泉に行きました。

今日は息子も施設でお泊りの日でしたので、行くのは我々夫婦二人だけ。久しぶりの夫婦二人だけの行動です。車で行くので酒も飲めないのですがそこはマア我慢。

銭湯に着くとビックリするほど駐車場は車で埋まっていました。まあ、16日も充分お盆の中に入っていると考えればこれほどの人が先頭に入り来るのも納得ですが、中に入って更に驚いたのは中高校生、大学生のような少年達が沢山居た事。要するに夏休みという事を忘れていました。^^

結局、幾つものタイプの風呂を渡り歩きながら湯の外の待ち合わせ場所に出る約束の時刻までの一時間ほどを湯に浸かって過ごしていたのですが、正直長く入りすぎたかなという感じでした。

風呂から上がってソファで嫁さんを待っていると三分ほどで合流し、スーパー銭湯の二階にあるレストランでチキン南蛮とレモンのかかったうどんの様なものを注文。腹がパンパンになる感じでしたが、美味しく頂きました。最近の銭湯内は腕にタグさえつけておけば全てそれで注文が済みますので、本当に便利ですね。(その分、使いすぎるリスクが存在しないとは言えませんが)

気持ち良く風呂に入り満腹になって家に帰った後、何故か滅茶苦茶疲れている事に気づきました。そうです。湯疲れ状態になってしまいました。水分はそれなりに取ったものの、そこに至って結局は水が抜け、且つ長時間に亘って血管が拡張しすぎたんだろうと思います。

湯に浸かる時間は精々一回に30分程度が良いところだなと感じたオジサンでした。



2024年8月15日木曜日

終戦から79年経った

太平洋戦争が終わって79年が経ちました。

戦争の経過を見ていると全ての流れや結末に様々な解釈を加える事は出来るでしょう。日本の戦闘が日本を護るための云々とかアジアの解放の云々だとかいろいろ。

しかし、日本が行った前回の大戦は明らかに今の中国やロシアのやらかしている愚かな愚かな行いに重なって見えるのです。戦争遂行の大義名分として「祖国の防衛」や「国民の保護」、「資源確保」等と言うどこかで聞いたような文言が今でも彼の国々で日本が使っていたのと同じように使われています。ハル・ノートをガタガタ言う人間も居ますが、そもそも中国大陸に侵攻しなければ出てこなかった要求でしょうが?

日本の場合、そもそも戦争をあの広さで維持継続する事が無理である事は戦略的な事実を積み重ねれば不可能である事は開戦前に数字が雄弁に物語っていました。解っている人は戦争の前から既にこの事実を明確に理解していましたし、戦争が拡大する途上でも行ったのはギリギリの兵站で薄く広く戦線を拡大する事。本当に愚かの極みです。

開戦時点では特別に訓練されていた優秀なパイロットや戦闘指揮官も時間と共に当然減っていき、最後はたとえ人的資源が残っていてもその人達が乗る戦闘機も、それを動かす燃料も無いという世界。気合では何も変わりません。神風など吹かないし、特攻でも若い貴重な命が大量に失われました。

もう滅茶苦茶です。

緻密な作戦と言うのは兵站の確保と表裏一体。歴史に名を遺す愚将達の率いる部隊のビルマやその他のエリアでの悲惨な戦闘は大本営と言う名の無責任システムによって更に混迷を極めました。

次の世代に悲惨な経験をさせない事は何にも増して大切な事。我々の国を守る鉾と盾を磨く事も大切。しかし、政治家は命を賭して国民を人殺しにさせない事を実現させなければなりません。現時点で侵略者に対する反撃のみが私の想像の出来る戦闘行為です。

それでも、本質的に日本は資源が無いのですから戦争には向かないのは明白。願わくは他国においても独裁者の台頭を許さないシステムの構築が…と言いたい所ですが、隣の国もその隣の国もさらに北にある隣の国も本当に碌でも無い国。今後、ヒトラーのような輩が再び出てこないと誰が言えるでしょうか。79年間、いろいろあったと思いますが、我々の先達はそれでも良くやってくれたとは思います。

戦争の頃から変わらない誰も責任を取らないシステムさえ変えることが出来れば、この国はもっと良い国になると思うのですが、人間の学びの道は遠いですよね。

戦争が終わって79年という事は80の爺さんでさえも前回の戦争というものは知らない訳です。我々戦後生まれの人間達はそれでも自分達の子孫達を決して戦争に向かわせてはいけないと決意し、先達の記憶を修飾することなく伝え続けないといけないと思うのです。

戦争の悲惨さを知っているのは実際に戦争を経験した人達のみです。

2024年8月14日水曜日

看護師さんの離婚

何という簡単な結論の導き方なのかと驚きました。

私の娘達位の若い看護師さんが私を呼び止めて「先生、今度離婚する事になりました」と報告してきたのです。私は思わず「へ?」という感じになって、その場で立ち竦んでしまいました。

確かほんの三年ほど前にワクワクで結婚して、二人の家で飼っている可愛いペットの話などを何時も楽しそうに語ってくれていたのですが、ごく最近になって彼女が呻くように私に語っていたのは「家に帰らないように頑張る」、「会いたくない」等という表現で御主人たる配偶者のほうから彼女への拒絶を示す反応が続いていたんだそうです。

最後のほうでは「何故別れたいのか」と彼女が聞いても、何も答えず最終的には離婚届を持ってきたんだそうです。もうこの時点で彼女自身も心は完全に離れてしまっていたとの事で、紙にはあっと言う間に双方の名前が書き込まれて仕上がったとの事。

熱が冷めた夫婦というのは理由がどんなものであれ、こんなに簡単にパリンと絆が解けてしまうものなんでしょうか。たったの3年でここまで…。御主人側が浮気をしたりとかいう感じでは無くて、単に仕事に逃げ込んで奥さん側から何か月も離れていった感じでエンディングを迎えたという話でしたが、何だかな…。

私としてはもう何も言う事も無かったんですが、余計な一言で「お金関連、慰謝料とかは?」と尋ねると「慰謝料とかそんなものはもうな~んにも要らない。只々、顔も見たくないんです」と言う答えが返ってきました。病院で聞いた離婚した人達のほぼ全てがこれに似た感じのこたえ。金も要らんから離れたいというほど嫌いになるもんなんでしょうかね。

法的権利の行使もせず別れていく男女は多いのかもしれません。

さて、この後この女の子が話してくれた事は明るいものでした。「先生、わたし第三の人生が始まります!最初は生まれた事、そして結婚した事、そして別れた後のこれからの人生!」にこやかに笑うこの子の顔を見ていると未来は明るいなと自然に思えてくるのでした。

子供さんもまだ居なかったことが逆に彼女にとっては何の軛も無く次の人生に向かって動き出していける大きな要因にはなっていたと思います。

お父さんとしては明るい未来を期待したいと心から思いました。

2024年8月13日火曜日

週末のローカルFMと懐かしいパーソナリティ達

こんなFM局が日本のあちらこちらに出来てるのかと思うと日本も楽しくなってくるのかなと思える場面でした。

先週末に嫁さんのリクエストでアスナル金山に連れてって欲しいとの話でしたので、何があるのかは判らない迄も取りあえず車を出すことにしました。息子が良く移動支援のオジサンに連れて行って貰っているという話は聞いていましたし、何度か来たこともあったのですが、本当に久し振りかつこんな暑い日に来たのは初めてでした。

まさに立っているだけで汗ダラという奴だったのですが、この日はHeartFMという中区を中心としたcommunity FMの開局二周年。スペシャル・ゲストはあの伝説のDJである小林克也さん。まさか、こんなところで生きる伝説に出会えるとは思ってもいませんでした。
伝説の男の声は80過ぎても良い声でした。
要らないオジサン登場。
克也さんとジェームスの対話の後で別に要らないオッサンが出て来ました。そうです、河村市長です。別に来て欲しくもない人物ですが、取り敢えず名古屋市のコミュニティFMですから、こんなオジサンでも顔は繋いでおいた方が得策ですわな。

実際の話、今回のもう一つの目玉は俊ちゃんこと田原俊彦だったのですが、一時間20分ほど待っても登場しなかったので、もう今日は諦めようとかえって20分ほどしたところでFMから俊ちゃんの声が聞こえてきて苦笑い。まあ、粘っていた俊ちゃんのオールド・ファン達は喜ばれた事でしょう。
カー・ナンバーが810(ハート)になっていました。
上に映っている写真はアスナルからの帰りがけに駐車場で偶々見つけたHeartFMの車です。表面にはスティッカーが貼ってありました。
このHeart FMのメイン・パーソナリティが車の前の方に貼っていたフィルムの御仁ジェームス。昔はZIP・FMに居られた名古屋では有名なおもろいオッサンです。^^
ネット経由でもきちんと聞けるFMですので、さっそくソフトをダウンロードしてこの局をレジスタしました。

さて、この後が嫁さんにとっての本日のメイン・イベントである名古屋国際会議場・B棟で開催されていたレトロ・フェア(いわゆる骨董品の即売会です!)
何時もは日本分子生物学会・生化学会合同会などでお世話になった事がある場所ですし、以前Pentatonixのコンサート会場でもあったところです。
写真を見て頂ければわかるように、実に種々のガラクタ骨董品が並んでいました。
嫁さんは目を輝かせながらこれらのモノをじっくりと眺めまわして古めかしいスターラ・バーや彼女が小中学生のころのアイドルのカレンダー写真をちょこっと買い込んでいたみたいです。

なんだか、駐車場代が一番高かったような気がしたんですが、まあ気の所為なんでしょう。w

私は息子の為に喜んでくれるかなと思って電池で体が光るアンパンマンの人形を200円で買い込みました。帰って見せたら「それなりの反応」を見せてくれましたので、私としては一つ幸せになれました。

2024年8月12日月曜日

マイコプラズマ肺炎の流行

マイコプラズマ肺炎という感染症があります。

昔、私が学部の学生の頃に習った一般的な常識としては周期性のある感染の波があって一般的には四年に一度の周期で小児から中学生程度までの子に拡大しがちだというものでした。

ところが、今ではその周期性に関する部分に関してはかなり失われていると言われ、ピリオド無しで流行るような状況が珍しく無くなってしまいました。通常は感染後二週間程度で熱発、頭痛、倦怠感を含む気管支炎様の症状。そして三週くらいから乾性咳嗽と言って実にしつこい咳が患者さんを悩ませることになります。

中耳炎や嘔吐などを併発する場合もあるのですが、検査をしてみると通常の細菌感染と違って白血球の上昇は目立た無いものの、炎症性の反応を示すCRPは上がっていて胸の写真を撮ると肺炎像は両側に見えるというもの。

今のところ愛知は全国で四位の感染率を誇る状態。全く嬉しいものではありません。

実際に病棟で感性咳嗽で悩んだりしているような患者さんは今の所は見当たらないのですが、免疫力の落ちている高齢患者さんに対しては重大な結果をもたらさないとも限りませんので、要注意です。

まあ、マクロライド系とかキノロン・TC系等も普通は良く効きますので、対応自体は出来るのですが、「必ずしも」通常は健康な方が抗生剤を使わなくても治りますし、もう一方の問題はマクロライド系の抗菌薬に耐性のあるマイコプラズマが増えている事。こういう耐性菌の問題はいろんな細菌性感染症で発生している事実ですが。

看護師さんで咳が続いているような方が居たら、持ち込み注意を兼ねてマイコプラズマの検査をしないといけないかもしれませんね…。

2024年8月11日日曜日

次女のパスポート更新に関係した話

長女の話が出ましたが、実は今日次女からも話が「テキスト」でやってまいりました。

次女の唐突なテキストはパスポートの更新に際してのシンプルな質問でした。最初は今あるステータスをどうすればいいかというもので、もっとシンプルに言えばdual citizenshipをどうするかという事。

そして、その次にはもし今後アメリカ人と結婚するような状況が発生したら、国籍はきちんと選択しなければならないのか等というものでした。

実際のところGoogleで色々調べてみてもイマイチ明確では無かったようで、私もAIを使って調べてみたのですが、結局この国籍選択条項自体には「罰則規定」というものが存在していないので、罰の無い法律というのは効力が・・・というのも無理のないところ。ユルユルなのです。

国籍に関する選択というものは、人によっては二カ国間どころか数カ国に跨る複雑で繊細な選択をしなければならない事でしょうから、検索をかけたりAIにお伺いを立てても、最終的には「詳細は専門家にお尋ねして確認を取ってください」という感じの終わり方。これでは法的云々というような繊細な問題は確信を持って解答を得るのはやはりかなり難しいことだと言う感じです。

お父さんとしては次女から「もし将来結婚したら~」等という話が出てきた事だけでも驚きでしたが、私はテキストで返事を出した時に「お前がアメリカ政府の要職に就いたり、アメリカ大統領に立候補せん限り問題ないやろ」と返しました。

さてさて、どうなることやら。


2024年8月10日土曜日

「フワちゃん」と呼ばれるヒト

昔から「ナニこの人?」と云うのがフワちゃんへのシンプルな感想でした。

正直な所、私の人生には全く何の拘わりも無い人ですからどうであれ評論の対象でも何でもない訳です。ただ、テレビで視ていて感じていたのは「わ~、こいつ失礼な話し方するやっちゃな~」というものです。

何か「失礼さ」を売りにして、どんな相手にも敬語lessな「タメ口」と「神経を逆なでするような発言」で大物だろうが何だろうが近づいているという感じでしょうか。私は同じ感じのダウンタウンの浜田とかも嫌いなんですが、そんなことが出来るのは自分の存在する小さな世界に住んでいる間だけの筈なんですが、太く短くという戦略なのかなと思っていたら、実際もう消えそうです。w

ダウンタウンのもう一方の金髪の方は紳助のようにほぼ消えてしまいましたが、芸能界は代わりが幾らでも控えていますし全く問題なさそうです。出来たら今出てる方も消えて頂きたいものですが、テレビという世界自体が消えそうなのでギャラの高いオッサンは消えていくでしょう。^^

作ったキャラ?なのかと最初は訝っていたのですが、フワちゃんの飛行機の中での振る舞いやその他の日常の振る舞いに関して伝わってくる伝聞の羅列を読む限りでは実生活も「ほゞあのママ」の人の様で、残念な限りです。まあ、私の人生には関係の無い方ですが。

この人に関して考えた時に少し前の事だったのですが「この人が何歳かは知らんけど段々と素足を見せて失礼発言で行動する」という日常はつるべ落としの様に限りなく短いだろうなと思っていました。若ければ失礼さというのがどういう状況でも許されるのを勘違いした残念さんなのですが、結局その暴走を止められないまま自分で自分の芸歴を終了させてしまったようでした。

「口は災いのもと」を体を張って示してくれた見事な芸人だとは思いますが…。

2024年8月9日金曜日

長女が帰国するとのこと

数日前に長女がテレグラムで連絡をしてきました。

短いメッセージで「日本に帰って仕事をしようと思います。日本で仕事を見つけるつもりです。健康保険等しばらくお世話になります」との連絡でした。

内心「え、そうなん?」と、突然の連絡というかbig decisionに驚いたのですが、そこはソレ、如何にも長女らしい選択です。そもそも俺が何か言った所で参考にはしても、最終決定では絶対に自分の意志でしか決めない人ですから…。どっかのオジサンそっくりです。w

さて、そうなるといろいろ気になることはあるんですが、どうせ聞いたところで返事はしないでしょうから聞きませんが、先ずはアメリカで貰っていた職能給であるビッグ・サラリーを期待して日本で働けば驚くほどお金は期待できないってことを理解できているのか?

そして、何よりも日本の社会における未だに残る部分のある「女性の扱われ方」に我慢することが出来るか?ってとこに非常に強い不安を感じます。内側に溜めた後なんか強く爆発させるような気がして…。

また、いくらアメリカでキャリアを積んだからと言ってそれが日本ではどう評価されるのか、果たして評価してもらえるのかっていう所も気になります。

とは言え、そこはあの娘の事ですから自分で何とかするのでしょう。私にしてみれば果たしてどうなるのか、アメリカの人間としてアメリカで育った日本人が日本に帰ってきてどんな化学反応を見せるのでしょうか。

それともいろいろあった後またアメリカに戻って行くのか?誰も何もこれからの事は判りません。

2024年8月8日木曜日

激震

仕事の終わる直前でしたが、NAVERが鳴り響きました。

何事と思い画面を見るとなんと、設定していた警報通知エリアの一つである自分の田舎の宮崎がデッカイ地震に見舞われているでは無いですか!
震源は日向灘沖で、震度は何と6の可能性があるというようなマジヤバの警報でした。震度は後程訂正などが入りますので真偽の程は判らないのですが、LINEで連絡を入れても取りあえず既読が付きません。しかし、まあ連絡しても繋がらないのは毎度の事なのでそこまでは心配しなかったのですが、コールしてもやっぱり繋がらず。

そこで、ベクトルを変えて何時も親父の心配をしてくれている叔母ちゃんの方に連絡を入れると直ぐに出てきて「いや~、びっくりしたが!今、たまたまXが来ちょっとやけど、地震が来た時は叫んで飛び出していったが」との事。とりえずは無事でした。

一時間ほど待っていたら親父から電話。

「お~、今風呂から上がった~」という暢気な声。こっちの心配など全く関係ないという感じで親父らしい。w

親父の話を聞いたところ、突然揺れ出してテレビが倒れそうになるほどの揺れだったけど、取り敢えずは近くンテーブルにしがみ付いて踏ん張っていたとの事。その後はまあ大丈夫だったとの事です。

しかし、二人で直ぐに話し合ったのは先ずは自分の部屋にある高いところに置いてあるものは全部どけるという事。そしてもし置いておいたとしても、それには落下防止の固定具が必ず付いている事!というのを前提としようと言った事です。親父の部屋だけは前回の帰郷でも手を付けなかったので、それなりに未だ物が置いてあるのでした。

暫くしてLINEで連絡が入り、律儀な親父は「取りあえず重い物は全部別の部屋に移しておいた。あとは時間のある時に中身を出してもっと軽くしておく」というメッセージでした。流石は「せっかち&約束に律儀」な我が親父です。

取りあえずは親戚数件にも連絡を入れ、特に問題が無かったことが判りましたが、こんな事は起きて欲しくないと思いつつも、テレビでは「南海トラフ地震」の可能性が云々等という告知まで出る始末。実家は高台かつ山の無いところなので津波や落石の心配はないんですが、起きないものは起きないほうが良いですよね。

通話を切る前に、親父にひとこと言いました。「父ちゃん、もしかしたら生きとるうちに大地震に遭遇する可能性出てきたな~」と。すると、親父は「じゃ~ね~(そうだね~)」と返答していました。

出会っては欲しくないですけどね。



2024年8月7日水曜日

家族が正常だとは限らない…

研修医をしていた頃に衝撃的な事がありました。

国立病院の救急外来で研修医をしていた頃にある女性が救急車で運ばれてきました。救急外来の扉が開くとストレッチャーに乗せられたその女性は体をピーンと伸ばしたまま目をしっかりと瞑っていました。

その後から何か険しい顔をしたお母さんとお父さんらしい人が続いては行ってきたんですが、その後に来た救急隊の方が私のすぐ脇にササッとやって来て私に耳打ち。何事?と思っていると「分裂病です」と、今の時代では使わなくなった統合失調の旧病名を私に言ってきました。更に「両親ともです」との話。

私は「!」と思ったのですが、今度はストレッチャーの上で目を瞑っていた女性がガバッと跳ね起きてきたので、私が「大丈夫ですか?」と尋ねたところ「今まで死んでいました!」とハキハキと答えました。その傍に来た親父さんも眉を顰めながら「はい、確かにこの子は死んどったですよ」と大真面目で私に語り掛けてきました。

それ以来、救急外来では統合失調の患者さんに何度も出会いましたが、今勤めている病院に入院している患者さんの家族にも統合失調を強く疑う若い女性が居て、その方がキーパーソンなのですが、お金は払わない上にとんでもないリクエストを重ねてきます。更には「もし万一亡くなったら、私がよく知っている院長先生の居るXX病院に送って素性して貰って下さい」という謎のリクエスト。

そのXX病院は名古屋で一、二を争う巨大病院の事。勿論、この女性と面識などある筈もなく、カルテをずっと遡ってみると、数年前に救急搬送された時にその病院でその親父さんである患者さんが暴れて措置入院になっていたというだけの事。orz

もう脳内ではいろいろと妄想が暴走しているようなんですが、私たちの方では何も出来ません。弁護士にはそこで問題が起きないようにどういう予防線を張っておけばいいのかを確認をとっているところです。

医療行為以外で疲れるのは本当に勘弁してほしいです。は~~溜息。

2024年8月6日火曜日

息子の「プレ誕生日」祝い!

一週間ほど前の段階で嫁さんから連絡が入っていました。

「XXの28歳の誕生日のお祝いをするから大好きな焼肉を食べに行きましょう」というもの。勿論、私に異論はありません。息子は焼き肉が小さい頃から大好きで、どこかに遊びに行った帰りに焼き肉屋の方向へ曲がらなかった時などには大泣きして私達を大いに困らせたものです。^^

さて、今日は五時には仕事を終わって~と考えていたのですが、直前になってとんでもないリクエストが入ってきて診療情報提供書を書いてくれというその要望に応える必要が出て来ました。

オイオイ、そんな事もっと早く言ってくれよと内心では思いましたが、例え理不尽なものでもガタガタ言い合っている暇があったらサッサと片付けてしまった方が早いので、PCに向かって書面を仕上げました。これで5時半直前。

自分の車に乗り込んで、家へ直ぐに向かいました。家の車庫に車を停めると直ぐにLINEが入ってきて、直ぐに降りて来るから下で待っておいてとの話。息子と嫁さんが手を繋いで降りてきたので、今度は私が息子の手を握って三人で一緒に近所の焼き肉屋に歩いて向かいました。まあ歩いて行った理由は簡単で、単に私がビールを飲めるようにするため。w

十分も歩かずあみやき亭に到着。息子と手を取り合って中に入っていくと既に美味しい焼き肉の匂いが漂っています。

席に案内されると食べ放題の三コースがありましたが、それは端から選ばずに個別注文。ほぼ全てを嫁さん任せにして出て来る肉を次々に焼き続けました。私自身はほぼ焼く事に徹して息子に厚く、次に嫁さんに入れて焼き続けました。最後のほうでは流石の息子もペースが落ちてきて私にも肉を口に入れる余裕が出来てきました。

本当の誕生日は明日ですが、この前ソラマメみたいな顔をして生まれてきた息子も、もう28歳。何年経とうと子供達の誕生した日の事は一から十まで本当に鮮明に覚えていますが、我が息子も遂にここまで来たか~と本当に感慨深いものが毎年あります。

アメリカでの長い生活を終えて日本に帰ってきた自分の息子も日本で毎日仕事をしながらここまで来たのかと思うと、何だか心があったかくなりますね。

家に帰る前にB&Dで息子の為にお菓子を少し買い込んで一緒に手を繋いで帰宅。今度は息子の好きなポケモンのキャラの中から選ばれたピカチュウのアイス・ケーキに耳を取り付けてローソクを立ててお祝い。息子自身に火を消させてみんなでアイスを食べました。

28になった息子のアイスを食べる無邪気で幸せそうな顔を見つめながらこいつを将来にわたって守る仕組みをセットアップしてやらないかんと改めて決意したのでした。

2024年8月5日月曜日

勝っても負けても…

オリンピックも本当に様変わりしました。

私が生まれる一年前に行われた第一回東京オリンピックから60年。種目の中身は勿論、既存の種目もルールが大きく変わって全然違うモノになったと思えるような競技も沢山あります。

身近なものでは柔道ですが、オリンピックで行われるJUDOはも私たちが知っている柔道とは別の競技です。観ていて面白くない。メチャクチャ袖口の小さな相手に掴まれにくい道着と逃げてばかりの訳の分からないパワー勝負。私が小学校の頃習っていたような背負い投げや大外刈り、体落とし、巴投げなどは、国際大会においては例え見る事が出来たとしても本当に流れ星を見るくらいレアな事になってしまっています。

本当に美しくない、馬鹿力を持った体の大きい卑怯者が勝つような感じの試合ばかり。審判のレベルも頭痛がするほど低い輩が出ていたりして本当に「~道」という道を究め精神を磨くようなものとは全く関係のない「指導と注意の数」で勝負が決まる様な変なゲームに成り下がって、観ていて悲しいです。

しかし、他に行われる各種の新しいスポーツでは爽やかそのものの競技なども沢山あり、国に拘らず誰が勝っても演技しても「すげ~!」「かっこいい!」「まじか!」「うひょ~、有り得ん!」という感嘆を表現するような言葉しか口をついて出て来ないような新しいスポーツも沢山あります。

しかも、そのような競技群は特に日本の若い子達が「飄々として」出場してはサラリと金や銀をとっていくのを見ていると、オジサンは若い力の無限の可能性に背筋に電気が走るような感動を覚えるのです。

こんな若い選手達を送り出している各国のお父さんお母さん達みんなが報われると良いな~と考えてしまうと、正直どこの国の選手達が勝ってもきっと世界のどこかの国ではみんな抱き合って涙を流しているんだろうという想像に逆に癒されるのでした。

必死で頑張ってきたみんながその技の頂点を目指してわずか数日で試合を決す。そして多くの人は二度と帰ってこないこの四年に一度の競技会を観ていると。

勝とうが負けようがみんなそれだけで「スゲーよ!」という想いしか出て来ません。一回戦で負けようが何の恥がありましょうや?負けた人間を責める努力したことも無い外野の人間なんて端からガン無視で良いのです。

皆、胸を張って己の国に戻って行って欲しいと心の底からオジサンは思うのでした。

2024年8月4日日曜日

Feather museumに行って参りました

 この前にも関市に行っていろいろな刃物関連の展示物を見てきましたが、残りもう一つ気になっている所がありました。

それがFeather Museumです。あの有名なフェザー安全剃刀の企業博物館なんですが、実はこの関市において創業した二つの中有名な世界的カミソリ、刃物の会社としてもう一つ貝印があります。

どちらがどうという事は無いのですが、いろいろな施術で使用するメス関連の替え刃のシステムや以前リサーチをしていた時のマイクロトームの刃等はこのfeather製のものが多かった印象です。

関テラスから道を一つだけ隔てたところにありますからアクセスは容易。ちょっとした買い物を関テラスで終えた後にここへ移動して息子と嫁さんと入っていきました。予想通りこの会社が作ってきた種々の両刃剃刀の発展とその更に作られ続けた無数の製品群の展示と説明でした。

以下は実際に写真を撮ったこの博物館の展示物の一部です。

入ると直ぐにある両刃剃刀の巨大モデル!
記念写真用に良いです。
全体像の一部。実に細かく時系列で展示してあります。
創業者の方々。
現代の種々の製品も展示してくれています。
両刃を17000枚使って作ったアート。
昭和天皇の髪を切ったというフェザーのカミソリ。
昔の日本の床屋さんの種々の椅子。
出口に貼ってあった今まで音連れたいろいろな芸人さん、有名人の方々のサインの一部。
みたかった展示物群を知ることが出来て大満足。帳面を消すことが出来ました。^^
それにしても、このカミソリの研究の途上で、あのKS鋼で有名な本多光太郎先生が関与されていたことは驚きでした。しかも本多先生は愛知・岡崎の人!

ここを出た後は直ぐに家に帰る途中でどこかに寄ってご飯でもと考えていたのですが、目の前にTACHIYAがあったので、安い食べ物を買い込んでから家に帰る事にしました。一旦家に戻った後、息子が大好きな藤一番のラーメンを食べにいきました。

腹一杯になって日曜を終えることが出来て明日からのパワーが湧いてきました。(体重の事は一旦脇に置いて食べる事に専念いたしました。w)