2023年5月17日水曜日

己の凡庸さに溜息

病院で患者さん達と話していると自分自身がハッとするようなことばかりです。

シリアスな病気で命の「ともし火」自体が消えることが確実だと解っている年配の男女から己の命の最後に関して何というか他人のプレイしているゲームの画面を見て客観的にゲーム解説をするかのように淡々と自分の命の取り扱い方に間して私に「どう取り扱って欲しいのか」という事を語りかけて来る人が居るのです。

哲学者や修業を重ねて解脱を目指して自らのこの世からの消滅という恐怖と取っ組み合いを演じてきた人間と比べてもかくや、と十分に思わせる恬淡とした語り口。既に来世から語りかけて医師である私に笑いかけているかのような穏やかさで、消えゆく自分の命に「余計なことをするな」と言わんばかりの客観性を持った落ち着き振りです。

それが、ちっこい皺くちゃの婆さんだったり、漁師をしていた爺さんだったり、そこら辺の普通の喫茶店で十年前まで普通に給仕をしていたおばさんだったり。

大部の著書を著して、万巻の書を読み精進に精進を重ねたり、真っ暗闇の雪降る山道を阿修羅の如く飛び回った末に解脱を得たような大阿闍梨のように「人を導く」ような人ではないのかもしれませんが、己の魂を清らかにせしめて落ち着き払って旅立つコンパクトな準備の様子においては大宗教者もこうはいかんのでは?と私自身は思ってしまうような人が市井にも普通にいるというお話。

私のような凡夫凡俗は、その様な解脱ぶりを観る貴重な機会を多々与えられているにもかかわらず、導き出す教訓は「金もモノもあの世にはナンも持って行けんな」という中学さん年程度の子でも言いそうなレベル低めの文言くらいです。

もう少し高級な哲学的脳内回路を持っていれば、人に話せるようなもっとマシな「何か」を得ることも出来るのでしょうが…。バカの限界は自分の思っている以上に情けないくらい低いものでした。眼の前に度々現れる心象理解のチャンスをむざむざと見過ごす己のスカスカの脳味噌に涙です。


0 件のコメント: