2023年5月31日水曜日

長女がまた帰ってくるとな!

突然SNSで長女から連絡が入りました。

なんと、再び日本に帰ってきて一時滞在しながら仕事をするというのです。しかも、10月の頭から来年の1月までの長期日本滞在、かつ途中でおばあちゃんのいる長崎や東京なども滞在場所として遊びに使うようです。

リモート・ワーカーというのは確かにあっちこっちに飛び回りながらも、ネット環境さえあれば確かに問題なく仕事は出来るのでしょうが、私のような人間からしたらちょっと想像もつかないような生活形態です。頭の中では理解できるのですが、実態としては例え娘が眼の前で働いているのを見てもナゾです。ソファに座ってカチャカチャとキーボードを叩きながら必要な仕事を済ませていますし、ミーティングの必要があるときは世界の支社の中でメインにそのミーティングを開くその国の会議時間に合わせて変な時間帯に起きてミーティングをしているのを見ていると「・・・」と言う感じ。

結局のところ、outputやミーティングでの顔出しでちゃんと討論や提案が出来ていれば上司もきちんと評価をしてくれているようです。それにしても何だかこんなに頻繁に日本に帰ってきては1‐3ヶ月ほど滞在して仕事をしつつ遊び回るというのは一体何なんでしょうか。

長女の世代はアメリカではGeneration YとかMillennialsと呼ばれる世代ですが、デジタルネイティブの彼女達にとって、こういう仕事というのは呼吸をするように出来る仕事なのでしょうね。(因みに私の世代は日本では新人類と呼ばれていましたが…今ではどうでもいいことになってしまいました。w)

途中で、また友達を名古屋のここに呼んで一週間弱遊んではまた移動していくようですが、今度は韓国系アメリカ人のtatoo artistだとか。友人の多様性においては全く勝てない親父でした。

まあ、安全な旅と滞在をしてくれるなら私としては口を挟むことは一つもありませんが…。


2023年5月30日火曜日

糖尿の病名変更方針決定!?

昔、私が医学部の学生だった頃は精神分裂病と言う用語が使用されていました。

ところが、私がアメリカ滞在中の2002年にこの精神分裂病の名称が統合失調症というふうに変更されました。精神薄弱という言葉も今は遠い昔の話で、知的障害というように変わってしまいました。多くの医学現場では幼時からの障害という意味で精神発達遅滞等という言葉も使われていますが。

それと同じことが今度は糖尿病に起きることが決まったようです。

実際のところ、尿糖というのはいわゆる糖尿病の患者さんであっても普通に微量のレベルで出ていて、別に糖尿病の患者でないからといって尿糖が完全にゼロなどということはありません。結局、尿糖はあくまで診断へ至るまでのreferenceの一つであって、実際には血糖値とHbA1cの糖化のパーセンテージ(赤血球の表面上を覆うある種のヘモグロビンのβ鎖というものにグルコースやリン酸化された糖がくっついているもの)という2つの指標のコンビネーションで診断されるので、尿糖がそのなかで最終診断に占める場所はないわけです。

そもそも、尿糖は妊娠時などでも普通に出てきやすくなりますし、糖尿の患者さんの尿が何時でも糖がテステープでの検査で陽性などということもありません。結局は閾値の問題です。

江戸の昔には消渇と言われていたのは時折時代小説の中に出てきますが、英語ではDiabetesとかDiabetes mellitus(略称DM)などと言われていますよね。

現時点では糖尿病学会の方では高血糖~等と血糖が高いことをベースとした種々の疾患であることを示すような方向性が暫定案として出てきているようですが、さて最終案はどうなるのか?

統合失調症のようにナルホドと思えるような良い名称が付けられることを期待しています。


2023年5月29日月曜日

歯の治療でボッコボコ

最近、半年にわたって近所の歯医者に通っています。

私はと言うとまさに「ど真ん中」の昭和の子。今の子供達のように歯科健診で虫歯など一本も無い等という子供が沢山いる令和の人類とは真反対の求人類です。

私自身の虫歯が一気に増えたのは小学二年生位の頃のお話。今でも鮮明に覚えていますが、その当時カネボウのガム工場に仕事に出ていたNオジちゃんと呼んでいた母の弟が帰郷時に私にソーダ・ガムの箱一箱丸ごとお土産として持って帰ってくれたのです。

そのお土産が私を一生苦しめる事になろうとは、もちろん全く知らない当時の私はそのシュワシュワ感バッチリのソーダ・ガムを顎が疲れながらもほぼ数日で一気に食べきったのでした。そしてある事に気づいたのです。ある事とというよりある異変と言ったほうが絶対に正しいのですが…。

まず当時の標準的な馬鹿ガキ、かつ歯磨きを毎日きちんとすることもなく時々寝ていた私。オマケに私の両親もきちんと歯を磨く方法を子供に教育するような近代的かつ基本的な衛生教育をきちんと受けた育ちの親ではありませんでした。orz

そして・・・暫く経って私の歯には不気味な異変が…。歯の表面がザラザラになり始めたと思ったら、あちこちで欠け始めたのでした。Σ(゚∀゚ノ)ノ砂糖の塊であるガム、かつその表面は硬い飴状のものでしたがその内側にはシュワシュワソーダの塊がびっちり詰め込まれていたのですから、まさに個体のコカ・コーラのようなもの。波状攻撃で幼い私の歯を一気に蝕んだのでした。

それからの私の習慣は歯医者に通うことになってしまいました。当時の歯科医の技術がどれほどだったのか、それともその歯医者が下手だったのか。虫歯の治療をしては直ぐに詰め物が取れるということの繰り返しでこの習慣がエンドレス状態。

結局この時のダメージがずっとずっと続いていて、年がら年中歯の治療をしているような典型的な昭和の貧乏人の子供のその後の一生と言うような状況になってしまいました。アメリカでもこの状態は続き、下の顎の歯の5本がインプラントに上の顎は顎で沢山の歯が治療を受け、今でもメジャーな歯の問題が2つあり、今日もボッコリと歯茎を開窓されるような激しい治療を受けました。なんだかな~とただただ情けなくなるのです。

今のところ近所に良い歯医者さんが開業しましたので、今回ばかりは定期検診を含めてきっちり最後の最後までこの歯医者さんと心中するつもりです。

今の子供は本当に虫歯自体がありません。時代の差ですね。歯医者を支える最後の世代は我々昭和の子達でしょう。


2023年5月28日日曜日

お千代保稲荷(おちょぼいなり)

再びのおちょぼ稲荷に行って参りました。

今日は前回行ったコロナ真っ只中での参拝と違って、不完全ながらも「コロナ明け」状態での参拝となりました。朝9時半に家を出て先ずは職場で何時もお世話になっているオバちゃんをピックアップして家族とともにおちょぼ稲荷に向かいました。

以前からその月の最終日は物凄い混み合いで、夜中から朝までまさしく人、人、人の物凄い波に覆われると聞いていたのですが、最終日の週末日曜くらいならばそれほどの波には襲われないだろうと踏んでの訪問でした。なにか大きな事故でもあったのか、それとも工事渋滞なのか一宮の出口に近づく所で大渋滞が発生していましたが、我々は最終的には迂回路を通りお稲荷さんへ向かいました。

いつも病院でお世話になっている職場のリネン担当のおばさんには今回も一切のお金を使わせずに「行きたいと前から思っていた」と言われたお千代保さんに連れて行くことが出来ました。お年寄りですので、お稲荷さんの境内に揚げ物を持って参拝した後もゆっくりゆっくりと歩きながらおばさんの脚や心臓に負担をかけないように気をつけて参道の周辺のお店を楽しみました。

土手煮、味噌串かつ、謎のスイーツなど諸々のものを食べ歩きしながらくだらない話で盛り上がりました。途上のお年寄り向けの衣料雑貨店でもみんなで入ってその巧みな品揃えと値付けに感心すること頻り。まさに岐阜の「とげぬき地蔵」でした。お年寄り向けの確かな安値と地味・派手を織り交ぜてうって中途半端なものがないという品揃えはやって来る客層をきちんと解析してるな~と感心しました。

幸いにして梅雨入りっぽい天気にも悩まされること無く、訪れている間は涼しめの風とやや強めの日差しがさす程度で余り汗もかかずに済みました。

帰りがけには138タワーにオバちゃんと上り周辺360°を上から眺め、降りた後はその周りを散策しながら周囲のバザールでお店の人達との会話と買い物を楽しみました。ここのバザールや催し物は小振りなのですが、いつも良いもの、良い人が集まってます。

最後は少し早めではあったものの、戻る途上で一宮名物のオムライスの有名店イーグルに寄り、其々が好みのオムライスを食べて腹を膨らませ、満腹で家路につきました。

結局、腹をどう満たすのかがテーマになるような小旅行となりましたが、本来の旅はそれがゴールデン・スタンダードなのかななどと考えます。^^


2023年5月27日土曜日

勝てない中日、勝ててるグランパス

どこに夢があるのかと言うほど応援する気にならない中日の負けっぷりです。

WBCでのピッチャー高橋の活躍以降、5月の頭に巨人を迎えてのホームの試合で3タテで破砕して、少しは盛り上がっていた名古屋もその後に続く広島、ヤクルト、阪神、巨人の11試合で勝ったのはたったの一回という絶望的な負けのストリーム。w

その後に来た広島、DeNA戦では5の4で勝って少しだけほっとしていますが、如何せん5月の負けストリークは通常ならば来季の監督解任のお話が出そうなレベルなんですが、なんせ立浪と言えば名古屋ではレジェンドですからそういう流れにはならないのかな。

そして名古屋といえばもう一つの雄が名古屋グランパス。楽天のヴィッセル神戸の好調ぶりにはとても敵いませんが、それでもJ1の18チーム内で現時点で3位ですから立派なものです。それに比べてお前ときたら…というのが中日。

大都市の一つである名古屋にメジャーと言えるレベルのプロチームが少なくとも2つは目立っているというのは住人にとって良いことではあるんですが、折角家から遠くないところにバンテリンドームがあるにもかかわらず、ドームに行って直接応援しようという気が起こらないのが今の中日。金を払ってまでガックリ経験をしようと思う人間はあんまりいないと思うんですよね。

まあ、そんな事言っているような輩はファンなどとは言えないというのは当然受け容れますけど、住民としては折角ならば街全体がざわつく様な盛り上がりというのを経験させてほしいのです。

それはMaryalndに住んでいた時にボルチモア・オリオールズが全く勝てなかったような寂しさを、そしてVirginiaに住んでいた時にはそもそものMajor Pro Sportsチーム自体が「あの」広いバージニアに無いという寂しさを噛み締めた人間だからこそ日本では!と思うのです。

もっと有り体に言えば、バンテリンドームでビールでほろ酔い気分になりながら、ホットドッグを頬張って「やっしゃ~~~~~!」と大声を上げたいのです。しかし、少なくとも今年は無理そうですね…。orz


2023年5月26日金曜日

めちゃ美味いとんちゃん食べて更に飲み過ぎ

実は昨日超久しぶりにブログを書きませんでした。理由はシンプルで、夜遅くまで飲みすぎたからです。w

病院の若手に「飲みに行きましょう」と誘われていたのですが、若手二人と私のスケジュールがなかなかマッチせず、彼らには一ヶ月以上もこの日の為に待っていてもらっていたのです。ところが、実は待つのは彼らだけでなくて私も待ち焦がれていたのです。

何故か?それはこの昭和レトロのお店「美奈登」に30年以上働いているおばさんがいるのですが、彼女は実は今回誘ってくれた若手の実のお婆ちゃんなのでした。前もって席をきちんと取ってくれていて、優しいおばちゃんの笑顔とともにそこにスッと座ることが出来ました。(熱田神宮からタクシーで1000円程度の距離。)
ビックリするような昭和レトロ感のあるお店です。
店の名前を載せたミニ大漁旗。こんなの欲しいですね。
中はカウンタータイプの囲みとこちら側にある座布団敷いて飲み食いするエリア。
有り得ないほど美味しかったです。70年近く続く店にはきちんと理由があります。
暖簾の向こうにも火が見えていますよね。幻想的でした。
中の様子などは上の写真のような感じなんですが、兎に角美味くて美味くて次から次へと腹の中に美味しい肉が落ちていきます。とんちゃんという名古屋・岐阜の人間なら直ぐ解る用語なんですが、改めて調べると「とんちゃんとは、味噌ダレを絡めた甘辛い豚のホルモン焼きを指す」と書いてあります。

中で出されたさがり(横隔膜?)、みの、はつ等の部分以外にも初めてたべた「こめかみ」以外にも名前は忘れましたが気管支の輪切りの部分なども肉そのものが美味しくて、逆に「なんで何時も食べる焼肉屋の肉は美味くないんだろう?」と考えてしまうのでした。

場所が私の家から遠いのが難点。とはいえ、ここは必ずまた来ようと思いました。ここには8時過ぎまでいて、男三人で飲んで食ってたったの1万円、設定がおかしいです。しかし、私と一緒に行ったそのおばさんの孫によるとこれでも高くなったっていうことなので、以前はどうだったのやら。最後にカウンターの内側のお婆さんに「またお孫さんと来ます!」と言ったところ、おばあちゃん超ニッコリとして更にカウンターに座っていた周りのお客さんが一斉に私の方を振り返りました。

その後は更に金山に河岸を移して以前行こうとして行けなかった「空」というお店に行きました。ここでも閉店まで大量の酒を飲んで過ごし、フラフラ。隣に間違いなく看護師と思われる四人組がいたのは覚えているんですが、後は不覚になってしまいました。

結局、朝の始発電車まで独身の技師さんの野郎宅でドカッと寝ていました。結局、朝から酒と煙の臭いをさせて家に戻ったオッサンでした。


2023年5月25日木曜日

近所のラッパー

ここ数ヶ月のことです。

特に時間帯は問わないのですが、私がソレに気づく事が多いのは当然のように帰宅してからの時間帯。いわゆる夕方以降というやつです。リビングに座っているとソレが聞こえてくるんです。

最初は誰かが大声で話しているのかなと思っていたのですが、暫くその声に注意を傾けていて気づいたのは男声であって少なくとも誰かと対話しているタイプのものではないということでした。日によってはお経を読んでいるのかと思えるような調子なんで、正直その大声は調子っぱずれの読経と言えない事もないものでした。

比較的長く聞こえてくるもので、何かに集中している時にはちょっとだけ窓を締めてその声を窓の向こうに押しやったりもしていたのですが、恐らくマンションの2階あたりに住んでいる人には迷惑やろうなと思えるレベルの大声ですので、なんか創価学会とか宗教系の人?とかも考えていました。でもやっぱり読経じゃない。

心の片隅で「なんだろな?」という小さな疑問符を抱え込みながらも、何かソレで自分が困っている訳でもなかったので、そのままに放っておいたのですが、次女の話で初めてソレが日本語のラップであることに気づき「なるほど~」と得心した次第です。

距離的な問題もあるのでしょうが、正直その内容が聞き取れないままなんですが、言われてみると確かに自分一人で問いかけたり語りかけている様な感じのお話調のもの。ただ、何というか凄いなと思うのは何も恥ずかしがる事なく大声でそのラップを繰り返していること。特に週末なんかは午前中から比較的頑張ってるみたいなんですが…。

次女は普通にアメリカのラッパーの曲を聞いていますからそういうのには慣れ親しんでいるんですが、日本語のラップを頑張っているどこかの兄ちゃん?の歌を聴いていても「がんばってるけど全然まだまだだね」とかいう感じのことを言って笑っていました。YouTubeにでも投稿とかしてるのかな?

とは言え、何事も未来は判りません!何時の日にか我が区からも名古屋在住の呂布カルマみたいな人物が出てこないとも限りません。努力する人間を笑うのは簡単ですが、成功は普通失敗の積み重ねの上にしか組み上がりませんからね。^^

と、ここまで書いても今日は声が聞こえてきません。日々休まず頑張れ、青年!


2023年5月24日水曜日

引き際を知らなければ迷惑をかける

実は院内で医師の働き方改革の最終期限が来年春に迫る事を契機として契約書の更新が次々と進んでいます。

各医師に其々の年俸や勤務条件等を全部問うて、それに対して納得頂けるか否かを一々サインをして貰って雇用契約を見直すというものです。我々医師が普通に働いている限りは昨年までと変わらぬ条件で年俸の昇給込みできちんと更改されていきます。

ところが、高齢の先生や働きのパフォーマンスが悪い先生など、今までは「ぬるい条件」で働くことが暗黙のうちに許可されていた先生方にとっては今回の後悔はヤバいものらしいのです。それは月一回の当直が先ずその中に入っていること。そして研究日というような医師に特有の週の中で一回だけ公休が取れる日があって、その日を使って外の病院に働きに行ったりする日などがあるのですが、それ以外の休みの日を取ることが出来ないことなどは当然の事となってきました。

というのも、中にはトンデモナイ医者がおりまして、可能な限り仕事をせずにバイトに来た若い後輩医師を自分の手足のように使って己は仕事をせずに外に遊びに出たりする輩が居るのです。実は今回の契約更改はその医師に(^_^)/~をする為の大きな一手なのです。

そして次の一手としては「御高齢の全く業務について行けない先生方への引導渡し」の作戦。以前もここで書いていますけど、80代半ばを過ぎてまだ外来と病棟で仕事をしている先生がいるのですが、申し訳ないのですが「酷いレベルの診療内容」をそのどちらでも示して居られます。

外来ではキーボードを使ってカルテを入力することが出来ず、看護師さんやヘルパーに任せる始末。要するに余計に人間を使わないと最低限の仕事をする事が出来ないのです。そして患者さんと上手く話をする能力が既に消失しております。同じ内容の話を繰り返し、お昼休みにはもう一人のダメ医師と将棋をすることだけが愉しみのお方。これで自分が仕事をできると考えているのならばそれはもう自己認識が歪んでいるか認知機能に問題があるかのどちらかでしょう。解雇に持っていかない経営者側も経営者側だったと思うのですがついに今回動き始めました。

そしてもう一人は完全に脳味噌が逝っている精神科の医師。診断もできないので新患が来ると「どうしよう。何の薬が良いかな~。」等と呟いて看護師に助けを求める始末。本当に寒い実力で、お金をかけてある私立大学を出られた方なんですが、金の持つ力でバカ息子を医師にした親は恐らくこれほど周囲の人間に影で蔑まれている息子の「今の姿」を想像する能力が欠けていたのでしょうか。

私は既に聞き知っているのですが、この医師もリストラ候補の筆頭に上げられていて、作戦としては他の大学からまともな医師を連れてきて「良貨が悪貨を駆逐」という通常の格言とは逆の方法を使って追放しようとしています。知らぬが仏とは言いますが…何だか可哀想かと思われがちですが、患者さんの立場に立って物事を眺めてみればそんな医師の存在はトンデモナイ訳で、存在してはならないわけです。そしてそんな医師の存在は当院にバイトに来る他の大学の医師達から漏れ伝わるのですから、まともにリスクを察知する医師は当院を避ける訳です。私でもそうします。w

来年の4月以降、大幅に病院は良くなりそうです。まあ、私自身が馘首されればそれまでですが!その時はハイ左様ならですね。笑


2023年5月23日火曜日

銀行はホンマにオワコン

いつも思うんですけど、何で日本の銀行アプリというのは斯くも低機能なんでしょうか?

私の知るその最悪の例は今は無き長崎の18銀行。長崎に居た頃に使っていたメイン銀行はその銀行だったんですが、この銀行は私達がアメリカに行っていた頃にネット時代を迎え、最初はネットでの口座確認などのシステム、次にようやくスマホ用のアプリなどを作ったわけですが、もうネットシステム開始の時点でトンデモぶりを発揮。デジタルの時代に「マジですか!w」と日本の外の世界の皆さんにメガホンで叫んで伝えたいくらいに頓珍漢なアナログ・システムでした。

言い出したらきりが無いんですが、例えばパスワード設定は郵便で送った物理的メールで行うというもの、そしてパスワードをロックさせたり紛失しようものなら再び物理メールを送るというような「お宅らの頭の中には蛆が湧いとらんかですか?」というようなデジタル・システムとはとても呼べないようなシステムだったのです。

この銀行、予想通り今では政府主導で長崎の第二地銀と合併させられた後、更に福岡のこれまた合併でトップ銀行になった福岡ファイナンシャル・グループの完全子会社になってしまった訳ですが…。何れにしてもどう考えても新たにやってきたデジタル時代にはこのままでは全く対応できなかったでしょうから、デジタル時代に生き残れなかったのはそういう意味では必然の消滅パスウェイの一表現だったのかもしれません。。

そもそも、この銀行の中にいる人に伺ったことがあるのですが、基幹システムはCOBOLという歴史的レガシー・システムで構築されていたのですが、システムとしては日本の銀行全体がCOBOLで書くということが多いらしいのでそれ自体はまあ良いものの、その言語を扱える人間の高齢化とそれに伴う減少、更には昔書いたプログラムの構成が既にどういうものなのか全体を合理的に俯瞰できる人間が退職してしまって新たなシステムを付加接続するのに大変な大変な困難があったと聞きました。

その上で出来上がったのがあの頓珍漢なネット・システムでしたので、私には何の違和感もなく「そうだろうな~」と妙に冷静に納得したものでした。

これらの古式床しいアナログなお話に比べると、アメリカの銀行は書類の申請など何の必要もなく殆どのものはそのままダウンロード可能ですし、これから落とされるお金の予定は全て予想スケジュールとしてパターン予測されています。しかもお金の移動なんてほぼ瞬間的。アメリカの銀行は普通に仕事は少なくとも夕方5時まで何の違和感もなくお金のやり取りが出来ます。何で同じことが日本で出来ないんでしょうか。

それに加え銀行自体はどう考えても今の日本では多すぎ。アメリカのように次から次へとアメーバのように銀行同士が合併していくのは資本主義社会としてはまあ正常だと私は思うのですが、日本はマダマダ体力の無い虚弱な小規模行がシメジの頭のようなレベルで残っております。これからの先細りは明確なんですが、預金者保護や貸し剥がしの発生などのことを考えると、まだこれらの小規模行を残し続けるのはリスクが高すぎると思うんですが。

今どき銀行員になる人達ってどういう人達なのか個人的には大変興味があります。最近は銀行の民間レベルの業務はコンビニで済まされる世界。振り込み業務などを行う非銀行オリジンの機関も無数にあります。産業への血液供給機関としての産業の成長余力評価や査定能力、支援能力が決定的に低いことは多くの人が御存知の通り。

まさに現代日本のオワコン産業。そこに飛び込んでいく若者達に幸あらん事を真剣に願って已みません。デジタル必須の時代に新たなデジタル・システムを柔軟に構成できない企業はどんなに図体がデカくても最後はやせ細って消えていくのではないでしょうか。そもそもがトップ自身がアナログ人間が多いので使用用語からして理解できないのでしょうが。w


2023年5月22日月曜日

再度の減量挑戦

「またお前か!」と言われるのは確実ですが。

昨日から再度の体重コントロール・チャレンジを始めました。再びの静かな船出ではありますが、やはり毎年一年ずつ加えられる加齢の進行とともに明確に代謝の速度は低下していきます。ということは、当然の如く同じ食事量で同じ運動をしているようでは確実に太ってくる訳です。

今のところ私自身は時々不定期に行っているrowingと一日7,000歩を基準とする一週間に49,000歩の歩行を運動として、そして食事自体は嫁さんが出すがままに食べる生活をしていますが、夜に映画を観ている時にどうにも空腹を感じる時間帯が長くなってしまって、ソファにゆっくりと座って右手で何かを食べたり飲んだりする事が多くなってしまいます。要するに体重のコントロールに関してはアカン訳です。

事実を客観的に言ってしまうと75キロの壁の前後をウロウロと行き来してしまう緊急事態に再度直面しておりまして、特にそれが腹回りに出ていることが大問題です。頑張って着用しようと思っている古着ジーンズのサイズも変えるわけにはいきません。

何よりも腹が出っぱるとファッションの全てがブチ壊しになってしまいます。若い頃は太っていても若さが全てをカバーしてくれるのでしょうが、中年過ぎて腹がせり出してくるとどうにもあきません。腹囲が90を超えてくると良いことなど何もありません。

そもそも最近数カ月にわたって体重計に乗るのが怖くてタニタの体重計に乗りもせず、勿論そのデータをスマホに移すチャンスも無く…と完全に逃げの姿勢でした。orz

患者に偉そうなことも言えなくなってきており、患者さんを指導するという自分自身の診療行為にも間接的に多大な影響を及ぼす状況に陥っております。まあ、もともと「私もなかなか痩せられんで、一緒に頑張ろまい」と言う三河風の言い方でボソボソと…。笑

内臓脂肪の増大は種々の疾患の巨大な火種ですのでこれに対して完全に立ち向かう姿勢で再度頑張ろうと思います。夜食にケーキがデザートでいつも出てくるような状況では無理でしょうが、中東のフムスをきゅうりにでもつけるような食事に変えましょうかね?

何が何でも患者にせり出した腹は見せられません!目標は秋までの70キロ達成です。(と、小声で宣言。)


2023年5月21日日曜日

猿之助さんの報道

今回の猿之助さんの報道の件、相当に誤った解釈、そして皮相な解釈が為されているんだということがよく判りました。

これは猿之助さんの名誉にも直接関わることだと思うので、私如きがこんな所に何らかのお話を書くべきではないのは勿論ですし、おそらく真実そしておそらく誤認に基づいた話は既にネット上などに種々の形で書き込まれまくっているでしょうから。

それにしても、今回の件で一気に歌舞伎の世界に関していろいろな事を勉強させてもらいました。オフィシャルに正当な伝統芸能として説明に上っている公的な知識やまったくその説明の中には出てこない梨園周辺の表や裏の話。歌舞伎の素人には全く見えてこない帳の奥に隠されたいろいろな秘密などはおそらく物凄く限られた人の中で贔屓筋の中で力と金を持つ「解っている人達だけが力を使って隠しているのだろう」と思われるようなものの存在を推測させるような話も何だかある感じ。まあ、こんな話は出生の秘密その他も含めて相撲や落語などの他のの伝統芸能の世界でも極当たり前の話ではありますが…。

何と言っても今回の件に関していろいろと知識を授けてくださったのは、大の歌舞伎好き人間で先日名古屋の御園座に来て観劇をして直ぐに帰られた御大。その人物は今回の件で衝撃を受け、既にチケットを購入済みの行く予定にしていた公演を飛ばしたと言って居られましたね。

その人物が長文のテキストで何回も今回の件を表裏にわたって丁寧に解説してくれたのですが、マスゴミで流されている「実に表面的で断片的な憶測だらけの」報道とは裏腹に、猿之助さんという人物がそもそも歌舞伎界においてどういう立ち位置の人間で、歴史の中ではどういう家格をもっていて、成人してからの猿之助さんの歌舞伎界における進取の人間としての活躍と軋轢、そして挑戦者としての苦悩や大っぴらには語られぬものの歌舞伎通なら誰もが知っている猿之助さん個人のお話など縦横無尽に語ってくれて私などの様な歌舞伎のど素人はその該博な知識にただただ驚かされるばかり。

その上で今回改めて思ったのは「ゆっくりと休憩された上でしっかりと立ち直って欲しい」という事。

それ以上でもそれ以下でもありません。彼は現代の歌舞伎のみならず、歌舞伎の未来のためにも必要な人物だということが良~く解った今回の一件でした。日本人として文化に対する知識をひろげる良い勉強になりました。


2023年5月20日土曜日

古着屋巡り

何でアメリカに居た時にしなかったんだろうと後悔しています。

娘達からリクエストされてあちこちに散らばる2nd Streetや買い取り王国、大須などの古着屋などに「付き添い」に行った折、古着を眺めるようになりました。最初の頃は私自身もホビーのコーナーでミニカーや時計なんかを眺めていたんですが、それだけでは到底娘達の選ぶ時間には時間が余って付き合いきれませんので、そういう事になったわけです。

アメリカから長女が帰ってくる時には特にそういった事を「強引に」短期間の内に繰り返させられていたんですが、最近は息子と外出した折に自分達だけで古着屋を回るようになってしまいました。

日本に居て目立つのはアメリカから輸入されているアメカジ・ファッションなんですが、正直アメリカ人のファッションセンスなんて言うのは無きに等しいと言うのが私自身の結論。しかし、ある程度のパーセンテージの人達はその手長脚長的体型でしょうもないシャツなんかでもカッコよく着ているというのが現実だと思います。

体格の話になると、日本人の多くの場合はやはり平均すると大陸の平均的な人達より四肢の長さがやや短めで、かつ胴も前後の扁平率が高いような気がします。実際にコーカシアンには普通のおっさんでも、ややバレル様の胸郭をしているガシッとした体型の人間が多いんじゃないかなと思います。あと膝からしたが細い人が(おそらく先祖は北東)アフリカ系の人達の一部では多い印象。しかも一部はビックリするくらい細い人も居ますからね。あれじゃマラソンでは敵わんわな~と思う次第。

話をアメリカ人の服の話に戻すと、やはり派手な柄や面白いプリント柄が輸入されてずらりと並べられているのが日本の古着屋の私的印象ですね。ミリタリーの流れものっぽいのも多いし。時にはバージニアの消防団の防火服があったり、ケンタッキーの実在の高校のネーム入りのものがあったり。そういう面白いものがいろいろと流れてきている中で最近私がじっくり探し回っているのがGジャンなんですが、息子のサイズのものは結構直ぐ安価に見つかるのに、アメリカにおけるM、日本でのLサイズものがなかなか無くて、困っています。

更に探しているのはリーバイズのジーンズ。あちこちでいろんなものを見ているんですが、501と505を中心にサイズと年代を選んで溜息を付いています。年代の判定法はあちこちのウェブサイトで知識として流通しているんですが、結構実物のチェックに当たっては難しいところもあって一筋縄ではいかない奥深さがあります。それにしても、新品だめちゃくちゃ高いものが500円とかで売られたりしていて、尚且つサイズが合うのが見つかったときなんかは何だか宝くじが当たったみたいで嬉しいですね。痩せていればもっと簡単に色々見つかるんでしょうが…。

アメリカに居た時にはこういう店はGoodwill一択だったんですが、当時は「古着コーナーって独特のにおいがするな」くらいの認識で決して近づく場所ではありませんでした。あの時もう少し真剣にいろいろ探していたらな…。

今度アメリカに戻った時には数件廻ってみようと思ってます。


2023年5月19日金曜日

患者さんの失踪

患者さんが再び失踪しました。

これはコロナ禍において暫くの間は無くなっていたインシデントでした。病棟が閉鎖されているわけですから基本的にこのようなことが減るのは理解していただけると思いますが。しかしながら、昨日久しぶりに発生。勿論コロナによる病棟の閉鎖という事象が消失したことによります。

失踪の多くの理由のうち最大のものは認知症由来のもの。今回の失踪はそれです。もう一つの大きな理由の一つは自由を愛する「ある程度」わがままなキャラを持つ人々によるものでしょうか。実際に統計をとってみれば細かい数字として院内での傾向は出ると思いますが、それはされていませんのであくまで主観ですが。

一度だけ先輩医師の患者さんがその高齢女性患者さんの御主人が刑務所に送られたことを悲観して失踪後、病院の屋上から飛び降り自殺をされたことがあります。この方は認知症も患っておられました。更には院内の思いがけない場所に身を潜めて「迷子」状態になっていることがあります。使われていない部屋や地下などで見つかることがありますので、毎度院内を徹底的に捜索する必要があります。

とは言え院外に逃走するパターンもごく普通にありますので、こういう場合は院内から外へ10人くらいの人間で飛び出して「全方角」と「有り得そうな場所」を絨毯爆撃のように創作して探していきます。

このれによってどこかのお店の中で見つかったり、バス停の前で見つかったり、近くの公園で座り込んでいたりなどということも有るのですが、既に探し出して直ぐくらいに警察の方へ行った民間の方々からの「何だか挙動不審な人がいる」とか「パジャマで立っている人がいる」とかいう連絡で確保されている人達も少なからず居られます。

何れにしても、我々にしてみれば患者さんが無事であればまずは一安心。お金を持っていてかつ認知能力に問題無い人なんかではそのまま何処かへ消えていくこともあるのですが、こういった場合はもう我々の手には負えないので警察の管轄に移行しますが、殆どの場合は病院に来る前の「元いた場所」や「友人の家」等に居られることが判明して、以降は役所の管轄として取り扱われることに。

まあ、結局のところ病院という場所は精神衛生法の極一部の場合を除けば無理に居なければならない場所ではありませんので、患者さんの自由というのがほとんどなんですけどね。


2023年5月18日木曜日

アメリカの長女の誕生日

長女の誕生日が再びやってきました。

長崎の産婦人科で迎えたあの日あの時の長女の誕生の瞬間は未だに忘れませんが、あれからもう29年も経ったのかと思うとありきたりの言葉ですが、「はやかったな~」と思います。泣き虫で私に何か言われてはシュンとなったり、ちょっとした事で鈴を振るように笑う感じの感情豊かな子でしたが、今ではすっかりアメリカで立派に自分の足で立って一人で暮らせています。

18日になった瞬間にスマホから娘の健康とその幸せを祈る内容のテキストを届けました。

実際の所、長女に関しては我々親は既にその生物学的な役目は終了というのが正直な所で、後はもう我々側の勝手な愉しみとしての彼女の結婚や孫の誕生など「もし発生するのなら」ちょっとくらいは小さなプレゼントでアシストしてあげたいな…くらいのものでしょうか。

お腹の中に居た系統発生の時間まで含めるとほぼ30年弱の時間が生物として経過したわけで、まさに「思えば遠くへ来たもんだ」と言うところでしょうか。30弱と言うと、早く結婚出産を迎えた女性であれば既に10歳前後の我が子が、そして普通に二人目の子供が居てもおかしくはないというところなんでしょうが、今時の大卒の女性なんて言うとどうしても普通に未婚という人が増えてきているみたいで、この手のことに親として首を突っ込むのは野暮というものなのでしょう。

まあ、我々が何を言おうと進学にしても就職にしてもパートナー選びにしても全部自分で決めるような子に育てたのですから、その通りに育ってくれたことを逆に感謝しなければならないのですけどね。

いろいろな時期を最初は親の手を借りて、そして今では友人達とともに、そして多くの場合今では自分自身で人生の難しい局面を乗り越えて行っているようですので、背中の後ろから密かに応援し続けなければならないなと思うのでした。

まあ、今のところ何を言ったところで労働や人生に対する価値観や哲学は私と長女とではキッパリと異なるものですので、一切余計なことはしませんが。w

親としてはまずは健康と安全が彼女の人生に寄り添ってくれるようであればそれを第一と思うのは自分としては当然のことだと考えます。

それから先の事はなにかいいことが有っても全てオマケです!(それはそれで良いことなんでしょうが、欲こいてロクな事などありませんので、あくまで自然体です。)


2023年5月17日水曜日

己の凡庸さに溜息

病院で患者さん達と話していると自分自身がハッとするようなことばかりです。

シリアスな病気で命の「ともし火」自体が消えることが確実だと解っている年配の男女から己の命の最後に関して何というか他人のプレイしているゲームの画面を見て客観的にゲーム解説をするかのように淡々と自分の命の取り扱い方に間して私に「どう取り扱って欲しいのか」という事を語りかけて来る人が居るのです。

哲学者や修業を重ねて解脱を目指して自らのこの世からの消滅という恐怖と取っ組み合いを演じてきた人間と比べてもかくや、と十分に思わせる恬淡とした語り口。既に来世から語りかけて医師である私に笑いかけているかのような穏やかさで、消えゆく自分の命に「余計なことをするな」と言わんばかりの客観性を持った落ち着き振りです。

それが、ちっこい皺くちゃの婆さんだったり、漁師をしていた爺さんだったり、そこら辺の普通の喫茶店で十年前まで普通に給仕をしていたおばさんだったり。

大部の著書を著して、万巻の書を読み精進に精進を重ねたり、真っ暗闇の雪降る山道を阿修羅の如く飛び回った末に解脱を得たような大阿闍梨のように「人を導く」ような人ではないのかもしれませんが、己の魂を清らかにせしめて落ち着き払って旅立つコンパクトな準備の様子においては大宗教者もこうはいかんのでは?と私自身は思ってしまうような人が市井にも普通にいるというお話。

私のような凡夫凡俗は、その様な解脱ぶりを観る貴重な機会を多々与えられているにもかかわらず、導き出す教訓は「金もモノもあの世にはナンも持って行けんな」という中学さん年程度の子でも言いそうなレベル低めの文言くらいです。

もう少し高級な哲学的脳内回路を持っていれば、人に話せるようなもっとマシな「何か」を得ることも出来るのでしょうが…。バカの限界は自分の思っている以上に情けないくらい低いものでした。眼の前に度々現れる心象理解のチャンスをむざむざと見過ごす己のスカスカの脳味噌に涙です。


2023年5月16日火曜日

親より先に死んではいけない

実はこの前比較的近い所で大きな事故がありました。

この事故は全国ニュースになってしまうほどのものでした。四人乗りの赤い86は酔っ払った若者がスピードを無視して運転する状況で、その挙げ句に橋の欄干に激突。後部座席に乗っていた三人が死傷した上に助手席の男の子が運転手の身代わりになって虚偽申告で逮捕までされています。

いろいろな事が滅茶苦茶ですが、この事故で亡くなったのはまだ若い女の子。親御さんにしてみればとんでもない話で、この少年がやらかしたことの重大性は恐らくこの飲酒運転していた少年自身も理解していないはず。

まず、保険を掛けていたとして、保険がおりないのではないかという強い疑問があります。そもそも、①飲酒②スピード違反③登場人数オーバー④運転手に関する虚偽の証言などと種々の言い逃れの出来ない間違いが重なりすぎています。こんな輩の運転する車に乗ってしまった事自体が「そもそも」と言いたいところですが、問題はそこではなくあくまでも人を死に至らしめた運転手の責任。

刑事罰、民事罰が全て揃った上でのアウトで交通刑務所行きは当然でしょうが、彼にこの女の子の親に対する民事的、倫理的な補償など出来るはずもありません。市井の人間で「億の金」を払えるような人間はそうそう居ません。

馬鹿なことをやらかした子とその親は残りの人生をかけて償い続けることは当然ですが、とてもカバーしきれないでしょう。

バカとは付き合わないこと…と言いたいところですが、若い頃はそれがなかなか出来ないもの。私自身も明らかに愚かなことを繰り返してきましたし、人のことは言えません。しかしどんな事があっても親より早くこの世から去るような事は起きてはならないと誰もが知っていますが、稀ならず起きてしまうこういった悲劇。

実はこの亡くなられた娘さんは私の住むマンションの今年度の理事会に所属している方の関連会社の方の娘さんだったとのこと。自分の子供、他人の子供さん、そんな事は関係なく生まれた順番に人生を旅立つべきだと考えます。

車はまさしく走る凶器。利便性の裏に隠れるその恐ろしさは常に理解しておかなければなりません。


2023年5月15日月曜日

久しぶりのてんかん発作

久しぶりに息子にてんかんの発作が出たようでした。

「出たようでした」というのは、息子の通っている作業所からの緊急連絡が私の携帯に入ってきたからで、一瞬嫌な予感がしたのですが、外来診察中でしたがピックアップ。すると案の定「息子さんがトイレをしている時に発作が起きたようで、どう打ったかは判らないんですけど右の耳の上の頭の部分に血が流れています。どこかの病院で検査をしたほうが良いでしょうか?」との報告でした。

私は手短かに息子の現在の状態と打った部位に血腫などが有るかなど伺いましたが、どうやらその時点で既にすやすやと寝入ったようになって居るとのことでした。ただ、頭部を激しく打撲した可能性はどうにも否定できないので、何時もお世話になっている愛知医科大に連れていくか日赤に診てもらうという選択肢もあったのですが、ここで考えたのは息子のてんかん発作に初めて遭遇した先生がある程度慌てている可能性も高かったので、ここは嫁さんに直接施設に向かって様子を見て貰うことにしました。

暫くして施設に着いた嫁さんからのLINEには「暫く様子を見てもらって嘔吐とかが出たら病院へ連れて行ってもらう」という連絡が入りました。恐らく様子を見て通常との比較で大差ないと見たのでしょう。耳の上を血が流れていたのも、目の右側を擦った時の血が倒れた時の勢いのまま耳の上まで流れたもののようでした。

結局経過観察の中で特に問題はなく、昼休みに私自身も施設へサッと車で駆けつけて様子を見たのですが、少し元気がありませんでしたが淡々と昼ご飯を食べていましたので、問題なかろうという事で施設の先生方に篤くお礼を言って病院へ戻りました。

やはり、ここ最近睡眠のリズムが合わず生活サイクルが乱れ、疲れが溜まったのが間違いなく原因だと思われます。息子の場合、睡眠リズムが撹乱されるとこの様な発作を起こすことがあります。安定してるなと思って油断して睡眠リズムが乱れた時にこの様なインシデントに至ります。

最近、少し甘くなっていた自分達自身に反省です。

この日の夜は疲れたのか、9時前後には眠そうな感じで直ぐに寝床に入ってくれた息子でした。何もなくて何よりでした。


2023年5月14日日曜日

生活保護をもっと正々堂々と使わせるべき

Basic Incomeの議論が日本でも度々行われていますが、配給する制度を精密に組み上げることが出来、その延長として他人の分のインカムの搾取や不正受給やを行った者達には厳しく罰則を適用する様なシステムにする事が出来るならば…出来るならば、ですが、制度自体は良い事だと思っています。

ただし、その実現には財源の確保や、個人自身による仕事の探索、投票の義務の履行、そして仕事をする者自身の納税の義務の完全履行などと言うような実現の難しい高い高い壁が有る上に、働かない者達と働けない者達をどう峻別するのかとかというような実現不可能な問題や、在留外国人をどう取り扱うのかなどと言った制度自体の根本を二分しかねない根深い問題も存在するのが「考察前から」既に解ってしまっているのも壁となり得るでしょう。

実際のところどんな制度を創ったとしても、必ずやそれを悪用する人間が出てくるでしょうし、それは生活保護でも同じ。それでもなおかつ、実際の所そういう「質(たち)の悪い人間」達は全体の中では少数派。多くの困窮者は保護を求めず必死で生活保護の支給額以下の賃金で命からがら生きている人達が多いのです。

私自身、多くの生活困窮者の人達と病院の内や外で話す機会があるのですが、例えば仕事を2つ掛け持ちして障害のある御主人を支えながら、にっちもさっちもいかなくなっているのに、生保受給が「恥」だと言って命を削っている中年女性。そして、明日の飯代もない精神障害の有るおじさんがボロボロの賃貸住宅で生保を申請する術も知らずに病院にも行かずにギリギリの所で近所の人の通報で救出されたりと言うようなことは多くの市井の皆さんの視野の中に入ってこないだけで、毎日何処かで「大量に」存在、発生しているのです。

勿論、グータラで働く意志の無い糞のような生保受給者夫婦も外の病院で診たことがありますが、そういった人達には実際の所それなりの「生活習慣病」という別の殺人者が襲いかかって苦しめていることも多いのです。皮肉なことですし、統計を取った訳でもありませんが、如何なることにも因果応報というのは有ると私は身近な経験から考えるようになりました。

さて、我々の住む日本は宗教による貧困救済の徳というのが大っぴらに語られる国ではありませんので、社会的システムとしてのセーフティネットである生活保護制度をもっときちんと「誰もが」使えるようにしておかねばならないと強く訴えたいのです。しっかりと人間としての最低限の尊厳が守られる暮らしを支え、安心して人生の再出発と挑戦をサポートした上で、最後には納税者としてシステムに助けを求める人を支える側に戻すことまでサポートすべきだと思っています。

実際の所、実は生保で助けを求めることがvolumeとして多いのは40-50代の働き盛りで仕事を突然なくした様な人達なのです。生活の基盤が突然崩れるなどというのは誰にでも何時でも起きること。病気、事故、失業、DVからの逃亡なども含め、何が起こるなど誰が予想できましょう?若いから大丈夫?明日、車に跳ねられるかも?また、若くても病気は誰に降りかかるかわからないのです。

生活保護は正々堂々と申請して、正々堂々と使える国民の権利です。「おにぎり食べたい」と言って餓死する人や、ここ一週間ご飯を食べてないから仕方なくコンビニ強盗してわざと捕まった、等ということの起きないようにしなければならないと強く思うのです。

「貧困で首が回らない」というのは本当のことです。アメリカに居た時に、いろいろと辛い時期もありました。ですからこの言葉は身に沁みて理解できます。それでも私の場合はたまたま激安の時に日本で買っておいたアップル株が幸いにして暴騰し、切り売りする事ができたからこそ生き残れました。

しかし、それは単なる賭けに勝っただけという幸運。ふつうそんなことが誰にでも起きるわけではありません。明日のことなど誰にもわからないのです。


2023年5月13日土曜日

のっぽさんの死

高見映さんの死去が報じられて既に数日が過ぎました.(親父よりも4つも歳上だったとは!)

報道自体は数日前ですが、亡くなられたのは昨年の9月だったとのこと。既に数ヶ月経っていたわけですが、如何にものっぽさんらしいです。我々の世代周辺の人達にとっては「できるかな」という番組は本当にその世代の日本人であることを試すようなもので、知らない人は居ないのではないかなと私自身は思っています。

最後の消え方も本当にのっぽさんそのものでした。元気だった頃から「自身の死について周囲のひと達に伝えるのはしばらくたってからにして欲しい」とのことを仰っていたとの事。日頃から「ぼくは風のようにいなくなるからね」とも言われていたとのことです。まさにその様になりました。

我々が子供だった頃、のっぽさんは決して喋らない人でした。ウホウホとしか話さないけど可愛らしいゴン太くんと二人で登場して、声の進行役であった「つかせのり子」さんとともに、15分間の番組を綺麗にまとめていました。今回改めて知ったのですが、このつかせさんは「できるかな」が終わった90年の少し前の88年に直腸癌で亡くなられていたのです。あの特徴的な優しい声の声優さんがつかせさんという方だったという事と、ずっと昔にお亡くなりになられていたことに衝撃を受けました。

また、のっぽさんは常々御自分のウェブサイトでその活動を報告されていましたが、のっぽさんそのものの実直なホームページですよね。私はのっぽさんはその姿から日本のフレッド・アステアだと思っていました。踊りも上手かったのですが、本当は御自身は勿論、周りの人も公認というくらい手先の不器用な方だったと言うお話を読んでこの話には驚きました。

実は偶々だったのですが、この「できるかな」の最終回は何故か視ていました。最後の最後でいきなりのっぽさんが声を出して話しだしたので、医学部最終学年だった私は口をあんぐり開けて見入った記憶が未だに残っているほどの衝撃でした。

のっぽさん、お疲れ様でした。日本中の子供達に幸せを振りまいた一生だったと私は思います。また何時の日かあっちの世界で会いましょう!その時には俺は子供の姿になってのっぽさんの前に座っているかも?^^


2023年5月12日金曜日

LGBTの国会での議論

LGBTQと言う言葉が日本でも普通に聞かれるようになってきました。

地方議員に限らず、この性の認識に関するトンデモ発言を行って顰蹙を買っている連中がまだまだ中央の議員連中の中に居ますが、私自身はその手の連中というのは日本の中ではやがて昭和臭のする連中が消えていく中で今の喫煙者が減少していくように「減っては行くけど無くならない」というところで逆の意味でのマイノリティとして落ち着くのではないかと思っています。

自分と違うもの、自分の理解できないものを恐れるという人間のある側面の延長上の存在としてのhomophobiaの感覚というのは、人種や性別、宗教その他で人間の業のように手を変え品を変え登場してきますが、自分と異なるものを受容していくというのは人としては成熟の過程の延長上に存在すると私自身は考えているんですが、親の代から或る教えを受けている人が、その地域に住み続け他の考えに触れるチャンスがない環境である程度の歳まで過ごしてしまったら、なかなかそれを変えるのは困難かなとも思います。

特にその「考え方」がその人自身の小さい頃からの行動や判断の基本原理に沿ったものだとそれをモディファイする事自身が本当に破壊的な変化などで、多くの人がそれに耐えられないのではないかと思います。自然科学的なロジックで考えると「いや、それはちょっと…」というような記述も各種の宗教などでは事実としてそれぞれの宗教の信者達には受容されているわけですから、それを変えることの困難さはま、花崗岩に水滴を落として岩を割るような難しさです。

特に、それらの宗教の経典にそれらの性に対する禁忌の記述などが有るものなどはまさにLGBTQなどは目の敵にされがちで、命まで狙われる日常がイスラム圏を中心に普遍的なことは誰もが知ることです。程度の差こそあれキリスト教でも原理主義者、共産主義諸国を中心にGayへの激しいアタックなどはアメリカでもヨーロッパでも変わりませんけどね。

私自身はその点、日本では昔からこの同性愛に関して、更に言えば性に対して最もおおらかな国の一つだという認識を持っているんですが、変にアメリカ風のLGBTQ等への議論の中で、対立を煽るかのような「認める認めない」的な二元論的なものに陥っているような気もします。

もう一つ気になるのは発言しているLGBTQのグループと、その様な議論の中に全く関与していない静かな、もしくは公言さえしていないLGBTQの(恐らくは巨大な)集団の間には何か乖離があるような気がしないでもないんですけど?

そもそも日本は歴史的「衆道」先進国。敢えて西欧諸国のように二元論的な議論を喚起しなくとも、比較的自然にこの様な性の多様性に対応できる素質を持っていると思うんですが?

誰が誰を愛そうと、その性別や性的指向がどうだろうと、法的に夫婦を形成するなら、もしくは子育てを指向するペアなら極普通に法的な網で補助や認定をしてやればいいと考えます。トイレの問題なんかは未だ先でも結構。先ず解決させるべきは法的権利による扶助ではないでしょうか?


2023年5月11日木曜日

アル中の毎度の言い訳

今日も診察室でウンザリさせられました。

もっと正直に言えばガッカリです。重篤な肝機能障害で入院してきた患者さん。原因はアルコール中毒です。腹部CTを撮ってみると明確にLCパターンと呼ばれる肝硬変の画像が出てきて、周囲の腹水貯留なども明確な状況。御本人にも画像を見せてそれが危機的な状況であることを十分に納得させた上で、状況は厳しいけれどきちんと頑張っていくという同意を得た上で治療を開始しました。

幸いにして、知性にダメージを受けていなかった方だったので、治療上のロジックや今後の予測される状況の推移などを説明しても納得づくで治療に専念してくださいました。腹水などは穿刺無しでも十分に経口服薬による薬剤治療に反応し、そのうえで、これからリハビリによる筋力増強のステージに入ろうという時点で有る問題が発生。

それは、保険の関係で二ヶ月目の入院になろうとすると保険の内容が変わることでリクエストされる追加の5万円を半年以内にローンで払うことになるという条件に一旦は納得したものの後になって「やっぱり退院したい」と言い出して、3日後に退院してしまったことです。一度は説得して「今の時点で止めたら恐らく元の木阿弥」だと言ったのですが、半年程度で払う5万円よりも命のほうが安いと判断されたようでしたので、敢えて何も言いませんでした。

さて、退院して僅か3週間。体重を15キロ以上増やして今日の診察室に戻ってきました。共同で治療にあたっていた循環器の先生と二人で顔を見合わせて深く溜息。御本人は意気軒昂でしたが、我々の溜息の本当の意味を理解していません。

診察室で彼が滔々と自説を展開。酒は呑んでいないし、この体重増は水ではなくて食事がまともになった事によるリバウンドで云々…と。

明確な腹水貯留とおそらくは胸水の貯留の再開などが物凄い勢いで再開しており、心不全の増強とともにもう二度とは戻れない肝硬変のステージを通過してしまったと感じました。アル中の人達に実に面白いほど共通する「特徴ある言い訳」を我々2人の医師の眼の前で延々と開陳してくれましたが、我々としてはその言い訳に苦笑いをしつつ呆れるだけでした。

恐らく世界中でアル中は違う言語で同じ様な言い訳をしているのだろうな、と考えてしまうのですが、私はこのアル中に独特の病識の欠如とか自分の病態の無視という独特の自己認識の状況を毎度観る度に、複雑な気持ちになります。

彼の命のためには戻ってきて欲しいけれどそれを強く言っても従う人ではないという事を知っているだけに残念な午後になりました。


2023年5月10日水曜日

プロの行う証拠隠滅

息子の胃腸風邪の症状は少なくとも表面上は落ち着いてきましたね、表面上は

先ず嘔吐感が減少したようで、オエ~ッという様子は朝まででほぼ無くなりました。また、体内の脱水の具合を最も正直に現す舌の乾燥具合も全く問題なくなりました。残るは下痢。プピプピと肛門に言わせながらシャーシャーとシャワーから出てくる噴水のように出ていた水様下痢も取り敢えず「回数は」減ってきました。

何よりも良かったのはそういった出来事は「症状」として残りつつも、いわゆる一般状態としての「元気良さ」が活気という形で戻ってきたことでしょうか。朝から少しずつ粥食やゼリーを食べるようになった後は、睡眠とYouTube視聴という形でのリラックス・タイムを間に挟みながらお菓子を食べたりする気力も戻ってきたようです。

これ自体はめでたしめでたし。

しかし、未だ盛大に空屁(からへ)と言う名の大量のガスだけのオナラをしています。しかし、これが曲者。通常はもう下痢として出すべき中身も腸管の内腔に残っていない状況の「筈」なのですが、その中身の管腔内の位置等というものは放屁を繰り返す息子自身が知る由も無し。従って、大腸内を巡り巡って直腸から肛門に近づいてくると何時、突然にオムツへ出てくるかが判らない所。

しかも、このプピプピ下痢が二度ほど「波」として肛門から出てくるとオムツがその容量を捌ききれずに中身が漏れ出してくるリスクがいつもあるのです。息子が外出時に時々使っている成人用の「薄型」オムツ・パンツはそれほど大量の水分を吸収するような感じのものではありませんので、あくまでプロテクタという感じで使っています。

というわけで、時々プロテクタが限界を迎えるのです。その時が我々プロの登場場面です。次女は自分の兄貴である長男が便を漏らした時には自分の部屋へピューッと逃亡しますので、父母である我々がササッと片付けてしまうのですが、我々二人が揃っている時は自分で言うのもナンですが、まさに電光石火の如き仕事ぶり。娘が外出していてそもそも居ない時などは彼女が帰宅してきても何事も無かった状態として家を保っています。^^

手順は以下のごとし。

息子をその場に立たせてSTAYさせる。先ず換気扇を最大限にぶん回します。次にブルーシートをササッと広げて道を作り風呂場まで順繰り移動。ここで私が裸になって息子の尻洗いと体洗い。全てがきれいになったら息子の体を拭き取ってオムツをあてて服を着せる。その間に嫁さんは小部屋の証拠隠滅。次に私が嫁さんから受け取った息子の汚れた下のパンツ等をジャブジャブ洗ってきれいになった所で洗濯開始。ここまで来たら今度はウンチがちょこっと着いてしまった息子の木製椅子を風呂場できれいに洗って拭き上げます。

コレで完全犯罪の成立です。汚れたシートやオムツは既にこの時点でゴミ箱の可燃物の中。何度も実物で実「戦」ドリルを繰り返す我々の前に息子のウンコなど敵ではありません。戦争で勝利する要諦は如何に現場を知ってシュミレーションを繰り返したか?によるものだと良く自分達でも理解しています。ロシア軍にはコレが足りないのでしょう。w

日常での診療行為も然り。数と経験の力はまさに実力の柱そのものなのでした!等と息子のウンコ処理から教訓を垂れるオッサンでした。


2023年5月9日火曜日

息子が大変でした

勤務先で働いている時にテキストが入ってきました。

何事と思って何気なく開いてみると嫁さんからで、息子が「作業所で何時になく元気が無いので熱を測ったら38.9℃だった。今からタクシーに乗せてヘルパーさんと家に帰ってくる」との連絡。

私自身がその後に仕事を定時で終えて家に帰ってみると元気のない息子が既に家のベッドでコンコンと寝ていました。話を聞くと、家に帰ってきて吐いたり水のような下痢を出し続けた後ガックリとして寝てしまっているとのことでした。先ずは家に持ち帰ったCOVID-19、flu-A/Bの検査キットで調べましたが反応はなし。ロタやノロの可能性もありましたが、それは判った所で対処法に大きな差が有るわけでも無かったので調べませんでした。

そのあと、やはり息子は元気無さそうに夕食時に起きてきて暫くPCの前に座っていたのですが何故か下を向いたまま静かにしていました。私は何かがおかしいと思い側に近づいてみると、小刻みに体を震わせて目がうつろでした。そもそも、自閉症の息子は疲れやストレスでてんかんを発症しやすいのですが、薬を飲もうにも服用した薬を吐いてしまうので、全くその服薬効果を期待できません。

更にチアノーゼが出てきていて、唇も顔つきも爪の先も紫になる始末。震えの止まらない状態と思ったら熱が39℃。これだけ吐いて下痢をすれば電解質異常も必発。当然の様に経口解熱薬は吐いてしまい何の意味もありません。もし状態がこれ以上悪化するようであれば第二日赤の救急外来に運ぼうかなとも思ったのですが、厚着をさせて頸部を冷えピタなどで冷やしながらソファで嫁さんが抱っこしていたら少し状態が良くなってきました。

取り敢えずエマージェンシーからは少し外れたと思った瞬間に車を飛ばして自分の病院へ行き、夜も12時少し過ぎではありましたが、自分の病棟の看護師さん達に頼んでソリタT1を1本と3号液を二本準備してもらい輸液セットを袋に詰めて出てきた家へ戻る前にMaxValuへ直行し、沢山のゼリー類やポカリスエットなどを買い込みました。(OS-1は売っておらず!)

家へ戻ると息子の手を取って駆血帯を巻いて血管を探しすぐに1号液の点滴を開始。疲れてしまったのか寝始めましたがそれでも時々起き上がってオエオエと吐きまくります。嫁さんにはリビングルームに私用の布団を持ってきてもらい息子にはそのままソファから動かさず厚着をさせてそのまま寝せることにしました。嫁さんには別部屋で寝てもらうことに。

夜中も結局3時半までは私が洗面桶を持って嘔吐に対応しつつ、おむつを履かせてそのまま寝せるということを繰り返したのですが、何度か「ぷぴ~ぷぴ~」と水様下痢の出ている感じの音が聞こえてきました。それを少しばかりオムツに溜めさせて風呂場へ直行して嫁さんに協力してもらいながらお尻洗い。時間は朝の5時過ぎ。

手伝ってもらったのはお尻を洗っているときの点滴袋持ちと寝ていたソファのうんこチェックとクリーニング。結局、私自身はあまり寝られなかった当直から帰ってから今日も朝はきちんと眠れたのは1時間程度でした。w

久しぶりに育児をしていた頃を思い出しました。そういえば、メリーランドに居た頃に5歳頃の息子が同じ様にひどい胃腸風邪で体重激減して命が危なかった時期があったのを思い出しました。

何時まで経っても親にとって子供は子供です。

 

2023年5月8日月曜日

分厚い垢に覆われた人

時々役所の依頼で路上生活者や汚部屋の住人を検査入院で調べることがあります。

多くの場合は特に若年者でない場合のお部屋の住人などは糞尿にまみれて生活されている方も少なくありません。その様な方々に役所の方が付き添ってきて今後の対応を考えることも多いのですが、実際にはバックグラウンドに深刻な疾病が潜んでいることも多々あります。

入院後に何らかの疾患を見つけても患者さんによく伺ってみると実は以前にもどこかの医者でそんな診断を受けて暫く薬を飲んでいたけど、通院が面倒くさくなって病院で貰っていた薬はもう何年も服んでいない、何ていうことはこれまた普通です。

ですから我々の側でも特段驚くことはないのですが、その数年の間にすっかりそれらの疾患が深刻になっていることがあって、「定期的に簡単な服薬を受けてさえいれば」とか「定期検査で年に一回くらいでいいから検査を受けていれば」ここまで酷くなっていなかったはずというような状況に陥っているのをよくみるのです。

そういう意味では「ケアの傘」がなかなかこのような表に出てこない人達をレスキュー出来ていない事も多々あって、時々連れてきて下さった役所の人達と悔しい思いをすることもあるのです。

しかし、半分くらいの人達は幸いにして何もない状態であることも普通でして、その様な人達はまずはお風呂に入っていただいて、一回の入浴程度では取れないミリ単位の厚さの垢を擦り取ることで「ああ、気持ち良い!」と言ってもらえるところから始めることで生活上の再起を始めてもらうことが出来るのでした。

何と言っても、こういう事を繰り返すことで疾病の予防を行って、最終的には重大な疾患に結びつくような基礎的な生理的な異常を払い除けていってあげることはどんな弱者に対しても大変に重要なことだと思っています。

意外でもなんでも無く、結局はそういった事の繰り返しのほうが国民健康医療費の削減にも繋がるのでだれにとってもwin-winなのでした。^^


2023年5月7日日曜日

「縮む日本」でより良く生きる

急減する日本の人口にカウンター・パンチを浴びせる方法は今の日本の政権では先ず無理だと思います。

既に、日本の数々の現場ではいろいろな意味で人口減に起因する人材の払底が起きているのは周知の事実。単純な労働力不足だけでなく、競争する人間の数の減少に伴って頂点から分布する人間のクオリティまで以前よりも低いプールから汲み上げなければ埋まらないようになっています。

その結果はこれまた御存知の如しで、いろいろな現場で昭和・平成の時代より競争力の低い人達が今までは選ばれなかった筈の現場で競争力の無さを発揮して現場を更に疲弊させている次第だと私は感じています。しかも、今の時代人口全体の老齢化に伴い再生産の為に労働力が使われるのではなく、介護などを中心とした「社会の折りたたみ」に向けたことに力が削がれているのが現状です。

しかし、これは一旦成熟した世界が必ず迎える一つの下り坂。どうこう言ってもこればかりは仕方がありません。どんな超大国も恐らく不可避。中国などもこれからは人口ボーナスではなくオーナスの時代を確実に迎えまてきすから今までのように右肩上がりの成長は続きません。

翻って我が日本。この前も横浜で水道管が破裂したニュースが出ていましたが、これなんかはインフラの老化ですよね。こんなニュースは大きくは報道されないレベルのものも含めて日本全体で加速しているはず。

ChatGPTで聞いてみても、名古屋市での水漏れ件数は公表されていないとの答えが返ってきていますが、水道料金に関する情報では「名古屋市の令和2年の二人以上の世帯の1世帯当たり1か月平均の上下水道料の支出金額は4,693円となっており、全国値の5,255円を562円下回っています。21大都市での比較では名古屋市は17番目で、千葉市の6,285円が最も高く大阪市の3,921円が最も低い金額でした。」とのこと。比較的恵まれている印象ですよね。

当にこの回答の中に次の段落に書こうとしたブログの内容が返ってきているのですが、税収の低い自治体はこれから水道料金の爆上げがやってくるという現実があります。要するに公共サービスの及ぶ範囲と質が次第に維持できなくなる場所が出てくるわけで、維持が不可能になった所に住み続ける人達は自然に国庫補助金なしでは生きる事も出来なくなってくるのではないかと思うのです。

その解決策としてはもう30年以上前から言われている「コンパクトシティー」を設定してそのエリア内に住んで公共サービスの維持を目指すのが最も効率が良くなると言う訳ですが、居住場所の選択の自由こそは憲法の基本であるため、これを間接的に実現するのは上にチョロっと書いたような「サービスの維持」に自然にかかるお金を住人に掛け続けてそのプレッシャーに悲鳴をあげさせるしか無いのでしょうが、果たしてそんな作戦が上手くいくのか。

変な補助金がそのエリア周辺の選挙区に住む政治家の手から出てきそうで予想の時点でゲンナリです。w

取り敢えずは行くところまで行って「無い袖は振れない」という現実に身を浸すまでは今の日本は終わらないのでしょう。まあ、その頃は日本の人口も今の半分も無いのでしょうけどね。


2023年5月6日土曜日

Netflixやるな!と思えた作品がでた。

本当にいろいろな映画を観る機会が増えた21世紀。

映画館に行くという行為に時間がなかなか取れない、というか取らない人間であっても映画自体は好きなのでアメリカに居た頃からめちゃくちゃ安い映画やビデオのメディアを買っては続けざまに鑑賞していたのですが、それがネットに置き換わっただけですね。

ただ、Walmartとかに言ってその棚を覗いていたのが今ではsuggest systemによって、いかにも私が観そうなものを次々提案してくることでエグい程の数の映画を強引に観ることになります。無論、観始めても「コレはないな」とか言って30分もせずに観なくなるのもあれば、最初の数分で終わりというものも沢山。

しかし、今回突然登場した「サンクチュアリ」(聖域)というNetflix Japan発の連続ドラマには久しぶりにグイグイと引き込まれてしまいました。

結局、一日で第1シーズンの全8話を全て見てしまいました。話の粗筋は例によって私自身がここで話すことはありませんが、基本的に角界でいろいろな経験を積んでいく中でまさに伸し上がっていく様を描いたドラマです。北九州の田舎から出てきたどうしようもない母と、人生失敗した父親を持つ極々強烈な不良少年。何を言っても世の中を舐め腐った態度で反抗。取り敢えず最初のうちはその恵まれたガタイで勝ちはするのですが、有る大きな壁が彼の眼の前に登場して…。

ここから先はもう書きません。しかし、これは実際にも或る力士を彷彿とさせる話ですし、いろいろな角界の似たような話を混ぜに混ぜて全ての具材を煮詰めて仕上がった作品だと思います。この作品もしかしなくとも、日本に興味ある外国人には日本を知るための物凄い教材になるような気がします。

内容は少々エグいのですが、これは本当に良い作品です。シーズン2以降がどうなるかというのは大きな問題でしょうが、きっと監督は良いものを出してくれることでしょう。

久々に期待大です!


2023年5月5日金曜日

予言が現実として迫ってきた

息子と二人で新鮮な空気でも吸うべいと地下鉄に揺られて休日の栄に行ってみました。

そもそも何処に行こうなどという確たる目的も無しなのは「もとより」で、気が向けば金山や大須にでも行って次に酒や焼鳥を胃袋に入れるのに向いていそうな、昔からやっているような古びて小汚い昭和風の酒屋でも見つけようという感じで家を出たのでした。

もとよりその様な感じでの出立でしたから、何処で降りようというような確たる目的もなくいろいろな行き先の起点となり得る栄で取り敢えず降りたのでした。息子にしてみれば鉄輪の付いている地下鉄や列車こと「ぽっぽ」に乗れることだけで先ずはその日が幸せになるわけですから、息子のハッピー・フェイスを見ること自体が親父の自分には眼福です。

息子と手を繋ぎながら親子で歩くわけですが、時々ちらりと我々のお手々繋ぎをみる視線を感じますが、私としては慣れたもの。ゲイ?みたいな感じで見られているのかの~?などとフト思ったりもするのですが、そうだとしてもいつもの事で全く問題ないのでした。w

ただ、息子と2人で歩く時の問題点は彼自身が大手を振って楽しそうに歩くためにすれ違う人などにちょこっと手が当たってしまうことがあるのです。そこを最大限注意しながら歩くのは時に人混みの中で気疲れすることもありますが。(稀に実際に手が当たってジロリと睨(ね)めつけるオジサンなどもおりますが…。その時は私が頭を下げています。)

さて、そんなこんなで栄のタワー下にやってきていろいろなバンドやグループが様々に集まって明るくやっています。もちろんその周辺には高校生前後の女の子たちが集まって楽しそうに手を振ったりダンスしたり。中にはメチャクチャ歌の上手いボーカルの男性も居て、大阪からやってきたどこかのグループでしたが、伝説の路上ライブなんて云われる日が来るのかもしれませんね。

そこを通り過ぎて息子と何かを食べようという感じでオアシス21の方へ行きました。女子バスケや女子ラグビーのプロを集めていろいろとイベントをやっていましたが、その中に「ついに来たか」と思われる景色が目に飛び込んできました。

それは中国の大手自動車会社BYDの宣伝ブース。そこにはBYDAtto3が展示してありました。周りには余り人があまり集まる様子もなく閑散としてはいましたが、私は内心「遂に来た!」と大きな衝撃を受けました。日本上陸のことをニュースでは聞いていましたが、実際に眼の前に登場してきたのをみるとショックでした。世界第二位のEVメーカー。国策企業とは言いながら、それは以前の日本も同じ。勢いのある企業の登場はまさにADVENTです。

以前もちょろっと書いたと思うのですが、アメリカに居た頃、大学の中国出身のテクニシャンの女性に「中国の車がアメリカを走る日が比較的早くに来るかもしれないよ」と話したらその方は鼻で笑っていたのですが、私は真面目に「いや本当だって。人口の多さとマーケットの規模が有る所で、必死でやる気のある知的な人間達が頑張ってレベルを上げてきたら必ず強敵になる」と言って話したのですがそれでも笑われました。

あれから十数年。眼の前には日本に上陸した中国の電気自動車が。

まあ、車自体は私も見ずに遠巻きに眺めてそのまま去りましたが実は物凄く印象的なことが!それはBYDのブースでカタログ整理をしていたスーツ姿の男性が物凄いイケメンであったことでした。

「彫刻のような」端正な顔立ちで、恐らく中国の方だろうと思うのですが、男の私から見ても非の打ち所のない、誰が見てもマイナス点を入れようがないような顔の方でした。帰り道も「あんな顔で生まれたら逆に人生困らんか?」という気にもなりました。w

みんなに見られてしまう様な容姿容貌の方々ってどういうふうに生きて行くんだろうと感じた完全非イケメンの己でした。


2023年5月4日木曜日

西村賢太揃い踏み

本屋でなかなか揃えられなかった西村賢太の作品群。

この連休を利用しない手はない!と思いつつ少しスタートダッシュが遅れましたが、先ずはアマゾンもフルに活用して取り敢えず13冊揃いました。苦役列車が手始めでしたが、その「わたくし」小説の描写のどぎつさに私は読んでいて思わず声を出さずに高笑いです。

どこまでもどこまでも脂ぎった青春の敗北感をその劣等感とかき混ぜるようにしてこれでもかと読み手に見せつけるその攻撃的な赤裸々感は読んでいても「これはちょっと女性の読者にはどう受けるんやろか?」と考えてしまうのです。

実際の所、書いてある中身は本当にコレでもかコレでもかというくらいの連戦連敗の青春記。しかし、その内容はチャレンジや成長などというような明るい未来を予期させるような記述は何処にも無いという若くして既に未来の無い敗戦記のようなド暗さがあります。しかし、その根底にあるのはマグマのような熱情だと思います。というか劣情と言ったほうが正しいのかも。

その男の劣情剥き出しの様子は普通の小説では決して表に出てこないドロドロの背脂。触ってはいけないデーモン・コアのような大変に危険な臭いがしてきますがそれは男性にとってはまた違うものであると感じます。そういう意味ではこれは読み手を選別する読み物だという気がしました。勿論男性でも西村氏の「私」小説を読もうという人間は絞られることと思います。

酒を呑もうにもアルコールをそもそも体が受け付けない人には「はな」(<西村風w)無理であるように、呑める人には味を峻別できるものなのかもしれません。無論、呑める呑めないに上下の別などありはしないのですが、呑めたほうが人生幅が広がるような気がしないでもありません。

今回も「苦役列車」収録2篇目の(落ちぶれて袖に涙の降りかかる)の最終段落で涙がポロッと落ちてしまいました。

残りの全てを読み終わってまたどんなもんだったか書こうかなと思いますが、その間にも残りを集め続けたいと考えています。

久々に出てきた読みたい小説の群れです。


2023年5月3日水曜日

企業人としてアメリカに赴任するということ

アメリカの我々家族が住んでいた家に日本の駐在員の方が住んでくださっています。

御家族でお住まいなのですが、日本の方なので本当に家をきれいに使ってくださるし、なにか用事がある時のミュニケーションもお互いの常識やニュアンスのレベルが同じなので大変助かっています。

既にバージニアに赴任されて数年経ち、最初は全く英語の話せなかったお子さん方も滅茶苦茶ネイティブになられている様子。小さな子供達の言語への適応というものは恐ろしいほどのものであることは私自身が身をもって知っているのですが、そのお子さん方もこの夏頃を目処に帰国されるとのことでしたので、私としてはちょっと勿体ないなと言う感じがしないでもないのです。お子さん方自身もそれと同じようなことは親御さんに話されているとのことでしたが、やはりお子さんなりに感じるものもあるのでしょうね。

私の場合は研究者でしたので、予算とポジションがある限りは自分が「もうそろそろ潮時だな」と思うまでは時間の長さを自由に変えられたわけですが、企業などから駐在員として派遣されているような多くの標準的な日本の方々は、現地採用でもない限りは本国である日本の本社の意向に沿って駒のように動かされるわけですから、それが1年だったり10年になったりと全く不安定なわけです。

会社によってはある程度現地にいる人達の意向を汲んでくれる所もあるようですが、企業によっては3年の約束が5年になったり10年になったり、もう家族の意向なんて全く関係ない感じで使う所も結構あるようです。

私のように住めば都でどこででも給料さえ手に入って楽しく生きていければそれで良いというような極楽とんぼ系の人にはそれでも良いのでしょうが、企業の中で出世の階段を登っていきたい人とか、海外暮らしが嫌で嫌で堪らないような人達にとっては海外赴任の長期化は「心労」の元なのかもしれませんが…。

いろいろな話をいろいろな企業の方、官公庁の派遣の方などにも今まで伺った事が有るのですが、海外での赴任が箔付けになるところもあれば出世コース外れ組のような事に取られる企業もあるとかでまさに様々。しかしまあ、私に言わせれば2023年にもなって働く場所や国が出世に関して何らかの予測を誘うということ自体がアナクロの一言で嗤われるようにしか思えないんですけど、沈みゆく日本の沈みゆく企業にはそういう基準が未だに残っているんでしょうかね?

私はアメリカに赴任されている多くの日本企業の方々がアメリカに1年、2年と暮らしていく中で「明らかに」日本に居ただけでは得られなかった多角的な視点を持って日本に帰っていかれる様を何度も何度も目にしてきました。中には企業を辞めてまでそのままアメリカに住まわれる方も居ました。

別にアメリカに限ったことではありませんが、人種、宗教、常識が違う国の中で自分達を見つめ直す時間を持てるということは「有り得ないほど素晴らしい時間」だと思うんですよね。願ってもない!とはこの事ではないでしょうか。

今でもアメリカに住まわれている方、そしてこれからアメリカに向かわれる方々。何事も挑戦です。前向きに挑戦することが何よりも尊ばれる国で頑張って何も失うものはありません!

私は今でも戻って住みたいなと思うくらいです。娘達がアメリカで子供を育てるような状況が発生したら「良い理由」になるんですけどね…。


2023年5月2日火曜日

働き方改革の影響

いろいろな仕事場で働き方改革法案が導入されてきました。

実際の所、医療業界アルアルになってしまうのですが、人の健康の番人であるべき医療従事者達の中でも医師こそが最もその改革に乗り遅れることを許されている状況になっています。実際に全ての勤務医に対してもそれを守らない者に対して時間外労働の罰則付き上限規制が適用されることになる訳です。

どんな法にも罰則が付かないとそんなものを守ろうとしないのは夏休みの宿題と同じ。怒られるから、期限があるから、それを守らないと「XXX(<ここにはありとあらゆるものが入りますが)」になるから、と言うような理由でみんな尻を叩かれるように動くのが普通です。(それ無しで出来る人は世の中で偉くなれる人です。w)

案の定、医師の場合は5年の猶予期間という訳のわからない猶予期間が付与されていたのですが、それも愈々来年の4月からは逃げられなくなって参りました。皆、実際にこのほうが思考されるとどうなるのかと現場の事務方や医師などはいろいろなことを考えていますが、大きく変わるのが当直体制でしょう。

いわゆるタイム・カードなどを使っての管理がなされていなかった医師が多くの病院では普通に居たのですが、今後はまさに時間単位での管理に移行していきます。一定時間以上の勤務に関しては50%増しの賃金を出させたり、当直明けの連続勤務を禁止したりするだけでなく、総量規制もしていく訳ですので外のバイトの時間なども影響してくることになります。

そしてそれに従わなかった管理者たる院長などに対しては勧告のような形で通知が届き一定期限以降に改善が見られなかった場合には一回ごとにウン十万円という罰金が課されるようです。恐らくは闇で働かせて勤務時間を誤魔化すことに協力を迫る医療機関が全国で大量に出てくると思われますが、必ずやチクリの嵐となるでしょうな。

そうなった時の罰金は怖いくらいになる筈ですので、多分ほかの一罰百戒のような摘発事例を横目に多くの医療機関はそういった事をしなくなると思います。

今回、当院で新たに作成される方向となった医師の雇用契約においては今まで個別契約として当直義務などの無かった医師に対しても月に一回はそういったものを入れる事を以て常勤医師としての雇用契約を作成しているとのこと。実際私にとっては何てこと無い事で、寧ろ仕事が楽になる方向に動くという訳で事態を寿ぐしかない立場なのですが、一部の高齢の先生やそもそも当直を拒否していた先生の一部にはこれを以て常勤の契約から外れる人々が出るような雰囲気で、私にとっては不公平感を解消する良いニュースです。

男女雇用の平等という意味でも実は女医さん達にも大きな波は押し寄せているようで、今までは育児の云々という名目で中学高校生をお子さんに持っているような女医さんであっても当直や週末の日勤業務は免除されていたのですが、それも愈々終わりになるようです。それが課されたくなければ非常勤へどうぞときっとなるんでしょうね。

当院におられる女医さんには意外と冬の時代かもしれませんが家庭において御主人の協力を得られない一部の女医さん方にとっては厳しい年度の到来となるのかもしれません。

法とともに時代は移ろっていくのでしょうが、日本の医療はどう変わっていくのでしょうかね。


2023年5月1日月曜日

次男とのお別れの式

仕事をしている時に嫁さんからLINEが入りました。

「6-7時の間に自宅訪問型のペット葬儀を頼んでいます。(火葬してくれるワゴン車が来ます。2時間位かかるらしい。)」との連絡。家に置いてある生前の持ち物を見るだけで涙が止まりません。」との事。今日こそは仕事をきちんと時間内に終えて家に帰ることを心がけました。

家に帰ると、昨日の姿勢と変わらず我が家の次男スプーキーが冷たくなったまま小型犬用のソファの上に静かに横たわっていました。6時になった時に玄関のチャイムが鳴りました。やってきて下さったジャパン動物メモリアル社というところのM下さんという方でした。ネットの評判を嫁さんたちが検索して評判が一番良いところとして選んだようでした。我々が選んだのは家族立ち会いによる個別葬儀。

家に来られた後、次女と嫁さんと私がM下さんの説明を聞かせていただいた後、スプーキーの体をハッカ油を含ませた白い布を使って我々三人の手で綺麗に毛並みを揃えてあげました。それが済むと、長めの綿棒に含ませた末期の水をその小さな口に三人それぞれが少しずつ含ませました。最後に次女が右前の足に小さな小さな、本当に小さな可愛い数珠をくぐらせて終了。
ここで一旦葬儀社の方はマンションの下に降りられ、火葬の準備をされるということで時間をくださいました。

その間に我々家族はスプーキーが天国で使えるおもちゃや食べ物を準備するとともに、三人がそれぞれに手紙を準備。私はスプーキーが読めるかな?という事でなるべく易しいひらがなで「またあえるよ!むこうでまっててね。おとうさん。」と書いて二つ折りにして入れました。

暫くすると電話が鳴りましたので、固くなった体を次女が優しく包んで少し風の出ていた外に降りていきました。この時ばかりは事情の良く解っていない長男も一緒にエレベータに乗って一緒に降りました。不思議そうな顔をして冷たくなったbuddyを見つめていました。

降りた所は最初に打ち合わせた通り家の裏側。大きな白いバンが停まっていたのですが、素晴らしくコンパクトな火葬システムが積み込まれていて、そこから引き出されたお焼き台が引き出されていました。その上に掛けられていた白いグラスウール製?の綺麗な敷物の上に体をそっと置き、回りにおもちゃ、ハイチュールやいちご、ご飯などの食べ物、そして周りに花弁を綺麗に敷きました。そして嫁さんは自分のTシャツを折り畳んで配置。

嫁さんと私が最後にスプーキーを触ってキス。次女は離れられないという感じでじっと触っていましたが、キスをして離れました。最後に葬儀社の方が扉の前に立って「これが最後の本当のお別れになります。よろしいですか?」と話しかけられたのですが、意を決して最後に私がお願いしますと言って扉の向こうに消えていくスプーキーを見送りました。

その後は直ぐにスイッチが入れられ火葬が始まりましたが、マンションの上から見ると車の上には煙突用に穴が開いておりそこから赤い光が漏れていましたが実に静かなものでした。部屋で待つこと40分ほどで再び連絡が入り下へ降りていくとお焼きが終わっていました。驚くほどに綺麗に白い骨だけになった様子を見ることは私にとっては悲しいというよりも逆に神々しい不思議な感覚がありました。

葬儀社の方がそこに焼いたままの状態で配置されている骨の一つ一つに説明を加えてくださり携帯用のメタルのカプセルに入れられるような爪先や尻尾の骨などをカプセルに入れた後、ほぼ全ての骨を箸で三人で回収し骨壷に収納。この骨は粉骨にしていただき、更に小さな骨壷に入れてその上から綺麗な骨壷袋に入れていただき渡していただきました。そのうえでラミネート・カードの中に生前の可愛い姿で写ったスプーキーの誕生日、死亡日、四十九日の日付が書かれたカードを頂き全てが終了しました。

本当に驚くほど心のこもった丁寧な葬儀で、評判が良いのも当然!と思える素晴らしいものでした。他のどの方にもお勧めしたいきちんとした葬儀で価格もリーズナブル。こんな素敵なシステムが有るのですからやはり日本は成熟した文明国ですよね。

次男が虹の橋を渡っていく時にこうやって送り出せたことは最後に我々自身を幸せにしました。本当に葬儀社の方には深い感謝しかありません。

部屋に戻る時に次女がスプーキーの骨壷を抱えて帰ってきましたが、飾り棚の上にちょこんと置かれ小さくなった次男を見てまたポロッと涙が出てきてしまいました。

自分より後に産まれて自分より先に旅立っていく小さな命を見送る心の辛さは有り得ない程のインパクトがあります。これが私が小児科医になることを敢えて避けた理由でした。愛でる気持ちが大きければ、その別れを看取ることが続く辛さには耐えられないのです。